2009-12-05
人は人の上に人を作り人の下に人を作る
戦前の日本には権利について深く考える礎がありませんでした。階級社会に置いては権利関係は存在しないからです。妻が夫に、子供が親に、労働者が雇用者に、民が国に権利を主張することはできない決まりだからです。戦後身分は解体され現在では、さまざまな権利が与えられ表面上の平等を謳歌してはいますが、まだまだ深刻な差別意識は残っていますし、上の者には弱く下の者には強いという伝統は慣習的に力強く生き残っています。権利が存在しない階層型の縦社会は意識的には未だ変わりきれていないのです。
こういった社会の縮図が『イジメ』です。イジメのグループの中では権利が作用しにくく、純粋な力関係で階級が構成されています。理不尽な行為が平然と行われます。そこから脱するためには力を逆転させるか、外側から権利を適応させるしかありません。これほど平等について大切と教えられているにも関わらず、イジメの内側に権利を適応できないのは何故なのでしょうか。
推測ですが、平等という基礎的な観念が確立するような権利の概念を認識している人が少ないからだと思います。ですから見た目だけの平等を装ったり、権利を曲解し公を無視した『利己的な権利』や『見た目が平等な主張』を強弁する人も多いのだと思います。
権利には対立関係が無ければ存在しません。対立関係を否定するような独裁国家や全体主義のような社会においてはもちろん権利は黙殺されます。対立関係は対立できる環境が整っている必要があるのです。それはイジメも同様です。公で認められている法や権利について知り、そしてその理解を社会に適応させて理不尽な不平等を是正するという基本的な法治国家のあり方を認識していないのは、自ら勝ち得た平等ではなく、やはり与えられた平等だからでしょうか。
情は人のためならず。
昔の日本は法治というよりも徳治に近かったのかもしれません。法よりも徳でこの理不尽を発生させない、解消してきたのだと思います。義理人情等の非定量、非論理的な社会には権利が根付きにくいところがあります。情緒的な関係が利害打算の裏側を支えるからです。性善説に基づいた社会基盤が整っているのはこれがうまく機能するように人材を育成しなければなりません。これが崩れ始めれば、性悪説に陥ればこの社会構造は機能不全に陥ります。真に法の意味を知らずして、やたらと権利に訴えたりや平等を装うのはかなり危険な行為なのだと思います。
法で治めるか、徳で治めるか。
今の日本は間違いなく前者しか適応できないと思います。権利を知らない人の間で理不尽に力を振るう人や、一部の権利を乱用する人に振り回されるような社会になってしまっているからです。昔のようないわゆる『躾』がなされていないですから、残念ながら理不尽には権利で、そして権利には権利で対抗するしかありません。
法治国家に移行するのか、それとも徳治国家に戻すのか。性悪説と性善説を選択しろというような内容ですが、この狭間で揺れ動いているのが今の実情であることは間違いありません。一部のルールを操作する人やルールの扱いに長けた人ばかりが利益を得るのは忍びません。まずはルールを知り、そしてルールに則り、自らの「価値」を守り育てましょう。『価値』が高くなければ、『暴君』や『餓鬼』に飲み込まれてしまうことは間違いありませんから。
「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず、人は人の上に人を作り人の下に人を作る」
参考文献
- 作者: 福澤諭吉,斎藤孝
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/02/09
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