2009-11-18
アリとキリギリスはどちらが幸せか 安心に払うコストを考える
「将来に備えて」「もしものために」といったフレーズがあちこちで聞かれます。バブル崩壊、昨今の不況、激動の中を生きてきたからでしょうか。ひたすらに『安心』を選択する人が増えてきています。
「安心」のためにボロボロになるのは本末転倒です。
『安心』は不確実性を排し、変化を忌み嫌うことです。日進月歩で進む環境を無理に安定させようとすれば『安心』のために支払うコストは多大なものになります。
安定や安全に関するコストを計算していますか?。
イソップ寓話の「アリとキリギリス」は冬に備えて勤勉に働くアリと、バイオリンを弾いて毎日を楽しく暮らすキリギリスのお話です。結論的には、リスクに備えてコツコツ蓄えたアリが立派であるという内容は皆さんご存知だと思います。このアリのような在り方を望ましいとする価値観は、勤勉さを美徳とする国で持てはやされてきました。
貯蓄率NO.1の日本は未来への備えをするために皆、今を犠牲にして必死になって働き蓄えをしてきました。本当にそれで幸せだったのでしょうか。安心の代名詞である郵貯や簡保は貯まりに貯まり、行くあてもなく国債や天下り機関に流れています。官がブクブク太った原因はエサを溜め込みすぎたからと言えなくもありません。
労働の道徳を礼賛しなければならなかったのは皆が食べられなかった時代のお話です。現代は労働効率を上がり、流通網も発達しています。キリギリスは美しいバイオリンを弾くことで勤勉なアリから公演料をとり、そしてそのお金でアリから食料を買えばいいのではないでしょうか。アリも文化的な生活を送れて楽しみも増えて生きる活力も生まれてくるのではないでしょうか。
昔と違い生き方に対して選択肢が増えている時代です。さまざまな選択肢を許容してなおかつ、『現代の人間らしい時間』を過ごす余裕はすでに出来ているはずです。農奴を押さえ込むには勤勉の論理が必要であったのは全員が食べられない時代の古い為政者の都合でしかありません。
将来の安心のために「人間らしく生きること」から遠ざかっている。
動物は天敵に食べられたり、エサを確保できなかったりとリスクのある状況下でもその種を維持できるように遺伝子が構成されています。もともと生きることそのものがギャンブルのはずです。そういったリスクを回避するためにヒトは理性を働かせて生きてきました。しかし、本来ギャンブル的な状況下でもヒトは問題なく生きられるようにできているのです。
その不安を乗りこえる「今を生ききる」という力が減退している気がします。安心で塗り固められた保育器の中で育てられた人間は生きる力自体を失いつつあるのだと思います。安心のために計画し準備することに多額のコストを賭けてボラリティの低いローリスクローリターンを望んでいるつもりかもしれませんが、最近の外部環境はそれも許されません。
激変する環境下ではハイリスクローリターンになる可能性も否定できない。そのような中で安心を謡う保険を信奉し、いつくるかもしれない宝くじを夢見るのは本当に『幸せ』なのでしょうか。
計画通りに実行することが至上命題である日本において、計画外に生きることはなかなか容易ではありません。不安を恐れるがあまり想定内の未来を淡々と生きることよりも、ダイナミックで波乱万丈な想定外な未来を生きる方が『生き生き』しているのは皮肉でしかありません。
アリとキリギリスはどちらが幸せでしょうか。
参考文献
- 作者: 岩瀬大輔
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2009/10/17
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