[証言記録 兵士たちの戦争]ガダルカナル島 最後の部隊 繰り返された失敗 ~名古屋・歩兵第228連隊~ | |||
ガダルカナル島 | 2009-09-26 |
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[1] | ガダルカナル島 最後の部隊 繰り返された失敗 | 04:29 | |
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[2] | 負け戦知らずの228連隊に下されたガダルカナル島上陸命令 | 04:30 | |
[3] | ガナルカナル島上陸とともにアメリカ軍の脅威を知る228連隊 | 04:06 | |
[4] | 質、量ともに、日本軍の軍事力をはるかにしのぐアメリカ軍 | 04:18 | |
[5] | 食糧、医薬品が底をつき、大本営の命に死を覚悟する第228連隊 | 11:18 | |
[6] | 撤退命令が出た後にも次々と命を落としていく228連隊 | 08:50 | |
[7] | ガダルカナル島からかろうじて生還した228連隊の生き残りが振り返る | 05:25 |
南太平洋の島、ガダルカナル島。戦時中、兵士たちの間で飢餓の島“餓島(がとう)”と呼ばれた戦場である。
陸海空、一体となって襲いかかるアメリカ軍が投入したのは、日本軍をはるかに上回る兵力と、圧倒的な破壊力を持つ兵器であった。これに対し、日本軍は次々と部隊を送り込むが、ことごとく敗北していく。その最後に送り込まれたのが歩兵第228連隊であった。
アメリカ軍の物量の前に次々と命を落としていく兵士たち。さらに、ずさんな補給計画がもたらした激しい飢餓が兵士たちを襲う。
大本営が撤退命令を出したのは、戦いが始まって4か月後のことであった。
228連隊の将兵2500人のうち、日本に帰ることができたのはわずか300人。なぜ、撤退命令が出た後も壊滅する部隊が相次いだのか。そして、兵士たちはなぜ餓死しなければならなかったのか。名古屋・歩兵第228連隊が戦ったガダルカナル島の戦いの実像に迫る。