第二次日韓協約 無効論

Weblio|辞書<国語辞典・国語辞書・百科事典>

初めての方へ

参加元一覧


用語解説|文献|全文検索

ウィキペディア

ウィキペディアウィキペディア

第二次日韓協約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/07/16 08:06 UTC 版)

無効論

本協約は、1965年に結ばれた日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約第二条により、他の条約とともに「もはや無効」であることが確認された。この解釈においても日本と韓国では割れている。日本では1965年の条約締結以降に無効になったと考えている。一方、韓国政府は日韓併合条約が当初から無効であった(締結時から効力を発していない)という立場を取っている。

協約締結時の高宗皇帝

李完用らが上疏した「五大臣上疏文」では、締結交渉自体を拒否しようとした強硬派大臣たちに対し、高宗自らこれを戒め「交渉妥協」を導いた様子が報告されている。また、高宗は少しでも大韓帝国に有利になるように協約文の修正を行うこととし、李らの修正提案を積極的に評価している。日本側も大韓帝国側からなされた4カ所の修正要求を全て受け入れ協約の修正を行った。[2]

協約締結後の高宗皇帝

イギリスに伝達した, 乙巳條約が無効なのを知らせる高宗の親書

協約の締結時に「交渉妥協」を主張した高宗であったが、締結後に無効論に転じた。乙巳條約が無効なのを知らせるイギリス宛親書以後、高宗は乙巳条約締結の不当さを国際社会に知らせようと努力したが、当時国際情勢の論理によって皇帝の密書などは効果を得ることができなかった。高宗の乙巳締約無効宣言では 1906年1月29日に作成された国書、1906年6月22日にハルバート特別委員に渡した親書、1906年6月22日にフランス大統領に送った親書、1907年4月20日ヘイグ特使 李相卨に与えた皇帝の委任状などがある。

国際法上の評価

当時の国際法においては、国家への武力による条約の強制があっても有効であるが、国家代表者に対する脅迫があった条約は無効原因となるとされている。

今日における無効論の大多数は、以下の2点を主張し、その根拠としている[3]

  • 本協約は脅迫に基づいて強制的に調印させた条約である。
  • 本協約朝鮮には皇帝の承認(署名・調印)がない。

韓国の学者やフランス国際法学者レイは「第二次日韓協約締結時に国家代表たる高宗に強迫が使われた」ことと「日本の韓国に対する保証義務」をあげて ‘1905年条約が無効’と主張している[4]。一方、海野福寿(明治大教授)は協約調印の当日に韓国駐箚軍が王宮前広場で演習などを行ったりはしていたが、この日は李完用学部大臣の邸宅が焼き討ちされる等の状況にあり、過剰警備であったとしても、それが国家代表者への脅迫とはいえず、また、無効論者が強制の根拠としている『韓末外交秘話』は、その著者自身が噂をまとめたものと記しているように資料的価値がないとし、更に、条約に署名・調印する者は、国際法では皇帝でなくとも特命全権大使や外務大臣でもよいため、韓国側の外部大臣と日本側の駐韓公使が署名調印した同条約は国際法的に問題はないとしている。また、海野は1966年の国連国際法委員会で採択された条約法『国の代表者に対して強制があった条約は無効とする法』に同条約への言及がないことを指摘し、国家への強制性は認められるが、国際法的に無効原因となる国家代表者個人に対する脅迫の事実を史料的に確認することはできないとしている[3][5]。また、上述(#協約締結時の高宗皇帝)のように原田環(県立広島女子大教授)からは、『五大臣上疏文』などの史料調査から皇帝の高宗は「日本の協約案を修正して調印する方向に韓国の大臣達を動かしていた」とし、脅迫をされたという皇帝自ら協約締結のリーダーシップをとっていたとの指摘がなされている[2]

2001年、この問題を検討するために韓国側の強い働きかけにより開催された国際学術会議、「韓国併合再検討国際会議」では、ダービー大学のキャティ教授が帝国主義全盛の当時において「国際法が存在していたかどうかさえ疑わしい」とし、ケンブリッジ大学のクロフォード教授(国際法)は「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(1914年-1918年)以降のもので当時としては問題になるものではない」、「国際法は文明国間にのみ適用され、非文明国には適用されない」とし、英米などの列強の承認があった以上、当時の国際法慣行からするならば、無効ということはできないとしている[6][7]


  1. ^ 日韓基本条約 第2条 千九百十年八月二十二日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。
  2. ^ a b 原田環「第二次日韓協約調印と大韓帝国皇帝高宗」青丘学術論集24, 2004年4月
  3. ^ a b 海野福寿『韓国併合』(岩波新書)
  4. ^ Francis Ray, "La Situation Internationale de la Coree", Revue General de Droit International Public, Tome XIII, 1906, pp.40-58.
  5. ^ 『伊藤博文と韓国併合』(青木書店)
  6. ^ 木村 幹, 日本植民地研究第14号, 2002年, pp.37
  7. ^ 2001年11月27日 産経新聞


「第二次日韓協約」の続きの解説一覧




同じ種類の言葉




このページへのリンク
「第二次日韓協約」に関連した用語
第二次日韓協約のお隣キーワード
Weblioモバイル
QRコード
URL:【http://m.weblio.jp/
ケータイでバーコードを読み取るか、URLを直接入力してアクセスして下さい。
» モバイルで「第二次日韓協約」を見る

_ _   


このページの著作権について
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第二次日韓協約 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したのにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2010 Weblio RSS