2007年11月
2.5GHz帯を利用した広帯域移動無線アクセスシステムについて、応募した4グループ(アッカ・ワイヤレス、ウィルコム、ソフトバンク、KDDI)のうちどの2グループに免許を交付するか、審査が進んでいます。総務省は関係者のカンファレンスを開催するなど、プロセスの公開性を高める努力をしていますが、多くの国民にその情報がきちんと伝わっているかには疑問も残ります。
今回配分される周波数は、時価数千億円と評価されています。このように貴重な国民の共有財産の使い方が、国民に見えないところで決まることは望ましくありません。そこで情報通信政策フォーラム(ICPF)では、緊急シンポジウムを来週の火曜に開催することにしました。みなさんも議論に参加してください。
【重要なお知らせ】カーライルの丸茂氏が出席をキャンセルされたため、プログラムを以下のように変更し、2時間に短縮します。申し訳ありません。なおICPFは、免許申請した4グループすべてに出席を依頼しました。
基調講演:松本徹三(ソフトバンクモバイル副社長)
コメント:池田信夫(上武大学大学院教授)
司会:山田肇(東洋大学教授)
ディスカッサント:松原聡(東洋大学教授)
金正勲(慶應義塾大学准教授)
開催日時:12月4日(火)
9:00 開会
9:05~9:50 基調講演・コメント
9:50~11:00 ディスカッション
11:00 閉会
場所:アルカディア市谷(私学会館)5階 大雪・穂高の間
東京都千代田区九段北4-2-25 電話03-3261-9921 地図
主催:情報通信政策フォーラム
入場:無料 申し込みは氏名・所属を明記して電子メールでinfo@icpf.jpまで。定員に達したら締め切ります。
今回配分される周波数は、時価数千億円と評価されています。このように貴重な国民の共有財産の使い方が、国民に見えないところで決まることは望ましくありません。そこで情報通信政策フォーラム(ICPF)では、緊急シンポジウムを来週の火曜に開催することにしました。みなさんも議論に参加してください。
【重要なお知らせ】カーライルの丸茂氏が出席をキャンセルされたため、プログラムを以下のように変更し、2時間に短縮します。申し訳ありません。なおICPFは、免許申請した4グループすべてに出席を依頼しました。
基調講演:松本徹三(ソフトバンクモバイル副社長)
コメント:池田信夫(上武大学大学院教授)
司会:山田肇(東洋大学教授)
ディスカッサント:松原聡(東洋大学教授)
金正勲(慶應義塾大学准教授)
開催日時:12月4日(火)
9:00 開会
9:05~9:50 基調講演・コメント
9:50~11:00 ディスカッション
11:00 閉会
場所:アルカディア市谷(私学会館)5階 大雪・穂高の間
東京都千代田区九段北4-2-25 電話03-3261-9921 地図
主催:情報通信政策フォーラム
入場:無料 申し込みは氏名・所属を明記して電子メールでinfo@icpf.jpまで。定員に達したら締め切ります。
15日の記事のコメント欄で少しふれたが、大江健三郎氏が11月20日の朝日新聞の「定義集」というエッセイで、彼の『沖縄ノート』の記述について弁解している。それについて、今週の『SAPIO』で井沢元彦氏が「拝啓 大江健三郎様」と題して、私とほぼ同じ論旨で大江氏を批判しているので、紹介しておこう。大江氏はこう弁解する:
このように、どう解釈しても「かれ」は赤松大尉以外ではありえない。それが特定の個人をさしたものではなく「日本軍のタテの構造」の意味だという大江氏の言い訳(これも今度初めて出てきた)こそ、文法的にムリである。屠殺者というのは、明らかに個人をさす表現だ。単なる伝聞にもとづいて個人を殺人者呼ばわりし、しかもそれが事実ではないことが判明すると、謝罪もしないでこんな支離滅裂な嘘をつく作家に良心はあるのだろうか。こういうことを続けていると、彼は(大したことのない)文学的功績よりも、この恥ずべき文学的犯罪によって後世に記憶されることになろう。
追記:コメント欄にも書いたが、呉智英氏も指摘するように、「屠殺者」は差別用語である。私は「差別語狩り」は好ましくないと思うが、大江氏はこれを「虐殺者」の意味で使っており、食肉解体業者を犯罪者の比喩にしている。また屠殺の対象になるのは動物だから、渡嘉敷島の住民は動物扱いされているわけだ。大江氏の人権感覚がよくわかる。
私は渡嘉敷島の山中に転がった三百二十九の死体、とは書きたくありませんでした。受験生の時、緑色のペンギン・ブックスで英語の勉強をした私は、「死体なき殺人」という種の小説で、他殺死体を指すcorpus delictiという単語を覚えました。もとのラテン語では、corpusが身体、有形物、delictiが罪の、です。私は、そのまま罪の塊という日本語にし、それも巨きい数という意味で、罪の巨塊としました。つまり「罪の巨塊」とは「死体」のことだというのだ。まず問題は、この解釈がどんな辞書にも出ていない、大江氏の主観的な「思い」にすぎないということだ。「罪の巨塊」という言葉を読んで「死体」のことだと思う人は、彼以外にだれもいないだろう。『沖縄ノート』が出版されてから30年以上たって、しかも訴訟が起こされて2年もたってから初めて、こういう「新解釈」が出てくるのも不自然だ。『沖縄ノート』の原文には
人間としてそれをつぐなうには、あまりも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き延びたいとねがう。(強調は引用者)と書かれているが、この「つぐなう」という他動詞の目的語は何だろうか。これが国語の試験に出たら、「巨きい罪」をつぐなうのが正解とされるだろう。「罪の巨塊」を「かれ」のことだと解釈するのは「文法的にムリです」と大江氏はいうが、赤松大尉が自分の犯した「あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで・・・」という表現は文法的にも意味的にも成り立つ。というか、だれもがそう読むだろう。では大江氏のいうとおり「罪の巨塊」=「死体」と置き換えると、この文はどうなるだろうか:
人間としてそれをつぐなうには、あまりも巨きい死体のまえで・・・これが「文法的にムリ」であることは明らかだろう。「死体をつぐなう」という日本語はないからだ。さらにcorpus delictiは、彼もいうように警察用語で「他殺体」のことだから、この文は正確には「あまりも巨きい他殺体のまえで・・・」ということになる。その殺人犯はだれだろうか。井沢氏は「自殺した人に罪がある」と解釈しているが、これは無理がある。Websterによれば、corpus delictiは"body of the victim of a murder"と他殺の場合に限られるから、犯人は「なんとか正気で生き延びたい」とねがう「かれ」以外にない。つまり大江氏自身の解釈に従えば、彼は(自殺を命じることによって)赤松大尉が住民を殺したと示唆しているのだ。事実、大江氏はこの記述に続いて、「かれ」を屠殺者などと罵倒している。
このように、どう解釈しても「かれ」は赤松大尉以外ではありえない。それが特定の個人をさしたものではなく「日本軍のタテの構造」の意味だという大江氏の言い訳(これも今度初めて出てきた)こそ、文法的にムリである。屠殺者というのは、明らかに個人をさす表現だ。単なる伝聞にもとづいて個人を殺人者呼ばわりし、しかもそれが事実ではないことが判明すると、謝罪もしないでこんな支離滅裂な嘘をつく作家に良心はあるのだろうか。こういうことを続けていると、彼は(大したことのない)文学的功績よりも、この恥ずべき文学的犯罪によって後世に記憶されることになろう。
追記:コメント欄にも書いたが、呉智英氏も指摘するように、「屠殺者」は差別用語である。私は「差別語狩り」は好ましくないと思うが、大江氏はこれを「虐殺者」の意味で使っており、食肉解体業者を犯罪者の比喩にしている。また屠殺の対象になるのは動物だから、渡嘉敷島の住民は動物扱いされているわけだ。大江氏の人権感覚がよくわかる。
岸博幸氏のコラムが、あちこちのブログなどで激しい批判を浴びている。私が彼に「レコード会社のロビイスト」というレッテルを貼ったのが彼の代名詞のようになってしまったのはちょっと気の毒なので、少しフォローしておきたい。
先日のICPFシンポジウムでわかったのは、岸氏は三田誠広氏のように嘘を承知で権利強化を主張しているのではなく、本気でそれが日本の「産業振興策」だと信じているということだ。しかし、これはある意味では三田氏よりも始末が悪い。本人がそう信じ、善意で主張しているので、コンテンツ産業の実態を知らない官僚や政治家には説得力をもってしまうからだ。
残念ながら、彼の信念は事実に裏づけられていない。岸氏は「デジタルとネットの普及でクリエーターは所得機会の損失という深刻な被害を受けている」というが、具体的にどれだけ深刻な被害を受けているのか、その根拠となるデータを示したことはない。学問的には、Oberholzer-Gee and Strumpf*(以下O-S)に代表される実証研究が一致して示すように、P2Pによるファイル共有がCDの売り上げに与える影響は、統計的にはプラスマイナスゼロに近い。日本でも、田中辰雄氏が同様の結果を発表している。
この理由は、ファイル共有が宣伝の役割も果たしているからだ。ラジオ局とJASRACは音楽の放送について包括契約を結んでいるが、その料金は実質的にはタダに近い。むしろレコード会社は、新譜を放送してくれるようにラジオ局に売り込んでくる。P2Pも、それと同じ役割を(はるかに低コストで広範に)果たしているのだ。O-Sによれば、ユーザーがCDを丸ごとコピーすることは少なく、むしろヒット曲だけを「サンプル」としてダウンロードする傾向が強い。気に入ったCDは、買うことが多いと推定される。
CDの売り上げが減っている主な原因は、他のメディアとの競争だとO-Sは推定している。最初のP2PソフトウェアNapsterが登場した1999年から2003年までの間にアメリカのCDの売り上げは26億ドル減ったが、DVDとVHSの売り上げは50億ドル増え、携帯電話の売り上げは3倍になった。日本でも、中村伊知哉氏なども指摘するように、携帯電話の通信料金がCDをcrowd outしている可能性が強い。
くわしくみると、スーパースターのCDの売り上げはP2Pの影響で減っているが、無名のミュージシャンの売り上げはP2Pのプロモーション効果によって増えている。現在では、CDの制作費(最低100万円もあればつくれる)にくらべて宣伝費のほうがはるかに大きいので、P2Pはクリエイターに損害を与えているのではなく、特定のミュージシャンに巨額の宣伝費をかけて(音楽的には質の高くない)メガヒットを作り出す現在のレコード会社のビジネスモデルを破壊しているのだ。
逆にいうと、P2Pは無名だがすぐれたミュージシャンを発掘することで、音楽の多様性を高めていることになる。コンテンツ業界は極端なロングテールの世界で、特に音楽で食えるのは音楽家の数%だといわれる。その数%のスーパースターの(億単位の)収入が少し減る代わりに、多くの無名ミュージシャンがP2Pによって世に出ることは、音楽全体の質を高めるだろう。またP2Pによるレコード会社の損害はゼロに近い一方、ユーザーは大きな利益を得ているので、ファイル共有は経済全体の福祉には大きなプラスになっている、とO-Sは結論している。
岸氏がみているのは、本源的なクリエイターの利益ではなく、エイベックスというレコード会社の利益にすぎない。それが減っているのは、要するにレコード会社は衰退産業だからである。もっと効率的にコンテンツを流通させるメディアが出てきたら、CDが没落するのは当たり前だ。レコード会社にとってミュージシャンは不可欠だが、逆は成り立たない。マドンナにとってはCDよりライブのほうが重要だし、レディオヘッドのようにレコード会社を「中抜き」して、ミュージシャンが彼らの創造した価値の90%をとる時代が来るかもしれない。守るべきなのはクリエイターの利益であって、レコード会社の利益ではない。
(*)この論文の決定稿は、今年のJournal of Political Economyに発表された。
先日のICPFシンポジウムでわかったのは、岸氏は三田誠広氏のように嘘を承知で権利強化を主張しているのではなく、本気でそれが日本の「産業振興策」だと信じているということだ。しかし、これはある意味では三田氏よりも始末が悪い。本人がそう信じ、善意で主張しているので、コンテンツ産業の実態を知らない官僚や政治家には説得力をもってしまうからだ。
残念ながら、彼の信念は事実に裏づけられていない。岸氏は「デジタルとネットの普及でクリエーターは所得機会の損失という深刻な被害を受けている」というが、具体的にどれだけ深刻な被害を受けているのか、その根拠となるデータを示したことはない。学問的には、Oberholzer-Gee and Strumpf*(以下O-S)に代表される実証研究が一致して示すように、P2Pによるファイル共有がCDの売り上げに与える影響は、統計的にはプラスマイナスゼロに近い。日本でも、田中辰雄氏が同様の結果を発表している。
この理由は、ファイル共有が宣伝の役割も果たしているからだ。ラジオ局とJASRACは音楽の放送について包括契約を結んでいるが、その料金は実質的にはタダに近い。むしろレコード会社は、新譜を放送してくれるようにラジオ局に売り込んでくる。P2Pも、それと同じ役割を(はるかに低コストで広範に)果たしているのだ。O-Sによれば、ユーザーがCDを丸ごとコピーすることは少なく、むしろヒット曲だけを「サンプル」としてダウンロードする傾向が強い。気に入ったCDは、買うことが多いと推定される。
CDの売り上げが減っている主な原因は、他のメディアとの競争だとO-Sは推定している。最初のP2PソフトウェアNapsterが登場した1999年から2003年までの間にアメリカのCDの売り上げは26億ドル減ったが、DVDとVHSの売り上げは50億ドル増え、携帯電話の売り上げは3倍になった。日本でも、中村伊知哉氏なども指摘するように、携帯電話の通信料金がCDをcrowd outしている可能性が強い。
くわしくみると、スーパースターのCDの売り上げはP2Pの影響で減っているが、無名のミュージシャンの売り上げはP2Pのプロモーション効果によって増えている。現在では、CDの制作費(最低100万円もあればつくれる)にくらべて宣伝費のほうがはるかに大きいので、P2Pはクリエイターに損害を与えているのではなく、特定のミュージシャンに巨額の宣伝費をかけて(音楽的には質の高くない)メガヒットを作り出す現在のレコード会社のビジネスモデルを破壊しているのだ。
逆にいうと、P2Pは無名だがすぐれたミュージシャンを発掘することで、音楽の多様性を高めていることになる。コンテンツ業界は極端なロングテールの世界で、特に音楽で食えるのは音楽家の数%だといわれる。その数%のスーパースターの(億単位の)収入が少し減る代わりに、多くの無名ミュージシャンがP2Pによって世に出ることは、音楽全体の質を高めるだろう。またP2Pによるレコード会社の損害はゼロに近い一方、ユーザーは大きな利益を得ているので、ファイル共有は経済全体の福祉には大きなプラスになっている、とO-Sは結論している。
岸氏がみているのは、本源的なクリエイターの利益ではなく、エイベックスというレコード会社の利益にすぎない。それが減っているのは、要するにレコード会社は衰退産業だからである。もっと効率的にコンテンツを流通させるメディアが出てきたら、CDが没落するのは当たり前だ。レコード会社にとってミュージシャンは不可欠だが、逆は成り立たない。マドンナにとってはCDよりライブのほうが重要だし、レディオヘッドのようにレコード会社を「中抜き」して、ミュージシャンが彼らの創造した価値の90%をとる時代が来るかもしれない。守るべきなのはクリエイターの利益であって、レコード会社の利益ではない。
(*)この論文の決定稿は、今年のJournal of Political Economyに発表された。
リベラルの本といえば、美しい建て前論ばかりで退屈なものと相場は決まっており、クルーグマンの本などはNYタイムズにさえ酷評されている。それに比べると、本書は21世紀なりの意匠がこらされている。ここ30年の所得格差の拡大についても、クルーグマンのように共和党政権を非難するのではなく、著者は「グローバル化とIT化の結果であり、この流れを政治の力で止めることはできない」という。どっちが経済学者だかわからない。
著者は「現代のガルブレイス」と揶揄されることもあるが、ガルブレイスのように巨大企業を批判するのではなく、「現代はもうGMのような恐竜の時代ではない」という。むしろ主役はマイクロソフトのようにグローバルに展開し、ウォルマートのように消費者にきわめて近く、シティグループのように投資家の資金を世界に効率的に配分する企業だ。情報技術革新によって恐竜は絶滅し、世界の消費者と投資家が国境を超えて経済を動かす「直接統治」の時代が始まったのだ。
したがって最終章の政策提言は、やや意外だ。企業という実体はもうないのだから、法人税は廃止すべきであり、「企業の社会的責任」にも意味がない。アウトソーシングする企業を非難するのもばかげている。「アメリカ企業の競争力を高める」のもナンセンスだ。もう企業に国籍はないのだから。大事なのは「スーパー資本主義」が政治の領域を侵し、民主主義を腐敗させるのを防ぐことだ。そのためには、世界でもっとも「自由」なアメリカの政治資金規制を強化し、労組を含めてロビイストの活動を制限する必要がある。
こうした現状分析は当ブログでも書いているような経済学の常識に近いが、伝統的な民主党の政策とはかなり違い、「リベラル2.0」とでもいうべき新鮮さがある。特に法人税の廃止というのは、フリードマンを初め多くの経済学者が提案してきた(しかし絶対に実現しない)政策だ。かつてクリントン政権が「小さな政府」をめざして成功したように、こういう政策をヒラリー政権がとるなら、民主党政権も悪くないかもしれない。ひるがえって日本をみると、同じ民主党の次元の低さにうんざりするが・・・
木村剛氏のブログに「コンプライアンス不況」という話が出ている。特にひどいのは住宅で、建築基準法が改正されてから、9月の住宅着工は前年比44%減となり、1965年に住宅着工統計ができて以来の最低を記録した。この原因は、いうまでもなく姉歯事件でメディアにたたかれた国交省が、建築確認の審査を異常に厳格化したためである。しかも古い建物の増改築にも新しい耐震基準が適用されることになったため、改築ができなくなり、かえって住宅の老朽化が進むおそれが強い。だいたい首都圏のマンションの30%が1982年の耐震基準以前の建築物であり、「姉歯マンション」を取り壊すなら、こうしたマンションも取り壊さなければならない。新築や増改築だけを規制しても、町は安全にならないのである。
それにしても、この騒ぎの発端となった姉歯事件とは何だったのか。「共犯者」として逮捕され、会社も倒産したイーホームズの元社長の『月に響く笛:耐震偽装』を読むと、この事件を「構造的問題」として国会に証人喚問までした構図が、まったく架空だったことがわかる。警察の逮捕容疑も、耐震偽装とは無関係な粉飾決算であり、結局、姉歯元建築士以外に刑事訴追された人は誰もいない。要するに、これは(技術の足りない)一建築士の個人的な犯罪だったのである。
姉歯事件のようなモラル・ハザードを防ぐ方法として、今回のように書類審査を強化するのは意味がない。施工主に本当のことをいわせるメカニズムが欠けているからだ。大事なのは書類を整えることではなく、彼らに基準どおり建てさせることだ。たとえば完成検査を厳格に行なって、耐震強度などの基準を満たしていなければ、その施工主と建築士の免許を取り消せばよい。廃業になるリスクをおかして手抜き工事を行なう業者はいないだろう。ルールさえ十分詳細に決めれば、書類審査は廃止してもかまわない。
セキュリティの分野でも、同じような過剰コンプライアンスが起こっている。個人情報保護法などによって情報管理が異常にきびしくなったため、会社の中でハードディスクもUSBメモリも使えないとか、青森県職員が4人の個人情報を「漏洩」しただけで新聞記事になるなど、過剰反応が広がっている。個人情報の賠償額も高騰し、昨年の判決では1人6000円。もしヤフー!BBが450万人の被害者全員にこの額を払わなければならないとすれば、賠償額は270億円にのぼる。
PTAの「緊急連絡名簿」に住所も電話番号もなく役に立たない、などというのは笑い話ですむが、先日起きた佐賀の殺人事件では、病院が「個人情報保護」のため、病室に名札をつけなかったことが誤認殺人につながったとみられている。「個人情報保護が殺人をまねいた」などと報じている毎日新聞こそ、プライバシー過剰保護をあおった主犯だ。
こうした過剰コンプライアンスが、ただでさえリスクのきらいな日本の経営者を萎縮させて「確実性への逃避」を引き起こし、経済を停滞させている。来週、情報セキュリティ大学院大学で行なわれるシンポジウムでも、こういう問題が議論され、私も発表する。そのドラフトに、いかにこうした情報ガバナンスの欠陥を是正するかを書いた。コメントは歓迎します。
追記:貸金業法改悪の影響も出てきた。NTTデータ経営研究所の調査によれば、上限金利の引き下げや総量規制の影響で、ローン利用者の4割が必要な資金を借りられなくなり、60万人が自己破産する可能性があるという。
それにしても、この騒ぎの発端となった姉歯事件とは何だったのか。「共犯者」として逮捕され、会社も倒産したイーホームズの元社長の『月に響く笛:耐震偽装』を読むと、この事件を「構造的問題」として国会に証人喚問までした構図が、まったく架空だったことがわかる。警察の逮捕容疑も、耐震偽装とは無関係な粉飾決算であり、結局、姉歯元建築士以外に刑事訴追された人は誰もいない。要するに、これは(技術の足りない)一建築士の個人的な犯罪だったのである。
姉歯事件のようなモラル・ハザードを防ぐ方法として、今回のように書類審査を強化するのは意味がない。施工主に本当のことをいわせるメカニズムが欠けているからだ。大事なのは書類を整えることではなく、彼らに基準どおり建てさせることだ。たとえば完成検査を厳格に行なって、耐震強度などの基準を満たしていなければ、その施工主と建築士の免許を取り消せばよい。廃業になるリスクをおかして手抜き工事を行なう業者はいないだろう。ルールさえ十分詳細に決めれば、書類審査は廃止してもかまわない。
セキュリティの分野でも、同じような過剰コンプライアンスが起こっている。個人情報保護法などによって情報管理が異常にきびしくなったため、会社の中でハードディスクもUSBメモリも使えないとか、青森県職員が4人の個人情報を「漏洩」しただけで新聞記事になるなど、過剰反応が広がっている。個人情報の賠償額も高騰し、昨年の判決では1人6000円。もしヤフー!BBが450万人の被害者全員にこの額を払わなければならないとすれば、賠償額は270億円にのぼる。
PTAの「緊急連絡名簿」に住所も電話番号もなく役に立たない、などというのは笑い話ですむが、先日起きた佐賀の殺人事件では、病院が「個人情報保護」のため、病室に名札をつけなかったことが誤認殺人につながったとみられている。「個人情報保護が殺人をまねいた」などと報じている毎日新聞こそ、プライバシー過剰保護をあおった主犯だ。
こうした過剰コンプライアンスが、ただでさえリスクのきらいな日本の経営者を萎縮させて「確実性への逃避」を引き起こし、経済を停滞させている。来週、情報セキュリティ大学院大学で行なわれるシンポジウムでも、こういう問題が議論され、私も発表する。そのドラフトに、いかにこうした情報ガバナンスの欠陥を是正するかを書いた。コメントは歓迎します。
追記:貸金業法改悪の影響も出てきた。NTTデータ経営研究所の調査によれば、上限金利の引き下げや総量規制の影響で、ローン利用者の4割が必要な資金を借りられなくなり、60万人が自己破産する可能性があるという。
先日の記事で、地球シミュレータの次のスーパーコンピュータについて疑問を呈したところ、100以上のコメントがつき、関係者からも情報が寄せられた。こうした情報から考えると、この「京速計算機」というのは、悪評高い「日の丸検索エンジン」を上回る、まさに戦艦大和級のプロジェクトのようだ。
そもそも、このプロジェクトの発端は、地球シミュレータの年間維持費が50億円と、あまりにも効率が悪く、研究所側が「50億円もあったら、スカラー型の新しいスパコンができる」という検討を始めたため、ITゼネコンがあわてて次世代機の提案を持ち込んだことらしい。事実、最近のスパコンと地球シミュレータの性能価格比は、次のように桁違いだ:
もちろんCPUの性能は、ムーアの法則で3年に4倍になるので、完成年の差は勘案しなければならないが、地球シミュレータのコストを1/5に割り引いても、TFlops単価は300万ドルと、アメリカの最新機の50倍以上である。総工費1150億円で建設される予定の京速計算機は、10PFlopsをめざしているというが、かりにそれが2010年に実現したとしても、逆にムーアの法則で割り引くと420万ドル/TF、最新機の70倍以上だ。おまけに開発期間が長すぎるので、2010年に計画どおり完成したとしても、性能は他のスパコンに負けている可能性が高い。もっとも「ベンチマークテストで世界一を取り返す」などというのは、プロジェクトの目的としてナンセンスだが。
このようにコスト・パフォーマンスが大きく違う最大の原因は、アメリカのスパコンがAMDのOpteronやIBMのPowerPCなど、普通のPCに使われるスカラー型CPUを多数つないで並列計算機を実現しているのに対して、日本が特別製のベクトル型プロセッサを新規開発するからだ。ベクトル型のスパコンを生産している国は、日本以外にほとんどない。スパコンGRAPEを開発した牧野淳一郎氏も指摘するように、ベクトル型の寿命は20年前に終わっているのだ。
しかもこの1150億円というのは、現段階の建設費だけの見積もりにすぎない。能沢徹氏によれば、建屋は3階建で総床面積は地球シミュレータの3.5倍程度、2000台近くのラックの消費電力は40MWで、年間維持管理費は80億円強。建設予定地には関電の専用発電所の建設まで決まったというから、総経費はさらに莫大になる。文科省の専門評価調査会のフォローアップでも、次のような疑問が指摘されている(強調は引用者):
要するに、これはスパコンの名を借りた公共事業であり、世界市場で敗退したITゼネコンが税金を食い物にして生き延びるためのプロジェクトなのだ。米政府がスパコンを国家プロジェクトでつくるのは、軍事用だから当然である(Blue Gene/Lの目的は核実験のシミュレーション)。調査会も指摘するように、京速計算機で目的としてあげられているような一般的な科学技術計算に国費を投じる意味はない。むしろ東工大のTSUBAME(わずか20億円で、性能は地球シミュレータを上回った)のように、各研究機関がその目的にあわせて中規模の並列計算機を借りればよいのである。
最大の問題は、税金の無駄づかいよりも、ただでさえ経営の悪化している日本のITゼネコンが、こういう時代錯誤の大艦巨砲プロジェクトに莫大な人的・物的資源を投じることによって、世界の市場から決定的に取り残されることだ。1980年代のPC革命の中で、通産省が「第5世代コンピュータ」などの大規模プロジェクトに巨費を投じた結果、日本のIT産業を壊滅させた失敗を、今度は文科省が繰り返そうというのだろうか。
(*)しかも発注する理研のプロジェクトリーダーは、受注したNECから「天上がり」した人物だ。これは明白な利益相反であり、通常の政府調達では認められない。
追記:牧野氏が、京速計算機についてきびしい評価をしている。「 2010年度末には大体のシステムを完成させる、ということになっています。プロセッサから新しく作るのであるとまあ 5年はかかりますから、これは、既に時間が足りない、ということを意味しています」。つまり「新たにCPUから作る」という計画が、ムーアの法則を無視した愚かな発想なのだ。私は来月、アスキー新書で『過剰と破壊の経済学:「ムーアの法則」で何が変わるのか?』という本を出す予定である(ドサクサにまぎれて宣伝)。
そもそも、このプロジェクトの発端は、地球シミュレータの年間維持費が50億円と、あまりにも効率が悪く、研究所側が「50億円もあったら、スカラー型の新しいスパコンができる」という検討を始めたため、ITゼネコンがあわてて次世代機の提案を持ち込んだことらしい。事実、最近のスパコンと地球シミュレータの性能価格比は、次のように桁違いだ:
名称 | 完成年 | 最高計算速度(TFlops) | 建設費($) | TFlops単価($) | TACC Ranger | 2007 | 504 | 300万 | 6万 | IBM Blue Gene/L | 2004 | 360 | 1億 | 28万 | Earth Simulator | 2002 | 36 | 5.5億 | 1500万 |
もちろんCPUの性能は、ムーアの法則で3年に4倍になるので、完成年の差は勘案しなければならないが、地球シミュレータのコストを1/5に割り引いても、TFlops単価は300万ドルと、アメリカの最新機の50倍以上である。総工費1150億円で建設される予定の京速計算機は、10PFlopsをめざしているというが、かりにそれが2010年に実現したとしても、逆にムーアの法則で割り引くと420万ドル/TF、最新機の70倍以上だ。おまけに開発期間が長すぎるので、2010年に計画どおり完成したとしても、性能は他のスパコンに負けている可能性が高い。もっとも「ベンチマークテストで世界一を取り返す」などというのは、プロジェクトの目的としてナンセンスだが。
このようにコスト・パフォーマンスが大きく違う最大の原因は、アメリカのスパコンがAMDのOpteronやIBMのPowerPCなど、普通のPCに使われるスカラー型CPUを多数つないで並列計算機を実現しているのに対して、日本が特別製のベクトル型プロセッサを新規開発するからだ。ベクトル型のスパコンを生産している国は、日本以外にほとんどない。スパコンGRAPEを開発した牧野淳一郎氏も指摘するように、ベクトル型の寿命は20年前に終わっているのだ。
しかもこの1150億円というのは、現段階の建設費だけの見積もりにすぎない。能沢徹氏によれば、建屋は3階建で総床面積は地球シミュレータの3.5倍程度、2000台近くのラックの消費電力は40MWで、年間維持管理費は80億円強。建設予定地には関電の専用発電所の建設まで決まったというから、総経費はさらに莫大になる。文科省の専門評価調査会のフォローアップでも、次のような疑問が指摘されている(強調は引用者):
- 本プロジェクトで提案されているグランドチャレンジとして示されたアプリケーションは、絞込みが必ずしも十分でなく、そこで期待される成果目標や、実現のために計算機システムに要求される機能、性能等、明瞭でない部分がある。
- 本計算機の目標性能も0.5ペタFLOPS(フロップス)と低いことから、国家プロジェクトとしてベクトル計算機の開発に本格的に着手する必要性が必ずしも明確となっていない。
- 計算科学技術におけるテーマの規模やサイズはさまざまであり、すべてが京速計算機を必要とするわけではないことから、大規模、中規模計算機を重層的に各地に展開すべきと考えられる。
要するに、これはスパコンの名を借りた公共事業であり、世界市場で敗退したITゼネコンが税金を食い物にして生き延びるためのプロジェクトなのだ。米政府がスパコンを国家プロジェクトでつくるのは、軍事用だから当然である(Blue Gene/Lの目的は核実験のシミュレーション)。調査会も指摘するように、京速計算機で目的としてあげられているような一般的な科学技術計算に国費を投じる意味はない。むしろ東工大のTSUBAME(わずか20億円で、性能は地球シミュレータを上回った)のように、各研究機関がその目的にあわせて中規模の並列計算機を借りればよいのである。
最大の問題は、税金の無駄づかいよりも、ただでさえ経営の悪化している日本のITゼネコンが、こういう時代錯誤の大艦巨砲プロジェクトに莫大な人的・物的資源を投じることによって、世界の市場から決定的に取り残されることだ。1980年代のPC革命の中で、通産省が「第5世代コンピュータ」などの大規模プロジェクトに巨費を投じた結果、日本のIT産業を壊滅させた失敗を、今度は文科省が繰り返そうというのだろうか。
(*)しかも発注する理研のプロジェクトリーダーは、受注したNECから「天上がり」した人物だ。これは明白な利益相反であり、通常の政府調達では認められない。
追記:牧野氏が、京速計算機についてきびしい評価をしている。「 2010年度末には大体のシステムを完成させる、ということになっています。プロセッサから新しく作るのであるとまあ 5年はかかりますから、これは、既に時間が足りない、ということを意味しています」。つまり「新たにCPUから作る」という計画が、ムーアの法則を無視した愚かな発想なのだ。私は来月、アスキー新書で『過剰と破壊の経済学:「ムーアの法則」で何が変わるのか?』という本を出す予定である(ドサクサにまぎれて宣伝)。
あす注目の2.5GHz帯のヒアリングが行なわれるが、いろいろな関係者の話を聞くと、そもそも周波数の割り当てに問題があるようだ。これは総務省の報道資料を読んでも、普通の人には理解できないほどわかりにくく書いてあるのだが、簡単に図示すると、次のようになる。

第1の問題は、30MHz×2だと思われていた帯域が、実は20・10・30MHzという割り当てになっていることだ。低いほうの30MHzのうち、「利用制限」と書かれている10MHzは、通信衛星との干渉があるため、2015年まで使えない。したがって、これは実質的には20MHzバンドである。WiMAXはチャンネル設定の都合から30MHz必要なので、この帯域は使えない。したがって、ここは唯一WiMAXではないウィルコムに割り当てられる可能性が高いと思われる。
最大の謎は、まん中の固定系地域バンドである。これは報道資料を読んでも、いったい何のための帯域なのか、さっぱりわからない。「デジタル・デバイド」解消のため、市町村をエリアとする固定無線に割り当てるというから、「ルーラル無線」に近いイメージかもしれないが、今のところ申請者は新潟の業者ぐらいだという。他の2つの帯域で時価数千億円の利権をめぐって激しい闘いが行なわれているというのに、その中央に誰が使うのかも不明のバンドが入っているのはどういうわけか。優先順位の低い帯域は「利用制限」バンドに移して、30MHz×2にしてはどうか。
こういう奇怪な割り当ての結果、WiMAXに使える帯域は高いほうの30MHzだけになってしまった。ここに3グループが競合しているわけだが、朝日新聞によれば、ここはKDDIに割り当てられる見通しで、その理由は「WiMAXフォーラム」に幹事を出しているからだという。この報道が事実だとすれば、総務省の政策は混乱している。彼らが情報通信法で長期戦略として打ち出しているように、今後の通信はレイヤーに分化するので、キャリアが通信機器の製造技術をもつ必要はない。総務省のモバイルビジネス研究会でも、携帯電話の垂直統合モデルが日本の通信機器産業を弱体化させたという問題意識にもとづいて、キャリアとベンダーを独立させる方向を提言したのに、周波数は製造技術を理由にして割り当てるというのは矛盾している。
ユーザーにとって大事なのは、どのキャリアが安くて良質なサービスを提供するのかということであって、機材の製造技術ではない。端末は、ユーザーが自由に選べばよいのだ。またアメリカの700MHz帯についてFCCが決めたように、一定の帯域を他社の端末やMVNOに開放するかどうかといったオープン化を審査基準にすることも考えられよう。関係者だけのヒアリングで終わらせず、2GHz帯も含めた帯域割り当ての見直しを行い、これを日本の電波政策を大きく転換する契機にしてほしい。
追記:きょうのヒアリングは盛り上がったようだが、参加したのは関係者だけだ。ICPFでは12月4日に、あらためて各社に集まっていただいて緊急シンポジウムを行なう予定である。くわしくは来週、発表する。
第1の問題は、30MHz×2だと思われていた帯域が、実は20・10・30MHzという割り当てになっていることだ。低いほうの30MHzのうち、「利用制限」と書かれている10MHzは、通信衛星との干渉があるため、2015年まで使えない。したがって、これは実質的には20MHzバンドである。WiMAXはチャンネル設定の都合から30MHz必要なので、この帯域は使えない。したがって、ここは唯一WiMAXではないウィルコムに割り当てられる可能性が高いと思われる。
最大の謎は、まん中の固定系地域バンドである。これは報道資料を読んでも、いったい何のための帯域なのか、さっぱりわからない。「デジタル・デバイド」解消のため、市町村をエリアとする固定無線に割り当てるというから、「ルーラル無線」に近いイメージかもしれないが、今のところ申請者は新潟の業者ぐらいだという。他の2つの帯域で時価数千億円の利権をめぐって激しい闘いが行なわれているというのに、その中央に誰が使うのかも不明のバンドが入っているのはどういうわけか。優先順位の低い帯域は「利用制限」バンドに移して、30MHz×2にしてはどうか。
こういう奇怪な割り当ての結果、WiMAXに使える帯域は高いほうの30MHzだけになってしまった。ここに3グループが競合しているわけだが、朝日新聞によれば、ここはKDDIに割り当てられる見通しで、その理由は「WiMAXフォーラム」に幹事を出しているからだという。この報道が事実だとすれば、総務省の政策は混乱している。彼らが情報通信法で長期戦略として打ち出しているように、今後の通信はレイヤーに分化するので、キャリアが通信機器の製造技術をもつ必要はない。総務省のモバイルビジネス研究会でも、携帯電話の垂直統合モデルが日本の通信機器産業を弱体化させたという問題意識にもとづいて、キャリアとベンダーを独立させる方向を提言したのに、周波数は製造技術を理由にして割り当てるというのは矛盾している。
ユーザーにとって大事なのは、どのキャリアが安くて良質なサービスを提供するのかということであって、機材の製造技術ではない。端末は、ユーザーが自由に選べばよいのだ。またアメリカの700MHz帯についてFCCが決めたように、一定の帯域を他社の端末やMVNOに開放するかどうかといったオープン化を審査基準にすることも考えられよう。関係者だけのヒアリングで終わらせず、2GHz帯も含めた帯域割り当ての見直しを行い、これを日本の電波政策を大きく転換する契機にしてほしい。
追記:きょうのヒアリングは盛り上がったようだが、参加したのは関係者だけだ。ICPFでは12月4日に、あらためて各社に集まっていただいて緊急シンポジウムを行なう予定である。くわしくは来週、発表する。
本書は、1994年に行なわれたアメリカの周波数(PCS)オークションを設計したポール・ミルグロム(たぶん10年以内にノーベル賞をとるだろう)が、オークション理論の基礎から電波政策などへの応用までを解説したものだ。内容は高度で一般向けではないが、「オークションは業者の経営を圧迫するのでよくない」という反対論がなぜ間違っているのか、といった点についてもていねいに解説されている。何よりも大事なのは、政府が直接介入するのではなく、市場を利用して自発的に目的を達成させるメカニズム・デザインの考え方だ。
PCSオークションは、ゲーム理論を実際の政策に応用し、コンピュータ・ネットワークを使って並列に100近いオークションを行い、数百億ドルの国庫収入を上げた「史上最大の社会実験」であり、経済理論の劇的な勝利だった。ゲーム理論の開拓者ジョン・ナッシュの生涯を描いた映画「ビューティフル・マインド」では、統合失調症から回復したナッシュが、オークション成功のニュースを聞いて「私の理論が役に立ったことを誇らしく思う」とコメントしていた。
本書も紹介しているように、オークションの設計にはいろいろなバリエーションがありうる。少なくとも今回のような密室審査よりましなメカニズムは、いくらでも設計可能だ。以前スタンフォード大学で著者と議論したとき、私が「スペクトラム拡散で動的に帯域を割り当てれば、オークションは不要だ」といったら、彼は「無線LANでも実際には混雑が起こる」といい、それを防ぐにはfast trackをオークションで端末に割り当てるなど、いろいろなアイディアを話してくれた。
日本語版への序文で著者は、築地の魚河岸で見た見事なせりのもようが本書を書くきっかけの一つだったと語っている。世界で初めて大規模なオークションや先物市場を実現したのは、大阪の堂島米市場だった。「日本人には市場主義は向いていない」などというのは、歴史を知らない人だ。今度の2.5GHz帯の混乱を契機に、総務省は電波政策を考え直すべきだ。本書は、そのための必読書である。
追記:著者はコンサルティング会社をつくって、各国のオークションなどの設計を請け負っている。総務省も、コンサルタントとして雇ってはどうだろうか。
特に日本では最近、刑事司法が経済事件で突出した動きを繰り返しているが、村上ファンドやライブドアに刑事罰は必要だったのか。市場の問題は、市場の番人が解決するのが本筋ではないのか。人質司法といわれるような、古い「お上」的な捜査手法が残っているのではないか。刑事訴追によって企業統治を改善する効果はきわめて限定的であり、副作用のほうがはるかに大きい、と企業統治の教科書は教えている。
特に日本では、法律家が経済学を知らないため、経済全体に及ぼす波及効果を考えない事後の正義(当ブログで「一段階論理の正義」と呼んでいるもの)によって過剰規制を行い、企業を萎縮させる傾向が強い。法律家は怒るかも知れないが、経済問題においては法律は効率を改善するための手段の一つにすぎず、法務費用はなければないに越したことはない死荷重である。磯崎さんもいうように、司法試験の科目に「法と経済学」を入れるべきだと思う。
企業統治は、本質的にはファイナンスの問題である。最近の実証研究が示しているように、国ごとの成長率や生産性の差にもっとも大きな影響を与えるのがガバナンスの効率だ。グリーンスパンも「企業統治の問題をエンロンやワールドコムのような事件と取り違えてはいけない」と警告しているように、メディアのスキャンダル報道に惑わされてSOX法のような過剰規制を行なうのは、愚かなガバナンスの見本である。特に日本企業に必要なのは、むしろもっと果敢にリスクをとることであり、そのためには刑事司法の暴走にブレーキをかける必要もあるのではないか。
本書は日経新聞の編集委員が最近の経済事件をまとめたものだが、「エンロン・ワールドコム」的バイアスをまぬがれていない。新聞記事の切り抜きのような記述や、資料を全文引用するような冗漫な記述も目立つ。こういう「事件簿」や法律論ではなく、産業構造や企業組織の問題としてガバナンスを考えないと、日本は長期停滞からいつまでたっても脱出できないだろう。
2.5GHz帯のブロードバンド無線の審査は密室で行なわれ、提出された事業計画も審査基準も明らかでないのに、「KDDIとウィルコムが当確だ」といった情報がもれてくる。ソフトバンクなどが「審査内容を公開しろ」と呼びかけたのは当然だ。
当ブログで何度も書いたように、周波数の配分はオークションで行なうのが世界的な常識であり、こういうコマンド&コントロールでやっている先進国は日本とフランスぐらいだ。両国とも、IT産業から落伍している点で共通している。特に日本では、事前に政治家がからんで「一本化調整」をやって審査もしないケースが多く、こうした電波社会主義が日本の無線業界の大きな立ち遅れの原因だ。
特に2.5GHz帯は、最初から「WiMAXと次世代PHS」という規格が(内々に)総務省によって決められ、アッカとウィルコムの「出来レース」になる予定だった。そこへソフトバンクが乱入して「美人投票」までは来たが、IPモバイルの事件をみてもわかるように、総務省の「審美眼」は信用できない。以前の記事でも書いたように、1.7GHz帯と2.0GHz帯もあいたのだから、この3つの帯域(4つの枠)をまとめて(オークションが無理でも)合格基準を明示して公開審査をすべきだ。特に1.7GHz帯は、GSM(およびその上位技術)を採用すれば、iPhoneも使えるようになる。
追記:総務省は、22日に4陣営による公開討論会を開くことにしたようだ。どうせなら、2.5GHz帯に限定しないで、2GHz帯もあわせてやったらどうか。
当ブログで何度も書いたように、周波数の配分はオークションで行なうのが世界的な常識であり、こういうコマンド&コントロールでやっている先進国は日本とフランスぐらいだ。両国とも、IT産業から落伍している点で共通している。特に日本では、事前に政治家がからんで「一本化調整」をやって審査もしないケースが多く、こうした電波社会主義が日本の無線業界の大きな立ち遅れの原因だ。
特に2.5GHz帯は、最初から「WiMAXと次世代PHS」という規格が(内々に)総務省によって決められ、アッカとウィルコムの「出来レース」になる予定だった。そこへソフトバンクが乱入して「美人投票」までは来たが、IPモバイルの事件をみてもわかるように、総務省の「審美眼」は信用できない。以前の記事でも書いたように、1.7GHz帯と2.0GHz帯もあいたのだから、この3つの帯域(4つの枠)をまとめて(オークションが無理でも)合格基準を明示して公開審査をすべきだ。特に1.7GHz帯は、GSM(およびその上位技術)を採用すれば、iPhoneも使えるようになる。
追記:総務省は、22日に4陣営による公開討論会を開くことにしたようだ。どうせなら、2.5GHz帯に限定しないで、2GHz帯もあわせてやったらどうか。
著者は「元ロサンゼルス特派員」という奇妙な肩書きになっているが、NHKの職員である。NHKの名前が出ると、慰安婦がらみの訴訟の問題で経営陣が神経質になるので、伏せたらしい。同じ配慮で、慰安婦についてもくわしくはふれていない。テーマは、ホンダの行動に日本人の多くが感じた「日系人がなぜ日本を非難するのか」という疑問に対して、アメリカの日系社会の実情を説明して答えるものだ。
日系人は、戦時中には「敵国民」として迫害されたため、戦後は過剰にアメリカへの忠誠心を強調するようになった。しかしアメリカ人から見ると、日本人も中国人も韓国人も区別がつかない。おまけに最近は中国系・韓国系の移民が増え、アジア系移民のなかで日系は6位の少数派だ。特に9・11をブッシュ大統領が真珠湾攻撃にたとえたことで、日系への敵意がふたたび高まり、差別事件も起きた。これによって日系人は、自分たちのアジア系としてのアイデンティティをアピールするようになったのだ。
中国系や韓国系は結束が強いが、日系社会はバラバラで「日系」といわれることをきらい、日本を自虐的に批判する傾向が強いという。これはアジアの中での日本人の特殊性を示している。中国や韓国では血縁がいまだに重視されるが、日本人は地縁を重視する。これは「イエ社会」として知られている話で、日本の「一族郎党」は血縁共同体ではなく、機能的集団だったのである。だからイエが会社になっても、血縁のない他人とすぐなじみ、集団に同化しやすい。
逆にいうと同族意識は薄いので、利害を共有しない日本人には関心がない。だからホンダ議員は、自分が白眼視されないために、いくら事実誤認を指摘されても慰安婦非難決議案を出し続け、NYタイムズのオオニシ記者は、ステレオタイプな日本人差別に迎合したデマ記事を流すのだ。そして彼らと連携し、「海外からの批判」を理由にして歴史的事実を「アサヒる」のが、日本のメディアだ。慰安婦問題の誤報に口を閉ざす朝日新聞が、読売新聞に対して「真実を読みたい」と求めるのを「目くそ鼻くそを笑う」という。
彼らは一種の虚言症であり、こういう病人と議論するのは無駄である。意図的なdisinformationに対しては、質的にも量的もそれを大幅に上回る正しい情報を、政府も含めて日本が世界に発信するしかない。数少ないまともな日系人である伊勢平次郎氏もいうように、アメリカ人は日本の歴史なんかそもそも知らないのだから。日本の外交にもっとも大きく欠落しているのは――日本軍以来の伝統だが――こうしたインテリジェンスである。
追記:こうした日本についてのデマゴギーに反論する英文サイトを立ち上げた("Comfort Women"の衣替え)。
今年の流行語大賞の候補のトップに「KY」があがっている。これは最初は「空気読め」の略だったが、最近は「空気が読めない」と他人をあざける意味で使われるという。今週の『SAPIO』で曽野綾子氏と対談したときも、戦時中の「空気」の正体が話題になった(*)。沖縄で集団自決が起こる前にも、サイパン島の「バンザイクリフ」で1万人もの民間人が投身自殺したが、これを「軍の強制」だという人はいない。沖縄でも、同じことが起こったと考えるのが自然だろう。軍が強制しなくても、人々にみずからの命を絶たせるほど強力な空気とは、何だったのだろうか。
これについては、山本七平の『「空気」の研究』という有名な本がある。連合艦隊の軍令部次長だった小沢治三郎が、戦艦大和の特攻出撃について「全般の空気よりして、当時も今日も特攻出撃は当然と思う」と戦後30年もたってから語っているのだ。山本は、この空気とは何かを考えるのだが、「おそらく科学的解明も歯が立たない”何か”である」という結論ならざる結論しか出せない。
日本の超国家主義の特徴が「無原則な付和雷同」にあるという点は、丸山眞男なども指摘しているが、彼はその原因を天皇を頂点として「私事の倫理性と国家の合一」する家産制国家の前近代性に求めた。だとすれば、21世紀になっても空気が跋扈しているのは、なぜなのか。日本はまだ官僚の家父長主義による家産制国家なのだ――というのも一つの答かもしれないが、問題はそういうウェーバー的な図式では片づかない。
90年代の長期不況をもたらした原因も、空気である。グリーンスパンは、2000年に日本を訪れたとき、当時の宮沢蔵相にアメリカがRTCによる担保不動産の処分で金融システムを再建した経験を話し、日本も迅速に不良債権を処理すべきだと進言した。ところが宮沢は、「あなたの分析は鋭いが、それは日本のやり方ではない」と答えたという。グリーンスパンは、日本の不良債権処理を遅らせた最大の原因は、経済の回復よりも「体面」を重んじる日本の文化だとしている。
戦争や不況のような不確実性が大きい状況で付和雷同的な行動をとるのは、ゲーム理論で合理的に説明できる。こういう「複数均衡」の状態では、どの答が本当に正しいかわからないが、人々がバラバラに行動するのは最悪なので、正解はどれだけ多くの人々がそれを正しいと思っているかに依存する。空気は、人々の行動を一つの解に収斂させるコーディネーション装置の役割を果たしているのだ。
こういう行動は日本人に固有の特徴ではなく、不確実性のもとで「流動性への逃避」が起こるのは金融市場でも同じだが、グローバルな市場では、こうした「相対主義」に対してファンダメンタルズのような絶対的価値にもとづいて逆張りするプレイヤーが必ずいるので、ある程度で歯止めがかかる。ところが日本では、こういう少数派をKYとして集団から排除してしまうので、暴走しはじめたら止まらない。
さらに悪いのは、メディアがKY的な群衆行動を増幅することだ。集団自決をめぐっても慰安婦をめぐっても、朝日新聞は事実の検証はそっちのけで、「沖縄の心」や「海外の目」などの空気で押し切ろうとするKY的な編集方針をとった。思えば、戦時中もっとも激烈に好戦的な空気をあおったのも朝日だった。戦後60年以上たっても、彼らは戦争から何も教訓を学んではいないのだ。そして既存メディアに反抗するネットイナゴも、自分たちの「村」を批判する者にはKYを連呼する。日本人というのは、この程度の国民なのだろう。
追記:「ネット流行語大賞」の候補のトップは「アサヒる」。「偽造、捏造する」という意味だそうだ。
(*)山崎行太郎とかいう自称評論家が、曽野氏の発言で「巨魁」と表記されているのを「誤読」だと書いているが、これは対談なんだよ。彼女は「キョカイ」と発音し、それを「巨魁」と誤記したのは編集部である。売れない評論家は、対談もやったことないのか。だいたいこんな表記の問題は、論旨と何の関係もない。著書といえば自費出版しかなく、2ちゃんねるで荒らしをやっているようなイナゴ以下の人物が、評論家を自称するとは笑止千万だ。
これについては、山本七平の『「空気」の研究』という有名な本がある。連合艦隊の軍令部次長だった小沢治三郎が、戦艦大和の特攻出撃について「全般の空気よりして、当時も今日も特攻出撃は当然と思う」と戦後30年もたってから語っているのだ。山本は、この空気とは何かを考えるのだが、「おそらく科学的解明も歯が立たない”何か”である」という結論ならざる結論しか出せない。
日本の超国家主義の特徴が「無原則な付和雷同」にあるという点は、丸山眞男なども指摘しているが、彼はその原因を天皇を頂点として「私事の倫理性と国家の合一」する家産制国家の前近代性に求めた。だとすれば、21世紀になっても空気が跋扈しているのは、なぜなのか。日本はまだ官僚の家父長主義による家産制国家なのだ――というのも一つの答かもしれないが、問題はそういうウェーバー的な図式では片づかない。
90年代の長期不況をもたらした原因も、空気である。グリーンスパンは、2000年に日本を訪れたとき、当時の宮沢蔵相にアメリカがRTCによる担保不動産の処分で金融システムを再建した経験を話し、日本も迅速に不良債権を処理すべきだと進言した。ところが宮沢は、「あなたの分析は鋭いが、それは日本のやり方ではない」と答えたという。グリーンスパンは、日本の不良債権処理を遅らせた最大の原因は、経済の回復よりも「体面」を重んじる日本の文化だとしている。
戦争や不況のような不確実性が大きい状況で付和雷同的な行動をとるのは、ゲーム理論で合理的に説明できる。こういう「複数均衡」の状態では、どの答が本当に正しいかわからないが、人々がバラバラに行動するのは最悪なので、正解はどれだけ多くの人々がそれを正しいと思っているかに依存する。空気は、人々の行動を一つの解に収斂させるコーディネーション装置の役割を果たしているのだ。
こういう行動は日本人に固有の特徴ではなく、不確実性のもとで「流動性への逃避」が起こるのは金融市場でも同じだが、グローバルな市場では、こうした「相対主義」に対してファンダメンタルズのような絶対的価値にもとづいて逆張りするプレイヤーが必ずいるので、ある程度で歯止めがかかる。ところが日本では、こういう少数派をKYとして集団から排除してしまうので、暴走しはじめたら止まらない。
さらに悪いのは、メディアがKY的な群衆行動を増幅することだ。集団自決をめぐっても慰安婦をめぐっても、朝日新聞は事実の検証はそっちのけで、「沖縄の心」や「海外の目」などの空気で押し切ろうとするKY的な編集方針をとった。思えば、戦時中もっとも激烈に好戦的な空気をあおったのも朝日だった。戦後60年以上たっても、彼らは戦争から何も教訓を学んではいないのだ。そして既存メディアに反抗するネットイナゴも、自分たちの「村」を批判する者にはKYを連呼する。日本人というのは、この程度の国民なのだろう。
追記:「ネット流行語大賞」の候補のトップは「アサヒる」。「偽造、捏造する」という意味だそうだ。
(*)山崎行太郎とかいう自称評論家が、曽野氏の発言で「巨魁」と表記されているのを「誤読」だと書いているが、これは対談なんだよ。彼女は「キョカイ」と発音し、それを「巨魁」と誤記したのは編集部である。売れない評論家は、対談もやったことないのか。だいたいこんな表記の問題は、論旨と何の関係もない。著書といえば自費出版しかなく、2ちゃんねるで荒らしをやっているようなイナゴ以下の人物が、評論家を自称するとは笑止千万だ。
11日の記事で、「はてなが有害情報を放置してアクセスを稼いでいる」と書いたら、予想どおりネットイナゴが殺到して150もブックマークがつき、はてなの「人気エントリー」のトップになった。世界情勢にも経済問題にも関心がないが、自分の使うおもちゃを批判されると泣きわめく、匿名の精神的幼児の集まりだ(*)。はてなが梅田望夫氏のいう「群衆の叡智」なるものの反例になっているのも、皮肉なものである。
その記事で、私はブログも階層分化し、ブランド価値を高めて広告単価を上げるビジネスモデルもあるのではないかと書いた。mixiはそれに近い方針をとっているようだが、最近はgooブログの「検閲」が一部で話題になっている。たとえば、このブログは「犯罪を暗示した」という規定に引っかかったようだ。事前の警告なしにいきなりブログ全体を非表示にするのは問題だが、こういう有害情報を積極的に排除するサイトがあっていい。
もちろんgooの場合、90万近くあるブログをすべて監視することは不可能だから、苦情の窓口をわかりやすいところに表示し、少なくとも苦情や通報があった場合には、そのブログの運営者に伝えるぐらいはすべきだ(はてなは、それも拒否している)。gooはNTTレゾナントが運営しているので、ブランド価値を守るインセンティブは強いと思われる。品質管理をきびしく行なって、高級紙としてのブランドを確立してほしい。
広告主も、内容はどうでもいいからアクセスが多ければいいという企業は少ないはずだ。広告契約にも「有害な記事の横には広告を表示しない」といった項目を入れれば、おのずとフィルタリングが行なわれるようになるだろう。これでユーザー数は減ったとしても、広告単価が上がり、有料ユーザーも増えるかもしれない。グーグルのページランクは内容の質を勘案していないが、ドメイン名でブログの質がある程度わかるようになれば、質でランキングすることも可能になろう。
私は「批判するな」といっているのではない。匿名の暗闇に隠れて他人に石をぶつけるのは卑怯者だといっているのだ。批判というのは、反論を覚悟し、それに耐えるように注意深くするものだ。そういう責任も負わない匿名のコメントは、言論の名に値しない。念のためいっておくが、これは「表現の自由」とは何の関係もない。有害情報を書きたい人は、はてななどの大衆紙に行けばいい。
(*)匿名のつもりでも、きのうの記事について自分のコメントを否定するサイトにリンクを張った荒木圭典のような間抜けもいる。こういうイナゴの実名は、わかり次第、今後も公表する。
その記事で、私はブログも階層分化し、ブランド価値を高めて広告単価を上げるビジネスモデルもあるのではないかと書いた。mixiはそれに近い方針をとっているようだが、最近はgooブログの「検閲」が一部で話題になっている。たとえば、このブログは「犯罪を暗示した」という規定に引っかかったようだ。事前の警告なしにいきなりブログ全体を非表示にするのは問題だが、こういう有害情報を積極的に排除するサイトがあっていい。
もちろんgooの場合、90万近くあるブログをすべて監視することは不可能だから、苦情の窓口をわかりやすいところに表示し、少なくとも苦情や通報があった場合には、そのブログの運営者に伝えるぐらいはすべきだ(はてなは、それも拒否している)。gooはNTTレゾナントが運営しているので、ブランド価値を守るインセンティブは強いと思われる。品質管理をきびしく行なって、高級紙としてのブランドを確立してほしい。
広告主も、内容はどうでもいいからアクセスが多ければいいという企業は少ないはずだ。広告契約にも「有害な記事の横には広告を表示しない」といった項目を入れれば、おのずとフィルタリングが行なわれるようになるだろう。これでユーザー数は減ったとしても、広告単価が上がり、有料ユーザーも増えるかもしれない。グーグルのページランクは内容の質を勘案していないが、ドメイン名でブログの質がある程度わかるようになれば、質でランキングすることも可能になろう。
私は「批判するな」といっているのではない。匿名の暗闇に隠れて他人に石をぶつけるのは卑怯者だといっているのだ。批判というのは、反論を覚悟し、それに耐えるように注意深くするものだ。そういう責任も負わない匿名のコメントは、言論の名に値しない。念のためいっておくが、これは「表現の自由」とは何の関係もない。有害情報を書きたい人は、はてななどの大衆紙に行けばいい。
(*)匿名のつもりでも、きのうの記事について自分のコメントを否定するサイトにリンクを張った荒木圭典のような間抜けもいる。こういうイナゴの実名は、わかり次第、今後も公表する。
本書は2つの部分にわかれており、邦訳の上下巻にそれぞれ対応している。上巻では若いころプロの楽団でサックスを吹いていた話や、エコノミストになってからはアイン・ランドとの交友関係から強い影響を受け、リバタリアンになったことなどが書かれている(リバタリアニズムを「自由意思論」と訳すのはおかしい)。もちろん重要なのは、FRB議長になってからの話だが、前任者ボルカーの路線を継承するというのが基本路線だったようで、あまり独自の方針は示していない。
有名な「根拠なき熱狂」のスピーチについても、彼の一貫した方針ではなく、ITバブルの過熱を防ぐ強い金融引き締め策はとらなかった。これについては、FRBの実体経済に与えうる影響は限定的なもので、バブルはどうやっても防げなかっただろう、と弁明している。笑えるのは、クリントン政権末期に巨額の財政黒字が出て、そのうち政府債務が消滅するというシミュレーションをFRBがやっていたことだ。そうなると国債もなくなるので、FRBの仕事もなくなるのではないか、などと真剣に心配していたらしい。
幸か不幸か、そういう心配は現ブッシュ政権によって打ち砕かれた。バブル崩壊と9・11でアメリカ経済が混乱し財政赤字がふくらんでいるとき、大減税の公約を強行するのは最悪の政策だ、と著者は強く抵抗したが、政治的打算を経済合理性より優先するブッシュ政権では、彼の警告に耳を貸す者はなかった。ホワイトハウスは史上最大の財政赤字を戦争のせいにするが、実際には戦費よりも減税や農業補助金の増額などのバラマキの影響のほうが大きい。不況が長期化したのは戦争のもたらした不安のためであり、イラク戦争は石油利権が目的だと評している。
原著が出版された段階(今年9月)では、サブプライムローン問題はすでに表面化していたが、これについてはごくわずかしかふれていない。ただブッシュ政権が政府系住宅供給機関の過剰融資を放置したことに懸念を示し、住宅バブルの責任は金融政策よりも住宅政策を人気取りに使った政治家にあると示唆している。18年も政権を見てきた彼が、他の大統領については是々非々の評価なのに、ブッシュ政権については全面否定に近い。
下巻は、財産権が経済成長の基礎だというリバタリアン的信念にもとづいて、各国の指導者や経済状況についてコメントしているが、こっちは「グリーンスパン節」だ。ロシアのプーチン大統領が「アイン・ランドについて語り合いたい」と言った話や、「グローバリゼーションの脅威」よりもSOX法のような過剰規制のほうが経済にはるかに有害だとか、知的財産権の過剰保護と不透明性が経済成長を阻害しているとか、地球温暖化ガスの排出権取引を統制経済として批判するなど、おもしろいエピソードはいろいろあるが、当ブログの読者には周知の議論が多いだろう。
全体として、上巻の回顧録はおもしろいが、下巻の経済分析の切れ味は今ひとつで、冗漫だ。もちろんこれは経済学の通説に近いという意味であって、啓蒙書としての意味はある。同じような本としては、『ルービン回顧録』のほうが生々しく政権の裏側を描いており、経済的な洞察も深い。
文科省のスーパーコンピュータ、「地球シミュレータ」が、来年度で運用停止するそうだ。年間50億円も保守経費がかかるためだという。『未来を予測する技術』で佐藤センター長が自慢するように、かつては世界最高速を誇ったスパコンも、今年の世界ランキングでは30位。日本でも、東工大のTSUBAMEに抜かれたが、600億円という建設費はいまだに世界記録だ。
世界的には、TSUBAMEのようにPC用の汎用CPUを並列につないだグリッド・コンピューティングが常識で、地球シミュレータのようなベクトル・プロセッサを使った「大艦巨砲」型のスパコンは、もうつくられていない。ところが文科省は、1150億円もかけて次世代のスパコンを建設する計画で、もう予定地まで決まっているという。
野依良治・理化学研究所長は「国際競争に負けてはならない」などと技術ナショナリズムをあおっているが、問題は何のために計算するのかという目的であり、そのためのソフトウェアの開発である。目的さえ決まれば、汎用CPUをつなげば速度はいくらでも上がる。研究の目的を抜きにして、計算速度だけを競うのは意味がない。時代錯誤の「戦艦大和」をこれ以上つくるのはやめてほしい。
世界的には、TSUBAMEのようにPC用の汎用CPUを並列につないだグリッド・コンピューティングが常識で、地球シミュレータのようなベクトル・プロセッサを使った「大艦巨砲」型のスパコンは、もうつくられていない。ところが文科省は、1150億円もかけて次世代のスパコンを建設する計画で、もう予定地まで決まっているという。
野依良治・理化学研究所長は「国際競争に負けてはならない」などと技術ナショナリズムをあおっているが、問題は何のために計算するのかという目的であり、そのためのソフトウェアの開発である。目的さえ決まれば、汎用CPUをつなげば速度はいくらでも上がる。研究の目的を抜きにして、計算速度だけを競うのは意味がない。時代錯誤の「戦艦大和」をこれ以上つくるのはやめてほしい。
本書は、今回の騒動をその初期から追ってきたアナリストが分析したものだ。発端は、2000年のITバブル崩壊後の不況で、FRBが(日本の轍を踏むまいと)急激な利下げを行なったことだ。これによってIT不況の拡大は防げたが、過剰流動性が不動産に向かうという日本の80年代後半(円高不況で日銀が金融を緩和した)と似た状況が生じた。特に米政府が景気刺激策として住宅減税を行なって住宅の取得を奨励したため、株式から不動産への大規模な資金移動が起こり、全米の住宅平均価格は、2000年から2006年にかけて2倍を超える異常な値上がりを示した。
ただ日本の不動産バブルと違う点は、アメリカの住宅ローンは単純な融資ではなく、銀行が貸出債権をまとめて証券化して売却することだ。これによって銀行は、利益を得るとともに貸し倒れリスクをまぬがれるので、債務者を厳密に審査するインセンティブがなくなる。低所得者でも、返済が滞れば担保になっている住宅を競売にかければ、不動産価格がどんどん上がっているので回収できる。したがって返済能力におかまいなしに、担保価値の90%といった高額のローンを組ませる――という20年前の日本とよく似た状況が出現したのだ。
さらに、この債権を買った証券会社は、他の資産と組み合わせてABSとして市場で売る。このとき、その信用の基準となるのが格付けだが、きのうの記事でも書いたように、ここに落とし穴があった。ABSには多くの種類の資産が組み込まれているので、全部が債務不履行になる確率は低いため、格付け機関はリスクが分散されていればAAAという最高ランクをつけた。このためABSの格付けは、ほぼ半分がAAAという異常な分布になった。企業の格付けでは、AAAというのは1~2%である。
投資家が証券を買うとき、特に年金基金などのリスクをきらう機関投資家は、AAAの証券を買うことが多い。しかし今回のように不良資産も優良資産もいっせいに売り込まれると、いくら資産を分散していても、すべて値下がりしてしまう。欧州委員会は、アメリカ資本の格付け機関を非難し、アメリカでも議会が格付け機関を規制するよう主張し、SECも6月にガイドラインをつくった。しかし格付けはあくまでも参考で、投資家が自己責任でリスクをとるのが資本主義の原則だ。基本的には、悪質な格付け機関を市場で淘汰することで解決するしかないだろう。
今回の騒動の間接的な原因といわれているのが、BISによる自己資本規制だ。これは過剰融資を防ぐため、銀行の自己資本を資産(融資残高)の一定比率以上とするよう定めたものだが、貸出債権を証券化して売ってしまうと資産は増えないので規制をのがれることができ、銀行が不動産融資を証券化するインセンティブを強めた。
このバブルの構造は、20年前の日本と似ているが、金融技術の発達によって債権・債務関係が非常に入り組んでいるため、簡単に清算できず、損失の評価もむずかしい。これが「ナイトの不確実性」を強め、世界的にドル資産からの逃避が起こり、今回のドル暴落をまねいたわけだ。そして世界経済を牽引してきたアメリカの購買力が、この逆資産効果で萎縮すると、その影響は全世界に波及する。またドルが信任を失うと、その基軸通貨としての地位もユーロに移行してゆくかもしれない。
追記:本書で紹介されている、サブプライムについてのアメリカの住宅都市開発庁の報告書を読むと、日本のサラ金や、かつて悪徳不動産業者と組んだ銀行の「押し売り融資」の手口とよく似ている。彼らも日本に学んだのかもしれない。
FRBのバーナンキ議長は、先週の議会証言で「サブプライム・ローンの問題は、不動産にとどまらず、あらゆる資産の格づけへの不信をまねき、市場を崩壊させるおそれがある」と指摘した。特に7月10日に、不動産担保証券の格づけが大幅に引き下げられたことが、格づけ会社の審査への疑惑を広げ、図のように格づけAの優良資産の金利スプレッド全体が急拡大した(PIMCO調べ)。

これは、先日も紹介した「ナイトの不確実性」の典型である。特にサブプライムのような資産担保証券(ABS)の種類は非常に多く、構造も複雑になっているので、一般投資家はおろか、投資銀行でもそのリスクを自前で審査することはむずかしい。そのため、多くのABSの評価は格づけ会社によって行なわれているが、彼らは評価する対象の発行企業から報酬を得ているので、甘く評価するバイアスが生じやすい。そういう疑惑がもともとあったところに、7月の格下げで「やっぱり」ということになり、パニックが他の証券にも広がったのだ。
この格づけというのは、もともとかなり曖昧なものだ。たとえばある格づけ会社がAAAと評価した証券が債務不履行になるリスクが何%かという定量的な基準はなく、その会社のトラックレコードでだいたいの確率が決まっている。ところが今度のような事件が起こると、その基準が崩れ、不履行の確率がわからなくなってしまうのだ。これはリスクではなく不確実性だから、通常の金融技術でヘッジすることはできない。
不確実性に直面したとき、人々が市場でどういう行動をとるかについて考察したのは、実はナイトではなくケインズである。確率論の専門家でもあった彼は、貨幣の存在理由を「将来の金利の不確実性」に求め、これを流動性選好と名づけた。1930年代の大恐慌をもたらした原因は、金融システムの崩壊によって投資家がリスクを恐れ、現金(流動性)に逃避したことにある、と彼は考えた。ケインズはこういう状況では金融政策は無効だと考えたが、フリードマン=シュワルツは通貨の増発などの政策で金融システムの崩壊を食い止められたはずだと指摘した。
現在の金融不安も、このような流動性への逃避が起こっているという点で(スケールは違うが)大恐慌や日本の90年代の不況、あるいは1997年のアジア通貨危機と似ている。しかも人々の行動は、ここでもほとんど同じだ。少しでもリスクのある資産(特にABS)を売って、リスクのない国債や現金に換える。このため資産価格が暴落し、それがさらにパニックを加速する――というループに入っているのだ。(*)
このように不確実性に対する人々の反応は定型化されているので、対策も明らかだ。第一に、流動性を供給して銀行の破綻を防ぎ、30年代のような取り付け騒ぎを起こさないことである。この点では、世界の中央銀行が協調行動をただちにとった。そして問題は、疑心暗鬼が広がって特定の金融機関の危機が金融市場全体の「システム的危機」と混同されることなので、破綻した金融機関はすみやかに破綻処理(もちろん預金者は保護)し、損失は正直に計上させる。この点では、メリルリンチやシティが巨額の損失を計上したことは、ある意味でいいニュースだ。
こう考えると、90年代に大蔵省・日銀のとった政策は、すべてこの逆だったことがわかる。1990年にバブルが崩壊してからも日銀は金利をなかなか下げず、通貨供給を絞り、大蔵省は不動産融資の総量規制を開始して地価暴落の引き金を引き、ほとんどの銀行を破綻に陥れた。しかもそれを粉飾決算によって隠すよう行政指導したため、すべての銀行への不信が広がり、人々が投資を恐れて貯蓄したため、デフレが起こったのだ。
バーナンキ議長は、大恐慌の研究で知られるので、こうした問題をコントロールするには適任だろう。サブプライムローン自体の規模は世界の証券市場の1%程度だが、不信はABS全体に広がっているので、金融システムを再建するには、格づけ会社の監視など市場の信頼を回復する政策と、不安を払拭するための徹底した情報開示が必要だ。日本の金融当局、特に日銀はコミュニケーションがへたなので、この点の改善を望みたい。この問題は、対岸の火事ではない。
(*)不確実性のもとでの金融市場を分析したRigotti-Shannon(2005)は、不確実性が大きい場合には、市場での取引が停止する均衡とリスクのない資産に取引が集中する均衡が生じるとしている。
この格づけというのは、もともとかなり曖昧なものだ。たとえばある格づけ会社がAAAと評価した証券が債務不履行になるリスクが何%かという定量的な基準はなく、その会社のトラックレコードでだいたいの確率が決まっている。ところが今度のような事件が起こると、その基準が崩れ、不履行の確率がわからなくなってしまうのだ。これはリスクではなく不確実性だから、通常の金融技術でヘッジすることはできない。
不確実性に直面したとき、人々が市場でどういう行動をとるかについて考察したのは、実はナイトではなくケインズである。確率論の専門家でもあった彼は、貨幣の存在理由を「将来の金利の不確実性」に求め、これを流動性選好と名づけた。1930年代の大恐慌をもたらした原因は、金融システムの崩壊によって投資家がリスクを恐れ、現金(流動性)に逃避したことにある、と彼は考えた。ケインズはこういう状況では金融政策は無効だと考えたが、フリードマン=シュワルツは通貨の増発などの政策で金融システムの崩壊を食い止められたはずだと指摘した。
現在の金融不安も、このような流動性への逃避が起こっているという点で(スケールは違うが)大恐慌や日本の90年代の不況、あるいは1997年のアジア通貨危機と似ている。しかも人々の行動は、ここでもほとんど同じだ。少しでもリスクのある資産(特にABS)を売って、リスクのない国債や現金に換える。このため資産価格が暴落し、それがさらにパニックを加速する――というループに入っているのだ。(*)
このように不確実性に対する人々の反応は定型化されているので、対策も明らかだ。第一に、流動性を供給して銀行の破綻を防ぎ、30年代のような取り付け騒ぎを起こさないことである。この点では、世界の中央銀行が協調行動をただちにとった。そして問題は、疑心暗鬼が広がって特定の金融機関の危機が金融市場全体の「システム的危機」と混同されることなので、破綻した金融機関はすみやかに破綻処理(もちろん預金者は保護)し、損失は正直に計上させる。この点では、メリルリンチやシティが巨額の損失を計上したことは、ある意味でいいニュースだ。
こう考えると、90年代に大蔵省・日銀のとった政策は、すべてこの逆だったことがわかる。1990年にバブルが崩壊してからも日銀は金利をなかなか下げず、通貨供給を絞り、大蔵省は不動産融資の総量規制を開始して地価暴落の引き金を引き、ほとんどの銀行を破綻に陥れた。しかもそれを粉飾決算によって隠すよう行政指導したため、すべての銀行への不信が広がり、人々が投資を恐れて貯蓄したため、デフレが起こったのだ。
バーナンキ議長は、大恐慌の研究で知られるので、こうした問題をコントロールするには適任だろう。サブプライムローン自体の規模は世界の証券市場の1%程度だが、不信はABS全体に広がっているので、金融システムを再建するには、格づけ会社の監視など市場の信頼を回復する政策と、不安を払拭するための徹底した情報開示が必要だ。日本の金融当局、特に日銀はコミュニケーションがへたなので、この点の改善を望みたい。この問題は、対岸の火事ではない。
(*)不確実性のもとでの金融市場を分析したRigotti-Shannon(2005)は、不確実性が大きい場合には、市場での取引が停止する均衡とリスクのない資産に取引が集中する均衡が生じるとしている。
きのう情報ネットワーク法学会のパネルディスカッションに出てきた。テーマは「違法・有害情報と匿名性」。当然、焦点は2ちゃんねるだ。損害賠償訴訟に連敗しながら、判決を無視して「年収は1億以上あるが、差し押さえられないように隠してある」などと公言するひろゆきについて、「どうすることもできないのか」と私が質問したら、専門家の答は「民事ではむずかしい。破産申し立ても断念したようだ」とのことだった。しかし名誉毀損は、刑事訴追もできる。なぜ警察は、法治国家の原則を嘲笑するひろゆきの行動を黙認しているのか――という私の質問には、たぶん名誉毀損は立証がむずかしく、マスメディアも英雄扱いしているので警察も手が出せないのだろう、との答だった。違法行為をもてはやすメディアの責任も重い。
ただ、2ちゃんねるのような違法情報は、まだ問題がわかりやすい。むずかしいのは、違法とまではいえない有害情報だ。たとえば、ブログの「炎上」や「はてなブックマーク」などを使ったいやがらせである。悪質なコメントについて、はてなに抗議すると「権利侵害ではないので削除はできない」と回答してくる。「警告もしないのか」と質問すると「表現の自由」を持ち出す。これはナンセンスである。表現の自由とは公権力との関係で問題になるもので、はてながアカウントを削除しても他のサービスを使えばよい。
悪質なコメントを防ぐ技術的な方法は、いくらでもある。diggのように相互批判できるようにし、他人の評価によってコメントにランクをつけるとか、Slashdotのように評価の低いコメントを隠すこともできる。しかし、はてなはそういう改善措置をとるつもりもないらしい。要するに、小倉秀夫氏も指摘するように、「はてなは他人の悪口をいいやすいシステムで利潤を上げている」のである。こうしてネットイナゴがたくさん集まれば、はてなの広告収入が増える一方、イナゴが他人を罵倒して不愉快にするコストは被害者が負担するので、はてなには質を高めるインセンティブがない。こういうのを経済学でフリーライダーとよぶ。
フリーライダーを防ぐメカニズムはいろいろあるが、その一つは評判を保つインセンティブを与えることだ。たとえば、トラブルが頻発してマスメディアでたたかれれば、広告が集まらなくなるだろう。ニフティの丸橋氏も「ブログのようなCGMは、コンテンツの質が保証できないので大手の広告が取れず、経営がむずかしい」といっていた。はてなに出てくる広告も、大手企業のものは少なく、怪しげなものが多い。そのうち自滅するだろう。
有害情報は、ウェブに固有の問題ではない。世の中には有害な情報はいくらでもあるし、怪しげな情報を集めたメディアも多い。しかし普通のメディアの世界では、朝日・読売などの一般紙と、夕刊紙やスポーツ紙などの棲み分けができており、大手企業は『アサヒ芸能』に広告は出さないし、逆にキャバクラの広告は一般紙には出ない。「有害情報」の好きな人はそういうメディアを読み、普通の人は一般のメディアを読めばよいのである。ところがウェブでは、朝日新聞とアサヒ芸能が混在し、朝刊を開いたらエロ小説やパチンコ屋の広告が出ているという状態に近い。
これはコンテンツの価格がゼロなので客がたくさん集まればよく、質を保つインセンティブがない(民放と同じ)ことが根本原因だが、インターネット広告産業がまだ成熟していないことも一因だろう。今後、まともな広告主は愚劣なコンテンツの多いサイトには広告を出さないといった選別が進めば、コンテンツの品質管理をきびしくして大手企業の広告を集めるか、何でもありにしてポルノサイトの広告を集めるかの二極分化が起こるのではないか。単にアクセス数を競うのではなく、サイトの質を審査して広告単価をAAA、AAなどと格付けする機関ができてもいい。
ただ、2ちゃんねるのような違法情報は、まだ問題がわかりやすい。むずかしいのは、違法とまではいえない有害情報だ。たとえば、ブログの「炎上」や「はてなブックマーク」などを使ったいやがらせである。悪質なコメントについて、はてなに抗議すると「権利侵害ではないので削除はできない」と回答してくる。「警告もしないのか」と質問すると「表現の自由」を持ち出す。これはナンセンスである。表現の自由とは公権力との関係で問題になるもので、はてながアカウントを削除しても他のサービスを使えばよい。
悪質なコメントを防ぐ技術的な方法は、いくらでもある。diggのように相互批判できるようにし、他人の評価によってコメントにランクをつけるとか、Slashdotのように評価の低いコメントを隠すこともできる。しかし、はてなはそういう改善措置をとるつもりもないらしい。要するに、小倉秀夫氏も指摘するように、「はてなは他人の悪口をいいやすいシステムで利潤を上げている」のである。こうしてネットイナゴがたくさん集まれば、はてなの広告収入が増える一方、イナゴが他人を罵倒して不愉快にするコストは被害者が負担するので、はてなには質を高めるインセンティブがない。こういうのを経済学でフリーライダーとよぶ。
フリーライダーを防ぐメカニズムはいろいろあるが、その一つは評判を保つインセンティブを与えることだ。たとえば、トラブルが頻発してマスメディアでたたかれれば、広告が集まらなくなるだろう。ニフティの丸橋氏も「ブログのようなCGMは、コンテンツの質が保証できないので大手の広告が取れず、経営がむずかしい」といっていた。はてなに出てくる広告も、大手企業のものは少なく、怪しげなものが多い。そのうち自滅するだろう。
有害情報は、ウェブに固有の問題ではない。世の中には有害な情報はいくらでもあるし、怪しげな情報を集めたメディアも多い。しかし普通のメディアの世界では、朝日・読売などの一般紙と、夕刊紙やスポーツ紙などの棲み分けができており、大手企業は『アサヒ芸能』に広告は出さないし、逆にキャバクラの広告は一般紙には出ない。「有害情報」の好きな人はそういうメディアを読み、普通の人は一般のメディアを読めばよいのである。ところがウェブでは、朝日新聞とアサヒ芸能が混在し、朝刊を開いたらエロ小説やパチンコ屋の広告が出ているという状態に近い。
これはコンテンツの価格がゼロなので客がたくさん集まればよく、質を保つインセンティブがない(民放と同じ)ことが根本原因だが、インターネット広告産業がまだ成熟していないことも一因だろう。今後、まともな広告主は愚劣なコンテンツの多いサイトには広告を出さないといった選別が進めば、コンテンツの品質管理をきびしくして大手企業の広告を集めるか、何でもありにしてポルノサイトの広告を集めるかの二極分化が起こるのではないか。単にアクセス数を競うのではなく、サイトの質を審査して広告単価をAAA、AAなどと格付けする機関ができてもいい。
沖縄の「集団自決」をめぐる訴訟に、きのう被告の大江健三郎氏が初めて出廷した。その尋問で、彼は「個人名は書かなかった」と逃げているが、こんな子供だましの論理が法廷で通ると思っているのだろうか。「慶良間諸島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男が、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいた」(『沖縄ノート』p.208)という記述に該当する人物は、渡嘉敷島守備隊長だった赤松嘉次元大尉しかいない。「ノーベル賞をもらった日本人作家は精神的幼児だ」と書いたら、個人名を書かなくてもだれのことかわかるだろう。
致命的なのは、「守備隊長の個人名を挙げていないのは、集団自決が構造の強制力でもたらされたと考えたからだ。もし隊長がタテの構造の最先端で命令に反逆し、集団自決を押しとどめて悲劇を回避していたとしたら、個人名を前面に出すことが必要だった」という大江氏の弁解だ。多くの証言が示すように、赤松大尉はまさに軍の(暗黙の)方針に反逆して、集団自決を押しとどめて悲劇を回避しようとしたのだ。
だから大江氏が考えなければならないのは、守備隊長が止めたにもかかわらず、なぜ巡査や村長が村民に自決を命じたのか、ということなのだ。当時、13歳の軍国少女だった曽野綾子氏まで「2発の手榴弾を配られれば、1発をまず敵に向かって投げ、残りの1発で自決する」つもりになった空気とは何だったのか。その心の中をさぐるのが、本当の小説家だろう。先日、『SAPIO』の対談で曽野氏は「世の中には、真っ黒の悪人も真っ白の善人もいない。そんな小説を書いたら、新人賞にも通らない」といって笑っていた。
石原慎太郎氏が小沢一郎氏を(3歳で成長の止まった)『ブリキの太鼓』の主人公オスカルにたとえたが、大江氏こそ、この比喩にふさわしい。子供のころ愛媛県の山奥で勉強した「新憲法」への感動をいまだに持ち続け、朝日新聞や岩波書店のいうことを信じて中国や北朝鮮を礼賛してきた彼は、ある意味ではこういう偽善的な「進歩的言論」の犠牲者だ。
もっと罪深いのは、ここまで歴然とした事実誤認を指摘されながら、いまだに訂正もしないで『沖縄ノート』を重版する岩波書店である。年配の人には、岩波といえばまだ権威があるかもしれないが、業界では慢性的に「経営危機説」が流れている。特に2001年に倒産した中堅取次、鈴木書店に巨額の売掛金があったことから、連鎖倒産や朝日新聞社による買収などの噂が流れた。労組が共産党系で労使関係も最悪で、岩波の文化講演会に行くと、講演の前に労組の演説を聞かされる。特に経済学の分野では、「モダンエコノミックス」というシリーズを担当していた「近経」の編集者を組合が追放したため、執筆者が執筆拒否してシリーズは中断してしまった。
それ以来、岩波の経済書はマル経しか知らない編集者が担当しているので、金子勝、内橋克人、奥村宏などのマル経崩れの本ばかりで、読むに耐えない。ITについても、坂村健の同じような内容の本を8冊も出して、IT系の出版社から笑いものになっている。私のところにも執筆依頼に来たので、ウェブに出した(他の雑誌の)原稿を参考に見ておいてくれといったら、しばらくしてそれをいきなりゲラに組んで送ってきて驚いた。それ以来、岩波とは絶縁したが、その人材の劣化はひどいものだ。
岩波が戦後の一時期まで日本文化に果たした役割は大きいが、今の岩波はもはやゾンビである。当ブログの書評をみればわかるように、岩波の新刊で読むべき本はほとんどない。特に今回の訴訟では、当事者が名誉を傷つけられたと訴えているのに、日ごろ「人権」をうたい上げる出版社がそれを無視して重版を続け、大江氏の支離滅裂な弁解を擁護している人権侵害は犯罪的だ。もし本当に自分たちの正当性を信じているなら、ジャーナリストらしく渡嘉敷島に行って取材してみろ。
致命的なのは、「守備隊長の個人名を挙げていないのは、集団自決が構造の強制力でもたらされたと考えたからだ。もし隊長がタテの構造の最先端で命令に反逆し、集団自決を押しとどめて悲劇を回避していたとしたら、個人名を前面に出すことが必要だった」という大江氏の弁解だ。多くの証言が示すように、赤松大尉はまさに軍の(暗黙の)方針に反逆して、集団自決を押しとどめて悲劇を回避しようとしたのだ。
だから大江氏が考えなければならないのは、守備隊長が止めたにもかかわらず、なぜ巡査や村長が村民に自決を命じたのか、ということなのだ。当時、13歳の軍国少女だった曽野綾子氏まで「2発の手榴弾を配られれば、1発をまず敵に向かって投げ、残りの1発で自決する」つもりになった空気とは何だったのか。その心の中をさぐるのが、本当の小説家だろう。先日、『SAPIO』の対談で曽野氏は「世の中には、真っ黒の悪人も真っ白の善人もいない。そんな小説を書いたら、新人賞にも通らない」といって笑っていた。
石原慎太郎氏が小沢一郎氏を(3歳で成長の止まった)『ブリキの太鼓』の主人公オスカルにたとえたが、大江氏こそ、この比喩にふさわしい。子供のころ愛媛県の山奥で勉強した「新憲法」への感動をいまだに持ち続け、朝日新聞や岩波書店のいうことを信じて中国や北朝鮮を礼賛してきた彼は、ある意味ではこういう偽善的な「進歩的言論」の犠牲者だ。
もっと罪深いのは、ここまで歴然とした事実誤認を指摘されながら、いまだに訂正もしないで『沖縄ノート』を重版する岩波書店である。年配の人には、岩波といえばまだ権威があるかもしれないが、業界では慢性的に「経営危機説」が流れている。特に2001年に倒産した中堅取次、鈴木書店に巨額の売掛金があったことから、連鎖倒産や朝日新聞社による買収などの噂が流れた。労組が共産党系で労使関係も最悪で、岩波の文化講演会に行くと、講演の前に労組の演説を聞かされる。特に経済学の分野では、「モダンエコノミックス」というシリーズを担当していた「近経」の編集者を組合が追放したため、執筆者が執筆拒否してシリーズは中断してしまった。
それ以来、岩波の経済書はマル経しか知らない編集者が担当しているので、金子勝、内橋克人、奥村宏などのマル経崩れの本ばかりで、読むに耐えない。ITについても、坂村健の同じような内容の本を8冊も出して、IT系の出版社から笑いものになっている。私のところにも執筆依頼に来たので、ウェブに出した(他の雑誌の)原稿を参考に見ておいてくれといったら、しばらくしてそれをいきなりゲラに組んで送ってきて驚いた。それ以来、岩波とは絶縁したが、その人材の劣化はひどいものだ。
岩波が戦後の一時期まで日本文化に果たした役割は大きいが、今の岩波はもはやゾンビである。当ブログの書評をみればわかるように、岩波の新刊で読むべき本はほとんどない。特に今回の訴訟では、当事者が名誉を傷つけられたと訴えているのに、日ごろ「人権」をうたい上げる出版社がそれを無視して重版を続け、大江氏の支離滅裂な弁解を擁護している人権侵害は犯罪的だ。もし本当に自分たちの正当性を信じているなら、ジャーナリストらしく渡嘉敷島に行って取材してみろ。
きのうの記者会見で、小沢一郎氏は大連立について「2ヶ月前に、ある人から呼び出された」「半月前に首相の代理である人が来た」と経緯を明らかにした。このどちらかが中曽根氏あるいは渡辺恒雄氏だといわれ、中曽根氏はインタビューに答えて「主筆は政治に手を突っ込んでもいいんだ」と事実上、渡辺氏の関与を認めている(*)。
しかし渡辺氏が話をもちかけたとすれば、読売の「小沢氏は真実を語れ」という記事は何なのか。現場が経緯を知らなかったとしても、主筆がそれを放置して、記者会見で読売の記者が「当社の報道を誹謗したのは許せない」などと質問するのは、小沢氏が怒るのも当たり前だ。今回の渡辺氏の行動は、取材者として一線を超えている。しかも、それを自社の記者にも隠しているとしたら、ジャーナリストとしての立場より自民党のエージェントとしての立場を優先したことになる。
有馬哲夫『日本テレビとCIA』によれば、CIAのエージェント(暗号名PODAM)だった正力松太郎以来、読売グループは政権と癒着して、親米・反共の世論操作の一翼を担ってきた。「正力構想」として知られる全国マイクロ回線網は、米軍の通信網を日本テレビが構築し、他の放送局や電電公社に貸し出す(したがって日本の通信はすべて米軍に傍受される)という、とんでもない計画だった。この計画は、結果的には吉田茂につぶされ、電電公社は独自にマイクロ回線網をつくったが、正力構想のなごりは「日本テレビ放送網」という社名に残っている。
テレビについては、正力がGHQの圧力を背景にして電波監理委員会に6メガ方式(NTSC)を採用させ、NHKなどの進めていた国産の7メガ方式をつぶした。テレビの方式をアメリカと同じにすることは、GHQにとって重要な意味があった。日本を「反共の防波堤」にするためには、アメリカのテレビ番組を輸出することによって日本をアメリカの文化的植民地にする必要があったからだ。
これは大きな効果を発揮した。戦後の貧しい日本で放送された「アイラブルーシー」や「ヒッチコック劇場」などの番組は、洗練された演出と、そこに映し出された豊かな消費生活の映像によって、アメリカの大衆文化を日本に浸透させた。それは同じくCIAのエージェントだった岸信介が日本をアメリカの政治的植民地にしたのと同じぐらい大きな影響を戦後の歴史に与え、その呪縛はいまだに残っている。
私はいつも朝日新聞の悪口を言っているが、いまだに朝日を取っている。それはナベツネがいるかぎり、読売の報道は信用できないからだ。読売が「世界一の部数」を誇っても三流紙とみられるのも、こうした自民党との癒着体質をいつまでも残しているからだ。特に今回の小沢騒動では、社説で大連立を提唱する一方、小沢氏をその「首謀者」と断じるなど、自民党のプロパガンダを連日、流し続けた。渡辺氏こそ、今回の騒動の責任をとって引退すべきだ。
(*)けさの朝日新聞によると、「ある人」がナベツネで「首相の代理」は森喜朗氏のようだ。しかし中曽根氏の口ぶりからすると、彼がナベツネを使って仕掛けたのではないか。
しかし渡辺氏が話をもちかけたとすれば、読売の「小沢氏は真実を語れ」という記事は何なのか。現場が経緯を知らなかったとしても、主筆がそれを放置して、記者会見で読売の記者が「当社の報道を誹謗したのは許せない」などと質問するのは、小沢氏が怒るのも当たり前だ。今回の渡辺氏の行動は、取材者として一線を超えている。しかも、それを自社の記者にも隠しているとしたら、ジャーナリストとしての立場より自民党のエージェントとしての立場を優先したことになる。
有馬哲夫『日本テレビとCIA』によれば、CIAのエージェント(暗号名PODAM)だった正力松太郎以来、読売グループは政権と癒着して、親米・反共の世論操作の一翼を担ってきた。「正力構想」として知られる全国マイクロ回線網は、米軍の通信網を日本テレビが構築し、他の放送局や電電公社に貸し出す(したがって日本の通信はすべて米軍に傍受される)という、とんでもない計画だった。この計画は、結果的には吉田茂につぶされ、電電公社は独自にマイクロ回線網をつくったが、正力構想のなごりは「日本テレビ放送網」という社名に残っている。
テレビについては、正力がGHQの圧力を背景にして電波監理委員会に6メガ方式(NTSC)を採用させ、NHKなどの進めていた国産の7メガ方式をつぶした。テレビの方式をアメリカと同じにすることは、GHQにとって重要な意味があった。日本を「反共の防波堤」にするためには、アメリカのテレビ番組を輸出することによって日本をアメリカの文化的植民地にする必要があったからだ。
これは大きな効果を発揮した。戦後の貧しい日本で放送された「アイラブルーシー」や「ヒッチコック劇場」などの番組は、洗練された演出と、そこに映し出された豊かな消費生活の映像によって、アメリカの大衆文化を日本に浸透させた。それは同じくCIAのエージェントだった岸信介が日本をアメリカの政治的植民地にしたのと同じぐらい大きな影響を戦後の歴史に与え、その呪縛はいまだに残っている。
私はいつも朝日新聞の悪口を言っているが、いまだに朝日を取っている。それはナベツネがいるかぎり、読売の報道は信用できないからだ。読売が「世界一の部数」を誇っても三流紙とみられるのも、こうした自民党との癒着体質をいつまでも残しているからだ。特に今回の小沢騒動では、社説で大連立を提唱する一方、小沢氏をその「首謀者」と断じるなど、自民党のプロパガンダを連日、流し続けた。渡辺氏こそ、今回の騒動の責任をとって引退すべきだ。
(*)けさの朝日新聞によると、「ある人」がナベツネで「首相の代理」は森喜朗氏のようだ。しかし中曽根氏の口ぶりからすると、彼がナベツネを使って仕掛けたのではないか。