1963年8月17日午前11時5分、那覇市泊港から船客194人と乗組員14人を乗せて久米島に向け出港した客船みどり丸(302・8トン)が正午すぎ、那覇の西方6キロ(俗称チービシ北方およそ2キロ)の海上で大波をかぶり沈没した。軍民の海空からの捜索で、午後11時すぎまでに138人を救助、9人が遺体で収容された。
みどり丸沈没後、乗組員が付近を航行中の砂利運搬船に助けられた。無線を備えていなかった砂利運搬船は泊に向かい、午後4時すぎに海運会社に事故が伝えられた。みどり丸も「SOS」を発信する間もなく転覆したとみられる。事故の一報は発生から4時間後だった。
乗客のほとんどは久米島出身者で、約半数が夏休みを利用して那覇に遊びに来た小中高生だった。泊港には、ラジオニュースで事故を知り乗客の安否を気遣う人たちが詰め掛けた。みどり丸には乗客名簿に記載されていない船客40人余が乗っていたとみられる。
事故現場は慶良間諸島の前島と神山島(俗称チービシ)の中間で、三角波と潮の流れの速さで有名な難所。事故原因は、海図にない暗礁に船体を引っかけたまま突風も加わり転覆したのではないかとされる。
救助された久米島の男性(42)は「高さ6、7メートルの高波が船の前方で山形の巻き波になったかと思うと、船を持ち上げて奈落に突き落とした瞬間、右舷に45度ぐらい傾いた。その後、反動で左舷に一度傾き、また右に傾いたかと思った途端、完全に横倒しになって、みんな海中に投げ出された」と事故当時の模様を語った。
この事故で86人が亡くなり、行方不明者は26人に上った。
◆みどり丸
1943年3月、三菱重工下関造船で旧日本海軍の海防艦として進水。航海速力12ノット。長さ43.20メートル、幅6.82メートル、深さ3.51メートル。定員229人(船客207人、船員22人)。1963年6月、日本海事協会の安全検査をパス。(1963年8月18日朝刊より)
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