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【連載企画】教えて!現場から子どもたちへ(2)

(2010年7月29日付)

【テーマ】家畜を殺すのはつらくなかったですか

■一頭一頭に「ごめん」 (獣医師 馬場崇さん/新富町)


 獣医師になろうと思ったのは、西都市で養豚農家をしている実家の役に立ちたかったから。今は新富町で動物病院を開いていています。口蹄疫がはやるまでは、午前中は新富や木城、高鍋町などの農場に行って牛の病気を治したり、出産を助けたりする作業を、午後は動物病院で犬や猫などの診療をしていました。

 口蹄疫が発生してからしばらくたった5月下旬から、新富町内の農場でワクチン接種を行いました。ワクチン接種は、獣医師と補助役、確認役の3人一組でします。補助役が家畜を押さえている間に獣医師が首やお尻に注射を打ち、確認役がチェックするのです。私は1週間ほどの間に約500頭に打ちました。

 ワクチンは病気を治すのでなく、口蹄疫ウイルスが広くまき散らされないようにするもの。一度打たれた家畜は必ず殺さなければなりません。私は注射を打つ際、一頭一頭に「ごめんよ」と声を掛けました。また、農家の人々の多くが家畜を押さえるのを手伝ってくれましたが、彼らが悲しい気持ちを一生懸命こらえていたことを考えると、胸が締め付けられる思いでした。

 それから数週間後、今度は農場や埋却場で殺処分が始まりました。獣医師と補助役で3、4人一組となり、麻酔注射をしてから殺すための薬を打ちます。私が殺処分に携わった家畜の数は、2週間で約3千頭に上りました。

 一番つらかったのは、妊娠している牛を処分したこと。子牛にとって、おなかの中でお母さんと一緒に天国へ行くのが幸せなのか、生まれて外の世界を見てからの方がいいのか本当に悩みました。出産を早める手段も考えましたが、結局は自然に任せようということになり、その子牛はお母さんのおなかにとどまったまま旅立ちました。

 獣医師とは本来、動物の命を救う仕事。殺処分は普段とは正反対の作業です。家畜はいずれ食卓に上るために殺されてしまう運命にありますが、それでも出荷されるまでは幸せに暮らしていた。その幸せを、命を奪ってしまったことは獣医師としてとてもつらい経験でした。ただ、今回殺された家畜たちが犠牲にならなければ、もっと多くの家畜に被害が及んでいたはず。殺処分中は「ここで食い止めなければ」という使命感が、折れそうな心を支えていました。

 口蹄疫が終息した結果、私が担当する家畜はゼロになり、今は犬や猫などペットだけを診療しています。いつかまた、牛たちを診療したいなあ。助けたいなあ。そんな日が来ることを信じ、自分がかかわる動物の命を少しでも多く救いたいと思っています。

【写真】動物病院の診療室で殺処分について説明してくれた馬場さん。「とにかく早く牛の治療がしたいね」と願いを語る

 ばば たかし 1959(昭和34)年、西都市生まれ。妻高卒業後、麻布獣医科大(現・麻布大)を経て獣医師となり、児湯農業共済組合に勤務。現在は新富町で「ばば動物病院」を経営。妻、長男と3人暮らし。