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“パンダの母”増井光子さんが落馬死 (2/2ページ)

2010.7.16 05:05
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“パンダの母”増井光子さんが落馬死
不慮の落馬事故で英国で死去した増井光子さん。パンダの人工繁殖に尽力、92〜95年には上野動物園長を務めた【フォト】

 関係者によると、増井さんは今月8日、『乗馬競技会』に出場するため英国へ出発。日本時間11日の競技中に落馬、頭を強く打つなどして意識を失い、ヘリコプターで病院に急送されたが、同13日午前6時過ぎに亡くなったという。

 増井さんが園長を務める「よこはま動物園ズーラシア」では、突然の増井さんの訃報に「素晴らしい経験をお持ちの園長だった。『動物の生活環境、心の環境を向上させる工夫を』と何度もアドバイスしていただいた。いまでもお亡くなりになったという実感がない」と信じられない様子だった。

 増井さんは乗馬が趣味で、「数十キロの長距離を数時間かけて騎乗する『エンデュランス』と呼ばれる馬術競技では相当なハイレベル」(関係者)。その名騎乗ぶりをテレビで紹介されたこともあるという。

 増井さんは、麻布獣医科大(現・麻布大)を卒業後、1959年から上野動物園に勤務し、日本の女性獣医師の草分けとして希少動物の保護や繁殖に尽力。「動物が何を考え、どのように生きているのかを人間に伝えるメッセンジャー」(横浜市動物園担当)と称された。

 1972年、オスのカンカン、メスのランランのパンダ2頭が初めて中国からやって来た上野動物園で、その13年後、国内初となるパンダの「人工繁殖」に成功。85年のチュチュ(誕生から2日後に圧死)、86年のトントン誕生にいずれも増井さんが立ち会った。

 90年から多摩動物公園長、92〜95年には上野動物園長を務めた。いずれも初の女性園長として注目を浴びたが、「家族を含め、自身のプライベートは一切明かさなかった」(関係者)という。

 96年に母校の麻布大へ“復帰”。獣医学部の客員教授や環境省の生物多様性に関する委員会の委員なども歴任した。大阪市出身。葬儀・告別式の日程は未定。



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