民主党政権による政治の変革に期待しつつも、その民主党の参院選惨敗に残念な思いがしない--そんな一見、矛盾した気分になるのは、民主党の政治姿勢が政権交代当初から「変質」しているのでは、との疑念があるからだ。
参院選の敗因が、社会保障など税の「出」の設計図もないまま「入」の消費増税論議を提案し、腰だめの10%に言及した菅直人首相への不信であるのは間違いない。が、指摘したいのは、選挙分析でも今後の政局でもない。消費者重視の「デマンドサイド(需要側)」政治に対する民主党の姿勢の「変質」である。
いきなり学者の理論の紹介で恐縮だが、米国の政治・経済学者、A・ダウンズ氏の代表的著書「民主主義の経済理論」(1957年)に、こうある。
「民主主義国家における政府の政策には、ほとんどつねに、反消費者、生産者支持の偏向がみられる」
その後の政治理論に大きな影響を与えた「ダウンズの命題」の一つである。
つまり--。政策情報の収集・分析や、政策に影響を及ぼすための政府への働きかけには費用がかかる。が、一般消費者はこれを負担しようとしない。消費者の合理的選択であるが、その合理的な「無知」の結果、政府・与党の政策決定に影響を及ぼせない。
一方、費用負担に意義を見いだし、負担能力もある生産者は政策に精通し、利益団体をつくるなどして「影響力行使者」となる。選挙勝利を目指す政党やその政府は、生産者の主張を無視できない。
なるほど。長年、権力の座にあった自民党の統治原理の主柱は、利益団体から「カネ」と「票」を吸い上げ、その見返りに「政治の果実」(政策)を分配する「経済統治システム」だった。その政策は生産者側、「サプライサイド(供給側)」を特徴とした。
政権交代当時の鳩山民主党政権はこれと逆に、消費者側、デマンドサイドに軸足を置いた。予算配分の重点を国直轄の大型公共事業から社会保障、文教・科学振興に移し、人にやさしい政治を目指すスローガン「コンクリートから人へ」は、その象徴だった。
「ダウンズの命題」への挑戦であり、自民党の統治原理の否定でもある。
ダウンズ氏の著書から半世紀がたつ。情報技術の発達、特にインターネットの普及は消費者が政策情報を入手・分析するコストを大幅に減少させた。「消費者サイド」政治の可能性には根拠がある。
民主党は昨年の衆院選公約で企業・団体献金禁止を掲げた。この公約はデマンドサイド政治と表裏関係にある。企業献金を禁止すれば政党・政治家と企業のバーター関係が崩れる。政党・政治家は、企業・業界を意識した政策づくり、サプライサイドに偏向した政策立案の呪縛から解放される。逆に言えば、デマンドサイド政治を目指せば企業献金禁止は自然な流れとなる。
菅政権は、このデマンドサイド政治の方向を踏襲し、発展させる考えを持っているのだろうか。大いに疑問だ。
菅首相は所信表明演説と参院選公約で、「強い経済・財政・社会保障」を掲げた。その「強い経済」政策の柱が生産者減税(法人税減税)であり、「強い財政」の中心が消費者増税(消費税増税)の協議呼びかけだ。政治の根幹である税制の、明らかなサプライサイドへの傾斜である。
その一方で、衆院選公約や鳩山由紀夫前首相の所信表明・施政方針演説に盛り込まれ「政治主導」と並ぶ看板スローガンだった「コンクリートから人へ」は、所信表明からも参院選公約からも消えた。
企業・団体献金禁止の公約も変わった。衆院選では何の条件もつけず禁止を約束していたが、参院選では「個人献金促進の税制改正とあわせて」と、前提を置いた。
前政権のデマンドサイド政策のいくつかは引き継ぐとはいえ、全体として「消費者重視」のメッセージは伝わってこない。むしろ、当初の姿勢からの「変質」が濃厚である。
「ダウンズの命題」には、2大政党が小選挙区制で競争する場合、政策が一つに収れんしていくというものもある。「ダウンズ均衡」である。
民主党が、自民党のサプライサイド政治・統治原理との「均衡」に向かっている、ということなのか。政治の基本姿勢で均衡が進むなら、「民・自大連立」の環境は整う。
デマンドサイドかサプライサイドか--これは2大政党の「旗」になりうる。民主党に必要なのは自らの立ち位置の再定義だろう。菅首相の「現実主義」の果てが、「ダウンズ均衡」の実践でないことを祈りたい。
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毎日新聞 2010年7月13日 東京朝刊