[証言記録 兵士たちの戦争]“ベニヤボート”の特攻兵器 ~震洋特別攻撃隊~ | |||
日本(長崎・川棚) 日本(沖縄・金武) フィリピン(コレヒドール) | 2009-10-31 |
「戦争証言アーカイブス」の動画ページ、一部コンテンツには、Adobe Flash Playerを使用しております。快適にお使いいただくためには、最新版のAdobe Flash Playerをインストールしてご利用ください。
また、推奨環境につきましては、FAQをご覧ください。
[1] | ベニヤボードの特攻兵器 | 04:39 | |
---|---|---|---|
[2] | もろすぎる特攻兵器 | 03:03 | |
[3] | 戦局悪化にともない始まった特攻兵器の開発 | 06:29 | |
[4] | 戦場にたどり着くことさえできなかった若い搭乗員たち | 03:06 | |
[5] | スーサイドボートが抱えていた欠陥による大事故 | 05:04 | |
[6] | コレヒドール島でのわずかな戦果と凄惨(せいさん)な地上戦 | 04:43 | |
[7] | 沖縄でも出撃できずに死を遂げる若者たち | 05:35 | |
[8] | 敵の動きがつかめず、空振りに終わる決死の特攻出撃 | 02:57 | |
[9] | 震洋隊、最後の戦果 | 03:56 | |
[10] | 今振り返る、人命を軽視した特攻 | 03:22 |
太平洋戦争末期、敗色濃厚となった戦局を、一挙にばん回するために開発された秘密兵器、長さ5メートルほどのモーターボート。太平洋を震撼させるという意味で、震洋と名づけられた。
船首に250キロの爆薬を搭載し、敵艦に体当たり攻撃をする特攻兵器である。船体を軽くし、量産を可能にするために、ベニヤ板で造られていた。搭乗員として集められたのは、予科練を卒業したばかりの若者たち。戦闘機乗りを志していた彼らを、ベニヤのモーターボートが待っていたのである。
終戦までに震洋の体当たり攻撃で沈んだ連合軍の艦船は、アメリカ側の資料によれば4隻。その一方、命を失った震洋隊員は、基地隊員も含め、2500人にも上る。爆発事故や空襲などで、多くの若者たちが敵艦に突入することなく命を落としていった。
出撃することもできず死んでいった多くの特攻隊員たち。太平洋戦争末期、モーターボートで行われた水上特攻作戦の真相に迫る。