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【連載企画】検証口蹄疫・第1部(4)

(2010年7月30日付)

■10年前の経験防疫対策から漏れる

 「(検査態勢は)10年たって何も変わらなかった」。国内92年ぶりの発生となった前回2000年の1例目を「口蹄疫では」と通報し、早期発見に貢献した宮崎市高岡町の獣医師舛田利弘さん(66)は、今回の爆発的感染を苦い思いで見守るしかなかった。

 前回も今回も、国内で口蹄疫の最終判定を下す検査機関は動物衛生研究所海外病研究施設(動衛研・東京都)だけ。舛田さんのような地方の開業獣医師にとっては、県の家畜保健衛生所より、さらに距離を感じる存在だ。動衛研が乗り出す事案は、結果いかんで国家的危機に発展する。動衛研を巻き込むことは「ものすごく高い跳び箱を越えるようなもの」と、心理的な抵抗感を隠さない。

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 00年3月12日、舛田さんは宮崎市で牛10頭を肥育する農家から「牛が風邪をひいた」と連絡を受け、往診した。1頭に発熱と食欲不振。風邪として投薬治療を行った。最も警戒すべき家畜伝染病の口蹄疫だとは頭になかった。

 診察を連日繰り返す中で徐々に、症状の広がり方に疑問を抱くようになった。「10頭規模の飼育で風邪なら、患畜は成牛で3頭くらい。しかも隣の牛からうつる」。しかし、離れた牛に発熱、鼻腔(びくう)内のただれと、症状は不規則に広がっていた。

 症状も風邪と符合しない。「せきが出るはずなのに、なかった」。文献を調べ「口蹄疫では」と、疑念が確信へと変わっていく。一度も診たことはないが「あらゆる伝染病を疑うのが獣医師の仕事」と家畜保健衛生所への通報を決意した。渋る農家を「放置すると大変」と説き伏せ、21日に通報。動衛研の検査で3日後に疑似患畜と判明した。

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 前回発生の4例では、所見から口蹄疫を発見したのは舛田さんだけ。残り3例は、飼料や人の行き来など疫学的に関連のある農場を拾い出し、動衛研が発見した。舛田さんは的確な診断と早期発見をたたえられ、知事や農相から表彰を受けた。

 しかし、03年に策定した県の防疫マニュアルに唯一の発見者の経験は盛り込まれていない。聞き取り調査など、県から何の接触もないまま、マニュアルはほかの獣医師と同じく郵送で届いた。典型症状として、水疱(すいほう)や流涎(りゅうぜん=多量のよだれ)の記述が並ぶ。「古い教科書を参考にしたのか」。舛田さんはいぶかった。

 帝京科学大生命環境学部の村上洋介教授(動物ウイルス学)は「ウイルス量が少ない(発生)初期は明瞭(めいりょう)な症状を示さない可能性がある」と早期発見の難しさを指摘する。それだけに、舛田さんの経験や判断は貴重だったはずだが、それが生かされることはなかった。

 検査機関に通報する心理的な重圧や教科書にない初期症状―。舛田さんの懸念は早期終息という成功体験の陰に隠れたまま10年後を迎えた。