2010-05-03
「かわいそう」から「その先」を目指すためにすべきこと
社会において資源は有限です。絶対的に資源が不足しているところでは、助からない人を助けてたら助からない人が増える一方です。「もう助かりそうにない人」と「助かりそうな人」はカテゴライズして分けて有限の資源を配分するというシステムが必要になります。最適な配分を考え、戦略性的に意思決定することは現場において当然の如く行われています。そこに善悪を持ち込んで判断し、感情論を論じれば少ない資源の配分時間との戦いに水を差すことになります。
現実的な行為に対する感情論は状況を悪化させる。
「目の前の最善」に囚われて「全体や組織から見た最適」というものが想像できていない人は多いです。現実的な対処にまで思考が及ばずに思考停止。最善を目指して『こうでなければならない』といった現実離れした高い理想が現実を奈落の底に引きずり込むのです。殆どの問題は感情的に批判していても解決しません。誰かを批判して問題を解決できることなど殆どないのです。
『かわいそう』とコメントすればするほど助かる人が減る。
誰かがちゃんとやっていないから悪い。それを指摘しない人が悪い。システムが悪い。文句をいえば『誰か』が社会をいい方向にもっていってくれるわけではないのです。その『誰か』がどのようにして実現するのかまでは考え実行することに考えが及ばなければ安易な批判で現実的な案をも拒絶して、結局だれも救うことなどできないのです。もちろん、「かわいそう」と強弁している人は誰も責任をとりません。
「で?どうするの」
「次へ問い」がキーワードです。自分で『どうすればいいか』がモヤモヤと頭の中で出来上がってくれば、採るべき行動が具体化され「戦略」に変わっていけば現実的な対応を許容することができるようになります。現実的な対応と感情論との葛藤が起こり、その葛藤を乗り越えた先には『かわいそう』からの脱皮があります。「かわいそう」と思える人は「自分の熱い思い」だけが先行して空回りしているのに過ぎません。方向性や目的が合致させてあげれば、受動的ではなく自主的に行動するようになります。
「かわいそう」と感情を覚える人にこそ本気で問題に取り組める可能性を秘めている。
この世の中は誰もが限定された範囲で行動しなければなりません。そこに善悪はありません。我々にできることは、今そこにある資源をいかにして配分するかだけなのです。配るものがなくなったとき、そこで初めて、目前の善に囚われていては善の最大化は出来ないと気づくのでは遅すぎます。マザーテレサは持続的に献身を続けるために何が大切かを考え行動しています。ノーベル平和賞受賞の際「世界平和のために私達はどんな事をしたらいいですか」と聞かれて彼女はこう答えています。
『帰って家族を大切にしてあげて下さい。』
理想論の足元を見たすばらしい言葉です。感情論に押されて理想論を押し付けても実現は不可能です。現実を見据え、真剣に考えた結果を拒絶するのではなく「かわいそう」から「その先」を目指してみませんか。未来に責任があると自覚すればそう難しいことでも無いはずです。
参考文献
- 作者: 加藤陽子
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
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参考記事
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