2010-01-14
曲げられない女が曲げられない理由
私たちは多数の人たちが作った前提の中で暮らしています。前提が通用する範囲を知らなければ前提は前提でなくなります。この前提を議論という形で広げたり、狭めたりしていくことこそ議論をする目的なのです。
この常前提がゆらいでいるような社会に議論が始まりませんし、何かにつけて社会は不安定な状態におかれます。議論には信頼性が必要です。そういったものも議論により作られていきます。合意を形成していくことは価値を確認していく行為ともいえます。お互いの価値観を共有している社会は安定しているはずです。
道路は繋がっていなければ役に立ちません。論理は人間の意志を正確に運ぶ道路です。皆の考える常識にそうものであれば自然に抵抗なくつながります。論理の道路が広がれば広がるほど交通網は発達し行き来しやすい環境になります。
どんな議論においてもすでに決まっていることを前提としなければいくら時間があっても足りません。すでに成立している合意が多ければ多いほど、新しい議論も成果を上げやすいと言えます。成立した合意が必ずしもただしとも言えませんが、新しい合意を議論をおこなう上で前提条件について修正や訂正を加えることはできます。
議論の目的は、自らが望ましい方向に議論を成立させていくこと。
意見をすりあわせて前提の範囲を増やしていく行為は重要です。議論には前提を確かめ合うこと、合意していく内容を確かめることが要求されます。議論にならないのは前提を確かめ合う段階でよく起こります。当たり前が通用しない相手と議論がかみ合わないのは当然です。合意していく内容が定まらないならそもそも議論する必要がありません。
当たり前で片づけることは前提を確認する行為でしかない。
当たり前と思っていても相手が納得しなければ説明しなければなりません。常識の範囲が違う人には共有部分を確認してもらう必要があります。そうでなければ議論は成立しませんし、いつまでたっても決裂したままです。
当たり前は時、場所でいくらでも変わります。都度、確認する癖をつけておいた方がいいかもしれません。繰り返しになりますが議論の目的は自分の考えが社会が目指している方向にメリットがあるということを説明して共感と同意をえることです。
議論は常識を整理することも求めます。議論を避けることは常識を放置しておくこと。決めないことが常識になれば議論を避けて、まとまることがありません。なんとなく物事が決まるのは社会の方向性として依然として日本に存在します。
合意形成が少ない社会は危険です。社会全体がかみあわないのはそれぞれの『当たり前』が幅を効かせすぎていて、議論にならないからです。全会一致で決めることが正しいという発想は偽善とタテマエを求めます。前提を整理することなしに、正確に物事を判断出来るはずがありません。それを決めているのは一部の権益者だとするなら、その割を食っているのは『当たり前』を押しつけられている人達です。
議論する価値があるかどうかは誰もが考える必要があります。自ら起こった議論の動機は遮られてはなりません。
澱んだ空気は曖昧な壁を創り出し、排他的になり様々な問題を引き起こします。
参考文献
- 作者: 渡辺健介
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2009/05/22
- メディア: 単行本
- 購入: 9人 クリック: 79回
- この商品を含むブログ (36件) を見る
参考記事