野球賭博に関与したため大相撲名古屋場所を謹慎休場した幕内雅山(33)=武蔵川=が2日、謹慎後初めて胸中を語った。「十両に落ちて(相撲を)取るべきか深刻になった」と一時は引退まで考えたが、「自分が信頼回復できるのは土俵しかない」と再起を決意した。秋場所(9月12日初日・両国国技館)での十両落ちは確実で、元大関では史上2人目の事態となるが、プライドをかなぐり捨てて相撲と向き合うことになる。
◇ ◇
謹慎は解けたが、気持ちは晴れない。この日に再開された武蔵川部屋の朝げいこに参加した雅山は、しこ、てっぽうなどで約1時間にわたって汗を流した。「体重は10キロぐらい落ちました。まだ戻っていません。食べても身に付きませんでした」。約3週間の謹慎を振り返った。
謹慎は全休扱いとなるため、十両まで番付が下がることが確実。本人も「覚悟はできていました」と腹をくくっている。過去、大関が十両に落ちても現役を続けたのは1977年夏場所の大受だけ。大受は陥落した1場所限りで引退した。その後も現役続行すれば、前例のないケースとなる。
過去に十両落ちの危機に直面した際は「落ちたら引退」を公言していたが、今回は事情が違う。「落ちるのは精神的にきついけど、自分の小さなプライドで辞めるのはみっともない」。屈辱にまみれても現役を続ける覚悟を固めている。
部屋に閉じこもっていた謹慎中はユーチューブで相撲動画を見て気を紛らわせた。けいこは許されていても、関取衆が場所に向かう際は顔を合わせないように気をつかった。心の支えになったのは「もう1回はい上がってください」というファンからの手紙だった。
大関から陥落した01年秋場所から9年。7月28日に33歳になった。ベテランとして1場所全休と番付降下の痛手は大きいが、「自分の不祥事で自分を追い込んでしまったわけで、相撲を取ることで償いたい」と出直しを誓った。早速、6日からの夏巡業ではファンサービスの握手会が5日間のうち4日も入っている。雅山にとって勝負の場所はもう始まっている。