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[17103] 【習作】魔法少女リリカルなのは 空の果て
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:12626166
Date: 2010/03/29 19:15

初めまして、ラスフォルトといいます。
今回、初作品を投稿することにしました。

文章が固く読みにくいとは思いますがよろしくお願いします。

なお、この作品はいろいろのネタを使う予定があります。
そして一部のキャラにはとても厳しい仕様になっています。



とりあえず、あまり時間を取れませんが完結を目指して頑張りたいと思います。



[17103] 第一話 邂逅
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:12626166
Date: 2010/06/28 22:12

 ――みんながいればなんとかなる。

 そんな風に思っていた。
 それは何もなのはのような素人考えによるものではなかった。
 経験のあるクロノやたくさんの魔導師を見てきたリンディも認めることだった。
 たとえこの場に全員がいなくても、なのはにフェイトにアルフ、はやて、そしてクロノの四人がいればどんな敵にも負けることはないと思っていた。
 しかし、目の前の光景はそれを否定していた。
 燃え盛り、瓦礫をまき散らされた街。
 馴染みのないミッドチルダのクラナガンのショッピングモール。世界は違ってもそのにぎわいは同じものだったのにそれが見る影もない。
 四人、そこにエイミィを加えた五人はクラナガンの観光に来ていた。
 名目は三人の社会科見学。
 これから管理局で仕事をするのだからミッドの文化に触れておく方がいいと、企画されたもの。
 建前は勉学だが、実際は未だ保護観察の身で自由を許されないはやてに対しての息抜きでもあった。
 建前がある以上ヴォルケンリッターやアリサとすずかの参加もできなかった。
 行き先が首都クラナガンであり、なのはにフェイトそしてクロノがいることから護衛はいらないだろうと判断され、それでもごねた二名にはお土産を多めに買ってくることで納得してもらった。
 しかし、こんなことになるとは誰も予想していなかった。


「……フェイトちゃん」

 返事はなければ姿も見えない。

「……はやてちゃん」

 彼女はすぐ近くの車の屋根の上に倒れていた。半分失った羽と半ばから折れた杖が痛々しい。

「アルフさん……クロノ君」

 アルフは狼の姿で道路に転がっている。
 クロノは――今、なのはのすぐ横を吹き飛ばされて壁に激突し、瓦礫に埋もれた。

 オオオオオオオオオオオッ

 それが唸りを上げる。
 似ているものを上げるとしたらそれは虫だろう。
 しかし、それも数メートルもあり、虫というには肉厚がある。
 魔獣としては中型。
 管理局に指定されるものなら危険度は大きさに伴って比例するもの。それを考えればこの生物はランクBのカテゴリーなのに。

「ディバイン――」

 震える膝を無理やりに支えて、カートリッジをつぎ込む。

「――バスター!!」

 ここが結界の中ではないことも、市街地だということも忘れてなのはは撃った。
 桜色の壁を思わせる砲撃。
 だが、今まで多くの敵を撃ち落としてきた砲撃はそれに届かなかった。
 不可視の何かが盾になって止められる。
 魔力は感じない。それでもあの生物には魔法を防ぐ術があること思い知らされる。

「それなら――」

 空になったマガジンを排出して、新しいのを付ける。
 そして、一気に六発をロードする。

「ディバインッバスター!!」

 まだ残っている砲撃の上に重ねて撃ち込んだ。
 パリン、魔法の盾を破壊するような音を立てて、不可視の何かが壊れそれは桜色の光に飲み込まれた。
 次に起こった爆発の衝撃になのはは抵抗できず吹き飛ばされてビルに叩きつけられた。
 バリアジャケットのおかげで怪我はないが衝撃は全て抑えきれなかった。
 咳き込んでレイジングハートを支えにして立ち上がって薄れていく煙の中を見る。
 そこには身体の半分を削り取られ、その生物は赤い体液を流していた。
 緩慢に動くグロテスクな様に気持ちが悪くなるが、その動きも次第に小さくなり、止まった。

『生体反応消失』

 レイジングハートの報告に安心して力が抜けてへたり込んだ。

「……ああ、フェイトちゃん」

 それにはやてちゃんやアルフさんにクロノ君の無事を確認しないと。
 まだ息を整えてもいないのになのはは立ち上がろうとして、突然地面が震えた。

「きゃ……」

 踏ん張りが利かなかったなのはは無様に転んで、そしてそれを見上げることになった。

「あ…………」

 それは先ほどの生物によく似たものだった。
 両手の刃はカマキリの姿を連想させる。そして大きさはやはり魔獣としては中型のそれ。
 下から覗き込む形になり、鋭い歯が並ぶ生々しい口を見てしまい身が竦む。
 対処法を頭の中でシュミュレートしても一度緊張が解けた身体の反応は鈍い。
 ほとんど無抵抗ななのはに新たに現れた生物はゆっくりと近づいて、

「はあああああっ」

 気合いの乗った声と金色の光に吹き飛ばされた。

「フェイトちゃん!」

 なのはの呼びかけに応えず、フェイトは吹き飛ばした生物に対して突撃する。
 その手のバルディッシュはすでにザンバーモードに変形させてあり、バリアジャケットもソニックフォームになっている。
 体勢を立て直すよりも早く追いすがり、フェイトは大剣を兜割りの要領で振り下ろした。

「なっ!?」

 フェイトの顔が驚愕に染まる。
 渾身の一撃は甲殻を砕きはしたが、内側の肉に食い込んで刃は止まる。
 ここでなのはとの違いが出た。
 マガジンとリボルバーのリロード速度の違い。射撃と斬撃。
 フェイトにはなのはのようにゴリ押す術がなかった。
 結果、突撃の動きは完全に止まり、そこに鎌が横薙ぎに振られる。
 防御が薄くなっていたフェイトの身体に叩きつけられた。
 咄嗟に飛んでなのはが飛ばされたフェイトを受け止める。

「大丈夫? フェイトちゃん?」

 返事は呻き声だけで手にぬるりとした感触が流れた。
 見れば手は紅く染まっていた。
 頭がカッと熱くなる。レイジングハートを向けたところが先に相手が動いていた。
 上半身を伏せて、尻尾が持ち上がる。その姿にカマキリではなくサソリ化と認識を改めて警戒する。
 尻尾の先にある針が二つに割れ、その奥から紅玉が見えた。
 バチッ、空気が爆ぜる音と紅玉に紫電が走る。

『高エネルギーを感知、危険です』

 警告は分かっていてもなのはには何かをする術はなかった。
 全力の連装砲撃にカートリッジの過剰使用。
 なのはの身体とレイジングハートはもはや戦闘ができるものではなかった。
 それでもなけなしの魔力でシールドを張ろうとしても身体に走る痛みが集中力を奪って構成が遅く強度も頼りない。

「誰か……」

 このままでは自分はおろか腕の中のフェイトも、倒れたままのはやてもアルフもクロノ殺されてしまう。

「……誰か…………」

 ――ヴィータちゃん、シグナムさん、ザフィーラさん、シャマルさん、ユーノ君。

 願っても彼女たちは遠い場所にいて今の状況すら知らないだろう。
 ミッドの治安を守る地上部隊がいるはずなのに、それもまだ到着していない。
 助かる要素は一つもない。助けが来る気配もない。
 それでも誰かに願わずにはいられない。
 この目の前の理不尽からみんなを救ってほしいと。

「誰か……助けて!」

 叫び、襲いかかる衝撃に耐えるためフェイトの身体を抱きしめて目を瞑る。

 爆発が襲いかかる。しかし、それを思っていたほどのものではなかった。
 ゆっくりと目を開けると、そこには黒い背中があった。

「……お兄ちゃん」

 思わず言葉が漏れるがすぐに違うと気付いた。
 背格好は兄の恭也より一回り低いし、小さい。髪の色も黒ではない。手に持っているのも刀ではなく銃だ。
 それに何より彼がクラナガンに来れるはずない。

「誰……?」

「うーん、正義の味方かな?」

 何処かおどけた人の良さそうな声が返ってくるが振り返らない。

「あれは倒していいんだよね?」

「あ、はい。たぶん……でも――」

 注意を促そうとしてが、それよりも早く男の背中は見えなくなっていた。
 倒れそうな程の前傾姿勢からのダッシュ。
 足元の瓦礫などものともしないで一瞬で詰め寄るが、それに対する生物の反応も速かった。
 彼の接近に合わせて尻尾が横薙ぎに振られる。
 鞭のような尻尾と弾かれた瓦礫の散弾。
 彼は一瞬早く、道路に突き刺さった瓦礫を足場に高く跳んでそれらをかわした。
 そこから銃を向けて二発、轟音が鳴り響く。
 高圧縮された魔力弾だったが、それはなのはたちの魔法のように弾かれる。
 さらに一発。
 着地と同時の銃撃は今度は命中する。しかし、大きく身体を揺らすことになっても外殻に傷はなかった。

「ちっ……」

 すぐにその場から動く彼の足もとに雷撃が弾ける。

「君、大丈夫か!?」

 固唾を飲んで見守っていたなのはの肩を誰かが掴んだ。
 振り返るとそこには管理局共通のバリアジャケットをまとった男がいた。

「その子は……救護班、すぐに来い!」

 腕の中のフェイトを見るや、男はすぐに指示を飛ばす。
 見れば彼と同じ格好の魔導師たちがはやてたちを助けていた。
 なのはは今の状況を思い出して男に縋りつく。

「わたしは大丈夫です! それよりフェイトちゃんを……」

「大丈夫だ。必ず助ける。それより君も早くこの場から避難を」

「あの生き物魔法が効かなくて、近づいてもダメで、それで、それで」

「分かっている。あの生き物に関しての対処はある」

 その言葉に安堵して、力が抜ける。その拍子にフェイトを取られ、担架に乗せられる。

「あの……わたしを助けてくれたあの人は?」

 見れば徐々に戦闘は遠ざかっていく。

「あれは……誰だ?」

「え?」

 男からもれた言葉に虚をつかれる。
 てっきり、地上部隊の人かと思ったがそうではなかった。
 なら一体何者なのだろうか。そう思って注意深く観察してそれに気付いた。

「バリアジャケットを着てない」

 それに魔力反応は発砲の瞬間だけ。

「魔導師じゃない……」

「そんな馬鹿な! 魔導師でもない人間があれを倒したというのか!?」

 激昂する男が見ていたのは先ほどなのはが倒した生物。

「あ、そっちはわたしがやりました」

「な……なんだって!?」

 それはそれで驚愕の表情をされる。それに関しては追及しないでなのはは気になっていたことを尋ねる。

「あの生き物はなんですか? わたし管理外世界出身なんですけどミッドでは普通にいるものなんですか?」

「すまないが機密事項で多くのことはいえないんだ。簡単に言ってしまえばあれは魔導師、いや人類の天敵だ」

「天敵……」

「魔法、物理ともに防ぐ不可視の障壁。それを超えても頑強な甲殻に驚異的な生命力。さらには魔法ではない変換物質による攻撃」

 神妙に語る姿に相手の脅威の高さを感じさせる。それにその身を持ってその脅威を体感した。

「現状、もっとも有効な手立ては強力な凍結魔法による封印だけだ」

 だからこそ、単独撃破したなのはに驚いたのだろう。

「凍結魔法なら……」

「残念だが、デュランダルはアースラに置いてきてしまった」

 割り込んできたのはなのはが話題に出そうとしたクロノ本人だった。
 クロノの姿も痛々しく、頭から血を流している上に左腕はあらぬ方向に曲がっている。

「僕なら大丈夫だ。それよりあの生物について知っていること教えてくれ。これは執務官としての命令だ」

「……分かりました。では、こちらへ」

「彼女なら気にしなくていい、それより早く」

 なのはには聞かせられないという配慮を断ってクロノは急かす。

「あの生物は――」

「すまない。今は詳細よりも対処手段だったな」

 意識がはっきりしないのか頭を振って気を引き締めようとしている。

「凍結魔法しか効かないのか?」

「いえ、純粋魔法攻撃でも通用しますがSランク級の威力がなければ」

「現実的ではないな。近接もか?」

「多少ランクは落ちてもいけますが、あれの打撃を受けるのは」

「そうだな。食らってみて分かったがあれは見た目の割に重い」

 大きく深呼吸してクロノは男を見据える。

「凍結魔法の準備は?」

「あと十分ほどで完了します」

「……分かった。僕も時間稼ぎに回る」

「クロノ君!?」

 見るからに重傷な怪我で何を言い出すのか。なのはは思わず声を上げる。

「すまないがこの有様だ。後方支援に使ってくれていい。あと、時間がかかるがSランクの魔法もある」

 なのはは知らないが地上部隊には高ランクの魔導師は少ない。本来なら地上部隊が来た時点で任せるべきだし、彼らからも「海」の人間が出しゃばるなと思うだろうが、いざという時の手札を確保しておくことは重要だ。

「御協力、感謝します」

「ならわたしも……」

「君は立てないだろう?」

 指摘されてなのはは口をつぐむしかなかった。
 今、話しているだけでも身体に鈍い痛みを感じるし、レイジングハートもボロボロ。魔力もほとんどない。今の状態では砲台にもなれないと認めるしかなかった。

「それから、彼は一体何者なんだ?」

 クロノが視線を向けた先には会話中も生物の攻撃をかわして銃を撃ち続ける彼の姿がある。

「分かりません。見たところ魔導師ではないようですが……」

「あの動きでそれはありえないだろ」

 クロノもまた彼の気配からそれを感じて唸る。人間とは思えない動きで跳び回っているのに身体強化の気配もないのだから。

「ですが、彼がああして時間を稼いでくれているおかげで包囲も、凍結の準備も滞りなく進んでいます」

「……そうか」

 苦虫を噛んだ顔で呟いたところで、

 ギィエエエ!!!

 異形の悲鳴が響く。
 見れば片方の鎌が砕けていた。

「三十二発撃ってやっとか」

 気軽な様子に絶句するしかなかった。
 予備動作が感知できないから変換物質の攻撃の直撃を受けていた。
 見た目の割に重く、それでいて俊敏だったために大きなダメージを負った。
 AAAランクの斬撃でようやく傷がついた。
 魔弾を撃てる銃を持つ魔導師でもない人間がそれらを覆した。

「さて……」

 おもむろに彼は銃をホルスターも収めた。

「な、何をやっているんだ君は!」

 思わずクロノは叫んだ。
 彼が何者かわからなくても、今のところ優勢にことを進めている。なのに有効な攻撃手段をしまうなんて理解できない行動だった。
 しかし、彼が代わりに取り出したのは三十センチほどの一本の棒。
 そして、そこから青い魔力の刃が現れた。

「斬るつもりか。でも、あんな細い刃で」

 クロノの懸念になのはも同じ感想を抱く。
 フェイトのザンバーやシグナムのレヴァンティンと比べてその刃はとても細い。
 彼が動く。
 砕いた鎌の方にから回り込み、足に向かって刃を振り下ろす。
 刃は振り抜かれることなく、受け止められた。
 一縷の希望を抱いたが叶わなかった。
 彼はすぐに距離をとって反撃をかわす。

「まさか、さっきと同じことを」

 なのはの呟きにクロノも地上部隊の男も応えずに彼の姿に見入っていた。
 彼は縦横無尽に跳び回る。
 魔導師のような派手さはないが無駄がなく、まるで踊るように。
 その間にも何度も剣を振られるが一つとして刃は通らない。

「凍結魔法の準備は!?」

「あと少しで……」

 膠着していると察してクロノが声を上げる。

「よし。なら――」

 彼に念話で話しかけようとした瞬間、尻尾が地面に叩きつけられた。
 直撃しなかったものその衝撃を受けて、彼の身体は宙を舞った。

「まずい」

 彼に追撃をかわす手段がない。誰もが息を飲んだ。
 しかし、彼は自分と一緒に舞ったひと際大きい瓦礫に着地して跳んだ。
 しかも跳んだ先は振り戻された尻尾の上。
 そして、凶悪な尻尾が宙を舞った。

「なっ!」

 それを見ていた者たちは言葉を失った。そして次に起きた惨状に開いた口は閉じることができなかった。
 尻尾を斬り飛ばした彼は次に何の抵抗もなく足を斬り落とす。
 転び、もだえる異形を前に彼は剣を腰に添えて、抜刀の要領で振り抜いた。
 一瞬遅れた、異形の頭は両断され、崩れ落ちた。
 静寂が満ちた。
 誰もが自分の目を疑った。
 Sランク級の魔法しか効果がない相手を大した魔力を有しているとは思えない刃で軽々と両断した。
 地上部隊はこの手の生物に今まで凍結封印するしかなかったのに。
 ニアSランクの魔導師たちが四人で惨敗したのに。
 魔導師ではない彼はその身一つで全てを覆した。

「デタラメな……」

 人の気も知らずに呑気に悠々と歩いてくる彼の姿に誰かが呟く。
 黒いコートに線の細い身体。中性的な顔立ちは少女にも見えるが男性だろう。背の高さはクロノの少し上くらいだから十七か八くらいに見える。
 ふと、なのはは既視感を感じた。
 どこかで見たことがある顔立ち。当然、間違えた兄のものではない。むしろ恭也と似てる部分なんてない。
 男性の交友関係はほとんどないのに何故か感じるものに首を傾げるが、答えは結局出てこなかった。

「君はいったい何者だ」

 声をかけるのも憚られる中で近付いてきた彼にクロノが尋ねた。

「僕の名前はソラ。まあ、いわゆる「何でも屋」、になる予定の剣士兼銃使いだ。よろしく」

 それが彼とわたしたちの出会いでした。
 そして、彼と出会ったことで変わる日常をわたしたちはまだ知りませんでした。







[17103] 第二話 勧誘
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:7ccb8864
Date: 2010/06/28 22:14

「この「生物」が我々の前に姿を現したのは半年前――」

 空間モニターに映し出されたのは先日交戦した未知の生命体に類似した生物だった。
 地上本部の会議室の一室、そこにはクロノの他にはリンディとエイミィ。そしてソラと名乗った少年が並んで座っていた。
 彼らを前にして陸上警備隊アキ・カノウ陸上二佐は説明を始める。

「発生原因は不明ですが、体内でAAランク相当の力を体内の器官で生成。「餌」の捕獲や外敵への攻撃を行います」

 次々に映し出される類似体の魔獣にクロノは顔をしかめ、吊った左腕を抑える。

「解明できてはいませんが、奴らの持つ力は強力な上に魔法としての予備動作はもちろん魔力反応もありません」

 それ故に従来の魔獣討伐のマニュアルに乗っ取ることができないことを付け加えて、空間モニターを操作する。
 変わった映像は、生物を中心に地面が陥没し効果範囲にいた魔導師がなすすべなく巻き込まれるもの。隣に表示されている魔力を測定する波形は動いていない。
 効果だけ見れば重力系の魔法を使っていると思えるが、それを違うとデータが証明している。
 さらに増える画面には火炎、凍結、雷撃、空気の圧縮弾などというものもある。しかしどれも魔力反応はない。

「この映像は初の遭遇戦のものですが、この「対象」を停止させるまでの警備隊の損失は甚大で遭遇した一部隊は壊滅。
 94、95、96の三部隊を殲滅のために投入した結果、交戦時間10時間35分。負傷者36名。死者11名の犠牲の末に撃破しました」

 暴れ回る魔獣。
 振るわれる触手はたやすくシールドを砕き人をゴミのように吹き飛ばす。
 集中砲火を受けてもものともせず、人に襲いかかってそのままかぶりつく。
 音声が切られているが、凄惨な光景は気分がいいものではない。

「奴らは魔法を弾くフィールドを形成する特徴を持ち、なおかつ堅い外殻。これらを全て突き破り致命傷を与えるにはSランクの攻撃魔法が必要となります」

「厄介ね。Sランクの魔法は威力は高いけど効果範囲も広くなってしまう」

「その通りです」

 リンディの言葉に頷き、アキはそのSランク魔法で倒しただろう痕跡の画像を浮かべる。

「さらに付け加えるなら再生能力が尋常ではなく、裂傷はもちろん切り落とした足や触手も時間を置けば復元します」

「とんでもないわね」

「これまでは幸いなことに人のいない地区で発見、対処できましたが今回のような都市部に現れるケースは初めてです」

 上空ならともかく地上では周辺の被害を考えると大きな魔法は使えなくなってしまう。
 なのはが撃った連装砲撃はそういった面ではとても危険なものだった。幸いフィールドと相殺されてビル一つの大穴だけですんだが。

「奴らを他の魔獣と見分ける特徴はリンカーコアがないという点です」

「確かに形状そのものは魔獣とそれほど大差はないようね」

「リンカーコアを持たない生物か……」

「ええ、本来ならどんな生物にも必ずリンカーコアを持っているはずなのですが奴らには確認されていません」

 しかし、そう付け加えて表示されたのはらせん状の映像に細胞組織。

「その代わり奴らの身体の組成は従来の生物とはまったく違います」

 とは言われても遺伝子工学を知らないクロノ達には首を傾げるしかなかった。

「この体細胞は次元世界の生物において初めて確認されたものです」

「その細胞についての資料はないのね?」

「ええ、これまで回収できたサンプルは損傷が激しくデータを取ることはできませんでした」

 ですが、若干興奮した様子でアキは声を荒げて続ける。

「ですが! 今回、回収できたサンプルを調べれば何かがわかるでしょう」

 言われて、ずっと無言でいるソラに視線が集まる。
 彼は会議室に入るなり、何かをずっと考えていた。
 これまでの説明もおそらくは聞いてないだろう。
 これが局員なら叱責を受けるが、彼は民間人。まあ、それでも失礼には変わりないがそれをアキが指摘しないから誰も何も言わない。
 閑話休題。

「鉱物、燃料、電気、動物、植物、魔力――奴らの好む餌は個体差がありますが、その食害と他の生物に対する攻撃性は十分に「人類の天敵」とたりえると断定できます」

「対処手段は高ランク魔法の他に凍結魔法しかないと聞きましたが?」

「現状確認されている対処手段は三つあります」

 一つ目は高ランク魔法によるオーバーキル。
 二つ目は長時間の戦闘による疲弊を誘ってフィールドを弱体化させ殲滅する方法。

「三つ目の凍結処理は奴らの足を物理的に止め生体活動を弱体化させることができるため有効な手段となっています」

「高ランク魔導師を呼び出すことと周辺被害の考慮、それが一つ目の問題ね」

「二つ目は戦闘時間だ。10時間もあれを相手にするのは危険すぎる」

「凍結魔法は儀式魔法になりますが、他のプランよりも建設的で今まではそれで対処してきました」

「凍結した後はどうするのかしら?」

「完全凍結させ、破砕します。時間を置くと極低温に対応し活動を再開しました」

「とんでもない生物ね」

 もはや呆れるしかなかった。リンディは資料を置いてすっかり冷めてしまったお茶を飲む。

「我々はこの異常遺伝子保有生物を『G』と呼称しています」

 アキはそのままソラを、そしてクロノを見てから言った。

「そして私はこの『G』に対処するための特別組織を立ち上げたいと思っています」

「そこにうちのクロノを引き込みたいと?」

「その通りです。氷結の杖デュランダルを持つ彼にはぜひ来てもらいたい」

 地上本部の司令自ら海の人間に説明をしたのはこういうことかとリンディは理解した。

「本来ならもう少し明確な資料を用意した上で要請するつもりでしたが、貴方も奴らの脅威は身を持って体感したはずです」

「ああ。その通りだ」

 クロノにしても頷くしかなかった。
 情報がなかったから怪我をしたなどという言い訳をするつもりはない。情報があったとしてもあの時の自分はデュランダルを持っていなかったのだから大したことはできなかったはずだ。
 それを差し引いてもあの場には高ランクの魔導師が四人に使い魔もいた。なのはが一体を倒したものの二体目が現れた時点で自分たちの負けだった。
 そして、高ランクの魔導師たちの結果を覆す者が目の前にいる。
 彼も予備知識はまったくなかった。にも関わらず彼はそんなとんでもない生物に単体で圧勝した。

「えっと……何か?」

 視線が集まると思考を中断してソラは聞き返した。

「話は聞いていましたか?」

「部隊を作りたいんですよね? 勝手に作ればいいじゃないですか」

 なんで自分に断りをいれる必要があるのか首を傾げるソラに一同は溜息を吐きたくなる。

「できれば君にもその部隊に加わってもらいたい」

「いやです」

 にべもなく言い切った。

「理由を聞いても?」

 思わず口を挟もうとしたクロノはアキの落ち着いた声に言葉を飲み込む。

「僕は管理局員ではありません。それに加えて魔導師ではありません」

「理解している。だが、戦闘能力は十分だと認めている」

「そちらは圧勝したように見えているのかもしれない……ませんが、結構ギリギリだったんですよ」

「ほう、どのあたりが? それと言葉使いは気にしなくていい」

「全部、あれはサイキック能力でしょ? あんなのと戦うシュミレートなんてしてないから。刃が通ったのも銃が効いたのも運がよかっただけなんだけど」

「待ってくれ? サイキック能力、なんだそれは?」

「……もしかして墓穴掘った?」

 聞いてくるソラにクロノは無言で頷いた。

「知ってること全て教えてもらえるかな?」

「知っているというか推測ですよ。能力の気配が……友達に似ていたんです」

「その友達は今どこに?」

「知ってどうするつもりですか?」

 ソラの言葉に威圧感が増す。

「彼女に手を出すなら僕は躊躇わずに貴方達と戦いますよ」

 本気の敵意にクロノは思わず立ち上がってS2Uを起動する。だが、そこまでで動けなくなった。
 明らかに後に動いたはずだったのに、クロノの喉元にはすでに魔力の刃が突き付けられていた。

「クロノ!?」

 次に悲鳴を上げたリンディには銃口を。

「さあ、どうする?」

 挑発するように尋ねるソラ。そこには先ほどまでの人の良さそうな柔和な笑みはなく、無機質な能面のような顔があった。

「分かった。その子のことについては聞かないし詮索もしない」

 だから武器を収めてくれ。両手を上げてアキは降参する。
 言われた通り、武器を収めるソラ。クロノは警戒心を強くするがアキの視線でデバイスを待機状態に戻して椅子に座り直す。

「まあ、もう十二年も音信不通にしてたからどうしているか知らないですけどね」

 その言葉にバランスを崩してクロノは派手に転んだ。

「き、君は!」

 顔を真っ赤にして起き上がるクロノにソラはへらへらとしまらない顔を返す。

「クロノ執務官、落ち着いて」

「ですが!」

「落ち着けと言っている」

 静かで強い口調にクロノは口をつぐんだ。

「話を戻すが、君が言っているサイキック能力とは何かな?」

「魔法とは別形態の進化した能力って聞いた。体内エネルギーをこっちでいう変換物質として操作したりできるみたい。でも……」

「でも?」

「そこの世界の子はまだ進化の初期段階的な突然変異種みたいなものらしいから、それほど大きな力は使えなかったはず」

「なるほど、別の進化形態か」

「僕も十二年前に少し聞いた程度だからそれ以上は知らないよ」

「いや、有益な情報だった。それでは――」

「いやです」

 今度は言わせずに拒絶した。
 ここから白熱した論争がクロノたちの目の前で交わされる。

 曰く、管理局は好きじゃないし。団体行動はしたことがない。
 したことがなければ、是非とも試してみればいい。いい経験になるはずだ。
 曰く、「何でも屋」としての仕事がある。
 ならば、「何でも屋」として君を雇う。
 曰く、仕事とは別に探している物と探している人がいるから長期間拘束されるわけにはいかない。
 管理局が全面的に協力する。作戦行動時以外の自由は約束する。
 曰く、自分は命を狙われている。
 管理局に入れば身の安全は保障される。

「ああ、もう!」

 先に根を上げたのはソラの方だった。

「僕はね、お前は死ねって管理局に追い掛け回されたことがあるんだ。だから絶対に管理局には入らない」

「追い掛け回されたって、まさか次元犯罪者!?」

 流石にこのカミングアウトには傍観を決め込んでいたクロノは口を挟んだ。

「そうらしいね」

「らしいねって」

 軽い答えに毒気を抜かれてしまう。

「……君は一体何をしたんだ?」

「さあ?」

「馬鹿にしているのか!?」

「追い回したの君たちだよ。僕はただ言われるがままに逃げて戦っていただけだ」

 だから、僕は何で狙われていたのかなんて知らない。
 淡々と他人事のように語るソラに不気味さを感じる。そもそも、管理局内でこんなことを言い出す時点で正気の沙汰とは思えない。

「その時、人も殺した。僕を恨んでいる人は管理局の中にはたくさんいるはずだ」

 だから、僕は貴方達に協力できない。深く関わることは自分の首を絞めることになるから。

「……ならどうして話したの?」

「話さなければいつまで経っても放してくれないでしょ?」

「ここで私たちが貴方を捕まえるとは思っていないの?」

「その時は逃げます。怪我人が出ても責任は負いませんよ」

 険悪な空気が徐々に大きくなっていく。
 そんな中でアキは徐に口を開いた。

「はっきり言わせてもらうが」

「はい?」
 思いのほか、強い言葉を発するアキ。

「君の経歴はこの際どうだっていい」

「え?」

「どうだってよくないでしょ!」

「ならばクロノ執務官。今すぐに『G』に対抗する手段を提示できるか?」

「それは……」

「私たちには手段を選んでいる時間はない。奴らがいつまた都市部に出現するか分からない以上使える戦力はなんであっても確保しておくべきなんだ」

「えっと、でも僕は次元犯罪者で……ほら次元犯罪って時効はないんでしょ?」

「話を聞いた限り情緒酌量の余地は十二分にある。私も全力を持って君を擁護する。それに実績を積んでおけば無罪を勝ち取る良い材料にもなる」

「あ、あれ? え、どうして」

 予想外の返しに大いに戸惑うソラ。
 クロノ達に視線を向けて助けを求める姿は何か間違っている気がする。

「無理ね。そうなったアキは止められないわ」

「いや、だって僕は人殺しですよ。ばれたらやばいでしょ?」

 放置を決めたリンディにソラは足掻く。

「私の汚名など気にしなくていい。それに今の君の人柄に問題はあまりない」

 さらにアキは退路を塞ぐ。

「アキがそれでいいならもう何も言わないし、ここで聞いたことも他言しないと約束するけど」

 これだけは聞かせてとリンディは真剣な眼差しでソラを正面から見据える。

「貴方は今も人を殺したいと思っているの? 自分を追い回した局員を恨んでいないの?」

「僕は……」

 リンディの眼差しから視線を逸らし、うつむく。

「……誰も殺したくなんてなかった」

 絞り出された言葉に、リンディは「そう」と満足したように頷いた。

「君には管理局に関わることは針のむしろだということは重々に理解している」

 それでも、勢いよく頭を下げるアキ。言えば土下座までしかねない勢いにソラはたじろぐ。

「頼む! ミッドの、数多の次元世界を守るために君の力を貸してくれ」

 そして恥も外聞もかなぐり捨てて叫ぶ。

「私は君が欲しいっ!」



「あんな情熱的なアキは初めて見たわ」

 ソラが退室し、それにクロノ、エイミィが続いて室内にはアキとリンディの二人だけになった。

「……言うな」

 顔を羞恥で赤く染めてアキは顔を逸らす。

「恥ずかしがらなくてもいいじゃない。すごい告白だったわよ。レティにも見せてあげたかったわ」

「言うなよ絶対に!」

 士官学校時代、言い寄る男を全て撃沈した女とは思えないうろたえぶりにリンディは思わず出る笑みを隠しきれなかった。もう少しいじりたいが、それを我慢して口元を引き締め要件を切り出す。

「彼を引き込むこと、本気なの?」

「先ほど言った言葉に嘘偽りはない」

「危険よ」

「リンディ、君から見て彼はどうだ?」

 それは難しい質問だと考え込んだ。
 何の損得も考えずになのはたちを助けたことから悪い人間ではない。
 行動は基本的に行き当たりばったりで計画性はない。
 自分が不利になることをいとわずに他人を気遣う様は危うく見えるし、駆け引きというものを知らないとも分かる。
 そして、大切な人に対する正しい気持ちも持っているが、反面に彼が人殺しと称した冷酷な部分もある。

「多少、歪んではいるけど壊れてはいないわね」

「私も同じようなものだ。少なくても悪人には見えない」

「彼の話を鵜呑みにするのは危険よ」

「分かっている。彼が関わった次元犯罪のことを調べてくれるか? 私は別方面から素性を洗う」

「ええ。……あまり気負い過ぎないでね」

「肝に銘じておく。もうあんな恥ずかしい真似は御免だ」

 不覚だと俯くアキにリンディは先程の光景を思い出して笑みを浮かべた。





あとがき
 第二話をお送りしました。
 まだ、準備段階の話なので盛り上がりませんし、原作キャラとの関わりも薄いです。
 次の話から、からませていくことになります。

 ちなみに「G」のネタは分かる人はいるのでしょうか?
 多少アレンジしているけど、ほとんどそのままにしています。
 もちろん、バイオではありません。

 では、今回はこれくらいで失礼します。





[17103] 第三話 転機
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/07/09 21:31

「こんなことになって本当にごめんなさい」

「そんなレティ提督のせいじゃあらへんって」

「そうですよ。あんなのが出てくるなんて誰も思いませんよ」

「っていうか、謝るのはなんにものできずにやられちまったあたしの方だよ」

「そんなアルフは悪くないよ」

 病室に入ってきたレティは挨拶もそこそこに頭を下げた。
 今回の負傷を旅行を企画した自分たちの責任だと感じて謝りに来たレティになのはたちは恐縮する。

「それよりもあれはいったい何だったんですか?」

「あーそれはわたしも気になる」

 なのはとはやての言葉。フェイトも無言ながらも目は二人と同じことを言っている。

「あれは近頃、ミッドに現れ始めた新種の魔獣よ」

 ある程度話すつもりで来ていたレティは簡単に説明する。

「簡単に言ってしまえば魔法の効かない魔獣よ」

 要約してしまえばこの一言に尽きる。そして、魔導師にとってはそれだけで脅威になる存在だった。

「そんな魔獣がいたなんて」

「知らないのも無理ないわ。混乱の元になるから情報規制をしていたし、シグナムたちにも口止めしといたから」

「シグナムたちも戦ったことがあるんですか?」

「ええ、シグナムとヴィータの二人でだいぶ苦戦していたわ」

 その二人を苦戦させるほどの生き物が何体も存在していることになのはたちは押し黙ってしまう。

「今回の一件でもう隠し通せるものではなくなってしまったと思うわ」

 レティが言葉を紡ぐたびになのはたちは口数を減らしてします。

「気にしなくていいわよ。あなたたちのせいじゃないんだから」

「でも――」

「むしろよくやってくれたわ。単独で奴らを撃破したのはなのはちゃんが初めてだから。すごかったわよ。あの二連砲撃」

「そ、そんなことないですよ」

 わたわたと手を振って謙遜するなのは。
 それに対して、

「二連射ディバインバスター。あかん極悪や」

「なのは、カートリッジを付けてから過激になっている気がする」

「そんなことないよ二人とも!」

 呆れるはやてとフェイトに頬を膨らませて抗議する。

「でも、あまり無茶はしないでよなのは」

「うん。心配してくれてありがとフェイトちゃん」

「……こほん。でも安心していいと思うわ。きっと近いうちに対抗策ができるはずだから」

「魔法効かんのに?」

「ええ、なのはさんは知っていると思うけど――」

「ソラさんのことですよね」

「今、この件の担当とリンディたちが彼から話を聞いているわ。まず間違いなく引き込むわね」

 断定の言葉に眼鏡の奥の目があやしく光る。

「ソラっていう人はそんなにすごいんの?」

「うん。あの後もう一体出てきたんだけど一人で倒しちゃったの」

「あれを一人で?」

「うん。銃とそれから剣でズバッと」

「ズバッと……」

 その表現にフェイトが食いついた。

「斬っちゃったの? すごく堅かったよ?」

「うん、もう本当にすごかったんだよ」

 レイジングハートに記録映像を出してもらおうと思ったが、手元にないことを思い出す。
 無理な砲撃はなのはの身体にも負担がかかり、レイジングハートもそれは同じでオーバーホールすることになってしまった。
 三人の容体は実のところなのはが一番の重傷と言えた。
 身体の怪我は大したことはなかったが、自身が撃った砲撃の反動の方が深刻で一週間の魔法行使の禁止を言い渡されるほど。
 それに引き換えてフェイトは肋骨を何本か折られはしたが魔法の治療ですでに完治している。
 はやてにいたっては不意の攻撃で気絶してしまっただけで怪我らしい怪我はしていなかったりする。

「バルディッシュ、昨日の戦闘映像出せる?」

『イエス・サー』

 フェイトの指示で浮かび上がる空間モニター。

「ふあー」

「……すごい」

「へぇ」

「っていうかこいつ魔導師じゃないんだよね?」

 始めてソラが戦う場面を見た四人はそれぞれ驚きをあらわにする。
 それは当然だろう。
 自分たち高ランクの魔導師でも歯が立たなかった相手に銃と剣を手に立ち向かう姿は蛮勇としか思えない。
 レティはその辺りを踏まえて感心と呆れを混ぜた顔をしているが、フェイト達は純粋にその勇気に憧憬を感じた目をしている。

「あっ……」

 不意にはやてが声を上げた。

「どうしたの?」

「レティ提督、もしかしてこのことうちの子たちにもー話してもうた?」

「シグナムたちに? そういえば忘れていたわね」

「せやったら、できれば言わんといてくれます?」

「でも……はやてちゃんも危なかったわけだし」

「今こうして無事ですから。あんまりみんなに心配かけとーないし」

 ただでさえ今は保護観察中の身。みんなが自由にできる時間は少ないし、今回のはやての旅行のためにその少ない時間をさらに削ったことは言われなくてもはやては気付いていた。
 そこに今回の事件のことが知られれば過保護な彼女たちのことだ、戦力差や対抗策なんて関係なしにこの種の生命体を探し出して駆逐しかねない。
 はやてとしてはそんな危険なまねはしてほしくはない。それにあっさりと気絶させられましたと告げるのは彼女たちの王として少し情けなさを感じてしまう。

「確かに、シグナムたちならやりかねないわね」

 そうなった時の反応を想像してレティは青ざめる。
 できるできないではなく、彼女たちはやる。
 彼女たちの実力は分かっていても、この常識の通用しない相手には無事で済むとは到底思えない。

「そうね。言わない方がいいでしょ」

 そう納得し、なのはたちにも言い含めたところでドアがノックされた。

「クロノだ、入ってもいいか?」

「どうぞ」

 返事を待って入ってきたクロノの姿に一同は驚く。
 左腕を吊り、頭には包帯。ベッドに横になっている自分たちよりも重傷な姿になのはたちは何かを言おうとして彼の後ろにいる人物に気付いてその言葉を飲み込んだ。
 クロノよりも頭一つ大きい身長。よれた黒いロングコートを着た青年。

「ソラさん」

「ああ元気そうでなにより、ええっと……」

「なのはだよ。高町なのは、なのはって呼んで?」

「了解」

 相変わらずの人の良さそうな顔でなのはの言葉にソラは頷く。

「それで、あのやっぱりソラさんは魔導師じゃないんですか!?」

「え……まあ僕は魔法は使えないけど」

「じゃあ、あの銃とか剣はなんなの?」

 矢継ぎ早の質問にソラはたじろぐ。

「こらこら、なのはちゃん落ちいてな。ソラさんが困っとるよ」

 興奮するなのはをはやてが止める。

「あ、ごめんなさい」

「いやもう慣れたよ」

 頭を下げるなのはにソラは肩を落とす。その質問はすでにクロノ達にされているのだろう。

「えっと、わたしは八神はやていいます」

「私はフェイト・テスタロッサ……ハラオウンです。助けてくれてありがとうございました」

「あたしはフェイトの使い魔のアルフっていうんだよ」

「レティ・ロウランです。この度は――、どうかしましたか?」

 突然凍りついたように固まったソラにレティは首を傾げた。

「すみません。もう一度言ってもらえますか?」

 耳をほじって聞き返す。そんなソラに一同はさらに首を傾げる。

「八神はやてです」

「フェイト・テスタロッサ・ハラオウンです」

「アルフだよ」

「レティ・ロウランです」

「……もう一度」

「八神はやてです」

「フェイト・テスタロッサ・ハラオウンです」

「アルフだよ」

「レティ・ロウランです」

「あ、あの高町――」

「なのははいい」

「むぅ……」

 素気なく扱われてなのはは頬を膨らませる。

「……て、まさか……いや、それよりも…………ろ」

 怒るなのはを気にせずソラは顔を押さえて俯く。表情がうかがえず、呟く言葉も聞き取れない。

「おい、どうし――」

 クロノが声をかけようとしたところでソラは顔を上げた。
 しかし、そこには先程までの柔和な笑みはなく、底冷えのする鋭く冷たい目があった。

「まさか、こんなに早く見つかるとは思っていなかったよ」

 言葉もそれに伴った鋭利なもの。
 それを向けられたのはフェイトだった。
 向けられた冷たい言葉にフェイトは身をすくませる。

「フェイト・テスタロッサ」
 ソラは彼女の名を呼んで、告げた。

「プレシア・テスタロッサが死んだ」

 すぐにその言葉の意味を理解できたものはいなかった。
 それは言われたフェイトだけでなく、そばにいたなのはたちも。
 予想もしなかった人物の名を、突然現れた男が彼女の死を伝えに来た。

「……母さんが……死んだ」

 元々、生存は絶望視されていたが改めて突き付けられると忘れていた痛みが胸の中でうずく。

「あんたは!? そんなことをわざわざ!!」

 アルフがソラに牙を剥く。
 そんな分かり切ったことを突き付け、無用に傷付けることは許さない。アルフだけでなく他のみんなもソラを睨みつける。それを意に介さずにソラは続ける。

「死んだのは一ヶ月前」

 また、思考が止まる。
 PT事件はもう一年前の出来事。それなのにソラはついこの間にプレシアが死んだと告げる。

「君は……まさかアルハザードからの帰還者なのか?」

「あそこはそんな所じゃないよ。何もない、何処にもいけない場所。僕たちは狭間の空間って呼んでいたけど」

「あ……あの本当に母さんと会ったんですか?」

「会った」

 端的な言葉にフェイトは何を聞くべきか迷った。
 彼が自分に話しているをしているのだから、プレシアはフェイトのことを話したのだろう。それだけでも嬉しく感じる。

 ――何を話したのだろうか。

 自分を嫌っていることだろうか。それでも構わない。
 アリシアはどうなったのだろうか。母さんの願いは叶ったのだろうか。
 死んだということは病気、治らなかったんだ。

「母さんは――」

「僕が殺した」

 その一言が、胸に感じた熱は一瞬で凍りつかせた。

「ころ……した?」

 ――意味が分からない。母さんは病気で死んだんじゃないの?

 知らずの内にフェイトの身体は震え出す。

「プレシアは止まることで君のことを振り返って、後悔していた」

 それは何よりも嬉しいことのはずなのに、

「でも、僕が殺した」

 目の前の男はそれを全て踏みにじる様に淡々と告げる。
 そして、念を押すようにもう一度繰り返す。

 ――いやだ。聞きたくない。咄嗟に耳を塞いでも彼の言葉を追い出すことはできなかった

「プレシア・テスタロッサは僕が殺した」




[17103] 第四話 試合
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/07/09 21:34

「どうして許可を出したんですかカノウ二佐!?」

「二人の要望があったからだ」

 いきり立つクロノにアキは素気なく答える。
 クロノが抗議しているのはこれから行われるソラの実力を見るための模擬戦闘。彼の実力を計ることには異論はないが、問題はその相手だった。

「ですから何故と聞いているんです!? よりにもよってあいつとフェイトの模擬戦なんて」

「同じことを言わせるな。彼女から進言され、彼が了承した。それだけの話だ」

「それだけで済むはずがないでしょ!」

 母を殺された者と殺した者。殺された者が戦いたいと言ったなら考えられることは一つしかない。

「報告は聞いている。それで?」

「それでって……」

「私たちは彼が人殺しだということを納得した。それがたまたま予想しなかった身近な人間だった」

「だからって、こんな私闘みたいなこと」

「私は彼なりの考えがあってだと思うが」

 冷静になれと促され、クロノは病室での出来事を反芻する。
 確かにあの時の豹変は少しあからさま過ぎておかしく思える。

「少なくても私は彼が無暗に人を殺す人間ではないと判断したから引き入れた」

「ですが、それは彼が行った次元犯罪のことで……プレシアを殺したのは一カ月前なんですよ」

「それを何故フェイト・テスタロッサに告げた?」

 聞き返されて返答に詰まる。

「彼がそれを話すメリットなんて一つもなかったはずだ」

「それは……そうですが」

「それに言い出した彼女の方が君よりも冷静だったぞ」

「……フェイトは何と?」

「『聞きたいことがある。でも、うまく言葉にできないから全力でぶつかってみる』だそうだ」

 まるで熱血漫画だと苦笑するアキにクロノは頭を抱えたくなる。
 全力でぶつかって分かり合った経験からの行動なのだろうが、それを今後実践されるのはどうかと思う。

「すっかり兄だな」

「ほっといてください」

 苦悩するクロノにアキは意味ありげの笑みを向ける。

「一応、言い含めてあるからそこまで心配するな」

「……分かりました」

 憮然とクロノは空間モニターを見上げる。
 陸士の実戦訓練施設。直径三キロメートルのグラウンド。遮蔽物はなし。フェイトの利点の機動力が存分に生かせるフィールドだ。

「どっちが勝つと思う?」

 アキがそこにいる者達に向かって投げかける。
 そこにいるのはおおよそいつものメンツ。
 リンディとレティ。計器のチェックをしているエイミィに先程まで口論していたクロノ。そしてフェイトを心配するなのはとはやて、そしてアルフ。
 あの病室での一件からすでに一週間が経っている。
 なのはたちは無事に旅行は終わったと一旦家に帰り、それから理由をつけてミッドに戻ってきた。

「そんなのフェイトが勝つにきまってんだろ」

 アルフの言葉に誰も異を唱えたりはしない。
 ソラは「G」を撃退できたかもしれないが、「G」は魔導師の天敵ともいえる能力を持ったいたにすぎない。いうなれば相性の問題だ。
 魔導師と非魔導師の相性の問題など存在しない。
 攻撃力、機動力、防御力に射程、利便性。
 全てにおいて魔導師が上回っているのだから。低ランクの魔導師ならいざ知らず、高ランクの魔導師を生身で渡り合うのは到底不可能なことだ。

「ソラのあの武器は?」

 一つの懸念は「G」の甲殻を斬り裂き、砕いた剣と銃の存在だ。

「剣はBランク相当の魔力の刃を作るもの。銃は直射専用、威力Cランク、弾速Aランク相当。どちらも非殺傷設定に切り替えられる武器だよ」

 この手の武器は普通に出回っている。痴漢撃退用の防犯グッズなど魔導師でなくても使える非殺傷性の道具として。ソラの武器はそれを過剰な改造をしたものと考えていい。
 攻撃力と射程は誤魔化すことができるかもしれないが、速さを身上とするフェイトを捉えられるのかが問題になる。
 「G」との戦闘映像を見てもソラは魔導師の観点からすれば速いとは決していえない。

「おそらくは陸戦のAランクほどの評価になると思います」

 クロノの評価に誰も意を唱えはしない。そこにいる誰もがフェイトの勝利を疑っておらず、むしろ圧倒的な力差の相手にソラがどんな立ち回りするのかが気になっている。

「ところでリンディ。彼が関わっていた事件について何か分かったか?」

「いいえ、さっぱりね。過去の未解決事件、出所履歴、その他探してみたけどまったくないわ」

「そちらもか」

「というと……」

「ああ、彼の遺伝子情報から親族を探そうとしたんだが該当はなし。出生登録にもない。いわばこの世には存在しない人間のようだ」

「そうなると管理外世界の出身かしらね?」

「その可能性は低いと思うんだが」

 あの時の会議室での会話にソラはいくつもの失言をしていた。
 十二年前から音信不通、そこの世界の子。
 そういった言葉から次元犯罪は十二年前のこと。
 他世界との交流があり、向こう側と認知していること。
 素性などを知られないようにしているが、そういったボロが彼の交渉力の低さを示しているがそれをわざわざ指摘したりはしない。
 もちろん、彼が意図的に誤情報を流しているかもしれないが、それを踏まえて調べても彼にまつわる情報は全く出てこなかった。

「嫌な予感がするな」

「ええ、そうね」

 呟くアキにリンディは頷き、モニターの向こうの彼の姿を見る。
 開始の合図のブザーが鳴り響き、彼は動いた。



 目の前には母さんを殺した男がいる。
 そう聞かされた時は動揺したが、正直今はその実感が湧かない。
 それは仕方がないことだとフェイトは思う。
 彼、ソラは何一つ知らない会ったばかりの他人。
 母さんとどんな関係だったのか。
 アルハザードには辿り着けなかったのだからアリシアを生き返らせることできなかったのだろう。
 絶望の果ての母さんの姿を想像するだけで心が痛む。
 そんな母さんを前にこの人は何を感じたんだろう。

「意外だな」

「何がですか?」

「もっと怒りをぶつけてくると思っていたんだけど」

 不思議そうにするソラにフェイトは自分でも意外と落ち着いていることを自覚する。

「母さんの仇! っていう感じに」

「……本当に母さんを殺したんですか?」

「ああ。僕は嘘は言わない」

 即答された。それでも不思議と怒りは湧いてこない。

「理由を聞いても?」

「知る必要はない」

「……ならわたしが勝ったら全部教えてください」

 返答はない。鋭い目が探る様な見る。それを真っ直ぐ見返して続ける。

「知りたいんです。母さんのこと」

「後悔することになるぞ」

「きっと……泣くと思います」

 それでも、と目を瞑ると自分のことを心配してくれている親友たちや家族の姿が思い浮かぶ。

「でも、わたしは一人じゃないから乗り越えられる……と思います」

 自信がなかった。それは本心だった。
 ソラは目を瞑ってフェイトの言葉を反芻する。

「そうだね……君は僕とは違うんだ。なら大丈夫なのかもしれないね」

 呟かれた言葉には温かさがあった。そして鋭く細められていた目は柔らかなものに変わる。

 ――これが彼の本当の姿なんだ。

 納得して気付く。変わった目付き、それでも変わらない眼の光はかつての自分やシグナムたちがしていた信念を持つ目だ。
 だから、自分は彼を憎むことができなかったのだろう。

「いいよ。教えてあげるよ。僕に勝ったら全部、彼女のこと、アリシアのことも含めて全部」

「はい!」

 フェイトはバルディッシュを構え、ソラは魔力の刃を構える。
 そして、開始の合図と同時に動く。
 互いに疾走し、交差し駆け抜ける。
 互いの一撃は相殺される。

『ブリッツアクション』

 次の手はフェイトが取る。
 瞬時の加速。向き直ったソラの背後を取る。
 一閃。
 無防備な背中に向けて横薙ぎの斬撃は目標を失って空を切る。
 不意に陰った視界から咄嗟に前に飛ぶ。
 兜割りの斬り下ろされた刃がフェイトの髪をわずかに散らせる。
 背後を取り返したソラは追撃に距離を詰める。

『ラウンドシールド』

 二人の間を阻む円形の盾。
 これで受け止めてその間に体勢を治す。
 その後の戦闘構築をするフェイトに対して、ソラが微塵の躊躇いもなく剣を振り抜いた。

「……え?」

 何の抵抗もなく盾に刃が食い込み、そのまま速度さえ落とすことなく切り払った。
 ありえない光景にフェイトの思考は完全に止まる。
 返す刃を振り被る、咄嗟にフェイトはバルディッシュを盾にする。
 衝撃を受けて、ガラスが割れた様な音が鳴り響く。

「ちっ」

 飛び散った刃の破片の向こうでソラが舌打ちをして、回し蹴りを放ちフェイトを吹っ飛ばした。



「な、何今の!?」

 モニターの向こうで行われたことに驚いたのは当の本人だけではなかった。
 模擬戦が始まってまずか数十秒。
 挨拶代りに打ち合ってから、フェイトが背後を取る。
 それをバク転の要領で回避し、そのまま攻撃に移る体術に息を巻いたのもの束の間、それは起こった。
 フェイトがソラの斬撃を防ぐために出したシールドが紙のように斬り裂かれる様は見ている者たちの度肝を抜いた。

「バリアブレイク? それにしてって速すぎるし、魔力反応は……変わってない」

 エイミィの手がせわしなく動いて先程の現象を解析するが、この反応では結果は期待できない。

「あの魔力刃の特殊効果は?」

「そんなのあったら見せてもらった時に分かるよ」

 エイミィの泣き事を余所にアキはモニターを食い入るように見つめていた。

「これは意外なまでの掘り出しものだな」

「そうね民間協力ではなく、ぜひとも管理局に入ってもらいたいわね」

 アキの呟きに同意するレティの眼鏡は怪しく光っていた。



「今の、何ですか?」

 バリアジャケットのおかげで大したダメージもなく立ち上がってフェイトは尋ねる。

「流石にこれを話すことはできないな」

 立ち上がるのを待っていたソラは律儀に応える。
 手にある柄からはすでに新しい刃が再構築されている。

「強いて言うなら気合いと根性の賜物?」

「うう……嘘は言わないって言ってたのに」

 当然、ソラの言葉など信じられない。気合いと根性でシールドを斬れるなら誰も苦労はしない。

「負けを認める?」

「認めません」

 何処か楽しさを含ませるソラの言葉にフェイトは笑って応える。
 フェイトは思考から防御を除外する。ソラの斬撃は魔法で防げるものではなく、バルディッシュで受けるか、回避するしかない。最悪、銃も同じと考える。

『ソニックフォーム』

 バリアジャケットを換装し、改めてバルディッシュを構える。

「行きます!」

 全速を持って、距離を一瞬で詰める。
 間合いに入るのは一瞬。
 突進力を乗せた一撃にソラは一歩後退して、半身になる。
 それだけでフェイトの斬撃は空を切った。
 突進の勢いを殺しながら方向転換。再度、突撃。
 だが、同じようにかわされる。

 ――見切られている。なんてデタラメな。

 ソラの動きは決してフェイトが捉えられないほど速いものではない。
 それなのに当たらない。たった一歩ないしは半歩、それと連動する動きだけで回避する。
 その動きは以前に見学させてもらったなのはの兄姉たちに似た洗礼された動きだった。
 もしかしたら、自分は恭也さんや美由希さんにも勝てないのではないか。
 そんな弱気を打ち消し、フェイトは無意味な突撃をやめる。

『ランサーセット』

「プラズマランサー……ファイア!」

 八つのスフィアを構成、その内の五本を撃つ。
 ソラは回避行動に移らず、直進。
 当たる直前、ステップを駆使し身体を捻り、ランサーのわずかな隙間を縫うようにしてかわす。その様はまるで踊っているようにも見えた。

「ターン。ファイア!」

 残った三つのランサーを放ち、撃った五本を戻す。
 前後からの挟撃。これも回避するはずと思ってフェイトはそこに生じる隙を待つ。
 歩調を緩め、剣で三つのランサーを切り払う。
 予想は外れたが想定の範囲内、切り返す剣をバルディッシュで受け止め、彼の姿の先にあるランサーを見る。
 一瞬、気付いていないのかといぶかしむと、バルディッシュにかかっていた力が突然消えた。
 同時に目の前からソラの姿が消える。そして、目の前には目標を失ったランサーが。

『ディフェンサー』

 バルディッシュが張ったバリアがそれらを弾く、と同時に足もとがすくわれて浮遊感を感じる。

『ブリッツアクション』

 脇目も振らずにとにかく逃げを選択、フェイトは全速で空に逃げた。
 眼下を見下ろすと足払いの体勢から悠々と立ち上がるソラの姿。
 息一つ乱していないソラに対して、フェイトはすでに肩で息を吐き始めている。
 強い。
 素直にフェイトはそう感じた。
 シグナムに感じたものとは別種の強さ。
 シグナムの力強さに満ちた剣に対して、彼のは無駄を一切省いた洗礼された剣。どちらかといえばクロノに似ているが底がしれない。
 刃を消し、柄をしまうソラの姿に負けたと感じてしまう。
 そして抜き出される銃に気を引き締めた。
 銃口を向けられてフェイトは動き出す。



「……射撃は微妙ですね」

 先程の息もつかせない近接の攻防から一転して観戦室のテンションは落ちていた。
 距離を取って射撃魔法を撃ち合う二人。
 フェイトのハーケンとランサーが乱舞する中でソラはそのことごとくを回避し、反撃に銃を撃つが当たらない。そもそもフェイトからだいぶ離れた場所を通り過ぎていく。
 もちろんフェイトが動き回っているせいでもあるが、密かにまた神業を見せるのかと期待していただけに落胆は大きい。

「フェイトちゃんが勝負に出るよ」



『プラズマスマッシャー』

 射撃魔法では切りがない。そう感じたフェイトはハーケンセイバーをソラの目の前で爆発させ、目くらましに使う。
 その間にチャージを済ませる。
 爆煙は晴れていないが彼の動きはトレースしてあるから位置は分かっている。

「ファイヤー!!」

 金色の奔流が煙を切り裂き、ソラを捉えた。
 タイミングは申し分ない。回避行動は間に合わない。
 勝利を確信したフェイトに対して、ソラはおもむろに手をかざした。
 そして、それは起こった。

「な……」

 非魔導師にとっては抵抗などできない魔力の砲撃は彼の手に触れた瞬間にその形を失っていく。
 フェイトは撃った体勢のまま固まっていた。
 それほどまでにその光景は衝撃的だった。
 結局、必殺の砲撃はソラに傷一つ与えることができずに終わった。
 その衝撃から立ち直るよりも早く、ソラはフェイトに肉薄する。

「あ……」

 と言う間に、肩を掴まれ、足を払われて地面に叩きつけられる。そして後頭部に固いものを押しつけられた。

「僕の勝ちだね」

「……はい」

 釈然としない気持ちを抱きつつ、フェイトは頷いた。

「今のは何ですか?」

「魔力霧散化、僕の稀少技能と思っていいよ」

 そんなスキル聞いたこともなかったし、想像もしなかった。しかし、目の前で起こったことから認めるしかない。

「なんかそれずるいです」

「こっちは魔法が使えないからね。こうでもしないと高ランクの魔導師とは戦えないんだよ」

 むしろ、隠している手札がないと思っている方が悪い。
 それを言われてしまえばフェイトには返す言葉はなかった。
 それでも落胆は隠しきれなかった。

「……これじゃあ、話は聞けないね」

「ああ、そのことなんだけど」

 バツが悪そうに頭をかき、ソラは空を仰ぐ。

「話ならあいつに聞けばいいよ」

 不意にまた冷めた口調に変わる。
 ソラの視線を追って空を仰ぐと、紫の雷が降ってきた。

「サンダーレイジ!?」

 思わず身をすくめるフェイトの首根っこを掴み、伏せさせて手を避雷針のように掲げる。
 雷は先ほどの砲撃と同じように霧散して消える。

「随分と遅かったなアリシア・テスタロッサ」

 その名前にフェイトは勢いよく顔を上げた。
 黒いローブのバリアジャケット。金色のツインテール。そして自分と同じ顔の幼い少女がそこにいた。
 ソラの言葉を信じるなら彼女の名前はアリシアなのだ。

「それから……」

 視線をずらした先には一人の男がいた。
 アリシアの隣に立つ男の姿はまるで父親にも見える。
 黒い髪に黒のバリアジャケット。右目を眼帯で覆っているのが特徴な長身の男。

「あれ?」

 不意にフェイトはその男に見覚えを感じる。しかし、思い出すよりも早くソラが彼の名を告げる。

「あんな魔法を撃ち込むのを止めなかったのはどういうことだクライド?」

「止める前に撃ってしまってね。まあ君ならあれくらい楽に防ぐとも思っていたし」

 気軽なやり取りはフェイトの耳には入ってこない。
 それは確かクロノの父の名前でリンディの夫の名前。
 時の流れを感じさせるものの、写真の中で三人で写っていたハラオウン家の父にその姿は重なった。
 クライド・ハラオウン。
 かつて闇の書事件においてエスティアに最後まで残った英雄がそこにいた。




[17103] 第五話 胎動
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/07/09 21:37



「……クライドさん……本当に」

 彼を迎えたのは涙ぐむリンディだった。

「ああ、僕だよリンディ。すまない長く待たせてしまったね」

「いいの、いいのよ。こうして帰ってきてくれたから……」

 そこまでで限界だった。
 リンディは周囲のことなど忘れてクライドにすがりつき、泣き出した。

「リンディ提督」

「母さん」

 貰い泣きするエイミィにそんな姿を始めて見て驚くクロノ。

「クロノか……大きくなったな」

 リンディをあやしながら向けられた言葉にクロノは咄嗟にそっぽを向いてしまう。

「それに……」

「まさか生きていたとはな」

「お帰りなさいクライド君」

「アキ・カノウさんにレティ・ロウランさん。ありがとうございます」

 そういう彼の目もかすかに涙が浮かんでいるのを指摘する者はいない。
 しかし、そんな感動の場面を気にせずにぶった切る男が一人。

「もう今日の用事が終わったなら帰ってもいいですか?」

 淡々とソラが発言する。
 空気を読めていない発言に非難の視線が集中するがソラは気にしない。

「どうして……」

 そんな中で口を開いたのはフェイトと同じ顔のアリシアだった。

「ねぇ、どうしてママを殺したのソラ!?」

 怒りというよりも困惑と悲痛、今にも泣き出しそうな声でアリシアは叫ぶ。

「……用はないようですね」

 そんな彼女を一瞥すらせずにソラはもう一度聞く。

「ソラ、君――」

 仲裁するためにアキが口を開くと突然、彼女の端末が鳴り始めた。
 逡巡はわずか、少し待てと視線でソラに示し、通信を開く。

「どうした?」

『部隊長、「G」と思われる反応を確認しました』

「……そうか、場所は?」

 内心でタイミングの悪さに嘆息する。それを外に出さずに必要な報告を受ける。

「――分かった。すぐに私は司令部に戻る」

 通信を終わらせてアキはソラに向き直る。

「そういうわけだ。すまないが頼めるか?」

「いいけど、協力するとなったら徹底的に使うんだね」

 これでもう四回目の出動だとぼやきながら踵を返す。

「すまない。都市内での戦闘になると高ランクの魔導師を使うのは難しくてな」

「いいけど、それじゃ」

「あっ……」

 止める間もなくソラは出ていく。

「クロノ執務官は今回は出なくていい。今はクライド――」

「いえ、自分も現場に向かいます」

 言葉を遮ってクロノはソラの後に続く。

「しかし、せっかくの再会では――」

「今はミッドに住む民間人の安全を優先するべきです。それに「G」対策の魔法の試験運用も早い方がいいでしょう?」

 そこで言葉を切ってクロノはクライドに向き直る。

「そういうことだから失礼します……父さん」

 他人の行儀に頭を下げて、クロノは早足で出ていく。

「……クロノ君、なんか変だった」

「そやな、どうしたんやろ?」

「そりゃあね」

 すっかり蚊帳の外ななのはとはやての呟きにエイミィは苦笑する。

「死んだはずのお父さんが実は生きていて目の前に現れたんだからどんな顔をすればいいのか分からないんでしょ」

 流石に付き合いが長いだけあってクロノの心情を的確に表している。


「それで、クライドさん。一体どうやって生き延びたの?」

 三人が去って、落ち着いたリンディがそう切り出した。

「生き延びたって言われてもな」

 クライドはバツが悪いといった感じに頭をかく。

「正直、どうして助かったのか私にも分からないんだ」

 それは無理からぬ話だろう。
 クライドはアルカンシェルを撃たれてから目覚めるまでの記憶がない。
 なまじ意識があったとしても主観的に何が起こったのか把握するのは難しいだろう。

「ただ、あの時アルカンシェルの光に飲み込まれて気が付いたらどことも知れない場所にいてね」

 それは一面が白の空間。
 あるのはエスティアの残骸だけ。地面はあっても空と同じ白でまるで空中に立っているかのよう。
 転移魔法は使えない。エスティアの航行システムは完全に死んでいる。
 どこにも行けない。何もできない状況で今まで過ごしてきた。

「それが変わったのは一年くらい前に時の庭園が落ちてきてなんだ」

「おそらくPT事件の直後でしょうね」

「それで新しいものが現れたということで調べたわけなんだ。そこでプレシアと彼女を見つけたんだ」

 そう言ってクライドは俯いているアリシアに声をかける。

「ほら、アリシア」

「……あ、はい」

 ぼうっとしていたアリシアは我に返ってリンディたちに向き直る。

「あ、アリシア・テスタロッサ・ハラオウンです。フェイトのお姉ちゃんです」

「ハラオウン……?」

「あ、いや待ってくれ。リンディ、決して私はプレシアとそういう仲になったのではなくてだな」

「分かっているわよ」

 慌てるクライドに微笑を返し、リンディはしゃがみアリシアをまっすぐに見る。

「今のフェイトの母のリンディ・ハラオウンよ。今日からあなたも私の娘よ」

「…………ありがとうございます」

 そう応えるアリシアに力はない。

「クライドさん、さっきのことだけど……」

「ん、ああ本当のことだ」

 言外にソラがプレシアを殺したことを認める。

「あんなに優しかったのに……」

 それはフェイト達を前にしてかた豹変したソラの態度からもその様子が理解できる。
 アリシアは彼になついていたのだろ。それだけに彼の変化と凶行を信じられないのだろう。

「アリシア……」

 俯く彼女にフェイトが近付く。

「あ……フェイトだよね。ママから聞いてるよ。本当にわたしにそっくりだね」

 顔を上げたアリシアはフェイトの姿を見て表情を輝かせた。

「さっきはごめんね。ソラに銃を突き付けられていたから、もしかしたらママみたいにって思って」

 また俯くアリシア。

「あ……うん。大丈夫だよ、あれは模擬戦だったから。でも、助けてくれようとしてありがとう」

「うん」

 フェイトに言われてアリシアは満面の笑みを浮かべる。
 フェイトとは違う笑い方はやはり別人だと思わせる。

「ちょっとクライドさん」

 そんな彼女たちを見守りつつ、リンディは彼女たちに聞こえないように話しかける。

「彼女、本当にアリシア・テスタロッサなの?」

「ああ、そうらしいね」

「らしいって……ってどういうこと?」

 要領の得ない返答に思わず声に力が入る。
 クライドがいた場所の説明ではそこがとてもアルハザードとは思えない。
 仮にそうであったとしても魔法を使ったあの子がどうしてアリシアを名乗ることが許されたのだろうか。

「すまないが、私もそこはよく分からなくてね」

 何も分からなくてすまないと、クライドは謝る。

「私たちが彼女を見つけた時、すでにアリシアは生き返っていたんだ」

「なら、名前は?」

「その前にプレシアの事情を聞かせてもらってもいいかな? 私もフェイトさんのことについてはほとんど知らないんだ」

「……ええ、そうね」

 気が逸っていたことを自覚してリンディは自分を落ち着かせる。
 クライドにはたくさん聞きたいことはある。
 でも、急ぐことはないのだ。何故なら、彼は生きていたのだから言葉を交わす機会はいくらでもある。
 当事者たちのことではあるが、彼女たちを前にして言いづらいこともあるかもしれない。だから、今この場で問いただすべきではない。

「あ、あの……」

 話が区切られたと感じて、今まで静観していたはやてがクライドに声をかけた。

「わたしは……八神はやていーます。フェイトちゃんの友達でクロノ君やリンディさんにとてもよーしてもらってます」

「そうか、よろしくヤガミ君」

「ヤガミは名字で、こっちの言い方だとはやて・八神になります」

「そうか、よろしくはやて君。それで、そちらは?」

 緊張をにじませるはやてに微笑を浮かべて、クライドはなのはたちを見る。
 代わる代わる自己紹介をする。
 それが終わるのを見計らって、はやては切り出した。

「クライドさん、実は謝らないといけないことがあるんです」

「ん? 君とは初対面のはずだが?」

「わたしのことじゃなくて……」

「はやてさん、無理しなくても」

「いや、いーんです」

 言い淀むはやてを心配する言葉はやんわりと断られる。
 深呼吸を一つして、はやてはクライドを真っ直ぐに見た。

「わたしが最後の闇の書の主です」

「なん……だって……?」

 はやての言葉にクライドは驚愕に言葉を失った。


「今回は君の役割はバックアップだから」

 とは言ったものの近接能力しかないソラが後方待機をしていても仕方がないことを思い出してクロノは誤魔化すように咳払いをする。

「これまでの研究で「G」に対して純粋魔法攻撃はあまり有効ではないと結論に達した。これは直接相手に魔力を叩きこむベルカ式でも同じことが言える」

「でも高ランクの騎士なら倒したって聞いたけど?」

「彼らの場合は純粋な物理攻撃として使ったからだ。基本的に魔導師は魔力によって威力を倍加しているから、純粋な体術は二の次にする傾向があるんだ」

 それ故に直接斬りつけても、魔力は浸透しないため十分な衝撃を与えることはできない。

「なら、質量兵器でも使えばいいんじゃないの?」

「あいにくと魔法で瓦礫を操作して撃ち出してもフィールドに弾かれた」

「魔法も弾いて、物理も弾くか、とんでもないな」

「それをあっさりと破る君が言うな」

「僕にだって斬れないものはいくらでもあるよ」

「……ともかく、これまでの研究でいくつか有効な可能性があるミッド式の魔法ができたからそれを試すことになったんだ」

「今の間はなに? それよりあの生き物について分かったことはないの?」

「ああ、それについては――」

 クロノは空間モニターを出して読み上げる。


 「G」の生体報告書
 「G」は体細胞が珪素を含む特殊な細胞組織により構成されている。
 この細胞組織が脳、神経系統においてデバイスと同じ働き、つまりは情報制御を行う。
 そして内臓器官、筋肉、骨格、循環器系統では体内エネルギーを熱エネルギーや運動エネルギーなどに変化させる性質を持つ。
 つまりは「G」とは変換資質を持った魔法そのものが形になった生物と考えられる。
 また、細胞内に珪素を取り込んでいるため、同サイズの生物よりも四倍の体重を保持している。
 その体重を支えるため、筋肉、骨格、外殻などの強度も相応なものとなっている。また、その重量を支える補助として周囲の重力場を操作している可能性が高い。
 なお、外見的なものに未だに共通点はなく、細胞組織のみが共通となっている。

「やっぱり、とんでもない生物だな」

「単純計算だと、通常生物の四倍の強さになるからね」

 簡単に言うソラ。
 当然、そこに能力も付与されるのだからそれ以上の強さになる。

「幸いなのは思考力が獣並みだというところか」

 例え、強靭な体と特殊な能力を持っていたとしても使うものに相応の頭がなければ宝の持ち腐れになる。
 報告書を見る限りでは「G」は捕食対象、及び敵と認識したものに対して攻撃をするがその攻撃手段は単純なものしかない。
 能力も魔法の展開が間に合えば防げるものであるから、こうして資料がそろっているならば十二分に対処の方法は考えられる。

「いつまでの戦えませんじゃ、すまないからな」

 それに管理局のプライドの問題でもある。
 本来なら次元世界を渡り歩いているクロノの管轄ではないが、地上の平和をないがしろにするような思いはない。そして、一度完膚なきまでに負かされているのだから雪辱の意味もある。
 何より、魔導師でもないソラに劣っていることが、これまでの自分の努力に疑問を感じさせられる。

「ま、気負い過ぎずに頑張ってね」

 ソラが気楽に言って、話が途切れる。
 沈黙が続くと、仕事に集中していた頭に雑念が混じり始める。
 目の前の謎だらけの青年。
 実力は魔導師でもないのにフェイトと互角に戦え、圧倒した。しかも、魔法無効化という魔導師にとって天敵ともいえる能力を持っている。
 「G」などよりもこいつの方が魔導師の敵に思えてしまう。
 経歴は一切不明の自称次元犯罪者。
 それにプレシア・テスタロッサの殺害動機。結局、彼は関係性もその時の状況も何も語らない。
 それでいてフェイトとそれにアリシアの前では稚拙な演技で悪者ぶる。
 そして、父クライドが生きいたこと。彼が一緒にいたこと。
 協力の条件に詮索はしないと約束してあるが、どれも聞かずにはいられない重要なことだった。
 かといってどれも応えてくれるとは思えないし、応えてくれたとしてもどれから聞くべきなのか迷う。

「君は――」

 自然と口が動く。
 やはり、一番気になるのは父のことだ。
 父は今まで何をしていて、何故帰ってこなかったのか。そしてどういった関係なのか。

「フェイトをどうするつもりだ?」

 しかし、考えに反して尋ねたのは義理の妹のことだった。

「フェイトを……か」

 ソラはその名前を反芻して目を瞑った。

「あの子には僕と同じ間違いを犯して欲しくないだけだよ」

「同じ間違い?」

 答えが返ってくるとは思わず、クロノは意外そうに聞き返す。

「僕は捨てられたんだよ」

 そして、答えは重かった。

「妹ができたって聞かされて、すぐに捨てられて。迎えにくるっていう言葉を信じても来てくれなかった。待つのをやめて施設から逃げ出して両親を探した」

 いろいろなことがあって、大切な人たちができた。

「そして両親を見つけた時、そこには僕の名前で呼ばれる妹と幸せそうにしている二人がいた」

 噛みしめるように話すソラ。当時のことを思い出しているのだろう。その表情は儚く、今にも泣きだしそうだった。

「僕は――」

「もう、いい」

 ソラの言葉をクロノは遮った。

「……少し、話過ぎたな。忘れて」

「……ああ」

 想像以上の過去の一端だった。
 ただ捨てられただけならまだしも、なかったものとして扱われるつらさは想像できない。

「君がフェイトで、妹がアリシアか?」

「そんなところ」

 アリシアについての最大の疑問は魔法を使ったこと。魔法資質があってプレシアにその名前を貰ったというならフェイトは何故否定されたのだろうか。

「君はまさか二人の仲を取り持つために、二人の共通敵になろうとしたのか?」

「詮索はするっ!」

 強い拒絶の言葉にクロノは口をつぐむ。

「…………どんな理由をつけても僕はきっとプレシアを許せなかっただけだよ」

 荒くした息を整えてソラは独り言のように呟いた。
 その言葉を聞くだけでクロノは何も返さなかった。


『クロノ君、準備はいい?』

「……ああ、いつでも……」

 気まずい空気でどれほど過ぎただろうか。通信で映ったエイミィの顔に安堵を覚えながらクロノは指揮車から降りる。

『対象は正面の廃ビルの三階。視認したら結界を張るから』

「……了解」

 使うのはデュランダル。待機モードから杖に変えて息を整える。

「付いていかなくていいの?」

「君はこの場に待機、不測の事態に備えてくれ」

「りょーかい」

 普段の軽薄な口調にホッとして、気を引き締め、目の前のビルに入る。

「エイミィ、誘導を頼む」

『はいよ。左側の階段から二階に上がってね』

 指示に従って歩き出す。

『……クロノ君、さっきの話……』

「聞いていたのか?」

『うん、ごめん』

 いつも明るいエイミィもあの話を聞かされれば普段通りにはいかないようだった。

『ソラ君が殺したのってやっぱり……』

「そうだろうね」

 ソラは両親と妹を殺した。
 自分を捨てたことの報復として理解はできるが納得はできない。

「どんな理由があっても人殺しは罪だ」

『そうだけどさ』

 執務官として仕事をしていれば、人の嫌な面を見ることは日常茶飯事ともいえる。それは補佐官である彼女も同じことが言える。
 エイミィが言いたいことは理解できる。彼に同情するのはクロノも同じだ。
 だが、それも許すべきではないという自分がいることを自覚する。

『ソラ君は後悔しているんだよ』

 返す言葉は出てこなかった。

「それならなんでプレシアを――」

 カタッという音に、クロノは言葉を止めた。

『どうかした?』

「……猫だ。子猫」

 足元を見れば崩れたコンクリートの隙間で体を震わせる子猫がいた。

「おびえている。多分、対象に」

 動物は得てして外敵に敏感だ。この子猫はこの建物にいる存在に気付いたのだろう。

『助けられる? ソラ君に行ってもらおうか?』

「そうしてくれ」

 子猫を助けて一旦戻るよりも、その方が早い。
 それにこれから戦うことを考えれば連れていくわけにはいかない。
 床に着けた膝を払って立ち上がって、クロノはそれを聞いた。

「人がいる! 声がした……上だ」

 ビルの中を木霊したかすかな声、それを悲鳴だと確信して叫ぶ。

『エネルギー反応増大、それに対象の部屋で大きな熱源……これは火災!?』

「すぐに現場に向かう」

 言うと同時に駆け出す。
 指示よりもモニターを自分で確認し、三階に上がる階段を飛ぶようにして駆け上がりさらに走る。
 そして、突然目の前の開けっ放しのドアからゴゥッと炎が唸りを上げて飛び出した。
 思わず、足を止めてしまう。

 オオオオオオオ。

 低い咆哮が炎の奥から聞こえてくる。
 部屋は一面火の海だった。
 その中央には首の長い異形の生物。
 一瞬、諦めかけたが部屋の隅でへたり込んでいる少女を見つけた。
 炎に焼かれながら、震え涙を浮かべる彼女にクロノは魔法を構築して放つ。

「要救助者一名、女の子。たった今確保! 大丈夫か君!?」

 突然ぶつけられた水に呆然と少女は顔を上げる。
 返事はなかった。
 クロノは気にせず、まだ女の子の周囲の火が消えてないことに意識を向ける。

「消化する。水が行くから目つぶって」

 かざした魔法陣から水が迸り、女の子の頭上から盛大に撒き散らす。

「けほ……けほっ」

 消化を確認してクロノは女の子に近付く。

「ごめんね……荒っぽくて、でももう大丈夫だから」

 努めて安心させるように丁寧に話しかける。

「立てる? 今、安全な所まで連れていくから」

 女の子を立たせると異形の生物は咆哮を上げた。

『クロノ君。対象を「G」と確認。気を付けてね』

 エイミィの報告に頷いて、逡巡はわずか。すぐに撤退することを決める。
 女の子がいたのは想定外。そして自分の魔法が効果あるかは未知数。
 民間人を戦いに巻き込むわけにはいかない。不本意だが今回もソラに任せる方がいい。
 しかし、その考えを嘲笑うかのように「G」が咆える。
 それに伴って周囲に光の壁が形成される。

『まさか、結界!?』

 魔力でなくても、高密度のエネルギーに囲まれたのが分かる。

「データにないタイプだ」

 その障壁と昆虫のような体躯に、それに不似合いな背中にある鳥の一対の翼。
 生物的におかしいがこの手の生物に常識は通用しないと思っていい。

「障壁に隙間は?」

『……ないね。これじゃあソラ君も入れない』

「……やるしかないか」

 クロノは覚悟を決める。

「君、名前は?」

「あ…………アズサ」

「アズサ、僕はクロノ・ハラオウン」

 名乗ってアズサに下がっているように言い含めて、デュランダルを構える。

『転送』

 足もとに展開された魔法陣は四つの円を頂点とする四角いもの。
 召喚魔法陣。
 本来ならクロノに適性はないがこの魔法は例外と言えた。
 魔法陣から溢れ出したの大量の水。
 召喚獣は同調を必要とするが、物質の呼び出しなら下準備しだいでどうとでもなる。
 そして、物質の操作は魔導師の初歩技能でもある。

『ガングニル・スピア』

 大量の水を圧縮してデュランダルの先に集める。

「いっけぇっ!」

 無造作に振り、水刃を飛ばす。
 フィールドと衝突して水は四散する。
 クロノは水を纏って視覚化したフィールドに走り寄り、デュランダルを叩きつけた。
 重量の慣性制御をリアルタイムで操作して数トンに及ぶ水の衝撃。
 わずかなせめぎ合いの末、フィールドは砕け、そのままの勢いで水の刃は「G」に深い傷を刻みつける。

「よし!」

 確かな手応えにクロノは気をよくする。
 半質量兵器魔法、ベルカとミッドの交合。それがこの水の魔法だった。
 高い抗魔力性を持つ「G」に対して有効な手段の一つが物理攻撃だった。
 しかし、ただの物理攻撃ではフィールドを破れず、フィールドの内側に入れても堅い外殻を破ることはできない。
 そのため、必要な衝撃を重量で補うことにした。
 魔法はそれを維持し、持ち回しをよくするだけに留め、攻撃は膨大な重量を利用する。
 結果は十分だった。
 最もこの魔法は違法ギリギリのもので質量兵器に近いものだ。当然、非殺傷設定などできるはずもなく完全に「G」対策の魔法だった。

 ――しかし、妙だな。

 もだえる「G」を前にクロノは疑問を感じる。

 ――火災は何故起きた?

 周囲の壁は光学的な能力に見える。熱源の上昇を気にしてみても、目の前の生物からそれらしい反応はない。

 ――まあ、いいか。

 気丈にも体を起こした「G」に疑問を払い集中する。
 それがクロノの失敗だった。
 初めての有効打による高揚。単独で未知の敵と相対する緊張感。そしてソラが常に一対一で戦っていたという中途半端な経験。
 それらがクロノの注意力を散漫にしていた。

『クロノ君、エネルギー反応後ろ!』

 エイミィの声に振り返れば部屋の隅で床から突き出た触手が二つ、こちら向いていた。
 その先から放たれた光線。
 意表を突かれてクロノは回避も防御をできなかった。
 そして、視界が赤く染まった。
 衝撃はなかった。そもそも光線はクロノに届いていない。
 クロノの目の前には赤い光を背負った背中。

「……あ、アズサ!?」

 魔導師だったのかと思ったがそこに違和感を感じる。

「~~ごめんなさい……防ぎ……きれない……今のうちによけて!」

 何が起きているのか分からない。しかし、その言葉でクロノが動くよりも早く爆発が起きた。

「ぐっ!」

 壁に叩きつけられた息を詰まらせる。
 頭から出血しているが大したことはない。
 すぐに頭を切り替えて、砲撃の先を確認する。
 砲撃した触手は燃えていた。

 ――燃えているのはなんでだ?

 反撃したのは自分じゃない。そもそも炎熱系の魔法はあまり使わない。

 ――まさかアズサがやったのか? 魔力反応はないのにどうやって?

 自分をかばったアズサを探す。
 彼女は瓦礫に埋もれるようにして倒れていた。

「アズサ……アズサ大丈夫か!?」

 幸い息はあるが、意識が混濁しているようだった。
 瓦礫を押しのけて安全を確保して、クロノは止まった。

「何だ……これは?」

 うつぶせに倒れているアズサの背中には二対四枚のナイフのように鋭く紅い羽が明滅していた。

「エネルギーフィン? いや、違う」

 リンディがディストーションシールドを使う時に現れるものに似ているが根本的なところで違うと感じる。
 ガラッ。
 その疑問を解決する間もなく、背後の音に振り返る。
 そこには未だに健在な「G」がいた。
 爆発の衝撃でこちらを見失ったのか長い首を彷徨わせている。

『――ノ君、何があったの!?』

 クロノは無造作に通信機のスイッチを切る。
 不意を打つべきか、アズサを連れて逃げるべきか。
 水の刃の維持は解けていない。これを使えば戦うことはできるがアズサをそのままにしておくことはできない。

「くそっ」

 せっかくのこれまでの雪辱を晴らせる機会なのに、またソラに任せる結論に至って思わず毒づく。
 そして、そうと決めたら早々にこの場から退避する。
 デュランダルを右手に、アズサに左腕で肩を貸すように持ち上げようとしてクロノは止まった。

「お……重い」

 本人に聞かれたら失礼極まりないことだが、小柄な見た目に反してアズサはクロノが持ち上げられないほどに重かった。

「いくら何でもこの重さはないだろ!」

 思った通りに事が進まない苛立ちについ声が荒くなる。
 その声か、気配かを察知して「G」がこちらを向いた。

「くそっ……」

 自分の迂闊さに腹を立て、結局戦うしかないと判断して立ち上がる。
 「G」にはもう先程クロノがつけた傷はない。

 ――やはり、一撃で倒さないとダメか。

 デュランダルを構え、戦略を考える。
 背後には動けないアズサ。今の彼女には最低限の防衛行動も期待できない。
 攻撃を背後に通してはならない状況。
 厳しすぎる状況だがせめて彼女だけでも守らなければ。
 そう奮起してデュランダルを構えた、その瞬間、長い首がボトリと無造作に落ちた。

「……何が――」

「随分派手にやったね」

 呆然としたところにかけられた言葉。
 「G」の体の陰から出てきたのはソラだった。
 そういえば、爆発で光の障壁が消えていたことに遅まきながら気付いた。
 ソラは「G」が死んでいるのを確認して近付いてくる。

「……今回は正直助かった。礼を言うよ」

 脱力して座り込みたくなるが、これ以上彼の前で弱味を見せたくないと意地でこらえる。

「それはいいけど、そっちの子は――」

 ソラがアズサを見て軽薄なしまらない顔が驚愕に引きつった。

「ああ、この子は――」

 なんと説明していいのか迷うとソラが先に呟く。

「……リアーフィン」

「フィン?」

 彼の視線は今にも消えそうな紅い羽に注がれている。

「まさか……HGS能力者?」

 聞きなれない言葉はもう慣れを感じていた。
 秘密が多いソラ。そんなソラが彼女の力を知っていても、もはや疑問を感じない。
 それでも、またかとクロノは盛大に溜息を吐いた。




あとがき
 おそくなりました、第五話掲載しました。
 都合、三度の書き直しでようやく納得できたものができました。
 そして、ようやくクロスのヒロインが登場したので作品名を出します。
 アズサ、未知の生命体「G」、アキ・カノウは「G ~Destine for Fire~」という都築真紀の三回で打ち切りになった作品のものです。
 三回しか掲載されていないので資料がないのですが、とらハやリリカルを混ぜてアレンジしたものにしました。
 ベースの人物を持ってきただけでほぼオリジナルと思ってくれた方がいいです。

 補足説明
 クライドが言っていた白い空間はドラゴンボールという作品にある「精神と時の部屋」をイメージしたものです。




[17103] 第六話 敵対
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/04/10 16:25
 アズサ・イチジョウ
 家族構成なし。
 両親を亡くし、私設孤児院に入る。
 施設の人間曰く、「何度叱っても火遊びをする子」と煙たがられていた。
 少し大きな火事をきっかけに精神科の病院に入れられるも、そこでも何度も火事を出し、隔離された。
 その後、管理局能力開発研究部所属のイチジョウ博士の下に養子として引き取られる。
 しかし、研究所はイチジョウ博士を始めとした数名の行方不明者。負傷者は職員のほとんど全員におよぶ大規模な火災によって研究所は全焼。
 そして現在、人との関わりを最小限にして人口過疎地域に一人暮らしをしている。


「以上が、こちらで調べた彼女の経歴だね」

 食堂の一角でファイルをエイミィは閉じて一緒のテーブルにいるソラをクロノを見た。
 クロノはその報告に一層眉をしかめ、ソラは上の空だった。
 そして、それを示すように彼の昼食のパスタには備え付けの調味料が盛大にぶちまけてなお、空になった容器を振り続ける。
 それを見ないようにしてクロノは話しかける。

「ソラ、君の秘密主義をとやかく言うつもりはないがこの件に関しては別だ。知っていることいや、気がついたことがあるなら話してくれないか?」

 初めての遭遇から数週間、過去の記録から比較しても「G」の発生頻度は多くなる一方。
 そして前回に現れた羽を持つ新種。
 対抗策も確立しつつあるといっても情報不足なのは相変わらず。

「あのさ、クロノ。君は僕が何でも知っていると勘違いしてない?」

「だが、何かに気付いたのは事実だろ?」

 それには答えない。

「……あの子は、どうしてるの?」

「アズサは今、精密検査を受けている」

 そこ応えにソラは顔をしかめる。

「アズサが攻撃を防いだ。そしておそらく砲台を燃やした。これに間違いない?」

「ああ、あの時に他の要因は考えられない」

「それで魔力反応はなかった」

「その通りだ」

 ソラは溜息を吐いて告げた。

「予想通り、たぶん同じ能力だね」

「HGSという力のことか?」

「正式名称、高機能性遺伝子障害つまりは病気の一種なんだけど、その副産物として特殊能力を持つことになる」

 言いながらソラは首から銀のペンダントを外し、テーブルの上に置く。

「黎明の書」

 言葉に反応してペンダントは一冊の飾り気のない厚い書物に姿を変える。

「ねえさんが書いたレポートなんだけど」

 書を開くと浮かぶ空間モニターを操作して、ソラはテキストデータを見せる。

「え……うそ」

「第97管理外世界……」

 その中にある見知ったものを見てエイミィとクロノは唸った。

「知ってるの?」

「ああ……」

「なら話は早いね。その世界には魔法は当然ないけど、それだけにこういった特殊な人間が生まれるんだ」

 これは人の進化の分岐点ともいえる。

「元々、次元世界はそれぞれが過去と未来の姿っていう説もあるし、このHGS患者もフェザリアンっていう今では絶滅したらしい種族でミッドにもいたみたいだよ」

「あ……もしかしておとぎ話の天使?」

「たぶんね」

 ミッドの魔法は技術を突き詰めた奇跡だが、だからといって本物の奇跡が証明されたわけではない。

「アズサの場合はたぶんミッドのフェザリアンの末裔で、その能力が発現したんだと思う」

「そうなると「G」とは関係はないのか?」

「能力が同じことくらいしか僕には言えないよ」

 そう言ってソラは調味料の山になった料理を食べ始める。
 むせもせず平然と食べるソラを見ないようにしてクロノは情報を整理する。
 「G」と同じ力を持つ少女アズサ・イチジョウ。
 彼女の経歴から考えれば能力は先天的なものになる。もしもそれが魔法の力なら、制御訓練を積ませて事なきはなかったはず。
 アズサの能力は「G」に酷使している。それなら――

「もしかして彼女の体組織も「G」と同じなのか?」

 あの時は単純に重いと思ったが、そう考えれば辻褄が合う。

「HGSの体組織までは調べてないな。元々ねえさんの研究テーマから離れていたことだし、片手間に作ったものみたいだから」

「そうか」

 流石に全てが分かるとは思っていなかったが、だいぶ疑問はなくなった。

「それにしてもソラ君ってお姉さんがいたんだ」

「義理だけどね。僕を拾ってくれて育ててくれた人でね。あの人にはたくさんのものをもらった」

 語るソラの顔には陰りがあった。
 それに気付いてエイミィはクロノを見るが、彼は首を横に振った。
 ――追及はしない方がいい。彼の経歴については地雷が多すぎる。
 無言の言葉にエイミィは頷いた。





「これはこれは第三部隊のお二方ではありませんか」

 食事を終えた所で、不意に仰々しく嫌味を含ませた言葉をかけられた。
 振り返るとそこには二十代の青年が後ろに取り巻きを引きつれて見下した目を向けていた。

「…………誰?」

 ソラの第一声に声をかけた男は顔を引きつらせた。

「第一部隊の隊長、ルークス・アトラセア一等陸尉。近代ベルカ式のAAAランクの魔導師だ」

 知らないソラにクロノが紹介をする。

「おやおや、海のエリート様に名前を覚えてもらえていたとは光栄ですね」

「それで、一等陸尉様が何のようですか?」

 言い返すクロノ。二人の間に見えない火花が散る。

「海は何を考えているのやら、英雄が返ってきたかは知らんがパーティーなど開いている余裕があるというのに寄越したのは子供一人とは」

「あの生物を前に数で攻めればなんとかなると考えているなんて、陸の魔導師は随分と浅はかだな」

 クロノの発言に取り巻きの方が反応するが、ルークスはそれを制してソラを見る。

「たった二人で運用してきた部隊がたまたま一番撃破率が高いからって図に乗るなよ」

「くっ……」

 図に乗っていることはないがクロノは言葉に詰まった。

「ああ、そういえばクロノ執務官は何もしていなかったんですよね」

 痛いところをついてくる。
 先日の戦闘はいいところまで行ったが結局ソラに任せてしまった。アズサがいたからと言っても彼女に助けられているのだから言い訳にならない。

「AAA+の魔導師も大したことはありませんね」

 ははは、と笑い周りの取り巻きも失笑する。
 憤慨しても結果は出せていないのだから何も言い返せない。
 腸が煮える思いをどうにか治めようとしたところで、ソラが口を挟んだ。

「それってAAAランクの貴方も大したことないってこと?」

 ピシッ! 空気が凍って、笑い声も止まる。

「貴様は確か民間協力者か……はっ、礼儀を知らないようだな」

「こんな所で高笑いした人に礼儀を説かれても」

「くっ……魔導師でもない分際で」

「魔法が使えなくても結果は出しているんだからいいんじゃないの?」

「ど……どうせインチキをしたに決まっている!」

「そのインチキに劣っている無能さを棚に上げて何様のつもり?」

 ルークスの顔はみるみる赤く染まっていく。

「おい、ソラ。お前は何をしてるんだ?」

「いや、突っ込まずにはいられない体質で」

「そんな体質があるか!?」

「いやークロノも結構人のこと言えないと思うけど」

「ん、んっ」

 二人のやり取りに冷静さを取り戻してルークスは咳払いをする。

「ふん、まるで子供だな」

 見下した目を向けて続ける。

「精々今のうちにいい気になっているんだな」

「いい気になっているのはおじさんの方だと思うけど」

「おじっ!? すでに対「G」用の魔法は開発されているんだ!」

「ああ、クロノが試した奴ね」

「わ、私たちは先日四体目の「G」撃破したんだ」

「都市外で周りの被害気にしないで、でしょ? こっちは都市内であまり壊すなって注文付けられているのに。それに僕はこないだ五体目を倒したけど」

「くぬ……」

 的確な言い返しにルークスは言葉を失う。
 ソラをやっかむ気持ちは分かるが、ルークスの言葉は的外れだとクロノは思う。
 「G」のフィールドを突破し、斬断できる攻撃力に注目されがちだがソラの強さはそんなところではないと思う。
 自分たち魔導師は保身に気をつけて、バリアジャケットへの魔力を水増ししておけば「G」の打撃も能力も十二分に受け止められる。
 しかし、ソラにそれはない。
 丈夫なコートを身にまとっているかもしれないが剥き出しの部分に命中でもすればそれだけで致命傷になる。
 それでもソラは臆することなく「G」に斬りかかる。
 そこでの彼の表情はいつだって真剣でだった。
 その姿を一番見てきたクロノはある種の尊敬を感じてさえいる。

「そ、それに生きた「G」のサンプルだって確保されたんだ」

「……なんだって?」

 苦し紛れの言葉にソラは顔色を変えた。
 それを見てルークスは気をよくして続ける。それが――

「あの女を調べれば「G」についても分かるはずだ。そうすればお前のような異端者なんてすぐに――」

「その女の子のことちょっと詳しく教えてくれるかな?」

 言い終わった時にはすでにソラはルークスの喉を握りしめていた。
 締め付けられる圧迫感と正面から向けられた鋭い目に、それがソラにとっての地雷だったことにルークスは手遅れになったところでようやく気がついた。






 夕暮れに染まる町並みが少し好きだった。
 悲しみも痛みも全て包んでくれるようで。
 燃えるような朱は生まれついてのわたしの色でもあったから――


「あ……」

 目が覚めるとそこは見知らぬ天井があった。

「ここは……」

 見覚えがないのは天井だけじゃなく、壁も同じだった。
 白い壁と白い天井。窓は一つもなく広い空間に自分が横たわるベッドが一つだけ。
 プシュ、空気の抜けるような音を立てて壁の一角が開く。

「ここは管理局特殊部隊の施設だよ」

 入ってきたのは管理局のスーツをピンと着込んだ女性だった。

「初めまして、私は管理局特殊陸上警備隊部隊長アキ・カノウ二佐だ。よろしくアズサ・イチジョウ君」

「あ、はい。初めまして。こちらこそ、よろしくお願いします」

 背筋を伸ばしてアズサは勢いよく頭を下ろす。

「そんなにかしこまる必要はないよ。それよりも聞きたいことがあるんだがいいかな?」

「は、はい」

 そう言われてもアズサは緊張した返事をする。

「実はすでに君がここに収容されてから二日になる」

「え、そんなに……」

「君はあの時何があったか覚えているかな?」

「あの時……」

 思わず身体が震えた。
 思い出すのは見たこともない異形の化け物。
 制御できない自分の炎。
 自分の身体の焦げる匂い。
 そして、黒い背中。

「あ……あの、あの黒い人、く、クロノさんは……」

「落ち着いて、彼は無事だよ」

「……よかった」

 へなへなとアズサはその場にへたり込む。

「……続き、いいかな?」

「は、はい」

 シャンと背筋を伸ばして返事をするアズサにアキはにぎやかな子だと苦笑する。

「それでどうして君はあの場にいたんだ? あの一帯は禁止区画として閉鎖したはずだが?」

「わたしは……その……猫を探しに」

「猫?」

「あそこの廃ビルは地下に綺麗な地下水が湧いているんで、うちの水はそこで取ってるんです」

「それで?」

「そこに住みついている猫たちはいつも仲良くしてくれて、夕方にビルの前で禁止区画になるって聞いて猫たちを連れていったんですけど一匹足りなくて」

「それで探しに戻ってしまったと」

「……はい、ごめんなさい」

 頭を下げるが、怒られる気配はなかった。

「安心していい。その猫もこちらで無事に保護した」

「本当ですか!?」

 本当にせわしない子だと思いつつ、アキは本題に入った。

「君の調書を読ませてもらった」

 その言葉にアズサの顔に影が落ちる。

「魔法体系とは異なる力。その象徴ともいえる背中のエネルギーフィン。見せてもらえるかな?」

「…………はい」

 有無を言わせない強い口調にアズサは頷くことしかできなかった。

「すーはー」

 深呼吸して心を落ち着かせる。

「んっ……」

 キンッ、ガラスを弾く甲高い音を立ててアズサの背中に紅い光が生まれる。
 ナイフの様な鋭さを持つ二対四枚の羽。

「能力名は「クリムゾンエッジ」だったね? 主に熱量を操る「発火能力」と報告書には書いてあったが間違いないね?」

「……はい」

 お義父さんがつけてくれた羽の名前。
 燃えるような朱とナイフのように鋭さを持つ羽を現す名前。
 今はその色は好きではなかった。
 その色は手に入れたもの全てを奪った色だから。

「ふむ、興味深いな」

 手にした計測器をかざし、魔力反応を探るが当然機会は何も反応しない。

「熱もないし、それに――」

「あ、ダメ!」

 羽に手を伸ばすアキ。物思いにふけっていたためアズサは止めるに遅れた。
 パチン、静電気が弾ける音が響く。
 そして――

『魔法ではない。本当に別形態の能力なのか』

 アキの思考が頭に直接響く。
 精神感応能力。アズサが持つ「発火能力」が個人特有のものなら、それはHGSが共通して持っている能力だった。
 精神感応能力も細かく分ければ多岐に渡るが、アズサのその能力は接触により相手の思考を読み取るものだった。

『この力が解明できれば「G」がなんなのか分かるかもしれない』

 突然のことでもアズサはすぐに能力を止めようと集中する。

『体組織はあの「G」と同じか。能力といい、さしずめ人型の「G」(化け物)か』

「いやー!!」

 悲鳴と共にアズサの感情に反応して炎が迸る。
 咄嗟に腕を引いてアキは計測機を手放す。
 炎は計測器を包み、二人の間で燃え上がる。

「……少し、無理をさせたかな」

 悪意のある思考をおくびに出さずにアキはその場を取り繕う。
 アズサは何も答えずにただ自分の身体を抱えて震えるだけで顔も上げようとしない。

「必要なものがあったら言ってくれ。ああ、それから食事も必要か」

 まったく反応しないアズサにアキは嘆息して、何かあったら呼ぶようにと言い残して部屋から出て行った。





 一人残されたアズサは動悸を整えるのにしばらくかかった。

「ふぅ……」

 息を吐いて出したままのフィンを消す。
 先程流れたアキの思考を思い出す。
 表層のことしか読み取れなかったけど、アキが自分のことを化け物として見ていることが分かった。
 ベッドに身を投げ出す。
 思えばここは雰囲気が病院の一室に似ていた。
 窓のない、視界の全てが鉄の部屋。
 地獄のような日々だった。

「戻ってきちゃったんだ」

 いつかこの場所に戻ることになる気はしていた。
 だから、悲しいという気持ちは湧かなかった。
 ただこれからどうすればいいのか分からなかった。
 あの人が義父さんのように優しい人だとは思えない。
 「仕方ない」って諦めるのは十年も前に済ませているけど、

『―――――かい』

 不意に聞こえた、いや感じた声に身を起こす。

『……誰?』

『ああ、やっと繋がった』

 それは男の声だった。

『おっと安心してくれていいよ。私は君の味方だ』

 不信を感じたのか弁解が入る。

『これって魔導師の念話?』

『いや、違うよ。君も知っている精神感応、テレパスだよ』

『そんな……わたしの力はそんなんじゃない』

 初めての感覚に戸惑いつつも言葉を返す。

『君はその力について全てを知っているわけではないだろ?』

 そもそも、自分以外にこの能力を持っている人と会ったことがない。

『知りたくはないかい? その力のことを?』

 その言葉で思い出すのは義父さんのこと。
 鉄の檻から連れ出してくれた人。
 炎が力であることを教えてくれて、使い方を教えてくれた。
 炎を使いこなす訓練をして、うまくできると褒めてくれた。
 でも、褒められることが嬉しくて言えなかった一言。

 ――今日は調子が悪いから休ませて欲しい。

 そのたった一言が言えなくて、わたしは炎を暴走させて取り返しのつかないことをしてしまった。

 ――ごめんなさい、そう言おうとしたところで――

『私は君と同じ力を持っている』

 ドクン、その言葉にアズサの胸が高鳴った。

『現にこうして君と会話をしている』

 君がいる部屋は魔導師を隔離するためのものだから、魔導師の念話は外には通じない。
 魔導師でもないアズサにはそう説明されてもピンと来ない。
 それでもこの声の主の言っていることに嘘がないことを感じる。
 自分と同じ力を持つ者。
 それは孤独を生きてきたアズサにとって甘美な誘惑だった。
 だから――





「入るよ」

 ぞんざいな言葉で返事を待たずにソラは部隊長の部屋に入る。

「……ソラ、いくら民間協力者でも最低限の礼儀くらいは覚えてほしいんだが」

 デスクで空間モニターを開き、書類を捌いていたアキは嘆息して顔を上げる。

「そんなことどうだっていい。それよりもあの子のことだよ」

「耳が早いな」

 アキは苦笑して空間モニターを開く。

「聞いているとは思うが彼女の体組織は「G」と同様の珪素を含むものだ」

 アキの口調はわずかに弾んでいて、ようやく見つけた「G」を解明する手掛かりに高揚しているのが分かる。

「対「G」用の魔法の検証も済んだ。これでようやく君に無理をさせなくて――」

「そんなことを聞いているんじゃない」

 ドンッ、力任せにデスクをソラが叩く。
 ノイズが走った空間モニターに顔をしかめつつアキは首を傾げる。

「何を怒っている?」

「……あの子をどうするつもり?」

「しかるべき研究機関に送り、能力の解析及びその身体構造について調べるつもりだ」

「まるで実験動物だな」

「否定はしないよ」

 まなじりを上げるソラにこんな顔もできるのかとアキは感心する。
 いつもへらへらとして掴みどころがない顔が今は感情をそのまま表している。

「あんたは――」

「ソラ!」

 声を上げようとしたところで慌ただしくクロノが入ってきた。

「すいませんカノウ二佐。ソラ、君は気持ちは分かるが落ち着け」

「そう言うからには君もソラと同じことを言いにきたのかな?」

「……その通りです」

 クロノは頷いてアキに向き直る。

「アズサ・イチジョウを実験体にするという話は本当ですか?」

「本当だ」

「何故ですか!? 彼女はちゃんとした市民権を持っている。それなのに彼女の人権を無視するなんて」

「クロノ執務官、君はいつからそんな甘いことを言うようになった?」

「どういう意味ですか?」

「話に聞いていた君はもっと現実主義の人間だと聞いていた、ということだ」

 心当たりはあった。
 一年前までの自分は何事においても効率と結果を考えて合理的に行動していた。
 変わったのはなのはたちと出会ってから、彼女たちの理想を貫く姿勢にクロノは少なからず感化されていた。

「「G」の生体を解明することは急務だ。それに多少の犠牲が出てしまうのは仕方のないことだ」

「……本気で言ってるの?」

 押し黙ってしまったクロノを押しのけてソラが尋ねる。

「君には分からないだろうが、組織とは一を切り捨てて多を守るものだ」

「だから、何をしてもいいとでも?」

「そこまでは言わないさ。私たちも守るべきルールというものがある」

「だったら、何であの子を守らない!? あの子だってあんたが守るって言ったミッドの住人だろ」

「違う。あれは人の形をした「G」だ」

「違う! あの子は人間だ!」

 激昂して訴えるソラにアキは溜息を吐く。

「君の気持ちも分からないわけではないが、これを見ろ」

 映し出されるのはアズサのプロフィール。

「体細胞は人間に酷使しているが「G」と同じ珪素を含む特殊細胞。体重は同年代の四倍、平均体温42.1℃、異常なまでの自己治癒能力。そしてあの能力、これでも君はあれを人間だというのか?」

「あの子は人間だ」

「はあ……頑固だな君は。なら、あれの能力が街中で使われたら君はその責任を取れるのか?」

「それは……でも、能力の危険性なんて魔導師も同じだろ」

「魔導師だって一面を考えれば化け物と同じだよ」

「カノウ二佐!?」

 問題発現にクロノが戸惑う。

「事実だよクロノ執務官、実際に君たちを異端として排斥しようとする宗教組織だって存在しているのは知っているだろ?」

「それは……そうですが」

「まあ、あの子自身が危険とは私も思っていないが」

「なら――」

「優先事項の問題だ。彼女の人権よりも「G」への対策が優先された。これは上層部の決定でもある」

「あんなたはそれで納得したのかよ」

「したさ、それで市民の安全が守れるのならな」

 熱くなるソラに対して、アキは冷徹な眼差しで向き合う。

「以前にも言ったが、私はやつらを倒すためなら何でもすると言ったはずだ」

 だから、自称犯罪者であるソラも引き込んだ。

「恨みたければ恨めばいい」

 断固として譲らないと主張するアキにソラは思わず気後れする。

「――ああ、そうかよっ!」

 それでも負けじとソラはそれをデスクに叩きつけた。

「……なんのつもりだ?」

 それはソラに発行されたIDカードだった。

「もうあんたたちに協力なんてできない」

「それで、あれを連れ出すつもりか?」

 背を向けたソラにアキは忠告する。

「やめておけ、管理局はあれを追い続ける。どんなことをしてもあれにはもう平穏はない。それに君が巻き込まれるは必要ない」

「あんたの……あんたたちの主張は間違ってないんだろうね」

 ――でも、

「虐げられるあの子が納得するわけない」

「……君は何故そこまで庇おうとする? 言葉を交わしたこともないはずなのに」

 今になってそのおかしさに気が付く。
 これがクロノなら納得はしやすい。
 クロノは唯一言葉を交わし、さらには助けられた。
 ソラがしたことはせいぜいクロノと一緒に彼女を運んだ程度だった。
 倫理的なものでここまで感情をむき出しにして反発しているだけとは思えない。

「前に言ったよね。「G」と同じ能力を持っている友達がいるって」

「まさか、その友人が――」

「彼女じゃないよ。でも、だからってあの子を見捨てたら、僕はあの人に顔向けできない」

 そういうことかとアキは納得した。
 結局、ソラはアズサを助けたいわけではないのだ。そう思った、次の言葉を聞くまでは。

「それに僕と同じ目に会う人を見過ごすこともできないんだよ」

「それはどういう――」

 聞き返そうとした所で突然、警報が鳴り響く。

「「G」か。場所は何処だ?」

 すぐさま通信を繋げ、確認を取る。

『し、司令。それが……』

 戸惑うオペレーターに嫌な予感を感じる。

『数は五体――』

 その数に絶句する。今までそんなまとめて現れたことはなかった。しかし、続く言葉はさらに驚くべきものだった。

『場所は、ここです』

「なっ……」

 驚きのあまり言葉を失うがすぐに思考を切り替える。

「ソラ、聞いて――」

 顔を上げてもそこに彼の姿はもうなかった。
 デスクに残ったIDカードを見やり、最悪のタイミングだと毒づく。

「クロノ執務官、すぐに――」

 どちらに対処させるべきか、迷う。

「現れた「G」の対処……任せてもいいな?」

 ソラという強力な前衛がいたツケをいきなり払うことになった。
 「G」に対抗できる質量魔法はまだ実験段階のもの。それだって予想を上回る早さで試験運用できたのはソラが切り札として備えていられたから。
 クロノは二人の言い合いの内容に頭を悩ませていたせいでソラの動きを見逃していた。
 それに内心で反省して応える。

「……分かりました。ですがソラは?」

「ソラの目的はアズサ・イチジョウだ。彼女には発信機がついているここで奪われても――」

 言葉の途中で突然照明が消えた。それだけではなくデスクの空間モニターも。そして、鳴り響いていた警報も。

「何が起こった?」

 パネルを操作しても反応はない。

「こっちもダメだ」

 ドアの前に立っても開かない扉を前にクロノは拳をぶつける。

「システムダウン、まさかここまで周到に準備していたのか!?」

 驚愕の声は不気味なほどに静まり返った室内にむなしく響いた。







[17103] 第七話 迷走
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/04/23 21:11
 突然、照明が消える。
 それにビクリと身体を震わせるが何も起こらなかった。

『さあ、これで外に出られるよ』

 頭の中に響く声に従ってアズサはアキが出て行った扉の前に立ち、壁にしか見えないそこに手を触れる。

『君の炎ならその程度の扉なんて簡単に焼き尽くせるだろ?』

 意識を集中すると自然にフィンがアズサの背中に現れる。
 暗闇の中、朱の炎が生み出されそれは瞬く間に大きくなる。
 そして、声の主が言うとおり、壁は炎に焼かれ、溶け落ちる。
 その先には非常灯が照らす薄暗い通路が続いている。

『簡単だろ? あとは抜け出すだけだ』

 ごくりと唾を飲む。
 もう後戻りはできない。
 だけど留まって未来はない。
 意を決してアズサは闇の中に踏み出した。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「はああああ!」

 水の刃、ガングニルを纏わせてクロノは目の前の大型の狼に向かって突進する。
 狭い通路、それに狼がその前足で押しつけている一般局員。
 それらはクロノから戦術の幅を奪う。
 まともな不意打ちができない状況でクロノは声を上げて注意を引き、間合いを詰める。
 横薙ぎの一閃。
 しかし、狼は俊敏な動きで飛び退く。

「大丈夫か?」

 視線を相手に向けたまま、足もとの局員の安否を気遣う。

「立てるならすぐにここから離れろ」

「は、はい」

 答えたのは押さえつけられていた一人だけ。周りに倒れている人たちからの反応はない。
 暗くて判別できないが、むせ返る血の臭いに理由が分かってしまう。
 最悪な状況はクロノの頭を悩ませる。
 施設のシステムが完全に落ちたため、通常通信が使えないことが一般局員の避難を滞らせる。
 魔導師同士なら念話でやり取りも可能だが、情報のやり取りには限界がある。
 そして、一番の問題は施設に入り込んだ「G」の居場所を特定できないことだ。

「それにしてもタイミングが良過ぎる」

 ソラが決別した瞬間に、システムはダウンした。
 そのためアズサ・イチジョウの監視も消えた。いち早くその場に駆け付けた魔導師たちによれば扉は焼き切られて部屋はもぬけの殻だった。
 そして、自分たちは司令室に閉じ込められ、クロノがこじ開けるまでの間でソラを完全に見失うことになった。

「まさかとは思うが」

 この「G」の襲撃がソラによるものだと思わず考えてしまう。
 だとしたらいつからソラと「G」は関係していたのだろうか。
 もしかしたら、始めからでこれまでの行動は管理局に取り入るためのものだったのだろうか。
 だとしたら許せるものではない。

「ぐるるるるる」

 唸り声に思考を切り替えて目の前の相手に集中させる。
 狼の姿にアルフやザフィーラのことを思い出すが、その背に輝く緑のフィンに自然と警戒心が高まる。
 フィンがあるのは新種。
 体の強度が多少落ちている、その分能力が強いと新たに判明している。
 フィンの形状から能力が分かるらしいが、クロノの知識はまだ不十分であり、情報の元であるソラのことを考えると信憑性を疑ってしまう。
 狼型の「G」が咆えた瞬間、クロノは衝撃を受けてたたらを踏んだ。

「衝撃波の類か……」

 バリアジャケットの出力を高めに設定してあるからダメージはほとんどない。
 そしてその一撃でクロノは目の前の「G」の能力を空気の操作と当たりをつける。
 それでも未知の力を持つ敵にクロノは攻め方を迷う。
 これが魔法ならば迷わずに戦略を立てられる。
 魔法なら感じる魔力の大きさや構築された術式の規模を見るだけの相手の力量がある程度分かる。
 しかし、目の前の未知の敵には培った経験がまるで役に立たない。
 能力はどれほどの威力まで出すことができるのか。水の刃はこのタイプには通用するのか。
 完全な未知の敵と相対することがこれほどまでに擦り減らすことにクロノは焦りを感じる。
 もしかしたら、ソラもこんな重圧の中で戦っていたのだろうか。
 不意に過ぎった考えを頭を振って振り払う。
 それを隙と見て「G」が突進してきた。
 反射的に水弾を放つ。
 だが、狭い通路に強風が吹き、水弾は逸れて天井を破壊するだけに終わる。

「くそっ」

 前面に水を集め、受け止める。
 集中しようとしても雑念が紛れる。
 もしかしたら、今までの戦いも全部仕組まれていたのではないか。
 もしそうなら辻妻が合う。
 高ランクの魔導師が苦戦する相手にたやすく非魔導師のソラが勝てるのはやはりおかしい。
 だが、ソラが「G」を使役しているなら彼が倒せるのに納得できる。
 そう思考が帰結すると怒りが湧いてくる。

「お前は……邪魔だ!」

 水の壁を弾かせて、「G」を吹き飛ばす。
 弾けた水をかき集めると同時に広がった距離を一気に駆ける。
 力任せにデュランダルを振り抜き、水の刃が「G」を捉えた。
 前足の一本を切り飛ばし、返す刃を振ろうとして――

『ラウンド・シールド』

 視界の隅で動いた尻尾を咄嗟に展開した盾で受け止める。

「ぐっ……」

 その衝撃にシールドごとクロノは壁に叩きつけられた。
 そしてクロノが立ち上がるよりも早く「G」が圧し掛かってくる。
 ガキッ、噛みつこうとした口をデュランダルを噛ませて防ぎ、身体能力の強化に魔力を集中させ、押しこんでくる力と体重に拮抗させる。
 マウントを取られたことにクロノは焦るが、圧し掛かる牙を押しこんでくるが前足を一本失っていることから長くはバランスを保てなかった。
 それを見逃さずに、杖を傾け、「G」を上から横に引き倒す。
 そのまま、逆にクロノが上を取り、馬乗りになって水の刃を「G」の首に突き刺した。

「ぎあいいいいいいいいい」

 耳障りな悲鳴。吹き出る紅い体液。
 馬乗りになるクロノを引き剥がそうと暴れる「G」にクロノは振りほどかれないようにデュランダルを堅く握り、さらに深く水の刃を押しこむ。
 やがて抵抗は小さくなっていき、「G」は動かなくなった。

「…………ふぅ」

 召喚した水を送還してクロノは息を吐く。
 なんとか倒した。
 敵を倒したことにここまで安堵したのは久しぶりだと、場違いなことを考えてしまう。
 
『こちらクロノ・ハラオウン。「G」一体を撃破』

 念話で告げるとすぐに返事が返ってくる。

『こちら第一部隊。二体目の「G」と交戦中』

『こちら第二部隊。非戦闘員の避難まもなく完了します』

『アズサとソラは見つかった?』

『いえ、両名ともまだ見つかっていません』
 
 ソラはともかく何故アズサが逃げ出したのか分からない。
 部屋の様子では内側から破られていたらしい。
 直接お前をモルモットにするとは誰も言うはずがない。
 聞いた話では外部から完全に隔離した部屋に閉じ込めていた。
 そうなるといったい何がアズサを逃亡に駆り立てたのか。

「まさか、ソラの能力か?」

 今さら完全隔離してある部屋と交信できたとしても驚くつもりはない。

「残りの「G」の場所は?」

『不明です』

「なら広域スキャンをかける」

 S2Uを取り出し、魔法を発動する。
 建物全域を生命反応に限定して調べる。
 一階出口に人が集まっている。これは一般局員だろう。
 三階で密集しているのはおそらく第一部隊だろう。
 その他に階段に集まっている人たち。
 災害マニュアルに乗っ取って行動を取っている。とくに混乱は起こっていないのは幸いだった。

「地下に向かっているのが一人」

 おそらくそれがアズサなのだろう。「G」の反応がないことに歯がみしながら、探し続けてあり得ないことに気付く。

「ソラの反応がない?」

 思わずため息を吐きたくなる。
 今さら彼のデタラメさをとやかく言わないが、やはり「G」と何らかの関わりを持っているのではと思ってしまう。

「アズサ・イチジョウを発見。地下に向かっている」

 念話で場所を告げて、クロノも動き出した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「はあ……はあ……はあ……」

 息を切らせて人のいない廊下を走る。
 こんなに走ったのは久しぶりだった。
 何のために走っているのだろうか。
 こんなことをしても何にもならないのは分かっている。
 逃げ出しても管理局は必ず追ってくるだろう。
 声だけの人を信じて、たくさんの人に迷惑をかけて何がしたいのだろうか。
 自問自答に答えはでない。

『ストップ』

 突然の制止に転びそうになる。

「な、なに?」

『魔導師だ。どうやら気が付かれたようだね。それにこれは……何だ?』

「あ、あの……」

「いたぞ! サンプル01だっ!」

「サンプル……01?」

 呼ばれた言葉に愕然とする。
 廊下の先で杖を持って叫ぶ一団に恐怖を感じる。

『すまないが接続が維持できない』

「え……?」

『なに安心していい。それが君を守る』

「ちょ……ちょっと!?」

 引き留めようにも声の気配は頭の中から消えてしまう。

「そんな……」

 投げ出された状況にアズサは呆然とする。

「抵抗はやめ、大人しく投降しろ!」

 突き付けられた杖に思わず後退ったところで魔導師たちの横の壁が弾けた。

「きゃああ!」

 頭を抱えて伏せる。

「ぐおおおおおっ」

 壁を突き破って現れたのは異形の化け物。
 現れた「G」は巨人だった。

「うわあああああ」

 上がる悲鳴。
 巨人はその大きな腕を振り下ろす。

「ひっ……」

 弾けた赤に息を飲む。
 乱雑に撃ち込まれる魔法を意に介さず巨人はゆっくりと腕を引き戻す。
 庇うように立つ巨人の背中には自分と同じフィンがあることに目を見張る。

「あ、ダメ!」

 振り上げられた腕にアズサは制止の声を上げていた。
 炎が走り、その腕を包み込む。
 耳障りな苦悶の悲鳴を上げるが、それよりも振り返った向けられた敵意の意思にアズサは身をすくませる。
 反射的にもう一度、今度は意図的に力を使う。
 だが、炎は巨人の眼前を焼くだけだった。
 炎が通用しない無力さにアズサの身体から力が抜ける。

 ――ああ、私はここで死ぬんだ。

 恐怖はそれほどなかった。
 これまで人に迷惑をかけて、傷付けてばかりだった。
 今でもそうだ。
 自分が逃げ出そうとあの声に従わなければこんなことにならなかったはずだ。

 ――いつだって私はどこまでも愚かで、

 振り上げられた腕に抵抗する気力など湧いてこなかった。

 ――変わらない……変わっていけない自分が嫌い。

 だから、もういいのだ。
 諦めるのは慣れているのだから、自分が死んでも誰も悲しむ人がいないのだから。

 ――ああ、猫たちにお別れ言えなかったな。

 場違いな思考にアズサは苦笑してしまう。
 せめて笑えたことにかすかな喜びを感じて、振り上げた大きな腕を見上げて、腕を見失った。

「え……?」

「アズサ・イチジョウだね? 無事?」

 黒いコートの背中にクロノの姿を思い出すが、その声は頭に響いていたものとよく似ていた。
 でも、何か違った。

「少し待ってて、すぐに片づける」

 その人は黒いコートを投げ渡して被せてくれた。
 視界が塞がれた一瞬で重い音が響く。

「あ……あの……」

 見た目よりも重いコートから顔を出すと、巨人が倒れていた。

「へ…………?」

 先程まで魔導師に対して圧倒的な力を誇っていた生き物は無様に床に転がされている。
 その光景に向こう側の魔導師たちもポカンと呆けている。
 咆哮を上げて勢いよく立ちあがり、焼かれてもまだ大木と思える腕を巨人は振り回す。
 それをその人は受け止めたかと思うと、巨人の身体が宙を舞っていた。

「はっ!」

 気合いの乗った声。
 そして雷が落ちたかのような轟音が響いた。
 それも一つではなく何度も。
 薄暗い中で魔力刃の残光が幾重にも重なってまるで闇の中に花が咲いたようだった。
 場違いでも幻想的な光景に見惚れていると、不意に斬撃が止まる。
 そしてズンッと重い振動が廊下を震わせた。
 巨人はそれ以上動く気配はなかった。
 先程まで続いていた轟音が嘘のように静まり返って、歓声が上がる。

「き、君が例の第三部隊の切り札か。すごいじゃないか!?」

 興奮した魔導師の言葉にこの人も自分を実験動物として扱う人たちの仲間なんだと気付く。
 無理だ。こんな人からは逃げられるはずがない。
 先程感じた、安堵感が一瞬で凍りつく。
 しかし――

「寝てろ」

「は……?」

 間の抜けた言葉を最後に彼に近付いた魔導師は倒れた。
 そして、それを見ていたはずの残っていた魔導師たちも次々に倒れていく。
 何が起きているのか分からないアズサに彼は手を差し伸べる。

「僕の名前はソラ。君の味方だ」

 アズサはただ呆然と彼の顔を見上げた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「これは……」

 目の前の光景にクロノは顔をしかめた。
 人の死体が一つに、無造作に無傷で倒れている魔導師たち。
 そして廊下に無造作に倒れている巨人。

「ソラの仕業だろうな」

 気を失っている魔導師たちの容体を簡単に確認して、生体反応のない「G」に近付く。
 外傷は腕の重い火傷と、他方の腕の喪失。そして腹部における無数の打撃痕。
 それは間違いなくソラが着けた痕だろう。
 ソラの「G」に対しての攻撃は大きく分けて二つ。剣による斬撃か打撃による内部破壊のどちらか。
 詳しくは見ただけでは分からないが、この「G」の中身はミンチにされているのだろう。

「もう接触したのか」

 魔法によるサーチもアズサの部屋も知らずによく見つけられたものだと感心してしまうが、やはり先程の憶測に現実味を感じてしまう。
 ならば目的は何だったのだろうか。
 浮かぶ疑問を払って今やるべきことを考える。
 一度アズサを捕捉しているから彼女の位置を特定することは簡単だ。そして、おそらくソラもそこにいるだろう。

『クロノ君、聞こえる?』

「エイミィか、通信が回復したのか?」

『うん、それともうすぐシステムも復旧するから』

「そうか……「G」の死体を一体確認した。おそらくはソラがやった」

『おそらくって、一緒じゃないの?』

 返す言葉に迷った。司令室でのやり取りは当然のことながらエイミィは知らない。
 それに二人の主張のどちらが正しいのかクロノには分からなかった。
 状況ははやての時によく似ている。
 アズサには放火という前科があるがそれは能力の暴走によるもの。
 彼女の人権を無視した行為は違法であり、管理局は彼女の人権を侵害する権限はない。
 ないのだが、「G」の脅威は日に日に大きくなる一方。
 対処用の魔法ができたとはいえ未だに「G」の生体については謎が多い。
 そのために人の形をしている「G」であるアズサ・イチジョウを調べるたいのは分かる。
 しかし、彼女を人間ではないと言えるほどにクロノは割り切りはよくなく、かといって上層部の決定に異を唱えるほどに強い意志を持っていなかった。

「情けないな」

 優柔不断、ただ流されているだけの自分にクロノはうつになる。

「ソラが協力を打ち切ってアズサを逃がすために動いている」

「それって、どういうこと?」

「僕は何をやっているんだろね。グレアム提督にあんな偉そうなこと言っておいて」

 聞き返す言葉に応えずにクロノは独り言をもらす。
 結局、アズサを捕まえるために動いている自分は闇の書事件の時の恩師とやっていることが変わらないのではないか。
 アズサの尊厳を無視して、「G」の研究を早めることができるはず。
 逆にアズサを逃がしたら研究は遅れ、その間にも「G」による被害は増える。
 その間に犠牲になるのは一人か、それとも十人か、はたまたもっと多くの人たちか。
 それを考えればアキや上層部の決断は正しいのだろう。

『クロノ君、大丈夫?』

「……………問題ない。すぐに……ソラを追う」

 アズサを追うとは言えなかった。
 それを誤魔化すようにソラを追うと言ったクロノの心境は本人を含めて誰にも分からなかった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「あ……あの」

 前を歩くソラに声をかけるのにアズサはかなりの時間を必要とした。
 しかし、声をかけて何を聞くべきか迷った。
 あなたは管理局の人間ではないのか?
 どうして助けてくれるのか?
 頭の中で聞こえた声によく似ているが本人なのか?
 もしそうなら自分と同じだというのは本当なのだろうか?
 疑問は尽きない。

「なに?」

 足を止めて振り返るソラ。

「…………わたしが……怖くないの?」

 絞り出した声は小さかった。

「何で?」

「何でって、それはわたしがあの……化け物と――」

「君は化け物じゃないよ」

 言い終わる前にソラは遮った。
 真摯な眼差しのソラにアズサは気後れする。
 とても嘘を言っているとは思えない眼差しだったが、自分を卑下することに慣れてしまったアズサはそれを素直に信じることはできなかった。
 いや、信じたくてもそれがやはり嘘で裏切られるのが怖いのだ。
 しかし、言葉にしなくても確かめる手段はある。
 触ることができれば、彼の考えていることが分かる。
 表層の思考までならフィンを出さなくても読み取れる。
 しかし、それを行うことに抵抗があった。

「でも……わたしはあの生き物と同じって」

「体組織はそうみたいだね」

 ソラは誤魔化すことなく頷いた。

「でも、それだけでしょ?」

「え……?」

「別に君が今まで暴れ回っていたわけじゃない」

「それは……そうだけど」

「だから君が不当に扱われることはないんだ」

 それはまるで自分に言い聞かせているようにアズサに聞こえた。

「それってどういう――」

 聞き返そうとしてところでソラはシッと人差し指を口に立てた。
 両手で口をつぐんでみると、静かな廊下に響く音に気付いた。

「ここで少し待っていて」

 止める間もなくソラは駆け出した。
 一人残されてアズサは壁に背中を預け、そのままズルズルと座り込んだ。
 彼に借りたままの黒いコートを握り締める。
 そうすることで少しでも彼の気持ちを読み取ろうとしてもアズサにはそんな能力はない。

「……分からないよ」

 正直、ソラが何を考えているのかさっぱりだった。
 会ったのは廃ビルの時でもアズサは気を失っていた。
 言葉を交わしたことも、目を合わせたこともなかったのに彼は助けに来たと言った。
 管理局から助けてくれるということは管理局を敵に回すということだ。
 それを見ず知らずの、それも化け物かもしれない相手のために行うなどとは正気の沙汰とは思えない。

「見つけたっ!」

 突然の声にアズサは身体を震わせた。
 薄暗い廊下の先には水色の光の玉を光源にして近付いてくる黒い影があった。

「…………クロノさん?」

 それは廃ビルで会った少年だった。
 自分が助けた姿を見て安堵するが、彼が管理局の人間だと思い出して警戒する。

「ソラは――」

 言いかけたところでソラが向かった先の廊下から争う音と魔力光の光が明滅して廊下を照らす。

「アズサ、すぐにここから離れるんだ」

 そう言ってクロノはアズサの手を掴もうとした。それを咄嗟に腕を引いていた。
 空を切った手に驚くクロノにアズサは口を開いた。

「わたしは……化け物なの?」

「な……何言っているんだ。ソラに変なことを吹き込まれたのか? それなら――」

「管理局の人はみんなそう思ってる」

 アズサがフィンを展開するとクロノはすぐさま彼女から距離を取った。
 その反応に痛みを感じながらアズサは続ける。

「わたしの力、「発火能力」だけじゃなくて他にもあるの」

「……何だって?」

「それほど強いものじゃないけど。手を使わないで物を動かしたり、触ってその人が何を考えているのか分かったり」

「まさか!?」

「アキっていう人が思ってた。それにサンプル01なんて呼ばれた!」

 いくら諦めることに慣れているからといってもそれは耐えられるものではなかった。

「管理局はわたしをどうするつもりなの?」

 溜め込めたものを吐き出してもクロノは苦い顔をするだけで何も返してくれない。
 その様子にアズサは落胆した。
 勝手なこととは分かっていても、誰か一人くらいソラの様に否定してほしかった。
 管理局に知り合いはいないから、唯一関わりがあったのは廃ビルで言葉を交わしたクロノだけがそれを期待できる相手だった。

「だからってソラを信用できるのか?」

「それは……」

 切り返された言葉に言い淀む。
 ソラを信じていいのかということはアズサにとっても疑問があった。
 頭の中に響いた含みのある声を信じたわけではない。
 ただ選択肢がなかったから流されるように行動していた。
 実際、あの声がなかったら停電が起きたからといってアズサは行動を起こしたりはしなかっただろう。

「ソラは信用できない。あの化け物だってもしかしたらソラが用意したものかもしれない」

 言葉に詰まったアズサにクロノは言葉を重ねる。

「ソラの目的を君の能力で確かめてみたのか?」

「それはしてないけど……」

「最悪、君は管理局に残る以上にひどいことをされる可能性だってあるんだ」

 クロノの言葉にアズサの中で疑念が大きくなっていく。
 もっとも、本来のクロノならこんな他人を根拠もなくおとしめる様な事は言うことはない。
 クロノもまたどうしていいか分からずに迷走し、冷静ではなかった。
 これがアズサではなければ何かを言い返していたかもしれない。
 だが、人と関わりを断つようにして生きていたアズサが執務官として働いてきたクロノに会話の主導権を取り返せるはずなかった。
 それでもせめてもの抵抗なのかアズサは思考をそのまま口にしていた。

「……あの人はわたしと同じ力を持っているって言ってた」

 それはソラのことを指したものでも、クロノの言葉に答えたものでもない。ただ思い出したことをそのまま口にしただけの言葉。
 そして、言葉にしてそれが自分を助けてくれる理由だと思った。
 しかし、そんなアズサの内情などクロノが察することなんてできるわけがない。

「何だって!? いや、やっぱりそうだったのか」

 驚愕から変わって納得する。

「それが本当なら、なおさら君を行かせるわけにはいかない」

 最後通告だと言わんばかりにクロノは杖をアズサに向けた。
 向けられた敵意にアズサは咄嗟に炎を走らせていた。

「あ……」

 まずいと思ったが、次の瞬間、浮遊感を感じていた。

「わ、わ……」

 床に受け身も取れずに身体を打ち付けて、そして気が付いたらバインドが身体を縛り付けていた。

「アズサ・イチジョウ、君を拘束――うわぁ!?」

 眼前に突き付けられた杖に抵抗の意思がくじけたかと思うと、クロノは悲鳴を上げて弾き飛ばされた。

「随分と酷いことをするんだなクロノ」

 青い光が走ったかと思うとアズサを縛るバインドが断ち切られた。

「ソラ、これはお前がやったのか!?」

 投げつけられた気絶する魔導師を押しのけてクロノが立ち上がる。

「そんなの言うまでもないでしょ?」

「君は! 自分が何をやっているのか分かっているのか!」

「アズサをここから連れ出す」

「それは管理局を、世界を敵に回すってことだぞ!? 正気か!?」

「正気だよ」

「……なら力ずくで止めさせてもらう」

 そう言ってクロノは杖を構えた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……なら力ずくで止めさせてもらう」

 そう言ってデュランダルを構えたクロノは頭の中で戦略を考える。
 ソラ。魔導師ではないが陸戦Sランク級の戦闘能力を持つ存在。
 魔法無効化という特殊技能を持つがおそらくは「G」と同タイプの力と予想できる。
 相手は人間と思わずに人型の「G」と考える。だからこそ扱うのはデュランダルだった。
 これまで一番多く彼の戦っている姿を見てきたクロノは当然彼と戦うこともシュミレートしたことがあった。
 ソラが駆け出した。
 十メートルもない距離は一瞬で詰められるが、それと同じだけクロノは背後に飛んでいた。

『スプレッド』

 三つの水弾がソラを狙う。
 一番の課題はソラを近付けないこと。
 この狭い廊下はむしろ都合がよかった。
 生半可な射撃は難なくかわされるが、クロノは彼が無効化すると当たりをつける。
 彼の背後にアズサがいるのだから。
 だが予想に反してソラは床から盾を拾い上げて防いだ。

「ぐへっ」

 引き潰した悲鳴。ソラが盾にしたのは投げ込んだ魔導師。
 予想外のことに思考が停止する一瞬で保った距離がなくなる。
 それでもソラが近付いてきた瞬間に設置していた五つのバインドが起動する。
 十数個の鎖が一斉にソラに殺到する。
 その全てをかいくぐってソラはクロノの背後を取る。
 それはクロノの誘導でもあった。
 ほんの少しの隙間を作った配置、普通の人間なら通れないそれにソラは気付いて動く。
 背後には身体を目隠しにしたストラグルバインドを設置してある。
 手応えはあった。しかし縛り付けられていたのは盾にされた魔導師だった。ソラの姿は完全に見失った。
 咄嗟に水を操作して全周囲に壁を作る。
 衝撃は頭上から来た。
 水が弾ける。ソラが着地して剣を振る。クロノは飛び散った水を集め直して盾にする。
 斬撃に水の盾は弾かれる。その度に水は再構築される。
 ソラの斬撃とクロノの再構築速度、後者の方がわずかに勝り反撃の余裕が生まれる。

『スナイプショット』

 再構築の隙間からソラの眼前で放った光弾。
 それを後ろに跳んで切り払う。
 距離が取れたことに安堵しながらも、「G」対策の魔法の有用性を改めて感じる。
 物質を使っているからかソラの能力では容易に無効化されない。
 壊されたとしても周囲に飛び散ったものだから再構築というよりも集め直すのは容易だし、重量もあるからソラの斬撃を十分に受けられる。

「ソラ投降しろ。君の手の内は全部分かっている。君では僕に勝てない」

 今のでソラの速度を改めて体感して確信した。
 非魔導師としては驚嘆に値するものでも始めからそれを除外して考えればソラの動きは決して常識外れというわけではない。
 近距離では確かに圧倒されてしまうかもしれないが、それも水の魔法の防御手段があるのだからそれほど恐ろしいものではない。
 ようはSランク魔導師と戦っていると思えばいいのだ。
 そしてソラは基本的に近接能力しかないのだから付け入る隙はいくらでもある。

「何を言っているんだか? 僕はまだ本気を出してないよ」

「……子供みたいなことを言うな」

 とは言いつつも構えを取ったソラに緊張を高める。
 半身になり、右腕を引いた極端な刺突の構え。
 貫通攻撃なら水の防御を貫くかもしれない。いや、ソラなら貫くと想定する。
 ドンッ、ソラの床を蹴る音が重く鳴り響く。
 そして気付いたら剣はもう目の前だった。
 十数メートルの距離を刹那で詰めて放たれた突き。
 それは水の盾を容易く貫通した。
 だが、咄嗟のクロノの操作と身のこなしによって刃はクロノの肩をわずかにかするだけで済んだ。
 クロノは勝利を確信した。
 全力の体重の乗った刺突の威力は息を巻くものだが、それ故に技後硬直も大きい。そしてソラの剣は水の盾を貫いて封じている。

『ブレイク・インパルス』

 本来なら振動エネルギーを持って対象を粉砕する魔法だが、全身に衝撃を送り込んで昏倒させる使い方もできる。
 だが、伸ばした手は難なくソラの左手に払われた。
 驚愕にクロノは目を見開く。
 魔導師に匹敵する突撃のエネルギーを身体を流さずに二つの足で受け止めた。
 どれだけの訓練を積んだというのだろうか。クロノには想像できないものだった。
 しかし、驚いてばかりではなくクロノは水の盾を操作して刺さったままの剣をソラの手からもぎ取る。
 これでソラの最大の攻撃手段を奪い取った。
 未だにソラの間合いの範囲だが素手、もしくは銃撃でも強度を上げたバリアジャケットなら受け止める自信はあった。

「なっ……!?」

 ソラは剣を手放して身を屈めていた。
 そして身体全身を使って左手で振り払ったのはよく知っているソラの魔法剣。
 それがクロノの身体を両断することはなかったが、その衝撃はバリアジャケットなど意に介さずにクロノの身体を突き抜けた。

「がはっ……」

 呼び出していた水がクロノの制御をなくし、盛大に床にぶちまけられる。
 盾に突き刺さっていた剣は落ちてソラの右手に収まる。
 直後、ソラの両手は霞んで一つの衝撃を受けてクロノは崩れ落ちた。 
 二本目の魔法剣。
 それが意味することは、ソラの戦闘スタイルが本来は二刀流であること。
 その事実にクロノは驚愕した。
 今までの「G」との戦闘にフェイトとの模擬戦。それら全てに手を抜いていたということだ。

「行くよアズサ」

「は……はい」

 拾った剣を納めてソラはアズサを呼ぶ。
 すでにソラの中でクロノは無力化したと思っているのだろう。
 事実、クロノは痛みに動くことも魔法を使うために集中することもできなかった。
 肋骨が折られているだろう。それだけではなく内臓も痛めているだろう。

「ま……まて」

 それでもクロノは目の前を通り過ぎようとしたソラの足を掴んだ。
 実力を隠していたソラに怒りを感じる。
 だが、それよりも嫉妬を感じてしまう。

「ど……どうして……」

 それだけの力があったらと思うと嫉妬せずにはいられない。
 魔導師を圧倒する力を持ち、「G」も苦にせず倒せる力があれば。
 そんな力があれば誰も犠牲にしなくて済むのに。

「どうして何だ……?」

 力が入らない手をソラは意に介さず振り解く。

「…………ごめんなさい」

 そんなクロノにアズサは頭を下げた。
 それがまたクロノの心をきしませる。
 謝られる筋合いはないのに。
 むしろ罵ってくれた方がよかったのに。
 それだけのことを自分たちは彼女にするつもりなのに。

「…………いけないのか?」

「わっ……?」

 不意にソラが止まりその背中にアズサがぶつかる。

「いけないのか? 一人でも多くの人たちを守りたいと思うのが?」

 うわ言のように喋るクロノの襟首を掴み無理やり起こす。

「だから、何をしてもいいっていうのか?」

「仕方……な――」

 言い終わる前に頬に衝撃を感じた。口の中に血の味が広がる。

「ふざけるな! 勝手なことを言って、全部お前たちの都合じゃないか!?」

「だったらどうすればいいんだ!」

 痛みを忘れて叫んでいた。

「僕には君のような力なんてない! 僕たちは全てを救うことなんてできないんだ! だったらより多くの人を守ることの何が悪いって言うんだ!?」

「大義名分を振りかざして、たった一人を犠牲にして偉そうなこと言ってるんじゃない!」

 また殴られた。痛みもう感じないが身体は動かせそうにない。それでもソラを睨みつける。

「偉そうなのはどっちだ! 一人を守ってヒーローを気取って、君の力ならもっと多くの人を救えるのに!」

「僕の力の使い方をとやかく言われる筋合いはない!」

「ふざけるな! 力を持つ者には相応の責任があるんだ。それを君は――」

「はっ……責任? そんなの管理局が勝手に押しつけたものだろ!」

「勝手はどっちだ! 義務も責任もないがしろにして力を行使する。まるでチンピラじゃないか!」

「チンピラで何が悪い! 人を助けるのに肩書きなんて必要ない!」

「そんなのはただの暴力だ! そんなものでいったい何が救えるっていうんだ!?」

「救ってやるさ! 現にアズサだって――」

「こんなの救いだなんて言わない!」

 クロノの剣幕に押されてソラが言葉に詰まる。

「これから先アズサは一生追われ続けることになる。それの何処が救いだ!」

「ぐっ……それでも僕は救われたんだ!」

「もうやめて!」

 振り上げた拳にアズサが飛びついた。

「アズサ、こいつは!」

「お願いだからもうやめて!」

 涙混じり懇願に振り上げた拳をソラは何とか下ろし、胸倉を掴んでいた手も放した。
 支えをなくしたクロノはそのままズルズルと壁に身体を預けるようにして座り込んだ。

「ごめんなさい……ひっく…………ごめんなさい」

 嗚咽をもらして謝り続けるアズサにクロノもソラも何も言えなかった。

 ――情けない。

 内心でクロノは自嘲した。
 結局、どっちが正しいなんてことは決められるはずない。
 それぞれ立場が違うのだから意見が対立することなんて当たり前だ。
 ソラは外部の協力者であり、管理局の行動理念などに準じる義務はない。
 クロノは逆に組織の人間だから個人のことよりもより多くの人の安息を守らなければいけない。
 物事の善悪なんて立ち位置だけで大きく変わることは分かり切っていたこと、なのにわめき散らして、挙句の果てには一人の女の子を泣かせる始末。
 これでは自分が何をしたいのか分からない。
 ソラも同じ様な心境なのだろう。
 今のソラ達は一秒でも留まっているべきではないのにアズサを無理矢理立たせることもせず、背を向けている。

「いけないな女の子を泣かせるなんて」

 気まずい空気を切り裂いたのは軽薄な声だった。
 それにすぐ反応してソラが庇うようにアズサの前に出る。
 水浸しの廊下を音を立てて悠然と歩く足取りはとても争いに来たとは思えないほどに軽い。
 背丈や声からしてソラと大して変わらない位だろうが、判別するための顔が道化師の仮面に覆われていた。

「……クロノの知り合いか?」

「そんな……わけないだろ」

 こんな奇抜な姿をした管理局員なんていたらすぐに話題になるはずだ。

「あ…………声の人」

 思わぬ言葉はアズサの口からもれた。

「アズサ……君の知り合いか?」

「あの部屋にいた時にテレパスで話かけてきた人。ソラかと思っていたけど……」

「テレパスってことはHGS能力者ってこと!?」

 道化師から目を離さずにソラは驚きの声を上げた。

「HGS? よく分からないがアズサと同じ能力者であることは間違いないよ」

 道化師の背後が揺らぐ。
 水色の光が照らす廊下に現れたのは闇に溶けそうな漆黒のフィンだった。
 それにクロノは驚愕、アズサは感激に目を輝かせる。

「お前は……なんだ?」

 一歩後ずさるソラ。顔は見えなくてもその表情が驚愕に染まっているのが分かるが、クロノのそれとは違っていた。

「やれやれ、せっかく用意した囮は全部やられてしまったか」

「囮、お前はまさか「G」を――」

「そう私が送り込んだ」

 道化師の肯定にクロノはその目に明確な敵意を乗せる。

「お前を……ぐぅ」

 立ち上がろうとして痛みが走り膝を着く。

「さあ、行こうかアズサ」

 そんなクロノも立ちふさがるソラも無視して道化師はアズサに向かって告げる。

「私は君の同族だ。君を理解できるのは私だけだ」

「わたしの……同族……」

「行くな! アズサ!」

 呆然とその言葉を繰り返すアズサにクロノは声を上げる。
 ソラはともかくこの道化師は危険すぎる。
 その姿を見た瞬間から嫌なプレッシャーに息苦しさを感じている。
 それを感じているのはソラも同じだったのだろう。
 フラフラと歩き出したアズサの肩をソラが掴む。

「アズサ、そいつは君の同族なんかじゃない」

「え……?」

「おやおや」

「そいつのフィンは君のと違って人工的な気配を感じる」

「正解だ。君が管理局が手に入れた秘密兵器というのは」

「もう手を切ったよ。それにしてもようやく合点がいったよ」

「ほう、何がだね?」

「HGS、魔導師とは別の進化系の能力を持つ生物。それがどうして大量発生していたのかっていうことだよ」

「ソラ、何を言っているんだ?」

「こいつからは闇の書と同じ気配がするんだ」

 予想もしなかった単語に声を上げそうになるが痛みで声を詰まらせる。

「クロノも夜天の主を知っているだろ? あの子だって常識では測れない技術を持っていたでしょ?」

「何を言っているんだ?」

 ソラの言っていることが理解できない。

「人の進化を研究テーマにした魔導書……確か、東天いや北天の魔導書だったか」

「正解だ。それを知っているからには君もいずれかの魔導書の王なのだろ? それならばあの失敗作が倒されたことも納得できる」

「とっくの昔に裏切られて魔導資質は失ったよ。今はただの剣士で銃使いさ」

 クロノとアズサの存在を忘れ、話が進んでいく。
 はっきりいってクロノには彼らが何を話しているのか理解できなかった。
 それでも推測できる情報はいくつもあった。
 常識外の技術。東天、北天の魔導書。
 名前と話し方からして夜天の魔導書と同系統のものだと分かるが、夜天の魔導書で「G」について聞いたことなどない。

「いったい……何を言っているだ君たちは?」

「ふむ……聞かせるよりも見せた方が早いか。ちょうど素材は転がっているのだから」

「やめろっ!」

 道化師が倒れたままの魔導師を一瞥するとソラが飛び出した。
 道化師はその手に分厚い魔導書を呼び出した。
 表紙には金装飾。デザインは違うがクロノの知っている夜天の書によく似たものだった。
 ソラは容赦をするつもりがないのか、真っ直ぐに道化師の頭に向かって先程と同じ瞬速の突きを放つ。

「驚いた。魔法を失ったのにこんなに速く動くなんて」

 道化師の眼前に剣先が突き付けられる形で止まっていた。
 そして、ソラの体制も不自然だった。右の剣を突き出した状態で、制動をかけるはずの足は床に着いていない。

「だけど、正面から突っ込むのは無謀だよ」

 そのままの体勢で突然ソラは壁に叩きつけられた。
 それだけでは終わらずに逆の壁、天井、床、まるでボールのようにソラは何度も叩きつけられる。

「……この!」

 銃撃が鳴り響き、バウンドしていたソラが落ちる。

「その状況で反撃とはデタラメだなぁ」

 呆れた声をもらす道化師の前ではソラが撃った魔力弾が制止して、霧散した。

「しかし、魔力も感じなければ他のエネルギーも君自身からは感じない……少し君に興味が出てきたよ」

 フラフラと立ち上がるソラを冷笑をする気配を出して道化師は改めて倒れた魔導師に向き直る。

「北天の魔導書」

「ま、まて……」

 止める間もなく、魔導書が開く。

「時間もないから簡単にさせてもらうよ」

 白色の魔力光が溢れ、一条の光線が魔導師を貫いた。
 ビクンッと魔導師の身体が震え、そして悲鳴が上がる。

「が…………ああああああああああっ!」

 変化はすぐに起こった。
 それはまるでB級ホラーの映画でも見ているような光景だった。
 あえて見たことがあるものに当てはめるなら、それは闇の書の闇の再生活動だろう。

「いやだ……だれか、たしゅ……ぐふっ」

 身体は膨張し、すぐに人の原型をとどめないほどに変わる。
 その光景にクロノの思考は完全に停止し、ただ呆然と変化が終わるのを見続けた。
 そうこうしている間に、かつて人だったものの背中に水色の光が生まれる。
 姿はもはや魔物と変わらないが、特徴的な光の羽はそれがなんなのか知らしめる。

「まさか――」

「そう君たちが「G」と呼ぶものだよ」

 道化師に考えを肯定してまず始めに思い出したのは「G」を倒した時の感触だった。

「ああ、その通りあれの材料も人間だよ。そこら辺にいた君のお仲間たちだよ」

 最悪な予想を言葉にされて込み上げてくる吐き気をクロノは何とか抑える。
 自分が倒した、殺した。何を、化け物を、人を。助けを求めて化け物にされた人を。
 バラバラの思考、今にも叫び出しそうだったが、ギャンとコンクリートを削るソラの剣の音に何とか我に返る。

「君の相手はこいつだよ」

 ソラが動くより早く、足下の水が凍り、針となってその足を貫いた。

「なっ……?」

 ソラはまた盛大に水しぶきを上げて倒れてしまった。

「ソラ!」

「アズサを守れ、クロノ!」

 すぐさまソラは無事な足で床を蹴って壁に剣を突き立て、足場を作る。
 それを追いかけて水が大蛇の形を取って襲いかかる。
 壁を蹴り、一瞬遅れてその壁が水蛇によって破壊される。
 足一本と剣を器用に使って左右の壁を飛び跳ねてソラは魔導師だった「G」に斬りかかる。

「やめろ、ソラ!」

 頭に過ぎった最後の魔導師の姿にクロノは思わず叫んでいた。
 しかし、ソラの勢いは止まらなかった。
 だが、刃は「G」の身体を切り裂くことはなかった。
 そしてソラが次の行動をするよりも速く、横手から新たな水蛇が殴り飛ばした。
 グシャ、そんな音が響いてソラは壁に叩きつけられて動かなくなった。

「……ソラ?」

 クロノは言葉を失い、アズサは呆然と彼の名前を呟いた。
 バリアジャケットのないソラの防御力はないに等しい。それを補うための黒いコートは今アズサが着ている。
 「G」の攻撃の強さはクロノは身を持って知っている。
 生身であんなもの耐えられるはずがない。

「やれやれ、運がないね彼。よりによって水流操作の能力が出てくるなんて」

 道化師の声には彼の不運を嘆く言葉が漏れる。
 しかし、同情はそこまでで道化師はクロノ達に向き直る。

「さて、玩具は壊れてしまったから本題に入るかな」

 クロノはデュランダルを杖に立ち上がり、S2Uを道化師に向ける。
 たったそれだけの動作で脂汗はにじみ出て、打たれたわき腹から激痛が走る。

「アズサ・イチジョウ、この世界に君の居場所はない」

 そんなクロノを無視して道化師は言葉を紡ぐ。

「まあ、私の力も貰いものでしかないから厳密に言ってしまえば君とは違う」

 アズサはクロノの後ろで震えている。

「だがね……」

 思わせぶりに魔導書を見せつける。

「この魔導書を使いこなすことができれば、本当のフェザリアンを生み出すことができる」

「え……?」

「聞くなアズサ!」

「少し静かにしていろクロノ・ハラオウン」

 軽く道化師は手を振る。
 それだけでクロノは不可視の力に掴まれて壁に叩きつけられた。

「があっ……」

 意識が一瞬飛びかける。
 かろうじて意識を繋ぎ止めるが、完全に動くための力が失われた。

「私の元に来れば君は孤独から救われる」

「孤独……でも……」

「彼らに君の苦しみを理解できるのかな? 無理だね、管理局は君をモルモットとしか見ない」

「でも……ソラは……管理局じゃないって……」

「確かに彼は違うみたいだけど、彼は無力な人間だ。いささかしぶとくはあるけど」

 かすかに動くソラを一瞥して道化師は続ける。

「だけど、彼と一緒にいたいと望んでも君の力は彼を殺すよ」

 それはアズサのトラウマをえぐる言葉だった。

「今のままでは君は一生孤独に生きて、孤独のまま死んでいく。それでいいのかい?」

「いや……やめて」

 耳をふさぎ、縮こまるアズサ。周りにはチラチラと炎が溢れ出す。

「君は――」

「やめて!」

 感情の高ぶりに炎が道化師に向かって走る。
 炎は命中する直前に弾かれてしまう。

「今は眠れ」

 道化師がアズサの頭に手をかざすとそれだけで意識を奪われたのか、アズサは道化師に向かって倒れる。
 それを抱き止めて――

「アズサを放せっ!」

 壁を支えにして立つソラが銃を突き付ける。

「呆れるほどの生命力だね。君、本当に人間?」

「うるさい、それより早く――」

「うるさいのは君だよ」

 銃を持っていた腕が道化師の言葉とともに捻じり曲がる。

「ぐぁ……」

 押し殺した悲鳴が上がり銃が落ちる。

「それではこれにて失礼」

 人を小馬鹿にしたような一礼をして道化師はアズサと共に消える。
 魔力反応はやはり感じない。
 どんな原理なのか、「G」関連の能力を目の当たりにすると疑問は尽きないが、そんなことをのんびりと考えている時間はクロノにはなかった。
 水が弾け、ソラが崩れ落ちる。
 呆けていたことを叱責して道化師が残していった「G」のことを思い出す。
 「G」はクロノのことなど見向きもせず、未だに戦意喪失しないソラをなぶる様に水の鞭で打ち払う。

「な……何で……?」

 どうしてそこまでするのかクロノには理解できなかった。
 何の交わりもないアズサにどうしてそこまで関わろうとするのか。
 管理外世界の友達が同じ能力者だから、だからといってもアズサは他人だ。自分の命を賭けるほどなのか。
 ソラのことは分からないことだらけだ。
 自分にない圧倒的な力を見せつけられて嫉妬し、自分勝手な正義に目ざわりだと感じた。
 それでも、何故か無様に痛めつけられる姿に込み上がるものを感じる。

「何を……やっているんだ僕は!」

 ダメージを負って動けない身体。そんなの今目の前で戦っているソラに比べたらどれほどのものだというのだ。
 痛くて力が入らない? 痛みで魔法制御に集中できない?
 クロノは自分の頬を力の限り殴る。
 そんな甘ったれた自分は死ねと言わんばかりにクロノは歯を食いしばり、立ち上がる。

「ブレイズ――」

 こぼれ落ちていく魔力を必死に繋ぎ留め、魔力を集中する。
 「G」はソラをなぶることに集中してクロノに気付いていない。
 もしかしたら人間の時だった気持ちが残っているのかもしれない。
 ソラに対して感じた劣等感と屈辱はクロノにも分かる。
 だが、それを間違ってもあんなことがしたかったわけじゃない。

「――キャ……」

 「G」に変わる前の魔導師の姿を思い出して引き金を引く意思が鈍る。

「ブレイズキャノン!」

 それを抑え込んでクロノは撃った。
 直後、限界を超えた代償か、クロノの意識は急速に闇に落ちていく。
 薄れゆく景色の中で最後にクロノが見たのは半身を失って、こちらに向き直った「G」の姿だった。
 そのままクロノは後ろに倒れ、気を失った。





[17103] 第八話 目標
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/05/05 22:26


「スターライト――」
「プラズマザンバー――」
「ラグナロク――」

 曇った空の下で、氷の海の上で三人の少女の声が唱和する。

『ブレイカーッ!』

 三条の野太い砲撃は闇の書の闇の身体を容赦なく削り、そのコアを露出させる。
 そのコアを宇宙に転送、アルカンシェルで蒸発させる。
 ……はずだった。

「うそ……」

 その言葉を漏らしたのは誰だっただろうか。
 言葉にしなくてもその場にいる誰もがそう思った。
 なのはとフェイト、はやての三人の砲撃を受けて、闇の書の闇はその魔力を吸収してその体躯をより大きなものに膨張していった。

「も、もう一回」

 いち早くなのはが我に返ってレイジングハートを構え直す。
 しかし、空のマガジンを排出し、代わりのマガジンを取り出そうとしてその動きが止まった。

「フェイトちゃん」

 なのはの呼びかけにフェイトは首を横に振る。
 続いてヴィータ、シグナム、シャマルを見回しても苦渋の顔が返されるだけ。
 悲愴感が漂う中でクロノの目の前に空間モニターが映し出される。

『クロノ執務官。全員を連れてすぐにアースラに帰還しなさい』

「母さんそれは――」

『これは命令よ。クロノ執務官』

 厳しい顔の母にクロノは頷くしかなかった。

「クロノ君?」

「すぐにアースラに戻る」

「え……でも闇の書の闇が」

「手段はある、だから早くっ!」

 語気を荒げた言葉になのはたちは身をすくませてクロノの指示に従い、転移魔法陣に乗る。
 なのはたちは納得しないにしてもどこか安堵した表情をしていた。
 おそらく、何か秘密兵器があると思っているのだろうか。クロノの大丈夫という言葉を簡単に信じてしまっている。
 対して、ヴォルケンリッターにユーノは険しい顔を崩していなかった。
 流石に彼女たちは騙せないかと思いつつ、表情に出ないように気をつけてクロノは転移魔法陣を起動する。
 視界が一転し、アースラの転移室に変わる。

「わ、わたしブリッジに行ってきます」

「待ってなのはわたしも」

 すぐに駆け出すなのはとフェイト。それに続くユーノとアルフ。
 予想できる光景にクロノは同じように走り出すことはできなかった。

「はやて!?」

 ヴィータの突然の悲鳴に何事かと見ればはやてが倒れていた。
 すぐさまシャマルが診断して、突然の魔力行使や疲労によるものと判断して医務室に行ってしまう。
 取り残されたクロノは重い足をブリッジの方に向けた。
 なのはたちが出した総攻撃によってコアを露出、大気圏外に転送してアルカンシェルを使うプランは失敗に終わった。
 だからリンディあの場に直接アルカンシェルを撃ち込むことを決めた。

「これは仕方がないことなんだ」

 誰に言い訳をしているのか、それとも自分に言い聞かせているのクロノは一人呟く。

「だってそうだろ。このままあれを放置したら周囲を侵食して、無限に成長してこの世界を滅ぼすんだから」

 さらに可能性を上げるなら隣接する次元世界にまで浸食が広がることも考えられる。
 それを阻止するためにもアルカンシェルの攻撃は必要なことだとクロノは何度も繰り返す。

「いやああああああぁ!」

 ブリッジの扉の前に立つと中からなのはの悲痛な悲鳴が耳を響かせた。
 中に入るのをためらうが、すでにセンサーはクロノを捉え、ドアが勝手に開く。
 そこには膝を着き、頭を抱えて未だに悲鳴を上げるなのはの姿。
 その横には呆然とフェイトが空間モニターを仰いで立ち尽くしていた。

「おとうさん、おかあさん、おにいちゃん、おねえちゃん……」

「アリサ、すずか……うそ、うそだよね?」

 理解が追いついてない様に痛々しいものを感じる。
 空間モニターを見上げればそこには何もない海がただ映っていた。
 そう、何もない景色、かつて海鳴と呼ばれた街が消えた光景が。
 建物の倒壊。言葉にしなかった人的被害。
 その光景を見たのは初めてではないが、親しい人間が被害者になる瞬間を見たのは初めてかもしれない。

「どうして……?」

 いつの間にかなのはが向き直っていた。

「何で……?」

 フェイトも暗い顔で振り返る。

「これは……仕方がなかったんだ」

「仕方がないってなんで!? こんなはずじゃなかった……こんなはずじゃ」

 なのはの言葉にプレシアに言った言葉を思い出す。
 こんなはずじゃない現実。それを押しつけた自分たち管理局は本当に正しかったのだろうか。
 正しいはずだ。
 そうしなければ被害は海鳴だけには留まらなかったのだから。
 しかし、それを口に出すことができなかった。

「どうしてアリサを、すずかを、みんなを殺したの?」

「だから……これは……」

 うつろな目を向けるフェイトを直視できず目をそらしてしまう。
 その先にはやてがいた。

「こんなことになるんやったら、わたしが封印されとったほーがよかったんや」

「そんなことは……」

 ないと言えなかった。
 こんなことになるならはやて一人の犠牲ですませればよかったと少しでも思ってしまった。
 だからはやての言葉を否定することができなかった。

「なークロノ君。どうすればいいん?」

「どうすれば……?」

「海鳴の人、みーんな死んでもーたんや。クロノ君たちが殺したんや」

 はやての言葉が突き刺さる。
 そして――

「わたしも殺すの?」

 振り返ればそこにはアズサがいた。
 俯いた暗い目にクロノは思わず後ずさる。
 だが、後ろにはいつの間にかなのはとフェイトが立っていた。
 四人に囲まれてクロノは逃げ場を失う。

「どうして、おかあさんたちを殺したの?」

「どうして、あんなことをしたの?」

「どうして、殺してくれなかったの?」

「どうして、殺すの?」

 四人の言葉にクロノは何も返せない。

「やめてくれ……」

「クロノ君」

「クロノ」

「クロノ君」

「クロノさん」

「うわああああああぁ!!」

「クロノ君! クロノ君っ!!」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「クロノ君! クロノ君っ!!」

 揺り動かされクロノはまどろむことなく、意識を覚醒させる。

「ここは……」

 目の前の光景は無機質な天井。
 一瞬までいたアースラの景色はどこにもいなかった。

「……エイミィ?」

 ベッドの横で安堵した溜息を吐くエイミィの姿をぼうっと見て数秒、思考が回り出す。

「エイミィ! 状況――つぁっ」

 勢いよく体を起して走った痛みにクロノは悲鳴を上げかける。

「起きて第一声がそれ? 人に散々心配させておいて」

 恨みがましい言葉でからかい混じりにエイミィは呆れながら、水差しから水をコップに注いで差し出してくる。
 それを受け取ってゆっくりと飲み、息を吐く。

「それで、あれからどうなった?」

 変わらないクロノの様子にエイミィは苦笑する。

「今日は「G」の襲撃の翌日。負傷者、死傷者の数はこれね」

 エイミィの出した空間モニターの数字にクロノは顔をしかめる。

「部隊の被害率は32%。見事に惨敗だね」

「…………ソラはどうなった? いや、そもそも僕はどうやって助かったんだ?」

「クロノ君の近くでころ……近くにいた「G」はソラ君が倒したみたいだよ」

「ソラが……あの怪我で?」

 最後に見た彼の様子を思い出して信じられない気持ちになる。

「怪我? ソラ君は怪我なんてしてなかったはずだけど」

「なんだって?」

 記憶との食い違いにクロノは混乱する。

「……まあいい。それでソラはどうした?」

「あーそれがね……」

 歯切れの悪い対応にクロノはいぶかしむ。

「まさか……逃げてもういないのか?」

「そうじゃないんだけどね」

 言葉を濁すエイミィに不信を感じる。
 やがてエイミィは言葉を選びながら話し始める。

「クロノ君、落ち着いて聞いてね」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 気がつけば無機質な狭い部屋だった。
 その中央に座らせる形で固定されて、拘束服を着せられている。
 現状を把握してソラは管理局に捕まったと判断する。

 ――どうしてものか。

 敵の真っ只中で気を失ったのだから仕方がないと考えながら、脱走の手段を考える。
 しかし、考えを巡らせるよりも早く目の前の扉が開いた。

「ようやくお目覚めかソラ」

「…………アキか」

 舌打ちしたくなるのを抑えて睨みつける。

「随分と嫌われたものだな」

「あれだけのことをしておいてぬけぬけと」

 ソラの言葉にアキは深々と嘆息する。

「僕はあんたの顔なんてもう二度と見たくないんだから消えてくれない?」

「そうはいかないな。私は君に聞きたいことがある」

「僕には話すことはない」

「北天の魔導書とはなんだ?」

「アズサは今何処にいる?」

「君は何を知っている?」

「あんたたちなら彼女の居場所を突き止めているはずだ」

「私の質問に答えないで自分のことばかりか。君は今の自分の立場が分かっているのか?」

「教えたって何もできないだろ? もっと自分たちの無能ぶりを自覚したら?」

 部屋の空気がきしみ、二人の間に見えない火花が散る。
 もしこの場に二人以外の人間がいたらその場のプレッシャーに悲鳴を上げていただろう。
 とは言え、ソラの言動と態度のほとんどは虚勢だった。
 会話の主導権の取り方などの知識と経験でアキに勝てる道理はない。
 それに何を言っても、何をしても拘束されているソラにできる反抗などたかがしれている。
 だからといって泣いて許しをこうなんてことはソラにできなかった。

「ただ働きばっかりさせておいて偉そうに」

 愚痴る様に漏らすとアキは言葉を詰まらせる。
 ソラは察していないが、アキはそのことに少なからず罪悪感を感じていた。
 魔導師でもない人間を矢面に出さなければならないことは管理局員として恥でしかない。
 せめてもの救いは探しものを手伝うという交換条件でその罪悪感を誤魔化していたが、二つの内の片割れはその日の内にソラが出会ってしまった。
 運命のいたずらとそれは互いに割り切ったが、もう一つの方は簡単に済まなかった。

「すまないな、闇の書については管轄が本局の方だから私が調べられることは少ないんだ」

「別にいいけど……」

 部屋の空気がそれで幾分か和らいだ。

「それで話を戻すが……」

 アキの言葉にソラは警戒を高める。

「北天の魔導書とは何だ?」

「誰が教えるか」

「……状況が分かっていないようだな。君に黙秘権はないんだよ」

「なら拷問でもする? ドアの向こうにルークスだったけ? そいつがいるみたいだし」

 その言葉にアキとドアの向こうの気配が揺れる。
 気付いてないと思っていたのだろう。
 しかし、動揺はすぐに取り繕われて、アキは冷めた目でソラを見下ろす。

「必要とあらばな」

「…………ふっ」

 その答えに思わず失笑がもれた。

「何がおかしい?」

「別に……流石クライドと同じ管理局だなって思っただけだよ」

「それはどういう意味だ?」

「そのままの意味だよ。お前たちは結局自分の都合でどんな汚いこともできるっていうことだよ」

「口をつつしめ。侮辱罪も追加したいのか?」

「事実でしょ? 多くを救うための犠牲だとか、悪を倒すために必要な悪だとか言い訳して、被害者面して手を汚す」

「黙れっ!」

 頬に衝撃が走り、視界がぶれる。
 すぐに顔を上げてアキを睨みつける。

「全部人のせいにして、自分たちの行動を正当化して、自分たちはあたかも汚れていないように振舞う」

「それ以上喋るな」

 アキは無防備なソラの首を掴み絞め上げる。

「自分の罪を棚に上げて、人のことにばかり難癖をつけて自己を正当化しようとする。犯罪者の典型だな、人殺し」

「ああ……だよ……ぼ……くは、人殺しだよ」

 でも――絞められて言葉をうまく紡げないが、拘束されているから抵抗もできない。それでも睨む力は緩めない。

「それでも……僕はお前たちより人を殺してないっ!」

 唐突に首に食い込む指の力が緩む。
 その隙に体を無理やり動かしてアキの手を強引に外す。
 勢い余って椅子から転げ落ちて、受け身も取れずに無様に転がる。

「くっ…………頭を冷やしておけっ!」

 吐き捨てるように言い放ち、アキは逃げるように出て行ってしまう。
 残されたソラはごろりと転がって仰向けになる。

「…………うぃなー」

 言って空しくなった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 アキとソラのやり取りをガラス越しに聞いていたクロノは部屋に満ちる嫌な空気に顔をしかめた。
 ソラのいる部屋を特殊ガラスで隔てるそこではソラの言葉に反感を感じる者ばかりだった。
 口々にソラをののしる言葉をもらす彼らにクロノは辟易とした。
 むしろ、少し前までの自分も同じだったのではないかと考えて怖気が走る。

『お前たちより人を殺してない!』

 その言葉はクロノの胸に深く突き刺さった。
 海鳴を消した夢。
 あれは夢ではなく、次元世界の何処かで行われたことだ。
 アルカンシェルによってもたらされた人的被害。極力被害が少ないようにしても絶対じゃない。
 それにアルカンシェルだけじゃなく、アズサのようなこと。
 他のどの事件だってそうだ。
 どれだけ被害を小さくしても犠牲は出てしまう時もある。その中には管理局が切り捨てた犠牲もある。
 小さな積み重ねはソラの言った通り大きなものになっているだろ。
 それは目を逸らしていいものではないはず。
 いつの間にかその重みに慣れて、割り切りがよくなり過ぎていたのかもしれない。
 それにクロノの動揺はそれだけではなかった。

『闇の書については管轄が本局の方だから私が調べられることは少ないんだ』

 アキの言葉。ソラの目的が闇の書だったことは驚きだった。
 闇の書事件は情報規制を行われている。だから彼女が言った通り部外者が簡単に調べられないようになっている。
 それはアキの地位でもそうだ。
 ソラが闇の書を探す理由はやはり怨恨だろうか。
 情報規制が行われているからソラが闇の書がもう無害な夜天の書になっていることも知ることはできない。
 もしソラがそれを知ったらどんな行動に出るか。
 ソラに打ち込まれた個所を手で押さえる。
 はやてを守るヴォルケンリッターが負けるとは思えない。
 だが、ソラの力は未だに未知数。
 そして時折見せる暗い表情に不安を感じてしまう。
 シュッ――空気の抜けるようなドアの開閉音にクロノは思考を止める。

「様子はどうだ?」

 先程の取り乱した姿は改めてアキは颯爽と入ってくる。
 そしてクロノの姿を見て意外そうな顔をする。

「クロノ執務官、もういいのか?」

「ええ、動けないほどじゃありません」

 それよりもこれはどういうことかと問いただす。

「妥当な対処だ」

 ソラは管理局の魔導師を攻撃した。
 そして道化師の持つロストロギアについても知っている。
 これまではソラの秘密よりも彼の実力を取っていたが、前者の割合が大きくなった。

「ですが、こんな強引なやり方は反感を買うだけじゃ」

「そんなことを言っている状況ではない」

 アキの言葉に言葉を飲み込む。

「ソラが何かを知っているのは確実だ。今回ばかりは彼の我儘を聞いている余裕も時間もない」

「それはどういうことですか?」

「アズサ・イチジョウに取り付けた発信機からの信号が動きを止めている。都市部から離れた廃都市区画の研究施設跡地だ」

「……そうですか」

「上層部は黒幕を倒すために部隊を結成して叩くつもりだ」

「まだ「G」の対処が確立してないのに?」

「人数と力技で押し切るようだ。すでに部隊の招集は始まっている」

「……随分と行動が早いですね」

「それだけ重要視されているということだ。だからこそ――」

 アキはガラス越しに転がるソラを見る。

「犠牲を少しでもなくすためには彼の情報が必要だ」

「だけど、ソラを戦力として協力してもらった方が――」

「アズサ・イチジョウも抹殺対象になっている」

「そんな!? どうして!?」

「さあな……」

 端的な言葉だったがそこに彼女の苛立ちを感じる。
 これでは彼女を助けたいと思っているソラに協力を求めることはできない。

「それにソラの身柄の引き渡しも要求されている」

 絶句するが納得してしまう。
 もうソラのことを庇えないくらいに状況が進展してしまっている。
 ソラの能力、知識。
 どちらも重大な秘密を持っているのは明白だ。
 そしてソラは自称だが元次元犯罪者。アズサをモルモットにする以上に抵抗はないと上層部は考えているに違いない。
 クロノにしてもその行動に納得してしまっている。
 ソラの力が解明されれば、ソラの知識を無理矢理でも引き出せば自体は好転するのではないかと思ってしまう。
 だが、それを肯定するのに押し止めるものがあった。
 短い間でしかないが行動を共にし知った彼の人柄。
 対立しまったが、彼の信念は一方的に否定できないものだと分かっている。

「…………どうするつもりですか?」

「どうすればいいんだろうな……」

 アキもこの部屋の空気を感じ取っているのだろう。
 ソラの発言は管理局の暗部を突き付けたものだ。下っ端や凝り固まった偉い人間が聞いても反感しか買わないだろう。
 何にしてもソラの考えは管理局にとってあまり良くないものだろう。
 そしてソラのあの性格。
 場所が変わったところで殊勝に振舞うとは思えない。
 見知った人だけに拷問を受ける様は想像したくない。
 とはいえ何をすれば最善なのか何も分からない。
 アズサのこと、ソラのこと、道化師のこと。
 そのどれもが自分たち管理局の手の外で動いている気がする。
 ズン――突然、振動が部屋を揺らした。

「何だ……!?」

 もう一度、衝撃が走る。
 部屋にいた者はその震動に立っていられずにみんな伏せる。

「これは魔力反応!?」

 クロノが叫んだ瞬間、震動が轟音とともに訪れた。
 ガラス越しの部屋を水色の壁が切っ裂いた。

「なんてデタラメな!」

 ここは管理局の施設であり、施設の中でも中央に近い位置にある場所だ。
 当然、建物は一級の耐魔素材で作られている。それを簡単に両断したのだから驚愕するしかなかった。

「……そうだソラは!?」

 ガラス越しの彼は変わらずに転がったまま。拘束服のおかげで身動きは取れていない。だが――
 胸の前で組むよう固定していたバンドが弾ける。
 さらに袋状になっている袖先を歯で噛みちぎる。

「デタラ――」

 ソラに使う常套句を言おうとして彼の腕から滴る血に息を飲む。
 力任せ、それも自分が傷つくことをいとわずに拘束を壊した。

「待てソラ!」

 ガラス越し、聞こえないと分かっていてもクロノは叫んだ。
 自由になったソラは躊躇いもせずに切り裂かれた亀裂に身を躍らせる。

「くそっ!?」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 切り裂いた建物から出てきたソラを確認して転移魔法陣を起動する。
 こちらの意図を察してソラはその魔法陣の中に着地する。
 すぐに起動してその場から飛ぶ。
 とはいえ、転移魔法を阻害する都市に張られた結界のため大きくは飛べないが時間を稼ぐには十分だ。

「…………何のつもりクライド?」

「助けてもらっておいて随分な言い方だね。まあいいけど」

 敵意を持って見返してくるソラに苦笑してクライドはそれをソラに投げる。
 まず銀装飾のペンダント。

「こじ開けようとしていたみたいだったけど、まだ中身には触れられていないよ」

 それに安堵した息をもらしたが、すぐに顔を引き締めて睨みつける。
 随分嫌われている。そのことに仕方がないと感じ、クライドは要件を済ませることにする。

「君の剣と銃だ。それからアズサ・イチジョウの居場所だ」

 最後の差し出した端末にソラの手は伸びなかった。

「何のつもりだクライド? あんたは管理局だろ?」

「管理局なら辞表を出してきたよ」

「…………はぁ!?」

 珍しいソラの間抜けな顔。
 一年前から変わり始めて、プレシアを殺してから戻ってしまったと思ったが、変わっていない彼に安堵を感じる。

「管理局に居続けると私がやりたいことができないんでね」

「ちょ、ちょっと待って。それじゃあアリシアはどうしたんだよ!?」

「あの子はリンディに預けてきたよ。大丈夫だ、フェイトも一緒なんだから」

「…………それが一番心配なんだよ」

 頭を抱えながら器用にペンダントを魔導書に具現化し、その中に収納させてある彼の服を取り出して着替えていく。

「相変わらず便利なものだね」

「…………まだいたの?」

 ソラの対応にクライドは肩をすくめる。

「足も用意してある。バイクだけど運転は?」

「したことないけど、基本くらいは知っているから何とかする」

「それは……」

 元公僕としては止めるべきなのだろうが、事情を知っている身としてはそれも憚れる。

「せめて信号は守ってもらえるかな?」

「馬鹿にしているの?」

「そ、そうだよな。こんな時に信号無視していらない手間を増やすことなんて――」

「赤が進めでしょ?」

「ちょ、それは――」

「冗談だよ」

「……こんな時に冗談を言っていられるとは恐れ入るよ」

「いやーシリアスが続いたから一度ボケを入れておけって血が騒いで」

「どんな血だそれは」

 突っ込みを返しつつ、ソラと二人っきりでこんな馬鹿なやり取りをしていることに驚く。
 プレシアとアリシアと出会い。そしてこちらに戻ってきてソラは変わってきている。
 だが、それは外面を良くすることにしかクライドには思えなかった。
 この軽薄な笑みの下にあるものをクライドは知っている。
 今、ソラはプレシアの時と同じようにできた絆を切り捨てしまった。言葉を交わしたことのないアズサと言う少女のために。
 ソラの経歴を知っているだけにその気持ちはなんとなく分かる。
 だが、それを口にして共感を分かち合う資格がないことをクライドは自覚していた。

「でも、のんびり交通ルールを守っている余裕はなさそうだけど」

「足止めはしてあげるよ。ソラは何も気にせず彼女を助けに行くといい。ただし、極力安全運転で」

「クライド…………どういう風の吹き回し?」

「別にこれであのことを水に流してくれなんて言うつもりはないよ」

 いぶかしむソラにクライドは戦闘の準備をしながら答える。
 そう、これはソラに対しての贖罪ではない。そんなものはソラが望むものではない。

「君が正しいことをしようとしている。だからその手助けをするだけだよ」

 ソラがやろうとしていることが間違っていないと思うからこそ、手助けするのだ。

「…………そう」

「さぁ……行け!」

 返事はないが代わりに用意しておいたバイクのエンジンが唸りを上げる。

「死ぬんじゃないよ、ソラ。まだプレシアの答えを聞いてないんだからね」

 小さくなっていく背中にクライドは聞こえない呟きをもらし、あることに気付いた。

「ちょっとソラ! ヘルメット!」

 叫んでも、もはや声は届いていないだろう。
 やれやれと溜息をもらしつつ、クライドは飛翔する。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 上空からソラを見つけ、威嚇射撃を行おうとしていた魔導師が水色の剣に貫かれた。
 そして次の瞬間、下から現れた人影がその魔導師を蹴り飛ばして水色の剣で標本のようにビルの壁に貼り付けた。
 一連の動作にクロノを始めとした「G」対策の第一部隊はまったく反応できなかった。

「と、父さん?」

 クロノの呟きに周りが騒然とする。
 クライド・ハラオウン。この名前は地上の人間にも有名な名前だ。

「……どうして?」

「スティンガーブレイド」

 クロノの戸惑いを余所にクライドが魔法を展開する。
 描き出される魔法陣が展開されているころには八つの剣が現出、飛んでいた。
 咄嗟にクロノは身をよじる。
 すぐ脇を剣がものすごいスピードで通り過ぎて行った。
 飛翔による回避行動や防御では間に合わない速さに戦慄する。
 見回せば先の魔導師のようにクロノ以外の者たちはビルに磔にされる。

「よくかわしたね、クロノ」

「父さん……」

「悪いけど、ここから先は行かせるわけにはいかないよ」

 その言葉に彼がソラの脱走の手引きをしたことを確信する。

「父さん……あなたは自分が何をしているのか分かっているのか?」

「分かっているよ」

「ならどうして!?」

「どうしてか……少なくても間違ったことをしているつもりはないよ」

 間違ったことをしていない?
 管理局の施設を襲撃し、重要参考人の逃亡を手助けしておいて、そんなことを平然と言ってのける父にクロノは怒りを感じる。

「逆に聞かせてもらうけど、君たちは正しいことをしているの?」

「…………当たり前だ」

「どうして躊躇うのかな?」

 わずかな迷いをクライドは見逃さなかった。
 アズサの扱い、ソラの尋問、そしてあの悪夢がクロノを迷わせる。

「管理局の行動は確かに正しい。でもそれはソラが間違っているということじゃない」

「間違ってるだろ! あれだけの力があって、義務も責任も放棄して――」

「ソラに次元世界を守る義務も責任も義理はない。それを理由に彼を責める権利は誰にもない」

「そんなこと――」

「ソラは次元世界の全てにお前は死ねって言われたんだ」

 静かな、憐憫を含む言葉にクロノは押し黙る。

「親に否定されて、ロストロギアに翻弄されて、私たちはただ何も考えずにあの子を追い回した」

 唐突に聞かされたソラの過去の片鱗に思わず聞きいってしまう。

「世界の代表たる管理局はあの子を助けなかった」

 それは今のアズサと同じではないのか。

「誰にも助けてもらえず、ソラは一人で生きるために強くなった。あの力はソラ自身のためのものだ」

「だからって無暗に振るっていいものでじゃない」

「いつ彼が無暗に剣を振るった?」

「それは……」

「あの子は誰よりも剣を振ることの重みを知っている。あの子が剣を振るうのは私利私欲のためじゃない」

 クライドの言葉を否定することはできない。
 クロノが知る限りソラが剣を抜いたのは「G」と戦うためとアズサを守るための二つ。
 アズサを守ることがいけないことだとい言うことは口にできなかった。

「正直ソラが管理局に協力していることは驚きだよ」

 何も言い返せない。ソラに無理を言って協力を仰いだのは管理局だ。

「でもそれもいいと思っていた。彼が過去と決別して新しい幸せを見つけられるなら。だけど――」

 クライドの細められた眼光に思わずクロノは息を飲む。

「これは何だ!? ソラを散々頼っておいて、手の平を返したような扱いは!?」

「それは仕方がないことなんだ。「G」に対してソラの力は必要だったし、アズサのことは上層部が決めたこと。今回のことだって」

「……まるで自分のせいじゃないって言い方だな」

「そんなこと――」

 クライドの厳しい顔を見ただけで反論は封じられる。
 大きいとクロノは思った。
 半端な気持ちは一切許さず、誤魔化すこともできない。
 揺るがない何かを持って行動する様はソラによく似ていた。
 いや、この場合はソラがクライドに似ているのだろう。
 そう思うと目の前の男に怒りが湧いてくる。

「クロノ、お前は今まで自分の意思で何かしたことはあるのか?」

 父親の顔をして諭すようにする顔が憎らしい。

「決められた正義をただ遵守しているだけなら、ソラと本当に向き合うことなんてできないぞ」

 そして、息子よりも他人を心配している様に憤りを感じずにはいられない。

「…………さい」

 こんな男の背中を目指してわけじゃない。
 母さんの悲しみ、恩師の無念。様々な傷を残して消えたこの男は今管理局を否定する。
 その姿はとても英雄といわれ思い描いていた父の姿ではなかった。

「うるさい! 今さら父親面なんてするな!」

 気付いたら叫んでいた。
 そして、今まで溜め込んでいた不満をぶちまけていた。

「どうして今さら帰ってきたりするんだ!?」

 今この場において関係ない話でもクロノはそれを止められなかった。

「闇の書事件が終わって、ようやく止まっていた時間が動き出したのにどうして惑わせる!?」

 受け入れることができなかった。
 物心がつくよりも早くにいなくなってしまった人。
 それでも何度も話に聞いた理想の人。

「憧れていた、尊敬していた、なのにどうしてそんなことを言う!?」

 理想は失望に変わって目の前にある。
 こんな男は母が、恩師が語ってくれた人だとは思えない。
 ソラを逃がすために犯罪行為に走った人間なんて父親だなんて認められない。

「クロノ……」

 それに対してクライドは――

「いつまで甘えたことを言っている」

 どこまでも厳しい言葉をぶつけた。

「今さら父親面するつもりなんてするつもりはない。そんな資格なんてないのは自覚している」

 自嘲し、それでもと、クロノを真っ直ぐクライドは見返す。

「お前はもう執務官だ。自分で決めて行動するべき人間だ」

「そんなの分かってる!」

「分かってないだろっ!」

 クライドの一喝にクロノは気押されてしまう。

「お前は何も考えてない。ただ上の命令を聞いて行動しているだけだ」

「そ……それの何がいけないっていうんだ!? 組織っていうのはそういうものだ!」

「だからアズサを犠牲にすることも、ソラを利用することも何にも感じないのか?」

「あんたに何が分かる……」

 先程のスティンガーブレイドを見ただけでも分かる。
 構築速度に、射撃精度、操作性、弾速、威力。
 何を取っても今まで見たこともないほどに完成された、自分が使う同じものと比べて雲泥の差の代物だった。

「僕たちはあんたと違うんだ! 僕にはあんたたちみたいな力なんてないんだ!? それでも僕たちはこの世界を守らなければいけないんだ」

 だから、力ある者を利用して何が悪い。
 万能の力がないから何かを犠牲にしなければいけないのだ。

「……十二年だ」

「……何のことだ?」

「あの子が魔導資質を失って、あれだけの力を手に入れるために費やした時間だ」

「それが何だって言うんだ!?」

「生まれ持った才能を失って、零から強くなった」

「僕だって、あんたがいなくなって努力してきたんだ! それでも――」

「ソラは死に物狂いだったよ。いや、今でも同じだ」

 努力をしてきたのはソラだけじゃない。
 自分だって他の同年代の人たちよりも厳しい訓練を積んできた自負がある。
 それなのにこの男はそれをないがしろにする。

「もう……しゃべるなっ!!」

『スティンガーレイ』

 激情に任せてクロノは魔弾を撃つ。
 それも一発だけではなく息が続く限りの連射。
 クライドはそこから微動だに、防御する素振りも見せずに爆煙に包まれた。

「はあ…………はあ…………はあ…………くっ」

 煙が晴れたそこには悠然と水色の剣を傍らに浮かべたクライドがいた。

「その程度か?」

「くぅ……」

『ブレイズ・キャノン』

 クロノの砲撃にブレイドが盾になって防ぐ。
 ブレイドは揺るぎもせずに砲撃を受け切った。

『スティンガースナイプ』

 誘導弾を撃ち、自身も動く。
 動いて撹乱しようにもクライドには動く気配がない。
 背後、クライドの死角から魔弾が迫る。
 クライドはそれを一瞥もせずにブレイドで防いだ。
 巻き起こった爆煙に紛れてクロノは接近する。
 スティンガーレイを撃ち、煙を引き裂き、防御させる。
 その隙に、背後を取り、魔力を乗せたS2Uを叩きこむ。
 その一撃を素早く動いたブレイドが防ぐ。
 それでも――

『ディレイドバインド』

 打撃の前に仕掛けたバインドが発動してクライドの身体に絡みつく。

「どうだ!?」

「それで?」

 バインドにかかったのにクライドは動じた様子はない。
 それがクロノの癇に障る。

「スティンガーブレイド・エクスキューションシフト」

 クロノは自分がもてる最大の攻撃を放つ。
 百を超える剣がクライドに殺到する。
 だが、クロノは次の光景に自分の目を疑った。

「スティンガーブレイド・トライフォース」

 クライドの剣が三つになる。
 クロノのブレイドとは一回りそれはクロノの視認速度を超えて動く。
 甲高い音を立ててクロノのブレイドが叩き壊される。
 数秒もしないうちにクロノのブレイドは全て破壊された。
 防ぐでもなく、完全に一方的に破壊された。その事実に愕然とする。

「そんっ――」

 叫ぼうとした瞬間に、喉元にブレイドが突き付けられた。
 チクリとした痛みに震えが走る。
 まさか非殺傷設定ではないのかと背筋が凍る。

「クロノ。お前は自分が死ぬことはないと思っていないか?」

「そんなこと――」

「お前と、いや戻ってきて感じたことだ。管理局の魔導師は自分たちが死なないということを無意識に思って戦っている」

 それの何がいけないんだ。誰も自分が死ぬと思って戦っているはずがないのに。

「ソラは自分が死ぬことも考えて戦っている。だから私たちができない一歩を踏み込んで戦える。それがお前とソラの決定的な違いだ」

 剣を突き付けられて熱くなった頭が冷めてくると疑問が浮かんでくる。
 この人は何故、こんなことを話しているのだろうか。
 本気になれば自分なんて一瞬で撃墜されてもおかしくない力の差なのに。
 遊ばれているのか、そうとは感じられない。
 時間を稼ぐなら撃墜してしまった方がずっと手っ取り早い。

「死に愚鈍になれと言ってるわけじゃないんだけど……」

 そんなクロノの心中を知らずにクライドは言葉をじっくりと吟味して話す。

「まあ、ようするに強くなりたいならソラのことをよく観察することだということだ」

「……人殺しから学ぶことなんてない!」

 クロノの言葉にクライドはやれやれと肩をすくめる。
 突き付けたブレイドを戻す。

「私が言いたいことはそんなところだ。あと一つ聞きたいことがある」

「……何?」

「ソラがアズサ・イチジョウを助けようとすることは間違っているのか?」

「っ……それは……」

「よく考えるといい。自分の頭と……心で……」

 クロノにそれ以上言うことを許さないクライドは言葉を遮り、ブレイドを動かす。

「さて、続きを――」

「ぬおおおおおおおおおおおおぉっ!!」

 クライドの言葉を遮って雄叫びを上げてルークスが重戦斧型のデバイスを振り下ろす。
 不意を打ったはずの一撃をクライドは見向きもせずにブレイドの一つで安々と受け止めてしまう。

「驚いた。あのバインドを解くとはね。それでも――」

 こと攻撃力に関しては部隊中トップの一撃を平然と受け止めてクライドは反撃をする。
 ブレイドの一本の薙ぎ払いにルークスは盛大に吹き飛ばされる。
 クライドがルークスに対応した瞬間にクロノは特攻する。
 クライドに対抗できる魔法。それを使うことに抵抗はあったがクロノは躊躇いを捨てる。
 デュランダルを取り出し、水を召喚。
 作りだした水の刃を一気に振り切る。

「くっ……これは――」

 三つのブレイドを重ねて受ける。
 だが、次の瞬間抵抗を失った。
 半身をずらし、ブレイドを傾け、水の刃はクライドのすぐ脇を滑り落ちる。

「クロノ……君の負けだ」

 自由になった三本のブレイドがクロノを囲む。
 そして衝撃。
 意識がブラックアウトしていく。
 それが急激な魔力ダメージによるものだと理解する前にクロノの意識は完全に途切れた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 気がつけば見覚えのある天井だった。
 時間が夜で同じ景色なのにそこが前に目覚めた病室だと理解するのに少し時間がかかった。

「クロノ君……」

 ベッドの傍らには前に目覚めた時と同じようにエイミィがいた。

「クライドさん……辞表を出していたって」

「…………そうか」

 普段の彼女がするとは思えない深刻な顔から出てきた言葉にクロノは気のない返事をして天井に視線を戻す。
 身体に感じるだるさは魔力ダメージ特有のもの。
 もう少し寝ていれば問題なく全快するだろう。今でも無理をすれば動くことはできるはず。
 しかし、動く気力は湧いてこなかった。

「なあエイミィ……僕が目指してきたのは何だったんだろね?」

「あ、あのさクロノ君。あの人が言ったことなんて気にしなくていいと思うよ」

 クロノの心中を察してエイミィが慰める。

「クロノ君がすっごい努力してきたことは私が一番よく知っているんだから」

「そんな努力、意味なんてなかっただろ」

 そう意味なんてなかった。
 同じ時間を費やしたソラは遥か高みにいる。

「はあ……」

 エイミィの溜息。それを肯定と思ってクロノはまたぼうっと思考を巡らせる。
 ゴスッ、そんなクロノの額にエイミィはファイルを振り下ろした。

「つ~~~いきなり何をするエイミィ!?」

 額を押さえて起き上がり、抗議するクロノにエイミィは難しい顔をして言葉を選ぶ。

「えっとね……らしくないよ」

「何がらしくだ!? 僕は事実しか言ってないだろ!」

「事実だけど今さらでしょ? そんな悩み、なのはちゃんたちに会っても感じたことでしょ?」

 エイミィの指摘にクロノは口を閉ざす。
 確かに彼女たちの才能に嫉妬を感じたのが事実なだけに否定できない。

「今のクロノ君はフルボッコにされてネガティブになってるだけだよ」

「フルボッコって……」

 事実ではあるが改めて言われると傷付く。

「あたしには戦うことってよく分からないけどさ。ソラ君はきっとクロノ君の何倍も努力したんだと思うよ」

 エイミィの言葉を黙って聞く。

「だからクロノ君より強いんだと思うけど……」

 言い淀みそれでもエイミィはその言葉を告げる。

「今のクロノ君はなんだか怖いよ」

「僕が……怖い?」

「うん……ソラ君やアズサちゃんよりも」

「訂正しろエイミィ! 僕があんな人殺し……たち……より……」

 自分の口から出た言葉が信じられずクロノは口を押さえる。
 人殺し。
 彼らは本当にそうなのか。
 短い付き合いで感じたソラは本当に凶悪な犯罪者だったのか。
 能力に振り回されて人を殺してしまったアズサは罵られてしかるべきの少女だったのか。

「クロノ君、もしかして二人に先入観持ってない?」

 クロノの心中をエイミィはずばり言い当てる。
 言われて理解がする。
 自分がソラとアズサに恐怖の感情を持っていたことを。
 未知の力を持ち、人殺しと名乗ったソラ。
 数多くの人を殺してきた「G」と同種の力を持ったアズサ。
 エイミィの言う通り、自分は彼らを恐れている気がした。

「……僕の何が怖いんだ?」

 幾分か冷静になってクロノは尋ねる。

「えっとさ……ソラ君はさ、その気になればバリアジャケットなんて関係なしに攻撃できるよね?」

「そうだな……あれはかなり効いた」

「でも、クロノ君は生きてるよね? それってちゃんと手加減してくれていたってことだよね?」

 ソラは「G」を内部から破壊した実績がある。自分が受けた攻撃がそれと同種なものだと認識して冷たい汗が流れる。

「それからアズサちゃんだけど……あの子は自分の力で誰かを傷付けたくないからあんな廃都市区画で生活しているわけだし」

 感情を引き金に暴走する炎の力は確かに恐ろしいものだった。

「二人とも自分の力がどういうものかちゃんと分かっているみたいだけど。クロノ君は非殺傷でも殺傷でも戦い方って変わらなかったよね?」

 クロノは自分の戦い方を思い出す。
 スイッチを切り替えるだけで生殺を決めることができるありがたく便利なシステム。
 殺傷設定を使う時など人形や障害物を破壊する時だけにしか使っていない。
 いや、「G」と、ソラとクライドの二人に使っていた。
 気が付くと吐き気がもようした。
 結論は何も変わらなかった。
 「G」はともかく、自分はソラとクライドを殺すつもりで攻撃していた。
 自覚なんてなかった。通用しそうなものを考えて実行したに過ぎない行動だった。

「あたしは魔導師じゃないから、どっちにしているか分からないからさ――」

 エイミィの言葉なんても耳に入ってこなかった。
 自分の行動は人殺しだった。過失などとの言い訳の効かない完全な。
 もし当てることができたらどうなっていたか。
 「G」を倒すための魔法なのだから威力は非常に高い。
 バリアジャケットを纏っていないソラなんて即死でもおかしくない。
 クライドにしたって大怪我で済むか分からない。
 そんな力を感情に任せて振り回した自分が信じられない。
 これでは彼らを責めることなどできないではないか。

「……そうか」

 ソラの言った言葉が今なら受け入れることができた。

『お前たちより人を殺してない!』

 どんな誤魔化しても自分の手の中にあるのは人を殺せる力。
 そして魔法で、立場で、きっと知らないところで多くの不幸を作ってきたのだろう。
 それを無自覚で振るってきたのは罪だとクロノは思う。

「……エイミィ、部隊の準備はどうなってる?」

「部隊って? 「G」殲滅戦の?」

「ああ……それのことだ」

 エイミィは端末を操作して調べる。

「作戦決行は今日の日没。クロノ君も可能なら参加の要請があったけど――」

「日没か……まだ時間はあるな」

「ちょ!? 何言ってるの? 昨日と今日で二度も撃墜されたんだよ。流石に無理だよ」

 起き上がろうとするクロノをエイミィは押しとどめる。

「無理も無茶も承知だよ。でも行かなくちゃいけないんだ。僕はアズサに言わなくちゃいけないことがあったから」

「クロノ君……それってまさか!?」

 クロノの言葉にエイミィは混乱する。
 当然だろう。部隊に合流して行くのではなく、独断で動くと言っているのだ。それも「G」の巣に。
 普通の神経なら正気を疑う、それはクロノも自覚していた。
 だがクロノの決意は揺るがない。

「迷うことなんてなかったんだ。アズサがどんな出生だったとしても、泣いてる女の子を助けない理由になんてならないんだ」

 それなのに自分たちの無力さを理由に彼女を犠牲にしようとした。
 そんなことをする前にやるべきことなんていくらでもあったのに。
 プライドや先入観による嫌悪感を捨てて、土下座でもしてソラに頼み込むことも。
 ソラと同等の力があると気付くべきだったクライドに相談することだってできた。
 情けない。どちらも私情で考えないようにしたことだった。
 ソラが人殺しだから線引きして深く関わらないようにしていた。
 突然、現れた父にどう接していいか分からないから距離を取っていた。
 アズサを助けるためなら、ソラだって協力してくれたはずだ。

「ああ、そうだこれが僕の目標なんだ」

 憧れを持ったのは法なんてものを理解していない子供の時。
 ただ父のような英雄に、一人で多くの人を救える人間になりたかったんだ。
 迷いが晴れると力が湧いてくる。
 重かった身体が嘘のように軽くなる。

「大丈夫、ソラもアズサの所に向かっているはずだから……だから手助けをしないと」

「ダメだよ、クロノ君死んじゃうよ」

「死ぬつもりなんてないよ……絶対戻ってくる、だから行かせてくれ」

「ヤダ……絶対だめ」

 エイミィは両手を広げてドアの前に立ちふさがる。
 どうしたものかクロノは迷う。
 できれば手荒な真似なんてしたくない。
 だが、もうアズサを助けにいくことを曲げる気にはなれない。
 できれば言葉でどいて欲しかった。

「エイミィ……頼むから――」

 プシュ、クロノの言葉を遮ってドアが外から開かれる。

「何処に行くつもりだクロノ執務官?」

「アキ・カノウ二佐……アズサを助けに行きます」

「…………自分が言っていることの意味が分かっているのか?」

「当然です」

「上層部がアズサ・イチジョウを抹殺することを決めた理由はおそらく彼女の能力が手に余るからだ」

 魔法とは違う能力。それがどんなものか詳細が分かっていなくても異端は混乱を招くものに変わりはない。
 だから、上層部はその混乱の芽を早く摘んでおきたいのだろう。

「例え、助けたとしてもアズサの処遇は変わらないぞ?」

「それは助けた後に考えます。まずは助けないとそれさえも考えられなくなりますから」

「…………意思は固いということか」

「それじゃあ――」

「だが、リンディに借りている君が一人で死地に赴くことは許せないな」

 アキの背後に人の気配が動く。
 それも一人ではなく数人。

「なら、力尽くで行かせてもらう」

 バリアジャケットを展開、S2Uを起動して構える。

「クロノ君!!」

 エイミィの悲鳴を合図にクロノは動いた。









あとがき

 第八話をお送りしました。
 予定としては次の話でクロノに焦点を当てた話は終了する予定です。
 クロノの話のコンセプトは組織と個人。
 あまり長引かせたくないため、クロノの心情の移り変わりを強引に推し進めていますが、御容赦ください。

 次回の九話はバトル主体となります。
 話数を重ねる度に量が増えているので、いつできるか分かりませんができる限り早く投降するように努力します。





[17103] 第九話 命火
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/06/27 11:31

 廃棄都市区画。
 繁栄した都市や社会においてそれは必ずと言っていいほどついて回る裏側の社会。
 発展に取り残された場所。
 広大になりすぎ、治安維持の手が追いつかない無法地帯。
 社会に適応できなかった人たちが集まるスラム街。
 多次元からの住人が多いミッドチルダにおいてはそういった開発を放棄された街が数多く存在している。
 その場所もそんな社会から弾かれた街の一つだった。


「もう……追ってこないか」

 バイクで走りだして数分。クライドが時間を稼ぐとか言っていた割にすぐに追手は現れた。
 役立たずと罵りながら、慣れないバイクで全速で走らせた
 信号なんて守っている余裕はなく、時間が経つにつれて追手は数を増やしていく。
 挙句は道を塞がれるは、魔法を撃ち込まれるはで酷い目にあった。
 バイクの操縦で手一杯だったせいで反撃ができなかったため、余計に時間を浪費することになった。
 その分、操縦に慣れたがそんなことは何の慰めにもならない。
 ハイウェイに入り、通行止めのバーを壊したあたりからうるさいサイレンの音はなくなっていった。
 理由は分からないが、諦めてくれたのなら好都合だ。

「……急がないと」

 時間を確認、今は正午を少し過ぎたところ、クライドの調べでは襲撃は日没と同時にしかけるらしい。
 アズサの居場所を見つけること、予想される戦闘、脱出のことを考えれば時間はいくらあっても足りない。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 そんなソラの姿をビルの屋上から見下ろす二つの人影があった。

「……あれは管理局の魔導師ですかね姐さん?」

 一人は男。長い黒髪を無造作に束ねた、野性児のような印象の男は近付いてくるバイクを見て呟く。

「魔導師じゃないけど要注意人物の一人ね。
 都市部に放った手駒はほとんど彼一人にやられているわ。手段は単純に剣による斬殺」

 答えたのは女。淡々とした口調で男の疑問に答える。

「へえ……あいつが……」

 男の目に獰猛な光が宿る。

「それにしてもおかしいわね。彼はあの方にだいぶ痛めつけられたはず。生きていたとしても昨日今日で動ける怪我ではなかったはずなのに」

「そんなのどうだっていいじゃないッスか。要するにあいつは敵で、近付いてきている。ならやることは一つ」

 男は背中に三対六枚の金色のフィンを展開して……飛んだ。

「待ちなさい、レイ。まずはあの方に――」

 人の話を聞かずに飛び出した男にやれやれと女は肩をすくめ、その背に白い翼が現れた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 感じた気配にソラは咄嗟にブレーキをかけてバイクを倒し、後輪を滑らせて無理矢理止める。
 ドンッ!! 次の瞬間、目の前に空気を引き裂く轟音を立てて雷が落ちる。
 落雷の衝撃を受け切れずにソラは宙に投げ出される。が、すぐに体勢を治して難なく着地する。

「……いい反応するじゃねえかよ」

 作りだされたクレーターから一人の男が出てきた。
 がたいのいい野獣のような男。
 その背には昆虫の羽に似た三対六枚のフィンが広がっていた。

「……HGS能力者」

 しかし、感じる気配はアズサやあの人とは違う、魔力が混じったものだ。

「いや、「G」って呼んだ方がいいのかな」

「管理局じゃ、そう呼んでるらしいな。まったく不愉快だぜ」

「不愉快?」

「だってそうだろ!? よりによって「G」だぞ! まるで家庭内害――」

 ドゴンッ! 突然振ってきた瓦礫によってソラの視界から男が消えた。

「……まったく何を言い出すかと思えば」

 白い目を瓦礫に向けて女が降り立つ。その背に広がるフィンにソラは息を飲んだ。
 鳥のような、天使を思わせるフィンに心臓が早鐘のように鳴る。

 ――落ちつけ、彼女じゃない。

 胸を抑えつつ自分に言い聞かせる。
 同じ形状のフィンでも、その容姿は似ても似つかないまったくの他人。
 それでも動揺を抑えるのに数秒かかった。

「もう……いいかしら?」

「わざわざ待っていてくれたの? 随分と親切だね?」

「私の美貌に見惚れている相手に水を差すなんて無粋なことするわけないでしょ」

 長い髪を手で流し誇張する女にソラは引く。
 確かに彼女のフィンに見入ってしまったが、それをここまで勘違いするとは。
 どうしたものかと考えていると、彼女の背後にできたばかりの瓦礫の山をガラガラとかき分けて先程の男が出てきた。

「いきなり何すんですか姐さん?」

「貴方こそいきなり何をトチ狂ったこと言ってるのかしら?」

「いや、だってさ――」

「ん……?」

「…………何でもありません」

 睨みの一つで男は黙る。
 そんな光景を見つつ、ソラは戸惑う。

 ――何だろうこの空気は。

 アズサを助けるためにいろいろと覚悟を決めてやってきたのに、最初に相対したのがコントのコンビのような二人組。
 ああいったやり取りは嫌いではない。しかし、すっかり毒気を抜かれてしまった気分だ。
 溜息を吐いて気付く。
 いつの間にか肩の力が抜けて、頭もスッキリとした気分だった。
 考えてみれば、アキに対して啖呵を切ってからずっと気を張り詰めていた気がする。
 頭が冷えたのは良いことだが、それがおそらく、敵のおかげというのは間が抜けているとしか思えない。
 とりあえず気持ちを切り替えてソラは二人を改めて見据える。

「最初に確認しておくけど、あの道化師の仲間で間違いないよね?」

 ソラの言葉でグダグダだった空気が引き締まる。

「そういう貴方は管理局のジョーカーで間違いないかしら?」

 女の背後の瓦礫が浮かび上がる。
 サイコキネシス。
 ソラの知識の中ではそれはHGSの中で一番オーソドックスな能力だった。
 平たく言ってしまえば手を使わずに物を動かせる力。道化師も使っていた力だ。

「管理局とは手を切ったけど……アズサを返しにもらいにきたよ」

 自分のデバイスとも言える柄を抜き、スイッチを入れて刃を出して構えを取る。

「アズサって……あのフェザリアンのことか?」

「そうだよ。だいたいお前たちはあの子をどうするつもりなんだ? フェザリアンの資料は北天の魔導書の中に全部あるはずだろ?」

「俺たちだって大将が何でいまさらあんな劣等種が必要なのかなんて知らねえよ」

「劣等種? 随分な言い方だね……君たちはその紛いもののくせに」

「はっ……一緒にするな。俺たちはなあ――」

 ゴスッ、男の後頭部に女が操った意思が命中してそれ以上の言葉を強制的に黙らせる。

「……喋り過ぎ」

「……すいません姐さん」

 頭を下げて男は構えを取る。
 もう少し、情報が欲しかったがこれ以上は無理だろう。

「お前が倒していた奴はなあ、あんな姿になっても元は仲間なんだ。仇は討たせてもらうぜっ!」

 言葉と共に男が飛び込んでくる。
 その速度は想像よりもずっと速い。
 咄嗟にソラは剣を盾にするように構える。

「そんな細い剣で俺様の拳が止められるか!」

 止める気は初めからなかった。
 男の拳が刀身に触れた瞬間、ソラは剣を傾けてその威力を流す。

「へ……?」

 手応えのなさに間の抜けた声をもらして男が突進の速度そのままに横を通り過ぎていく。
 ソラは意識を一時男から切り離して前方に集中する。
 飛来する無数の石の飛礫。
 それを強引に剣で切り裂き、隙間を縫うようにして突き進む。

「ぬああああああっ!」

 背後の悲鳴を無視。
 肉薄した女は驚愕の顔をするが躊躇わず、剣を振る。
 魔法の盾、これまでの「G」のフィールドならば容易く切り裂けたが、歪んだ空間が剣を音もなく受け止めた。
 そして頭上の動く気配にすぐさまその場から飛び退く。
 自分の大きさほどある瓦礫が目の前に降り注いだ。
 さらに追いかけるように次々と瓦礫が降ってくる。
 ソラは女を中心に円を描くように走り、その弾幕の合間にナイフを投げる。

「……くっ!?」

 ナイフは女の肩に刺さり、飛礫の弾幕が途切れる。
 その隙を逃すまいと追撃をかける。

「させるかよっ!」

 しかし、戻ってきた男の奇襲を避けるための行動によってそのタイミングを失った。

「奇襲に声を出すのはどうかと思うけどな」

 気配に意識は割いていたから接近は気付いていた。それに声のおかげで回避することは簡単だった。
 男の拳を避け、すれ違い様に膝を腹に叩きこむ。

「ぐお……」

 打った腹を押さえてその場にうずくまる男。
 そこに爪先で彼の顎先を蹴り上げた。
 そして、飛んできたナイフを掴む。

「なんて……デタラメな」

 ナイフが飛んできた先、女は肩を押さえながら毒づく。
 そんな姿にソラは溜息を吐く。

「……アズサの居場所、教えてくれないかな?」

「この程度で勝ったつもりかしら?」

「そ……そうだぜ俺たちはまだ……」

 立ち上がった男は三秒も持たずにフラつき尻もちを着く。
 わけが分からない顔でもう一度立ち上がり、同じように倒れる。

「てめぇ……何をしやがった!?」

「人の顎先って急所の一つなんだよ。そこを打てば脳震盪を狙える」

「急所だからって俺たちの身体は人間なんかと違うはずだ!?」

「同じだよ」

 勘違いをしている男に現実を突き付ける。

「脳の位置、内臓の位置、骨格、関節、人の姿をしている以上その作り方は変わらない。現に君はこうして立てなくなっている」

 だからと、女の動きを気にしながら続ける。

「はっきり言って、人間の形をしているから今まで相手にしていた奴らよりもずっと戦いやすいよ」

 その言葉に絶句する気配が二つ。
 だがそれも事実だった。
 魔法とは違う能力体系の超能力。
 確かに魔法と比べると発動が早く、それでいて威力もあるのは脅威だが対応できないものではない。
 理性を持って力を行使するなら、その気配は視線やわずかな仕草で読み取ることができる。
 異形の「G」は獣の身体の上に本能で戦っているから読みにくいが、その分攻撃パターンは単純。
 気をつけるべきなのは驚異的な膂力による攻撃だが、獣と比べれば人型の身体能力は低い。
 そしてなにより、目の前の二人は能力や身体能力に任せた攻撃なので、まだクロノ達の方が強いのではないかと思えてしまう。

「そ、そんな馬鹿な……」

「くっ……」

 愕然と、悔しそうにする二人にソラはどうしたものかと言葉を探す。
 アズサを助けることが目的であり、戦うことじゃない。
 魔導師にはない本気の殺意を伴った攻撃とはいえ、戦うということは本来がそういうものだから文句はない。
 それにしたって戦い方が素人くさくて本気になれない。

「ほら……僕は弱いものいじめなんてしたくないし」

 選んだ末の穏便に引いてもらうための言葉に二人は沈黙した。

「……聞いてる? 君たちに用はないから怪我をしたくなかったらアズサの居場所を――」

 半身を逸らす。そこに雷撃が走り抜けた。
 話に時間をかけ過ぎたのか、それとも「G」の回復力か男は立ち上がっていた。
 その上、まとう気配が一変していた。

「お前たち魔導師はいつもそうだ……魔法が使えないからって人のことを見下して……」

「いや、僕は魔導師じゃないから」

「ようやく手に入れた……お前たちをぶち殺すための力だ。こんな程度で終わるかよ!」

「だから――」

 ソラの言葉を無視して、男の周囲に無数の電気の火花が弾ける。
 先程と比べ物にならないほどの電撃を無作為に周囲にばらまく。
 それに伴って光を増すフィンにソラは目を細めた。

「なるほど……そういうことか」

「死ねっ!!」

 電撃の槍が放たれる。
 それはまさに黒雲から光の速さで落ちる雷。
 それを見てから回避するなどできるはずがない。
 だから、それが放たれる前にソラは動いていた。
 突き立った瓦礫を盾にするように走る。

「くそっ……ちょこまかと」

 だが、ソラの身体を隠せる大きさの瓦礫は砕かれ、少なくなっていく。
 それでも一つ一つ壊し、ソラの逃げ場を少しずつ奪っていくことを考えるほどに男の気は短くなかった。

「サンダーブレイクッ!!」

 本物の雷とも思える一撃が頭上から降り注ぎ、その衝撃が周囲を薙ぎ払う。
 直撃など考えない一撃に煽られてソラは吹き飛ばされる。

「もらった!」

 空中、それも未だに体勢を整えていないソラに続く雷撃の槍を避ける術などない。
 男もこれで自分の勝利を確信した。
 バリアジャケットがないソラにとって直撃はそのまま死につながる。
 咄嗟にソラはナイフを投げる。

「なっ!?」

 命中の直前に雷撃は曲がり、投げたナイフに命中した。
 それでも帯電の余波が肌を焼く。
 それを無視してソラは着地、身体を引き絞る。
 男が驚愕から覚める前に地面を蹴った。
 持っている技の中で最大の射程と速度を持つ突きは男の肩を捉える。 

「くっ……だが捕え――」

 肩を刺されても男はひるまずソラの腕を掴む。
 だが、その行動に対してソラは左の剣を抜いていた。

「なっ……!?」

 絶句する男にソラはためらずそのまま、剣を突き出す。
 だが、突然左腕が折れ、刃は男の脇腹をかすった。
 それが女の念動力によるものだと気付く前に衝撃が走った。

「おおおおおおおおおおおっ!!」

 咆哮を上げ、男は掴んだ腕に電流を流す。
 だが、それだけで終わらずに力任せに拳を振り抜いた。
 ベキベキ、骨が折れる音と感触を受けてソラの身体を拳の勢いを使って投げ飛ばされる。
 そして受け身も取れずに地面を転がった。

「姐さん、助かりました」

 振り返って男は女に頭を下げる。

「しっかし、とんでもねえ奴だな」

「殺したの?」

「手加減なんて考えていられないですよ」

 身体に走る激痛を無視して立ち上がると同時に駆け出す。
 
「レイ、後ろっ!」

「え……?」

 女の叫びで振り返るが、遅い。
 電撃を受けて壊れ刃を作れなくなった剣を捨てて、新たな投剣用ナイフを抜き、放つ。

「うわっ……!?」

 咄嗟に出した腕に投剣が突き刺さる。
 その間に距離を詰めてスライディングで足を絡め取る。
 うつ伏せになる様に引き倒し、その背中を踏みつける。

「お前……何で生きて――」

 そして別のナイフでフィンを切り裂いた。

「ぎゃあああああああああああああああああ!」

 もう一枚を切り裂くことはせずにそのナイフを女に向けて投げる。
 不可視のフィールドがナイフを弾き飛ばした。

「…………化け物」

「……まあそう言われても仕方ないよね」

 苦笑してソラは折れた左腕を見る。
 折れただけではなく電撃による火傷。
 それが見ている間にも時間を巻き戻したかのように治っていく。
 唐突に覚えのある頭痛が走る。

「なるほど、それが君の魔導書の恩恵か……」

 突然現れた背後の気配にソラは素早くその場を飛び退く。
 そこに立っていた道化師の仮面の男を見据え、ソラは答える。

「そんなんじゃないよ。これは呪いだよ」

 十二年前のあの時から変わってしまった身体。
 どんな傷を負ってもすぐに治ってしまうが痛覚は消えたわけではない。
 死ぬほどの痛みを受けても死ねない苦痛。
 そしてなにより、どんなに死にたいと思っても、どんなに殺されても生かされ続けることは地獄としか思えなかった。
 まあ、大怪我をしてもその日の内に完治していることはこんな時にはありがたいと思えるだけに一方的な非難はできないのだが。

「そういう北天の魔導書は『後天的魔導師の開発』が技術なの?」

 その言葉に道化師の気配がかすかに揺れた。

「フェザリアンの能力を基本ベースにして、能力行使に使われる体内エネルギーを魔力素で代用。
 そのリア―フィンは周りの魔力素を集めるためのいわばアンテナの役割をしているってとこかな?
 だから、君たちはフェザリアンと魔導師の中間の存在。僕が感じていた違和感の正体だよ」

「素晴らしい」

 ソラの考察に道化師は拍手で称賛した。

「見事な洞察力と分析能力だ」

「でも、一つ分からない。いくら後天的に魔導師の資質を持たせることができたとしても、普通の人間には魔力を操る感覚や制御のための演算思考はまねできないはず。
 この二つは本能に刷り込まれたものだからね。それを可能にさせているのはどういうこと?」

「それは教えて上げてもいいけど、一つ提案がある」

 勿体つける様な素振りを見せて道化師は告げる。

「私たちの仲間にならないかい?」

「ありえ――」

「ないことはないだろ? 君は管理局と利害関係だけで協力していたんだから」

「……だとしても僕に何の利がある? それに目的も分からない奴に協力なんてできないよ」

「私たちの目的は管理局の崩壊だよ」

「それで?」

「……それでって?」

「管理局に喧嘩ふっかけているんだからそんなの分かっているよ。
 僕が聞いているのは管理局を壊して何がしたいのかっていうことだよ?」

「……君は今の管理世界をどう思う?」

「政治的なことなら僕はあまりよく分からないんだけど」

「難しいことじゃない。君だって管理局による理不尽で居場所を失った人間なのだろ?」

「それは……そうだけど。それは――」

「仕方がないことか?」

 遮られて言葉に口をつぐむ。

「管理局が行っていることは突き詰めれば『切り捨てる』という行為だ。
 自分たちの手に負えないもの、自分たちの害になるものをあらゆる手段を使って排除する。
 そして、わずかにでもそんな可能性があるものもその対象になる」

 それには思い当たる節があった。
 十二年前のこと。
 「G」に対抗するために強引に自分を引き込んだこと。
 アズサに対して取った処置のこと。

「彼らはそんな管理局から切り捨てられた者たちだよ」

 道化師は後ろの二人を一瞥して続ける。

「それは時として必要なことなのだろ。だが、今の管理局はその行為に酔いしれている」

 それはクロノに言ったことと同じだ。

「まあ、言いたいことはだいたい分かった。まとめると管理局が腐り気味だから処分したいっていうこと?」

「そんなところだね」

 溜息を吐いてソラは考える。
 道化師の考えは理解できるものだった。
 ソラ自身もアキやクロノの関わって彼らの選民的な意識に触れている。
 大を生かすために小を殺す。
 その理屈は分かっても、切り捨てられた小だった自分からすればその行為は納得できるものではない。
 そして今では自分も管理局から追われる身になっている。

「仲間になればアズサをどうする?」

「…………彼女のことは諦めた方がいい」

 沈痛なものを押し殺した言葉にソラが言葉を返そうとした瞬間、遠くで覚えのある気配が膨れ上がる。

「この気配は……まさか!?」

「北天の魔導書に目を付けられたんだ。もう、あの子は戻れないよ」

 その言葉が示す意味にソラは胸が締め付けられる痛みを感じた。

「なんで!?」

「北天の魔導書は自分の身体にフェザリアンを求めていた。
 「後天型魔導師」はその途中経過に過ぎないんだよ」

「くそっ……」

 それ以上話している気になれなかった。
 足下に転がっている剣の柄を拾って駆け出す。

「君も王だったなら奴らのやり方は知っているはずだ。
 彼女が望む望まないにしても、抵抗なんてできるはずがない」

 道化師の横を駆け抜ける。
 彼は特に何もせずにそれを見逃した。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「よかったんですか大将……行かせて」

 遠ざかっていくソラの背を見送っているとレイが声をかけてきた。

「構わないさ。私たちに彼と戦う理由はないんだから。それよりも、どうだった?」

「……とにかく強かったです。まるで手品でも使っているみたいにわけが分からなかったです」

「私も同じです。こちらを見ていないはずなのに全て見透かされているようで……」

 安堵を息を漏らしてフィンを消したアンジェが続いて応える。
 不死の身体という予想外のことがあっても、二人は能力で圧倒し、一度は殺した。
 それなのに完敗したような憔悴ぶり。

「あれが王の力ですか?」

「いや、違うね。彼の魔導書にはそんな力はない」

 北天の魔導書や、夜天の魔導書。それ以外の魔導書のどの技術も多かれ少なかれ魔力は使われている。
 魔力を伴わないソラの戦闘能力は魔導書の技術によるものではない。

「断言しますね。あいつのこと知ってるんですか大将?」

「ああ、よく……知っているよ」

 感慨深く、レイの言葉に頷く。

「まさか生きていたとは思わなかったよ」

 あの顔つき。
 前の管理局で会った時は闇にまぎれて気付かなかったが、自分があの顔を見間違えるはずがない。

「くくく、なるほどヒドゥンによる影響か……さしずめ闇の書の呪いと言ったところか」

 不死の身体になった経緯も予想できる。
 あの場でソラが失ったものは全てだろう。
 家族、名前、魔力、そして死ぬことさえ奪われた。
 その痛みは自分のことのように理解できる。

「今はソラか……お前はそちらにいるべきじゃない」

 見えなくなった背中に向かって道化師は言葉を紡ぐ。

「アズサ・イチジョウ以上に……世界は決してお前を認めないだろう」

 ソラは必ず自分たちの仲間になる。
 彼の真実にはそれだけの理由がある。
 口元が緩むのを抑えられない。これは歓喜だろう。
 レイやアンジェのように利害の一致が繋ぐ協力関係ではなく、本当の意味で共感し理解できるのは彼しかいない。
 そんなものあるはずないと思っていたものが、それが目の前に現れた。
 そして、彼を理解できるのも自分だけなのだ。

「待っているぞ、ソラ」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 また、繰り返した。
 自分のせいで人が傷付いた。
 血が飛び散り、むせ返る臭いが立ち込めた通路。
 そこに血まみれになっても立ち続ける少年。

 ――もういい。

 その言葉が言えなくて、目をつむり、耳を覆った。

 ――もうやめて。

 倒れても立ち上がる少年に感じるのは申し訳なさ。

 ――わたしはそんなことしてもらえる人間なんかじゃない。

 その言葉は最後まで言えなかった。
 何もできず、ただ傷付けてばかりの自分。
 そんな生きている価値もない自分なんかのためにこれ以上誰かに迷惑をかけたくなんかない。

「本当にそう思っているのかい?」

 不意にかけられた言葉にアズサは膝にうずめていた顔を上げる。

「…………誰?」

 そこには誰もいない。それでも声だけは響く。

「私は北天の魔導書と呼ばれている。まあ、それは気にしなくていい」

 アズサの疑問を軽く流して彼、いや彼女だろうか、は続ける。

「それで君は本当に全て自分のせいだと思っているのかい?」

「だって……そうじゃないですか。わたしのせいでみんな……」

 義父さんもソラも、わたしに優しくしてくれた人はみんな傷付いて、いなくなってしまう。

「わたしなんて生まれてこなければよかった」

 そうすれば誰も傷付けず、こんな苦しい思いなんてしなかった。

「私はそうは思わない」

 思わぬ言葉に俯きかけた動きが止まる。

「生まれてきた者には必ず意味があると私は思っている。
 私は君たちのような魔導師とは違う進化をしたフェザリアンのことを研究している。
 そんな私が君に会えた。それだけで私は君が生まれてきてくれたことを感謝するよ」

「そんなこと……初めて言われた」

「それは不幸なことだね」

 同情するように、アズサの気持ちが分かっていると言うように北天の魔導書は頷いてくれる。

「理不尽だと思わないかい?
 魔導師はその力は好き勝手使っているというのに、君はその力を抑え込まなければいけない」

「それは……わたしの炎は人を傷付けるから」

「そうやって抑え込むから力は暴走するんだよ」

「え……?」

 そんなこと考えてもみなかった。
 思わず北天の魔導書の言葉に聞き入ってします。

「溜め込むことには限界がある。限界に達してしまえば暴走するのは当然のことだ」

「それじゃあ……どうすれば?」

「簡単だよ。君の思うままに力を使えばいい」

「わたしの思うまま……」

「そう……何も気にすることなくその炎を使えばいいんだ」

「でも……それは……」

「知っているかい? フェザリアンは魔導師によって絶滅させられたんだ」

「うそ……」

「うそじゃない。魔導師はフェザリアンの力を危険を恐れて殲滅した」

「でも……それじゃあ、やっぱり……」

「そして、管理外世界に未だに不完全ながらフェザリアンとなろうとしている者たちがいる」

「本当に!?」

 自分と同じ存在がいることに、半ば信じられないと思いつつもアズサは詰め寄っていた。

「本当だとも……でも、管理局が彼らを見つけたらどうするかな?」

 そんなこと容易に想像できる。
 自分にしたように、そして昔の魔導師がしたように、ただ魔法とは違う能力を持ち、人とは少し違う身体というだけで化け物扱いする。

「そんなことが許せるかい?」

「……だめ……そんなのいや」

「そう……彼らを守れるのは君しかいない。君にしかできないことなんだ」

「わたしにしかできない……」

 北天の魔導書の言葉が頭の中に染みわたって響く。

「奴らを倒さなければいけない敵だ」

「敵……」

「君の仲間を殺し回る憎むべき敵だ」

「憎むべき敵……でも……」

「憎いだろ? 君を迫害し、孤独に追いやった魔導師たちが。君はまたあの地獄に戻りたいのかい?」

「いやっ!」

 あの鉄の暗い部屋に戻るのは絶対に嫌だ。

「それなら戦わないと……自分の居場所と仲間を守るために」

 そうだ。戦わないとあの地獄に戻ることになる。
 自分と同じ思いをする人が増えるのもいや。

「さあ、目を覚ますんだ。目の前にいるのは君の憎むべき敵だ」

 不意に意識が白く霞んでいく。
 まるで夢から覚めるような感覚。

「思う存分戦って、私に君の……フェザリアンの力を見せてくれ」

 北天の魔導書の言葉を頭に染みわたらせてアズサは目を覚ました。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「た……助けて……」

 管理局の魔導師が這いつくばってこちらに手を伸ばす。
 恐怖に顔を引きつらせながら少しでもその場から離れようともがく。
 ソラの死角になる、魔導師が出てきた扉のなくなった部屋から炎が走る。
 悲鳴を上げる暇さえ与えず炎は魔導師を包んだ。
 後に残ったのは人の形をした消し炭だけだった。

「…………アズサ」

 ゆっくりと部屋から出てきた少女にソラは顔をしかめる。
 鋭いナイフのようなフィンを背に輝かせ、自分のコートを身にまとった悠然と立つ彼女には管理局で会った時の気弱な気配など微塵もなかった。
 俯いて表情はうかがえない。
 それでも気配には人を焼き殺した動揺がない。

「あ……ソラ。よかった無事だったんだ」

 顔を上げ、邪気のない笑顔でアズサはソラを見つけて喜んだ。

「アズサ、君は今……何をしたか分かっているの?」

「何をって……敵を殺したんだよ」

 臆面もなくアズサは言って、消し炭になった腕を踏みにじる。

「北天の魔導書が教えてくれたんだ。わたしは我慢なんてする必要なんてなかったんだって。
 だって、こいつらはずっとひどいことしていたんだよ?
 ううん、わたしだけじゃない。わたしの御先祖様もこいつらに殺されたんだよ」

 だから殺されて当然なんだよ、笑って言える彼女など見るに堪えなかった。
 抑え込まれていた負の感情の爆発。
 抑え込んだ時間が長ければ長いほど、犠牲にしてきたものが大切であるほど、それの爆発は恐ろしいものになる。
 北天の魔導書に騙されたわけじゃない。
 これはアズサの心の深くで眠っていた闇。
 理不尽な運命を呪い、憎む思いはソラも十分に知っているものだ。

「ふーん……ソラもわたしと同じだったんだ」

 まるで心を見透かしたかのようなもの言い。
 いつの間にアズサはソラの手を取っていた。
 それが精神感応だと気付いた時にはアズサの手は離れていた。

「アズサ、僕は――」

「ねえ……これからどうしよっか?」

 ソラの言葉を遮って、アズサがはやり気軽な言葉を投げかける。
 それはまるで初めてのデートに舞い上がる女の子の姿にも見えたが、周りの景色がそれと不釣り合いに殺伐としているせいで異様なものにしか見えなかった。

「まずは……周りの魔導師たちを皆殺しにして」

「ちょっと待って……周りの魔導師って何さ!?」

「えっとね……すごい数の魔導師がこっちに近付いてきてるんだよ」

 ここが室内で、ソラが感じられない距離の魔力を感知していることに息を巻くと同時に時間を確認する。
 日没までには時間はまだある。
 それなのに管理局が動き出したのは偵察部隊がアズサにやられたからだろうか。

「すごいよね……みんな、わたしを殺したくて集まったんだよ」

 遠くを見る彼女の瞳に暗い影が落ちる。

「アズサ……」

「大丈夫だよ。わたしはもう逃げないから……戦うから」

 決意に満ちた顔、言葉だけ見て聞けば立派なものかもしれないが、ソラにはそれがいびつに歪んでいるものにしか見えなかった。
 だから、もう限界だった。

「……こんなことしちゃダメだよアズサ」

「え……?」

 軽快なステップで踏み出したアズサが振り返る。

「こんなことしたって意味なんてない。最後に後悔するのは君なんだよ」

「後悔なんてしないよ。する必要もないでしょ? あの人たちはわたしを殺そうとしている、ならわたしがやり返してもいいでしょ?」

「本当にそれでいいと思っているの?」

 確かに相手は殺すつもりだけど、それだからって殺し合っても何もならない。
 いや、自分の方から折れる必要がないのは分かるのだが、アズサの行こうとしている道は泥沼でしかない。

「しつこいなぁ。ソラだって人殺しのくせに……」

「っ……だから、言ってるんだ。人を殺して元の生活に戻れると思ってるのか!?」

 痛い所を突かれて思わず声が荒くなる。
 それにアズサは身をすくませてから、ソラを睨みつけた。

「わたしはあんなところに戻りたくなんてない!」

 そのあまりの剣幕にソラは思わずたじろぐ。

「そっか……」

 アズサはゆらりとソラに向き直る。
 彼女のフィンの輝きが増す。
 それに伴って剥き出しの殺気が向けられる。

「アズサ……何を?」

「ソラはわたしをあの地獄に連れ戻したかったんだ……」

「ちょっ……ま――!?」

 ソラの言葉は途中で遮られ、炎が溢れ出した。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……返すね」

 胸に銀装飾のネックレスが残る焼死体にアズサは無造作に着ていた黒いコートを投げる。
 変わり果てた姿を見下ろしていると不意に笑みが浮かんだ。

「あは……あははは……」

 紅蓮の炎の海となった廊下でアズサの乾いた笑い声が静かに響く。

「ははははは……」

 笑うアズサの頬に涙が流れている。

「誰も……いなかった」

 わたしの味方は誰もいなかった。
 管理局はわたしを殺そうとしていて、ソラはあの地獄に戻そうとした。
 どちらもわたしの敵だった。

『敵は殺せ』

「そうだ……敵は殺さないと」

 敵は殺さないとわたしは不幸になる。
 死ぬのはいや。あの鉄の部屋に戻るのもいや。
 抗うなら戦わないと。
 戦うための力ならある。
 魔導師を簡単に焼き殺し、ソラも彼らと同じ目にあわせた。
 自分の力がここまで強いことを初めて知った。
 そして、北天の魔導書が言った通り使う炎は思った通りに動いてくれる。
 炎だけではない、リーディングもサイコキネシスも普段以上に使える。それに念じて見れば壁の向こうの遠くまで見ることができるようになった。
 この力があればもう誰にも怯えなくて済む。

「みんな……殺せば……わたしは自由になれる」

 自分に言い聞かせるようにアズサは呟く。
 次の敵を探さなくては……足下に転がった人だったものを見ないようにアズサは歩き出して――

「アズサ……これはいったい……?」

 いつの間にそこにいたのだろうか。
 炎に照らされた黒い魔導師の服に身を包んだ小さい少年がそこに呆然と立っていた。

「答えろアズサ! これはいったいどういうことだ!?」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「答えろアズサ! これはいったいどういうことだ!?」

 アズサに付けられたマーカーを頼りに来て、突然起こった覚えのある爆発に駆けつけて見ればそこは火の海でアズサが立っていた。
 それだけならいい。
 クロノの目に止まったのは人の形をした黒いコートを被せられた何か。
 肉の焦げた臭いにそれが何か容易に想像できる。
 それが何を意味するのか想像して、クロノは思わず込み上げてきた吐き気をもよおす。

「君が……やったのか?」

 信じたくないことを恐る恐る言葉にする。

「それのこと? それとも他の人たちのこと?」

 うっすらと笑みを浮かべ、簡単に頷くアズサ。

 ――誰だ。こいつは?

 廃ビルと管理局の廊下で会った気弱な少女はそこにいなかった。
 妖艶、と言うべきか。ある種の自身が身体全体から発せられているようで別人にしか見えないが、彼女の背中のフィンが本人だと示している。

「みーんな、簡単に殺せたよ」

 楽しそうに笑うその顔にクロノは見覚えがある。
 凶悪な犯罪者。それも人を殺すことを楽しんでいるタイプの。

「そんな……」

 あまりのことに言葉がでなかった。
 決意を固めて、無茶と無理ををしてやっと辿り着いた場所ではすでに全てが終わっていた。
 捕らわれの姫君は血まみれの化け物となっていた。
 そうしたのは誰か。彼女を連れ去った道化師か。
 それとも――

「どうして……?」

 管理局の先遣偵察隊を殺したことについては納得できる。
 許せないことではあるが、アズサには自分の命を守る権利がある。

「敵なんだから殺すのは当たり前でしょ?」

「違うだろっ!? ソラは君の味方だったはずだ!」

 彼女の言っていることはその一点で間違っている。
 彼女一人のために管理局と戦うことを躊躇わなかったソラがアズサを裏切るとは到底思えない。

「何を言ってるの? わたしに味方なんているわけないじゃない。
 わたしのことをただの人間に分かるはずない。だってわたしは化け物なんだから」

 自虐的な言葉を平然と口にして笑うアズサにクロノは返す言葉を失う。
 狂ったように笑う様は、泣いているようにも見える。
 アズサの本心がどこにあるのか、それを知る術はクロノにはない。
 それでも――

「僕は君のことを何も知らない……知ろうともしなかった」

 それは自分の、管理局の罪だろう。
 彼女の事情を知ろうともせずに人を殺すほどにまで追い詰め、誰も信じられなくしてしまった。

「僕のせいで巻き込んだ」

 あの廃ビルでアズサに力を使わせてしまったから管理局や道化師がアズサに目をつけた。

「僕が君たちを見逃していれば」

 ソラの邪魔をしなければこんな最悪なことにはならなかったかもしれない。
 考えれば考えるほど、もしもを考えてしまう。
 こんなはずじゃない現実。
 アズサの人生を狂わせたのは自分だと責めずにはいられない。
 そして、ソラの人生を終わらせたのも。
 意見の対立があっても、クロノはソラのことを死ねばいいなどと思わなかった。
 むしろ自分に初心を思い出させてくれて感謝さえしている。

「全部……僕のせいだ」

「そうだよ。だから燃えちゃえ」

 無造作に炎が一直線に迫る。
 しかし、紅蓮の炎は水色の魔法陣にぶつかって散る。

「だから……せめて、僕にできることは……」

 傲慢かもしれない。
 それでも、容易に想像できる彼女の結末と、人を傷付けることを恐れていた彼女のことを考えると自分にできることは一つしか考えられなかった。

「せめて僕が……君を討つ」

 S2Uを構え、アズサに突き付けた。




 爆発が建物を破壊する。

「くそっ!」

 黒煙を切り裂いてクロノは空に逃げる。
 威勢よく啖呵を切ったものの戦況は防戦一方だった。
 予備動作もなく、気付いた時には炎に焼かれていた。
 バリアジャケットがなかったら一瞬で焼き殺されていた。
 それに――

「遅いよ」

 気付いた時にはアズサは背後にいた。
 咄嗟にシールドを展開するが、構築が完成するよりも早くアズサの拳が魔法陣を叩き割り、クロノの背中を打った。
 飛んだ勢いを逆にして、クロノは地面へと落下する。
 なんとか体勢を直して激突を免れるが、全身に走る痛みに膝を着く。

「これが……人型の「G」の力なのか」

 その力には息を巻くしかない。
 魔法とは違う体系の炎や力場を操るだけの力かと思えばそれだけじゃない。
 素人にしか見えない体術なのに、そこに込められている力と振るわれるスピードは自分の師を超えている。
 身体能力のスペックが根本的に違いすぎるのだ。
 超能力と身体能力。これを魔導師ランクに当てはめればオーバーSランクに至っていることは間違いないだろう。

「もう終わり?」

 くすくすと笑いながらクロノの前に降り立つアズサ。

「魔導師って大したことなかったんだね」

 失望したと言わんばかりの眼差しにクロノは反抗するように立ち上がる。

「スティンガースナイプ!」

「だから遅いって」

 クロノの撃った魔弾はアズサに届く前に炎に包まれた。
 すぐさまクロノは飛びながら弾幕を張る。
 しかし、アズサはその隙間をかいくぐって近付いてくる。
 さらには設置したバインドも発動の瞬間にその場を離脱して効果範囲から逃れる。
 まるで悪夢を見ているようだった。
 自分がこれまで積み重ねてきた努力を何の努力もしていない力が蹂躙していく。

「これでおしまい」

「しまった!」

 憤り、魔法の制御がおろそかになったところをアズサは全力で疾走した。
 踏み込みで地面が爆ぜる。
 その勢いはクロノが知っている最速のフェイトに匹敵する程。
 咄嗟に展開したシールドで受け止めるが、衝撃は受け切れるものではなく、派手に吹き飛ばされて壁に叩きつけられる。

「しぶとい!」

 痛みに動けないクロノにアズサは容赦なく追撃をかける。
 次の瞬間、クロノは炎に包まれた。

「あつっ……く……」

 地面を転がって消そうとしても炎は少しずつ大きくなっていく。

「すぐには殺さないよ。わたしの苦しみを少しでも思い知って死ねばいいんだ」

 アズサの言葉を聞いている余裕はなかった。
 バリアジャケットが意味をなさずに燃えていく。

「デュランダル!」

 展開した召喚陣から水を叩きつけるが、あろうことか水をかけられても炎は消えない。

「あはははは……水をかけたくらいでわたしの炎が消えるわけないじゃない」

 無様にのた打ち回るクロノの姿をアズサは嘲笑う。
 抗うことのできない絶対的な力に絶望感が込み上げてくる。

「調子に乗り過ぎだ」

 不意に響いたあり得ない声に耳を疑った。
 次の瞬間、炎がかき消えた。

「…………ソラ?」

 黒いコート姿の背中。
 この数週間見続けていた、焼き殺されたはずの少年は悠然とそこに立っていた。

「どうして……?」

 信じられない、それはアズサも同じだった。

「ちょっといわくのある身体でね。致命傷は勝手に治ってくれるんだ」

「……化け物」

「ま、否定はできないかな」

 苦笑いをするソラ。
 アズサは顔を引きつらせるとその場から突然消えた。

「……テレポートか」

 ソラが向けた視線の先にはその一瞬で遠く離れ、脇目も振らずに逃げるアズサの姿があった。

「ソラ……助かっ――」

 クロノは立ち上がり、助けられた礼を言おうとしたが腹部に受けた衝撃に言葉を詰まらせた。

「な……に………を」

 たたらを踏んでなんとか倒れるのを耐えるが、ソラは容赦なくクロノの顔を掴み地面に叩きつけた。

「もう管理局は来たのか。日没までまだ時間があるのに」

 クロノの存在を無視するような呟き、アズサを追うために身をひるがえす。

「ま……て……」

 痛みに耐え、いつかのようにクロノはソラの足を掴む。

「アズサは……僕が……ころ――ぐあっ」

 背中を勢いよく踏みつけられて、踏みにじられる。

「そんなことはさせない!」

「だけど、アズサは人を殺してしまった……」

 人を殺したアズサを管理局は決して許さない。
 正直、自分では彼女をどう裁くべきなのか分からない。
 それでも生かして捕まえたところでその末路が悲惨なことは予想できる。
 元々、人間として思われていない彼女だ。そこに人殺しも加われば、それこそただの化け物としてどこまでもひどい扱いを受ける。
 管理局から逃げ続けて安息などあるはずがない。
 捕まっても死よりもつらい運命。
 ならび自分にできることは今の内に楽に殺してあげることしかないのではないのか。
 それに――

「僕はこれ以上あの子が人を殺す姿なんて見たくない」

 絞り出した言葉に、ソラが踏みつける圧力が緩む。

「もうアズサは君が助けたかったあの子じゃない。
 あれは人を殺すことの快感を知ってしまった殺人鬼だ。
 仮に元に戻れたとしてもあの子がその事実に耐えられるはずがない」

 結局、どこに行きついても彼女は苦しむしかない。

「それが分からない君じゃないだろ」

「……分かってるさ……でも……」

 苦渋の顔をするソラの心情はよく分かる。
 彼もまた、アズサがこうなった原因を自分にあると責めている。
 それでも彼女を助け、守ろうとする姿は羨ましいものだが現実は優しくない。

「もう僕たちに彼女を救えないんだ」

「…………人殺しに生きている資格がないって言うならそれは僕も同じだ。それでも――」

 轟音。
 重い爆発音が響き衝撃波が身体を揺らす。
 そして、目の前の廃ビルが傾いた。

「おいおいおい……」

「ちょっと待ってくれよ」

 これはやばい。
 今、まともに魔法行使できる状態じゃない。
 ソラだって魔法はないのだから倒れてくるビルをどうにかできるはずがない。
 それでもこの場をなんとかできるのは自分だけだと、痛む身体に鞭を打って魔法を発動しようと集中する。
 しかし、クロノの魔法ができるより早く緑色の魔力衝撃が落ちてくるビルを吹き飛ばした。

「無事か?」

 そして降り立ったのは重戦斧型のデバイスを肩に担いだルークスだった。

「おっさんまで来たのか」

「誰がおっさんだ俺はまだ二十代だ!」

 ソラの言葉に過剰に反応し、ルークスは改めてクロノを見る。

「あれはどういうことだクロノし――」

 言葉の途中でソラが襲いかかる。
 ルークスはそれを寸でのところでデバイスで受け止めて声を上げる。

「何をする!?」

「何を言っている? あんたたちは僕の敵だ!」

 振るわれた拳をルークスは無造作に手で受ける。

「その体たらくで何ができる」

 はたから見ていてもソラの動きにはいつもの精彩さはない。
 にわかには信じられない死なない身体といっても疲労があるのだろうか。ともかく目に見えて消耗している。

「だったらお前たちはアズサをどうするつもりなんだ?」

 空で炎が弾ける。
 そして、いくつもの魔力の光が瞬く。
 それを見てソラは顔をしかめた。

「…………なんで……管理局が動いたわりには数が少ない」

「私たちは管理局とは別に動いている」

「はぁ?」

「アズサ・イチジョウの死を偽装して逃がすつもりだった……」

「そんなこと信じられるか!?」

「信じてくれソラ……僕たちはアズサを助けるためにここに来たんだ。待機命令を無視して」

 困惑するソラにクロノが立ち上がって説明する。
 一人で行動することを止められたが、アズサを助けたいと思ったのは自分だけではなかった。
 クライドと対峙したルークスの部隊。それに話を聞いていたアキを始めとした司令部のスタッフ。
 みんな懲罰を覚悟して、たった一人の少女を助けようと動いた。

「お前たちは世界のためなら人を殺せるんだろ、なら騙すことだって平気でやる」

「信じる必要はない」

 叫ぶソラにルークスはにべもなく言い切った。

「勘違いするな。私たちはお前に協力するためにここに来たわけじゃない」

「ああ、そうかい」

 掴まれている拳を振りほどき、ハイキック。
 それはルークスのシールドに防がれる。

「ああ、なってしまったら私たちにはもうどうにもできない」

 こちらの話に耳を向けず、危険な力を好き勝手振り回す。

「私たちはたった一人の少女さえ救えなかったようだ……」

 自嘲するように小さくルークスは笑う。
 初心に返った行動は報われなかった。
 それに虚脱感を感じるが、だからといって膝を着くことはできない。
 自分たちには彼女をああしてしまった責任がある。

「だから――」

「だが、お前はまだ諦めていないんだな」

 ルークスの言葉にクロノは言葉を止めた。

「お前は救えると本気で思っているんだな?」

「……僕はこの先の結末を知っている。
 今のアズサの気持ちも分かる。
 でも、生かされても死にたいくらいの後悔しか残ってなかった」

 苦しそうな顔は未だにその傷は癒えていないということだろう。

「でも……アズサはまだやり直せるはずだ。僕とは違って……きっと」

「それで、何ができる?
 今の戦場は空だ。魔法の使えないお前は彼女の前に立つこともできない」

「手ならあるさ」

「そうか……助けは必要か?」

「必要な――いや、近くに北天の魔導書がいるはずだけど……」

「黒幕か……そいつはぶっ潰して問題はないんだろ?」

「強いよ。たぶんアズサよりも」

「問題ない。そんな奴なら躊躇わずに戦えるからな」

「そう……」

 言葉はそれだけ、ソラは踵を返して走り出した。

『各員に告ぐ。アズサ・イチジョウのことはソラに一任した。
 私たちは彼女をかどわかしたロストロギアをぶっ飛ばす』

『了解』

 唱和する返事にクロノは溜息を吐いた。
 誰もまだ諦めていない。
 それなのに自分はまた勝手に見切りをつけた。

「情けない」

「なに年期の差だ。気にするな……それよりもまだ戦えるな」

 クロノは自分の身体をチェックする。
 バリアジャケットを再構成、身体には軽度の火傷、古傷も問題ない。

「はい……でも僕はソラの援護に向かいます」

 アズサのことはソラに任せるべきなのは分かっている。
 彼女の苦しみを知らない自分の言葉が届かない。
 その苦しみを知っているソラの言葉なら届くかもしれない。
 だけど、もし届かなかったら、止まらなかったら、ソラはどうするつもりなのだろうか。
 人を殺す思考ばかりの自分がいやになるが、もしもの時は――

「そうか。分かった」

 ルークスは追及せずにただ頷くだけだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……何?」

 ビルを爆破した直後、襲いかかってきた魔導師たちが不意に後退を始めた。
 初めの攻撃以降は何かをわめいて逃げてばかりで誰も焼けなかった。

「くっ……」

 唐突に現れた頭痛にサイコキネシスの制御が鈍る。
 とりあえずアズサは手近なビルの屋上に降りる。
 そしてサイコキネシスによる飛行を解除して、膝を着いた。

「…………はぁ……はぁ……」

 頭だけではない、息も苦しい、心臓が早鐘のように鳴り響く。

「無理のしすぎだよ」

 響いた声に背筋が凍る。

「いくら君が超能力を使う身体に適していても有限じゃないんだ。
 後先考えないで使えばそうなるのはどんな力も同じだよ」

 恐る恐る見下ろすと彼、ソラがそこにいた。
 焼いても、ビルを倒しても死なずそこに立つ彼に恐怖が込み上げてくる。

「どうして……」

 あれだけのことをしてどうしてまだ追ってくるのか。

「それで……満足できた?」

「満足って……何のこと?」

「これだけ好き勝手暴れたんだ。少しは気も紛れたんじゃないの?」

「……うるさい……もう……ほっといてよ」

 拒絶を口にしてもソラは一歩ずつ近づいてくる。


「ほっとけるわけないよ」

「あなたに何が分かるっていうのっ!?
 人間のあなたに化け物のわたしの何が!?」

「君は化け物じゃない」

「うそっ! うそよ……心の底ではみんなわたしのことを化け物だって思ってるはずよ!」

「まあ、クロノ達はそうだろうけど、僕はそんなつもりはないよ」

「おいこら、少しはフォローしろよ!」

 第三者の声に振り返ってみるが誰もいない。

「今、誰かの声がした……」

「気のせいだよ、それより……」

「でも……」

「それより……」

 軽薄な顔に有無を言わせない態度にアズサは黙るしかなかった。

「もうやめにした方がいい。これ以上続けても意味はない」

「意味がないってどういうこと?」

「管理局は組織だ。どれだけ強い力を持っていても個人でしかない君に勝ち目はない」

「そんなの……やってみなければ分からないでしょ」

「今の消耗で分かるでしょ。君に勝ち目はない」

「こんなの全然平気――」

 着いていた膝を勢いよく立たせる。
 まだ、少しふらつくがまだまだ戦える。

「仮に管理局を根絶やしにして君は……君の大事な人に顔向けできるの?」

「…………え?」

 ソラの言葉にアズサの思考は止まった。

「そ、そんなのできるに決まってるでしょっ!」

 そうだお義父さんはきっと褒めてくれる。
 あの時のように炎をうまく使えれば褒めてくれるんだ。

 ――ほんとに?

「本当に?」

 自問と同じ言葉をかけるソラに思わず息が詰まる。

「……さい」

「本当に君の大事な人は君が人殺しに――」

「うるさいっ!」

 床を砕く勢いで走る。
 こいつにこれ以上喋らせない。
 力尽くで黙らせる。
 そうしないと何か大切なものが壊れてしまう。
 わたしの力は炎だけじゃない。身体能力だけでも常人の数倍の力を持っているそれを使えば素手でだって人を壊せる。
 しかし……アズサの拳は空を切った。

「え……?」

「身体能力は確かにすごいけど、動きが直線的すぎるよ」

 言いながら、ソラはアズサの肩に触れる。
 咄嗟に振り払って距離を取る。
 得体の知れないものを見るような目をアズサはソラに向ける。
 払われた手をひらひらと振って、ソラはその手で手招きをする。

「口で言っても分からないようだね」

 そして腰を低くして構える。
 アズサに格闘術の心得はないが、堂に入った構えに思わず気後れしてしまう。

「…………あ、あああああああああああっ」

 それに抵抗するように声を張り上げて、アズサは走る。
 ステップを織り交ぜ、目を撹乱して背後を取る。
 ソラはまだ振り返っていない。
 いけるっ!
 そう思って突き出した拳にまた手応えはなかった。
 ソラはこちらを一度も見ずに手を掴むとアズサの勢いをそのままに投げ飛ばした。
 身体を捻ってなんとか足から着地すると、そこにソラが掌底が迫る。
 正面から真っ直ぐと突き込まれるそれを腕を交差して受け止める。
 しかし、その両手をすり抜けるようにしてソラの掌打は胸を打った。

「……えっと?」

 だが、予想していた衝撃はほとんどなかった。
 身体能力を強化していることを差し引いても強く押された程度の衝撃に困惑する。
 ソラもその体勢のまま固まっている。

「あの……」

 毒気を抜かれて思わずソラの様子をうかがう。

「やっぱりまだ無理か」

 何が無理なのだろうか。
 考えてみて、理解はできなかったがやることは決めた。

「いつまで触ってるんですか!?」

 目の前で感情の動きに合わせて炎が弾ける。

「おっと……」

 一瞬早く飛び退いたソラから守る様にアズサは胸を両手で抱くように隠す。
 赤面する顔を振って、思考を戻す。
 接近戦は勝てる気はおろか、触れる気がしない。
 やっぱり自分が一番頼れるのは炎しかない。
 炎を作りだそうと意識を集中する。

「アズサ……これで最後だ。今からでも大人しく人の話を聞くか、痛い目をみて聞くか」

 ソラの静かな言葉にアズサは距離を取るために飛翔する。

「ここなら……手出しできないはず」

 いくら死のない身体といっても、魔導師でもフェザリアンでもないソラが飛ぶことは不可能だ。
 ここから一方的に攻撃すればいいし、ビルを倒壊させてもいいかもしれない。
 それに今度は灰になるまで焼き尽くせば流石に生き返らないだろう。

「痛い目みるんでいいんだね!」

 口に両手を当てて声を上げるソラの姿が、戦いの場に不釣り合いで馬鹿にしているようだった。

「痛い目をみるのは……そっちだ!」

 手の上で作りだした大きな火球。
 それをアズサは躊躇わす振り下ろした。
 今まで作った中での最大火力。
 ソラはその場から動こうとはしなかった。
 そして――青い光が溢れた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……うそだろ?」

 目の前の光景にクロノは思わず言葉をもらした。
 青い魔力光。ソラの足下に広がるベルカ式の魔法陣。
 ソラが魔法を使った。
 しかし、クロノが驚いているのはそんなことではない。
 覚えのある魔力の奔流。

「あれは……まさか……」

 ソラの手元、膨大な魔力の中心として輝いているそれにもクロノは見覚えがあった。

「ジュエルシード」

 プレシアとともに虚数空間に落ちたはずの菱形の秘石がソラの手にあった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「何……それ……?」

 青い光に飲み込まれて消えた炎を呆然とアズサは見下ろした。
 眼下には青い光とソラを中心として浮かび上がる三角形と円の魔法陣。
 魔法について詳しくなくても、それがどういったものかという知識くらいはアズサにもある。

「ジュエルシードって言うロストロギアでね。
 願いを叶える宝石っていわれてる。
 だから願ったんだよ。魔法を使いたいってね」

「馬鹿かお前は!」

 突然の叫び声、屋上の片隅に隠れていたクロノが声を上げる。

「それは何万分の一の発動でも次元震を起こせる代物だぞ。
 人の手でどうこうできるものじゃないんだぞ!
 だいたい正しく願いを叶えるとは限らないんだぞ!」

「……そういうことだから手加減はできないから」

「ちがーうっ!!」

 クロノの言っていることはよく理解できないものの、それが危険なものだということは伝わった。
 どうすればいいのか考えようとしてソラの声が聞こえた。

「シルバーダガ―」

 その声が聞こえた瞬間、八つの銀光が線になってアズサに襲いかかる。
 咄嗟に飛び避ける。そして時間差で迫る二本の銀のナイフに意識を集中する。

「燃えろっ!」

 アズサの声に従うように銀のナイフは赤熱し、焼き崩れる。
 が、安堵もつかの間、三本のナイフが完全に崩れるようとした瞬間、爆発が起きる。
 身をすくませるが、爆発は煙だけで攻撃力はなかった。

「けほけほ……でも、これじゃあソラも何にも見えないはず」

 ソラの意図が読めず、次の行動を考えようとして背中に衝撃を受けた。

「なに……?」

 痛みはないが、何かが刺さった痺れる不快な感覚。
 そちらに気を取られたところで銀の光が視界の煙を切り裂き現れる。
 声を上げる暇もなく、銀のナイフは肩、太もも、脇腹、腕に次々に突き刺さる。
 これも強烈な不快感をもたらすが痛みはない。

「そんな……どうして?」

 煙は晴れていないのにまるで見えてるかのようにソラの攻撃が命中する。
 とにかく、この煙の中からでないといけない。
 焦った考えて煙の中から飛び出す。

「巨人の鉄拳」

 背後からの声に振り返るとそこには、青い魔力で構成された腕を横に携えたソラが拳を振り溜めていた。

「歯を食いしばれ!」

 振り下ろす拳に連動して巨人の腕がアズサを殴る。

「きゃあっ!」

 飛翔力を失ってアズサは殴られた勢いのまま、地上に落ちていく。
 衝撃や、視界の転換にアズサの意識はついていけず地面に無防備に激突する。

「フロータ―フィールド」

 その寸でのところで三段に重ねられた青い魔法陣がアズサの身体を柔らかく受け止める。

「鋼の軛」

 そして、地面から突き出た光柱がアズサの身体を貫き、拘束した。

「……あ…………」

 まさにその言葉の間に全てが終わっていた。
 あまりの力の差にこれ以上抵抗しようという意思が湧いてこなかった。
 そして熱くなっていた思考は急激に冷めて、慣れた諦めの感覚が甦る。

「……と」

 静かにソラがアズサの前に着地して、フラついた。

「……少しは頭が冷えた?」

 頭を軽く振って、何故か流している鼻血をぬぐいながらソラが尋ねてくる。

「…………もう……いいよ」

 目の前の少年から逃げることも、戦うことさえもできないと悟ってアズサは投げやりに言葉を返す。
 もう、全て諦めよう。
 死も、牢獄も、何もかも。

「そう……なら」

「やめろ、ソラ!」

 新たな魔法陣を作るソラの前に、アズサとの間にクロノが降り立つ。

「もうアズサに抵抗の意思はない。これ以上の――」

「クロノ……そこにいると巻き込むよ」

「っ……ソラ、本気なのか?」

「仕方がないでしょ、口で言っても分からないんだから」

「そうか……なら僕はここをどかない」

 アズサを守る様にクロノは杖をソラに向ける。

「もう……いいですよ。わたしなんか守らなくて……どうせ、わたしなんか……」

「諦めるなアズ――」

「まあ、いいか」

 不意を打つように足下の魔法陣が広がる。
 クロノの焦る気配を他人事のように感じながらぼうっと青い光をアズサは見つめる。

「アズサ……これが今の君の末路だ」

 その声を最後にアズサの視界は暗転した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 闇。
 右を見ても、左を見ても果てのない闇が続いている。
 それだけでも気が滅入るのに、足もとは水に浸かっていて酷く歩きにくい。

「誰か……」

 声を出しても返事はおろか、反響さえもない。
 不意に何かにつまずいて、頭から水を被る。
 口の中にぬめる感触に不快感を感じながら立ち上がる。
 顔を上げるといつからあったのか小さな光があった。
 気付けば走り出していた。
 何度も水や、何かにつまずきながらも必死に、すがるような気持ちで手を伸ばす。
 ここは寒い。苦しい。そして怖い。
 どれだけ走っただろうか。
 やがて光は大きくなっていく。
 光の中には四人の子供たちがいる。
 女の子が三人、男の子が一人。
 一人の女の子を中心にして三人は微笑んでいる。
 その女の子もまた嬉しそうな、楽しそうな、幸せそうな笑顔を浮かべて歌っている。
 ああ、思わず安堵して、手を伸ばす。
 そこにあるのは自分が望んだ幸せな日々。
 やっと帰ってきたんだ。
 しかし、差し出した手は光と闇の境界線で止まった。

「えっ……?」

 そこはガラスでもあるかのように隔たれていた。
 境界線に張り付き、力の限り見えない壁を叩く。
 声を上げて彼女たちの名を叫ぶ。
 壁は壊れることはない。
 叫びは届かない。
 そして不意に気が付く。
 光に照らされた自分の手が赤黒く染まっていることに。
 それが血だと気付くのにそう時間はかからなかった。
 そして、それは両手だけではなかった。
 全身が血にまみれていた。
 足下の水だと思っていたのは血の海だった。

「ひっ……」

 思わず後ずさるとまた何かにつまずいて後ろに倒れた。
 口に入った血を吐き捨て、顔をぬぐう。
 そして目の前にあったのは人の死体だった。
 それだけじゃない。辺りを見回せばそこかしこに死体が転がり、折り重なっている。

「うわぁ!」

 悲鳴を上げて境界線に縋りつき、先程以上の勢いと力で叩き、叫ぶ。
 思いが通じたのか唐突に境界線の壁がなくなる。
 つんのめるように光の中に入り込み、四人の元に駆け出す。
 しかし、安堵の笑みを浮かべて差し出した手を見て足が止まった。

 ――血にまみれたこの手で彼女たちに触れていいのか?
 ――あの綺麗な光景の輪の中に、汚れた自分は戻れるのか?
 ――何より、ねえさんを殺した自分がどんな顔をしてみんなに会える?

 逡巡に固まっていると足を掴まれた。
 ギョッと振り返ると闇の側から白い手が自分の足を掴んでいた。
 そして、強く引かれ、倒された。

「……いひゃい」

 したたかに打った鼻を押さえていると、足を掴む感触が増えていることに気が付いた。
 地面に爪を立てて抗うがってもジリジリと闇の中に引き戻されていく。

「たすけ――」

 声を上げようとして詰まる。
 彼女たちと目が合った。
 目を大きく見開いた彼女たちの口がゆっくりと動く。

「死ね」

 耳元で響く底冷えのする声。
 引き戻される力に投げ飛ばされるように深い闇に連れ戻される。
 光が遠ざかっていく。
 呆然と小さくなっていく光を見続け、血だまりの中に落ちる。
 もう立ち上がる気力も湧いてこなかった。
 ここが自分の場所なのだと、受け入れる。
 そう思うと気が楽になり、笑いが込み上げてきた。
 ただ、ただ、笑い続けることしかできなかった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……はっ?」

 覚醒は唐突だった。
 今いる場所がどこかわからずにクロノは固まる。
 血の闇はどこにもなく、周りにあるのは廃墟の都市。

「今のは……?」

「僕の十二年前から見ている悪夢だよ」

 背後からの声に振り返ればソラがアズサを拘束から解いて地面に座らせるところだった。
 アズサは呆然と為すがままにされ、座り込む。

「口で言っても分からないから直接見せたけど……やっぱりあまり気分のいいものじゃなかったかな」

 そういう意味だったのか。
 てっきり力尽くで分からせるのだと勘違いしていたクロノは誤魔化すように咳払いをする。

「僕も……今のアズサみたいに世界の何もかもが憎くて、死ぬのが怖くて、戦い続けた」

 語り出すソラにクロノもアズサも顔を向ける。

「たくさん殺したよ。だってみんなが僕に死ねって言うんだから、それが間違っていたとは今でも思ってないよ」

 思わず言い返そうとしてクロノは言葉を飲み込んだ。
 人殺しの善悪の討議などこの場では意味がないことだ。

「正直な話、楽しかったよ。
 何もできなかった、守られてばかりだった自分の手で敵を殺せるのは爽快だった」

 それは今のアズサと同じものだった。

「でも、あとに残ったのはこんな血にまみれた手だけだったんだよ」

 家族も友達も、果ては魔法の才能さえ失って死ぬことも奪われた。

「僕はもう二度とあの人たちには会えない」

 そんな資格はないんだと自嘲する。

「アズサ……もう一度聞くよ。
 あんな屍の山を作っても君は君の大事な人に胸を張って会えるの?」

 アズサは俯いて応えない。
 ソラは言葉を続けることなくジッと待つ。
 やがて、アズサは力なく頭を横に振った。

「でも……わたしはもう……人を……」

「殺したとしても、これ以上人を殺さないといけない理由にはならない」

「でも……でも……」

「君はどうしたい? 僕みたいな結末でも構わなくて、まだ人を殺したいと思っているなら僕はもう君を止めない」

 その言葉にビクリとアズサは身体をすくませる。

「わたしは……」

「決めるのは君だ」

 傍で見ているクロノの印象では、アズサからはもう狂気は抜けきって初めて会った時の気弱な雰囲気しか感じられなかった。
 この状態の彼女なら間違っても、まだ殺し足りないと言うことはないだろう。
 そして改めてソラを見る。
 あの悪夢でソラが本当に人を殺していたことを確認できた。
 確認できたが、それでどうすればいいのか分からなかった。
 アズサと同じ状況ならソラもまた管理局に追われていた人間になる。
 人殺しは管理世界において極刑の犯罪だが、ならこう言うのか。

 ――君のしたことは間違っている。だから、君は死ぬべきだったんだ。

 そんなこと言えるはずない。

 ――管理局の説得を聞かなかった君たちが悪い。

 馬鹿馬鹿しい、身の安全も人としての権利も保障されないのに投降する人間なんているはずがない。
 結局、彼らは管理局が突き付けた、こんなはずじゃない現実に立ち向かったにしか過ぎない。
 それを責める資格は自分に本当にあるのだろうか。
 彼らを前にクロノは今まで持っていた信念が揺らぐのを感じる。
 今まで見てきた自分勝手な犯罪者たちとソラやアズサは同じなのだろうか。
 自問自答の答えは出てこない。

「わたしは……誰も傷付けたくなんてなかった」

 涙交じりのアズサの言葉にクロノは改めて安堵する。
 何が正しくて間違っているのか、今は答えが出せなくてもいい。
 今やるべきこと、考えるべきことはアズサのこれから。
 クロノはアキが計画しているアズサ救出のプランを話そうと口を開く。

「それは困る」

 クロノの言葉を遮る様に四人目の声がその場に響く。

「誰だ!?」

 いち早くソラが反応して周囲を警戒する。
 クロノもそれに続くが辺りに人の気配はない。

「もう少し、フェザリアンの戦いを観察をしたかったが致し方ないか」

 そして、金色の光が溢れた。

「これは……アズサ!」

 足下に広がったミッド式の魔法陣。それを見てソラが顔色を変えて振り返る。
 魔法陣の中心はアズサだった。
 アズサは胸を押さえて、声にならない悲鳴を上げている。

「くそっ!」

 ソラが魔法陣に手を着くが、次の瞬間弾き飛ばされた。
 溢れる魔力の奔流にクロノはその場に留まるので精一杯だった。

「ソ…………ロノ、たす……いや……」

 アズサのかき消えた声に自然とクロノの身体は動いていた。
 それが何者の、どんな術式か分からないものであっても、このまま放置することはアズサにとってよくないことになる。
 S2Uを魔法陣に突き立てて術式に介入する。

「何だ……これは……?」

 流れてくる圧倒的な情報量にクロノの干渉など意に介さずにその力を行使する。
 そして、アズサは金色の光に包まれ、光が弾けた。
 光の中から現れたのはアズサとは似ても似つかない女だった。
 アズサよりも頭一つ高い背丈。長い金髪の髪。青い目。
 服装も一新され、これまた金色の派手なバリアジャケットが展開される。

「お前が……北天の魔導書か」

 立ち上がったソラが浮かんだ疑問に答える。

「こいつが……」

 言われてみればリインフォースに似た気配を感じるが、悲愴を纏っていた彼女と比べると目の前の魔導書には人を見下した冷めたものを感じる。

「いかにも」

 ソラの言葉に北天の魔導書が頷く。

「今すぐアズサの中から出ろ。さもないと――」

「さもないと私を殺すか? 君には無理だ」

 次の瞬間、音が弾けた。
 それがソラの拳を金色の魔法陣による盾が止めたものと理解するのにクロノは時間がかかった。
 その間にも二度、三度とソラの拳や足が盾を震わせる。

「どういうことだ……?」

 その光景にクロノは疑問を感じずにはいられない。
 ソラには魔法を無効化する能力がある。
 それなのに北天の魔導書の張る盾は不動のままそこにあり続ける。
 四度目はナイフによる斬撃。
 しかし、これは甲高い音を立ててナイフの刀身が折れ飛んだ。

「くっ……」

 その結果に顔をしかめてソラは距離を取る。

「なるほど」

 納得した言葉を呟くとソラの足下から何の前触れもなく金の鎖が現れる。
 呆然としていたクロノの反応は遅れ、絡め取られる。
 ソラもまた一条の鎖を避けるものの、間断なく現れる鎖に呆気なく捕まった。

「すごいものだな……フェザリアンの身体というものは」

 感心した言葉をもらす北天の魔導書だが、クロノにはそれを気にしている余裕はなかった。

「解除できない!?」

 バインドに干渉して鎖を解く。
 魔法の基本でもある行為を行おうとしても、構築されている術式が堅過ぎてまったく干渉できない。

「当然だ。そのバインドはリアルタイムで術式を変化させている」

「だからって……まったく介入できないなんて」

「それも当然、フェザリアンの高速演算において構築された魔法は常人のそれとは遥かに異なるものになると今証明された」

 私の理論は正しかったと声を上げて笑う北天の魔導書をクロノは睨むことしかできない。
 だから、ソラに視線を送り説明を求める。

「憶測だけど、フェザリアンの特徴は人間の機能を十全に使えることにある。
 これは身体能力に限ったことじゃない」

「その通り。ここで問題にしているのは脳の働きのことだ。
 フェザリアンの脳は人間にあるリミッターが存在しない。
 故に思考領域と演算速度はAAAランク魔導師の数百倍。この意味が分かるかい?」

 その二つは魔導師ランクにおいても出てくる事柄だからクロノにも理解できる。
 思考領域は魔法の規模の大きさの限界値。
 演算速度は発動の早さ。
 クロノも一般の魔導師に比べれば大きく、早い方だがそれを軽く凌駕する数値に実感が湧かない。
 実感は湧かなくても、その結果は身を持って体験している。

「お前の目的はフェザリアンを作ることじゃなくて、フェザリアンを魔導師にすることか?」

「正解よ。元王」

「そんなことのためにアズサを……」

「彼女の存在は助かったよ。
 フェザリアンのデータは少なくてね。これでまた研究ははかどる」

 あまりに自分勝手な物言いにクロノは怒りを感じる。
 ソラやアズサのような抗う者ではない。
 私利私欲のために悲しみをまき散らす、本物の悪。

「このおおおおっ」

 バリアジャケットの強度を高め、身体能力の強化を限界まで引き上げる。

「ふむ……」

 術式に介入できないなら力任せに壊せばいい。
 バリアジャケットの効果を超過する圧力に身体に激痛が走るが、構わずさらに力を込める。

「お見事」

 音を立てて鎖が千切れる。
 勢い余って前につんのめるのをこらえてS2Uを突き付ける。

「ジュエルシードッ!」

 ソラの咆哮。
 青の魔力光が金色の縛鎖を弾き飛ばす。

「なるほど……魔力の供給量が今後の課題か」

 考察する北天の魔導書。それに構わずソラが叫ぶ。

「クロノ! 最大攻撃、魔力ダメージでぶっ飛ばせ!」

 短い指示に従ってクロノは魔法陣を展開する。
 ソラの意図はなのはがリインフォースにやったことと同じこと。
 自分になのは並みの砲撃が撃てるのか、感じる不安を振り払い。ただ集中する。

「響け終焉の笛……」

「ブレイズ――」

 二人の唱和に対して北天の魔導書は逃げる素振りも見せずに背中の紅いフィンの輝きを強くさせる。

「ラグナロクッ!!」

「キャノンッ!!」

 二つの砲撃が至近距離で放たれる。
 周囲を青い光が埋め尽くし、その衝撃の煽りを受けてクロノは吹き飛ばされる。

「……どうだ?」

 壁に打ち付けた身体を起こして、クロノは顔を上げる。
 もうもうと立ち込める煙。
 ソラの姿を探せば、彼もクロノと同じように建物に叩きつけられたようだったが、ぴくりとも動かない。

「おしかったな」

 響いた声にクロノは背筋が凍るのを感じた。
 煙が晴れる。
 そこにはバリアジャケットを半壊させながらも立つ北天の魔導書の姿があった。

「ソラ……起きろ」

 絶望にくじけそうになる。
 魔力はほとんど残っていない。限界を超えた力を使った反動で身体が悲鳴を上げてまともに動かない。
 それでも諦めることはしない。
 S2Uを杖にして無様でも立ち上がる。

「ソラ……!」

「無駄だ。あれほどの膨大な魔力を御したのだ。普通なら身体は破裂、脳は焼き切れてもおかしくない芸当をしたんだ。
 当分、起きることはないだろう」

 思わずクロノは歯がみする。
 本来ならとっくにリタイアしていてもおかしくないソラを責める気にはなれない。
 怒りは自分に向かう。
 本当に全てを出し切ったソラに対して自分はまだ動け、話せる。余力を残してしまったこと責めてしまう。
 第三者から見たら、クロノも十分よくやったと評価されるだろうが、そんな納得はできなかった。

「ま……まだだ」

 せめてルークスたちが来るまで時間を稼ぐ。
 しかし、S2Uを構えようとしてクロノは無様に地面に転がった。

「くそぅ……」

 悔しさに声をもらしていると、不意に北天の魔導書が歩き出した。
 その先はソラがいて、首根っこを掴まれて持ち上げられても起きる気配はない。

「……実に興味深いな。
 リンカーコアの機能は完全に停止している。どうして生きているんだこいつは?
 それにあれだけのことを身一つでこなし、ジュエルシードを抑え込む精神力……本当に人間か?」

 吟味するように北天の魔導書はソラを観察する。

「だが、素体としては格別か」

 その言葉にクロノは管理局で「G」にされた魔導師を思い出す。

「きっさまぁ!」

 だが、どれだけ怒りを感じても身体はもう動いてくれない。
 そんなクロノを無視して北天の魔導書の独り言は続く。

「こいつにフェザリアンの因子を埋め込めばどんな超戦士になるんだろうな」

 薄ら笑いを浮かべる北天の魔導書の手に無針の注射器が握られる。

「くそっ……動け、動けよ!」

 どれだけ叱咤しても身体は動かない。

「起きろソラ! 起きろ……起きてくれ!」

 叫びは届かない。
 北天の魔導書の手は無情にもソラの首に伸びていく。
 そして、燃えた。

「え……?」

「何だと……?」

 振り払っても腕についた火はその勢いを止めずに大きくなっていく。

「くっ……何のつもりだ貴様!?」

「ソラに……手を出すなんて許せない」

 同じ口から別の声。
 強い意思に満ちた別人のような声だが聞き間違えるはずがない。

「アズサ!」

「やめろっ! 自分が何をしているか分かっているのか!?」

 北天の魔導書の叫びに感じた安堵が一瞬で凍る。
 今の北天の魔導書の身体はアズサの身体。そしてその身体に火をつけたのはアズサ。

「初めから……こうすればよかったんだ。
 そうすれば、誰も傷付かなかったんだ」

「な……何言ってるんだよアズサ?」

 大きくなっていく炎。それは腕だけでなく身体を包み込んでいく。

「くっ……この……消えろっ!」

「ごめんなさい……こんなことしかできなくて」

「ダメだ……そんなことしたら君が!」

 炎の中、北天の魔導書の身体をしたアズサが儚げに笑う。
 ただ見ていることしかできない自分の無力を呪わずにはいられない。

『ありがとう……』

 不意に念話に似た声が頭に響く。

『助けてくれて……守ろうとしてくれてありがとう』

「違う……それは……僕の言葉だ」

 アズサに伝えたかった言葉。
 廃ビルで助けられた感謝の言葉。そんな当たり前のことができなくて、それが伝えたく彼女に謝りたかった。
 それがクロノのアズサを助けたいと思う理由だった。

『こんなふうにしかできなくて……ごめんなさい』

「だからって……」

 理屈でこれがベストだと分かってしまう。
 アズサ一人の犠牲でみんなに危険は及ばず、北天の魔導書も排除できる。
 そんな合理的な考えをしてしまう自分が憎い。

「だからってこんなこと!」

 執務官になると決めてから泣かないと誓ったことを忘れたかのようにクロノの目から押え切れない涙がこぼれ落ちる。

『ありがとう……こんな愚かなわたしのために……』

 ――違う。君は愚かな人間なんかじゃない。

 もう言葉を紡ぐことさえクロノはできなかった。

『最後に……一人じゃないって気付かせてくれて、ありがとう』

 ――そんな満ち足りた声で話さないくれ。

『あなたたちのおかげでわたしは最後に変われました』

 ――感謝なんてされるようなことできてもいないのに。

『だから……わたしはしあ――』

 唐突に念話が途切れる。
 繋がっていた感覚が消え、炎の中の人の形が崩れる。

「あ……あ………」

 炎の勢いはそれでも治まらない。
 まるで全てをなかったかにするように燃え続ける。
 何もできなかった。
 力はあると思っていた。
 そのための地位もあった。
 しかし、守れなかった。

 ――僕は無力だ。

「うわああああああああああああああああああああああああぁっ!!」

 夕暮れに染まり始めた廃墟の町並みでクロノの慟哭が響いた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……終わったか」

 立ち上る炎を見下ろして仮面の道化師は呟く。
 予想外の結末だったが、ソラの力の確認は十二分にできた。
 まさかロストロギアを持ち出してくるとは思ってもみなかった。
 ソラに驚かされてばかりだと仮面の下で苦笑する。

「大将……こいつら本当に生かしとくんですか?」

「ああ、そいつらには後始末をしてもらわないと困るからね」

 見晴らしのいい屋上。
 道化師の背後には金色の羽の男と白い翼の女が控えている。
 そして彼らの足下には呻く管理局の魔導師たちが転がり、呻いていた。
 ソラを特別視することにレイもアンジェも文句をつけなかった。
 当然だ。あれだけのものを見せられたのなら、その実力を認めるしかない。
 それができないような人間は、自分の力が絶対だと勘違いしている人間だ。

「お前たちは……何者だ?」

 半ばから折れた重戦斧型のデバイスを持っていた隊長らしき男が這いつくばりながら尋ねてくる。

「そんなこと言うまでもないだろ。君たちの敵だ」

 分かり切ったことに答えて、目の前に浮かんだ金の魔法陣に目を向ける。

「くそっ……あの小娘」

 悪態をついて現れたのは金髪の女。先程までアズサの身体に強制融合していた北天の魔導書だ。

「満足のいくデータは取れましたか?」

「一応な」

 不服そうな応え。
 当然だろう。せっかく見つけた実験動物に自殺を図られただけならまだしも道連れにされそうになったのだから。
 文句を言いながら、空間モニターを出してデータをまとめ始める北天の魔導書。
 道化師が彼女に気付かれないようにレイとアンジェに視線を送ると二人は無言で頷く。

「やはりこのデータを再現するなら……」

 無防備な背中に音を忍ばせて近付く。
 よく見ると実体化しているものの、それが不安定であることが見て取れる。
 おそらくソラとクロノの砲撃によるダメージなのだろう。
 そして、それがあったからこそアズサは北天の魔導書の支配に干渉できたのだろう。
 だからこそ……倒すなら今が絶好の機会。

「シリウス」

 紅い宝石からデバイスを顕現。
 そのままの勢いで振り下ろす。

「っ……!?」

 流石に魔力の反応を感知した北天の魔導書は素早く反応し、前に転がるようにして回避した。

「何のつもりだ?」

「分からないかな? 君を排除しようと思って」

 同じくデバイスを携えたレイとアンジェが北天の魔導書を囲むように退路を断つ。

「裏切る気か?」

「変なことを言うね。私たちの間にあるのは利害関係だけ。
 私たちは力を望み、君は実験動物が欲しかった。それだけのことだ」

 自分の研究に忠実な彼女だからどんな手を使ってもアズサを仲間として引き込むとは思っていた。
 だが、洗脳まがいのことをしてアズサの尊厳を穢す行いは許容できるものではなかった。
 それが自分たちなら納得はしただろう。
 管理局に一矢報いるためにその身をモルモットにしたのは彼らの意思なのだから。
 テロリストを自称できる自分たちだがそこに誇りも存在している。
 あんな本人の意思を蔑ろにして踏みにじる行為は自分たちが嫌う管理局と同じだ。

「君のやり方に我慢ができなくなった、と思ってくれていい」

「愚かだな。今日のデータでより強い力が得られるというのに」

「勘違いしないでもらえるかな。君の最終目的に私たちは興味はない。
 だけど、君とは別の形でそれを達成できる方法を知っているけどね」

「何だと……貴様、まさか!?」

 それにようやく気が付いたようだがもう遅い。

「君の技術は有効に使わせてもらうよ。
 そして来世でまた一から頑張ると良い」

 呪い殺さんとばかりに睨みつける北天の魔導書に道化師は躊躇わず魔力を解き放った。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「もう行くのか?」

 病室から廊下を覗いたところで待ちかまえていたアキが尋ねてきた。
 たかがドア一枚先の気配を読み取れなかったことを反省しつつソラはアキを睨む。

「そうだけど……何か用?」

 敵意を向けた視線にアキは肩をすくめる

「まだ日が変わったばかりだというのにせっかちだな。
 クロノ・ハラオウンは完全に閉じこもってしまったというのに」

「……そんなこと僕の知ったことじゃないよ」

 視線を逸らして応えると、アキは細める。

「何だよ?」

「いや……アズサ・イチジョウのことをあまり引きずってはいないようだと思ってな」

 割り切ることができるのは悪いことではないが、と言葉を濁すアキの言いたいことは分かる。

「引きずってないってわけじゃないよ」

 後悔することには慣れている。
 そして塞ぎ込んでも何にもならないことを知っている。

「ただ……誤魔化しの効かない現実を思い知らされたって感じかな」

 魔導師や「G」を相手に勝ち越していたから自惚れていたのかもしれない。
 自分には力があるんだと思い、結局は力が足りなかった。
 守ることの難しさを改めて知った気がする。

「それに……満足して逝けたならそれはいいことなんだ」

 話しに聞いたアズサの最後。
 彼女が選んだ結果なら自分が言えることはない。

「僕の心配をするより自分たちの心配をしたら?
 命令違反して、僕を助けたんでしょ?」

「そのことなら大丈夫だ。
 クロノ達はあの場で記録に残らないように細工しておいた。
 君のことだって一人くらいならかくまえるさ」

「……でも、長居はしない方がいいでしょ?」

 拘束されてもおかしくない。
 それだけの秘密を抱えているのに武器を取り上げることもしなかった。
 そのことに感謝をする。

「……一つ、言っておく」


「北天の魔導書はアズサ・イチジョウから逃げ出していた」

「……何だって?」

 思わずすごむが、落ち着けとアキは手で制して続ける。

「だが、仮面の男たちの手で消されたようだ」

「消した……技術の略奪?」

「そんなことを言っていたらしい。
 それから今度「G」が戦場に出ることはないとな」

「どういうこと?」

「「G」は北天の魔導書の無理な研究による失敗作らしい。
 一応、人の形で安定する技術は確立しているようだ」

「となると、今後はフェザリアンもどきと戦うってこと?」

「そうルークスに言ったらしい。
 君によろしくと伝えてくれともな」

 自分を引き込むことを諦めていないのか。
 北天の魔導書に加担していたのだから完全に敵と認識していたが――

「まるで点数稼ぎだな」

「点数稼ぎ?」

「そう……まるで君への心象を少しでもよくしておこうという意図を感じる」

 そういえばはっきりと勧誘の答えを返していなかった。
 しかし、アキはそれ以上そのことに追及はしなかった。

「ソラ……一つ教えて欲しいことがある」

「……いいよ。今回助けられた御礼ってことで」

「恩に着る必要はない。答えたくないというならそれでいい」

「……いいよ」

「北天の魔導書と同じロストロギアはあといくつ存在している?」

「天空の書は全部で十二冊存在している。ただ伝わっている名前が○天とは限らないから。
 こっちに来てから確認できたのは北天と夜天の二つ。それから闇の書もそれだよ」

「あの手の魔導書があと十一冊か」

「一応言っておくけど、それぞれの持っている技術は違うから。
 フェザリアンの研究をしていたのが北天なら、闇の書は融合システムについて、夜天については本人から聞いて」

「そうか……ありがとう。参考になった」

「それじゃあ……僕はもう行くね」

 やはりアキはそれ以上のことを聞こうとする素振りを見せなかった。
 何を考えているのかが全く分からない。
 引き止めることことを、情報を少しでも引き出そうともしない。

「ああ……そうだ。これを持っていけ」

 投げ渡されたのは一枚のカードだった。

「これは?」

「君への報酬だ。今までの働きに見合う金額をそれに入れてある」

「……どうしてここまでするの?」

 流石に君が悪くなってくる。

「なに……こちらも点数を稼いでおこうと思ってな」

 そう言ってアキは背中を向ける。

「それじゃ、次に会う時が敵同士でないことを願うよ」

 手をひらひら振って去って行く背にソラは溜息をついた。

「みんな……僕のことを買い被り過ぎだ」

 所詮は人殺しの自分に人助けなんてできるはずなかったんだ。
 ねえさんのように、あの人たちのように誰かを守る力なんて自分にはなかったんだ。
 陰鬱な思考でアキとは逆の方に足を進める。

 ――これからどうしようか?

 宛てはない。することもない。
 それでも管理局にはいられない。
 追われるような感覚でとりあえず逃げることを考える。
 しかし、不意にソラの足が止まった。

「……通信?」

 銀装飾に姿を変えている黎明の書を介しての通信。
 この回線を知っている人間は一人しかいない。
 迷った結果、ソラは回線を開く。

「…………何の用、プレシア?」







 あとがき
 第一章クロノ編、終了しました。
 ここまで読んでいただきありがとうございます。
 第二章は同時間軸で展開されるフェイトにまつわる話を考えています。
 この作品はアンチにするつもりはなく、それぞれの苦悩と挫折、成長をテーマにしたものを目指しています。

 次回の更新もできるだけ早くできるように頑張ります。
 それでは失礼します。



捕捉説明
 フェザリアン
 超能力を操ることに進化した人間。
 とらはのHGSが安定して能力を行使できるようになったもの。
 「外力」「内力」「精神」の三つに能力が区分されている。
 アズサは「外力」の発火能力と「内力」の身体能力の強化に特化しているタイプ。




[17103] 第十話 再会
Name: ラスフォルト◆c45a1398 ID:2d1dfd38
Date: 2010/08/01 10:13


「うん……そういうことだから心配しないで……」

 本局の休憩室でなのはは自宅に電話をかけていた。
 「G」との遭遇に、アリシアとの出会いで旅行の予定は大幅に狂ってしまい、帰ることができなかった。
 名目は転送ポートのトラブルということで他のみんなにも口裏を合わせている。
 魔法のことを打ち明けてから、もう嘘はつかなくていいと思っていたのに、また平然と嘘をついていることになのはは自己嫌悪する。
 それでも心配をかけたくなくて仕方がないことだと自分に言い聞かせる。

「うん……明日には帰れるはずだから……うん、それじゃ」

 携帯を切って、なのはは溜息を吐く。
 楽しみにしていた旅行の日程はそのほとんどを消化することはできなかった。
 そのことは残念に思うが、目の前の問題の方が今は大問題だった。
 休憩所にはなのはの他にはやて。そしてフェイトとアリシアの四人しかいない。
 そしてこの場の空気を悪くしているのは同じ顔の二人だった。
 微妙な距離を取りつつ、ちらちらと互いの様子をうかがうフェイトとアリシア。
 その動きは完全に同期していてフェイトが顔を上げるとアリシアが俯いていて、逆にアリシアが顔を上げるとフェイトが俯いている。
 寸劇のようなことを二人は部屋に入ってからずっとやっている。

「なあなあ……なのはちゃん」

 同じように携帯で連絡を取っていたはやてが声をひそめて話しかけてくる、

「あの子……ほんまにアリシアちゃんなの?」

「それは……」

 はやての質問に言葉が詰まる。
 なのははアリシアのことを話しの中でしか聞いたことがない。
 だから、そんなことを聞かれても返答のしようがなかった。
 ただ一つ分かっていることは、アリシア・テスタロッサに魔導資質がなかったこと。
 しかし、彼女は魔法を使っていた。
 それなのに彼女はプレシアからアリシアと呼ばれていた。
 それは明らかな矛盾だ。
 魔導資質を始めとした細かな差異。それによって認められなかったフェイト。
 そんなフェイトが魔法を使えるアリシアをどう思うのか想像できない。

「フェイトちゃん、あの――」

「検査の結果が出たわよ」

 意を決して話しかけようとした所でリンディがそう言って入ってきた。
 気が削がれて俯くなのはに対して、フェイトとアリシアが同じ動作でリンディに注目する。

「単刀直入に言って、アリシアさんは至って健康体。
 ただ、リンカーコアが異常なほどに活発で大きい、それこそSSSランク級の魔力ね」

「SSSランクっ!?」

 リンディの言葉にフェイトが叫ぶ。
 驚く気持ちはなのはも、はやても同じだった。
 SSSランク。
 魔法に関わって日が浅いとはいえ、それが最強の魔導師に与えれる称号だということは知っている。
 興味本位で調べても歴史上に数人しかいない。
 当然、リンディがここで言っているのは単純な魔力量の話だろうが、それでもお目にかかれるものとは思っていなかった。

「私もこんな数値初めて見たわ」

 感嘆に溢れた言葉。
 見せてくれた数値は自分たちのそれとは二桁も差がある数値を示していた。

「それってすごいの?」

 一人、そのことに驚いていないアリシアが首を傾げる。
 それがまた信じられなくて言葉を失ってしまう。

「すごいわよ。これだけの魔力を持っている人は今の管理局にはいないもの」

「でも……ソラとクライドに一度も勝ったことないよ」

 それは比べる相手が悪いのではないだろうか。
 ソラは非魔導師でありながらもフェイトに勝つほどのデタラメな実力者。
 クライドの実力は分からないけど、クロノの父であり英雄と呼ばれた人だ。弱いはずがない。

「アリシアさんは魔法を覚えてどれくらい?」

「えっと……半年くらいかな」

 指折って数えるアリシアになのははそれじゃあ無理だと納得する。
 魔力の大きさだけで勝てないことをなのはは身にしみて知っている。
 圧倒的な魔力があっても、それを使いこなすための経験が少なすぎる。

「半年で…………サンダーレイジを……」

「フェイトちゃん?」

 かすかな呟きになのははフェイトを見る。

「なのは……えっと、何?」

 振り返る一瞬に陰りのある表情を見た気がしたが向けられた顔は明るいものだった。

「……えっとSSSランクなんてすごいね」

 取り繕うように思ったことを口にする。

「うん……そうだね」

 頷くフェイトの気配が変わる。
 これはシグナムを前にした時と同じもの。
 獲物を前にした獣というべきか、生き生きした目はアリシアに対抗意識を燃やしていることが簡単に見て取れる。

「あの、アリシア――」

「ダメよフェイト」

 機先を制するようにリンディがフェイトの言葉を遮る。

「あなたは「G」と戦って、ソラとも戦った。これ以上は認めません」

「でも……」

「あなたが今するべきことはしっかりと身体を休めること。いいわね」

「…………はい」

 強く言われてフェイトは頷く。
 フェイトの体調はまだ万全じゃない。
 もしかしたらソラとの模擬戦で「G」との怪我が悪化しているかもしれない。
 衝撃なことが多すぎたせいですっかり忘れていたが、「G」との戦いで一番重傷だったのはフェイトなのだ。

「フェイトちゃん、身体は大丈夫なの?」

「うん、平気だよ」

 がっつポーズを取って自分は元気だと主張する。が、リンディの視線に身体を小さくする。

「はあ……だいたい模擬戦をする前にすることはたくさんあるでしょ?」

「…………はい」

 リンディの言葉にフェイトは力なく頷く。
 やっぱり不安を感じるのだろう。
 プレシア・テスタロッサのその後。
 生き返ったアリシア・テスタロッサ。
 そして、プレシアを殺したソラ。
 なのははフェイトの隣に座って膝の上で握りしめた手に自分の手を重ねる。

「フェイトちゃん」

 安心させるように名前を呼ぶ。
 なのはの言葉に緊張が緩んだのかフェイトは、大丈夫と頷く。
 そして、二人でアリシアに向き直る。

「アリシア、教えてあれから母さんがどうなったのか」

 真剣なフェイトの眼差しにアリシアは静かに頷いた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「あれ…………ここ、どこ?」

 目が覚めたらそこは見知らぬ場所にいた。
 薄暗い部屋。
 着ているものも自分のパジャマではなくて病人が着ている簡素な服。

「リニス……ママ……」

 いつも一緒にいてくれるリニスがいない。
 そのことがとても不安に感じる。
 ベッドを下りて部屋を見回す。
 そこはやっぱり見たこともない部屋。
 雰囲気は学校の保健室に似ているが、壁の所々から生えている木の根が不気味な雰囲気を作っている。
 床にも木の根は生えていて、躓かないように恐る恐る歩く。
 ぺたぺたと冷たい床を歩いて、半開きのドアから外を覗く。
 長い廊下も部屋と同じように薄暗く、非常灯がついているだけ。
 右を見ても、左を見ても誰もいない。
 それでもここにじっとしているのも怖い。
 意を決して廊下に一歩踏み出す。

「よかった。目が覚めたんだ」

 突然、気配もなく肩に置かれた手とかけられた声。
 それはアリシアの理性を容易く崩壊させた。

「きゃあああああああああああああああああああああ」

 アリシアは脇目も振らずに逃げ出した。
 おばけ。それとも変質者。
 とにかく逃げなければ、逃げないと――

「ちょっと待った」

「ひきっ」

 闇の中で浮かぶ首が行く手を塞ぐ。
 冷静に見れば全身が黒尽くめの服を着ているから首だけが浮いているように見えるだけなのだが、動転したアリシアはそれに気付くことはできなかった。

「だから待っててば」

 逃げる間もなく、首根っこを掴まれ猫のように持ち上げられる。

「いやーーーーたすけてーーっ!!」

「落ち着いて、僕は――」

 ジタバタと暴れるアリシアをなだめようとするが、その声は届かない。

「たすけてっ……ママっ!」

 次の瞬間、紫電の光が轟音を伴って視界を埋め尽くした。

「な、なんだ!?」

 紫電に照らされた少年は驚いて振り返る。
 つられてアリシアも見ればそこには何もなかった。
 そう暗かった廊下は綺麗に途中から消え去り、切断面は赤熱している。
 その向こうに広がるのは一面の白。
 異様な光景だったが、アリシアの視線はそこに浮かび上がってきた女性に釘付けにされた。

「…………ママ?」

 思わず疑ってしまった。
 そこにいた母の姿はアリシアが知っているものと全然違っていた。
 黒い髪に顔つき。間違いなく自分の母なのに違う。
 
 ――わたしが知っているママはあんなに皺が多くない。

 ――わたしの知っているママはあんな悪の女王みたいな恰好をする人じゃない。

 ――わたしのママはあんな怖い目でわたしを見たりしない。

 しかし、アリシアの心情を余所にその呟きが聞こえた女の目から涙が溢れる。

「アリシア……本当に……私のアリシア」

 ゆらりと手を伸ばす様に恐怖を感じてアリシアは身をすくめる。
 口元に浮かべた笑みに狂気を感じる。

「えっと……あの人が君のお母さん?」

 首を掴んでいる少年が尋ねる。
 女の人の尋常ではない気配に彼も引き気味に、いつでも逃げられるようにしている。

「アリシア、分かる? お母さんよ」

「……随分と個性的なお母さんだね」

 呟きながら少年はアリシアを掴んでいた手を放す。

「さ、お母さんのところにお帰り」

 少年が自分をあの人に渡そうとしていることに気付いてアリシアは焦る。
 母に似た、狂気を持つ彼女の下に行ったらどうなるのか想像するだけで身体が震える。

「…………う」

「怖かったでしょ? 苦しかったでしょ? 寂しかったでしょ? でも、もう大丈夫。これからは――」

「違うっ! こんな人、わたしのママじゃないっ!!」

 アリシアの叫びに女の動きが凍りつく。

「わたしのママはこんな怖い人じゃない!」

 叫んでアリシアは彼女から隠れるように少年の背後に隠れる。

「いや……でも、そっくり……じゃない?」

「そっくりじゃない! 髪の色とか全然ちがうっ!」

「へ、へーそうなんだ……っていうか僕を盾にしないでよ」

「やだ……助けてよ、お兄さん」

 また掴もうとする手をかわして、アリシアは少年の周りを回る。

「……………ふふふ」

 底冷えのする笑い声に二人の動きが凍りつく。
 ギギっと固い動きで二人は女の方を見る。
 女は笑っていた。
 口元を不気味に釣り上げて静かに笑っている。
 そして、目は笑ってなく、一層の狂気を帯びている。

「そう……あなたが私のアリシアを誑かしたのね」

「はいっ!?」

 女の視線は少年に注がれる。

「待っててねアリシア。すぐにその男を殺して目を覚まさせてあげるから」

 寒気のする魔力をぶつけられて身体がすくむ。
 自分に向けられているものではないのに、その気迫に腰が抜けてへたり込む。

 ――やっぱり違う。

 こんな簡単に人を殺すなんて言う人じゃなかった。
 今目の前にいるのは母の姿形をしたまったくの別人だ。
 不意に、少年のコートを掴んでいた手が振り払われる。

「……あっ」

 置いて行かれる。そう思った瞬間に泣き出しそうになる。
 でも、次の瞬間アリシアは抱き上げられた。

「逃げるよっ」

 少年の言葉に応えるのに思わず躊躇った。
 ちらりと女の人を見ると、彼女の足下には魔法陣が広がり、その周辺にはスフィアが浮いている。
 魔法に疎いアリシアでもそれが何なのか理解できた。

「うんっ!」

 強く頷いた瞬間にアリシアは身体にかかった衝撃に身を小さくして少年に抱きついた。
 少年が走る一歩一歩が身体を揺らす。
 普段体験することがないスピードに初めに感じた驚きも、今の状況も忘れてアリシアは胸を弾ませる。

 ヒュ……ドカンッ!

 が、風を切り、壁を撃ち抜き爆発した紫の魔弾が現実に繋ぎ止める。

「な、なんかいっぱい来るよ!」

 だっこの要領で抱き上げられているため、アリシアは背後から迫る無数の魔弾が見えていた。

「黙って、舌を噛むよ」

 それに応じる前に横にかかった力にアリシアは振り回された。

「ふえっ? ひやぁ!? きゃっ! ひぐっ」

 身体が横向きになったかと思うと元に戻り、そして息を吐く暇もなく横に、さらには逆さまになる。
 縦横無尽にかかる反動にアリシアは悲鳴を上げ、忠告通り舌を噛む。
 しかし、そのたびに炸裂する魔弾に文句を言うこともできない。




「……もう追ってこないかな?」

 どれくらいの時間振り回されたのだろうか。
 少年の呟きにアリシアは目を回して応えることができなかった。

「大丈夫?」

「……らいりょうふじゃない」

「そう言っていられる内は大丈夫だよ」

 ひどい。そう思っても言葉にする気力はなかった。

「さてと、これからどうするかな?」

「どうするって?」

 そういえば、ここが何処なのかまだ分かっていなかった。
 それにこの人が誰なのかも。

「あの――」

 それを尋ねようとしたが、突然目の前に浮かんだ紫の魔法陣に言葉を失った。

「――逃がさないわよ」

 そこから淀んだ目の母によく似た女が現れる。

「きゃ――」

 悲鳴を上げるより速く、風になった。
 そして――



「なんなんだよあいつは!?」

 二度目の逃亡を一段落させて少年が叫ぶ。

「きっとあれだよ! 悪い子を連れ去って窯にゆでて食べちゃう黒い魔女だよ!」

「なに!? あれって実在してたのっ!?」

「でも、それじゃあアリシア悪い子なの?」

「あー僕は悪い子だね。……うん」

「そうなの?」

「うん、僕は極悪人だよ」

 そう言って笑う少年はとてもそんな風には見えなかった。

「えっと……助けてくれてありがとう。わたしはアリシア・テスタロッサです」

「ああ、僕は……」

 不意に少年の言葉が止まる。
 どうしたのかと首を傾げて見ると、彼は目を瞑り物思いにふける様にしてから口を開く。

「僕はソラ……うん、僕の名前はソラだよ」

 それはまるで自分に言い聞かせているかのように感じる物言いだった。
 それでいて嬉しそうな雰囲気にアリシアは不思議なものを感じる。

「さてと……これからどうしようか?」

 それを尋ねるより早く少年、ソラが話を進める。

「えっと……ここはどこなん?」

 周りの通路はどれだけ走っても変わり映えのしない、無機質なもの。
 それが余計にテレビアニメのような悪者の秘密基地を思わせる。

「何処って言われても僕もそれをちゃんと把握できてないんだ」

「はあく……わからないっていうこと?」

「うん。僕も気付いたらこの世界にいたから」

 着いてきて、とソラは歩き出す。

「君はここにどうやって来たか覚えてる?」

 ふるふると首を横に振る。

「実を言うと僕も覚えてないんだけど、結構大きな次元震があったみたいなんだ」

 非常灯だけが照らす廊下。
 よく見ると壁には至る所に傷があし、床もぼこぼこしていて歩きにくい。

「見てみるといい。これがこの世界だ」

 そういって気付けばソラは壁に空いた大穴のところで立ち止まる。
 おそるおそる覗き込んでみてアリシアは息を飲んだ。
 そこに広がるのは一面の白。
 空も地面に境界はなく、一面の白は遠近感を狂わせる。

「二、三日くらい前にあれが落ちてきたんだ」

 アリシアが落ちないように支えながらソラが指差したのは白の空間の中にある唯一のもの。
 島だろうか。
 塔のようなものも見えるが、かなりぼろぼろで原型をとどめていない黒い塊にしか見えない。

「君はあの中にいた。たぶん時期から考えてあの魔女もあそこにいたはずなんだけど」

「あんなの知らない」

 うちにいたはずなのに、リニスと一緒にママが帰ってくるのを待っていたはずなのに。

「おうちに帰りたい」

「それは無理だよ」

 涙をためたアリシアの呟きをソラはにべもなく切り捨てた。

「僕もいろいろ試したけど、この世界からは通常の次元転移では出られないみたいなんだ」

「それじゃあ、ずっとここにいるしかないの?」

「…………僕はまだ諦めるつもりはないよ」

 ソラの顔を見ればそこに絶望はない。
 その姿にアリシアは単純にかっこいいと思った。
 兄というのはこういう人のことを言うのだろうか。

「アリシアッ!!」

 ズンッ、不意に地面、戦艦全体が揺れ、同時に響く声にアリシアは首をすくませる。

「アリシアッ! アリシアッ!! どこにいるの!?」

 わめく声は近い。
 流石にその声に応える気にはなれない。

「……あのこの世界から出られないんだよね?」

「うん、そうだよ」

「それって、あの魔女さんも?」

「うん、たぶんね」

 その答えにアリシアは途方に暮れる。
 この世界から出られないのなら自分は一生あんな怖い魔女に追われ続けると思うと挫けそうになる。

「まあ、それについての対処を考えないとね。でも正直、あれに挑むのはちょっと怖い」

「そうだね」

 気弱に呟くソラにうなずく。
 もし自分に魔法の力があってもあの人に挑むことはしたくない。
 声と振動は少しずつ近付いてきているように感じる。

 ――あれはいったい誰なのだろうか?

 それを考えずにはいられない。
 自分の知っている母とは思えない姿。
 それでも、どれだけ否定してもあの人が母であると確信している自分がいることに戸惑ってしまう。

「ともかくここから離れるよ」

「……うん」

 手を伸ばすソラに抵抗せずにアリシアはそのまま抱えられる。
 三度目は全速力によるものではなく静かなものな駆け足。

「大丈夫、逃げるのと隠れるのは得意だから」

 安心させるように言ってくれるが、アリシアの心は晴れない。
 何も応えることはできずにいると、ソラの足が止まる。

「ちっ……こんな時に」

 舌打ちしながら、ソラは胸に手を当てる。
 そして、青い光を散らして手に剣が現れる。
 もっともそれは鋼のそれではなく、木製の剣だが。

「アリシア、しっかりしがみついて、それから静かに」

「うん……」

 ソラの言葉に頷いて首に回していた手に力を込める。
 片手にアリシア、もう一方に木剣を持ち、曲がり角で待ちかまえる。

「声はこの辺りから聞こえたはずなんだけどな」

 そのまま数十秒くらいまっていると慌ただしい足音とそんな独り言が聞こえてきた。
 男の人の声。声からして人のいい優しそうな人だ。
 そんな人をソラが襲おうとしている。それがなんだか嫌だと感じた。

「ねえ、ソラ――」

 声をひそめて話しかける。
 しかし、それに男は気付いた。

「そこにいるのは誰だ!?」

 厳しい声にひっっとアリシアは小さな悲鳴を上げる。
 そこにソラの舌打ちの音が重なり、通路に躍り出る。

「君か!? ちょっと待て戦う気はない」

 男の制止の言葉を無視してソラは木剣を振る。
 水色の魔法陣がソラの斬撃を受け止める。
 盾を容易く切り裂き、返す刃が翻る。
 男はバックステップでそれをかわす。

「その子は……? いや、だから待て……待ってください!」

 悲痛な叫びにソラの木剣が男に眼前に突き付けられて止まる。
 黒い髪の男の人。右目は眼帯で覆われていて魔女の次は海賊が現れたとアリシアは驚く。

「お前がこっちの区画にいるのはどういうことだ?」

 敵意に満ちた声でソラが尋ねる。

「不可侵の約定を破ったことは謝る。実は人を探していてね」

 男は言いながらアリシアに視線を向ける。

「その子はもしかしてあの島から?」

「そうだけど……」

「ソラ……この人は?」

「管理局の人間。つまりは僕の敵」

 木剣をしまってもソラは男を睨み続けている。

「ソラ? それが君の名前なのかい?」

「気安く呼ぶな」

 その敵意に満ちた空気に耐えられすアリシアが口を開く。

「えっと、アリシア・テスタロッサです」

「私はクライド・ハラオウン。よろしく」

 男、クライドは嬉しそうにアリシアに応える。

「いやーまともな会話なんて何年ぶりだろうね。
 彼、ソラ……ソラ君はまともに話なんてしてくれないから。
 まあ自業自得なんだけどね」

「おい……あんたの目的はあれだろ?」

「あれ?」

 後ろを指すソラの指を追ってみてもそこには何もない。
 と、思っていると壁が突然爆ぜた。
 煙が流れ、爆風が髪を揺らす。

「アリシア……」

 煙の中から現れたのは先程の魔女。
 狂気に目を輝かせ、もれる魔力によってなびく長い髪。
 そして、にたーっと吊り上げ真っ赤に染まった口元が笑みを作る。

「きゃああああああああああぁっ!」

「おおおおおおおおおおおおぉ!?」

「うわああああああああああぁ!?」

 ソラとクライドは逃げ出した。

「おい、こら! お前が拾ったんだろ!? どうにかしろよ!」

「無茶言わないでくれ! っていうか何だあれは、無茶苦茶怖いぞ」

「知るか!? あれだって犯罪者の一種だろ管理局」

「犯罪者でもあれは管轄外だ!」

 荒れ狂う魔力の重圧はアリシアにも理解できる。
 二度の邂逅とは比べものにならない威圧感に身体が震えが止まらない。

「ちっ……役立たずが」

 舌打ちして、ソラは不満をもらす。
 それにクライドが言い返そうとした所で不意に空気が変わった。

「もう逃がさないわよ」

 通路の先から凍てついた声が響く。
 ソラの、クライドの足が止まる。

「どうしたの?」

「結界を張られた。これ以上逃げるのは無理みたいだ」

 ソラはアリシアを降ろして木剣を取り出す。
 木剣を手にソラはアリシアに背を向ける。

「どうせ、いつかやることに変わりはないんだ。
 だったら今ここで退治してやる」

 すっかり臨戦態勢のソラの横にクライドがおもむろに並ぶ。

「まさか君と一緒に戦うことになるとはね」

「近寄るな。どっかに行ってろ」

 にべもなく突き放すソラ。

「いや、まさか一人で戦うつもり? あれと?」

「あんたに背中を任せる方が怖いよ」

「だからって、あれは軽く見積もってもSランク級の魔導師なんだぞ。
 私よりも強いんだぞ!?」

「それでも……だ」

 クライドの制止を無視してソラは走る。
 狭い通路。
 周囲にスフィアを浮かべ、万全の状態で迎え撃つ魔女。
 魔女は杖をソラに向けて――

「ゴフッ……」

 血を吐いた。
 霧散するスフィア。
 そして、そのまま前のめりに倒れていく。
 予想外のことにソラの足は止まっている。
 魔女はそのまま音を立てて倒れた。

「えっと……」

 困ったような声をもらしながらソラは魔女に近付き、恐る恐る木剣で突っつく。
 反応はない。
 なんとも言えない空気がその場に漂い。
 誰も動けなかった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 あまりに予想外の出来事の話になのはは反応に困った。
 というか、プレシアが哀れに感じてしまう。
 本人たちは真面目だったのだろうが、アリシアのつたない話し方ではそれも曖昧になってしまう。
 しかし、納得できる部分もあった。
 冷静に振り返ってみるとあの時のプレシアは確かに怖かった。
 何の覚悟もなく、何の情報もなくあの狂気に満ちた目に遭遇したら自分も逃げ出しそうだ。
 うん。っと納得してなのははフェイトの様子をうかがう。
 フェイトは俯いたままだった。
 まあ、今の話で何を感じろというのも無理な話だと思うが。

「それで……とりあえずその時はママを縛って……魔法を封じることにしたの」

 その流れなら妥当な判断なのだろう。

「今日の話はこれまでね」

「え……?」

 リンディの突然の打ち切りの言葉にフェイトが顔を上げる。

「でも……まだ……」

「もう限界よ。アリシアさんがね」

「あたしなら……大丈夫……だよ……」

 というもののアリシアは眠たそうな目をしきりにこすっている。
 いつの間にかもうだいぶ遅い時間になっている。
 午前中にソラとフェイトの模擬戦。それからアリシアは検査を受け、夕食を食べて今に至る。
 時間はすでになのはが普段なら床についている時間だが、気持ちが高揚していて眠気を忘れていた。

「それに明日は海鳴に帰るんだからちゃんと寝ておかないと」

 諭すように言うリンディだが、フェイトは納得できないように視線を彷徨わせる。
 はやる気持ちは分かる。
 それでもここはリンディさんが言っていることの方が正しい。
 そう思って、なのはが口を開く。

「フェイトちゃん――」

「ありしあ……ねてないよ……ねてない……ふみゅぅ」

 なのはの言葉にアリシアの、もはや寝言の言葉が重なる。
 それを聞いてフェイトは重い溜息を吐いた。

「はい……」

「そう落ち込まないで時間はたくさんあるんだから」

 もうほとんど寝ているアリシアを抱き上げてリンディは続ける。

「それじゃあ、四人ともあまり遅くならない内に寝るのよ」

 そう言い残してリンディは部屋から出ていく。
 そして、残ったの四人の内で一番初めに動いたのはアルフだっだ。

「フェイト……大丈夫?」

「大丈夫だよアルフ。ありがとう心配してくれて」

 子犬の姿のままフェイトにすりよって案じるアルフにフェイトはしっかりと言葉を返す。

「……ちょっと安心したかな。母さんは相変わらずだったんだなって分かって」

「相変わらずって……いいのかなそれで?」

 あれはどう聞いても暴走していたと思う。
 それを相変わらずと感じるフェイトを哀れと思うか、器が大きいと思うか頭を悩ませる。

「でもすごいお母さんやね。クライドさんは分からへんけど、あのソラさんをビビらすなんて」

「あっ……それはわたしも思った」

 あの冷酷な目の少年の姿を思い出して、アリシアの話の中の彼とだいぶ違うように感じた。
 何よりソラのことを話すアリシアは嬉しそうだった。
 そして、そこに陰りを感じるのは彼がプレシアを殺したからなのだろう。

「フェイトちゃん……ソラさんのこと、どうするつもりなの?」

「できればあの人からもちゃんとお話を聞きたいけど……負けちゃったから」

「それならあたしも次には一緒に戦うよ」

 そう提案したのはアルフだった。

「嘱託試験の時みたいにさ、二人でやればあんな奴楽勝だよ」

「……うん、そうだね」

 そう応えてフェイトは笑った。
 話を聞いてから初めて見せた笑顔になのはは安堵する。

「それにしても……」

 おもむろにはやてが重い溜息を吐きだす。

「どうしたのはやてちゃん?」

「いやな……せっかくの社会科見学やったのに結局何もしてへんと思って」

「そういえば、こういうのは初めてだっけ?」

「せや……なのに初日に謎の生命体に遭遇して、入院するはめになって、それからフェイトちゃんがソラさんと戦う言い出して。
 それで最後にはアリシアちゃんとクロノ君のお父さんが登場…………あっ」

 突然、愚痴を呟いていたはやてが止まった。
 その顔は蒼白で身体は震え出す。

「ど、どうしたの?」

「あかん、忘れとった」

「忘れた……何を?」

「お土産……」

 ポクポクポクポクチーン。

「ああ!」

 烈火の如く怒るアリサと恨めしそうにふてくされるヴィータの姿が目に浮かぶ。
 そして、そのまま問い詰められて今回の事件のあらましを話してしまう自分。

「どどど、どうしよう!?」

 死にかけました、なんてこと言えるはずがない。

「お土産は明日だけでなんとかしても、写真とかがまずい」

「えっと……正直に話した方がいいんじゃないかな?」

「あかん……そんなことしたらみんな仕事にほっぽり出してしまう」

 はやてを第一に考えるヴォルケンリッターがはやての危機に駆け付けなかったと知ったら何をするか。
 今後の管理局から与えられる仕事を拒否するようなことにでもなれば、管理局の人間のとの関係が悪化しかねない。

「わたしも……お父さんたちに知られるのはちょっと……」

 なのはにしても管理局で働くことを全面的に賛成してもらったわけではない。
 もし、ここで死にかけたと話したら今後、魔法に関わることを止められるかもしれない。
 ようやく見つけた将来の目標という理由だけではない。
 魔法に関わったことで得ることができた絆を否定されたくはない。

「でも……それじゃあアリシアのことはどうしようか?」

 フェイトの言葉になのはとはやては顔を見合わせて、思いついた。

「それや!」

「それだよ、フェイトちゃん!」

「ふえ?」

 声を上げる二人にフェイトは訳も分からず首を傾げた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「…………ママ」

 ベッドに寝かせたアリシアがもらした言葉にリンディは苦笑して、頭をなでる。
 すると泣き出しそうだった顔は気持ちよさそうなものに変わる。
 闇の書事件のおりにフェイトが夢の中で会ったといった子供。
 フェイトの姉だとその時は言っていたようだが、実年齢や見た目のことを考えればどう見てもアリシアの方が妹に見える。
 アリシアが落ち着いたのを見計らって手を放し、静かにリンディは部屋を後にする。

「ママって呼ばれるのもいいかも……」

 思えばクロノもフェイトも「母さん」と呼ぶ。
 それに不満はないのだが、やはりもっと甘えてほしいと思ってしまう時もある。

「なるほど、確かにパパって呼ばれるのもいいかもしれないな」

 独り言に答える声に驚いて振り返るとそこにはクライドが立っていた。

「やあ、ただいまリンディ」

「……お帰りなさい」

 今日二度目のやり取り。
 といっても今回のそれは感動的なものとはいえない。
 もみくちゃにされたのか着崩れた服にお酒の臭い。
 彼の生還を本局に知らせてからわずか半日だが、熱烈な歓迎を受けたことが分かる。

「どうだった?」

「いや……みんな元気そうでなにより」

 笑いながらクライドは応える。

「彼らを守ることができたことは誇らしく思えるよ。ただ……」

 クライドの同期や部下たちは十二年の時間でそろぞれ出世し、それぞれの道を歩んでいる。
 それは自分たちにも言えることだ。
 次元航行艦の艦長になることを選んだリンディ。
 執務官になることを選んだクロノ。
 そんな時間の流れから取り残された現実はやはり堪えるのだろうか。

「大丈夫よ。あなたならすぐに復帰できるわよ」

「いや……そのことなんだけど……」

 言い辛そうにクライドは言い淀み、そして意を決して口を開く。

「管理局に戻るつもりはないんだ」

「……そんなどうして?」

「十二年は長過ぎた。もう昔のような熱意はないんだ」

 そう言う彼の表情はリンディの知らないものだった。
 次元世界を守ることを誇りにし、自信に満ちていたクライドはあの時確かに死んでいた。

「この十二年間、私は最低のことをして生きてきた。
 本当なら会わせる顔なんてなかったんだ」

 クライドは隠すように右目の眼帯を押さえる。

「その目は……ソラ君に?」

「いや、自業自得だよ」

 自嘲してリンディの言葉を否定する。
 だが、その表情はそれを肯定していた。
 二人の間に何があったか追及したい。だが、それに答えてはくれないだろう。
 それでもクライドが変わった原因がソラにあることは容易に想像できる。

「それにやることがあるんだ」

「やること?」

「ソラのことを調べようと思って……」

 それは意外な答えだった。
 てっきりクライドはソラの素性を知っていると思っていた。

「あの子は自分で次元犯罪者って言っていたわ」

「私が知っているのは罪状だけだよ。ソラの経歴とかまでは全然知らないんだ」

「それなんだけど……」

 リンディはソラについて調べたことを話す。
 解決・未解決の事件にかかわる前科の調査。
 遺伝子情報による血縁関係の調査。
 考えられる限りの方法で調べて見ても未だに何も分からない現状。
 それを聞いてクライドは眉をひそめる。

「おかしい……あれほどの事件がなかったことにされているのか?」

「ねえ、あの子はいったい何をしたの?」

「それは……答えられない」

「誰にも言わないわよ」

「知っているだけでも大問題になる。知らない方がいい」

「そう……」

 こちらの身を案じてくれているのは分かるが一抹の寂しさを感じてしまう。
 それを誤魔化すようにリンディは話題を振る。

「彼との付き合いは長いの?」

「まともな付き合いの長さはアリシアたちと同じくらいだよ。彼には嫌われているからね」

「嫌われているのに、気になるの?」

「ここにこうしていられるのもソラがジュエルシードの制御を成功させてくれたおかげだからね」

「なっ……!?」

 思わぬ単語にリンディは絶句し、同時に納得した。
 プレシアと共に虚数空間に落ちた九つのジュエルシード。
 彼女が辿り着いた場所に一緒にあるのは不思議なことではない。
 そして、ジュエルシードは空間干渉系のロストロギア。
 観測不可能な世界からの脱出する手段としては最良のもの。
 そう結論に達するとなんとも言えないものを感じる。
 多大な犠牲を引き換えにしても最愛の人を取り戻したい。
 プレシアの思想は今でも決して認められない。
 しかし、彼女の行為の棚ぼたで自分の最愛の人が帰ってきた。
 認めることができない。それでも思わず感謝してしまう。
 どうしようもない葛藤を一旦切り、リンディは艦長の顔でクライドに尋ねる。

「ジュエルシードは今どこに?」

「ん? 私が四つにソラが残りの一つを持っているはずだけど、それがどうかした?」

 あまりにあっさりとした返答に眩暈を感じる。
 この人はこの十二年でそこまでふ抜けてしまったのか。

「ジュエルシードは回収指定のロストロギアです。
 すぐに提出してください。これは命令です」

 思わずきつい言葉でリンディは告げる。

「私はそれでもいいんだけど……ソラが素直に差し出さないと思ったから言わなかったんだ」

「でも、彼が持っていても何にもならない――」

「いや、ソラはあれを使えば魔法が使えるから」

「…………は? 今なんて?」

「ソラはジュエルシードの魔力を制御できる」

「そんなどうやって?」

「本人いわく、雑念をなくして単純な命令なら簡単に叶うって言ってたけど」

「ありえないわ」

「だろうね。私も試してみたけど無理だった」

「なら、どうして?」

「それがソラの力とも言えるかな」

 ソラの力。
 そう言われて思い出すのはフェイトの魔法をかき消した光景。

「そうよ……あれはいったいなんなの!?」

 アリシアとクライドの出現で忘れていた異様な光景。
 モニター越しで見ていても、解析してみても解明できない未知の力。

「あれは……何というか……」

「それも秘密なの? ならいいわよ」

 言い淀むクライドをリンディは苛立ちを隠せなかった。
 ソラのことを何も語ろうとしない。
 それはまるで優先順位が彼の方が高いとしか見えない。

「すまない」

「もういいわ。とにかくジュエルシードを提出してください」

 強めて事務的にリンディは告げる。
 クライドは溜息を一つ吐いて、四つの菱形の結晶体を取り出した。
 それに懐かしさを感じながらリンディは首を傾げた。

「四つ、それからソラ君が一つ。プレシアと落ちたのは九つだったはずだけど残りの四つは?」

「私たちが見つけたのは五つだけだったよ」

 クライドの嘘を言っている気配はない。
 なら、彼らから離れた所に落ちたのだろうか。
 聞いた話によれば果てのない世界だったのだからその可能性は高い。
 もしくは虚数空間に落ちたままか。
 どちらにしろ、残りの四つの回収は不可能だろう。

「それとこれも渡しておくよ」

 そう言って差し出したのはデータチップだった。

「プレシア達が来てからの私たちのやり取りを記録したものだ」

「そんなもの取っておいたの?」

「職業病かな……十年以上も離れていたのについね」

 驚くものの、それはありがたいものだった。
 クライドがいなくなるとプレシアの話はアリシア一人に聞かなければならなくなる。
 意外にしっかりと話せていたが、言葉で伝えてもらうよりも映像の方がずっとわかりやすい。

「これを見て気付いたことをあとで教えてもらえるかな?」

「それは……ソラ君のことかしら?」

 リンディの言葉にクライドは頷く。

「確かにソラは次元犯罪者の人殺しかもしれない。
 でも、この一年。彼と関わって、彼がそんなことを好き好んでやる人間じゃないと……思う」

「でも彼はプレシア・テスタロッサを殺した」

「……ああ、その通りだ」

「どんな理由があっても人殺しは許されないことよ」

「分かっている。それでも……」

 クライドの言い分は理解できる。
 ただの次元犯罪者が人助けをした末に管理局に協力するなんて正気とは思えない。
 それにフェイトに取った態度だって無理があり過ぎる。
 余命のないプレシアを殺すことに何の意味があったのか。
 そして、クライドがそこまで気にする人物。
 彼が何を考え、何をしようとしているのか。
 それはリンディにも興味があることだった。

「まあいいわ。それで当てはあるの?」

 しかし、ソラの経歴は管理局の力を使っても調べられなかったもの。
 個人として動くというクライドがどこまで調べられるかは分からないが、別の方面からの調査という意味では好都合だ。

「一応ね……それとアリシアのことだけど……なんだったら連れて行くけど?」

 クライドの申し出にリンディは少し考えて首を振った。

「あの歳の子を捜査に連れていくわけにはいかないでしょ。
 フェイトのこともあるし、うちで預かるわよ」

「すまない。本当なら私が責任を持って面倒をみるべきなんだろうけど」

「いいわよ。それよりも……今度はちゃんと帰ってきてね」

「……リンディ……私は……」

 クライドは真摯な眼差しのリンディから思わず視線を逸らした。

「私は最低なことをしたんだ」

 まるで懺悔するかのようにクライドは

「本来なら合わせる顔なんてなかった……なかったんだ」

「……それもソラ君が関係しているの?」

 答えは返ってこない。
 それを肯定を捉えて、リンディは溜飲が下がるのを感じた。
 クライドがソラに感じているものが罪悪感だということが分かった。
 それで十分だった。

「言いたくないなら言わなくていいわ。
 ただ、これだけは覚えておいて」

 そっと近付き、リンディはクライドに抱きついた。
 強張る身体。抱き返してはくれなかった。

「私は許すわ。あなたがどんなことをしていたとしても……他の誰もが許さないと言っても私だけは最後まであなたの味方でいる」

「リンディ……」

「だって私はあなたの妻なんだから」

「っ……リンディ……ありがとう」

 リンディはクライドの身体を放して一歩下がる。
 今にも泣き出しそうな顔のクライドに笑顔を向ける。

「いってらっしゃい」

「ああ……いってくる」

 そう応えてクライドは背中を向けて歩き出した。

「……ああ、そうだ」

 不意に、空気が読めていないのかクライドは立ち止まった。
 だが、振り返った彼の真剣な顔にリンディは緊張する。

「あの闇の……夜天の書の主の八神はやて君だったかな」

「ええ、それがどうかした?」

「あの子とソラを会わせないようにしてもらえるかな」

「それは……どうして?」

「ソラの目的が闇の書の完全破壊だからだよ」

「……それはまさか」

「そうだよ。ソラは闇の書の被害者だ」









 あとがき
 フェイト編第一話完了しました。
 何も知らない、かつ第三者がいきなりあのプレシアに遭遇したらを考えての話でした。
 


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