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検証・口蹄疫報道:/上 農家の取材自粛、悲惨さ伝わらず

口蹄疫感染の疑いの強い牛が次々と見つかり、農家へ続く道路は封鎖された=宮崎県国富町で6月16日、矢頭智剛撮影
口蹄疫感染の疑いの強い牛が次々と見つかり、農家へ続く道路は封鎖された=宮崎県国富町で6月16日、矢頭智剛撮影

 宮崎県で10年ぶりに発生した口蹄疫は11市町で家畜約29万頭が処分される最悪の結果となった。まん延防止のため報道機関は現場取材の自粛を余儀なくされたが、県は必要な情報を過不足なく提供できたのだろうか。今回の口蹄疫報道を、2回に分けて検証する。まずは地元記者たちの苦悩ぶりをみてみたい。【内藤陽】

 ◇「一時的」予測外れ

 県庁で最初の緊急記者会見が開かれたのは4月20日午前9時半だった。都農(つの)町の畜産農家が飼育する牛3頭に口蹄疫の疑いが強いと発表された。東国原英夫知事はこの会見で、10年前に発生した口蹄疫を「3農家家畜計35頭」で封じ込めた実績などを強調。「風評被害を避けなければならない」と呼びかけた。

 1回目の会見資料にはこう明記されている。<今後、報道機関には発生状況や防疫対策の進捗(しんちょく)状況について適時情報提供に努めることとしますので、生産者等の関係者が根拠のない噂(うわさ)などにより混乱することがないよう、御協力を御願いします>。発生当初の報道機関への要請の主眼は、知事の言葉にもあるとおり「風評被害の防止」だった。実際、県は記者たちに対し防疫作業が2~3日で終われば現地取材は可能との見通しを非公式に伝えていた。

 報道機関への最初の取材自粛要請は、2回目の会見で行われた。対象は「ヘリコプターによる上空からの現場撮影」だった。「報道機関のヘリコプターが飛び交って現場が混乱している。発生農家の奥さんもストレスで動揺している。騒音で困っているので自粛してほしい」。同日午後4時半の記者会見で、県農政水産部の担当者はそう言った。ただ、あくまで要請であり、ヘリからの取材実施は各報道機関の判断に委ねられた。地元紙の宮崎日日新聞(宮日)は独自の判断で、共同通信が配信する航空写真を住民感情に配慮して一切、掲載しなかった。

 農水省と県は同日、家畜伝染病予防法に基づき都農町、日向市などに家畜の移動・搬出を制限する区域を設定。さらにこれとは別に発生地への72時間の通行規制が敷かれ、現場への通行が禁止された。これにより、報道機関は事実上、被害農家に直接会って取材することは不可能になった。

 県から取材自粛の要請が明示されたのは、川南(かわみなみ)町の発生2例目の発表からだった。翌21日の2例目以降、発表資料には、末尾に「(発生)確認農場及びその近隣農家や防疫作業現場周辺での取材は、本病のまん延を引き起こすおそれもあることから、厳に慎む」との文言が挿入された。県畜産課は「伝染病発生時には、まん延防止のため取材を含め人や車などの移動を規制するのは常識だ」と話す。

 27日には川南町の県畜産試験場川南支場で、豚への感染が初確認された。豚からの伝染力は牛の1000倍といわれ、養豚農家をはじめ多くの関係者が恐れていた事態だった。その後、5月の連休中から感染が爆発的に拡大するとともに、取材はますます困難になっていった。県の自粛要請は移動・搬出制限区域の解除に伴い、終わった。

 ◇「子豚の死」写真掲載に反響

 行政機関の発表に頼らず関係者の生の声を聞いて真実に迫ることは、メディアの基本姿勢である。しかし、記者が取材に向かうことで感染拡大の可能性があるとなると、現場は苦悩する。

 宮日は発生当日の20日から3日ほど、感染農家への規制線が張られているぎりぎりまで、取材記者と写真記者を出した。だが、その後は現場取材を控えた。大重好弘編集局長は「規制線までなら行ってもいいと思って行かせたが、報道機関の初動はなっていなかった。発生当初はそれほど危機感がなかった」と話した。

 その後、報道は県の発表に頼らざるを得なくなり、新たな感染例の発生場所や感染した家畜の殺処分頭数などに偏りがちだった。記者はJAや役場で農家の様子を「また聞き」するしかなかったという。森耕一郎報道部長は「風評被害が起きないよう注意するあまり、県民が危機感を共有できるような報道ができていなかった。当初は県に危機感がなかったから、我々も同様だった」と話す。

 だが、宮日には連休明けから、「農家の悲惨な状況を伝えてほしい」と被害農家のメールが寄せられるようになり専従班を設置。「伝えるべきは農家の声だとようやく気づき始めた」(大重編集局長)。5月13日から養豚農家が提供した写真を使い、川南町の農家の現状を連載した。

 そして22日の朝刊1面では、血を吐いて死んだ子豚のカラー写真を掲載した。川南町の養豚農家からの提供写真だった。「おことわり」を入れ、その農家から届いた悲惨な現状を伝える手紙も併せて掲載したが、反響は大きかった。さらに読者からの賛否の声を2回にわたって掲載した。大重編集局長は「それまでの報道は、記者が現場に行けないことを言い訳にして『大本営発表』を書いてきたのではないか。まずは被災農家のためになにができるのか考えようと方針を変えた。だが紙面を作ったのは被災農家で、今回の件は単に橋渡ししただけかもしれない」と話す。

 共同通信宮崎支局は現場周辺までは行ったが、農家の直接取材を断念。電話取材が中心だったという。上野敏彦支局長は「まさに隔靴掻痒(かっかそうよう)の感だった」と振り返った。宮日の「カラーの子豚写真」掲載に関しては、「県の提供情報だけでいいはずはなく、今後記者の存在が議論される問題だ」とした。

 毎日新聞宮崎支局は、現場に取材記者を出すことを控えた。県の現地取材の自粛要請を受け、「記者が感染拡大の媒介者となってはいけない」との判断で電話取材とした。池田亨支局長は「発生農家の話を聞きたいのはやまやまだが、当初、危機感が薄かったのは事実で、反省点だ」と話す。担当記者も「被害農家への配慮が先に立った。発生当初は現場の様子や被害の深刻さを伝えられなかった」と悔やんだ。

 ◇TV、突撃取材トラブルも

 地元テレビ局の宮崎放送も当初、発生農家への直接接触はしないことにし、電話でのインタビューを収録して放送した。しかし、農家から「苦境を知ってほしい」とメールや手紙で情報が寄せられ、協力的な農家には沿道などに設置された消毒ポイントまで出てきてもらい、ビデオカメラを預けて周辺農家の様子や殺処分の様子などを録画してもらった。受け渡し時には、テープまで消毒液でふき取るなど細心の注意を払ったという。

 また、同放送は東京から来るキー局のクルーには取材上の注意を説明。中には直接現場に向かうクルーもあり、電話で注意事項を伝えた。上空から現場を撮影する際には高機能カメラを備えた大型ヘリを用意し、通常よりも高度を上げた状態で撮影、農家の不安を招かぬよう配慮したという。島埜内諭報道部長(当時)は「取材対象に近づいて伝えるのがわれわれの使命だが、畜産を基幹産業とする県なので、感染拡大には気を付けるようスタッフに徹底した。どう両立させるのか悩んだ」と話した。

 一方、在京テレビ局の番組クルーがタクシーでビデオカメラを農家に送ろうと試みたり、消毒もなしに畜産農家を「突撃取材」するというトラブルもあった。地元県議がこれをブログで「マスコミの横暴さには怒りを感じる」と抗議するなど、農家のマスコミ不信が高まる場面もあった。

毎日新聞 2010年8月2日 東京朝刊

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