2008-09-21 12:56:41

闇の子供たち

テーマ:少女買春



約8ヶ月ぶりのブログ更新です。

3月ごろから某掲示板に私のブログに対し嫌がらせの書き込みが続いたため更新を止めていました。

今日の新聞で「タイ国内で闇の子供たちが上映禁止」という記事を見ました。

以下は新聞記事です。http://www.yami-kodomo.jp/

タイを舞台に、子どもの人身売買や渡航移植の問題点を描いた映画「闇の子供たち」(阪本順治監督)が、23日開始のバンコク国際映画祭で上映中止になったことが分かった。

映画は、闇ルートでの臓器密売に貧困家庭の子どもたちが巻き込まれていることを突き止めた日本人の新聞記者が、人身売買や買売春から子どもを救おうとするNGOの日本人女性とともにタイ国内で奔走する内容。梁石日(ヤン・ソギル)の同名小説が原作で、日本では8月2日から公開されている。東京にある阪本監督の事務所によると、「タイ国内で無許可で撮影した」ことを理由に最近、上映は不可能だと説明された。阪本監督らは24日にもバンコクで記者会見を開く予定だという。     

日本国内では8月2日から上映され評判も良く、HPで観た限りではストーリーは大変よく出来ている作品で私自身この映画に興味があり、一度観たいと思っています。                    でも映画宣伝には「これは事実である」と書いていますがこの映画はフィクションです。私は東南アジアに関わって32年。タイ在住は21年になりますがタイ国内で臓器売買の話を聞いた事も無く今まで日本国内、欧米、タイ・ローカルメディアがこの件に付いて報道した事実は全くありません。 10年以上前、ジャカルタでホームレスの子供たちが誘拐され幼女売春、臓器売買の被害に遭っている、という話を聞き取材に行きましたが全く裏は取れませんでした。 タイでは法律が改正され15歳以下の子供を性の対象にすると1回に付き20年以下の懲役刑と多額の罰金刑の両方。子供が売春をすると知って売った親、客に18未満の子供を斡旋したり人身売買ブローカーなども対象になります。そのためタイ国内の児童管理売春に付いては最近殆ど見かけなくなりました。観光地パタヤ(男の子が多い)や出会い系サイトで自分の意思で体を売っている子供たちはいます。これは日本でも中学生、高校生が援助交際をし自分のためにお金を使うのと同じで管理売春ではありません。が勿論買った方は厳しく罰せられます。 現在児童管理売春宿が多く存在するのはミャンマーとラオス。 親に売られたりブローカーに騙されて連れて来られた少数民族の子供たち(13歳~16歳)が多く、 ミャンマーのタチレク(タイ最北端の町のミヤンマー側)の売春宿では少数民族の子供たちが毎日6~10人の客を取り、もらったチップで家族を助けています。最近この地で韓国人グループ・ツアーが子供を買い国内でも問題になり韓国国営放送が何度も取材し放送をしています。                                  タイで外国メディア(TV、映画、コマーシャル、雑誌、)が取材撮影する場合、タイのフイルムボードに対し撮影許可を申請し許可を取らなければなりません。                           この映画の製作者は許可を取らず撮影したため上映禁止になった、とありますがタイではこのような内容の撮影は許可されないのが常です。映画製作者がタイに来た場合、無許可撮影で逮捕されるでしょう。


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2007-02-08 12:18:46

「二百ドルで売られた少女」

テーマ:少女買春

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タイ・カンボジア国境の町アランヤープラテートの取材協力者から連絡が入った。
「国境線から三キロ手前の民家にベトナム人・カンボジア人の十歳から十六歳の少女売春婦がいる」
早朝私とアシスタント二人で国境の町アランヤープラテートに向かった。

1979年1月7日のポル・ポト政権の崩壊により、ベトナムの後援を受けた新政権とポル・ポト派、シハヌーク派、ソン・サン派などの歴代政権を担った派閥ゲリラとの間で内戦が始まり何万人、何十万人というカンボジア人が殺された。そしてここアランヤープラテートにはカンボジアからの難民が何百万人 という数に膨れ上がっていった。
最後の難民帰還は1993年に終わり現在は陸路でアンコールワットに行く観光客、ビザ更新の外国人、カンボジア側のカジノで遊ぶタイ人が利用する町として知られている。

夜我々三人は協力者のアドバイスで旅行者のフリをしないとまずいといってホテルの前から力車に乗り隠しカメラを持って目的地に向かった。
街をはずれて二十分ぐらい行ったところ暗い闇の中にピンクや緑のネオンが見えてきた。
道筋に何件かその類の置屋らしいものがある。協力者は目をつけてあった置屋を目指して力車の運転手に指示している。中に案内されると三十畳ほどのガランとした部屋に、あどけない女の子が壁に背をつけて客待ちをしていた。
四十人ぐらいだろうか、平均年齢は十二~十四歳ぐらいのカンボジア人・ベトナム人少女達。色の白い子はベトナム人だろう。中では十数人の男性客が物色しはじめていた。ほとんどが中国人観光客で日本人客がいなかったのが救いだった。中国人は少女とセックスすると長生きできる、と言い伝えられている。そういえば中国の毛沢東主席も文革当時数十人の少女を囲っていた話は有名だ。
我々はひと通り少女を物色するフリをして客を装った。どうやら隠しカメラは見つかっていないようだが置屋の男は執拗に我々の後を追う。我々が狭い置屋の中を一周する頃、かなりいたはずの少女が先に来ていた男どもと姿を消して、そこは単なる物置小屋に変わろうとしていた。
協力者が一人の少女を指差し「この子を連れて行く」といった。置屋の男はうれしそうに「二時間だったら千バーツ、泊まるのだったら二千バーツ渡してくれ」と協力者に説明している。
帰りは四人で力車に乗りインタビュー撮りのホテルを目指した。
ホテルに着くと同時に矢継ぎ早の質問が飛んだ。女の子はカンボジア系ベトナム人。我々を警察関係と疑っておびえている。「年は?」「十一歳」「どこからきたの?」「カンボジアのシェムリアップ」「いつから売春の仕事をしているの?」「一年ぐらい前から」「何故この仕事をしているの?」「親が二百ドルの借金をして払えないから売られてきたの」「たった二百ドルか、ひどい話だね。時々親のところへ帰っているの?」「借金を返し終えるまでは、あそこから離れられない。あとどのくらいで返せるかも分からない」両親に恨みがあるふうでもでもなかった。
一身に両親の借金のかたを受けている感じだった。そういうものだと思っているようでもある。
美人ではない彼女。女ではない、ただの少女だ。ただ借金のために売られてきたのが良く分かる。
汚いホテルの一室のベットの上に、少女はハンカチを手でもみながらどう身を処していいのか困っているふうであった。二十四時近くひと通り話を聞き終えた協力者は「このことは誰にも言うんじゃないよ。客を取ったふりをして帰るんだよ」といってポケットから二千バーツを少女の両手に押し込んだ。少女は「ありがとう」と消えいるような小声で両手を合わせて礼を言い出て行った。
東南アジアの国では娘の売買が成立すると、両親は世話人から三百ドルから五百ドルの範囲で前借が出来る。その後、娘が働きに出たら、その娘は前借の二倍の額を世話人に返さなければならないシステムになっている。
だいたい二~三年ぐらい働くと借金を返し終えて自由の身になるが、その後は家に帰らず再びブローカーを通して売春の道に走るのが常だという。
十一歳。小学校五年生の売春婦。ランドセルを背負っているほうがはるかに似合う年齢だ。勉学は絶たれる。親は何故働かないんだ。同情と怒りがこみ上げてくる。
2007-01-25 10:17:20

「買春側の言い訳」

テーマ:少女買春

ベトナムの少女
私は某週刊誌の依頼でプノンペンの日本人少女買春実態取材に来た。 次の日少女売春婦が多くいるサムダッチ・ソテールゥ通りとトゥールコック通りに行くと昼間なのに日本人のおじさん、若い人が店の椅子に座ってビールを飲んでいたり中には客引きしている若い日本人がいたのには驚いた。 そして情報収集のためバックパッカーに有名なキャピタルホテルのコーヒーショップに行き安部進(仮名)52才と知り会い取材の趣旨を説明し協力を求めた。 彼は「私と今一緒に住んでいる人、アパートの外観の写真は絶対に撮らないこと」で話が決まった。 彼は栃木県(この部分茨城県から栃木県に訂正しました)小山市でかなり手広く農機具販売店を経営し年数回カンボジアのプノンペンに来る少女買春常習者。 次の日、私は取材場所である阿部氏のアパートに日越通訳を連れて行きインタビューを始めた。 ここに取材時のメモがあるので一問一答を書きます。 「あなたはいつから何故買春をするようになったのか?」「40代の時、農機具メーカーの招待旅行でタイに行った。そのとき10代後半の女性を買った、タイ人女性はきれいでスタイルも抜群、そして、日本で買うより安かったのでその後二ヶ月に一度ぐらいタイで買春していた」「少女買春したきっかけは?」「3年前の12月、成田空港の本屋でカンボジア女性との遊び方を書いた本に『プノンペンはタイよりも買春の値段安い、殆どが少女』と書いてあった。来た当初はスワイパーに毎日通いました1回5ドルだから」「その子は何才?横にいる人は誰?母親?」「おとといトゥールコック通りにある行きつけ店でオーナーから『新しい経験のない15歳の子が入ったから連れて行かないか、一週間泊り込みで1000ドル。ただし母親も一緒に連れて行くことが条件』といわれここに連れて来た。」母親が一緒に来たのは客が足抜けさせるのを防止するためだ。 「15才って犯罪じゃないの?」「犯罪?ベトナムの田舎じゃ13才ぐらいで結婚すると聞いているよ。俺は彼女を助けてんだよ、ベトナムで1000ドル稼ぐのに何年かかるかあんた知っているのか?母親も一緒にいるから問題ないんだよ」と突っかかってくる。「カンボジアは例え親の了解を取っても未成年買春は重罪ですよ、警察に捕まったらどうするの?」彼はふてくされた様子で「店が警察のトップに賄賂払っているから心配ないとオーナーが言っているよ、他の日本人も買っているんだ、お前にお説教されるいわれはないよ」これ以上のインタビューは無理だと思い私はソンの母親に通訳を通して話を聞いた「なぜ娘を売ることになったんですか?」母親は小声で「だれも自分のお腹を痛めて産んだ子を売ろうとする親はいない。でも祖父が病気になって高利貸しから借金をしてしまった。娘には申し訳ないと思うが1年間我慢してもらうしかない。私も10代のときベトナム戦争当時米兵相手に売春をしていた、家族を養っていくために。でも娘の始めての客が日本人で好かった沢山チップくれるし」。 ベトナム人少女ソン15歳は5日前母親と一緒にベトナム・ホーチミンからバイクでカンボジア・プノンペンにあるトゥールコック通りの売春街に来た。 家は中部ベトナム・プレイクの村で畑仕事を手伝って生活している。家族は祖父母、両親、兄弟5人の末っ子。 はじめソンの母親はホーチミンの売春ブローカーに会った。「プノンペンに行けばいい稼ぎになるよ、娘はまだ若いし500ドルを今払います。客からのチップが毎月200ドル以上入り奉公は1年間」もちろん母親は仕事の内容が売春と知っている。 でも、ソンの家は約1700ドルの借金をしているので500ドルでは足りない。 それで母親は直接プノンペンの売春宿に行って娘を売ることにした。 そして、通りでは中堅クラスの店のオーナー(中国人)に母親は800ドルで娘を売った。ソンが15才になって一週間後のことである。 取材が終わりバンコクに帰って2週間後、日越通訳から電話があった「安部が未成年者買春で逮捕された」。 次の日私はプノンペンに行き警察署で彼に面会した。 阿部は私に「助けてください、反省しています。お金は払いますからここから出れるよう警察と取引してくれませんか。」と悲願した。 「若い日本人と少女の取り合いになり阿部の事を警察に通報した」と取調官は話してくれた。 *スワイパー おもにベトナム人女性が売春に従事し、少女売春が公然と行われていることで知られています。一部の外国人旅行者にとって楽園的存在だったようで、日本人同士のいざこざが絶えなく現在は閉鎖されています。
2007-01-23 11:25:25

「叔父に売られた12才の少女」

テーマ:少女買春

カムノーイ
カムノーィ12才は祖母・両親・弟妹の6人でミャンマー・シャン州ラオス国境の小さな村に住んでいた。 
この地方では子供も一人の労働力とみなし学校には行かせてもらえない、毎日畑仕事の手伝いをしていた。
両親が畑仕事をしている時、叔父に「タイのメーサイでウエイトレスの仕事をすれば月八千バーツになる親孝行しなさい、仕事が嫌ならいつでも帰ることができる」と言われ叔父とバイクでタチレクの町に行った。
国境のメーサイ川に着くとミャンマー人の男と二人のモン族の女の子が待っていて叔父は男からお金を受け取っていた。
(私がNGOから聞いたところ彼女の叔父はミャンマー人ブローカーにカムノーィを2万バーツで売ったそうです。)
夜10時ごろ4人で歩いて川を渡りタイ側のメーサイに着くとタイ人の男が待っていた。
そして、ワゴン車に乗り13時間かけてバンコク・ヤワラー(中国人街)の置屋(冷気茶室)に着いた後、タイ人は置屋の主人から金をもらい帰っていった。
途中一緒に来た二人の女の子は別の店で下ろされたが場所は覚えてはいない。
置屋には15才から25才ぐらいまでの売春婦が17人いた、18才以上の女性はタイ人、それ以下は全員少数民族だったが彼女達はラフー族の為言葉が全く通じなかった。
カムノーィは幼かったのですぐ客がついた、初めての客は中国人(タイで少女買春するのは中国人が圧倒的に多い、処女とセックスすると長生きできると言い伝えられている)。
彼女はまさかここが売春宿とは思わなかった「店の男に連れられ大きなベットのある部屋に行くと60才ぐらいの中国人が待っていた。服を脱がされ水で体を洗われてベットに寝かされた、そして激痛、そのまま気を失った」。
店の中で彼女は一番若かったので次の日の朝から客がついた。その日は夜12時まで8人の客を取らされた。泣いて逃げようとしたが店の男に連れ戻され鞭で殴られた。
店では午後1時ごろ起きて昼食兼夕食、洗濯、化粧をし客を待つ、客は中国人、インド人、タイ人、時々若い日本人も来た。
お客が来ると女の子3人で部屋に行き客に顔見せする、サービス料は2時間で300バーツ、でもカムノーィには全くお金を渡さず客から貰ったチップも店の主人に取られた。
彼女達の控え室はサービスする部屋と同じで大きなベットに10人で寝ていた。
客が帰ると部屋に戻り他の女の子とテレビを見たりして次の客が来るのを待つが彼女はアカ語だけしか分からないのでテレビを見ても面白くなかったという。
店に来て5日後、店に警察の手入れが入りカムノーィを除く18歳未満の子は店の男に連れられていった。カムノーィは主人の車で北バスターミナルへ行きチケットを買ってもらいチェンライ行きのバスに乗せられた(現在タイの法律では売春させる相手が15歳以下の場合、本人の同意に関わらず厳しく罰せられる。子供を売った親・中間業者・店のオーナー・客引き・買春当事者は一回10年、五回だと50年の懲役刑。)店のオーナーはこの法律を知っていたのでカムノーィを店から追い出したのだ。
「バスターミナルで主人からもらった300バーツの中からお腹がすいていたのでパック入りの牛乳一つと菓子パン一つ買って食べた。バスが出発すると排気ガスが車内に入って来て気持ち悪くなり全部吐いてしまった。夜行バスなので怖くて眠れなかった、昼ごろチェンライ・バスターミナルに着いたが何も分からずベンチに一人で座っていたところ老夫婦が来て私に話しかけてきたがタイ語の分からない私を警察に連れて行つてくれ1時間後NGOのオーイお姉さんが迎えに来た」。
オーイは「チェンライ警察から電話があり署に行ってみると汚い服を着て頭がシラミだらけの小さな女の子が椅子に座っていた。私は彼女がアカ族だとスグに分かりました、私と同じお守りを持っていたからです。そして、タイ語アカ語で話しかけても何も答えない。警察官が袋菓子を渡そうとして近寄ると怯えて体をガタガタ震わす、男の人が怖かったのでしょう。そしてとりあえずNGOの宿舎に連れて行きました。」「宿舎に来て3日後、カムノーィは少しずつチェンライ・バスターミナルに来るまでの事を話したのです。」
オーイの両親はアカ族でチェンライNGOアカ族担当者(ダーを保護したのもオーイです)。そこには約20人の少数民族の少女(全員NGOに保護された少女達)がいてカムノーィは性病検査とエイズ検査を受けた。エイズは陰性、性病は淋病と診断された。
オーイはミャンマー側NGOに連絡取りカムノーィをメーサイの国境まで迎えに来るよう要請をした。
20日後、国境で彼女を引き渡した。その後ミャンマー側NGOにオーイが聞いたところ「カムノーィを家まで連れて行ったところ両親と祖母が彼女を抱きしめて長い時間泣いていたそうで何故家を出て行ったのか全く分からなかった」そうです。
叔父が彼女の親に内緒で売ったのだ。
カムノーィは運が良かった、エイズにも感染しなかったし早期に親元のところに帰る事ができた。
約10年ぐらい前、パタヤの売春宿から保護されたミャンマー人少女売春婦8名は北タイの国境でタイ警察からミャンマー軍に引き渡された。
そして数日後、野犬が銜えてた頭髪の付いた洋服を調べたところミャンマー軍に引き渡した少女達のものと分かり国境周辺を探した結果、8名の少女達の頭部に銃弾痕がある白骨が見つかった。
ミャンマー軍は国内にエイズが広がることを恐れタイ警察から引き渡された後、射殺したとタイの新聞に出ていた。
勿論、ミャンマー政府はこの事を否定しています。
2007-01-16 14:03:15

「死を待つ少女ダー」

テーマ:少女買春

ダー
チェンライ県ミャンマー国境の村に住むアカ族の少女ダー(16才)。
彼女はエイズの末期症状で一人死を待っている。
ダーの家族は父母、3人の妹の6人暮らし、父親は薬物使用で3度刑務所に入っている。
タイ国籍がないダーは学校にもいけない、そのため正規にチェンライ県から出ることはできない。
彼女が14才の時、村にタイ人の人買いブローカーが来た。
「バンコク郊外のレストランで仕事をすれば毎月1万バーツ以上になるし少数民族の子も沢山いるよ」。
そしてブローカーは父親に前金として二万バーツを渡し村の娘3人と一緒に車でバンコクへ行った。
ダーは始めて見るバンコクに驚いた、同じ歳の子たちが綺麗な服を着て映画館に行ったり買い物をしている。
「よし私も沢山お金を稼せごう、そして綺麗な洋服着て村に帰ったらみんな驚くだろうなー、家族にも沢山お土産を買っていこう」。
だが、次の日連れて行かれた所はレストラン兼売春宿だった。
店の表は食堂になっていたが裏の部屋にアカ族、ラフー族、ミャンマー人の13才から18才までの少女16人が住み込みで働いていた。
客はここで女の子を選び小さな部屋で買春をする、店からコンドームを渡されたがお客が嫌がるのであまり使わなかった。
初めてのお客は中国系タイ人、ブローカーから「父親に2万バーツ渡したんだから」と言われ黙って耐えた。
店から「3人のお客までは処女を装うように」と言われその通りにした。
それからは早く借金を返したかった彼女は自分から客に媚を売り毎日朝から晩まで客を10人以上取った。
ダーの売春の値段は1回300バーツ、ブローカーと店で半分ずつ彼女の収入は客からのチップだけだったが毎月家族に3000バーツ仕送りをした。
半年後、店に警察の手入れが入りブローカーと一緒にチェンマイの売春宿に行くがお客が少ないため3ヶ月でパヤオに移り(この県で2軒の店で仕事をする)その後チェンライの店で1年仕事をした。
ここでは日本人のお客も多かった、ママさんから「日本人は金持ちだコンドーム使わないと沢山チップをくれるよ、」と言われその通りにした。
チェンライの店で仕事をして1年後、また警察の手入れがありNGOに保護され寮で生活しながらエイズ検査を受ける、検査結果は陽性、信じられなくて3回検査を受けたが結果は同じだった。
寮には彼女と同じ保護された少女が20人近く住んでいたが10日後、家族に会いたかったので彼女は村に帰った。
でも両親はエイズに感染した彼女を家には入れてくれない、しかたなくNGOが建ててくれた小さな小屋に住む。
914タイ国営ラジオ放送局、この局は毎朝少数民族10の言葉で生活情報を放送し電波はミャンマー、中国まで届く強力なもの。
例えばDJが家族に宛てて「ミャンマー側ラフー族パーミィー村のエーちゃんがNGOに保護されています、何月何日何時にメーサイの国境に来て下さい。」と。
通信手段のない少数民族の村にはこの方法がもっとも有効である。
この方法でアカ族のDJは5年間で約400人の少女を親元に帰したという。
DJは少数民族少女売春婦があまりにも多いためダーをラジオに出演させた、「お父さんお母さん娘達を売春婦にしないで下さい、お金は稼げるが私のようにエイズに感染し死を待つばかりです」と語らせた。
局では名前を出さなかったが声でダーと分かった村人は「村の恥を曝してしまった」と、彼女を村八分にしてしまった。
この村の男達はアヘンを吸い昼間から酒を飲み仕事はしない、現金収入は娘達からの仕送りだけ、だからダーがラジオで話した事を許せなかったのだ。
ダーは私に「私は仏様を恨んでます、皆と同じように生まれて来て何故私が死ななければならないの、家族を助けようとしただけなのに」、と言っていた。