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2009-06-02

リセット、コンテニューが認められない日本社会

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米国は現在、金融危機の真っ只中にいます。この先凋落の一途を辿るのかというと、そうはならないだろうというのが大方の予想ですし、私もそう思います。資源があるだとか土地があるだとか人口が大きいだとか、そういった物理的なものを越えた底力があるからです。




米国には確かに資本主義の悪い部分に支配されてしまった部分もあります。格差が広がり、底辺層は拡大しつづけアメリカの復活の足を引っ張ることになると思います。しかし、米国にはこれを乗り越える社会、チャンスを与えつづける社会の「ダイナミズム」があります。敗者復活を認める社会だということです。


米国文化は失敗することを恐れずにやってみることを奨励します。対照的に欧州や亜細亜において失敗は、恥で不名誉なこととして忌み嫌われます。一度ミスを犯したものは社会的に封殺され、もう二度と這い上がることを許さない国もあります。そのような社会では、ミスをしないことが優先されます。ダイナミズムなど起こるはずが無いのです。


GoogleAmazonなど、近年世界に大きな影響を与えるようなイノベーションのほとんどは、米国発です。失敗しても次がある。今頑張ってみてダメでも、何度でも夢を追い続けられる風土がありつづけるかぎり米国は何度でも復活できるのではないでしょうか。


日本は、歪んだ少子高齢化社会を迎えようとしています。経済を維持するための労働力不足が問題になるのは明白です。労働者の絶対数の確保は必要でしょうが、一人の人間に新たなチャンスを与えつづけることで、労働力のリサイクルも促進できるはずです。そうすれば個人がイノベーションを起こす確率も上がるはずでしょう。イノベーションが起これば、劇的に労働コストが下がり、労働力の不足も補えるかもしれません。


日本も米国のいいところである「七転び八起き」が普通にできるような社会になって欲しいと切実に願っています。学ぶべきは、失敗に寛容になることです。ホリエモンさんや村上ファンドさんに、もう一度がんばってもらおうという気風が求められていると思います。烙印が押された人には近づきたくないといった心理を取り払って、再出発を認めることこそ失敗から学ぶということなのではないでしょうか。失敗を社会全体が支える仕組みと個人で支払わせる仕組みはどちらが有用かは一考の価値ありです。


失敗のパターンを学ぶためには、「きわめて失敗する確率の高い」ことをあえて行います。その前提条件として、どれほど派手な失敗をしても「実質的なペナルティがない」というものが必要なのです。失敗する確率が高い」のは、思考や運動の「精度」が下がっているときです。思考・運動の自由が抑制される条件を課されさえすれば、私たちは必ず失敗します。


無数の「ルール」でできています。そのルールによる制限こそが、『社会』そのものを具現化したものなのかも知れません。その伝統は社会に影響を与えて当然だと思います。私も含めて、縛りに耐えられない人たちが増えてきているのは、伝統を失ってきているからだと思います。




参考文献

失敗百選 41の原因から未来の失敗を予測する

失敗百選 41の原因から未来の失敗を予測する



参考記事

任天堂失敗列伝〜第一回〜「64DD版MOTHER3の巻」 - 枯れた知識の水平思考 はてなブックマーク - 任天堂失敗列伝〜第一回〜「64DD版MOTHER3の巻」 - 枯れた知識の水平思考

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