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芥川龍之介の小説『河童(かっぱ)』は霧の北アルプス・上高地から始まる。語り手の「僕」は登山中に河童を見つける。夢中になって追ううち、穴のような深い闇に落ち込む。気を失って覚めると、そこは河童の国だった――▼上高地を舞台にしたのは「河童橋」からの連想だろう。80余年前の小説だが、話の中にも橋の名が出てくる。いまでは上高地を訪れる人なら知らぬ人はない、シンボルのような存在だ。梓川の清流に架かるその橋がつり橋になって、今年で100年になる▼この橋から仰ぐ穂高連峰に心を奪われた人は多いだろう。筆者もその一人だった。登山に明け暮れて、訪れたのは20回を下らない。晴れた日には、梓川は光と水がもつれ合うように、深く青く流れていた▼現在の橋は5代目になるそうだ。名前の由来には、「河童が住んでいそうな淵(ふち)があった」といった諸説がある。みずからも訪れた龍之介の書きぶりも、深山幽谷の別天地だった往時をうかがわせる▼時は流れ、いまや年間の来訪は百数十万人にのぼる。乗り入れ規制などで一時より減ったそうだが、高地の繊細な自然を思えば、観光と環境の共存というテーマに終点はない。アルピニストの世界だった冬にも観光客が急増しているという▼龍之介は、人が自然を愛するわけを「自然は我我人間のように妬(ねた)んだり欺いたりしないからである」と言っていた。平たく言えば、無心の安らぎということか。きょうはその芥川が命を絶った河童忌。人界の暑苦しさにうだりながら、梓の流れを瞼(まぶた)に呼びさましてみる。