【コラム】平壌入りした牧師がろうそくデモで行ったこと(下)

 当時の検察の控訴状を見ると、次のような内容が明記されている。対策会議の五つの口座はすべて、進歩連帯の関係者名義となっており、対策会議の電子メールアドレスも韓牧師名義で開設されている。また、韓牧師が呉宗烈(オ・ジョンリョル)進歩連帯常任代表と共に主な事業計画を承認し、指示する役割も果たしていた。つまり、「対策会議=親北進歩連帯」で、韓牧師や呉宗烈氏、朴錫運(パク・ソクウン)氏ら進歩連帯の3人組がそのトップだったというわけだ。

 韓牧師と進歩連帯が掌握していた対策会議は、2カ月以上にわたり、ほぼ毎日のように都心で組織的なデモを繰り広げた。闘争戦略を設定し、街頭での舞台設営や集会のシナリオ設定や、デモのスローガンなども彼らが考案したほか、生卵を投げつけるなど数々のイベントも企画した。街頭での放送用車両やピケット、プラカード、印刷物、ステッカーなど、デモで使用する道具を準備したのも対策会議だった。

 このようにして大韓民国は、政府を「天安殺人の元凶」呼ばわりするグループの組織的な活動により、2カ月にもわたって国内が大混乱した。反米・反政府闘争を行ってきた韓牧師とその仲間たちが、狂牛病を格好の材料として巧妙に利用したのだ。そのため、狂牛病デモが起こった期間は、国民から無視され続けてきた韓牧師のグループが、大衆に最も近づいた時期でもあった。

 狂牛病を懸念し、あるいは政府による交渉に怒りを感じて街頭に繰り出した多くの市民は、その集会が韓牧師のような親北勢力によって操られていたとは、思いもつかなかっただろう。自分たちの知らない間に、彼らが作り上げた舞台で踊らされていたということを知れば、大きなショックを感じるに違いない。しかしこれが、大韓民国を揺るがせた狂牛病問題の「不都合な真実」のごく一部なのだ。

朴正薫(パク・ジョンフン)社会政策部長

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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