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亡くなった井上ひさしさんはかつて、「政治とは、端的に言えば、『国民から集めた税金や国有財産をどう使うか』ということ」だと言っていた。政治についての古今東西の名著を万巻積み上げたところで、この一行にはかなうまい、と歯切れがいい▼ことほどさように、予算は政治そのものだ。裏を返せば、政権にとっては大仕事である。どこに手厚く、何を我慢し、何を捨ててどんな将来をめざすのか。「先立つもの」は政策を行う裏付けであり、その配分は国のかたちの具象化でもある▼その来年度予算の概算要求基準が決まり、菅政権の大仕事がスタートした。去年の鳩山政権は自民政権を継ぐ形の、いわばリリーフだった。言い訳もできたが、今年は晴れて先発である。「政治主導」に嘘(うそ)はないか。真価が問われることになる▼とはいえ大赤字に変わりはない。孫子(まごこ)の代を質草にした莫大(ばくだい)な借り入れは、いまや習い性になった感がある。「ギリシャ化」を憂えつつバラマキ体質を残したままの政権に、どこか不安な向きも少なくあるまい▼国の当初予算が1兆円を超えたのは1956(昭和31)年度だった。59年度には、当時の大蔵省が語呂合わせで「1兆よい国(1兆4192億円)」と浮かれた。右肩上がりに2度目の「坂の上の雲」を追い始めた、古き良き昭和である▼官僚が元気だった時代の活力を、政治は自ら率いて再生できるのか。目玉の一つという「元気な日本復活特別枠」は功を奏するだろうか。あれやこれやと案じつつの、しばしはお手並み拝見となる。