初めまして、Clownと申します。最近怪我をしてしまいまして、中々外に行く事が出来ないために私が大好きな茅田砂胡さんの作品、・デルフィニア戦記・スカーレット・ウィザード・暁の天使たち・クラッシュ・ブレイズ以上4作品を組み合わせた二次創作を書いてみたいと思い立ちました。何分パソコンに不慣れな為に遅筆ですが、温かい目で見守って下さると大変嬉しく思います。尚、話の展開上暴力及び流血表現を行う事があります。そして主人公等の他にオリジナルキャラが話に登場する場合があります。それらが苦手な方は本作品を読まずにプラウザバックを行う事を推奨致します。では、長々と前書きを書いても仕方ありませんのでここで筆を置かせて頂きます。
翡翠の如き深緑の葉を持つ木々を擁する壮大な森。 人の気配は全くなく、手をつける事が許されない厳しい自然の中で男はただ一人歩を進めていた。 齢の頃は三十の半ばから四十の前半程か。 服装は黒い襤褸布を無理矢理服に仕立てたような酷い代物である。 腰に見事な剣を佩びているとはいえ、却ってそれが格好の酷さを際立たせていた。 それでも黒々とした髪は艶やかであり、体躯は巌と見紛える程に鍛えられ、肌は上等のなめし革のよう。 体の動き一つ取っても常人のそれとは異なり隙のない動きがこの男がただ者ではない事を表している。 なぜならば、この男――――「やはりスーシャの森は美しいな。執務室に籠ってばかりだったから尚更だ」 魔の五年間の際に前国王の落胤という華々しい登場を行いその場を騒然とさせ、庶子の身で国王の座に就き善政を敷き。 一度ペールゼンの陰謀により王権を奪われ国を追われるも、闘神の娘と共に友軍を率いてこれを奪還。 以後反乱の種を着々と摘み取り、大華三国の二国、パラストとタンガとの大戦で見事勝利し、勝利の女神の祝福を得た男。 ――――デルフィニア国王、ウォル・グリーク・ロウ・デルフィンその人である。 なぜ国王たる男がこんな僻地にいるのか……理由は実に簡単である。 久し振りに外に抜け出て羽を伸ばしたかった、ただそれだけ。 もしこの場に辣腕で知られるブルクスが聞いたらどう思うだろう。大きな溜め息は必至、頭髪が益々危険な事になる事うけあいである。 また闘将と謳われるドラ将軍の耳に入ったらどうなるだろう。まず間違いなく特大の雷が落とされるに違いない。しかも本人不在のために近くに居る者に。 勿論、国王本人も時間差で超特大の雷を落とされる運命にあるのは変わりないのだが。「侍従達には悪い事をしたと思うが……偶の休暇を楽しむためだ、恨んでくれるなよ」 と、至って本人は悪びれる様子もなくスーシャの森の奥へと足を踏み入れていく。 目指すはウォルが貴族時代によく泳いだ湖である。 折よく今の時分は木漏れ日も眩しい夏(というより承知の上で来ていたのだが)、泳ぐには最適な時季だ。 火照った体をこの上ない程に心地良く冷やしてくれるに違いない。 更には強烈な日差しにより発汗を余儀なくされた肉体を洗い清めてくれるだろう。 それは何とも甘美な誘惑であり……男の願うところであった。 故に足取りが鈍る事はなく。故郷の地で迷って無駄に時間を浪費するはずもなく。 それから一時間と掛からずに目的の湖に到着していた。 その湖面は穏やかで透き通り、尚且つよく研磨された鏡面のように周りの深緑を映し出している。 少し注視するところを変えてやれば直ぐ様湖底を覗き見る事が出来、様々な種類の魚達が元気に泳ぐ様子が窺える。 そして手を片方浸し掬ってみれば肌に伝わる心地良い水の冷涼さと鼻孔を擽る清涼な香り。 それは記憶と寸分違わぬ――男が愛してやまない、スーシャの、故郷の湖だった。「最後にここに来たのは、リィに迫られた時だったか……」 リィ――グリンディエタ・ラーデン。 男の同盟者であり、妻であり、デルフィニアの勝利の女神。そして異世界からの来訪者。 王権奪回を狙う流浪の国王に手を貸し、類を見ない活躍を見せ王女となり、デルフィニア王妃にまでなった少女。 最後には神の鉄槌を敵軍に降らせて大戦を終焉へと導き、デルフィニアに勝利を、国王に祝福を与えた戦女神。 ここまで民草に語られている事を思い浮かべて男は自然、苦笑を浮かべる。 それは現実は違う事を知っているが故か。 実際は可憐な少女の体に強靭な戦士の魂が宿っており、無双の剣の腕は筆舌に尽く。 そんな相手を女として見る事はなく、夫婦となってからも艶めかしい関係など欠片もなかったのだ。 それが、である。最後の大戦の前夜に呼び出されたかと思えば……“夫婦の営み”に誘われたのである。 あの時は本当に口の中がからからに干上がり、心臓が激しく暴れまわったものだ。 断っておくが欲情したからではない(それはもう絶対に!)。単にあまりの恐ろしさに総身が極度の緊張状態に陥っただけである。 結局は事の真相をいち早く察し――何よりもそもそも男にその気がないのだ――事なきを得たのだが。「あれ程の動悸は戦場でも感じなかった」 男は再び苦笑いをして軽く肩を竦める。傍から見ても愛嬌たっぷりに。 そしてこの場所から由来する様々な思い出に浸りながらも当初の目的を果たすべく、行動を開始した。 即ち――その場で一糸纏わぬ姿へ早着替え(?)である。 神速の速さで身を包む衣服を放り投げると準備運動もそこそこに湖へと身を躍らせたのだった。 それから男は思うがままに泳いで泳いで泳ぎまくった。 始めは水に体を馴染ませるためにゆっくりと湖を何週か泳ぎ。慣れたと思った頃合いには速度を出して泳ぎもした。 それもひとしきり楽しむと今度は湖底に向けて潜水し、体全体を使って心地良い水に触れ、周りを泳ぐ魚達と戯れた。 男がようやく満足し、一息入れようとしたのは実に蒼天から太陽が消え去り、代わりに見事な満月が星天に浮かぶ頃であった。「いやはや、久し振りにスーシャの湖で泳いだら時間が経つのを忘れてしまうな」 時が経つのが早い事に驚く様を見せる……が、何の事はないのだ。しっかりと荷物の中に糧食や野宿のための装備も準備済みなのだから。 要するに、確信犯なのである。しかも執務室に置手紙をわざわざ残す程に用意周到な。 だが内容は酷いもので、「少しばかり煮詰まったからしばらく外に行ってくる。探す必要はないぞ?遅くても二十日後には戻るからな」 といった感じであり、これを侍従から見せられたブルクスの心情を推し量るのは難くないだろう。 だが普段の国王ならば最大二十日も城を空ける事などしない――下手をしたら一日だって空けないだろうが――のだが、どうしようもない理由があるのだ。 なぜならば、「今日はお前が天の国へ帰った日だからな、リィ……」 男は今日という日が近付くと如何ともしがたい寂寥感と喪失感に襲われるのだ。それも執務が手につかない程に。 パラストに捕えられた際の拷問にさえ屈しなかった肉体と精神の強靭さを思えばまさか、と誰もが思う。実際、国王自身も思っているのだから。 それでもこうなってしまっている事実は消え去らない。故に今日という日が近付いてきたら各地を巡って回っていたのだが――「思えばなぜ、俺はスーシャに一度も足を運ばなかったんだろうな?」 そう、なぜかスーシャにはリィが天の国に帰ってから一度も訪れていなかった。 それはやはり、リィとの思い出に深く関わる場所には極力近付きたくはなかったという無意識の表れか。 思い返してみればこうして外に抜け出す時にはそういった場所には出向いていなかった。 その事に思い当たると擽ったいのと気恥ずかしいのとバツが悪いのとが綯い交ぜになった笑みを男は滲ませた。 リィが聞いたなら問答無用で矯正するまで殴り続けるだろうな、と思ったが故である。 事実、弱音を吐いた時やそのような態度を垣間見せた際に何度も頭を叩かれたりしているのだ。 それでなくとも世話焼きな面がある彼女(?)である。絶対に景気づけだとでも言って殴るだろう。 ああ、それも悪くないなと男は思う。 いや、寧ろ切望していた。今、この瞬間には。 どうしようもないのである。どう自制を働かせても思ってしまうものは思ってしまうのだ。「……それでも」 そう呟くと男はしっかと拳を握り締める。掌に爪が食い込み、血が滲み出しても尚その力を緩めずに。 守るべきものがある。果たすべき事がある。王の責務がある。 別れは辛かったが今生の別れではないのだ。そうに決まっている。 何せあのリィだ。常識を常に問答無用で蹴倒しているような存在が常識に捕らわれる筈がない。 だから男は待ち続けるのだ。周りの皆と協力して平安を守り、リィが帰ってきた時には少し怒ったような顔をして遅いぞ、と言ってやるのだ。 そして嫌と言われても離さずに目一杯抱き締めて、頭も髪がぐしゃぐしゃになる程に撫で回してからよく来たなと言うのだ。 だから、そう、だからこそ。「今日を入れて後三日、ここで、愛するスーシャの地で、お前を思い出しながら堕落するのを許して欲しい」 星空に吸い込まれる程にか細く、儚げなその言葉は直ぐに夜気の中へと吸い込まれ。 男はそれから一言も言葉を発する事なく体の水気を拭い、糧食を食べ、腰に再び愛剣を佩びてから大きく枝を張った木の根元に寝転がった。 しばらくは宝石箱をひっくり返したような夜空を眺めていたが、それも時間の経過と共に目蓋はゆっくりと閉じていき、遂には穏やかな寝息が辺りに静かに聞こえ始めた。 男の寝顔は嬉しそうであり、怒っているようでもあり、寂しそうでもあり、泣いているかのようなものだった。 朝。 男の姿は大樹の根元にはなかった。 荷物はそのままに、自らの愛剣とその姿だけがなかった。 そして陽が真上に上っても、西に沈んでも、代わりに月が昇って来ても、そこに男が戻ってく来ることはなかったのである。
人生何が起きるか分からないものである。 ふと、悟ったように感じる事が日々の生活の中であると思う。 それは気の所為でも、本当にそう思わざるを得ない事でもどちらでもいい、兎に角あるのだ。 そして今、金糸と見紛わんばかりに美しい髪の少年――ヴィッキー・ヴァレンタインことリィはまさにそんな出来事に直面していた。 それは彼の傍に常に従者の如く控えていると言っても過言ではないシェラもその出来事に困惑顔を隠そうともせずに狼狽していた。 更にはリィの相棒たる黒い天使、日頃の人好きの良さそうな笑顔はどこへやら、ルゥも驚きに茫然自失の体といった様子である。 三人が三人共、見事に眼前にある光景に理解が追いついていない事は明白であった。 ではそもそもなぜ三人がこのような事態となったのか。それは今から少し時間を遡る。 ◇ 連邦大学惑星は言わずと知れた学生の勉学を奨励する為の星である。 学生の能力に沿ったカリキュラム、実力を更に活かす為に飛び級も実施している。 修学方法も単位制であり、規定単位数を修めれば昇級、修めなければ留年という分かりやすいプログラムだ。 そして勿論アイクライン校も単位制であり、それは中等部も同様である。 故にリィやシェラも単位制であり、既に様々な教科を履修しているわけだが……。「正直、自由に取れるからって簡単ってわけじゃないんだよな」「そうですね、好きな科目ばかり選択しても評価は宜しくないようですし……」「って言っても好きな科目だからって簡単なわけでもなし。生徒の能力に合わせて課題とか変えてくるからな」「結局精一杯やってまともな評価を貰える、と」「よく考えてやがる……ま、理には適ってる」 苦々しい溜息と共にうんざりした表情でリィは目的の場所へと向かっていた。 その様子にシェラが苦笑を堪えるかの様な表情を浮かべながらも、本物の銀にも勝るとも劣らない見事な銀髪を風に靡かせながら後に続いていく。 二人の現在位置は惑星セントラルの宇宙港の廊下の一つを鋭意歩行中である。 廊下を歩いているという事は必然的に赴くべき場所へ向かっている途中なのは明白だ。 では、二人はどこに向かっているのか。 ――エレメンタル近代美術館である。 そう、実は校舎外に、あまつさえ惑星さえ飛び出しているのである。 ではなぜ校外に出てこんな所を歩いてなくてはならないかというと、二人が履修している近代史で課題が出されたからである。 “近代史の中で主だった出来事が起こったそれぞれの年でどのような美術品が生み出されたのか、作風に関連付けてレポートにまとめて提出するように”、と。 大学連邦惑星内の学校はこのような変則的なレポートも多い。 学生に一つの目線で物事を捉える事がないようにという事と、ただ勉強をすれば良いわけではない等、将来多彩な才能を持つ人物に学生を成長させようという工夫なのだ。 そうして港内から二人して出て、折良く来たバスに乗車して一息を入れた。「ま、唯一の救いがある所はあの絵が久し振りに見れるって事くらいか」「ドミニクの『暁の天使』ですね……あの絵を見た時の衝撃は未だに体が覚えていますよ」 あの絵に関わる事件は記憶にも新しい。 紆余曲折もあって人類の至宝とも言える絵画はリィの所有物となり、管理上その他諸々の問題であの美術館に“預けている”。 本来ならもっと早く見に行こうとリィは思っていたのだが、如何せん彼が事件を放っておかないのか事件が彼を放っておかないのか。 多種多様な事件に巻き込まれ(もしくは自ら関わって)たために見にくる時間が皆無だったのだ。 更に言うならば講義をすっぽかしていた関係もあって補修も課題もどっさり溜まっていた。 故にこうしてバスに揺られ(本来ならば二人とも走った方が速いのだが)、課題の為とはいえあの美術館に行けるのは実に僥倖なのだ。「ルーファも呼べれば良かったんだけどな」「流石にそれは駄目でしょう。一応私たちは“修学活動として”エレメンタル近代美術館に行くのですから」「ケジメはしっかり、って事か」「そういう事です」 リィとシェラは互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべ、肩を竦めた。 傍から見ればなんとも感嘆の吐息が洩れる光景であるのだが、この二人が知る由もない。 バスから流れる風景に視線を注ぎながら他愛もない会話を交わしていると、程無くしてエレメンタル近代美術館前にバスが停車した。 久し振りに見るエレメンタル近代美術館は相変わらず無駄に大きい(少なくともリィにはそう感じられた)。 だが同時に歴史ある美術品を数多く保管しているためか、威厳に似た雰囲気も醸し出している。 今日は普通なら休日である日だからか、少し人の数が多めだ。 そんな中で一人、満面に嬉色を浮かべ片腕を大きく左右に振っている人物がいた。 その人物は艶のある長い黒髪を一つに結えており、顔の造形は中性的だが間違いなく世間一般見解として“美形”と形容されるものである。 つまりはルゥ――ルーファセルミィ・ラーデンガーその人であった。「エディ!エーーディッ!」「ルーファ、煩い」 親犬を見つけた子犬の如く駆けて来たと思えば急に抱きつこうとしたルゥをリィは情け容赦なく拳骨を脳天に落とす事で迎撃し、沈黙させる。 拳骨をまともに受けたルゥは可愛そうな程に涙目で、唇も不満げに尖らせていた。 その様があまりに子どものようだったのでシェラは危うく噴き出しそうになったものである。「……エディ、今のは流石にないんじゃない?」「人が大勢居る場所で俺の名前を大声で連呼したお前が悪い」 まさに有無を言わせず一刀両断であった。 ルゥはといえばさめざめと泣く真似をしていたが目の前のリィの視線が冷たいものになった瞬間に勢い良く立ち上がっていた。 そこのあたりは機敏な人物である。「で、だ。何でルーファがここに居るんだ?」「エディがここに居ると聞いて急いで飛んで――嘘!嘘だからニッコリ笑いながら拳握らないで!?」「ま、まぁまぁ……抑えて下さい、リィ」「次はないからな?」「はいはい、分かってるってば。僕はちょっと課題が捗らなくてね、気分転換がてらにあの絵でも見ようかと思って」「何だよ、なら俺達に声掛けろよな」「いやいや、そんなに長くは居るつもりはなかったし、休日だからね。エディ達にも色々あると思ったんだけど……まさかここで出くわすなんてねぇ」「私達は近代史の課題の為にここに訪れたのですが……本当に奇遇ですね?」「ったく、ほら行くぞ?ルーファもどうせついてくるんだろ?」 こうして金銀黒の三人で美術館の中へと入っていき、課題の為に精を出し始めた。 リィとシェラ二人が見るべきは絵画だけではない、“ありとあらゆる近代美術品”なのだ。 一つのジャンルに絞って見解を述べてもレポートしての評価は低く、落第認定をされてしまったら補修決定である。 故に如何に面倒臭くとも、色々な作品を見ていった方が結果として良い。 最初は少し手こずっていたのだが、途中からルゥが的確な助言を出してくれた事もあいまって予想していた時間よりも早く仕上げる事が出来たのだった。「流石はルゥ、多方面に知識が御広い。御蔭様で助かりました」「そうだな、ルーファが所々で解説してくれるから飽きる事もなかったし」「役に立てたようで良かったよ。僕も気分転換になったしね?」「今度、御礼にお菓子を御馳走しますね、ルゥ」「やったぁ!シェラのお菓子、大好き!」「やれやれ……本当に甘い物には目がない奴」 そうして自由な時間を思いのほか確保出来た三人(一人は本当は出来ていないのだが)は、当初の目的通りに『暁の天使』を見にいく事にした。 最後の楽しみとして取っておきたかったために『暁の天使』が展示されている区画には行っていないのである。 一応ルゥが案内板で確認を取ってみたが前に展示してある場所と変わってはいなかった。 その区画に向かった矢先に目にしたのは派手に書かれた大垂幕。『無名の画家の作か!?その美しさと凛々しさ、勇ましさが話題の戦女神が本日一般初公開!!』 否が応でも目につくその言葉に興味を抱くのは自然の理であった。 美術関連にあまり興味が芳しくないリィでさえ、好奇心が僅かに首を擡げた様子である。「ルーファとシェラはあの絵の事、知っていたか?」「いえ、私は今日こうして垂幕を見て初めて存在を知りましたよ」「僕はニュースでちょっとだけ。でも映像も何も出てなかったから、研究者の人達とか以外はまだ見てないって話だったけど……」「成る程、本当に正真正銘初公開なわけだ」 同じ区画にあるのだからついでに見ておいても悪くない。そう思って三人で比較的気楽にそこへ向かったのである。 垂幕に大々的に書かれてまで紹介されていたのだから人は多かったが、三人には何の問題もない。 普通の人達と視力の度合いが違うのもあれば、人混みを避ける事も容易だからだ。 よって三人は特に苦労もせずにその絵を見る事が出来た。 だが、その絵を見て三人は棒立ちとなってしまった。 なぜならば、その絵は――――「……エディ?」「……王妃?」 ――――デルフィニア王妃、グリンディエタ・ラーデンの肖像画だったからである。
そうして時間は冒頭に戻る。 三人はようやく現実感を取り戻しつつあった。 ルゥとシェラはまずはこれが“グリンディエタ・ラーデン”という事を理解し、リィは“デルフィニアで王妃をやらされていた時代の自分”だと理解した。 人間、多大なるショックを受けた際の一番始めの感想は分かり切った事か、至極シンプルな事が多いのだが、三人ともこの例から洩れる事はなかった。 ある意味、どんなに人間離れしていても精神的には人間の傾向があると確信が持てた瞬間である。 そうして三人の視線は申し合わせたように肖像画を上から下へとゆっくりと流れていっていた。 実際、その肖像画の出来栄えは素晴らしいものであった。 顔の輪郭はもとより仄かに色づく薔薇色の頬、綺麗に通った鼻筋から顎の線、花弁が綻んでいるかのような唇に、そこから覗く白い歯まで恐ろしい程に精緻に描かれている。 更には癖の掛かった豊かな黄金の髪には贅沢にも金糸をふんだんに用いている。 そして何よりも特徴的なのがその両の眼。 見る者をはっとさせるような深くも鮮やかな翡翠色だが……絵具を使用してのものではない。 よくよく見てみれば緑柱石を細かく砕いて、両目に散りばめてその瞳を表現しているのだ。 同様に額を飾る宝冠にも、緑柱石と思われる宝石が使われていた。 そんな女性が見事な黒馬に跨り、右手に剣を掲げ、金髪を血煙舞う風に靡かせている。 戦場だというのに花の口唇に浮かぶその大胆な笑みは勝利を確信してのものか、はたまた自らが勝利に導く存在だと理解しているが故か。 だがその笑みと何よりも凛々しくも猛々しい、美しい彼女が檄すれば後ろに続く兵達は発奮し、士気も大いに上がるのだろう。 騎馬の大地を駆ける音、兵達の鬨の声、剣と剣を交える剣戟の音が今にも聞こえてきそうな気さえしてくる。 否、実際に聞こえていた。少なくともこの三人には。 聞こえないわけがないのである。 実際に戦場を駆け抜け、剣を交わし、敵を斃し、殺し、勝利を得てきたこの三人には。「……俺、だな」「……王妃、ですね」「……うん、エディだ」 三人の結論、それはこの絵が“デルフィニア王妃、グリンディエタ・ラーデン”であるという事。 非公開時に研究者達が喧々諤々と議論を交わして来ただろうが、リィ達ならば直ぐに分かる。 何せモデルになったその人がこうしてここに居るのが一つ、そしてその姿を実際に見ている人物が居るという事が一つ。 これで分からなかったら余程の天然さんか、大馬鹿の二つに一つである。「――ルーファ」「先に言っておくけど僕は無関係だからね」「じゃあ何でこんな所に“あんな絵”があるんだ!?」「ちょっとリィ!?落ち着いて下さい!」「これが落ち着いていられるかっ!」 突然の大声に客は驚きと共に不審と好奇心の目を、傍に居たシェラとルゥは苦々しく顔を歪めた。 あまりにも人目につきすぎであるし、何より今警備員に取り押さえられようものなら余計にややこしくなる。 故にシェラとルゥはリィの手を引いてその場から迅速に退いたのだった。 リィは目まぐるしく頭を回転させて考えていた。 肖像画の下の辺りに紹介されている絵師の名とされていたのは“モントン”。 説明文によると裏板に書かれていた名前の所が、この字しか読み取れなかったと書いてあった。 そしてそこに“戦女神”と記されてあった事も。 だがデルフィニアで王妃をやらされていたリィには覚えがある名前だった。 あの“馬鹿”の従弟、バルロの一族で確かモントン卿と呼ばれていた男が居た筈だ。 絵が駆けるか否かは知らなかったが何度か戦場を共にしている。 あの絵を描いたのは十中八九あのモントン卿だ。 そしてこれがどういう事か分からぬリィではない。 “あの世界の物質がこちらの世界に流入してきている――即ち、人間も流入してくる可能性もあるという事” そう、人間が流入してくる可能性があるという事がリィの焦燥を掻き立てている。 もし自分の親しかった人物やあの馬鹿――ウォルがこの世界に迷い込んで来ていたら。 自分の同盟者が見知らぬ土地で一人放り出され、右も左も分からぬままに彷徨っていたら。 それに、そう。もしも、もしも――死んでしまったら。 あちらの世界で死ぬのはいい。ポーラやイヴン、バルロにナシアスと看取ってくれる人達が大勢居る。 だがこちらで誰とも知れぬ相手に向こうにはない銃火器で狙われ、殺されたしたら……一体自分はあちらの世界の人達に何と詫びればいいのだ!「――エディ」「…………」 何か鼓膜が震えた気がするが、リィはそれを無視した。 今は優先すべくは事態の正確な把握。そして速やかに駆け付ける事。 向こうの世界の住人が来ていないのならそれで良し、来ていた場合は知り合いならば何としても助ける。 そう思考が変な方向に結論付けられ、行動を開始しようとした瞬間――。「はいストップ。エディ、落ち着いて」「だから落ち着いてなんて――!」「それでも落ち着いて。まだ可能性でしかないんだよ?確かに王様や狸寝入りの虎さん、きれいなお兄さんに戦うお花さんとか親しい人達が流れて来るかもしれない」「だからっ」「“それでも”、落ち着いて。無闇矢鱈に探しても見つかるわけないのは、エディだってわかってるでしょ?」「…………」「ね?」「――分かった、落ち着く。悪いな、ルーファ。それにシェラも。取り乱した」 大きく息を吐いて苦笑を浮かべ詫びるリィにルゥもシェラも胸を撫で下ろす。 幾らあの場から離れたとしても美術館の敷地の範囲内なのだ、周りから奇異の目は終始留まる事はない。 実は痴話喧嘩かと思われていたのだが、それは三人の与り知らぬ所である。 兎にも角にもリィが冷静になったためにそういった視線は殆どなくなり(残りは三人の見目の美しさの所為だ)、落ち着いて話を続ける事が出来た。「じゃあ、今の状況をまとめてみよう。まずは何と言ってもあの肖像画、あれはほぼ間違いなくあっちの世界から流れてきた物だね」「この世界で俺の王妃時代を知ってるのはルーファとシェラ、後は――」「レティシアとヴァンツァーですね。ですがあの二人に絵の才能があったなど考えられませんし、あったとしても描く理由がありません」「それに『目指せ、一般市民!』の標語からも外れてるしな」「ルゥだったら描けても何ら不思議に思いませんが……」「恐い事言わないでよ。勝手にこんな絵を描いちゃって、しかもみんなの前でこんなにお披露目しちゃったら僕がエディに殺されちゃう」「取り敢えず殴るのは確定事項だな」「それに、紹介の所の名前は“モントン”だったし……エディ、シェラ。この名前に覚えはある?」「あるぞ。バルロの所の一門だった筈だ」「確か何回かリィと出陣していたかと……確か一流の絵師達が玄人跣と絶賛する程の腕前だったと記憶しています」「じゃあもう間違いないね、この絵があっちの世界から流れてきたのは」 リィとシェラが齎した情報でルゥはそう判断した。 実際、これ程までに情報が合致している時点で偶然から来たものである線はなくなったと言っても良い。「で、どこで発見されたかはちゃんと見てた?」「いや、モントン卿の名前が目に入った時点で俺は頭に血を上ってた」「私は見てましたよ?確かセントラルのさる富豪の蔵の中から出て来た、とか」「そう、遺品整理をしていた遺族の人達が偶然発見、ここの美術館に鑑定を依頼したらしいよ」「……一応確認しに行ってみるか?」「そうした方が良いだろうね、もしかしたらまだ歪みがあるかもしれないし」 そう言ってルゥは徐に手札を取り出すと、その場に並べ始めた。 何回も何回も手札を繰り、散らし、捲っては再びまとめて繰っていく。 その繰り返しを何度か行った後に手札をまとめ、今度は懐に直しながらルゥは笑顔を浮かべた。「ここから西に4、北に5の場所。結構近いね、目印はマンティコア」「マンティコア?」「伝説の生物の一種だよ。マンティコア、またはメメコレオウス。獅子の体に蠍の尾、蝙蝠の羽を持っていて、その尾は呪術的な意味合いがあるから厄除けとする人も居るみたい」「獅子の体、ですか。デルフィニアの紋章も獅子ですから、縁があるのでしょうか」「んー、でもこのマンティコアは暴食の怪物だからねぇ。王様のイメージには合わないかな」「そんな講釈はいいからさっさと行くぞ」 無駄な話に時間を弄している暇はないとばかりにルゥとシェラの会話をリィが打ち切る。 二人も今のリィに余計な口を利く愚を犯す事なく、ルゥは先導するように先を走り始めた。 ◇ そうして足を踏み入れたのは高級住宅街……ではなく、中流家庭よりやや上な住宅が集まった区域の一角だった。 日当たり良好、周りは静かすぎるでなく、時折騒がしいのは小さな子ども達が遊び回る声くらいだ。 見渡せば直ぐ傍に公園やショッピングモールがあり、体を動かす事も、衣食住の品に困る事もなさそうだ。 道交う人々も笑顔で挨拶をしてくれ、道の端では井戸端会議が催されている所もあった。 富豪から鑑定を依頼されて……と紹介の文には書いてあった割には随分と地味な所に住んでいる。 富豪と言うからには目も眩むような豪奢な屋敷に住んでいるものかと思ったが故であった。 だが地味な所に住んでいるからといって決して質が悪い訳でなく、さりげなく施された装飾は三人の目にも好ましく映ったのだ。 ――門の悪趣味さを覗けば。「目印が直ぐに見つかったのはいいが……これは流石にないな」「悪趣味、というレベルを超えているかと」「うーん、まさか門の二つある柱の上にマンティコアの彫像を置くなんて思わなかったよ」 凶悪な面構えのマンティコアの彫像の四つの視線と醜悪な容姿が訪問者を出迎える。 そのいたたまれなさと不気味さといったら背筋に突如氷を滑り落とされ、氷を取り除いたかと思えば実はそれがゴキブリだった時のよう。 正直取っ手や何かの調度品等、小さい物のあしらわれていると思っていた三人は衝撃は並大抵のものではなかった。「……じゃあ、気を取り直して」「ああ、ルーファ。次も頼むぞ?」 リィの声と共にルゥが再び手札を取り出し、地に並べ始める。 美術館で行った時は数回繰っていたが、今度は一度のそれでルゥの手は止まった。「裏の門、抜けて右手の蔵」「了解――裏もこれじゃないよな?」「それは勘弁願いたいものです」 素早く三人共裏門へ回り、今度はマンティコアの置物がなかった事に僅かに吐息を洩らす。 そして予てからの打ち合わせ通り……無断で門を乗り込んで敷地内へと侵入した。「本当に無断で入ってしまっていいんでしょうか?」「まず何て説明するかが問題だし、不審な目で見られる事は避けられないでしょ?」「なら人知れず侵入してちゃっちゃと終わらせるのが一番ってわけだ」「…………」 シェラは頭痛を抑えるかのように右の側頭部を指で押さえ、軽く揉んだ。 この二人は相変わらず無茶をする、と思うと同時に鈍い頭痛を覚えた気がしたからだ。 そんなシェラの様子を気にする事なく前の二人は素早く右手へ曲がった。 するとそこにはルゥの言う通り、蔵がひっそりと建ててあった。 元は白い壁だったのだろうが年月の経過と共に黒ずみ、蔦に巻きつかれている個所もある。 屋根の方も所々に修繕の痕が見受けられるが、よく修繕してあるためかまだまだ大丈夫な様子だ。 注意して近付いてみると鍵は何と南京錠だった。 電子ロック当たり前の時代に珍しい事だが、これならば鍵を壊さなくとも解錠出来る。 早速シェラが取り掛かり、ものの数秒で金属部品が外れる音すら鳴らさずに解錠した。「速いな」「まだ腕は鈍っていないようです」 顔を見合わせ笑みを浮かべながら開け放たれた蔵の中へと滑りこむように入っていく。 リィ、シェラ、ルゥの順で入り、一応蔵の扉を静かに閉めてから三人は中の様子を見渡した。 定期的に掃除してあるのか大して埃臭くない。 奥行きが意外とあるようで、所狭しと、だが整理された上で様々な物が置かれていた。 御蔭様で足の踏み場から作っていく、という作業はせずに済んだのだが如何せん広い。 これは手分けして探さねばと三人が三人、思った時である。 何か、蜃気楼のように空間が揺らいでいるのを同時に発見したのは。「――ルーファ」「うん、アレが歪みみたいだね……でももう直ぐ閉じるみたい」「近付いて確認しなくても宜しいのですか?」「下手に刺激しちゃうと引き摺りこまれちゃうよ……アレはもう不安定だから引き摺りこまれたが最後、バラバラになっちゃう」 そんな問答を続けている間に空間の揺らぎは徐々に穏やかなものとなり、遂には揺らぎもなくなった。 様子見で一時間程監視していたが再び空間が揺らぐ事はなく、ルゥが確認してみても大丈夫だという結果が出た。 そこでシェラは詰めていた息を大きく吐いたのだが、リィの顔は険しい。 結局は何も手掛かりがないままだったからである。 焦燥は再び掻き立てられるが、先程のような無様を晒したりはしない。 だが、心配を感じているのは事実であった。 蔵を出た頃には陽が傾き始めた頃であった。 今から連邦大学へ三人共帰らねばならないが、気は進まない。 が、ここで居座っても情報が集まるわけでもないのだ。 一旦帰ってから、明日再び集まるという事となった。 だが、まさにその時。リィ自室の端末に通信が入っていた。 部屋の主が不在の端末を誰かが取るわけもなく。 何度か呼び出し音が鳴った後に留守電が起動した。 『よお、金色狼!居ないみたいだから伝言を残してくぜ?お前、獅子とソイツの後ろで剣を交す紋章に何か見覚えはないか?何か心当たりがあるなら連絡寄越してくれや』 そうして通信は切れた。 その聞いたら飛び上がるような内容をリィが知るのは後もう少し、時間が掛かる。 今はただ、リィの心中は渦を巻くような言い知れぬ焦燥で満たされていたのだった。