【コラム】平壌入りした牧師がろうそくデモで行ったこと(上)
韓国国民は、韓牧師のような守旧左派の正体を知っている。そのため、彼らがどんなに自主や統一を叫んで大韓民国を攻撃しても、多くの国民は冷たくあしらってきた。マッカーサー銅像の撤去や平沢米軍基地移転反対など、韓牧師が親北勢力と共に企画してきた社会に対する扇動行為は、その多くが大衆の支持を受けられず、自分たちだけのお祭り騒ぎで終わった。しかし、ただ一つだけ例外がある。
それは、狂牛病(牛海綿状脳症〈BSE〉)問題に端を発したろうそくデモだ。2年前、国を大きく揺るがせた狂牛病政局の隠れた主役は、韓牧師が中心となって結成した韓国進歩連帯の勢力だった。この騒動がMBCの報道番組『PD手帳』の歪曲(わいきょく)報道をきっかけに始まったとすれば、都心をマヒさせた大規模集会を広めたのはまさに進歩連帯だった。現在、平壌で北朝鮮を熱心に称賛している韓牧師とその仲間たちこそが、狂牛病騒ぎの中心にいた人物なのだ。
2年前、50回以上にわたって行われた狂牛病関連のデモは、「狂牛病の危険のある米国産牛肉の全面輸入に反対する国民対策会議(以下、対策会議)」によって組織され、扇動された。対策会議には1500以上の団体が名を連ね、数々の進歩・左派のグループが網羅された形となった。しかしこれは外見にすぎず、実際の対策会議は左派の中で最も過激で、反米親北の色彩が強い進歩連帯だった。韓牧師のグループによる進歩連帯が、狂牛病騒ぎを事実上、主導していたのだ。
組織を見ても、対策会議の政策、組織、宣伝、企画、財政など主な役職は、ほとんどが進歩連帯の関係者だった。進歩連帯対外協力委員長が対策会議の共同状況室長を、また進歩連帯事務処長が対策会議の事務処長を、進歩連帯組織委員長が対策会議の報道官を務めていた。進歩連帯の組織が、そのまま対策会議に移されたようなものだった。