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(2010年7月28日付)
この春・夏、宮崎は口蹄疫の問題で大きく揺れました。大人はもちろん、子どもたちも行事の中止・延期や募金活動など、いつもと違う毎日が続きました。ニュースも慌ただしく流れましたね。夏休みに入りました。子どもたちに宮崎で起きた出来事を振り返ってもらおうと、農家、獣医師ら“現場”の方々からお話を聞きました。言葉の難しい部分は大人に聞いたりして、家族で考えてみませんか。
【テーマ】家畜が感染した農家ではどんな毎日だったのですか
■なすすべもなく家に(繁殖牛農家 土器三紀夫さん/えびの市)
繁殖牛農家は、出産してから生後約10カ月まで牛を育て、競り市に出荷する仕事をしています。私たち家族にとって、家畜は生活の基盤。肉となり、食べられていくのですが、自分の手元を離れるまでは、最期まで精いっぱいの愛情を注いでいます。
私の畜舎には、親牛と子牛が46頭いました。毎日決まった時間にご飯を食べさせ、夏場は体を水で洗い、寒くなってくると温かい部屋を作ってあげます。下痢とか高熱とか、体調不良がないかどうかを観察するのも毎日の仕事。
特に子牛は体力がなく、ちょっとした病気で弱って死ぬこともあるから、365日、面倒をみます。人間の子育てと同じで、すくすく大きくなってほしい気持ちは変わらない。だから、競り市で牛が高く評価されると、わが子が褒められたように、うれしくなるんです。
5月、そんな牛たちの1頭に、口蹄疫の症状が表れ、背中が凍るようなショックを受けました。検査で口蹄疫だと分かり、間もなく、家の周りの牛や豚たちに感染を広げないように、すべての牛を殺すことになりました。殺処分の時は、妻と2人で部屋の中にこもりました。すると、畜舎の方から鳴き声やうめき声が聞こえてくるんですよ。ただただぼんやりして、妻との会話はなかったなあ。一日が、とても長かったです。
次の日、朝早く目が覚めました。いつもなら食事を与える時間だけど牛はいない。家畜保健所から「外出を控えて」と言われ、消毒を徹底するほかにすることがなかったな。24時間、家の中。落ち着かずコーヒーを何杯も飲んで。「牛飼いとしての33年間が一日でゼロになった」「青春を懸けてきたことが無になった」と悔しさが込み上げてきた。愛情たっぷりに育ててきたのに、殺されてしまったんだ。食べられるという、本来の目的を果たせずに。
そんな生活が市内の安全が確認されるまでの約20日間、続きましたね。やっと自由に動けるようになり、供養をしようと久しぶりに畜舎に行きました。空っぽの畜舎はいつもより広く見えました。一頭一頭の牛がどこにいたかがはっきりと浮かび、言いようのない気持ちが残りました。
この先、牛飼いをやるかどうかは分からない。今は、この経験を無駄にしてはいけないと思っています。
年に1回、大人も子どももみんなで口蹄疫を考える日ができないかな。一人一人が問題と向き合う大切さ、風評被害の怖さなどを伝えていけば、また発生した時に冷静に対応できるはずです。すべての人がこの出来事を忘れないために。
【写真】すべての牛が殺処分され、空っぽの畜舎に立つ土器さん。つらい時期を支えてくれたのは、県内外にいる4人の子供たちだったという
どき・みきお 1957(昭和32)年、えびの市生まれ。小林西高卒業後、就職で大阪府へ。19歳から亡き兄の後を継ぐため帰郷、繁殖牛農家になった。妻と2人暮らし。