婦日の寝不足日記

僕の身の回りでは毎日のようにテレビドラマさながらの出来事が起きます。
その全てを記す事はもちろん出来ませんが、どうしても漏れ出してしまう僕の心の声を聞いて下さい。
僕には語りたいことがあまりにもたくさんあるのです。

                                                           
2010年08月03日
引っ越し大作戦発動中です
 この8月は勤務医と開業医という2足の草鞋を履いて仕事する事になっている。これは重要な業務移行期間でもある。僕にとっては大事な引越しの夏だ。
 13年間久美愛病院で働き続けた仕事の垢?は、外来、病棟、医局、その他控え室等々に嫌と言うほど染み込んでいる。しかも移すのは物品だけでは無い。僕がこの13年間の間にコツコツ積み上げてきた各種ノウハウやインテリジェンス、その他諸々も含まれている。

 産婦人科は常に危険と隣併せの科だ。引越しにも十分気をつけないと業務に支障を来たすかもしれない。運が悪いと死人が出る可能性だってある。だから単純な引越しと言えども。慎重かつ計画的に事は進めないといけない。
 と言う訳で昨日は仕事こそ早めに終わったものの、その後積み重なった雑誌類を片付けたり、色々考えたり、家具屋を見ていたりしたら、あっと言う間に時間が経ってしまった。僅かな時間があれば済む寝不足日記更新も、昨日はそんなこんなで忘れてしまう。

 幸いな事に深夜に呼ばれる事は無く、夜はぐっすり眠れた。これで今日も元気に動き回れる。
 中には僕がせっせと病院で働きまわっている姿を見て不思議そうにされる方も見えたりするが、それはおいといて今日もアッチコッチと引越し大作戦発動するのだ。

まだまだこれは極々一部です
2010年08月01日
こういう日も楽しい
 代務先生のみえない週末だ。天気はまあまあだが遠出は出来ない。朝一番の時間に、高山にすぐ戻れる場所という事で、乗鞍スカイラインで自転車心肺トレーニングを考えていたが、夏ばて気味か早起きには失敗した。
 と言う訳で今日は高山市街地をうろうろして過ごす。とは言うものの暇なことなんてちょっとも無い。僕にはアルプスベルの準備と言う楽しい?仕事もあるのだ。

 専門的な医療器具以外でも、パーソナルユースな道具は山ほどある。家電用品店や家具屋さん、ホームセンター、100円ショップなど回っていればあっと言う間に時間は過ぎる。
 睡眠時間が削られる産科医にとっては、睡眠用ベッドのマットレス選び一つとっても大問題だったりする。マットレスの種類の話を聞いているだけで1時間くらいは軽くかかってしまった。

 更にちょっと欲張って車屋さんを覗いたらもう大変だ。僕の愛車はいわゆるscrup incentiveの対象で、9月中に廃車にすれば25万円が戻ってくると言う。それに間に合わせるために「今週中にはぜひお決めください。今ならお得ですよ」となる。
 そんな甘い言葉に誘われて、ついつい時間をかけて何台もの車に試乗したりしてしまう。ちょうど退職金という現金が入ってくるものだから、僕の気分もかなり強気だ。

 そんなこんなで夕方になり、仕事許せば夕方に行こうと思っていた自転車峠越えトレーニングもキャンセルとした。最近は美味いものばかり食べて、運動不足は著しい。
 しかしこんなお店めぐりの一日も、新婚前の引越し準備?の様な感じがして、それはそれでかなり楽しかったりする。

ベッドに寝転がって、気分だけは王様ですか?
2010年07月31日
今までも大変だったし、これからも大変です
 昨日は僕の厚生連での最後の出勤日だ。8月中も久美愛で仕事は続けているが、立場は非常勤医師としての仕事となる。と言う訳で夕方早めに仕事を終えると、病院事務室に伺い、局長さんからの辞令とお餞別及び退職金目録などをいただいた。

 13年間の産婦人科部長としてのお勤めで、それなりの金額の退職金を頂ける事が分かり嬉しく思う。
 このお金で次男三男のサッカー荷物運びに使う自家用車を買おうか、それとも先々の子供達の進学費用のためにと残しておくか、色々な事を考えてしまったりする。
 学生の頃からお金が入ると直ぐに使ってしまうのは僕の悪い癖だ。随分と出入りの激しい人生だと思う。宵越しの金は持たない方が潔いとも言えるが、今回はさすがに先の事を考えて貯金もしないといけないと思う。

 そして夜からは、これから先の仕事場アルプスベルにとって重要?な懇親会に出た。
 例によって宴たけなわの最中に分娩室から呼び出しが入り、緊急出動を要する。得意のほろ酔い?縫合で素早く対応し、懇親会の席にはすぐ戻る事が出来た。
 アルプスベル及び飛騨の周産期にとって前向きな話し合いが出来、更にその上に最高の寿司とお酒も楽しむ事も出来る。

 と言う訳で今日はゆっくり朝寝坊だ。代務の先生もいないしちょうど良い休日だと思う。ゆったり起きだして、新築あいなり受け渡し終了したばかりのアルプスベルの建物に向かった。
 診察フロアや分娩病棟フロアも素敵だが、景色抜群の院長室とか鏡張り多目的ルームなどに感動したりする。これから様々な物品を搬入し、使いやすく実用的で、かつ結果を出せる病院にしたいと思う。それが患者さんにも職員にも大事な事だろう。

 午後にはまた別の分娩一件あり(もちろん久美愛で)、当然出動を要する。
 退職金を貰って、新しい病院の準備をし、同時に現在進行形の仕事もたくさんしている。
 楽しい事や嬉しい事が多い気もするが、やらないといけない事もありすぎるくらいある。アルプスベルでは8月23日から分娩業務を始めて、本格開業は9月1日からの予定だ。
 これから僕は院長として、患者さんのみならず職員の方々に対しても責任重大な立場になる。あまり思い詰めてもいけないだろうが、それでも様々なことに対する責任感で、押しつぶされそうなプレッシャーはどうしても感じている。

鏡張りの多目的ルームでマタニティビクス?などどうですか


景色も素敵です
2010年07月30日
誰もが何時かは幾つものガンになる
 昨日は久しぶりに分娩の方も残らず、夜に呼び出される事も無しできちんと眠れた。今日の外来もどういう訳か空いてくれて午後に手術も無い。分娩が多かった関係で入院患者さんの人数は久しぶりに20名を越えているが、それでも余裕のよっちゃんで仕事はできている。

 さて昨日の夜風呂に入っていたら、それこそ25年ぶりに大学山岳部の先輩から電話がかかってきた。中味は今度受ける腫瘍摘出手術に関する一般的?な心配事の相談であった。
 僕は今現在のところガン治療でも飯を食べている人間だ。だからこそかえってこの手の相談に親身に応える事は実は少ない。患者さんから直接電話がかかる様になると、医者の私生活は大変な事になるし、知り合いの医者の業務に支障が生じる場合もある。
 患者さんからのダイレクトな問い合わせ電話には慎重に対応すべきと言うのは、この道を行く医者なら誰もが知っている事だ。

 しかし今回は遠い所に住む大学の先輩の話で、しかも中味は産婦人科と全く関係ない分野の腫瘍摘出の話だった。と言う訳でかえってそれなりに親身??に応答する事が出来たと思う(多分)。

 さてさて昔バリバリに一緒に山に登っていた方々も、僕も含めて皆いわゆるガン年齢に達してきた。
 サザン桑田の食道ガンやRC清志郎の喉頭ガンではないが、50歳前後くらいの年になると、誰もが何時ガンと宣告されても全くおかしく無い。
 まして今はガンの診断精度が昔と比べて各段に上がった。昔なら原因不明の病気とされていたものも今では○○ガンと診断が付く。そして早期発見は確実に早期治療と治癒に繋がる。

 その結果、右も左もガン患者もしくはガン既往の方ばかりとなる時代は近い。そしてこれから高齢化社会となると益々その傾向は強くなるだろう。誰もが何時かはガンになる。中には治療しないでそのままにしておいたほうが良いガンなんてのも出るだろう。
 そして幾つかのガンを克服した後に、何個目かのガンでどうしようもないガンになり亡くなる。

 あと数十年ほどしたらガン病棟では「あなたはこれが何個目のガンですか」という挨拶が普通になる時代が来るだろう。僕はその事をほとんど確信している。
 かく言う僕も30歳の時に精巣セミノーマを患ったがその後にエベレストにも登った。僕の父親は胃がんと前立腺がんを克服?して今は海外トレッキングも出来る様になっている。
 
 ガンはあきらめるものではなくて戦うものだ。そしてガンに対しては、政治家でも芸術家でも知識層でも医者でも歌手でもみな平等で、人類共通最大のテーマだと僕は思う。
 と言う訳でまたこの転職でのゴタゴタ?が一段落したら、懲りないM先生の所か内視鏡&山スキーのカリスマH先生の所で徹底的??にガン検診など受けなきゃいかんか、なんて事も思っていたりする。
2010年07月29日
一寸先は闇です
 昨日も帰宅時に分娩が一件残った。とある理由でちと要注意な感じだ。しかし適切?な促進が効を奏し、分娩は深夜にならないで済んだ。ただ押したり引いたりとそれなりの難産になる。もちろん僕はそれで食っているのだから、各種判断と手練手管?で無事にこなす。

 さて人間には宿命的に危険な時期というのがある。幼少期の感染症や事故。青年期の各種争い事による死。年を取ったらガンや成人病による危険も増える。しかしそれらを抜いて、人生において最も危険な瞬間というのは実は分娩時である。
 産まれる時と言うのはちょっとした差で、元気な児が生まれるか、死にそうな児が生まれるか運命が分かれる事がある。最近は減ったが、医療者の判断の差で元気な子供が脳性マヒ児となってしまう事もあるだろう。分娩と言うのは大変な人生のクリティカルポイントなのだ。

 つまり現代というのは、分娩時の危険をクリアすれば、後はソツなく過ごせば、かなりの割合で中高年まで普通に生きていける時代だとも言える。僕みたいな、若いうちにガンになったり、雪崩れに埋められたりなんて生き様をしている方が珍しい。
 その上にまた最近、人生これから何があるか分からないと思う気がする様になった。これはきっと僕が今、転職と言う人生の岐路を一つ曲がりつつあるからだろう。これは人生の第3コーナーあたりなのだろうか?

 僕は今までも各種様々な事情から何回も職場を変わってきた。これは産婦人科医という職業柄から見ると割と普通の事だ。とはいえ今回の職場変えは今までの様な単純(でもなかったか)?な医局人事と明らかに異なっている。

 これは一つの科や病棟を事実上閉鎖し、関連病院や総合病院の名前にも影響かけつつ、更に多くの患者さんや医療関係者を巻き込んでの転職になるからであるだろう。
 そこには僕のエベレストを始めとして、各種各様各レベルでの思惑もうごめいている。後悔は無いが、後ろめたさが全く無いかと言われると嘘になる。人生一寸先は闇だ。いつまでも産道をくぐっている新生児の様だと思う。

 昨日たまたまテレビで見た関が原の戦いの後日談で、その後の石田三成はさらし首を京都三条河原にさらされた。小早川秀明は有名な裏切り?の後すぐに夭折しお家断絶となった。
 宇喜多秀家は八丈島に流されその後島で50年間生きた。毛利は所領没収で、島津は勇猛な戦いぶりから所領安堵された。同じ天下分け目の負け組にも、様々な生き様や死に様がある。

 時代やレベルはあまりにも違うが、何故か僕はこれから先どうなるかなんて事も思っちゃう。
 せめて真っ当に生きて夭逝は避けたいと思うが、あまり真っ直ぐに生きるとさらし首になるだけかもしれない。勇猛果敢に生きて所領安堵あたりで僕は大満足だが、そんな事を考えるより、大人しく遠くに流されて長生きするのが正解かもしれない。
 戦国時代の武将と自分を比較するのが滅茶苦茶な話だろうが、それはともかくなぜか歴史を見て自分を省みてしまう僕であった。
2010年07月28日
今年の夏のイノベーション
 何だかんだと仕事に追われて昨日の帰宅も遅くなった。分娩も2件残ってしまったし、何時に呼ばれるかそれなりに気にかかる。とはいえ昨日は幸運だった。夕食後就寝前の比較的心身に影響少ない時刻で2件とも産まれてくれた。定例?のテレビ番組(ガイアの夜明けとか爆笑学問とかニュースゼロとか)はすべて見損なうが、それほど拘りは無いからどうと言う事は無い。

 ここのところ毎日夜から深夜にかけて分娩で呼ばれている。その上昼の仕事もそれなりに大変だから、自分でも良く頑張っていると思う。そういえばその陰?に例年に無い画期的生活改善がある事に気づいた。それは夕食時のノンアルコールビール導入である。ノンアルコールビールと言っても、麦酒ではない。所謂ただのビール風味炭酸飲料だ。それは普通のビールの方が美味いに決まっている。 しかし夕食時にそれを飲むと腹が炭酸で張る。そうすると夜に本物のビールを飲まないで我慢できる様になった。仕事で疲れて、もうそのままとっとこ寝ちゃうのだ。

 例年なら毎年この時期にビールは欠かせない。山スキーが終わると僕にとって次に来るのはビールの季節だ。そしてこの時期何時もビール腹となり体重がグンと増える。
 呼ばれると飲酒運転厳罰化にぶつぶつ文句タレながら何度も何度も病院まで歩いて通う。少しでも長く寝たい僕にはこれはちと辛い。歩きながら半分寝ちゃう事もある。これは毎夏繰り返される僕の夏の風物詩?だ。

 しかしこの夏は夜に呼ばれると、病院まで車で行けている(なお昼の通勤には自転車を使ってます)。その分病院まで早く着くし、赤ら顔?のほろ酔い縫合も無い。きっと妊婦さんにも良い事だろう。相変わらず山スキーが終わると体重が増えるのは一緒だが、アルコール抜きの暮らしは健康にもちょっと良い気もする。

 全く持ってノンアルコールビール様々だ。というわけで今年はこのままビール無しで夏を乗り切れるかもしれない。これは僕にとって20年ぶりくらいの生活大イノベーションだったりする。

休む日のビールもどきを飲んで、休まずに働き続けます
2010年07月27日
冬のペンギン、夏の人間
 やや気を使う手術を経て、昨日も疲れ果てての遅い帰宅となった。遅い夕食の後に早めに眠りに付くも、またすぐ分娩呼び出しで起こされた。睡眠時間が削られた訳ではないが、あまり嬉しくは無い。
 今朝はきちんと医局会に出席した。今月一杯で僕は13年間務めた厚生連を退職する。8月は非常勤として開業医と勤務医の2足の草鞋を履く予定だ。いちおう常勤医としては今日が最後の医局会になる。ここは眠くても欠席する訳には行かないだろう。

 今日は一日外来の火曜日で、朝から秒単位外来、その後は急患診察、病棟業務、午後診察、分娩と続く。既に大分疲れているが夜にかけて更に2件の分娩が残っている。また夜中に起こされるのかと思うとちと辛いが、好き?でしてる仕事だし逃げる事はできない。

 さてさて今朝の新聞によると今年の猛暑はまたかなり凄いものになっているらしい。既に国内で100人近い人が熱中症で亡くなられているという。
 僕は普段日中はクーラーの効いた病院内で仕事している。住んでいる所も高山なので、朝晩の自転車通勤時にそれほど暑さを感じる事も無い。だがそれでも毎年毎年夏の暑さは酷くなっている気がする。
 今年は特に東海地区の暑さが酷いという事だが、果たしてそれは何故だろうか?東海地区では二酸化炭素を気持ちよく排出するので、他地域と比べヒートアイランド現象が進むのだろうか?その可能性は少しある様な気もする。

 何でもニュースに寄ると、無理にクーラーを使わないで部屋の中にいると、屋内熱中症を起こして死に至る可能性もあると言う。いくら環境?の為を思って暑さを我慢しても、それで死んでしまっては元も子もない。スキー業界の温暖化対策のキャンペーンにノースキー、ノーライフという言葉があったが、こうなるとノークーラー、ノーライフという感じだ。

 つまり今時はどうしても誰もがクーラーの効いた部屋で過ごすしか無いという事なのだろう。そうなると更に室外機で外は暑くなる。そうするとまた生きる?ためにクーラーを使う。悪循環でもう後戻りが出来ない。このままでは今の子供達が大人になった頃には、夏はもう外で人間が生きられないなんて世界になっているに違いないと僕は思う。

 どうすれば良いのだろうか。クーラーを使わないと死んじゃうのならば、せめてクーラーの効いた部屋に皆で集まって能率よくクーラーを使うのが正解かもしれない。人の少ない個室ではクーラー禁止として、皆で集まって暖を取るのではなくて集まって冷を取るのだ。そうすると少しは室外機によるヒートアイランド現象も避けれるかもしれない。
 南極のペンギンは冬の時期寒くなると皆が集まりオシクラ饅頭で暖を取る。それにより赤ちゃんペンギンが凍死するのを防ぐと言う。今の人間は暑さを避ける為にその逆をしないといけない。

 真剣に未来を考えて冬に楽しくスキーが出来るためには、夏の間にそんな工夫が必要なんじゃないかなんて事を思ったりしている。
2010年07月26日
充実感はあります
 代務の先生のお陰でこの土日も楽しい休日を過ごす事が出来た。昨夜もぐっすり寝れたし言う事は無い。
 今日は午前中の予約診察に午後はやや大変な手術が2件。特に2件目はとある理由でハイリスク手術であったが、あの手この手で今のところ上手く経過してくれている。もちろん疲れているが、充実感もある。

 さてさて梅雨も明けて北半球は猛暑となっている。だからかどうか今朝もニュースを聞くと様々な出来事が世界中で起きていた。アルプスでは氷河特急が脱線して、秩父の山奥では防災ヘリコプターがまたまた?墜落したと言う。
 距離で換算すると世界で一番安全な乗り物は飛行機で、一番危険な乗り物は三輪車だと聞いた事があるが、それはともかく素敵で便利な乗り物ほど同時に危険も高いというものなのかもしれない。

 現世人類というのは10数万年(多分)ほど前にアフリカを出て以来、世界中をそれなりのリスク背負って様々な手段で移動してきた。危険な目にあってもあちこちに移動したいというのは、人間の遺伝子に刷り込まれた本能なのだろう。かく言う僕も移動する事は大好きだ。

 そう言えばこれも遺伝があるのか、僕の父親ももう良い年?だと言うのに一人で海外ツアーに参加して、アメリカ西海岸の国立公園を回ってきたらしい。同行の方が作った報告も読ませていただいたが、幾つになっても旅行は楽しいのだろうと思う。

 僕はこれからまだ当分の間、高山で産婦人科稼業を続けていく事になった。仕事柄拘束時間は長くなりそうだ。
 いつかある日円満に定年?退職を迎えて、その後は気ままに蓄えで懲りない旅を死ぬまで?続けたいなんて思っちゃうが、そういう生き様はきっと恵まれた場合に可能なのだろう。そんな事を夢見ながら、まだしばらくはせっせと今いるところで働き続けようと思う。
2010年07月23日
気分は眠狂四郎
 昨日木曜日は手術無く比較的早く帰宅できた。とはいえ経過中の方はやはり残ってしまう。金曜日は大変な一日になる事が分かっているから、何とか夜はしっかり寝て疲れを取っておきたい。
 幸い分娩は深夜にやや遷延気味になってきた。起こされない方に賭けてマイスリー半錠飲んで眠りに付く。
 
 しかしこれは残念な方に外れた。草木も眠る丑三つ時にやはり分娩室から呼び出しが入る。もちろんどんなに眠たくても出動だ。裂傷は複雑なものだった。しかしここは長年の修行の賜物で、眠狂四郎必殺の円月縫合を駆使し、眠気を保持しながら問題なく縫合する。
 ただ縫合するだけならどんな産科医にもできる。しかし眠気を保持しながらこれを行うには、長年の修行が必要だ。2度目の睡眠で熟睡感を得る事は、今日の仕事のパフォーマンスを維持するために、とても重要な事なのである。

 と言う訳でボチボチの睡眠は出来た。朝からまず秒単位外来をこなし、次いで大変な手術が2件続く。運の悪い事に僅かな昼休みの時間にも急患さん受診が入る。昼食こそ取れたものの昼寝はあきらめないといけない。
 午後の2件の手術の間も微妙に眠気を感じた。しかも2件とも代務先生もちょっと驚く?ややハード?な内容の手術だった。

 しかしここで僕はひるんだりはしない。予想外の事で冷や汗はかいたが、それでも問題なく先ほど手術終了した。これで後は各種雑用と回診業務を済ませれば、留守を代務先生に任せて週末休みに入れる。
 そして週末は遊ぶのだ。良く遊び良く働き、そしてちょっとだけ寝る。周りの事を考え無さ過ぎという話もあるが、僕の場合はそれが一番正しいのだと思う。
2010年07月22日
何で開業するのかな
 予定外の事がいろいろあった関係で昨日の仕事も終わるのは遅い時刻になった。昨夜は夜8時から高山市医師会が開業ガイダンスというのを僕に対して行ってくれる予定がある。夕食を食べる時間も無かったが、スナック菓子をほおおばって、急いで夜の保健センターまで出動する。忙しい(多分)というのに高山の有力?開業医先生も集まってくれている。当の本人の僕が遅刻する訳には絶対にいかない。

 と言う訳で昨夜は開業に対する心構えみたいな話を、やや神妙に?伺わせていただいた。
 話は多岐にわたり、開業に関する山ほどの許認可や経費、各種視察や監督、自分及び患者さんの各種保険関係、更には遺体監察の事やゴミの捨て方まで話を伺う。高山市医師会ならではの特別な事情も聞くが、こういう事は特に大事な事なのだろう。

 とはいえ僕の様な世間知らず?にはなかなか理解できない内容の話もあった。まともに聞けば不安になる話もある。
 今回の開業は普通の開業医の独立とは異なり、僕がこの手の事務手続きの中心になる必要は無い。とはいえそれでも将来に向け何か役立つ事もあるだろう。いただいたたくさんの書類はきちんと取っておいて、改めて読んでおこうと思う。

 しかしそれでも開業とは大変な事だなあと改めて思う。
 しかも僕の場合は僕が病院を去る事で総合病院から実質一つの科が無くなる。それだけでもすごいのに一つの病棟の閉鎖も正式に決まった。
 申し訳ないと思うと共に、これ以上僕の開業が世間に負?の影響を与えないで欲しいと思う。開業が良いことばかりで無い事は最初から分かっていたが、悪い事ばかりに注目されても堪らない。

 こんな話を伺うと、世の中なんで多くの医者が開業するのか不思議に思う。岐阜市の方では開業希望の医者がたくさんいすぎるので、何とか勤務医に開業させない様、色々と医師会でハードル設けてると言う。こうなると既得権益者が新規事業者参入を妨げてる様なものだ。つまりはそれだけ開業には知られざる?旨味があるという事なのだろう。
 だが僕の様な人間にはそれが分かっていても、やはり不思議に思う。僕は勤務医として恵まれすぎていたからそう思うのだろうか?それともただの世間知らずなのだろうか?多分その両方だろう。

 世の中人によって価値を置くモノは異なる。お金は誰もが価値を置く重要なモノだが、多くの人は健康や時間にも大きな価値を置く。しかし現実にはある程度のお金が無ければ、健康や時間も買えないという話もある。「座って半畳、寝て一畳」という言葉もあるが、同時に「人はパンのみで生きるにあらずという言葉もある。
 きっと開業するとそこには僕の知らない世界があって、そこにはなにかファンタスティックなものがあるのだと信じるのが良さそうだ。
2010年07月21日
使って減るもんじゃありませんけど
 火曜日の一日外来はやはりジワリと疲れが貯まる仕事だ。何だかんだと疲れきっての帰宅は、大分遅い時刻になった。かなり遅い夕食を食べて、シャワー浴びると速攻で寝る。
 しかし梅雨明けの猛暑のせいかどうも中々上手く寝付けない。とはいえクーラーかけて寝ているから、寝れない原因は暑さによるものでないだろう。仕事のイライラ感が寝つきの悪い事に関係していそうだ。

 そしてこういう時にきちんと深夜分娩が入る。草木も眠る丑三つ時に起こされて出動を要した。と言う訳で今日も朝から疲れが残り、薄ら眠たい一日が始まる。
 それでも仕事は容赦なく襲いかかる。書類、ドック、集団検診の合間に予定外の難産が入った。昼間だからまだ良かったものの、小児科先生のスクランブル出動が無かったら大変な事?になりそうな冷や汗分娩であった。

 しかもその直後にもこれまた別件で準緊急の帝王切開が入った。これもとある理由で要注意だ。辛い寝不足手術であったが、上手くこなさないと死人が出る。と言う訳でもちろん上手くこなす。
 その他にもこれから週末週明けにかけて、大変な手術や分娩が目白押しの雰囲気だ。先が思いやられるが、僕の仕事は失敗は許されない。これから先も上手にこなすしか他に方法は無い。

 最近ちょっと使い過ぎているのか、指や腕や背中や脳が微妙に疲れている。目もしょぼついてきた。
 基本的に人間の身体やバイタリティというものは使って減るものじゃない。だから世のため人のため、また自分のためにも、脳も含めた身体はどんどん使うべきだ。使う事は鍛える事だから、身体も脳も使えば使うほどきっとより強くなるもんだろう。

 しかしこれもあくまで使いすぎた箇所を休ませて再生させるから出来ることだ。使う事と休む事はセットになって初めて、鍛えるという事に繋がる。筋トレでも毎日やっていると却って筋肉が付かない。休みを入れて初めて筋肉が太くなる これは精神活動でも同じなのだと思う。

 世の中には長短時間睡眠でもバリバリ人並み以上に働き続ける事が出来る人もいるらしい。しかしきっとそういう人は短時間で身体を再生させる特別な遺伝子でももっているのじゃないか。
 残念ながら僕はそんな遺伝子を持ってないから、やはりせめて夜はしっかり寝ないと、昼間働き続ける事は不可能だと思う。
2010年07月20日
何処で治療を受けますか
 代務先生は昨日夕方には戻られた。その後深夜に分娩が一件入ったが、助産師さんの活躍により僕の深夜出動は無しで済む。朝は早めの出動で分娩室直行を要したが、寝不足感は全く無い。
 今日は一日中外来の火曜日だ。しかも3連休明けだから猛烈に混むことは最初から分かっている。朝からダッシュで仕事を始めてひたすらに数を診るが、何時まで経ってもカルテの束は減らない。

 しかもアルプスベル開業の関係で、山ほどの紹介状を同時に書かなければならないから大変だ。細かい説明はすべて看護師さんや事務さんに任せて、僕は少しでも手と口を動かして、先に仕事を先に進める様努力する。
 その間にも多数の検査や処置が入ってくる。他科の医師に任せれる仕事は他科の医師に任せるしかない。周りがどう思っているかは分からないが、僕が考えないといけないのは、まずは目の前にいる患者さんの事だろう(きっと)。

 新規ガン患者さんの数も相当に多い。開業医になる事が近くなって、新規の進行ガン患者さんを、僕が継続して診る事は不可能になった。僕は自分がガン患者だった事があるから、その分ガン患者さんの不安な気持ちが痛いほど分かってしまう(と思う)。だからこそ常に最善の選択肢を患者さんに提供しなければならないと思っている。

 今まで僕はガンの発見、手術、抗がん剤治療、その後の経過観察まで、すべて自分で行っていた。
 しかし考えてみれば医師が一人しかいない産婦人科で、ここまで行う方が異常な状態だ。ガン治療と言うのはチーム医療なのだ。圧倒的な需要があったとはいえ、僕の様なやり方がきっと変なのだろう。
 その一方で、多くの紹介状書きながら、今まで良くやってきましたと、自分で自分を誉めてやりたい気持ちにもなったりする。

 しかしそれにしても田舎のガン患者さんは、その身の振り方の選択肢があまりにも少ない。
 都市部ならその道の専門医は山ほどいるし、中にはスーパードクターと言われるような医者もいる。ガン患者になった時に最善の治療を受けたいと思ったら、やはり都会に住むべきだ。
 自分を誉める気持ちの一方で、そんな言い訳?を書かざる得ない自分の無能力さも感じる。そんな忸怩たる気持ちも、どうしようもなく湧いてくるのだ。
2010年07月19日
MTB&沢登りで遊びます
 今日の夕方までは代務先生が高山にいてくれる。昼間はかなり暑くなりそうだが、それでも素敵な好天になるだろう。
 ただ先週の豪雨で本格的?な沢登りには少し危険な状態かもしれない。いずれにせよ貴重な休日だ。子供のサッカーも一段落したし、今日はしっかり朝一番スタートでワークアウトして来ようと思う。

 と言う訳で何処に行こうか結構迷う。山に行かないのなら、夏休みに入った子供達を誘って海に行くという選択もある。しかしそんな良い父親を演ずる?事はもちろんできず、早朝自宅スタートでせせらぎ街道をMTBで走り、坂本トンネル入口からイラス谷の沢登りを楽しむ事にした。

 さて地図を見たらイラス谷の源頭は高山市最南端の地に当たる。高山市は日本一大きな市として有名??だ。その大きさは東京都と同じというから驚く。なんでも小さな都道府県より大きい日本唯一のビックシティ(面積では)らしい。
 確かに地図を見ると東は槍ヶ岳から西は白山まで皆高山市だ。ビックでもあるし、また同時に日本一の山岳シティだと思う。

 過去に僕は飛騨地域内分水嶺スキー縦走という企画で山スキーを楽しんだ時期もある。そこで?今日は高山市最南端を自宅から人力日帰りで目指すという企画で行動する。
 なお最北端、最西端、最東端は遠すぎで普通は人力日帰り不可能な感じである。唯一最南端だけは何とかなりそうな気がしたのだ。

 朝の涼しい内に分水嶺の西うれ峠を越えて、イラス谷を遡る。最後はお決まりの藪漕ぎとなったが、それでも案外スムーズに高山市最南端の5等三角点に到達できた。かなりレアな雰囲気の場所だった。
 お陰でただ山登りに行くよりも随分と探検?気分が味わえる。しっかりワークアウトできたし、今日も嬉しい大満足の一日になった。

往復約100kmのMTBに最後はイラス谷の沢登り


往復8時間半でした


林道終点までMTB


イラス谷の沢登り


高山市の最南端はこんな場所
2010年07月18日
責任感で潰される前に
 金曜夜から有難い代務先生が高山に来てくれている。ちょっと心配な患者さん等はみえるのだが、それでも比較的自由にできる週末だ。幸いなことに豪雨の梅雨も明けたようで、この3連休は好天続きらしい。
 とは言うものの昨日土曜日はアルプスベルクリニック関係で重要な打ち合わせがあり、朝から高速飛ばし稲沢まで出かけてきた。

 9月から始まる開業医生活に対する不安や電子カルテへの対応、現在久美愛で診ている患者さんに対する責任感もあるし、都市部には無い地方ならではの需要に応える必要もある。
 とはいえ新医院が経営的に成り立たなければ元も子もないし、この年になって人生リセットと言われても大丈夫かしらんなんて気もする。

 しかしエベレストに行けた以上、多少の生活の変化ぐらいに対応する能力もきっと残っているだろう。中年おじさんの僕にとっては大きな生活の変化が待っているのだが、そこは我慢する事は我慢して頑張らないといけない。

 それに僕には山がある。仕事で煮詰まったり不安になったり困ったりしたら、山に逃げちゃう?のだ。というわけで今日はさくっと午前中に御母衣湖から尾上郷谷の林道をMTBで探ってきた。
 ワークアウトにはちと物足りなかったが、それでも独特の山深さは楽しめる。この別山山域は飛騨側の山並みの中でもとりわけ奥深くて、その分これからも楽しめそうだ。
 そんな感じでこれから先も上手く山と仕事のバランスが取れて、充実して実り多い生き様ができれば良いと思う。

MTBの往復だけではちと物足りなかったか?
 

今度来る時は沢登り道具も持ってこよう


僕の新しい戦場?も形が出来てきた
2010年07月16日
お悔やみ記事が気になります
 昨日も概ね仕事スムーズで夜中に呼び出される事は無かった。次々と心配な患者さんの受診、入院はあるが、今のところは嵐の前の静けさで少し楽できている。という訳でこの数日間は夜の空いた時間は読書などに親しんでいる。
 たまには僕も本を読まないとただでさえ皺が減っている脳みそから、更に人間性の引き出しが減ってしまう。一所懸命?に読んでいる本は図書館から借りてきた梅棹忠夫全集だ。

 梅棹忠夫といえば京大山岳部出身の探検家から比較文明学で世界のさきがけとなった人物である。「モゴール族探検記」とか「知的生産の技術」とか代表作は山ほどある。文章が極めで上手だから、比較的長文で難しい内容でも、割と早く読む事が出来る。

 僕は若いころアジアとアフリカを横断登山して、その後環太平洋の企画で南米、北米も旅した。そのついで?に南極やエベレストまでも足を伸ばしている。
 エベレストや南極はともかく、僕がアジアやアフリカを志した理由は若い頃に読んだ梅棹忠夫の著作による影響が大きい。僕はこれでも読書好きの少年だったのだ。

 その事をもう30年近く忘れていたが、つい1週間ほど前に何かのニュースの端っこで、梅棹氏死去のニュースを見た。。
 90歳の大往生らしい。若い頃野外のフィールドで冒険して、年取ってからは知のフィールドで冒険する。もちろんそれは類希なる優れた頭脳とその生きた時代の賜物であるのだが、もし可能なら少しでも見習いたい人生だと思う。

 僕の学生の頃は世の中に大学山岳部員は星の数ほどいたのだが、何処に行っても京大山岳部員は一目おかれていた。その理由は今西錦司とか西堀栄三郎とか川喜多二郎とか、登山だけでなく探検や学問の分野で人並み外れた成果を上げた人物を輩出していたからだろう。僕の中では梅棹忠夫はその代表選手だった。
 彼らを先輩にもっている京大山岳部員を何気に羨ましいと思ったものだ。とは言うものの京大医学部に進むほどの頭脳は無くて、名大医学部に進みそこで山岳部に入った。

 今から思えばもし京大に進んでいたら、今頃僕はどうなっていたかと思う。多分産婦人科医にはなっていなかっただろう。梅里雪山の麓に埋もれていたかもしれないし、霊長類研究所でチンパンジーに餌を与えていたかもしれない。
 ただ確かな事はどんな知の巨人でも、年取れば衰えて何時かは死ぬという事だ。

 そう言ってしまえば何だかみな虚しくも感じるが、それでもその多方面のフィールドへの好奇心はぜひ見習いたいと思う。好奇心は人生を最も豊かにする最高のスパイスだ。
 梅棹氏が活躍した頃と今とでは、明らかに時代の課題が異なる。しかしそれにしてもその頃の知のフロンティアはいったい何処に行っちゃったのだろうか?
 漫画やお笑いばかりに興味を示す子供達を見るにつけ、また過去の知の巨人がどんどん何時の間にか亡くなるにつけ、時代は確実に下らない方に動いている気がする。
2010年07月15日
白鵬を応援します
 嵐の前の静けさかもしれないが、このところ少し仕事は落ち着いてくれている。雨ばかり続くのは嬉しくないが、その分図書館で本を借りて、晴耕雨読と洒落込む。忙中閑ありを楽しむのも大人のたしなみだ。夜もきちんと眠れているし、やはり仕事が楽だと気持ちにも余裕が持てる。

 さてワールドカップは終わったが、相撲界の野球賭博の話題はまだ続いている。何と言ってもNHKが相撲生中継を止めたというのが、長引く要因になっているのだろう。しかしこれで中継料がそのままNHKより相撲協会に支払われるのなら、損するのはNHK受信料を払っている人たちで、相撲協会は特別損しない。
 前にも書いたが親方を含め相撲取りが野球賭博をしまくっていたのは周知の事実だ。相撲協会から逮捕者が出る事は無いだろうし、今は世間が納得する落とし所を探り当てたという所じゃなかろうか?

 いずれにせよつまらん話だ。本当に相撲取りが野球賭博するのを問題視するのなら、パチンコ屋の景品引換所も問題にしないといけない。正直者が損をして、ずるいお偉いさんたちが上手く逃げる。その周囲もそれを黙認する。
 世の中皆偽善者だらけだと改めて思う。もしパチンコ屋で景品交換した事がある人が悪いとなれば、世の中どれだけ悪い人だらけとなるのであろうか?

 さてさて良く考えてみると、NHK受信料を払っている多くの方以外に、もっと損している人がいた。それは連勝記録がかかった白鵬や引退相撲がかかった朝青龍だ。彼らこそ国技の体面の真の犠牲者と言えるだろう。
 言いたくは無いが外国人力士だからそうなったとも思える。千代の富士や貴乃花が連勝記録を伸ばしていた時にNHKの中継がストップされるなんて事はありえない。彼らモンゴル人力士こそ今回の賭博公表の最大の被害者だ。警察の偉い人はここまで計算にいれていたかもしれないなんて思ったりする。おかげでワールドカップ賭博で宙に浮いているお金も、世間にある事だろう。

 そういえば話が少し変わり、僕も学生時代、OBのおかしたとある犯罪で、一年間山岳部休部の憂き目にあった事がある。
 僕が名大山岳部2年だった時の事だ。白鵬ほどではないが、はっきり言ってやはりそれなりの影響を受けた。これも大人の都合で現役が犠牲者となったと言えるだろう。
 何時かの機会にこの時の事やその後の顛末を書きたい気もするが、字数がとても足りない。

 今回の野球賭博と似た構図だ。大人の世間体のために真面目な若者が苦しむ。そして多くの良識ある人は何も言わずに黙っている。だからこそ僕はここに、せめて白鵬がんばれとだけは書いておこうと思う。
2010年07月14日
準備が全てです
 火曜日の一日外来でそれなりに消耗したが、そこそこ早めの時刻に帰宅はできた。大急ぎで着替えて車をビックアリーナに走らせる。何とか病院フットサルの定期練習に間に合った。
 ワールドカップ観戦でイメージトレーニングはできているし、昼寝も出来ていたから、少しは身体の切れも良いんじゃないかなんて期待しつつ、体育館を走り回る。
 しかしイメージと実際の足の動きにはタイムラグがあるらしく、例によって肝心の場面で空振りを繰り返す僕であった。それでも素敵な汗をかけたし、夜も起こされる事無く眠れたから言う事は無い。

 さて今日は主に書類業務で固めた水曜日だ。業務の中には手術や抗がん剤治療の段取りを決めたり、連絡をしたり、サマリー書いたりとか、そういうマンクリ、マタジ業務が多く含まれる。
 飛騨弁の中で僕が一番好きな言葉がマンクリとマタジという言葉である。方言と言うのも言葉の一種で、その人の思考の手段であり、その地域性を良く表している。標準語で言えば準備と片付けと言った意味だろうが、何気?に良い言葉だと思う。

 さてさて昨日見たテレビ番組のワールドカップ総集編で、今回一気にブレイクした日本のFW本田のインタビューが長々と流されていた。その中で本田は「準備が全てだ」とか「準備が楽しみだ」とかそういう返事を繰り返し答えていた。そういえば野球の松井もワールドシリーズでMVPを取る前には、「最初からそのつもりで準備していた」と話していた。

 さすが大きな成果を上げる人間は良い事を言うと思う。また準備の重要性を説くのは北陸の人間の共通の特性かと少し思ったりもする。北陸人は雪が来る前の準備の重要性が身に沁み込んでいるという事だろうか?
 僕は北陸出身ではなくて基本関東?の人間だが、それでも常々子供達に「準備と片付けが一番大事だ」と話している。勉強だってサッカーの練習だって全ては準備なのだ。去年僕がエベレストを登れたのも、前々からその準備をしていたからに違いない。
  
 人生は「準備と片付け」でできている。それ自体が目的でもある。その上にほんの少しのチャレンジを付け加える事が出来たら、それだけで出来すぎの人生であるに違いないと思っている。
2010年07月13日
答えは一つか?
 昨日は早めに帰宅できて、夜中に起こされる事も無かった。やや寝苦しい夜だったが週末の寝不足はこれで大分緩和される。今日は朝から雨の一日だ。農耕民族の性で何となく薄ら眠たい感じがする中、ひたすらの外来業務に励んだ。
 気の毒な方から幸せな方まで次々と色々な患者さんが見えるが、何時もの様に淡々と数をこなす。多少だが昼寝タイムも取れたし、やっと入院患者さんも少し落ち着いてきてくれたから言う事は無い。

 さてさて僕は毎日看護師さんや患者さんから山ほどの色々な質問を受ける。今日一日でも100件以上の質問を各所から受けただろう。
 それに全て的確な唯一無二の答えを出しているとは、自分でもとても思えない。しかしとにかくは当たらずとも遠からずくらいの回答をしないと、それで食べているプロである以上はいけない事だろう。
 あまりトンチンカンな答えばかりしていると、いくら田舎の産婦人科医?とは言え何時までも許されるものではない。

 中には答えが無い質問とか、答えが幾つもある質問と言うのもある。「痛いのは何故」とか「熱が出たのは何故」というのは、僕が毎日何回か質問される項目だが、千里眼でなければ正しい答えをすぐさま出せる訳は無い。
 大事なのはその場を上手くこなし、とりあえず周りが納得行く答えをする事だろう。そうでなければ数はこなせない。

 考えてみたらそんな質問をされた時、僕が一番多く答える返事は「様子見ましょう」というものの様な気がする。今日だけで20回くらいそういう返事をしただろう。
 そんなことじゃ行かんと思われる方がいるかもしれないが、実はそれが唯一無二の正しい答えの時は多い。様子見てれば自然に収まる痛みや発熱なんて世の中山ほどある。

 熱が出たら直ぐに抗生剤出したり、ステロイド出したり、解熱剤を出したりする医者は多いし、それを求める患者さんの数はもっと多い。患者さんのためと思い、とにかく何か出してと求める看護師さんもいる。なんでもかんでも指示出した方が全てが上手く回る事もある。
 しかし人間の身体は答えが一つではない。自分なりの意見や答えを持つ事は大事だが、それを求めてばかりいてもいけない。
 病気になったり、死期が近づくと身体も心も余裕がなくなるのは確かだが、少なくとも健康な時は、答えに幾つモノ引き出しを持って生きて行きたいと思う。
2010年07月12日
雨の日曜日には
 日曜日は大雨が断続的に降り続く一日となった。代務の先生もみえないしお出かけは不可能だ。まずは朝一番早朝の未明時刻に分娩呼び出しが一件。ついでに日記の更新と開いたばかりの投票所で参議院選投票も朝に済ませた。

 この時は折角の日曜日だし、雨が小降りになったら昼からMTBで一走りなんて考えていた。しかし更に要注意の分娩が2件続けて入院してくる。うち一件くらいは緊急帝王切開になる見込みが高い。
 これはお出かけは封印だ。何時呼び出されるだろうかと思いながらダラダラと雑用で過ごす。ちょうど夕食時に胎児心拍が下がるという呼び出しが入った。大急ぎで出動、押したり引いたりの大騒ぎ?で無事に最初の分娩はこなす。

 続いて残るもう一件は更に手強そうだ。手術にするなら深夜になる前に決めたい。しかしこれも手術にならない方に賭ける事にした。お陰で夜の眠りはしっかり浅いものとなる。
 ちょうどワールドカップサッカー決勝戦が始まる深夜3時半にやっと呼び出し電話が入った。既に全開から拝臨(説明は省略)という事なので手術になる事は無くなったが、安心は出来ない。

 と言う訳で多くのサッカーファンが試合を見守る時間に、僕はしっかり分娩室で仕事となる。サッカー選手並み(嘘ですが)に一汗かいて自宅に戻ったら、ちょうど後半戦が盛り上がっているところだった。
 2度寝はあきらめ、止めれば良いのについついテレビの前でサッカーを最後まで見てしまう。試合は延長戦になり終了時には既に朝になっていた。 

 その他にも各種病棟業務とか問い合わせ電話とか色々な事があったのだが、細かい事は忘れてしまった。
 そんな日曜日を経て今日もしっかり朝から寝不足外来だ。手術は無いからまだマシだと思おう。
 世間がサッカーに夢中になっている間でも、普通の産科医は普通に仕事している。そんな当たり前の事を今日は書きました。
2010年07月11日
最後の部長会です
 金曜帰宅後に病棟患者さんの急変?があり、出動を要する。夜中には呼ばれずに助かった。
 昨日土曜日も明け方にも分娩が入り出動。更に各種業務をこなした上で、留守番を必殺開業医先生にお願いし、名古屋まで車を走らせた。毎年の夏の恒例?行事である名大産婦人科関連病院部長会に出席するためだ。

 もう僕はこの会議に10年連続出席している。そして秋に開業医となる予定の僕にとっては、これが最後の部長会主出席だ。この会議では僕には一人部長代表?としての立場があり、それなりの経緯から求められてない発言をした事もあった。
 特に名残惜しいという訳ではないのだが、勤務医としての消耗生活から逃げ出す?事になり、色々な意味でちょっと複雑な気持ちが生じたりする。

 とはいえ今年は会議の最中に発言を求められる事も無く、僕にとっては淡々と会議が進んだイメージだ。今も昔もこれからも大学や研修医にとって重要なのは、症例豊富な大病院だ。産婦人科医集約化のこの時代に地方の末端関連病院が一つ消えても、産婦人科の世界では何も変わる事は無い。当たり前だ。

 と言う訳で昨日は帰宅の夜遅くになった。今朝も早くから分娩で呼び出されて、今もまだ仕事が続いている。
 昔読んだ古い本に「西部戦線異状なし」という第1次大戦時ドイツの戦争文学がある。雨と寝不足で気分が少し欝になっているからかもしれないが、なぜかその本の寂しい結末を思い出したりする。

最初から最後まで定位置キープしてしまいました
2010年07月09日
いよいよ秒読み段階ですか
 昨日は帰宅こそ早めに出来たものの、その後深夜にかけて各種問い合わせ電話が4件。更に早朝未明に分娩が一件あった。睡眠のコアな部分は守られたので寝不足感は無い。仕事はもちろん問題無くこなしている。

 さて前々から告知されてきた事であるが、既に多くの患者さん及び高山市民ご承知の通り、僕は7月一杯で久美愛病院を退職する。今日の午後、正式な退職願いも病院に提出してきた。
 8月中は非常勤医として久美愛で働き、9月1日からは高山西高斜め向かいに建てられたアルプスベルクリニックで働く予定だ。だから8月は勤務医と開業医の2足のわらじを履いて仕事する事になる。

 急に僕がいなくなる事で病院に混乱を生じるといけないので、8月は仕事上重要な緩衝移行期間と言える。後回しに残しておいた手術も多数あるし、これから先結構慌しくなりそうだ。

 また9月以降も産婦人科の看板は久美愛から無くならない事になった。多くの方々の努力と配慮により、看板が維持できる態勢が出来たのは実に有難い事だ。
 さてとは言うものの僕が去る事で、久美愛では分娩が出来なくなる。事実上産科の火は消える。色々な意味で僕は病院から微妙?に優遇されてきたから、これは確かに申し訳なく思う。

 しかし今も昔も医師は病院を点々と渡り歩くのが普通だ。特に産婦人科医はその傾向が強い。病院に最後まで義理立てしなければならないという事までは、無いと思う。
 特に今は一般の会社員でも終身雇用制が崩壊し、会社への忠誠度が落ちていると言う。医師はともかく、一般社会では不景気になると、次々と余剰社員の首を切る時代だ。気の毒だがそういう例は身近に山ほどある。

 自分で言うのも何だが、僕の様な特殊技術?で生計を立てている人間は、早めにFA宣言をした方が本当は良いのかもしれない。しかしFA宣言した後のプロ野球選手があまり振るわない様に、何時の間にか僕も何処かに消えている可能性もある。

 さてさて明後日の参議院選挙では雇用の安定も争点の一つになっている。
 失業率は低いに越した事は無いが、終身雇用が必ずしも良いモノとは限らないだろう。徐々に熱くなる湯の中の茹で蛙(説明は省略)の如くで、安定の中にいると後は静かな死が待っているだけかもしれない。
 少子高齢化の世の中では、静かな死の方が有難いという話も有るが、僕はもう少し人生悪あがきしてみようと思う。その結果少しでも世間の少子化にストップをかけられれば、僕としてはもう言う事は無い。

今日から外来玄関に貼られました
2010年07月08日
やっぱり運動しないと
 昨日は分娩も上手い事午前中に済み、書類業務も急いで片付ける事で、昼過ぎには少し楽できる状態になった。梅雨の長雨も一休みしてくれた様で、病院の窓からは乗鞍岳の山並みがくっきりと見える。
 これはきっと山が僕を呼んでくれているのだろう。そんな風に勝手に解釈し、早引きを決めてしまった。大急ぎでMTBを車に詰め込むと、乗鞍スカイラインに向けて車を走らせる。

 ここのところ悪天と用事続きで碌な運動をしていない。やはりたまにはワークアウトしておかないと気分的にストレスが貯まる。
 幸い高山の傍には自転車ヒルクライムの新たな聖地?になりつつある乗鞍スカイラインがある。標高も高いから夏でも気持ちよく汗をかける場所だ。最も短時間にワークアウトできる優れものの場所と言えるだろう。
 
 と言う訳で旧ペンタピアの駐車場に車を停めると、MTBで坂を漕ぎ上がりだした。スカイラインは午後6時にはゲートが閉まるからそれまでの2時間を漕ぎあがる時間に当てる事にした。強い人なら2時間で十分終点畳平まで達せる。
 ところが僕はそれほどの心肺能力を有してないので、桔梗ヶ原に上がった所で時間切れになってしまった。それでも涼しい山の中で快適な汗をかけたから満足だ。ヒルクライムの世界では全然遅いタイムなのだが、これでロードバイクだったら多分畳平まで達せただろうと思ったりする。

 既にゲートが閉まる寸前の時間だったので、下り対向車の心配も無かった。一気にスカイラインを下るのは豪快で楽しい。これでタイムを計ってモチベーションを高めたら良いトレーニング場所になるだろう。帰りには平湯の森の温泉も待ってくれている。
 もし都会に住んでいたらこういう時にスポーツクラブとかに出かけて、プールやトレッドミルで汗を流すのだと思う。高山にはそんな洒落た場所は存在しないが、替わりにその分山があれば僕には十分すぎるくらいだ。

登り2時間。下り20分。標高差は1200m


タイムを上げて何時かヒルクライム競技に挑戦しようかなんて思ったり
2010年07月07日
中途半端に終わった気分ですが
 昨日もちょっと重たい説明と分娩が残り、仕事はやや遅くまで続いた。分娩は遷延となり夜中になっても産まれない。こういう時に眠りが中途半端になると却って良くない。ここはデパス飲んでぐっすり眠りに付いた。もちろんワールドカップ準決勝なんて見はしない。
 この読みは当たり、朝まできちんと眠れた。朝一番の電話で促進の指示を出す。分娩は難産となったが午前中の比較的良い時刻に産まれてくれた。まあ良くある普通の分娩経過だ。

 今日は書類業務の一日で比較的業務に余裕がある。空いた時間に速攻で今シーズン山スキーの傑作写真を何枚かHP上にUPした。
 今年は今までに無く高レベルで豪快な山スキーができたと思う。これはファットスキーの導入と僕のテレマークスキー技術上達が兼ねあったからだろう。

 あと比較的雪が多いシーズンだったというのも言える。やはり山スキーは雪があって何ぼの世界だ、次のシーズンにもたっぷり雪が降って素敵な山スキーがたくさんできたら良いと思う。
 ちょっと残念だったのは、雪解けが思ったより早かった事だ。GWまでは今年のシーズンはまだまだ続くぞという気分だった。
 しかしGWの好天と高温を境にして、山の雪は一気に減ってしまった。これは雪も多かったが、同時に雨も多かったせいもあるだろう。こういうのも地球温暖化の一つのパターンなのかもしれない。

 そのためか今年の山スキーは終わり方がちょっと中途半端だった気がする。例年なら入梅してもまだ1〜2回くらいは山スキーに行けたものだが、今年は一度も行けなかった。最後に富士山や剣、白馬周辺に遠征し山スキーを〆たかったのだが、雨天と雪不足に遮られて、〆の山スキーには結局行けなかったのが、すこし心残りだ。

 しかし何時までも思い出の山スキーに名残を残していても仕方が無い。この秋からは仕事も山も新しいステージに入る。来年度は写真にも力を入れて、更に素敵な記録を残せたら良いと思う。
2010年07月06日
短期記憶に不安があります
 昨夜は日付変更線が変わる頃に分娩一件あり。問題ない安産で助産師さんが上手く対応してくれたから、電話連絡のみの出動無しで済んだ。
 今日は一日外来の火曜日で比較的空いてくれた。午後からも分娩始めたくさんの仕事が残っているが、今のところはお昼休みも十分に取れて順調に経過してくれている。

 さて僕は普段の外来では、いつも3人くらいの患者さんを同時に診察している。その上で各種伝達書類を書いたり、病棟からの報告を受けたりもする。だから同じ時間に全く別のことを話しつつ、聞きつつ、書くなんて、聖徳太子やナポレオンみたいな状態になる事もしょっちゅうだ。

 もちろんこういう事ができる様になったのも修行の賜物である。これは仕事の中味をパターン化しているからできる事だろう。だいたい皆がしてくる質問はいつも似たようなものが多い。
 答えも似たようなものを用意しておけば、同時に問題なく幾つもの仕事を進める事が出来る。要するに慣れというものだ。しかしたまにパターンを外れる質問とか仕事が出てくると混乱する事もある。

 最近はアルプスベル開業の関係で、外来しながら紹介状を書くという業務が加わった。だからか少し外来の最中に混乱する事が増えた気がする。具体的には内診台の前に立つと、自分が誰に対して何をしようとしているのかパッと思い浮かばなくなってくるのだ。
 もちろん患者さんの名前を確認してカルテを見ると、何をしようとしているのか思い出せる。しかしそのたびに診察机に戻らないといけないのが手間だったりする。

 さてさて同時に幾つモノ事ができるようになるのに、大事なのは何と言っても数秒前の事を思い出す短期記憶力である。記憶の棚というか、記憶のメモリ領域というか、そういうものが多ければ多いほど同時にたくさんの仕事が出来る。
 世に言う頭の良い人というのは、単純に頭の回転が速い人の事を言うと考えられている。しかし実際には回転が早いのにも記憶力が関係している。

 たいていの人間は思考と言うのを言語で行っているのだが、言語が記憶の棚に上手くしまわれて無いと思考もできない。記憶の要らない思考なんていうのは本能と何一つ変わらないと僕は思う。
 つまり短期記憶力というのは、人間の能力と直結しているのだ。その記憶の棚が最近どうも若い頃より小さくなってきた様だ。

 コンビニのレジで買ったモノを忘れたり、傘を忘れたりする事とは違う。この手の忘却力も能力の一つだ。古い事を忘れないと新しい事を記憶する事が出来ないからだ。
 しかしそれとは領域の異なる短期記憶力が衰えてきている気もして、そちらはちと怖いぞと自分でも思っていたりする。
2010年07月05日
サッカーするにも
 代務の先生のお陰で夜中に起こされる事は無い。とは言うものの昨夜は何故か寝苦しい夜で、浅くしか眠る事が出来なかった。時間的には十分寝れたから寝不足感は無い。とはいえせっかく代務先生がみえているのに熟睡感が得られなかったのはちと残念だ。

 これは昨夜が特に蒸し暑い夜だった事と、週末に運動らしい運動が出来なかった事が影響しているのだろう。やっぱり週に一回はワークアウトしなければ、身体が納得しない。運動不足のせいか湿度のせいか、持病の尻痛と腰痛もジワリと酷い感じだ。
 今日は予約診察と急患診察多数、及び午後から手術が一件と処置が一件。仕事の方は概ねスムーズだから言う事は無い。

 さてそういう訳で僕には運動できない週末になったが、次男、三男にとっては中体連でしっかり身体を動かせる週末になっていた。今僕の家には大きな身体をした高校生1人と中学生2人がいるが、皆動き回って家に帰ってくると、家中が汗臭い感じがする。
 とにかくは部活動で散々泥の中走り回って、後はぐっすり眠れるのだから、それが半ば仕事?とはいえ子供は羨ましいと思う。

 さてさてもちろんその陰では多くの親さんや教師が涙ぐましいマンクリやマタジをしている。特に今年は梅雨に入り雨が断続的に降り続いている。子供達は毎日泥だらけで練習と試合を繰り返しているから、何処の中学生の親さんも泥まみれの洗濯物におおわらわな事だろう。
 
 僕は子供達の試合を見るだけで、送り迎え以外は碌な手伝いもしていない。だからこそ子供達の戦いの陰で、多くの大人が動き回っているのには頭が下がる思いだった。
 子供達に恩着せるつもりは無いが、親さん等が汗かいた分、子供達も準備と後片づけが出来るしっかりした大人に成長してもらいたいとやっぱり思う。

怪我した子供を救護するの親さんの仕事です      
 

せめて靴の泥くらいしっかり落とせよ
2010年07月04日
勝負事には勝ちたいです・・
 昨日、今日は中学部活動最大の大会と言える中体連ウィークだ。野球、サッカー、ハンド等々の競技で高山市予選があちこちで行われている。
 次男、三男のいる東山中サッカー部にとっても今日はある意味決戦の日曜日だ。

 しかし結果はここに書きたくも無い惨敗の連続であった。子供達は暑い中一生懸命走っていたが、どのチームも一生懸命戦っているのは同じ事だ。部員数の違いとか、個々の実力とか、作戦の立て方の差とかはもちろんあるのだが、他の中学校のチームと比べて結局は走り足りなかったのだろうと思う。

 中学校の部活のレベルで勝ち負けに拘るのはどんなものかとは思う。しかしやはりそれでも勝って欲しかったとは思う。
 昨日行われたワールドカップ準々決勝では、延長戦最後場面でウルグアイのディフェンダーが手でシュートを防いでいた。あきらかなルール違反なのだが、その行為によりウルグアイはベスト8に勝ち進んだ。

 負けたガーナのチームには本当に気の毒な気がするが、「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉もある。勝負の世界はやはり勝たないといけないという事なのだろう。
 そんな感じで子供達には負けて当然なんて甘い気持ちは持たないで欲しいと思う。

惜しい場面はたくさんありましたが・・
 
  これ以前の日記は削除しました。