2009-06-26
理不尽でもジャイアンなら意見は通る
厳しい環境を生き抜くには「洞察力」はなくてはならないものですが、同時に「政治力」も必要です。これらは車の両輪のごとく、常に並存していなければならないものですが、狡猾な大人の社会では後者のほうが重要視されている面があります。
現在の学校教育を眺めてみますと、国語算数理科社会で「洞察力」に多くの時間を割いています。「政治力」はクラブ活動や課外活動などで付随して学ぶ程度で本腰をいれているとは思えません。狡猾な大人の社会で求められる「政治力」を学ばず実行力を持たない子供たちは見事に搾取の対象になります。
極論ですが「政治力」がなければ、「洞察力」は役に立ちません。理論だけでは何も薦められないのです。沢山の人と議論しながら合理的もしくは非合理的な感情のぶつかり合いも経験し、それでも推し進めていく力が必須なのです。裏を返せば「政治力」のみ鍛えれば確かに上にいけます。しかし上に立って組織を率いていくに当たって「洞察力」を持たず、理論を伴わないなら組織内の人を苦しめるばかりでなく、最悪組織崩壊に導きます。
そうならないためにも、現在の政治家や官僚には各分野の学者並みの知識と能力が求められるべきですし、企業のトップにも同様のものが要求されてしかるべきだと思います。経験や勘に拠らず、論理的、科学的な思考、説明が出来ることが最低限のベースとなるべきです。逆に学者や研究者は「政治力」を身につけるべきです。
「放っておけば、格差がつくのは当たり前」と考えている欧米人や発展途上国は「自分の目標に合った教育」を求めます。目的達成に必要なモノすべてに、自ら多方面に能力を伸ばしていきます。そのなかでも実行力や政治力を伸ばす教育は必須科目にしています。
組織の力の使い方、制御の仕方、それを支えるリーダーシップとフォロアーシップを学ぶことは子供の頃から学ぶべきだと思います。スキルベースとしての実行力や政治力を学べないのは不幸です。いくら専門的に能力が高い人であっても使われる側に回ってしまえば、自分の実力を政治力をもつ人に委ねることになってしまいます。
日本人には「洞察力」の伴わない非論理的な政治家は沢山いるものの、高度な技術を持っていても「政治力」が無いばかりに自分の殻に閉じこもっている人が多い気がしてなりません。これは組織としても国としても大きな機会の損失です。
参考文献
- 作者: 知的生活追跡班
- 出版社/メーカー: 青春出版社
- 発売日: 2009/08/25
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