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【社会】

『受忍論』に異論出ず 『被爆者 ぴんぴんしている人も多い』

2010年8月1日 朝刊

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 三十年ぶりに明るみに出た原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)の議事録。民間の戦争被害者に我慢を強いる「受忍論」が初めて行政の方針として示されたが、民間委員の間では賛否をめぐり論戦が交わされた様子はない。被爆者が期待をかけた各界の権威からも補償拡大に消極的な発言が相次いでいた。 (橋本誠)

 「原爆放射能による健康上の被害は、国民が等しく受忍しなければならない戦争による『一般の犠牲』を超えた『特別の犠牲』…」

 一九八〇年七月、厚生省の会議室で開かれた第十回会合。事務局が朗読する「たたき台」の中で「受忍論」は姿を現した。

 一見、被爆者を救済する表現だが、東京大空襲など「一般の犠牲」の受忍を強要。それとのバランスを盾に、被爆者の救済も生存者の放射線障害に限定した。しかし、委員は誰も反応しなかった。

 しばらくして「こういうのもあります」と事務局は別の資料を出した。基本懇設置のきっかけになった韓国人被爆者の最高裁判決(七八年)に対抗するように、カナダで財産を接収された引き揚げ者が起こした訴訟の最高裁判決(六八年)を読んだ。「戦争犠牲または戦争災害として国民が等しく受忍しなければならなかった…」

 当時は知られていなかった同判決を基本懇に持ち込んだのは、元最高裁判事の田中二郎委員とする見方が強い。しかし、賛否を問わず、受忍論に触れる委員はいなかった。

 意見聴取では、母親の胎内で被爆した原爆小頭症の女性の人生を語った被爆者が帰った後、「センチメンタルなものを長々と読み、時間を浪費した」と酷評。半面、橋本龍太郎厚相(当時)を招いて議論の方向性を確かめるなど、政府への配慮は手厚かった。

 意見書がまとまった後の第十三回会合で、ある委員は「被爆者対策の改善と言いながら内容は何もない。これでいいのか」とつぶやいた。「相当の反発を予想しなくては」と気にする声も出たが、結論が変わることはなかった。

◆憤る被爆者ら 『官僚筋道』『言いなり』

 「ひどい」「政府の言いなりだ」。基本懇の内幕に、被爆者は憤りを隠さない。

 長崎で被爆し、基本懇当時に日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の事務局次長だった吉田一人さん(78)はあきれる。被爆体験を「センチメンタル」と評された部分を「あれだけの被害を受け、感情的になるのは当たり前。被害の実態や本質を受け止める姿勢がない」と批判する。

 被団協の田中熙巳事務局長(78)も「官僚が筋道を作る審議会政治は変わっていなかった」。被団協は今年六月の総会で国家補償を求める運動強化を再確認し、改正案作りに向け学習会を始めている。

 原爆症認定集団訴訟の山本英典原告団長(77)は「委員には日本の良心を代表する人もいたが、他の戦争被害者にも広がると脅され、厚生省と一体になっていたことが裏付けられた。国の方針を『すべて受忍せよ』から『すべて補償せよ』に変えたい」。担当する内藤雅義弁護士は「専門家に任せたと言いながら行政が作った典型例。文書公開の意味は大きい」と話す。

 一方、焼夷(しょうい)弾による空襲被害者にも波紋は広がる。東京大空襲訴訟の星野弘原告団長(79)は「受忍論の議論は委員に心の準備がないまま、事務局により進められたのでは。正当と言えるのか、あらためて議論すべきだ」と話している。

<基本懇の意見書> 原爆被害には放射線障害という特殊性があり「広い意味で国家補償の見地に立つべきだ」としつつも、国の完全な賠償責任は認めず、被爆者が求めた国家補償に基づく被爆者援護法の制定を事実上退けた。近距離被爆者の手当や原爆放射線の研究体制、被爆者の相談事業の充実を挙げるにとどまり、被爆者は激しく反発した。1994年の自社さ連立政権下で成立した現行の援護法も基本懇の意見書を踏襲。「国家補償」は盛り込まれず、救済は生存者の放射線被害に限定、死没者補償は含まれなかった。

 

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