2009-05-27
「習うより慣れよ」は正しいのか 開眼に至るプロセスと成長カーブ
お習字の上達には、「目習い、手習い、指習い」という三原則があるのはご存知の方も多いと思います。
目習いとは名作を観て学ぶこと。
手習いとは筆を手に取り書いてみること
指習いとはお手本を指でなぞって学ぶこと
古来より稽古事、芸事というのは『型から入る』のがいいとされています。あれこれ理屈を考えずに模倣することを大事にします。「習うより慣れよ」とか「教わるのでなく盗め」と言われてきました。美術館に出展するような芸術作品やミリオンセラーとなる歌謡曲の楽譜や小説などは、独創的な中にも感性を必要とする部分が多いです。このようなものはコンピューターでシミュレーションできません。ましてや傾向と対策など取れるはずも有りませんし、そもそも整理・体系化などは難しいです。
一方、近代科学的なアプローチの学習では、整理・体系化したうえで、ノウハウのように方程式化した型で理解しようとします。ハウツーにしてもらうと確かに目に見えて上達が早い気がします。いわゆる試験というもの、あらかじめ決められた基準を満たす知識を持ち合わせているかどうかを判定するのが目的の場合には、このような手法は大変効果的だと思います。高校・大学受験もこの部類に入ると思います。
普通の人は努力した量に比例して体力は伸びていきますが、技能の方はなかなか線形には成長しません。それらのコツを会得した瞬間に能力は飛躍的に大きく向上します。能力が伸びる時というのは突然やってきます。努力を続けて偶然に開眼するその瞬間を待ち続けているのです。各人に異なる資質をもっていますので自分自身の最適なコツを見つけ出すしか手がありません。個人個人にカスタマイズされたものなので、汎用マニュアル化することは難しいのです。
だとするなら出来ることは偶然の開眼チャンスを待ち続けてひたすら確率の母数を増やすべく数こなすことだけです。結局これしかありません。周囲がアドバイスできることは『こうした方がいいんじゃない』というのが精いっぱいだと思います。
開眼に至るまでには「自分の才能を信じて頑張る」しかありません。自分を信じるのは自分しかいないのです。もしかしたらすでに自分の限界が来ているかもしれませんし、まだまだ伸びる余地があるかもしれません。残念ながらその答えは誰も分からないのです。
成長過程はどのような場合においても基本構造は同じです。運動やゲームだけでなく頭脳においても同様です。ただし変数の数が多くなりますから、知識やプロセスを経験値として積み上げていくことが重要となります。『基礎体力』はここにおいても必要となります。成長のS字カーブというものは皆さんご存じだと思います。当初はゆるゆるとした成長ですが、ある程度を超えると一気に成長する拡大期に移行し、その後緩やかに飽和していく成熟期に入るというものです。
最初のもがく時期には必要以上に自分を過小に評価して自信喪失になります。時期が来てコツを覚えてくると今度は自らを過大評価して慢心に陥ります。起伏の山谷の間を激しく揺れ動き、絶好調かスランプを経験します。不安か不満が溜まっている状態が続きます。ですので、下積みの頃は「何とかなるさ」くらいの気構えで楽天的に。そして成長を実感する頃には、「世の中こんなに甘くない」と自重した態度で落とし穴に備えることをオススメします。
運動も勉強も習い事も、王道は『自分を信じて努力を続けること』です。アプローチの仕方はいろいろあると思います。可能な限り『道具』は巧みに使っていくのがいいのは間違いありません。そして処々のことに一喜一憂せず、ゆったりと悠然と構えて精進いたしましょう。たとえ道に迷ったとしても、歩いていても必ずそれぞれのゴールはあるはずです。
参考文献
子どもを伸ばす習い事、つぶす習い事 (AC MOOK できる子は10歳までに作られる別冊)
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