国歌「君が代」を考える

              丘山 万里子

2001.11.20 207−2001.12.20 208 


 「日の丸」「君が代」が法制化されてから二年目の今年、強制はしない、との政府の言明にもかかわらず、小中高等学校の教育現場では隠微、もしくはあからさまな強制が行なわれている。私は音楽評論に身を置く人間として、「君が代」を国歌とすることに疑問を呈し続けてきた。理由は二つで、一つはその成り立ちとかつて担った歴史的役割の問題、もう一つは音楽としての内容と形の問題である。

 まず、国歌とは何か、ということから考えてみたい。国歌はある一つの国家が、民族としてのアイデンティティを民衆に自覚させ、同時に他国に対して「私たちはこういう国のこういう民族です」とでもいったことを主張するために必要な一つの「歌」である。私たちが国歌を歌う機会はそう多くはないが、学校では卒業、入学式といった式典で使われるし、いわゆるセレモニーにはつきものだ。オリンピックなどその最たるもので、国旗掲揚とともに自国国歌が歌われると、メダルを取った選手など涙ぐんだりし、観客も粛然とした気分になるのだから、国歌の果たす役割は大きいと言えよう。

 対外的には他国との差異を、対内的には自国との同一性を自覚させる装置が国歌なのである。私たちは何となく、国歌というと国民みんなが心を一つにして歌えるもの、みたいに考えるが、その底には、こんな機能が潜んでいる、ということは意識したほうがいい。

           *  *  *

 さて、「君が代」の成り立ちだが。日本音楽史の大家であった吉川英士が、戦時中唯一発行を許された音楽新聞「音楽文化新聞」に書いた「大東亜戦争と国歌『君が代』」によれば、「君が代」はそもそも、明治三、四年頃敵性外国人ウィリアム・フェントンによって作曲された。フェントンは横浜に駐在した英国軍楽隊長で、当時の砲兵隊長・大山巌(のちの元帥)に国歌制定を薦めた。明治初期、脱亜入欧に邁進する政府にとって、近代国家の仲間入りをすべく、象徴ともなる国歌制定は急務であったから、さっそくにフェントンに作曲を依頼したのだった。そうして出来上がったのが日本の和歌を歌詞とした「君が代」で、西洋風旋律の、ヘ長調一六小節のもの。これを政府は国歌として諸外国に示したのである。

 明治政府による近代国家建設事業は、西欧を規範としつつ、一方で天皇制のもとに堅固な国家統制を確立することだった。国際社会にデビューするアジアの島国ニッポンの顔たるべき「君が代」が、西洋スタイルをとりつつ、歌詞に天皇の治世の永遠を謳うものでなければならない理由はここにある。外に近代国家ニッポンあり、を宣言しつつ、内に国民の国家への帰属、つまりは天皇への帰依を誓わせる。これが当時の「君が代」国歌制定の意味だったと言えよう。

 「君が代」がこのように天皇万歳と直結している以上、そしてその天皇の名のもとで先の戦争が推進された以上、今さら「君が代」を国歌に、はないでしょう、と私は思う。しかも「君」とは「天皇」のことだ、と今日の政府が明言したのだから、「天皇の世が千代に八千代に」となるわけで、それを国民のみなさん、声をそろえて歌いましょう、だなんて、過去の亡霊がまたぞろ現れたようで冗談じゃないのだ。

 「きみがよは ちよにやちよに
 さざれいしの いわおとなりて
 こけのむすまで」

 この歌詞、きょうびの若者たちには「ちよにやちよに」だの「さざれいし」だの、なんのこっちゃ、だし、「いわお と なりて」は「いわおと なりて」にしか聞こえないしで、まったくもって意味不明である。いや、意味不明だから、とりあえず国歌です、のかけ声に何となく唱和してもいいかな、のノリになるわけで、それでもなんだか暗くてうっとうしい、というのが若者たちのおおかたの感想である。で、これまでのように意味不明の国歌をなんとなく歌う、のではなく、国家が明確な意識を持って、あるいは持たせるべく、意味をきちんと理解させて(つまり教育して)歌わせる、となった(つまり法制化された)のは、かつて「君が代」が国歌と制定された経緯をふりかえると、どうあっても「いつか来た道」ふうではないか。

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 ともあれ、この初代「君が代」は改作される。明治八、九年頃、海軍軍楽長・中村祐庸らの発議ののち西南の役(明治一〇年)で一時中断、改作が実現したのは明治一三年である。これが現在歌われ、演奏されている「君が代」で、宮内庁の楽人・林廣守が作曲し、ドイツ人のフランツ・エッケルトが和声を付けた。雅楽の旋律に西洋の和声が付くという違和感については後に述べる。ここでは、前期のような成り立ちを持つ「君が代」が、昭和の進軍とともにどのように国歌としての姿を示していたかを、先の「音楽文化新聞」の吉川の文章のなかで引き続き見てみたい。

 「戦勝、又戦勝!! 眼には日章旗耳には『君が代』!! 吾人は今日本の旗を振り日本の旋律を歌って、日本人たるの喜びにひたり切っている・・・。」からはじまる吉川の君が代論は、敵国イギリス人の作曲による当初の「君が代」が改作されたのはじつにめでたい、天は常に神国に味方する、もしあのままだったら敵の手による非日本的旋律の国歌を万歳三唱で歌わねばならなかったのだ、と続く。そして新たな国歌がドイツ人の作曲であるのは今日の日独同盟を予言したもののようだし、この国歌のありようにこそ、日本文化の進むべき針路が示されている、と言うのである。

 「即ち、骨組みは古来の伝統によって創られ、肉や皮は広く世界の知識から借りて来るということである。日本文化の歴史は常にこれであったし、将来もこれで行くべきである。それが日本的旋律と洋式和声の合作による国歌に明瞭に示されているのである。」

 ここでも確認されるのは、中身は日本の伝統、容器は外国モデルのパターンである。吉川は日本文化の歴史はずっとそのパターンだったし、これからもそうだ、と言明している。つまり「君が代」という歌の形は、日本文化の形そのもの、その象徴なのだ。でも、国家がナショナリズムを煽り立てる一方で、容れ物は他国の借り物でいい、とは、いささかご都合主義ではあるまいか? 確かに日本の文化は外来を常に受け入れつつ日本的変容をさせてきた、と言えるけれども。ついでに言えば、吉川の言う「日本的旋律」にしても、中国の識者によれば、中国のお葬式に歌われるメロディとそっくりなのだそうだ。とすると「君が代」で純日本製なのは歌詞、コトバだけになる。

 吉川の論は、さすがにこのままでは終わらない。今はドイツが同盟国で、かつての友、英国は敵に回ってしまったが、ことほどさように友好関係などコロコロ変わる。であるならば、やはり和声がドイツ製というのはまずかろう。かれは「日独伊の関係は未来永劫に盟邦であり得ようか?」と疑問を呈し「吾人は最悪の場合を考慮して、独伊両国の音楽とも絶縁して尚且つ余裕ある音楽文化を持ち続けるべく計画し、努力する必要があるのである。それにはまず音楽の自給自足ということを考えねばならぬ」と結論している。

 そうだ! 今どき「君が代」を国歌と制定し、それを歌わせようと躍起になっている人たちよ、ほんとうに愛国の情に燃えるなら、なにもかにも純然たる和製にしたらどうですか? もう五十年以上も昔の人間がこう言っているにもかかわらず、今だに自給自足できないなんて、新しい国歌の一つも生み出せないなんて、私たちの怠慢じゃありませんか?

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 ニューヨークのテロ以降、アメリカの街角には国旗があふれ、ことあるごとに『ゴッド・ブレス・アメリカ』が歌われるという。「国民一丸となってテロをやっつけよう!」というスローガンのもと、熱きナショナリズムが「ちょっと待って、アフガンの普通の人たちに爆弾落としてどうなるの?」という少数の声を押しつぶす様は、かつての日本の戦時を思わせる。

 同時に、人間が外敵に向かって集結するとき、威力を発揮するのはやはり連帯の旗であり、歌であることを実感させられた。国旗国歌は自分の属する集団への心情的なシンパシーをもっとも感動的に盛り上げる装置なのである。

 昨年、シドニー・オリンピックを見ていてふと気になり、各国国歌をまとめて聴いてみた。どんなにそれぞれの国歌は違うだろう、と期待したのだが、六十数カ国聴いてみて、どれもこれも似たように響くのにいささかがっかりした。だいたいが景気のよいマーチで、むろん西洋音楽を基本としている。アジアもアフリカもイスラムもそんな感じで、どうして民族性、つまり各国独自の伝統音楽が国歌にこれほど反映されないのか不思議だった。

 一緒に聴いた大学生たちの意見によれば、植民地支配の結果だろうと。でも独立してなお、自国の伝統音楽をさほど採用しないのはなぜだろう? 私の問いに、いろいろな国の、誰にでもわかるモード(西洋音楽の旋法)であることが必要と考えるからじゃなかろうか、と一人の学生が答えてくれた。
 この、誰にでもわかる西洋音楽、という前提はずいぶん偏ったものと思えるが、でも実際、各国国歌のほとんどがそのモードを使用している以上、この前提はゆるぎないものであるらしい。同時に、世界に向けて近代国家を主張するのに、今なお『君が代』的発想−−西欧モデルによる祖国礼賛−−が有効であることを改めて感じたのだった。民族がどうあれ、国歌のグローバル・スタンダードは西洋音楽ということなのだ。

 ついでに言えば、ずらずら国歌を聴き流していると、『君が代』の独特さは際だっており、一発でわかる、というのが新鮮な驚きであった。

 もう一つ興味深かったのは、イスラエルの国歌『ハクティバ(希望)』だ。近隣のいくつかの国々のなかにイスラエル国歌をまぜこんで当てさせたところ、学生たちはたちどころにイスラエルを聴き分けた。それほど他国とはまるで違った情緒をたたえ、聴くものの胸を打ったのである。その物悲しい旋律や音調は流浪の民としてのユダヤ民族が歴史に背負った悲運を思わせるに十分だが、今日の、それこそテロの引き金となっているイスラエル、パレスチナ間の血塗られた報復合戦にまで考えを及ぼせば、ここに強調されるユダヤの悲劇もまた「国歌」という装置の一つの形であることは明確だろう。ちなみに一八七八年につくられたこの国歌の歌詞はこうだ。

 「われらの胸に ユダヤの魂が脈打つ限り
 われらの眼が東の彼方 
 シオンに向かって、未来を望み見ている限り
 二千年われらが育み続けてきた希望は失われることはない
 その希望とは、われらが自由の身となって
 祖国シオンとエルサレムの地に住むことである」

 彼らは国歌にあえて短調の調べ、しかもなぜかルーマニア民謡を素材としたメロディとモードを採用することで、「外部」と「内部」の間に激しい抵抗を生み出す触媒作用を仕掛けたのである。それは民族の物語を「こんなに悲惨な宿命を私たちは背負っているんです。どうです、可哀想でしょう」と、外に向けて訴え、内に対しては「この宿命から私たちは逃れられない。そして私たちが辿った苦難の道を決して忘れてはならない」と後に続く世代に営々と語り続ける役割を果たす。強烈と言われるユダヤの民族意識は、このようなところでも育成されてゆくのである。

 私はむろん、ナチスのホロコーストを含め、あらゆる人間同士の憎悪と殺戮とをこの世から駆逐したいと願っているが、視点を動かし、歴史の単位を長くとってみると、話はそう簡単ではないことが見えてくるのはやりきれないことだ。

           *  *  *

 ともあれ、我等が国歌『君が代』の独特さ、そしてまた民族の物語とはいったいどんなものだろう。なぜ、『君が代』は一発でわかるか? むろん、雅楽の音律でできているからだ。つまり、西洋音楽とは違う日本の伝統音楽モードでメロディ・ラインが作られており、これが『君が代』に独特さを与えているわけだ。でも、その旋律の伝統的独特さを実は滅茶苦茶に壊しているのが、これにつけられた和声、つまりは伴奏なのである。

 先に、私が『君が代』を国歌とすることへの疑問の第二点としてあげた、音楽としての内容と形の問題とはこのことである。雅楽プラス西洋和声という折衷が生みだしている音楽的居心地の悪さ、不自然さはちょっと類を見ない。雅楽というものをまるきり知らないドイツ人エッケルトがここで犯している様々な音楽的過ちは、この歌における「日本的伝統」を讃美する方々にとっては本来、噴飯もののはずなのだ。

 簡単に言えば、『君が代』は雅楽の壱越調律旋で、レを主音としており、上行、下行では西洋の旋律短音階のように音が変わる。上行はレミソラドレ、下行はレシラソミレというふうに。で、この音律にエッケルトはなんとドを主音とするハ長調の和声をくっつけたのである。

 以下、日本の若手作曲家・川島素晴氏による『君が代』アナリーゼ(ブリーズ29号より転載・譜面参照)を引用する。



 「レで始まりレで終わるのにハ長調とは、エッケルトの困惑ぶりが窺える。譜例の下段にあるローマ数字のTが主和音で、旋律のレの音が元来の主音だから、その位置の相違は明白だ。例えば8小節目の「て」は本来主音なのに、今我々が感じるのは属和音の機能である(これに続いてWに進むのが苦しい処理であることは、少しでも和声学を勉強した方なら判るだろう)。2小節目の「は」も本来主音だからここでフレーズは完結する筈なのに、次にTが来ることを知る我々の意識には属和音の響きが浮かんでしまう。4小節目などは、突然生ずるシの音に戸惑う余りト長調に転じているが、これは、この旋法が上下行で異なるという性質への無理解の結果。こうやって、本来あるべき音の機能を歪めたことで、悉く旋律のニュアンスは覆されてしまった。」

 以下、まだまだ分析は続くのだが、もうこのあたりでよかろう。邦楽の耳にも西洋音楽の耳にもでたらめなこの曲が、我が国文化の誇り、象徴だなんて、それでいいんですか? とりわけ伴奏を強いられたり、独唱させられたりする音楽家たちにとって、この音楽的不一致は苦痛以外のなにものでもないのだし、それをまた子供たちに強制するなど、とんでもない話なのだ。

 加えて、歌詞は天皇の世の永世を言祝ぐとなれば、民族の物語はたちどころに天皇制と重なって、現人神たる「天皇陛下万歳!」の特攻精神へと突き進む。あれだって「聖戦」、ジハードだったわけで、なにもタリバーンやイスラム圏の特許じゃないでしょう。ユダヤの『ハクティバ』が民族の物語を語り継ぎ、そこに自国のアイデンティティを集結させるように、『君が代』もまた天皇統治の神話世界を未来永劫、子孫代々に伝えていこうということになる。

 『君が代』を国歌にして歌う。強制しないと言いながら強制する、というのは、そういう物語の復活をも意味するのです。

 私は『君が代』の旋律自体はけっこう好きなので、歌詞も伴奏もなしに、ただ楽器で旋律をなぞっておれでおしまい、というのでもいいのではないかと思う。国歌に歌詞がない国もあるのだし。歌いたくないひとが嫌な気持ちにならずにすむし。いかがでしょうか?


おかやま まりこ/音楽批評家

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