【連載企画】歩き始めるまち―川南町ルポ(下)

(2010年7月27日付)

■「元通りまであと一息」 絶望乗り越え夢描く
 県家畜改良事業団(高鍋町)から北東に約1キロ進んだ川南町平田の通山地区。「まるみ豚」のネーミングで1年ほど前から販売に力を入れる町内屈指の大規模養豚場「協同ファーム」を訪ねた。入り口までの細い道には自前の消毒槽も設置されている。ゆっくりと車のタイヤを浸した。大量の石灰がまかれた事務所前は、大理石のように白く照り返しがまぶしい。

 農場役員の日高義暢さん(30)は「従業員も雇用し続けている。やりたいことがたくさんある」と話す。清掃・消毒と併せ、最近は豚舎の修繕や改装にも取り組んでいることを教えてくれた。

 農場で発症した5月中旬は爆発的な感染拡大の時期。約2週間殺処分を待つ間、子豚が生まれ、感染が広がった。水疱(すいほう)が破れ血だらけの豚をかごに乗せ運んだ。処分の日、JA尾鈴の養豚青年部の仲間数人が手伝いに来てくれたことに救われた。

 すでに経営再開に向け夢を描く。「日本一クリーンな産地を目指したい。目を向けてくれている全国の人に応えなければ。再生ではなく『新生』へ。これからが戦いです」。そう話す日高さんの目には、2カ月前の絶望は映っていなかった。

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 5月下旬から1カ月間、殺処分に従事した同町川南の小嶋聖獣医師(39)の診療所を訪ねた。

 6月下旬の電話取材の際、殺処分の薬剤注射の打ち過ぎでけんしょう炎と聞いていた右手は疲労骨折していた。眠りも浅いと聞き、精神的、肉体的な殺処分の後遺症を感じさせた。柔和な口調は電話取材の時と変わらないが、農家への往診がない毎日が続き「リズムがとれないんです」と打ち明けてくれた。

 これからの「畜産の町」の行方についても自問しているようで「同じ過ちを繰り返さないよう、新しい畜産を始める唯一無二のチャンスととらえなければ」と静かに語った。

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 午後9時すぎ。再び商店街に戻り、トロントロンドーム入り口近くの飲食店「ほてい」ののれんをくぐると、座敷では6人ほどのグループが輪をつくっている。

 カウンター奥の黒板には「『川南豚のロースかつ』復活の日までお待ちください」と書かれている。町産豚肉を使った人気メニューも中止を余儀なくされていた。「早く出せる日がくるといいがね」。店主の河野仁延さん(48)がしみじみと話す。週末のこの日は、150ある座席も6〜7割埋まった。「元に戻るまであと一息。畜産農家も早く集まれる日が来るといいがね。元気な人たちが多い町やから、きっと大丈夫やが」

 見えないウイルスに依然残る不安。少しずつ戻り始める日常。さまざまな思いの中で、まちは復興へ歩き始めている。

【写真】きれいに消毒された子豚用の豚舎。また豚の鳴き声が響き渡る日を農家も町民も待ちわびている=24日、川南町平田(養豚農家の日高義暢さん撮影)