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【連載企画】検証口蹄疫・第1部(3)

(2010年7月29日付)

■農家の対応 危機認識薄く無防備

 都農町で口蹄疫の感染疑いが初めて確認された4月20日。川南町の50代の養豚農家は「(前回発生した)10年前のように、すぐに終わるだろう」と楽観し、豚舎の消毒は行わなかった。

 ここ数年、県内の養豚農家は、サーコウイルスなど口蹄疫以外の伝染病に悩まされていた。例えば、サーコウイルスは免疫力の低下を招き、肺炎や多臓器不全を引き起こして子豚のほとんどが死に、生き残った豚も発育が悪くなる。農家はワクチンを打ち、自己防衛に懸命だった。

 身近な危険への対応に追われる養豚農家にとって、口蹄疫は“遠い存在”だった。川南町で8千頭を飼育し、衛生面に注意を払ってきた60代の養豚農家も「別の伝染病には気を付けていたが、口蹄疫は考えていなかった」と吐露。「口蹄疫は牛の病気だと思っていた」と認識不足も認める。

 今回は豚に感染が及んだことが、爆発的な感染の一因に挙げられている。宮崎大農学部獣医学科(獣医微生物学)の後藤義孝教授は「口蹄疫以外の豚の伝染病で、県内には深刻な被害が出ていた。口蹄疫は国内で感染例がなく、農家が恐ろしさを想像できなかった」と指摘する。

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 本県で口蹄疫が発生した10年前、感染が3農場だけで止まったことが、農家の警戒を緩めた側面は否めない。「獣医さんが来るときに、靴底の消毒をするぐらいだった」。川南町の50代の和牛繁殖農家の牛舎には、10年前に配布された消毒薬が使われないまま残っていた。

 同町の畜産密集地で酪農を営んでいた70代男性は、町内での1例目の発生後、自身の農場へ通じる道路に消毒ポイントが設置された。しかし、消毒ポイントを避けて脇道に入った一般車両が、農場の前を通るのを何度も目にしたという。

 男性は「もし、多くの農家がはじめから口蹄疫ウイルスの怖さを知っていれば、感染が出た最初の段階から一般車両の消毒徹底を訴え、感染拡大を防げたかもしれない」と悔しがる。

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 農家は情報を得る手段も十分に整っていなかった。口蹄疫発生後、行政側の情報発信の不足もあり、インターネットや電子メールを駆使し、防疫や発生農場に関する情報を集め、仲間と共有する農家がいる一方で、ファクスやパソコンを持たない高齢農家らは取り残された。

 木城町の60代の和牛肥育農家は「どこまで口蹄疫が広がっているのか、詳しい情報が入っていれば、多くの農家がもっと早く消毒を始めたのではないか」と、情報に対する不備を痛感する。

 後藤教授は「すべての農家が危機意識を共有し、高いレベルで防疫をしないと口蹄疫は防げない。発生を想定し、日ごろから情報の収集や、防疫体制の確認をする必要がある」と訴える。