【解説】対策後手重い教訓 初動、役割分担に課題

(2010年7月27日付)

 畜産だけでなく、経済、県民生活に甚大な被害をもたらした口蹄疫。防疫面では初動態勢や国と県の役割分担、大規模化、密集化が進んでいた畜産経営の在り方など、多くの課題を残した。

 2000年に国内92年ぶりの口蹄疫、07年には鳥インフルエンザに見舞われ、いずれも早期の沈静化に成功した本県は、家畜防疫の分野でトップランナーだったはずだ。にもかかわらず、今回は甚大な被害を出した。飼育や防疫の現場における検証が必要だ。

■防疫見直しの機会

 農林水産省の疫学調査チームが明らかにした中で注目したいのは(1)ウイルスの侵入時期が3月中旬だった(2)1例目が確認された4月20日の時点で少なくとも10農場で感染していた―の2点。しかし、これは初期段階で十分に推測されたことだ。県、国が初動防疫を見直すべきターニングポイントは発生からの10日間で少なくとも2回あった。

 1回目は3月31日に検体を採取した都農町の農場で感染疑いを確認した4月23日だ。周辺へのウイルス拡散が推察できたにもかかわらず、防疫手法は「発生したら迅速に処分」だけだった。

 鹿児島大学農学部の岡本嘉六教授(獣医公衆衛生学)は「周辺農場が汚染されていないか、発生動向調査をするべきだった」と指摘する。当時の防疫対策会議でも県幹部が「もぐらたたきの状態」と発言したように、既に防疫が後手に回っていた感は否めない。

 2回目は県畜産試験場川南支場の豚に感染疑いが判明した4月28日(所見により前日から殺処分着手)だ。豚は牛よりも発症に大量のウイルスが必要で、しかも同支場は衛生管理の点で一般農家よりもはるかに厳重だったはずだ。豚の感染は地域のウイルス濃度が相当に高まったことを意味しており、爆発的な感染の予兆ととらえるべきだったのではないか。

 多発地域の一部農家は「発生農場周辺で予防的に殺処分を」と声を上げた。5月10日に来県した赤松広隆農相(当時)は「健康な家畜を処分しても補償できない」と難色。その9日後には政府がワクチン接種方針を決めるなど、主導するべき国の迷走も甚だしかった。

 農家側の声で多かったのは、一般車両を対象とした消毒だ。県が国道10号に消毒マットを設置したのは5月16日、消毒槽の設置は同21日から。ウイルス拡散防止に効果があったかは不明だが、篠原孝農水副大臣は昨年の新型インフルエンザを例に挙げ、「感染症対策は空振りに終わるくらいでちょうどいい」と話す。できる限りの手は打つべきだっただろう。

■埋却、補償の議論必要

 1951(昭和26)年に制定され、東国原知事が「実態に即していない」と酷評した家畜伝染病予防法(家伝法)。今回の対策のために制定した口蹄疫対策特別措置法は2012年3月までの時限立法で、政府は期限切れまでに家伝法を見直す構えだ。

 改正には今回の悲惨な教訓を生かさねばならない。飼育規模が格段に大型化した現状において、いまだに発生農場に責任を負わせている埋却地の確保もその一つだろう。また感染が拡大した際の対策も想定しなければならない。

 例えば、韓国では発生農場から一定範囲内で予防的殺処分を行うなど、対策は日本より強力だ。手厚い補償とセットにすることを前提に議論を始めるべきだろう。

 発生当初、農家の不満が聞かれた処分家畜への補償も見直しが必要だ。家伝法では疑似患畜は評価額の5分の4しか補償されない。強制的に処分される以上、満額を望む声は多い。

 一方で無条件での満額補償は、衛生管理に対する農家の意識低下などモラルハザードを招く恐れもある。感染まん延時など農家に防疫責任を負わせるのが酷な場合に限るなど、条件設定が望ましい。

 隣国の中国、韓国をはじめアジア諸国では口蹄疫感染が頻発している。一方で人と物の流れはボーダーレス化が加速し、従来の検疫態勢では大いに不安が残る。入国時に畜産農場の訪問歴を尋ねる豪州のように、水際対策の厳重化も検討されるべきだ。(口蹄疫取材班・野辺忠幸)

【写真】川南町の農場で殺処分した家畜などを埋却するため、重機で穴を掘り、資材を運ぶ作業員たち。今回の口蹄疫問題は、事前の備えや防疫の在り方など多くの課題を残した