貧乏半島伊豆半島
手作り立体地図プチ伊豆半島 価格:(税込) 発売日: |
静岡県の、市町別一人当たり市町民所得というヤツなんだが、コレは個人の所得ではなく、「企業の所得などを含む市町民経済全体の水準を表す指標」ということで、まぁ、個人所得でいえば、この半分くらいなのかね? あるいは、この数字が「世帯あたりの所得」に近いかも知れない。ただ、だいたいの傾向を掴むには便利な数字で、この表から判る事といえば、
伊豆半島全ての市町は県民所得以下という素晴らしい事実ですねw おいら、以前にも「伊豆半島は南に行くほど貧乏になる」と書いた覚えがあるんだが、数字がそれを裏付けてます。
リンク先のpdfの16ページ目には、もっと分かりやすく地図が掲載されているんだが、伊豆市、伊東市伊南はすべて、平均値の80パーセント未満です。静岡県で80パーセント未満というのは、伊豆半島以外では川根町しかありません。一方で、110パーセント以上という金持ち市町は、裾野、御殿場、小山の一塊と、あとは西部にいくつか。コレで何が判るかというと、大きな工場のある市町は豊かで、交通の便が悪くて工場が少ない伊豆半島は貧乏、という身も蓋もない結論になるんだが、関東自動車はさすがに凄いねw
ところで、静岡県というのは、むかしの「遠江」「駿河」「伊豆」の三つの「国」が集まって出来ているわけだ。なので、異様に横に長くて、しかも人口は西と中部に偏っている。もともと東部は存在感が薄いんだが、その中でも特に伊豆半島は忘れ去られている。理由としては、「平地が少なく、開発の余地がない」「道路が悪くて実際の距離以上に移動時間がかかる」というようなところが上げられるが、伊豆半島を車で旅した人だったら誰でも知っているように、西海岸も東海岸も、恐ろしく道が狭くてクネクネしてます。何十年たっても道幅は広がらないし、新しい道も出来ない。海のすぐそばまで山が迫っているので、道幅が広げられないし、家を建てる余地もない。資本家諸氏にしたって、こんな土地に投資してもコストパフォーマンスが悪いので、どうにもなりませんね。
それでも、やっと伊豆縦貫道に手がついて多少は改善されるんだが、それだって知れたもんで、もともと人口が少ない地域で、政治的にも強い政治家がいないので、何をやるにも後まわし、特に、伊豆半島南部はどうにも貧乏が止まらないわけだ。
もっとも、貧乏がいけないかというと、必ずしもそうでもない。南伊豆とか旅していると、自然と一体になった豊かな暮らしがあり、見渡せばコンビニもスーパーマーケットもロクにないので、カネ持ってても使うところがないですw 仕方ないので、住んでる人は、自分ち庭でささやかな農園を作り、地元で採れた魚をわけ合って暮らしていたりするんだが、だったら、裾野あたりで工場に勤めてサラリーで生活するより、ずっと「生活」の「質」は良いかも知れない。
裾野というのも、むかしは物凄く貧乏な土地だったわけです。富士山麓の火山灰土なので、水はけが良すぎて、米作が出来ない。特産物が「芝」というありさまで、実は、おいらの母方の先祖の地なんだが、コメが採れないので主食が蕎麦だった、という貧しい土地だ。真田幸村の落ち武者部落だという伝説があって、部落のほとんどが「真田」姓です。まぁ、江戸時代までは、温暖で魚も農作物もよく採れる南伊豆の方がずっと天国だったんだろうね。父方の婆さんは七尾たくわんの伊豆山出身なんだが、こちらもコメが採れない土地で、まぁ、むかしはそんな土地でも必死にしがみついて人間生きて来たわけだが、近代化が進むと、町へ、町へと脱出します。町には工場があり、仕事がある。給料貰える。田舎では、食う事ができてもカネは手に入らない。
やがて、そんな田舎にも安い労働力を求めて工場が作られるようになり、日本中が同じように「近代化」されて行くんだが、21世紀にもなると、今度は工場がもっと安い労働力を求めて海外に移転し、さて、そうなると日本中が不景気に襲われてゼイゼイ喘いでいるわけだが、伊豆半島南部なんてぇのは、もともと開発にも取り残されて貧乏なままだったので、いまさら不景気になろうが関係ないですw 生まれついての貧乏なので、貧乏には強い。イザとなりゃ、庭のネギ食って、目の前の海でハマゴイワシでも漁って生きてます。逆に言えば、「カネなんかなくても生きて行ける」ので、いつまで待ってもカネを稼ぐようにはならないわけですね。
>温暖で魚も農作物もよく採れる南伊豆の方がずっと天国だったんだろう
ネット回線が引かれていれば、屋根に太陽光パネルを取り付けて、裏山で葉っぱとマジックマッシュを栽培し、こういう所で生活したい。
まあ、あと5年~7年後には「近代化」の殆がひっくり返るから。でもその前に資本主義最後の爆アゲがありますね。
投稿 FT | 2010/07/30 01:36
何というかこれ以上落ちるとこはないってとこにいる人や国って逞しくて強いですよねw
自給自足できてるってのがいいですね。
後は上がるしかないし、上がらなくても現状維持なんだし、最強ですねwww
まさに、ポジティブライフですね(^_^)v
投稿 デラシネ | 2010/07/30 01:38
下田とかバイクのツーリングで何度行ったか数えきれないなぁ。食堂の刺身定食食べて帰るだけの目的で。
いっそ別荘持ったら…とか考えたけど東海地震が起きるとかさんざん脅されてたから勇気無かったです。
投稿 thaida | 2010/07/30 01:47
あんなでっかい島がマグマに乗って日本列島にぶつかったわけで、そりゃ地震の巣になるわな。
海岸道路一本をこさえるのがやっとで、道路の向こうはすぐ切り立った山になる地形ばかり。そこにへばりつくように家々が建ち雲が流れていく。住んでる人はともかく絶景ですよ、あれは。
知り合いがダイビングで身を立てるために下田に籍を移しましたが、最初は土地の漁師とケンカが絶えなかったといいます。ダイビングハウスを建てるのは地元の人優先ということで、「地元」になりきろうと頑張って少々トラブルに見舞われたようです。
最初は東京からダイバー希望者を呼んで民宿のような施設で賑わっていたようですが、ブームとなると大手が乗り出してきてあっという間に客を持って行かれてしまったそうです。趣味即仕事なら楽しいでしょうが、なかなかそうはいかないですね。
投稿 阿井卯栄男 | 2010/07/30 02:18
日本最高の土地であることは間違いない。
山海の珍味と景色、日本のナポリだね。
弁財天に願掛けしてるんで、もうすぐ移住するから待っててね。
誰も待ってねーか。
投稿 オタッキー | 2010/07/30 05:36
伊豆半島南部では年寄りはのびのび暮らしてますが、
仕事が無いから若い人は非常に少ないです。
もともと子供も少ない上に高校出るとみんな外に出て行きます。
見かける若い人は移り住んだサーファーか公務員になれたやつくらいかも
FTさん、いつもコメント楽しみにしてます。
葉っぱといえば、庭でモロヘイヤとバジルとエゴマなんぞを作ってますよ。
移住者の中には裏山でやばい葉っぱを作って捕まってる人もときどき居るようです・・・
投稿 海坊主@じっと手を見る日々 | 2010/07/30 05:54
私も、定住先をここに決める前は、伊豆半島にしようと思って、東伊豆、南伊豆、西伊豆と歩き回りました。良い場所はたくさんあるけれど、これはと言う家がなくて、結局今の場所にしました。幾ら場所が良くても、自分にあった物件がないと住めないので。
伊豆の不動産屋のサイトを見ていると、良さそうな物件がたくさん出ていて、見るだけで結構楽しめます。南伊豆妻良子浦を見下ろす一軒家とか、東伊豆メルフェンチックな一軒家とか、大瀬崎の崖っぷちで富士が目の前にという一軒家とか、別荘地の高級別荘とか・・・・
家庭菜園で自給自足というのは、相当に根性があるか、それとも経験があるかしないと、結構しんどいようですね。海産物は比較的簡単に取れるようですが、都会風の釣りをするとえさ代の方が高いかも。
都会の年金を持って引っ越せば、そしてその地方の生活に合わせて暮らせれば、結構のんびりと楽して暮らせるかも知れませんね。
投稿 たかが町議 | 2010/07/30 08:52
ジジイ・ババアがなかなか死なないので困っています。
数日前の葬式で、ジイ様は96歳でした。
若者観光客が大幅に減っているそうで。
閉鎖するペンションも多いとか。
そうそう、下田まで通じる伊豆縦貫道ってどうなってしまったんでしょうね。
木部が元気なとき、持ってきた話だったが。
建設省沼津土木事務所が事務局になって推進運動をしていたが。
年間最高で約2億円の啓蒙費が出ていたが。
オイラもその組織のメンバーだった。たしか「伊豆21会議」とかいっていた。下請けは電通で。
だけど電通が余り高いことを言うものだから、
後半は、SBS放送に変えて数千万円浮かしたようだったが。
投稿 陳湖臭 | 2010/07/30 09:31
伊豆縦貫道は、とりあえず沼津インターから箱根の塚原インターまで開通してます。これから函南まで延びる。そこから伊豆中央道、修善寺道路に接続します。そこら辺まで、とりあえず見えてます。
投稿 野次馬 | 2010/07/30 10:50
>南伊豆妻良子浦
ここは良いっすねw
ただスーパーに行くのに車で片道15~20分ぐらい掛かりますね。
コーナーが楽しいんですけどねw
一番のネックは病院が無いw
救急車が来ないwって所ですね。
悪あがきしないで、昔ながらの自宅でお亡くなりになるなら良い所です。
投稿 海DQN | 2010/07/30 11:05
祖父が生きていたころ(自分は小学生だった)、南伊豆の祖父の家では、豚2匹、牛一頭、鶏十数羽を飼い、米と野菜は全部自家製で、おかずは海でそのつど調達という暮らしが実際に行われていた。夏は、大人たちはほとんど裸で過ごしていて、東京から行った私はびっくりしたが、それでかまわなかった。田んぼの真ん中に無料の共同浴場があって、誰でも温泉を楽しむことができた。
野生の猿をみつけると、叔父が「あれは美味いんだ」と言って追いかけて行った。山からはタケノコやミカン、冬にはイノシシがとれて、東京で暮らすうちにも、ひのきの葉にくるんで送ってくれた。
投稿 GARDENER | 2010/07/30 21:03
確かに自給自足は根性要ります。
うちの田舎にも20年くらい前のバブリーな時代に元大学の先生が生徒を引き連れて自給自足の集落を作っていた時期がありました。
机上の空論だけで生きていた人たちなので、それはそれは悲惨な生活で今は跡形もありません。彼らの子どもたちはマトモに学校にも行っていないような状況だったようです。
私も一応百姓のはしくれですが、確かにそれなりの技術を持っていて、完全無農薬とかにこだわらなければ食料には不自由しません。
しかし、大きな落とし穴があります。日本国籍を持っているだけで貧乏していようが国民健康保険税とか各種税金や公共料金の納付が待ち受けています。なので現金収入は必須です。もし日本国籍を剥奪していただけるのなら、皆さんの思い描いているような自給自足の生活ができるような気がします。
現実として年金生活者(雀の涙の国民年金は除く)でないと自給自足は難しいと思います。なので農業はジジババだけになっていきます。国の方針なので仕方がありません。
投稿 とめ | 2010/07/30 21:22