目次
ごあいさつ
私の経緯と社会の事象について
今の世界恐慌に端を発した
不況について
この社会を崩壊させるカルトの
スパイラルを阻止するために
日本神道について(現人神とは)
日本を衰退に追いやった
キリスト教について
私の地震の発動に対する
証拠資料について
政権交代から平成21年度末まで
創価学会の集団ストーキング
について
天皇教の怖ろしさについて
寄付のお願い
政権交代から平成21年度末まで
話の内容としては、自民党時代から一通り記します。
平成21年7月31日に参議院選挙が行われ、民主党が圧倒的多数の300議席を獲得して政権交代が実現しました。民主党のマニフェスト(公約)の中であったものは、農政のハード事業をやめて農家への所得保障を行うものでした。日本では長年に亘り「ほ場整備事業」と言う小さな区画の田んぼを再区画整理により大きくして作業効率化を図り農家負担を減らすとともに、米消費の低迷に合わせて麦や大豆などの転作が可能になるように排水機能も持たせた汎用田として整備を進めてきました。私は、平成7年度にその「ほ場整備事業」を行う宮城県庁の行政組織に入庁しました。当時はウルグアイ・ラウンド通商交渉による立場的に不利な日本の農業を対外的に戦える農業にするために、UR補正予算が多く付けられてほ場整備も進みました。農政に限らず、公共事業と言うのはその大部分が国庫補助事業であり、大方国が50%を補助します。ですのでいわゆる縦割り行政と呼ばれる体制ができあがっており、農政の場合ですと霞ヶ関にある農林水産省を頂点に、私の位置からの目線で行けばその国の出先の東北農政局、そして宮城県農林水産部、管内各市町村の農政、農協等、土地改良区、その下に農家がおります。私の父親が東北農政局採用の人でした。当時の農林水産省は既に私の母親の家系である三塚家が日本神道の中でも強力な家系であることを知っていたので、私の父親を近づけたらしいです。ただ父親当人はそのことは知らずにおりました。私の両親は40年近く気づかないままでした。農水省は私をその業界から逃さぬように画策しており、本来は一般土木であった私を農業土木の世界に引き込んだようです。平成7年度に私が宮城県庁に入り、そして東北農政局は予算をちらつかせていたので、宮城県庁は県内6事務所のどこかに私を配置して、女性を配置すれば地区の事業認可や予算が取れると画策し、吊り橋や災害や規模の大きい機場の施設補修、規模の大きい親水施設などなど、私の仕事としては困難なものを私に配置し、にも関わらず特にフォローは無く私に投げておりjました。1999年(平成11年)には、男女共同参画なるものが作られました。また、2000年(平成12年)にはストーカー規制法が制定されました。平成10年に当時の私の大河原で出入りしていた女性が、私は仕事上どうしても頼まなければならなかったものでしたが、女性側にはいい顔はされていなかったようです。その人は三年間確か見ましたが、平成12年度の最後に婚約指輪を仕事時に見せていきました。また私は平成12年度には「みんなが迷惑するから辞めてくれないか?」と言われました。どうやら私はその女性に対してストーカー対象であったらしく、職務上必須な仕事に対して、その相手にストーカーと言われるのはいただけないものですが、こちらは一度も誘ったこともなく、当然誰からも紹介を受けてはおらず、また私自身は大河原では働きたくなかったわけで、当時は通勤も大変であることながら、残業も多く、具合が悪くて昼食もよく抜いておりました。目も死んでおりました。そして平成13年度に仙台の事務所に移り、例の新規採用技師と同じ島になったのですが、その時は前の大河原の事務所からの嫌がらせがあった一年であり、私はそういう職場での冷やかしが嫌であり、自由時間の際は、部屋から外出しておりました。
そして平成14年度に私はストーカーにされて古川に移り退職したわけですが、その古川に移った際にも、また私は予算取りの餌食にされ、そのまま私が「駒として入った」と暗に示して、私を東北農政局に行かせてから宮城県農業公社に入れようと画策しました。農政から出すと自分たちの
保身が出来なくなるためでした。積算システムを平成16年度ころに、宮城県は独自のものを国に準拠したものに変えさせて、また平成18年度には、宮城県の給料表を国準拠のものに切り替えました。そのように東北農政局が権力で押し進めていたようです。私は平成20年10月に退職届を出して農政からは消えました。麻生政権が始まって一ヶ月後でした。その時に、私の親の知人方面の色々なところから不幸のあいさつが届いたのを覚えています。それは指定暴力団の工作による医療殺人と思われます。私が農政を去った後に、これは休職時からですが、私は他人の思念が頭に入ってくる人ですので、その中で「石巻市」の話が聞こえてきました。それは私を石巻の東北農政局出先の事務所に行かせようとの農政役人の工作でした。このような話は、私は現役の出勤していた時代には、当然職場から何も話がされていないものでした。話が勝手に湧いてきました。確かに私は現役時代の最後の数年間で、「石巻」の話は実際にされていました。
目線をかえますと、実は日本と言う国は私を駒にして「神道政治」をしておりました。自民党清和会時代は、麻生政権の前の福田政権までは、常に私に絡めた政治をしておりましたが、福田政権時は私と宮城県庁との関係は既に修復のしようがなくなっておりました。自民党清和会はそこで身を引き、麻生政権により道州制導入で私のしがらみであった東北農政局と宮城県庁の消滅を試みました。これはキリスト教の考え方によるものでした。ここで私は駒から解放されるはずでしたが、農水官僚の抵抗がすごく、私は自由になれないままでありました。
そして民主党政権に移りました。民主党政権では自民党の利権の破壊に入りました。私の女性の話と言うのは、霞ヶ関が私を駒として使うため、主に自民党時代に役人が裏工作、根回しして作っていたものでした。民主党時代になり、「脱官僚」を上げ、政治家と官僚の対決の構図になりました。民主党は「事業仕分け」があったように、官僚が作り出していた既得利権の破壊を始めました。その中で、農政における私の関係にも切り込み、最後は官僚が工作していた女性に対して、期限を決めて女性に対して私と付き合うか死を選ぶかと言う究極の選択をさせました。また決して女性からは私に口を開いてはならない過酷なものだったようです。女性は訳もわからずに数年間拘束されたあげく、結局死を迎えたようです。何人もの女性です。いつでも常に陰では指定暴力団が暗躍しておりました。日本の自浄はほぼ不可能でしょう。今回の経験をもとに、私は今後は社会から距離を置いて社会がどう変われるのか見ていくつもりです。私は日本社会が私に償いをしなった代わりに、「真の資本主義社会」を日本神道により導入することにしました。日本にはもう神の加護はございません。あの日本経済のバブル期と言う夢の時代はもう来ることはありません。心しておいてください。「真の資本主義社会」とは、全く私の神風が働かない社会、もしくは逆風が吹き荒れる社会です。私はどんどん色々なものを切っているところです。日本神道の神とは、古来は「祟るから奉る」ものでした。日本社会はそれをおざなりにしました。これからその報いが日本社会に現れて行きます。非常に残念な結果になりました。
創価学会の集団ストーキングについて