2010-03-01
就職広告:やる気のある人募集中の裏側
『やる気』のある人募集中という就職広告をよく見かけます。このやる気のある人とはいったいどのような人を指すのでしょうか。面接で『頑張ります』とか『やる気あります』というような発言はあちらこちらで聞きますが、社員に『やる気』を求める経営をしている職場とはどのようなものか考えてみましょう。
『やる気』の裏側を知っておく必要は経営者、就活者双方にある。
力量のある経営者なら一定のレベルの人材なら、やる気のない人でも使いこなすことができます。つまり、上を求めればキリはありませんが、それなりの人材なら誰でもいいといった態度もとれます。また器用な社員なら凡庸な社長であっても、下から操縦することで会社を回していくことができます。このように能力がある経営者、社員がいれば、どちらかに穴があったとしても『何とかなる』のです。
その上に、やる気も兼ね備えればいうことはありません。能力+やる気は確かに強いと思います。しかし、やる気はあくまでも付加要素で考えなければ経営者、社員双方にとって危険なことになります。やる気を必須のように考えると、やる気を引き出すために、飲みにケーションであったり、社員運動会であったり、鉢巻きを締めて社歌を謳ったりと本業以外に余計な労力を割かなければならないのです。
やる気のための仕事?
『やる気』は個人から発せられるものです。環境さえ整っていれば自然と沸いてくるものです。『やる気』を強要するくらいなら、着実な成果を上げるための能力を引き上げる教育を行ったり、環境を整えたり、仕事の目標設定を変えるなどすればいいのです。経営サイドとしては『やる気』に頼らない選択肢を選ぶべきだと思うのです。『やる気』に頼るのは経営者の資源配分能力とオペレーション能力不足を社員の責任にしているだけのような気がしてなりません。
「やる気の不足」が失敗の原因になる。
やる気に依存すれば『失敗した本質』に迫ることができません。そして、『やる気』が前提になれば、過重労働が当たり前になります。『やる気の不足』で離職した人を「裏切り者」として叩き、残った人がさらなる『やる気』でなんとかしなければなりません。本当は誰もそのようなことを望んではいないはずです。経営者の無作為は深刻な問題を引き起こすのです。
やる気さえあればなんとかなる。
高度成長期を支えた人は『やる気』があって当然でした。右肩上がりの時代では『やる気』は何らかの形で報われましたので、モチベーションは維持できました。しかし、時代は変わりました。右肩下がりの時代に『やる気』を押しつけることがいかに危険かは上記の通りです。
では、やる気がある社員を当たり前とした経営を行ってきた人がドラスティックに変われるかといえば、答えはたぶんNOです。依然として『やる気』を前提とした経営を維持し、『やる気のある人募集中』の広告を打っているではありませんか。そして、若者に『やる気』が無いとレッテルを貼り愚痴をこぼしているではありませんか。世界情勢を考えず、現状認識をせず、『がんばって働いていればいつかいいことがある』と本気で信じている人たちが、『やる気』を強要してくることが、どれほど若者たちを苦しめているかを知ろうともしないではありませんか。
不作為の責任は誰が取るのか。
多分、責任は『やる気』のない若手に押しつけられます。人口分布から考えて多数決では長老達の勝利になるからです。しかし、その勝利には何の意味もありません。だれも長老達を支えなくなって困るのは、長老達自身なのです。そうなれば、長老達は『若者達にやる気がない』と愚痴をこぼしながら死ぬまで働き続けなければならなくなるのです。
やる気のある人募集中の裏側には、経営者の能力不足か怠慢がある。
参考文献
- 作者: 山田博史
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