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幼児の死と日本の家族文化




時に幼児の死が報じられる.その多くが親の虐待やそれに類するものだ。このようなことが昔から同じような確率で起こっていたような気もするし、最近、多くなったような感じもする.

かつて、幼児を身売りして家族の生活の足しにするということも行われていたのだから、親が自分の子を大切にする程度は、「美しい話」だけではないことは確かだ。

でも、昔との比較はともかく、悲惨な幼児の死を少しでも少なくすることは大切なことだろう.

私は、いくつかの改善を試みたら良いのではないかと思う.

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まず、第一に「子育て資金」を止めなければならない。

子育て資金が「幼児虐待」につながる理由は簡単だ.

1)   「子供を育てる責任は社会にある」という閣僚の発言は「親は子供を育てる責任はない」というのと同じ意味だから、多くの親の中には「ああ、そうか。子供を育てるのは煩わしいから、すこしいじめれば国が保護してくれるだろう.そうしたら、この辛さから逃れて遊べるかも知れない」と思っても不思議ではない.

2)    「子育て資金」を子供の前で母親が現金を数えている映像がテレビで放映されていた。もともと何も働いていないのに現金をもらうというのは、「もっとも下賤な行為」とされている.母親が子供の目の前で「施しを受けた現金」を数える映像は異常だった.母親と子供が「苦労しても一緒に頑張ろう」という気持ちがなければ母子の関係は正常にはならない。

また社会的な変化に伴う、母子の支援も大切だろう.

まず、第一に託児所を減らすことだ.そして子供が健やかに母親のもとで幸福に育つような社会の環境を作ること、また、小家族化になって狭いアパートの一室で毎日、子育てだけに追われる母親の精神的な苦痛にたいして有効な手段を打つことも必要である.

幼児を虐待する家庭を、周りの人が役人に連絡し、たいした仕事をしない役人に幼児の保護を任せて、その幼児が死んだら、役人の怠慢だといっても役人というのは本来、そういうものだから、結局は「みんなの責任逃れが幼児を死に至らしめる」ということになる。

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かつての教育勅語には、「父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、」とあったが、戦後の「個人重視」の中でこれらはすべて削除された。

しかし、孝行も、兄弟仲良くも、夫婦協力もともに日本の大切な文化であり、もしこれに付け足すならこの家庭の文章の最後に「子供を慈しみ育て」を入れたら良かったが、逆に全部、削除してしまった.

憲法には「全ての国民は健康で文化的な生活を営む権利がある」とされ、この条文は多くの日本人に指示されている.

そして、日本の「幼児」もまた「国民」であり、家族の中で生活し、母親に守られ、健康で文化的な生活を営む権利があるのだ。

それなのに「個人重視」とか「外国人参政権」などと言い、日本の宝である幼児を「国民」の中から外している。いったい、どこに目を向けているのだろうか?

今回の幼児虐待の事件を契機に、「保護する役人を増やす」といった、マイナスをマイナスで補いのを止めて、日本の子供たちがすくすくと育つ環境を作るように多くの人が根本から議論を進めていくことを期待する。

ここに書いた「家族重視」の考えはその一つに過ぎないが、いずれにしても日本の風土を活かした世界に誇るべき環境を作りたいものである。

(平成2283日 執筆)


武田邦彦



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