「君が代」斉唱を拒絶した菅直人氏の危険性
今日『月刊日本』発行人であり愛国者であられる南丘喜八郎氏より、佐藤優氏の、「ミッキー安川さんが語った菅直人民主党代表の『君が代』観」(『SANKEI EXPRSS』2021年と6月5日号)といふ文章のコピーを送っていただいた。
それによると、ミッキー安川氏が担当していたRFラジオ日本の『朝まで勝負』といふ番組は、開始と同時にゲストとスタッフ全員が立ちあがって『君が代』を斉唱することになっていたが、ある日ゲストで出演した菅直人氏は歌うことを拒否したという。
そして佐藤氏は次のように論じている。「菅氏の世界観において『君が代』はどういう位置を占めているのだろうか?日本国家の根本は祭祀共同体である。目に見える制度や法律ではなく、目に見えない高天原の神々によって、日本は支えられている。」「参議院選挙の結果がどうなろうと民主党は権力を手離さない。民主党という巨大な権力の器の中に、超越的なものに対する畏敬の念を欠いた、合理的計算で理想的社会を構築することができると考える人々が、官僚と手を組み、イタリアのムッソリーニ首相が理想としたファッショ体制が、知らず知らずのうちに形成されるのではないかという不安を筆者はもっている」と。
全くその通りである。「君主制を打倒し、国民主権の共和制国家にすることが進歩である」などという理論は全く誤りであり、危険である。日本の君主制を否定し、日本を国民主権が実現した国になったらどうなるか。それは、佐藤氏が指摘するように、独裁国家・専制国家が生まれる危険がある。これは、過去の歴史を見れば明らかである。
フランス革命の後の約六十万人のフランス人が殺し合ひによって死んだ。そして革命政権による恐怖政治が行われた。ロシア革命の後もスターリンによる独裁政治・大粛清が行われた。支那共産革命の後も毛沢東による独裁政治・大粛清が行はれた。カンボジア革命の後もクメールルージュによる大虐殺が行はれた。君主制が打倒された後、平和で民主的になった国は一つもないと言っても過言ではない。極論すれば、「国民主権」とは「プロレタリア独裁」と同義であり、独裁専制恐怖政治を招来するのである。
菅直人氏が、ロペスピエール・スターリン・毛沢東・ポルポトと同じような独裁専制政治を行うなどと言うつもりはない。しかし、国民主権論を振りかざし日本國體を蔑ろにする菅直人氏の基本的思想と姿勢は、強権政治・独裁政治を行う危険はある。佐藤氏の言う「超越的なものに対する畏敬の念を欠いた合理的計算で理想的社会を構築することができると考える」ことの危険性を我々は十分に認識しなければならない。日本国の祭祀主・日本天皇に対する『畏敬の念』を持たず、合理的計算のみで物事を処理し、政治を行うことがどういう結果を生むか。それは歴史を見れば明らかである。
『イラ菅』と言われるように、菅氏は自分の意見と対立する人に対しても感情的な反発する。さらに、予算委員会も開かず、野党との議論を拒絶した。さらに、テレビなどでの党首討論も「つるしあげになる」など言う理由で拒否した。こういう独善的な姿勢を見るとそういうことを予感させる。
菅直人内閣が、日本の国の安定と平和と自由と独立の維持に大きな弊害になることは確実である。
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