第5章 (女神との邂逅と儚い泡沫の時) ☆ 後の過去から現在までの記録はココを押して下さいね!携帯小説に飛びます!
この間、疎らであるが転々と1ヶ月や、2ヶ月、と4~5件の職を流転した前述の僕には何も起こらない、詳しくは彼女達の瞳には僕は映らない、ナンパに嫌気が差し、家を飛び出して、警備会社の道路整備や、半導体製造作業、明治乳業の下請けで、
商品の搬出物の準備をする作業、チョコレート製造工場、ウィンドウズ95の液晶パネルのフリッカー度検査、等々、いずれも、1~2ヶ月で辞めた、・・・・そして無意味なナンパに、1992年の二十歳になるまで僕の時間は消費され、その利益は、岩永英樹の為に費やされたと言っても過言でない。
平成2年(1990年)
僕は18歳、小学世の頃の友達DISUCO仲間、岩永英樹と久々に逢い、付き合い始めた、かれは車の免許を取り、車を買い、僕をナンパのた為の道具にした・・・週に4回夜な夜な朝まで、車に女を乗せる為、走り回り僕に、女の声欠け約をさせ
た、彼は美男子でもてていた車は持ってるし顔もいい、背丈も僕と変わらず、スタイルがよく僕は金も、仕事も、免許も、車も、頭も、何もない、遊んで貰うために、彼の為に女の子を、あの手この手で、笑わせ、機嫌を取り、車にでドライブしようと、声を
かけ回った・・・・・ 20歳までの3年間で300人以上の、2人連れの女の子を捕まえた、そのうち200人位の女が彼と、ラブホテルに消えて行った・・・・僕はラブホテルの前で、車を降ろされて、一人虚しく、家に帰って眠って、目覚めたら、ファミコン
をして、彼から夜に呼び出され、ナンパに明け暮れた、18歳から20歳までの3年間、300組の女、全員が、僕を利用して、美男子のダチと仲良くなって、寝ようと、僕に渡りを、架け橋を頼んできて、誰一人、僕は彼女たちに、相手にされなかっ
た・・・・・男も女も、皆、僕をりようした・・・・ そんな20歳の終りごろ、僕を見てくれた女の子が生まれて始めて、現われた、僕は、始めて、恋をして、その娘と恋に落ちた、僕はその娘を全力で、全身全霊で、魂をかけて愛した、この娘が僕にとって
の神様になった、マリアに・・・同棲した4年半の間・・・・
24歳まで、僕は彼女しか見えなかった、僕の目は、彼女の可愛い顔だけを、見るために生えてあり、僕の耳は、彼女の美しい声だけを、聴くためにだけ、生えていて、僕の心は彼女の為だけに、この世に存在していた・・・・3年半の僕のこの世での
任務は、終わった、彼女の親たちが、僕の命、唯一の宝物を奪い去った・・・・・そして僕は死んだ・・・・・ ココは月、僕
は今でも君をココで月で、傾国女の君を愛してる。
想うだけ 和むなごりを ありがとう 貴女がくれた 愛のおもゐで
(1992年)20歳、僕は甚だ毎晩、朝まで約3年間ナンパ三昧に疲れ果てていた、その他の諸問題は既に触れた所である、何も希望も、未来も夢もなく・・・誰一人、僕を愛してくれない利用する・・・そんな二十歳の僕の誕生日を迎える、爽やかな熱
い風の吹く真昼の夏、ちようど連休であったので例の如く僕は、ナンパの為に岩永英樹から呼び出され億劫に想いつつも彼岩永の招聘に応じた、浜の町を車で流しながら2人組みの女に声をかけながら住吉町方面へ赴くまま長崎大学を通り過ぎよ
うと奔っていた・・・車窓から眺める風景は何も変わらず僕の心の時計の針はもう子供の時分から1秒たりとも動かない止まったままだった・・・そこで運命の邂逅を体験した。 長崎大学を少し、通り過ぎた所に、大型のアミューズメント施設、ゲームラ
ンドセガ、が立地している、日中は、長大生の学生や、高校生、中学生、小学生が、賑っている、そのセガの、自動ドア付近で、立ち話をしていた、2人の女性を、石崎は、ロックオンした、例の如く僕は、カタパルトから、スクランブル緊急発進を、彼
に命じられ、何時もの調子で、しかし、疎ましくも想いつつ、声をかけたところ、彼女達は、彼氏もおらず、丁度、暇していたと、何なく、僕のドライブのいざないに、同調し、車に乗り込み、街を滑らせた
2人は赤迫の外国語短大に通う、19歳であると語った、僕達の一つ、年下だ、一人の女性はロングヘアーで、身長159センチ美人タイプで、僕達の暗号で、AのBクラス、もう一人はショウトへアーの身長160cm可愛い系で、A のCレベル、因みに、
AのAが最高で、AのCまで基準があり、その下はBのA 、CのCとランクがある、これまた、何時もの十八番で、石崎は、美人タイプAのBのロングヘアーの女、佐和と名乗る女性を、ターゲットにし、また、佐和のほうも、彼のアプローチに満更でもな
く、果然と僕は、可愛いタイプ、ショートヘアーAのBタイプのあずみ、と名乗る女性を、フォローしつつ、石崎と、佐和の成就の妨げを、防止する役目だ、だから僕は、何時もの様に、あずみを惹きつけようと、あずみ、ばかりに話かけ、好意をあるかのよ
うに見せかけ、何時もの様に、どうせ僕はの姿は、彼女達の瞳には、映らないと半ば信仰のような、固定観念が根付いていた、だので、僕は嘘八百、並べ立て、あずみを、ためつ、すがめつ、あらゆる、冗談、諧謔で僕に、引き付けた、石崎の為
に、・・・車は長崎の、僕達、恒例のコースで、式見ダムと言う、暗がりの大きなダムで、そこで走りながら、ここは、自殺の名所で、溺死体があがらない、ミステリーな恐い場所だと、予め話しておき、現場でエンジンを止めて、どうしよう、急にエンジン
が動かなくなった、と真っ暗闇の中で、車の鍵を廻すふりをして、かからない、どうしよう?等と、女の子達の恐怖心をくすぐる、悪戯するゲームだ、無論、彼女達は事前に、このダムの曰くつきの話を訊いているので、そう言う、霊的なものが絡んでい
ると、倒錯し脅えるという計算だ、潮時を見計らい、残念でした、冗談ですよ!と車を動かす。 まだミステリースポットは、豊富にあり次は、坂道なのに、エンジンを止め、サイドブレーキをかける、そこで通常サイドブレーキを解除すれば、車は坂道な
ので、後ろに向かって転がる筈なのに、何とエンジンが止まっている坂を車は、上って行く、不思議な場所にも案内した。
お次は、防波堤があり、普通の防波堤は車で接近すると、そのまま海に転落する、通常のは90℃だ、だから車でじわじわと、その先端に近づきつつ、一緒に自殺しよう等と、話をしながらその防波堤の尖端を眇める時に、女の子達は、驚いて、絶
叫する計算だ、だが此れもトリックで、実は、車に座って見える車窓からは、直角に見えて、歩いて近づけば15℃の傾斜があり、船着場になっており、小型ボートや、小型漁船が、犇
き、太いロープで繋がれている、そこを、車は落ちるのではなく、下るのである。で今度は、長崎で一番、急激な坂道と言うものが、僕達の秘密の場所に招待した、その坂道は、普通乗用車が1台、位がやっとの幅で、その角度は何と、80℃近くあ
り、車で登ると、背中が座席のシートに張り付き、恰もジェットコースターの急斜面のシュチエーションである。 最後はお決まりのコースで、石崎の、ドライビングテクニックを披露する、彼の車は、1年前に変わっており、シルビア2000の外観は、ホワ
イトパールのフルエアロで、タイヤも斜めに、角度を変更し、強化クラッチにし、エンジンは、何やら、車内の調整器で、つまみで、ガソリンパワーの噴出を自分の好きな様に、扱え計器類だらけの内装で、鉄パイプが車内を、露骨に走っている、これ
等、塗装から、改造まで全て、岩永本人が、工場の工具類で、てを加えている、たいしたものである。例の如く、あの背中にGを体感する、パワーや、ドリフトと呼ばれる、車のタイヤで走るのでなく、滑らせながらカーブを曲がる、ドライビングテクニック
を、思う存分、披露しその日は、連絡先の交換をして、彼女達を、住吉界隈まで、送り届けた。 その後、1週間後、石崎は、佐和を呼び出して、ドライブした事を石崎、本人から訊いた、石崎曰く、佐和はガードがとても固く、プロテクトに、ジーンズを
装備してきて、付け入る隙もないとのこと、更に帰り際、佐和のアパートの前まで車で送り、遊びに来てもよか?と訪ねた所、佐和は全力疾走で、階段を駆け上り、アパートの中に逃げ込まれた、と言う顛末を話した。 その噺が終えると、彼は、佐和
が駄目みたいなので、今度は、あずみを、呼び出す企図をぼくに、漏らした、だから、僕は、彼、石崎の毒牙から、あずみを、守る為に先手を打って、あずみに電話をし、食事の約束を締結した、彼女は、あずみは、天真爛漫に、僕の誘いに応じた。
あずみ、に逢う前夜、僕は初めての、女の子との、ツーショットなので、何をどうすれば良いのか?皆目検討がつかず、眠れぬ蒸し暑い夏の夜を、一晩中考えあぐねて、朝日が昇るころに、普通に食事でもしようと、定番コースを決意した。
夕方6:00長崎にある、西洋館という場所で、僕達は、初めてのデートをした、あくまでも、僕、本人が、生まれて始めての、女の子とのデートである、僕は彼女が、出来ないと言う、ある種の信仰が心深く、根ざしていたので、あずみが、本当に来る
のか?と、気が気でなく猜疑心の塊で、人を、信用する事ができなかった、が僕が約束の場所に辿り着くと、既にあずみは、微笑で僕のことを、受け入れて
くれた、僕は先回りしようと、30分も前に、到着して、戦陣を整えようと、意気込んでいたが、彼女の方が上手であった。
僕達2人は、西洋館、館内のレストランで、ディナーをそこそこで、腹を満たし、同じ館内にある、ゲームセンターでコインゲームや、車のゲームで僕と、あずみは、2人の時間を楽しんだ、そして僕は、秘密兵器の小物を用意してきた、この1992年
代、僕が二十歳で、彼女、19歳の当時は、まだ携帯電話すらなく、ポケベルの時代だ、だから、使い捨てカメラを準備してきたのだ!僕達は、館内の吹き抜け天上のちっぽけな公園らしき、所、小さな噴水の泉で、2人は語り合い、記念に、写真撮
影をして、4時間ほど、この一時を楽しんだ。 僕はセンスの悪い、馬鹿みたいな、レィバンと言うブランドの黒色の、スパイみたいな髪型と、格好でジーンズに、Tシャツ、かたや、あずみは、白のカットソーのワンピースに、白の、薄手カーディガンを纏
い、ブルーのショートスカトを穿いて、白く輝く艶めかしい、素足で、街ゆく男達を振り替えらせ、彼女は、女神の如く、サービスをしていた。 そしてその日は、彼女と、そこで別れ、各々の家路に着いた。 その後は、僕は、億手なので連絡を取ること
も出来ずに、時の流れに身を任せ、時間はこっこっと流れて行き、僕は、あずみ、の事を忘れかけていた、僕は車の免許が欲しくて、偶さかに、赤迫の自動車学校に、資料を取りに出掛けると、そこに、中学時代の、同じクラスの大竹という男が来て
いた、僕は苛められっ子で、彼は、親しくはなかったが、大竹は、普通の好青年の野球部員だったのを覚えていた、大竹は、僕を、認識すると、鷹揚に声を掛けて来た、僕もそれに答えて微笑みかえし、久しぶりね~と言い、そこから会話が弾み、
1時間、程度、過去ばなや、世間話、今、彼が、ヘルニアになって昔の様に、ハードトレーニングは、御法度なぞと、の会話をしていたら、偶然にも、彼女、あずみが、僕の視界に飛び込んできた、僕は幻でも見ているのだろうか?と己の眼を疑った
が、紛れもなく、あずみ、であった、僕は、大竹との話を、そぞろ中断し、彼女の所へ吸いつけられる様に、何か強い力が働いているのか?僕はあずみに、
小躍りしつつ、接近し、お~いココでなんしよると???元気しとった?と体が勝手に、声をあげた、すると、あずみは、私、車の免許を取りに自動車学校に通っているの!松本君は、何で此処にいおると?と逆に問い返され、どう答えて良いか、
へたすればストーカーだと思われるのも、と些か返答に、当惑したが、体は僕の意思を無視して、あずみに、ある事、無い事、を語っていた、そして話しながら、赤迫自動車学校の、坂道を2人で歩き下りながら、僕は何と、あずみのアパートへ遊びに
行きたいと、臆病者の筈の僕が、始めて、女の子に、告白をした、・・・・暫く、あずみは、沈思黙考して、話題をかえ公園に行こうと、切り出した、景色の良い、眺めの良い高台に
公園があるけん!一緒に行こう!と、僕は、彼女に促されて、その高台にある、小さな公園へと向かった、僕達は二人で、街の景観を俯瞰しながら、会話をした、僕は頭がパニックになっていて、自分でも何を話しているのかすら、解らない状態で
あった、が夕焼けが街を、赤く染め日も沈みかけた、たけなわの頃の風景が15年後の今も鮮やかに、脳裏に刻まれている、僕の心の時計の針は、あの時の時刻で止まったままだ。
僕はまたもや、生まれて始めての告白を、あずみにした、好きなんだ!僕と付き合ってくれと形式ばった格好悪い臭い台詞を伝えた、あずみの、アパートに行きたい、と心の叫びを、僕の20年の歴史の勇気を、封印を、解いた、何分、処女である僕
なので、スマートには言えなかった、あずみは、また、慎重に沈思黙考し、暫く想い耽っていた、その刹那1分位、夕焼けは沈みかけ、空の星が、闇夜に煌きかけ、風は生ぬるいが、爽やかで
あった、漸く、あずみは、重い口を開いた、はにかんでんでいいよっ!て、一言だけを、・・・あずみは、不細工な、僕を受け入れてくれた、誕生以来の、初恋の女となった、僕達2人は沈黙したまま、あずみの、アパートまでの、道程を歩いた、僕が何
も言えなかった、生まれて始めて胎動したばかりの僕の恋心では、・・・・僕はマジで始めて、恋愛感情というものを20歳にして認識した。
この日、僕は始めて男にしてもらった、彼女に、・・・1992年の8月熱い、夏。・・・・何も判らない、僕は夢中で、あずみを、抱いた、だから、気持ちいいとかはあまり実感なく、呆気なく終わった、だか
ら、あずみも、この時は、僕に不満があったであろうと、憶測される。
その後1週間後、僕の20歳の誕生日8月28日が訪れようとカウントダウンも指折り、僕はあずみに、電話して、その日に逢う、約束の言質を貰った、僕は生まれて始めて、デートの、企画
を考え、催し物を考え、その、プランを考える事に幸福感を覚えた、嬉しい、楽しい、・・・と、・・・こんな感覚は、之までの人生ではなかった、僕は3日も、4日も色々、考え、あずみ、が喜ぶものは何か?事柄はなんだろう?
僕はまず浜の町の宝石屋を、尋ね、ゴールドに輝くリボンの形をした指輪を、発見した、これなら可愛いから、あずみに、ピッタリだと考え、購入し、だだ、プレゼントするだけでは、能がないと思い、購入した、リボンの指輪に、僕は意匠して、
ジュエリーショップで、加工してもらい、リボンの中心に、ちっぽけだけど、別の店で購入した、ダイヤモンドを、埋め込んでもらった、後は、コースだった、その頃は、真夏の盛りで、長崎港を、1週するフェリーが偶然にも、あった、ちょっぴり懐が痛むけ
れど、あずみの、ことを想えば安いものだと、奮発した!海の流れる景色と街を、船から観ながら、食事をする、よし!完璧だ!タイタニックよりも僕が、先に考えた乙なコース、1992年。
当日、あずみは、白い花束を携え、待ち合わせ場所に、来た、今度は僕も先回りして、待ち伏せてやろうと、2時間、前から、待機しながら、今夜のコースを入念にチックしながら、この時も、あずみは、ブルーの腰に結び目のある、スカートを穿い
て白い艶やかな脚をサービスしてた、流石に上半身は、真夏であったので、白ぽいTシャツに、薄手のカーディガンを羽織って、僕が名も解らぬ、白い花束を携えた、彼女は、まさに妖精のようであった、僕は、あずみの背後に廻り、背中の羽を捜して
みたが、どうも、妖精さんでは、ないらしく、羽はなかった、可愛い普通の、おしとやかな女の子だった。 大和なでしこと言う言葉は、あずみの様な女の為にあるのではないろうか? ともあれ僕は、あずみに、邂逅一番に、件の花束を受け取り、
彼女はやさしく、お誕生日おめでとう、と囁いた、僕は生まれて始めて祝福をされたし、始めてプレゼントを貰った、とても幸せである。
僕達2人は長崎港に停泊している、フェリーに乗り込んだ、と間もなく、出航のアナウンスが流れてきて、舟は、ドッ、ドッ、ドッと静かに加速して熱い八月の風を切り走りだした、同時にそれまで蒸し暑い空間が、爽やかな潮風に変わった、船の甲板
で僕達は、暫く、風と、灯りを燈した町並みを、眺め感じた、僕はふと思い当たる所があって、あずみに、訊いた、この花束は高価やったろう!何で花ばくれたと?すると、あずみは、8月の誕生日の人の花と答えた、僕は意味が解らなくて更に訊い
た、この花束には、どう言う意味があると!と同時に、あずみの、心の意図を探ろうとした、僕は心が既に荒んでいて、猜疑と、人を疑い、その心理を見破るスキルばかり成長して癖になり、今でもその性癖は頑なに、望みもしないのに、健在だ、
これが結局、あずみ、との4年間の暮らしに、同棲生活に負担をかけて、・・・・あずみは、恬然と答えた、何の屈託もなく、この花には純粋と言う意味があると!心が奇麗か人にあうとよ!って、僕はとても嬉しかった、あずみは、僕を好き
なんだと言う事が、僕の猜疑と偏向の心の靄が晴れていった、のを直感した。
そしてどんどん、日を重ねる事にあずみの、事を好きになっていった。 僕達は、周りでカラオケ等で、おじさん達が熱唱しているのも、関係なく無視して、2人の間に流れる、一時の時間を、互いに楽しみ、爽やかな八月の熱い潮風を思う存分に味わ
った。
今でもあの時の潮騒の響きが懐かしいメロディーを奏でている。 その日は、寄航して自分の実家に、帰ったあまりにも嬉しくて、あずみに、貰った花束を、ベッドの頭の上の天井につるして、ドライフラワーにした、生まれて始めての、女からの
プレゼントだったから、・・・ この頃、僕は無職であった、僕は生きる気力が始めて萌えた、それまでずっと死んでしまいたいと、願っていたのが、180℃正反対の、生命力がオアシスの如く溢れ湧く、人間になっていた、僕は職を探した、働く意欲
が出た、直ぐに見つかり、一般住宅の改築や、塗装、増築の、受注を探す営業の仕事だ、あずみは、短大生なので、学業に専心しなければならない、日中は学校で、勤しんで勉強している、あずみの、夢は、宅建の資格を習得し、大手建設会社に
就職したいと語っていた僕はそんな、あずみと、触れ合えない、時間が耐えられない事も理由の一つで、上記の仕事を初め、退社後に、あずみの、アパートに、通いつめた、一応、その会社には、社宅寮があったが僕の荷物置き場にして、殆ど、
あずみの、アパートで寝食をともにした、3ヶ月も経たぬうちに、僕達は、同棲生活に、自然となってなって行った、あずみは、朝から、朝食を作ってくれて、僕に、御馳走をふるまってくれた、更に弁当まで用意してくれて、僕を、会社に送り出してくれ、
彼女は、短大に勉学に励みに行く、夜に帰ってくれば、熱い、キッスで迎いいれてくれ、晩飯を調理して食べさせてくれた。 僕は、4ヶ月経過した頃、会社の人間関係で諍いが勃発して、辞職し無職に舞い戻り、あずみに、暫く厄介になった、
あずみは、僕に心を開いてくれ、彼女の実家から、生活費として、送金されてくる、約10万円の、中から、3万円を僕の為に、生活費と言う事で、渡してくれて、僕はそのあずみの、好意に応えようと、その金で、食糧を買い、彼女が、短大で学
業をしているので、僕の手料理を披露したり、アパートの掃除や、彼女の洗濯ものを、洗い、干し、夜の営みでは、僕の力の限り愛し、抱いた。そんな、ある日の夜、彼女は、僕に、告白した、実は私、よしちゃんと、出会う前、好きな男がいて、一所
懸命アプローチして、その男とホテルにまでは入ったものの、抱いてはくれず、置き去りにされ、泣いて、自暴自棄になり、やけ酒をたらふく飲んで、泥酔している所を、男4人組にナンパされ、ホテルに連れ込まれて、男4人に代わる代わる、犯され
た、と、その数日後、悔しくて相手の連絡先に電話して、警察に訴えると伝えたら、上手い事呼び出され、男20人に山中に連れて行かれ、殺して、埋めてしまおうなどの発言が、飛び出し、とても恐かったと、話、でも警察に言わないからと約束して、
開放され事なきを得たらしい、・・・僕はこの話を聴いて、とてもせつない悲しい感情と、僕の愛する可愛い素直な女を、そういう目に合わせた奴らに激しい怒りと殺意を覚え、同時に、この女あずみを、僕は、一生愛して、守り、彼女が再びそんな境遇
に会わないように、この夜、朝まで、あずみを、やさしく、時には激しく、愛し、抱いた。 そして心の中でこの女を娶ることを自分自身に誓った。そしてこんな同棲を重ねながら、僕はパチンコ屋の店員や、水商売等を流転しつつ、休職の時は、2人、
徒歩で街に出掛け、彼女の洋服のショッピングに付き合ったり、2人の、食材の、購入に仲良く出掛けたり、デートで食事をしたり、互いの料理の腕前を競い合ったり、して、僕は、掃除、洗濯、家事を担当した、そうするうちに、瞬く間に時は流れ
2年が経ち彼女は短大の卒業が迫っていた、あずみ曰く、教員免許を、習得しようと、故郷の中学校で、3週間位、アパートを不在にして、実地研修を、受けねばならぬらしく、僕はその3週間、あずみのアパート
で寂しく過ごした。
研修も終え、帰ってきて、数週間が経過し、教員免許はアウトになった、そして更に、卒業も迫った、春の暖かい日に、あずみは、唐突に、別れ話を切り出した、なんでも、大阪の大手、建設会社の就職が、内定されたので、大阪に赴任す
る為に、僕が障害になると、こじんまりとした喫茶店で、打ち明けられた、僕は、この2年間、あずみの事を、宝物の様に大切にして、最大限の、愛を注ぎ込んだのに、君の僕に対する、想いはそんな程度の代物だったのか?と憤慨し、怒り、僕には
君が必要なんだ、行かないでくれ!僕とずつと、離れないで一緒に人生を、歩いて行こうと、説得を試みたが、あずみは、俯き、沈黙していた、僕は更に付け加え、あずみの事、本気で愛しているんだ、僕を捨てないで、もう独りぼっちは嫌なんだと
語った、すると漸くあずみは、決意したように、判ったと言い、よしちゃんと、長崎に残ると言い、彼女は、大阪の大手建設会社の内定を、蹴って、僕を選んでくれた。 が、卒業も数日を向かえ、た所、何と、出席単位が足りなくて、卒業出来ないらし
い、僕と、よく学校を、休んで、二人で遊び周った、つけが今頃、露見した。而して、あずみは、留年を強いられ、怒った、彼女の親は、仕送りを大幅に削減し、2人の生活は窮鳥しアパート代金も、覚束なくなり、僕は働いておらず金融で借りることが
出来ないので、あずみに、消費者金融で、50万借りて貰い、それで暫時、生活費、光熱費、家賃を賄ったが、忽ち底を尽いて、撤去を余儀なくされた、この大いなる二人に降りかかる、厄災の火の粉からの、脱出する為に僕は、住み込みの、出来る
仕事を見つけ、パチンコ屋で働いた、僕達は、そこの寮に住み、あずみは、そこから留年した外国語短大に、通った、そして田舎のほうだったので、不便な事もあり、本田のスティードと言う、400CC のアメリカン単車を、あずみを、保証人にして、50
万のローン契約で購入した、僕達はこのバイクで、彼女を短大に送り迎えに使用したり、あっちこっちドライブした、時には、長崎でめちゃくちゃ美味いカレー屋さんの、カレーを買い、あずみの、実家に本人の用事も在ったことも重なり、カレーを
おばちゃんに、食べさせようと、土産として、島原まで2人で風を切り走らせた、僕は、あずみの、親とは親しくないので、外で隠れてあずみの、用事がすむのを待った、程なくして帰って来た、あずみに、カレーの評価を尋ねると、おばちゃんは、美容
室を経営していたこともあり、丁度、客が居たので、その客に、お土産のカレーを、食べさせたとの事、僕は、美味しいカレーを、あずみの、親に食べて欲しかったのに、・・・僕は毎日が、クリスマスだった、彼女にもその心のうちを、吐露し伝えた、す
ると彼女は、私も同感と言って、頷いた。
単車で、彼女あずみの実家からの、かいりしな、峻険な山道に迷い込み、どんどん道幅が隘路になり、とうとうアスファルトではなく獣道に変わり、それでも前進し沼沢に直面し、そこで来た道を、40分もかけて国道に戻り、
今度は、これまた山道を走っていたら、大きな曲がりカーブがあり、そのカーブ手前7メートルの距離にの道路に、対向車確認用のミラーが設置されており、その鏡に、己のアメリカンバイクに跨り、走るその姿に見惚れてガードレールに、衝突し
僕と、あずみは、滑稽に、中を舞い、転倒した、僕は彼女が心配で、即座にあずみを、探したとこ、2メートル後方で、寝転んで起き上がろうと、かぶりをふっていた、僕達は目と、目を見やり、ニヤッと笑い合った・・・ガードレールの反対側面は、10メー
トル位の断崖になっており、まかり間違えれば命はなかったであろう、尤も2人はかすり傷負わず、体制をたてなおし、帰途についた。
筆者はここから、少々迂回をし寄り道をする。 僕は東京のならずもの達に、追い出され、帰郷した、16歳から、齢20歳の第一四半期まので、件の女神に遭遇するまでの間、世知辛い世故を生きる気力もなく、幼少の頃より、惰性で、詮無く生きて
きたことは、すでに、詳しく触れている、僕は齢20歳まで、ドラえもんが、タイムマシーンで、迎えに来てくれるのを、待ち侘び、宇宙人がUFOでこのくだらない地球から救出してくれるのを想い焦がれ、いざなって、くれると信じ、待ち続け、超能力を養
い、アマテラス、帝釈天、ジュピター、イエス、マリア、仏陀、ムハンマド、モーゼ、僕を認めてくれるなら、仲間にしてくれるならと、強く祈っていた、・・・・人間不信、偽善、偽慈悲、偽愛、悪、汚わい、あさましさ、清濁の混沌の不条理、矛盾だらけの
ふせいに、翻弄され騙され欺かれ、それでも自分の能力の範疇で健気に、仄かな淡い光を探しながら葛藤しつつも、社会や、人生、に半ば絶望し拮抗しつつ流され生を営んでた。 僕は自らの、コンプレックスを沢山、保有し、一生涯、彼女もでき
ず、虚しく生きる運命に怯し、果然、私生活は乱れ猖獗をきわめ既に、ぼくの精神構造は、破綻し、精神病を患っていたが、この頃は、この様な病気がある事すら、知らなかった、僕は、身長は182センチのでくの棒、洋服で着飾り、髪型
を変形させ、化ける事を覚え、外見だけの、魂を喪失した、脆弱な精神病者の不具の、みてくれだけの男であった。 僕の精神は、病んでいたので、仕事も覚束なく、パチンコ屋の仕事を辞め、僕と、あずみは、路頭に迷ったが、運良く彼女が、短大
に通いながらバイトしていた、バイト先の、社長の、おおぼえ愛でたく、あずみは、相談したところ、職場に、社宅寮があり、本来なら、バイトに貸せないが、短大で学業を、しなければならない、彼女の住居を、その社長が憂慮してくれて、2人はそこ
で2箇月ほど生活していたら 男と住んでいるのを咎められ、僕と、彼女は、撤退を余儀なくされ、進退窮まり、あずみに、保証人になって貰い、買った400CCの単車を売却して、それを軍資金にし、橋口町のアパートを借り、生活し、僕は、掃除、
洗濯、料理を、担い、あずみは程なく学業に、勤しみ、晴れて外国語短大を、卒業した、ある日なぞは、その、アパートに彼女の母親が遊びにきて、僕は、突然の訪問に、狭い押入れの中で182cmの身体を窮屈に折り曲げ息を殺して、3時間も閉じ
込められ、苦しい思いをした。時は瞬く間に、20歳に出逢い、あずみと、寝食を共に同棲をして早くも3年が移ろいで、彼女は不動産やで事務員として働きだした、僕は精神が荒み、破綻していて、この時期は、自分が、病気である事すら、わからぬ
まま、何故?自分は仕事が出来ないのかと懊悩し悶々としていたが、そんな僕を、あずみは、毎晩、まどかな微笑で、許し愛してくれた、僕は物理的な面では、あずみに、何もしてあげれなかった、但し、なによりも、彼女を心から、慈しみ、愛し、宝
物の如く大切にした、彼女を愛する心だけは、誰にも負けない、否、僕をこれほど面倒を見てくれる、彼女を、裏切れないと心に、誓い、僕は、他の女には、目もくれずまた、興味もなく、あずみ、を全身全霊を賭け愛した。 僕は相変わらず、アパート
で掃除、洗濯、をし、彼女に、料理を振舞った、僕はゲーム、ファミコンだけが唯一の趣味であったので、あずみの、給料から、月に4万を小遣いで貰い、賄い、2人の食費、材料代として別途、4万円を預かっていた、彼女の給料は短大を卒業して、
まだ日も浅いので、僅かな収入しかなく、家賃、光熱費、バイク代のローンや、消費者金融への、返済もあり、ここでも、生活は儚く、窮鳥し、あずみは、ホステスとして、水商売をハジメタ、彼女は、給料がそこそこよいので、だめな僕をよく、外食や、
娯楽施設に、一緒にいこうよ!と誘った。 が2箇月くらいすると、突然、祝い金として40万貰ったと、彼女は、あずみは、笑いながら、これで美味しいものでも食べに行こうよ!と僕を誘った、しかしこの時期、僕は、彼女のやさしさに、甘んじる、己の
不甲斐なさと、罪悪感を覚え、精神病も重なり、この時の彼女の意図をしらぬままに、僕は、自暴自棄の我儘になっていて、黙殺して、その金で、近くの、ゲームショップで、ファミコン用の、カートリッジ、3枚、を買ってくれと命令した。
数日間、僕は、祝い金の40万が頭からはなれなくて、腑に落ちなくて彼女の挙動を看視していたら、どうも妖しいので、出勤するあずみの、後を気付かれない様につけた、すると彼女は、送迎バスらしきワゴンに乗り込み、勤めている筈の、
ホステスのある街とは、反対方面、へ走って行き、長崎バイパスへ入って行った、・・・・その後、僕は徒歩なので、それ以上の追跡は断念し、あずみの、帰ってくるのを、激昂しながら待った、彼女が、アパートに、入るやいなや僕は、先程の、了見
を、怒りながら、いったい何処に行って来たとや!と詮索し詰問した、すると、彼女は、涙を流しながら、生活費や借金が山積し、ホステスだけでは、覚束ない、たりない、と泣き、よしちゃんと、生活するには、こうするしかなかったと、身体を売ったと
話た、僕は自分の事は、棚に上げ、怒り、猛り狂い、もう終わりだ!と叫んで、彼女を、平手打ちして始めて、手をあげ、思い出のアルバムを鍋に放り込み、燃やしながら、別れると僕は泣き、彼女も泣いた・・・・・ あくる朝、と言うか、前夜から、僕は
これまでの、過去を述懐し、自分の不甲斐なさのせいで、彼女を、此処まで追い込んだことに、自己嫌悪し、僕は、あずみに、深く謝り、2人で頑張って生きて行こうと、約束し、互いに激しく抱き合った。
僕達は邂逅して3年半が、過ぎていた、4年目を迎え様としてた、僕達2人は結婚を模索し、想い、時折の日常会話の中で話していた2人は、2人だけの理想天地を創り暮らしていた、そんな最中悲劇がやって来た、彼女の調子が芳しくなく、どうも
風邪をひいている様子なので、会社をその日、休んだ、僕は彼女を介抱し、2人のこの時間を、一時を楽しみ、味わっていた、すると昼頃に、アパートのチャイムが鳴り響き、僕は扉を開き、外を観ると其処には、品の良い初老の女性が奇花妖花を携
え佇んでいた、僕は応接し、どなた様でしょうか?と、訪ねたところ、初老の女性は、こちらに住まれているあずみの会社の者ですが、貴方は誰ですか?とぎゃくに問い返され、僕は恬然と、一緒に住んでいるものですが、と答えた、するとその女性
は、そうですか、それではこの花を、あずみさんに、お渡ししておいて下さい、としおらしくも、去って行った、まさかこの時、僕はこの美しい奇花妖花が裏腹にも破局のメロディーを奏でるとは露にも思わなかった。
図らずも数日後に、彼女、あずみに、実家に連れ戻すので荷造りをして置けと、電話が入り、翌日には怒りを顕にした親が運送やを、引き連れ、アパートに乗り込んできて、僕が4年の歴史と、時間を費やし、育んだ愛と、歴史は、儚く、僅
か3時間で、破壊された。 実はあずみ、の会社の社長と、母親が、天理教という、裏の糸で繋がっていたのである、ここから、僕達の清らかな暮らしは、漏れて、偏向で、偏頗な、僕達の愛の歴史を知らない、彼らはけしからんと臆断し、僕が、始め
て恋し全身全霊で、愛した女、大切にした、あずみを、僕の、宝物を、奪い去った・・・・・その、後アパートに残ったのは、ベッドと、テレビ1台、空っぽの部屋に僕は、ぽっんと取り残され、その空間で佇んでいた。 暫くして、あずみから、手紙が届い
て、僕達は逢瀬をつずけた、遠距離恋愛だ、親には内緒で、そんな逢瀬を重ねつつ、僕達は、結婚し様と話し合い、彼女は条件を付けてきた、それは、あずみの実家は、美容室を運営しており、あずみが、長女であり、男兄弟がおらぬので、本人
が、跡継ぎを、僕との経緯もあり、実家に連れ戻されたことも関係して、しなければならなくなり、見習いをしている最中だから、僕が養子になる事が、彼女、あずみが、出した、条件だった、僕は、僕の始まりでも、説明した様に自分の親が好きでな
い、が、心の片隅では、母親を捨てきらず、35歳のいまでも想いは一方通行で、母親からは、無視されているが、それでも、この時期は、あずみを、愛していたので、姓名が変わるのも、そして全身全霊で、愛する女の、実家の家業を継ぎ、美容師
の見習い丁稚奉公として行く、決意をし呑んだ。
あずみを、娶りたいと、僕は、彼女の実家を、訪ねたたが、彼女の、母親達は、僕に、まだ若いんだからと、はぐらかされ、ものの5分であしらわれた、僕の彼女、あずみ、の、親達の将来を厭わず、担うと言う、僕の熱意と、あずみを、心から愛した、
僕の魂を冒涜された・・・・僕が彼女から提案された全ての条件を呑み厭わず、僕の親も棄てる決意を・・・・僕が、養子云々と、口を出すのは、おこがましく思え、憚られ言えなかった・・・・50万の結婚指輪も婚姻指輪も今では部屋の飾り・・・・あずみ
が、既にその所を、親に説明していたのか?僕は忽ち、退散の憂き目に会い、道化のピエロの如く一人芝居、長い道程を虚しく、彼女の家を、後にした。 ここから僕のまた転落人生が、はじまり犯罪者へと流転して行
く。
僕は、4年に亘り僕の全てを与えた彼女を失った・・・アパートは引き払い、専制体制の、実家に戻り、プー太郎になった、自棄になり自殺を近くのやまで謀ったが死にきれず、毎日、世捨て人の様に、ボーット過ごした、家に閉じ篭り、寝転がり
、天上ばかり見ていた、彼女、あずみを、愛してるのに、どうしようもない(1996)年24歳・・・・そんな或る日、久しぶりに、岩永英樹から音信があり、焼肉をしないか?と誘われた、僕は金がない旨を伝えたら、大丈夫だからこい!と言われ、歓待さ
れるものと、思い、岩永の招聘に、快諾した。 彼は僕を家の近くまで、例の車で迎えに来て、車は郊外の、場末の某スーパーに到着した、そこで僕は焼肉用の買い物をするものと着いて行った、石崎は、精肉コーナーから肉の束を数個、鷲掴みに
すると、着用していた、ジャンバーの中に隠し入れた、僕は唖然とし、なんしよっとや!やめろ!と彼に盗みをやめるよう説得を試みたところ、彼から、そいじゃ焼肉せんとな!そいじゃな!と言われ、僕は閉口し、困惑した、僕は免許もなく、彼の車で
来ている、こんな郊外山中の某スーパーに置いてけぼりにされたら、帰るにも、交通費もないし、帰るにも帰れない、僕は素早く現状を計算した、解決策は、石崎と同じ事をすれば、置き去りにされず、収拾出来ると・・・考え、模倣した。中学生、以来
の盗みである、僕は中学卒業後、泥棒なんか、情けない、恥かしい行為であるとして、蔑んでいたし、中学の頃に、強制されて万引きをさせられた、忌わしい行為であるし、人の、心に悖る行いと自負して、モットーにも、矜持にも瑕疵を入れるものと
して是までは、行なっていなかった、が、この頃の僕は、人生で最も愛した女を、失い、昔の20歳になってあずみに、出逢う前の、状況に舞い戻り、未来の展望もなく、金もなく、頭も悪く、何もかもどうでも良く、狂い、荒廃、茫漠し自棄になっており、
之に郊外の場末某スーパーに置き去りにされると言う、環境が重なり僕をこの中学以来の万引きに駆り立てた。・・・・この日を境に、僕は、充たされた鬱屈のダムが堰をきり崩壊し、窃盗で、盗みをする事で、フラストレーションを癒し、繰り返すように
なった。 金なし、仕事なし、女なし、低脳、短小、包茎、三段腹の僕には、絶望しかなかった・・・・死をもとめた、いいかげん、子供の頃から、の僕に対する、仕打ち、せっかく掴んだ幸福の4年も、彼女の親達に、破壊された、僕はこの道に、辿り着く
ように、エントリーされていたんだ、環境に、・・・でも負けないように24年間、ふんばってきた、犯罪者にならない様に・・・・でも彼女を、失くした僕は、もう既に時遅しだった、連日、今までの蓄積された、過去の憤懣と、絶望を埋めるように、万引きを
繰り返し、この間約4ヶ月、心を癒そうとした、が埋まらない・・・・虚しい、呵責に苛まされる、ここは餓鬼道か?・・・・そうして逮捕、僕は捕まり拘置所で3ヶ月拘留され、懲役1年6ヶ月執行猶・年言い渡され釈放された、僕は、このままではいけない
と、強く思い釈放後、すぐに就職探しを見つけ、働きだした、1996年24歳、ホテルセンチュリオンで、宴会やレセプション、歓送迎会、冠婚葬祭の配膳、設営係である、働き始めて1か月経つか経たないかの内に彼女、あずみから電話があった、今
天理市で修行をしてるとの事、逢いたい着てくれと頼まれた、僕は、再び彼女に逢えるよろこびから、休暇をもらい、即効で翌日のJRチケットを予約し単身京都きんぺんのん天理市に向かった、大阪、京都電車で走る車窓からは、西本願寺が見えて
いた、あぁこれが織田信長が滅ぼした本願寺かと感慨に耽った、ぼくは迷子になりつつ、天理教総本山を目指した、辿り着くと、広大な敷地に瀟洒な聖堂が巨大に聳えたちあっとうされた、ぼくは、あずみと打ち合わせの場所で、ランデブーして、
敷地内に入り、彼女が寝泊りする、寮?に招待された、寮に入るや否や、僕達は、熱いキッスをかわし、布団に潜り込み、いまから抱き合おうとしていたら、あずみに、動向して来ていた、70半ばのおばぁちゃんが、登場し、僕達2人はば
つがわるそうに顔を赤らめ、苦しいいいのがれをし、居住まいを正した、このおばぁちゃんは、6ヶ月まえに、彼女のじっかに、プロポーズをしにお伺いした折、彼女の母親からあしらわれた僕を、哀れに思って、諭してくれた、物分りの良い人物であ
る、・・・結局、何事もなく、あずみと、彼女のおばぁちゃんと、世間話をして、またもや、僕は、京都くんだりから撤退した・・・・ 僕は仕事に戻った、1ヶ月もすると社内辞令がきて、営業企画部に栄転はいぞくされ、毎日修学旅行の宿泊プランや、
ちょつとした、パーテーィ送迎会等の案内、募集の為、外回りをしたり、イベント、催し物の、草稿を提案したりした。 時は盛夏の8月を向かえ今度は、ビアホールの店長として辞令がおりた、8月から10月までの3ヶ月、大学生の求人募集をかけ、
10数名が揃って、僕は、彼らの勤務体系ローテンションの管理と、精算レジの毎日の売り上げ及び、累計、毎月の売り掛け、山積累計の帳簿付けを担当した、10月も終わり、僕は今度は、何と、島原にあるアジサイホテルと言う支店に、密偵として
送られた、そこの従業員は、とても朗らかで、良い人々であった、其処で、1ヶ月の研修という名目でフロントについて、チェツクイン、チェツクアウト、予約受付、清算、コンシェルジュを学びながら、この支店の、会計不正を、暴く密偵を本部長に依頼さ
れた・・・が僕は、報告書には、あしざまな事は報告していなかったが、目付け役で、僕に付いて来た44歳のマネージャーが、情報をリーク操作し、支店を、訝しがっている、エグゼクティブの好感を得ようと、偽善の情報を流して、支店の、温和な従
業員、5人は解雇され、僕は、心がいたたまれなくなり、落ち込んだ。 而して僕は、また11月には、営業企画部に、復帰した、が此処でも、もた問題が浮上した、この企業のオーナーは、親族関連で、運営され外部の改革案を、受け付けない、保守
派だ、そこで、社長の下の、専務が策謀を練り、社長を籠絡して、自社株を、40%と習得しようと、あの手この手で、株主総会を開き、買収して、社長を罷免し、本人は会長に就任し、改革を推し進め、僕が、配膳係であった頃に、世話になつた、
パートのおばちゃん、おじちゃん達は、人員削減の名目で、解雇されて行き、営業企画部では、世話になった、部長や、係長、が左遷され、自主退職に追い込まれ、後釜には、会社を乗っ取った、会長の息のかかった、親族を雇用した。 僕はこんな
骨肉の争いに利用されほとほと嫌気がさしていた・・・・そんな時期、半年振りに彼女、あずみから、今、福岡で美容師の訓練をして、一人暮らしを、しているので、遊びに来ないか、と電話があった、僕は嬉しさのあまり、荷物をまとめて、彼女の東区
名島にあるアパートに転がり込んだ、が僕の私的な、過去と、精神破綻、現状と、前科者という、感情が彼女に、辛く当たってしまい。すぐに僕は、長崎にもどり、ホテルの仕事を続けていた、程なくあずみから、電話連絡が入り、彼女の話を
訊くと、今、長崎に遊びに来て、お酒を飲んでいる、迎えに来てくれなければ、どうなるか解らん、と泥酔したロレツの回らない口調で、訴えてきたので、僕は心配になり、今直ぐにタクシーを捕まえ、何処そこの、所定の位置を伝え、其処に来る様に
促した、現場で待つこと20分、彼女は、よいどれて、しかたなく、僕の実家の部屋に泊めることにした、暫くすると彼女は、僕の唇に絡んできて、襖を隔てた隣では母親が、いるので変な事は出来ない、しかし彼女は、自ら服を、一枚一枚、剥ぎ取り、
僕を挑発してきた、僕は、約1年ぶりなので、負けてしまい抱いた。 彼女はアクメの時に或る癖をするそして彼女は昇天した。
あくる朝、僕は、会社に休暇をとり、彼女を福岡に送り帰す為、長崎駅へ送った、この時、僕は深く呻吟していた、心の中でこのまま、実らない、親に反対された恋路をと・・・それに彼女は僕が、犯罪者となり堕ちて逮捕された
ことを知らない、・・・知らなくていいのだ、こんなフラフラとしている男に、加え犯罪者と化した、僕と一緒にいてもろくなことがない、僕は、もう二度と逢いにくるな、
と一言伝えた、大好きだったのに、愛していたのに、・・・・あずみは、恨めしそうに、僕を睨んで、駅のホームに消えていった・・・・・
僕はそのままの足で、実家に戻り、溜め込んでいた、睡眠薬400錠をのんで、自殺を敢行して、10日間眠り続け、仕事も辞めた・・・ ここから窃盗で、憂さ晴らしも兼ね、役10数年の刑務所人生の幕開けとなっ
た。
人生のなんと 儚い うたかたなものよ・・・
今現在も時だけが刻まれ流れ 俺の時計の針は25歳から1秒も 動かない刻は止まったままに2010年7月・・・
想えども たまゆらの恋 とける雪by長崎よっちゃん。
次章6章からは 犯罪者刑務所服役と更なる試練が 俺の未来にセッティング
されてた・・・・ ☆ 後の過去から現在までの記録はココを押して下さいね!携帯小説に飛びます!