2010-03-18
『力の無い正義』が『正義の無い力』に変わるとき
意志を貫くためには実力はもとよりある種の権力が必要です。いくら良いこと考えていても必ず何らかの理由で邪魔をする人は存在します。それらの人を取り込んで、また押しのけていくには実行できるだけのパワーが必要なのです。その力の行使が正しかったかどうかは、その後の「歴史」でしか考察することができません。その時、その場所においては、意志と意志のぶつかり合いの果てにしか正義は存在し得ないのです。その正義について常に考えておかねばならないことがあります。
正義に執着すれば必ず独善に終わる。
代表的な例を挙げますとテロがそれに当たります。テロの反社会性を憎むのは当然ですが、その非人道性を憎むあまり撲滅しようとすれば、逆に非人道な行為も正当化してしまいます。対立の原因は何よりお互いの自己の正義の絶対化にあります。正義のためには犠牲はやむを得ないのは正義でしょうか。正義にこだわり、自らの正義を主張しつづければ相手の正義を考えなくなり、正義は独善に終わってしまうのです。そんな正義は果たして誰のためにあるのでしょうか。
正義が権力に変わり力に変わってしまえば誰も逆らうことはできません。そうなれば自らの正義を押しつけることは容易です。正義が権力の上に胡座をかき始めれば『力の無い正義』は『正義のない力』に変わります。
政界、財界、教育界、その正義の怠慢はいたるところで見ることができます。表面上は言葉巧みに、ご立派な発言やキレイ事で飾って空っぽの正義を振りかざし、風下にツケを回してきます。押し付けられた人たちは活力を奪われ、資源が枯渇し、萎縮し始めます。
そうならないために正義を絶対化しないことです。
正義は常に揺れ動いていますし、正義を固定化しない仕組みが必要です。正義は目的を達成するための手段です。正義は手段であると割り切ることができれば、泥沼に入っていくことはありません。正義を信望し正義に飲み込まれてしまうことはなくなります。新しい利権者が既利権者の不利益を吸収して、総合的に利益を上げることをよしとする。そのような設計でなければ不毛な権力争いは無くなるはずもありません。
力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である。力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。正義のない力は非難される。したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。そのためには、正しいものが強いか、強いものが正しくなければならない。 パスカル
問題は力が固定化されて正義が押しつけられていることです。正義を疑えて、正義を変えられる、そんな仕組みを保障するのが正しい社会のあり方なのだと思うのです。
参考文献
- 作者: 小林和之
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2004/12/07
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