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[17608] 【習作】惑星でうなだれ(現実→惑星のさみだれ)
Name: サレナ◆c4d84bfc ID:37afdf3f
Date: 2010/03/28 09:58
春。
桜の花びらが雨のように降り注ぎ、門出を祝うように校舎を彩っていた。
まだ肌寒い風が吹いていたが、卒業式という場所に満ちる熱気はむしろ暑いほどで、誰も気温など気にしていない。
筒に保管された卒業証書を大事そうに抱え、学生生活の想い出を語り合いながら、最後の一幕を形に残そうと笑顔で写真を取り合っている。
撮影する保護者。挨拶しあう教師と生徒。思い出の品を残す先輩後輩。
別れの席でありながらも、辺りは活気に満ち満ちている。

では気温を気にし、証書を適当に摘み、一人ぽつんと佇む自分は何をしているのか。
特に何もしていない。
あえて言えば空を眺めている。
桜でもなく。人でもなく。
その一切に興味を持たないまま、ボーっと突っ立っている。部外者であるかのように。

摘んだ証書が無ければもしかしたら誰も自分を卒業生とは思わないかもしれない。
そう思ったりもしたが、それはそれでいいかもしれない。興味無いし。
ただ、式の終わりに率先して帰るというのも目立つだろうし、後で来てしまうであろう奇特な人物の手をわざわざ煩わせるのもなんだと思ったのでここにいる事にした。
いればいたで、声を掛けてくる相手が増える事に気付いたのは、実際に声を掛けられてからだったが。



「彦君、卒業おめでとう」

「ああ、おめでとう、小石」

小石の目は僅かに赤い。式の最中に泣いたのだろうか?
彼女の高い感受性を考えれば想像に難くない。
涙を流したその胸の内は、今日という日を迎えた達成感から? それとも終わりや別れが訪れた事への悲しみ?
自分には久しく失われた感覚だというのに、『想像に難くない』なんて思えるのは、彼女との付き合いの長さ故かもしれない。

「なんだか、あっという間だった気がするよ」

「そうか? 俺は随分長い時間だった気がするけど」

「あはは、彦君はそうかもね」

いつも退屈そうだったもんね、と彼女は笑った。
否定する理由も無いので、そうだなとだけ返す。

「高校は楽しいことありそう?」

「そう……だな。あるかも知れない」

無いかもしれない。
態々地元から離れた場所を選んだのだから、在って欲しいとは思うけど。
楽しい学園生活を過ごす自分の姿は、残念ながら想像出来ない。

「きっとあるよ」

「だといいな。そっちは引越し先では上手くやれそうか?」

「うん。っていっても、おじいちゃんは入院してるんだけどね」

ああ、それなら上手くやるもやらないも無いか。
世話好きの彼女のことだから、碌でもない相手でも無ければ大丈夫だろうし。
ある意味碌でもない相手である事は知っているけれど、それでも彼女なら大丈夫だという事も知っている。
あえて心配する事でもなかった。

「小石、あっちでクラスメートが呼んでるぞ」

「ホントだ。ちょっと行ってくるね」

「こっちは気にしなくていいぞ」

「うん。後でね~」

気にしなくて良いと言うのに彼女はそう答えて、クラスメートの集団の元へ向かった。
再び手持ち無沙汰になった俺は、声を掛けられる前と同じ様に空を見上げた。
太陽が高い。
僅かに目を細める。
視界に入る日光を遮るように手を伸ばす。
広げた手の平は、届かない何かを掴もうとしているようにも見えた。

そんな物、掴もうとは思わなかったが。





第0話 水泳と金槌





漫画の好きな子供だったと思う。

空想の世界で登場人物達が縦横無尽に騒ぎ回り、時に嘆き時に死に絶え時に生き返る。
そんな突拍子の無い出来事が当たり前の様に起きて、それを奇跡だとか愛だとかこっ恥ずかしく語る世界を夢に見た。
自分もいつか不思議な力を発揮したり異世界に旅立ったりするんだと、棒っ切れを振り回して勇者を気取ったりした頃が懐かしい。

そんな自分も大きくなるにつれ、現実にはファンタジーなんて起こりえない事に気づいてしまう。
お化けは錯覚で超能力はトリックで自分は只の凡人で。
学校で成績が悪くても『本気を出せば何とかなる』なんてレベルは通り過ぎ、高校や大学に行く頃には遊び呆けて、大人になるのを怖がるだけの駄目人間になる始末。
『現実なんてこんなもの』なんて冷めた目で見る横で、同級生達は自分達のコミュニティーを学生のソレから社会人へ舞台を移し、誰も彼も巣立っていく。

自分はといえば、気付けば本やゲームくらいしか趣味を持たず彼女もいない哀れな男がニートすれすれの生活を送るというBAD END直行な事実を理解してやさぐれているだけだった。

どっかにリセットボタンねーかな。

特に働かせもしない頭の中で、いつも片隅にそんな思考を置いたまま、いつも通りにバイトに向かう。
バイト先へ自転車をこぐ事さえかったるいと思ってしまい、そんなやる気の無さには自分自身でも呆れてくる。

だから、余所見している所に障害物に突っかかり、転げた拍子に頭を打って死んだ所で、特に感慨は湧かないのだった。


次に目が覚めたのは母親の腕の中だった。
母親といっても今まで母と呼んでいた人物ではなく、目が覚めた時の身体を産んだ母親だ。
見たことも無い人物に抱えられている事に混乱したし、目が覚めるまでの記憶が無いのだから状況も分からないし、自分の身体も違和感だらけだ。
状況を理解するだけの情報を集め、整理するまでに数週間掛かったとしても仕方無い事だろう。
そうして時間を掛けて状況を理解し、自分が生まれ変わったと判断すれば、どうしてそうなったかなんてどうでも良くなるくらいの喜びに変わった。

夢にまで見た非現実的な現象。
ようやく訪れたファンタジーな展開に俺の未来はドキドキだ。
今まで鬱屈していた感情が噴出したようにはしゃぎ回り、まるで人生全てが楽しいという様に振舞った。
一度成人した人間だというのに、子供以上に子供だった。

同じ年の子供達と話していても当然考え方が違った。
大人と会話しようにもそこに在る年齢差が邪魔をした。
二度目の人生を有意義に使おうと、出来る事を何でもやろうとして、空回っていたのだろう。
周囲と自分の間に温度差を感じて、徐々に冷静になってくると、自分が突っ走って行こうとした道に対して、欲しくも無い疑問が生まれた。
ただ日常を過ごすだけなら、自分の境遇はファンタジーでも何でも無いんじゃないのか、と。

人生を一度経験しているのは大きなアドバンテージだ。
何も知らない子供の頃は選択肢の総当りみたいなもので、効率や失敗の可能性なんて欠片も考えていない。
土台が既に用意された自分は、より高みを目指す事も可能なのかも知れない。
しかし自分が求めていたのはそんな物だっただろうか?
ステータスが若干高いからといって、普通に学校に行って勉強して社会に出て行く流れに違いは無い。
つまらない日常からの脱却は無く、何処までも世界は『普通』だった。

生まれ変わりが起こった割には、魂の実在とかそんな話は聞かない。神様に出合った覚えも無い
もしかしたら自分は一種の天才で、赤子の頃に一つの物語を空想していただけなのかも知れない。
ある若者の一生というものを。
夢落ちなんてつまらない結論の方が納得出来てしまう、そんな自分の物分りのよさが嫌になる。

結論が出てしまえば、もう何かに意欲を見出すことは出来なくなっていた。
頑張らずとも世界は回る。
目を開けば映るのは、未来の無い真っ黒では無く、郷愁覚えるセピア色では無く、無味乾燥な灰色の世界が広がっていた。



「ひこくん、最近元気無いけど、どうしたの?」

小石は俺が以前のように騒がなくなったことを心配していた。
家が隣で毎日顔を合わせているから、こちらの調子なんてお見通しらしい。

「特に何も無いよ」

そう、何も無い。
変わった事が無い日々に慣れてしまっただけだ。
それが普通で、今までの自分がおかしかっただけ。
生まれ変わろうがなんだろうが、この退屈な日常が変わる訳じゃ無い。
町で殺人事件が起きたってそれが将来に影響する訳でもないし、地球に隕石が落ちても一時的に騒げば直ぐに元に戻るだろう。
全て、慣れる。
死も、新しい家族も、未来にも、退屈にさえ。

「ほんとに? なんでも相談に乗るよ?」

「無いから。そんな気にするなって」

「うーん……」

納得してはくれないらしい。
彼女のように相手を気遣える人間というのは正直不思議でならない。
他人に興味を覚えることが極端に少ない自分にとって相手の事情なんてどうでも良い物で、そこに下手に踏み込んだ所で得体の知れない情報群に翻弄された揚句に弾き出されるのが落ちだと思っている。
だからといって彼女の行動を批判したい訳では無い。
理解し難い物を排除するだけの了見が狭い人間では無いつもりだ。
というのは嘘だ。
単に自分以外に視野が向かないだけの話。
などと自己分析に浸る間も、小石は気遣わしげな視線を送ってくるので、とりあえず答えておく。

「家庭に問題は無いし」

「うん」

「勉強も問題無い」

「そうだね」

「クラスメートともうまくやってるし」

「最近一人のこと多いよ?」

「イジメはありません」

「そっか」

とりあえず引いてくれるようだ。
納得したかは分からないが、これなら下校時に同じ質問をされるようなことは無いだろう。
とりとめのない話をしながら川沿いの通学路を二人で歩く。
小学校へは途中で反対方向に曲がるので、見えてくる橋は渡らない。

「あ」

「ん?」

小石が足を止める。
視線を追うと、橋の上で川を見下ろす子供の姿があった。
俺も子供だけど。
小石が子供に近づいて行った。
こんな所でどうしたのかと訊ねると、どうやら帽子を川に落としてしまったらしい。

「昨日買って貰ったばっかりなのに……」

「そりゃ怒られるな」

「う……」

「もう、おどかさないの」

泣きそうな子供とあやす小石を放って、俺は川面の帽子を探す。
幸いすぐに見つかった。
水没こそしていたが、伸び生えた植物に引っ掛かっていたため流されてはいなかった。
ランドセルを肩からおろし、あいきゃんふらい。

「ああほら、泣かないで……って、えーーーーーー!?」

一切の躊躇いなくおこなわれた暴挙に、小石が気付いて止めるような暇は無く、見事な水柱が川に上がった。

「ひこくーん! だいじょーぶー!?」

「ああ、ほら。ぼうしー!」

「わわっ!」

全力で投げ上げた濡れた帽子は風に流されずに橋まで届いた。
小石は危うく掴み損ねる所だったみたいだが、掴めたんだから問題無し。
俺も楽しかったので問題無し。
こうやって、時々変わった事をしていれば、退屈もまぎれるかもしれないなんて少しだけ思う。
上の様子を見ると、小石が子供に帽子を返しているみたいだった。

「はい、もう落とさないようにね」

「……」

「どうしたの?」

「流されてる」

「へ? ああああ! ひこくーーん!!」

川は結構深かった。
プカプカ浮かんだまま俺はのんきに漂う。
夏だから水はそれほど冷たくない。
服が濡れるのも気にならない。
なんとなく足をバタつかせた。背面キック。
流れる速度が加速した。
小石の声が段々遠くなっていく。
彼女の必死な声と、自分ののんびりした心境のギャップに、不謹慎にも少し笑ってしまう。
世界が遠くなるような感覚に、このままどこまでも流されてみようかなんて考えた。
世界の果てまで?
それもいいか。
流されて流されて、例え世界が平らで果てから落ちても俺はきっと気にしない。
もしも落ちたら、落ちた先には何が在るのかな。

そんな風に、世界の終着点に思いを馳せていたら、視界に妙なものが映りこんだ。
空に浮かんだシルエット。
意味不明な光景に、図太い俺でも思わず目をむく。
まるで今にも落ちて来そうな、世界を睥睨する姿。
巨大な巨大な、大きなトンカチ……

「ビ……ビスけごぼごぼぶ!」

溺れた。



[17608] 中書き
Name: サレナ◆c4d84bfc ID:37afdf3f
Date: 2010/03/28 09:57
・当作品の登場人物は全て18才以上です。

・嘘です。

・一部の登場人物の設定が不明の為年齢はこちらで決めている箇所があるだけです。

・原作読者であることが前提なので原作設定の補足などは基本的にありません。
※読者に優しくない事必至

・一応雑誌のネタバレはしないようにしてます。




時刻 : AM 05:00

ロケ地: 雨宮家

語り部: ノイ=クレサンド


「原作の、あらすじっ!!

 主人公の雨宮夕日はある日、トカゲの騎士ノイ=クレサンドに出会う!

 世界を滅ぼそうとする悪の魔法使いから世界を守るため、夕日は協力を頼まれた!

 が、拒否!

 過去の経験から世界を憎むこの根暗メガネは一切協力する気が無かった!

 そんな夕日の前に現れた『姫』朝比奈さみだれは、世界を救うどころか惑星破壊を宣言、魔王を名乗る。

 彼女に圧倒された夕日は忠誠を誓い、ここに魔法使い、騎士、魔王の三つ巴の戦いが始まった!

 苛烈する戦い! 成長する騎士! 散る命!

 騎士達は無事に世界を守る事が出来るのか。

 そして、さみだれは、夕日は、さまざまな経験を得たその先で、一体どんな答えを出すのか!

 読め! 原作!」



[17608] 第1話
Name: サレナ◆c4d84bfc ID:37afdf3f
Date: 2010/03/29 12:28
春。
気づけばすでに小学校も終わりである。
周りの同級生達の心境は、中学校への興味と恐怖が半々といった所だろうか。
当人達にとって、未知の環境へ放り込まれる事に対して戦々恐々なのだろうけど、既に一度経験した身としては、それ程変化が在る訳でもない。
少しばかり難易度が上がるだけだ。勉強も、ルールも。
えてして環境の変化なんて、思いの外すぐに慣れてしまう物だ。
先立って、厄介な事と言えば部活だろうか。
中学にもなるとなにかしらの部活に入らなければならない学校も多いし、体育会系の部活は上下関係が突然厳しくなるといえる。
あまりやる気のない身としては、活動の活発では無い文化系の部活にでも入って幽霊部員でもしていようかと思ったりもするが、同級生の『一緒に入ろうぜ!』オーラをかわす事が何気に難易度高いので、そう都合よく事は進まないかもしれない。
まあ、なるようになるさ。
結論はいつもと変わらず。
たとえ空にハンマーが浮いていたからといって、それが日常に与える影響なんて在りはしない。




あの日、天にそびえるビスケットハンマーを見つけた日から、俺の日常は変わった……なんてことはない。
リンカーネイションじゃなくてトリッパーだったとか、世界崩壊まであと数年だとか、渇望していた非日常だとか色々思う事は在ったのだろうと思うけど、俺が抱いた感想は一つだった。

なんでこんなマイナーな世界なんだろう。

そりゃ勿論、死亡フラグバリバリな世界とか、文明? 何それ食えるの? みたいな世界よりはよっぽど良いんだけど。
俺はテンションが上がるでも下がるでもなく、首を傾げながら家に帰った。
濡れ鼠のまま。
叱られた。親に。
あと泣かれた。小石に。

兎に角。
ここが惑星のさみだれの世界、ないしそれに類似した世界であると仮定した上で、状況を整理してみた。

この世界は魔法使いに狙われている。
それを防ぐはヒロイン:魔王さみだれ。付き従うは主人公:雨宮夕日。
どっちが勝っても世界は滅ぼします。

あれ、詰んでね? これ。
ガリガリとこれだけ紙に書いた時点でなんかエンディングテーマが流れる予感がした。
とりあえず続きを書いてみる。

他の登場人物:騎士12人-夕日(固定)

はい、余計な人間の入る余地は在りません。
俺はペンを投げた。
放物線を描いた後、先端が壁に引っかかり傷をつける。
それを見なかった事にしてドサリと布団に身を投げた。

意味ねー。俺やる事ねーし。ってゆーか最初からやる気も無いけど。
それにしたってこのガッカリ感は無いと思う。
登場人物と家族だったりしたら別かもしれんけど、明らかに一般人参加禁止な作品で一般人ポジとか無くね?
かといってこれで隠された13人目の騎士とかって設定現れたら羞恥心で死ねる。厨二乙。
あの作品って一般人どのくらい出てたっけ?
登場人物の身内以外だと、刑事さんにヤクザに学園関係者に浮浪者。
なかなか愉快な構成だ。
そしてアニムスとの戦いに手を出せる人間がいる訳も無く。
国家権力を動かせる相手にどうしろというのか。
布団の上で悶えながら一通り不平不満を脳内で吐き出した後、体を起こした。

まあ、とりあえず。

愛玩鳥人インコマンを見よう。





第1話 予定と未定





それから更に1年が経った。
別段問題も無く平凡に過ごしている。
中学に入ってから交友関係は特に増えていないが、小学校時代から気にかけてくれた友人に至っては、今も変わらず声をかけてくれているのはありがたい事だと思う。
部活動は適当に申請してほぼ毎日欠席している。
一度呼び出しを食らったが、正直にやる気がありませんと答えた所、そのまま放置してくれるようになった。
親切な人だ。見限るのが早すぎる気もしないが。
そんな訳で放課後はいつも暇だ。
ある日の帰り道、俺は一人トボトボと歩いていた。
トボトボといっても別に寂しそうだったり肩を落としていたりする訳じゃない。
夕暮れ時に一人で歩いている状態を表すのにトボトボという表現が相応しかっただけだ。
友達がいないとか学校で辛い事が在ったとか、そういうんじゃないんだからね!
キモイ。
脳内でアホな一人ボケをしてそれにツッコミを入れる。
カラスがアホーと鳴いた気がして、声につられて夕暮れの空を見上げた。
赤から紫に空のグラデーションが変化しても、目に映る造形には変化は無かった。
太陽が沈んでも、反対側から月が昇り星が空を覆いつくしても、ハンマーの姿は微動だにしない。
もしもあそこにロケットが突っ込んだら、ぶつかった人間はどう感じるんだろうか。
見えない壁に激突したと感じるのか、それとも原因不明の爆発を感じたとでも認識して、『ぶつかった』という認識は上書きされるのか。
誰かで試せば分かるかもしれないけど、自分で試す事はもう無理だ。
ハンマーが見えているという事は、自分は間違いなく普通の人とはズレているんだろう。
外れた頭のネジが戻るなんて、聞いたこともない。
つまり俺も、ありえない事を受け入れるバカの一人という訳だ。

騎士の席はもう無いけど。

皮肉なものだと思う。
憧れていた筈の『異常』を全部諦めて、全て『当然』と認識した為に、異常の仲間入りを果たす事になるなんて。
悲嘆にくれるような言い回しをした所で、残念、という程度にしか心は揺れないけれど。
諦観する心が直ぐに感情の波を静かにしてしまう。
期待を裏切られるのは嫌だから、必死に手を伸ばす事をしない。
退屈だ、退屈だと言いながら、それを変えようと努力なんてせず、偶然変わった出来事に出会えれば儲け物。
そんな後ろ向きな期待だけ抱いて、真っ直ぐ帰らず知らない道をフラフラしながら帰るのが、無趣味な自分の数少ない趣味と言えるだろうか。
視線を戻した。

「天川織彦くんだね」

「っ! ……?」

2メートル程先に、不審人物が立っていた。
かなり近くから突然声をかけられてわずかに息をのむ。
影から生え出たのかと思えるほど、突然の出現だった。しかし認識した時には、ここに存在しているのがあたかも自然であるように感じてしまい、困惑する。
老人……といっても、弱々しさとは無縁に思える強い声音をした男性。
トレンチコート姿の男性は帽子を取り、俺に向けて挨拶を……トレンチコート?

「私の名前は秋谷稲近。人呼んで……」

「師匠っっ!?」

容姿、そして名乗りによって相手が誰であるかの可能性に行きついた瞬間に、思わず声が出ていた。
この世界で自分の存在に気付きうる特殊な人物なんてそうはいない。
相手の自己紹介を遮るように叫んだ言葉に、彼は一瞬呆気にとられた表情をしていた。

「……く、くははははははははっ」

そして何とも楽しそうに笑い声を上げた。
その反応に、今度はこちらが呆気に取られていたが、彼の笑いがおさまる頃にはこちらも頭は落ち着きを取り戻し、俺はいつものやる気の無さそうな顔に戻る。

「そう、人呼んで『師匠』だ。はじめまして」

「あ、はい。はじめまして」

手を差し出されたので握手しながらの挨拶となった。
ん、なんかちょっと嬉しい。
気分は有名人と握手した気分というかなんというか。
なんといっても師匠だし。
そしてこんな時ついつい頭を下げてしまうのは日本人の性なんだろうか。

「ふふ……長く生きてきたが、押しかけ弟子以外で名乗る前からそう呼ばれたのは初めてだよ。
 さて、織彦くん。突然だが、これから時間在るかな?」

「腐るほど在ります」

即答した。
むしろこれからの人生全部暇です、というのは場の空気を悪くしそうなのでやめておいた。

「では」

ぽん

「へ?」

ひゅんっ




「実は以前から君には会いたいと思っていてね。
 丁度時間が取れたのでうかがった次第だ」

「はあ……」

喫茶店でコーヒーを飲みながら彼の話に相槌を打つ。
が、正直先ほど起こった出来事が衝撃的過ぎて未だ上の空だった。
彼が肩に手をかけてきたと思った瞬間には一瞬にして喫茶店の目の前に移り、そして促されるまま席について今に至る。

いや、頭では理解していたつもりだったが、実際に体験してみるとそのトンデモ具合は次元が違った。
もしも彼が全盛期にその力を好き勝手に振り回そうとしていたら、彼とてこの星を砕く事が出来たのかもしれない。
そう考えると、彼の人格が人間に友好的であった事は人類にとって奇跡にも等しい程の幸運ではなかろうか。

コーヒーを一口飲む。

今の思考はなんとも彼には失礼な物だったかも知れないなと思ったが、まあ口に出していないのだから構うまい。
仮に読心術を使えたとしても、相手の思考にまでケチを付けるのはいわば人格の否定であって、そもそも相手の思考を勝手に読み取るという行為が人権の侵害に等しい行いなのだからそれによって得た情報による名誉毀損の訴えなどという物は大きな矛盾であり、例えその気分を害したとしてもその感情をこちらに向けるのは見当違いと言わざるを得ない訳で。

壮絶に思考を脱線させる事で一息つき、一旦混乱をおさめた。

「さて、織彦くん。君は前世の記憶を持っているね?」

それを見計らったかの様に彼が本題に入った。
……ホントに読んで無いよね?

「はい」

「私の事も既に知っていた」

「はい」

一つ一つ、確認を取られる。
彼がピンポイントで質問をする事で俺は彼がどこまで知っているかを知り、俺が肯定を返す事で彼の確認も進む。
そうしてお互いの情報を整理した上で、彼は何を告げるのか。

「そして何より、君は……」

「はい……」

俺は、未来を知っている。何故ならこの世界とは別の……

「カジキマグロの騎士である」

「はいっ、俺は……はい?」

は?

一瞬、思考が止まる。

今何か、想像の斜め上を行く話を聞いたような気がする。

「俺が、騎士?」

「そう、君がなるのだよ。魔法使いと戦う、12人の騎士の一人としてね」

自分が、物語に関わる可能性の中で真っ先に除外していた物。
物語の中心たる騎士の誰かが欠けるなんて、想定していなかった。

「そんな筈は……だって、カジキマグロの騎士になるのは貴方でしょう?」

騎士が選ばれる基準は本人の素質による、という話だったと思う。
ならばそれは個人がどうこうした所で何とかなる物じゃ無い筈で、俺がそれを満たし、それが登場人物の誰かの位置を奪い取るほどだなんて誰が予想出来ようものか。

「そうだね。いや、そうだった、というのが正しいかな」

『だった』。
つまりその未来は確かに存在したという事だ。
そして今は違う、と。
だったらもう、この世界は俺の知ってる世界とはまるで別物になったのかもしれない。
なんだろう。この、ブックカバーと中身が別物だった気分は。……そのままだな。

「あの……最初から説明してもらえませんか?」

「勿論良いとも。年長者は下の者にその先を示すのが仕事だからね」

当然の様に彼は答えた。
疑問に優しく答える様子は、素直に年上の人間を敬えなくなっていた自分の眼にも、頼れる大人の姿に見えた。

「君は私の事は『マンガ』で知っているのだったね」

「はい……アカシックレコードって別世界の事まで分かるんですね」

「いや、分かるのは君の情報に連なる事だけだよ。どうやら君がこの世に生まれた日に、情報が上書きされたようだ」

「上書き? 追加じゃなくて、ですか?」

と言う事は俺の存在によって消えた情報が在る?

「心配しなくとも、君が誰かの人生を消したという事は無いよ。君の情報が書き込まれた事で、削れて変化した箇所は在るようだが」

心配は特にしていない。自分の意志で周りを押し退けた訳でも無いし、今更返せと言われた所で返す気もないのだから。
変化した箇所というのは、つまり彼の騎士としての役割と言う事か。

「じゃあ、貴方は死なずに済むんですね」

泥人形と戦う必要が無くなったのだからそう尋ねたが、彼は首を横に振った。

「私の役目は騎士としての役割に依存しない。子供達に教えるべき物は騎士としてのそれでは無いからだ」

穏やかな表情で、彼は死ぬと言った。
彼にとって、守るべき未来という物は子供達なのだろう。
彼らのために自分の命を使うならそれを躊躇う理由など無いのだと。
凄い人だ。
俺には誰かのためになんていう思想は持てそうに無かった。

「でしたら、俺の役割は無さそうですね」

秋谷稲近は、二人の子供のために戦い死んだ。
その役目は彼が騎士で在る無しに関わらず起こる。
ならば、本来死人である筈のカジキマグロの騎士が埋めるような役割は存在しない。
納得のいく話だ。俺に渡されたのは、単に騎士という肩書きだけなんだろう。

「……」

俺の言葉に、彼は沈黙だけを返した。

「……あの?」

肯定か、否定か。
そのどちらかが来ると思っていたが、この反応は予想外だった。

「君は、この世界をどう生きる?」

「どうって……」

質問は抽象的な様で、しかしもっと深い所を問いかけているようだった。
どう答えるべきか。
耳障りの良い模範的な解答など彼は期待していないだろうし、かといって、適当に生きると返しても良いのだろうか?

「俺は……」

「……」

「特にやりたい事がありません」

「ふむ」

「だから何もしないと思います」

少し考え、正直に、言い回しだけ変えて答えておいた。

「そうか」

彼は目を閉じた。
しばしの間、沈黙が流れる。
俺の言葉に何を思ったのかは分からない。
彼は俺が転生した事を知っている。
つまらない大人だと思っただろうか。
いつまでも子供だと思っただろうか。

「君の存在で、世界は変わった」

「……」

「私の見ていた未来は、酷く曖昧な物となった。まるで、ノイズが混じったように」

彼は目を開き、俺の目を真っ直ぐ見つめた。
何処までも見透かすようで、俺には見えない何かを見ているようだった。

「君の選択で未来は変わる。君の心の真実が、世界を変えるのだよ」

「俺は何もしませんよ」

「それもまた、君の選択だ」

聞き分けの無い子供を優しく諭すように、彼は優しく俺の言葉を肯定した。




喫茶店を出て、彼と別れた。
外はもう夜だったから、空には月が昇っている。
少し長居し過ぎたな。
急いで帰ろうと歩き出した所で立ち止まり、彼が立ち去った方向に振り返った。
既に彼はいない。
きっともう会う事も無いだろう、そんな予感がした。
そして今日の出会いも、直ぐに日常に塗りつぶされる。
いつか彼が死ぬその日が来ようと、俺には関係無い。
俺は今生きている。
過去に死んだ。未来でもいつか死ぬ。
生も死も普遍。
なら何も特別なんかじゃない。

今日は走って帰ろう。

駆け出す直前、師匠の笑顔が脳裏に浮かんで消えた。



[17608] 第2話
Name: サレナ◆c4d84bfc ID:37afdf3f
Date: 2010/03/28 22:43
春。
初登校日は既に終わり、まもなく本格的に高校生活が始まろうとしていたある日の事。
朝目が覚めると、眼前を巨大な黒い何かが塞いでいた。
俺の住む寮の一室はそれ程大きくない。
距離を取らねば全貌を見渡せないデカイ図体によって、部屋の空間は既に大部分を占拠されていた。

「あの、突然ですみません。驚かないで聞いて欲しいんですけど……」

声がする。
それも目の前の黒い奴からだ。
近すぎて何なのか分からない物体はそのまま話を続ける。

「私、カジキマグロの騎士、ザン・アマルと申します。
 実は今、この星は悪の魔法使いに狙われ、破壊されようとしています。
 それを防ぐ為に、貴方の力を貸して欲しいんです」

黒はカジキだった。そしてマグロだった。
カジキマグロが体格に合わない水槽に押し込められているかの様に、俺の部屋を泳いでいた。
宙でうねる。
俺は上体を起こし、枕元の時計を見た。
6時。
休みの日にこんな時間に起きるなどなんて勿体無い事だろうか。
俺は二度寝するために再び横になると、頭から布団を被った。

「聞いてください!?」

「ZZZ...」

「早!?」

起きたのは11時だった。





第2話 カジキマグロと隠蔽工作





「改めましてこんにちは。お昼のニュースです」

「あの……」

「本日のお昼未明、某県某市の学生寮でカジキマグロが解体されていたというショッキングな事件が発生しました」

「ひいっ!!」

「マグロはスタッフが後で美味しく頂きました」

「食べないでください!?」

なんというか、凄く弄り甲斐が在る魚類だ。
弄られキャラが実に似合っている。

「まあ冗談はこのくらいにしておこうか」

「ほっ」

安堵のため息をつくマグロというのもシュールな光景だな。
今後もシュール続きなんだろうけど。
俺はカジキマグロの目と向き合うと(つまり横)、改めて自己紹介を始めた。

「俺は天川あまかわ織彦おりひこ。別世界で生まれた転生者だ」

うん。言ってて鳥肌が立った。
何この厨二病患者。他に聞いてる人がいたら間違いなく引く。そして死ぬ(俺が)。
しかし事実なのだからしょうがない。
何故わざわざ彼……彼? 彼女? まあいいや。彼に素性まで話しているかというと。
今後およそ1年くらいは彼と共に過ごす事になる。
彼の謙虚で純朴な人(?)柄については既に知っている訳だし、だったらこちらとしても含む所なく過ごしたいと思ったのだ。

「転生者、ですか?」

「ああ。俺はこことよく似た世界で一生を送り、この世界で再び産まれたんだ。
 まあだからといって超能力的な何かが在る訳でもないけどな」

結局何故俺がこの世界に居るのかは分かっていない。が、正直どうでもいい。
死んだ後に次が在るかどうかは知らないが、試すつもりも無い。なるようになるだけだ。

「不思議な事も在るものですね」

「オイそこの不思議代表」

喋るマグロに不思議とか言われたく無いぞ。

「では実際の年齢は違うのですか?」

というか不思議の一言で済ませていいんだ。
話が早くて助かるけどさ。

「そうなるな。まあ単純に生きてる年月を数えた年齢とは違うだろうけど。老人になった事が無ければ老人の経験は得られないだろ?」

「そういう物ですか……」

精神年齢なんてどんな経験をしてきたかどうかの方が重要だ。
普通に20才まで生きた人間と、小学生を20才まで繰り返した人間ならどちらが大人かなど言うまでも無い。

「ま、そこら辺の話はおまけだ。重要なのは、俺がこの世界を漫画で見た事が在るって事だ」

「ええ!! 私達って漫画だったんですか!?」

ああ、なんてリアクションが素直なんだろう。
ある意味理想の反応を返してくれるこのマグロが段々可愛く思えてきた。
生まれてこの方、非常識な自分の素姓を語れる機会なんて師匠との遭遇時以外無かった。
自分の秘密と言うべき物を自由に語れる事が、理想的な拝聴者がいる事とあいまって、自然と俺の口は饒舌になる。

「それもどうかな。そうかも知れないし、違うかも知れない。
 実は漫画家は物語を想像してるんじゃなくて、別世界の情報を観測してるだけかもしれない。
 ここは漫画に良く似た平行世界かも知れないし、誰かの見てる夢って可能性も在る。
 だから自分の存在に疑問を持つだけ無駄さ。そうだったとしても、それで何かが変わる訳じゃないだろ?」

神様が見える訳じゃない。
世界の裏側が覗ける訳じゃない。
自分の行動の責任は自分にしか無く、運命だとか世界の意志なんて物に肩代わりなどしてはもらえない。
新しい選択肢を探して、その選択が用意された物じゃないとどうして言えるのか。
全て水掛け論に過ぎない。
だったら考えるだけ無駄だろう、という結論の末に何も変わらなかった俺がいる訳だ。

「あの、それじゃあもしかして、この戦いの結末も知ってるんですか?」

「知らん」

「え゛!?」

「まだ連載途中だったからなぁ……」

まあ魔法使いに負ける事は無いだろうけど、主人公とヒロインが、なぁ。
世界崩壊ENDが無いと言い切るには、ちょっとばかし難しい。
心配はしてないけどね。

「詳しい内容はおいおい話すさ」

「そうですか……でも、それなら心強いですね」

「ん?」

「敵の情報が在ると言う事は、戦いも楽になるでしょうから」

「あ、俺戦う気無いから」

「えええええええ!?」

今までで一番大きなリアクションが返ってきた。
そうか、ザンにとっては俺の厨二設定より戦わない事の方がよっぽど驚きなんだな。
少し寂しい。

「どうしてですか!?」

「世界の命運とか興味無いし」

心配はしてないからね。

「死んじゃいますよ!」

「最終的に人は死ぬさ」

「まだお若いのですから未来が在るでしょうっ」

「学生時代二巡とかすれば十分だろう」

「ご自分だけでなく家族やご友人もなんですよ!」

「そんときゃ俺も死んでるし気にしなくて良くない?」

「そんな……」

「そういう訳だから、別に願い事とかも叶えなくていいよ」

ことごとく切って捨てる。
俺のあんまりな対応にザンは力無く項垂れた。

ザクリ

「危ねぇから!」

「あぁっ、すみませんっ!」

鼻先が絨毯に食い込んだ。



なんとも締まらないので、一旦お茶を入れる事にした。
ペットボトルの緑茶をコップに注ぎ、ザンの前に置いてストローを突き刺す。
純粋なカジキマグロには無理だろうが存在自体色々おかしい彼ならきっと飲めるだろうと信じてる。

ちうぅーーー

「おお」

飲んだ! ザンが飲んだ!
まるで車椅子の親友が両足で立ち上がった時のように俺ははしゃいだ。
凄いよザン。君はただのカジキマグロじゃなかった。

「続きを宜しいでしょうか」

「ああ、うん」

いけないいけない。
話の途中でついつい脱線してしまった。
それもこれも突っ込みどころ満載なザンという存在がいけないのだよ。
なんという魔性のカジキマグロ。
存在自体が出落ちというのは伊達じゃない。
だからこういう思考が脱線だと――。

「俺にはやる気が無い。が、その事は心配しなくてもいい」

「心配しなくていいとは……?」

「当然だけど、漫画の中だと俺は存在しない。つまりカジキマグロの騎士は他の人がやる筈だった」

「あ、そういえばそうですね。でもそうなってしまうと、貴方が代わりに戦う必要が在るのでは?」

普通に考えればそうなる。
しかし師匠の場合、戦場に出たのは一度きりで、戦いには騎士である必要性も無かった。

「その人は漫画だとすぐ死んじゃうんだよ。だから君の出番は元々ほとんどないんだ」

「それは……その方が死なずに済んで不幸中の幸いといいますか」

「いや、死ぬ」

「何故!?」

「本人に死を回避する気が無いからだよ」

「ご自分が死ぬことを知っているのですか?」

「ああ。ちょっと未来とか予知できるそうだ」

「……ではその方も、貴方のようにこの星の未来に興味が無いという事ですか?」

「全然違うよ。彼は自分の人生に満足し、子供達の未来の為に自分の命を使う事を選んでその生涯を終えるんだ。
 俺なんかと同列に扱っては彼に失礼だ」

あの人は最後まで希望と向き合っている。
俺のように逃げ回る臆病者とは似ても似つかない。

「……」

特に何も言わず、ザンが俺を見る。
先程までのように質問はせず、俺の目を無言で見詰めていた。
何となく目を反らす。

「兎に角、彼は自分の意志で死ぬし、俺も手を出すつもりは無い。
 戦局的にも影響は無い。OK?」

「……はい」

会話が止まる。
とりあえず俺のスタンスは説明したし、むこうから何か言ってこないならこれで自己紹介も終わりか。
……。
空気が悪いな。
散歩にでも出るか。
一度外へ……

「だめだ」

「え?」

窓に向けた視線を戻し、ザンを見る。
なんと巨大なカジキマグロ。

「デカ過ぎ」

「あ、すみません……」

「これじゃ出かけられんな」

「あのー……普通の人には見え無いから大丈夫ですよ?」

「騎士と泥人形に見つかるからだめだ」

「そうですか……」

傍から聞くと腰抜けの発言にしか聞こえない事を堂々と告げる。
異議を唱えない所を見ると、納得はしていないようだが俺が本気なのは理解してくれたようだ。
しかし困った。
これでは迂闊に外に出られない。
今は引きこもっていればなんとかなるかもしれんが、学校が始まればそうもいかない。
こういう事態を考えなかった訳じゃなかったんだが……

「あのさ」

「はい?」

「最初の想定ではドラムバッグにでもしまえないかと思ったんだよ」

「……私をですか?」

「そう」

「無理ですね」

「うん。無理だな」

一応チャレンジしてみた。
両手で押し込み尾びれを捕まえ角を掴み捻るように詰めてゆく。
結果。
目の前に在るドラムバッグだった何かを見れば一目瞭然だった。

「残念だ」

「骨が痛いです」

ザンは体にダメージを受けた。
俺は財布にダメージを受けた。
戦いとはいつも虚しい。




「行ってきます」

次の週の朝。
丁度いい時間に出発した場合、それだけ人通りも多くなるので、万が一ザンが騎士の誰かの目に留まろう物ならなし崩し的に巻き込まれる事は確定的に明らか。
そう判断して早めに寮を出発することにした。
自分が騎士だった事で、漫画の知識が全て当てになるとは既に思っていないが、師匠の言葉だと全局面にバタフライ効果が発生するほどの影響は無いとの事。
ならば実際に状況が変わるまでは知識を当てにして行動しても良いだろうと思ってる。
なもんだから、この時間なら泥人形の発生は多分無いだろうし、遭ったらそれから方針を変えれば良いやと、相変わらず考えてるのか行き当たりばったりなのか微妙なラインで行動していた。

「見つからないように気をつけてな」

「はい、わかりました」

ザンに一言だけ注意しておいた。
事前に話しておいたから、あくまで念の為。
指輪の付いた片手をポケットに突っ込み、通学路をのんびりと歩いていく。
よく考えれば寮から学校へ続くこの道を歩くのは、初登校の日以来だ。
多分大丈夫だろうが、もし道に迷ってもこの時間ならまったく問題無い。
ゆとり在る時間のなんと素晴らき事か。

「外の空気が美味しいです……」

「ずっと部屋に引きこもってたからなー」

今日まで学校は休んだ。
近所にコンビニが在るので、外出も最低限しかしなかった。
体の大きいザンにあの部屋の生活は結構大変だったのかもしれない。
これはあれか。ペットの健康の為に定期的に外に散歩に連れて行ってあげないとダメなのか。
面倒くさいぞマグロの世話。

「面倒くさいぞマグロの世話」

「酷い!?」

しまった。ついつい思った事を言ってしまった。ワザとだが。
残念ながら無意識に思っていた事を口に出してしまうようなキチガ○スキルは持ってないんだ、俺は。
所で18禁ゲームでさえキチガ○というのは伏字にされる事が在るのは何故だ。
え、知らん? ごめん。
訳の分からん質問に付き合わせた心の中の誰かにそっと謝った。

「嘘だよ。食事もトイレも寝床も不要なんだからそんな事思わないって。――狭いが」

「そこはごめんなさい!!」

うんうん。やっぱり同居人には正直に本音を話した方がいいよね。

「そうだ、今度ザン用の寝床でも用意するか。長方形の発泡スチロール製のベッドなんだ。素敵だろ?」

「勘弁してください」

予算の都合上、氷は無いので蒸し暑いかも知れないなぁ。

「しかし浮きっぱなしというのも物理法則に喧嘩売りっぱなしだな。いったいどうなって……待て」

「人がいますね」

前からこちらに歩いてくる人影を二つ見つけた。
ザンに静かにするように言い、何食わぬ顔をして真っ直ぐ歩き始めた。

「あ」

「あ」

近づくと見えてきたのは眼鏡の男性と、ポニーテールの女の子。

「夕日さん」

そして朝日奈さみだれ。
思わぬ所で主人公とヒロインに遭遇することとなった。

「ああ、確か小石の友達の……ひこ君だっけ」

「はい。天川織彦です」

とはいえ、彼らに会った事が完璧に想定外だった訳ではない。
こっちの高校に通うと小石に話した時、夕日が通う大学もこっちに在る事は聞いていた。
流石に来て早々会うとは思わなかったけども。

「もしかしてこの辺受験したのかい?」

「ええ。今は寮暮らしです」

「そうか」

二人の格好は夕日がジャージ姿で、さみだれはハーフパンツ姿だった。
服装からして今はトレーニングの帰り道といった所か。
夕日の肩にはトカゲが乗っかっていた。
俺はトカゲに可能な限り目が向かないようにし、夕日との会話に意識を向けた。

「そちらは彼女ですか?」

「え、そう見える?」

「ちゃうよー」

あ、バッサリいった。
夕日は顔には出さないようにしているが、さり気無くダメージを受けてる。

「ぷふっ」

――っぶね、トカゲの笑い声に一瞬視線が移りかけた。
トカゲの位置を飛ばしてさみだれを見る。

「彼女は朝日奈さん。僕の家のお隣さんだ」

「さみだれいいます。よろしくー」

「あ、よろしく」

「姫。こちらは従兄妹の友達の天川君です」

『姫』とか傍から聞くとなんか色々凄いっすよ夕日さん。
あだ名と取れなくは無いけど。
従者ですか。
従者ですけど。
あれ、もしかして俺も従者か?
自分がこの子にかしずく姿を想像してみるが、そもそも自分がかしずいてる姿が浮かばなかった。

「あたしはゆーくんの主で、ゆーくんはあたしの――下僕や」

「――」

なんと答えていいか分かりかねたのでとりあえず夕日に目を向ける。

「ああ」

肯定したよこの人。いやまあ、分かってたけどさ。

「そうですか。あ、俺今日ちょっと早いんでもう学校行きますね」

俺は笑顔で彼らと別れた。
流れるような仕草だったと思う。
そう、不自然な所など何も無い。

「引かれたな、夕日」

「関係無いさ」




そもそもこのマンガを愛読していた俺があの程度の発言で引く訳が無い。
単に会話を打ち切る丁度良いタイミングだったから利用しただけだ。
二人と別れた後、道を曲がって彼らが視界に映らなくなった所で、俺はようやく声を出した。

「気付かれなかった、な」

「はい」

今まで沈黙を守っていたザンが返事を返す。

「いつ気付かれるかとハラハラしましたよ」

「俺もだ。おかしな挙動にならないように必死でトカゲから目を逸らしてた」

夕日達と話している間、向こうが宙に浮かぶカジキマグロに気付いた様子は無かった。
夕日なら当然騒ぐだろうし、さみだれも普通に話しを聞いているだけだったように思う。
あくまで俺の主観だけど。

「トカゲに気付いた様子は?」

視線を向ける訳にはいかなかったので、トカゲの様子はザンに確認する。

「ノイ=クレサンドが気付いた様子はありません。私から見た限りではお二人と視線が合う事も無かったので、おそらく大丈夫かと」

その答えを聞いて安堵の溜め息をついた。
ジロジロ見ても問題ないザンの視点から見ても二人の挙動におかしな所が無かったというなら問題無いだろう。

「検証は終了。いきなり騎士と姫にぶつかって驚いたが、これはこれで都合が良かったかな」

「お疲れ様です。しかしホントに気付かれないとは……」

「言ったろ、人間相手なら大丈夫だって。これでとりあえず、最初のハードルは越えたぞ」

ザンの方を向く。
けれど俺の目にはなんの変哲も無い住宅街が映るだけで、カジキマグロの姿は影も形も無かった。
姿は見えないまま声だけが聴こえてくる。

「後は、泥人形にも気付かれなければ心配は無くなるんだが……」

相手は人間ではない。
目を持っていても目で物を見ているとは限らないし、騎士の位置を直接感知するような能力を持っていたとしたら、狙われた時点で終わりだ。
そうなったら攻撃手段の無い自分では煮るなり焼くなりされるだけ。
どちらにしても、誰かに助けを求めるつもりが無い以上、自分の能力を信じる以外やりようは無いのだ。

「所で、トカゲの騎士の方とは面識が?」

「ああ、地元の友達の従兄妹のお兄さんでね。遊びに来ていたときに何度か話した事が在る」

俺が会った時は既に虐待生活が始まっていたのだろう、昔から暗そうな子供だった。
精神が彼より上な分、なんとも子供らしく無い目をしていると思ったものだ。

「主人公なんだよ」

「え?」

「俺が見た漫画の話さ」

星を砕く物語は、誰が勝者となるのか。
魔法使いか。精霊か。騎士か。魔王か。人間か。
結末を決めるのは、世界の中心ともいえる彼だ。

『君の選択で未来は変わる』

そんな事は無い。そんな事は無いんですよ、師匠。
だって俺は特等席から眺めているだけなんだから。
観客は脚本を書き換えない。
悲劇も喜劇も貴賎無く、ただ結末を受け入れるだけだ。

「緊張したから一度休みたいな。さっさと学校へ行くか」

「そうですね」

立ち止まっていても徐々にだが体力は失われている。
学校に着いたら掌握領域を解除しよう。
ザンを何処に待機させるか考えながら、俺は学校への歩を再開した。



[17608] 第3話
Name: サレナ◆c4d84bfc ID:37afdf3f
Date: 2010/07/31 03:59
雨宮夕日が必死な形相で人ごみの中を走っている。
町を闊歩する若者達は怪訝な顔でそれを眺めるだけで、彼が何をそんなに一生懸命走っているのか理解出来ない。
しかし彼にはそんな周りの事などどうでもいいのだ。
後ろからは化け物が追ってくる。
誰にも悟られること無く夕日の命を狙い、まっすぐに追いかけていた。
泥人形は誰にも認識されていないが、泥人形からは他の人間は見えている。
しかし獲物として見ているのは夕日だけ。
辺り構わず被害を撒き散らす様子は無い。
夕日は泥人形に注意を払い、その行動を注視している。
周囲への注意は最低限。泥人形が誰かを襲わないかという事と、自分がぶつからないようにする事だけ。
だから俺の横を通り過ぎても、その事に気付いた様子は無かった。
俺に影響は無い。
だが、後続する泥人形は違う。
ここに攻撃対象足る騎士がいる事に気付けば当然命を狙ってくる筈だ。

巨体が迫る。

人形の拳は一撃でも食らえばトラックに跳ね飛ばされるも同然だ。
怪我では済まない。
もし突然方向転換してここに突っ込ん出来たら。
もし騎士の正確な位置を視認以外の手段で掴んでいれば。
もし俺の能力が通用しなければ。
俺は死ぬ。

視線は前へ。決して泥人形には向けない。
他人のフリでもするように。
表情筋は動かさない。
一般人は気付かない人形の足音が耳に障る。
大地が震える。
圧倒的な暴力が今、目前に迫り、

俺の体を、衝撃が、突き抜けた。





第3話 掌握領域とグレイズ美味しいです





掌握領域。
指輪の騎士が泥人形と戦うために与えられる力であり、念動力を操る為の領域を発生させる事が出来る。
念動力を使えば手を使わずに物を動かす事が出来るし、宙を浮く事も可能。
固めてぶつける事も可能ではあるが、個人で生み出す力では泥人形を破壊する程の力にはならない。
また、力は無制限に使える物では無く、使用すれば相応の体力を消耗する。
単体での攻撃力には乏しいが、領域は二つ以上重ねると破壊力が増すので、泥人形を倒すためには騎士同士の協力が必須と言える。

大雑把に説明をするとこんな所である。

時は戻って寮の自室。
俺はベッドに腰掛け掌を上に向けたまま、虚空を睨みつけるようにして意思を込めた。
すると中空に歪みのような物が発生し、やがて球状に固定された。
手を伸ばしその球体に触れると妙な圧迫感を感じ、念じてみればそれに応じて領域は形を変えていく。
たわみ、ゆがみ、捻り、伸ばし、広げ、つぶし、固定させる。
とは言っても、大きく膨らませた風船を変形させようとしてもなかなか思うような形にならないのと同様に、自由自在と言う訳では無い。
圧力を加える時間が長くなるにつれ、少しずつ疲れが出てくる。
体を動かさなくても呼吸が乱れるため、まるで息を止めて作業してるような気分だ。

「器用ですね。一点特化でなければ、初めの内は領域を発生させるだけでそんなに操れない物ですが」

話しかけられた事で集中が途切れて、力場は霧散してしまった。

「騎士はこれで泥人形と戦うのか……」

最終的にはみんな力を使いこなしていたとはいえ、使い始めの力はなんとも心もとなかった。
攻撃力も無く使用出来るのも短時間では、それこそスカートめくり程度にしか使えない。
雨宮夕日はよくこれだけの力で泥人形とやりあったものだ。

「やっぱり過去の戦いだと、開始早々全滅するような事もあったのか?」

「はい……幻獣の騎士でも無ければ個人の戦闘能力で泥人形の打倒など難易度が高過ぎます。
 騎士になって間もない時は、出来る限り仲間を探す事を優先した方が安全です」

つまり夕日の場合、騎士になったその日に泥人形に襲われてしまったのは随分と運が悪いが、それと同時に魔王と出会えた事はそれを補って余りある幸運だったという訳か。
彼の場合は運命とも言えるのだろうけど。

「本当に他の騎士と合流しないんですか?」

「しない。俺は傍観してる方が性にあってる」

最後まで一切無関係でいられると思っている訳じゃないが、だからといって率先して首を突っ込むつもりは無いのだ。

「ま、『傍観』はする訳だけど」

「?」

全ては暇つぶしの為。
戦場に何の用心も無く出向いた所でいつ流れ弾がくるかも分からないし、真面目な騎士に会えば追い返されても仕方ない。
観戦チケットを持っているのに交通費が足りなくてあきらめるような真似は勿体無い。最低限の費用を貯めるくらいの労働は頑張らないと、とは思う。

「学校も始まるし、出来るだけ急いで形にしておかないとな」

「すみません」

いや、責めた訳じゃないんだけどな。

「ですが、掌握領域を使っていったい何を?」

「それはまあ、見てのお楽しみというか、見ずにお楽しみというか」

イメージ自体は出来ている。
視覚や触覚に頼れない物を意識するのは中々厄介だが、慣れるのは得意だ。
取っ掛かりさえ掴めばなんとかなるさ。

「今週は学校休むか」

最初の授業からサボりとか注目集めまくりかもしれないな。
影の薄いキャラから、浮いてるキャラに変わるのも高校デビュー扱いでいいのだろうか?
まあそれも浮いてるカジキマグロとバランスが取れていいか。

練習を始める。
気負いなんか無い。
なるようになるだけだ。




「うーーーーーーあーーーーーーーーうーーーーーー」

数時間後。
そこにはベッドで唸る俺の姿が!!

「大丈夫ですか……?」

「つーーーーかーーーーーれーーーーーたーーーーー」

絶賛休憩中。

体力の消耗はあったが、それ以上に集中し過ぎて神経が磨り減っていた。
超能力の使い方はイメージが大事だと言う話だったが、黙々と練習していても一向に形になる気配は無かった。
正直、間違った。
俺はどう考えても気合とかそんなもんで結果を出すタイプじゃない。
つまり根性論ではなく好奇心に任せた考察と、成り行きに任せた感覚的な部分によって進めるべきなのだ。
まず考察が足りていない。
取っ掛かりが掴めなければ感覚を掴む事も出来無い。
このままでは駄目だと思い至り、俺は休憩がてら、領域で何が出来るのかを考え直してみる事にした。
俺には漫画の知識が在る分、他の騎士がどんな能力にしているか参考に出来る。
だったらまずはそこから試してみようじゃないか。

例えば、今の自分の状態は最初の夕日と同じだ。
領域は出せるが活用する手段が明確で無く、三日月の様に身体能力に優れている訳でも無い。
そんな状態で夕日に出来た事といえば、領域を踏み台にしてジャンプしたり、高い所から落ちる時の減速に使っていた。
しかし、しかしだ。
俺が同じ様に自分を浮かせようと領域に飛び乗ったら見事に突き抜けた。
足首こそ捻らなかったがバランスを崩してしこたま膝をテーブルに打ち付けた。
痛みにのけぞってベッドに倒れこんだら壁に頭を打ち付けた。
挙句に隣の部屋から騒々しいと注意された。
(床を)踏んだり(テーブルを)蹴ったりである。
どうやら俺の掌握領域は素人だった夕日よりも貧弱らしい。
どういう事なの。
続いて方天戟。
掌握領域を槍状にして、相手にぶつけるシンプルかつ汎用性の高い技。
俺は領域を生じさせ、領域を変形させてみた。

「お?」

スムーズに成功。
むしろ菱形に尖り本物より強そうだ。
これならいけるかもしれない。
えーと、的、的はと……

「おお! こんな所に都合よく月刊ア○ーズが在るじゃないか」

「ジャ○プ! ジャ○プにしましょう!!」

「なんだ突然」

何故かうろたえるカジキマグロがうるさかったので仕方なくジャ○プが的になった。

「方・天・戟!」

無意味に掌底を突き出しながら掌握領域を飛ばす。
領域がぶつかりジャ○プが倒れたのを見届け、威力の程を確かめるために手に取る。

「これは……」

「しっかり先端がめり込んでますね」

手前に。

「柔!?」

見るも無残な方天戟(笑)の有様。
これでは雑誌に領域が刺さっているのではなく、雑誌から領域が生えているだけだ。
ため息をついて領域を解除する。
駄目だ。なんというか、駄目だ。っていうか駄目だ。
この後は考えるまでも無い。
傾天平面たかまがはらは紙だし、炎状刃フランベルジュは紐だし、最強の矛・盾は友達いないし。
基本的な戦闘能力はどれもまともに使えない。
という事は、もっと特殊な奴を例にしないと駄目か。
まあ特殊な能力にしようとしてるからそれでも参考にはなるんだけど。
とりあえず地母神キュベレイは願い事とセットだから除外。
放火魔には精密な作業が必要だったな。
でも、よく冷え~るは単にイメージで成功していた筈だ。
空気を掻き乱す、分子を摘む……
やるとしたら、光の屈折、か?
光を曲げるとか、透かすとか。
というかそれをやりたくて悩んでる訳で。
因果乱流パンドラは――時間操作なんて、流石に想像が出来ん。
なんだよ時間を掻き混ぜるって。
そんな抽象的な物に抽象的な操作なんて……

「あ」

「どうしました?」

「イメージが浮かんだ」

俺は起き上がり、再び掌握領域を発生させた。
まずはただ領域を浮かべる。
そして目を閉じた。

さっきまで俺がやろうとしていたのは、掌握領域で対象を包み込んで隠す事だった。
鏡の幕で包むとか、包んだ箇所がガラス球の様に後ろの景色を透き通すような、能力をそんな状態にする使い方だ。
イメージすると、硬さとか冷たさとか重さが思い浮かぶ。
しかしそれだと、攻撃用に領域を固める使い方と大差無い。
物質的な干渉のイメージが強すぎるせいで消耗も早く、何より融通が利かない。
想像した物理現象に縛られるせいでどうしても景色の歪みが目立ち、それが気になればイメージにそぐわず、維持が出来なくなる。

だから発想を変える。
重さは必要無い。
物理的な干渉もしなくていい。
領域に込める力を抜いていく。
脱力するように。
いつもの自分と同じだ。
領域が、徐々に形を失っていく。

「これは……」

空気に溶けるように霧散した。
しかし集中を切らして散った時とは様子が違う。

「ザン、今テーブルの上にはコップは何個乗ってる?」

「コップですか? ええと、1個ですね……あれ?」

「ぶっぶー、正解は2個でした」

力を解く。
すると霧が晴れたように景色が揺らぎ、テーブルの上に在るコップが2個になった。

「凄い、どうやって消したんですか!?」

「消したんじゃなくて、ザンが認識出来なかっただけだよ」

「私が?」

認識を逸らす。
視界の中に入っていても、その空間の情報だけ抜け落ちたような状態になり、ザンの目にはそこにコップは『無い』事になっていた。
実際に消えた訳じゃないから、手を伸ばせば触れるし、もし戦闘になりでもしようものなら、凡その位置を範囲攻撃されればどうしようも無い。
が、日常的にこそこそするなら問題は無い。

「あとはこれの範囲をもっと広げて、その状態を維持出来るようにしないとな」

「確かにこれなら、気付かれないように行動出来ますね。でも、攻撃用の能力は作らないんですか? もし泥人形や魔法使いに見つかったら……」

「どうにも火力不足でさ。
 さっき一応考えては見たけど、発想が貧困なのか泥人形を倒すような能力が浮かばなかったんだよなぁ……」

俺は領域を生み出すと、今度は拡散では無く圧縮する事で小さくし、やがてほとんど目に見えないサイズになった。
それをティッシュ箱の方に移動させる。
ザンには何処に在るか把握出来無いだろうから領域の位置を指で示した。

「圧縮した掌握領域を――開放」

ボンッ

「わっ」

ティッシュ箱は中心からウニ状に串刺しにされ無残な姿を晒した……様に見えた。

「穴が開いていない?」

「いや、一応空いてる」

箱を開いてティッシュの束を抜き出すと、束を中心から分けて、ザンに見せる。
すると中心付近のティッシュはボツボツと穴が開いていた。

「先程のに比べると、威力は在るようですが……」

「けど、この程度だ」

見た目の派手さに反して威力はダメダメだった。
あれだけ圧縮したにも関わらずである。
方天戟(笑)よりはましだけど……

「というより、あんなサイズまで圧縮出来てしまう時点で、俺の掌握領域はスカスカって事なんだよ」

「どういう事です?」

本来の方天戟だが、あれは領域を捻り槍状にして固め、相手にぶつけている。
その際、全体のサイズはそれほど変化していない。
半月や夕日は簡単そうにやっていたが、太陽が方天戟もどきを使った時は、領域の形成がうまくいかず威力不足になっていた。
そう考えると、攻撃力を持たせる程に領域を固めるのは高等技術である筈なのだが、俺の領域は形だけなら簡単に真似れてしまう。
さっきまで延々と練習していた際に試した結果、俺はこういう結論に至った。

「貧弱過ぎる俺の掌握領域じゃ攻撃能力なんて作っても、実戦向きじゃない」

「単独で泥人形を倒す必要は無いですから、無駄にはならないと思いますが」

「単独で動くつもりだし戦う気も無いし、協力攻撃に参加したとしても大して役に立たないさ。
 そもそも、この技じゃ威力があっても通用しそうに無い」

泥人形には、と付く。
人間であれば脳内に直接叩き込めば致命傷になりうる、なんて説明をしてもしょうが無い事だ。
そんな使い道を考えた所で、夕日とさみだれが地球を破壊しようとするのを邪魔する気も無いのだから。
――あれ?
一応アニムスにも効くかもしれないか。
魔法使いも人間なら脳を傷つければ殺せるかもしれない。
机上の空論だけどね。
この理屈なら他の騎士も似たような事が出来る訳だし、どんな能力にしろ練習しないと実戦向けにはならないし。
まして魔法使い相手じゃ力の差がありすぎるから、能力をキャンセルされるのが落ちだろうとは思ってるけど。

「兎に角。向いてない力を練習するより、今必要な力を使えるようにする方が大事だろ」

「それもそうですね」

自分の力がどの程度通用するのかが命運を分ける。
通用しなかった時点でゲームオーバー。途中退場さようなら。
どうせならカーテンコールまで見たい所だ。

そして、出来上がった俺の能力は――




「織彦さん!」

倒れた俺に向かってザンが悲鳴のような声を上げる。
背中を打ちつけた事で一瞬声が出なくなっていた俺は、喉から掠れたような声を漏らした。

「ふ、ふ、ふふ」

「大丈夫ですか! しっかりしてください」

あんな巨体が凄い速度で走りぬけたのだ。
風圧で吹き飛ばされたって仕方が無い。
なまじ泥人形の姿が見えているものだから視覚的圧迫感で体が退いて、余計に衝撃を受ける羽目になった。
人形に気付かない一般人にとってはただ突風が吹きぬけただけに感じただろう。

「よゆーよゆー。掠り傷一つないって」

「いえ、コンクリート転がってボロボロですからね!」

だからそんなに騒ぐなって。
さみだれが通りかかったら気付くかもしれないんだから。

俺は地面に手を突いて体を起こした。
道の真ん中で盛大に転んだというのに、通行人は誰もこちらを見ていない。

「どうだ、人形はこっちを見向きもしなかっただろ」

「はい。あのままトカゲの騎士一人を追って行きました」

服に付いた汚れを払う。
夕日達が駆け抜けて行った方向に目を向けるが、既に姿形は何処にも見えない。
そして周りの人々からも掌握領域で覆われた俺達の姿は見えていない。

「よし。これなら騎士の戦いを高みの見物と洒落込めそうだ」

「考え直しませんか? この力があれば他の騎士達をサポートする事も可能でしょう?」

「何度言われても参加する気は無いって。俺に守らなきゃならないような物は無いんだから」

言い放つ自分の声は妙に楽しげで、なんだかいつも以上に嫌な奴っぽくなってるなと我ながら思う。
久しぶりに、テンションが高かった。
淡々としていない自分に違和感だらけだが、折角上手くいったのだ、素直にこの喜びに浸っていようと思う。

さあ、今日はとっとと帰ろう。
あんな速度で走っていった夕日達の戦闘シーンを見に行ける訳が無い。観戦はお預けだ。
それにいつまでもここで喋っていては周りが困惑するだろう。
謎の声の都市伝説でも広まっちゃたまらない。
そんな事を考えながら踵を返した。




途中、コンビニで湿布を買って帰った。



[17608] 第4話
Name: サレナ◆c4d84bfc ID:4645a4fd
Date: 2010/07/31 04:00
「……いただきます」

「普段マトモなの食べてないでしょ!
 夕日の大好きなカラアゲ作ってあげたわよ!」

目の前にはこんもりと皿に積み上がったカラアゲ。
山と用意された好物に腹の虫は煩く鳴いている。
一つつまんでみると、サクサクとした食感と、中から零れ出る肉汁の味が口の中に広がった。
美味しい。
ひょいひょいと箸が進み、ご飯も味噌汁も一緒に無くなっていく。
ただ、流石にこの量は食べきれないんじゃないかと思う。
僕に比べて小石の皿はあまり減っていない。
何気に巻き添えを食らわせてしまった気がしないでもないが、折角おばさんが腕を振るってくれた手前何か言う訳にもいかず、そのまま食事を進めた。

「どーお? 今の生活の調子は」

「順調ですよ」

予想外の出来事に巻き込まれてドタバタしているが、そのおかげで姫と出会うことが出来た。
今はまだ無力な自分だけど、彼女の力になりたいという明確な目標が見える分、頑張り甲斐が在る。
姫繋がりで氷雨先生ともよく話すようになり、学校もそれほど退屈しない。
朝は食事をご馳走になっているし。

「サークルとか入ったのかい? まあバイトが忙しいかもしれないけど、友達もちゃんと作りなさいよ」

「はい……」

指輪の騎士の一員というのもある意味サークルだろうか。
まあ所詮、最終的に敵対する以上、友達になろうとは思わないが。
もともと友達なんて作る気も無いけど。

「あ、そういえば、小石」

「何、夕兄?」

友達と聞いて、この前会った小石の幼馴染の事を思い出した。

「この間、向こうで天川君に会ったよ」

「天川って、もしかして彦君?」

「ああ」

「あら、そういえばあの子もそっちの方に進学したんだったかしら」

この家族の方が余程馴染み深いだろう彼の話は、小石もおばさんも興味をそそる内容らしい。

「彦君どうだった? 元気そう?」

「そうだな。といっても、僕も簡単に挨拶したくらいだからそんなに詳しく分からないけど」

「いきなり高校デビューとかしてなかったかい?」

「もー、彦君がそんな事してたら雪が降るよ」

「あら、ああいう大人しそうな子が、案外環境が変わると弾けたりするのよ?」

「彦君は大人しいけど、もともと弾けてるよ」

「いや、どんな奴だよそれ」

思わず入れる突っ込み。
小石がフォローしていたが、おばさんがからかって笑い、おじさんは黙々と料理を食べていた。
その席に、僕も一緒に混じっている。
暖かい食事と明るい話し声が広がる光景。
この家の食卓で、こんな風に暖かい食卓を囲うのは随分久しぶりだった。



「明るい家族だな」

頭にタオルを乗せて湯に浸かる。
湯船の縁に掴まるようにして、ノイも風呂に入っていた。
お風呂を堪能するトカゲを見るのは初めてだ。

「小石殿とは仲が良いのか?」

「どうかな? 小さい頃は結構懐かれてたと思うけど、最近はそんなに会う事も無かったから」

もともとこちらから親戚の家に行くような機会はそんなに無かった。年に1度在るか無いかくらいの筈だ。
基本的に祖父は自分から誰かと交流を持とうとしなかったし、子供の自分だけで遠出する訳も無い。
祖父の家に小石達一家が遊びに来た時に相手をしていた覚えが在るので、嫌われてはいないだろう。

「この間会った織彦という青年とは、元々付き合いが在ったのか?」

「いや、僕は特に無いよ。小石の家の隣に住んでいたから、あっちへ遊びに行った時に何度か会ったってぐらいだ」

それも結構うろ覚えだけど。
小石の友達で会った事が在るのは彼だけだったから、偶々印象に残っていた。

「そういえば、織彦殿も姫と同い年なのだったな」

「そうだけど……?」

「いやなに。あの青年を見たとき、何処と無くお前と似た雰囲気が在るように見えたからな。
 もしかしたら彼も姫を気に入るかもしれないなと」

ニヤニヤと笑うトカゲを逆さ吊りにしてやった。

「ええい、放せ! おろせ!」

「ほほう」

――もしや、姫狙い!?

いや、そもそも僕のは忠誠心だ。
もし僕に似ているというなら、恋慕では無く彼も姫にかしずきたかっただけかもしれない。
それに、たとえ姫が誰かを好きになったとしても、僕の忠誠には何の変わりもない。
いや待て。もしも恋人の存在が姫の目的を惑わすような事があっては……
って、馬鹿か僕は!
姫がそんなことで目的を見失う訳が無いだろう!
しかし主の障害になる可能性があるというならそれを排除するのは当然でありそれこそ忠義!
これは断じて嫉妬心だとかそんなんじゃない!

「どうやって消すか……」

「おい、なんだか前と比べてえらくしょーもない理由でその発言をしてないか……?」





第4話 透明人間と東雲半月





「さーて、次は、と」

地図を片手に町中を散策。
連休という事もあり、家族連れやカップルの姿がよく目に付いた。
昼過ぎからずっと歩き回っているが、人波も車も一向に絶える様子が見当たらない。
今日は歩いている間に、何度人とぶつかりそうになったか分からない。

折角の休みに俺が何をしているかといえば、いざ戦いが始まった時にどこから観戦したらいいか、ベストな場所を探して下見をしている所だ。
騎士であれば泥人形の出現は気配で察知することが出来るけれど、そこに馬鹿正直に真っ直ぐ向かっていては、戦闘の余波に巻き込まれてしまいかねない。
移動範囲の大きい戦闘もある筈だから、どこから覗き込めばよく見えるのか、巻き添えを避け易いかを考えておく必要がある。
それに、俺はまだここの土地勘が無い。
道に迷って目的地にたどり着けないような面倒、もとい無様は晒したくないので、今の内に調査しておこうという訳だ。

希望としてはビルの屋上なんかが良いと思う。
町中の戦闘は上から見下ろせるし、高い建物からなら山間部も眺め易い。
俺は良さげな建物を見かけては忍び込み、屋上に出られるかどうかを試し、そこが観戦に適しているか調べ続けていた。

「大小こだわらず見てるけど、どうにもしっくりこないなぁ」

「どうしてその努力を他の方向に向けないのでしょう……」

今見てきた場所は、大体似た様な高さの建物が連立しており、屋上から屋上へ移動する様な使い方には良いかもしれないが、かといってその移動範囲が景色を眺めるのに向いているかと言われるとそうでもない。
外から外観を見た時点で分かっていた事とは言え、毎回階段の上り下りをする訳だから溜め息の一つも出る。
屋上から建物の中に戻り、鍵を掛け直した。

鍵の開け閉めの問題は掌握領域を使う事で簡単に解決出来る。
まああまり精密な物は無理だけど。
内側のノブに摘みが付いた物なんて良いカモである。
残念な事に自分にはピッキング技術の持ち合わせは無いから、精密な鍵だと開けられない場所や、開ける事しか出来ない場所もある。
閉められない鍵では開けたまま放置する事になり、何度も繰り返すと怪しまれる恐れが在るので、あまりやりたくない。

「そろそろ日も暮れてきたし、今日の所は諦めた方が良いかもな」

「でしたら、早くここを出ましょう。なんだか身の危険を感じますし……」

「あー」

ザンが不安がるのも分かる。
さっき上ってくる途中、グラサンにスーツ姿のおっさん達が扉の前で直立しているのを見かけたからだ。

「どう考えてもかたぎの人じゃないですよ、あの方達」

「だからって、そんなにビクビクしなくてもいいんじゃないか?
 向こうからこっちは見えないんだし」

「それは分かっているのですが……」

それでも不安だと言う事らしい。
職業に貴賤無しとは言うが、かといって積極的に関わりたい人種ではない事は確かだ。
警戒して損は無い。
俺とザンは速やかに立ち去ろうと、こそこそしながら階段を下りていく。
そんな時、丁度通ったフロアの扉が開いて、会話が聞こえてきたので思わず覗き込む。

「それじゃ、また頼むな。風神」

「おっけーおっけー、この半月様の力が必要な時はいつでも呼んでくれ」

げ。

部屋から出てきたのは東雲半月。
その足元には犬が一匹。

「お、織彦さん! 犬の騎士がいますよ!(小声)」

「ザン、逃げるぞ!(小声)」

なんてこった。
よりにもよって半月が出入りしてた事務所のビルだったとは。
自分の迂闊さを恨めしく思いながらも慌てて階段を駆け下りた。
あの人は泥人形がどうとか関係なく、普通に気配とか察知してくるから、一刻も早くここから離れなくてはいけない。

「む」

「どうしたノコ?」

「今、逃げるように階段を下りていった者がいる……」

「なんだ、不振人物か?」

やばい!

俺は走る速度を上げると、飛び出すように建物から抜け出した。
しかしその直ぐ後から半月達も追っかけてきた。

「待て待てーい、何処だ曲者!
 ん? いないぞ」

「いや、あちらだ。姿は見えないが確かに人がいる」

「お! マジモンの透明人間かよ!?
 そりゃ捕まえるっきゃねー!!」

畜生、あのクソ犬、余計な事を!
俺はザンを引き連れて全力で駆けた。
兎に角距離を取らなくては。
下手に彼の間合いに入れば、その天才的感性という奴で理不尽に捕まえられるかもしれない。

人をかわしながら駆け抜け、時々避けた背中を押すなりして簡易障害物にする。
我ながら迷惑行為この上ない。
同じように突っ走ってくる人間がいるから、ぶつかった人の意識はきっとそちらに向くだろうと自分を誤魔化し、今はただ逃げ続ける。
幸い、こちらの姿が正視出来ないからか、半月の追ってくる速度はそれほどでも無い。
このまま距離をとっていれば、上手く撒く事が出来るかもしれない。

「うーむ、見えない相手を追うのも意外と難しいな」

「しかし匂いは誤魔化せん。そう易々とは逃すまい」

「あ、そうだ。ノコなら大体の位置わかんじゃん」

「何? おい、何をする!!」

「なんだ?」

騒がしい声に後ろを振り向く。
丁度人の波が途切れて半月の姿がはっきり見える。
彼は立ち止まったその場からこちらに向かって……

「いっけー!! スーパーノコミサイル!!」

「「な、投げたーーー!?」」

犬の騎士はまっすぐこちらに向かって飛んできた。
ぶつかればアウトだしここで避けても再び距離を取るのは無理だ。
だったらする事は一つ!

「どりゃあああああ!」

「ぐはぁっ!?」

俺は容赦無く犬をぶっ飛ばした。
悲鳴を上げて弾き返されたノコは地面に転がった。
敵の攻撃は防いだ。しかしこちらも足を止めてしまっている。

「そこかーっ!!」

距離を詰めた半月。

「くっ」

覚悟を決めてもう一撃、今度は半月に向けて放つ。
見えていない攻撃に、何がどうして反応できるのか、半月の手は攻撃を捌く為の位置に的確に構えられていた。
攻撃が防がれる。
見えない相手だろうとその技の冴えが淀む事は無く、彼の手は俺の攻撃を掴み取り鮮やかに投げ飛ばす。
――筈だったその瞬間、俺は領域の一部を解除した。
ニヤリと不適に笑っていた半月の顔が驚愕に染まった。

「マグロぉ!?」

「ぎゃああああああああ!!」

俺が攻撃に使ったのはザンだった。
バットのように振り回しノコを討ち取り、半月に向かって投げつけていた。
マグロは泣いていた。

驚いていても半月の腕が止まる事は無く、ザンの姿は明後日の方向に飛んでいく。
半月の意識が僅かに逸れた。
俺は地面に屈むと、街路樹の下に手を伸ばす。
そして握り締めたそれを半月に向かって投げつける。

こちらが動いた事に気付いたのか、半月こちらに顔を向けた。
だが攻撃方法は見えていない。領域は再び展開している。
防ごうと伸ばされた手は空を切り、手をすり抜けた後、顔面へと到達した。

ばふっ

「ぐわあーーーー! 目が、目がーーー!」

「半月!?」

砂による目潰しは見事に命中。
領域と併用して作った見えない目潰しは、流石の半月といえども回避出来なかった様だ。

「えげつない……」

いつの間にやらザンが近くに戻っていて、俺の攻撃手段にコメントを零す。
ムスカになってのた打ち回っている半月を尻目に、俺達は再び逃走を開始した。

まさに間一髪だった。
だがこれは所詮足止めだ。
向こうにノコがいる以上、少しばかり距離を取っても再び追い詰められるのは目に見えている。
音なら多少は誤魔化せる。
けど匂いは駄目だ。
どうにかして一度完全に見失わせない事には、このままジリ貧の状況が続いて最終的に詰んでしまう。
なんとか奴の鼻を誤魔化手段を考えないと……?



「――ふふふふ」



ゾクリと、背筋に冷たい物が走る。
いくつも角を曲がり姿が見えなくなっているが、悪寒を感じるこの方向は、間違い無く半月のいる位置だ。




「おい、半月」

「心配すんなってノコ。ちょこっとやり込められただけだ」

「むう……」

そこに、先程までの飄々とした半月の姿は無い。
楽しい相手を見つけたと言わんばかりに、その顔は凶暴に哂っている。

「おもしれぇ!! すぐおれ様が捕まえてやるぜぇ!!」

戦場に向けて駆け出す姿は、弟のそれと重なっていた。




「はっ、はっ、はっ」

見えない位置からもこのプレッシャー。
まださっき走っていた距離も進んでいないというのに、呼吸が辛くなってくる。
夕日の様に逃走に領域を使えない事が恨めしい。

「この殺気は泥人形を彷彿ほうふつとさせられます……」

「まったく、これだからチートは……!」

俺は全力で走っていたが、元々の運動性能が違い過ぎる。
徐々に徐々に距離が詰められているのが分かり、もう既に余裕は無い。

「あの、こちらに逃げても帰れないのでは?」

「寮に戻るのは無理だ。逃げ切れるとは思えないし、家の位置がバレてもヤバイ」

それ以上に、そこまで俺の体力が持ちそうも無かった。
どうせ今から完全に振り切るのは無理だ。
今出来るのは、相手が諦める程度に追跡が困難な状況を作ること。

俺は目的地を目指し一気に駆ける。
今日の散策が役に立った。
とは言えその散策が原因でこんな事になっているのだけど。
出来るだけ多くの角を曲がって追跡し辛くさせ、肺が苦しくなっても速度はけして緩めない。
急げ急げ急げ。
そのままどうにか追いつかれずに最後の角を曲がった所で、ザンの警告がはしった。

「織彦さん、来ます!」

「そこかああああ!」

滑り込むように曲がり角でブレーキをかけ、俺の位置を視界に捉える半月。
ここにいる事を確信している姿に、見えているのかと突っ込みたくなる。
もう後ろを確認する暇は無い。
背後の威圧感を無視してラストスパートをかけた。
見えていなくても迫る脅威を背中に感じる。
上体を前に。
踏み出す一瞬。
躊躇は無し。
跳躍。
俺は体を投げ出し、宙へ舞う。
スローモーションの様に漂う中、目だけ自分の居た位置に向けると、半月ががっしりと空を掴んだ所だった。

あ、ぶ、ねー……

川の真ん中で、盛大に水が跳ね上がった。




「成る程な。川に飛び込むことで匂いを消したか」

波打つ川面を見て、ルドは相手の行動を察する。
このまま相手が川に沿って進めば、正確な位置は分からなくなる。
わざわざ川を張ってまで探し続ける必要が在る相手でないし、今回は諦めた方が良いだろう。

「あーあ、逃げられちまった」

「気が抜けているぞ」

「わりーわりー」

半月に悪びれた様子は無い。
思わぬしっぺ返しを食らったようだが、本人は特に気にしていないようだ。
殺気を込めて追い回していたのも本気では無いのだろう。

「しかし、どうやらあれはカジキマグロの騎士か。
 おかしな能力を使う奴だ」

姿を消す能力。
補助系の能力を使う騎士は今までもいたが、ここまで徹底的に攻撃力を無視した能力というのも珍しい。
一体どんな人間が考えたのか。

「面白かったけどな」

「ふん。逃げるだけの能力など役にたたん」

「案外魔法使いを暗殺したり出来るかもよ?」

「こそこそしていて何をたくらんでるか分からん。梟の騎士の例もある」

騎士といえども千差万別。
誰もが半月の様に騎士に相応しい力と志しを持ち合わせている訳ではない。
騎士である事だけで信頼足り得ない事は過去に学んだ。

「機会があったら話せばいいさ」

結局は言葉を交わしてみなければ何も分からない。
逃げ回る騎士が今後も生き残っていたのなら、その時に問えばいい。
何を思って戦いに参加しているのか。
最強の騎士たる相棒から逃げおおせた相手の事を考えたまま、その場を去った。
きっと、ザンの相棒なら変わり者である事には違いない、と思いながら。




……。

「行きましたよ?」

ぶくぶくぶく

「ぷはっ」

ザンの言葉でようやく水中から顔を出し、潜めていた息を吐き出した。

「くっそー、死ぬかと思った」

(死んでもいいとか言ってた気が……)

「おいザン、言いたい事でもあるのか」

「いえ、特には」

物言いたげだったザンに睨みを利かせる。

「ふん、死んでもいいが、苦しい思いしながら死にたいとは思ってないんだよ」

バレテル!? と分かり易いリアクションを返すザン。
川辺まで泳いで行き、陸地に上がる。
全身が重い。
子供の頃と違って服が大きい分吸い込む水の量も増えているし、全力疾走を続けた事で体力も消耗している。
膝が笑いそうになるが、俺自身も笑ってしまいたい心境だ。

「いやー、やってる時は死にそうで考える暇なかったけど、この年で本気の鬼ごっことか結構楽しかったかもなー」

いやホント疲れたけど。
楽しいイベントではあったと思う。
精神的に疲弊するのはもう勘弁だけど。

「戦場に出れば嫌でも体感できますよ」

「嫌だから出ないって」

今日みたいに身の危険を感じながらの追いかけっこをもっと楽しみたいとか、何処のマゾですか。
まあ純粋に生き死にだけならそこまで精神的なハードさは無いとは思うが。
今回のは捕まったら戦場にかり出されるとかそういうピンチだったしな。
兎に角。

「しんどいのは勘弁って事で」

上着を脱ぐ。
絞ると大量の水が零れ出すのを見て、風邪引いたらどうしようかと思った。
濡れてる事自体は領域で隠せば問題ないんだけどね。
ポケットの中に手を突っ込んで、地図がおじゃんになっていた事に気付いて内心涙目である。
歩き出せば靴がぐちゃぐちゃで気持ち悪い。
憂鬱な気分のまま、そろそろ帰ろうかと思った矢先、携帯が鳴った。
そういえば携帯もポケットに入っていたんだっけと今更思い出す。
水没したというのに壊れていない事に気付いてほっとした。
買ったばかりで買い替えでは流石に懐が痛すぎる。
最近の携帯の防水機能の性能に感心しつつ、取り出して名前を確認すると、どうやら小石からのようだ。
通話ボタンを押し、耳に当てる。

「もしもし、天川ですけど、どーした?」

「あ、彦君?」

久しぶりに聞く耳慣れた声。
最後に会話をしたのが引っ越す前だから、もう一月以上経ってる事になる。
考えてみれば、これだけの期間小石と会っていないのは初めてかもしれない。

「あれ? もしかして外?」

車の騒音でも聞こえたんだろう。
日の暮れたこの時間帯に出歩いている事を不思議がられた。

「散歩してた」

「あはは、いつもふらふらしてたけど、今もおんなじなんだ」

中学の頃も放課後に適当に歩き回っていたので、その事を言ってるんだろう。
まあ今日のは目的在っての散策だけど。

「掛けなおした方がいいかな?」

「気にしなくていいよ。もう帰るだけだし」

服がびしょびしょのまま歩き回っていてはどう見ても不審者だ。
それに、また東雲さんに見つかったら今度こそアウトだろう。
掌握領域を展開しなおすと、帰り道を歩き始めた。

「それで、どうしたんだ、急に?」

「あ、そうそう。今こっちに夕兄が来てるんだけどね?
 夕兄が彦君と会ったって話を聞いたから、どうしてるかなーって思って」

それでつい電話したという事か。

「元気でやってる?」

「ああ。入学早々一週間休んだから体調は万全だ」

「何やってるの!?」

「まあ聞いてくれ。突然ペットを飼うことになったから色々入り用になったんだ」

「寮なのに良いの?」

「大丈夫だ。俺にしか見えないから」

「もっと現実を見ようよ……」

ああなんという事だ、まるで俺が頭の可哀想な人みたいに思われたじゃないか。
マグロというと夕日さんに気付かれかねないから誤魔化したのが仇になった。

「いやその、そう、スカイフィッシュだからさ」

「それって虫の残像じゃなかった?」

誰だよ、小石にどうでも良い雑学教えたの。

俺だよ。

「変な事言ってると、友達出来ないよ?」

「心配無い。初めからいないからな」

「作る努力をしようよ~」

心配性だなぁ、小石は。
良い子だけど、いらん苦労を背負い込みそうでお兄さんは心配だよ。

「なに、部活入る予定とかも無いし、そうそう困る事も無いって」

「彦君。私、彦君がどうしてその学校を選んだのか分からないよ……」

野次馬根性です。

事情を知らないと無目的にここに来たようにしか見えないよねやっぱり。

「前に言ってた、楽しそうな事、在った?」

「んー、これから、かな」

「そう?」

まだ泥人形とはすれ違っただけだ。早く観戦しやすい場所を見つけないと、と思う。
あんまりうろうろして、また今日みたいな目に遭っても困る。

「そっちはどうなんだ? 友達は増えたか?」

「うん。入ってすぐ、声かけてくれた子がいてね~」

その子の友達を紹介してもらったとか、部活で知り合った子がどういう子だったと説明する小石の声は弾んでいて、とても楽しそうな事が分かった。
新しい勉強が楽しい、最近祖父が笑ってくれるようになって嬉しい、と、新しい生活の素晴らしさを語ってくれる。
勉強と部活に加え、家事に祖父のお見舞いまであるというのに疲れた様子が無いのは、それだけ充実しているという事だろう。
ありきたりな毎日を楽しそうに過ごす小石と話していると、退屈退屈言っている自分の、なんと心の貧しい事か。
悟ったような事を言っていても、自分は彼女のようには到底なれないから、素直に感心してしまう。

荒んだ心に吹きすさぶ、春の夜風が身にしみた。

「ふえっくしゅ!」

「風邪?」

「いやぁ、川に飛び込んじまってさ」

「え~、また?」

「またとか言うな」

小石の中で俺はどれだけ川に飛び込むキャラクターになってるのか小一時間問い詰めたい。

「駄目だよ、体に気をつけないと。一人暮らしだと熱出しても看病してくれる人いないんだからね?」

「はーい」

「もう……」

何故だろう、いつもいつも小石には呆れられている気がする。
日頃から影薄く何事も無く過ごしている筈なんだけどなぁ。

『小石ー、お風呂空いたぞー』

「わかったー!
 それじゃ、もう切るね」

「そうか。そっちも体に気をつけろよ」

「うん、川に飛び込まないようにする」

「言ってろ。じゃあな」

「またね、彦君」

電話が切れた頃には、もう家の前だった。



[17608] 第5話
Name: サレナ◆c4d84bfc ID:37afdf3f
Date: 2010/08/01 00:04
巨体が転がる。
泥人形は自身の半分も無い相手に翻弄され、拳は一向に当たらない。
泳ぐ体を襲う一撃。
一本の槍が体のど真ん中を突き抜け、破砕音と共に体が抉れた。
しかしそれも致命傷には至らない。
その程度の攻撃など脅威足らんとするように、傷を意に返す事無く再び豪腕は伸ばされる。
やはり空振り。
そして今度は頭部に攻撃が当たる。
反撃、外れる、食らう。攻撃、当たらない、貰う。
殴る殴る殴る殴る殴る外れ外れ外れ外れ外れ削れる削れる削れる削れる削れる……
折れる。
体が上下に分断された泥人形は力尽きたように動く事を止めた。
そのまま塵一つ残さず姿は消え失せ、化け物のいた痕跡は影も形も無くなった。

終わってみればあまりに一方的。
トカゲの騎士が手も足も出なかった相手に対して、犬の騎士はなんら苦も無く屠り去ったのだった。

「か……」

「か?」

「かっっっけ~~~~~!」

「はぁ……」

今も眼下では騎士同士の睨み合いが行なわれているというのに、空気をまるで読まずに発言する相棒の様子に、ザンは静かに溜め息を漏らした。

民家の屋根の上。
戦闘の様子を一部始終眺めていた自分達。
巻き込まれる心配も無い場所から安穏と見つめるだけで、実際に戦場に立つ彼らとは、そこに纏う緊張感には天と地ほど差があった。

「やっぱりいいよなぁ方天戟。
 威力は高いし燃費も良いし、操作性も高くて速度も在るときた。
 騎士の必殺技といえばやっぱりこれだよ」

普段に比べて数倍テンションが高いのは、どうやら犬の騎士の掌握領域をじかに見れたかららしい。
そういえば掌握領域の練習をしていた時も、あの技が失敗した時は凹んでいたように思う。

「やけにあの技にこだわりますね」

「そりゃあね。邪道っていうのも味があって格好良いけど、それって結局王道で行く力が無いってだけだからさ。
 王道の必殺技っていうのは、男の子のロマンなんだよ」

はぁ、と生返事。
よく分からないが、彼には彼なりにこだわりが存在するらしい。
織彦さんは、物事はなるようになる、だからどうなっても構わない、と公言するような人だから、そういった物とは無縁だと思っていたのだけれど、そう単純な物でも無いようだった。
その思想も、ただ受動的であるのではなく、彼なりに優先順位を決めた上で、今のような結論に至ったという事だろうか?
彼と過ごして既に一月経ったが、未だに彼がどういう人間なのか掴みきれない。
基本的にやる気が無い人物という評価で良い筈だが、今回のように妙なこだわりを見せる時も在る。
それが彼の特殊な素性故の物なのか、単に性格的な物なのかは分からない。
彼にとって優先すべき物とはいったい何か。

知りたいと思う。
それが私に受け入れられない物であったとしても、無理解のままではいたくない。
自分は、彼の相棒なのだから。

4つ目の泥人形が倒された頃、私達はまだ暢気な会話を繰り返していた。





第5話 傍観





「えーと、たしか7つ目、ヘカトン……バイソン? だかなんだかが最初に出てきた時が……別々……アニムスが……」

戦闘から数日後。
屋上探索も終わり、この日は珍しく真っ直ぐ帰って来たので、俺は漫画の内容をザンに語って聞かせていた。
掌握領域の練習だとか町の散策なんかで忙しかった事も在り、なんだかんだ後回しとなっていた説明も、ようやくといった所。
とは言え、説明出来るのはあくまで大まかな部分だけだ。
騎士や泥人形にはどんな者がいるとか、どんな出来事が在ったかを話すにしろ、流石に一話一話を細かく把握している訳じゃないし、俺自身が既に忘れてしまっている内容も在ると思う。
合間合間で挟まれる質問に答えつつ、俺の知る惑星のさみだれという物語を一通り講義し終えた頃には、ザンの眉根はすっかり顰められていた。

「プリンセス自身が、惑星の破壊を……」

まあそれも当然だろう。
地球ほしを守る為に戦っているというのに、自分達のトップが全く逆の事を目論んでいると聞かされてしまえば穏やかではいられまい。
しかも目下の所、魔法使いを阻止出来るのがさみだれプリンセスだけなのだから手に負えない。
これでは騎士側にとってアニムスが二人いるのと変わらず、最終的にはボス戦を2連続で切り抜けなければならないのだ。
全力を賭して戦った後に、それ以上の敵が待ち構えているという絶望感は計り知れない。
ボス戦突入前はセーブと相場が決まっているのに、コンテニュー無しとか鬼過ぎる。

「あの、織彦さんが地球防衛に悲観的なのはこの辺りも関係が……?」

「あー……割合的に0じゃ無いけど、根本的には関係無いかな」

もっと攻略が簡単な世界で在ったなら、確かに、もう少しくらい積極的に正義の味方の真似事に取り組んでいたかもしれない。
ここは、負けの要素が8割方揃った世界だ。残りの1割は騎士達の完全勝利の可能性、1割はご都合主義。
ご都合主義とは意外と侮れないが、そんな物で解決する問題なら俺が何か必死になる理由なんて無いだろう、というのが正直な気持ち。
きっと絆とか愛とか熱血とかで誰かが何とかしてくれる。
劇的に平和を掴む勝者達。
悲劇的に滅びを迎える敗者達。
そして、そんなこそばゆいやり取りを外から眺めてニヤニヤしたいのだ、俺は。

話す間も、真剣な面持ちのザン。
俺はそれをやる気の無い表情で見返す。
地球の未来を憂うカジキマグロと、地球の破滅に取り合わない人間。
まったくもって、噛み合わない心境。
個人の資質によって騎士が決まるというなら、自分には何の資質でカジキマグロと引き合わされたのか、気になる所だ。

「それでは、近日中に起こる出来事としては、5つ目の泥人形の出現と……犬の騎士の脱落ですか」

「そうなるな」

もう直ぐ、人が死ぬ。
気分は、サスペンス映画で登場人物が死亡フラグを立てた直後を見ているのに近い。
ハラハラするし、死なないでと祈りもするが、所詮全ては他人事。
危機感なんて湧いてこない。

「やっぱり……助けませんか?」

俺がどう答えるかなんて分かっているだろうに、それでもザンは俺にそう尋ねた。

「今あなたが動けば、犬の騎士が命を落とさずに済むかもしれないのでしょう?」

「そうだな」

非力な俺だが、介入の余地は在る。
直接戦場に赴いて、掌握領域で敵の意識を攪乱するとか、今回は夕日を参加させないようにするだけでも、死亡率は格段に下がるだろう。

「でしたら!」

「でも、そのかわりに世界は滅ぶかもよ?」

「う……」

半月の死は、夕日とさみだれの心に大きな影を落とすと同時に、彼らの成長を促すきっかけでもある。
例えば彼が死ななかったとしたら、その未来はどうなるだろうか。
挫折を味わう事無く歩む彼らは、漫画の中の描写ほど大人にはなりきれない。
技を受け継がない夕日は、どれだけさみだれを支えられるのだろう?
心が育ちきらないさみだれに、ハンマーを壊すだけの力は在るのか。
もしも彼らの決意が足りないまま戦いを続ければ、訪れる破綻は想像に難くない。
……なるほど、確かに俺の選択で未来は変わるな。

「勝てる事が分かっている原作みちすじを外れて、未来全てを危険に曝す事を選ぶべきだとでも?」

意地悪く、問いを重ねる。
ザンにだって分かっている筈だ。
少数の犠牲に目を瞑って地球全てを救えるなら、そうするべきだという事は。
いったい何度戦う度に敗れてきたのか分からないが、敗れ去った戦士達の無念と取り戻すべき未来を思うなら、重要なのは、より確実な勝利。

瞑目するカジキマグロ。
この高潔な魚は、現実と理想の間で悩み惑っている。
完璧な答えは見つから無い。
妥協の先にだって救われる物は在る。
けれど、たとえ理屈の上でそうだったとしても、こんな時にザンはどう言うのかなんて、『惑星のさみだれ』を知ってる俺には予想がついて。
彼が何か言い出す前に、俺は言葉を重ねた。

「まあ、全部仮定の話だけどね」

「はい?」

「そもそも俺は、手を出す気無いからさ」

こんな悲観的にならなくとも、半月という強力な騎士の参入によって、戦いは楽になるかもしれないし、暗鬱たる状況に出会わなければ、さみだれの力ものびのびと成長するかもしれないのだから、助けに行く選択だって在りだろう。
幻獣化した半月でもいれば、それこそ単独でアニムスを倒すくらいやってのけるかもしれない。
でも、それも全て俺が行動を起こしたらの話だ。
ザンの真っ直ぐさには好感を持つが、だからって、その言葉で俺の考えは変わる訳じゃない。
だから彼が今何を決断したって、それが事態が左右する事は無いのだから、そんなに心を痛めなくても良いと思う。
選択肢の表示されないシナリオは一方通行。行動の責任なんて物は生まれない。

それでもザンは落ち込む。
目の前で人を見捨てなければいけないという現実に。
どんよりした空気を纏ってうなだれている姿は、魚類にも関わらず実に人間味溢れていた。

「それから。なにか誤解していると思うけど……」

落ち込むザンに一言言っておく。

「誤解、ですか?」

「俺はなにも、世界が滅んだ方が良いなんて思ってる訳じゃないんだ。
 むしろ、救われた方がいいと思ってるくらいさ」

「え?」

驚いたように目を見開く。
その反応に、ああやっぱりと思いつつ、俺の考えを話す。

「だって長生き出来たら、その分楽しい事に出会える可能性が増えるって事だろ。
 何もしなければそれで世界が救われるなら、その方が良いと思ってるんだよ、これでも」

物語として悲劇には悲劇の面白さが在る。だからそれを否定しようとは思わない。
しかし、バッドエンドよりはハッピーエンドの方が好ましい。
幸せが無ければ不幸は無く、その逆もまたしかり。
結局の所、続けば『飽きる』。
ただ、どんな作品だろうと、批判する事と脚本を書き換える事は違う。
俺は所詮観客。精々がエキストラ。
居ても居なくても、話の流れは変わらない。

「だから、俺は何もしないよ」

俺の言葉に、なんと言えば良いのか分からないという表情で、ザンは黙った。




泥人形の出現を察知して、俺達はあらかじめ目処を付けていたビルに向かった。
姿を消して忍び込み、そそくさと階段を上っていく。
屋上に辿り着くと、掌握領域で鍵を開け、外に出る。

こんな時間に屋上に用のある人間はいないのか、人の姿は見当たらない。
歩いて屋上の縁へと近付き、山の方角へと向き合う。
流石に遠くから目視しただけでは、山中から人を探し出すのは難しい。
俺は広範囲に展開していた掌握領域を一点に集中させると、そこから覗き込むようにして山を見た。
すると、樹の一本一本どころか地面に落ちてる石の数を数えられるだけの、精細な景色が視界に広がる。

「いた……」

飛び跳ねるさみだれ姿を、視界の端に捕えた。速度が速過ぎて、気を抜けばすぐに見失いそうだ。
彼女が飛び込んだ先には、四肢が全て腕という奇妙な形をした泥人形が居るが、ダッシュの勢いを乗せたさみだれのキックによって、軽々と吹き飛ばされていた。
しかし破壊には至っていない。
泥人形はヒットの瞬間に後ろに飛ぶことで衝撃を逃がしていた。
体勢を立て直すつもりなのか、泥人形は逃げ出し、さみだれはそれを見送る。

「ザン、あの辺りに3人ともいるぞ」

場所さえ特定出来れば、領域無しでも見えるだろうから、既に3人が集まっている位置を指で指し示す。

「はい、見えました」

会話こそ聞こえないが、俺の目には話し合う様子が見えている。
夕日が何か言うとさみだれは頷き、再び単独で行動を開始。男二人は一緒に移動を始めた。

「捜索のために、別行動を開始したようですね」

「それと、朝比奈さんが自由に動けるようにだろうな」

ぶっちゃけ、夕日は戦力外どころか足手纏いだ。
機動力こそ在るが、それには溜めが必要で、咄嗟の動きは鈍い。
ただでさえ普通じゃない動きの泥人形が相手なのだから、それは致命的であり、格好の的となる。

落ち着いている半月とは対照的に、夕日の表情は緊張に固まっている。
半月と夕日は泥人形の動きに目を凝らす。
片や相手を狙う為、片や相手を避ける為に。
高速度の敵を注視し過ぎて足元が疎かになったのか、夕日の足が地面の出っ張りに躓いた。

バランスを崩す体。
その隙を泥人形は見逃さない。
真っ直ぐ夕日に跳びかかる。
半月も跳びかかる。
夕日は突き飛ばされる。
半月は殴りかかられる。
方天戟が突き抜ける。

泥人形の腕が砕け、けれど吹き飛んだのは半月の体だった。
人はああも跳べる物なのか、バウンドしながら宙を舞う。
傾斜を転がり、糸が切れた人形の様に地面に投げ出された。

停止。

横たわった体は僅かに上下している。
まさに虫の息。
地面には血溜まりが広がっていく。

オオオオオオオオオオォォォォォン――……

「あ……」

遠吠えが響いた。

ルドの声は、ここまで届き、やがて犬の姿は視界から消えた。
横たわる体は動かない。
死んだのだ。

胃が収縮する。
眼前の光景は酷くグロテスクで、生理的な嫌悪感は吐き気を催した。

「ほら、ザン」

でも、それだけだ。
他人が死んだからって、何か特別な感情が生じる事は無い。
一瞬戻しかけた物を押し込めて歯を噛み締める。
呼吸を深くして気持ちの悪さをごまかしてから、ザンへの言葉を続けた。

「見なよ。あんなに強い人だって、こんなにあっさり死んでしまった。
 物語で起こる奇跡なんて物は、いつだって綱渡りみたいな出来事なんだ。
 綱の上で誰かの手を取ろうとしたって、あっという間に真っ逆さまに落ちるだけだと思うよ」

落ちる誰かの手を掴めば、大きく揺れた綱はきっと綱上の全員を振り落とす。
助かりたいのなら、見捨てて真っ直ぐ渡り切るべきなのだ。

「それでも」

だけど、彼は言う。

「それでも、私は手の届く距離にいるなら、手を伸ばしたい。
 助ける為に足掻きたいと、思います……」

諦めないという事が、どれ程大変な事なのか。
諦めてばかりの俺には想像しか出来ないけれど、だからこそザンの言葉は尊敬に値して、いつものように「マグロに手は無いだろ」なんて茶化す気にはなれなくて。

「そうか……」

そう呟くにとどまった。

さみだれが飛び上がり、幕引きの一撃が振り下ろされる。
まるで誰かが泣き崩れる様に、山の斜面は崩れ落ちた。

悲劇の証拠は土へと還り。
戦いは終わった。


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