2009-08-09
どんなに正確なデータでも「統計思考力」が無ければ読めない
報道は真実か。解説は適切か。その説は正しいか。何かにつけて物事が正しいと判断するには裏をとらなければなりません。その裏とは何か。『統計によるデータ』です。特に最近の多くの報道、通説、専門家による解説の多くが、正確なデータに基づいていません。主観に基づく判断を鵜呑みにすれば損害を被るのは自分です。
的確な判断、対策のためには、現状を正しくとらえることが必要です。事実の多くは、統計という形で公開されています。データを正しくとらえることができれば、誰でも評論家やジャーナリストに勝る「眼」をもつことが可能です。
ローカルな社会においては直感的に判断してもとくに大きく判断を誤まることはありません。しかし現在では社会はグローバルの名の下に、絡み合い繋がっている社会が形成されています。そのような世界を直感視するために必要なのが統計データであり、そのデータを使うのが「統計思考力」です。
この世の中で最も必要とされるのは、「そこに問題がある」ことを見いだすことです。それを導いてくれるのも「統計思考力」なのです。「木を見て森も見る」。データさえあれば我々素人でも森を見れることを教えてくれます。
政府の業務データを含めて政府統計は大いに活用できます。様々な収集したデータを研究機関やシンクタンクに広く公開し、研究を深めることが必要です。役所がデータを出さないことが、政策提案競争のレベルを引き下げることなどあってはなりません。誰の得にもならなりません。
分析に基づいて制度を変えることで、公的支出の無駄が大幅に減ります。新統計法になってデータの公開の環境は整備されましたが、まだまだ十分に政府統計が活用されているとはいえません。政府統計の利用は財政の効率化のための切り札になります。その前提として統計を『読める』必要があることは言うまでもありません。
データという過去や現在の数字を用いて、未来を予測するのは、これからの時代を生きる私達に求められるものです。データを広く見渡し分析できる「眼」は、この不透明な時代を生きるわたしたちにはなくてはならないものです。
参考文献
- 作者: 神永正博
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
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参考記事
データを見ない人々(「オープン化」する社会での「分析」の価値)
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51483757.html
参考HP