この春、遅きに失したとはいえ高校の無償化が曲がりなりにも実現した。さて今度は大学の無償化論議の出番だと思いきや、現実は真逆へ向かっている。国の財政再建圧力で、大学への援助が削られそうな雲行きだ。学費が上がれば、日本の未来を担う才能がますます貧困に埋もれてしまう。
子どもの教育で優先されるべきは、機会均等原則の確保だろう。ところが、この国は義務教育を除いてその責任を放棄し、世の親の財布につけ回してきた。よって、親の収入の多寡が子どもの教育格差となって立ち現れてきている。
この国は、子どもの教育を人権問題とは心得ていないようだ。国際人権規約をめぐる留保の問題はその象徴だろう。日本は一九七九年に批准したのだが、そのうち「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約」の一三条二項の一部を留保してきた。
中学や高校の中等教育と、大学や大学院などの高等教育は無償化を進め、国民に等しく機会を与えよといった趣旨の条項だ。留保している国は、今や日本とマダガスカルのみと聞く。
中等教育は一歩前進したが、問題は高等教育だ。子どもを大学へやるのに親が工面する資金は、国立で平均四百三十六万円余り、私立で平均六百二十四万円近く。親の財布ももう限界だ。子どもの権利を平気で削るこの国は、いつか大きなしっぺ返しを食わないかと心配になる。 (大西隆)
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