神戸
終戦直後の朝鮮人学校校名碑 長田南小で除幕
校名碑の完成を喜ぶ崔相俊さん(後列右から3人目)ら元在校生と関係者=神戸市長田区神楽町1(撮影・岡田育磨) |
終戦直後、日本で暮らす朝鮮人は、植民地支配から解放された祖国への帰国を思い描き、朝鮮語で学ぶ朝鮮人学校を日本各地に設けた。神戸で最大規模だった「西神戸朝連初等学院」と「朝鮮建国国民学校」の校名を刻んだ碑が、校舎を借りていた神戸市長田区神楽町の長田南小学校(当時・神楽小学校)に建ち、除幕式が1日、開かれた。
両校の元在校生らでつくる「校名碑設立委員会」が長田南小に寄贈した。賛同する「4・24阪神教育闘争記念碑を建てる会」が募金し、費用を工面。御影石の碑は高さ80センチ、幅1メートルあり、両校の名前と、学校の開設期間「1946年〜1948年」を記している。
神戸では、終戦直後から朝鮮語を教える国語講習所が次々に開講。46年には朝鮮人連盟(朝連)と朝鮮建国促進青年同盟(建青)の2団体が、それぞれ朝鮮人学校を設けた。神戸市との話し合いで同年6月、神楽小に両団体の学校が1校ずつ移った。朝連初等学院は東校舎の1、2階を、建国国民学校は3階を使い、48年の児童数は計千人とされる。当時の神楽小の児童は675人だった。
在日コリアンの民族教育の原点ともいえるが、連合国軍総司令部(GHQ)は閉鎖を命令。48年4月24日の阪神教育闘争で、朝鮮人側は命令の撤回を兵庫県知事から取り付けた。しかし、直後にGHQは非常事態宣言を発令し、撤回は無効に。両校も閉鎖となった。
建国国民学校で学んだ崔相俊さん(75)は「本名を名乗ると差別されてきたけれども、この学校で出席を取るときに本名で呼ばれ、生き返った気がした」と懐かしんだ。
(宮沢之祐)
(2010/08/02 09:15)
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