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[19403] ASTRAYS 【旧題:オリ主の親友は報われない法則】 第六話
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/07/28 17:57
ども、散雨です。
この物語は

オリ主――――――の親友ものです。

オリ主ハーレムもの、の親友ものです。
最強オリ主もの、の親友ものです。
原作キャラ×オリ主もの、からはじき出された親友ものです。


云わば主人公は、ギャルゲーの主人公の親友です。


基本的に時間軸はJS事件終了。過去話は主人公の回想という形です。
ただし、殆どなのは達に出番がありません。だって、あの娘達はオリ主に眼がいっても、主人公には向きませんから……

過去話が本編な感じですかね?



ギャグものです、多分




2010/6/17、時間軸修正、文章加筆、文章構成変更
2010/6/18、一話を分割、間話投入。
2010/7/28、題名変更、一部設定変更、四話修正。



[19403] 第一話「親友はそういうポジションな法則」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/07/28 17:57
自分が世界の中心にいて、世界は自分を中心に回っている―――なんて事は無い、そんな当たり前の事を気づくのは意外と速かった。皆の認識がどうかは知らないが、それに気づいた時には絶望は感じ無い。むしろ、胸の中にある空白にストンと何かがハマる様な感覚。テトリスであと一列入れば全てが消える、そんな感覚に近いのかもしれない。
だから、ストンとその部分は落ちて来た。
納得する。
自分はこの世界の中心にはいない。そこら中にいる何の変哲もない只の人間である事に気づく。自分はそういう人間で、その程度の人間でしかない。
そう、俺はそういう人間だ。

武本銀二という男は、その程度の存在でしかない。

もしかしたら、世界の存亡に関わる重要なポジションにいて、世界を救う使命を持っているかもしれない。
もしかしたら、街で突然綺麗な少女と出会い、少女と戦いの渦に巻き込まれるかもしれない。
もしかしたら、この身に膨大な力が眠っており、その力を狙ってくる組織と戦う運命なのかもしれない。
それ以外にも、可愛い幼馴染や、そのクラスメイトとの恋愛ごっこ。偶然出会った車椅子の少女との触れ合い、悲しい眼をした少女との出会い―――そんな『もしかしたら』に俺が関わるかもしれない。
そんな事を考えていた頃もあった。
けれど、すぐに気づく。

それは、物語における主人公がするべき事であり、俺ではない。

所詮、俺は主人公ではない。
俺はその主人公の知り合い、友達―――親友という立場にしかない。
わかっていた。
あぁ、わかっていたさ。
けど、もしかしたら自分にもそういうチャンスが来るかもしれないという、そんな甘ったれた想像、妄想を抱く事だってあるんだよ……けど、現実は俺には振り向きもしない。『もしかしたら』と云う全てが俺には何の関わりもない場所で起こり、その全てに主人公である俺の親友がいる。
俺じゃない。
武本銀二ではなく、鎌倉清四郎の場所にばかりそんな出来事が起こる。
清四郎は主人公だ。
俺は、その友達でしかない。
清四郎の周りには、アイツを好いている綺麗な女ばかりいる。俺には、眼もくれず、彼女等はアイツばかりを見ている。
お前は何処の勝ち組だと言った事があるが、あの鈍感野郎は「そんな事ないよ」と嫌味のない笑顔で言いやがる―――それが十分に嫌味だってぇの。
まぁ、こんな事を言っても結局は負け惜しみで、汚らしい願望でしかない。
けど、そんな事は俺にはどうでもよかった。アイツの周りにそんな娘達が沢山いて、清四郎を好きだと言ってくれるなら、それで良い。そんな負け惜しみを言える程度なら、何の問題も無い。
けど、それ以外はどうなのだろう。
昔から、主人公は中心だ。
人々の、出来事の、そして幸福の。
なら、俺はどうなのだろう。
俺は、そんな役柄ではなかったらしい。
不幸とは思わない。
不憫だとは言わせない。
だって、しょうがない、だろうよ……
しょうがないから、俺は諦めた。
しょうがないから、俺は諦められる。
俺は主人公には成れない。
世界は主人公を鎌倉清四郎と決め、武本銀二をその友達、モブ、背景―――最低でも、その他としてしか扱わないのだろう。
それに気づいたのは、今から十年前の春。それを受け入れたのは、今から十年前の春。そんなもんだと割り切ったのは、今から十年前の春―――そして、無意識に感じていたのは、俺が鎌倉清四郎と出会った十五年前。

それを知らなかったのは、ちっこいのが消えた十六年前。

出会った時から、俺はアイツのそういう人柄になんとなく気づいていたのかもしれない。だけど、ガキだった俺には世界の中心は何時だって自分だと思いこみ、アイツの兄貴分としてアイツを引っ張っていた―――そして、それが間違いだと気づく。
情けない、とは思わない。
最初に言ったように、空白にストンと何かがはまった感じ。
納得は出来た。
納得は出来たから、俺はそういう人間で終わるのだと決めつけてしまった。
主人公ではなく、主人公の周りの一人。
それでも、それでも少しだけ情けない事を言うとしたら、一つだけ。

どうして、俺の惚れた女は――――俺を見てくれないのだろう

これだけは、何時まで経っても納得できない。わかってる、その理由は痛いくらいにわかっているんだ……でも、諦めきれない。
ソレが例え、彼女の眼が清四郎にしか向いていなくとも、清四郎の好みを知ろうと無垢な笑顔で俺に聞いてきたとしても、清四郎と喧嘩して仲直りの方法を俺に尋ねてきても―――あぁ、そうだよクソッタレ。
俺が彼女をどう想おうと、それは彼女には関係ない。
相談される度に、心が悲鳴を上げようとしても我慢した。
俺にそんな事を聞くんじゃないと、怒鳴ろうともしたが我慢した。
お前を好きな俺に他の男の話を持ってくるのかよと、泣きそうにもなった。
だけど、それは全て―――俺の都合だ、彼女の都合じゃない。
だから、よ……



「――――――行けよ、清四郎」



少しだけ、今回だけ―――いいや、今回も。
俺はそういうポジションにいる。

燃え盛る街、空には飛ぶ人間と機械。そして、巨大な箱舟。ジェイルなんとかっていう奴が起こした馬鹿騒ぎは、こんなにも大きな街を、あのたった一隻でどうにかしてしまえる程。
絶望的な戦力差ではないが、絶対に勝てるという保証はきっと何処にもない。だからこそ、陸でも、空でも、皆が必死になって戦っている。
「お姫様達が、あそこで戦ってんなら―――王子様のお前が行かなくてどうするよ?」
そして、彼女も戦っているだろう。
「ってかさ、お前はいつまで自分の殻に籠ってるわけ?いい加減にしねぇと、ぶん殴るぞ」
なのに、その彼女から好意を向けられているコイツは、迷った眼で俺を見る。
「――――僕は、戦えない」
「なんでよ?向こうは悪党なんだろ。だったら、正義の味方が戦わなくちゃ駄目だろ」
「違うよ……僕達は正義の味方かなんかじゃない」
正義の味方じゃない、ねぇ……まぁ、清四郎の言いたい事はなんとなくは分かる。そして、コイツが何に迷っているかもわかる。
信じていた正義は正義じゃない。
悪だと信じていた悪は、完全な悪ではない。
それを知ってしまったから、コイツは立てない。
真っ直ぐで、優しくて、そして鎌倉清四郎だから。
「銀ちゃん……どうして、銀ちゃんは管理局にいるの?」
「おいおい、この状況でソレを聞くか?」
疑問に疑問を返しても状況は前には進まない。そして、疑問に思う以前に、俺は今の自分にそれほど疑問を感じていない。故に、俺はあっさりと答えられる。
「そうだな……まずは金がいい。そして美人が多い。後は糞忙しくて、死にそうになるような仕事が多い分、女受けがいい―――ほら、戦う男って恰好が良いだろ?」
世の中は金と女、それだけあれば大抵は幸福になれる―――これは俺の親父の言葉。こんな道徳なんぞ糞くらえみたいなセリフを吐くのが寺の住職だってんだから、世も末だよ。
「それだけだよ。俺が管理局なんていう場所にいるのはよ……お前は、どうしてだ」
「僕は……」
口籠る清四郎を見据え、俺は大きく溜息を吐く。
「即答しろよ。少なくとも、管理局に入るのかって俺が聞いたら、お前は即答したぜ」
あの時みたいに、即答しろよ。
「お前は、守りたいって言ったよな?この日常を守りたい。自分の大切な人達を守りたい。そして、この手の届く範囲で人を助けたい―――お前の親父さんみたいによ」
なんて甘ったれた、頭の中がお花畑みたいな考えだと噴き出しそうになる。
「そんな意志があって、お前はお前の道を選んだんだろ?俺みたいに、女にモテたいとか、金が欲しいとか、そういう邪な考えでこの道を選んだわけじゃなかろうによ――――それを、どうして今のお前が迷う?」
「自分のしてきた事が、正しくないから」
「―――――――誰が、そんな事を言った?」
「誰も言わないよ。でも、見ちゃったんだ。僕がしてきた事、僕達がしてきた事で泣いている人達がいる。僕達が敵だって思っていた人達にも大切な想いがある……それを、見ちゃったから」
「んなもん、今更だろ。闇の書事件の時だって、アイツ等の守りたい者とお前が守りたい者が一緒じゃなかった。それでもお前は戦った。大の為に小を切り捨てたくないから、お前の仲間と、はやて達を天秤にかける事をしたくないから――――最後は、皆が笑って終われる物語にしたいから、お前は戦った……あの時と今、何が違う?」
清四郎は俺を見ない。
自分の握った拳だけを見つめ、世界を見ようとはしない。
それに苛立ちを感じる。
「答えろよ、あの時と今……何が違う」
小さく、清四郎は言った。
「…………僕は、スカリエッティが許せない」
でも、と言いたくない言葉を吐き出す様に、
「アイツの傍にいる彼女達は……彼女達には、そんな想いを抱けないんだ。どうしてかな……許せない奴がいるのに、許せない奴を守ろうとする彼女達を敵だなんて、想いたくないんだ」
あぁ、確かナンバーズとかいう連中か。話に聞く限り、全員女で全員が上の上ランクな美女と美少女ばかり―――うむ、それは確かに戦えないな。
「って、んな事を考えてる場合じゃない」
頭を振って馬鹿な考えを消す。今はそんな事を考えている場合じゃない。
「つまり、あれか?あの時と違って、お前は敵を敵と認識できる。でも、その敵の中には悪党ばかりじゃなくて、優しい奴もいる……なるほど、確かにあの時とは違うわな」
闇の書事件の時とは違う。
あの時は全員が全員、悪党ではなかった。
皆がそれぞれに守りたい者がいたから、その想いが真っ直ぐにぶつかっていた。けれど、今は違う。善と悪の混じり合い、混沌とした戦いの場にて、清四郎は迷っている。
守りたい、その為には戦う。
許せない、その為には戦う。
その前提を覆す程に、コイツはそのナンバーズとかいう連中に肩入れしてしまった。仲間も大切だが、それを言い訳にソイツ等を撃ちたくはない、そんな矛盾。
相変わらず、面倒な奴だな。
「銀ちゃん。僕達って……管理局って本当に正義の味方なのかな?自分の守りたい世界の為に、優しい人達を蔑にして、敵だって割り切って戦うのが、正義なのかな?」
…………俺的には、自分達を正義だって考えた事はないんだがよ。単純に、この世界的には管理局は正義の味方で、その正義の味方に属していれば合コンとかでもそれなりに好印象を与えられる―――云わば、管理局を名乗る事のメリットなどその程度しかない。
だけど、そう考えているのは俺だけで、清四郎は違う。
物事の奥の奥まで見据え、その結果表面を見失い、表面が砕ければ中まで砕けていく。
面倒臭い。
そんな面倒臭い事を考えるなんて、本当に面倒臭い奴だ。
けど、だから好きなんだけどな。
頭が固いというか、なんというか……
遠くで爆音が響く。
地面が揺れる。
建物が揺れる。
機動六課のあった廃墟なら、もう何度かの震動で崩れるかもしれない。そんな場所で一人蹲るコイツを引っ張りだす事なんて簡単だ。
でも、それでは意味が無い。
だってよ、コイツは主人公だ。
主人公は、どんな時だって自分の脚で立たなければ意味が無い。
いつだってそうしてきた様に、今だってそうするべきな様に。
「―――――――なぁ、清四郎」
俺は清四郎の隣に腰掛ける。しみったれた空気は好きじゃないし、こんな事を言うのも正直な話、面倒だ。だから、そんなしみったれた空間に少しでも臭い匂いを出す為に、煙草を咥える。
「正しいとか、間違いだとか……そういうの考えて動かない事が正しいのか?いや、この際、正しいとかそういうのは置いておくとして――――お前は、動かないままでいのか?」
「動いて、何になるの。動いて誰かを傷つけて、自分の傲慢を押しつけて、それで勝って負けて……意味ないじゃないか」
煙草に火をつける。
「意味がない、ねぇ……それは少し、安直だわ」
煙草を吸うには此処は少しだけ静かすぎる。俺が煙草を吸う時には大抵は喧しいギンガがいて、煙草を止めろだの、身体に悪いだの、臭いだの臭いだの臭いだの―――そういう喧しさに今は未練がある。
そして、その未練を消したくないのも、俺だ。
「清四郎……お前の意味がないと想うのは勝手だけど、他の連中はどうなんだ?アイツ等が必死こいて戦ってる今は、意味がないのか?俺はそうとは想わない。それが意味がないなんて言ったら、なんか寂しいし虚しいじゃねぇかよ」
未練は程良くが、丁度良い。
長すぎても駄目だが、短すぎるのも味気ない。
「善も悪も関係ない。自分達の守りたいモンがすぐ傍にある。それを守るためには動くしかない。動かなくても誰かが何とかしてくるかもしれないし、動かなかったら失うかもしれない……そして、アイツ等は動く事を選んだ。誰かに任せても救われるかもないが、自分が動けば少しだけその可能性が上がるんだ」
純粋で真っ直ぐだから。
それがうざったいと想う事もあるけど、少しだけ羨ましいとも想う。
「全てを救える奴なんていない……」
主人公は救える。
ヒロインも救える。
けど、モブは救えない。
この手からすり抜けた人を、俺は忘れない。この眼が見殺しにした人を、俺は忘れられない。

そして、俺が守れなかったアイツを―――俺は絶対に忘れない。

それは勿論、清四郎だったそうかもしれない。俺の知る限り、コイツは沢山の人達を救ってきた。そして、そんな人達を笑顔にしてきた。
でも、それでもコイツは、人間なんだ。
間違いもするし、失敗もする。
俺と違う所があるとすれば―――それは、失敗しても『なんとかってしまう』というクソみたな法則だけだ。
だから、お前はまだ諦めるべきじゃない。
「―――――だからって諦める事は間違いだ。俺はそう想う……そう想えるのは、お前がそれを見せてくれたからだ。悩んで苦しんで、それでも諦めない想いをお前は見せてくれた。俺が何度も諦めた事に、お前は一度だって諦めなかった―――だから、お願いだから諦めないでくれよ」
だって、お前は主人公だろ?
主人公は、ヒロインのピンチに何時だって駆けつけるのが仕事だ。
俺にはそんな事は出来ないけど、主人公なお前はそれが出来る。
それを出来るだけの、強い想いがお前の胸にはあるんだよ。
だから、皆がお前の事を好きになる。
だから、俺もお前の事を好きになれた。
だから、俺達はお前を頼るんだよ。
「――――僕は、誰も傷つけたくない」
「知ってる」
「――――僕は、誰にも悲しんでほしくない」
「あぁ、知ってる」
「――――僕は、皆に笑顔でいてほしい」
「あぁ、そんな事はガキの頃から存分に知ってる」
バンッと清四郎の背中を叩く。
「だったら、行ってこい。お前の救いたい奴、守りたい奴、全部まとめてお前が何とかしてこい―――その結果、どっちかに怨まれても俺がお前を認めてやる」
きっとそんな事はないだろう。
コイツが動けば、世界はコイツの想う様に転がっていく。
そういう嫌なシステムがきっとこの世界にはある。
主人公は、そういう奴だから。
「下らねぇ事で悩む時間は終わりだ――――此処からは、行動する時間だ」
俺の眼、清四郎の眼、ようやくぶつかる。
俺が笑い、清四郎が頷く。
「――――なんか、銀ちゃんには何時も迷惑ばっかりかけてるよね」
「そう想うなら、お前のツテで合コン開け。六課の女性陣全員参加の合コンだぞ」
「もぅ、そればっかりだね……でも、いいよ。僕から皆に話してみる」
「絶対だぞ?約束破ったら叩くからな」
立ちあがる主人公の背中を見る。
本当に手のかかる主人公だな、コイツは……
けど、その背中を押せるなんて役割を担えるなら、俺のポジションもそうそう捨てられるもんじゃないと思う。
そう思った時、先ほどよりも一段と大きな震動が起こる。
機械が地面に堕ちた音。
肌がピリピリと痺れる。
「――――どうやら、お客さんらしいな」
建物の外には無数の機械の群れ。
ゾロゾロと蟲の入る隙間も無い程の有象無象の群れ。
連中の狙いは即座に理解できる。
狙いは、コイツだろう。
「銀ちゃん……」
決心はついている清四郎の瞳は迷いはない。こういう眼をした時のコイツはどんな奴にも負けないと知っている。だから、俺は迷う事なく云える。
「行け。此処は俺が抑える」
清四郎の肩を叩き、踏み出す。
「無理だよ!この数じゃ、いくら銀ちゃんでも……」
「無理?馬鹿言ってんじゃねぇよ、ボケ。俺を誰だと思ってやがる」
まぁ、ランク的にはCランクの俺。そして清四郎はSSランク。敵はAランク程度でも苦戦する程の力を秘めている。
「それに、こんな所で道草食ってる暇はねぇよ。お前は空に浮かんでるデカブツに行って、決着をつけてこい」
「でも……」
渋る清四郎の頭を叩き、
「でも、じゃねぇよ――――お前はお前のやる事をやれ、鎌倉清四郎」
俺も、俺の出来る事をやる。
俺は空も飛べないから、箱舟には近づけない。そして、仮にあそこに行けたとしても俺がいては足手まといにしかならない。自分の力量は誰よりも自分が分かっている。
そして、俺の役目は誰よりも知っていて、誰にも譲りはしない。
「なぁに、心配はいらねぇよ。一応は俺って強いじゃん?そんな俺があんなブリキ連中に負けると思うか?思うとか言ったら泣くから言うなよ」
「―――――死んだら、駄目だよ」
「寝言は寝てから言えよ、ダチ公――――んな事より、お前は合コンの約束を忘れんなよ?」
「わかった……此処は任せるよ」
「応ともよ。これが終わったら、とりあえず酒でも飲みにいくか」
「僕、まだ十九なんだけど……」
「なのはみたいな事を言うなよ、こんな状況で……」
俺は前に、清四郎は後ろに、
「死ぬなよ」
「銀ちゃんこそ」
そして、俺達はそれぞれの戦場に向かう。
空に白銀の閃光が奔る。
その光は一直線に箱舟に向かい、周辺で戦闘している者達を蹂躙して進む。その猛進を阻める者などこの戦場にはいない。
「機動六課最強、ねぇ……羨ましいこった」
最強なんて称号、俺には絶対に回ってこない称号だ。
「――――電助、いけるな」
握り締めるは、黒塗りの木刀。
『電助ではない。某にはちゃんとタケミカヅチという名前がある』
こんな木刀でも一応はデバイス。二十年以上稼働している中古品だが、それでも俺の相棒でもある。
「空気読めよ、電助。此処はそう言う場面じゃねぇよ」
『むしろ、こんな時こそ汝は某の名をキチンと呼ぶべきだと思うが?』
「ッは、なんだよその死亡フラグ」
『汝が先程から立てているフラグの事だな』
失礼な奴だな、そんな事はお前に言われなくても百も承知だっての。
『念の為に聞いておくが、汝はこの戦況で汝が生き残れると思っているのか?所詮はCランク程度のポンコツスペック……死ぬぞ』
「だからどうした?」
『これでも一応は心配しているのだがな……汝は某の主だ。主に死なれては某が困る』
まぁ、この状況ではそう想うは普通だろう。
無数の機械の眼が俺を見据える。無機質なガラス玉みたいな眼でも、その眼を宿す機械の身体は正しく殺人兵器。その殺人兵器の数は数えるのも馬鹿らしい程の大群だ。それだけの兵力を清四郎一人に向けるなんぞ、相手も相当にアイツを危険視してるって話だ。
「嬉しいねぇ、それこそ俺のダチ公だ」
『そして、その友の為に残っている汝は―――正しく大馬鹿者だ』
呆れる様に言う電助の言葉に、俺は笑うしかない。
ほんと、コイツとの付き合いも結構な長さになる。俺が初めてコイツと出会ったのは十六年前、俺が初めてコイツを握ったのは十二年前、俺が初めてコイツと共に戦場を駆けたのは十年前―――俺が錬明時で過ごした日々、海鳴で過ごした日々、清四郎と過ごした日々は常にコイツとの時間だろう。
「付き合えよ、相棒」
『付き合うさ、相棒』
それを終わらす気なんぞ、さらさらない。
戦場の空気は張り詰めている。生きているのは俺だけ。生きていないのは機械だけ。一体一体の戦闘能力は並みの魔導師では歯が立たないだろう。だが、そもそも俺は魔導師なんかではない。
俺の手にあるのは木刀の形をしたデバイス。デバイスは魔導師の持つ杖だが、俺にとっては一振りの刀でしかない。そして、刀以外の使い道など知らない。
魔導師としてポンコツだと言われた。
シールドも張れない。空も飛べない。誘導弾も操れない。砲撃も撃てない―――魔導師として二流を通り越して三流と言っても過言ではない。
それでも、出来る事はある。
「エンチャント――――アクセル」
身体に力が漲る。
「エンチャント――――インパクト」
身体強化、それだけが俺に許された唯一の魔法。
「エンチャント――――スラッシュ」
限界を超え、極限を超え、無限に付加される強化。
「――――――――エンチャント・マキシマム」
『絶刀・鋼』
強化特化型の魔導師、武本銀二の唯一の魔法。
電助を正面に構え、地面を掴む。
『最終確認だ。この群を押し留める事のか、それともこの群をある程度まで引きつけたら逃走するのか、どちらだ?』
何を馬鹿な事を言っているのだ、このポンコツだ。
「寝惚けんな。方針は最初から最後まで一つ」
視界に映る全てのブリキを見据え、



「全部を全力でぶっ壊す。一体だって生き残らせねぇよ……」



獰猛な獣の笑みを浮かべ、宣言する。
『正気か?』
「あぁ、正気だよ。コイツ等を一体でも残したら後々面倒だ。だったら、この場で全部ぶっ壊すのが筋ってもんだろ?それとも何か、お前は俺にそんな程度の事も出来ないってほざくかよ」
電助は無言。
「それは了承って意味で取るぞ」
空気が凍る。
冷たい空気を詰め込んだ風船の様に、凍った空間が支配する。
「それとな、電助。お前は死亡フラグっていうのをまったく理解してねぇよ」
機械が軋む―――動く。
「死亡フラグってのは、立てる事に害は無ぇよ。問題はその使い方だ」
集団、群、軍、一斉に行進を開始する。
その標的は俺。
ちっぽけな虫けらを踏みつぶす程度の認識で、機械の群れは俺を押し潰さんと行進する。
「あんなもん、死亡フラグっていう程でも無い。いいか、死亡フラグってのは―――こういうモンだ!!」
そして、俺も猛進を開始する。
強化した脚で宙に跳び上がり、一番手前にいたブリキに木刀を叩きつける。無論、木刀では鋼鉄を斬れない―――ならば、押し潰す事は可能だ。
『断刀・斧』
一撃は斬るではなく、潰す。俺の一刀にてブリキは潰れたゴキブリの様に地面に張り付く。
「俺は!!これが終わったら!!なのはに好きだって告白する!!」
一瞬の火花の後、ブリキは爆発。その爆風に飲まれた身体を行使して横に跳ぶ。
構えは突き、腕を引き絞り、弓を放つ様に構える。
ブリキの反応は速い。だが、すぐに攻撃は来ない―――少なくとも、俺の前の前にいるブリキの群れはして来ない。代わりに、その背後に佇む別のブリキの眼が光る。
アイツは撃ってくる。
防ぐ?
そんな防御力は無い事は無いが、身体強化では些か心もとない。
なら、あのブリキを壊すしかない。眼が光ったブリキを斬るには目の前にある、虫の入り込む隙間も無い程に密集したブリキ共を破壊するしかない。
否、隙間はある。
微かな隙間。
虫は張り込めなくとも―――針の一本は入る隙間。
十分だ。
『抜刀・針』
一閃―――針の入る隙間しかない隙間を、木刀がすり抜ける。
ブリキの眼から何かが発射されるよりも早く、俺の剣がブリキの眼球を押しつぶす。
針の一本―――その隙間があれば、これの剣はあっさりと通り抜ける事が出来る。
「後はそうだな―――ナカジマの親父と酒を呑むのもいいな!!」
光が俺の目の前で交差する。
肌を焼き切る光線が頬を掠める。心臓が凍りそうになりながら、後方に跳ぶ。たった二体破壊されただけでブリキ共は俺を明確な敵と判断したのか、俺を囲むように円を作る。
「ついでに、ギンガに飯を驕ってやってもいい!!」
『幻刀・鏡』
刃は曲がる。
刃は伸びる。
俺を囲む円を次々と切り裂きながら、円は崩壊する。
「――――――他にもやりたい事は山ほどあるけど、こんなもんか……」
爆発する残骸を踏み締め、周囲を見渡す。
敵、敵、敵―――見渡す限り敵ばかり。味方は一人もいやしない。そもそも、既に捨て去った六課の建物など守る価値も無い。守るべきは街だ、此処ではない。
孤立無縁、四面楚歌―――心躍るような展開だろう。
『汝、そんなに死亡フラグを立てて楽しいか?』
「あぁ、楽しいね」
敵は無数、俺は一。
「いいか、電助―――死亡フラグってのはな」
結果は死しかない。
そう、死以外はあり得ない。
「死んでも、死んだとしても―――――」
それ以外は、必要ない。

「死ぬ事はあっても―――――負けはねぇっていう意味なんだよ!!」

俺は主人公じゃない。
だが、主人公にはこんな見せ場は譲れない。俺には俺で存在意味がある。それが例え、清四郎の引き立て役でも、清四郎のダチというポジションだとしても、この場は誰にも譲れない。
誰しもが戦っている。自分の大切なモノを守ろうとする意志の為に。
誰しもが戦っている。自分の欲する未来の為に。
誰しもが戦っている。此処が、己の存在する世界だと信じる為に。
『―――――愉快也!!』
「―――――滑稽也ってな!!」
故に、この身に敗北は許されない。
許されるのは死のみであり、敗北など願い下げ。
『では、共に逝こうぞ!!』
「応!!」



「武本流喧嘩殺法、武本銀二――――――死闘、仕る!!」






恋を知っても、報われない。
愛を知っても、報われない。
故に、これは主人公の物語ではない。

危機を知っても、救えない。
悲劇を知っても、救えない。
故に、これは幸福を齎す英雄の物語ではない。

絆を知っても、他人の絆。
笑顔を知っても、他人に向けられる笑顔。
故に、これは魔法少女達の物語ではない。


それら全ては主人公が得るモノであり、友にそれを得る権利は許されない。



故に、これは単なる一人の男の物語である。



報われない想いを、この胸に――――――友は今日も、報われない








第一話「親友はそういうポジションな法則」





[19403] 間話「どちらかが報われない法則」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/06/18 11:53


そこは、人間の欲望が渦巻く混沌とした世界。
誰よりも自身の欲望に忠実に、誰よりも自身の幸福を優先し、其処には他など存在しない。存在するのは己のみ。
嗤う、嗤う、誰しもが嗤い、ケタケタと気味の悪い笑みを浮かべる。
それは個ではなく集団。その集団を見た通行人はすぐに集団から眼を逸らす。あの集団に関わってはいけない。関わったらきっと不幸に見舞われる。そんな通行人の反応、考えは間違いではない。むしろ、それを理解できずに近づく者こそが愚か者。
此処は何も知らぬ者が足を踏み入れてはいけない、そんな魔窟。
「―――――あの、銀」
「なんだ、ギンガ」
「なんで、私はこんな所にいるの?」
そんな魔窟、正確に言えばミッドにもある秋葉原に似た電気街のとある店の前。集団の中に一人だけ異彩を放つ女、ギンガ・ナカジマが未だに事態を把握していないのか、それとも寝ぼけているか、俺に尋ねる。
ちなみに、ギンガは俺よりも年下なのだが、職場的には先輩という事で俺の事を銀と呼ぶ。そのせいで、周りの連中も銀、銀と呼ぶのだが―――はて、俺は舐められているのだろうか?
しかし、流石に年上という事もあるのだろうか、時々敬語になったりとごっちゃになっているのが、些か納得出来ない。敬語使うなら、最初から最後まで敬語を使え。
「ってかさ、ギンガ……」
俺はギンガの姿をじっと見つめる。
「な、なんですか……」
「いやね―――――猫さんパジャマは、ちょっと……」
「―――――ッ!!」
バッと顔を真っ赤にしながら自分の身体を隠すギンガ。うぅん、なんつうかその如何にもファンシーな猫さんパジャマを着ている姿と、普段の姿を比べると違和感が湧く。いや、別に嫌という訳ではない。可愛らしいとも想う。むしろ、可愛いとも想える。かっこいいという反応も多々あるが、俺的にはこっちの方が良いね。
「こ、こここここ、これは……」
「…………スバルのか?」
「そう!!そうなんですよ!」
「スバルのパジャマを借りていたと……」
「その通りです!!」
「――――――――――ちなみに、スバルは寝る時に寝巻きは着ない。この間、寝てる時に確かめた」
「何時ですか!?人の妹に何をしてるんですか!?」
「大丈夫だ。その時にティアナの野郎にボッコボコにされたから……危うく、男のシンボルを斬り落とされる所だった……」
あの時は本気でやばかったなぁ。確かに、ティアナとなのはの間で色々あった時期らしく、タイミングが見事にやばかったね……というか、清四郎。お前も俺にそういう事はしっかりと教えてほしい―――じゃないと、六課に忍び込むのも大変だっての。
「まぁ、それはさて置き――というか、さてで置いておきたくないのですが……なんで私がこんな所にいるの?」
「見た通りだ」
「見ても分かりません」
見渡す限り、男、男、男―――欲望に眼をぎらつかせた男達の行列。
「――――これがR指定ゲームなら、お前はこれから(ディバインバスター)だな」
俺がそう言った瞬間、周りの男達が一斉にこちらを見る。血走った目で、俺も若干引く位の物凄い目で。そんな目で見られたら当然、ギンガは小さく悲鳴を上げる。
だが、大丈夫。
此処にいる者達は皆が紳士だ。
俺が肩をすくめながら彼等に目配せすると、彼等も何かを察したように「フッ」とニヒルな笑みを浮かべて視線を逸らす。
「…………な、んなんです、か?」
すっかり脅えたギンガは震えながら俺を見る。
「今、身体の隅々を徹底的に蹂躙された気がしたんですけど!?」
「気のせいだな」
「嘘です!!絶対に嘘です!!もう嫌ぁ……帰るぅぅぅ、もう帰るぅぅぅうううううううううう!!」
「駄々を捏ねるな……」
「駄々も捏ねます!!大体、私は宿舎で寝てたはずなのに、なんで眼が覚めたら此処にいるんですか!?」
「ん、簡単だ。宿舎の壁をよじ登ってお前の部屋の窓を割って、寝ているお前をロープで縛って脱出。その際に隊の連中の何人かに見られたが、何故か暖かい目で送り出されて―――こうして此処にいる」
「犯罪じゃない!?」
「犯罪じゃない。だって俺って管理局員。管理局員は法の番人だ。なら、法の番人なら何をやってもOKって事じゃね?」
「いいわけないでしょ!!何を馬鹿な事を言ってるんですか!?」
まったく、五月蠅い小娘だな。
「とりあえず、落ち着け。周りの皆様に迷惑だ」
「アナタの存在は私に大迷惑だと知りなさい……で、此処は一体何処なんですか?バーゲンの時の行列みたいですけど」
だが、周りは男のみ。女はギンガ一人、おまけに何故かパジャマ、
「こ~の、欲しがり屋さんめ」
「意味の分からない事を言ってないで、どうして私が此処にいるのかを教えなさい。事と次第によってはタダじゃ済みませんよ?」
怒ってるなぁ……
寝起きを強制的に起こされて気分が悪いのか、眼を細めながら寝ぐせのついた髪を何度も何度も手で整えている。
「もぅ、なんでいっつも急なのよ……」
「なんか言ったか?」
「何でもないですぅ」
すっかり拗ねてしまった。
やれやれと首を振りながら、俺は背負ったリュックの中からコートと簡易椅子を取り出す。
「ほれ、とりあえずコレ着て座れ」
時間は深夜。気温も中々に低い為か、周りの者達は厚着が多い。その中の一番軽装なギンガ。おまけに裸足だ。
ギンガがしばしコートと俺を見つめ、しぶしぶながら、という様にコートを受け取り、簡易椅子に腰かける。
「…………お礼は言いませんからね」
「わかってるって。それから靴も一応持ってきておいた」
靴下とスニーカーをギンガに差し出す。部屋から寝ている時に誘拐してきたせいで、ギンガは素足だ。
ちなみに、スニーカーは俺が先程購入しておいた新品。
だが、何故かギンガは不審者を見る様な眼で俺を見る。
「どうして私の靴のサイズとか知ってるんですか?」
「そんなストーカーを見る様な眼で見るな。俺だってお前の靴のサイズとか知りたくもないんだが―――――まぁ、そういう情報も金になる」
「売ったんですね!?売りやがりましたね、私の個人情報!?」
「世の中、物好きもいるんだって事だな」
「アナタはどれだけ犯罪に手を染めれば気が済むんですか!!っていうか、前々から想ってましたけど、銀は私に何か怨みでもあるんですか!?」
怨みでもあるんですか、だぁ?
この野郎、まさか自覚が無いとか言うんじゃねぇだろうな―――だったら、教えてやる。
ギンガを指さし、



「お前が俺の合コンを何度も何度も潰したからだろうが!!」



バシィィィィン、という効果音が付きそうな程の音量で言った。
「お前こそ俺に何の怨みがあるんだよ!?毎回毎回、俺が企画した合コンを企画段階でぶち壊すし、仮に開かれても勝手に参加して、俺が目を付けた女と別の男をくっつけてくれやがって――――知ってるか?お前、隊の中では『お見合い仕掛け人』とか言われてるんだぞ」
ちなみに、俺は隊の中では『フラグを立てようとする場所が毎回コンクリートな男』と呼ばれている―――おい、どういう意味だこの野郎。
「お前は俺の恋路を邪魔するのが楽しみなのか?そんな暇があるならお前もさっさと恋人作れよ……」
「大きなお世話です。それと、アナタのあの如何わしい寄り合いに参加したのは、アナタが眼をつけた娘がアナタの毒牙に掛るよりは、他の人を紹介して、そっちとくっついた方がマシだと思ったからです」
「それこそ大きなお世話だろうが。ったくよ、お前だって普通にしてれば結構美人で良い女なんだぞ?それをそんな俺の邪魔と仕事ばっかりに人生の一番良い時期を――――もったいないと思わないのかよ」
「…………」
何故か、急に黙り込むギンガ。
「どうした?」
「…………あ、うぅ」
ギンガの顔を覗きこむと、顔が真っ赤になっている。茹でダコみたいだ。清四郎と一緒にいる時になのはやフェイトみたいだ――――あ、思い出したら胃が痛くなってきた。
「あ、あの……私、良い女、ですか?」
「黙っていればっていう条件が付けばな……後、俺に付き纏わなければっていう条件も込みだな。そうすれば、すぐに嫁の貰い手も見つかって、親父さんも安心できるだろうよ」
ほんと、何で俺なんかに構うかねぇ、この女はよ。
俺なんかに構わなければ、恋人もすぐに出来そうだし、仕事だって順調に上を狙えるだろう。
俺がどうなろうと別にいいが、俺のせいでコイツが出生街道から外れたとか言われるのは心外だ。大体、出世出来ないのは俺せいではなく、コイツの怠慢が原因だ―――まさか、出生できない理由が俺だというイメージを植え付けようとするギンガの策略なのでは?
「ぎ、銀を一人で放置する方が問題です。今日だって私をこんな誘拐まがいな方法で連れだして……」
「いや、誘拐した」
「はっきり言うな!!」
本当に五月蠅い奴だな。俺だって別にお前なんか連れて来たくなんかなかったよ。でもな、そうしないとこの行列に並ぶ意味が無いのだ。他の連中は用事があるとかでさっさと帰りやがるしよ……クソ、手に入れてもアイツ等には絶対に見せてやらん。
だが、よくよく考えると、幾ら人手が足りないからといってギンガを連れてきて正解だったのだろうか。とちらかと言えば、ザフィーラとかユーノ、最悪クロノ辺りを連れて来た方が無難だ―――だって、手に入れる物が物だしなぁ……
そう考え、俺は改めてギンガを見る。
―――――――うむ、間違いなく失敗だった気がする。どうして俺はコイツをチョイスしてしまったのだろうか。
「ッは、しまった!ヴァイスという選択肢もあった……」
あのシスコンなら何とか言い包めば、何とかなったのに―――クソ、完全に失敗した。だが、今更そんな事で後悔している暇は無い。
こうなったら、ギンガで行くしかない。
ソレが例え、ギンガの社会的信用が底辺に堕ちて、ナカジマ家会議で晒し首にされたとしても、これにはそれ相応の価値があるのだ!!
え?酷い目にあるのはギンガだけだって?
馬鹿を言うな。その前に俺がまず最初にギンガの手で地獄に行く。これは確定、絶対、激熱だ!!
「…………短い生涯だったよ、アマネちゃん」
「む!?誰ですか、そのアマネちゃんって?」
「俺の天使」
「…………むぅ」
何故か不機嫌な顔で俺を睨むギンガ。



そんなコイツとの関係はそろそろ一年になる。



去年に起こったJS事件、その頃に発足した機動六課、そして俺の管理局入り。
色々な偶然が重なった時期だった気がする。そもそも、俺が管理局に入ったのだって高校を卒業したはいいけど、就職先が見つからなかった。学力はそれほど良わけではないので大学にも行けないし、専門学校に通う気もない。
高校を卒業したら最悪、実家の寺でも継ごうかと考えていたのが、それは親父に反対された。
「お前なんぞに、この寺を任せられるか!!」
との一言。
つまり、こうして俺はフリーター兼ニートになった。
毎日をだらだらと過ごし、気の抜けた仕事ばかりしていた気がする。
そんな時、リンディさんから管理局に入らないかと言う話が来た。無論、俺はそれに飛びついた。清四郎から管理局の給料明細を何度か見せてもらった事もあるし、女性局員の美人率ときたらそれはもう――――即座に飛びつかない理由は無い。
金は結構貰える、おまけに美人が多い、そんなパラダイスを求めて俺は新しい世界へと旅立った―――――旅立った、はずだった。
「―――――思い出してきたら、なんだかムカついてきたな」
素敵な生活なんてあるわけもなく、俺に待っていたのは死ぬ程厳しい訓練生時代。俺が卒業する事が出来るのか疑問だったが、周りが化け物だらけだった為か、俺―――俺達は創立以来最速の卒業という甘い汁を吸えた。
まぁ、『伝説の教官潰し世代』と云われる連中に俺が混ざっていたのは誇っていいのか、それとも嘆くべきなのかは、今でも微妙だ……アイツ等、今頃なにやってんのかなぁ。
そんな地獄でもあり楽でもあった卒業後は下っ端生活。周りのサポートが無い俺の使い道は見事に無い。雑用に次ぐ雑用。ぶっちゃけ、前線になんて出た事がない。
そんな俺が、どういう訳か配属された陸上警備隊第108部隊という名の監獄―――そこで俺を待っていたのは俺よりも年下のギンガとの出会いだった。
最低だった、最悪だった、こんな暴力的な奴(しかも俺よりも強い)が俺の上司になった際には泣きそうになった。だって、コイツの前じゃ居眠りも摘み食いも立ち読みも何も出来はしないのだ。
地獄だった。
ゲームの発売日に買いに行くのも禁止、AVを借りるのも買うのも禁止、エロ本の立ち読みも禁止――――おい、性欲真っ盛りな俺に向かって、コイツはなんて最悪な事を言いやがるんだと、叫んだ。
しかし、悲しいかな……世の中は力の強い者が正しいらしい。
俺、コイツの一回も勝てないんだよな……まぁ、今日みたいなお誘い(誘拐)でなら簡単に捕獲は出来る。だって、コイツって寝ている時には結構隙が多いんだよな―――というか、寝ている時だけは可愛らしいとも言える。
「ところで、銀」
簡易椅子に座り、缶コーヒーを啜りながらギンガが尋ねた。
「これって何の行列なんですか?」
「見て分かんのねぇのか?DVDの初回限定版の行列だよ」
「初回限定版……そういえば、今日って話題の映画のDVDの発売日でしたね。私、仕事が忙しくて観に行けなかったのよね」
話題の映画?
はて、コイツは何を言っているのだろうか?――――あぁ、思い出した。確か、ギンガと同世代の女達に異常に流行った映画があったな。俺も一回見た。無論、合コンの際の話のネタになる為だ。
正直、眠り、だるい、辛い―――なんだ、あの甘ったるい空間は!?
砂糖を一袋丸ごと喰わされても、あそこまで苦しくはならんぞ。
だが、そういう映画が好きになるのも女というモノなのだろう。映画館は見事に女性とカップルのみ。唯一の男は俺とザフィーラとユーノ。ザフィーラは開始五分で眠りにつき、ユーノは最後まで耐えようと頑張ったが中盤で撃墜。なんとか生き残った俺が生ける屍状態。
あれは、軽くトラウマになるぞ。
「まぁ、そういうのなら特別に並ぶのにも我慢しましょう。その代わり、私にも見せてくださいね?」
「あ、あぁ……別にいいけど」
「でも……見るなら一緒に見た方がいいよね」
「え、見るの?」
「…………銀が、いいなら、だけど」
「べ、べべべ、別に、いいけど、よ……」
「そっか……それじゃ、一緒に見ましょうね」
楽しみにだなぁ、と微笑むギンガ。そして、そんなギンガの姿を見て俺は冷や汗がダラダラと流れている。
コイツ、絶対に何かを勘違いしている。
ヤバイ、言えない。
こんな状況で言えない。



まさか、アダルトDVDを買う為の行列だなんて―――死んでも言えない



その、この行列はその為だけに集まった紳士達の戦場なのだ。
今回の目的は俺の天使、アマネちゃんの新作DVD初回限定版の購入だった。使用用と保存用、出来れば布教用も買いたかったが二人では無理。
いや、それ以前に開店と同時に俺の命が消える可能性がある。JS事件でなんとか生還したが、まさかこんな場所で死の瞬間を迎える事になろうとは……いや、待て。まだ諦めるには速い。最悪、保存用を諦め、使用用だけをゲットし、そこからギンガからの逃走を始めれば生還の可能性も在り得る!!
「えへへ、楽しみだな~」
それは、後に待つであろう俺の死亡フラグへと複線なのだろうか。その笑顔が物凄く恐い。
故に、今だけは神に祈る。
仏様、助けてくれ
『無理じゃ』
そうだよね、世界が違うよね。
なら、この世界の宗教に助けを求める。
聖王様、助けてくれ
『私に言われても~』
そうだな、あんな俺をオジサン呼ばわりするクソガキに何を祈ってるんだ、俺は?

刻一刻と迫る開店時間
刻一刻と迫るギンガ様の殺戮ワンマンショー
刻一刻と迫る武本銀二の死
焦る俺の脳裏に、親父の言葉が蘇る。


「武本流は喧嘩する為の武術だ。だが、喧嘩するにも条件がある。その条件も超えずに無意味に力を行使する事では意味が無い。それでは、ただの殺人術でしかない。武本流は殺人術でも活人術でもないが、両方の意味も持っている……だから、間違う事も何度もある」


「だが、間違う事で止まっては駄目だ。間違ったのなら、それをバネにして次に進まなければいけない。お前が俺の息子なら、その程度の事は簡単に出来るはずだ――――だから、銀二」


「正しい怒りで喧嘩をするな、間違った怒りで喧嘩をするな――――お前が後悔しないと決めた時だけ、喧嘩をしろ!!」


そうだな、そうだったよな……親父。
俺は覚悟を決める。
今は、正しい怒りでする喧嘩ではない。
今は、間違った怒りでする喧嘩ではない。


俺が、後悔しない為の喧嘩だ!!


思い出した親父の言葉が全然違う意味で言われた気がしたが、それはこの際どうでもいい。
俺は、アマネちゃんの悩殺ボディを見るまで死ねない。
そして、これからする喧嘩が間違いであるはずがない!!
俺は、愛する者(AV)の為、守るべき者(AV)の為、此処で雌雄を決する覚悟を決める。
もうすぐ、開店の時間が来る。
「相棒、行くぞ」
『――――汝、激しく何かを間違えている気がするのは、某だけか?』
「大丈夫だ。俺は何も間違っちゃいない。いや、間違いなんて思う事が間違いだ。この世界に間違いなんかない。正解もない。あるのは自分の信念に忠実に、それに後悔しないという心だけで十二分!!」
『いや、そういう意味ではなくてな……』
「銀、何を一人でブツブツ言ってるの?」
そして、其処は―――戦場に変わる。



「武本流喧嘩殺法、武本銀二――――死して参らん!!」



『某の話を聞けぇぇぇぇぇえええええええええええええええええええ!!』
「ちょ、銀!?そこまで気を張らなくても買えるわよ(アレ、もしかして私の為に張り切っちゃってるのかな…………っきゃ♡)」




後日、ギンガ・ナカジマに引き摺られる、バインドで拘束された上にボロ雑巾の様な武本銀二の姿があったとか……






[19403] 第二話「親友の初めての法則」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/06/18 11:50
俺達は、ずっと『三人』だった。
ガキの頃から、俺とアイツは友達で、アイツの後ろにはずっとちっこいのが後を追ってきて、俺達はずっと『三人』だった。

気づけば、俺とアイツしかいなくなっていた。

だから、俺とアイツは―――ずっと『二人』だった。
俺はそれでも構わなかった。
アイツはそれでも構わなかったのかもしれない。
俺とアイツ、欠けた歯車を忘れる様に俺達は友達でいられた。
けれども、そんな誤魔化しはすぐに壊れるに決まっている。壊れた先にあるのは俺とアイツとの決定的な違い。
もしかしたら、大切な歯車が欠けた事で俺とアイツに差が生まれたのかもしれない。
だから、『ずっと』ではなかったのかもしれない。
俺にとってのガキの頃。
それ以上のガキの頃。
物語の始まる昔。
アイツが主人公になった頃。
俺がその影になった頃。
「銀ちゃん、待ってよ!!」
「はやく来いよ。置いてってちまうぞ」
「そんなにはやくは知らないでよ……ほら」
「んぁ?……んだよ、また来たのかよ。ちゃんと置いてこいって言っただろ」
「でも、可哀想だし……」
俺達は、ずっと三人だった。
俺、武本銀二。
「しかたねぇな。ちゃんと手を繋いでろよ」
アイツ、鎌倉清四郎。
「うん!ほら、麻奈」
ちっこいの、鎌倉麻奈。
「うにゃ……お兄ちゃんも銀二も、麻奈を置いていかないでにゃぁ」
「麻奈。その喋り方をやめろ。いっつも言ってるけど、頭がおかしいと思われるぞ」
「む、銀二は失礼にゃ!!これは個性にゃ。個性の無い人は社会からふてきご~しゃって呼ばれるって、テレビで言ってたにゃ」
「親父が言うには、無個性が一番社会に溶け込めるらしいぞ」
「そんにゃ社会は、ほろびるうんめいなのにゃ!!」
「お前が滅びろ」
俺とちっこいのは、そうやって喧嘩していた。その間に清四郎が立って、俺達を宥めるという公式が其処にはあった。けど、そんな公式は答を出す前に崩壊した。
それは雪の日だった気がする。
肌が固まりそうな程に寒い冬のある日、俺の目の前の立った清四郎は雪の様に白い肌で、血の気を失った顔で、今の俺ならわかる―――絶望という顔をして、俺の前に現れた。
そして、俺達は『二人』になった。
それでも俺と清四郎の関係は変わらない。変わってたまるかという想いが子供ながらにあったらしく、俺と清四郎はずっと一緒にいた。
でもよ、ガキの頃の俺。
そんな日は、案外すんなりと終わるんだよ。
ガキの想いなんぞ、一か月も満たない間に薄れていくんだ。それを誰よりも知っている大人の俺が言うんだ。そういう奴なんだよ、俺はよ。


お前は、主人公じゃないんだからよ……






「―――――――夢か……」
寝苦しい夜だ。
シャツを汗で濡らし、額の汗を拭きながら俺は眼を覚ました。
なんだか、随分と懐かし夢を見た。あんな夢を見るなんて本当に久しぶりだ。やはり、ミッドにいる時間が長すぎると、こういう夢すら見ない様になってしまうのかもしれない。
時計を見るとまだ深夜の三時。起きるにはまだ速いが、夢のせいでどうも寝付けそうにない。とりあえず、喉が渇いたので台所にいって水分を補給する。冷蔵庫によって冷やされたミネラルウォーターが身体中に沁み渡っていく。
夜は静かだった。散歩がてら境内に向かうと、そこから見える雑木林に薄い翠色をした発光体が無数に飛んでいる。
どうやら、まだ此処には蛍がいるようだ。
最近は環境が壊れているせいか、蛍を見れる場所が殆どない。俺がガキの頃、先程夢に見た時代ではありえない事だ。だが、それが今の現実で、俺達の生きている時間の流れなのだろう。
少しだけ寂しい。
自分の過去が時代と共に薄れていく。それは記憶が劣化していると等しい。過去はアルバムとして残せるかもしれないが、アルバムに起こせない部分は脳内で保管するしかない。
記憶という写真は、脳内に住む忘却という名の虫によって少しずつ喰われていく。それを止める事は出来ない。出来るのは、思い出すだけ。時々思い出し、そして忘れていく。
「…………そういうもんだろ」
寂しさを噛み殺し、俺はしばし蛍の飛ぶ光景を目に移し続ける。とうせ、この光景だってしばらくしたら忘れるのだ。
忘れられない、傷にでもならない限りは―――
「だから、何を感傷に浸ってんだよ……俺は」
どうやら、俺はそうとう参っているらしい。こんな俺らしくない事を考えるなんて、そうとうヤバイのかもしれない。
「後悔してるのか?」
いや、そんな事はないはずだ。
俺は後悔はしていない。
後悔しないから、俺はそれをやったはずだ。
だけど、だ。
「―――――やっぱり、軽率だったのかなぁ?」
なんだか、自信が無くなってきた。こういう時には電助にでも相談、もとい愚痴でも零せばいいのだが、生憎な事にその電助も俺の手元にはない。

そもそも、俺は今―――海鳴にいるのだ。

俺はとある理由でミッドを離れ、生まれ育った海鳴の街に戻ってきていた―――というか、正確に言うなら逃げてきた、が正しい。
「―――あ~、マジでクビになるかも……」
人間、その場のテンションと勢いでやってはいけないというのを、俺が実行してしまうとは情けない。これでも冷静沈着な潜水艦みたいな俺、熱くはならない。男はクールに行くべきだ。
クール最高、クールこそ男の道だ。
「でも、そうは巧く回らないのが人生ってね」
自虐的な人生観はあまり語りたくない。が、そんな事を口走ってしまうのはきっと夜のせいだ。夜は酒でもない限りは気分が堕ちていくものだ。だからこんな事を言っているに違いない。
そう想いこむ事で、自分を誤魔化すように。
結局、俺は後悔しているのかもしれない。
自分のしでかした事にではなく、そのしでかした事によって巻き起こる波状効果、だろうか。ともかく、俺の軽率な行動が起こした結果が他の誰かに迷惑をかける事になる可能性が高い。
特に、隊の連中やナカジマの親父――――そして何より、口煩い年下の上司。
「怒ってる……わけないか。とうせ、盛大に呆れかえって、俺をクビにする良いチャンスだって笑ってるだろうな」
ギンガには相当嫌われてると思う―――わけではないが、少なくとも好意は持たれていないだろう。色々と迷惑をかけたし、怒られもしたし、殴られたりもした。
俺みたいな厄介者なら居なくて清々するに違いない。アイツの補佐というか部下というか、ともかく俺よりも優秀な下っ端なんぞ山ほどいるのだ。その山ほどいるなか、ギンガは貧乏くじを引いた。山ほどいる優秀な下っ端を選ぼうとして、間違えて俺と同じように使えない下っ端の山から持ってきてしまった。
アイツも真面目―――クソ真面目だから今更返却も出来ないから、仕方なく俺を使っているに違いない。
そして、そんな俺をアイツは一年以上の自分の下に置いていた―――いや、置いていてくれた。
それには感謝している。
「お茶酌みしかしてない気がするな……俺はOLか?」
それも偏見だと思うが、俺の仕事の実質はソレだ。
まともに戦えない上に、雑務も適当だし、庶務関係も駄目。お前は一体なんなら出来るんだと聞かれて「お茶酌みだ」と答えたら、見事にその役職を得た。
俺はどこの執事だ?
ともかく、そういう上と下の関係だ。決して男と女の甘ったるい関係なのではなく、そんな関係――――むしろ、そんな関係になれたらどれだけいいだろう。
「いやさ、女に好かれて嬉しくない男はいないしな」
ギンガは美人だ。それも上位にランクするであろう美人だ。美人だが……うん、美人なんだけど、性格がキッツイのが問題だ。俺に少しは優しくしろ、そして給料上げろ、そして俺が奢った時だけ無駄に飯を頼むな。なんだ、お前は俺に奢られるのが趣味か?俺以外に奢られた時はそんなに喰わないだろう。何で俺の時だけそんなに喰うんだよ。少しは女らしくお淑やかにしろ。そんなんじゃ嫁の貰い手がいないぞ。それ以前にお前は俺の財布の中身を誰よりも知ってる癖にわざわざ減らそうとするな。俺にだって生活があるんだ。
「…………あ、そういえばこの間のアマネちゃんDVD没収されたままだ」
後、十八歳以上は買えないゲームとか、十八歳以上は読んじゃいけない本とか、そういう関係も事如く没収されている。特にアマネちゃん関係が特に没収率が高い―――ってかさ、なんでアイツは俺の部屋の隠し場所を鋭く冴えた名探偵の如く見つけんだよ。その無駄な捜査官スキルを私生活で生かすな。お前が結婚した時に絶対夫が泣くぞ。そして、離婚調停とかで裁判官も引くような凄い事するに違いない……
「あれ、実は俺ってアイツの傍から離れられてラッキーなのだろうか?」
そう考えるとなんだか気分が少しだけすっきりしてきた気がする。口喧しいお母さんみたいな奴がいなくて、俺も清々する。そして俺みたいな足手まといがいなくなってギンガも清々する――――なんだ、良い事ずくめじゃないか。
「――――――――寝よ」
そんな風に考える事は出来ても、なんだか虚しいだけだ。
だから寝る。
下らない考えは、寝たら忘れるに違いない。
そうであるように願いながら、俺はもう一度だけ眠る。
今度は、夢を見なかった。








第二話「親友の初めての法則」








武本銀二、それが俺の名前。


親父、武本鉄心がつけてくれた名前で、俺が一生をかけて付添うべき名前。
親父は海鳴にある小さな寺『錬明時』の住職。俺の家も当然その寺だ。小さいと俺は称するが、他の連中から見れば大きな寺らしい。寺の息子の俺から言わせれば、寺と寺を比較する場所はその寺にどれ程の奴が訪れるか、そしてどれだけ歴史があるか程度でしかない。その結果、俺はこの寺を小さいと評価する。
それはガキの頃から変わらない。
寺は小さく人もあまりこない。来るとすれば俺と清四郎の二人だけで、二人だけ遊び場だった。狭い境内でも子供が遊ぶには十分だし、寺に飾られている像なんかも悪戯の対象だ。
つまるところ、この錬明寺は俺の家であり遊び場でもあるわけだ。
だが、俺は本当の意味で寺の息子ではない。
「――――実はな、お前は俺の子じゃない」
俺が小学生に上がる前の晩だった。
親父が急に思い出したかのようにそう言った。無論、最初は何を言っているのか理解できなかったが、すぐにその意味を理解する。即座には無理でも、少しずつは理解できると判断したのか、親父はそんな事を俺に言ったのだろう。
そう言えば、親父は俺に母親の話をした事はなかった。家にはお袋の写真は一枚も無いし、それをガキながら察した俺は親父にその事を聞く事もしなかった。
なんだか、聞いてはいけない気がしたからだ。
「……おい、親父。冗談でも笑える冗談と笑えない冗談があるって知ってるか?」
「無論、これは前者だな」
「後者だろうが!!」
飯時、ちゃぶ台の上に乗ってる料理をぶちまける勢いで叩く。
確かに俺と親父は似ていない。顔の作りも似てないし、血液型も違う(これは後で調べた)。
けどよ、親父……友達百人できるかどうかの瀬戸際な入学前のガキに、なんて事を言うんだよ。
だが、そんな俺を親父は特に気にした様子もなく、淡々と話を進める。
「お前はな、六年前に寺の賽銭箱の前に捨てられてたんだ」
「マジ?」
「これがマジだ。てっきり金がない巡拝者が代わりに我が子を差し出してお祈りしたのではないかと疑ったほどだ」
「それは無いだろ、いくらなんでも」
「だろうな……置手紙も一緒に入っていたぞ?『この子を育てる自信が無いので、お願いします(嗤)』ってな」
「悪意しかねぇよ!!なんだよ、(嗤)って!?せめて笑えよ!!笑えばいいと思うけど、どうですかね!!」
なんだか、重い話なのはずなのにコメディ臭が垂れ流しになっている気がする。ここはもう少しシリアスに行くべきだと、その時の俺は何故かそんな事を想った―――つまり、意外と俺にも余裕はあったのだろう。というか、ガキの癖に無駄なツッコミスキルを持ってたんだな、俺。
「そ、それで……親父は俺を育てようとしてくれたのか?」
「いんや、そのまま警察に丸投げようと思った」
「住職だろうが!!お前、仏に仕えてる癖に人助けも出来ねぇのかよ!?」
ちょっとショックを受けた俺は、マジで泣きそうだった。
「失礼な奴だな。俺が仕えているのは俺だけだ。神も仏もこの世にはいやせんわ!!」
「こ、この生臭坊主め……」
「だけど、それでも俺はお前を育てようと思った……」
箸を置き、親父は言った。
「どんな境遇であれ、お前は俺の息子だ……例え、俺に懐かずに美人な女性ばっかりに笑いかけたり、女と見れば昨日までハイハイしか出来なかったはずが、急に二足歩行をマスターしたりと――――おい、お前は俺をなんだと思ってるんだ?」
知るか。
それと、俺の女好きはそんな頃からだったと知ると、俺でも流石に戸惑うぞ。
「でもよ、親父。一度は警察に届けようと思ったのに、何で俺を引き取ったんだ?」
「ああ、それか……それはだな」
瞬間、親父のはげ頭に血管が浮き出る。
「俺がお前を交番に届けようとした時、士郎の奴に会ってな」
士郎?聞いた事の無い名前だった。
この時の俺は知らなかったのだが、親父の知り合いに高町士郎という男がいた。その子供が後に知り合う高町なのは。俺と彼女の関係はこの時から実は繋がっており、同時にこの頃からすれ違いがあったのだと思うと、人生は中々に厳しいと感じられる。
「お前を警察に預けるって言ったら、あの野郎……なら、俺の家で育てるからお前を渡せと言いやがった―――あの偽善者が!!」
「いや、そっちの人の方がよっぽど良い人な気がするぞ」
「馬鹿を言え!!あの野郎は昔から美味しい所ばっかり持っていく野郎だぞ?俺がどれだけ活躍しようとも、最終的にはアイツの手柄になる。俺がテストで良い点とってもアイツはその更に上を平然と駆けのぼる―――おまけに、俺が惚れた人だって今はあの野郎の奥さんだ……あぁ、思い出したらムカムカしてきた」
その時の親父の姿は今でも脳裏に焼き付いている――――あぁ、大人ってこんなに見っともないのか、と。
こんな親父を見て来たから、俺は親父のような破壊僧には絶対ならないと決め、まともな道を行こうと決めたのかもしれない。
もっとも、それはその瞬間だけの思い出あり、翌日には元の俺に戻っているというオチだ。
「だから、お前は俺の息子だ。士郎なんぞにはやらん。他の奴に、はした金で売っても士郎だけには絶対に売らんぞ」
「おい、クソ親父。お前は良い事を言っているつもりだろうが、中身は最低だと知れ」
「なんだ、お前はそれでも士郎の家に伝わる『御神流』に対抗する為に俺が作った『武本流喧嘩殺法』の二代目か?」
「二代目!?あれってそんな歴史が浅いのかよ!!」
「あぁ、歴史で言うなら三十年かそこらだな。俺が高校の時に考えた奴だから」
「ネーミングセンスが中二レベルじゃねぇかよ……」
「馬鹿言え。俺が士郎に勝つために考えに考え抜いた究極の武術だぞ」
「ちなみに、親父って武術とかやってたのか?」
「全然だな……どっちかと言えば、士郎が剣術とかやってたから、俺は武術家という連中が大層嫌いだった。だから、俺は武術の素人、云わば喧嘩屋だったな。でも強かったぞ?校内五位くらいだった」
微妙にも程がある。そして範囲が狭いっつの。そして何処の高校だか知らんよ。
そんな俺の親父。
そんな親父に育てられた俺。
気づけばもう年齢も二十に突入している。
月日の流れは早いもんだな、おい。
「アンタも、そう想うだろ?」
誰も、答はしないけどな。


海鳴は、夏真っ盛り。
戻ってくるまで忘れていたが、向うとこっちで若干の季節のずれがあるらしい。もっとも、ミッドと地球では季節の変わり目も違いがあるし、日本の様に四季がそれぞれあるわけでもないので、その程度の違いは当たり前だろう。
ついでにいえば、向こうでいう月日も若干違う。向こうでは十月でもこっちはまだ八月。そもそも、世界によって月日の数え方に違いがあるので、これも当たり前といえば当たり前だ。
故に、俺の周りでミンミン喧しく鳴いている蝉の声も夏を露わしている。外を歩けば向こう側が蜃気楼の様に歪み、コンクリートを踏んでいるサンダルの裏側だって熱い。卵を落とせば目玉焼きだって出来そうだな。
「…………今日も、熱いな」
墓石に水をかけ、これでアンタも少しは涼しいと想えるのかは疑問だけど、これがこっちの主流だ、我慢してほしい。
線香に火を灯し、備える物は台所から適当に持ってきた奴―――そういえば、アンタの好物ってなんだったんだろう、今度親父にでも聞いてみるか。
錬明時にある墓地は静かだ。
蝉の声もこの場所だけは遠慮するように静寂を保ち、夏の暑さを纏った風だけが吹く。
手を合わせて合掌、死者の冥福を祈る。
「でも、きっとアンタは此処にはいないだろうよ……そうだろ、お袋?」
名も無い墓。
親父がどんな想いを持っていたかは知らないが、この墓には名前が刻まれていない。墓石は黒い表面に一切の文字も刻まれず、まるで窓の存在しない黒いビルの様にも見える。
「あぁ、そうだな。アンタからすれば、俺なんかに袋って言われる筋合いもないだろうけどよ……でも、こう呼んでる俺だって相当がんばってるんだぞ?その程度は許してくれてもいいだろう」
お袋は答えない。
死んでるんだから、当然だろう。
俺は思う。
お袋は絶対にこの墓には戻ってこない。季節が盆になろうともお袋は俺や親父、そしてアイツの過ごしたこの世界には絶対に来ない。
この世界の宗教で考えれば、きっとお袋は地獄に向かう。向こうの宗教ではどうか知らないが、お袋はそれなりに『悪人』だったのだろう。
けど、それでも死者の冥福ぐらいは祈らせてほしい。
神様がいるのなら、俺はお袋の行き先が地獄ではなく、お袋の本当の娘である義姉さんのいる場所へと向かって欲しいと、勝手に願う。
「――――俺は、元気だ。お袋からすればムカつくだろうけど、元気だよ。アイツも元気に生きてるし、色々と頑張ってる。大丈夫だよ、お袋みたいな馬鹿な事は絶対に考えない。アイツの周りには、なのはも清四郎もいる。アイツは絶対にお袋みたいに間違わない……ムカつくか?あぁ、そうだな。お袋にはどうでもいい事だもんな」
俺にはお袋がお袋としてあった時の記憶は無い。
そもそも、俺の本当のお袋である訳も無い。
血は繋がっていない。この人の存在を知ったのも十年前。親父とこの人の関係を知ったのも十年前。
俺とお袋は、十人中十人がこう言う――――お前達は、他人だ。
けど、それでも俺とこの墓に眠るであろう人は、俺にとっての家族になる『はずだった』人だ。
「それじゃ、もう行くよ……あの世で、義姉ちゃんによろしくな」
死者は何も語らない。
生者は勝手に語る。
そして、この名も無き墓石は誰にも知られずに、こうして此処に存在している。
知っているのは、俺と親父だけ。
俺がこの人をお袋と呼んでいるのを知っているのも、俺と親父だけ。
十年前から、その法則だけは―――絶対に変わらない。


「ただいま」
「おう……アイツ、なんか言ってたか?」
「馬鹿言うな。死んだ奴が何かを言うかよ」
「そうか……てっきり、アイツの事だからお盆の風習を間違えて帰ってきてると思ってたんだが―――そうだな、帰ってくるわけないわな」
当たり前の事を、親父は少し残念そうに言う。
そんだけ未練があるなら――――いや、この話は止めよう。
親父とお袋の過去なんぞ、今はどうでもいい。
蒸し返しても、徳は無い。
「銀二。どうせ帰って来たんなら、少し街の方を見てきたらどうだ?ちょうどこれから仕事があってな、お前が居ても邪魔なんだ」
「あん?団体客でも入ってるってのかよ。だったら、人では必要だろう」
「その辺の心配なんぞ、お前はしなくていいんだよ。それに、葬式に団体客っていう表現を使うな、この罰当りが」
変な時だけ坊さんぶる親父に呆れながら、俺は部屋か財布と煙草を持って寺を後にする。長い階段を降りながら、そこから見える海鳴の街を見つめる。
海と陸、海と街、俺の生まれ育った街をこうして見るのは一年ぶりなのだが、どうしても懐かしいと思う事を止める事は出来ない。
たった二年離れただけで、この街を懐かしいと想えるなんて―――少しだけ、寂しい。
「ガラじゃないっての……」
感慨に耽る自分に苦笑しながら、俺は歩き出す。
街並みはそうそう変わらない。離れていれば何かが変わるのかと思ったが、そんな事は無い。精々、ガキの頃からあった駄菓子屋が潰れて、そこがコンビニになってた事に気付いた程度だ。そっか、あの安い菓子の味はもう味わえないのか。
それもまた、感慨であり、感傷だ。
懐かしい、寂しい、変わらない、そんな感情を何度も何度も繰り返しながら、俺は街を一人で歩き回る。
住宅街を過ぎれば繁華街。
繁華街は流石に店舗の入れ替えも激しい。去年まであった店が別に店に変わっていたり。あれだけ繁盛していた店が閉店セールをしている。
「――――まぁ、そんなもんだよな」
ベンチに腰掛け、煙草を吸う。
聞けば、煙草がまた値上がりしたらしい。ミッド産の煙草よりもこっちの煙草の方が好きな俺としては、なんだか腹が立つ事柄だ……けど、こっちの世界を半分捨てたような俺がこの世界の情勢をどうこう言うのも間違っている気がするのは、きっと正しい事だ。
世界の動きは知らない。でも、きっと何処かで争いはある。JS事件で人の生き死に関わっていたからこそ、アレが日常茶飯事になっている場所の異常さに笑える。
俺達の手は一定の距離、距離とすれ言えない長さしかないのに、どうして他の世界の争いにまで手を出さなければいけないのだろうか。
管理する、なんて大層な事を言いながらも、自分の世界一つ管理できない者達の集まりがある。その中に含まれる俺もまた、なんとも滑稽な奴だ。
金がいい。
美人が多い。
それだけ。たったそれだけで入った場所は、それだけ矛盾した意志の集合場所。
俺には、合わないのだろう。
だからあんな事をした時にも、俺は特に焦りもしない。夜はそうでも、やはり寝たらある程度の整理はつく。
カッとしてやった。
でも、後悔はしていない。
後悔する怒りではない。
間違いも、正しさも、その両方にも当てはまらないだけの行為をして、俺は此処にいる。
「そういえば、電助の奴は大丈夫なんだろうなぁ?」
電助は俺がミッドを離れる前日にティアナに預けている。あの時のアイツの顔ときたら―――ヤベ、軽く背筋が震える。
「怒ってたな……ってか、そろそろ本気でアイツに愛想を尽かされるかも」
それは少し困る。
アイツが居ると居ないでは、結構な違いがありすぎるのだ。
だから俺はアイツには気を使っている。何分、アイツには大きな借りもあるし、その借りは現在でも少しずつ―――いや、かなり大量に蓄積されている。電助を預けたのも、その借りの一つに蓄積される。
「しょうがねぇ、今度会った時に清四郎のガキの頃の写真でも渡してやるか」
清四郎ハーレムの中で、アイツだけはどうも奥手だ。それが俺としては心配なわけなんだよなぁ……はやての狸みたに姑息な手を使えとか、なのはみたいに直球で攻めろとは言わないけどよ。
「―――――ん」
ふと横目に公園が目に入った。
夏だというのにガキ共は元気にサッカーで遊んでいる。こんなクソ暑い日にわざわざ外で遊ばんでもいいだろうと思ったが、こう考えるのも無粋なのかもしれない。ガキの頃は季節が変わろうとも外で遊んでいた。家の中で遊ぶ事もあったが、俺と清四郎は二人ともゲームとか持っていなかったので、どちかと言えば外で遊ぶ機会が多かった。
基本的には二人だけだった為、キャッチボールとかが殆どだった気がする。公園で遊ぶ場合は遊具を使って危険な遊ぶに勤しみ、よく清四郎に怪我をさせていた。
「そういえば、その度に麻奈にグチグチ言われてたな……」
鎌倉麻奈。
俺の一歳下のガキで、清四郎の妹。
清四郎と二人だけで遊ぼうとしても、アイツの後ろを毎度毎度ちょこちょこと着いてきた麻奈。変な喋り方で俺を敬わない生意気なガキだったが、俺にとって妹分。そして、何時も俺と清四郎を取り合って喧嘩していた。
視界に映るガキ共が、そういう組み合わせだった。
小さなガキが三人、あの頃と同じ光景。
思わず笑みがこぼれる。
あんな光景を、俺は誰かに見せていた。
そして、視界の隅に別に誰かが映る。
楽しそうに遊んでいる三人を、羨ましそうに見ている女の子。
砂場で小さな山を作りながら、三人をじっと見ている。そのせいで手元が疎かになり、砂山が崩れる。
「……っあ」
女の子が小さく呟く。崩れた砂山、どれだけ時間をかけたのかは知らないが一生懸命に作ったのであろう砂山は、賽ノ河原の石積みの如く、壊れた。
「…………」
混ざればいいだろうが、なんて思った。でも、それがすんなり出来る奴と出来ない奴がいる。俺は前者だったが、あの子は後者なのだろう。崩れた砂山をじっと見つめながら、再び一人で砂を積み上げる。
夏だというのに、周りはあんなに楽しそうだというのに――――
「…………ったく、しょうがねぇな」
煙草を消し、俺は立ち上がる。
「おい、ガキンチョ」
「ふぇ?」
驚いた女の子が俺を見上げる。
「誘拐犯!?」
「いきなり失礼な事を言うな!!」
「だ、だって……」
おっと、思わず叫んでしまった。ガキ相手に何をツッコンでだろうな、俺。
まぁ、いいさ。
俺は砂場にしゃがみ込み、女の子の作っていた砂山に砂をかけ、固めていく。突然現れた俺を不思議そうに見る女の子。
「誘拐犯?」
「お前はそれ以外の言葉を知らねぇのかよ……お兄さんは暇なんでな、ちょっと混ぜてくれよ。
「……誘拐犯なのに?」
「…………殴るぞ」
「お父さんが知らない人はみんな誘拐犯だって言ってた」
おい、この子の将来が心配になりそうな事を言うなよ、父親。
「それで、その人が男なら私を誘拐して食べちゃう変質者だって言ってた」
「――――今度、その親父さんを紹介しろ。一度殴らなくちゃいけない気がする」
「でも……おじさんは優しそう」
「おじさんじゃない。お兄さんな?ここは重要だから間違わない様に……はい、復唱」
「……………誘拐犯のおじさん」
「本気で誘拐したろか?」
何だかんだ言いながらも、俺達は二人で砂山を大きくしていく。ここは大人の力と知識を総動員して無駄にでかいのを作るつもりだ。というか、砂山よりは城と作るのがいいだろう。昔、麻奈にせがまれて作った事もあるし、その知識を思い出す。
「おじさん、無職?」
「お前は俺をどういう眼で見てるんだ?というか、さっきから俺の社会的な地位がどんどん降下している気がするんだが……」
「こんな昼下がりから子供と砂遊びをするのは、無職の証拠です」
「なんでガキのそこまで言われなくちゃならんのだ!?」
間違ってないのもまた、ムカつく。
だが、ここは大人として我慢我慢。
しばらく二人で砂を弄っていると、俺は不意に過去の事を思い出す。
そういえば、この公園だった気がする。
そっか、まだ残ってたんだな……
「おじさん?」
「お兄さんな。今度間違えたらデコピンだ――――念の為に聞くけど、ワザとじゃねぇよな?」
「…………えへ」
可愛らしく笑っても許さんぞ―――けど、少しだけ安心した。なんだ、ちゃんとこんな笑顔できるじゃんかよ。
その笑顔を見ると、少しだけ心が温かくなる。
そうか、あの時の清四郎もこんな感じだったのか。
だとすれば、
「後悔しなかったのは、間違いじゃなかったんだな」
「おじさん、どうしたの?」
「いや、な……ちょっと昔の事を思い出してな」
「おじさんの昔……わかった、バブルの時だね!!」
とりあえず、頭をグリグリしておいた。


ガキの頃の話をしよう。
その頃の話をする前に、まずは親父の云う『武本流喧嘩殺法』という胡散臭い流派について語ろう。
俺が物心つく前から親父に習った武術なのだが、その発生の理由は先程親父が言ったように、高町士郎さんの家に伝わる剣術『御神流』に対抗する為に編み出された我流の中の我流―――ぶっちゃけ、中学生がコレってカッコ良くない?で考えついた変な流派としか言えない。
そもそも、その頃の俺は御神流がどんな技を使うのかも分からんし、士郎さんとも会った事も無い為、どうもピンと来ていないのだ。
それでも親父は俺に武本流を叩きこむ。
武本流というのは基本的は剣術、拳術――そして、何やら怪しい気功と、更に胡散臭い魔法という意味の分からないチャンプルー状態。
気功は習い、そして修練すれば誰でも使えるらしいが魔法は別。親父曰く、身体の中にあるリンカーコアとかいう器官がないと使えない特殊な技らしい。
親父も俺にも、その胡散臭い器官があるらしい。そして、その魔法を使って戦う連中を魔導師と呼ぶらしい―――なんだか、この親父から魔法という単語が出た時点でかなり胡散臭い。
しかし、そんな俺でも実際に魔法を使ってみればその異常な力に魅せられもする。
『御子息、汝に魔法の才能は無い』
と、こんな冷たい一言でその熱はすぐに冷めたけどな!
「おい、電助。それがモノを教える奴の言う事か?俺は自慢じゃないが誉めないと死んでも伸びない男だぞ」
『某から見ても、御子息には才能が無い。大体、なんだその偏った魔法は?強化以外にまともに使える魔法が一つとして無いではないか――――それと、電助ではなく、某の名は『タケミカヅチ』だ』
「いいじゃねぇかよ。強化しか使えないっていうのは、強化だけは誰にも負けないっていうフラグだろうが」
「いや、お前の場合。その強化も微妙だがな」
「嘘ッ!?」
特化型ですらないらしい。
これが漫画なら、俺はその才能だけはあるという偏った主人公になれるはずだったのだが、悲しい事に現実はそうそう巧くはいかないらしい。
この頃からだろうか、主人公というヒーローに憧れる俺が、憧れる事しか出来ないと知る事になるのは……もっとも、その頃から変な勘違いをしなくて俺は大助かりだ。
俺は主人公じゃない。
俺は脇役だ。
清四郎に会う前から、そんな考えを持つ様になるフラグは十分だったというだけの話。
そんな親父と電助に囲まれ、俺がスクスクと育っていき、気づけば俺も小学一年生。私立に通う金も無い俺には公立の小学校に行く事になるのだが、この時は特に気にもしない。それを気にしだしたのは清四郎の周りに美少女達が現れ出してからだ―――つまり、この時すでに遅かった。
そんな事など露知らず、俺はのんびりと一人で家路を歩いていた。
『御子息、今日は帰ってから宿題だぞ』
「遊ばせろよ」
『却下だ。御子息は放っておけばすぐに遊びに出かけてしまうので、今の内に言っておかねば意味が無い。いいか、御子息。汝は主の寺を継ぐ為に速く一人前の僧になってもらわねばならぬのだ』
「ガキの将来を親とポンコツが決めるな。俺の将来の夢はアイドルになって女の子にキャーキャー言われる事だ」
『むしろ、今日の様に女子生徒のスカートばかり捲ってギャーギャー言われるのがオチだと某は考える』
「スカートがあるのに捲らない男はいない!!」
タケミカヅチ――――通称、電助。デバイスの中でもインテリジェントデバイスとかいう意志を持ったデバイスらしいコレを持ちだしたのは小学校に上がってからだ。親父曰く、今の内にコイツと一緒にいた方が都合が良いらしい。既に十年以上稼働している電助は時間が経つにつれてどんどん人間と同じ、感情に似たAIに育っていくらしい。その為には沢山の経験を積む必要があり、その経験の為に利用されたのが俺というわけだ。
電助も親父からすればまだ修業期間らしく、俺と一緒にいればそれなりに良い修行になるだろうと思った為、らしい。俺としては口五月蠅い奴と常に一緒にいるっていう事態が億劫なのだが。
「それはそれとして、だ。今日は清四郎と遊ぶつもりなんだ。だからすぐには家には帰らないぞ」
『それでは夕食に間に合わぬではないか。却下だ』
「嫌だね。清四郎と遊ぶのが俺の勤め、子供は遊ぶ事が仕事なんだよ……なのに、あのクソ親父ときたら帰ったら薪割だの修練だの、子供をなんだと思ってるんだ」
『主には主の考えがある。御子息には分からぬ場所で、御子息の事を考えているのだよ』
「んなもん、ドラマの中だけで十分だ。俺は分かりやすいのが好きなの。あんなドロドロした中で他人を理解しろってのが無理な話だ」
些か、子供らしくない発言をしている気がする。
まぁ、あんな親父の下で育ったのなら、この程度の思考が出来ないと色々面倒なのだと今は想う。そして、そんな子供時代があるから今の俺がある―――それだけは、少しだけ親父に感謝してもいいかもしれない。
だが、この時の俺にはそんな考えは欠片も無い。
今は遊ぶ事、楽しむ事、それだけを考えれば十分だという思考。
子供らしくない事を考えていても、根本的には子供なのだ、俺は。



けれども、そんな子供でも多少なりと気になる女の子はいたりするのだ。



「…………」
ふと立ち止まる。
最近、ずっとこの辺りでよく立ち止まる機会が多い。それは、夕日に照らされた公園。俺にとって、この頃の俺にとって思い出の一ページになる場所。
つまり、一ページにしかならない場所でもある。
俺の視線の先にいるのは、小さな女の子。
『―――また、一人のようだな』
「……あぁ、また一人だ」
この時間、学校からの帰り道に良く見かける光景。公園の砂場で遊ぶ少女――ただし、一人で。寂しそうに、親子ずれを悲しそうに、羨ましそうに遠目に見ているだけの少女。そんな少女を俺はずっと見ていた。
帰り道、何度も何度も見ていて―――少しだけ、気になっていた。
『一人で砂遊びとは、あの子は一人遊びが好きなのだろうか?』
「それ、本気で言ってるならお前は十分にポンコツだよ」
電助は黙る。
冗談で言ったのではなく、本気でそう想ったのだろう。そんな事を簡単に想い、言えるからこそ、親父は電助を俺に預けたのだと思う。コイツもまだ修業中、人の心を理解するにはまだ幼すぎるデバイス。例え十年以上稼働していても、複雑な人の心を理解するには早すぎる。
何時か、そんな電助も心を理解出来るように――そう想っていた。
どうしようか、俺は迷っていた。
何時ものように、迷っていた。
本当はあの子に話しかけたい。
本当はあの子と一緒に遊びたい。
でも、何故か脚が動かない。動くとしたら、この公園を遮るように歩き、この光景から眼を逸らす事だけ。
ヘタレ、俺は俺に言う。
「…………おい、それでいいのかよ?」
自分で自分に問いかけ、頬を叩く。
この世界は俺を中心に回っているのだろう?だったら、お前はお前の思う通りに行動するべきだ。大丈夫、きっと巧くいく。世界はそういう風に出来ている。俺に出来ない事は何も無い。子供でも、子供の内で出来る事がきっとある。
それが例え、子供の身だとしてもだ。
「うっし、行くか」
マイナスな思考を放り捨て、俺は公園の中に入る―――だが、すぐにその脚は止まる。

一人だった少女が、一人ではなくなったから。

砂場で遊んでいた少女に歩み寄る、同じ年くらいの少年。
優しい顔、優しい瞳、優しい微笑みで、少年は少女に話しかけている。少女はそんな少年を見て今までの悲しそうな笑顔を壊し、向日葵の様な笑顔を向ける。
俺にではなく、少年に。
『あれは……清四郎殿ではないか?』
あぁ、そうだ。
あれは鎌倉清四郎。
一見、女の子と間違えてしまいそうな容姿をしているが立派な男。顔立ちがそもそも女顔なのだから良く女の子と間違えられる。その為、俺は良く麻奈の服を着せて遊んでいた。清四郎はそんな遊びがあまり好きではなかったが、俺と麻奈はその時だけは意気投合していた。
今にして思えば、俺はいじめっ子という部類に入るガキだったのかもしれない。だが、そんな俺とアイツは友達だ。
幼稚園から今まで、ずっと友達。
俺の大切な、友達だ。
「…………」
だというのに、何故か胸に小さな針が刺された気分がした。
『御子息?』
腕に力が籠る。こんな時に籠ってはいけないのに、俺の手には酷く嫌な力が渦巻いていく。
『御子息!?』
電助の叫びが、空気の様に震えている。
どうして、だよ?
俺の頭の中はそれでいっぱいになっていた。どうして、なんで、疑問と疑問がぶつかり、疑問がどんどん大きくなっていく。
世界は、俺を中心に回ってるんじゃないのかよ?
俺が想った通りに動けば、世界はその通りに動くんじゃないのかよ?
砂場で二人は一緒に遊んでいる。楽しそうに遊び、数分前まで孤独な顔をしていた少女はそこにはいない。いるのは楽しそうに少年と遊ぶ、歳相応の少女の姿。
奥歯を噛み締める。
悔しさに、拳を握る。
『御子息!!落ち着け、どうしたのだ!?』
気づいた。
俺は無意識の内に身体を強化していた。
自分の都合に合わない世界の光景に、それを奪った友達に嫉妬して、この空間をぶっ壊してやりたいという感情に襲われ、飲まれ、それを行う所だった。
「―――――ッ!?」
気づいた瞬間、身体が恐怖に震えた。
俺は、何をしようとしていた?
この手で、何をしようとしていた?
次々と湧きあがる疑問に耐えきれなくなった俺は、その場から逃げる様に走り出す。背後から聞こえる二人の楽しそうな声が、笑い合う声が、まるで自分を嘲笑っているかの様に聞こえた。
それが、堪らなく恐かった。
そして、情けなかった。



「―――――力っていうのはな、何の為に使うと思う?」
親父が、突然そんな事を聞いてきた。
「…………戦う為」
境内を掃除しながら、俺はそう言った。
力というのは戦う為に使う、そんなの子供だって知っている。テレビのヒーローだってそういう使い方をしている。悪い奴と戦う為に力を振るい、勝つ為に己の力を行使する。
正義の味方は、何時だってそういう力を持っている。
「そうだな、それも正解だ……だがな、世の中はそうそう巧くは回っていない」
親父は像を磨きながら言う。
「戦うという行為は、お前くらいの歳の奴から見れば恰好良く見れるかもしれないが、歳を重ねる事に違う見え方もある」
「違う見え方?」
「――――何故、戦う必要があるのか、だ」
親父、この頃に俺にそんな事を言っても理解出来ないだろ。
ガキなんだ。子供なんだ。自分の力は戦う、喧嘩する為にあるとしか思っていない。そんな陳腐な考えしか思いつかない、馬鹿なガキなんだ。
けれど、そんな未来の俺の言葉など関係なしに親父は紡ぐ。
「銀二、友達と仲良くするのに力は必要か?」
「…………」
「勉強に力は必要か?」
「…………」
「食事に力は必要か?掃除に力は必要か?読書に力は必要か?物を持ち上げるという行為の他に、只生きる為に力は必要か?」
小さく、必要ない―――俺はそう答えた。
「そうだ、まったく必要が無い。只生きる為に力なんて何の意味も無い。あるだけ邪魔だし、必要性も感じ無い―――だが、それでも必要な時があるとすれば、それはどんな時だとお前は思う?」
自分の腕を見つめ、考える。
どんな時に、この力を使うのか……すぐには答えられなかった。
それどころか、別の事を考えていた。
あの時、俺が無意識の内に発動した強化。それをぶつけようとした光景―――あの光景、あの楽しそうな二人の間に、力は必要だったのか?
簡単に答えは出た。
必要は、無い。
必要だったのは勇気と優しさ。
自分勝手な傲慢は必要ない。
「お前、最近清四郎と会ってないそうだな……」
「誰に聞いたんだよ」
「お前の傍にいる者からだよ」
「…………」
俺の首から下がっている電助を見る。電助は何も答えず、微かに光る。謝っているのか、それとも問題があるかと開きなっているのかもしれない。
けど、俺は責める気は起きなかった。
「自分の力の大きさ、それを使う事の意味――――今のお前には分からんかもしれんが、お前があの時に感じたソレは、正しくお前の本当だ。そして、それを振るう事の未来をそうして、お前はソレが恐い事だと理解した……そうだな」
親父は何時の前に俺の前に立ち、俺を見ている。
その時、俺は怒られるんじゃないかと恐くなった。
親父は普段から、己の力を無暗に使ってはならないと俺に口が酸っぱくなるほど言ってきた。なのに、俺はあの時にその約束を破ろうとしてしまった。
だから、怒られる。
怒った親父は恐い。
だから、恐い。
震える俺に親父は、禿げた頭を叩きながら、
「自分の事が、恐いと思ったか?」
「…………」
頷く。
「もしも、その恐怖を感じずに手を振り挙げた時の事を、想像したか?」
「…………」
何度も、頷く。

「―――――なら、それでいい」

「え?」
思わず呆ける。
顔を上げると、親父は何故か満面の笑みを浮かべていた。
「恐いと感じた。そして、それを我慢した。恐怖を感じ、それを否とした――――それこそ、力を持つ者にとって大切な部分の一つだ。お前はそれに気づき、己を恥じた……」
親父のゴツイ手が俺の頭を乱暴に撫でる。
「流石は俺の息子だ」
そう言った時、そう言われた瞬間、顔が真っ赤に染まり、目頭が熱くなる。
「武本流は喧嘩する為の武術だ。だが、喧嘩するにも条件がある。その条件も超えずに無意味に力を行使する事では意味が無い。それでは、ただの殺人術でしかない。武本流は殺人術でも活人術でもないが、両方の意味も持っている……だから、間違う事も何度もある」
親父の声は、今までに聞いた事のない程に優しかった。
「だが、間違う事で止まっては駄目だ。間違ったのなら、それをバネにして次に進まなければいけない。お前が俺の息子なら、その程度の事は簡単に出来るはずだ――――だから、銀二」
親父は、笑いながら言った。



「正しい怒りで喧嘩をするな、間違った怒りで喧嘩をするな――――お前が後悔しないと決めた時だけ、喧嘩をしろ!!」



多分、たったそれだけの事だけで俺は気づいたのだろう。
世界は俺を中心には回ってない。
でも、それでも自分を蔑にして良いわけではない。
世界の中心には――――誰しもがいるのだ。
俺だけではない。親父も、電助も、清四郎も、あの少女も、皆が俺と同じ場所で、世界の中心に立っているのだ。
もっとも、その時の俺には此処までの事を考えていたわけではないのだろうが、そのきっかけにはなっていたのだろう。
武本銀二がその力を振るう理由が―――その一つ目の理由が、ようやく生まれた。





少女が泣いている。
少年が泣いている。
少女は膝小僧を擦り剥いているが、その痛みで泣いているのではない。
少年は顔を紫色に腫らしているが、その痛みで泣いているのではない。
少女は少年が傷ついた事に泣いている。
少年は少女を泣かせた事に泣いている。
二人の傍には崩れた砂の城。二人で頑張って作ったのでのあろう、大きな城があった。だが、それは今や籠絡され、見るも無残な砂に変わっている。
「…………」
俺は、その光景を見詰めながら小さく息を洩らす。溜息ではなく、自分の肺に溜まった灼熱の熱気を追い出す為の息吹。
見ていたわけではない。
学校の帰りに何となくその道を選び、歩いていた。その途中、身体の大きな子供とその連れであろう少年、四人組が楽しそうに笑っていた。いや、嗤っていた。楽しそうに、面白おかしく、嬉しそうに―――語っていた。
馬鹿な奴―――と、
壊してやった―――と、
情けない奴――――と、
俺は何も思わなかった。見ず知らずの奴の事など俺にはどうでもよかった。なのに、その声だけははっきりと今でも頭の中で響いている。
そして、この光景だ。
何となく、理解した。
何となく、理解していた。
「…………」

少女が泣いていた。
泣いている姿を見て、気づいた。
あぁ、俺はあの子が好きなんだ。

少年が泣いていた。
泣いている姿を見て、気づいた。
あぁ、やっぱり俺はアイツの友達なんだ。

拳を握った。
踵を返した。
頭の中でオヤジの言葉が響く。
『御子息、主の言葉を忘れたか?』
「覚えてるよ、電助」
『ならば、迂闊な行動が招く結果など――――』
「知ってる」
あぁ、知っているとも。
でも、これだけは譲れない。
これを譲り、妥協したら―――きっと俺は駄目になる。
「電助……清四郎はきっとあの子を守ったんだよ。あの時も、今も、ずっとな」
『それは確かな事実ではない。御子息の勝手な想像だ』
「いや、これは確信だよ……俺の知っている清四郎は強い奴なんだよ。普段は大人しくて、臆病で、俺の後ろにばっかり隠れてる奴だけど――――弱くはない」
だから、きっとアイツは怒った。
俺はそう思う。そう思わない理由が、理屈が、一つたりとも見当たらない。俺の知っている鎌倉清四郎は、黙ってあの子を泣かせているだけのヘタレなんかじゃない。
今も、そしてこれからもだ。
「俺は、アイツのダチなんだよ。ダチの友達を泣かせた奴、ダチを泣かせた奴……それは、俺が喧嘩しても後悔しない奴だって相場が決まってる」
黒い想いは無い。あるのは真っ赤な怒り。静かな怒り。静かな怒りは頭の全てを正常に動かす。そして、その怒りが招く結果も想像できる。
これは、正しい怒りじゃない。
これは、間違った怒りじゃない。

これは、俺が後悔しないと決めた怒りだ。

「ダチを泣かせた奴に怒れない俺なら、いらない」
『…………』
「電助、後で親父に言うなら幾らでも言え。親父の拳骨やら説教やら、受けれる範囲でなら何でも受けてやる……けどな、止める事だけはするな」
アイツ等の姿を捕える。
此処からは魔法も気功も必要ない。
必要なのは意志だけ。
コレから俺は、喧嘩する。
「―――――おい、お前等!!」
アイツ等が俺を見る。
俺はアイツ等を睨む。
睨みながら、走り出す。
拳を振り上げ、声が枯れる程に叫びながら、



「ちょっと、その面――――貸せやぁぁぁぁあああああああああああああああ!!」



初めて人を殴った拳は、しばらく痛みが消えなかった。




そんな過去を思い出した俺は、また一人で煙草を吸っている。
視線の先には先程まで俺と二人で大きな城を砂で作っていた女の子が、他のガキと一緒に遊んでいる光景が映されている。
「それでいいんだよ」
なんて傍観しきった事を言いながらも、過去の俺はそんな事すら出来ずにいた。あの時、初めて誰かを本気で殴った手は、もう何人も何人殴り飛ばしたせいで痛みを余り感じなくなっていった。
殴りすぎて心が鈍感になってしまったのかもしれない。人としてはあまり褒められるべきでないと思いながらも、口元は綻ぶ。
成長しているようで、あまり成長していないな、俺。
ガキ共が俺に手を振っている。俺も手を振り、ガキ共は帰っていく。夏の夕暮れは遅いが、今日は珍しく早い。空は茜色に染まり、蛍の光が何処からか聞こえてくる。これが聞こえてくればガキの時間は終わり、街は大人の時間に変わる。
「――――さて、帰るか」
結局、俺の一日はこうして無駄に終わる。今までの生活が切磋琢磨する時間が多すぎたのだろう、こんなのんびりとした日常もまた良いものだ。
帰る前にコンビニで寄って晩飯を調達するか、そう考えながら歩いていると、
「――――銀二?」
突然、後ろから声をかえけられた。
振り返ると、そこには見知った顔が二つ。
「よぉ、久しぶり」
「えぇ、久しぶりね。帰ってたんなら、連絡よこしなさいよ」
アリサ・バニングスと、
「久しぶりだね、銀二君。元気だった?」
月村すずかの姿があった。

此処からは、大人の時間だ。
楽しいだけでは終われない、少しだけ酸味の効いた―――そんな時間。






[19403] 第三話「親友とアリサと告白の法則」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/06/17 20:16
「――――んで、最近はどうなんだ?」
繁華街の中に含まれた小さな飲み屋で俺とアリサとすずかはテーブルを挟んで向かい会う。
俺の前にはビールがあり、アリサの前にはウィスキー、すずかの前にはチューハイ。そういえば、コイツ等も何時の間にか二十になってたんだっけな。でも、アリサの場合は二十になる前かから飲んでたな、俺と一緒に……
「なんか面白い事とかあるか?」
ビール片手に焼き鳥を頬張りながら、俺はアリサとすずかに尋ねる。
「別に何にもないわよ。大学の講義はつまらないし、良い出会いもないし……そうゆうアンタはどうなのよ?」
「俺だって似たようなもんだよ」
「大学生と魔法使い、それに違いが無いわけないでしょうが」
ふむ、それはそうだな。
「プライベートとしては、そんなに変わりは無いわな。合コン開いても、年下の上司が邪魔して巧くいかないし、仕事の方ではマジで死ぬかと思った事が連続して起こるし……クソッ、これなら俺も大学にいっとけばよかった」
「無理でしょ、アンタの頭じゃ」
「ア、アリサちゃん……それは幾らなんでも言い過ぎだよ」
「それじゃ、逆に聞くけど……すずかは、銀二が大学に受かる程の知力があると思う?私は思わないわね。コイツは体力は人一倍あるけど、それ以外は貧乏中の貧乏よ」
「……………………そ、そんな事は無いと思うけど」
すずか、その間が俺を傷つける刃と知るべきだ。
わかっているけど、それでも割り切れないのが人生なのだと俺は言いたい。
就職してから大学にいっとけば良かったとか、もうちょっと真面目に勉強していればよかったとか、そういう考えを持ってこその社会人だ。既に手遅れかもしれないが、ソレに気づかないボンクラよりは数倍マシだよ。
「そういうお前はどうなんだよ、すずか?」
「私は……特に変わりはないかな?」
そう言った瞬間、アリサの眼が怪しくに光る。
「それがそうでもないのよね~」
「アリサちゃん!?」
何故か慌てるすずか。それを見て俺とアリサの視線が合わさり、ニヤリと嗤う。
「ほぅ、どんな事がすずかお嬢様の周囲で起こったのですかな?」
「それがもうびっくりなんですのよ、銀二さん」
アリサが煙草を咥え、俺がそれに火をつける。ちなみに、アリサの喫煙は家には内緒らしい。けど、俺は絶対にばれていると思っている。だって、煙草の匂いを消すのは相当に苦労するし、気づけば身体に染みついているのだ。
「すずかさんったら、三カ月前に――――彼氏が出来たのですのよ」
「な、なんですとぉぉぉおおおおおおおおおおお!!」
「銀二君、声が大きいよ!それと、アリサちゃんも何で言うの!?」
はやて辺りに言ったら、憎悪の言葉を向けられそうだな。だから、そういう話はアイツには絶対に言わない方が良い、これは確定事項だ。
「マジですか!?」
「マジよ、おおマジ。私だってびっくりしてるんだから……しかも、告白したのは向こうじゃなくて、すずかの方からってんだから二重でビックリよ」
へぇ、あのすずかが……人間、時間と共に進歩するのだという良い証拠だ。
「相手は?俺の知ってる奴?」
「アンタが向こうに行く前に合コンした時にいた人。確か、アンタと大喧嘩した気がするけど……」
あぁ、思い出した。確か、大学に入った頃の二人をダシにして合コンを開いた時、俺とフェチについて熱く語り合った男がいたな。
「そっか……すずか、お前は良い男を選んだ」
「なんで、そんな遠くを見るような眼をするの?」
そっか、アイツか……あの髪フェチか。
「その頃からちょくちょく会ってたみたい。でもさ、交際までそんなにかかるなんて、すずからしいというか、なんというか」
「それは同意する」
俺には彼女いないけどな。
「とりあえず、おめでとうと言うべきか?」
「え、え~と……ありがとう」
そっか、俺の居ない間にすずかにも彼氏が出来たのか。昔は清四郎にぞっこんだった娘が、今は全く別の奴に恋するようになる。時間が経てば本当に人は成長するらしい。ん、だとすると未だに清四郎を追いかけている人生終結一歩手前なワーカーホリック三人娘は、まったく成長していないという意味なのだろうか?
……成長しているのは胸だけだな(はやて以外)
「で、アリサは未だに男無しってか」
「悪い?私はこう見えて男の選別に厳しいよ」
「そう見える以外にコメントが無いっての……」
「逆に聞くけど、アンタはそういう話はないわけ?確か、アンタの上司って女の子でしょ。その子とはどういう感じなのよ」
どういう感じって言われても、本当に何にも無い。
「最初に言った通り、何も無ぇよ。アイツは口煩い上司だってだけで、そういう対象には見れないな……まぁ、黙っていれば良い女だとは思うけど」
「銀二君がそう言って事は……その人、凄く大変そうだね」
「そうね。こんなごく潰しが足下にいるだなんて、上司としては最低な屈辱よ」
お前等、俺を何だと思ってるんだ?
「俺にだって女を選ぶ権利はあると思う」
「無いわね」
「無いと思うよ」
アリサは何時も通りだが、すずかに言われると凄く傷つくんだが。
「でもね、銀二」
ウィスキーの入ったグラスを揺らしながら、アリサは急に真剣な眼をする。
「昔からそうだったけど、アンタは人を選び過ぎだと思うのよ」
「恋人を選ぶのは普通だろ」
「そういう意味じゃないわよ。アンタの場合、恋愛の対象を選び過ぎるのと同時に、対象になった相手がアンタ以外を好きになったら、大概は身を引くじゃない……私の言う選び過ぎっていうのは、人一人に時間をかけなさ過ぎるっていう意味。一人だけに固定しないで弾を撃ち過ぎなのよ」
「…………」
選び過ぎ、ねぇ。
「少しは一人に没頭しなさいよ。それが出来ない所が、アンタの悪い所だって気づいている?」
「アリサちゃん……」
直球でモノを言うアリサと、それを言われた俺を交互に心配そうに見るすずか。
「――――――お前の言う事は、間違ってはいないわな」
「そうね。アンタのそういう所の被害者である私が言うんだから、間違いであるはずが無いわよ」
「え?」
アリサの言う事の意味が分からなかったのか、すずかは首を傾げる。瞬間、俺とアリサは顔を見合って苦笑する。
そうだった、この事は内緒だった。
「…………っま、アンタの事情だし、私には関係ないわね―――それより、この店はアンタのおごりよね」
アリサが誤魔化す様に言う。
「んな訳あるか。割り勘だよ、割り勘」
この話は此処でおしまい。悪いがすずかの疑問は此処で終わってもらうとしよう。
そして、俺達はそんな事を忘れるかのように飲み続けた。
むしろ、飲み過ぎた。
すずかの恋の軌跡をツマミに酒を呑む俺達。時々、すずかの甘いストロベリートークにキレたアリサを殴ってオトして、復活したアリサに脳天踵落としで昏倒させられ、酔っぱらったすずかが暴走して、俺とアリサの友情ツープラトンでDDTを喰らわせたりと、大変盛り上がった―――当然、暴れ過ぎて店は出入り禁止になったけどね。



ガキの頃の話をしよう―――というか、俺とアリサ・バニングスについて少しだけ話そう。
関係、なんて程に大層な話でもないのだが、俺にとってコイツはなのは達と知り合うきっかけになったのも事実だ。
俺はコイツの事を知らなかったし、アリサも知らない。
けど、とある理由で俺はアリサの事を知り、そこから色々と波状効果が生まれる。
そして、その行き着く先は―――誰にも言えない、ガキが大人になる為に必要な時間に向かうのだろう。
俺とアリサだけの秘密。
笑いながら、それでも泣きそうな顔。
そして、俺が泣かせた顔。
それに行き着く軌跡は、どんな過去だったのか……少しだけ思い出す事にしよう。






第三話「親友とアリサと告白の法則」






とりあえず、俺のガキの頃に戻るとしよう。
武本銀二というガキには友達が少なかった。というより、俺と友達になろうなんて奴自体が少なかったというだけの話。自慢じゃないが、通っていた幼稚園でガキの癖に周りのガキ共を見下していた俺は、相当に嫌な奴だった。どんなに嫌な奴かと言うならば、それは俺の消したい過去として処理したいため、あまり口には出したくない。
だが、そんな俺にも友達はいた。
鎌倉清四郎―――俺より一つ年下のガキ。
出会いは意外と単純。
ガキの頃から気が弱かったアイツは友達も少ないし、苛められる事も多い。それはアイツの家庭事情も関係あるのだが、そんな深い事情をガキ共が知るわけが無い。だから、俺と清四郎の通っていた幼稚園で、清四郎は周りのガキ共からすれば絶好の苛めの対象だった。
それを俺が助けた―――というか、単に俺がそのガキ共と喧嘩した際に清四郎が近くにいて、ソイツ等が清四郎を置いて逃げた。そして、俺が清四郎をボッコボコにしようと近づいたら泣かれた。ガキの俺が引く位に泣いた。今でも俺はあの姿を思い出すと笑えるし、その話を清四郎にするとアイツは顔を真っ赤にして話を止めてくれと懇願する。
まぁ、俺も流石にあそこまで泣かれて手を挙げるなんて行為は出来なかったわけだ。
そして、気づいたら俺の近くに常にアイツの姿があった。
最初は、俺の近くに居れば苛められないと考えたのだろうと思った。だから俺は徹底的に清四郎の事を無視した。時には蹴飛ばした。でもアイツは離れなかった。離れるどころか、飯時間も寝る時間も、アイツは常に俺の傍にいようとした。お前はそこまで苛められたくないのかと呆れた―――いや、今の俺がそう想うだけで、別にあの時の俺はそこまで深くは考えなかったけどな。
そして、俺が最初に折れた。
けど、折れて良かったとも思う。
折れなかったら、俺はきっと清四郎の事を誤解したまま、変に捻くれたガキとして成長してしまっただろう。ある意味で恩人なのだろう、アイツは。そして、俺よりもよっぽど強い奴なのだと知った。
語る事は色々とあるけど、俺とアイツがダチであるという事だけを知ってもらえれば、俺としては十分だ。
だが、そんなガキの頃の友情なんてモノは結構ゆるい。
俺が小学校に上がった頃は多少の交流もあったのだが、清四郎が私立の学校に通い始めた辺りでその交流も少しずつ減っていく。俺には俺の付き合いもあるし、アイツにはアイツの付き合いもある。
俺が小学三年になる頃には、アイツと顔を合わせない回数が格段に上がった。時々、街中で偶然会って、適当に話してそれで終わり、なんて事はざらだ。
学校が違えば、歳を重ねれば、そんな事は普通だったのだろう。



それが例え、麻奈がいなくなった日に、心に決めた想いだとしても。



もっとも、そんな事を考える暇も無いほど、その頃の俺はクラスメイトと、遊ぶ事に没頭していたのもまた、事実。
それは決して、俺の初恋の女の子を清四郎に取られたなんていう、被害妄想からくる行為ではないと、俺は力を込めて言いたい。
何せ、



俺はあの子の事を、完全に忘れていたのだから……



「なぁ、武本」
夕焼け、俺達の影が身長の数倍は伸びている光景を見ながら、ドラム缶の上に腰掛けた斉藤が俺に尋ねた。
「お前さ、好きな子っている?」
「いない」
斉藤は小学校に上がってからずっと一緒のクラスの男子生徒。クラスの中では中心的な奴で、他の女子にも結構のモテる奴。頭は良いし、スポーツ万能、おまけに実家は病院を経営している生まれながらの勝ち組。
俺とは全然違う境遇にいた奴だ。
「何でだよ?お前って女子とか好きだろ、かなり」
「だからだよ。特定の女子が好きなんじゃなくて、俺は女子、もとい女という存在の全てを愛しているのさ」
「なら、隣のクラスの皆川とかも好きなのか?」
「俺は人間が好きだが、マウンテンゴリラを好きになるとは言っていない」
そして、俺を二階から突き落とす奴を女子とは認めない。
「そういうお前はどうなんだよ?」
「い、いる……」
それはちょっと意外な答えだった。
「マジで?」
斉藤は、この頃のガキにすれば少し特殊。この頃のガキは女子と一緒に遊ぶなんて行為を恰好が悪いと考える傾向が多くて、男は男と遊ばないと格好が悪いと考える奴が山ほどいる。そんな中でも斉藤はそういう馬鹿な思考を持つ奴ではなく、男女平等に遊ぶ。だからこそ人気もあるし、中心的という言葉が似合うガキでもあったわけだ。けれども、だからと言って俺の様に女なら何でも好きってわけでもないし、友達以上になりたいと思うわけでもない。
友達は友達、クラスメイトも友達。それ以上は決して考えない、そんな斉藤が好きな子がいるという発言は正直に驚いた。
「へぇ、お前が……誰だよ、同じクラスの奴か?それとも他のクラスか?」
「いや……同じ学校じゃない」
「そうなのか?」
それじゃ、俺の情報網には引っかかってこないな。この頃の俺の情報網は同じ学校の中だけの狭い範囲。これが中学、高校と上がるにつれてその情報網はどんどん広くなっていくのだが、今はこの程度だ。まったく、我ながら未熟だったと思うよ、ほんと。
「この間、サッカーの試合で……相手チームの応援に来てた子なんだけど」
「ふ~ん。名前は?」
「わかんない」
「相手は全員が同じ学校で固めたチームだから。その応援に来てるって事は、その子も同じ学校だと思って……」
この間の試合か……となると、チームは確か翠屋JFCとかいう名前だった気がする。俺はサッカーとかあんまり興味無かったし、その日は親父と一緒に富士の樹海で遭難していたから知るわけも無い。
「――――それで、だな。折り言ってお願いがあるんだけど……」
普段見せないモジモジとした斉藤の態度でなんとなく言いたい事は分かった。
「その名前も分からない子の事を調べろってんだろ」
「…………お願い、出来るか?」
「他の学校の子を調べるのは初めてだけど……まぁ、やってみるさ」
「あ、ありがとう!!」
満面の笑みを浮かべる斉藤)、俺の手を握ってブンブン振りまわす。しかし、そんな斉藤とは対照的に俺はあまり乗り気ではない。
他人の恋の悩みに、どうして俺が協力せねばいけないのだろう……正直、面倒だった。だが、恋の相手の学校にはそれなりに興味がある。以前、街中で制服姿の生徒を見かけたが、あれは中々にレベルが高い。
つまり、俺に損のある話ではないのだ――――と、この時の俺はそう想っていた。
これがまさか、あんな結末になろうとは想像もしていなかった。損はしないとか、クラスメイトの為とか、そんな事など宇宙の彼方に放り捨てる程の事態が其処にあり、これはその前振りになろうとは、ガキの俺は想像もしていなかったのだ。
故に、これはあの騒動のプロローグのプロローグ。
斉藤が恋した相手を調べるというミッションは、ゲームでいうなら最初のミッション。その後ろに控えたトンデモ事態を知らずに、俺は静かに闘志を燃やす。



後に、PT事件と呼ばれる馬鹿騒ぎ―――それが起こる一ヶ月前の話だ。


斉藤からの依頼から数日後。俺は学校を無断欠席してとある場所に立っている。
「さて、此処がかの有名な私立学校―――私立聖祥大学付属小学校か……侵入に随分と時間がかかっちまったぜ」
汗だくになった額を拭きながら、俺は聖祥の屋上にいる。屋上に入るまでに色々な関門があったが、そこは普段から無駄に鍛えられている俺からすれば楽勝だ。
流石に一階から屋上までパイプを昇っていく事になるとは思って無かったけどな。
あぁ、海から届く風が気持ちいいぜ……なんて事はさて置き、俺はリュックの中から聖祥の制服を取り出して着がえる。なにぶん、此処は公立ではなく私立の為、私服ではなく制服なのだ。ちなみに、この制服はとある筋から手に入れたレプリカだ。知り合いにコスプレイヤーが居てくれて大助かりだ。
「でも、何で女物?」
コレしかなかったんだって、んなわけあるか!!
男子用の制服を頼んだのに、何で女子用なんだよ!?
しかも、しっかりと鬘まで用意する手套さ……いや、別にいいけどさ。
女子の制服を着込み、鬘をかぶって自分の姿を確認する。
うぅぅん、女に見えない事はないけど――――無理がありそうな気がする。
『御子息、主が見たら泣くぞ』
「五月蠅い。その前に俺が泣くわ」
好き好んで女装する趣味なんて俺には無い。
『それ以前に御子息。そこまでして調べる意味があるのかと某は聞きたい。如何に友の願いだとしても、これは幾らなんでも……』
「それ以上言うな。俺だって疑問に思ってる……でも、これはこれで面白い気が」
『主!!御子息が危険な道にはまっていくぞ!!』
「喧しい」
というわけで、ミッションスタート。


開始五分で、締め出された。


『まぁ、妥当な結果だな』
「あぁ、あそこで最後までバレなかったら俺の中で何かが死んだだろうな」
逆にこれを清四郎に任せたら最後までバレない気がする。一応、アイツは女顔だし、きっと普通に歩いていても問題はないだろうな。その分、アイツは泣くだろうけど。
ちなみに、この時の俺はそんな事を考えているが、これから数年後。俺が思春期真っ盛りな頃に夢の中で、女化した清四郎とキスするというシーンを放映し、清四郎をぶん殴った事がある。
そして、しばらくして清四郎が俺の家に来て、パソコンの感じ変換にて『せいしろう』と打ったら『(ディバインバスター)朗』と変換され、気まずい空間を作り出すなんて想像もしなかっただろう。
そんな事はさて置き、制服を脱ぎ調べた事をメモ帳に纏める。
『御子息の将来は密偵が似合いそうだな』
「今は探偵っていうんだよ」
『ならば、テレビドラマのような黒服モジャモジャ頭の探偵の様になるべきだ』
「俺の最後の言葉は「なんじゃりゃ!?」かよ」
『それは探偵ではなく刑事のほうだな』
コイツは本当にデバイスのだろうか?
ここ数年で妙に人間臭くなった気がする。
『それで、相手の素性はわかったのか?』
「さっきのミッションで顔までは確認した……名前はアリサ・バニングス。バニングス家っていう大企業の令嬢らしいな」
『……御子息、何時の間にそこまで調べたのだ?』
「それはアレだよ……アレだ」
『――――探偵になるのはいいが、犯罪者になるのだけは勘弁してくれ。主が泣く』
いや、アイツはむしろ笑うと思う。
それに顔と名前は当然な事ながら―――おっと、此処までは流石に口には出せないな。流石にこれ以上言ったら俺がストーカーみたいじゃないか。
『確認の為に聞きたいのだが、最近寺の周辺に黒服の連中がウロウロしているという事実を、御子息は御存じか?』
「あぁ、親父が泥棒と間違えてボコった連中だろ?」
『…………御子息。本当にその娘の個人情報だけを調べたのだろうな?』
「…………」
『その無言は如何に!?』
いやぁ、まさかあんな企業秘密を得る事になろうとは、俺も予想だにしなかったぜ。というか、俺如きに簡単に情報を掴まれる企業なんて大した事はないな、はっはっはっ!!
『主よ。汝の拾った子は恐ろしいぞ』
大丈夫だって。こんな情報を金に変えるような外道はしないって。
ともかく、そんな俺はアリサ・バニングスという少女の情報をまとめ、斉藤に報告する事になった。斉藤は何度も何度も礼を言っていたが、その反面、俺からすればその情報を丸々信じてアタックして振られたら、斉藤がストーカーになる気がする。
「そこまで責任持てないっての」
『いや、持てよ』
だが、今回の調査の中で俺は何故か妙な気分になっている。何故だろう、嫌な予感という訳ではないのだが、それとは別に胸騒ぎがする。
胸の奥がチクチクするというか、背筋がザワザワするというか――――なんだ、この甘酸っぱい感覚。
夕暮れの海辺でドラム缶の中に火を灯して、その中に資料を捨てる。
調べ終われば、俺にはもう関係の無い資料だ。
調べた資料を燃やしながら、俺は自分の感じた何かをじっと考える。燃える紙、白い紙がオレンジ色の炎に焼かれながら黒い炭に変わっていく。
そして、その中で俺の眼に微かに写った写真……その写真に写っていた少女の顔。
「…………ん?」
なんだか、見た事のある顔だった―――気がする。
気のせいかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
「気のせい、でいいよな……」
考えてはいけない。いや、思い出してはいけないと誰かが言う。俺のはずなのに他人の声に聞こえる。
完全に燃えた紙に水をかぶせ、消火。
「帰るか…………んん?」
その時、俺の眼にある集団が見えた。
四人組の少年少女。その中にアリサ・バニングスの姿がある。その周りに二人の少女と女顔の少年―――鎌倉清四郎の姿があった。
「清四郎?」
清四郎は三人の少女と楽しげに話している。アリサ・バニングスも楽しそうだった。微かに頬を赤らめ、清四郎を見つめている。
「へぇ、清四郎も隅におけねぇな」
思わずニヤリと笑ってしまう。あの清四郎も女を侍らせる程の甲斐性を持ったのだと思うと、少しだけ嬉しい。というか、羨ましい。だが、そんな光景を見れば斉藤の好きな少女が好意を向ける相手が一目瞭然。
「これは……喜んでいいのか?」
『むしろ、残念に思うべきだろうな』
クラスメイトの失恋を想像しながらも、俺は何となく清四郎達の後ろをつける。
『帰るのではないのか?』
「気になるだろ。あの清四郎だぞ?昔から恥ずかしがり屋で女の子となれば子供から婆ちゃんまで恥ずかしくて話も出来ない奴が、あんな美少女と普通に話してるんだ」
『時が過ぎれば人は変わるのだよ、御子息』
というか、単に気になるのだ。ここしばらく会ってない清四郎のプライベートが気になる。俺が見ていない間にどれだけ成長したのか、この眼にしかと焼きつけなければ。
『それを出歯亀という』
「黙れ」
さて、電助の戯言はさて置き、俺は清四郎とその他を見る。
一人はアリサ・バニングス。笹川が惚れている少女。見る限りに活発そうで気が強そうだな。でも、ああいったタイプは一度誰かを好きなればゾッコンになる事は確定だろう。
次に大人しそうな少女……確か、月村すずかだったな。バニングス家を調べる際に、家族ぐるみで仲が良い月村家とかいう大金持ちの御令嬢。一度、屋敷に忍びこうもうとしたが、その前に親父に止められた―――親父曰く、俺にはあと五年は早いらしい。
そして最後の一人は――――誰だ?
『調べたのではないのか?』
「いや、もう一人は金持ちでも何でもないからシカトしてた。金という単語にしか興味の無い年頃なんだ、察しろ」
『将来が心配だな』
「あぁ、あの子の将来が心配だ」
『御子息の事を言っているのだよ』
お、その話題の子が清四郎の腕に飛びついた。その行動に清四郎の顔が真っ赤に染まる。それを見た他の二人も同じように清四郎に抱きつく。大人しそうな子、月村すずかは恥ずかしがりながらも、しっかりと清四郎の腕を持っている。アリサ・バニングスは両腕を固定された清四郎の背中、首に手を回している。
「…………なんだろう、酷くムカつく」
『良いものだな、若いというものは』
「ジジ臭いぞ、電助」
『若人のああいった生々しい――ではなく、初々しい姿を見ると、昔の青春ドラマを思い出す……むしろ、教育番組のさわやかな三組的な光景を思い出す』
あの番組のそんなシーンは無ぇよ。あっても中学生的な日記の方だろう。
『だが、これも奇妙な縁よな。まさか、あの娘が未だに清四郎殿の近くにいるとは』
あの娘?
『なんだ、御子息ともあろう者が気がつかないのか?』
「どういう意味だよ」
尋ねると、電助は何故か黙る。
「おい、答えろよ」
『…………本当に気づかないのか?』
「だから、どういう意味だよ」
『――――あの娘。御子息が何度か見かけた娘だぞ。砂場で一人で遊んでいた、あの』
砂場。
その単語に俺の記憶は一気に過去に遡る。
思い出した。
「あの子、か……」
『然り。きっとあの時の娘だろうな……御子息、本当に覚えていないのか?』
確かに、そう言われるとそんな気がする。
俺が三年前に見かけた少女、それが清四郎の傍にいる。
「……そっか、あの時の」
何故か、胸が苦しくなった。
胸を抑え、脚を止める。
このまま後をつけていこうと思っていたが、そんな気分にはなれなかった。
「…………」
もしも―――なんて事を想像してしまった。
そんな想像を頭を振って打ち消し、俺はあの時と同じように踵を返して走り出す。
胸糞、悪い。
清四郎ではなく、そんな想像をした俺自身に俺は胸糞悪くなっていた。
あれから三年も経って、少しは成長したと思っていたのに……俺は、何一つ成長していないのだと知った。
もしも、という想像が恰好悪すぎる。
俺があの時、あの子に話しかけていれば、俺もあの中にいるかもしれない。もしも、話しかけていれば清四郎の代わりに俺があの中にいるかもしれない―――そんな想像が堪らなく情けなかった。
「馬鹿みてぇだな、おい」
夕焼けは茜色に輝く。
綺麗なはずの夕焼けが、今だけは悲しい色に見えた。
それは俺がまだ、ガキだという証。
武本銀二が、まだガキの頃の話だ。





「――――うぃ~、飲み過ぎた~」
アリサのオヤジ臭い発言が俺を現実へと戻す。
「飲み過ぎ。あとチャンポンしすぎ。そんな飲み方してたら二日酔いになるぞ」
「大丈夫、ウコン飲んでるから」
俺の経験上、アレを呑んだ奴の九割は吐く。絶対に吐く。
「うぐぅ!?」
案の定、アリサは口元を押さえて走り出す。その後を追うなんて無粋な事はしないが、とりあえず近くにあった自販機からミネラルウォーターを購入しておく。
数分後、よろよろになりながら戻ってきたアリサにボトルを放り投げる。
「ありがとう~」
うっすらと酸味の匂いがするが、それは言わないでおこう。一応は女だ、そういう事は男よりも気にする方だろう。
「うぅ、気持ち悪い……」
「もっかい吐くか?」
「そうする」
アリサよ、頼むから俺以外にそんな男が幻滅する様な事を言わない方が良いぞ。
嘔吐する音と嗚咽の音が聞こえる気がするが、これは聞こえない音だ。そう、アイドルはトイレにいかないという思い込みの様に、アマネちゃんは化粧しないという思い込みと同じ様に、綺麗な女に嘔吐する音は無関係。
世界はそういう風に誤魔化す事で成り立っているに違いない。
「おぇぇぇぇえええええええええええええええ!!」
「静かに吐きやがれ!!お前も女だろうが!!」
「むりぃ……死ぬぅぅぅ」
百年の恋も冷めるな、おい……別に惚れてもないけどな。
何とか復活したアリサと俺は二人で夜道を歩く。
まだ気持ちが悪いのか、アリサの足取りは若干ふらふらしている。倒れないように常に横に並び、実際に倒れそうになったら支えてやった。
「おい、しっかりしろ。お前ん家、もうすぐそこじゃねぇかよ」
「そうだけど……うぅ、気持ち悪い。銀二、煙草ちょうだい」
「こんな時に吸うなよ」
俺も吸うけどよ。
繁華街ではなく住宅地。ここでは賑わいなんてない。あるのは平穏な静かな、ゆったりとした調だけ。
その調の中にオイルライターの着火音。煙草の先を燃やす音が混じる。
そんな音が混じり合う調。
夏の音は何かの調。
その音は時の車の走る音だったりするし、時には夜でも鳴く蝉の声だったりもする。酒の入った身体は微かに熱っぽく、咥えた煙草の出す煙ですらその温度には勝てないかもしれない。
俺とアリサは煙草を吸いながら無言で夜の道を歩く。
慣れ親しんだ街を、たった二人で。周りに誰も歩いていない、二人だけの道を。
無言が窮屈だとは感じない。
隣にいるのが他人ならばそう感じるかもしれないが、長年親しんだ友達というのなら話は別だ。呼吸の音も耳障りではない、靴の音もそうではない。
だた、其処に居るというだけで十分な居心地の良さだ。
「しばらくこっちに居られるの?」
「多分……というか、もうあっちには戻らないかもな」
アリサは眉をしかめて俺を見る。
「何それ?なんか大ボカでもしたの?」
「似たようなモンだよ……それに、あっちでも生活にも飽きたしな。いっその事、こっちで新しい職でも探すかな」
だとすれば、もう一度しっかりとしたマナーとか知識を学ぶ必要があるかもしれない。今の俺には戦うという本来はあまり必要のない知識しかない。あるだけ無駄ではないが、あっても困らないというわけでもない。
それだけしか、能が無いだけ。
「やっぱりさ、住み慣れた街が一番だよな」
「…………アンタは、それでいいの?」
「いいさ。元々そういうのが性に合ってるし、そうしないと色んな連中に迷惑もかかるしよ」
特に、口煩い年下の上司とかにな。
「ふ~ん……なら、さ」
アリサが俺の手を取って立ち止まる。



「――――もう一回、私と付き合わない?」



車のライトが俺とアリサを照らす。
「……酒の話か?」
「男と女の話よ」
真剣な表情を語るアリサを見て、俺は確かに虚をつかれた。これが戦場なら俺はこの瞬間にアリサに殺されているだろう。
「向こうに戻らないなら、私の傍にいなさいよ。私は別にアンタの事を迷惑とか考えないし、アンタだって私と居た方がいいでしょ?気を使わないし、お金の心配だってない……」
「……それ、マジで言ってる?」
「マジよ。私ね、冗談で愛の告白とか言わないって、アンタは知ってるでしょ」
知っている。
コイツはそんな事を冗談では口にしない。
昔から、そういう奴だと知っているから。
だから、こんな事をもう一度だけ繰り返そうと言っている。
「もう一度、もう一度だけ言うけど……私と、付き合わない?」
吸いかけの煙草が地面に堕ち、俺は天を見上げる。
さて、どうしたものか……
「―――――アリサ……一応、聞くけどよ」
天を見上げながら、星空を見上げながら、ゆっくりと言葉を吐き出す。
「お前、清四郎の事は諦めたのかよ?」
視線をアリサに合わせ、尋ねる。
「何それ?私がアンタに告白してるのに、何でそこで清四郎の話がくるのよ」
不快だ、アリサの顔がそう言っている。
「今は清四郎の事なんてどうでもいいでしょ。アンタは今、私の事だけを考えてればいいのよ」
「今の話でもあるが、昔の話でもあるんだよ……あの時と同じ問いだ」
その問いに、お前は同じ言葉を返すのか―――俺はそう聞いている。
「あの時もお前は、今と同じ事を言った。自分ともう一回だけ付き合わないかってな」
「……昔の事じゃない」
「だから、昔の話だ。別に悪いとは言わない。お前の気持ちはわかる―――って、言ったら嘘になるけど、それでも俺は聞くべきだと思う。俺はお前の本当の気持ちを聞いて、お前のソレが嘘でも偽りでもない、本当の気持ちだっていうのを確認する義務があると思う」
お前が、俺にそんな事を言うのならだ。
「いいじゃない、別に。確かに私は前にもアンタに同じ事を言ったわ……『好きです。付き合ってください』じゃなくて、『もう一度、私と付き合わない?』ってね」
夏の夜風が、アリサの髪を撫でる。
生温かい、そんな優しい風が。




それほど昔じゃない、そんな話をしよう。
それは俺が高校に入学した頃で、清四郎達が中学三の頃。ある日、俺はアリサに学校近くに喫茶店に呼び出された。
「私と付き合いなさい」
思わず、珈琲を噴き出してしまった。
いや、あり得んだろ。
俺とお前の何処にそんなフラグがあったと、俺は声を大にして言いたい。というか、叫びたい。君が好きだと叫びたいのではなく、頭が大丈夫かと叫びたい。
それでも、俺としては若干嬉しい―――というか、その場でランバダを踊ってしまいたい程に狂気乱舞しそうな気分だった。なにせ、生まれてこの方、俺は異性に告白された事が一度も無いのだ。それも年下の可愛い、とちらかといえば綺麗な部類に入る少女からの告白だ。嬉しくないはずがない。
だた、焦ったのも確かだ。
俺の心の中にいるのはアリサではなく、他の女。その女の事を諦め半分、縋りつく半分という中途半端な位置にある心には整理はついていない。もっとも、これから数年経ってもこの心は整理される事が無いのだが、その頃の俺はそんな事など想像もしていない。
しかし、そんな俺の事など無視してアリサは話を進める。
付き合う=恋愛、ではない。
付き合う=囮、でもある。
付き合う=虫よけ、が正しい。
つまるところ、俺はそういうポジションらしいのだ。
なんでも、アリサにしつこく付き纏う男がいて、何度断ってもスッポンの如く喰らいつくうっとうしい奴らしい。きっぱり断っても駄目で、ならば実力行使でいいじゃないかと言ったら暴力で解決はしたくないらしい。
そこで、俺。
その男を諦めさせる為に、手頃な男を利用するという話だ。
「いや、そういうのは清四郎に頼めよ」
「……アイツは駄目よ」
「何でよ?アイツなら普通に協力すると思うけど……」
「それが……駄目なのよ」
首を傾げる。
アリサが何を言いたいのか、俺にはあまり理解できない。まぁ、アイツに恋するアリサとしては清四郎に他の男の存在を匂わせたくないという感じだろう、と俺は想像する。なんだ、コイツもしっかり乙女してんじゃねぇかよ。
笑いを堪えながら、俺は了承する。
恋人ごっこ。いや、予行練習と思えば良い。別に、コイツに本気になるなんて事はなさそうだし、もしも俺が本気になった所で俺に勝ち目はない。
囮でも虫よけでも、好きに使ってくれって感じだよ。
だが、事態はそんなに簡単ではなかった―――主に、俺が恥ずかしい。
態々、アリサの下校時刻に校門前で待たされたり、腕を組まれたり、カップルで飲みそうな蛇が絡み合った様なストローでジュースを飲んだり……しかも、それをなのはの前でまでやらされる。
精神的に死ぬって、これ。
俺としてはバカップルに殺意を抱くタイプなので、そんな殺戮対象に自分がリストアップされそうな行為は絶対にしたくない。だが、これも必要な事なのだと鬼の様な形相で睨まれれば言う事を聞くしかない。
しかし、だ。
どうも気になる。
実際に聞いたわけではないのだが、周りの雰囲気から察するに、どうも俺とアリサの偽交際は周囲の事実というわけではないのだ。知っているのは俺とアリサだけで、清四郎達はそれを知らない。現に、なのはが俺に笑顔で
「アリサちゃんをよろしくね」
と、言ってきた。
――――よく死ななかったな、俺。
その場でアレは演技でフィクションで嘘っぱちなのだと言いたかったのだが、どうもその言葉が出ない。出ない理由としてはそんな大切な事をアリサが周りに何も言っていないという事だ。だから、それを俺の口から言っていいものかどうか怪しかったので、俺は口元を無理矢理に引き攣り、胃に一気に穴が空きそうな程のストレスと共に、
「応、任せろ!!」
そう言うしかなかった。
その日、俺は枕を涙で濡らした。
実は遠まわしにアリサが俺に対して苛めをしているのではないかと疑問に思い始めた頃、俺はようやく気付いた。
アリサに付き纏っているという男―――そんな男は存在しないという事に。
アリサとの恋人ごっこを始めてから、俺は常に周囲に気にしていた。アリサのいう男が周りにいないか、仮にいたとしたらアリサに何かして来ないかなど、恋人というよりボディーガードに近い感じで過ごしていた。
だが、そんな男はいない。
そんな気配は微塵も感じない。
「…………なぁ、電助。どう想う?」
『某に聞かれても困るな。だが、汝の思う通りだと某も想う。アリサ殿の語るような者はこの数日、まったく姿を見せない―――そもそも、いるのか?』
「いる、と過程する方が普通なんだけどな……どうもしっくりこないな」
それから俺は知り合いに色々と尋ねてみる事にした。もちろん、清四郎達の知らない他人であり、俺と同類の奴等にだ。
そして、答はすんなり出た。

そんな男は、存在しない。

『主よ。某としては汝にようやく春が来たのだと喜びたいのだが、どうもそうではないらしいな』
「あぁ、そうらしい」
『――――主、どうするのだ?某としては、このような戯事を何時までも続ける意味が無いと思うのだが』
「そうだな……だけど、それは俺の決める事じゃない。アリサが、決める事なんだろうよ」
この時点で、このふざけた遊びの真実には気づいた。だが、それを実行したアリサが口にしないのでは意味がない。ならば、俺はそれまで付き合うと決めた。
これが、道化としてもだ。
「まぁ、わからんでもないんだよな……アイツの想ってる事もよ」
『だが、これでは意味がない。むしろ、友人を偽り、試しているようではなか』
「怒るなよ。乙女心は複雑なんだろうよ」
そう言いながらも、俺はこの結末を既に予想していた。
俺といる時には見せない、清四郎といる時だけにしか見せない顔。そして、そんなアリサを見る清四郎の顔。そんな清四郎を見る、アリサの顔。
親しい者にすら隠す自分の本心。それは時に他人のほうがすんなりとわかる時がある。俺が見たアリサの顔は、何処か寂しそうな顔だった。
寂しそうで、悲しそうで―――何かを、振り切ろうとする顔だった。
「馬鹿野郎が……そんな顔すんなら、最初からこんな事すんなよ」
同情しちまうじゃねぇかよ。
同情からくる恋なんてロクな結果を生みださない。俺が今まで見て来た色恋沙汰でも、それは大概当て嵌まる。
だったら、俺も待ってばかりはいられないのかもしれない。
どれだけアイツの本当を知りながら、それに付き合っているといっても――――我慢も限界にきてしまう。
「なぁ、電助……運命って決まっていると思うか?」
『確立論という論理がある時点で、恐らく決まってはいないだろうな……だが、どうしようもない結果というのは、必ずしも存在している。汝が見てきた結果もそうだし、それらに関わった者達の結果もだ―――それを、運命と呼ぶなら……運命は決まっているのだろうな』
そうだな、運命は決まっているのかもしれない。
だが、
「俺の運命か……」
そんなものは、最初から決まっている。
運命なんて存在しない。だが、仮に運命が存在し、それが絶対的に力を持っているというのなら、
「なら、俺の運命は最初から最後まで―――たった一つだけだ」
俺の決まりきった運命。
それだけは、絶対に決まっている運命。
あの悲しい眼をした古本娘に言ったように、俺はその言葉を口にする。



「惚れた女は―――俺に振り向かない」



それだけが、唯一決まった武本銀二の運命なのかもしれない。


ある日、俺はアリサをデートに誘った。
普段はアリサから行き先を指定しているのだが、今回は俺から言った。アリサは驚きながらも頷き、俺とアリサは休日の遊園地に来た。
家族ずれ、カップルが多い中で俺とアリサは普通にデートをした。絶叫マシンに乗ったり、お化け屋敷に入ったり、アリサの作ってきた弁当を一緒に食べたり、マスコットと写真を撮ったり、普通の恋人同士らしい事をした。思いのほか楽しかったのは俺だけではないらしく、アリサも楽しそうだった。
自分達が、仮初である事を忘れる様に、楽しそうにしていた。
そして、空を雲が覆い始め、雨が近い感じがした頃―――俺とアリサは一日の締めに観覧車に乗る事にした。
ゆっくりとした動きで歯車が回り、それに吊られた馬車型の籠が空を目指す。
その空間では俺達しか人いない。
向かい合いながら、外の風景をじっと見つめていた。
「雨、降らないって言ってたのにね……」
「そうだな。天気予報も信用できないもんだよ……」
窓に水滴が付着する。地上を見れば突然の雨に人々が建物に非難していく。夕立だからすぐに止むかもしれないが、楽しい雰囲気に水を刺されれば、それだけで台無しになってしまう。
そんな妙な事を考えていると、アリサが口を開く。
「ねぇ、銀二」
「なんだ?」
「――――恋人ごっこ、終わりにしよっか」
「…………お前が決めろよ。俺から言いだした事じゃないし、俺は最後まで付き合うって決めたからな」
「そっか……それじゃ、ここで終了」
雨音に消えてしまいそうな声で、アリサは言った。
「それでね―――――どうせだから、このまま本当に付き合っちゃわない?」
「…………」
「ほら、なんだかんだ言って私も結構楽しかったし、それならアンタとこのまま本当に恋人になってもいいかなって……だからさ、恋人ごっこはこれでおしまい。仮初の恋人は此処でお別れ、さようなら」
アリサは微笑んでいる。
「ここからは、本当の恋人同士」
無理矢理に作った微笑みは、触れれば壊れてしまいそうだった。
「だから、ね……銀二」
それなのに、アリサは頑張って言葉を吐き出す。

「―――――もう一度、私と付き合わない?」

恋人ごっこは終わり、ここからは本番。
俺、武本銀二とアリサ・バニングスは恋仲になる。そういう法則を今、この場所から始めよう―――そう言われた。
アリサが席を立ち、俺に近づく。
「…………実はね、私ってまだキスした事ないんだよね」
「…………」
「私の初めて、貰ってくれる?」
「…………」
俺は無言で眼を閉じる。アリサの顔が近づいてくる気配がする。ゆっくり、あと数センチで俺と唇とアリサの唇が重なるだろう。
俺は、アリサが好きなんだ。
アリサも、俺が好きなんだ。
だから、この行為におかしい点は存在しない。
これが当たり前の結果で、こうなる運命だ。
だから、俺はそれを受け入れる。
コレでよかった。
俺の実らない恋を続けるよりも、こうしてしまった方がマシな人生を歩める。
アリサの初めてのキスを俺が貰う。
そして、俺の初めてを――――
「…………」
いや、違うな。

思い出す感触は、柔らかい。
思い出す味は、血の味。
思い出す顔は、笑顔。
思い出す俺は、叫んでいる。
思い出す結果は、幸福じゃない。
思い出す全ては、誤魔化さない。

武本銀二のファーストキスは、血の味だったんだ。

それを、思い出した。
眼を開け、俺は顔を近づけるアリサを見る。
アリサの驚く顔。
そして、
「―――――ッくく、くはははは……」
駄目だ、笑いを誤魔化せない。
「銀二?」
「あははははははは……そうだな、そうだよな」
「どうしたの?」
俺の顔のすぐ前にアリサの顔があるのだ。驚きながら、それで頬を伝う水の跡に気づかずに。
だから、唇同士が重なる事はなかった。
「――――なぁ、アリサ。恋人ごっこは終わったんだ。だから、それを無理に続ける必要なんて無いんだよ」
アリサの肩を優しく押し、離れる。
「お前が俺が良いって言うなら、俺もそれに同意してたかもしれない……でも、違うだろ。お前は俺『が』良いんじゃなくて、俺『で』良いと思ったんだろ?」
「…………」
「だから、止めようぜ。こんな事をしても何にもならない。お前が自己満足する為に俺を使うのはいいけど、それは自己満足にもなりゃしねぇよ……自傷行為は、お前らしくないぞ」
「…………なんで、」
「楽しかったぜ、恋人ごっこ。でも、本気になったら遊びじゃなくなる。ごっこ遊びは、仮定だから楽しいんだよ」
「なんで……そんな事、言うのよ……」
「終わりだよ、アリサ。俺はお前の好意を向けられる資格がない。無理に向けられても、迷惑なだけだ」
「なん、で……なんで、今更……そんな事を言うのよ!?」
ダンッと俺の肩に小さな衝撃。
「なんで、なんで、なんで、なんでよ!!」
何度も何度も、俺の身体にアリサの手が当たる。
「私がアンタの事を好きだって言ってるなら、アンタは頷きなさいよ!!私がアンタで良いだって言ってるんだから、それに甘えなさいよ!!」
外は雨が降っている。でも、降っているのは外だけではない。この籠の中にも、大きな雨が降っている。
「アンタだって、アンタだって叶わない恋してる癖に、なんでそれを諦めないのよ!!馬鹿じゃないの!?叶うわけ無いじゃない。アンタがなのはの事を好きでも、なのはアンタの事を好きにはならないのよ!?なんでそんな簡単な事もわかんないのよ!!」
俺を叩く力が、徐々に弱まっていく。
「ずっと知ってる癖に、叶わないって知ってる癖に……報われるわけないって、分かってる癖に……なんで、アンタはそんなに馬鹿なのよ!!」
「…………」
「私を好きになりさないよ!!叶わない恋ばっかり追ってないで、私と付き合いなさいよ!!そうすれば、苦しむ必要なんてこれっぽっちもないじゃない!!」
「…………」
「好きになりなさい……」
「…………」
「好きに、なりなさいよ……」
「…………」
「私の事を……好きになりなさいよ!!」
あぁ、馬鹿だよな。
俺も、お前も。
アリサの身体を抱き寄せ、震える身体を抱きしめる。
「好きに、なりなさいよ……」
優しく、できるかはわからないが、痛くしないように抱きしめる。
「そうすれば……私だって……」
泣いている女は、苦手だ。
「私だって、アンタの事……好きになれるのに」
泣かせる俺は、最低だ。
「アンタの事を、好きになるように……甘えさせなさいよ」
そして、一人だけ落ち着いていく俺も、最低だ。
「アンタしかいないって……アンタが好きなんだって……私は清四郎じゃなくて、銀二が好きなんだって――――そう、想わせてよ」
「…………恋愛に幻想を抱くような歳じゃないがよ。それでも今だけは幻想論で語るぞ。そんな想いは絶対に綺麗事じゃない。自分の傷つけるだけの結果しか残さない……好きな奴に好きって想うのは勝手だけど、好きでもない奴に好意を向けるのは疲れるだろ?疲れる恋愛しろとは言わない。でも、自分を傷つける恋愛はするなよ……綺麗事、だけどな」
結局は、こういう結末にしかならない。
アリサに付き纏う男などいない。それは最初からアリサの嘘だ。その嘘の中にある本当は他人に向ける好意に疑問を持ったから。そして、その疑問が間違いではない、嘘ではない、今でも継続している想いだと確認する為の行為だったのだろう。
俺という相手を選んだのは、きっと特別な意味などなかった。もしかしたら、相手がユーノでも良かったのだ。ただ、もしかしたらアリサにとって『清四郎に近い男』という意味で、俺を選んだのかもしれない。
そうする事で確かめたかった。

自分が、アリサが鎌倉清四郎の事を好きなのか―――まだ、好きでいられるのかという実験。

そして、そうする事で清四郎の好意が自分に向かう可能性にかけた。
なんて馬鹿な実験だ。
好きな男がいて、その男の好意を確かめる為に他の男と付き合ったフリをして、好きな男がどんな反応を見せるのかを知りたい―――ほんと、馬鹿だ。
清四郎、お前はちっとも悪くない。でも、今だけは俺はお前の事を許せないと思う。
お前は祝福していた。
アリサが俺と付き合うという虚実に、お前は何の想いも抱かずに祝福した。
その笑顔が、アリサを傷つけた。
その想いが、アリサの恋を傷つけた。
その存在が、アリサを泣かせる結果になった。
アリサは、ただ他の女よりも少しだけ自分に眼を向けて欲しかっただけなのだ。実際、ほんの軽い気持ちでこんな事をしたのかもしれない。だが、その結果が軽いでは済まされない傷を負う結果となった。
清四郎は、アリサが他の男と付き合っても普通に祝福する程度でしかない。アリサは、清四郎にとっての一番ではなく、只の友達の一人でしかなかった―――いや、なくなってしまった。
「――――報われねぇよ、おい」
俺の事じゃないのに、どうしてか悔しかった。
俺の答は、決まっていた。
俺はアリサを、好きにはなれない。
俺はまだ、アイツの事を好きだから。
「――――――ほんと、報われねぇよ」
こうして、俺とアリサの恋人ごっこは終わった。
楽しい思い出も、傷ついた思い出も、全てがごっちゃになりながら。
そんな、ある日の思い出。



そして、今。
あの時と同じ様にアリサは言った。自分ともう一度付き合わないか、そう言った。
「失望した?」
「失望する程、お前に期待してない」
「うわ、最低」
微笑むアリサは、あの時と同じように笑っている。
「ねぇ、銀二。前も私はアンタに言ったけど……私は皆が思うほど、さっぱりとした性格じゃないのよ。誰かの為だけに想いを継続する事も出来ないし、困っている人を誰かれでも助ける程のお人好しでもない…………好きな人と友達が一緒にいて、焼餅を通り越して、凄く嫌な事を考えられるくらいに、普通なのよ」
知っている。
そんな事は十分に知っている。
だから、俺はアリサに協力していた―――知らず知らずの内にだが。
「アリサ・バニングスは、そういう奴だって、アンタが一番知ってるはずよ」
「あぁ、知っている。今日だって、お前が少しだけそんな眼をしてアイツを見てた事も知ってる」
恋人の話をするすずかを見ていたアリサの眼。それは普段のコイツなら絶対にしないであろう―――コイツをそういうフィルター越しでしか見ないアイツ等からすれば、到底気づかないであろう眼を、俺は知っている。
「妬みか?」
「うん、妬みだよ」
俺は今でも分からない。
どうして、俺だけが気づいているのか。他の連中はどうしてアリサを『友達』としてのアリサ・バニングスとしてしか見ていないのだろうと、本気で疑問に思う。
友達というフィルターを通してしまえば絶対に見えない、友達という他人。
アリサは絶対に、そんな事を考えない――――馬鹿を言うな。
「どうして、私じゃ駄目なのかなぁって、妬んだ」
「別におかしい話じゃないさ……むしろ、あり得ないと思う事のほうが、よっぽどあり得ない」
そんな事を平然と言う俺は、本当にアリサの友達なのだろうか。
もしかしたら、俺は自分で思うような奴ではなく、上辺だけでアリサ・バニングスを見ているだけなのかもしれない。本当に上辺だけを見ているのは俺で、他の皆は本当のアリサ・バニングスを見ている。
そう錯覚してしまいそうになる。
「だから、さ……私にまた協力してよ」
「…………恋人ごっこは、もう終わりにしたはずだ」
「今度はごっこじゃない。本当の恋人にならない?他の奴は嫌だけど、私はアンタならそれも良いと思ってる……武本銀二には、それほど嫌悪感は無いのよ」
そう言うと、アリサの身体が密着する。微かに汗ばんで湿った服が肌に触れる。それでも女の心地よい匂いが鼻腔を擽る。
アリサの細い腕が俺の身体を抱きしめ、潤んだ瞳が俺を射抜く。
「昔から言うでしょ。初恋は実らないの……実ったら、きっとその人は駄目になるから。その人以外を愛せない人は、その人を失ったらそれで終わってしまうから。だから、初恋は絶対に実らないっていう法則があるのよ」
アンタもそうでしょ、アリサは耳元で呟く。
「子供じゃないのよ、私達は。なのは達はそれに気づかない……ううん、もしかしたら気づこうとしてないのかもしれないわね」
「なら、俺もそうだろうな」
「嘘よ。アンタは誰よりもずっと知ってる。ずっと振られ続けて、失恋を続けて。終わらせても終わらせても、リトライを続ける馬鹿な奴だって、自分自身が知っているはずよ」
全てが的を得ている。
先程、アリサが言ったように俺は女を選びすぎる。それは相手に自分の好みを押し付けるのではなく、好意を持ちすぎるという意味。けれども、その好意は全てが誤魔化しだ。俺の中でも一番は最初から決まっており、その一番を何度も何度も諦めて、それでもその一番を選び続けている。
馬鹿な奴だよ、本当に。
なら、俺の答は既にある。
高町なのはを好きな自分とは違い、アリサ・バニングスを想う俺の答。
それは、あの時と同じ答。
アリサが、今と同じ言葉を俺に向けた時と同じ、変わらぬ想い。
息を吸い、言葉を乗せた舌を動かす。
「お前が、あの時と同じ事を言うってんなら……そいつは、あの時と同じ気持ちって事だろ?なら、俺の答はあの時と同じだよ」
「…………」



「それは、無理だ」



簡単な言葉で全てを遮る。誰かの想いも、その想いの重さも。想いは重いという当たり前の事ですらあっさりと切り捨て、俺は言い捨てる。
「…………そっか」
「前も言っただろう?俺は俺を好きでもない奴からの愛の告白は、全面的にシャットアウトなんだよ」
「私がアンタ『が』良いんじゃなくて、アンタ『で』良い……って事よね」
「嬉しいって気持ちはあるぞ、それりゃ。俺にそんな事を言ってくれた奴はお前以外にはいなかった。俺の人生の中で他人から好きだって言われたのは、アリサ・バニングス只一人だ……でも、その全部が誤魔化しだろ?」
「そうね。きっとそうだったと思う」
「あの時、お前が初恋に決着をつけた時に……自分の心を慰める為に、俺に今日と同じ事を言ったな。清四郎とお前がそういう関係になれないって知って、誰かに慰めて欲しくて……俺に付き合えって言った」
ほんと、どうしようもない。
「お前の間違いは、その対象に俺を選んじまった事だ。俺が以外に言えば、俺みたいな馬鹿な奴に言わなければ、少しだけ夢を見れたってのによ……」
お前は、人を見る目は確かにあるだろう。でも、その眼が曇った時に傍にいたのが俺だって事が、何よりもどうしようもない。
「お前は、甘える相手を間違えてんだよ」
「間違えたつもりは無いけどね……でも、アンタがそう言うなら、そういう事なんでしょうね」
「自信は無いけどな」
腕を解き、俺から離れたアリサは笑っていた。
「きっと後悔するわよ?二度も私の告白をふいにしたってね」
「なら、そう想うほどに幸せを掴めよ。俺が後悔するくらいに良い相手を見つけてよ。そしたら、お前の結婚披露宴でこの話を暴露してやる」
「そうね。そうなる事を祈ってるわ」
もしかしたら、俺はどうしようもない馬鹿なのかもしれない。こんなチャンスは決して訪れないかもしれないのに、そのチャンスをふいにしてしまった。
しかも二度もだ。
これが、俺にとってのターニングポイントになるかもしれないのに、それを身勝手な感情だけで捨てた。
そう想うと、少しだけ後悔する。
「――――あ~、やっぱり今の無しにしていいか?」
「私、一度振られた相手には二度と気持ちを向けないって決めたわ。今、この瞬間にね」
「そうかい。そいつは残念だ」
ほんと、どうしようもないな。
「だから――――アンタも頑張りなさいね」
そう言ってアリサは背を向けて歩き出す。
「送ってくぞ」
「いいわよ。これから私は一人で自棄酒なのよ」
「まだ飲むのかよ……」
「そのくらい、別にいいじゃない……それに、」
アリサは振り向き、指さす。
俺ではなく、俺の後ろ。
なんだ、お前も気づいてたのか。
「アンタの仕事はまだ終わってないわよ。その仕事を放棄して振った相手を送るつもり?そんなのは、私が許さないわよ」
「…………あぁ、わかった」
俺は手を振り、
「じゃあ、またな」
「うん、またね」
アリサも手を振りながら、歩き出す。
小さく、
「私も……頑張るからさ」
そう呟きながら。
これからも、友達でいると言う様に。



それだけで、時間は動き出す。



そして、俺は一人になった。
静かな夜の時間はまだまだ続く。
何処までも、俺が自分で終わりを決めるその瞬間まで。
「――――あぁ、俺って本当に馬鹿かも」
こんなチャンス、きっと二度と無いだろう。それを自分から切り捨てるなんて、本当に馬鹿だ。
「これで、彼女居ない歴=歳の法則は健在か……嫌になるねぇ」
ほんと、報われない。
それでも何処か胸は清々しいとも思える。逆に考えればこれは凄い体験なのかもしれない。だってアリサだぞ?街中を歩けば必ず何人かは振り返る美人を、俺はあっさりと振った。
こんな経験、そうそうあるもんじゃない。
「まぁ、何事も経験だな」
そして、俺も歩き出す。
帰って寝る為に。
今日という日を、なんて事ない日の一部と決めつけながら―――俺は歩く。
けど、その前にやる事がある。
アリサが先に向かうのなら、俺は来た道を戻る。
ほんの数メートル。
その曲がり角。
「――――で、お前は何してんの?」
「ひゃん!?」
可愛らしい悲鳴を上げながら、ソイツは跳び上がる。
こんな場所に隠れて俺とアリサの会話を盗み聞きしていたそいつは、まるで避暑地にいる令嬢のような白いワンピースに大きな麦わら帽子。茶色い旅行鞄を持っていた。
「…………え、えっと」
地面に座り込み、恐る恐る俺を見上げる。元々怒る気もなかったのだが、そんな姿を見せられれば俺は笑うしかない。コイツのこんな恰好に、こんな情けない格好に、俺は可笑しさを隠す事すらせずに、手を差し出す。



「ほれ、さっさと立てよ―――ギンガ」



どうしてギンガが此処にいるのかは分かるはずもない。
まさか、俺を追っかけて来たとか?
あり得ないな、そんな事。
「どうした?」
躊躇しながらも、ギンガは俺に手を差し出し、掴んだ手を引いて起き上がらせる。地面に座っていたせいか、白いワンピースが若干汚れているがギンガは特に気にした様子も無い。それ以上に何故か俺の顔色を覗っている。
「…………ご、ごめんなさい」
「何で謝るんだよ」
「だって……勝手に、見ちゃったから」
不安そうに言うギンガ。
「別にいいよ。偶然だったんだろ?」
「それはそうですけど――――でも、良かったんですか……」
「何がだよ?」
「それは、その……あの人との、事です」
あぁ、断った事か。
「いいんだよ」
「でも、アナタにはもったいない位の綺麗な人でしたけど」
さり気なく失礼な事を言うな。
「だから、いいんだって……アイツとは、そういう関係で良いんだよ」
不思議そうな顔をするギンガに、俺は笑いながら言う。
「アイツは、これからも俺の友達なんだよ。それだけは、絶対に変わらないからな」
それが答えだ。
あの時と、さっきで出した―――俺とアリサの法則。
けれども、あまり納得していないような顔するギンガ。
「なんだよ、その眼」
「…………本当に、ほんと~に、それで良いんですね?」
「だから、それで良いんだよ……なんだ、その不満そうな顔は」
「ふ、不満な顔じゃなくて、不安――――って、そうじゃなくて……と、ともかく!!」
空気を切り替えますと言う様に、ギンガは手をパンッと叩く。
「勝手に見た事は謝ります。それと、この事は誰にも公言しないとギンガ・ナカジマは誓います」
「いや、別にそこまで言わんでも」
「誓います!!」
「あぁ、わかったよ……それよりもよ、ギンガ。尾行するならもっと目立たない恰好をお勧めするぜ」
はっきり言って、今どきそんな格好の奴はそうそういない。それこそ、此処が避暑地出ない限りは、だ。
そりゃ、アリサだって気づくわな。
指摘されたギンガは自分の恰好を見て、
「可笑しい、ですかね?」
「あぁ、可笑しい」
可笑しい程、似合ってる―――なんて口が裂けても言ってやらんがな。
「それよりも、何でお前が海鳴にいんの?」
そう言うと、ギンガは思い出したように、
「それはこっちのセリフです!!」
近所迷惑かえりみず、とんでもない大声で言った。
「アナタこそ、なんで勝手に出ていったりしてるんですか!?探すこっちの身になってくださいよ、この馬鹿!!」
いきなり酷い言われようだ。
「アナタにはやるべき仕事が沢山あるはずなのに、それを全部放り投げて一人で里帰り!?仕事を舐めてるとしか言えません。というか、完全に舐めてるでしょ、アナタ!!」
なんだか、この微妙に敬語が混じった話し方を聞くのも久々な気がする。最後にギンガに会ってから一週間程度しか経っていないというのに。
それとギンガ。お前の言う俺の仕事というのは、お茶酌みの事か?
「でもよ、ちゃんと辞表は出したぞ」
「馬鹿ですか!?あんな紙切れ一枚で辞職できるはずがないでしょ!!辞職するにはちゃんとした書類に記入して、それを申請してから受領されて、それから今までやっていた仕事の引き継ぎとか色々やる事があるに決まってるでしょうが!!
「え?」
「え?ってなんですか。まさか、そんな当たり前の事も知らないなんて言いませんよね?漫画みたいに辞表一つであっさり辞めれると本気で想ってるの?」
本気でそう想ってました。
「―――馬鹿ですね」
「そうだな、今になって自覚した」
「遅すぎます!!」
違う意味で顔を真っ赤に茹で上げながら、ギンガは俺の耳を引っ張る。痛い、本気で痛い!!
「大体、どういう了見でいきなり辞めるなんて言いだしたんですか!!」
「そ、それは、だな……」
「まさか、アナタが勝手にやった事の責任を取るっていう理由なら、それは大きな間違いよ。勘違いも良い所だし、アナタ一人が首になって事が収まるわけもないでしょうが!!」
それも初耳だった。
「―――――マジで?」
「…………はぁ、そんな無い頭を無駄に使っても意味なんて無いって、何時になったら学習するんですか?前々から言っているでしょう。アナタに学が無いんだから、私の言う事をしっかりと聞いて、それ以外の行動を絶対にしなければそこそこ使える人だって……なのに、毎回毎回私の知らない場所で勝手な事ばっかりして。その反動が全部私にくるんですよ!?少しは私の心と胃を労わりなさい!!」
年下のギンガにこんなに言われる俺って、もしかして筋金入りの駄目男なのだろうか?
だが、俺にだって言い分はある。
「けどよ――――」
「黙りなさい!!アナタの戯言はこれ以上聞きたくありません」
おいおい、発言権は寄こせよ。
「大体アナタは何時も何時も……」
そこからしばしギンガの説教、というか愚痴が続く。大体は俺の事ばかりだが、何故か仕事の愚痴まで飛び出してくる。ナンバーズの連中が中々自分に懐いてくれないとか、外に遊びにいかせろと急かすとか、ISを使って悪戯するとか、俺に会わせろと五月蠅いとか、俺とギンガの仲は何時進展するんだとか、最近トレーニングする機会がなくて身体がなまっているのだの、体重が増えただの、仕事の量が減らないのだの、スバルのノロケ話がストレスだの、ナカジマの親父の生活がだらしなくなっただの―――ともかく、後半からは俺の話題ではなく、ギンガの私生活の事ばかりだ。
「聞いてるんですか!?」
「は、はい!!」
どうやら確定した。俺は年下に説教されて当たり前の駄目男らしい。
というか、そんな人間の為にどうしてコイツは此処まで来たのだろうか?
別にギンガが来る必要は何処にもない。隊の連中を差し向けてもいいし、コッチに詳しい奴を向けてもいいはずなのに、どうしてギンガ本人が俺を追っかけて来たのだろうか―――それ以前に、俺は……
「なぁ、ギンガ」
「なんですか!?弁解する事があるなら―――――」
「お前、怒ってるよな?」
「当たり前です」
「だよな……悪い。迷惑だったよな。俺も反省している。お前の事なのに俺が勝手に動いて、事態を余計に面倒にさせちまった……本当に悪い」
俺のした事はそれだけ大事なのだろう。やってしまってから気づく。ギンガが言ったように俺一人のクビだけで事が収まる話ではない。そんな事も考えられず、俺は自分の感情に任せて行動してしまった。
親父の言っていた、間違った怒りでだ。
正しい怒りではなく、間違った怒りで俺は相手を殴ってしまった。それも上層部のお偉いさんの一人を、だ。
あの時は別に後悔はしていない。それを正しいとも間違いだとも思わなかった。でも、今になって見れば完全に間違った怒りだ。それを真っ先に怒るべきは俺ではなく、ギンガであり、スバルであり、ナカジマの親父だ。
俺が抱くべき怒りではなく、俺が報復していい怒りでもない。
後悔しないから行動する。後悔したくないから行動する。それは全てが己一人の問題なら何の心配も無い。だけど、あの時の俺は組織の中の一人だった。だから、後悔などという感情論で動いていいはずがない。



ソレが例え、ギンガやスバル、そしてナンバーズのガキ共を愚弄する言葉を平然と吐き捨てる奴を前にしてもだ。



あの野郎は言いやがった。
ギンガ達の事を、戦闘機人だからという理由だけで危険な存在だと判断し、何処かに閉じ込めておくべきだと。むしろ、それ以上の処置も当たり前だと、あの野郎は言いやがった。
それが社会的に正当性のある言葉だとは想う。だが、それがどうした。俺には社会的とか、そんな事よりも何よりも、それがアイツ等をアイツ等である事を真っ向から否定する言葉である事だけが重要だ。
だから、俺はあの野郎のオフィスに行って、殴った……殴ってしまった。後先も考えず、あっさりと殴り飛ばしてしまった。
「本当に悪かった!!」
思えば、俺が初めて自分からギンガに頭を下げた瞬間だった。
「俺も男だ。自分のした事の責任は自分で取る!!だから、だから―――」
この後に何時もの様にギンガの拳骨が来るのか、それとも更に激しい文句が飛んでくるかもしれない。だが、俺はそれを受け入れる義務がある。
「…………」
それなのに、何も起きない。逆に、俺が想像していたのとは違う、大きな溜息が洩れる音がした。
「何か勘違いしてませんか?」
「へ?」
「私は言いましたよね。私はアナタを探しにきたんです」
「だ、だから、連れ戻す為に、だよな?」
「それは何の為ですか?」
「もちろん、それなりの処分とか……責任を負わす為とか……色々だよ」
再び溜息。
今度は、何処か優しげな溜息だった。
「私が此処にいるのは――――本当にアナタを探しに来ただけです。ちょうど、有給も溜まってましたし、仕事上で鬱憤も溜まってたから、旅行ついでにアナタの生まれ故郷に行って、そこでアナタに今までの文句を盛大に言ってやろうと思いまして……」
「――――それだけ?」
「えぇ、それだけです。アナタが起こした事は父さん達とはやてさん達が何とかしてくれるみたいですし……そうですね、巧くいけば減給で済むかもしれませんね」
そう言って、ギンガは微笑む。
「それに、アナタがどんな罪滅ぼしをしようとしても、それには私が一緒にいないといけませんしね。アナタ一人で何かをしようとしたら、絶対にその数倍は被害が起きます……ですから、アナタは何もしなくてよろしい!!精々、帰った後に始末書を書く覚悟だけしておけばいいのよ」
…………あれ、コイツってこんなに優しい上司だっけ?俺の記憶では俺を馬車馬の如く働かせる悪魔だったのだが、なんだがそんな印象は今だけは無い。
それが逆に不安になる。
「というわけで、アナタは私の休みが終わるまで、私の観光に協力しなさい。とあえず、明日はトウキョウとかいう場所に行って、トウキョウタワーっていう場所が見たいので、案内する事……いいですね?」
「え、あ、あぁ……良いけどよ」
ヤバイ、なんだか本当に不安になってきた。
「とりあえず、今日の宿を決めなくてはいけないね……何処か良い場所ある?」
「泊るだけなら、その辺のホテルでいいと思うけど―――何なら、俺の家に来るか?部屋なら腐るほど余ってるし、親父を黙らせれば問題ないし」
「なら、決定ね、ほら、さっさと案内しなさい」
そう言って歩きだすギンガの後を、俺は呆然としながら歩くのだった。
はて、これは夢なのだろうか?
それとも、なんか面倒な事が起こる騒動の前触れなのか―――とりあえず、夢じゃないか頬を抓ってみる。

痛かった








あとがき
ども、散雨です。
時間軸とか色々、とにかくに色々を修正してのっけてみました。
とりあえず、次回からは過去編。銀二が昔の事を思い出していく、という形式になります。
次回「親友とフェイトの法則」です。



[19403] 第四話「親友とフェイトと脱衣の法則」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/07/28 17:49
ギンガの地球日記・三日目
私が地球に来てもう三日になりました。
地球の日本という国は今、夏という季節らしく大変暑いです。暑いといえば昨日食べた鍋焼きうどんという食べ物は大変美味しゅうございました。暑いのにどうしてこんな熱い物を食べるのか尊敬する銀二先輩に尋ねてみると、
「それはな、ギンガ。夏は熱い物を食べる風習なんだ」
と、おっしゃりました。
もう眼から鱗です。眼から鱗がドボドボ出てきて脱水症状で最近気になっていた体重もマッハな勢いで減っていきます。
そんな鍋焼きうどんを減った体重全てをクーリングオフする勢いで食べました。
エヘッ、これでまたダイエットしなくちゃ♡
でも~、そんな私でも憧れの銀二先輩は、
「大丈夫だ。俺はお前が力士の様な体系になっても奴隷として扱ってやる」
あぁ、なんて優しい先輩なんでしょうか!!こんな素敵な先輩に愛されるギンガは世界一の幸せ者です!!
今の私なら、エース・オブ・エースにも金ピカレズビアンにもポンポコ狸にも負けません。そう……今の私は世界すら制する覇王です。
あぁ、なんて夢の様な世界なのでしょうか。
私はこのまま地球に残って憧れの、いや、愛しの銀二様の下で馬車馬の如く働き、銀二様を幸福にする為に永住しようかしら(きゃっ、言っちゃった♡)。
でも、そんな私には実は重大な秘密があるのです。実は、私は魔法の国「ダイヤモンド・ブリッツpart7」からある任務の為に送られてきた殺人サイボーグなのです。
その任務は、世界中のあらゆる少年という少年の(ディバインバスター)を奪うという重要な作戦。これが成功すれば未来には人間が生まれないという少子高齢化という惨状になり、世界は我々の手の物に―――ハッハッハッ!!
だが、しかし!!
そんな我々の前に憎いぜアンチクショウな邪魔者が出現する。
愛と云う名の狩人、絶賛愛人募集中、三期の声優さんが好きです、なクロノ・ハラオウンが立ち塞がるのだった!!
頑張れギンガ、負けるなギンガ、明日の少子高齢化は私の肩に掛っているはず!!
次回、機動妖姫ギンガ。
第四話「ブラックジャックは二十一を過ぎてからが勝負だ!!」を、乞うご期待。
私は戦う。トイレのGと戦う為に……




「―――――何してるの?」
掃除機を肩に担ぎ、ギンガが呆れ眼で俺を見る。
「ん。お前がこの休暇中に何をしてたかっていう報告書」
「…………私、始末書の下書きを書けと言いましたよね?」
「だから、お前の休暇中に起きた事件の始末書の下書き」
「…………真面目にやりなさい」
「さーせん」
大きな溜息を吐き、ギンガは掃除に戻る。
「ったく、せっかく俺が今度のコミケ(inミッド)の為にプロット立ててるってのに」
きっと売れないだろうけどな。
さて、そんな事はさてき、ギンガが俺の家に来て三日目。
俺は特にやる事もないので始末書の下書きを書いている。始末書という書類は書き慣れているせいか、すいすい文章が出来上がっているのだが、それにも飽きた。でも、書かないとギンガが怒る。
「俺、休暇中なんだけどな……」
それはギンガも同じなのだが、そんなギンガは律儀にも家の掃除をしている。ホテルに泊まるよりも俺の家に泊まれば良いと言ったのは俺なのだが、それはあくまで客人としてだ。別に居候としていろとは一言も言っていない。
なのに、ギンガが泊まらせてもらった恩もあるというのでああして掃除をしている。
律儀というか頭が固いというか……まぁ、俺の仕事が減っていいけどよ。
「おい、親父」
「なんだ、駄目息子」
俺の隣で扇風機の前を独占している親父。
「そろそろあの女を追い出せよ。俺と堕落した生活の邪魔だ」
「連れて来たのはお前だろ」
「一泊だけのつもりだったんだよ。なのに、親父がもっと泊まっていけとか言うから、アイツが三日もこの家にいるんだぞ?」
「お前は馬鹿か?あんな良い娘を放りだす男が何処にいる?少なくとも、お前にはもったいないくらいの良い女だ……ふむ、あんな娘に『お義父さん』と呼ばれるのもいいかもしれんな」
鼻の下を伸ばすな、五十代。
そう、親父がギンガを気に入ったせいでアイツは此処にいる。俺としては一泊だけで済ませるつもりだったのだが、今では勝手に家の掃除に境内の掃除もする程に馴染んでいる。
…………アイツ、このまま俺の家に住まうつもりじゃないだろうな?
軽く背筋が震える。
「だがよ、銀二。ギンガちゃんにばっかり掃除させるのは、男としてどうなのだろうな?客人に掃除やら洗濯、飯まで作ってもらうのは……なんか、こう……あれだろ」
「天国のお袋が泣いてるな」
「いや、きっと鼻で嗤う」
「報われないな」
「お前もな」
駄目男二人は何となくブルーになった。
「仕方が無い。親父、俺も掃除する」
「いや、待て……こう考えるのはどうだろうか?」
「どう考えるんだ?」
「あそこまで自発的に炊事洗濯してくるギンガちゃんだ。ここは、通販で買ったこの『新妻ラブラブお掃除セット』を着てもらうというのは、どうだろうか」
親父が何処からかヘンテコな箱を取り出す。
箱の中を見ると、中には猫耳(尻尾付き)、水着(赤)、フリフリのエプロンという夢の散点セットが入っていた。
「―――――無理だろ」
「そうでもないと俺は思う。伊達に長生きはしていない。俺の眼から見てもギンガちゃんは良い娘だ。頼めば着てくれる。着てくれないなら我ら親子二代、力ずくで押さえこんで着せるという方法も……」
「無理だな。俺、アイツに一回も勝った事がない」
「馬鹿者!!そこは男の意地というモノがあるだろ。大丈夫だ、俺も一線から退いて長いが、そんじょそこらの若輩者には負けん」
それ以前に、それは犯罪だ。
こんな卑猥(そんな言葉がジャスティ~ス!!)な格好を着てくれるはずがない。仮に着てくれたら、そんな奴はきっとギンガじゃない。ギンガの皮を被った別人に違いない!!
「無理だろうか……」
「無理だろ。それと親父、イイ歳してそんなグッズを通販してんじゃねぇよ」
「男は何時まで経っても男なのだよ、息子よ」
気持ちはわからんでもないが―――ともかく、そんな死線を渡るのは勘弁だわ。
男の淡い妄想を諦め、俺と親父は仕方なくギンガを手伝う事になった。
しかし、改めて掃除してみるとこの寺は意外と綺麗だった。親父一人しか生活していないとはいえ、意外と掃除しているらしい。そういうわけで、境内の掃除はあっさりと終わった―――のだが、
「おい、そこはいい。掃除しなくていい。というか、入るな」
「どうしてですか?後はこの部屋だけなんですけど」
「そこは俺の部屋だ」
「―――――――――――――良し、気合入れて掃除しましょう」
「待てや!!」
なんでそんな気合入れんの!?そこは男のパラダイスで、女が踏み入れてはいけない場所だ。そして、部屋の中にはギンガが見たらきっと廃棄処分されるであろう俺の宝物達がズラリと並んでいる。
しかし悲しいかな……この殺人サイボーグの前に俺の力など障害にすらならない。

オープン・ザ・ドア

グッバイ・マイ・ワンピース



それから一時間、俺にとって絶望とも思える惨劇が続けられる………



「――――うぅぅぅ、俺の宝物達が……長年、共に走り抜けた仲間達が」
「そんな仲間なんていなくても、私達がいるでしょう」
「俺が欲しいのは画面の向こうにいる夜の仲間達なの!!お前みたいに俺から血液しか抜き取らない奴とは違うの!!」
「なんでしょうか……酷く侮辱された気分です―――――ん、何ですかコレ」
俺の仲間達を散々焼死させた悪魔が手にしたのは分厚い本。
「なんだそれ……あぁ、あれか」
懐かしいな。
ギンガの手から本を受け取り、中を開く。
「アルバム、ですか?」
「まぁな。俺のじゃないけど……そっか、そういえば返すのを忘れてた」
このアルバムは俺の物ではない。以前、清四郎達が俺の家に遊びに来た時にアリサが持ってきた奴だ。
「へぇ……見せてもらってもいいですか?」
「いいぞ」
俺は別に写ってないし、恥ずかしい過去がバレるわけでもないしな。
ギンガがアルバムを開くと、十年前の清四郎達の写真がそこにはあった。やはり、俺はほとんど写って無いが、清四郎、なのは、すずかとアリサ、そしてフェイトとはやてが写っている。
「銀、ほとんど写ってませんね」
「この頃はあんまりアイツ等と交流なかったしな。確か、アイツ等が九歳くらいの頃の写真ばっかりだった気がする」
「へぇ……うわぁ、なのはさん達ちっちゃ~い!!」
「――――まぁ、そうだな。アイツ等も、あの頃は随分と可愛らしいもんだな」
今は全然そうは思わないけどな。
「清四郎さん、女の子みたいですね」
「昔から女顔だからな、アイツ。最近、やっと男っぽくなった気がするし……それにしても、本当に女の子みたいだな、清四郎」
写真を見ると、あの頃からアイツ等は常に一緒だったのだと改めて思う。そして、俺の姿が殆ど無いという部分に少しだけ哀愁を覚える。
「銀って、皆さんと仲が悪かったの?」
「仲が悪いってわけじゃないけど……単純に、アイツ等と会うのが遅かったってだけだよ。それに学校も違ったしな」
「そういうものなんですかね?」
「そういうものなんだよ、ガキの頃なんてな……にしても、本当に懐かしいな」
アルバムに俺の写真がなくとも、ガキの頃の記憶は十分に存在する。清四郎やらなのは、アイツ等と出会ってからは楽しい事が沢山あったな。
まぁ、そうでない記憶もあるけどな。
「わぁ、フェイトさんも可愛い……」
「そうか?」
「そうですよ。うわぁ、こんなに可愛い子が近くにいたら、毎日抱きしめたいかもぉ」
そのまま背骨を折るわけだな、わかります。
「ッケ、あんな奴の何処が可愛いんだよ……」
「…………そういえば、銀ってフェイトさんの仲が悪いですよね?もしかして、この頃から悪かったんですか?」
仲が悪い―――どうやら、そういう風に見られるらしい。俺としては普通に接しているつもりなのだが……いや、そうでもないな。
あの電撃女、俺がなのはに近づくと襲って来やがるし、清四郎を誘ってキャバクラに行こうとしたら襲ってくるし、エリオに大人の階段の一歩目を踏ませようとしたら襲ってくるし―――――うん、やっぱり嫌いだ。
「少なくとも、フェイトはそう想ってるかもな」
「どうしてそんなに仲が悪いんですか?フェイトさんって、よっぽどじゃない限り、人を嫌うって事しないと思うんですけど……」
「まぁ、そうだろうな」
確かにそうだな。アイツは基本的には善人だ。真っ直ぐというか、無垢というか―――いや、あれは天然ともいえるな。そんなアイツを初めて見た時は可愛いと思ったしな。
「もしかして、何かやったの?」
「―――――やった、気がする」
「銀、正直に白状しなさい。事と次第によって協力もしますし、反省もさせますから」
「俺は別に悪くねぇよ……悪いのは、ガキの頃の俺だ」
「やっぱり……ほら、白状しなさい。既に手遅れかもしれませんが、懺悔くらいなら聞きますよ」
そう言いながらも、その眼はしっかりと『聞くまで逃がさん』というお仕事モード。せっかくの休日までそんな眼をするなよな、ギンガ。
「…………まぁ、いいけどよ」
机の上に置かれた煙草と灰皿を手に取り、俺は溜息を吐く。どうせ、話すまで解放されないのであれば、話した方がマシだ。
煙草に火を付け、紫煙を天井に向けて吐き出す。
さて、何処から話したものか。というか、このまま話したらコイツの事だからきっとその後も話さなくてはならなくなる。
フェイトと初めて出会った話――――管理局にもデータが残っている程の事件。
PT事件。
あの事件の事を思い出す。
ワクワクしながら俺を見るギンガの背後にある窓。そこから見える寺の墓地。そこにあるお袋の墓。
まぁ、本当に『知られたくない』ところは誤魔化せばいい。
あれは、他人に話していい事ではないのだ。
俺は過去を思い出しながら、語りだす。
とりあえず、フェイトと俺が出会った所から、話すとしよう。



多分、その時点で俺はきっとギンガに殴られる気がするけどな……










第四話「親友とフェイトと脱衣の法則」











歩いてたら、車に轢かれた。



この頃、街が騒がしかった。
とある動物病院に車が突っ込むという事故が起こったり、プールで妙な現象が起こったり、しまいには街中に巨大な木が生えたり……海鳴が如何に人外魔境だからってやりすぎだと思う。そんな街に住む俺として安心して生活できる日々に戻って欲しいものだ。
そういえば、そんな騒ぎが起こる前に親父が急に、
「お前、昨日の夜に声とか聞かなかったか?」
「あ?怪談にはまだ早いぞ」
「いや、そうじゃなくてだな……そうだな、お前ごときじゃ、そんなもんだな」
なんだか、酷く馬鹿にされた気がする。
そして次の日。
「銀二。幾らなんでも昨日の魔力反応くらいは感じれただろ?」
「あ?魔力反応って何?ってか、他の魔力なんて感じられるもんなのか?」
「…………お前、そこまでポンコツだったのか」
親父が妙に渋い顔をしていた。
電助に何の事か聞いてみると、
『御子息、某もそれは呆れるぞ』
みんな、俺に対して冷たいぞ。知らない事を知らないって言って何が悪いってんだよ。
そんな事があって数日後、親父が醤油と砂糖を切らしたから買って来いと言ったので、仕方なくおつかいに行く事になった。

そして、車に轢かれた。

「――――し、死ぬ……」
『御子息、大丈夫か?』
「お前、主の息子がピンチなの平然としてるな」
『いやな。御子息の場合、シリアスでもないのに死ぬ事などあり得ないだろう。昔から、普通なら即死なレベルな事故にあっても次の日にはぴんぴんしていたのでな……ある種のレアスキルと考えているのだが』
「なんだよ、レアスキルって?」
『まぁ、特殊能力の様なものと考えて良いだろうな――――というか、既に回復している様に見えるのは、某の気のせいか?』
気のせいだろうな。今でも俺の頭から血がドクドク出ている。出血多量で死ぬかもしれんな、おい。
『問題無い。御子息のレアスキルである『戯言補正』はシリアスでない限り、御子息を不死身にする』
ちなみに、『戯言』と書いて『ギャグ』と読む―――んなわけあるか!?
血が流れ過ぎて視界が歪んで見えるわ!!
そんな事を言いながらも、それから十年後の未来。俺はこの『戯言補正』をレアスキルの一種として申請する事になるのだが、
「アナタ、馬鹿ですか?」
ギンガに本気で呆れられた。
確かに使いどころは難しいと思う。
最近では、ギンガと一緒にいる時だけ妙に発動する―――というか、ギンガにやられる機会が多すぎるせいもあるのだが、お前のせいだとも言えない。
そんな未来の話はさて置き、血を抑えながら何とか立ち上がる。
「これ、病院いかなくちゃ死ぬな……」
『それにしても、随分と荒っぽい運転をする車だったな。まるで誰かを誘拐して逃げ去ったかのような運転だった』
「いや、んな事はどうでもいいから……やべ、血が足りない」
『大丈夫だ。しっかりとナンバープレートは記録した』
「そうじゃなくてな……もういいや。病院にいこ」
『待て。病院に行く前に主に頼まれた醤油と砂糖の購入がまだだぞ』
「死ぬわ!!醤油と砂糖で煮物作るのを優先してたら、俺が死ぬわ!!」
『あの轢かれ方で即死しない時点で、御子息は死なんよ……それに、御子息も悪いのだぞ?拾った宝石をネコババしようとするから、こんな目に遭うのだ』
こんな時にそんなどうでもいい事を言うなよ。
俺の手には今、蒼い宝石がある。
なんだか変な数字みたいな記号がある綺麗な宝石。先程、河原に捨ててあったエロ本に挟まれて堕ちていた。
コレ、売ったら相当の金になりそうな気がする。そんな邪心に心を乗っ取られた俺は親父からのおつかい等さっぱり忘れて、ルンルン気分でスキップしていると、
車がキキィーッときて、俺の身体がドカーンッて跳んで、頭からグシャッて堕ちて……今に至る。
その際、車の中から聞き覚えのある女の子の悲鳴と野太い男の怒声が聞こえた気がするが、きっと気のせいだ。まさか、電助の言う様に本当に誘拐犯の運転していた車じゃあるまいし。
大方、娘を迎えに行った帰りに道に飛び出してきた俺を跳ね飛ばしてしまったお父さんと娘さんの悲鳴だろう――――よし、後で絶対に訴えてやる。そして勝つ。
裁判に勝つためにはまず生きぬかねばならない……だから、急いで病院に行こう。
『救急車を呼ぶという発想は無いのか?』
「携帯が無い。後、親父に知られると面倒だから、知り合いの闇医者の所に行く。あの医者には以前助けた事があるから、その借りを返してもらうついでだ」
『某には、御子息の私生活が大いに気になるのだが……』
知らないのか、電助?
海鳴っていう街は人外魔境なんだ。普通の街に見えて、色々なヤバイ人達が沢山いるのだよ―――というか、小学生がそんな奴等と交流があるなんてあり得ないけどな。コレも『戯言補正』とかいうレアスキルの力なのだろうか?
なんて事を考えていると、
「あ、あの!!」
突然、声をかけられた。
そして、胸にドキューンと来た。
俺に声をかけた奴、金髪の少女。外人さんだろうか―――ともかく、その少女が滅茶苦茶可愛かった。レベルで言えば上の上。嫁にするならこの子で決まり。愛人にしたら絶対に刺されない。身体だけの関係でもきっと騙せばいける等、邪な考えが次々と脳内で繰り広げられる程の美少女がそこにいた。
あ、昂奮したら頭から血が……
いかん、今は目の前の美少女よりも自分の身が大事だ。
「アナタの持っているそれ……その石を私に」
「ごめん、とりあえず病院に行かせて……」
「その石が必要なんです……だから、それを私に」
「いや、人の話を聞いてる?あと、俺の姿が見えてる?」
「お願いします……」
「俺、血を流してるんですけど……」
「お願いします―――手荒な事は、したくないんです」
会話がまったく噛み合ってない以前に、お前は俺の姿を見ても何とも思わないのかと叫びたい。
俺、死ぬよ?
このままじゃマジで死ぬよ?
『――――御子息、気をつけろ』
あぁ、コイツは人の話を聞かない上に空気を読めない美少女に違いない。
「デバイス!?」
『某をデバイスと分かるのであるならば……汝、魔導師だな?』
「……こっちの世界に、どうして魔導師が」
『ふん、それはこっちのセリフだ。汝の様な者がどうして何の変哲もないこの世界にいるのだ?』
なんか、俺を無視して勝手な会話は始めるポンコツデバイスと美少女。
『――――なるほど、先程、御子息が拾った石……妙な魔力があると思ったら、只の石っころでは無いと見受ける……汝、どうしてコレを求める?』
「…………それが、必要だから」
『必要、か……だが、これは危険な存在だと某は想う。故に汝のような幼子に預けるには荷が重い。悪いが、これは主に渡し、それからどうするか決めるべきだと某は判断する』
おい、何をシリアスに語ってんの?
そんな石よりも俺をどうにかする方が先決だと、俺は想うのだよ。
「…………そう。渡しては、くれないんだね」
『あぁ、渡せんな。必要、などという曖昧な表現だけで石を寄こせと言う者に、こんな妙チクリンな物を渡せはしない』
「なら、力づくで……」
「君達、俺の姿をもう一度確認してみろ。死んじゃうよ?銀二くん死んじゃうよ?出血多量で死んじゃうよ?」
「殺しはしない……少しだけ、眠ってもらうだけ」
「死ぬよ!?この状態で眠ったら永眠するって、マジで!!」
『ふん、出来るものならやってみろ!!』
「煽るなよ!?」
美少女の姿が一瞬にして変わる。
何だろう、黒のスク水の上にスカート履くとか、どんな趣味?あと、そのマントとか見ると悪い奴に見えるよ。ついでに、そのゴッツイ武器はなんですか?金色の色をしたビーム状の大鎌が凄く嫌な予感を醸し出すんですけど……
『汝、何故にコレに固執する?』
「言っても、意味が無い」
『意味が無いのは当然だ。某等と汝は他人……しかし、だ。このような物を欲するとなれば、気にはなる。汝がどんな理由を持ち、このような物に固執するのならば、その理由が知りたいと思うのは必然……答えよ』
「…………意味が無い、それ以外に答は無いよ」
『意味が無い、意味が無いと――――話してみなければ、何も始まらんではないか!!』
「お前等は俺の話を聞け!!そして、俺の姿をその眼で映してるのかを教えてくれ!!俺の事が見えてますか?俺って実はもう死んでるとかじゃない?俺、幽霊とかじゃないよね?ちゃんと生きてるよね!?」
大鎌を下段に構え、美少女は俺を紅瞳にて見据える。その眼に迷いは無い。一切のも良いも無く、俺を切り捨てる覚悟を決めた眼だ―――いや、だからさ。俺の意志よりも俺の持っている石を優先するっておかしいと思えよ。
『御子息、相手は中々に強敵だぞ』
「この場に俺の味方は一人としていないという事だけは理解した」
『そうだ、この場にいるのは奴と御子息だけ。味方はいない……さぁ、初陣だ!!』
「お前も人の話を聞かないよね!?それと、俺が車に轢かれてる瞬間を見てたのに、何で俺をそういう方向に持っていこうとするの!?」
『――――汝、名はなんと申す?』
わ~い、シカトですよ。
「フェイト……フェイト・テスタロッサ。この子はバルディッシュ」
『良い名だな……そんな良い名を持つ者と戦う運命あるとは、悲しいものだ』
「私だって……戦いたくなんて、無い」
「逆に俺は今だけ、お前等を本気でぶっ殺したいね」
『御子息、争いとは殺意だけで行うものではない。それは愚行だ』
「君は、戦うのが好きなんだね」
「こういう時だけ俺の話を聞くんですね、お前等は!!」
「でも、私は戦わなくちゃいけないんだ。君がどんな想いを持っていたとしても!!」
「知るか!!こういう時だけ俺を認識するなよ!!」
お前等、実はグルなんじゃねぇのか。俺を殺す為に親父に雇われた殺し屋だって言っても、今だけは俺の脳内会議で満場一致するぞ。
頭がフラフラするし、身体も寒くなってきた。何が『戯言補正』だよ。そんな訳のわからない特殊能力があっても死ぬっての――――そう思うと、段々腹が立ってきた。
このポンコツデバイスにも、人の話を効かないポンコツ美少女にもだ。
幾ら顔が可愛いからって許さん。こんな奴は絶対に性格が駄目に違いない。見た目は脳内お花畑キャラでも、実際はドロドロした昼ドラ大好きキャラに違いない。そして、ガキの頃にリアルおままごととかして、友達の胃に穴を増やす奴だ。
「上等だ、この野郎……」
血が足りない?
身体がキツイ?
知るか、そんな俺の身体状況。
今、俺の目の前にいるのは俺を殺そうとする殺し屋だと思え。そして、ぶっ潰して、そのガキの癖にエロい恰好している大人ぶったガキの尻を泣くまでペンペンしてやる。
「お前の言い分はこれっぽっちも分からんが……俺がお前の態度が気に入らないってのだけは理解した」
人の話は聞かないは、俺の現状を見てもシカトするは、大丈夫ですかの一言も言わないような奴がいるのなら、
「俺は、お前が、泣くまで……ケツを、叩くのを、止めない!!」
『ご、御子息?』
機械の癖に電助が震えている気がする。ポンコツ美少女も何故か俺を見て、自分の尻を守る様に後ずさる。
『その、なんだ……確かにアレは某等の敵かもしれんが、一応は幼子だ。そのような邪な考えを向けて良い相手ではないが』
「き、君は……変態さん?」
「あぁ、大丈夫だ。尻をしこたま叩いた後は、背中にミミズを放り込んでやる」
ゾッとし、顔を青ざめるポンコツ美少女。今更、そんな顔をしても俺は止まらない。
ポケット中から親父に貰ったストレージデバイスを取り出す。
この頃の俺のデバイスは電助ではない。
電助は未だに親父のデバイスで、俺にはまだ使うのは早いらしく、親父がどっかから持ってきたストレージデバイスを使っている。
「――――数打」
デバイスの名を呼ぶと、一瞬にして俺の手に一振りの刃が出現する。日本刀程の長さもなければ、包丁程短くも無い。刀というよりは妙に長いナイフという表現が似合うだろう。
ナックルガードの付いたナイフを握り、俺はニヤリと嗤う。
脳内で、目の前のポンコツ美少女をどんな目に合わせるかを考えながら……
「とりあえず、ボコる。その後にケツをしこたま叩いて、ミミズを見つけてお前の服の中に放り込んで……お前を木に縛り付けて、何度も何度もそのスカートを捲る。まずはそのコスプレ服でやって、次は元の服に戻ってからまた捲る……ウケケ、俺が死ぬのが先か、お前が嫁に行けなくなるのが先か……楽しみだなぁ……」
今だけは、俺の命などどうでもいい。
それ以上に、このポンコツ美少女をどうにかしなければいけない。
そう、これも社会の為だ。
決して俺の私怨ではない――――でも欲望ではあるのだ。
『落ち着け、落ち着くのだ。それは某としても主に合わせる顔が無い事になるぞ!!』
お前に顔など最初から無い。
おや、どうしたポンコツ美少女……さっきまでの勇ましい顔は何処に置いてきた?
そうか、そんなに尻叩きが嫌か?
でも、止めない。
決めた。
もう決めた。
「――――最悪、尻を丸出しにしてやる」
「―――――――!?」
「そんでもって、(ディバインバスター)で(エクセリオンバスター)した後に(スターライトブレイカー)して、その後は――――」



ただ今、大変お聞き苦しい言葉が散乱しておりますので、しばらくお待ちください。
その間、皆さまには汚い言葉を口走っている主人公を轢いた車のその後をご覧ください。






鎌倉清四郎は走っていた。
どんどん遠くなる黒いワゴン車を追う様に全力で走っていた。だが、子供の脚では車に追いつけるはずもなく、距離は無情にもどんどん離れていく。その光景に自身の無力さを呪う。
追いつけるはずのなのに、追いつけるだけの『力』はその身に宿っているというのに、彼の脚は徐々に力を失っていく。
清四郎には力がある。
数日前、彼女の幼馴染である高町なのはと共に遭遇した現実ではあり得ない世界。その世界に足を踏み入れてしまった清四郎。
魔法、そう呼ばれるファンタジー。
魔法、そう称される異常。
魔法、自らが宿した強大な力が彼の身に宿っていた。
だが、彼はその力を使っては無い。只の子供、無力な子供として彼は遠ざかる車を追っていた。
額から汗を流し、激しく鼓動する心臓を握るように胸を抑え、息が切れる。だが、彼は諦めずに走る。あの車が何処に向かうかなど知るはずもないが、長年この街で育った彼はこの先の道がどういう構造かを熟知している。
清四郎の友達、武本銀二と共に走り回った過去はそれを手助けする。彼はすぐ近くにある雑木林の中に入り、車が向かうであろう国道に繋がる獣道を走る。
舗装も何もされていない獣道を走れば、草木で脚を切る痛みを感じる。痛みはそれだけではない。彼の顔には痛々しい青痣があり、制服の下には先ほど男達に蹴られた個所が紫色に変色している。
走るだけで痛い。
動くだけで痛みが恐怖を思い出させる。
だが、止まるわけにはいかない。
あの車には―――友達が乗っているのだ。


アリサが攫われた。
清四郎の目の前で。
学校の帰り道。二人で通学路を歩いていると、当然黒い車が二人の目の前に停止する。ドアが開けばマスクをした数人の男達が飛び出し、アリサの手を乱暴に掴む。清四郎が制止に入ろうとしたが、男の一人の手が清四郎の顔を殴り、お前は邪魔だと言わんばかりに腹を蹴りつけた。
何も、出来なかった。
自分の名を叫ぶアリサを、何も出来ないまま連れ去られた。
泣いていた。
恐がっていた。
自分に、助けを求めていた。
だから、走った。
身体の痛みは痛みを与えられた時の恐怖を呼び起こす。ズキズキと痛む腹部を抑えながらも、彼は必死に走る。
大切な友達を助ける為に、恐いと思う心と戦いながら、彼は走る。
『―――マスター』
そんな彼に語りかける声があった。それは清四郎の首に下がった蒼い宝石。
『セットアップしてください。そうすればあの車を追尾できます』
宝石の名はストームブリンガー。
鎌倉清四郎が持つインテリジェントデバイス。
とある理由で手に入れ、鎌倉清四郎は魔導師になった。
しかも、その力は他の魔導師よりも強大であり、高町なのは以上とユーノは言っていた。その力があれば車を追う事など簡単で、アリサを取り戻す事も容易だろう。
しかし、
「駄目だよ」
彼は首を振る。
ストームブリンガーは何故と返す。
彼は答えない。
無言で雑木林の中を走り抜ける。

彼は恐れていた。

自身の力を、自身が持つ魔法という異常性を。
数日前、海鳴の街を襲った謎の事件。街中に巨大な樹が出現し、街を滅茶苦茶にした事件はしばらくニュースでも一番も話題となった。その原因となったのがジュエルシードと呼ばれる蒼い宝石。ストームブリンガーに良く似た宝石はロストロギアと呼ばれる強大な力を秘めた魔石であり、それを得た者の願いを叶えるという願望機。
それが巻き起こした被害は彼の眼に焼き付いている。
そして、それを解決した友達の姿は、今でも彼の眼に焼き付いている。
だが、それはどうでも良い事でしかない。
例えば、高町なのははその出来事でジュエルシードの捜索に本気になった。しかし、彼はそうではなかった。
壊れゆく街の光景。
その光景を作り出したロストロギア。
そして、それと同じ力を持った魔導師。
そう、魔法という力の強大さが、彼に恐怖を覚えさせた。
あれは、簡単に行使して良い力ではない。
あれは、他人に向けて良い力ではない。
あれは、あっさりと他人を不幸に出来る魔の力だ。
だから、彼はストームブリンガーの言葉に首を振った。
相手がジュエルシードであったのなら力を行使する事に問題はなかった。無論、その力に戸惑いもあるが、それで事態を見過ごして良いという言い訳にはならない。
しかし、今回は違う。

相手は、人間なのだ。

あんな暴力を簡単に振るう悪人であっても、彼等は人間。その人間にこんなバカげた威力をもった力を簡単に振るって良いはずがない。仮に振るってしまえば―――そう想った瞬間、あの時の街の光景が蘇る。
それだけで、身体が震える。
それに呼応するように、別の光景が蘇る。
違う、あの時とは違うのだ、彼は頭を振って蘇った記憶を消し去る。
今はそんな事よりも、あの車を追う方が先決。
そして、彼の眼に再び黒い車が捉えた。
この辺りは道が複雑で、車が速度を出すには不向きな構造になっている。その為、この辺りで国道に出られる道は限られている。清四郎はそれを知っている。
雑木林を出た先にある坂を転びながらも降り、清四郎は国道に繋がる道―――黒い車よりも早く先回りに成功した。
だが、これからどうするかは考えていない。
目の前に迫りくる車を見据え、身体が震える。
魔法の力は使えない、使いたくない。でも、友達は助けなくてはいけない。なら、どうするべきか――――清四郎の行動は、単純だった。
道路に立ち、手を大きく広げ、
「返せよ……」
迫りくる車に、聞こえるはずもない声で、
「友達なんだ……」
震える身体に力を込めて、
「僕の友達を―――――アリサちゃんを、」
無意味に、叫ぶだけ。



「アリサちゃんを、返せよ!!」



声など、届くはずもない。
その証拠に、車の中にいた男達は非情だった。
後部座席に座る男に抑えつけられたアリサは、車の前に仁王立ちする清四郎の姿を捉えた瞬間に叫ぶ。猿轡のせいで声を出す事も出来ないが、それで叫ぶ。
止めろ、と。
逃げろ、と。
殺さないで、と。
そんな叫びを上げながら、上げさせた男達は無表情だった。
助手席に座る男が運転している男に向けて尋ねる。
「どうする?」
「轢き殺す」
「妥当だな……」
無表情が、歪む。
ニヤリと凄惨な笑みを浮かべた男はアクセルを一気に踏む。男達にとっては清四郎の存在などどうでもいい。問題なのはアリサだけで、それ以外はどうなってもいい―――そう男達は雇い主に言われていた。だから、自分達は雇われた意味を履き違えたりしない。それが例え、小さな子供を殺すという愉快なイベントが目の前にあってもだ。
殺す、あっさりと。
殺す、簡単に。
アクセルを踏み込んだ車は、巨大な棺桶と化す。
中には誰も入らない。棺桶そのモノが兇器であり、死人を増やすだけの存在。先程跳ね飛ばした少年の事もそうで、運転手は少年を轢き殺した時に感じた衝撃をもう一度味わえる、そんな酔いに浸っていた。
車は高速で清四郎に迫る。
アリサは眼を閉じる。
男達は嗤う。
清四郎は、ただ其処に立つ。



守らなくては、いけない。
清四郎の中でそんな想いがあった。
過去、清四郎が少女と出会った時。
砂場で一人で遊んでいた―――いや、砂場にいるだけの少女を見た清四郎の足は自然と少女の元に進んでいた。
寂しそうな背中が、何時かの自分に良く似ていたからだ。
清四郎の妹が消えた時に感じた喪失感。麻奈が消えた時に沈んだ深い海。その時に感じていた絶望。
他者をそれと同位に扱う事は出来ないが、それに似た空気をもった少女を清四郎は放ってはおけなかった。
だから、声をかけた。
銀二が、海の底に沈む清四郎に手を差し伸べてくれたように―――彼も、誰かに手を差し伸べたかった。
少女が笑った。
清四郎も笑えた。
自分は、誰かを助けられる人間なのかもしれない、そう想った。
しかし、それは勘違いだった。
現実は何時だって残酷で、醜悪だった。
砂場で遊んでいた二人の前に現れた敵。頑張って作った砂の城を一発で蹴り崩した子供。それを見て泣いた少女。それを見て怒った自分。それを見てせせら笑う子供。
結局、清四郎は守れなかった。
向かっていった相手に逆にやられ、ボロボロになった。そんな彼を泣きながら心配する少女を見て、彼は想った。
もし、この場にいるのが自分ではなく、銀二だったらどうなっただろうか?
答はすんなりと出た。
銀二なら、この子を助けられた。銀二なら、この子の笑顔を守れた。銀二なら―――子供の頃から、自分のヒーローだった銀二なら、誰にも負けはしないと想えた。
麻奈が消えた時だってそうだ。
あの時、奇妙な光に飲まれていく麻奈を前にしても、自分は一歩も動けなかった。助けようと腕を伸ばす事も、脚を踏み出す事も、何も。
恐くて恐くて、目の前の異常な光景を前に彼は無力だった。だから、彼はその場に銀二がいたら、こんな結果にならなかったのではないかと思った。
銀二なら麻奈を助けてくれた。
動けなかった自分の代わりに、銀二が麻奈を助けてくれた。
そうしていれば、麻奈も消えなかったし、

彼の母親も狂う事はなかっただろう。

自分はこんなにも無力なのに、銀二は何処までも強かった。
彼の中での唯一のヒーロー。テレビのヒーローにも夢中になれなかった彼にとってのヒーローは、武本銀二だけ。
故に、目の前で泣いている少女を見た時―――彼は涙を流した。
同時に、自分勝手な怒りも湧いた。
どうして、銀二は大事な時に居てくれないのだろうか?
どうして、銀二は自分の大切な者が壊れそうな時、いないのだろうか?
ヒーローなのに、英雄なのに、この世の誰よりも頼りにしている友達なのに――――どうして、何時も大事な時『だけ』いないのだろう。
これが自分勝手な怒りだとも知っている。その怒りを感じた瞬間、彼は自分を恥じた。こんなのは、友達が思って良い想いでは決してない。
こんな醜悪な想いはしてはいけない。
だから、自分は誰よりも優しくなければいけない。
こんな想いを二度と抱かない様に、決して他人に怒り、黒い感情を向けない様に、子供ながらにして彼は悟ってしまった。
不幸な事に、清四郎がこんな事を想ってしまった時、銀二はやはりいなかった。



清四郎にとってのヒーローは、何時だって間に合わないのだから。



故に自分が身体を張る。
目の前でこれ以上、泣いている子を見たくないから。
自分の身が犠牲になっても、守りたいから。
彼は迫りくる鉄の塊を前にして、退かなかった。
『マスター!!』
ストームブリンガーの声を聞いても、清四郎は魔法を使わない。
使ったら、誰かを傷つけてしまうから。
誰かを傷つける権利など、自分には無いのだから。
そんな戯言を囀る愚かな者の願いは、届くはずもない。
力を得たのは子供だ。
子供は力の使い方を知らない。
ただ、それが恐いモノだという事しか、知らない。
迫りくる死を前にしても、彼は動かなかった。
死が訪れる。



黒い車にとっての、死が―――――



「――――――しばらく見ない間に、男の顔をするようになったな」
清四郎の前に立ちはだかる様に、大きな背中が現れた。
「だが、無謀はいかん。それは俺の息子の専売特許だ」
聞き覚えのある声。
目の前に現れた声の主を、清四郎は知っている。
夕日に照らされる髪の毛一本もないハゲ頭。
格闘家の様な鍛え上げられた身体。
甚平から出た脚が、地面に根を張る巨木の様に踏み出される。
鉄の塊を前に、嗤っていた。
清四郎にとってのヒーロー、武本銀二の父親―――武本鉄心は重心を低く構え、腕を引き絞る。
「武本流――――轟拳・獅子砕」
死の気配が充満する。迫りくる鉄の塊を前に、鉄心の手が握られ、そこから最近見慣れたある光が生まれた。
それは、魔力光と呼ばれる魔導師それぞれが持つ魔力の色。しかし、その色は酷く珍妙だった。色の主体は赤色。しかし、その色に別の色が混じり合っていく。まるで、赤い魔力光が別の力に塗りつぶされるかのような、そんな錯覚。
そして、拳が突き出される。
鉄と人、ぶつかり合う音。
それは車と人がぶつかる音ではなかった。
車に轢かれた音ではあり得ない轟音。車が事故を起こした時の様な破壊音が清四郎の鼓膜を刺激する。
鉄心の姿は、未だに目の前にある。
代わりに、車の姿が変化している。
それはまるで、車が電柱に激突した時に変形する車の形。
鉄心の脚は地面から一ミリもずれる事なくその場に存在し、車は鉄心に激突したように凹む。
車が鉄心を轢いたのではなく、車が鉄心に轢かれた様に。
それだけで、車は停止する。
それだけで、車は走行不能に陥る。
「ふむ。昔のようにはいかんな……」
何処か納得していない様な顔をしながら、鉄心はひしゃげた車を周り、後部座席のドアをあっさりと取り外す。その光景を呆然と見据える清四郎だったが、鉄心の腕に抱かれたアリサの姿を確認した瞬間に我に帰る。
「アリサちゃん!!」
グッタリとするアリサに駆け寄ろうとするが、脚が巧く動かない。それでもアリサの傍に行こうとする清四郎は這うようにして近づく。
「アリサちゃん、アリサちゃん!!」
「安心しろ。気絶してるだけだ……特に目立った外傷も無いし、後部座席にいたのが幸いで、獅子砕の被害もあまり受けていない。しばらくすれば眼を覚ますだろうさ」
そう言って鉄心は清四郎とアリサを抱えて歩き出す。
「とりあえず、何処か休める場所にでも行くか。此処はこの騒ぎで警察も来るだろうし―――――ん?」
鉄心の背後で、車から男達が這い出てきた。アレ程の衝撃を受けながらも全員生きていた。その手に様々な兇器を持ちながら。
「…………そのまま寝ているフリをしていれば良いものを」
「だ、黙れ……そのガキをこっちに寄こせ」
「お断りだ。第一、子供を誘拐するなんぞは男の所業ではない。俺は一応、仏に使える者だが特別に見逃してやってもいいぞ?」
「黙れ!!」
男達の一人が銃を抜いた。
初めて見る銃を前に、清四郎の顔から血の気がひく。
しかし、鉄心は特に恐れる素振りも見せず、逆に呆れかえる。
「お前なぁ……こんな坊主一人に銃を抜くか、普通?」
「五月蠅いと言っている!!」
「騒ぐな、虚け者―――――仕方が無い。清四郎、バニングスとこの娘っ子をしっかりと守ってろよ」
鉄心は道の脇に二人を降し、男達と対峙する。
「さて、これが最終通告だ。退く気は無いか?今なら、特別に清四郎と娘っ子を襲った事は水に流してやる」
男達は無言。
それを見た鉄心はまたも大きく呆れ返る。
「そうか、それが答か……やれやれ、俺も歳だからあんまりハッスルできないんだが」
ハゲた頭を掻きながら、
「いいだろう。相手をしてやる」

一瞬で、銃を持った男の手を掴みあげた。

「――――――ッ!?」
誰も鉄心の動きを察知する事が出来なかった。男達も、清四郎も、ストームブリンガーも、その場に存在する誰もが、鉄心の動きを完全に捉えた者はいない。
「見逃してやる、俺はそう言ったがな。実はあれ、嘘だ。清四郎と娘っ子を襲った事は、清四郎が男を見せたから特別に不問とするつもりだった―――――けどな」
鈍い音が響いた。
男の絶叫。
銃が地面に堕ちる音。
男の手が、ぶらりと垂れ下がる。
「お前等、俺の息子を轢いただろ?」
そして、折れた男の腕を掴み上げ、
「息子は殺しても死なないし、これもアイツの修行不足でしょうがない――――が、それとコレとは、話が別だ」
地面に叩きつける。
コンクリートが剥がれ飛ぶ。
「俺は坊主である前に―――父親だ」
鉄心の眼が男達を直視する。
その眼の鋭さに、恐怖しない者はいない。
「―――――俺から『また』、子を奪う可能性を作ったお前等は……俺の敵だ」
かつて、高町士郎と同等と呼ばれながらも、一度も争った事のない男。
かつて、ミッドにて『魔導師もどき』と呼ばれながら、一度も負けた事のない男。
かつて、大切な者を守れなかった愚かな男。
そして、今は一人の息子の為に生きる男。
そんな男の怒りをかった者が目の前にいる。
そんな男達に、
愚かにも、息子の友を殺そうとした男達に、
愚かにも、その友の友を攫おうとした男達に、
愚かにも――――この世で一番大切な息子に怪我を負わせた男達を、



「武本流喧嘩殺法、武本鉄心――――私闘、仕る」



只の父親が、怒りを覚えないはずない。








そして、時間はもう一度主人公へと戻る。




「―――――ふぅ、強敵だったぜ」
『…………』
あんな激闘は初めてだった。
まさか、あんなに苦戦するとは想いもしなかった。
だが、俺は負けなかった。
フェイトとかいう少女を前に一歩も退かず、むしろ相手を追い詰める程の実力差で勝った俺は勝利の余韻に浸っていた。
ん、実力差で勝ったのに苦戦?
ふむ、これは中々に奥の深い感想だ。決して矛盾してるとか、滅茶苦茶苦戦したから負け惜しみだとか、そういうわけではない。
そう、これは云わば無の境地の一歩手前の様なモノに違いない。
そうだ、そういう事にしておこう。
「にしても、何でアイツはあんな石を欲しがったんだ?まさか、俺と同じ様に金に変えようとしたとか――――そうか、アイツの家は貧乏だったんだな」
『…………』
だからあんなに一生懸命になって石を欲しがったのだろう。俺だって事情を話せばちゃんと渡したというのに、人の話を聞かないアイツが悪い。うん、それが正しい。
「大方、あんなコスプレしてるから金が無いんだろなぁ……親御さん、苦労してなければいいのだが」
『…………』
相手の心配と親御さんの心配をする俺、凄く優しいね。
俺って善人だ。
「…………………………」
『…………………………』
ところで、どうして電助の奴はずっと黙っているのだろうか?
『―――――御子息』
ようやく言葉を発した電助はどこか冷たい声だった気がする。
「どうした?俺の見事な戦法に感動したのか?」
『勝利の余韻に浸ってるところ、大いに悪いのだが……』
「なんだよ?」

『とりあず、服を着たらどうだ?』

「――――――――」
『服を着ろ』
「――――――――」
『周りに人はいなくとも、服を着ろ』
「――――――――ふぅ、強敵だったぜ」
『それはいいから、服を着ろ』



俺は今、一糸纏わぬ姿――――つまり真っ裸だった。



「お前さ、空気読もうぜ?」
『空気なら読んどるわ!!何処がどうなって御子息は露出狂になったのか、某の口から一から説明しない某の心意気をどう捉えるのだ!?』
なんだか、今までに無い位に電助のテンションが高いな。にしても、やっぱり春になって真っ裸は寒いな。
「けどよ、俺の勝ちをまず誉めるべきだと思わない?」
『思うか!!あんなものは死闘でも喧嘩でも戦いですらないではないか!!何処の世界に負けそうになるからと言って服を脱ぎだす戦闘者がいる!!』
此処にいるだろう、お前の目の前に。
『主よ……某は主に会わせる顔が無い』
だから、お前は元々顔なんて無いだろうが。
「戦いは常に非情だ。例え、それが卑怯な手であってでもな」
『卑怯以前に卑猥だ、このボケ!!』
「馬鹿を言え。この程度の戦法で怯む様な訓練しかしてないアイツが悪い」
『真っ裸で襲ってくる相手を想定する訓練など、何処の世界を探してもあるはずがないだろうが!!そりゃあの娘も泣きながら攻撃してくるに決まっている!!』
電助、何時もの口調と違い過ぎない?
「ふんッ、俺の小マンモスに恐れるなど、失笑ものだ。隣のクラスのマウンテンゴリラなんぞ、最初はそれで泣きだしても、慣れたら俺の股間を集中攻撃する程の兵だぞ!!」
『味方が失笑を通り越して泣きだすわ!!それと、さっさと服を着ろ!!何時までその粗末なモノをぶら下げているつもりだ!?』
「えぇ~、外で真っ裸なんてそうそう体験する事が出来ない遊びなんだぞ?もう少し遊ばせろよ」
そして、俺だって好きで真っ裸になったわけではない―――今は、少しだけ楽しいけど。
そもそも、こうなったのはあのフェイトのせいだ。

ぶっちゃけると、俺はフェイトに手も足も出なかった。
俺の数打を使った攻撃は全て避けられるし、当たっても見えない壁に阻まれる。その上、卑怯な事にフェイトは飛び道具まで使ってきた。俺には道具なんて一つも無いし、あんな当たったら痛そうでは済まない奴をバカスカ撃ってきやがる。更に、それってどんな瞬間移動ですかと尋ねたい程の高速移動を繰り出して俺の逃げ道を奪う始末。
あれは反則だ。
なんていうか、格ゲーの素人と玄人の対戦並みに反則的だ。
俺は当たらない、防げない、避けれないの三拍子なのに、フェイトは当たる、防げる、避けられるの三拍子。
更に、俺が戦う前に言った卑猥(自覚してるよ)な言葉を聞いたせいか、俺を便所で見たGを撃滅する様な眼で襲ってくるし……あれ、マジで殺されると思ったね。
どう考えても勝てる気がしない。
追いつめられる俺。
情けとばかりに、俺に石を差し出せというフェイト。
何をしても相手に通じないジレンマ。
既に勝利を確信したフェイトの顔。
悔しさと切なさと心強さとが混じり合った俺の頭――――その瞬間、俺の中に逆転の一手がキュピィィィンと閃いた。
それは以前、俺が散髪屋に置いてあった某十三的な殺し屋が使った手。相手が女であり『れず』とかいう女好きな奴が相手だった時、その殺し屋は真っ裸になって相手に恐怖を与えるという見事な一手を披露した。
そして、それを俺の天敵であるマウンテンゴリラに対して使った事があり、俺を常日頃、千切っては投げ、千切って投げするアイツはなんと泣きながら逃げだした。そして俺は気づいた。
あの位の年頃の奴は男の裸を見ると恥ずかしがって逃げだすのだと。
『それはどう見ても御子息に恐がっているだけだ。全世界の少女達に謝れ。ついで男にも謝れ』
黙れ、ポンコツ。
ともかく、俺はそんな戦法で打って出た。

効果は抜群だったッ!!

『それはそうだろうな……何せ、追いつめた相手がいきなり服を脱ぎだすし、股間丸出しで嗤いながら迫ってくる。そんな状況でまともな思考を働かせる奴がいたら凄いだろな。しかも、相手は子供――――正直、泣きながら撃ってくるあの娘に某は拍手を送りたい』
「おい、お前は俺の味方だろ?とっさに機転を利かせた俺を誉めろよ」
『誉めるか!!某に手足があったら、あの時点で娘に加勢して御子息を殴っている所だぞ!!』
「あははは、泣いてたな~」
『あぁ、未知の恐怖に出会った時の人間とは、アレ程に引き攣った顔をするのだと某は学習した』
「知力の勝利だな」
『―――――――娘、汝は決して弱くない。ただ、こんな変態を相手にするには些か純情すぎたのだ……それが、汝の敗因だ』
なんだよ、俺が悪者みたいな言い方だな。
襲ってきたアイツが悪い。しかも俺はアイツにちゃんと石を渡したぞ。だって、泣きながら「母さん、助けて母さん」とか言うんだぞ。
アレは反則だ。
俺だって鬼じゃない。
女の涙は反則だ。
だから、仕方なく宝石を譲ってやった。
ただし、あの野郎……去り際に「サンダーレイジ!!」とか叫びながらとんでもない威力の魔法をぶっ放していきやがった。
「今度会ったら、シメる」
『恐らく、今度あったら全力で御子息から逃げ出すと思うぞ。あの娘は……』
けど、今度会ったらきっと俺が服を脱ぎだす前に撃破される可能性もある。それほど、俺とフェイトには実力差がある。
仕方がない。
だから、俺は、拳を強く握る。
「――――強く……ならなくちゃな」
『御子息、今更そんなシリアスで決めようとしても手遅れだぞ』
悔しい。だから、俺は強くなる。
「俺は、もう負けたくない……こんな悔しい気持ち、絶対に嫌だ!!」
『いや、だからもう遅いって』
何時か、この弱さが誰かの涙に繋がるのは嫌だ。この弱さが、涙に繋がらない様にと心に決める。
「こんなに弱かったら……俺の大切なモノを守れない。俺は、これ以上誰かの涙は見たくないんだよ!!」
『数分前に少女を一人、号泣させた奴が言ってもな……』
宣言する。この言葉を嘘にしない為に。
「俺は強くなりたいんだ!!」
『おい、某の話はスルーか?』
けど、その為には協力がいる。俺一人では無理でも、俺にはコイツがいる。
「タケミカヅチ……俺に力を貸してくれ」
『こんな時だけ名前を呼ばれても頷けんわ!!』
さぁ、今までの俺を終わらせて、新しい俺を始めよう。

俺は此処から、誰にも負けない俺になる!!

『―――――もうツッコミも面倒だ……ところで御子息。車に轢かれた傷はどうなったのだ?』
「あん?なんかいつの間にか治った」
『まさか、冗談で言った『戯言補正』が実在するというのか!?』
知るか……それより、何処まで言ったっけ?
え~と……「俺は此処から、誰にも負けない俺になる!!」だったな。この後は―――――



「―――――本当に此処かなぁ?」



不意に、頭上で声がした。
「ん?」
顔を上げると、なんとそこには人が浮いていた。俺と同じ歳くらいのコスプレみたいな白い服を着た女の子。フェイトみたいなゴッツイ武器ではなく、テレビの中にいる魔法少女みたいな杖を持った女の子。
「此処から魔力の反応があったんだけど……」
辺りをキョキョロと見回している少女の姿をじっと見つめ―――気づいた。
「あの子は……」
そう、あの子は清四郎と一緒にいた女の子。
三年前、砂場で一人で遊んでいた少女。
俺の初恋の少女。
どうして、こんな所に……
名も知らない少女の視線が、俺を捉えた。
見られた事で、俺の心臓が大きく鼓動する。
やべ、なんだか急に身体が硬直してきた。
少女の眼が大きく見開かれる。
どうしてそんな顔をするのかはわからない。俺はあの子の事を知っているが、あの子は俺の事を知っているはずがない――――いや、待てよ。あの子は清四郎の友達だというのなら、アイツから俺の事を聞いている可能性もある。





大人だけじゃない……子供だって恋をする


会った事もない少年。
話に聞くだけの少年。
そんな少年に不思議と興味を持った少女。
そして、その少女は何時しか会った事も無い少年に恋する。
そして今、少年と少女は出会った。
そこから始まる、小さな恋の物語。
少年の瞳が少女を見据え、少女の瞳も少年を見据える。
互いは一瞬にして恋に落ちる。
そこから始まる、小さな恋の物語。
少年は少女が好きだった。
少女は少年が好きだった。
だが、未だに互いの事を知らない二人はチグハグな関係を続ける。
好きなのに、こんなに想っているのに、どうしても素直になれない恋心。
時に笑い、時に泣き、時に互いを傷つけ合いながらも、少しずつ近くなっていく二人の気持ち。
二人の間には大きな障害もあるだろう。
けれども、少年と少女はその障害を二人の力で乗り越える。
そう、これはそんな小さな恋の物語。
小さくても、それでも大切な恋の物語。
魔法少女と少年の、出会いから始まる――――この夏、全国を感動の渦に飲み込む最高のラブストーリー。


題名『恋の魔法、はじめます』


初恋、それは誰しもが知る―――最高の思い出。







『――――――――――御子息!!トリップしている場合ではないぞ!!』
「ウヘヘヘヘヘヘ――――ん、どうした?」
せっかく人が甘い甘い恋物語を妄想してるのに、どうして邪魔するかなぁ。
『上、上!!』
「上?」
上に何があるってんだよ。言っとくけど、あの子がそこにいるって事なら、俺はとうに知っているぞ――――――――あれ?
そこには何とも不思議な光景があった。
空を飛ぶ少女の杖に、綺麗な桜色の光が集まっている。
あぁ、綺麗だな……なんか、あの子にピッタリな綺麗な色だ。
でも、おかしいなぁ…………なんか、背筋が凍りそうな程に寒いんですけど?
あと、心なしか……多分気のせいだと思うのだが、あの子の顔が変質者を見るように引き攣っている気がする。
プルプル手を震わせながら、杖に集まっていく桜色の光。
「へ、へへへへへへ――――――変態!!」
変態だと!?
何処にそんな不届きな奴がいるのだ。俺の恋するあの子を恐がせるような変態、俺が許さんぞ!!
『御子息……某は、ようやく悟った。某が汝に出会ったのは間違いだった』
「んな事を言ってる暇があるか!!今は、あの子を恐がらせる変態を探す方が先決だ!!」
『いるだろ』
「何処に!?」
『―――――此処で素っ裸な奴は御子息だけだ。それを変態と呼ばず、なんと呼ぶのだ?』
俺?
自分の今の状態を観察してみる。
俺の服――――無い。
俺の状態――――真っ裸。
俺の象さん―――――フルオープン。
あの子の言う変態――――俺にロックオン。



「あぁ、俺だわ」



『だろ?』
「そうかぁ~俺かぁ~」
納得した。
つまり、アレだな。
恐らくあの子の周りに集まっている光は、さっきフェイトがぶっ放した魔法みたいな感じで、その目標は全国の少女の敵である変態―――つまりは俺に向かっているわけだ。
「やっぱり、春でも裸は早いよな?」
『ソレに気づいたのは良い事だ……そして、ソレに気づいた汝に巻きこまれた、某はどうすればいいのだろうか?』
「そうだな――――笑えば、いいと思うよ」
お前に顔は無いけどな。


「変態さんは、嫌ァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


その日、俺の最後の記憶は桜色に塗られた――――破壊の猛獣だった。







あとがき
ども、リアル鬼ごっこ2を見てきました、な散雨です。
今回の副題「フェイトよりも早く脱衣した主人公な法則」です。
なぜだろう。なんでこんなに長くなったのだろうか……まぁ、いいか。何時もの事だしね。
さて、今回はデバイスが出てきました。
銀二(幼少期)のデバイスは『数打』
清四郎のデバイスは『ストームブリンガー』
数打は長いナイフ(名称が分からない)。
ストームブリンガーは杖。
この程度の設定です。

そんなわけで次回「親友と修行と温泉な法則」で、いきます。

では、また次回で会いましょう。



PS、変態が書きたい画きたい変態が描きたい……変態が書きたい!!



[19403] 第五話「親友と修行と温泉の法則」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/06/30 00:28
変質者になって数日後の話だ。
「さて、バカ息子」
「応、クソ親父」
俺と親父は殴り合う。
『主、御子息……幾らこんな人がいない山奥とて、そんな騒ぎをしていては動物に迷惑だ』
それもそうだな。
さて、俺と親父は今、とある山奥にいる。
「仕切り直すぞ――――さて、銀二」
「応、クソ親父」
「…………まぁ、いいか。ともかく銀二。こうして俺がお前に修業をつけるのも久しぶりだが――――急にどうした?」
「だから、言っただろ?喧嘩に勝って勝負に負けたから、両方勝てるようにするんだよ」
「それは聞いたが……相手は何処のどいつだ?」
「コスプレ美少女」
「どんな相手だ、それは……」
首を傾げる親父。
当然と言えば当然なのだが、事実なのだ。
数日前のあのフェイトとかいう美少女との戦闘で、俺の力不足がよくわかった。前までは同世代の奴に負けなければいい、そんな程度で身体を鍛えていたが、あれは駄目だ。
少なくとも、力でも技量でもない。姑息な手段で勝ってもまったく嬉しくない。
決して、その後にあの子が放った桜色の猛獣に襲われたから、二度とそんな事の内容に服を脱がずに勝てる様になりたい、なんて事はない。
というか、アレは勝ったという訳でもないな、おい。
「とあえず、魔法教えろ」
「それが親にモノを頼む態度か?」
それでも教えるつもりだろうな。じゃないと、こんな山奥まで連れてこないだろう。
此処は海鳴にあるとある温泉の近く。
浸かると身体の疲れもしっかりと取れるであろう温泉が近くにあるというのに、俺達はそこから離れた場所にキャンプを張っている。此処までくると人もほとんど来ない。だから結界とかいうのを使わなくてもいい、らしい。
にしても、俺って魔法の事を殆ど知らないんだよな。フェイトのコスプレって実はコスプレじゃなくてバリアジャケットっていう鎧らしい。何でも、アレがあると防御とか自動でしてくれるらしいし、周りの気温に関係なく快適に過ごせるらしい。
覚えておいて損は無い―――そして、その位の事を教えろ。
「だがな、銀二。幾ら魔法を教えろと言っても、お前じゃ大半は使いこなせんぞ」
「やってみなくちゃわかんだろ」
「なら、試しに飛んでみろ」
ジャンプする。
「アホ。そういう意味じゃない。俺が言っているのは空を飛ぶという事だ―――なんだ、その馬鹿な奴を見る目は?」
いや、人間は飛べないだろ。鳥じゃあるまいし、人間は飛べない様に出来てるんだよ。
あれ、でもフェイトは飛んでたな。あと、あの子も飛んでた。
「それが分からん時点でお前は飛べん。それと、俺は前に飛ぶ訓練をした事があるはずだが……」
「そだっけ?」
「そうだよ。まぁ、飛べない事は百も承知だ。お前は飛べない。飛べない魔導師がどれだけ頑張っても飛べない。そういう資質が必要なんだ」
資質、そう言われるとなんかムカッとくる。いいぜ、やってやるよ。飛べばいんだろ、飛べば!!


数分後


「――――親父、飛べない」
「らしいな。諦めは付いたか?」
「応。飛べないガキは只のガキだ」
人間、諦めが肝心だな。
「大体、これも前に言ったはずだが、飛べないなら飛べなくとも戦える方法を考えろ。俺も飛ぶ事は出来ないが、それなりに方法はある」
「それは覚えてる……え~と、確か『空は鳥の領域で、其処に脚を踏み入れる奴は鳥以下』だっけ?」
「そうだ。俺達は地上の民だ。それはずっと昔から決まっている。遺伝子単位でそれは人の身体に刻みこまれている。故に人は空では万能ではない。魔導師もそうだ。空を飛べる資質があろうとも、それは資質でしかない。人が住まうのは地であり空ではない」
鳥は生まれた時から鳥の遺伝子を持っている。だから鳥は飛べる。しかし、人はそうじゃない。人は鳥の遺伝子を持ってはいない。だから人が空を飛ぶ時は鳥の真似をしているにすぎない。
それは、真に空を舞う鳥の様にはなれないという事だ。
「いいか、銀二。相手が空にいようとも、それは飛んでいるのではなく浮いているに近いと考えろ。鳥を相手にするよりは空に浮く人間の方がよっぽど戦い安いのだ――――それに、俺達が使う武本流喧嘩殺法にも、空に浮く相手に通用する技がある」
「あぁ、そうだったな……でも、あれって親父の技だろ?俺にはそんな技はないぞ」
「それを考えるのが二代目の仕事だ」
考える、ねぇ……
「けどよ、親父。別に親父の技をそのまま俺が使っても問題ないんじゃね?」
「それも一理ある。だが、それでは意味が無い―――以前も教えた気がするが、魔導師の使う魔法というのは漫画にあるような『異能』では無い」
確か、システムに近いんだったかな。
OSを作るみたいに、プログラムを組んでソレを自分の中にあるリンカーコアと接続して使う、だっけか?
「システムならコピーも可能だ。一つの使い勝手の良いシステムがあれば、魔導師はそのシステムをコピーして使う事が出来る。もっとも、それを使う者によって性能は大きく変わるし、それをコピーされたくない者はコピーされないように努力もしている」
「まぁ、自分で組むよりは簡単だろうな。俺的にはそっちの方が楽でいい」
「お前の場合、コピーしても巧く使えないだろ?お前みたいな奴は、無い頭を精一杯使って自分に都合の良い魔法を作れ」
都合の良いって言葉はどうかと思うが……俺もそっちの方がいいな。だってさ、他人のモノを勝手に使うみたいで気持ち悪いじゃん。
「銀二、お前の使える魔法はなんだ?」
「強化だけ」
「そうだ。お前の使えるのはそれだけ。他のモノは努力すれば使えるかもしれんが、俺が見る限りお前に他の才能は無い……そして、お前に魔法の才能もない」
はっきり言われると傷つくな。俺が今から魔法の修行をしようと言っているのに、それをいきなり否定されるのは嫌だな。
だが、親父はむしろそれを伸ばせと言う。
「さて、ここで復習だ。武本流に使う強化は魔法以外に何がある?」
「胡散臭い『気』って奴だろ」
「胡散臭い言うな。だが、正解だ。魔法は『システム』だが、気は『神秘』だ。向こうの頭の硬い連中はさっぱり理解しなかったが、お前は違う」
俺の頭が柔らかくって応用が利くって事だな。
「お前は馬鹿だ。魔法の様なシステムを使う奴はからっきしだ。この間の算数のテストで良く理解できた」
「―――――泣くぞ、おい」
「悔しかったら点数上げろ。それはさて置き、そんな馬鹿なお前は感覚を必要とする要素には強い。感覚で組むのではなく、感覚で使うのがお前だ。だから、そんなお前は気だけはきちんと使える」
「あんな胡散臭い力が得意って言ってもなぁ」
でも使えるのだからしょうがない。
コイツは俺が魔法を覚えるよりも前に使えた。なんて言うか、親父の云う感覚って奴で使えるコイツは使い勝手が良い。前回、フェイトと戦った時も大半は気で戦っていた。後、車に轢かれても大丈夫だったのも気のおかげ。
「とりあえず、硬気功をやってみろ」
硬気功は感じの通り、身体を固くする感じだな。
すぅっと息を吸い込み、身体の中に糸を入れる感覚を作り出す。そしてその糸を血管としてそこに酸素を注ぎ込む―――それだけで、気が身体を包む。
コレを使うと若干身体が暖かくなる。そのままの状態で近くにあった岩に拳を叩きつける。俺の今の拳はそんじょそこらの鉄よりも硬い、らしい。
岩の表面にヒビが入る。
どうだ、と誇らしげに親父を見るが、何故か微妙な顔。
「お前さ……なんでそっちはすんなり出来んのに、魔法の強化は出来ないんだよ」
「出来ないもんはしょうがないだろ。あと、俺は決して出来ないわけじゃない。苦手なだけだ」
「お前がそっちを怠けるからだろうが―――とりあえず、魔法の強化を普通に使えるようにするぞ」
「えぇ、いいじゃん。こっちの方が得意なんだからよ」
そう言うと、親父の拳骨が堕ちる。
「だから怠けるな。いいか、武本流の基本は身体の強化から始まるのだ。強化は身体能力の向上を促す。そこから高速移動やら何やらに繋がる……特に高速移動などは重要だぞ。アレには動きの速度を上げるという効果があるのだが、移動以外に動作の加速などもある」
親父は近くにあった木に拳を叩きつける。ドンッという轟音と共に木が揺れ、葉が無数に落ちてくる。
「この場合、移動としての強化を使っても意味がない。だから動作そのものに強化を掛け、加速させる――――」
親父の腕が消える。
宙を舞う木の葉がどんどん消えていく。
そして、地面に一枚の葉も落ちる事なく、全てが親父の手に残る。
「どうだ?」
「どうだ、と言われてもな……大体、親父の拳速なんて俺には追えんぞ」
俺には普段の親父の動きと何も変わらない感じだった。
「分からんなら、今はそれでいい。お前はとりあえず、こういう使い方もあるというだけを覚えておけ」
「あいよ」
こうして、俺と親父の修行が始まる。



第五話「親友と修行と温泉の法則」





さて、ここでもう一度だけ武本流喧嘩殺法について少し語ろう。
親父が御神流に対抗する為に作った流派だ。
名前がダサい上に胡散臭いよな。
その基本が親父の言う様に身体強化だ。その為には基本的なトレーニングは勿論、胡散臭い気功と小難しい魔法だって使用する。最終的には気と魔法を同時に使えるようになれば合格なのだが、俺は片方ずつしか使えない。いずれは両方使えるようになりたいのだが、その道程も長い気がする。
次に、その戦術だ―――だが、ぶっちゃけると戦術なんて無いに等しい。親父は拳を使うが、俺は剣を使う。もちろん、親父も剣を使えるし、俺も拳を使える。魔導師は杖とか使う為、接近戦はあまり得意ではない―――と言われたが、その法則は間違っていると前回の戦いで学習した。フェイトは接近戦も強かったし、飛び道具も使ってきた。何だかんだいって両立出来る奴が強いのだ。
そんな偏った流派である武本流には――――技が無い。
先程、親父が言ったように技は自分で作る。
しかも、ルールがある。
技は十二個、奥義が一個。
どうしてそんなルールを作ったのだと聞いたら、
「技が多い漫画なんぞ、使わない技が多くなる。そんな無駄な技の量産をするよりは、使える技だけを使えば良い」
と、いう事らしい。
漫画を参考にするなって言いたい。けど、若干俺も同意だ。だって、漫画でも最初に出て来た技は最後の方まで使うけど、中盤に出て来た技なんて一回使えば終了って感じが多いだろ。
使い勝手の悪い技が多すぎるのが問題だよな。
それ故にこの十二個と一個を考えるのも大変だ。この頃の俺はあんまりその事を深く考えていなかったが、どうやらこういうのは自然と出来ていくらしい。相手が空を飛べば、どうやって落とすかを考え、その通りの技が出来る。相手が狭い場所にいるのなら、その狭い場所を突く技が出来る。
そして、気づけば俺も武本流のルール通りに十二個の技と一個の奥義を使えるようになるのだが―――これは、まだ先の話だ。
まぁ、総合的に言うならこれは武術なんかではなく、只の曲芸に近いのかもしれない。
そんな曲芸を必死こいて会得しようとする俺も……考えるのは止めとこう。
「―――――なぁ、銀二」
「なんだ、こっちは強化の制御で忙しい」
「いやな……お前が急に修業をしたいって言うのは嬉しいんだが」
なんとなく、俺は親父を見る。
「お前は、どうして相手に勝ちたいんだ?」
親父の眼は、真っ直ぐに俺を見ている。
そんな眼を向けられた俺は強化を解く。
「男だから負けたままじゃ嫌だというのは分からんでもないが……それ以外もあるのか?」
恐らく、聞きたいのはそれ以外だろう。それ以外が俺にとって必要な何か、なのだろう。
だが、聞かれるまでもない。
俺の中にある答は、既にある。
「簡単だっての。親父が前に言ってたろ?喧嘩する時は俺が後悔しない喧嘩をしろって―――でも、それだけじゃない。どうして俺がソイツに勝ちたいか、だけどな……」
俺は、自分の中にある答をあっさりと口にする。
「―――――俺が、男だからだよ」
それ以外だと?
知るかっての、そんな事。
「俺は男だ。男は負けたままでケツまいて逃げるなんて選択肢は無いんだよ。これがちっぽけなプライドだっていうのは分かるけどよ、それで十分だよ」
「…………それ以外は、特に無いか?」
「無いね、それ以外はよ。戦うなら勝つ。勝てないなら、勝てる様に努力する。そして俺は常に勝つ。喧嘩にも勝負にも、全部にだ」
多分、親父が聞きたい事ではないのかもしれない。
それでもこの頃の俺はそんな事をあっさりと言った。
どうして戦うのか?
何故、力を求めるのか?
答は一つ、勝ちたいからだ。
「負けて終われるかっての……」
「そうだな。今は、それでいいかもしれんな」
「それ以外に何があんだよ?」
「――――沢山あるさ。人がそれぞれ生きる理由がある様に、戦う理由がある。人の中身は全部が同じでは無い。十人十色、俺達はそれぞれが違う」
親父は腕を組みながら、座禅を組むように眼をつぶる。
「お前の想いが安いとは言わない。だが、人にとってはソレが安いとも想われるだろう……そして、お前自身がそう想う事もあるかもしれない。相手の意志の強さが自分よりも強く、お前が心で負ける可能性ってあり得る」
「…………」
「銀二、今はそれでいい。その想いをお前が何処まで連れていくかはお前が決めろ。そして、その想い以外にお前が何かを抱くだというのなら―――それこそが、お前の中の本当だ」
「…………今、だけか?」
「今、だけだな」
しっくりこない。
別に怒られているわけではないのだが、どうもしっくりこない。負けたくないっていう想いが間違っているとは思えないが、これが本当だという気があまりしない。まるで、目の前にある事実だけしか見ていない、そんな感じがする。
負けたくない。
勝ちたい。
それだけで、十分なはずだ。
はず、なのに……くそ、何だよコレ。
苛々する。
俺は、これでいいんだよ。これだけ胸にしまっておけば、それで十分なんだ。だから、余計な事を言って俺を混乱させるなよ、クソ親父。
俺は親父の言葉を打ち消す様に集中する。
親父の戯言を、忘れる様に――――
そして、俺はこの想いが本当ではない事を知る。この時はこれが本当だったとしても、他の人がそれぞれ沢山の想いがあると知り、俺は俺の中の本当を見つける。
何故、戦うのか?
何故、力を得るのか?
それを見つけた時――――武本銀二の始まりがあるのかもしれない。
それが、どれだけの重みがあろうとも、だ。



そう、想いは――――重いのだから……







俺と親父が山奥に来て、もう一週間が経つ。
よくよく考えてみれば、学校に行かなくてはいけない子供を一週間も山奥に放り込むという行為は、世間体としてどうなのだろうか。例え、俺から言いだした事とはいえ、学校を休みすぎるというのも考えものだ。
そんな事を考えたのが一週間後の今日、世間は連休中。学校は休みだし、俺は携帯持って無いからクラスメイトからの遊びの誘いもない。
この日も俺は一日かけて修行した。修行といっても魔法を一から学び直す座学に親父との模擬戦くらいしかない。空いた時間で俺の技を考えてみるが意外と十二個も考えるのは苦労する。
結果、この一週間で出来たのは三つ。
「でも、これって魔法で使う意味あんのか?」
自問自答してしまう。そもそも、魔法ってどういう風に使えばいいのかがわからない。俺にとっての唯一の魔導師は親父であり、そんな親父の使う魔法―――というか技だな。技の殆どは「それの何処が魔法?」と首を傾げる様なモノばかりだ。
ゲームにあるような詠唱もないし、ドカーンとかビカーと光るわけでもない。
あれは、単なる拳骨だ。
気を入れてみたとか、強化してみた、とか。俺の眼から見ても違いがさっぱりな只の拳骨。だが、そんな拳骨でもダンプの一台くらいなら軽く粉砕出来るらしい。この間、車を一台ぶっ壊したと言っていた…………お前、何してんの?
そういうわけで、この一週間をかけても俺には魔法と気の使い方がいまいちわかっていない。とちらかと言えば、魔法の強化よりも気で行う強化の方が楽だという点だけ。もう魔法なんて必要ないだろう、そう想う様にもなった。
「苦手な事を伸ばしても意味無い感じするなぁ……どっかと言えば、気の方を重点的に鍛えた方がマシだった気がするし」
一から魔法を学習しても、魔法の良さがさっぱりだった。これなら、親父との模擬戦だけを重点的にやっておけばよかったのだ。そんな事に気づくのにこの一週間を使ったとなれば、何とも無駄な一週間だ。
「まぁ、今はどうでもいいか……」
後悔するなら後でも出来る。今はこの温泉の温かさで疲れを癒す事にしよう。
俺は今、キャンプしていた場所から少し離れた温泉宿にいる。
家の風呂に入るよりも、こんな大きな風呂に入るほうが気持ちが良い。温泉の元とは違って天然ってのはいい。
「やっぱり、温泉と美少女は天然に限るよな……いや、駄目だ。温泉は良くても美少女は駄目だ」
天然系が可愛いのはフィクションの中だけだとフェイトで思い知ったはずだ。
「にして、良い湯だなぁ~」
疲れた身体にこのお湯は極楽だよ、極楽。
温泉にしっかり浸かって上がった頃には疲れが取れた。やはり、温泉効果は素晴らしいね。
温泉の後は牛乳を飲んでマッサージ機へ、その後は宿にある古いゲームを堪能。
お土産も購入して、さぁ帰ろうと思った―――その時、俺の耳に何やら騒がしい声が聞こえる。
気になったので見てみると、見覚えのある美少女三人が綺麗なお姉さんと何やら言い争っている。
おぉ、胸がでかい。しかも、良い尻をしている。おまけに浴衣という見えそうで見えない聖域がまた堪らん……やべ、鼻血が出そうだよ。
「およ?」
お姉さんにばかり見ていて気付かなかったが、よく見れば美少女三人の前に立っている女顔のガキ―――あれは、清四郎か?
清四郎は三人を守る様に立っている。おやおや、あの清四郎も男の子になっちゃって、お兄さんは嬉しいですよ。でも、流石は清四郎。立ち塞がっても脚は若干震えている様にも見える。
というか、あの三人の中に居る一人―――あの子だ。
この前、俺にとんでもないトラウマを植え付けた空飛ぶ美少女。
「―――――逃げるべきだよな」
正直、心はときめく。しかし、身体は震える。
あの桜色の猛獣は俺が生きてきた中で一番の恐怖だった。あの時は命からがら逃げだせたが、恐らくあの子の中で俺は変態、露出狂、女の敵として認識されている可能性がある。
故に、此処であの子に見つかったらまず悲鳴が上がるだろう。次に、またあの桜色の猛獣を俺にぶっ放すだろう。その後はきっと―――やべ、考えただけで温まった身体が一気に氷点下だよ。
こんな感じで俺が尻尾を巻いて逃げ出そうとしていると、何やら雲行きが怪しくなっていく。清四郎の後ろにいる金髪、アリサ・バニングスがお姉さんに何やら言っている。それを聞いたお姉さんの顔が一瞬で変化。あのマウンテンゴリラが俺を殺そうとする時の顔に似ている。そんな顔をすれば当然子供であるアイツ等は恐がるだろう。だが、ただ恐がるだけならいいのだが、あのアリサとかいう奴はそういう時に限って気丈に振舞うタチらしい。
あぁ、どんどん雲行きが怪しくなっていく。二人の間に挟まれた清四郎がオロオロし出すし、月村すずかっていう子は泣きそうだし、あの子は清四郎の手をぎゅっと掴んでるし……これ、誰か呼んで来た方がいんじゃね?
「それ以前に、あの人も大人げねぇよな」
相手はガキだぞ?
ガキ相手に何を怒ってんだか……
「―――――しょうがねぇな」
このまま見ているのも後味悪そうだ。あの子の前に出るのはかなり恐いのだが、ダチを見捨てるなんて行為はタブーだ。
深呼吸、深呼吸――――うし、行くか。
「なぁ、その辺で勘弁してくんねぇかな?」
そう言って俺は清四郎の隣に立つ。
「銀ちゃん!?」
「応、久しぶりだな」
俺の登場に驚く清四郎。こうして会うのも本当に久しぶりだ。そして、そんな俺の事を知らない方々の反応は勿論バラバラ。
お姉さんは突然の乱入者の俺を睨みつける。あの子は俺を見て顔を引き攣る(ちょっと傷ついた)。アリサは何故か俺を見て驚いている。すずかはどうしていいか分からず、呆然としている。
それぞれの反応は置いておいて、だ。
「お姉さん、コイツ等が何か粗相をしたのかもしれないけどよ、許してくない?」
「アンタ、誰だい?」
「通りすがりの友達ですよ」
なっ、と清四郎を見て笑う。
「何があったか知らんけど、お姉さんは大人でしょ?ガキの戯言なんか聞きながしてさ、温泉でゆっくりしましょうよ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
アリサが俺の肩を掴んで言う。
「最初にちょっかい出してきたのはソイツよ。私達は悪くないわよ!」
「そうかもしれないけどよ……さっきから見てたけど、お前が何か言ってからこの場の空気が悪くなった様に見えたぜ?」
「何よ……私が悪いって言うの」
「そうとは言って無い。でも、お前がちっとも悪いなんて事もないだろ?」
「悪くないわよ!!」
そうかねぇ。最初にふっかけたのがどっちか知らけど、俺から見ればコイツが余計な事をいなければ、このお姉さんも無駄に怒らなかった気がする。
あくまで、第三者の目線からだけどな。
「ともかく、だ。どうだい、お姉さん?ここは俺が頭を下げるから、コイツ等の事を許してくんないかな……」
お姉さんの眼を真っ直ぐに見て言う。こういう時は相手の眼を真っ直ぐ見て、俺の意志を伝えるのが良いらしい。親父の言い分だけど。
しかし、親父の言う事もたまには当たるらしい。
お姉さんは大きく溜息を吐く。
「…………もういいよ。人違いしたのは私だし、大人げなかった」
「そう言ってもらえると安心っすね。そうだ、なんなら牛乳一杯おごりますよ。お詫びと言ってはなんですがね」
「おや、それってナンパかい?」
「付き合ってくれるなら、ナンパしますよ」
「残念。アンタは私も対象外だよ……それじゃね、アンタ等。色々と迷惑かけたね」
そう言ってお姉さんは最後にあの子と清四郎の肩を叩いて歩いて行った。その際、二人が何やら驚いた顔をしていたが、何だったのだろうか?
まぁ、とりあえず騒ぎは収まった事だし、
「おい、清四郎」
「なに―――ッて、痛ぁ!?」
清四郎の頭に拳骨を落とす。
「痛い、痛いよ銀ちゃん!!」
「黙らっしゃい。こういう時は男のお前が相手を言い包めるなりなんなりして、事を納めるのが普通だろうが……それが何だ、あれよ?」
「で、でも……」
ほぅ、俺に口答えするか。
そんな奴の頬は良く伸びるので、引っ張る。
「いひゃい、いひゃい!!」
「ただ相手の前に立ち塞がるってどうすんだよ。しかも、それで何も言わずに黙ってるなんぞ、舐めてんのか?お前がそんなんだから、そこの金髪が口を出して余計な事になるんだ」
清四郎の頬を引っ張っていると、
「ちょっとアンタ、いきなり出て来て何してんのよ!?」
アリサが、俺と清四郎を引き剥がす。
「大丈夫、清四郎?」
「だ、大丈夫……」
キッと俺を睨みアリサ。おまけに心配そうに清四郎に駆け寄る二人も批難する様な眼で俺を見る。
おいおい、俺が悪者かよ。
「誰もアンタに助けて欲しいなんて言ってないでしょう。なのに、勝手に出てきて勝手に話進めて……しかも、清四郎にあんな事して、何様よ!!」
「俺様」
「ふざけないで!!」
別にふざけてないんだが、どうも雲行きがまた悪くなった。アリサの矛先がお姉さんから俺に向けられている。
そんな俺を見かねて助け船を出すのは清四郎。
「アリサちゃん。悪いのは僕なんだ……銀ちゃんは悪くないよ」
「アンタの何処が悪いのよ。アンタは全然悪くないわよ。悪いのはあの女とアンタよ!!」
「とうとう俺も悪者決定かよ?」
確かにいきなり出てきて、名乗りもせずに勝手に事を進めたのは悪かったと思う。でも、俺はこんなに批難される様な事しただろうか――――いや、してない気がする。
「あのな、お嬢ちゃん……俺も初対面のお前にいきなり悪者扱いされれば怒るぞ?」
一方的にアリサの事は知っているけど、それは秘密。
「アンタ、悪者じゃない」
いいね、その発想。シンプルで簡単で滑稽だ。
正直、ムカッときた。
フェイトといい、コイツといい、どうして金髪は俺をムカつかせる奴ばっかりなんだろうな。
「――――おい、クソガキ。幾らお前が清四郎のダチでも限度があるぞ。俺はガキに怒る気はないけど、絶対じゃない……」
生意気なガキが殴る。男だろうが女だろうが関係無しにだ。
「やってみなさいよ」
なのに、コイツは挑戦的な言葉を吐き出す。
正直、挑戦的に出られると俺も困る。
少し脅せば恐がると思ったのだが、それが逆効果だったらしい。
アリサは今にも俺に飛び掛かりそうな勢いで俺を見る。
さて、どうしようか……相手は清四郎の友達らしいから、本気で手を出すわけにもいかんしな……
俺が迷っていると、アリサに守られていた清四郎が俺達の間に入る。
「駄目だよ、アリサちゃん。銀ちゃんだって本気で怒るって言ってるわけじゃないんだよ」
「でも……」
「銀ちゃん、そうだよね?」
「――――はぁ、お前な……その言い方だと俺が本当に悪いみたいに聞こえるぞ」
「被害妄想じゃないかな」
「断じて違うと俺は言うね。けど、お前の言う通りだろうな……悪かったな、お嬢ちゃん。ちょっと調子に乗りすぎた」
そう言って俺は頭を下げる。
頭を下げた俺にアリサは怒りのぶつけ所を失ったのか、小さく唸っている。
「それじゃ、この話はここでお終いだね」
「だな。そんじゃ、俺にソイツ等の紹介してくれねぇか?何時までもお嬢ちゃんって言うのも嫌だし」
「うん、分かった」
そう言って清四郎は三人を紹介する。
「まずは、アリサちゃん」
「――――アリサ・バニングスよ」
未だ怒りが消えないのか、喧嘩腰で俺を見る。
「燃えそうな名前だな」
「それ……清四郎にも言われた」
だろうね。
「悪かったな、アリサ」
「…………いいわよ、もう。私も悪かったし」
おや、意外とすんなり謝られたな。てっきり、お前は嫌いだ的な事を言われると思ってた。
「次に、すずかちゃん」
「つ、月村……すずか、です」
「よろしく」
めっちゃ恐がってるんですけど。
猛獣を見るかの様な目で見てるですけど。
若干涙目で見られて可愛いなぁと思いながらも、心はズキズキ痛いんですけど。
「あの……そんなに恐がられると俺も困るんだが」
「ごめんなさい!!」
「いや、そんな頭を下げられても困るんだが」
「本当にごめんなさい!!」
「だからさ、怒ってないから……」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!」
「――――清四郎。この子、ワザとやってる?ワザと俺の心を傷つけてる?」
「あははは、こういう子なんだよ」
なんとなく分かった。
この子は絶対に俺とは合わないだろう―――だから、謝るなっての!!
すずかとの関係はしばらくこんな感じになるのだが――――問題は次だ。
「最後に、なのはちゃん」
「…………」
「…………」
「なのはちゃん?」
俺とその子は無言で見つめ合う。
俺は冷や汗ダラダラ、その子は引き攣った顔。
そんな俺達を皆が不思議そうに見る。
「―――――え、え~と……」
「―――――あ、あの……」
凄く気まずい。
それもそのはず、俺とこの子は初対面ではない。俺にとっては小一の頃に何度も見ていたが、この子の場合は前回のあの出会い。
邂逅一回目にして、変態と認識されている俺。
素っ裸でフルチン全開な俺の印象が強く残っているのだろう、この子は俺を見たまま固まっている。大方、俺の事を知ってはいるが、その正体が変態だという事を言えずにいるのだろう。
第一印象は大事だな、俺はこの時その事を悟った。
仕方が無い。
俺は第一声。
「は、初めまして!!」
証拠隠滅というか、事実を有耶無耶にする。
私とアナタは初対面です―――その事を前面に押し出す。
「は、ははは、初めまして!!」
その子も俺の考えを悟ったのか、俺と同じ言葉を口にする。
当然、俺とその子の反応を不審に思う者は沢山いるだろう。だが、そんな疑問を投げかけられる前に、
「高町なのはです!!」
「武本銀二です!!」
「初めましてですよね!!」
「そうですね、初めましてですね!!」
「私達、何処でも会ってませんよね!?」
「はい、俺達はこれが初対面です!!」
「き、奇遇ですね!!」
おい、それはダウトだ!!
「あははは、高町さん!!俺達は初対面なのに奇遇っていう言葉は間違ってますよ!!」
「そ、そそそそそですね!!なのはは国語が苦手ですから!!」
「俺も国語は嫌いです!!日本語なんぞ滅べば良いと思います!!」
「私も同感です!!日本語なんて滅ぶべきですね!!」
後に、この時の事をなのはに尋ねると、清四郎の友達である俺が変態だなんて口が裂けても言えなかったし、変態だとバラしたらどんな目に合わせられるか分からないという恐怖があったらしい。
「あははははははははははははははは!!」
「あははははははははははははははは!!」
俺と高町なのはのファーストコンタクト。本当は二回目なのだが、幻の一回目など存在しない。それが俺となのは、初めて言葉を交わした俺達の中に生まれた唯一の真実。
そう、真実は何時だって一つだ。
最初の一回など両者が存在しないと言えば、それが真実なのだ。
とりあえず、そんな事を考えながら笑い合う俺達に、
「アンタ等、五月蠅い」
アリサの拳骨が飛んできた。





「――――へぇ、そんな出会いだったんですね……というか、銀。アナタは子供の時から変わらないのね」
茶を啜りながら、失礼な感想を言うギンガに俺は苦笑しか出来ない。
「とりあえず、銀とフェイトさんの仲が悪い理由がわかりました……」
「それだけじゃないんだけどな……」
「まさか、他にも粗相を働いたんじゃないでしょうね?」
お仕事モードになりそうなギンガから目を逸らし、立ち上がる。
「ちょっと話すぎたな。そろそろ晩飯の時間だ」
「ちょっと、誤魔化さないで。何をしたんですか?というかしたんですね?しましたね?しちゃったんですね!?」
「五月蠅い。そこまでお前に言う義理はない。それより、晩飯作るのを手伝え。親父は町内会の集まりでいないから、今日は俺とお前だけで飯を作らなくちゃいけないんだよ」
これ以上追及されるのは困る。
俺としてもフェイトにしてもだ。
幾ら親しい間柄だとしても、言えないものは言えない。
俺とフェイトが清四郎達に秘密にしている共有の秘め事。
そして、それは限られた者だけが知る真実。
だから知られてはいけない。
そう、あの事件は―――『闇の書事件』は調書と同じ内容で終わっている、そういう終わりでなければいけない。


古本娘が消えた後には、何もなかった―――そういう風にしなければいけない。


「あ、それならお世話になってる御恩もありますし、私一人で作りますよ」
「それは駄目。一応は客人のお前にこれ以上働かせられるかっての……お前は居間で茶でも飲んでろ」
しかし、ギンガはそれを良しとはせずに無理矢理台所に押し入る。
結局、俺とギンガは二人で晩飯を作る事になった。
「肉料理にしよう。野菜はいらん」
「駄目です。ちゃんと野菜も入れます。大体、銀は野菜を食べなさすぎです。太りますよ?」
「大丈夫。俺って太り難い体質だから」
そう言った瞬間、俺の頬のすぐ横を包丁が通り過ぎた。
「今、なんて言いました?」
眼が戦闘機人モードになってました。
「いや、野菜は必要ですよねって言ったんだ。うん、野菜は必要だな。ニンジンとか超好きだし、ピーマンなんか生でもイケるぜ!!」
「私は今、全世界の女性を敵に回すような発言が聞こえた気がしたで……そうですよね、太り難い体質な人など、居るはずもないですよね」
「いや、居るとは思うけど――――うぉうッ!?」
今度はニンジンが飛んできた。凄いな、ニンジンって壁に突き刺さるんだ……
「そんな人間はいません。いいですか、そんな人間は―――――い・な・い・ん・で・す」
「おう、いない。そんな怪物はどんな世界にもいない!!」
だから殺さないで、マジで。
結局、その日の献立はピーマンの肉詰めになった。
ギンガの料理を初めて食べたが、意外と美味かった。てっきり、黒焦げの料理が出てくると思っていたが、気のせいだったらしい。
「―――――あ、そう言えば」
「なんだ?」
ご飯を盛りながら(八杯目)、ギンガは思い出した様に言った。
「話の中に出て来た……すずかさん、でしたっけ?」
「すずかがどうかしたのか?」
「確か、月村っていいましたよね……」
「そうだけど――――あぁ、そういう事ね」
ギンガが聞きたい事が何か、すぐに察しがついた。
「違うよ、全然違う。確かにアイツもツキムラだけど、すずかとは何の関係も無いよ。俺も一回気になって聞いてみたんだけど、知らないってさ」
「そうなんですか?てっきり、私達と同じように先祖がこっちの世界の住人だったのかと思ったんですけど」
そうか、ギンガの先祖はこっちの住人だったんだっけ。前にスバルから聞いた事がある。ギンガはアイツの事を勘違いしそうになるのも仕方が無い。なにせ、あっちの世界であんな名字なんて珍しい。
「あの子……アイビスでしたっけ?」
「そう、アイビス・ツキムラ。俺の訓練校の同期だ」
「一度しか会った事ないんだけど、元気にしてるのかしら?」
「元気にしてるんじゃね?それに、俺に聞くよりもアイツの事はティアナに聞いた方が良いだろ」
正確に言えば、アイツ等だがな。
「そう言えば、前にティアナが言ってたわ。せっかく購入したマンションをアナタの同期に占領されてるって」
苦笑するギンガだが、俺としては別の事に驚く。
「え、アイツ等住まい見つけてんの?しかもティアナのマンション!?」
アイツ等、あんな良い所に住みやがって。俺だって月一でしか入れてくれない場所なのに―――今度あったらシメる。
「けどよ、ティアナもティアナだよな。フェイトの補佐で色々飛び回ってる癖に、なんでマンションとか買う訳?無駄じゃんねぇかよ」
「それもアナタの同期のせいよ。あの人達、放っておくとまた犯罪者になりそうだし……知ってる?JS事件の時に捕まった人の中に、お仲間が何人いたのか」
「確か、卒業生の内の半分だっけ?」
「いいえ、殆どです……まぁ、大半は事件の解決に手伝ったって事で刑は軽くなってますけどね―――ねぇ、銀。あの人達って本当に元管理局員なの?私としては、疑問を感じ得ないんですけど……」
ギンガの言い分ももっともだ。
という、俺から言わしてみれば、どうしてアイツ等が俺と同じ様に訓練校にいたのかが疑問だ。どう見ても管理局に入って正義の味方やりたいって連中じゃないぞ、アイツ等は。
「けどよ、その中でも比較的マトモなのが俺達だしなぁ」
「銀。アナタは自分の事をマトモだと本気で想ってるの?」
「泣くぞ。けど、実際はマトモだろ?俺の同期の中で管理局に残ってるのって俺を含めると六人だけだぞ」
残りは全員が刑務所暮らしだしね。
「はぁ、その六人の中でマトモなのがアナタというのも、皮肉よね……ティアナの部屋にいる人達とアナタ、その六人だけか」
お前が頭を抱えてどうする。
むしろ俺が頭を抱えたい。
アイツ等が何か問題を起こす度に俺にも被害が来るんだ。しかも、アイツ等がティアナの部屋を占領してるから、俺がティアナに借りを作る事になる。どうして俺がアイツ等のケツまで拭かねばならんのだ!?
「でも、そんなあの人達をティアナも結構気に入ってるみたいね。知ってる?フェイトさんの仕事の手伝いとして、ティアナはあの人達を起用してるのよ」
「アイツ等を?」
「えぇ。海の方ではあの人達の事を『ランスターの私兵』とか噂されているみたい。管理局で居場所が無い人達をティアナが自発的に使ってるって事で色々言われているみたいだけど、フェイトさんもあの人達の事はかなり信用してるみたい」
アナタと違ってね、と余計な一言を付け加えてギンガは微笑む。
「ですから、銀……後で続きを聞かせてくださいね」
「あん?さっきの話の続きかよ?俺とフェイトの話を聞きたいなら、あれで十分だろ」
ギンガは首を振る。
「問題児集団の中の頭であるアナタの昔を聞きたいのよ。アナタがどんな捻くれた少年時代を過ごしたかで、今後の捜査に役立てます。ですからあの後の事も、沢山聞きたいんですよ……いいですよね?」
その聞き方だと、俺が嫌だと言っても絶対に聞きだすつもりだろう。
「――――暇があったらな」
「はい、お願いします」
まぁ、たまには昔を思い出すのもいいだろう。
それがどんな過去であれ、語りたくない過去であれだ。
だから俺は今の内に考えておく事にした。
伝えても構わない事。
絶対に誰にも言ってはいけない事を。
そして、俺はまた語りだすだろう。


あの事件の『語っても良い部分』の話を――――














これは主人公の物話ではない。
これは魔法少女の物語でもない。
これは親友の物語でもない。



これは、大切な者を愛し続けた男の物語。



銀二と清四郎、二人の再会から数時間後。
武本鉄心は一人で森の中を歩いていた。温泉に行ってくると言って出て行った銀二は一向に帰ってこない。晩飯の用意は既に終わっているし、その片付けも終わっている。
「まったく、あのバカ息子は何処をほっつき歩いているんだ?」
迷う、なんて事はないだろう。幾ら山奥といっても所詮は樹海ですらない此処で迷う事はあり得ない。大方、宿の方で何かしらの騒ぎを起こしているに違いない。そう想った鉄心は月夜が照らす森の中を歩く。
『主も大概心配症だな』
「五月蠅いぞ、電助」
一人で歩いているわけではない。彼の傍には彼が長年持ち続けたデバイスがある。昔は感情の突起の薄いデバイスだったが、今はこれだけ感情が豊かになった。
それもこれも、銀二のおかげだろうと鉄心は想っている。
『恥ずかしがる事もあるまい。主は御子息の事を心底愛している、それを誤魔化す理由など……』
「まったく、このポンコツは何時の間にそんな戯言を……」
『御子息のおかげだ。自分の事をこう言うのは恥ずかしいが、某を作りだしたのは主だが、某を育てたのは御子息だ』
「だろうな――――なぁ、タケミカヅチ」
『なんだ、主よ』
脚を止め、空を見上げる。
満天の星空に輝く月。
「お前はいずれ、俺ではなく銀二のデバイスとなるだろう。その時が何時かは知らないが、その時が来たのなら―――俺の息子を頼むぞ」
少しだけ、過去を思い出しそうになる。
「アイツは俺に似て馬鹿だが、俺とは同じ道を歩む事は無い。俺の様に、大事な者を手放す事が誰かの幸せになると考える様な馬鹿ではない」
後悔している。
自身の選択に後悔している。
以前、鉄心が銀二に後悔するなと言ったのは、アレは自分に出来なかった事を息子に押し付けたにすぎない―――少なくとも鉄心はそう想っていた。
『主……某は主の過去を何も知らない。主もソレを教えてはくれない。故に某にとって主とは、某が生まれた瞬間にいた汝だけだ』
電助は静かに言う。
『某は、それに後悔はない。主が何も語らぬのなら、それで十分だ。某の見てきた時間の全てが、某の全てだ―――だから、主よ』
自身の主、一人の父親に、
『過去を悔やむ事は、もう止めてくれ。それでは、御子息が可哀そうだ』
「…………そうだな。そうかもしれんな」
過去は傷でしかない。
だが、今は傷ではない。
銀二を育てようとしたのは、彼の親友である人物に負けたくないという想いからだった。昔の自分が恋焦がれた者を妻とし、幸せな家庭を作った親友に負けたくないという想い。そして、その裏に罪滅ぼしという言葉があった。
大事な者を守れず、残った者ですら守れず、その全てを捨ててこの世界に戻ってきた―――否、逃げ帰って来た。
それからはずっと自分は空っぽだった。
何をしても満たされない。誰を愛そうとしても愛せない。そして、寺の住職となった時に初めて任された葬式で、彼は気を失いそうになる程の発作に襲われた。
人の死を悲しむ人々の顔。そこにあったのは彼がかつて見た誰かの顔に似ていた。
遺族は彼には何の接点も無い他人だった。だが、彼は葬式の後に泣いた。遺族の為ではない、死んでいった者の為ではない、己の為に泣いた。
それからずっと、彼は葬式の後に一人で泣いていた。
もう止めればいい、住職など辞めればいい、何度もそう想った。だが、彼はそれを辞める事が出来なかった。
まるで、それが自身の罪を償う様に。
他人の死を、見ず知らずの誰かの死を利用して、彼は自身の罪を償う咎人。
そんなある日、彼は出会った。
寺に捨てられた一人の赤子。
最初は、すぐに警察に届けようとした。
自分にこの子を育てる事など出来るはずが無い。そして、他人に構っている余裕は自分には無い。そう割り切った彼はその足で近くにあった交番に向かった――――しかし、彼はそうはしなかった。
高町士郎、その存在がいたからだ。
負けたくない、そんな小さなプライド。
罪滅ぼし、そんな小さな咎。
「最初は、それだけだったんだがな……」
ハゲた頭を掻きながら、苦笑する。
『今でも思い出せるぞ。主が御子息に翻弄される姿をな』
「速攻で削除しろ、そんな記録」
正直、自信はなかった。自分の中でもある程度頑張れば他の誰か、士郎にでも放り投げてもいいかもしれない、そう想っていた。
それでも、頑張った。
銀二にミルクをあげる時も、銀二のオシメを変える時も、銀二をあやす時も、彼は一心不乱に頑張った。
銀二が熱を出した時、海鳴の街を裸足で走った時もあった。
銀二が初めて立った時に、写真にとって士郎に見せびらかしもした。
銀二に清四郎という友達が出来たと知った時、一緒に笑った時もあった。
そして、清四郎の妹が消えた時―――――彼は、ずっと銀二の傍にいた。
「俺は、父親を名乗る資格なんて無いと思っていた……」
『主は誰よりも父親だ。某が証明する』
「俺が、娘を見殺しにしたとしてもか?」
冷たい風が吹く。
微かな沈黙。しかし、人では無い機械は紡ぐ。
『それでもだ。それでもだ、武本鉄心。汝がどれだけの罪を犯していたとしても、某の記録にある汝は―――父親だ』
「大層な口をきくようになったな」
『御子息と主のおかげだ』
電助の言葉に、鉄心は複雑な想いにかられる。だが、すぐにそれを素直に受け取る事にした。
自分は娘を守れなかった。
自分は愛する妻を支えられなかった。
その償いとして、銀二を育てたと言っても過言はないのかもしれない。しかし、それでも息子を愛しているという事だけは、自信をもって言える。
罪滅ぼしが、次第と当然の行いの様に想えた。罪滅ぼしとしてではなく、一人の父親として当然の行為。
苦労も苦労と思わない。
そう、自分は父親なのだから。
こんな父親を、娘は許してくれるだろうか?
こんな夫を、妻は許してくれるだろうか?
そして、こんな事を考える父親を銀二は父と認めてくれるだろうか?
「なぁ、俺は……許されるだろうか?」
『それは某が考える事ではない。主が答を出さねばならぬ事だ――――ただ、その時が来たのなら、某と御子息にも相談しろ』
人の心を持たぬ機械が、



『――――家族は、助け合って生きるものだろう?』



人の如く、生意気な事を言った。
また、鉄心は苦笑する。
本当に人間臭く育ったものだ、このデバイスは。
こんなデバイスが、鉄心以上に鉄心を理解し、鉄心以上に息子を理解しているのかもしれない。だから、銀二が急に強くなりたいと言った時、鉄心よりも電助が喜んでいたのかもしれない。
無論、鉄心も喜んでいた。
以前から自分の技術を教えていた息子が、自分から言ってきたのだ。ずっと面倒そうに鍛錬を続け、嫌になったら逃げだしていた息子が、自分の口から強くしてくれと頼んできた。
自分の息子が強くなりたい、その為に父親の力が必要だ―――そう言われて喜ばない父などいない。
鉄心にとって銀二と電助は息子。電助にとって銀二と鉄心は父親。
二人と一機は、そういう形の家族なのだろう。
全員が似た者同士の、家族。
「…………」
こんな家族が、俺にいる。
こんな家族がいるから、俺はまだ生きている。
だから、少しだけ自分も前に進むべきなのかもしれない。
この時、鉄心は心の中で一つの決意を抱いていた。
『さて、そろそろ本気で御子息を探しに行くとしよう。早く探さねば、明日に響く』
「だな。にしてもアイツは本当に何処に行ったんだ?」
誰にも言わず、自分の過去に決着をつける決意。
いい歳の大人が決心するには遅すぎる、大切な決意。
鉄心は星空を見上げながら、微笑む。
いつの日か、この家族を妻に見せに行こう。
いつの日か、この家族と共に妻と暮らそう。
いつの日か、あの頃と同じ家族になろう。
妻は自分を許さないかもしれない。でも、彼はそうすると決めた。
妻には新しい家族がいるかもしれない。ならば、彼はそれを辞めようと決めた。それでも、過去にだけは決着をつけよう――――それが、武本鉄心の決意。
だが、その日は彼を待ってはくれない。

その日は、そのいつかは、すぐ傍に来ていた。

『主、誰かいるぞ』
「ん、こんな山奥にか?」
銀二の奴が戻ってきたのかと思ったが、そうではなかった。
鉄心の視線は森の中に行き、一本の木に固定された。それほど大きい木ではないが、枝は太い。その枝になら、子供一人なら余裕で乗れるだろう。
現に、其処には一人の少女がいた。
「―――――――」
その少女を見た瞬間、鉄心の呼吸は止まる。
少女は月を見上げていた。
憂いを秘めた赤い瞳で、その金色の髪を月に照らされ、一人―――其処にいた。
時間が止まった様な気がした。
動き出す時間が、過去に逆戻りする様な気がした。
少女が鉄心に気づいた。
『あの娘……この間の』
電助の声は届かない。
鉄心に聞こえる声は、
「…………誰?」
少女の声だけ。
月の光が踊る様に、森の精が囁くように、少女の声は鉄心の鼓膜を刺激する。
不審な眼を向ける少女に、鉄心は小さく呟く。
過去がフラッシュバックし、現在がモノクロに染まる。
少女に聞こえない声で、電助だけが聞こえる声で、鉄心自身が無意識の内に呟いた声が、静かに森の中に響いていく。



「―――――――アリシア……」



武本鉄心、彼の愛した―――娘の名が、静かに響く。








あとがき
ども、ギャグは少なめが丁度いい、散雨です。
前回は色々と酷い回だったので、今後はギャグは少なめで行きます。というか、ギャグを書くセンスもないのに、多目な回なんて駄目だよね~
さて、本編(過去)を書いている内に何となく銀二の訓練校の同期達を書きたくなった次第です。ですので、外伝的な感じで書く可能性があります。あくまで外伝、間話的な感じです。
というわけで、次回「親友とリベンジの法則」で行きます。次回はフェイトの再戦です、多分。
そして、こっちが先になるかも知れない外伝「流星と親友の同期とティアナの法則」です。
外伝でオリキャラ(他作品より設定パクリ)なヒロイン登場です。



PS、鉄人28号FXがカッコいい。子供の頃に良く見てたよ、コレ。



[19403] 外伝ヶ壱「流星と夢追い人と出会いの法則」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/07/01 00:21
空を飛べない奴は、空から地面を見下ろす奴の気持ちなど知らない。
空を飛べる奴は、空から地面を見上げる奴の気持ちなど知らない。
俺は前者だ。
空を飛ぶ、鳥の様に自由に空を飛びまわる奴の気持ちなどこれっぽっちもわからない。ガキの頃から訓練しても適正が無いってだけ、そんな簡単な言葉一つであっさりと切り捨てられる。
空を見上げて、青空という海を自由に泳ぎ続ける奴を見上げながら、俺は地面に這い蹲り続ける。
一度だけ、俺は知り合いにこんな事を聞いたことがある。
ソイツは空を飛ぶ事が大好きな奴だった。戦いが苦手で、戦う術に必要な材料が足りないソイツは、空を飛ぶ為だけに生きている様な奴だった。
「なぁ、空を飛ぶってどういう気分なんだ?」
俺が尋ねると、ソイツは何時もの様にアウアウ言いながら慌て、何とか捻りだした言葉を俺に向ける。自分の言っている事が間違いでないか、自分の言葉が俺を傷つけないか、そんなどうでもいい事を真剣に悩みながら、
「――――地面より、落ち着く……かな?」
「落ち着く?」
「うん……空を飛んでるとね、鎖が切れたみたいなんだ。自分が本当は空でしか生きれない生物なんだって疑いそうになって、地面にいる時は凄く不安になる……でも、それが空に上がるとそうじゃない。魚みたいに、空が私にとっての海なんだって―――――わかり、難いかな?」
「いいや。お前が空の事を十分好きだって事だけは理解できたからな……お前らしいよ」
俺が言うと、ソイツは頬を赤く染める。
誉められた事が嬉しい、子供の様にだ。
空を飛べるからこそ、そこでしか生きられない。
空を飛ぶ事だけに特化した魔導師だからこそ、そこでしか意味を得られない。
だから、空こそが自分の唯一の生き場所。
そんなソイツに俺は少しだけ寂しさを覚える。
きっと、そんな想いが顔に出ていたのだろう、慌てて手をバタバタと振りながら、
「で、でででもね!!私は地上も好きだよ……空は私の生きる場所って感じだけど、地上は私の帰るべき場所なんだって……シャルロットがいて、ミシェルとミシェールもいて、麗二も銀二もいる……此処が、私の帰るべき場所なんだよ」
だから、とソイツは俺に微笑みかける。
「銀二が空に行きたい時は、私に言って。私が銀二を空に連れていくから……」
「わかった。そん時がきたら、頼む事にする」
「約束だよ?―――――私以外に、頼んじゃ駄目だからね」
何故か、普段は我儘も言わないソイツはそんな事を言った。
「高町さんとかには、絶対に頼んじゃ駄目だからね?」
「何でそこでなのはの名前が出てくんだよ」
「…………私、あの人の事が好きじゃない」
少しだけ、どんな顔をすればいいか分からなかった。
「あの人は……戦う空では凄い人だと思う。でも、私は戦う空は好きじゃない。あの人がいる空は―――いつだって静かじゃない。あの人は空を、戦場にしかしない」
そんな事は無い―――とは言えない。
それは仕方が無い事だ。
空のエース、そう呼ばれた高町なのは。そのエースという言葉はソイツにとって酷く嫌な言葉になるのだろう。空は自由な世界なのに、空はとても気持ちの良い場所なのに、そこにエースなどいう無粋な言葉は加われば、戦場と二文字が付いてくる。
「空を戦場にする人は、嫌い」
それじゃ、なんでお前は此処にいるんだと言いたいが―――それは無粋だ。
「銀二……お願いだから、あの人に空に連れて行ってもらわないで。銀二には、空を嫌いになって欲しくない」
懇願されているようだった。
俺はどう言っていいか分からず、頭を掻く。
「――――――わかったよ。俺が空に行く時は、お前にしか頼まない」
ようやく絞りだしたのは、そんな言葉だけ。
それだけでソイツは嬉しそうに笑う。
それだけで、ソイツは何処か救われた様だった。
「うん、約束だよ」
ソイツはそうやって笑っている姿が綺麗だった。
同時に、俺の中でも一つだけある答が出来た気がした。
空を見上げる者の想い、空から見下ろす者の想い―――それは、どちらも似たような気持ちだったのかもしれない。
空を見上げるのに飽きたら、人は努力する。何時か空から見下ろす人になりたいと思うから、俺達は努力を積み重ねる。
適正、才能、そんな言葉だけでは片づけてはいけない想い。
一人では無理だから、誰かと一緒に頑張る。
二人でも無理なら、また別の誰かと一緒に頑張る。
そして、それを教えてくれる人がいるなら、その人と一緒に頑張る。
空の飛び方を、空へと見送る誰かの想いを――――



そういう人を、きっと『先生』とか『師匠』とか云うのかもしれない。



だから、俺は許せなかった。
教える者でありながら、師匠と呼ばれるべき者でありながら、俺はアイツの行った事を許せないでいたのかもしれない。
俺が人にモノを教える気持ちを知らない様に、アイツがモノを教えられる者の気持ちを真に理解しない様に、俺とアイツの気持ちは点と点で繋がらない。
俺が正しい自信は無い。アイツが間違ったという自信も無い。
俺にあるのは、たんなる我儘なのかもしれない。
空を見上げる者が空を見下ろす奴の気持ちを真に理解が出来ない様に、才能の無い者を才能がある者が真に理解する事が出来ない様に、あの二人の気持ちは―――ズレていた。
天才と凡人。
俺が、後者に立っていたからこそ、俺はこんな事を言える。
「――――人に戦い方を教える奴は、二通りあると俺は思う。戦い方だけを教える奴と、戦い方とその意味を教える奴だ。どっちが凄いとか、偉いとかは知らないが、お前は後者だと俺は思う……だからこそ、だ」
後悔は、していない。
それが、アイツのしている事がある程度は正しいと知っている。
「お前は、中途半端なんだよ」
けれども、それでも俺は少しだけ―――いや、かなり怒っていたのかもしれない。
「こんな中途半端なら、お前は戦い方だけを教える奴になるべきだった。その奥にある想いやら何やら……それを教える程、お前は完璧じゃない。いや、完璧じゃなくてもその努力をするべきだった」
今にして思えば、俺も馬鹿な事を言ったもんだ。
まるで、アイツが悪者みたいじゃないか。
悪者は俺で、悪いのはアイツじゃない。
「だが、お前はしなかった。その努力を怠った……それで、お前は本当にコイツ等の師匠だって言えるのかよ?」
皆が、俺を見ている。
六課に何の関係も無い他人の俺が、暇つぶしに遊びに来ただけの俺が、こんな戯言を口にしているなんて、お笑い草だろ?
あのエース・オブ・エースに、只の一介の雑魚が大口を叩いている。
お笑い草だ。
けどよ、なのは……
それでも俺は、お前を認める事は出来ないんだよ。
コレは、意味を教える行為じゃない。コレは、単なるお前の独善だ。お前が正しいと『本当に想っている』行為でなくとも、お前はそれを力っていう暴力で形にした。そして、お前はそれを後悔している。
なら、お前を認めない。
お前の教導っていう行為に一本の柱が立っているなら、どうして後悔する?
お前は人にモノを教える立場の人間だとほざくなら、お前は後悔するべきじゃない。
それがブレるような奴が、教官だのほざくんじゃない。
「―――――二度と、口にするな」
気を失った同類を抱え上げ、俺はなのはを睨みつける。
「筋すら通せない奴が、コイツ等の師匠だなんて認めない」
想えば、これが初めてだった気がする。
ガキの頃から今まで、
俺となのはが、

敵対した、初めてだった。



「お前がコイツ等の師匠だなんて――――絶対に言わせねぇ」





















アイビス・ツキムラは人間嫌いである。
彼女自身はそれを否定するかもしれないが、周りの眼から見ればそうとしか思えなかった。仕事の際、デスクワークの時は何時も無愛想で無口。仕事が終わった後にご飯でもどうだと誘っても無言の帰宅。職場での行事にも積極的に参加する事など皆無。
結果、アイビスは人間嫌いだと思われている。
しかし、実際はその逆だった。
仕事の際に無愛想なのは、デスクワークが苦手な自分が気を抜くとヘマをやらかすから。無口なのは仕事に集中しすぎて周りに眼がいっていないから。仕事が終わった後に同僚とのスキンシップが皆無なのは人見知りだから。職場での行事に参加できないのは周りに同調できないから――――つまる所、アイビス・ツキムラは人間嫌いではなく、不器用なのかもしれない。
彼女をよく知る者達から見れば、恥ずかしがり屋程度の認識でしかないのだが、残念な事に彼女の周囲に彼女をよく知る者達がいない。
彼女をよく知る者は、彼女の訓練校の同期以外は存在しないとも言える。それが彼女の両親でさえ、彼女の上司でさえ、彼女の同僚でさえ、彼女をキチンと認識している者はいない。
「…………寂しい」
だから彼女は何時もの様に職場の屋上で小さな弁当箱をつまんでいる。
中身は一緒に住んでいる双子が作った可愛らしい弁当。栄養のバランスがキチンと取れた弁当を寂しそうに食べている姿は何とも物悲しい。
昼休みは何時も一人。それ以外も何時も一人、基本は一人。
「はぁ……寂しい」
彼女の座っているベンチの隣には彼女の膝に置かれた弁当箱とは別に大きな重箱が置かれている。コレは弁当を作った双子が職場の同僚とも一緒に食べれる様に毎回作ってくれるモノなのだが、基本的にこれがアイビス以外の口に入る事はない。
彼女はこの弁当箱を空にした後はこの重箱を一人で平らげるという仕事があるのだが、そのせいで最近の体重の変化が凄い。もっとも、その分きちんと運動しているので問題はないのだが、それはそれであり、これはこれでもある。
こんなに沢山作ってもらってなんだが、出来ればもう少しだけ量を減らしてほしい。というよりは、こんな重箱など寄こして欲しくない―――だが、そんな事など言えない。毎日この空になった重箱を持って帰った時、双子が無表情ながらも嬉しそうにしている空気を感じる度に、心が苦しくなる。
双子の中ではアイビスは職場の同僚と仲に問題は無く、一緒に昼食をとるような間柄であると認識している。
しかし、それは誤解だった。
一人で食べるのが日常。
職場の同僚と一緒に食べる為に作って貰った弁当を一人で食べる日常。
今日も皆が喜んでいたと嘘を言う日常。
そんな自分が嫌になる日常。
だったら努力すればいいのだが、これでも努力はしているつもりな彼女としてはこれ以上の努力は出来ないでいた。
だが、問題は彼女の精神面だけではない。彼女が周りに溶け込めない理由の一番上に来る理由は、
「ツキムラ、少しいいか?」
憂鬱な雰囲気に呑まれそうだった彼女に声をかけたのは同僚の男。屈強な身体つきをした男は武装隊に所属しているAランク魔導師。
そんな魔導師を、
「―――なんだ?」
見ただけで恐怖のどん底に突き落とす眼光。
鋭い眼つきを通り越し、見ただけで人を殺せそうな視線を向けただけで男の身体が凍りつく。
「い、いや、な……お、お前に……」
「?」
「いえ、失礼しました!!アナタ様にお電話が!!」
「私にか?」
「そうです!!」
ちなみに、彼はアイビスの上司でもある。どうして上司がそんな蛇に睨まれたヒキガエルみたいな顔で自分を見ているのだろうかと、首を傾げる。
そう、アイビス・ツキムラが人間嫌いと想われているもっともな理由がコレである。
まず眼つきが悪い。もの凄く悪い。子供は彼女を見ただけで泣きだすわ、動物園に行けば動物が奇声を上げて泡を吹きだすわ、お化け屋敷に入ればアイビスの眼付に驚かせるはずのお化け役のアルバイトが逆に悲鳴を上げる始末。
それだけなら、まだ救いはある。眼つきが悪いなど些細な事で、頑張ればその誤解も解けるだろう。しかし、彼女は先程も言ったように人間関係に不器用。そのせいか、彼女は他人を前にすると極度の緊張に襲われ、声質が低く、そして硬くなる。
「誰からだ?」
こんな一言でさえ、異様なまでの威圧感を醸し出すアイビス。そんな彼女がこの「誰からだ?」の一言を正確に変換すると、甘いボイスになるのだが、此処は現実でそんな事はあり得ない。
「た、たしか……タケモトとかいう人でしたけど……」
「タケモト、だと?」
ギロリ、凄い効果音が出た―――少なくとも、彼にはそんな音が聞こえた。
伝える事を伝えた彼は、さっさとその場から逃げ出す。
「…………あれ?」
ただ聞いただけなのにどうして脱兎の如く逃げだすだろう。そして、どうせなら一緒にこの重箱の中身を片づけて欲しかった。
それは、既に後の祭りであった。


重箱を何とか完食し、ちょっと外に出てくると言って外出したアイビス。自分が外に出ると言った瞬間に周りの人々が安堵の息を洩らしたのは決して聞き逃さなかった。
どうして自分はこんな人間関係が巧く出来ないのだろう、彼女は本気で悩んでいた。別に周りの人々が嫌いなわけではない。ただ緊張してしまうだけ。緊張してしまうからついあんな口調になってしまうだけ。それだけなのに、それが決定的になってしまう。
子供の頃からこうだ。こんな性格のせいで友達は殆ど出来なかったし、成長してもそれは治らない。社会に出てれば少しは変わるかもしれないと想ったが、変わらない。変わらない、治らない、治せない。
努力はしている。
他人の前でもしっかりと話せるように練習もしている。
だが、その成果は一向に陽の目を見る事はない。
自分は、一生このままなのかもしれない。
「…………」
歩きながら空を見る。
都会の空はビルに囲まれた道を歩くせいで、遮蔽物ばかり。その隙間から見える空は何処までも遠い―――そして、ただ空を飛ぶという行為ですら安易ではない。
管理局に所属する魔導師となってから自由に空を飛ぶ事が出来なくなった。
子供の頃は、空は自由な場所だった。
地面にどれだけの悲しみ、しがらみがあったとしても空に逃げ出してしまえば、それも忘れられた。
だが、今は違う。
空を飛ぶのにも許可が必要だった。それが緊急時で無い限り、そして必要性がある限り、安易に空を飛ぶ事は出来ない。
「空、飛びたいな……」
空は自由だ。
空は逃げ場だ。
空には誰もいない。
空には苦しみがない。
空を飛んでいる間、アイビス・ツキムラという人間に鎖は無い。
けれども、こんな事を想っているから自分は一向に成長しないのかもしれないと想う。空を逃げ場所にしているから地を歩く人々を恐れ、空に逃げ出す事しかしなかった自分。
全ては自業自得だ。
でも、駄目だった。
頑張ったのだ。
自分は頑張った。
訓練校の仲間達はもういない。今は自分一人で社会に適合していかなくてはならない。どれだけ恥ずかしくても、アイビス・ツキムラという個人が世界に羽ばたかなくては意味が無い―――そう自分に言い聞かせ、仲間達に宣言し、彼女は世界に飛び立った。
だが、世界は優しくない。
「もう……辞めちゃおっかな」
正直、限界だった。
周りに溶け込めない自分。毎日、自分達の作ったお弁当を持って、アイビスと同僚が一緒に昼食をとっていると想いこんでいる双子。そんな双子に嘘をつき続ける自分。小さな嘘が多く、そして大きくなっていく事が重荷になっていた。
これ以上、耐えられない。
周りに冷血な女だと想われていても、中身は誰かに縋らなければ生きていけない弱い存在。態度で誤解され、口調で誤解され、弱さで誤解される。そして、この誤解が解けた時にきっと自分は周りから見放される。
飛ぶだけしか能のない魔導師。
飛ぶだけしか出来ない魔導師。
飛ぶ事だけが唯一の逃避である魔導師。
誰よりも臆病で、誰よりも弱い魔導師に居場所などない。戦う事が出来ないからデスクワークをさせてもらい、それすらも人一倍時間をかけなければまともに出来ないウスノロ。
地上に繋がれた鳥など、鳥ですらない。
ふと目に入ったのはミッドで売り出されている情報誌。その表紙を飾っているのは空を英雄。彼女とは違い、空を自由に駆け巡る戦える白の魔導師。
高町なのは―――エース・オブ・エース。
その表紙をじっと見つめ、なんとなく中身を開く。そこには数カ月前に出来た部隊、機動六課と呼ばれるドリームチームの事が記載されていた。
読んでいく内に悲しくなった。
こんな風に世間に注目される者達がいるのに、どうして自分はこんなに惨めなのだろうか。
こんな部隊にいる者達はどうしてこんなにも恵まれた存在なのだろうか。
羨ましいわけではない。ただ、少しでも誰かに自分の事を理解してほしいだけ。こんな風に誰からもあっさりと中身を理解してもらえる者達に嫉妬してしまう。それが自分が努力を怠っているだけだと知っているが、納得も出来ない。
他人に理解されない鴉は、白鳥に嫉妬する。

きっと、アイビス・ツキムラは鴉なのだろう。

汚い鴉は、美しい白鳥に嫉妬する。
嫉妬するだけなら、誰かが許してくるだろう―――そう想いながら、乱暴に雑誌を元に戻し、歩き出す。
飛べない鳥、飛べない鴉はその瞬間に決めた。
もう、管理局を辞めよう。
きっと両親は激怒するだろう。
彼女の両親は両方とも優秀な魔導師だ。近く提督に出世するだろうと言われている両親から生まれた自分は鴉でしかない。
別にアイビスは管理局に入りたかったわけではない。両親の様に凄い魔導師になりたかったわけではない。
両親が勝手に決めた自分の道を、何の文句も言わずに無言で歩いているだけに過ぎない。
訓練校だって、本当は入りたくなかった。
管理局にだって、本当は入りたくなかった。
でも、両親の強い願いを拒否する事は出来なかった。
自分は、鴉なのだから。
鴉は両親の作った食事を貪るだけの害。両親の作り上げて来た道筋をゴミで汚すだけの害。
両親の期待の全てを台無しにする愚かな害鳥は、何一つ恩返しもできないまま、両親に唾を吐く。
誰かに縋りながら生きてきた自分は、両親に見捨てられたらどうなるのだろう。一緒に住んでいる双子にどんな顔をされるだろう。もしかしたら、双子との縁も其処で切れるかもしれない。
いや、きっとあの双子はこんな自分でも受け入れてくれる。だが、それに甘える事でいいのだろうか――――汚れた鴉のまま、生きていていいのだろうか。
嫌な想像に飲まれながら、周囲にすら気を向けれないまま、アイビスは歩き続ける。
目的の場所へ、呼び出された場所へ、陰鬱な顔をしたまま向かっていく。




アイビスが呼び出されたのは、とある公園。
人気があまりない公園は伽藍としている。昼間は常にこんな感じだが、夜になるとカップルやら客引きやら、そういう行為を目的とする人々が集まりだす。それはこの辺りに住む者達全員が知っている事実の為か、あまりこの公園を使用する者は少ない。
当然だろうとアイビスは想う。
どれだけ遊具が揃っていようとも、子を持つ親がそんな如何わしい行為が常日頃から行われている場所に子供を連れてくるだろうか―――あり得ないだろう。
故にこの公園は昼だというのに人がいない。いるのは、ベンチに腰掛けながら煙草を吸っている男一人。
彼が、アイビスを呼び出した張本人だった。
「おう、アイビス。おひさ~」
そう言ったのは武本銀二。
アイビスの訓練校時代の同期。
確か、最近になって地上の部隊に配属されたと聞いたのが、何故か彼は私服。今日は仕事が休みなのだろうかと思ったが、どうも違うらしい。
「なんで私服なの?」
同僚には一度も聞かせた事の無い柔らかな声で尋ねた。
「制服だと目立つだろ。だから、私服……にしても、やっぱり六課の制服ってダサいよな。お前の制服を見てつくづくそう思う」
遠まわしに似合ってる、そう言われているような気がしたアイビスは微かに頬を赤く染める。
「え、えっと……似合ってるって事かな?」
「まぁ、そういうこった……悪いな、急に呼び出して」
「ううん。銀二が呼んだら私は何時でも来るよ」
「そうだったな……でも、本当に大丈夫だったか?お前ん所って最近なんかでっかい仕事を受け持ってるとか聞いたんだが」
銀二の言う通り、確かにアイビスのいる部隊はそれなりの案件を受け持っている。
その仕事の主なる部分は、最近ミッドに裏ルートから入ってくる妙な輸入品。犯罪シンジケートとの関係もあれば、ある執務官が追っている犯罪者にも関係があるという話だった。しかし、肝心の中身は未だに不明、まずマトモな物ではないらしい。
「でも、私には関係ない事だよ」
「なんで?」
「私……もうすぐ辞めるから」
決めたのは今さっきだが、すんなりと口に出来た。多分、その相手が銀二である事が重要であり、両親にも上司にもこんなにすんなりと口には出来ないだろう。
「――――――まぁ、お前の問題だし、俺が口だして良い事じゃないと思うけどよ……いいのか、それで?親御さんだって反対するだろ」
「反対するとは想うよ。でも、私だってそれなりに考えがあっての事だから……」
嘘をついた。単に人間関係が巧くいかないというだけの理由。その原因は自分にあり、そんな自分が周りに迷惑をかけているからだろう。
「遅いくらいだよ……」
「そうか……なら、別にいいんだがな」
あっさりな返答に、アイビスは少しだけ残念がった。
もしかしたら、自分は彼に止めて欲しかったのかもしれない。
「なら、丁度いいかも」
「丁度いいって……何が?」
銀二は何故かニヤリと笑い、歩き出す。その先には黒いワンボックスカー。
銀二が出身の世界から持ってきた愛車であり、何度かこの車に乗せてもらった事もあるし、仲間と一緒に遊びに出かけた事もある。
その馴染み深い車の後部座席のドアが開いた。



簀巻きにされた少女がいた。



「…………」
「―――――!!」
簀巻きにされた茜髪の少女と眼が合った。
「…………」
「―――――!!」
何やら助けを求めているツインテールの少女と眼が合った。
「…………」
「―――――!!」
若干涙目になりながら、助けを求めている茶色い制服の少女と眼が完全に合った。
「…………ぎ、銀二?」
「わかってる。この状況でお前が俺に何を言いたいのか、それははっきりと分かる。だが、今は何も言うな」
「でも、ね……この人」
「だから、言うな。これには山よりも海よりも深い事情があるんだ」
その事情は少女を縄でグルグルに縛って、それから鎖で何重にも縛って、それからバインド縛って、猿轡をかます状態にしても、相手を納得させられる事情なのかとアイビスは疑問に想う。
「――――銀二……私は銀二の味方だけど、これはちょっと」
かなり引き気味にアイビスは銀二を見る。そんなアイビスに見られた銀二は苦笑しながらドアを閉める。当然、車の中からドアを蹴りつける音がするのだが、
「いいか、アイビス。この音はラップ現象だ。この車は呪われているから、こういう現象がしょっちゅうある。いいか、これは決して中で俺の拉致った女が暴れている音じゃない」
「拉致って言っちゃった!?」
「――――訂正。拉致じゃない…………………監禁だな」
『主、それはどっちも犯罪だ』
突然、別の声が聞こえた。
「電ちゃん?」
『電ちゃんではない。某はタケミカヅチだ』
タケミカヅチ―――通称、電助と呼ばれるデバイスは銀二の首から下がりながら、毎度の会話を繰り広げる。
『久しいな、アイビス殿』
「うん、久しぶり……で、これはどういう状況なのかな?」
『それには山よりも海よりも深くない事情があってな……というか、水溜りよりも浅い事情がある』
主とまったく別の事を言いながら、電助の器である黒い宝石は鈍く光る。
「おい、電助。余計な事を言うな。それと、深いんだよ、この事情は」
『ふん、これの何処が深い事情だと言うのだ?』
「深いだろ」
『いいや、浅い。これはギンガ殿に報告して汝が殴られる程の浅さだ』
「お前さ。アイツに殴られた事あんの?アイツの拳に殴られるとマジで痛いんだぞ」
『汝の事情など知った事か……それで、どうするのだ?彼女をあのまま縛ったまま逃走するのも骨が折れるだろう』
「逃走なんぞするか。そもそも、この事は清四郎も知ってるし、拉致って二時間経っても追手がいない事を考えるに、向こうも承知の事だ」
『――――そうか。某には先程からひっきりなしに叩きこまれている清四郎殿の悲痛な叫びを無視するのが大変なのだが……これは気のせいなのか?』
「あぁ、気のせいだ。これは決して今にも俺を撲殺しようと飛び出そうとしているフェイトを止めているとか、アイツを心配しているスバルに泣きつかれてるとか、自己嫌悪でネガティブになっているなのはを励ましてるとか、そういう状況を一人で対処している清四郎の叫びではない」
どういう状況かは分からないが、とりあえず清四郎という人が苦労しているという事だけは理解したアイビスは、ラップ現象を起こしている車を凝視する。
「ねぇ、銀二……」
「事情は後で話す」
「でも、流石に私でもわかるよ?これって犯罪だよね?凄い犯罪だよね?」
幾ら仲間とは言え、犯罪に手を出すとは思わなかった。しかも、この流れでいけば自分も同じ状況に巻き込まれるのではないか、そんな不安がアイビスを襲う。
そんな激しい不安に襲われるアイビスの耳に、別の声が届く。
「――――何してるの?」
その声はアイビスの頭上から聞こえる。
「おう、来たか」

銀二の前に山の如く大きな巨体をしたスキンヘッドの大男がいた。

恐らくは身長が二メートルに近いであろう大男は太い手を銀二に差し出す。
「久しぶりだね、銀二」
「お前は相変わらずデカイな、シャルロット」
銀二も手を差し出し、握手する。
男の名は、シャルロット・スマート。
アイビスにとって、銀二と同じ訓練校の同期である。
「またデカくなってないか、お前?」
「成長期だからね」
「まだ伸びんのかよ……」
映画の悪役大男の様な風貌をしているシャルロットだが、その中身はまだ十五歳の青年である。見た目がゴツイせいか大概の人は信じないのだが、これは事実だ。
性格は穏やかで温厚な性格なのだが、見た目はかなり恐いせいで全てが台無し。アイビスが眼つきの悪さで周りを恐怖に陥れる様に、彼はその巨体で周りを恐怖させる。しかし、性格は本当に優しい青年。子供や小動物を愛し、愛読書は童話。最近は銀二の世界にあるシンデレラという話に夢中らしい。
ちなみに、将来の夢はおとぎの国に住む事。
そんなシャルロットに銀二は『メルヘンジャンキー』と云うあだ名を送っていた。
ある意味、的を得ているとアイビスは想っている。
「アイビスさんも久しぶりだね」
「うん、久しぶり。元気だった?」
「僕は元気だよ。でも、仕事の方は少しキツイかな……最近、僕の担当している地区に密漁者が増えてきてね。毎日が大変だよ」
「自然保護隊だっけ?大変だね」
「でも、動物達と触れ合うのは楽しいよ」
「そっか……なら、シャルロットには天職なのかもね」
内心、そのゴツイ顔で迫られたら動物達が逃げるのではないかと不安に想ったが、口には出さないでおく。
「ところで銀二。どんな要件なのかな?」
「それはだな、コレを見てくれ」
そう言って銀二はもう一度車のドアを開く。
「…………」
シャルロットはアイビスと同じ反応をする。対して、車の中にいた者はシャルロットの姿を見て自身に起きた危機を悟ったか、それともその凶悪な顔に恐れを覚えたのか、戦慄した顔をしていた。
ドアが閉まる。
「…………銀二」
「何も言うな」
「な、ななななな、何も言うなじゃないよ!?今の何?あの子は誰?それとこれって犯罪じゃないの!?」
アイビス以上にパニックになるシャルロット。彼はその見かけに反してかなり繊細であり、こういう突発的なハプニングには弱い。
「あわわわわ、あわわわわ!!」
「落ち着けよ、メルヘンジャンキー。こういう時は童話を読んで落ち着け」
そう言って銀二は子供向けの絵本を取り出し、シャルロットに差し出す。シャルロットはそれを奪うと、巨大な体躯を縮こまらせ絵本を読む。
最初は鼻息を荒く、瞳孔がいてパニックに陥っていた彼だが、いつしかその姿がトロンと酔った様な目に変わる。
「これ、最早病気の域だよな」
見る者によっては、麻薬を使っている人にも見えるその姿は、正しくメルヘンジャンキーだった。



銀二の話では、アイビスとシャルロットの他に三人に話を通しているらしい。
「とりあえずミシェルとミシェールだろ、後は麗二だ」
ミシェルとミシェールとは、アイビスと同じ部屋に住んでいるルームメイトであり、訓練校の同期の双子。
名前はミシェル・ライアンとミシェール・ライアン。
もう一人は佐久間麗二というで、これも同期。彼は仲間の中では唯一の海に所属する者であり、今日は偶然こっちに戻って来ているから連絡が取れたらしい。
しかし、聞く限り残りに三人にもちゃんとした話は通っていないらしく、全ては全員が揃ってから話す、という事だ。
結果、銀二は三人を待つ為に外で待機。シャルロットはメルヘン世界にトリップしている状態で同じく外。
アイビスだけが車内にいる。
いや、正確に言えば一人ではなく、簀巻きにされた少女と二人きり。
「…………」
「…………」
助手席に座るアイビスの背後から凄い視線が飛んで来ているのは承知している。しかし、只でさえ人見知りのアイビスが初めて会った他人と狭い空間で一緒にいるのはかなりの苦痛を要した。
話しかけるべきか、とりあえず「大丈夫?」の一言くらいはかけるべきなのかもしれない。
勇気を振り絞ってアイビスは後部座席に振りかえり、
「大人しくしろ」
アイビス的には「大丈夫?」である。
しかし、見ず知らずの他人的には脅しである。
アイビスの鋭い眼光に晒されながらも、少女は気丈にも睨み返す。睨み返された事で逆にアイビスが脅えるのだが、
「大人しくしていれば、危害は加えない。だから、少し黙っていろ……いいな?(副音声:大丈夫だよ。私達は酷い事はしないから……ね?)」
こんな風に返してしまう。
結果的に、両者の間の溝はどんどん広がっていく。
しかし、本当にこの少女が誰なのだろうかという疑問はどんどん膨れ上がってくる。銀二が説明するまで待った方が良いのだが、これがもし犯罪行為だとしたら(事実、完全に犯罪行為なのだが)どうするべきだろうかと首を捻る。
とりあえず、銀二から事情を聞けないのなら、本人から聞くしかない。
アイビスは助手席から後部座席に移り、縛られている少女に言う。
「口を開くなよ?(副音声:酷い事はしないから、声を上げないでね?)」
そう言ってアイビスは少女の猿轡を取る。
当然、口が自由になった瞬間に少女を怒鳴る。
「アンタ等、一体どういうつもりよ!?」
その怒声にアイビスは縮こまる―――様に見えなかったが、実際はかなり恐がっている。
「人を拉致して、しかもこんな長時間も監禁して!」
ともかく、こんな声を出されては外に響いてしまう。そうしたら銀二に怒られてしまう。そう想ったアイビスは急いで少女の口を閉じる。
「誰が喋って良いと言った(副音声:お願いだから、そんな大きな声を出さないでよぅ)」
どうしても初対面の者にはこういう口調になってしまうアイビスに、少女の不信感はどんどん積もっていく。
「――――――!!」
口を塞がれた少女は唸り声でアイビスを威嚇する。威嚇されたアイビスは恐くてパニック寸前。
され、どうしたものかと特急で考えるが、良い案は浮かばない。とりあえず、こういう時はどうやって相手を大人しくさせるか―――いや、場を和やかにさせるべきか。
そして、アイビスの脳裏に恩師である者の言葉が浮かぶ。
『まずは笑顔が大事よ?いきなりの笑顔は不信に想われるかもしれないけど、怒った顔よりはずっといいわ』
そうだ、笑顔だ。
思い立ったら即行動。
アイビスは満面の笑みで少女に微笑みかける。

――――――ニヤリ

空気が凍る。
混沌とした恐怖が湧きあがる。
世界の終焉が今、少女の目の前にある。
後に少女は語る。
その時の笑みを見て、自分が大人しくしなければ確実に殺されていた、と。しかも、想像する限り、もっとも残虐な方法で殺されていただろう、と。
そんな事を少女が想っているとは露知らず、アイビスは大人しくなった少女を見て、やっぱり笑顔が凄い、そしてあの人の言う事は正しい―――そんな勘違いしていた。






少女――――ティアナ・ランスターは黙り込んでいた。
そもそも、どうして彼女はこうして囚われているのか、それは彼女自身が聞きたい事だ。
ティアナが目を覚ました時、既に彼女は車の中にいた。しかも、ロープでグルグル巻きにされた上に鎖で縛られ、おまけとばかりにバインドで縛られている。最初は夢かと思ったが車がガクンッと揺れた瞬間に座席から転げ落ち、頭を撃った痛みで現実だと知る。
何が起こったのか理解できない。
自分はどうしてこんな目にあっているのか、まるで想像が出来ない。
最後の記憶は医務室で眠った時だ。
模擬戦で教官であるなのはに撃墜され、医務室に運ばれた―――そこまではいい。問題はその後だ。その後に何が起こったのだろうか。
思い出す。
思い出す。
思い出す―――が、何も浮かんでこない。彼女の記憶は医務室で気を失う様に眠った時を最後にブッツリと切れていた。
とりあえず分かる事は、自分は何者かに拉致されたという事。その犯人は今、運転席で鼻歌を奏でながら上機嫌に首を振っている者、で――――気づいた。
知っている。
この男を自分は知っている。
「あ、アンタ……」
「――――ん、起きたか」
適当に切りそろえた短い黒髪に髑髏のピアスをつけた男は笑う。対照的にティアナは言葉を失う。どうしてこの男が此処にいて、車を運転しているのか―――だが、答はすんなりと出るだろう。
犯人は、この男だ。
「これ、どういうつもり……」
敵意を込めた目で睨みつける。
しかし、男は飄々とした顔で、
「攫った」
あっさりと言い放つ。
「さ、攫ってアンタ――――馬鹿じゃないの!?」
攫った。この男は攫ったと言った。その言葉の意味を理解しているのかは不明だが、この男は現に誘拐という罪を自分がしたと囀った。
「こんな事して、何のつもりよ!!」
「何のつもりって……だから、誘拐。大丈夫だ、身代金とか要求するつもりもないし、六課の連中には黙ってやった」
「それが問題でしょうが!!」
「はははは、馬鹿を言うなよ。俺ごときに侵入を許して、お前一人をあっさりと誘拐される様な能無し共に問題にされる言われは無い」
言っている事が意味不明。それは開き直った者の言葉だった。唖然とするティアナを余所に、男はニヤニヤと嗤い続ける。
「そもそも、だ……お前、あそこに戻りたいのか?」
「当たり前じゃない」
「へぇ、ソイツは驚きだ」
車が止まる。
「俺はてっきり、自分を理解できる奴のいない場所になんて、何の未練も無いとばかり想ってたよ」
「――――ふざけんな!!」
「ふざけてない……なぁ、ランスター。俺は昨日言ったよな?お前が頑張る事を俺は認める。それを認めない奴がいたら俺が許さないってな……」
男は語りだす。
「お前は強くなりなかったんだろ?その為にアイツの教導だけは足りない。あんな教導で強くなれる気がしない。だからスバルと一緒に頑張った。お前なりに戦い方を考え、お前なりの理念と信念をもって自身を鍛えた――――でも、それを否定された」
煙草の匂いが車内に充満する。男の口に咥えられた煙草から紫煙が漏れ出し、天井を泳ぐ。
「それで、お前はどう想った?」
「…………それは」
「俺ならこう想う――――『アイツ等は自分を理解できない。そんな奴等は自分の味方じゃない。そいつ等は敵だ』、俺はこう考える」
「私は……アンタとは違う」
自分と同じ、そう言われた気がした。それが堪らなく嫌だった。
ティアナが知る男は最低の一言だった。
同じ部隊に所属する鎌倉清四郎の仲が良いのは知っている。だが、どうしてこんな男のあの人と仲がいいのか理解できない。一度、ティアナはフェイトに聞いた事がある。鎌倉清四郎とこの男はどうして一緒にいるのか、と。
フェイトはあっさりと言った――――二人は友達だ、と。
納得は出来ない。
まったく納得が出来ない。
ティアナの知る男は最低だ。
彼女のパートナーであるスバル・ナカジマの姉がいる部隊に所属している男の噂は、あまり聞こえの良いモノではない。
仕事はまじめにしない。命令違反は平然とする。市民に暴力は平気で振るうし、質量兵器の存在を認めるような発言を公然とする。おまけにこの男はかつてティアナとスバルがいた陸士訓練校に在籍しており、その時の訓練生の噂は最悪の一言だった。
曰く、教官の殆どを一ヶ月で再起不能にした。その行いは戦闘訓練では勿論、戦闘以外の行為も行われ、聞くだけで軽く引くくらいの暴挙だった聞く。ある教官は職場を辞め、ある教官は社会的に地位を奪われたらしい。
曰く、野外訓練の際に訓練地である次元世界にて希少種と呼ばれる龍を殺し、その世界と管理局が絶縁状態になった。
曰く、あるアイドルの親衛隊を称して芸能プロダクションを幾つかぶち壊した。
以上の三つはあくまで噂だが、それ以外にも悪い噂は幾つもある。『訓練校設立以来の問題児』やら『極悪犯罪者予備軍』やら『ノーホリック』やら『アマネファンクラブ』やら―――最後の一つは意味が分からなかったが、ろくでもない連中だという事は確かだ。
そして、直に見た瞬間、この男は絶対に自分とは同じ位置に立つ者ではないと知った。
だが、どうしてか他の者達は男に友好的だった。清四郎を初め、隊長達は男と親しくしており、男が六課の建物を好き勝手しても笑って許す始末―――例外として、フェイトだけは男の天敵として存在していが、それはこの際置いておく。
隊長達が男と同じ世界出身で、子供の頃から付き合いがあるから何となくわかるのだが、問題はそれだけじゃない。
まず、エリオ・モンディアル。
その少年は男を『兄貴』と呼んで尊敬している節がある。男が六課に忍び込んでくる度に男と親しげにしている。その際、男の持ってくるR指定の雑誌を渡され、困惑している光景をよく目にする。そして、その後に巨大な鎌を振りかざして男に襲いかかるフェイトを姿が日常としてある。
次にキャロ・ル・ルシエ。
その少女は男を『おじさん』と呼んで良く拳骨を喰らっている。それでも男を信用しているのか、それとも好意を持っているのか、男の言う事なら大抵の事を言う事を聞く。その際、男曰く『光源氏計画』と称して少女に妙な知識を与え、テンプレとなっているフェイトに黒焦げにされるという光景が日常茶飯事―――というか、どうしてこの男は死なないのか最近疑問に思っている。
一度、その事を疑問に想って口にした事があるのだが、スバルが姉であるギンガ・ナカジマから男が意味不明なレアスキルを申請した事があるらしい。
内容は、それがギャグであるなら基本的に不死身。
意味が分からない。そんな意味の分からない漫画みたいな能力を申請するのはふざけているとしか思えない。
総合的な評価として、男は彼女の目指す管理局員ではない。むしろ、それに反する存在だと言わざる得ない。
「私は、アンタとは違う」
自分に言い聞かせるようにティアナは言う。しかし、そんなティアナの言葉など男には関係がないのか、未だ気に障る笑みを崩さない。
「―――――なら、質問だ」
その笑みを崩すどころか、更に深めながら、
「お前は、自分が間違ったと想ってるか?」
「…………」
「自分の努力が間違ってる。アイツの言う事だけを聞いてるだけが正解で、それ以外は全部不正解。アイツが正しい、自分が間違っている――――そんな屁理屈を認めるのか?」
そうだ―――とは言えない。
「いいか、ランスター。世界に正しいなんてもんは無い。在るのは間違ってないって想いこむだけの妄想だけだ。誰だって自分が正しいと妄想してる。それは間違ってない。間違ってるのは、妄信する事だ。あの人の言う事が絶対的に正しい。あの人が黒だと言えば黒で、白と言えば白。そんな妄信だけが間違いなんだよ」
それは違う―――とは言えない。
「なんで、そんな事を言うのよ……」
「お前がどう想ってるか知りたいからだ」
「そんな事を言われて、私がどうにかなると想ってるの!?」
「想ってない。だが、どうにかするとは想ってる」
スッと男の顔から表情が消える。
「お前が自分自身を鍛えようとするのは俺も賛成だ。だがな、その想いが誰にでも賛同してもらえるなんて想うな。お前の想う様な世界は此処にはない。あるのは当たり前で、どうしようもない現実だけだ―――――それでも、お前がお前自身を貫くと言えるのなら、今すぐお前を解放してやる」
だが、男はティアナの眼を真っ直ぐに見据え、
「お前が貫けないと想ってるのなら、俺がお前に見せてやるよ」
不敵に笑みを作り上げ、

「――――馬鹿の一念、空すら貫くってな」

男がそんな言葉を残し、二時間が経った今。ティアナはどうすればいいか分からないでいた。男の言う事の意味が理解できない以上に、逃げるだけならさっさと出来るのに、それを出来ないでいる自分自身に。
仮に、逃げ出してどうするというのだろか。逃げ出し、戻り、そしてそれからどうすればいいのか、彼女には分からないでいた。
自分が間違っている。
正しいのはあの人。
それを認めるか――――答は否。
間違っていない。
自分は間違って無い。
強くなろうとする想いの何処が間違っている。これ以上誰にも傷ついて欲しくない、だから守れる力が欲しいと想う事の何処が間違っているというのか。
否定された。
想いを否定された。
想いで否定されたのではなく、力で、暴力で、圧倒的な力の差で否定された。
拳を握る。
悔しい。
自分が否定されると同時に、今は亡き兄の存在すら否定された気分だった。兄が死んだ時、『無能』と罵られた時と同じ悔しさが込み上がってくる。
間違いじゃない、間違いであるはずがない。
だから、だから―――――ふと、気付いた。
自分を見つめる視線。
それは先程自分を殺す様な視線で射抜いた女性。
真っ黒な、鴉の様な黒髪をした鋭い眼つきをした女性。
彼女は相も変わらない鋭い視線でティアナを見ている。
「な、何よ……」
「いや、何でもない」
「何でもないなら、見ないでよ」
「―――――すまない」
突然の謝罪にティアナは一瞬呆ける。先程から見せている鋭い眼光が嘘の様に、何処か弱さを含んだ声。いや、むしろ気づくべきだった。
ティアナから視線を逸らしている彼女が、先程からずっとバックミラー越しに自分を見ている事に。そして、その眼が鋭く尖ったナイフに見えてはいるが、その本質はナイフなどでは無い。
戸惑い、恐怖、そして心配。
「…………」
「…………」
なんだか毒気を抜かれた気分だった。
「…………ねぇ、アンタ」
ティアナが声をかけると女性はビクッと肩を震わせる。それが小動物に見えた事が少しだけ可笑しかった。
「アイツとどういう関係なの?」
「―――――仲間、だ」
絞り出す声。
「大切な、仲間……」
「ふ~ん……アイツと同じ誘拐犯って事?」
またも震える肩。そして恐る恐る振り返った眼は鋭くとも、不安げ。
そこでようやく理解する。
彼女は見た目どうりの人間ではないという事に。
「私は、何も聞かされていない。だから、お前がどんな経緯があってそうなってるかも聞かされていない」
無愛想な事を言いながらも、鋭い眼つきの奥には脅えが存在している。
「だから……勝手に解放する事も出来ない」
小さな声で、すまないと言った。
「そう……なら、別にいいか」
本当は良くもないのだが、きっと彼女は口を割らないだろう。だから、此処は別の事を聞く事にする。
「――――アイツ、どういう奴なの?」
「……知り合いじゃないのか」
「知り合いだけど、そんなに深く知りたいわけじゃないわ」
「それは……もったいない」
「もったいない?」
ティアナの疑問に、彼女は少しだけ微笑んだ。
正直、胸がキュンとなるような可愛らしい微笑みだった。
凍りの彫像が太陽の如く輝く様に、花が開く様に、彼女の笑みはそれだけのギャップがあった。
「もったいない……銀二は、そうだな……多分、珍味だ」
「はい?」
珍味とは、また奇妙な表現だ。
「見た目は絶対に食べたくない。見るだけで嫌悪感を抱くようなモノだけど……食べてみれば、美味しい……だから、珍味なんだ。全ての人には受け入れられないけど、その味を知った人達には、どんな料理にも負けない御馳走になる」
「…………それ、誉めてるの?」
またビクッと震えた。なんだか、彼女をこうして震えさせるのが段々楽しくなってきたティアナがいた。
「ほ、誉めてる、さ……だって、銀二は私の恩人だから」
声質が柔らかくなる。
「私が訓練校で一人だった時……周りの人達と巧く関係を持てなくて、孤立していた時……銀二が、助けてくれた」
「アイツが?」
彼女は頷く。
「あの頃は、皆が皆を拒絶してた。私もそうだし、銀二だったそうだった。でも、銀二は少しだけ違った……銀二は何時も死んだ様に目をしてたから」
ティアナのする限り、男―――武本銀二の眼は何時だって生きていた。その生きる意味がどれだけ最低でも、生命力の満ち溢れた目だけが印象的だったからだ。
「私も詳しくは分からないけど……銀二は自分は十年前に生きてる意味を失ったって。ただ生きてるだけで、死ぬ一歩手前で無様に足掻いてるだけだって言ってた……私にはそんな銀二の事が良く分からなかったけど……足掻く事に尊敬できたんだ」
彼女は言った。
自分は足掻く事すらせずに、周りに流されるだけの毎日だったから、と。
「でも、そんな銀二は……何時だって私のヒーローだった。私達全員が訓練校を追い出されそうになった時も『先生』と一緒に頑張ってくれたし、野外訓練で化け物に襲われた時も我武者羅に皆を先導して戦ってくれた…………見ず知らずの他人の為に頑張れる人なんだよ、銀二は」
「…………」
「だから、信じてあげて」
柔らかい声で黒髪の女性は言う。
「銀二が突拍子もない事ばっかりするけど、誰よりもお人好しだから……きっと、アナタを後悔させない為に頑張ってくれる―――だってさ」



「武本銀二は――――後悔しない為に喧嘩する人だから」



ドアが開いた。
外は何時の間にか夕焼けに照らされ、辺りはオレンジ色に染まっている。
「待たせたな、ランスター」
不敵な笑みを浮かべ、銀二はティアナの拘束を解く。この瞬間に逃げ出す事も可能だったが、何故かそんな気にならなかった。
助手席から女性が降り、ティアナも降りる。
「さて、これからの予定を言うぜ」
「予定も何もないじゃない。アンタ、正気?」
「その言葉は後に取っておけ」
もうどうにもでもなれと諦め半分にティアナは銀二を見る。
そして、その背後にいる小さな存在を目にする。
一度だけみたスキンヘッドの大男。
そのスキンヘッドの両肩に先程までいなかった顔が同じ和服の少女二人が座っている。
二人は顔こそ同じだが、髪型は違う。片方は翠色の髪を後ろでまとめたポニーテイル。片方は同色の髪を腰まで流したストレート。二人とも藍色の浴衣を身に纏っている。
ポニーテイルの少女がジッとティアナを見る。
「な、何?」
ティアナが尋ねると、隣にいるストレートの少女が口を開く。
「―――っは、冴えない顔してる女だなぁ!!……と、姉さんは言っています」
突然の暴言にティアナは言葉を失う。
「だけど、そんなお前が気に入った。俺様の子分にしてやるぜ!!……と、姉さんは言っています」
ポニーテイルの少女は無言だが、隣にいるもう一人の少女は何なのだろうか。
まるで自分の暴言が全て同じ顔をした少女の言葉だと言わんばかりの勢いだ。無論、そんなはずはないだろうと想い、暴言を吐いている少女を睨むが、
「おい、俺様の妹にガン垂れるとはいい度胸だな……と、姉さんは言っています」
「アンタが言ってるんでしょうが!!」
「俺様が恐くて妹に手を出すとは生意気な奴だ。ちょっとボコッていいか銀二?……と、姉さんは言っています」
銀二は溜息を吐きながら、似た顔をした少女達を見る。
「今は止めとけ、ミシェル……それとミシェール。お前は初対面の奴には理解されないんだから、あんまりミシェルの言葉を翻訳するな」
「おいおい、そんな戯言で俺様の気が収まると思ってるのか!?……と、姉さんは言っています」
「いいから黙ってろ」
「ちょっと、何なのよコイツ等は?」
「あぁ、コイツ等はミシェルとミシェール。見ての通り双子だ。でも、喋るのは基本的に妹のミシェールだけ―――あぁ、でも意志の疎通が出来るのはミシェルだけだな……」
「意味が分からないんだけど」
「だからよ……こっちのポニーテイルがミシェル。無表情で何考えてるか分かんないし、口もまともに開かない。でも、その代わりにミシェルの言葉を伝えるのがもう片方のミシェール。ミシェールはミシェルと違って殆ど喋らない。口を開くときはミシェルの言葉を伝える時だけ」
頭がこんがりそうな説明だが、何とか理解した。
ポニーテイルの少女はミシェル。意志の疎通は出来るが喋らない。ミシェルの言葉は妹のミシェールが翻訳するが、その代わりにミシェールは意志の疎通が出来ない―――という理屈なのだろう。
「まぁ、ミシェールの場合。慣れれば意志の疎通は簡単なんだよな。ミシェルと違って完全に無表情ってわけじゃないし……ほら」
ミシェールが大男の肩を降り、ティアナに近づく。無言でジッとティアナを見上げると、そっと彼女の手を握る。
小さな手の温もりが、ティアナの手に伝わる。
「…………え、えっと」
戸惑うティアナに銀二が、
「よろしくってよ」
ミシェールの意志を伝える。
よく見るとミシェールの表情が微かに笑っている様に見える。
「――――うん、よろしくね……ミシェール」
「流石は俺様の妹だ!!俺様も特別にお前と仲良くしてやるぜ!!……と、姉さんは言っています」
「な、なんか良く分からないわね、アンタ等」
「良く言われる!!……と、姉さんは言っています」
「なんか、もうどうでもいいわ……」
とりあえず、受け入れる所から始めるべきと決めたティアナ。
そんなティアナの顔に影が差し込む。目の前に大男が立ち、夕日を隠したからだ。
今度は別の意味で言葉を失った。
「シャルロット・スマートです。よろしくお願いします」
子供も泣きだすであろう顔で丁寧な口調で話すシャルロット。車に閉じ込められていた際はこの男の登場で貞操の危機を覚えたティアナだったが、いざ前にすると本当に大きかった。
「よ、よろしく……お願いします、シャルロットさん」
「そんな敬語なんていいですよ。聞けば、僕よりも年上みたいですし、呼び捨てで結構です」
そんな命知らずな行為は無理だと首をブンブン横に振るティアナ。
「あははは、ティアナさんは礼儀正しい人ですね。銀二の話とは全然違いますね」
「いや、お前は自分の姿を鏡で凝視してから出直せよ」
「―――――――ひ、酷い!!」
銀二の言葉にガクンッと項垂れるシャルロット。その強面の顔から溢れんばかりの涙を流しながら、叫ぶ。
「僕だって好きでこんな顔で生まれたわけじゃないのに!?」
強面の顔で泣かれた銀二は流石に悪いと思ったのか、それとも引いたのか、顔を引き攣らせて謝罪の言葉を口にする。
「あ、ごめん。冗談だよ」
だが、最早メルヘンジャンキーのガラスのハートには大きな亀裂が走っていた。
「嘘だ!!皆、僕の事をそう想ってるに違いない!!」
「ったく、男の癖に女々しい奴だぜ!!……と、姉さんは言っています」
「酷いよ、ミシェル!!」
「あぁ五月蠅い五月蠅い五月蠅い!!メルヘンジャンキーは大人しくメルヘンの国でオークやって討伐されてろ!!……と、姉さんと私は言っています」
「ミシェールまで!?」
なんだか収拾がつかない状況になっている気がした。
そんなティアナの横にそっと助手席にいた彼女が歩み寄り、手を差し出す。
「アイビス・ツキムラだ……」
「あ……うん。私、ティアナ・ランスター」
握手を交わす。
ティアナは何となく、本当に何となくだが、アイビスと名乗った彼女に親近感を抱く。何処がどうという事は巧く表現が出来ないが、とりあえず感じたのだ。
「ティアナさんって呼んでいいか?」
「ティアナでいいわよ」
「―――わかった。それじゃ、ティアナと呼ばせてもらう」
凛々しい声だが、きっと彼女の本当はこんな姿では無いのだろう。先程、アイビスが銀二について語った時の柔らかな言葉。あれがアイビス・ツキムラの本当の言葉なだとティアナは感じだ。
そんな二人を見ながら、銀二は煙草を咥える。
「さて、後は麗二のクソ野郎だが……あの野郎、ボイコットしやがったな」
「……仕方が無いよ。麗二さんは忙しいんだから」
双子の口撃から回復したシャルロットは言う。
「駄目だっての―――まぁ、アイツの事だからその内に顔出すだろ」
「でもさ、銀二。さっき話……本気?僕としては同窓会でもすると想ってたんだけど……」
「似た様なもんだ。久しぶりにお前等と馬鹿騒ぎしようと思ってな」
「馬鹿騒ぎ、ねぇ……」
「あぁ、馬鹿騒ぎだ。しかも、前線に行かせて貰えないバトルジャンキーのお前等にはとっておきの馬鹿騒ぎだ」
「いや、バトルジャンキーはいないと思うよ。ミシェルだって別に戦うのが好きってわけじゃないし、アイビスさんだって戦うのは嫌いだし、僕だって……」
「――――――先生の事、覚えてるか?」
先生、その言葉にその場にいたティアナを以外の全員が振り向く。
「あの人はこんなクソ野郎の俺達を最後まで見捨てなかった。本来なら見捨てる側にいるはずなのに、俺達を守ろうと必死になってくれた……おかげで、俺達はこうして卒業できたんだ」
アイビスが、
「忘れるわけないよ……先生は本当に先生だったから」
ミシェルとミシェールが、
「戦い方も、戦う事の意味も、あの人が教えてくれた。そんなあの人を忘れる馬鹿は俺様が許さん!!……と、姉さんと私が言います」
シャルロットが、
「だから、僕達はこうしていられる……僕は今まで読んだ物語を忘れても、先生と過ごした時間だけは絶対に忘れない」
四人の言葉に、銀二は頷く。
「だからこそ、俺は勝手に先生の意志を他人に押し付ける。先生の為でもお前等の為でもねぇ……俺の勝手な心情に則って、俺は事を起こす」
そして、銀二はティアナを見る。
「ランスター。先生が言ってた事だが――――『力を求める意味を知らなければ、力は只の暴力になり下がる』……先生はそう言っていた。だから、俺はアイツを認めない」
その瞬間、武本銀二の眼は、今まで彼女が見た事の無い眼になっていた。
「これは俺の喧嘩だ。だが、同時にお前の喧嘩でもある。お前が自分のした事を一欠けらでも悪くないと思ってるなら、俺はお前に手を貸してやる」
強き瞳は、少女を見据える。
弱き者の瞳は、少女を呑みこむ。
「シャルロット―――管理局一の砲撃手の冠、欲しくないか?」
シャルロット・スマートは仕方ないという様に頷く。
「ミシェル―――――騎士って云う肩書、ベルカだけに任せておけるか?」
ミシェル・ライアンは無表情で首を横に振る。
「ミシェール――――お前の姉貴を最高の騎士だって証明したくないか?」
ミシェル・ライアンは力強く頷く。
そして、最後に銀二はアイビスを見る。
「お前は……聞くまでもないよな?」
「うん。私は銀二を空に連れていく鴉だから……銀二の行きたい場所なら」
空を指差す。
茜色の空、その遥か天空を超え、無限の星空を指さす。
「例え、宇宙にだって連れて行ってみせるよ!!」
アイビス・ツキムラは自身を鴉と称する。
しかし、彼女を真に知る者達は彼女を鴉とは称さない。
彼女を鳥とも称さない。
誰よりも空を愛する彼女を、空だけで終わる者だとは誰も想わない。



彼女は――――『流星』なのだから



「―――――うっし!!そういうわけだ、ランスター」
全員の了承を取った銀二はティアナに拳を向ける。
「後は、お前だけだ。お前はどうする?俺の喧嘩に付き合って、俺達の喧嘩をするか。それとも戻ってお前の本当を潰して強くなるか――――決めるのは、お前だ」
「…………はぁ、アンタって馬鹿だと思ってたけど、本当に馬鹿なのね」
「応!!馬鹿で結構。頭が良いフリして生きてく程に器用じゃない」
「なら、その馬鹿に同意するソイツ等も、馬鹿って事よね?」
「当たり前だ。俺達を誰だと思ってやがる?『教官潰し』に『犯罪者予備軍』、『ノーホリック』に『特攻学年Aクラス』っていう馬鹿げた名前をつけられてんだ……馬鹿以外の何者でもない!!」
だからこそ、馬鹿なりの答が其処にある。
迷う時間は無限ではない。決めて行動する時間も無限ではない。なら、その無限でない時間で少しだけ『間違い』を犯す事にも意味がある。
これが間違いだと言うのなら、それでいい。
間違いを犯す時間を、この為だけに使う。
この胸に、誰にも負けない夢が宿るのなら――――今だけは間違いだらけの馬鹿になろう。

ティアナの拳が、銀二の拳と合わさる。

銀二が笑う。
ティアナが不敵に笑う。
さぁ、間違いを犯そう。
正しさに喧嘩を売って、間違いを犯そう。
間違いの先に正しさあるのなら、その正しさをぶち壊しに行く。
「さぁ、喧嘩を売るぞ」
その馬鹿の大将が指さす先には、
「間違いを正す、正論者にだ!!」
時空管理局・機動六課。
この時、この瞬間、武本銀二は喧嘩を売る。
出会っては初めて、明確なる敵対心を持って。
エース・オブ・エース、高町なのはへ――――喧嘩を売る。

「テメェ等――――気合入れて空のエースに喧嘩売るぞ!!」

武本銀二は、ミッドの地にて吠えた。


これは武本銀二の物語ではない。
これは流星の物語。
これは主人公の物語ではない。
これは夢追い人の物語。

そして、同期達の物語。







外伝ヶ壱「流星と夢追い人と出会いの法則」








あとがき
ども、なんだかデジャブを感じる外伝ですね、な散雨です。
というわけ外伝です。なんか、無駄に長くなりました……
時期的にはティアナ撃墜の翌日ですが、別にこれからStSな話をするわけでもないです。どちらかと言えば、過去編にまつわる裏を洗うのが外伝です。
故に、次の外伝を掲載する時に『VS機動六課』という場合になるわけでもないです。
というわけで、次があったらの次回「流星と鍋とAMWの法則」で逝きます。ちなみに、このAMWはAMFの誤字ではありません。伏線です。















おまけ



もしもの結末






「テメェ等――――気合入れて空のエースに喧嘩売るぞ!!」

武本銀二は、ミッドの地にて吠えた。





「「「「――――いや、無理っしょ」」」」



「――――――え?」
シャルロットが冷たく言い放つ。
「だから、無理でしょ。というか、僕は明日から向こうで仕事だし……」
「え、あの……同意、してくれなかった?」
「それとこれとは話が別だよ。それとあんな有名処に喧嘩売ったら隊の皆にも迷惑掛るし……それと、女の子に手を上げるのはちょっと」
まさかの反逆に呆然とする銀二。
追撃とばかりにライアン姉妹のターン。
「騎士は喧嘩なんぞしない。それ以前に、俺様達だって仕事があるんだ。暇なお前とそんな下らない事で労力使えるかっての……と、姉さんは言っています」
「何でやねん!!」
「それと、これは私事なのですが……先程からの銀二兄さんセリフ――――正直寒いです……と、私は言います」
「喋った!?無口キャラのお前は何処に逝った!?」
そして、最後の砦であるアイビス。
「ご、ごめんね銀二。私、明日から旅行なんだ……」
「俺と旅行、どっちが大事なの!?」
「……………………………お土産、ちゃんと買ってくるからね?」
「旅行取った!?俺、旅行に負けた!!」




そして、誰もいなくなった……




「…………え、え~と」
ティアナの銀二の間に微妙な空気が流れる。
「あの、銀二……」
「言うな、何にも言うな!!というか、言わないで……」
ガクンと項垂れる銀二。そして、あれだけの盛り上がりに流され、実は銀二と同じ気持ちになって喧嘩を売る気満々だったティアナは恥ずかしさのあまり夕日の様に顔を真っ赤にしていた。
「―――――とりあえず、ご飯でも食べにいこっか?驕るわよ」
「お願いします……」
鴉が鳴いている。

あほ~あほ~あほ~





とりあえず、こんな出会い。
ティアナ・ランスターと、武本銀二の同期との出会い。




[19403] 外伝ヶ弐「流星と英雄と喧嘩の法則(前編)」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/07/04 18:48
その日、高町なのはの気分はあまり良くはなかった。
目覚めは良くない。
食事を食べても美味しさを感じない。
テレビをつけても気持ちの良いニュースはない。
占いコーナーを見ても五位という微妙な結果。
最低ではなくても最高でもない心は満たされない。
その原因ははっきりしている。
一週間前、模擬戦でのティアナの行動と自分の結果。
後悔している。
後悔はしているが、それだけで此処まで嫌な気持ちにはならなかっただろう。
心の中に刺さった小さな棘が痛みを呼び出す。劇的な痛さではなくとも無視できない痛みに顔をしかめる。
自分は間違っていたのだろうか―――いや、間違ってはいない。ただ、間違いに近い行動をしてしまったのかもしれない。正しさはないが、間違いもない。けれども、間違いに向くベクトルのほうが圧倒的に多いのだろう。
誰も彼女を責めてはいない。
誰も彼女を非難しない。
それが逆に彼女の疑問を深くする結果となっている。
いや、少しだけ違う。
一人だけ、いた。
あの時、たった一人だけ―――高町なのはの行動を非難する者がいた。そして、その者が何を思ったのかティアナを誘拐し、彼女と共に自分に、六課相手に喧嘩を売ってきたのだ。最初は何を馬鹿な事をと思った。同時に、どうしてそんな無意味な事をしなくてはならないのだろうかと思った。
そんな事をするよりならば、自分がちゃんとティアナと向き合って話をするべきなのだろう。しかし、そんな彼女の想いとは裏腹に六課の長である八神はやてがそれ了承したのだ。
どうして了承したのかと尋ねたが、それが必要な事なのだと言われた。そして、はやてはなのはに「一切の手加減なくやれ」という命令を出した。
お願いでもない、提案でもない――――はっきりとした命令だった。
納得も出来ないまま、何も抵抗も出来ないまま、なのはは今日という日を迎えた。

そして時間は正午、六課の建物の前に彼は、彼等は現れた。
見知った顔は二人だけ。
一人は六課に喧嘩を売った張本人、武本銀二。
「――――よぅ、待たせたな」
不敵な笑みを浮かべたまま彼は言った。
そしてもう一人、この喧嘩の原因となった部下にして教え子―――ティアナ・ランスター。あの模擬戦から一週間、久しぶり見た顔はどこか強張っている。恐らく、自分も同じような顔をしているのだろう。
「……ティア」
「…………」
ティアナは何も答えない。何も答えず眼を背ける。それが堪らなく切なくなった。心が軋み、不安で押し潰されそうになる。
話さなくては、彼女と話さなければならない。そして、こんな意味のない争いなど止めにしなければいけない。
だが、そんななのはの言葉を銀二が遮る。
「今更、言葉なんか意味ないだろ」
拒絶だった。
それは、なのはとティアナの間に存在する壁であり、障害であった。
「いいか、なのは……俺はお前に喧嘩を売った。そしてお前は買った。なら、さっさと始めようぜ」
「私は戦いたくなんて……それに勝った覚えもないよ。これは、はやてちゃんが勝手に―――」
「知るか。お前んとこの隊長が許可したんだから、今更止められるかよ」
「でも……」
「あぁ、煩い煩い煩い……おい、なのは。お前もいい加減に腹を括れよ。俺とお前は敵同士だし、潰すべき障害だ――――まさか、この場に及んで友達だから戦えないとか言わないよなぁ、おい」
嫌らしい笑みだった。
そんな笑みを浮かべる銀二の隣にいるティアナに、なのはは語りかける。
「……ティアは、それでいいの?」
せめて、彼女の言葉を聞きたい。彼女が戦いたくないと言えばまだ食い下がれる。
しかし、

「―――――やりますよ」

それすら、拒絶される。
「私は自分のした事が間違いだなんて思えません……だから、アナタと戦います」
その眼は鋭い。
まるで、敵を見るかのような眼。
もう、取り戻せない。取り戻しようもない程に、なのはとティアナの間に溝が出来てしまっていた。それを知りながらも、なのははまだ縋りつく様にティアナに手を伸ばす。
しかし、その手は遮られる。言葉と同じように、想いと同じように、銀二の手によって遮られる。
「……放して、銀二君」
「嫌だね」
「銀二君には、関係ないじゃない」
「そうだな。俺は六課にとって他人だよ。俺は別の部署の所属だし、最近までこっちの世界に顔を出す気も全然なかった余所者だろうよ―――でも、今は違う」
銀二は眼を細め、唾を吐き捨てるように言った。
「ランスターは、俺の仲間なんだよ。もうお前等の仲間じゃない。俺の、俺達の仲間なんだよ」
「――――違う」
「いいや、違わない」
「違う!!」
頭を振って否定する。しかし、それは子供の我儘のようにしか見えない、少なくとも銀二にとっては、だ。
「違わない。全然、違わないんだよ」
なのはの手を払いのけ、
「俺さ、前に言ったよな?お前があいつ等の師匠を名乗る事を許さないってな。そして、アイツもそれに同意した……それがどういう事かわかるよな?わからないってんのなら、もう一度だけ言ってやる」
心を抉り取る言葉を吐き捨てる。

「お前に、ランスターの師匠を名乗る資格はない」

その言葉に息を呑む。
「お前は中途半端なんだよ。中途半端に人と慣れ合って、中途半端に教える。そんなんで何を教えられる?何を伝えられる?そして、そんなお前の言葉に何の力があるってんだよ」
冷たい声だった。少なくとも、なのはの記憶の中にある銀二は一度もそんな冷たい声はなかった――――いや、一度だけあったかもしれない。
一度だけ、本当にそれだけ。
その一度で十分なはずなのに、これはまるであの時の再現のようだった。
「――――昔のお前なら、こんな中途半端はしなかっただろうな。なにせ、昔のお前は今みたいじゃなかった。今みたいに変に背負うモンもなかったし、肩書きもなかった。それが今はどうだ?…………お前さ、つまらなくなったぜ」
「――――――ッ!!」
パンッと、音が響く。
反射的に手が出ていた。
なのはの手が銀二の頬を叩いていた。
それに気づいた瞬間、なのはの顔が強張る。逆に銀二は平然としている。まるで叩かれる事をわかりきっていたかの様に、平然と。
「――――――あぁ、思い出した」
そして、嗤った。
「十年前、お前にこうやって叩かれたっけな……」
過去を嘲笑う。
「けど、痛くない。あの時は痛かったが、今は全然痛くない……お前、やっぱり変わったわ。良い方向にじゃなくて、悪い方向にな」
自分の何が変わったのか。そもそも自分は変わったのか。そんな自覚はない。いや、それ以前に銀二の言っている事はおかしい。
「変わらない人なんか、いない」
「そうか?俺はそう思わないぞ」
「それは……銀二君だけだよ」
変わるのだ、人は。
時間が経つにつれて人は変わる。良い方向にも、悪い方向にも、どんな方向にもだ。変わらないというのは停滞ではない。それは退化だ。退化する人こそ、おかしいのだ。
「どうして……そんな酷い事を言えるの?」
「変わらないからだよ、『高町』」
なのはではなく高町、銀二はそう言った。
「俺は昔から何にも変わってない。変わらないと決めたから、変わらない―――それを悪いとお前が口にするのはお前の勝手だ。でもな、それで何になる?言葉にすればなんでも伝わるってか――――ざけんな!!」
怒声が鼓膜に突き刺さる。
「今のお前にそんな事を言う資格なんてあるのかよ!?想いを伝えるには、言葉が必要だって言ったのはお前だ。そして、それだけで伝わらないから力を振るうって言ったのもお前だ。だが、今のお前はどうだ?言葉も想いも、そんな大切な事をすっとばして力を振るったお前に、俺をどうこう言う権利があんのかよ!?」
この一週間、なのはは毎日同じ夢を見る。
あの模擬戦の夢。
何度も、何度も、悪夢の様に続く。
その度に跳ね起き、もう一度眠りについても同じ夢。
言葉も想いを、全てを置き去りにした―――暴挙。
正しくはない―――それは自分自身が知っている。
間違いではない―――それは自分でもわからない。
だが、確かな事はそれが傷として残っているという事実。
「―――――もう、いいだろ。こんなところで無駄話をしてる暇なんてない。さっさと始めようぜ」
そう言って銀二はなのはの横を通りすぎる。
それだけでわかった。
もう、届かない。
既に遅い。
言葉は届かない。
想いも届かない。
武本銀二は決めてしまった。
戦う、そういう選択肢を。
争う、そういう選択肢を。
高町なのはと、武本銀二は――――敵同士。
銀二の背中にかける言葉はもう存在しない。あるのは悲しい無言。手を伸ばして絶対に届かない。届いたとしても払われる絶望的な関係。
そして、銀二の後に続くティアナも同様。彼女はなのはに一切視線を合わせる事なく歩く。平然と前だけの見据え、なのはの横を通り過ぎる。
「さぁ、行こうぜ」
歩きながら銀二は言った。
「俺等とお前等の――――喧嘩をな……」
もう時間は戻せない。
たった一回の判断で、たった一回の力で、全てが変わった。
力とはそういうモノ。
良い力など存在しない。悪い力など存在しない。全ては人の起こす愚行によってのみ発現する結果論。そんな当たり前の事を今更になって思い出す。
力は、一瞬で何かを駄目にする。
どれだけ長く積み重ね続けた絆ですら、たったの一回で崩れ去る。
だから、もう戦うしかない。
そして、どちらが正しいかを証明するしかないのかもしれない。
もう止まらない。
どのような結果を想像しても止まる事などあり得ない。
それが例え、
「おい、いつまで呆けてんだよ?さっさと―――――」

「―――――――見つけた!!」

相手が、この場合は銀二にとって予期せぬ事態が起こったとしてもだ。
「え?」
突然の声に銀二が振り向くと――――そこには、鬼いた。
正確に言えば、真っ赤な顔をしながら息をゼェゼェと切らしたギンガ・ナカジマがいた。
「ギンガさん?」
「ギンガ?」
なのはとティアナが同時にギンガの名を口にする。そして、名を呼ばれたギンガはそんな二人に眼もくれず、一直線に銀二に向って歩む。
「アナタは……アナタという人は、何をしてるんですか!?」
先程、銀二がなのはに叩きつけた怒号よりも更に大きな怒りの声。
「一週間も連絡も無にフラフラして……アナタの仕事はまだ全然終わってないんですよ!!」
ギンガの手が銀二の耳を引っ張る。
「痛ッ!?ちょ、ちょっと待て!!」
「待ちません!!」
「これから俺、大切な用事が……」
「そんな用事よりも仕事の方が大切に決まってるでしょうが!?アナタに任せた案件がどれだけ溜まってると思ってるんですか!!」
「いや、だから――――って、痛い!!マジで痛いから耳を引っ張るな!!」
銀二の悲痛な叫びも虚しく、どんどん遠ざかっていく。
「空気読めよ!!あのシリアスな場面でなんでこんなギャグ展開!?というか、お前も仕事しろよ!!」
「黙らっしゃい!!アナタは私の部下なんですから私に言われた以外の事をしなくて結構。話すな考えるな息するな活動するな」
「死ねってか!?」
「死んでも働きなさい」
「無理言うな!!」
哀れだった。
年下の少女に連れ去られた銀二の姿は、この場にいた全ての者が同じ感想に至る。
「…………」
喧嘩を吹っ掛けた張本人が消えた。
「…………」
その場に微妙な空気が発生する。顔すら合わせなかったティアナとなのはの視線が合わさり、
「ど、どうしよっか?」
「……私に聞かないでください」
どうしようもない程なまでに、微妙だった。




結局、止まらなかった。
「…………どうして」
どうしてか身体が震える。戦う事への恐怖ではない。これは別の何かに対する恐怖。それが何かはわからない、理解できない。それでも時間は止まらない。
戦いは後数分で始まる。
残った時間は少ない。この限られた時間でこの無意味な戦いを止めなければならない。だが、どうやって止めればいいのだろう。恐らく、自分の言葉はもうティアナには届かない―――いや、違う。
初めから、届いてなどいなかったのかもしれない。
自分がちゃんとしていればあんな事は起こらなかった。しかし、結果は既に起こっている。
本当はあんな事をしたくなかった。
本当なら、あんな事になる前に止められたはずだ。
だが、それはどちらを止める、止まるべきだったのだろう。
ティアナか、それとも自分か―――わからない。答えはシンプルなのかもしれないし、そうでないかもしれない。ただ、今の自分にはそれがわからない。
『お前に、ランスターの師匠を名乗る資格はない』
その言葉が頭から離れない。
反論などいくらでも出来たはずだ。自分の中の揺るぎない想いがあり、自分が行う教導がある。しかし、その想いをあの時に口にする事が出来なかった。
何故か、どうしてか、わからない。
「はは、さっきからこればっかり……」
思わず顔をしかめる。
堂々巡りとはこの事だ。
そして、答えの出ないまま―――時間が来た。
なのはは立ち上がり、足を進める。
既に場に皆が揃っているだろう。後は、きっと自分だけだろう。だから早く行かなくてはならないという想いと、今すぐここから逃げ出したという想いに挟まれ、なのはの足は鉛を付けられた様に重い。
そんな彼女の耳に、妙な声が聞こえた。
「―――――で、どっちが勝つと思う?」
「そりゃ、決まってる……勝つのは高町教官だろ」
「そうか?俺としては武本の野郎が勝つと思う」
「なんでだよ?」
局員達が数人集まってそんな話をしていた。
「だってあの武本だぞ?」
「だから、その意味がわからん。十人中十人、いや百人中百人が予想しても、大差で高町教官が勝つに決まってるだろ」
彼等は聞き耳を立てているなのはに気づかず、呑気に会話を続ける。
「でも、武本はそんな高町隊長をガキの頃から知ってるんだろ?だったら、あの人に対しての対抗策とか練ってるに違いない」
それもそうだ。
色々な事を考えすぎたせいか、銀二がどんな作戦を立てているのかを考えるのを忘れていた。いや、忘れていたわけではないが、
「だから何だってんだよ。そんな策なんぞ関係ないさ。こっちの布陣は高町教官にヴィータ副隊長。後はスバルにエリオとキャロだ。新人三人を抜いても、あの二人が揃ってるのに負けるわけない」
それも確かにそうだ―――とは安易には考えない。
銀二、そしてティアナの戦闘能力は知っている。しかし、問題は銀二が連れてきたあの四人。スキンヘッドの大男と同じ顔をした双子らしき少女達、そして黒髪の眼つきの鋭い女。全員が全員、なのはの知識にはない者達ばかり。
「…………ん?」
いや、違う。
一人だけ、あの黒髪の女だけ見覚えがある気がする。何処で会ったのかは思い出せないが、見覚えがある。あの鋭い眼光は忘れようにも忘れられないはずなのだが、それがどうしても思い出せない。
「大体、あの武本の野郎はさっき同じ隊の奴に強制連行されてったろ。アイツがいない状態で勝てるわけないだろ」
「あ、そうか……う~ん、だったら」
「だったらも何もない。勝ちはこっち、負けは向こう。これで決まりだ」
銀二のいないという現状。あの中で恐らく一番なのはに詳しい彼がいないとなれば、結果は微かながらにも自分達に向いているのかもしれない。むろん、予め作戦を立てているという可能性もあるのだが、戦闘が始まればそれに差がつく。
あの中のリーダーは確実に銀二だろう。そのリーダーがいないとなれば指揮する人間がいない状況で誰が指揮をするのだという問題になる。
そういう点では自分達が有利である可能性が高い。
「―――――あ、」
そんな事を考えている自分が、少しだけ嫌になった。もちろんこれは必要な感情だろう。だが、こんな状況でそんな事を考えるなんて酷い人間の様ではないか。
勝つとか負けるとか、有利とか不利とか、そんな事は大事ではない。
今、自分に大事なのはこんな事ではなく、本当に大事なのは――――
「いや、でも俺は武本に賭けるぞ」
「おいおい、正気かよ……なら、俺は高町教官が勝つ方に二万出すぜ」
「それじゃ、僕はなのはさんが勝つのに三万」
「私は……やっぱり高町教官かな?私も一口買う」
何やら、賭けが始まってしまった。
「俺は武本に三千」
「うわぁ、セコイ。俺はなのはさんに一万」
「俺と対して変わらないだろうが!!」
「煩いな。今月の生活費がピンチなんだよ……で、言いだしっぺのお前はどうするんだよ」
「そうだな……武本がいないんじゃ、俺も高町教官に賭ける」
自分がこんなに真剣に悩んでいるというに、彼等は金銭を賭けている。その事に怒りを覚える。
「俺は武本に千円」
「俺も武本に二千」
「私は銀ちゃんに五百円」
「なんか、武本に賭けてる連中は値が安いぞ」
「仕方が無いだろ。アイツがいないんじゃ勝負にならんって……でも、これじゃあんまり賭けが成立しないな」
頭にきた。これは一度ガツンと言っておかねばならない。そう思ったなのはは物陰から出て行こうと足を踏み出した―――瞬間、予想外の者が現れた。
「――――へぇ、面白そうな話だね」
「ゲッ、鎌倉副隊長!?」
賭けに盛り上がる彼等の前に現れたのは鎌倉清四郎。
突然の登場にその場にいた全員が凍りついた。それもそのはず、基本的に温厚な彼だが、こういう話を嫌う人間である清四郎が自分達を戒めないわけがない。
「出張中じゃ……なかったんですか?」
「うん、今戻ったとこ……でも、なんか大変な事になってるみたいだね……それで、みんなはそれに便乗して賭け事かい?」
「そ、そそ、そうです、ね――――やっぱり、良くないですよね~」
賭けに乗った全員の顔が蒼く染まる。それとは逆に、なのはの顔に光が差した。そうだ、彼がいた。
彼ならこの事態をどうにかしてくれるかもしれない。
清四郎と銀二は親友で、なのは自身とも長い付き合い。ならば、自分と銀二の間に入って事を納めてくれる可能性がある。もっとも、今は肝心の銀二がいないのでその相手がティアナになるのだが、それも問題ない。なにせ、ティアナにとって清四郎は憧れの存在だ。そんな彼が口を挟んでくれたら何とかなるかも――――そう思ったなのはだが、またも予想外の事態が起こった。



「――――それじゃ、僕は銀ちゃんに賭けるよ」



時間が止まった。
なのはを含めた全員の時が止まる。
はて、この男は何と言ったのだろうか、自分達は夢を見ているのではないか、そんな感想。
そんな彼等を特に気にした様子もなく、清四郎は懐から賭け金を出す。
「僕はそうだな……五万くらい出すよ」
最高金額が叩きだされた。しかも、賭けた方は分が悪いなんてものじゃない、勝利が絶望的になった銀二達にだ。
「で、でも鎌倉副隊長。肝心の武本がいないんですよ。それでも賭けるんですか?」
「―――ってか、本気で賭けるんですか!?」
「うん、賭ける。それと、銀ちゃんがいなくても結構いい勝負になると思うしね……ううん、僕としては銀ちゃんが抜けても彼女達が勝つと踏んでるよ」
その言葉が決定的になったのか、銀二劣勢と見ていた者達、賭ける金額が少なかった者達が一斉に値を吊り上げた。
その場は市場の競の如く異常な盛り上がりを見せた。
その光景をニコニコしながら見ている清四郎。
そして、その言葉が別の意味で決定的になっていた事を、恐らく彼は知らないだろう。
物陰に隠れていたなのはは、重かった足を感情に任せて前に進ませる。
「―――――」
ムカムカする。
「―――――」
イライラする。
「―――――勝つもん」
味方であり救いの主であると思っていた相手が、まさか掌を返した様な行いを眼にした彼女には先程までの迷いはない。
「絶対、絶対に勝つんだから……」
あるのは勝つという信念。
この時、なのはを焼餅に似た感情を持っていただろう。相手が男で銀二であるという事は些か首を傾げるものだが、そんな事は関係ない。
賭けに賛同した事はもちろん、ティアナ達が勝つと予想した事が気に入らない。それが幼稚な感情だという事はなのはも理解する。しかし、清四郎を好いている彼女としては、自分を信じていない様な発言をした清四郎にちょっと頭にきた。
別に空のエースという肩書にあまりプライドはない。だが、女としてのプライドまで捨てた覚えはまったくない。
いいだろう、勝ってやる。
勝って全部を自分の手で丸く収めてやる。
ティアナの事も、銀二に言われた事も、全部を勝って自分が何とかする。
そして、勝った際に清四郎をとっちめてやる。
この瞬間、ようやくなのはに火がついた。
迷いもない。
あるのは決意。
戦うという決意。
だが、彼女は気づかない。
その決意は、

同時にこれは焦りにもなっている事に――――

そんな彼女の様子を見ていた者が秘かに嗤う。
賭けで盛り上がる者達の中で、たった一人。盛り上がりとは別の意味で嗤う部外者がいた。その事に気づく者は誰もない。
誰にも気づかれず、その自分は嗤い、呟いた。
「――――さぁて、下準備は万全……次は向こうかな」
そして部外者は誰にも気づかれる事なく、その場から姿を消す。





互いに見合う戦闘者達。
なのは、ヴィータ、スバル、エリオ、キャロ―――彼女達の表情は三通り。
ティアナ、シャルロット、ミシェル、ミシェール、アイビス―――彼女たちの表情は五通り。
まず、なのは。
彼女に迷いはない。先程の賭けのやり取りを聞いたせいか、それともおかげか、彼女にはこの戦闘における心構えが完了している。
次に、ヴィータ。
ヴィータの視線はティアナにのみ向いており、他の四人など眼もくれない。彼女の中にあるのはティアナへの怒りに似た感情。完全な怒りではないが、苛立ちにも似ているのだろう。しかし、その顔は誰が見ても怒ってますという顔だった。
この事態の原因となったティアナ、そして開始する前に姿を消した銀二、この両名に対しての感情を言葉に出したら長い演説になってしまうため、彼女は口を閉ざす。
だが、戦闘が始まった瞬間に誰よりも先に飛び出すのは彼女だろうと、ヴィータ自身も含め、全員が想っていた。
最後にスバル、エリオ、キャロ―――三人の顔は迷い。焦りや不安にも似た迷いは消えない。この戦いを行うと聞いた時からその迷いは始まっている。仲間であるティアナと戦うなどいう現実を未だに受け入れないでいた。これがもし、模擬戦であるなら話は別なのだろうが、それは現実逃避と言っても過言ではないだろう。
これは―――戦闘なのだ。
ある意味、三人が初めて行うであろう対人戦。
ティアナの相棒のスバルは不安げな眼でティアナを見る。そんなスバルにティアナは眼を合わせない。それが堪らなく切なかった。
『それではみなさん、準備はいいですね?』
シャリオ・フィニーノ―――通称シャーリーの声が届くと、その場にいる全員が頷く。
『一応、ルールの確認です。今回の戦闘は七対七のチーム戦で、勝利条件はチーム全員の戦闘不能、もしくはリーダーの戦闘不能、ギブアップなんですが……ええと、そっちのチームの人数が少ないので、必然的に五対五になってしまうんですけど、問題はないですね』
「――――問題ない」
アイビスが答える。
「なんなら、そちらは七人でいいぞ」
挑発めいた言葉にヴィータがギロリと睨む。子供の為りをしていても中身はれっきとしたベルカの騎士。並の常人ならその睨みであっさりと戦意を失う。しかし、アイビスは何処吹く風で流す―――もっとも、内心は今にも泣き出しそうなほどビビっており、余計な事を言わなければよかったと後悔している。そんなアイビスを不憫に思ったのか、シャルロットが遠慮がちに手を挙げる。
「あ、あの……メンバーを集められなかったのはこちらの責任ですし、そちらは七人でも構いませんよ」
「っは、お前も随分と余裕だな」
下手に出ているように見えて、それはどう見ても挑発にしか聞こえない。それはこの場にいる全員が理解している―――シャルロットも含めてだ。
「余裕ってわけじゃないんですけどね。ほら、一応ルールを提案したのは僕達ですし、そのルールを守れなかった僕達が悪いので……」
「関係ねぇよ。なんなら、アタシとなのはの二人だけでも十分だっての」
ヴィータの発言にアイビスがほくそ笑む。
「自信を持つのはいいが……それを負けた時の言い訳にしてもらっては困る」
「んだと……!!」
戦う前から一触即発の空気だった。
『え、え~と……とりあず、ルール的に七対七なのですが、今回はしょうがないというわけで…………まぁ、武本さんから人数を同じにする必要は無いって言われてますし、あまり問題はないですね』
「まぁ、いいさ。ルール自体に変更はない。相手を全て叩き潰すか、頭を潰すか。これだけは数が合わなくとも変わりはない……ルールの変更に何一つ変更が無いのなら、何も問題は無いな」
そう言ってアイビスは背を向ける。
「―――――我々は位置につく。なんなら、その間に降伏してもいいぞ?」
言わなきゃいいのに、とシャルロットは溜息を吐く。案の定、内心のビビりを隠したアイビスの挑発を受けたヴィータは怒り心頭。シャルロットはそんなヴィータの眼光からアイビスを守るように彼女を抱えて走り出す。
「ほ、ほら。行くよ、三人とも!!」
無言で頷き、全員がシャルロットの後を追う。
なのは達の姿が見えなくなったところで、シャルロットは呆れ顔で言う。
「なんていうか……アイビスさん、毎度のことながらギャップがありすぎない?」
「それがアイビスだろ……と、姉さんは言っています」
「設定的には、情けないキャラだよね。眼つき悪いけど」
「チキン・オブ・チキンだから、このヘタレは。眼つき悪いけど……と、姉さんは言っています」
そんな散々な事を言われているアイビスは、人見知りモードを解除してシャルロットの腕の中で顔を真っ青にして震えていた。
「こ、ここここここ怖かった……」
「怖いなら余計な事を言わないでよ、アイビスさん」
「で、でも……言わなくちゃいけないって銀二が」
「そりゃ、人見知りモードのアイビスさん的には上等な役割だと思うけど……戦う前から戦意喪失とか笑えないよ」
「――――――が、がんばる!!」
小さくガッツポーズ、でも手は震えている。
情けなかったが、どこか微笑ましい。







外伝ヶ弐「流星と英雄と喧嘩の法則(前編)」







戦いは好きじゃない。
誰かを傷つける事が嫌いなのではない。痛いのが嫌いなのでもない。彼女は単純に自己な理由で戦いを嫌っているに過ぎない。
痛いのは好きじゃない。
戦うのは好きじゃない。
力を行使するのは好きじゃない。
誰かの為だと言って正当化するのも好きじゃない。
彼女は、アイビスにとって戦いを好まない理由など最初から一つしかない。
無能―――そんな言葉が一つ。
役立たず―――そんな言葉が一つ。
無価値―――そんな言葉が一つ。
足手まとい―――そんな言葉が一つ。
結局のところ、彼女が戦いを好まない理由はそれだけなのだ。アイビスにとっての魔法は空を飛ぶというだけの魔法。それ以外は役に立たない。だからアイビスは戦いを好まない。
自己の力の無さを嘆くから。
自己の無力を痛感するから。
自己の弱さを押しつけられ、それを受領するから。
彼女は弱い。
魔導師というポジションに居座る権利すら、彼女にはない。
アイビス・ツキムラは鴉。
その黒髪からくるあだ名。それを受け入れる時はすでに過去でしかないが、彼女にとってその言葉は何よりも深い傷跡になっている。
鴉は有害。
いるだけの何の役にも立てない無能者。
自分は弱い。
自分は使えない。
自分は価値がない。
それがアイビスの中に駐留し続ける鎖なのだろう。
『―――――アイビスさん、準備はいいかい?』
シャルロットからの念話にアイビスは数秒の沈黙を持って答える。
『大丈夫だよ、シャルロット……』
『なら、いいんだけどさ。でも、無理なら無理って言ってもいいよ。銀二もティアナさんも怒らないし、僕達もアイビスさんを批難したりしないよ』
相変わらず優しい、このまま彼の言葉に甘えてしまいたい―――そんな欲望がアイビスの中で生まれた。
だが、彼女はそれを否とする。
『ありがとう―――でも、私は本当に大丈夫だから』
遠くから轟音が響く。
おそらく、ミシェルが戦闘を始めたのだろう。
自分よりもずっと幼い彼女は鉄砲玉だ。どんな局面でもミシェルは恐れを知らない。仮に恐れを抱いたとしても、彼女は前に進み続ける。
彼女の後に続く仲間の為、そして彼女にとって唯一の彼女であるミシェールに恰好悪いところを絶対に見せない、そんな小さな自尊心を守るために。
きっと彼女の手にはあの巨大な剣『スレイヤー』が握られている。
ミシェルの身の丈を余裕で超える程の大剣、それがミシェル・ライアンのデバイスであり武器。
『きっと張りきってそうだな』
『うん、私もそう思う。ミシェルは騎士に憧れてるから、きっと一番にあの子……あの人のところに向ってくと思う』
『怪我しなければいいんだけど……まぁ、大丈夫だと思うけどね』
勇敢なる騎士と同時に恐れ知らずの鉄砲玉。
『でもさ、前から疑問に思ってたんだけど……ミシェルはどうしてミッド式にまま騎士を名乗ってるのかな?騎士になりたいならベルカ式に変わればいいと思うんだけど』
『ミシェルなりの拘りだと思うよ、きっと……』
それだけ彼女はミッド式の魔法に思い入れがあるのだ。
『――――もしかして、彼女のお父さんの影響かな?』
『なんだ、知ってるんじゃない』
『うん、知ってるけど……僕としては、あまり関心は出来ないんだけどね』
『優しすぎるんだよ、シャルロットは』
だからこそ、双子の少女は彼に懐いている―――というか、アイビスの眼にはそれ以上の感情があるようにも見えるのだが、それは言わぬが花だろう。
さて、無駄話はこの辺で終わりにしよう。
『…………シャルロット。貴方はこの喧嘩、勝てると思う?』
『弱気だね。まぁ、しょうがないか―――そうだね。僕は多分、勝てると思うよ』
シャルロットは気が強いわけではない。普段の彼は温厚で心優しい青年だ。その外見のせいで誤解はされがちだが、アイビスの知るシャルロットという青年はそういう人物だ。
小さなモノを好み、甘いモノを好み、男というには些か弱い部分はある。だが、そんな彼だって戦う時は戦える。
リアルを前に彼はファンタジーに逃げない。
シャルロットが愛するお伽話の中に彼は絶対に逃げない。メルヘンジャンキーと呼ばれようとも、彼はリアルの重さ、残酷さを理解している。

だから、彼はファンタジーの『あり得ない幸福』に憧れる。

それが、リアルではあり得ないと断言できるほどに。
『だってさ、銀二が勝てるって言ってるし、ティアナさんも勝ちたいって言ってた。そして、あの銀二が本気でやるって言ったんだ……知ってるでしょ?』
そして何より、彼は武本銀二を知っている。
『銀二が本気になった時、大概は上手くいく―――ううん、違うね。僕達の想いはずっと『通すべき筋を通す時、負けはない』だから、絶対に上手くいくよ』
『うん、きっとそうだね』
そして、アイビスも武本銀二を知っている。
だから、アイビスはこうして空を見上げている。
仮初の空だろうとも、戦いを起こす空だとしても、彼女は此処にいられるというのなら問題は無い。
『―――――それに、ほら……ミシェールも大丈夫だってさ』
シャルロットの肩に腰掛けるミシェールがアイビスに向けて手を振っている。
普段から無表情の彼女が手を振っている。だからアイビスも笑みを作って手を振る。それだけでミシェールは微かに頬を動かし、笑みを作る。
ミシェールは常に周囲に無関心だ。
彼女にとって世界は姉であるミシェルだけであり、自身の言葉など意味はない。伝えるべきはミシェルの言葉だけ。彼女自身、それだけが己の全てだった―――かつては、そうだった。
しかし、今のミシェールはそうではない。
自身の存在理由を知ろうとも、自身の存在価値を認識しようとも、ミシェールにとっては過去でしかない。
彼女の中の一番は姉。
姉にとっての一番は妹。
彼女達の中の一番は双方。
『ミシェールも、無理はしないでね』
無表情に戻った顔で頷く彼女は、それとは違う一番を見つけた。
だから、彼女は戦える。
姉だけが世界の中心だった場所に、他の者を立たせるスペースを構築した。
家族の為にだけ戦うのではない。
仲間の為にだけ戦うのでもない。
ミシェールにとっての大切な人々の為に、彼女はその意味を行使する。
本当に、自分の周りはこんな者達ばかりだとアイビスは苦笑する。こんな自分を仲間だと言ってくれる。こんな役に立たない無価値な自分に居場所をくれる。その為に戦うなんて事も出来ない自分に―――託してくれる何かをくれた。
再び響く轟音。
アイビスは遠くを見つめる。
限られた白い空間の中に生まれた世界は、見放された街並み。そびえ立つビルの群れはどこもかしくも壊れ果て、舗装されていたコンクリートの地面はひび割れている。遠くに見えるブリッジは途中で海に落ち、意味をなくしている。
そんな風景を彼女は鷹の様な鋭い眼で凝視する。
この街の何処かで的がいる。敵ではなく的。この戦いを勝利に導く為の絶対的な的。
その相手を探す――――否、探す必要もない。
見えた。
遥か前方から桜色の砲撃が飛来する―――その牙が向けられたのはシャルロットだ。
『シャルロット!!』
『大丈夫―――あれは、威嚇だよ』
威嚇と言うが、あの大きさ、あの魔力量。その二つを見ただけで並の魔導師なら一撃で沈む程の砲撃。それは威嚇ではなくシャルロットを潰す為に放たれた容赦ない一撃。
しかし、それをシャルロットは威嚇と称する。
そう、彼にとって『あの程度』では威嚇でしかない。
ミシェールがシャルロットの肩から飛び降り、彼の後ろに隠れる。
シャルロットの後ろ―――漆黒の防護服、重装甲の鎧を身に纏ったシャルロットの後ろへ。
防護服、デバイスは既に展開されている。
シャルロットの防護服は、鎧だ。
漆黒にして重装。足元から顔まで鋼鉄で固められた鎧にある丸みを帯びた赤い光を放つ瞳。その手に巨大な大筒、六つの銃口に巨大な一つの銃口―――ガトリングガンの様な形の大筒を二つも両手に持ち、背中に巨大なドラム缶の形をしたマガジンを背負っている。
ティアナの持つクロスミラージュが双銃型であるように、彼の持っているデバイス『グリムライブラ』もまた双銃型。
違いはその巨大さだけ。
ミシェルの持つスレイヤーと同等以上の大きさをもった超重量級の双銃、それを意気揚々と扱えるのは彼以外にはいないだろう。
そんな巨大な銃を持った、漫画の中に登場する装甲機兵の様な姿をしたシャルロットに桜色の砲撃が激突する。
爆音、轟音、破壊音―――だが、それは彼を潰すまでにはならない。
彼の前に張られた強固な盾の前に、威嚇程度(シャルロットからすれば)では傷一つつけられない。
存在は山の如く。そして、その強固さは難攻不落の城塞。
『――――うはぁ、流石はエースの砲撃。ちょっとびっくりした』
『貴方の後ろでミシェールが震えてるわよ?』
『あ、本当だ……大丈夫だよ、ミシェール。あの程度なら後十発は耐えられるから』
つまり、後十発撃たれれば沈むという計算。難攻不落の城塞だとしても、流石にアレを半永久的に防ぐのは無理なのだろう。
『でもさ。今のであの人が何処にいるかは分かったでしょ?』
『そうかもね。でも、すぐに移動してるはずよ、あの人なら……』
確かに今ので相手が何処にいるかは判明した。しかし、相手は無能でも役立たずでもない。空のエースと呼ばれた最高位の魔導師。
空を縦横無尽に飛び回る移動砲台である彼女はシャルロットとはタイプが違う。シャルロットには機動性はないが、その機動性捨てた分の城塞型固定砲台としてのスタイルがある。
恐らく、防御面ではシャルロットに歩がある。しかし、それでも限界はある。固定砲台ではあの移動砲台を捕まえるには時間がかかるだろうし、そもそも簡単には捕まらないだろう。
『関係ないよ』
だが、シャルロットが言う。
『アイビスさんなら、こういう風に話していても――――あの人に追いつく程度、簡単でしょ?』
自分が動かなくとも、彼等には信頼できる翼があり、星がいる。
そんな期待を込めた問いに対し、答えは否―――ではない。
『それじゃ、作戦通りで行こう。ティアナさんも頑張ってくれてるし、ミシェルもミシェールが援護してくれて奮闘してる――――後は、君だけ』
大層な事だ。
自分はそんなに大層な人間ではないというのに、そんな事を言われてもいまいちピンとはこない。
それでも、アイビスはその期待には答えようと思った。
砲撃から一分が経過、既に相手が何処にいるかは分からない――――が、それがどうした。相手がエースだろうが、移動砲台だろうが、何だろうが関係ない。
この身は、空を飛ぶ事しか出来ない欠陥品。しかし、空を飛ぶ事だけには特化している特注品。
高ぶる心臓の音すら、今は不安には感じない。
自己批判し続ける過去の鎖は、今だけは錆びついている。
さぁ、始めよう。
自分の役割はたった一つ。
この戦いにおいて、アイビスに課せられた義務は一つしかない。
それを遂行し、勝利をもぎ取る。
自己に義務を、
仲間に信頼を、
そして、新しい仲間に勝利を、
『行ってくる……』
そう言って、アイビスはデバイスを起動させる。
「行こうか……DT」
白い翼と赤い翼、そして中央に銀色の星を模った三つのパーツが交差したデバイス『DT』は、主であるアイビスの声に反応して姿を見せる。
「DT――――モード・ベガリオン起動」
アイビスは防護服を纏う。
白いホットパンツに白のインナーシャツ、その上に彼女の身の丈よりも長い緋色のコート。
腰元に短いバーニアが四つ出現し、背中には待機状態のデバイスと同じように白い翼と赤い翼と銀色の星が交差する紋章。
その紋章の中で唯一輝き放つは赤い翼と銀色の星。
星の色が緋色に染まる。
『アイビス、頑張って』
シャルロットの声に背中を押され――――鴉は流星になる。
背中の紋章が緋色に染まった瞬間、背中に同色のスラスターが出現する。
高速飛行翼装―――モード・ベガリオン。
コートの裾が鳥の翼の様に展開し、背中のスラスターが点火する。
空気が歪み出す。
スラスターの熱が背後の風景を歪め、腰のバーニアも点火。

その瞬間、緋色の星が流れた。

黒髪を風に流し、風を己の翼とし、流星は風を切り裂き加速する。
一秒にも満たない時間でアイビスは風を殺し尽くす。その先に生まれた速度は高速。その速度は六課最速の魔導師に引けは取らない。
広大な空間を緋色の流星が流れる。
周囲の光景が一瞬で様変わりする。
壊れ果てた街の中を高速で飛行し、三秒後には目的の人物を捉えた。
「―――――!?」
相手の眼が微かに驚きに染まる。しかし、すぐに驚きを抑え、戦いに臨む目に変わる。その挿げ替え、切り替えには驚嘆する。自分とは違う戦いにおける心構え。そして戦いにおける決定的なまでの経験の差。
それを零にするのは不可能だ。
だが、所詮はそれだけ。
経験の差?
技術の差?
魔力量の差?
存在の全ての差?
それがどうした。
最高位の魔導師と最下位の魔導師が相対する。
アイビスのこの戦いにおいての唯一にして絶対の役割。
それは普通なら自殺行為以外の何物でもないだろう。だが、それを彼女は何の不安もなく実行する。仲間の信頼に応え、目の前のエースへの対抗心、そして此処が空だという事実。
アイビスは宣言する。




「アイビス・ツキムラ――――――エンゲージ……!!」




その瞬間、戦いは始まる。
相手のデバイスから放たれる魔法。
数はわずか二十。
アイビスの周囲に出現する魔弾は全てが桜色。桜の木と同様の美しい花びら。しかし、その威力は鉛味の弾丸と変わりはない。
後方―――飛来。
動かない、既にそれは予測している。風が切り裂かれる速度で動く物体があるのなら、それは風が悲鳴を上げるだけ。
首を傾げる様に動かす。それだけで魔弾はアイビスの頬を掠めるだけで通過する。しかし、これは囮。次は左右同時―――追加で上と下、更に前方と後方。
最初の一発は脅しに過ぎない。
避けれるか?
「――――遅い」
空中で右足を大きく振り上げる。重力を無視した回転は縦。足のあった場所を魔弾が通過。頭があった場所を死弾が通過。そこから身体の回転を横に変更。左右同時に仕掛ける桜色の魔弾は空を切る。
「あまりにも、鈍い」
だが、魔弾は飛ぶから魔弾ではない。魔的なまでに自由自在に動き、一度避けてもそれは死なない。
死なずの魔弾は通過と同時に直ぐに戻ってくる。
数は同じく二十―――ではなく一気に二倍。

たかが、四十。

幾らマルチタスクに優れていると言っても、四十もの誘導弾を全て違った動きで操作する事は不可能に近い。だからあの四十の内、パターンは二桁にも満たない命令しか下されない。
だが、それはあまりにも多すぎる一桁台。
無限とも思える空の空間。しかし、今のアイビスを取り巻く環境はそんな曖昧で優しい空間では無い。
いうなれば密室。
彼女の背丈がぎりぎり入る程度の高さと、両手を伸ばして壁に手がつく程度の幅。そんな狭い空間だと錯覚させる程に密集した魔弾の檻。
「DT、モードチェンジ」
緋色のコートが色を変える。
迫りくる魔弾を身体を捻るだけで回避し、回避し、回避し―――回避し続ける。
「――――――モード・アルテリオン」
ベガリオンは高速飛行には長けている。しかし、それはあくまで空の上、何も無い空の上を『ただ直進する』だけに特化しているにすぎない。
故に背中のスラスター、腰の四つバーニアが必要になる。
しかし、この状況でそれは必要ない。
相手は見つけたのだ。
相手は目の前にいるのだ。
この状況でそんな飛行は必要ない。
必要なのは――――三次元飛行。
「ついて来れるか?」
相手に聞こえない声で呟く。
緋色のコートが純白に変わる。白の純白のコートの出現によって背中のスラスターが消え、腰に装着されたバーニアにも変化が加わる。
まず、数。
四つも必要はない―――二つで十二分。
次に、長さ。
こんな長さはいらない。
必要なのは加速を必要とする出力を出すバーニアではなく、ほんの少しの重力を焼き殺すバーニアでいい。結果、バーニアの長さが半分になる。
三次元飛行翼装――――モード・アルテリオン。
翼装の変更を完了したアイビスは一気に飛び出す。
必要最低限の出力で前に飛び出し、相手の前に出る。
相手に驚きは無い。
冷静に魔弾を操作し、自身を守る壁を作る様に集結させる。
何もない空中で足元を蹴りつける様に踏み込み、飛び超える。
相手の頭上、回転して踵を落とす。
弾かれる―――予想済み。
自分の力量では相手の防壁を突破する事は不可能―――知っている、予想している、だから焦りは無い。逆に相手の防壁を踏み台にして上空に飛ぶ。
上空、この場合は前方に魔弾の群れ。
雨、隕石が落ちてくる様な速度で魔弾が降下してくる。
急激な横への重力。
真横に飛んで魔弾の第一陣を避け、次に来る第二陣に備える。その際、真下にいる相手の様子を視界に入れる事を忘れない―――否、むしろ魔弾など見る気もない。
矢次に襲ってくる暴力を全て避け、上昇する。
相手は――――追ってきた。
「―――――なんて、ノロマ」
思わずそんな呟きが漏れる。
真下から今度は逆再生の様に次々と魔弾が上昇してくる。
ベガリオンでなら振り切れるがアルテリオンでは不可能。
さて、どうしたものかと考える―――が、妙な感覚が生まれた。上昇する際に空に奇妙な歪みがある、その歪みは本当に微かであり、見落としてしまってもなんら不思議はない程の微か。しかし、その見落としをするはずがない。
空は、アイビスにとって自分自身なのだから。
その歪みを避ける。その際、念の為に歪みを指先でチョンッと突いてみると、その瞬間に歪みの場所に設置された罠が発動する。
不可視の罠、バインド。
仮にあの歪みに気づかずその場所を通過していたら間違いなく捕まっていただろう。その後はあっさりとした撃墜が待っているだけ。
よく見るとそんな歪みが所々に見える。
なるほど、既にこの場所は相手の縄張りになっている。
「無粋だね」
そう漏らしたアイビスは空中で急停止。逆に背中から地面に向けて落下する。そんな態勢では背中に魔弾をしこたま食らう事になるのだが、そんなヘマはしない。
魔弾に眼もくれず、彼女は真下から迫る魔弾が風をなぞる音だけを頼りに位置を索敵。
後は先程と同じように、
頭部に狙いをつけられたモノは、頭をずらして避ける。
背中に当る筈のモノは、回転して受け流す。
回転した瞬間に全方向から襲いかかってくるモノは、バーニア吹かすだけの微かな運動だけで避ける。
真下を見る事なく、魔弾を見る事なく、アイビスは全ての魔弾を背中越しに回避する。
避ける。避ける。避ける。避ける。避ける――――そして、落下するアイビスと上昇してくる相手が交差する。
恐らく、避けるので精一杯なのだろう―――そんな風に相手は考えているのだろうとアイビスは推察していた。この状況下で彼女の眼は魔弾になど向いていない。向いているのは常に相手の眼。
余裕な眼。
驚きも歓喜も狂喜も何もない、つまらない眼。
あぁ、なるほど。
彼女は、この喧嘩に勝利する気なのだ。だからあんな冷静な眼で自分を見つめ、その上でこんな残虐的な光景を作り出している。
あぁ、なるほど。
しかし、そんな彼女の眼にあるのはきっと余裕だろう。アイビスの眼に余裕の色が無いように、高町なのはの眼に余裕が無いように、両者の間に余裕という眼はない。

少なくとも、魔弾の射手が己の放った全ての弾丸を避けられ、アイビスと視線を交差させる瞬間まで、そういう眼だった。

「アナタは堅い、私は脆い」
交差した瞬間、アイビスは相手にそう言った。
「アナタは勇敢だ、私は臆病だ」
相手は微かに眼を見開くが、すぐに旋回して魔弾をアイビスに集中させる。数は少ない。アイビスが一つも防がず落とさず当らずを繰り返してた結果、一つの魔弾も群れから脱落はしてない。
それでも数は減った。
だとすれば、次にくるのはもっと強大な一撃。
数ではなく質を詰め込んだ一撃。
「アナタは強靭だ、私は脆弱だ」
本来なら戦慄するであろう想像をしていても、アイビスの言葉は止まらない。
収束する魔力光。
一撃必殺の十八番がくる。
だが、それだけ。
「…………でも、それだけだ」
空のエース、高町なのはが放つ砲撃がアイビスの視界を覆う。
空が好きなだけの自分、アイビス・ツキムラはその光を前にしても落ち着き、冷静に対処する。
単純に、
「――――DT、モードチェンジ」
モード・アルテリオンから一瞬でベガリオンへ転換。その緋色のコートを纏った彼女へむけて放たれる砲撃は早い。
だが、緋色の翼には劣る。
背中のスラスターと腰の四つのバーニアが一気に点火され、爆発的な速度をもって砲撃を振り切る。
地面を抉る桜色の暴力。地面すれすれを高速で飛び、一気に急上昇。そこへ二射目の準備を終えたなのは。
横に避ければいい――――そんな単純な回避はしない。
「アナタがどれだけ強くても、アナタがどれだけ偉大でも、アナタがどれだけの力を持っていたとしても――――」
大胆不敵、もっともアイビスに似つかわしくない言葉を言う。
スタート地点はこの場所。
合図はなのはの砲撃。
風は人工的ながらも良い風が吹いている。
これなら、宇宙までだって飛んでいける。
砲撃が放たれる――――同時にロケットスタート。

そして、エースは相手のあり得ない行動を眼にする。

自身の放った砲撃、ディバインバスターを相手は横に避けるだろうと予想していた。横にそれた瞬間、次の一手で布石を張り、次の一手が相手が予想通りに動けば詰めには、あと一歩。
相手がどれだけのスピードを持っていようとも、それに対する戦い方など幾つも上げられる。その上で相手を仕留め、落とし、勝利する――――が、しかし。
「―――――!?」
誰が予想しようか。
誰があんな無謀な事をしようか。
誰があんな悪ふざけをしようか。
誰が、



誰が、飛んでくる高速の砲撃を背に、その暴力の前を飛び続けるという選択肢を取るだろうか――――



確かに高速と云っても所詮は威力を重視した砲撃に過ぎない。同時に射程は無限でもないし、曲がりもしない。
眼では見れるのだ。視覚する事が出来ない程の高速ではないのだ。本物の弾丸の様に音が聞こえた瞬間に身体に中っているなどいう事はないのだ。
だが、速いのは事実。
それは陸上選手が狭い廊下で、レーシングカーと轢かれるまで終わらないデスレースをしていると同じ。
故にアイビスのしている事は自殺行為以外の何物でもない―――はずなのに。
追いつけない。
追いつかせない。
直進する高速の砲撃を前に、それ以上の速度を持ってアイビスは砲撃を寄せ付けない。
それはまるで自身の方が速い、お前の方が遅いと言っているかのようでもあり、教導する身としては絶対に教えるはずもない愚行中の愚行。
しかし、知るべきだった。
しかし、知覚するべきだった。
世の中には、そんな者がいるという事を、エースは知るべきだった。
やらない、やれないという錯覚を捨て、全ての可能性を想像するべきだった。
結果として言おう。
ある意味で、今まであり得ない方で、高町なのはの十八番が破られた。
避けられたのでも防がれたでも弾き返されたのでもない。

振り切られたのだ。

速度という力任せに、あっさりと振り切られた。
直進という一番速いであろうコースを、振り切られた。
呆然とするなのはの耳に、
「アナタは強い、私は弱い」
アイビスの声が響いた。
「アナタは堅い、私は脆い。アナタは美しい、私は醜い。アナタは勇敢だ、私は臆病だ。アナタは強靭だ、私は脆弱だ」
まるで瞬間移動の様に、アイビスはなのはの前に現れ、向き合っていた。
「でも、それだけ……どれだけの強さを持とうとも、どれだけの頑丈さを持とうとも、どれだけの戦場を駆抜けようとも、どれだけの才能があろうとも、どれだけの称号があろうとも――――――」
なのはを指さし、不敵に笑う。



「――――――――――アナタは絶対に私に追いつけない」



アイビス・ツキムラは空を飛ぶだけしか能の無い魔導師。
それだけしか出来ない、それ以外は出来ない。
故に空戦魔導師ではない。
ただの飛ぶだけの魔導師。
空で戦う事の出来ない、役立たずな魔導師。
そんな無能としか云えない者を前に、英雄は言葉を失う。
不敵に笑う鴉に、呆然とする白鳥。
どちらが優れているかなど今は関係ない。
関係があるとすれば、
「さぁ、私を触れてみろ…空のエース様」
単純に、追いつけないという事実。
「強いんだろ?凄いんだろ?誰かにモノを教える程に素晴らしい魔導師なんだろ?」
捕まえるしかない。
「だったら、さっさと私に触れてみろ」
捕まえる以外に鴉を落とす術はない―――だが、
「けどな……」
それは不可能。
なぜなら、人ごときでは流星に手を伸ばしても届かないから。
この戦闘において、アイビスに与えられた役割はたった一つ。
高町なのはをたった一人で相手にする事。
そんな無謀とも云える役目を与えられた彼女は、

「アンタじゃ無理だよ……このノロマ」

その役目を、やり遂げるつもりだった。








あとがき
ども、エヴォリミットにハマり中、な散雨です。
何故か外伝続きました。むしろ、こっち本編じゃないかと首をかしげます。
そんなわけでオリキャラどもデバイス登場。
シャルロット『スプリガンのファットマン大佐(細身』
ミシェル『零式斬艦刀』
アイビス『まんまアレ』
何故かクロス物になってきた外伝。一話で終わらせるはずが長すぎて二話にわけました。
次回は決着です。そして終わったら本編です。
そんなわけで次回「流星と英雄と喧嘩の法則(後編)」です。
本編より、こっちの方が書いてて楽しいね……よし、こっちを本編にしよう!!(嘘ですけど










おまけ



「――――――なぁ、フェイトちゃん」
隊長室に映し出されたモニターを見ながら、機動六課部隊長、八神はやては言った。
「ギーくん、勝てると思う?」
ライトニング分隊隊長、フェイト・T・ハラオウンは沈黙を保つ。その眼はモニターに映るなのはとアイビスの戦闘をじっと凝視している。
「私とはしては、ギーくんは絶対になんかやる……それも、かなりエグイ事やるで」
「…………うん、そうだね」
「それでもなのはちゃんが負けるとは思ってないけどなぁ……私としてはギーくんが何をやらかすのか楽しみでしょうがない感じやな」
真剣にモニターを見つめフェイトとは対照的に、はやてはニヤニヤしながら観戦している。そんな部隊長、もとい親友をフェイトは若干呆れ顔で見ながら、
「――――まぁ、銀二が何かやるっていうのは私も同感かな。しかも、エグイ感じで……かなりエグイ事する」
「あははは、やっぱり?」
「私もなのはが負けるとは思ってないよ……でも、銀二が有利だとは思ってる。銀二はなのはの戦い方を良く知っているけど、逆になのはは銀二の戦い方をあまり知らない」
その言葉に、はやては少しだけ驚く。
「え、ほんま?てっきり二人とも互いのスタイルを熟知していると思ってたんやけど……そういえば、私もあんまりギーくんの戦ってるところを見た事ないで」
「多分、私達の中で銀二が戦っているところをまともに見た事があるのって、清四郎と私ぐらいだと思うよ」
「それもそうやなぁ……うわぁ、十年来の付き合いでまさかの衝撃!!」
だが、逆にそれが楽しいとはやては笑顔で語っている。
「―――――私としては、はやて。どうしてはやてが銀二の受け入れをあっさりと受け入れたのかが疑問だよ」
「必要だと思ったんよ」
「必要?」
「そうや……今回のコレはどっちに転がっても悪い事にはならない。なのはちゃんとティアナの事もそうやし、新人達にも良い経験になるで。なにせ、ギーくんみたいなエグイ戦法を使ってくる相手なんてそうそういない」
「トラウマにならなければいいけど……」
それは否定できない、とはやては苦笑する。
「それに、正直な話としては、今回の件は私の管理責任にも問題があるし、それをギーくんに押しつけた感じもあるから――――せめて、良い方向に転がってもらわんと色々と痛いんよ。特に胃とか」
「胃薬飲んだら?」
「市販されてる奴は大概試した。効果は微弱だった。今は係りつけの医者までいるで?」
ご愁傷さま、フェイトは心の中でそう想った。とりあえず、はやての信頼する銀二がとんでもない事をしでかし、はやての胃が爆発しない事を願い(同時に少しだけ見たいと思いながら)フェイトはモニターを見る。
「でも、予想外やったのはギンガやな。まさか、始まる前に銀二を連れていかれるとは思ってなかったなぁ」
「止めれば良かったんじゃない?」
「いや、面白いからいいかなって……」
「はやて……なんか色々と黒いよ」
「バリアジャケットなら展開してへんで」
「いや、顔と腹。後は存在」
「――――減給するで?」
「はやて、この間ちょっと六課の運営状況をみたんだけど、どうも資金の流れが一部だけおかしい方向に流れている個所があったんだ……これ、何か知ってる?」
「よし、特別にボーナスあげる!!だからそれは追及せんといて!!」
「いやいや、そんなの悪いよ。私達、友達でしょ?―――――あ、そういえば接待費が異常な速度で減ってたね。おかしいな、接待なんかする機会は無かったはずなんだけど……」
「……な、何が望みですかな?」
冷や汗をダラダラ流し、はやては恐る恐るフェイトを見る。
黒かった。
フェイトの防護服よりも何倍も黒い笑顔があった。
「最近、ガソリン代が高騰してるよね。あれ、ちょっと痛いんだよね」
「―――――交通費、こっちで全額持ちますか?」
「え、いいの?悪いよ、そんなの…………あ、接待費もそうだけど、前にはやての机を漁ったらちょっと他人には見せられない物が色々と」
「部隊長の机漁らんといて!?というか、見たんか!?アレを見たんか!?」
「はやて……私としては受けと攻めは逆にした方がいいよ?清四郎のヘタレ攻めとか超好み」
「見たんやな!?ばっちりしっかりはっきり見やがったな!!しかも、なんか注文までしている始末や!!」
「アレ、結構出来はいいから配布しよう。新聞の四コマみたいに管理局配布する奴に載せよう。うん、これではやても漫画家デビューだね」
「止めて、社会的にマジで死ぬで、私……」
「ちなみに原稿は全部スキャンしてバルディッシュの中に保存してるから消せないよ?」
「自分の相棒になんて暴挙!?」
「うん、心なしかバルディッシュが泣いてた気がしたね―――――ところでこの間、家族で行く某夢の国の三泊四日のツアーがあったんだけど、あんな高いツアーに参加するのって財布に響くんだよね」
はやては思った。
銀二も大抵エグイが、コイツもエグイ。
互いを嫌い合っている二人だが、こういうところだけは妙に似ている。実は仲が良いんじゃね、と疑うほど。
「どうしたの?私は別にお願いしているわけでも脅しているわけでもないのに、そんな狩られる一歩手前の狸みたいな顔して」
「…………フェイトちゃん、私らって友達だっけ?」
「うん、友達だよ」
「その友達っていう単語に『サイフ』っていうルビ、ふってへんよな?」
「まさか……ねぇ」
ニヤリ―――十年の友情も一瞬で吹っ飛びそうな勢いの笑みだった。
「――――――交通費やら何やら、色々……ぜ、善処します」
「流石!!」
「い、いつか眼にモノ見せてやるで……」
「…………これは独り言なんだけど、局の中でなのはの子供時代の写真が出回っているらしいね。しかもかなりの高額……アングル的にあんな写真を撮るのは私の大切な友達なんだけど――――うん、私の気のせいだね」
「アンタ鬼やな!!」
「あれ、独り言聞こえてた?恥ずかしいなぁ」
飼い犬に手を噛まれる。信じた者に裏切られる。そんな感覚をこの瞬間に一気に堪能した気がした。
まぁ、大概は本人の自業自得なのだが。
その日を境に、部隊長の使う端末やら書類やら、局の最高ランクの機密を守るくらいのプロテクトがかけられる事になったのだが―――何故か、そのプロテクトに守られた個人的な秘密のことごとくが黒い執務官の懐に入っていく事になる。



八神はやての明日はどっちだ――――誰も興味がないだろうけど。



「一戸建て……欲しいなぁ」
「ほんま勘弁してください!!」







[19403] 外伝之参「流星と英雄と喧嘩の法則(中編)」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/07/12 13:28
戦いは既に始まっていた。
高町なのはとアイビス・ツキムラの戦いよりも早く、二人の少女の激突は開始している。
方や、赤きドレスを身に纏う騎士。
方や、藍色の浴衣を身に纏う少女。
少女は戦闘が開始する前と姿はあまり変わらない。唯一変わったと言えば、両手に浴衣と同色、藍の手甲を纏い、足を下駄からブーツに履き替えている。そして頭には大きなヘッドフォンを装着―――その程度、騎士の様に騎士甲冑を纏っているわけでもない。
必要最低限の武装、そんな感じだった。
少なくとも、少女の手にある極大な剣だけが唯一の武装だともいえるだろう。
「――――ッ!!」
赤きドレスの騎士―――ヴィータが動く。相手の巨大な凶器に驚きはあるものの、あれだけの質量を簡単に振り回せるはずがない―――などという油断はない。どれだけの質量さ、この場合人と凶器の組み合わせだが、そんな見た目などクソ食らえ、なんの基準にもらない。
あの細腕だろうとも、あのような巨大な凶器をふるまわす事には何ら問題はないだろう。それを可能とするのが魔法であり、魔導師。
故にまずは一手、打ち込む。
頭上に落ちる鉄槌。
地面を穿つ衝撃。
ヴィータの一撃を避け、少女は距離と取る。だが、距離を取るために飛んだ瞬間、ヴィータの鎚が地面を穿った瞬間、ヴィータも既に跳んでいる。
跳んだ少女に肉薄する勢いでヴィータは飛び出す。少女は冷静な表情(表面的には)で大剣を盾にするように構える。
ガンッと鉄と鉄がぶつかり合う音、そして衝撃。
巨大な大剣と少女の軽い体重が合わさっても、ヴィータの放つ衝撃に耐える事は不可能。少女の身体が吹き飛ぶ。
(――――なるほど、力勝負はあっちが有利か)
飛ばされながら―――否、跳びながら少女は冷静に今の状態を観測する。空中で猫の様にクルリと回転し、瓦礫となっているビルの側面に足をつけて停止。
(そして、こっちの攻撃で相手にどれだけの反応を与えられるか―――試してみるか!!)
跳躍―――大剣を構え、跳ぶ。
大剣型アームドデバイス―――スレイヤーは少女にとって武骨な剣。同時に扱い辛い武器でもある。しかし、それでも威力は重々承知。これで叩けば相手は潰れる、これで斬りつければ斬れる、その程度の認識。
しかし、相手は百戦錬磨の兵だ。この程度の一撃でどうにかなるとも思っていない。現に少女の放った斬撃はあっさりと受け止められ、流される。
元々無理な体勢で斬りつけた報いか、少女の身体はあっさりとバランスを崩し、蹈鞴を踏む結果となる。そうなれば、それは隙。そんな誰から見ても隙以外の何物のでもない隙を、相手がつかないはずはない。
(技術的にもあっちが上手……っけ、わかってたけどムカつくな)
鉄槌の連撃。
暴風の如くその様に、少女は内心イライラしていた。
(てっきり力任せのパワーファイターかと思ったけど、どうも違うみたいだな……コイツはシャルロットと同じ万能型か?いや、でも資料を見る限りはパワーファイターみたいだし―――つまり、大抵の事態には臨機応変に対応できるけど、本質は力任せの御姫様ってか?嗤えねぇな、おい)
シールドでの防御ではなくスレイヤーを使っての防御は、当然デバイスに負担をかける。
ミシミシと嫌な音が聞こえる。
(これ、壊したらまたミシェールに怒られるな……クソ、納豆オンリーの一週間生活なんてもう沢山だぞ!)
だが、妹に怒られるのが嫌だからシールドを使うわけにはいかない。元々前線趣向で突撃趣向、鉄砲玉体質の少女からすれば防御に使う魔力など無駄なのだ。出来ないわけじゃない。だが、上手く練れないというのも事実。
(紙装甲だしな、俺様の盾……けど、それならいつも通りで問題なし。何の変わりも無い。攻撃は最大の防御で最大の防衛策――――ミシェール!!)
『アイアイサ~』
ヘッドフォンを通して気の抜けた声が響く。
『姉さん、準備は?』
(万端!!)
『そうですか、では行きます』
少女の剣が力任せに振るわれ、鉄槌を弾く。その隙に後方に跳び、構える。
『歩けぬ者に足は要らず――――スパニッシュ・ブーツ』
瞬間、弾丸の如く少女が飛び出す。先程の数倍のスピードで、ヴィータの正面に出現する。
「――――なろぉっ!!」
だが、速度が上がった程度では意味がない。防がれる事も承知の上。なにせ、このブーストは脚の速度を上げる程度でしかない。
(ミシェール、続けろ)
『了解。黒き死なずの苦痛――――ブラックジャック』
速度は十分、次はもっとも少女の必要な攻撃力の上昇。
流されるなら、流させない。
受け止められるなら、それごと叩き潰す。
少女の腕に先程よりも更に上質な腕力が追加される。
威力が上がった、そうヴィータは確信した。一撃一撃が重い。受け止めようとすれば手が痺れる。受け流そうと思えば流すより早く相手の剣が下がり、次の一撃がくる。
ブースト、ヴィータは忌々しげに呟いた。
(まだまだ……)
『当然です。鉄の処女は痛みを知らない――――アイアンメイデン』
そこで初めて少女がシールドを張る。
先程までのシールドなら少女の思うところの紙装甲。だが、少女の妹によって施された補助魔法の結果が反映されたシールドは、先程の数倍の強度をほこる。
これで剣での防御の役目は減る。減った役目の部分で攻撃に移る。
(行くぜ、騎士様……!!)
大剣―――スレイヤーの刀身に小さな筒状のバーニアが三つ出現。同時にスレイヤーから吐き出される薬莢。
カートリッジ、ロート完了。

(連鎖・花月……!!)

バーニアが爆発した。
ロケットエンジンが点火されると同時にオレンジ色の炎が吐き出され、それが剣速を格段に上げる。
「―――――ッ!?」
上段からの兜割。
それが防がれた瞬間にバーニアの向きが横に変わり、再度点火。
真横に吐き出されるロケットエンジンの炎が少女の身体を独楽の様に回転、振り回す。
中段からの斬りつけ。
速度と威力、補助魔法とカートリッジの恩恵を受けた少女の剣は速い。
後方に跳んで斬撃を避けるヴィータ。それを認識した瞬間に今度は剣を突き出す構えをとると、刀身に備え付けられたロケットエンジン全てに着火―――牙突。
最初に言ったように、スレイヤーという武骨な大剣はそれ相応の質量をもっている。そしてそれを扱うには少女の細腕ではどう見ても不釣り合い。仮に剣型のデバイスを持つとしても少女にはもう少し小さな剣が相応しい。現に少女は先程までスレイヤーを振り回すのではなく、スレイヤーに振り回されていた。
それを補うのが妹であるミシェールのブースト。
スパニッシュ・ブーツで速度を上げると同時に脚力の強化。ブラックジャックで腕力の強化を図り、アイアンメイデンでシールドの強化は図って攻撃に専念する。
つまり、少女一人ではこの大剣を扱えない。
扱える事は扱えるのだが、それでは些か不安が残る。
故に妹の強化、ブーストを必要とする。そして、その補助が加わり、ようやくまともに扱えるようになったら少女の、スレイヤーの本領発揮である。
この剣にはあるコンセプトがある。
それはこの剣を作り上げたデバイスマスター曰く、

剣を扱う才能が無いなら、剣自体に才能をつければ良い―――そんな暴論。

そんな暴論を装填されたのが、スレイヤー。
長年鍛えに鍛えて身につけた剣筋を凌駕するには、それ相応の努力を必要とする。だが、戦い、争いは待ってはくれない。だからこその即席を作り出す。
スレイヤーの刀身に隠されたバーニアは全部で四つ。
逆刃に三つ、柄頭に一つ。
三つのバーニアによって剣速と威力を爆発的に高めると同時に、斬り返しなどの修練が必要な技術を補う。
見方によって未だに剣に振り回されているように見えるが、そうでもないのが現実。
バーニアの点火のタイミングと方向、それを選ぶのは全て持ち主であり担い手である少女自身。少女が少しでもタイミングや噴出される炎の量を誤ると、スレイヤーはたちまち暴れ馬に変わる。
故に少女はそれを扱う為に妹の力を必要としている。
身体強化を図り、スレイヤーを扱うのに『意識を向ける必要のない程度』まで向上させた身体能力があれば、スレイヤーの操縦に差し支える必要はない。
つまるところ、少女は剣においては才能はあまりない。むしろ、平凡といっても過言ではないだろう。
しかし、この一瞬で担い手から自由を奪い、自滅させる暴れ馬であるスレイヤーを操る技術だけは格段に高い。
仮に彼女に何らかの才能があるとすれば『使う』という才能であり『扱う』という才能。
そんな彼女を見て、銀二は彼女をこう称した。



ミシェル・ライアンは魔導師ではない――――『操縦師(パイロット)』だ。



猛攻は激しいが、荒削り故に隙もある。剣が振り下ろされ、次の攻撃に移ろうとすればそこが隙。少女が重心を一度後ろに向けた瞬間がヴィータのタイミング。
鉄槌の猛攻が始まる。
一進一退の攻防ならば、これはヴィータの一進―――同時にこれ以上の時間をかけるつもりはない。
だが、それとは逆なのがミシェルの目論見。
役割は相手の中で『一番厄介な者』を押し留めるという役割。
アイビスが『頭』を抑える様に、ミシェルが『障害』を抑える。
(だけど、あんまりもたないかもな)
自分の力を過信してはいない。技量はもちろん経験も相手が上なのは百も承知。現にミシェルの太刀筋は防がれており、有効な一撃は一向に決まらない。
(まぁ、想像はしてたけどな)
ヴィータの攻撃を受けながら、どこかのんびりとした事を考えていると、
『――――姉さん、こちらもターゲットと遭遇』
念話が飛んでくる。
『数は予想通りです……こっちは何とかなりそうですが、そちらは?』
(さっさとやってくれ。こっちもそろそろ限界だろうし、アイビスだって心配だ)
『ですね……ですが、アイビスさんだって結構強いですよ?』
(相手が相手だからなぁ……正直、この騎士様だって手一杯なんだから、エース様なんて相手に出来ないっつの)
これでも自分の力量は重々知ってる。その為、いつものような無理な特攻はしかけず、こうやって相手に食らいつくだけの行為で押し留まっている。
(まったく、嫌な役割だよ。俺としては騎士様とガチでやり合いたいんだが……)
『仕方がありませんよ。今回は私達の戦いではなく、銀二とティアナさんの喧嘩です。私達はモブであり、他のモブを抑えるだけの役割でしかありません』
(あぁ、わかってるよ……だから、こうやって頑張ってんだよ)
恐らく、相手の目論見はさっさと自分を倒してチームの頭であるティアナを落としに行きたいのだろう。その第一の障害が自分。そしてもっとも重要な障害が自分。同時に、このミシェル達の立てた作戦においてもっとも障害となるのもミシェルの相手になっているヴィータだと彼女達は考えていた。
「さっさと、倒れやがれ!!」
(やれやれ、貧乏くじを引いた気分だよ)
『でも、負ける気はないんですよね?』
(当たり前だっての)
不敵に笑みを漏らし、剣と鉄槌が激突する。
(恐らく、あの十分が限界だ。そっちはさっさとやれ――――)
圧倒的ではなくとも、苦戦以上の戦いになることは必至。だからこそ、最初から勝てないなどと思う事は止める。

(――――こっちは、騎士様を精々足止めして、ついでにぶちのめしてから合流する)

そう言って、戦いに専念する。





ヴィータとミシェルの激突を見ながら、ティアナは改めてミシェルという少女の凄さに感服する。自分なら恐らく数分ともたないであろう相手に奮闘している。
「――――っと、見惚れてる場合じゃないか」
ヴィータに気づかれない様にティアナは移動する。
周囲に気を配り、誰もいないか、自分を探すサーチャーが飛んでいないか、
「――――!?」
ほんのり桜色の光が見えた瞬間に、ティアナは近くにあった廃ビルに飛びこむ。
「あっぶなぁ……」
心臓が激しく鼓動する。見つかったら最後、リーダーである自分に一気に戦力が集中するだろう。
それは『まだ』早い。
物陰から周囲を見ると、幾つかのサーチャーが宙にある。
され、これからどう動くかと考えを巡らせていると、
『―――――あーあー、只今マイクのテスト中。これを聞いてる空飛ぶ魔王、エンドレスロリータ、聞こえますか?聞こえたらテスト中だから決して俺には敵意とかハンマーとか砲撃とか、そういう向けられてもなんらうれしくないモンは決して向けない様に~』
頭も中に響く念話に、ティアナは思わずズッコケそうになった。
『ちょっと、アンタ!!』
『おう、ランスター』
『おう、じゃないわよ!!なんて間抜けな演説かましてるのよ!!』
『いや、だって一応盗聴されてたら困るだろ?』
『困るのは困るけど―――っていうか、盗聴してますって相手が言うと思ってるの?』
『逆に盗聴されている可能性を考慮して、盗聴されているかを確認したところで、相手が馬鹿正直に盗聴してますよっていうわけでもない』
『言ってる事が同じじゃない、この馬鹿……で、何の用?私はこれでも忙しいんだけど』
隙間から外を見る。
『さっきからあの人のサーチャーがびゅんびゅん跳びかってて、中々動けないわね』
『あぁ、やっぱりか……妥当な線というか真っ正直な線というか――――けど、概は予想通りだな。ミシェルとヴィータ、なのはとアイビスも戦闘開始したみたいだし、俺達も動くぞ』
動く、その言葉を聞いた瞬間、ティアナの身体が強張る。
『―――ねぇ、あの作戦。本当にあれで上手くいくと思う?私としては、もっと他の作戦がいいんだけど』
『なんだよ、俺の立てた作戦に不安があるのか?』
『不安じゃない。不満なのよ……大体、あれだけ大口叩いているくせに、なんでこんな作戦なわけ?』
確かにこの作戦なら上手くいくかもしれない。だが、この作戦は些か不満が残る―――というより、不満しか残らない。あと、それ以上に申し訳なさが際立つ。
『それが良いんだよ。あっちは正統派、こっちは邪道派―――ほら、俺達のイメージカラーって真っ黒じゃん?』
『私を一緒にするな、馬鹿』
『そうかい、そいつは残念だよ。けど、どれだけの不満に思おうとも、これで負けない事は確定しただろ?あのエンドレスロリータが怒るだろうけど……』
『卑怯者呼ばわり上等って感じだしね……で、そっちの準備は万端なの?私はいけるけど、シャルロット達に上手く『食いつく』かが重要よね』
作戦とは常にこちらの都合に左右される。もちろん、相手にも左右されるのだが、問題は相手の都合をどうやってこちらに合わせるかが重要だ。
その為に散々根回しはしているのだが、
『アイビスの事を信頼してないわけじゃないけど―――――アンタの目から見て、どのくらいもつと思う?』
『希望的観測から言えば、二十分。現実的に見れば五分だな。アイビスは確かにスピードはなのはよりも格段に上だし、フェイトにも負けてないと思う。だが、アイツはスピードだけだ。そのスピードに惑わされて行動を抑えられる程、あのエース様は無能じゃない』
『そうね……だとすれば、そろそろアイビスに対する策が出来た事ね』
『その通り。そして、問題はアイビスに対する策が俺達が考えているモノと同じかって事だ……最悪、アイビスには切り札まで使ってもらわなくちゃいかん』
切り札、その内容を教えてもらった時、正直こいつの頭は正常なのかと疑いたくなった。あんなものは切り札でもない、神風特攻も泣いて喜ぶ愚策だ。
『使うと思う?』
『使うさ。アイビスはそういう奴だからな――――だから、俺は絶対にアイツにアレを使わせない。命を賭け金にした戦いならまだしも、これは俺とお前の喧嘩だ。仲間だからってそこまでレイズさせる気はねぇよ』
そういうところだけは真面目というか、正直というか―――ともかく、アイビスが切り札を使っては色々と不味い。特に、彼女の身体に対してあまりよろしくない。
『―――――お、食いついたぞ。予想通り、シャルロットの所にスバルとエリオが来た。キャロは……うん、少し遠くにいるけど、確認できた』
『そう……なら、シャルロットに伝えなさい―――油断するなってね』
『それだけか?』
『それ以外に何があるってのよ?まさか、遠慮なくぶち潰せなんて言えってわけ?残念だけど、私はあいつ等にまで心を鬼する気はないのよ』
『だろうな―――っお、スバルもエリオも随分と思い切った突っ込みするじゃねぇか。シャルロットも少しだけ驚いてるな』
『シャルロットはいいけど、ミシェールは大丈夫なの?あの子、戦闘能力皆無でしょ』
『皆無ってわけじゃないけど、多少劣るな……もっとも、アイツの場合は最悪逃げてもらうさ。なにせ、あの妹ラブなお姉ちゃんが許さないだろうしね――――それと、まずシャルロットがいるから大丈夫だ』
よほど信頼を置いているのであろう、彼がそう言って行動を開始する。
『そんじゃま、動くぜ』
『私も行くわ……そっちは大丈夫なんでしょうね?まさか、土壇場になって失敗しましたじゃ、洒落にもならないわ』
『俺を信じろって。大体な――――』
念話の主は、自信満々にこう言ってのけた。
『騙し討ちやら奇襲やら、正攻法じゃない戦いにおいて、俺がなのは達に負ける気はさらさらないんだよ』
それを最後に念話は途絶えた。
「……さて、と。こっちも気合入れていきますか」
頬を叩いて気合を入れ、ティアナは飛びだした。
サーチャー飛び交う戦場に。
「さぁ、食いつけ……!!」
その動きはまるで、わざとサーチャーに見つかる様だった。






外伝之参「流星と英雄と喧嘩の法則(中編)」








まぁ、これは当然の行動だとアイビスは思った。
アイビスとなのはの距離は常に一定となって数分。アイビスはなのはを上空から見下ろすという行動を開始している。なのはは動かない。アイビスも動かない。互いに互いを牽制、出方を見ている様にも見えるが、手が出せないのはアイビスの方だった。
最初はアイビスの高速移動でかく乱し、相手の手玉の全てを回避してきたが―――どうも、あまりにもあっさりと避けすぎたらしい。
どうせなら、ギリギリで避けられるという虚を入れたいた方が賢明だったのかもしれない。
そうれば、こんな膠着状態に持ちこまれるまでの時間を稼げた。
少しばかり、熱くなりすぎていた。
なのはは動かない。
宙に浮かんだまま、杖を構えたまま、一分以上その場にとどまり続けている。その間、彼女は一切の手出しをしてこない。唯一の行動としてはアイビスが滑空しながらの打撃を強固な盾で防ぐくらい。
あれでは籠城だ。
そして、その籠城こそがアイビスの高速飛行に対する策なのだろう。
やれやれとアイビスは肩をすくめる。
予想していたとはいえ、こんなに早くこの策を持ってくるとは思ってもいなかった。いや、予想はしていた、これも予定通りと言えば予定通り。だが、予想ではこの行動にくるまで後数分は猶予があったはず―――しかし、それはあくまでこちらの都合でしかない。
「――――まぁ、無能じゃない事は確かだね。流石は空のエース……私の誉められても嬉しくないでしょうけどね」
アイビスは空においては有能である。そして飛ぶという行為だけでは有能だ。だが、所詮は飛ぶだけ。飛ぶ事しか有能ではない。
攻撃力はほぼ皆無と言っても過言ではない。
防御力はほぼ皆無と言っても過言ではない。
攻守を補うだけの飛行能力を持ってはいるが、それは撹乱や囮という部分でしか発揮しない。彼女が航空隊に身を置かないのも、武装局員として局に席を置いていないのも、これが原因だった。

所詮、戦えない魔導師なのだ。

アイビス・ツキムラは飛ぶという行為では他に遅れは取らないし、ぶっちぎっている。だが、飛ぶだけの魔導師が高ランクであるはずもないし、戦えるわけでもない。
それ故の当然の戦法。
高町なのはの取った行動は実にシンプル。
自らの盾に籠った籠城。
アイビスに彼女の盾を破壊するだけの攻撃力はない。彼女にアイビスの翼に追いつける速度があるわけでもない―――だから籠城。
恐らく、こうしている間に彼女は周囲に放ったサーチャーでチームのリーダーと設定されたティアナを探しているのだろう。そして、同時に周りのメンバーに連絡を取って周囲の状況を把握、作戦を考える。
逆にこの相手が油断した隙をついて自分がなのはに攻撃するという方法もあるのだが、それでは意味がない。こっちの攻撃は届かない。相手の攻撃は当たらない。仮にこの時間を利用して自分を落す策を練れるかもしれないが、アイビスにはその策を考える程の知識も経験も無い。
「結局、私はこの程度だってことね」
苦笑するが、悲観はない。
そもそもわかっていた事だ。アイビスがなのはと当たる事を選択したと同時に、自分には絶対に『エースを落せない』という確信があった。
あっちはエリート、こっちは凡人以下の雑草。
そもそも、同じ土俵で戦える隙すらないのだ。


アイビス・ツキムラは有能ではない。
訓練校卒業後の進路として航空隊を志望した事もあった。これは彼女自身が希望したわけではないが、彼女の同期達の恩師にあたる『先生』の為と言ってもいいだろう。
先生の為に、先生の育てた自分達は決して有能でなくとも、胸を張って世界に飛び出せる存在だと示す為に、彼女は航空隊を志願した。
だが、それの願いは陳腐な妄想でしかない。
どれだけ望もうが、先生が自分の為に未来を決める事を良しとしなかろうが、先生の言葉に志願を取り消そうとし、彼女がそれを不意にするよりも早く―――向こうからの拒否があった。
確かに優れた飛行技術はある。しかし、戦えない者に席を置かせる義理はない―――こんな返答だった。アイビスとしてはそれはそれで良かったのだが、彼女の両親はあまり良い顔はしない。
以前いったように、アイビスの両親は管理局でもそれなりに高い地位にいる者だ。そして、そんな自分達の娘が有能ではないわけがないという思い込みのせいで彼女は行きたくもない訓練校に入れられた。
そんなアイビスの心境とは逆に、両親は彼女を叱責した。
どうしてだと、どうしてこんな無様な結果を持って帰ってきたのだと、想像していたよりも酷い顔だったと、アイビスは思った。
両親の言う事ももっともだと思ったし、周りからは『醜悪』のレッテルを張られた世代に身を置いていた自分としては、これも当然の結果だと納得している。少なくとも、彼女の両親以外は。
なら、あの場で自分を管理局に入れるなんて愚かな行為を止めればいいのに―――そんなアイビスの願望は所詮は過去でしかない。彼女は両親の見栄の為だけに管理局に放り込まれた。
大方、自分達の娘が無能だから管理局に入れないなんて無様な結果が許せなかったのだろう。
一応、本当に一応だが、アイビスはそんな両親の事が嫌いではない。自分を愛している、かどうかは微妙だが、自分を此処まで育ててくれた両親に対して汚い言葉は吐きたくなかったし、悲しませるのも嫌だった。
だからアイビスはこうして管理局にいる。
飛ぶ事しか出来ない自分が、周りの役に立っていない自分が、両親の見栄を守るためだけにこうして此処にいる。なんとも滑稽だと思った。
少しだけ、胸に痛みが走った。
こんな雑草でしかない自分と、エリートの彼女。
二人に何か違いがるのだろうか――――あるさ、違いなど。
全てが違う。
全てが彼女の方が上。
全てが自分よりも格段に勝っている。
初めてアイビスが高町なのはを見た時に感じた差。
その時は力量とか経験の差とか、そういう類は感じ無かった。だが、決定的とも思える差をアイビスは痛感していた。
恐らく、なのはは覚えていないだろう。
あの時、自分が彼女の傍にいたとなど、彼女は思いもしないだろう。
当然だ。あの時に彼女はアイビスなど見ていない。彼女が見ていたのは銀二であり、ぎんじが見ていたのは彼女だけ。
それは、訓練校卒業後から少し経った頃だろう。
その日もアイビスは銀二に呼び出されていた。なんでも仕事の場での愚痴を聞いてくれそうな奴を探してたのだが、誰にも連絡がつかず、唯一アイビスにだけ連絡が取れたという話だった。ちょうどのその日は休日で、銀二の誘いなら身体がボロボロで向かう次第だった。
精一杯のオシャレをして、双子に念入りにおかしな所が無いかをチェックしてもらい、彼女は意気揚々と向かった。
そこで、彼女は見た。
銀二と親しげに話している女性の姿。管理局にいる者なら知らぬ者はいない程に有名なその人物を見た瞬間、アイビスは驚く。
どうしてあの人と銀二が親しげに話しているのか、二人はどういう関係なのか、それ以上にあんな凄い人と一緒にいる銀二の間に自分が割り込んでいいものか、そんな不安がアイビスを襲った。
綺麗な人だと思った。
自分の服装を見ても、どれだけオシャレをしていても、きっと負けている。瞬間、なんだか自分が酷く滑稽な事を考えている様に思えてきた。
それ以上に、彼女と話している銀二の顔を見て―――直感した。
「…………あ」
無意識に漏れ出す吐息は、絶望に似た吐息かもしれない。
敵わない、どれだけ頑張っても敵わない。見た瞬間、彼女を見た瞬間よりも彼女と話している銀二の顔を見た瞬間、それは確信に変わった。

銀二は、あの人の事が好きなんだ……

自分以外の誰か、その誰かが明確に存在して、その存在に恋しているからこそ、アイビスは理解する。
恋する人が、恋する人に向ける視線を。
恋する人が、恋する人に向ける言葉を。
呆然とするアイビスに気づいた銀二が親しげに声をかける。彼女も銀二に何か言って離れていく。その後の事は、正直あまり覚えていない。
何を食べたのかも、何を話したのかも、何も覚えていない。唯一の覚えているのは、武本銀二と高町なのはが親しげに話していた光景と、心臓に突き刺さった刃の痛みだけ。
その時の自分を少しだけ誉めるとすれば――――あの場から逃げ出さなかった事だけだろう。



内から漏れ出す炎。
嫉妬の炎に良く似ている。
だけど、これはそんな暗い炎じゃない。
すぅと息を吸い込み、真下にいる存在を見据える。
相手はこっちが手を出さなければ負けない、そう思い込んでいるだろう。だが、それは間違いだ。確かにアイビスにはあの盾を突破する程の魔力もなければ技術もないだろう。
が、しかしだ。
「…………」
本来ならこれでアイビスの役目を終えている。彼女が与えられた使命は足止めであり、この状態こそが彼女達が望んだ結果でもある。問題はその時間が少しだけ早かった事と、これで高町なのはがこちらの策に気づく可能性が少しだけ上がるという事だけだ。
そう、これで役目は終わり。
これでアイビスの役割の八割は終了している――――が、それだけだ。
スラスターが火を噴く。
バーニアが一斉に同じ方向に向く。
その音を聞いたなのはの視線がアイビスに向かう。そして彼女は見た。
「―――――ない……」
呟く。
アイビスは呟いた。
その言葉の意味を相手に叩きつけるように、
「なめんじゃ―――――ない!!」
真下に急降下を開始する。
その行動は多少予想外の内だったのか、なのはの目が微かに驚愕に染まる。だが、それは些細な事。アイビスの攻撃が自分の張ったシールドに傷一つ付けれはしない事は承知している。
だが、それは油断だ。
高町なのはは、油断した。
アイビスの緋色のコートが煌めき、ジェットエンジンが炎を上げる。真下に、彼女に、アイビスでは絶対に破れないシールドを張ったなのはに向けて、落ちてくる。
ガンッという激しい衝撃がなのはを襲う。だが、この程度の衝撃ではシールドは破れない。破れなければ相手は即座に旋回し、空に逃げる。その隙を逃がす気はない。先程までの戦闘がアイビスの軌道はある程度予測済み。そしてどういう理屈で避けているかは知らないが、バインドを避けるという技術がある事も熟知した。
この二つがあれば十分に対抗できる。
軌道予測をし、バインドを設置。もちろん、馬鹿正直に罠を張るわけではない。軌道の予測は一つ二つでも足りない―――十の軌道を予測し、そこから枝分かれになる軌道を更に予測。
後はその予測する位置に追い込む事で補足は完了する。
これで足りなくとも策はある。バインドで捕まえられない場合は、相手はまた自分に向って突撃してくる可能性は大。ならば、その瞬間にシールドを噛ませて、即座に解除。相手はかなりの高速で移動している。三次元的なアクロバティックも得意としているが、相手がシールドに突っ込んできて、シールドに一撃を加えた瞬間に解除すれば、相手は一瞬でも隙を作るだろう。
相手に攻撃させるというのも、戦法の内―――リーダーであるティアナを探すと同時になのははそれ以外の方法も考え、相手が苛立って攻撃をしてくる事を予測していた。
そして、相手は餌に食いついた。
後は、食らうだけ。
シールドに食い込むアイビスの拳。だが、そんなチャチな攻撃ではこのシールドを破壊する事など不可能だ。そして、次の行動は確実に上空への旋回。そこを罠に嵌める―――なのはの顔に、確信じみた笑みが張りついた。

だが、相手はまたも暴挙に手を出す。

「カートリッジ・ロード」
ガンッ、ガンッ、と吐き出される薬莢は全部で七つ。その七つ分のカートリッジがニトロが如き威力を発揮し、背中に装着されたスラスター、腰にあるバーニア全てに激しい焔を纏わせる。
まさか、威力を増してシールドを破る気だろうか。だとしたら、二つ目の手を使う。相手の突進してくる威力を利用して、シールド解除と同時に相手の体勢を崩し、そこへ魔弾を叩きこむ。
そして、策を実行。
「―――――!?」
消えるシールド。目の前の壁が消えた事によってアイビスの手を支えたモノが無くなり、彼女の体勢が崩れる。
もらった――――なのははそう想った。
だが、遅い。
あまりにも、遅い。
幾ら策を練ろうとも、幾らチャンスがあろうとも、どれだけの差があろうとも――――

アイビス・ツキムラには、追いつけない

体勢が崩れる?
嵌められた?
残念、馬鹿云え、アホぬかせ――――策など、そんな『遅い』方法で己を捕まえられると思ったか、空のエース。
体勢か崩れた―――そう見せつけた瞬間、アイビスの手がなのはの手を取る。そして身体をぐるりと回転させ、真横に焔を点火。
結果、なのはの身体ごと近くにあったビルの中に突っ込む。
当然、防護服を着ている時点で自動的にシールドは発動する。だが、衝撃を完全に殺しきる事は不可能。
ビルに突っ込んだ事によってなのはの身体に多少の痛みが走る。だが、行動不能になるほどのダメージではない。それよりも、ビルの中に突っ込んだ事によってアイビスの姿を見失った。
どうやら激突の衝撃で離れたらしい、先程まで自分の手を掴んでいたアイビスの手はそこには無い。
「何処に……」「此処だ」
間髪いれずの即答。
砂埃が吹き荒れる室内にて、なのはの手は捕まれていない。捕まれているのは――――彼女の持つ杖、レイジングハートであった。
「――――――ッ!?」
杖を持った自身ごと、杖を持ったなのはごと、アイビスは室内でスラスターを点火させ、狭いビルの中を直進する。当然、そうなれば狭い室内の壁にぶち当たり、破壊する。
一つ、二つ、三つと壁を壊しながら二人は外に飛び出した。
なのはの視界に作られた青空が映る。此処は外、ならば此処からは反撃の時間。
アイビスは未だに杖を握っている。杖を握られたまま、なのはは砲撃魔法を放つ。こんな状態で砲撃など意味がない、そう想ったアイビスだが、次の瞬間にそれが間違いだと気づかされる。
移動砲台と言われようとも、その実は砲撃の際、特に威力の強い砲撃を放つ際には固定される。足場が無くとも空を飛べるのなら空に固定されるのだ。あれだけの威力を持つ砲撃を放っておけば、普通はその威力に身体が吹き飛ばされるだろう。故に空で戦う砲撃手は足場をキチンと固定している。
だから、逆にこう考えてみた。

此処に、その足場がなければ――――と。

「しま――――ッ!?」
アイビスは初めて戦慄した。杖から手を放そうとするが、今度は逆になのはに手を掴まれる。
「少し泳ぎましょう、小鳥さん!!」
砲撃はロケットエンジンに変わる。
桜色の炎がロケットバーナーであるのなら、その威力は砲撃の威力と同価値。
桜色の閃光が空に向かって放たれる。瞬間、二人の身体が強烈な圧力が襲いかかる。それはアイビスが飛ぶときに感じる強烈なGに似ている。
その結果、足場を固定されないまま二人の身体は砲撃の威力に負けて地面に落下する。
真下には水面。このフィールドは海に沈んだ都市という部分もある。そして、その水面になのはとアイビスは着水―――激突した。
巨大な水柱が生まれ、水中に叩きこまれた。
が、二人は即座に動く。
水中にから先に抜け出したのはアイビス。周囲は森の様に生えたビルの群れ。その唯一開けた空間に空がある。とりあえず、あの空に向かって飛ばなけれ―――背筋が凍る。
反射的に避けた。
真横を通り過ぎる砲撃魔法。
その魔法が頭上にそびえ立つビルの群れを丸ごと葬り去る。そして、当然の事にビルの森に囲まれた場所にいるアイビスの頭上に巨大な瓦礫が一斉に降り注ぐ。
「なんて無茶苦茶!!」
逃げ場ある。微かな隙間を縫うように飛べばこの瓦礫の雨を抜け出せる。だが、それは一瞬のタイミングが必要だ。少しでもずれれば道を失うか潰されるかの二択。そしてその一瞬を駆抜けるにはベガリオンでは不可能。この翼装は直進には向いているが小刻みな旋回には向いていない。
そして、それに適した翼装に変化する暇もない。
故に、逃げ場無し。
上にも、下にも。
水中にうっすらと浮かび上がる明り。その明りは先程ビルを根こそぎ葬り去った閃光の一部。そして、その第二射が放たれようとしていた。
「――――でも、無茶なら負けない!!」
ピンチはチャンス―――チャンスが見えなければ、作り出す。
アイビスは水面に向って突撃した。
再び巨大な水柱が上がる。
水中に入った瞬間、待っていましたとばかりの砲撃。それを避けた所に魔弾が襲来。空と違って此処は思う。回避行動にも先程の様な旋回も使えない。
今度は数発、致命傷ではないがヒットした。
鈍い痛みに顔を顰める。
頭上から落ちてきた瓦礫が水中に着水し、アイビスに襲いかかる。だが、それはアイビスだけではなく、なのはも同様。
二人は同時に――――上ではなく、互いのいる位置に向って進んだ。二人に視界に見えたのは海面から襲いかかるビルの瓦礫から逃れる唯一のスペース。其処にたどりつけば、この瓦礫の雨から逃れられるだろう。だが、その際には二人は肉薄する事になる。
上等―――二人は同時にそう叫んだ気がした。
二度目の接近戦。
水中では速度は落ちるが、十分な破壊力をもった衝撃がアイビスとなのはを襲う。アイビスの張ったシールドは数秒と持たずに消える。なのはのシールドは微かに震えただけ。それでもアイビスは負けないとばかりにシールドに手を備え―――ジェット噴射でなのはを海底に押し出す。
押し出した先には瓦礫。
シールドとは自身を守る盾であり壁である。それは攻撃を防ぐ事を主体としえおり、何かに押し出されるという事、支えるという事には考慮していない。例え、それがアイビスの力で押されてもびくともしなくとも―――『落ちてくる瓦礫』の重さは支えられないだろう。
アイビスが渾身の力を込めて押し出せた距離は数メートル。だが、その数メートルさえあればシールドの隅に瓦礫の一部が当たる、もしくは引っかかるには十分だった。
なのはの身体にアイビスが押し出した時とは比べ物にならない程の重さが襲いかかる。シールドを即座に解除して、海底に引きずりこまれる事だけは回避した。だが、その隙にアイビスは既に海面を飛びだし、青い海に別れを告げ、青い空へと飛んでいた。
「モード・アルテリオン」
翼装を変換すると同時に、アイビスの後を追って飛び出してくるなのは。互いの視線が交差し、同時に嗤う。
「ついて来れるか?」
「最後に勝つのは亀ですよ」
同時に動く。
アイビスは逃げるようにビルの中に突っ込み、なのはは外からビルへ向けて砲撃を放つ。
ビルの射抜く砲撃を回避しながら、シールドを展開させたままビルの中を上昇する。真下から、恐らく砲撃を放った状態のまま。砲口を無理矢理上に向けているだろう、ビルを縦に斬り裂く様に桜色の光が追いかけてくる。
「―――――っはは、」
高揚する。
自身に迫る猛威を前に、アイビスは無自覚に嗤っていた。この状況に、相手の力量を目のあたりにしながらも、どこか心が躍っている。
なのはの砲撃によってビルが倒壊し、巻き起こる砂塵を抜けてアイビスが飛び出す。
見据えるは空のエース。
「…………なるほど、これがリミッター付きのエースの力か―――うん、凄い」
これは正直な感想。仮に相手のリミッターが外れた場合、この戦いはここまでもつ事はなかっただろう。しかし、リミッターで制限された状態でさえ、この有様。
「訂正するよ、高町なのは……」
なのははアイビスを見据え、杖を構える。
「さっき、私は言った言葉は取り消す。アナタは私に追いつけない―――うん、これは私の強がりで虚勢、そして怠慢だった」
相手は速くは無い。こちらの速度の方が何倍も速いだろう。だが、それを補う程の技術、そして経験が彼女にはある。
故にエース。
故に高町なのは。
故に、撤回せねばならない。そして、新たに告げねばらならない。
アイビスとなのはの位置は下と上。
アイビスは倒壊したビルの瓦礫の上に立ち、なのはを見上げている。
「アナタは、凄い」
賞賛する。
「アナタは、強い」
賛美する。
「アナタは――――私よりも上にいる」
拍手でも送りたい。だが、拍手するのは常に上にいる者だけ。能力的にも立場的にも、アイビスがなのはへ向けて拍手を送る事はない。
白のコート、翼を翻す。
「アナタは、其処で十分なんだ。私よりもずっと上にいる……だから、アナタは其処にいろ」
そして、飛ぶ。


「――――――今から、追いつく……!!」


飛翔する翼はまっすぐになのはへと向かう。その翼を前になのはに後退はない。力量などという陳腐な理由ではない。単純に正面からぶつかる。
砲撃、回避、追撃、回避、砲撃、反撃、反撃、反撃―――
アイビスには攻撃する手段がほとんどない。彼女にとって魔法とは飛ぶだけの技術。攻撃する為の魔法の行使はほとんど出来ない。そんな彼女にとって唯一の攻撃手段は接近戦。
魔力刃の構成でもなければ、翼での殴打でもない。
単純な肉体行使。
拳で殴り、脚で蹴りつける―――無論、常人以上の破壊力を秘めているわけでもなければ、銀二の様に気を扱えるわけでもない。
なのはのシールドを破壊する事は不可能。精々、シールドに打撃が当たった瞬間に軽く震える程度。逆にアイビスの身体を痛めつけるだけの結果しかない。
だが、此処にきて何かが変わった。
アイビスにではなく、なのはに。
「―――――らぁあッ!!」
アイビスの打撃が―――通った。
シールドで防がれるはずだった拳撃はまっすぐになのはの肩に当たり、なのはの顔に苦痛の表情が浮かぶ。
その事に驚愕する。

なのはは―――シールドを展開する事を止めた。





高町なのはにとって、空とは何だったのだろうか。
そんな事を考えた事は無い――いや、嘘だ。それを考える事を止めていただけ。本当はずっと前からその答えは存在していた。だが、それを忘れた、忘れた事に思い出すという努力を疎かにし、空を飛ぶという行為の意味を忘れていた。
はて、いつから自分はそんな『大事な事』ではなく『大切な事』を忘れてしまったのだろうか。
考えて考えて、どうしても答えが出ない。
そういえば、前に誰かが言っていた気がする。
親しい者か、それとも自分に教導の術を叩きこんでくれた者の言葉か、それすらも覚えていない。唯一覚えているのはその言葉だけ。
『忘れる。人は忘れる。どれだけ大切な事だとしても、その瞬間に心に刻み込まれた想いですら、人は簡単に忘れてしまう。その為に人は反復するし復習もする。そうして忘れない様に心がけ、頭に、心に、己自身にソレを刻み込んでいく』
それがなんだ、そんな事を当たり前だ。
『だが、ソレはソレを自覚してからこそ、意味のある行為だ。無自覚での感情に学習能力など存在しない。いや、これは学習能力と云っては些か奇妙かもしれんが、今はいい。ともかく、自覚しない想いは脆い。そして、無自覚を続ける想いは自然と自覚によって塗りつぶされていく――――学習しない無自覚、刻み込む必要のない無自覚。ともかく、無自覚というのはそれほどまでに『危険』なのだよ』
無自覚、自覚しない自覚。
この言葉を今になって思い出す。これもきっと無自覚だ。なにせ、この言葉をくれた人の顔すら思い出せない。彼女の中にある記憶の中に存在する人物なのに、どうしても誰の言葉かが思い出せない。
あの人の言葉かもしれない、あの子の言葉かもしれない、もしかしたら家族の言葉かもしれない―――けれども、その言葉を放った本人が特定できない。
つまり、これが無自覚なのかもしれない。
そして、その無自覚が目の前にある。
目の前にしは、緋色の翼と白の翼、二つの翼をもった人がいる。アイビス・ツキムラという魔導師がいる。彼女は――――弱い。確かにスピードは自分よりも速いし、もしかしたらフェイト並に速いかもしれない。だが、幾ら速度が桁違いでもそれだけでは相手に勝てる事はない。現に先程から彼女の攻撃は何一つとして自分には届いていない。
例外として先程の小競り合いがあるが、それは決して致命傷にはならない―――そもそも、よくよく考えてみれば、どうして自分はあんな小競り合いに付き合ったのだろう。
『ついて来れるか?』
そんな言葉に、何かを言い返さなければいけないと思い、
『最後に勝つのは亀ですよ』
と返した。
これも不可解。
この言葉はまるで、まるで

楽しんでいる様ではないか?

頭を振って否定する。そんな事はない。これが楽しいはずがない。そもそも、これは根本的に正しい戦いなどではない。これは自分の犯した間違い、そして彼女の間違い、それに便乗した彼の独断の結果として成り立つ戦場だ。
楽しい、などと思う事が正しいわけじゃない。
だが、と……少しだけ別の事を自覚する。
これでも無自覚だ。無自覚に先程から空を縦横無尽に駆け巡るアイビスの姿を見てた自分の眼が、無自覚にそれを感じ取った。
そういう眼、そういう想いは、今まで一度も感じた事はなかった。
教導、戦う術を教える者として他者を見る時はいつだって『指摘』する。この飛び方は正しいか、この飛び方は間違っているか、そんな考えが起こり、それを相手に指摘する。
正しい飛び方、間違った飛び方―――あるのは是か非でしかない。
なんてつまらない事なのだろう。
自分は飛んでいる鳥にまで飛び方を指南するつもりなのだろうか、無自覚にそう想った。だが、なのはは自覚はしてない。自覚するにはまだ早すぎる。そして―――自覚したら間違いだとも思っている。
そもそも、正しいとは何なのだろう―――これは自覚している思考。
戦いの空はいつだって人が落ちる。落ちない為に落ちない努力をし、その努力と経験を生かして自分は飛び方を教える。飛び方だけじゃない、戦い方――その中には無数の戦術が存在し、その『生き残る為の術』を自分は他者に伝えなければいけない。
それが仕事であり使命。それが当たり前であり当然。それを疎かにすれば人は死ぬ。戦い方を教えるというのは生き残る術を教える事につながる。
なら、アイビスの飛び方はどうだ?
答えは却下、落第だ。
あんな飛び方をしていればいずれは落ちる。それ以上に自身の飛行技術に満身するあまり、戦うという行為を明らかに間違った解釈をしている様にも思える。飛べる魔導師は戦うべき存在。飛べる魔導師は飛ぶだけのスキルではなく、飛んで戦うスキルを身につけるべきなのだ。
飛ぶだけでは意味がない。
飛ぶだけの行為に満足してはいけない。
我々は鳥ではないのだ。
我々は人なのだ。
我々は――――魔導師なのだ。
故に高町なのは教官はあの飛び方を否定する。仮に自分が彼女の教官になった場合、間違いなく飛ぶ以外のスキルを身につけさせる。
そうしなければ――――――落ちる。
飛ぶ事しか出来ない鳥は、飛べない鳥になる。空に生きる者は空に昇る手段を失い、地に堕ち、何もできずに堕落する。
それは死に等しい。
だから、まずは飛ぶ以外のスキルを身につけさせなければいけない。
いっそのこと、この戦いが終わったら何かしら理由をつけて彼女にそういうスキルを身につけさせようかとさえ思った。
ここで、彼女は無自覚から――――少しだけ脚を踏み出していた。
「―――――あれ?」
無自覚に踏み出した脚は、何かに気づいた。
あの飛び方、あんな飛び方、理論的でもなければ無駄が多い乱雑な飛行技術。だが、その乱雑さ故にどこか奇妙な高揚を呼び起こす不思議な感覚。
まるで昔、父に連れられて行った航空ショーを見た時の感覚。あれは凄かった。その時にして思えば、魔法なんて出鱈目な力を知らなくとも、人は空を飛ぶ技術があった。それが本来は戦闘機という戦う為の機械だとしても、ソレのアクロバティックな飛行は他者を魅了する何かがあった。
飛ぶ、それだけの行為。
飛ぶ、それだけの現象。
鳥であれ戦闘機であれ―――紙飛行機でさえ、飛ぶ姿は綺麗だと思った。同時に面白いとも思った。それから楽しいと思った。楽しい、嬉しい、心地よい、無自覚ではなく自覚する感覚が其処にあった。
なら、今の自分はどうだ?

答えは――――正しさ『だけ』しかない。

思い出せ、空の色を。
思い出せ、飛んだ時の事を。
思い出すべきなのだ、あの世界を。
「あぁ、そっか……変わったんだ」
飛ぶという行為の意味が変わっていた。
自覚するまでもなく、無自覚なまでもなく、其処に答えは存在していた。
アイビスの出鱈目な飛行は間違いだろう―――だが、それでも綺麗だった。黒髪がなびく度に鴉の様だと思ったが、その軌跡は空を奔る流星の如く。
意味のない飛行経路、意味のない飛行技術――――けれども、意味のない事が間違いなのかと聞かれれば、それは違う。
鳥は何故空を飛ぶのか。
そういう生き物だから。
空を飛ぶという宿命を持ち、空から獲物を探し、空から獲物を狩る―――鳥にとって空は生きるべきフィールドであり戦いのフィールド。それと同時に空とは鳥にとって唯一、己が己として存在していける場所なのだろう。
自覚する。
自覚していた事を忘れ、それを何かによって塗りつぶしたという事を自覚する。
もしかしたら、それは自分の立場がそうしたのかもしれない。
空は一歩間違えば命を落とす場所だと他者に教える立場にいた。飛ぶ事の意味を深く、深く追求し、そして空を『戦場』だと認識してしまっていた。
変わったのだ。
無自覚故に、変わった。
自覚する事を無自覚に恐れ、変わっていた。
だから、思い出せた。

幼い頃、空を飛んだ記憶。

だから、思い出す。

空はあんなに広大で、自由の不自由が融合した場所。

そして、思い出せ。

自分は――――空が好きだったのだろう?

「うん、好きだった」
いや、違う。
「好きだ。今でも、私は空が大好きだ」
空を飛ぶには理論があるだろう。だが、最初はそんな理論は必要なかった。空に憧れるとか、飛ぶ事が美しかったとか、そんなどうでもいい事など必要ない。
空は、目の前に広がっている。
かつて、大怪我をして空を飛べなくなった時、自分は頑張った。一度落ちても、空に対する恐怖など感じず、空を飛べないという恐怖が勝っていた。だから頑張れた。だからもう一度、空を飛べた時―――涙を流した。
そうだ、本質はそうあるべきだったのだ。空を飛ぶという行為に『正しさ』を求めていたわけではない。正しい飛び方も間違った飛び方も存在しない。
理由は一つ、想いは一つ、高町なのはが空を飛ぶ理由は―――――たった一つだけ。
無自覚に忘れた想いは、此処に。
無自覚に隠された想いは、此処に。
無自覚を壊し、自覚する想いは――――此処にあった。

「―――――私は、空が大好き。飛ぶ事が大好き」

シンプルでベスト。
苦笑する。
こんな事を忘れていた。無自覚に感じていた事実を忘れ、正しいやら間違ったなどという飛び方だけを追求した結果、幼い頃から感じていた事を忘れていた。
無論、今の自分の論理的な飛び方が間違っているとは思わない。これは必要な事だ。この世界に足を踏み入れた者には必要不可欠な技術。それを自分一人の想いだけで否定するはずがない。そして、自分が教えた技術によって空を飛ぶ者の多くが撃墜という現実と向き合い、乗り越えられただろう。
今の自分を否定する事は、間違いだ。
昔の自分を否定する事は、意味がない。
だから、思い出そう。
今だけは、思い出そう。
正しい飛び方を思い出すのではなく『楽しかった』飛び方を思い出そう。
なのはの顔に微笑が浮かぶ。
飛ぶ。
飛ぶ。
飛ぶ。
何故、自分は飛ぶのか?
答えは単純。



――――――私は空を愛しています



其処に、エースはいない。
なのはに向かってくるアイビスの攻撃になのははシールドを―――展開しない。ただ避けようとして失敗する。打撃の痛みに顔を顰めるが、すぐさま反撃。
接近戦を挑んできたアイビスの背後からの誘導弾での射撃、それをアイビスが回避した瞬間にショートレンジの砲撃を放つ。
何故、シールドを張らなかったのか、アイビスの顔に疑問の色が浮かぶ。だが、その答えを出す前になのはが飛び出す。
変則的に飛行ではなく、馬鹿正直な直行―――ただ、突撃する。
「――――ッ!?」
その行動にどれだけの策が練られているのか、この突撃の先にある行為はどんな策なのか、そんな事を考えたアイビスの動作は少しだけ遅れた。
だが、結果はそれほど複雑ではない。
正面から、
「――――ぶち当る!!」
何の策も無い。そこにあるのは杖の先端に出現させた魔力刃を突き出す特攻。そんな安直な策で、と微かながら驚いたアイビスの翼の一部を切り裂き、その場でグルリと向きを変えて砲撃。
無論、それは回避される。
無論、回避されたと同時になのはは上昇する。
上昇しながら誘導弾を操り、追ってくるアイビスの飛行を邪魔する。誘導弾の操作は先程となんら変わらない。だが、その軌道は若干のズレがある。
まるで相手に当たらない、相手が避けられる最小限の軌道を描く様に。
こんな弾道ならすんなりと回避できるが、それに何の狙いがあるのだろうか――――否、それは違うと即座に気づく。
これに意味はない。
意味があるとするならば、これは単なる遮蔽物に近いのだろう。
彼女が、なのはが空に昇る為の布石であり、アイビスが後に続くだろうという布石。
つまりは、相手を落す意思がない攻撃。
誘導弾を全て避け、アイビスはなのはのいる空に昇る。
そして、アイビスは首を傾げる事になる。

踊っている様だった。

まるで其処にアイビスがいる事を忘れているかのように、彼女は楽しそうに空のリングで華麗に舞っている。
フィギィアスケートの演技の様に、その行為に楽しみ、酔いしれるように―――ただ、楽しそうに舞っている。
流石にこんな戦法を取られればアイビスはどうしていいのかわからない。だが、すぐにそれが戦法ですら無い事に気づく。
なにせ、あの姿を見ていれば嫌でもわかるというものだ。あの顔は、あの動作は、空を踊る様に、海で魚が泳ぐ様に、空で鳥が舞う様に、あんな自然体でいられる動作をする意味など、彼女は誰よりもわかる。
自分も、何度かやった事があるからだ。
誰もいない静かな星空で、一人踊る孤独な舞踏会。
時に茜空に照らされ、時に月光に照らされ、時に雨に打たれ、時に青空の中で泳ぐ様に―――ソレは、空を満喫している己自身を見ているようだった。
楽しそうだった。
自分も混ざりたいと思う程の、楽しそうな笑顔だった。
仮初の空だとしても、其処が空であるのなら―――此処はそういう場所に変わる。
「―――――どうして、かな……」
なのはが呟いた。
「勝たなくちゃ、いけないのに……負けたく、ないのに」
独り言の様に紡がれる言葉を、アイビスは聞いた。
「すっごく、楽しい……」
楽しい、確かにそう言った。
「うん、楽しいよ。飛ぶ事が楽しい。戦う事よりも、こうして空を飛べる事が……何よりも楽しい」
先程までの険しい顔ではなく、純粋に飛行を楽しむ女性の姿そこにある。
だからこそ、気づける事もある。
アイビスだからこそ、ある意味では同類なアイビスだからこそ、それに気づく。
あれは、本当に楽しんでいるだけなのだ。こんな戦いの真っ最中だというのに、脆弱ながらも敵である自分が此処にいるというのに、彼女はあんなにも楽しそうにしている。
だから、少しだけアイビスは高町なのは、エース・オブ・エースと呼ばれた彼女の認識を少しだけ―――いや、かなり変える必要があった。
なるほど、どうやら自分は彼女の表側、眼で見る事しか出来ない個所しか見てなかったようだ。
自分は空を戦場にするだけの彼女が大嫌いだ。むろん、これは自分の勝手な言い分だと重々承知している。けれども、昔から彼女の居場所だった空を武骨な杖から放たれる魔弾が飛ぶかう空など本当の空ではない、そう思い込んでいる。
それはアイビス・ツキムラの勝手な思い込みだと自覚する。けれども、どうしてもその想いだけは消えない。
自分は飛べればいい、飛ぶ事の出来る空があるのなら、それでいい。そして、空を戦場に変えるこの人だけは絶対に好きになれないだろうと思っていたし、アイビスにとって恋敵となる彼女に対して、少しばかりの恨みもあるのも事実。
だが、そんな『些細』な事など全て放り出していい。今、この瞬間に、些細な事は全て藻屑となればいい。
目の前に、自分の同類がいるのだから。
「不謹慎だと思ってもいいよ……馬鹿にしてるって思ってもいい。でも、これだけは本当だよ――――私は、楽しい」
その表情は、笑っている。
「不謹慎だとも馬鹿にしてるとも思わない。誰かがそう想っても、私は思わない自信がある」
そうアイビスは返す。
「でも、一応聞いておく……何故、今になってそう思った?」
「…………羨ましいと思ったから」
表情を変えず、アイビスを指さす。
「アナタがどれだけ真剣な顔で飛んでいたとしても、アナタがどれだけ空を飛ぶ事に楽しみをもっているのか、それに気づけた。そして、そうやって自由気ままに空を飛べるアナタが羨ましくて、嫉妬した」
嫉妬、それは随分とこの場では似合わない言葉だ。
なのははエース、アイビスは鴉。この差は絶対的なまでに差がある。
だが、そんな差があり、格下である自分に彼女は嫉妬したと言った。
「だから、思い出せた。忘れたいたわけじゃないけど、自覚しない内に色々と変わっていた……空を飛ぶ事に意味を求めて、意味に縛られて、翼を動かす事に理論を持っていた」
だが、それは間違いじゃない。そんな事はアイビスだって知っている。そうする事で彼女は沢山の人々を世界に羽ばたかせてきたのだろう。
それに、代償があったと知らずに。
アイビスは勝手な想像を口にする。ある程度の明確な真実を。
「アナタは、教導官という立場にいるせいで―――自由な飛び方を忘れた。ううん、忘れたというよりは封じたっていう方が正しいな……」
なのはは頷く。
「そして、正しい飛び方の為に自由を失い、アナタは自由な翼を失った。もちろん、それは間違いじゃないだろうけど、その代償は大きかった―――私達みたいな者では特にだ」
「だから、アナタが羨ましい」
「その点で言えば、私も少しだけ反省する。私はアナタを誤解していた。勝手な理屈でアナタを間違いだと思い込み、本当のアナタを見ようとしていなかった」
もっとも、アナタとは殆ど面識ないけどな―――と、アイビスは苦笑した。
「誤解は解けたかな?」
「あぁ、解けた。だから私は素直に頭を下げるよ――――すまなかったな、同類」
「別にいいよ、同類さん」
方や自由な飛び方を封じた故にエースとなった白鳥。
方や自由な飛び方を持ち続けた故に鴉になった流星。
根本的な部分は、どこまでも似ている。
空は、愛すべき場所だという理由。
「――――銀二君の言うとおりだった。変わらない人はいないって思ってたけど、きっと人ってそうそう変わらないんだと思う……どれだけ成長しても其処は其処。私達の根本は常に一つの意志で確立されている」
「変わらない者はいないが、全てが変わる者もいない。いるのは成長する人間だけ。ただし、その変わる部分の代わりに大切な部分を斬り落としてしまう者もいる」
「私みたいに?」
「私はアナタの昔など知らない。だが、きっとアナタは成長しているだろう。成長しているからこそ、過去の一部をどこかに置き忘れてしまった」
「…………それは、きっと大切なモノ」
「なら、探しにいけばいい。歩んだ道を逆に歩き、そして落したソレを拾いにいけばいい」
「出来るかな?」
「出来るさ……出来なければ、私が惨めだ」
その言葉の意味はなのはには理解できなかった。もちろん、アイビスだってわかってほしくは無い。
恋敵に、自分の嫉妬など知られたくもない。
「なら、もう少しだけ私に付き合ってくれる?アナタといれば、忘れたモノを拾いにいける気がするから……」
「いいだろう。だが、私は負ける気はないぞ?私にだって微小ながらプライドがあるのだ。飛ぶ者のプライドがな」
「私だってそうだよ。私の眼に映ったアナタはカッコ良かった。そして綺麗だった……だから、私はアナタに負けたくない!!」
なのはが杖を構える。
「私は、アナタと戦いたい」
アイビスの翼が動く。
「私も、アナタと競いたい」
戦う事に理由を求めるのは当たり前だろう。何かを守る為、譲れない何かがある為、そして伝えたい想いが其処にある為。
かつて、なのはとフェイトがぶつかったのには理由がある。想いがあり、伝えたい言葉があり、譲れない何かがあった。
だが、今は違う。
「負けないよ」
「負けてたまるか」
自分達は相手が羨ましい。
自分達は同類だからこそ、相手に負けたくない。
同じ空を駆けるからこそ、相手に劣りたくない。
別に相手が嫌いなのではない。単に負けたくないだけ。相手が自分と同じだからこそ、負けたくないという想いが強くなる。
最強は最弱に負けたくない。
最弱は最強に負けたくない。
互いに、相手が同等だと認めているからこそ――――
「さっき、私はアナタに追いつけないって言ったよね……その言葉、今から覆すよ」
エースは言う。
「私はアナタに追いつくよ――――だから、アナタも私に追いついてきて……!!」
鴉は言う。
「あぁ、食らいついて来い――――私も、アナタに食らいつく……!!」
二人は敵同士にはならない。
いうなれば、好敵手なのかもしれない。
恐らく、高町なのはにとって初めてそう思える者がアイビス・ツキムラ。
恐らく、アイビス・ツキムラにとって初めてそう思える者が高町なのは。
友というには些か違いがあるだろう。
だからこその好敵手。
最強と最弱の関係は、好敵手。

「―――――追いつけるか?」/「―――――追いつける?」

同時に尋ねる。



「追いついて来い――――鈍足!!」/「追いついて来て――――貧弱!!」



同時に答える。
これは恐らく、二人だけにしかわからない言葉だろう。
共に空を駆ける者であり、共に同じ場所で戦う相手だからこその言葉。
なのはが鉄壁の壁を自ら払ったのは、これでイーブンだという事。それは決して相手に対する侮辱でも油断でもない。
これでイーブン、これで対等、これでアイビスとなのはは同じ場所に立つ。
それに対してアイビスは憤怒など感じない。むしろ、どこか相手を賞賛するような気持ちになった。相手は自分を対立する相手ではなく、競うべき相手だと認識してくれた。
あの空のエースが、こんな脆弱な鴉と対等な場所に立ってくれた。
圧倒的な戦力差を持って戦うのではなく、こうして戦う事で相手が自分の場所に昇りつめると信じているからこその行動。
ありがとう、そう言ってもいい。
感謝する、そう握手を求めるのもいい。
だが、今はそんな事をする意味はない。
全力で答えよう。
相手が手を抜くのなら、抜けない場所まで駆け上がろう。
追いつく。
飛ぶだけのしか能の無い自分が、相手のいる場所までたどり着く。
そしてアイビスは飛翔する。
其処に、戦うべき相手がいるからではなく――――戦いたい人がいるからこそ。



無自覚を自覚した時、なのはは漸く認める事が出来る。
正しさと間違い、あの行為のどちらかが正解なのかという事を。
答えは、両方だ。
正しかったかもしれない。
間違っていたかもしれない。
だが、そのどちらも本当だった。
正しかったのは、教導官としての自分。
間違っていたのは、高町なのはとしての自分。
恐らく、こんな矛盾した考えこそが本当だったのだろう。
漸く自覚する事が出来た。
自分がティアナにしてしまった事はある程度が正しく、ある程度が間違っている。そんな事で正解なのかと言われれば自信はこれっぽっちもないのだが、今はこれで精一杯。
教導官としての正しさは、あんな無茶をした事に対して。高町なのはとしての間違いは、相手の無茶がいけない事に対する意味。
伝えなければ想いは伝わらない。そんな当たり前の事を自分は忘れていた。本来、わかり合うという行為は何よりも難しいのだ。長年共にいた者達ですら相手の心を真に理解する事は不可能。だからこそ、言葉がある。言葉は相手の心に差し出す手であり、架け橋だ。その言葉を無碍にしてしまえば本当に本末転倒となり、壊れてしまう。
知っていたのに、こんな簡単で大事な事をどうして自分は忘れていたのだろう。
無自覚だからこそ、忘れてしまった。
自覚する必要が無い程、自分の中で当然の事なので忘れていた。
飛ぶ事に対する自分の本当を思い出せた今、その事も思い出した。
だから、自分で自分を殴り倒したくなった。
どうして言葉で言わなかった?
どうして想いを伝えなかった?
その結果をどうして認められなかった?
お前、高町なのはという個人は皆が想っている程、完璧な人間だったのか?
後悔は津波の様に押し寄せる。
だが、その後悔に押しつぶされる事はしない。
この荒波に負けないと意を決し、荒れ狂った世界に身を投げ出す。
この戦い、絶対に勝とう。
負けてもいいかもしれないが、少なくとも目の前の彼女には負けたくない。ならば、この戦いすらも勝ってしまいたい。
勝って―――ちゃんと向かい合おう。
言葉で、想いで、どれだけ時間がかかってもいい。言葉が通じなくて、拒絶されるかもしれない。そのせいで色々なモノが崩れ去るかもしれない。
だが、諦めるつもりは無い。
絶対に諦めない。
しつこいと思われても、絶対に諦めない。
そもそも、今まで一度だって最初で上手くいった事はないのだ。
フェイトの事も守護騎士の事も、全部が上手く事が運んだ事など一度もない。
そして、その度に自分は諦めたか?
馬鹿を云え。
自慢じゃないが、自分はこれでもかなりしつこい体質だ。
拒絶されようとも、どれだけの敵意を向けられようとも、諦める事など出来るはずがない。

それが、夢を追う教え子の為ならば――――諦めすら撃ち貫いてみせよう






アイビスは思い出す。
この戦い、喧嘩が始まる前に仲間と話した事を。

「うぅ……ねぇ、ティアナは怖くないの?」
がんばると言った矢先、アイビスは脅えた眼でティアナを見つめる。
怖い、それは嘘じゃない。相手は自分の仲間、そしてエース・オブ・エースと呼ばれた英雄。怖くないわけがない――――けれども、
「負けないんでしょう?」
その言葉に、全員がティアナを見る。
「昨日、あんた達の大将が言ってたでしょう……負けないって、負けるはずが無いって」
その言葉を信じているわけではない。そもそも、ティアナは銀二の戦闘能力はほとんど知らない。そして話を聞く限りでは六課の誰とやっても負ける、そんな評価を誰かが口にした事もある。
「あの馬鹿がこんな馬鹿げた作戦を立てた時点で、勝ちとか負けとか以前に―――そう、人として最低だと私は思ってるわ……けど、負けないってアイツは言った」
慢心しているのではない、確信しているわけでもない。これはどういう感情なのだろうか―――うまく言葉に出来ないが、不安は無い。
怖いと不安は同じだと思っていたが、そうではないらしい。
怖いと思う事はマイナスだが、不安は決してマイナスではない。不安は出来ない事を出来ないと思いこむ為の想いではなく、出来る事をキチンと出来るかどうかを考える思考だと銀二は言っていた。
不安はある。
恐怖もある。
しかし、勝るのは不安だけ。
不安の先にある勝利を見つめるだけ。
「この一週間、あんた等に付き合って良くわかったわ……私、やっぱり才能無いってね」
自虐的に嗤うティアナを皆が無表情で見つめる。
「頑張っても頑張っても、結果はついてこない。あんた等みたいに凄いわけでもないし、六課の皆みたいに才能があるわけでもない――――うん、きっと私は凡人だと思う」
それを否定したかった。才能が無いから努力して、才能がある奴に負けない、そして誰にも負けない夢を叶えると息巻いていた。しかし、その結果が空回りだとすれば虚しいだけ。
努力は人を裏切らない―――だが、人は努力を裏切る。
「ねぇ、アイビス―――私、頑張ったよね」
「…………うん、頑張ったよ。ティアナは、頑張った」
「シャルロット、私……本当に頑張ったよね」
「はい。ティアナさんはこの一週間で誰よりも頑張っていました」
努力は認められる。
現実ではそれを負け犬の遠吠えとも呼ぶし、傷の舐め合いとも言うだろう。
全ては結果がついてこなくては意味がない、誰しもがそう想うだろう。皆も、ティアナ自身も、全てがだ。
ずっと前から知っていたが、それを認める事が怖かった。怖くて怖くて、自分は凡人なんかじゃない。決して届かない夢を追い求めているわけではない―――そう自分に言い聞かせ、自爆した。
「―――――頑張っても、報われない事は沢山ある……でも、私は努力をした。それだけは嘘じゃない。あの時間も嘘じゃないし、あの時間の中で気づいた事も嘘じゃない」
自分自身を信じている。しかし、それは盲信であり妄信。見えない事が多すぎて、見せないはずのモノがすぐ傍にあると思い込んで。
「―――――私は、勝ちたい」
ティアナの瞳が皆を見る。
「私は勝ちたいのよ。そして、私のしていた事が間違いじゃない。努力する事が間違いじゃないって……あの人に知ってもらいたい」
遥か遠く、既に位置についているであろう高町なのはを想像する。
「否定されてもいい。拒絶されてもいい。なんなら、頭ごなしに怒鳴られてもいい――――でも、知ってほしい。私は頑張ったんだって……私は、私なりに夢を追い求めているんだって」
もうあの時の事は何とも思っていない。
あれは、きっと当然の結果だったのだ。
たった一発の誤射、周りから置いて行かれてしまうという恐怖、本当に成長しているか信じられなかった自分自身。
疑心暗鬼になった己の末路としてはアレが当然だったのかもしれない。
だから、ティアナはもういいと思った。
いい加減、自分自身を認める事にしよう。そして、自分の行った間違いを謝る事にしよう。でも、その前に知ってもらうとしよう。
ティアナ・ランスターは、間違ってはいたが、努力はしていたと。間違った努力をしたとしても、その結果が間違いだとしても、努力はしていたと。
「ただ、知ってもらうだけでいい……それだけで、私は満足する」
それは諦めの想いじゃない。
自分の夢を諦める為の戯言じゃない。
此処から、この一歩から、もう一度夢を追うのだ。
大体、才能がなんだというのだ。この一週間の間、才能の欠片もないと言われた馬鹿を相手に、自分は一勝すら挙げられなかったではないか。
小手先上等、小ずるさ上等、汚さ上等――――それがあの馬鹿の努力の結果だというのなら、それを認める以外の道はない。
夕焼けの下でティアナと銀二が拳を合わせた時、この答えは既に出来ていたのかもしれない。
あの馬鹿だけは、最初から自分の努力を認めてくれたから。頑張ったという自己満足だけはしっかりと認めてくれたから。

「――――勝つわよ、この戦い」

ティアナは宣言した。
勝つ。
勝ちたいではなく、勝つ。
負けないではなく、勝つ。
あの六課に、あのエースに、あの高町なのはに、ティアナ・ランスターは勝つと言った。
そんなティアナの宣言を聞いた皆の中で、ミシェールが静かに首を横に振る。
「ミシェール?」
まさか、勝つ気がないのだろうかとティアナは少しだけ不安にかられた。だが、その不安は意味をなさない。
何故なら、
「ミシェールが、勝つのは別にいいけど、これは戦いじゃないってよ……と、姉さんは言っています」
凛とした声で、ミシェールがミシェルの言葉を口にする。
「これは喧嘩だ!!……と姉さんは言っています」
小さな少女の言葉に、その場にいた誰もが苦笑する。
シャルロットが呆れながら双子の頭を撫でる。
「もう、君達はそういうところだけ銀二から学習するんだね……でも、僕もそう思うよ」
優しげな笑みでシャルロットも言う。
「これは喧嘩だよ。銀二的に言えば、筋を通すっていう意味だと思う。ティアナさんが頑張っているから報われるっていう筋じゃない」
続きを、アイビスが口にする。
「頑張っているのに頑張ってるって理解されない事、知ってもらえない事に……きっと筋が通ってないと思う……だから、これはティアナが頑張っているっていう事を知ってもらう、知るべきだという筋を通す為の喧嘩だよ」
「あんた達……」
そもそも、彼女達は関係ない。この戦い―――この喧嘩の為に銀二が呼び出した助っ人の様なものだ。だから、本来なら彼女達がこれに参加する義理など無いのだ。
何処にも、これっぽっちも、理由が見当たらない。
だというのに、彼女達は当の本人よりもやる気に満ちた顔をしていた。
不思議そうな顔をするティアナを見て、アイビスは一人ほほ笑む。
大丈夫だと、知っている。
きっと上手くいくと、想っている。
だから、きっと勝てるだろう。


その時の想いはきっと間違いじゃないと確信できる。
心の中でアイビスはティアナに語りかける。
大丈夫、アナタの想いはきっとこの人に通じると想う。だって、この人だって人間なんだから。完璧じゃなくて間違いも犯す、そんな当たり前の人間。
だから、通じないはずがない。
だから、絶対に大丈夫。
けど、それを確信したからと言って、負けるのも癪だ。
「――――勝とう、絶対に……!!」



そして、終わりは訪れる――――勝負の、決着の瞬間が――――






あとがき
………………あれ、二話でも終わらねぇ、な散雨です。
おかしいな、なんか予想よりも全然終わらない。外伝第一回が二回で終わるはずが、次回を合わせて四話になっちった。
それはさておき、
そろそろ題名を変えようかなと思っています。
タイトルに偽り在り、な状態なんでちょっと変えようと思います。
たとえば、
「親友は報われない法則」………オリ主を無くしただけ。
「アナタが笑える為ならば」………バッドエンドしか浮かばない。
「武本銀二の憂鬱」………パクリ?
「通すべき筋がある時、負けは無し」………長くね?
「武本流血風帳」………そんな激しくはない。
「魔導戦鬼GINZI」………宣伝!?
とまぁ、こんな感じです。一番最初がしっくりくる感じですね。もしくは題名にある(オリ主の親友もの)というのを消すべきだろうか?
というわけで、これが最後の言い訳になる事を祈りながら、次回「流星と英雄と喧嘩の法則(後編)」で行きます。
次こそ、次こそ終わらせます。



おまけのトリビア

『アイビスの翼装には「モード・フェアリオン(宴会用)」があるらしい……』

訓練校時代、宴会で酒に酔ったアイビスが使用し、その時の映像を見たアイビスが一週間引きこもりになったという曰く付きの翼装。
これを使用した際は防護服がフリフリドレスに変わり、ハイテンションでダンスを披露するらしい。
ちなみに、戦闘能力はモードの中でも最高ランク(酒が入ると攻撃力が上昇するらしい)
必殺技(魔法ではない)はロイヤルハートブレイカー。
これを使用すると過去のトラウマが蘇り、アイビスのステータスがグンッと堕ちるらしい(雑魚的にも落される始末)

本編に登場する機会があるとすれば、それはアイビスが物語から消える時だけだろう



※これがアイビスの奥の手でも切り札でもない事を、此処に記す。





[19403] 外伝之四「流星と英雄と喧嘩の法則(後編)」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/07/28 18:27
「――――夢の為に、私は強くなりたい」
ティアナは星空を見上げながら言った。
アイビスはそんなティアナをじっと見つめる。
夢があるという言葉が綺麗だった。
「昔から私の夢ってわけじゃない。死んだ兄さんの夢で、私はその夢を勝手に受け継いだつもりになってるだけだけど……今は、私の夢だから」
「…………だから強くなりたい、か。うん、私はそれでもいいと思うよ。だって、夢って心の原動力みたいなものだし、それがあるからキツイ事にも我慢できる。自分が少しずつ、本当に少しずつでも前に進める為に」
「でも、進む速度が遅すぎると――――私はいつまでも夢に届かない気がするの」
だから不安だったとティアナは語る。アイビスには夢がない。彼女の全ては未来ではなく今でしかなく、未来を見据えるという行為は自分に一番似合わない気がする。
自分は昔、どんな夢をみたのだろうか―――過去を振り返っても思い出せない。もしかしたら、毎日空を飛んでいられたらいいという程度の、のんびりとした夢だったのかもしれない。
だから、アイビスは少しだけティアナが羨ましいと思った。
「夢かぁ……いいなぁ」
「そうでもないわよ。かなり大変だし、夢の大きさって、大きい程辛い事も沢山ある」
「でも、私は羨ましいよ。目標があるって事は素敵な事だって先生も言ってたし、それを追う事が出来るのが人間の特権の一つだって言ってた」
「特権っていう程、いいもんじゃないわよ」
「いいじゃん、特権って事にしたほうが楽しいと思うよ?」
「…………それじゃ、そういう事にしておく」
色々な夢がある。
人の夢が十人十色だというが、夢があるか無いかは二色。
夢のある色と、夢の無い色。ティアナは前者でアイビスは後者。
「アイビスは夢ってある?」
「う~ん……無い。私、あんまり先の事を考えるの苦手だったし……それに、ちゃんとした夢を追う為の才能とか無いし……」
「才能って……アンタが言うと嫌味よ」
「そ、そんな事ないよ!!だって、私なんか昔から空を飛ぶ事しか出来なかったから、皆から足手まといだって言われてたし…………」
才能が無いとアイビスは言うが、ティアナから見れば彼女達は普通でない連中ばかりだった。この一週間、彼女達と共にいて自分との違い―――実力の差を見せつけられた。
あれだけの事が出来るのに才能が無いとか言われたら、自分はどうなんだという話になる。
「私から見たら、アンタ等は凄いわよ……私なんか、全然」
膝を抱え、ティアナはため息を吐く。
「才能、無いから……」
「…………ねえ、ティアナ」
アイビスは静かに呟いた。
「才能って、必要なのかな?」
「――――必要、だと思う」
「こんな事を言ったらティアナに怒られそうだけど……私は自分に才能があるとは思ってないよ。そりゃ、飛ぶ事しか能が無いとは思うけど、それでも私よりも凄く上手に飛べる人だっている。その人たちに比べたら、私は飛ぶ『だけ』の人間だよ――――でも、私はそれが出来る事を誇りに思うよ」
それだけは、嘘じゃない。
「空が好き。私は空を飛ぶ事が大好きだから、飛べる自分に満足してる。もちろん、それ以外に何もできない自分が嫌になる事はあっても、飛べない自分になりたいとは思わない、思いたくない」
嘘には、絶対に出来ない。
「自分に出来る事ってさ、出来る様になったって事でしょ?なら、それは才能があるとか無いとかの話じゃないよ。絵を上手く描ける人が絵が好きなわけじゃなくても、絵は描ける。逆に絵が好きだけど上手く描けない人だっている――――上手く描きたいって思ってもその人に才能がないとしても、その人は絵を描く事を止めると思う?」
「……多分、思わない」
「私の場合はそれと同じ。上手く飛べなくても飛ぶ事は出来る。だから、私は空を飛ぶ事を止めない――――飛ぶ事が大好きだから」
好き、その一言さえあれば才能なんて欲しくは無い。けれど、其処に夢があるという言葉があればきっと意味は変わってくるかもしれない。
好きなだけでは終われない。成し遂げられなければ終われない。それはまるで呪いの様に身体と心を蝕み続けるだろう。
だが、それは自分が決めた事だ。
自分がそうなる事を決めたのならば、
「好きになる事に才能は必要ない。夢を見る事に才能は必要ない。強くなりたいと思う事に才能は必要は無い。だって、想う事は誰にでも出来る最高の才能なんだから」
「――――なんか、話がずれてない?才能なんて必要ないって話じゃなかったの?」
「あうっ、そうでした……え、えっとね……つまり、なんて言うか……こう……………と、とにかく!!」
しどろもどろになりながら何とか言葉を絞り出す。
「ティアナは夢を持ったんだ。なら、才能なんて必要ないよ!!才能があればもっと楽に夢を遂げれるかもしれないけど、才能がなければ夢を見続ける期間が長くてお得だよ」
「それ、逆に駄目じゃない?」
「え、そうかな?」
というか、話が全然まとまっていない。話が進む毎に別の方向に向かっていくような話だった。もしかしたら、アイビスは話をするという才能が無いのかもしれない。
伝えたい事あっても、話している内に全然違う方向に話が進んでいく。着地点を定めても気づけば別の場所に立っている感じ。
「夢があるって人は、すぐにでも夢みた場所に行きたいのよ。そんなのんびり歩いていける様な道じゃないの……」
だけど、なんとなくはわかる。
伝えたい事ではなく、自分を励ましているという事だけはしっかりと理解できる。
「近道があれば通りたいじゃない」
「寄り道も面白いと思うんだけど……駄目?」
「…………それは、否定できないわね」
夢に向かって一直線、それは素敵な事だろう。だが、その道の途中にある風景は夢にとって邪魔になるモノだろうか――――多分、違う。
「夢は見た。目標もある。後は進むだけ―――でも、その道の中にあるモノを見逃すのはもったいないかもしれないわね」
「そ、そうだよ!!私が言いたい事はそういう事だよ!!」
「嘘でしょ?」
「はい、嘘です。すみません…………でも、それはそれで楽しいと思うよ?私に仲間がいる様に、ティアナにだって仲間がいるんだから、皆と一緒にいる時間は絶対に無駄じゃないよ」
「周りが化け物みたいでも?」
「化け物でも、だよ。ティアナが普通で周りが凄かったら、ティアナにとって得になる事が沢山あると思うんだよね。凄い人達って見てるだけで勉強になるって事もあるでしょ?それがプラスにならないわけないよ」
そんな連中を見て、自分は焦っていたのだが―――だが、それでも良いのかもしれない。
「人間は皆が誰かの先生なんだよ、ティアナ。それが反面教師だとしても、立派な先生で、そんな人達を見ながら私達は成長するんだよ――――って、先生が言ってた」
ここ数日で気づいた事だが、彼女達は『先生』という人の事を言うたびに何処が誇らしげだった。それほど、その先生が凄かったのか、それとも慕っていたのか。唯一わかる事は彼女達にとって大切な人だったという事だけ。そして、その事を銀二に聞いてみた。彼は少しだけ照れながら、そして懐かしむ様に語ってくれた。
だから、少しだけその人に会ってみたくなった。
こんな自分にも優しい言葉を向ける眼つきの悪い彼女。そんな彼女から尊敬され、愛されている先生という存在に。
自分の周りにはいただろうか、そんな人が。
先生と呼び、尊敬できる人が――――いない、なんて言えない。
「―――――苦しみながら努力する時間は、無駄じゃないのよね?」
時に優しく、時に厳しい人が自分の傍にいた。だけど、そんな人の事を自分は才能がある人としか見ていない。
それは今でも変わらないのかもしれない。なら、少しだけ見方を変える必要があるのかもしれない。
人間の形を見据え、人間の心を想像し、そして人と人は手を取り合う。
きっと、自分はあの人の事を何も理解できていない。仮に理解してあの人がどうしようもない人だと落胆するかもしれない。だが、今よりは数倍マシだ。
見かけばかりに気を取られ、中を見る事を忘れてはいけない。
それは夢ばかり追い求め、周りを見ない事となんら変わりは無い。
これが寄り道だとするのなら、それもいい。
「無駄なんかじゃないって、想ってもいいのよね」
「無駄じゃないと思うよ。無駄だと思ったら損だよ。損するよりは得するべきだし、得ばっかりするのも面白くない。二つがあって進む事が一番楽しいんだよ」
損得勘定であり損得感情。
ならば、少しだけ得になる事に期待する事にしよう。
誰かを理解して、誰かに理解してもらう事に、少しだけ寄り道として時間を使う事にしよう。

この想いが、無駄じゃないと信じているから――――







動いた。
その一瞬、全てが動く。
なのはと対峙しているアイビスに届く合図。その合図に若干の顔を顰めながらも頷き、行動を開始する。とはいっても、特に何かをするわけではない。やる事は先程となんら変わらない戦闘行為。
だが、唯一違う事をするとすれば、なのはに肉薄する様に動くだけ。幸いな事に、先程からなのははシールドを張らずにアイビアと戦闘を繰り広げている。
これは幸い、幸福だ。
故にアイビスは弾丸の如く飛びだし、なのはの身体にタックルする。無論、そんな雑な攻撃を喰らうはずもなく、なのはは回避する。
回避した先は、上空。

其処が、ポイントだった。

微かに煌めく光。その光を眼にしたのは両方。そして行動もそれぞれ違う。アイビスは自分の役目は終わったとばかりその場から後退し、なのははアイビスの放った攻撃で無い事を確認してから飛んでくる光を防御する。
それは茜色の弾丸。
相手が誰なのか、一瞬で認識する。
周囲に配置していたサーチャーが相手の位置を教える。戦闘が始まると同時に展開させていたサーチャー。実はソレが目的の人物を発見するのに時間はかからなかった。
開始数分、なのはは既にリーダーであるティアナの姿を捉えていた。しかし、すぐに手を出さなければ、彼女が何処に居るかを教える事でしなかった。それは驕りに近い感情かもしれないが、同時に別の想いもある。
こちらのリーダーがなのはで、相手のリーダーがティアナだというのなら、リーダーを落すのは自分の役目―――そう、なのはは決めていた。
そして、その時が来た。
先程放たれた弾丸は操作された弾丸。なのは自身がティアナに教えた技術の一つ。それ故にそれをどう使うかなど百も承知だろう。
同時に別の憶測もある。
今回の戦闘を嗾けた張本人はこの場にはいないが、それなりの作戦を立てたのも恐らくは銀二。その銀二がどういう手段で自分に仕掛けてくるかも既に読んでいる。
武本銀二という人間の設計図は知っている。武本銀二という人間の性能は知っている。武本銀二という人間の性質は知っている。
考え、考え、そして出した結果は恐らくコレ。
ならば、それに乗ってやろう―――なのははアイビスから視線を外し、その攻撃に対処する。
無数に、そして的確に迫りくる弾丸を捌き、自然と移動させられている事を認識。そこから周囲の障害物、建物を視覚に捉え、相手が何処からくるか―――何処から堕ちてくるかを予想する。
一瞬の静寂。
何処までも重くなる空気。
張り詰めそうな程に膨張した空の音は、静寂の後の嵐を呼び起こす。
そして、なのはは頭上を見上げた。
仮想された日の光に影が差しこむ。人の形をした影、その影が重力に引かれて落下してくる。すぐ近くにある廃ビルのオブジェから勢いよく落下してくる人影、それはサーチャーが捉えていた相手の姿。

ティアナが、堕ちてくる。

銃型デバイスの銃口から生える鋭い刃。その切っ先はなのはに向けて一直線に振るわれる。
避けるか、受けるか――――避けるを選択する。
受け止める事も出来るが、それは恐らくは餌。受け止める、その場に足止めされる、視線がその落下する影に向けられる、そして自分に隙が出来る。
そして何より、直感する。
あの落下してくる影は本物ではない。
姿形は確かにティアナ・ランスターだが、アレは偽物だ。彼女の持つ魔法の一つにある幻術が作りだした幻影、故にこのまま動かずとも傷は負わない。
しかし、それが相手の策。
精密に作り上げられた幻影を避ける。
動いた事で隙が出来る。
一瞬だが、斬りこむには十分すぎる程の隙。
そして、それを自らの意思で作り上げたなのはは―――静かに呟いた。
背後から迫る気配。
落下してくるティアナからは一切感じられなかった、戦う、斬る、落すという確かな気配を彼女は捉えた。
「―――捕まえた」
右手に衝撃。
まるで刃を掴んだ時の様な鋭い痛みが走る。
それは表現された痛みのまま、刃の痛みだった。
なのはの背後、背中を刺し貫かんと迫る刃をなのはは受け止めた。
皮肉にも、あの模擬戦と同じような痛み。
ティアナの―――本物のティアナの攻撃を受け止めた、痛み。
背中越しに見えたティアナの顔が驚愕に染まっている。
進歩しない、とは思わない。
あの時よりも正確に念密に、周りの遮蔽物を使って仕掛けた作戦はあの時よりも格段に上昇しているだろう。だが、それは読めていた。
銀二があの模擬戦を見ていたというのなら、恐らく同じ手でくると考えた。まったく同じでは進歩がなく、同じ結果になるだろう。だからこそ同じ手の精密さ、的確性を上昇させた作戦で挑んでくる。
破られた作戦なら普通は使わない。だが、銀二という人間がそうではないと知っている。ティアナが必死に考えた作戦を自分が否定した。そんな自分に何かを仕掛けるとしたら同じ策で挑み、その策を持って相手を打倒し、勝利する。
論理的ではなく直情的な策。
故に想像しやすく予測しやすい。
相手が騙し合いを得意とするのならば、こちらは読み合いを得意とする。
砲撃魔導師としての自分が、その部分で相手に遅れをとる気はさらさらない。
「―――――チェックメイト」
なのはは静かに宣言する。
これで終わり、これには終焉。ティアナの刃を受け止めながら、杖の先をティアナに向けようと動かす――――瞬間、
「えぇ、チェックメイトです」
同じ言葉を、ティアナは呟いた。
満面の笑みを浮かべ、不敵に呟き、

なのはは、真下から迫る猛烈なる剣気を感じた。

「―――――ッ!?」
真下、其処には先程堕ちていったティアナの偽物、幻影がいた。未だに其処に健在する意味が無いというのに、其処にいた。
そして、その手に握られた獲物は銃ではなく――――漆黒の木刀。
幻影が嗤う。
憎たらしい程に歪んだ笑みを浮かべ、飛んだ。
気づいた。
あれは幻影ではない。ましてや本物のティアナでもない。
爆発的な跳躍を見せた幻影は木刀を突き上げ、なのはに叩きつける。なのははティアナの刃を掴んだ手を離し、即座にその木刀を防御する。
激しい衝撃が腕を襲う。シールドは破壊されないが、木刀は確かにシールドに喰らいついている。
「――――行くぜ」
幻影はティアナの声で言った。
木刀を持った手とは逆の手、その手に拳を握り、『彼』特有の不可思議な色の魔力光を手に宿し、
『雷刀・轟』
叩きつけた。
轟音が轟く。
鉄壁を誇るなのはの障壁が震える。
無色に近い奇妙な魔力光に紅い色をした魔力とは別の力。それが『気』と呼ばれる神秘である事はずっと前から知っている。知っているからこそ、その力の威力も知っている。
衝撃波が生まれ、幻影となのはの身体を揺らす。その衝撃で幻影の身体が壊れていく。乾いた絵具が剥がれ堕ちる様に、ティアナの姿をした幻影の身体が壊れていく。
身体はティアナではない。
顔はティアナではない。
それはティアナではない。
変身魔法―――人の姿を別の存在に変化させる特殊な魔法の効果が終わる瞬間、少女の姿は別の姿に変わる。
「ぶち抜けぇぇぇええええええええええええええええ!!」
それはサムライの如き衣。
黒の着流し、和服に不釣り合いなスラックス、右手だけにつけられた籠手。
顔の下半分を覆う様な白の和式マフラー。
そして、耳に付けた髑髏のピアス。
其処にいたのは紛れもない、見紛う事のない存在。



武本銀二が、其処にいた。



完全な不意打ち。
居る筈がないと思っていた者の出現になのはの思考は混乱に陥る。
彼女が張った障壁は確かに強固ではある。しかし、この拳撃を押さえる程の強度は持っていない。
銀二という者は魔導師としては大したことは無い。仮にこの六課で戦闘が出来る者の中で最前線で戦う者でない者と戦えば勝てるだろう。此処で言うならキャロ、シャマルの二人だけは銀二だけでも勝利する事は可能。だが、それだけ。たったの二人だけに勝てるというだけ。
最前線にて戦う攻撃趣向な者を相手にとればまず負ける。確実に負ける。ティアナと戦っても恐らくは負けるだろう。
だが、それはあくまで『魔法』だけというこの世界の当たり前を含んだ場合だけ。魔法こそが最上であり至上という概念に縛られた戦いならそうだろう。
だが、それだけ。
たったそれだけを除けば――――武本銀二は弱くはない。
彼の父、武本鉄心が作りだした神秘と科学の融合戦闘術。中途半端な神秘と完全な科学で練られた魔法。そしてこの世界から見れば完全な神秘の領域である気。その二つを融合させた戦闘術こそが彼の真骨頂。

武本流喧嘩殺法――――その威力をとくと見よ、魔導師

鬩ぎ合う力と力。
攻守が鬩ぎ合う境界。
その場にいるティアナとアイビスの視線はその一点に集中する。
攻める銀二、守るなのは―――どちらかが少しでも力を緩めれば即座に攻守は直進もするし逆転もする。
銀二の拳が障壁に亀裂を作る。
なのはの障壁が拳を抑える。
ビリビリと肌を焼かれる熱波が互いを襲う。
恐らく、この一撃が決まれば高町なのはは堕ちる―――そう二人は想っている。だが、相手は百戦錬磨の猛者である事には変わりはない。
貫くか、貫かれるか、此処か正念場。
その激突はほんの数秒で終わりを告げる。
銀二の拳、籠手に微かな亀裂が走る。だが、それ以上になのはの障壁が大きな亀裂を生みだす。
嗤ったのは、銀二。
眼を見開いたのは、なのは。
「おらあぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!!」
獣の咆哮が響き渡り、銀二は拳を振りぬいた。
障壁が、崩れる。
障壁が、粉砕された。
振り抜いた拳が障壁を砕き、なのはの身体が大きくのぞける。
そして、最後の一撃を銀二は振り上げる。
「これで、終わりだ……!!」
『断刀・斧』
鋼鉄すらも叩き潰す斬撃がなのはに向けて振り下ろされ――――轟音が響き渡った。
それは防護服を砕く音。
防護服に守られた身体に叩きつけられた衝撃を表す音は周囲の全てを震わせる。
そして、地面に堕ちるは一人だけ。激しい衝撃をその身に受けた人間はあっけなく地面に落下し、そして戦闘不能陥る。
その瞬間に、戦闘は確かに終わったのかもしれない。
その場にいた全ての者が、それを確信した。



さて、本来なら此処で高町なのはは撃墜、武本銀二達―――否、ティアナ・ランスター達の勝利と記しても問題はないかもしれない。
だが、しかし。
されど、しかし。
しかし、しかし、しかし、しかし――――しかし、だ。


高速で突進してくる赤き閃光。
「――――――なッ!?」
驚愕する順番が銀二に回ってきた。なのはに向けた叩きつけた刃―――叩きつけようとした刃が空を切る。流されたわけでも避けられたわけでもない。銀二の身体が真横から急襲してきた紅い閃光によって放たれた一撃によって強制的にズラされたから。
「アタシを――――忘れんな……!!」
身体にめり込む鋼鉄の槌。銀二の脆い障壁など紙の如く破り捨て、防護服を打ち砕き、身体に絶大なる衝撃を打ち込んだ者は、其処にいた。
「――――――、」
銀二の身体が地面に叩きつけられる。背中を強打し、酸素が一気に身体の外に吐き出される。息を吸おうにも肺機能が誤作動を起こし、息をまともに吸えない。
完全な不意打ちだった。銀二達が行った不意打ちは予定通り不意打ちだとしたら、彼女が行ったのは完全な強襲。
「……ヴィータちゃん」
立ち塞がる様にヴィータがいた。顔の所々に傷跡があり、紅い騎士甲冑にも刃物の斬られたような痕が残っているが、その身に致命傷は無い。
地面に倒れた銀二を見下ろしながら、ヴィータは呆れ顔で言う。
「ったく、何処から湧いて出やがったんだよ」
「湧いて出たって、虫じゃないんだから……」
なのはのツッコミは無視してヴィータは呆然としているティアナに視線を向ける。視線を向けられたティアナはしまったという顔をするが、既に遅い。
「逃げ場なんかねぇぞ」
その言葉の通り、彼女には既に逃げ場はなかった。
ヴィータが銀二を叩き落とした瞬間、ティアナを取り囲む様にスバル、エリオ、キャロの姿があった。
三人の姿を見て、ティアナは大きなため息を漏らす。
「…………はぁ、万事休すって感じですか」
「当たり前だろ」
反対にヴィータはどこか満足げに三人を見る。
「あのデカイの相手にもう少し手こずると思ったけど、こんなに直ぐに合流できたった事は大した事なかったみたいだな」
ニシシと奇妙な笑みを零し、ヴィータをゆっくりと地面に降り立つ。
これで完全な詰み、チェックメイト。
これでティアナには逃げ場はない。上を見上げればアイビスも動かない。どうやら自分達の負けを悟って無駄な抵抗をしないと決めたのだろうとなのはは想った。
終わった、やっと終わった。
安堵の息を漏らし、なのはも地上に降りる。
ヴィータの一撃がよほど効いたのか、銀二は完全に気を失っている。地面に大の字に転がり、白目を向いている。
「い、生きてるよね?」
「生きてるだろ。ソイツ、ゴキブリ並の生命力だしな」
銀二の頭をチョンチョンと蹴ってみると、微かに唸り声。生きている事を確認する。
少々可哀想だなぁと思いながらも、なのはは銀二ではなくティアナに視線を向ける。
ティアナは特に抵抗する意思も見せず、地面に膝をついている。ティアナを囲んでいる三人は勝ったという感情がまったく湧いて来ないのか、どこか戸惑った顔でなのはを見る。そんな三人になのはは無言で頷いて見せると、三人はティアナから離れる。
「私の、勝ちだよ」
双方のリーダーが顕在しているが、この状況で全てをひっくり返す手段は無い。なのはの杖がティアナに向けられた今、誰が何をしても無駄だとその場にいる全ての者が理解している。
「…………」
ティアナは何も言わずに項垂れている。
そんな様子に心が痛くなったが、それでも自分はティアナと向き合うと決めた。空にいる自分の同類との戦いで思い出した事は、無意味ではない。
周囲に静けさが生まれた。
その静けさがなのはとしては、何とも言い難い重苦しさを持っていた。
まるで戦いがまだ続いているかの様な空気。それはどうだろう、まだティアナは負けを口にしていない。だが、ここまでくれば別に勝ち負けなどどうでもいい気がした。
向き合う事は怖い。自分のしてしまった事を思い出し、微かに身体が震える。だが、それで逃げては、本当に意味が無くなってしまう。
勇気は、ほんの一歩進めるだけで生まれる。
なのはは杖を下し、ティアナに向かって微笑む。ティアナは視線を上げない。なら、このまま聞いてもらうしかない。
「ティア、私ね―――――」
何処から話そう、何を話そう。微かな言葉の間違いで何もかもを失ってしまいそうな恐怖があるが、それでも言葉を絞り出す。
戦いは終わった。
勝ちも負けも関係ない。
そして、そこから自分達は始めるのだ。
だから、伝えよう。
腹を割って、互いの意思を確かめ――――
「―――――――なのはさん」
そこで、不意にティアナが呟いた。そして、ゆっくりと顔を上げ―――なのはは先程までとは違う意味での言い様の無い不安に襲われた。
嗤っていた。
まっすぐになのはの眼を見ながら、ティアナは嗤っていた。
まるで、



「――――――チェックメイトです」



それが致命的なまでに失態だと、なのはに想わせる様に。





同時刻、ヴァイス・グランセニックはヘリの格納庫で首を傾げていた。
なのは達とティアナが試合をするという話を聞きつけ、しかも賭けまで行われていると聞いた彼は急いでその賭けに参加しようとしたが、残念な事にこの時間帯はヘリの整備の為に拘束されていた。同僚に金を握らせ、自分の代わりになのは達に賭けておいてくれと頼み、彼は仕方なく整備に熱を注いでいたが、そんな最中でも彼は試合の結果が気になってしょうがなかった。
試合は隊長陣のみ観戦が許され、ヴァイス達にはその映像が一切見せられないという形を取られていた為、彼は内心ドキドキだった。ティアナの事はもちろん心配だったし、仲間と争うという状態になった新人達も気になる。だが、それと同じくらい(実質はそれ以上)気になっているのは賭けの結果だ。
場合によっては今月の食費がピンチ。
負けたらヤバイ、負けたらヤバイ、そんな恐怖感に苛まれながら、彼はヘリの整備をしていた―――そんな時だった。

掃除ロッカーが眼に入った。

「…………ん?」
あんなところにあんな物があっただろうかと首を傾げる。周りの者に聞いてみたが、誰も知らない。自分達も今になって気付いたと言う。
しかも、数は四つ。
しかも、なんか動いてる。
しかも、中からくぐもった声もする。
怪しさ極限なロッカーを見ながら、全員が視線を合わせる。
あれ、開けるか―――という確認。
ガタガタ、と段々とロッカーの揺れが大きくなっている。
もしや、何処ぞのスパイが紛れ込んでいるのだろうかと思ったが、それもあり得ない。あんなバレバレで不自然なモノの中に隠れる意味が見当たらないからだ。
ヴァイスは意を決してロッカーに近づき、中を開けた。
そして、驚愕する。
「お、お前……何してんの?」
居る筈の無い、少なくとこの瞬間にこの場に居る筈のない者を見ながら、ヴァイスは尋ねた。
この場に居る筈の無い者は何かを言いたいのか、むぅむぅ唸りながらロッカーの中でジタバタする。
喋れないのも無理はない。
鎖で身体をグルグル巻きにされ、猿轡を嵌められていた。
そんな状態で涙目になりながら、

スバル・ナカジマはロッカーの中にいた――――何故か下着姿で。










外伝之四「流星と英雄と喧嘩の法則(後編)」












ジャキッ―――重い金属の音が響く。
その音はなのはのすぐ耳元から聞こえ、何の音だろうと首を動かす。
目の前に巨大な眼玉の様な銃口が六つ。その先に巨大な大筒――――そして、その先にその大筒を持った者がいた。
スバル・ナカジマ。
「ス、スバル……?」
どうしてアナタがそんなモノを持っているのかという疑問より、どうして『味方』である自分にそんなモノを向けているのかという疑問が大きかった。
「なのは!!」
ヴィータの悲鳴に似た声に背後に振り向こうとし、思考が停止する。
今度は巨大な大剣。
それを持っていたのはエリオだった。
まさかと思い、キャロを見るとやはり同じ。武骨な武器は持っていないが、キャロの指先から鋭い魔力刃が伸びて、なのはの首筋に添えられていた。
なんだ、この状況は?
「……どうして」
「どうしても何もないですよ、なのはさん」
ティアナは立ち上がり、言った。
「チェックメイトですよ…………私、まだ負けを認めていません。それなのに勝った風に振舞うなんて――――ちょっと間抜けですよ?」
「え、あ……え?」
混乱する頭がティアナの言葉の意味を理解しない。戦いは終わったはずだ。ティアナ達にもう手は無く、ティアナの周りにはスバル達が取り囲み、銀二はヴィータに落され、勝って、アイビスは動かなくて、自分が勝って、スバルが本来持たないはずの武器を持って、ヴィータが助けてくれて、勝ったって思って―――思考がバラバラになる。
混乱から抜け出せないなのはを面白そうにティアナは悪戯が成功した悪ガキの様な顔をする。
「それで、なのはさん……私、まだ聞いてませんよ」
「な、にが……」
「これ、詰みですよね。チャックメイトですよね。なら、私の勝ちですよね――――だから、言ってください。参りました、負けましたって」
「ふざけんな!!」
ヴィータが怒鳴る。
「な、なななな、なんだよ、これ!?何が負けを認めろだよ、この馬鹿野郎!!大体、お前等も何やってんだよ!?お前等はアタシ達側だろうが!!」
恐らく、彼女もこの状況に付いていけないのだろう。なのはに武器を向けるスバル達を恫喝する。だが、そんなヴィータの言葉にスバル達は何処吹く風、白々しく笑っている。
「……なに笑ってんだよ?」
普段の三人が見せない邪悪な笑みに流石のヴィータもうろたえる。
おかしい、この三人は何処かおかしい。姿形は確かにいつもの三人なのだが、果たして彼女達はこんな顔で笑うだろうか―――いや、そもそも三人が持っている武器は普段の三人が使っている魔法でも武器でもない。
「―――――あ、」
最初に気づいたのはなのはだった。
この戦闘が始まってずっと周りの戦闘を見ていた彼女。そんな彼女だからこそ、スバル達が持っている武器、デバイスが何を表しているかに気づいた。
スバルの持っている巨大な大筒は、シャルロット・スマート。
エリオの持っている大剣は、ミシェル・ライアン。
キャロの使っている魔法は知らないが、恐らくはミシェール・ライアン。
「まさか……」
そして、先程銀二が見せた変身魔法。
答えは一つ。

魔法が、解けた。

スバルの姿が崩れ、現れたのは山の如き巨大な男。
エリオの姿が消え、現れたのは浴衣姿の少女。
キャロの姿が壊れ、現れたのはもう一人の浴衣の少女。
なのはとヴィータは言葉を失くした。
「驚きました?」
銃を指先で回しながら、ティアナはなのはに歩み寄る。
「個人的には結構不本意なんですけど……私、勝ちたかったんですよ」
ティアナの銃口が、なのはの額に向けられた。
その至近距離。
なのはとティアナの視線が一点に混じり合う。
「さて、それでどうします?まだやりますか?やるっていうのなら、私はこの引き金を引きます。引いてアナタを撃って私の勝ちです……」
どうしますか、ティアナはなのはに尋ねる。
「―――――何時から……」
「はい?」
「何時から、この人達はスバル達と入れ替わってたの?私が見ている限り、スバル達はこの人達と戦っていたし、勝っていたはずなのに……どうして」
当然の疑問だった。
なのははこの戦闘の間ずっと周囲にサーチャーをまき散らし、この空間全てを一望していた。その際、スバル達とシャルロットが戦闘している光景も見たし、彼に勝利したのも見ていた。
だが、実際はそうではない。
「――――――簡単な事だよ、んなもん」
それに答えるのは気を失っていたはずの銀二。
銀二は腹部を抑えながら立ち上がり、ヴィータを睨む。
「このクソガキ。お前、本気で俺をぶっとやがったな?死ぬかと思ったぞ、この野郎」
「……平気なのかよ、お前」
「当たり前だ。これでもガキの頃から色々と痛い目に会ってきてるもんでな……それと、だ。お前が俺となのはの間に割って入るのは計算済みだし――――そもそも、そういう風にしたんだよ」
「どういう意味だよ」
「そういう意味だよ。お前がミシェルと戦うのはこっちの目論見通りで、アイツがお前とある程度戦ったら逃げるっているのもお決まりだった。そして、ミシェルを追った後にお前が俺となのはを見る様にしたのも予定通り。アイツがやられそうになったら、お前は絶対に俺をぶっ飛ばす」
腹を押さえながら話す銀二。
だが、そんな説明を聞きたいわけではないヴィータは、
「っていうか、そもそもなんでお前が此処にいるんだよ!?お前はギンガに連行されたって聞いたぞ!!」
「あぁ、あれはお芝居。変身魔法でギンガに化けた奴が俺を引っ張ってお前等の眼を欺く――――けど、それはどうでもいい布石だ。そんな事をしても信用しない奴がいるからな」
銀二がなのはを見る。
「けど、別に信用される必要もないわけだ。アレは『俺がいないという可能性がある』って想わせるだけに意味がある。別に本気で俺がいなくなるなんてアイツは想って無かっただろうし、微かでもその可能性があるって想わせるだけで十分なんだよ」
確かになのはは銀二の出現に驚いていた。だが、それでも即座に反応できたのは銀二が言う様に、彼が完全に戦闘に参加できない―――などは思わなかった。
「…………ねぇ、銀二君」
「なんだ?」
「もしかし、だけどさ……銀二君達が六課に来てから、そういう事をチョクチョクしてた?」
「あぁ、したぜ」
自慢する様に言った。
「言うとキリがないから省くけど……とりあえず俺達が勝つ為に必要なのはお前が『本来通り』の実力を発揮できない心理状況を作る事から始まるわけだ。だから、ランスターとお前にあんまり会話はさえなかったし、俺もお前にキツイ事も言わせてもらった」
お前にぶっ叩かれたけどな、と銀二は頬を指差す。
「その後は俺とお前等の喧嘩をダシにして賭けを開いた。真面目なお前の事だ。あんな事されたら嫌な気分になるだろ?一応、六課全部でそういう会話する様に色々と細工させてからなぁ……そんでもって、お前にとって特大のミサイルも撃たせてもらった」
「……清四郎君、だね」
「応、そうだ。そうすれば唯でさえ焦っているお前に追い打ちをかけられる。しかも、相手があの清四郎なら尚更だ。ここでお前の心理状況が焦りか怒り、もしくは悲しみ。このどれでもいいし、それ以外でも構わないわけだ。大事なのはお前の心理状況が正常でない事が大事なんだよ―――――あ~、一応言っておくけど、アイツはまだ出張中だから、賭けには参加してないぞ。お前の目の前でやった会話は俺ともう一人の演技で、清四郎はこの件についてなんも知らん」
と、一応フォローを入れていく。
その言葉に安心した気持になったなのは。
そして、そんな彼女を見て顰めた顔をする銀二。
「ん?」
変な顔で自分の顔を見る銀二になのは首を傾げる。
当然、それを誤魔化す銀二。
「そんでもって次だ。お前に対しての心理作戦は一旦停止。次はロリチビを含めた連中に対しての作戦だ」
「ちょ、ちょっと待て!!」
「なんだよ、チビ。話はここからだってのに……」
「チビって言うな!!――――そもそも、おかしいだろ。お前の言う様にギンガに連れていかれたってのが演技だったとしたら、お前はその後にどうやって此処に入ったんだよ。此処に入るには入口は一つだけ。しかも、それはシャーリーが見ているから、お前が入れば止めるか、全員に知らせるかのどっちかだ」
「――――確かにそれもそうだな。だが、よく考えてみろ」
銀二はヴィータの視線に合わせる為にしゃがみ込み、
「俺が此処にいるって時点でお前等に何の反応もないんだ……それはつまり、あの眼鏡は『味方』じゃないっていう意味だよ」
その言葉にヴィータが眼を見開く。
「俺がいないっていう事をお前等に思い込ませるもう一つが、あの眼鏡だ。この喧嘩の審判なポジションのアイツが『五対五』という状況を『宣言』したのなら、それは紛れもない真実に置き換わる」
「つまり、グルだったのか……」
「あぁ、審判もグルだった―――というか、ネタばらしをするとこうだ」
銀二は空を見上げながら、
「―――――おい、麗二!!」
聞きなれない名を呼ぶ。すると、麗二という者を呼んだはずなのに聞こえた声はシャーリーの声だった。
『呼びましたぁ?』
やけにのんびりとした声を聞いた瞬間、ヴィータが激高する。
「おい、シャーリー!!お前、コイツ等とグルだってのは本当かよ!?」
『―――――まぁ、本当ですね』
「どうしてだよ!?」
『どうしてって言われましてもねぇ…………それは単純に初めから私がそっち側だってだけの話ですよ?』
初めからそっち側、つまりは最初から銀二達の仲間という話になる。
『それに、銀二が今言った様に――――私の名前は麗二と言うんですよ』
「は?」
『本来、この場にいるべきシャーリーという方ですけどね。実際はこの場にいないんですよ。彼女がこの部屋にくる前に銀二と拉致ってロッカーに放り込んで置きましたからねぇ』
シャーリーではないと、シャーリーはそう言った。
混乱する頭を無理矢理に動かすとろれつが上手く回らないらしく、ヴィータは「あ、」とか「うぅ」とか奇妙な呟きしか出ない。
『混乱しているようですから、ここらへんで自己紹介でもしましょうか――――』
声が変わる。
声高い音ではなく、男の様に低い声。
『――――私は佐久間麗二という者です。一応は海の方でそこそこ偉い人やらしてもらっている若輩者です。得意な事は人を騙す事全般で、変身魔法やらジャミング、それと幻影とかも大得意です。ちなみに、詐欺師とかフェイスレスとか言われますね』
声だけで顔はわからないが、麗二と名乗る者が馬鹿にした様な顔をしている事だけは直感できた。
『皆様が顔を合わせて『七対七』ではなく『五対五』だと私が宣言した時点で、アナタ方は私共の策にハマっているのですよ――――そもそも、私は一度でも私自身がシャリオ・フィニーノだと言いましたか?言ってませんよね?』
「そ、それは……」
『まぁ、皆さんが彼女をそれだけ信頼しているのか、それとも信頼しすぎていたのかは知りませんが、それはこちらにとって十分なアドバンテージになりました』
信用、信頼、その二つを利用する者が、
『だから私は周りからは詐欺師呼ばわれされておりますので……詐欺師冥利に尽きるものですよ』
そう呼ばれるのだろう。
『いやぁ、私の言葉を―――シャリオさんの言葉を真似た私にまんまと騙されてくれたおかげで、こっちも随分と仕事が楽でしたよ……なのはさん、アナタがこの空間にサーチャーを飛ばして現状の把握を常にしていたようですが、私はそんな事をしなくてもこのモニタールームから全てを把握できる。その点ではアナタの索敵能力よりも楽なうえに上位に為りえるでしょうね』
詐欺師の言葉は的を得ている。
なのははサーチャーを放っていた。だが、それはこの空間全てを把握できるような能力は無い。当然、数も限られる上にそちらの方に集中力を削ぐ形にもなる。
だが、詐欺師は違う。
魔法などいう技術ではなく、モニターというシンプルな科学だけでそれを上回る。
『私が此処に陣取っていたからこそ、周囲の状況は実によくわかる。片手に珈琲、片手にピザを持ちながら、なのはさんが汗水たらして苦労している時に、私は涼しい部屋でのんびり観戦と指示を出来て最良この上なしですな。あっはっはっは!!』
「あっはっはっは、じゃねぇだろ、この野郎!!完全にインチキじゃねぇか!!」
『えぇ、インチキです。反則です。でも、それに気づかないアナタも間抜けですよ?守護騎士っていうのは戦うだけに特化したおバカさんなのですか?いやいや、そんなわけないでしょう?幾ら頭に血が上っていたからといって、私のしていた事に気づかないわけがない……えぇ、そうでしょう!!気づかない、わけがない!!気づけない、わけがない!!』
ヴィータは何も言い返せない。
そもそも、前提が間違っていた。
これは『正式』な試合ではない。それ故にルールなど微かなモノ。相手の人数が同じであるというルール。そして相手チームのリーダーが落された段階で勝敗が決まる。
『雑なんですよ、アナタ方は……六課と私達が戦うとなれば、第三者目線の審判を付けるべきだった。そうすれば私だって他の策も取れたでしょう。ですが、アナタ方は『信頼できる者』という代えの効かない者を審判にした。その時点でその信頼を利用すればこちらに有利になるのですよ――――覚えてますか?こちらは一度だけアナタ方に人数を増やしても良いという条件を出しました。こちらが七人なのにそちらが五人というのは些か不憫ですからな―――でも、それを蹴った。蹴ったのですよ。わかりますか?私達はこちらが七人いるとは掲示していませんが、それでもそちらは七人で良いと提案したはずです。それを単なる挑発と受け取ったアナタが蹴った事によって、見事に策にハマってくれましたよ』
「――――ねぇ、一つ聞いていい?」
シャルロット達に囲まれたまま、なのはは手を上げる。
『はい、何でしょうか?』
「私はこの空間のいたるところにサーチャーを放っていた。そこからこの人達がスバル達にやられたという情報が伝わってきた……でも、実際はそうじゃなかった。それに対してアナタが何かをやったの?」
『―――やりましたよ。先程言った様に、私は幻術やらジャミングといった妨害や騙しが得意でしてね。アナタが放ったサーチャーに誤った情報を伝える事も可能なのですよ。あぁ、別にレアスキルとかそういう才能ではないですよ。単純にアナタの放ったサーチャーが一つでも目的の者を捉えた瞬間に誤作動を起こす様にしただけですから』
目的の者―――なのはにとってそれはティアナだろう。
それに気づいたなのはにティアナは麗二の代わりに続きを話す。
「私の最初の役目は『アナタに見つかる事』なんですよ。アナタの放ったサーチャーが私を認識する。その時点であの詐欺師の作った特別な魔法でそのサーチャーにジャミングをかける事が出来る。もちろん、私達の持っているデバイスだけではそれは処理的に不可能ですが――――モニタールームから繋がる六課のメインシステムを使用すればそれなりの大きな処理も可能です」
「…………ハッキング」
「えぇ、ハッキングです。最初は無理だと思ってたんですが、驚くべき事にあの人、本当にメインシステムにハッキングをかけ、成功しました」
『流石は一流どころを集めた六課ですね。入るのに数分かかりましたが、何とかティアナ嬢をアナタが『見つけてくれる』までに終わらせました』
つまり、ティアナを見つけた時点でなのはに送られてくる情報の全てが詐欺師のまやかしの情報という事になる。
『ですが、あまりにも出来すぎな情報ではアナタの持つデバイスがおかしいと気づくはずです。ですので、デバイスが気づかない程度のギリギリのラインで情報を操作させてもらいました』
「レイジングハート、デバイスすら騙したっていうの……」
『人間よりは騙しやすいですよ、デバイスっていうのはね。ほら、映画とかもでシステムを騙すなんてよくあるシーンでしょ?それに比べて人間がその異常に気づくのは意外と速いのが定番です。機械は処理するだけなら人間よりも上位に位置しますが、騙されるという行為におけば、人間よりも下位に値する存在ですからね』
詐欺師、麗二は普通な事の様に言っているが、そんなに簡単な事ではない。むしろ、麗二の言う全てが常人、ましてや上級の人間だとしても不可能に近い事だった。
だが、近いだけ。決して不可能ではないと麗二は言う。
様はコツを掴めばいいだけ。騙す為のフローを作り、そのフロー通りに事を済ませれば全てが上手くいくという、詐欺師だけの暴論となる。
『そこまでくれば後は簡単です。なのはさんには正確な情報は何一つ伝わらず、騎士さんにはミシェルという足止めがいる。後はシャルロットとミシェール、そしてこっそり私がこの空間に入れた銀二。この三人、というか銀二一人いれば新人三人を騙して捕まえて、この空間から放り出す事は簡単ですから―――――というか、銀二。どうしてアナタは誘拐とか拉致とか、そういう犯罪的な行為だけは異常に上手いんですかね?私よりも上手いですよ、アナタ』
「それが女子供だというのなら――――神ですら攫ってみせる」
『どっかの魔眼使いみたいな台詞はいいですから……ところで、あのシャリオさんを含めた方々は何処に捨ててきたんですか?』
「ん、アイツ等ならヘリの格納庫の所に置いてあった掃除ロッカーに詰め込んできた。いやぁ、ガキ共を捕まえるのは簡単だったけど、スバルの奴は大変だった。アイツ、馬鹿力だけは一番だからな」
『へぇ、なら今頃抜け出してるんじゃ?』
「大丈夫。デバイス取り上げて、六課の制服脱がして下着だけにしてから閉じ込めたから」
と、銀二が言った瞬間。その場にいた全ての女性陣から背筋も凍るような視線が突き刺さった。
だが、此処で怯む彼ではない。むしろ逆に誇らしげに胸を張る。
「アイツも一応は女だからな。去り際に「ここから出るのは勝手だが、その場合は下着姿で六課を闊歩する事になるけど、いいのか?」って言ったら、髪の毛と同じぐらい顔を青くしてたな……」
『――――銀二、それは幾らなんでも引きますよ……』
と、麗二。
「うぅ、後で謝ったら許してくれるかな……」
と、シャルロット。
「銀二は死ねばいいと思う……と、姉さんは言っています。無論、私も同意見です」
と、双子。
銃口を突き付けたままティアナは、申し訳なさそうになのはに、
「念の為に言っておきますけど、私の案じゃないですよ?」
「え、あ、うん……それはわかってる――――銀二君、後でお仕置きだよ」
「大丈夫だ。お前にお仕置きされる前にきっと俺はギンガに殺される――――――とまぁ、ネタばらしはこの辺でお終いだ」
木刀で肩を叩きながら、銀二はなのはへ向けて言う。
「この状況でお前は逆転の策があるか?言っておくが、俺と違ってシャルロットとミシェルはお前の障壁を破れる火力があるぞ。そして、お前が何かする前に引き金を引く奴が目の前にいる」
ヴィータは動けない。ここで彼女が動いた瞬間、四人は一斉になのはへ牙を向くだろう。その瞬間、負けは確定する。いや、既にこの状況で逆転の一手など存在しない。
少なくとも、この場にいる全ての者はそれに同意するだろう。
なのははふと空を見上げる。
そこには自分をじっと見つめるアイビスの姿があった。その顔には不満、そして申し訳ないという表情があった。
なるほど、きっと自分とやり合っていた時の彼女はこんな作戦よりも自分の感情を優先していたのだろう。だからこんな終わりは不本意で、後ろ髪を引かれる結果となってしまった。
だが、これは勝負。
勝ちがいれば負けもいる。勝つために策を練るのは当然であり、負けない為に何かを仕掛ける事も重要だ。
そう想えれば、別に悪くは無い。なのはは空に浮かぶアイビスに向けて微笑みかける。アイビスはその微笑みに若干戸惑ったが、なんとか苦笑だけを返す。
別に、これで自分と彼女の関係が終わるわけではない。せっかく出会えた同類。これだけの関係で終わるのはもったいない。
いつか、いつの日か―――決着をつける日が来る時まで。
「―――――ふぅ、確かにこれでチャックメイトだね」
なのははティアナに微笑みかける。
ティアナはその笑みから眼をそらさず、まっすぐに見つめる。

「―――――私の、負けだよ」

その瞬間、漸く終わった気がした。
この戦いではなく、あの日の模擬戦が―――やっと終わった気がした。
勝敗はなのはの負け。
勝敗はティアナの勝ち。
卑怯という言葉が相応しく、小ずるいという言葉も相応しい。けれども、勝ちは勝ち、負けは負け、素直にそう云えるであろう戦いが、終わった。













「―――――――で、なんでこげな事になっちょるんですかい?」
俺は走る。
「それ、何処の方言?」
俺の隣でアイビスは首を傾げる。
「人間、時と場合によって六カ国語を話せるようになれるらしいぞ……と、姉さんは言っています」
その隣でいつもの定位置であるシャルロットの両肩に座るミシェルとミシェール。
「ってかさ、なんで私も走ってるわけ?」
そして、実際一番走る意味がないこの件の首謀者であり原因であるティアナ。
俺達は今、全力で走っている。それはもう、脱兎の如く走っている。背中に感じる無数の人の気配は殺気がものすごい事になっている。
「待てやこらぁぁぁああああああああああああああああああ!!」
「この泥棒!!」
「俺の金返せ!!」
「銀二のスケベぇぇぇえええええええええええええええ!!」
「卑怯だよ、兄貴ぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいい!!」
「おじさんに汚されたんで、責任とってください!!」
最初に怒鳴っているのは賭けに参加した局員。次に怒鳴ったのは賭けに俺の金を使った際に財布をパクらせてもらった清掃員。その次は服を脱がされて下着姿にされてロッカーに放り込んでいたスバル。その次は正々堂々の勝負をしろと無理な要求をほざいているエリオ。最後は背筋が凍りそうな戯言をおっしゃるキャロ様。
それ以外にも沢山の方々が俺達(主に俺だけ)を追ってきている。
「銀二、アンタが生贄になれば万事解決だと思うわ」
「ランスターさん、それは俺に死ねとおっしゃるのですかい?」
「死ねばいいじゃない」
「それが恩人に対する態度か!?」
「恩人?馬鹿じゃないの。元を正せばアンタがなのはさんに喧嘩売ったのが原因じゃない。私はそれのダシにされた哀れな被害者よ」
酷ッ、この人酷ッ!
自分のせいでもあるくせに、全部俺の責任にしやがりましたよ。
「大体、なんで私も追われてるわけ?普通、ここは私となのはさんの感動的な和解シーンじゃないの?」
「何の話をしてるんだ?そんな綺麗な終わり方は妄想の中で完結させてろ」
というか、なんか性格変わってないか、お前?
あぁ、夕陽がこんなに綺麗だっていうのに、どうして俺達はこんな滑稽な姿をしているのだろう。
「だから、アンタのせいでしょ」
「いい加減にしないと犯すぞ、このクソガキ!!」
「――――アイビス、聞いた?アンタ等の頭はこんな非人道的な事を平気でおっしゃってるわよ」
「え、わ、私に振らないでよ……!」
慌てふためくアイビスはこれだけ走っているのに息一つ切らしていない。そういえば、コイツって意外と持久走とは得意だっけな。なんでも、ただ走るだけなら誰でも出来るし、追いかけっこしてるわけじゃないから得意―――らしい。どういう理屈なのかさっぱりだが、訓練校時代も持久走では常に一番だったな、この体力馬鹿。
「それよりも、銀二。あの人達、お金がどうとか言ってたけど、賭けならちゃんとお金払わないと駄目だよ」
「そうは言うがな、アイビス……」
「言うよ、凄く言うよ。お金の貸し借りは世界で一番大切だってじっちゃんが言ってた!!」
「お前のところの賭博狂の言葉とは思えんな……お前のじいちゃん、この間俺のところに金を借りに来てたぞ。なんでも、また分の悪い賭けに負けたらしい」
アイビスのじいちゃんがかなりにギャンブル狂だ。しかも、負ける確率が高ければ高い程燃えるという悪質なタイプ。アイビスの実家からわざわざ都会であるミッドに来てまでギャンブルに勤しむハイパーおじいちゃん。
「――――お金、貸してないよね?じっちゃんに、金とか絶対に貸してないよね!?」
こんなに心配してくれる孫がいるのに、あのじいちゃん――――とてもじゃないが、貸してるなんて言えない。そして、そのじいちゃんを煽って賭博場に引っ張り込んでいるなんて口が裂けても言えない。
「そ、それはともかくだ」
「全然ともかくじゃないよ!!ばっちゃんが怒るよ!!」
「あぁ、わかったわかった。俺は貸してない。実家の仏様に誓って貸してない」
きっと、あんな生臭坊主に慕われる神様なんてロクなもんじゃないだる。だから、平気で嘘だってつける。
「それと、俺は別に詐欺をしたわけじゃない。賭けは賭けだし、勝った方にちゃんと後で金を分配するはずだったんだよ。第一、俺だって賭けには勝ったんだ。その金を受け取る権利は俺にもある――――あったのにな!!」
残念な事に、その金は俺の懐には無い。
何故なら、賭け金の全てを丸ごとあの詐欺師が持ち去ったのだ。
そもそも、アイツお得意の変身魔法で六課の連中に化けて、賭けの大元になった麗二。アイツが賭けを開いて、金の管理も全部アイツがやった―――この時点で俺も気づくべきだった。
アイツに金を預けるという行為がどれだけ不用心なのかという事を。アイツに金を預けるという行為はニトログリセリンの池で煙草を吸うようなモノなのだという事を。俺はその事を完全に忘れていた。
そんな俺にティアナは呆れ顔。
「アンタさ、馬鹿じゃない?」
「煩い!!馬鹿馬鹿いうな、このカバ女!!俺だってショックだよ。仲間に裏切られてショックだよ。でもさ、これが現実なの!!現実はいつだって苦くて爽やかな消臭剤な味なの!!」
自分でも言っている意味がわからなくなった。
「だったらさ、六課から出る時に佐久間さんに変身魔法かけてもらう様に最初から打ち合わせしておけば良かったじゃない。そうすれば、あの人だって段取り通りに一緒に出て、お金を持ち逃げしなかったと思うけど……」
ふッ、甘いなランスター。アイツならそんな段取りをしたとしても俺達をあっさりと見捨てる。なにしろ詐欺師だからな。昔からそういうところだけは先生でも直せなかったし、アイツも変わろうとしなかった。
「あの野郎……今度会ったらタダじゃおかねぇぞ」
幾ら今回の喧嘩で一番の働きをした奴でも許さない。
今回の作戦で一番の問題は俺達がどうやってなのはに近づくかという事だった。こっそり近づいてもアイツは気づくだろうし、油断もそうそうしないだろう。
だから必要だったのはジャミングと変身魔法。
麗二が眼鏡に化けたのもそうだし、あのモニタールームから長距離で俺達に変身魔法をかけるという反則が出来るのはアイツだけ。俺もランスターも変身魔法なんて出来ないし、普通はしない。
だから麗二の力が必要だったのだが―――そうだよな、アイツが自分の都合以外で無償で働くわけないよな、この野郎。
「――――――ぎ、銀二……」
さっきまで一言も喋らなかった持久走が苦手なシャルロット。そのシャルロットが後ろを見ながら引き攣った顔をしている。
「どうした、なんか変なモンでも見つけたか?」
「なんか追手が増えてるよ」
「マジでか!?」
振り返ると確かに増えていた。
顔も名前も知らない奴ではなく、顔も名前を知っている六課の保険医さんと番犬。
「武本くぅぅぅぅん!!」
「武本ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
シャマルとザッフィーだった。
何やら大変お怒りな顔で俺達(やはり主は俺)を追ってきている。
「銀二……アンタなにやったの?」
ランスターは酷く冷えた視線を向ける。
「俺は何もしてない」
「嘘おっしゃい」
バレた。速攻でバレました。
「―――――実はな、あの二人―――もとい一人と一匹にはちょっと退場してもらってたんだよ」
実は、この作戦にはもう一つ難点があった。
六課の前で俺達となのはが顔を合わせた際、万が一の可能性としてシャマルとザッフィーがいては困った。まずシャマルはサポート要員としてはエキスパートと言っても過言でない存在。そんな彼女がいてはギンガに化けた麗二の変身魔法に気づく可能性がある。そして、ザッフィーは犬だ。犬って嗅覚とか凄そうだからやっぱり気づく可能性がある。ザッフィーの場合は俺の思い過ごしかもしれないが、念には念を入れて退場してもらった。
その際、シャマルには喧嘩が始まる時間に『伝説の木でお話したい事があります』的な恋文を送りつけ、退場。ザッフィーには『伝説の木の下の隣の犬小屋でお話したい事があります』という恋文を送りつけた。シャマルの方にはわざわざ清四郎の筆跡を真似した分で、ザッフィーの方にはわざわざアルフ嬢に実際に書いてもらった。
「まぁ、場所は同じだから鉢合せるわな」
「なるほど、それで二人はアンタの仕業だと気づいた、と……」
シャマルには前にそれで悪戯でやった事あるからバレるわな。
「乙女の心を踏みにじった罪は重いですよぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!」
「乙女って年齢でもないだろ(小声)」
「―――――――リンカーコアと一緒に心臓抉りだしてやる」
怖ッ、なんか般若の形相を浮かべてるよ、癒し系――――って、なんか魔力弾とか飛んできてるぞ!!
「ちょっと、どうすんのよ……」
「俺が知るか!!」
「――――あのさ、私も一応『明日』の準備あるからそろそろお暇したいんだけど」
「お前一人だけ逃がすかボケ!!お前も晴れて武本一派の仲間入りなんだぞ。このまま一人だけ他人事だって逃がすわけないだろうが」
「え~、でもさ……明日の便の時間ってかなり早いでしょ?だから今の内に準備しないと間に合わないわよ。それと、はやてさんにも有休の申請しなくちゃいけないし……」
「その点は心配いらん。アイツには最初から話は通してある」
そう、こんな事もあろうかと俺は前の晩からはやてにこの事は伝えてある。


今日の喧嘩に俺達が勝ったら―――なのはとランスターに一週間の休暇をくれてやれ、と


「へぇ、気がきくじゃない―――でも、意外ね。まさかアンタからあんなプレゼントがあるとは思ってもいなかったわ」
そう言ってランスターは懐から一枚の紙切れを取り出す。
そこには『ペアで行く、温泉アイランド三泊四日』と書かれていた。
この温泉アイランドとは、リゾートが多い管理世界にあるリゾート施設。なんでも全世界から選りすぐりの温泉を集めた場所らしく、近くに海もある事から最近かなり人気に高いレジャースポット。しかも、泊るホテルは普通なら一年先まで予約いっぱいな超高ランクの部屋ときたら、かなりの値打ちモノだ。
「良く用意できたわね、こんなの」
「そういう人脈があれば出来るんだよ。金は馬鹿みたいにかかったけどな!!」
おかげ様で俺の懐は伽藍としている。今月の食費が最悪の場合は卵ご飯だけになる可能性が大ときたもんだ。
「けど、なんで旅行なの?しかも温泉って……」
そりゃ、あれだ。
人間と人間が触れ合うには裸の付き合いというのも重要だと前に聞いた。本当かどうか怪しい上に都市伝説に近いその教えを実行してどうにかなるともあまり思っていない。
実際、最初はどうしようもないならこの位な感じで付き合った方が互いに良いだろうと思っていたのだが……どうやら、なんとかなりそうな気がしてきた。
喧嘩に負けた事を宣言したなのはの顔は何処か晴れやかだった。無論、その背後でロリチビがギャーギャー喚いていたが、それは無視。
とりあえず、今回はなのはに勝つ事から始めなければいけなかったのだ。あの何時の間にか出来がっていた中途半端な柱をへし折って、そこから話を進める必要があった。それはランスターの為でも、なのはの為にもなるはず―――少なくとも俺はそう想う。
なのはの場合は『今』と『昔』を垣間見てもらう事。
ランスターの場合は『誰かと共に力を合わせる』という概念を再認識してもらう事。
なのはの方はどうやらアイビスとやり合った事で何かを思い出したらしい。その点は嬉しい誤算だった。
アイビスの方もどうやらアイツ対して認識を改めたらしい。以前、アイビスは俺に『俺がなのはに空に連れていって欲しくない』と言っていたが、先程あの言葉を撤回した。
だが、どういうわけか妙にやる気の満ちた顔で「絶対に負けない」と言っていたのが気になる。ライバルという意味でなのかと尋ねたら、頷かれ。同類という意味でかと尋ねれば、「それ以外もあるんだよ、女にはね」と、意味深な笑みを浮かべていた。
お前等、どういう肉体言語で話し合ったは知らないが、本当にわかり合えているのかが大変疑問に思うのですよ、はい……
さて、そんなよくわからない奴の話はここでお終いだ。
次はランスターの場合だ。
正直な話を言えばだ、俺はランスターの事もなんとなくわかる。同類だとも思えるし、そうもないとも思える。自分と他人が似ている、なんて怖い考えはあまり持ちたくないが、力に飢える、非力を呪うという事は俺には痛い程わかっているつもりだ。
この手が小さかろうが、大きかろうが、誰かを救う絶対の一すら確定しない。
人は自分の手の数、手の長さ、そして力量で限られた人を救えると云うが、俺はそうじゃなかった。
たったの一人すら、救えない。
たったの一人ですら、掴めない。
手から滑り堕ちるなんて上等な結果すらなく、手に取る事すらままならない。
報われない―――俺が救おうとした者が報われない。
自分が報われるなんて望まなくても、せめて大切な人だけは救いたい―――そう想っても救えない。
武本銀二は、それだけ無力なのだから。
だから俺は一人では何も出来ない弱者だから群れる。群れれば俺の手が届かなくても誰かの手は届くだろう。ガキの頃はこの手が届く範囲の人だけは救いたいと思っていたが、その概念は『限られた者』だけが出来る偉業だ。
俺は限られた者ではなく、そこら中にいる有り触れた人間のはず。だから、そんな有り触れた人間を集めれば微かながら救いの可能性は上がるだろう。
だから、知ってほしかった。
だから、俺はランスターに話した。
仲間の事を。
仲間との出会いの事を。
仲間と切り抜けられた事件の事を。
そして、それを教えてくれた先生――――サンドレアス・クレイシスの事を。
綺麗事は性に合わないのだが、それでも云える。
昨夜、アイビスとランスターが話していたように、今という時間は自分を酷く軟い存在と思えるかもしれない。だが、今の時間は決して無駄ではなくいつか大切な日々だと思える日が来る。
だから自分を特別だと思う必要もないし、特別になりたいと思う必要もまたない。
例え、夢を叶えられる日が遠くなるかもしれない。けれども、今という時間もまた必要な道。
今、一人ではなく皆で歩く。
過去、一人でいた時と一人で歩かなかった事を比べる。
そして未来、ランスターがどちらを選ぶかは知らないが、そんな過去を思い返して笑える日が来ると願う次第だ。
「今を苦しめ……若人」
なんとなく、そう言いたくなった。
「そしたら、明日は少しだけマシになる」
顔が真っ赤になりそうな臭い台詞を口にして、俺はランスターを見る。
「―――――うわぁ、アンタ……恥ず」
「流すか頷くかしろよ!!否定すんな、拒絶すんな、俺を慈しめ!!」
「そんなのお断りよ。アンタが自分で赤面するような台詞吐いてるのなら、それを嘲笑ってこそなんぼってもんよ―――――でも……感謝だけはしてあげるわよ」
ランスターはそう言って微笑んだ。
「アンタがくれたチャンスは無駄にしない。この一週間は絶対に無駄にしない。そして、これからなのはさんと過ごす一週間も――――無駄になんかしてやらない」
その言葉に、俺達全員が頷く。
シャルロットが息をゼェゼェさせながら微笑み、その肩に乗っかっている双子は互いに眼を合わせながら嬉しそうに笑い、アイビスは―――何故か、唸っている。
「ティアナ……」
「な、何よ……」
今にも噛みつきそうな鋭い眼光を光らせ、アイビスはランスターにつめ寄り、耳元で何かを言っている。最初、ランスターは不思議そうな顔をしている。アイビスは眼つきを鋭くしながらも頬を赤く染めている。そして、ランスターが突然噴き出した。
「わ、笑わないでよ!!すっごく大切な事なんだから……」
「ごめんごめん。でも、大丈夫よ、アイビス。アンタが心配するような事は全然、これっぽっちも抱いてないから―――というか、逆にそれは私を馬鹿にしてる?」
「馬鹿にはしてないけど……でも、私にとっては凄く重要な事なんだよ?だから、その……ライバルは、これ以上は要らないかなって……」
ライバル?なんだ、アイビスはなのはじゃ物足りなくて、ランスターまで競うライバルにたいのだろうか。なんだ、意外と戦闘狂の素質があったんだな……それはなんか嫌だ。
「―――――おい、アイビス」
「ひゃいッ!?」
子犬みたいな声を上げながら、何故か夕陽よりも真っ赤な顔をするアイビス。
「なんか知らんが、お前はフェイトやシグナムみたいになるなよ?」
そういうと、今度は顔を青く染めた。
「…………うぅ、また別の女の人」
「だ、大丈夫よアイビス。この馬鹿を相手にする物好きなんてそうそういないから」
「…………うぅ、私……物好きなんだ」
「そういう意味じゃなくて……あぁ、もう!!銀二、全部アンタが悪い!!」
意味がわからん。
首を傾げる俺。
「俺の何処に非があるんだよ?」
「ともかく、アンタが悪い。それだけ!!」
なんか釈然としないが……まぁ、俺が悪いならそれでいい。昔からそういうのには慣れてるからな―――――などと思っていると背筋がゾッとした。
な、なんだこの猛烈な殺気は。後ろから追ってくる有象無象なんてカスに思えてくる程の異常なプレッシャー。しかも、それは俺だけに向けられている。
「どうした?……と、姉さんが言っています」
どうやら、他の連中は気づいていないらしい。
何処からくる、この異常なプレッシャーの持ち主は何処から来る!?



「――――――見つけた」



―――――――――鬼がいた。
後ろの集団の遥か後方から何故か聞こえるその低い声。その声を聞いたらなまはげも泣いて道を譲るくらいの殺意に満ち溢れたオーラ。現に、そのオーラを浴びた数人かが道を開け、その者は集団の先頭にまでたどり着いた。
「ギ、ギン姉!?」
スバルの素っ頓狂な声が確定。
アイツだ、アイツが来た。
「この一週間、何の連絡も無しに無断欠勤。その上、話に聞けば他の部隊、しかもはやてさん達に迷惑をかけるどころか、喧嘩を吹っ掛けたですって?」
視線で人は殺せるらしい。俺の心臓、一回停止した。
「アナタ……本当にわかってないようですね?私達の仕事は世の平和を守る事で、喧嘩をする事じゃないんですよ……なのに、そんな当たり前の事すら理解もしないで――――あぁ、そうですか。そういう事ですか……」
嗤った。
鬼が、嗤った。
その兇器的な笑みにシャルロットが悲鳴を上げ、双子が怯え、対人恐怖症のアイビスが気を失い、それをランスターが支え、俺は泣いた。
あぁ、そういう事か。
どうやら、今日の戦いはまだ終わっていなかったらしい。
ラスボスは此処にいた。
夕陽に照らされ、鋼鉄の籠手を構え、脚にはゴッツイローラーブレードの様なデバイス――――って、なんでセットアップしとりますがな!?
「アナタ、私の事が嫌いなんですね?えぇ、私もアナタが大嫌いですよ。アナタみたいなごく潰しを部下におかれ、父さんにどれだけアナタの配属を変えてくれと頼んでも断れ、近隣住民からアナタに対しての抗議を全部私が受け持ち、その対処に追われて寝る暇もなくて最近お肌が酷い有様だし、胃腸薬なんて薬まで使用しないとやっていけない毎日――――もう、ウンザリです……」
その身に纏うは怒気。
「知ってますか?この一週間、私は一睡もしてないんですよ?まるで恋に恋する乙女みたいに眠れぬ日々が一週間……常人なら死んでますよ?」
「それじゃ、まるでアンタが常人じゃないみたいだな」
思わず言い返してしまった。
「―――――えぇ、常人じゃありません。アナタに恋して、恋にこの身を焼かれた乙女ですよ」
ちなみに、ルビを振るなら
愛して=憎悪
恋=殺意
この身を焼く=胃腸炎になりました~
乙女=キラーマシン
という風になる。
「武本さん……」
「は、はい……」

「――――――――――――――死ね」

こうして、鬼ごっこがリアル鬼ごっこになった。おかしいな、俺って佐藤さんじゃないのに、どうしてあんな映画の鬼よりもリアルオークな奴に終われなくちゃいけないのだろうか……誰か、教えてくれ。
『それは主が銀二殿に迷惑をかけるからでは?』
「あ、お前いたんだ」
『いたとも……それよりもアイビス殿。某を今すぐ汝の手に持ち、この愚か者から遠ざけてくれ。このままでは某も一緒に壊される』
このポンコツ、主を見捨てるつもりだ。
だが、神――もとい鬼は俺に救いをもたらす。
「あぁ、大丈夫ですよ電助……マスターの責任はデバイスの責任。あぁ、死なば諸共って言葉……」
『それは使い方が間違っているぞ!?』
はっはっは、お前もこれで死刑決定。ここまで来たら逃がさんから覚悟しろよ――――さぁ、走るか!!
昔、ゲームで魔王からは逃げられないという言葉があったが、どうやら魔王以外からも逃げられないらしい。

上司からは逃げられない―――――おい、誰か『オー人事、オー人事』に電話しろ。




こうして、長い長い一週間は終わりを告げた。
だが、これはほんの始まりに過ぎない。
これから俺は、数々の不幸をこの身に味わう事になる(ギンガからの折檻という意味)。
だが、俺は負けない。
そう、俺に仲間がいる。
仲間がいる限り、俺はこの人生を全力全開で走ってみせる!!―――――って、誰もいないんですけど!?
あいつ等、俺を見捨てて消えやがった!!


武本銀二、二十歳。
仲間なんていない――――泣きながら、その真実に気づきました……









あとがき
千円で潜伏確変を引いてそこから二百回転、単発喰らいました、な散雨です。
ようやく書き終わった外伝第四話です。何回も何回も書き直してこうなりました。いやぁ、難産だった……でも、不安はありますよ、当然の事ながら。
さて、そんな事はさておき、タイトル変更についてです。
色々と考えた結果、

ASTRAYs

で、行こうかなぁと思います。確定ではなく、第一候補です。あと、副題も付けてみようかと思います。
このASTRAYはガンダム的な『王道ではない』とエキサイト翻訳より『道に迷う』という二つの意味があります。
どっちかといえば、王道でないという方が強いかも?
だけど、この王道ではないを選択すると、これはこれでタイトル通りにならない欠点もあります。
タイトルに振り回されるのは変わりませんね。
そんでもってもう一つ、外伝本編化はもう少し書いてから考えようと思います。
とりあえず、無印編までいかんと色々とアレなんで。一応、外伝本編化のプロットも考えてます。その場合、清四郎は消滅しますけどね!!
そんなわけで次回が外伝だった場合の次回は「流星と夢追い人と英雄と温泉の法則」で行きます。本編だったら「親友とフェイトとリベンジの法則」です。
温泉です。旅行です。裸?です。お色気?です。色々です。





[19403] 第六話「親友だからこそ、理解してない法則」
Name: 散雨◆ba287995 ID:7e26fd8f
Date: 2010/07/28 18:28
第六話「親友だからこそ、理解してない法則」







月を見ながら酒を飲むなんて行為は格好が良い気がする。ガキの頃の俺はそんな幻想に酔っていた。だが、ガキが酒など飲めるはずもなければ買う事も出来ない。二十歳になれば可能だろうが、この時の俺はまだ十歳のガキ。
そんなガキが飲めるのはコーヒー牛乳が精一杯。
「――――美味い」
牛乳瓶片手に月夜を見上げる俺。今にして思えば恥ずかしくて顔が真っ赤になって、ガキの俺を殴り飛ばしたくなるな。
未来の俺の事など知らない俺は、清四郎達と別れてのんびりしていた。アイツとの久々の再会碁、何故か俺はあの少女、高町なのはという少女の両親に捕まっていた。
高町士郎、彼女の両親はそう名乗った。その名前に俺は驚きを隠せない。なにせ、その名前は親父が常日頃からグチグチと昔話をする際に必ず出てくる親父の知り合いの名前だからだ。そして、ご本人の登場。士郎さんも俺の事を知っていたらしく、親父が話してくれたように寺に捨てられた俺を警察に届けようとした際に自分が育てると言っていたらしい。
となる、だ。
今だけは親父に感謝する。
もしも俺があのまま親父に育てられず、士郎さんの息子になっていたらと考えた場合、士郎さんの娘である少女とは兄弟という間柄になってしまう。
あぁ、本気で焦った……
それはそうだろう。まさか、一目ぼれした少女がもしかしたらの可能性で兄か妹(確実に兄だろう)になっていたらと考えたらゾッとしたさ。そして、その冷や汗をかいたという事実によって俺は漸く実感する。
俺は、高町なのはに惚れているらしい。
「――――けど、第一印象が最悪だよ」
気分が沈む。
彼女との初顔合わせがまさか俺の生れたままの姿なんて笑えない。しかも変質者扱いされてトラウマになりそうな一撃をくらったのだ。無論、全裸を見られた事もトラウマになるだろうし、恋した少女に嫌われるなんて事も心情的に優しくない、厳しすぎる。
「なんとかこの印象を回復しないとな……」
手遅れだ馬鹿者、電助なら間違いなくそう言っている。そして未来の俺もそう想う。現にこれから先、なのはには俺がどれだけ弁明しても露出狂ではないという事が理解されないからだ。だが、それでも俺とキチンと話をしてくれたり付き合ってくれる彼女はまさに天使だろう――――いや、それもなんか違うか。
わかっている。あぁ、わかっているとも。結局はあの頃から何にも変わっていないのだ。俺がどれだけ彼女の好意を抱こうとも、彼女が向ける行為の先にはいつもアイツがいるのだから。
「諦めるか、俺……」
牛乳瓶を握り締めながら俺は呟く。
ガキの俺でもわかる。なのはの視線の先が何処に向かっているのか、誰に向けられているのかという真実。勝てない勝負はしない、負ける勝負はやる価値もない、そんな戯言で諦めるべきなのだろうか。
これが単純な力勝負、俺がフェイトに勝ってやるという諦めの悪さとは違う意味で、妙な感じになる。力の差があろうがなかろうが、男である限りは諦めるなんて事は口にはしたくない。だが、これはそう簡単にはいかない。
諦めたい、これは本音。諦めたくない、これも本音。どちらも差などない。諦めたいと思うのは自己防衛の為だが、諦めたくないと思うのは自己陶酔だろう。
「三年越しの片思いか……女々しいぞ銀二」
苦笑する。
あの公園で見た時から想いに変化はないらしい。てっきり、俺は完全に彼女の事を忘れていると思っていたが、深層心理では忘れようとしていなかったらしい。自覚はしている。馬鹿だと自覚しているが、どうしようもない。
好きなのだ、好きになってしまったのだ、幼かった彼女が成長した姿を見た瞬間に蝋燭の炎程度の心がキャンプファイアーの様に燃え上がってしまったのだ。
「お前は、どう思う?」
電助ではなく数打に尋ねてみるが答えない。これがストレージとインテリジェントの違いだ。
「答えるわけないよなぁ」
こういう時に電助の存在が偉大だと思える。幾ら成長途中のポンコツとはいえ、昔から一緒にいるのだ、それなりに相談相手になってもらったりもする。
しかし、今はこの場にいない。
なら、誰に相談するべきか。
清四郎に相談するか?
いや、駄目だ。
アイツは駄目だ。
プライドとか友情とか、そういう次元ではなく―――あの鈍男は気づいていない。あれだけ、初めて見る俺から見ても彼女は清四郎に恋心を持っているのだ。それに気づかないアイツの事だから、俺が「あの子との間を取り持ってくれ」なんて言った日には、あっさりとOKを返す事だろう。
「た、頼りになるどころか、色々と駄目じゃねぇかよ……」
仮に俺が清四郎の言って、アイツが頷いても上手くいくはずがないのだ。彼女が好きなのは清四郎で俺じゃない。そんな彼女に俺が近づいても、その、なんていうか……噛ませ犬にしかならない気がする。これは本当に嫌だ。嫌って言ったら嫌だ。絶対にお断りだ。
「でも、だったらどうする?」
アイツに勝てるか、という疑問にぶち当る。
「無理、じゃないかもしれない……でも、難しいよな」
所詮ガキの俺は清四郎よりも一歳年上というだけのアドバンテージしかない。それ以外は俺に一切有利な個所はあり得ない。こんな事なら親父から士郎さんの話を聞いた時からあの人に会いにいっていれば良かった。聞けば、俺が赤ん坊の頃に何度か俺は高町家に行った事があるらしい。親父が子育てを一人で満足に出来なかった事が原因で、渋々ながら士郎さんを頼ったらしいのだが―――――ん、待てよ。
「おぉッ!!これならいけるかも!!」
そうだ、そうだよ。俺には過去の実績が既に存在した。なんでも俺は赤ん坊の頃の彼女と一緒に遊んだ事もあるらしいじゃないか。彼女も俺もそんな事はさっぱりと覚えていないが、それをきっかけに色々と出来る事もあるんじゃないか?うん、いけるはずだ。清四郎にも三年という時間がある様に、俺と彼女には赤ん坊の頃の友達というアドバンテージがあったじゃないか。
「いける、これならいけるぞ!!」
と、一筋の光明を見たような俺だが、未来の俺からすればアホとしか言えない。相手が覚えていない上に、あくまで親同士の思い出だというだけの事実。自分自身がまったく覚えがないのに、どうやってそれを光明と見ろというのだろう。
この頃の俺はそんな事にも気づかず、こうしてテンションを上げている。
本気で殺したろうか、この馬鹿?
などと、俺が一人でニヤニヤしていると、
「―――――ちょっといい?」
声をかけられた。
浴衣姿のアリサが立っていた。てっきりもう寝たとばかり思っていたのだが、どうやら起きてきたらしい。
「……なんだよ」
昼間の一件のせいか、俺とアリサは馬が合わない。俺が士郎さんにお呼ばれした時もアリサは俺の事を無視していた。もちろん、他の三人はそうではない。清四郎は嬉しそうにしていた、なのはは自分と俺の接点に驚いていた、すずかは強張ってはいたが俺に頑張って話しかけてくれた。
つまり、コイツだけが昼間から俺とまともに話していない奴なのだ。
そんなアリサが俺に何の用なのだろうか、当然不審に思う。
「まだ、帰らないのね」
つまり、早く帰れって事かよ。内心、その一言でムカっときたので、
「お子様と違って、俺は夜更かしも出来るんだよ」
アリサの顔が強張る。
「だから、お子様は練る時間だ。さっさと寝ろ」
そんなアリサに勝ち誇る俺は子供のくせに大人げない。逆にアリサは大人だ。俺の舐めた口なんかに怒りを露わにせずに耐え、
「ま、まぁ……いいんじゃない?ね、ねねね、寝る前に一人で寂しそうにしてるアンタの話相手になってあげようと思ったのよ」
後に聞けば、キレる一歩手前だったらしい。俺が言うのもなんだが、お前って意外の沸点低いのな。
「…………勝手にしろ」
よくぞ空気を読んだ、ガキの俺。ここでぶっきらぼうに拒絶したら恐らく、殴り合いのケンカに発展していただろう。
アリサは俺の隣に座る。俺は勝手に座るアリサを横目に見ながら牛乳を一気に飲み干す。
そして、無言だ。
静かな夜に相応しい無言。
精神が成長すればこんな無言を苦しいと思うかもしれないが、ガキはそうではない。相手が喋らないならそれでいい。自分が勝手に喋って相手がどう思うかも関係ない。
自分が常に主体の様な考え方なのだ。
だが、俺よりも精神的に何倍も大人なアリサは居心地が悪そうだった。何かを言いたいのだが、中々言いだせないでいる。そんなアリサを見ながら俺は黙りこむ―――という行為を続けるのは一分で終わり。
何も言いだせないアリサがため息を吐いた瞬間に俺から話しかける事にした。
「――――お前、清四郎の事が好きなのか?」
特大の爆弾を落としてみた。
アリサの顔が大爆発。茹でダコの様に真っ赤に染まった。
「な、ななな、なななな―――――ッ!!」
「南無阿弥陀仏?」
「ち、ちが、ちちちちちち――――」
「痴漢?」
「違うわよ!!」
ツッコミだけは正常らしい。流石生まれながらのツッコミお嬢様、伊達じゃない。
「で、どうなんだよ?好きなんだろ?好きなんでしょう?清四郎君が好きで好きでしょうがないんでしょう~?」
嫌らしい笑みの俺。
うろたえてまともに返答出来ないアリサ。
俺、性格悪いかも―――自覚はしている。
「うぅ、うぅぅうぅうううううううう……」
唸り声を上げるアリサ。
ここで追撃を加える事も簡単なのだが、そこは年上として駄目だろうと気づく。
「落ち着け……犬みたいに唸るなよ。それで、好きなんだろ?言っとくが、好きじゃないとか言っても俺は信じないからな。お前、というかお前等の顔みたら誰でも気づくっての」
「え、嘘!?」
「清四郎以外にはな」
そう言ったら大きく肩を落した。
「…………ねぇ、清四郎って昔からあんな感じなの?」
「鈍っていう意味なら、そうだ。ははっ、アイツも成長しないな」
「はぁ、昔からってんなら、筋金入りっわけね」
「お前も大変な奴を好きになったな。アイツ、幼稚園の頃―――といっても年長組の頃からだけど、結構女の子に好意を持たれてたぞ」
「つまり、被害者は私だけじゃない、と」
「そういう事だ……ほら、ガキって好きな相手には誰でもお嫁さんになる~とか言うだろ。そういう子もいたんだよ。でも、清四郎は気づかない。鈍いっていうよりは、相手を好きになるっていう感覚がよくわかってない感じだったな」
普通はそんな事はない。ガキだって一応は人間だ。人間であるかぎり誰かを好きになるっていう感覚は無意識にでも感じられる。だから好きとかいう言葉を平気で口に出来る上に、お嫁さんになるとかも言えるのだろう。
だが、アイツの場合は少し違う。
「――――昔なら、それも出来たんだけどな」
「え?」
「いや、こっちの話だ」
ここから先は他人に言える話じゃない。
独り言でなら言える。
鎌倉清四郎が普通に成長して、今の年齢になっていたらアリサ達に好意にも少なからず感づいてもおかしくないだろう。
だが、アイツはそういう風に成長できなかった。
清四郎の周囲がそれを邪魔した。
俺がそれに気づいた時、親父がそれに気づいて行動を起こした時点でアウトだった。
「ともかく、アイツの鈍さは性格だと思って諦めろ」
他人はこういうしかない。
こう言って納得してもらうしか方法はない。


少しだけ、清四郎の事を話そう。
鎌倉清四郎には妹がいた。清四郎の一つ下の妹、鎌倉麻奈という生意気なガキだ。語尾に奇妙な言葉をつけるガキだったが見てくれは可愛い部類に入る。清四郎が女になったらこんな感じなのかと思う。
そんな麻奈は俺と清四郎が遊んでいるといつも俺達の中に混じろうとする。男だけで遊びたいという本音があっても友達に妹というだけで言えない俺は、仕方なく麻奈を仲間に入れて一緒に遊んだ。
麻奈はお兄ちゃんっ子で、清四郎の事が大好きだった。だから俺と清四郎が遊ぶ事に不満を持ち、自分も混ぜろという事を聞いてくれない我儘娘。でも、清四郎も妹だし、弄ると結構楽しい奴だった。
俺、清四郎、麻奈―――俺の中ではこの三人は海鳴で最強の三人だと思っていた。
俺が隊長、清四郎が参謀、麻奈はマスコット。
喧嘩だって負けた事がない。基本的に俺を戦い、清四郎が止めて、麻奈が終わった喧嘩に飛びこんで状況を悪化させる。
遊びでも三人でいれば最高に楽しい。俺が遊びを提案し、清四郎が嫌だと言いながらも参加し、麻奈が最終的に何の遊びだったのかわからない程に遊びをぶち壊す。
そんな俺達を親父は、
「家の馬鹿息子はなんでも前向きのプラス。清四郎は悪い部分を引く為のプラス。そして麻奈はイコールだな。イコールの麻奈はプラスだろうとマイナスだろうと、全部自分のしたいように変質させる最強のイコールだ」
計算式でなら、麻奈というイコールはきっと今まで計算した部分をぶち壊す異端のイコールだったのだろう。
だが、それが楽しいのだ。
毎日がそういう風に想像のしていない事ばかりだったせいで、最高に楽しかった。
毎日毎日、泥だらけになるまで海鳴の街を探検した。
この街は自分達の庭だと言わんばかりに走りまわり、遊び倒した。
そして怒られた。
清四郎の母親は厳しいが優しい人だった。父親は麻奈が生まれてすぐに事故で死んだためあった事はないが、母親曰く甘い人だったらしい。それが人に甘いのか、それとも甘い言葉を吐く人だったのかはわからない。でも、母親はそんな父親を愛してたのだけはわかる。
そんな母親に毎日怒られ、毎日夕御飯を頂き、毎日俺の親父が俺を迎えに来て、毎日手を振って帰った。
それが俺の日常であり、清四郎の日常。
朝起きて、幼稚園で一緒に遊んで、帰っても遊んで、また明日とさよならを言って、そして次の日も遊ぶ。
俺達三人はそうして毎日を過ごしてきた。

そして、麻奈が消えた事によってその全てが壊れた。

神隠し―――そんな言葉が似合う現象だった。
麻奈は清四郎と二人で俺の家に遊びに行く途中だった。その途中で麻奈は姿を消した。最初は迷子になったのだろうと言ったが、清四郎はそうではないと顔を真っ青にして言った。
麻奈は、消えた。
清四郎の目の前で、奇妙な光の渦に飲まれて消えていった。
もちろん、周りの大人達はそんな清四郎の言葉など信じてない。警察に通報、親父と清四郎の母親、近所の人総出で探したが―――麻奈は見つからなかった。
そして、それを皮きりに清四郎の周囲の尽くが姿を変えた。
清四郎の母親は狂った。
清四郎の家、鎌倉家は没落貴族という言葉が似合う家だった。
元々はこの海鳴ではそれなりの力のある一族だったのだが、それは過去の話であり今はそうではない。力を失った鎌倉家は裕福とは反対のベクトルで日々過ごしていた。それでも母親は二人の子供を育てる為に結構な無理をしていたらしい。近所の人もそんな母親の力になろうと色々と手伝おうとしていたが、母親はそれを拒んでいた。
プライドが高いというわけではないが、誰かの手、他人の手を借りるという事に戸惑う人であり、拒絶する人だった。だから母親は全ての助けを差し伸べる手を振り払い、自分の力だけで子供を育てようと頑張っていた。だが、それは常に一杯一杯の状態で、吹けば壊れる廃屋の様なものだったらしい。
そして、壊れた。
心も身体も、全てが壊れた。
心を壊した母親が何をしたのか―――シンプルすぎる事だ。
麻奈が消えた。その場に清四郎がいた。麻奈だけが消え、清四郎だけが存在する。そして清四郎は麻奈が光の中に消えたという妄言を吐いた。
壊れた心はそれをあまりにもシンプルに考えすぎたのだ。子供らしい嘘だとか、子供らしい幻想だとか、そんな『子供』というカテゴリーを排除した母親は、



清四郎を殺そうとした


お前が殺した。
お前が隠した。
お前が殺して隠した。
何処にやった?
何処に隠した?
何処に埋めた?
何処に燃やした?
愛する娘をどうして殺した?
兄であるお前がどうして妹を殺した?
なんで、お前だけ生きている?
なんで、お前は死んでない?
死ね、死ね、返せ、死ね、死ね、返せ、返せ、返せ、返せ、お前が死んで麻奈を返せ、お前は要らないから返せ、お前は死ね、返せ、麻奈を返して消える、死ね、死ね、死ね―――呪詛の様な言葉を吐きながら母親は清四郎の首を絞めた。
俺も、その光景を見て動けなかった。
俺が親父と二人で清四郎の家を訪れ、その光景を目にしていた。
俺は動けず、親父だけが動けた。
母親を清四郎から遠ざけ、俺に清四郎を連れていけと言った。俺は追いつかない理解を置き去りにして清四郎の手を引いて走った。
「――――どうして?」
清四郎は言った。
どうして母親は自分を殺そうとしたのだろう、そう言っている――――俺はそう想った。
だが、違った。
その時の清四郎の眼は思い出すだけで身体が凍えそうになる。
「どうして……来てくれなかったの?」
俺に向けて、言っている。
「今は、来てくれたのに……どうして、麻奈の時は来てくれなかったの?」
俺の手を振りほどき、清四郎は叫んだ。
「助けて、欲しかったのに……麻奈も、助けてほしかったはずなのに……言ったよね、銀ちゃん。銀ちゃんはいつも言ってたよね!?何かあったら助けてやるって!!俺がお前等を守ってやるって!!俺はお前達のお兄ちゃんだから、どんな時でも助けてって言ったら、ヒーローみたいに助けてくれるって―――――言ったじゃないか!!」
言った、確かに俺はそう言った。
「なんで……今なの?なんで今は来てくれたのに、どうして麻奈の時は来てくれなかったの?助けてって叫んだのに。銀ちゃん、助けてって言ったのに……なんで『今だけ』来るんだよ!!なんで『あの時』に来ないんだよ!!」
怖くなった。
友達だと思っていた奴に、どうしてこんな事を言われているのだろうと、怖くなった。だけど俺は逃げなかった。親父が俺に清四郎を託したのだから、俺が清四郎の前から逃げるわけにはいかなかった。
何とか清四郎の手を握った。振り払われた。
もう一度掴んだ。振り払われた。
もう一度掴んで、殴られた。
もう一度掴もうとして、殴られた。
どのくらいそうしていたのかはわからない。気づけば清四郎は眠っていた。眠りながら麻奈の名を呼び続けた。
そして次の日、眼を覚ました清四郎は覚えていなかった。母親に殺されかけた事は覚えていても、俺に何かを言った事だけは何一つ覚えていなかった。
俺は何も伝えなかった。
何も伝えず、変わらず清四郎の友達でいた。
だが、内心怖かった。
清四郎は―――俺を恨んでいる。
麻奈が消えた時に来なかった俺を恨み、自分が殺されそうになった時だけ来た俺を恨んでいる。
怖くて俺は何も言えなかった。そして清四郎も何も言わない。だから俺は後悔している。もしも清四郎が眼を覚ました時に俺があの時の事を伝えていれば、アイツはあんな風にならなかったかもしれない、と。
麻奈が消え、父親の親戚に引き取られ清四郎が幼稚園に来て数日後、子供ながらに俺は気づいてしまった。
アイツは恐れている。
他人を恐れ、自身を恐れている。
自分は誰にも愛されない、自分は誰かに恨まれる人間だと思い込んでいる。
だからアイツは信じない。

愛情が自分に向けられるなんて事は絶対にないと信じている。

「―――――なんていうかさ、アイツって必要な時はいつも傍にいてくれるのよね」
だから清四郎の事を語るアリサの姿を見て、俺は胸が痛くなる。
「困ってる時とか、嫌な事があった時とか、そういう時に清四郎っていつも傍にいるのよ。私がどれだけそれを隠しても意味無いし、助けてほしいって言って無くても助けようとする……なんていうか、それが安心できるっていう感情だと思うんだ」
「へぇ、つまり都合の良い奴だって事だな」
「怒るわよ」
「冗談だ。で、そんな事がずっと続いて、気づけばアイツの事が好きになってました、と……なんだ、その漫画みたいな展開」
「私もそう想う。でも、仕方がないじゃない。好きになっちゃったんだもん」
怒りながら、でも照れながらアリサは言う。
「清四郎ってエスパーみたいよね……というかタイミングが良いのね。困っているタイミングにはいつも傍にいるし、こっちが隠しても察してくれる。狙いすましてるのかっていうぐらいタイミングが良いのね」
なるほど、タイミングが良いというのはまさにアレだ。漫画だ。ヒロインが困っている時に変にタイミング良く現れる王子様って感じ。
アイツにぴったりだ。
「昔からタイミングだけは良かったからな、アイツ……」
「典型的な女殺しね、清四郎は」
お前、歳幾つだよ?
「だから困ってるのも事実よ。私だけじゃなくて、すずかもそうだし、なのはなんてずっと前からそうだもん」
「恋のライバルは大勢いるって事かよ」
「そうよ。私が好きな人が皆が好きって事はなんとなく嬉しいけど、ちょっと不安」
「乙女心は複雑なんだな……けど、大変だぞ。アイツに自分の気持ちをストレートにぶつける以外にアイツがお前等の気持ちに気づく事は無さそうだ」
だが、それが難しいのだろう。案の定、アリサは困った顔をする。それが言えれば何の苦労も無いだろうという顔だった。
まぁ、世論だわな。
「ねぇ、どうすればいいと思う?」
おい、なんか恋愛相談になってるぞ。
「俺にそれを聞くか?」
「だって清四郎の友達なんでしょ?だったら、なんかアドバイスしなさいよ」
「俺、お前の事は知らん。お前、俺と初対面。ここはOK?」
「男ならそこら辺は割り切りなさいよ。男らしくないわよ」
逆にお前は男らしいよ。なんだ、お前は男の娘か?
「大体よぅ、ここでお前になんかアドバイスした場合、他の奴等が不利になるだろ。すずかとか、なのはとか……お前、アイツ等と友達続けたいんだろ?」
「それはそれ、これはこれよ。それに、仮に私の想いが清四郎に届かなくて、他の二人の内の誰かを清四郎が好きなっても、恨むわけないし、友達としと終わるわけ無いじゃない」
あぁ、本当の男らしい。
女にしておくのがもったいないくらいに男らしいよ。
そんなアリサだからこそ、俺はアドバイスらしい言葉を贈る事が出来る。
「―――――アドバイスっていうわけじゃないけどよ。お前はまず勘違いを一つしている。その勘違いを改めるだけで他の二人よりは先に進めると思うぞ」
「勘違い?」
「あぁ、勘違いだよ」
俺は慎重に言葉を選ぶ。仮にアリサが清四郎と恋仲になったとしても、アイツの昔を知るのはアイツの口からの方が良いに決まっている。
俺は清四郎の昔を悟られない様にゆっくり口を開く。
「―――――鎌倉清四郎って奴はな、別にタイミングが良い奴ってわけじゃない。確かに他の奴から見ればそう見えるかもしれないが、実質はそうじゃない。アイツは『他人の不幸を嗅ぎつける』のが上手いだよ」
「不幸?」
「あぁ、不幸だ。お前が言う様に落ちこんでいる時や悩んでいる時、困っている時にアイツはそういう状態を嗅覚で嗅ぎとるんだよ」
「犬みたいね」
犬としたらなんとも嫌な犬だな。
「昔からそんな感じで誰かが困っている時にアイツは誰かの所に足を進める。そして何とかする。ほら、アイツって意外と頑固だろ?だからそれを何とかするまで絶対に諦めない」
「確かに頑固ね、清四郎って。普段は気弱でモヤシで苛められっ子オーラ全開だけど、そういう時だけは異常に粘るわ」
「お前も大概酷い言い様だが、それは置いておく。つまり、それは鎌倉清四郎っていう奴なんだよ。誰かの不幸が嫌いで、その不幸をなんとかしたいっていう――――なんていうか、主人公とかヒーローみたいな奴なんだよ」
「それ、少し言い過ぎだと思うけど……」
「んな事は無ぇよ。俺から見ればそうなんだよ。生きる世界を間違えたみたいにアイツは困った時にタイミングよく現れるヒーローなんだ。スーパーマンって映画知ってるか?スーパーマンは世界中で色々な事が事件が起こったらそれを嗅ぎつけて解決するんだ。清四郎の場合、パワー的な部分で劣っているけどそれが在ると無いではかなり差があるんだ」
「スーパーマンっていうよりはスパイダーマンの方が近い気がするわ」
「どっちでもいいよ。とにかく、清四郎は不幸を嗅ぎとる天才なんだよ。だからアイツはタイミングが良いって奴じゃないって事だけは知っておけ」
不幸を嗅ぎとる天才と俺は言ったが、その原因をとなっているのは麻奈だろう。アイツが消えた事、そして母親が狂った事によって手に入れてしまった才能。
俺はその才能を良いモノだとは思わない。むしろ、そんな才能なんて捨て去って欲しかった。他人の不幸に首を突っ込むなんてはっきり言えば異常としか言えない。自分の身だけでも精一杯だというのに、そこに他人の分も背負いこもうとすれば必ずボロが出る。だから人は自分に出来る範囲でしか人を助けない。
しかし、清四郎はその範囲がわからない。不幸を嗅ぎとればそれだけで直行する。そして、その現場に自分の力ではどうしようも出来ない事があっても諦めようとしない。
これは美点というかもしれないが、俺は汚点だと言う。
アイツはリミッターが無い。身体ではなく心のリミッターが正常に稼働せずに突き進んだ奴が待っている先は恐らくは破滅だ。だから、誰かがその破滅からアイツを守らなくてはならない。
支える奴でもなく、応援する奴でもない――――止める奴だ。
アイツにとって他人よりも大切な者が必要なのだと思う。
自分の身を犠牲にしても誰かを助けたいだなんて思わない様に為って欲しい。でなければ、いつかアイツは壊れる。
母親の様に、他人よりも少しばかり強い心が限界を迎えるだろう。
「俺は応援するぞ、アリサ」
その為に『利用』する。
「アイツが誰かを好きになれる様になってくれるなら、俺はそれで満足だからな」
自分は誰かに愛されない、愛される事など絶対にないなんて幻想を打ち砕いてくれる奴を、俺は待っている。
俺ではなく、俺が以外の誰かが必要だった。
「だから、頑張れや」
俺はきっと、無理だから。
アイツに恨まれている俺は、そんな想いを伝える事は出来ない。出来る事があるとすればアイツを救える奴を救うだけ。
清四郎を普通じゃないと言いながらも、俺もどこかおかしいのかもしれない。
俺は、アイツの為なら頑張れる。
俺は、アイツの為なら幾らでも傷ついてもいい。
何故なら俺はアイツの望むヒーローになりたいから。
救いを求める誰かを助けられる人間になりたいから。
間に合わない、救えないなんていう『普通』を拒絶して、この眼に映る全て、この手が届く全てを救わなければいけない。
それが、ガキの頃の俺の贖罪だった。
まったく、なんて間抜けなガキだと俺は嗤う。
お前のソレは単なる自己満足だ。それをお前がどれだけ思うとも、お前は絶対にそんな人間にはなれない。
ガキはガキだ。
背の低い、世界を何も知らない無知なガキなんだ。
未来の俺から、過去の俺へ――――言ってやるよ。


武本銀二は――――英雄には絶対になれない。全ての英雄にも、誰かの英雄にも、絶対になれはしない。

そしてもう一つ、この時の俺が無自覚に忘れようとした事実。
俺はアイツを止められる奴がいて欲しいと願い、その為なら誰にでも協力するとほざきながらも、その想いには謝りがある。
その誰かの中に、彼女は入っていないのだろ?
彼女だけは、清四郎に盗られたくないのだろう?
それを自覚しないまま、俺はそんな事をほざいた。

清四郎を止めてくれる誰かの中に、『高町なのは』だけは入っていない事に気づかぬまま……






少しだけ時間を進める。
俺は困惑していた。
周りも困惑していた。
いや、別にこれがおかしい状態だとは思わない。
なのはとフェイトが空を縦横無尽に飛び回りながらハイレベルな戦いを繰り広げようとも、見た事もない変な色のデカイ狼がいても、そこは別に良い。
何らかの理由があって彼女達は戦っていて、勝敗がフェイトに傾き、なのはが負けた。それも見ればわかる。
だが、おかしい。
俺の足下、ちっこい小動物。多分イタチだと思うが……そのイタチが自分をまっすぐに見つめている。
「…………おい」
「は、はい!!」
喋った。
うん、喋ったな。
「なんで、喋る?」
「いや、そう言われても……」
この世に魔法とか気とか、物語の中にあるような存在があるのは昔から知っている。それがファンタジーではなくリアルだという事も知っている。だが、そんな知識の中にコレはない。
俺はイタチを掴み上げ、じっと見つめる。
「おかしいだろ。なんで喋る?なんでイタチが喋る?」
「それよりも、人が空を飛んでいる事に驚いた方が良いと思うんだけど……」
「魔法だろ?そんなもんは昔から知ってる。だけど、その中でお前みたいな喋る動物がいるなんて知識は無い」
「それはそれでどうかと思うんだけど……」
まぁ、単にこれは親父が俺に教えていないと云うだけの話。親父曰く、お前みたいな奴に使い魔なんて上等なモノを持つ事は永久に無いから教える必要がない、という事らしい。
確かに俺には使い魔を持つ程のレベルは無い。だけど、教えるぐらいはいいだ。そして、いつか持てるかもみたいな希望ぐらいは持たせろよ。
そんな俺に追い打ちをかける様に、狼が喋った。
「アンタ……あの時のマセてるガキンチョッ!?」
「おいおい、あっちも喋るのかよ。しかも、なんで俺の事を知ってるんだよ?悪いが、俺はお前みたいなビックリアニマルと知り合いだっていう記憶は無いぞ」
「あぁ、そういえばあん時は人の姿を取ってたね。アレだよ、昼間にあったナイスバディなお姉さんだよ、私」
「…………」
思考停止。
「――――マジで?」
狼は頷く。
つまり、あれですか?
俺は綺麗なお姉さんに化けてた狼に色目を使ってたという恥ずかしいオチというわけだろうか――――ショック!!
思わずその場に崩れ落ちた。
「ま、まさか……そんな馬鹿な!?」
「なんで落ちこんでるんだい?」
「あんな、あんな綺麗なお姉さんが動物なわけがない!!あんな可愛い子が女の子なわけが無いとか、男の子なわけが無いとかならまだしも、狼なわけないじゃないか!!」
「それだと、あんな綺麗な人が人間あるわけが無いっていう意味にもならない」
「なるほど、ナイスだイタチッ!!」
「え、あ、ありがとう……それより、手を放してくれると嬉しいんだけど」
イタチを放す。
「ふぅ、危うく人生の末路に立たされる処だったぜ」
ありがとう、イタチ。お前のおかげで俺はまた一つ大きくなったよ。
そんな俺を奇妙な眼で見つめる動物二匹。
そして、上空から俺を見下ろす視線が二つ。
「どうしているの!?」
なのはが驚きながら俺を見る。
「―――――へ、へへへへへへへへ、変態!?」
そして再会と同時に俺の心にダメージを与えるフェイト―――ん、フェイト?
「あ、この野郎……ここで会ったが百年目って奴だ!!」
俺を見ながら青ざめているフェイトを見据える。
「この間のリターンマッチと行こうぜ」
「り、リターンマッチ?」
「あぁ、そうだ。この間は不覚にもあんな方法で勝ったが―――いや、あれは勝って無いな。むしろ全体的に見て俺の負けだし……というわけで、前回の引き分けた勝負を決着を此処でつけるとしようか!!」
デバイス、数打を起動する。
「どういう理由でお前等二人が戦ってたかは知らんが、今度は俺とお前の番だ」
フェイトを睨みつけ、俺は構える。修行の成果をここでやんよ――――と、意気込んでいたのはいいが、
「――――アルフ」
どうやら狼の名前らしい。そのアルフに声をかけたフェイトは俺に背を向ける。
「逃げるよ!!」
「な、おいッ!?」
脱兎の如くとはまさにその事だ。敵に背中を見せるとは何事だと叫びたがったが、それよりも早くフェイトは夜空の流れ星の様に消えいった。その後はアルフという狼は急いで追いかける。
「…………に、逃げやがった」
おい、なんで逃げるんだよ。ここらが良い処だってのに、なんで此処で逃げ出すんだよ、あのガキは!!
「おい、イタチ!!これはどういう事は説明しろ!!」
「え、僕ですか!?」
「そうだ。なんでアイツは逃げたんだ!?」
「僕に聞かれても……え、えっと……君が怖かったとかじゃないかな。なんか、君が現れた瞬間にあの子の顔が恐怖に歪んだというか、台所にいた黒い虫を見つけた顔をしたというか……」
納得できるか、そんな理由。こっちはこの瞬間の為に頑張って修行したというのに、その成果も試せないまま相手に逃げられるなんて屈辱以外の何物でもない。
地面を蹴りつけながら、俺は内から溢れ出る怒りを隠せないでいる。
「納得いかん。全然納得できん!!弁護士を呼べ、責任者を呼べ、この事態を正確に迅速に的確に説明できる奴をこの場に呼んで来い!!」
「というか、君は誰?」
「あぁ!?武本銀二ですけどな、何か問題が!?問題あるなら市外局番に連絡してアポを取ってから話かけてこいよ獣!!」
「理不尽だよ!?僕、君に何にも悪い事してないのに、なんか扱い酷くない!?」
「黙れ、黙らないと斬るぞ。色々と斬るぞ。繁殖機能に必要な部分を斬り落としてから、全身くまなく斬るぞ」
イタチが首を傾げる。
「え、繁殖機能に必要な部分って?」
「―――――アウチッ、まさか獣の癖にそんな繁殖本能すら知らない年齢だと申すか獣君?」
「一応、九歳ですけど」
「人間的に?」
「人間ですから」
え、人間だったのお前?というか、その年齢で子供を増やす為に必要な器官がどこかも知れないなんてどういう教育を受けてんだよ、動物界!!
※ちなみに、後になって知ったがこの年齢でそんなアダルティックな事を知っている俺がおかしいそうです(汗
「まぁ、その件は後で置いておくとしてだ。俺も聞きたいんだが、お前は誰だ?○ーミン谷に住むカバ―――じゃなくて精霊とか言わんだろうな?」
「ユーノ・スクライアです。精霊とかじゃなくて、れっきとした人間ですよ。今はわけあってこの姿をとっているだけです……」
「へぇ、もしかしてお前も魔導師なのか?」
「というと、君もそうなの?」
俺は頷き、イタチも頷く。
ふむ、動物に変身できる魔法があるなんて実に便利だ。いつか親父に教えてもらおう。そして正々同等と女風呂に突入しよう―――なんて願望を悶々とさせていると、空からゆっくりとなのはが下りてくる。
何やら釈然としない顔だった。どうやら、どうして俺が此処にいるのか疑問に思っているらしい。しかも、俺がデバイスを持っている事に驚いている様でもある。
「…………武本、くん?」
それにしても、改めて彼女の服を見るとニヤニヤしそうになる。前回は有無も言わさずぶっ飛ばされたからしっかりと見る事が出来なかった。だからじっくり見ると何とも可愛らしい服だ。まるでアニメに登場する魔法少女みたいな姿だ。
ただ、その手にある厳つい杖から放たれた桜色のビームは魔法というより某機動戦士の世界感がよく似合う気がしないでもない。
そういえば、俺もちゃんとした防護服が欲しいな。普段は魔力の消費を抑えるために来てないけど、防護服って自由に選べるんだったな。
よし、今度しっかりと考えてみる事にしよう。
「あの、武本くん……」
「ん、どうした?」
「どうして、此処にいるのかな?」
どうして此処にいるのか、か。確かに当然の疑問だろう。というか、彼女は俺が魔法を知っているという事を承知済みのはずではなかっただろうか?
「いや、俺も一応は魔導師って奴だから」
「え!?」
なんでそんなに驚くのだろう。
「別に不思議じゃないだろ?最近になってようやく魔力の流れ、周りで変な魔力反応が起これば、それを確かめに行くのが普通だしな」
昨日知りましたけど、見栄の為に言わないでおく。
「帰ろうとしたら、なんかでっかい魔力反応があったから見に来てみれば、お前とフェイトがドンパチやってる光景をみたんだが……そういえば、なんで戦ってたんだ?喧嘩とかか?」
「フェイトちゃんの事を知ってるの!?」
お前、人の話に答え気があるのかと俺は尋ねたい。まぁ、他ならぬ彼女の質問に答えない俺ではない。
「一応な。ほら、お前にぶっ飛ばされる前に会ったんだよ」
そういうと、なのはの顔が真っ赤になる。
「あの時の……」
うん、真っ赤になった顔も可愛らしいなぁとか思っていたが、そんな場合ではない。むしろ、俺となのはが二人っきりだからこそ、あの時の誤解を解く必要があるのだ―――え、ユーノ?あんな獣なんぞ知らん。
だが、それでも空気の読まない獣は、
「君も魔導師か……この世界にも魔法を使える人ってこんなにいるものかな?」
あっさりと、

「―――――なのはもそうだし、清四郎も……」

俺の思考を根こそぎぶった切る発言をかましやがった。







ストームブリンガー、鎌倉清四郎の持つインテリジェントデバイス。
このデバイスを清四郎が手に入れたのは彼の意思ではなかった。元々、このデバイスを彼を養っている父親の友人という男からの送り者だった。
それはある日に送られてきた郵便物の中に入っていた。
毎月というわけではないが、時々その友人は清四郎に変わった物を送りつけてくる。使い勝手のわからない珍妙な数々、使用目的もわからない物ばかりだった。しかし、ある日に送られてきた郵便物はいつものとは何かが違った。
それは何かのレポート様な紙の束。
何かの資料だろうかと彼はなんとなく読んでいたのだが―――ふと奇妙な点に気づいた。そのレポート、何のレポートかもわからないソレの後半の描かれていたのは何かに設計図だった。そして、その設計図に描かれた細かいパーツには見覚えがある。
それに気づいた彼は父親の友人から今まで送られてきた物を引っ張り出し、確信した。
これは本当に設計図だった。何の設計図かは分からないが、今まで送られてきたパーツを組み合わせると何かが出来あがるという事だけは理解できた。
その瞬間、何か言い様のない感覚に襲われる。
これを、この設計図に描かれている何かを完成させなければいけない。
使命感に似たそれを感じた彼は夢中で組み立てを始めた。
もちろん、ただの小学生である彼はプラモデルを作った経験程度しかない。それを見こうしたかのように送られ続けたパーツは簡易的な作り、最初から組み立てるだけで良いという程度に完成されていた。
そして、出来あがった瞬間―――起動した。
喋った。
機械的な声で語りかけ、清四郎をマスターと呼び、自分に名前をつけろと言った。これは一体何なのだろうかと疑問に思ったが、それ以上は考えなかった。
清四郎は、それに『ストームブリンガー』という名を付けた。『嵐を殺す者』という名を持ったデバイスが生まれた日、それは奇妙な事にジュエルシードと呼ばれた魔石が海鳴の街に堕ちた日と同じだった。
そして、彼はそのデバイスの持つ力を知り、自身の中に存在する巨大な力を知った。
まるで出来すぎた物語のようだった。
最初から定められた運命、最初からこうなる事を予想していたかのような偶然。運命か偶然かは分からない。わかる事は力が自分の手の中にあるという事だけ。
魔法という異能を手に入れた少年は何を想ったのか――――少なくとも、歓喜はしたのかもしれない。
ファンタジーだと思っていた実際に存在したという歓喜ではない。
この力は、自分に必要な力なのだと知ったからこその、歓喜だった。
だが、その歓喜は数日で終わる。力を得た清四郎に次に生れた感情は恐怖だった。
絶対的なまでに強大な力。
ジュエルシードという自分の持つ力、魔法の一端を持っている魔石の起こした甚大なる被害。
それを目のあたりにした彼は恐怖する。
怖い、怖い、この力は、この力はアレと同じ力だ。
妹が、麻奈が消えた時に見た光と同じ力を持った力があの魔石にあり、自身の中に渦巻いている。
彼は恐れた。
もしかしたら、今度は自分があの光の様に『誰かから何かを奪う』かもしれない。そうすれば、きっと誰かが不幸になる。だったら使わない方が良いに決まっている。だから彼は使わない。そしてあの魔石に関しても極力近寄らないという選択肢を選んだ。
友達であるなのはが、あの魔石を自分の意思で集めていると聞かされた時、反対したかった。だが、少女の意思が固く、そんな彼女を止める事は出来ないと三年という月日の中で経験している。
だから極力という感じで彼は魔石の捜索を手伝った。自分の力を使わない。自分は手を出さない。そうすればきっと、きっとなのはが上手くやってくれるに違いない。
他人任せだと知っている。だが、彼にはそれで精一杯だった。
精一杯だった、はずなのに――――

「―――――テメェ、何してんだよ……」

頭の中が真っ白になる。
月の光に照らされ、森の中で一人の少年が清四郎を見ている。眼光は鋭く、その瞳には明らかな怒りが宿っている。
どうして彼が怒っているのか、その理由はわからない。だが、あの怒りの矛先は間違いなく自分に向けられている。
そうだ、そうに違いない。
なぜならば、

悪い事の全ては、自分に原因があるのだと―――彼は盲信しているのだから。

自分自身に盲信している。何か悪い事が起これば、それが目の前で起こった事象だというのならば『全てが自分が原因』なのだ。昔からそうだった。そしてこれからもそうだろう。
きっと、自分が悪い。
だから、彼は怒っている。
「答えろよ、清四郎……!!」
彼は清四郎に近づく。
清四郎は動かない。
「黙ってても、話は前に進まねぇんだよ……答えろ、清四郎。お前は、こんな処で何をしてるだよ」
「…………銀ちゃんこそ、何しているの?」
清四郎は落ち着いた声で友達である武本銀二に語りかける。





俺はきっと、かなり頭に来ていたのかもしれない。怒りを一切隠さず、親父に言われた事すら忘れて俺は目の前に立っている清四郎を睨みつける。
「俺の事はいい。今はお前が何をしているかって聞いてるんだよ」
涼しげな顔で、全てをわかりきっていると言わんばかりの澄ました顔が、何よりも気に入らなかった。
清四郎は魔導師だった―――その事を聞いた時は確かに驚いた。だが、それでも怒りなど感じなかった。
この街にジュエルシードという魔石が存在する―――それも別にどうとは思わなかった。その原因は自分だというユーノにも特に怒りは感じ無い。アイツに責任は無いのだと必死に弁解するなのはが、あまりに必死すぎたからという理由もあるし、話を聞く限りユーノに責任があるとも思わない。
此処まではいい。
あぁ、此処までどうでもいいんだ。
問題は一つ、この野郎だ。
「――――俺、怒ってるぞ」
「…………うん、怒ってるね」
顔色一つ変えない清四郎。
「ごめんね、銀ちゃん」
急に謝る清四郎。
またか、またそれなのかよ、お前は。
拳に力が籠る。
「なら、俺が何に怒ってるか言ってみろ」
「わからない」
即答した。
「でも、きっと僕が悪いんだよね」
迷い無く、即答した。
「だから、ごめん」
それが、許せなかった。
「いい加減にしろよ、この野郎……お前はいつもそれだ。自分が何も悪くないのに簡単に謝る。謝れば済むと思ってるのか?お前が何一つ悪くなくても、お前がその場にいたってだけで、全部が自分の責任だっていう盲信している――――それを止めろって俺は何度お前に言ったか覚えてるのかよ」
「だから、ごめん」
反省はしているのだろう。だが、反省するだけ。コイツはどれだけ反省しても自分の盲信を止める事はない。それがコイツの悪い癖だ―――なんて甘やかしていた自分に腹が立ってしょうがない。
「ふざけんな!!」
夜の森に怒声が木霊する。
「相手が何に怒ってるかもわからず、謝るんじゃねぇ!!俺が悪いかもしれない、お前がちっとも悪くないかもしれない、誰も悪くないかもしれない……そういう可能性があるってのに、なんでお前はそうやって謝るんだよ。それじゃ、何の解決にもなりゃしないんだって気づけよ、この馬鹿が!!」
「……ごめん」
駄目だ、話が一向に進まない。
また、俺が折れるしかないのか……ックソ、イライラする。
頭を掻き毟りながら、俺は言う。
「――――お前、魔法に触れたんだってな」
「うん、最近だけど……銀ちゃんは、もっと前から知ってたんだね」
「あぁ、基本的に隠すっていうのが親父の方針だからお前には教えなかった。それは謝る」
清四郎には魔法の事は一切伝えなかった。伝えても意味は無い上に、教えた事でコイツがその力を欲する可能性があるからだ。
俺はコイツに危険な事に首を突っ込んで欲しくない。今までも、これからもだ。だからコイツには魔法なんて力は伝えられなかった。
だが、それは完全に手遅れとなっていた。
「銀ちゃんが怒ってるのは……僕が魔法に触れたから?」
「違う」
即答で返す。
「それじゃ、ジュエルシードの事を秘密にしてたから?」
「それは……少しある」
コイツ、やっぱり知ってやがった。というか、見ていやがったんだな。
なのはとユーノに聞いた通り、アイツはジュエルシードを回収する際に毎回毎回二人を見ていた。それは今回も同様、清四郎はあの場所から離れたこの場所で見ていた。
だから俺に気づいた。
そして、俺が此処に来る事を予想していた。
俺が声をかけた時に驚いたのは、恐らくは俺が此処にいるという事にではなく、俺が怒っている事に驚いていたのだろう。
だというのに、コイツは言い訳一つしない。
「―――――清四郎、俺が怒っている一番の理由を教えてやろうか?」
「うん、教えて欲しい……あ、やっぱりいいや」
とうせ、僕が悪いんだから―――そう言おうとしたであろう清四郎の言葉を遮り、俺は言う。
「お前が、ただ見ていたって事に怒ってんだよ!!」
これが一番の理由。
これだけが唯一の理由。
「お前が俺みたいに大した力が無いからサポートに回されてるとか、そっちの方が向いているとか、そういうどうしようも無い理由があるならそれでいい――――だが、違うんだってな。ユーノってイタチが言ってた。お前はこの場にいる誰よりもすぐれた魔力資質って奴を持っていて、強いってな…………テメェは、力があんのに見てるだけなのか?お前、それでも男か?恥ずかしくねぇのかよ?」
なのはとユーノに任せて、お前は一人でのんびり観戦、しかも、戦えばなのはよりも強い癖にサポートという名のサボりに回っている。そんな事をしてコイツは何にも思わないのだろうか?
俺が許せないのはそれだ。
力があるなら戦うべきだ。そして、幼い少女が戦っているというのに男のコイツが戦わないなんて選択肢はあり得ない。
あり得て、いいはずがないだろうが。
「―――――銀ちゃんは、わかってないよ」
呟くような声で清四郎は言った。
「恥ずかしくないのか――――うん、恥ずかしいよ。恥ずかしいよりも自分が嫌になる。それは否定しないよ。だって、銀ちゃん的にはあり得ない事だもんね……でもさ、僕はそれでいいんだ。恥ずかしくても、格好悪くても、自分をこれ以上嫌いになっても、僕は構わない」
虚ろな瞳が俺を見据える。
「強いから戦うっていうのは、間違ってると思うよ」
「何だと?」
「強いから戦わなくちゃいけないなんて理屈は、間違ってるって言ってるんだよ。強ければ、力が大きければ大きい程、その力は使っちゃいけないんだ。ジュエルシードっていう宝石がまさにそうじゃないか。アレは強すぎる。大きすぎる。だからロストロギアなんて物騒な名前までつけられる……大きすぎるから駄目なんだ」
俺は清四郎が何を言っているのか理解できなかった。力が大きい、強い、だったら使うべきに決まっている。逆に使わないなんて選択肢はあり得ない。そして、清四郎みたいな無鉄砲な部分が危険な奴ほど、その力は有効的に使わなければ意味が無い。
コイツの言い分を聞く限り、俺の考えそのものが間違っているみたいじゃないか。
「ユーノ君が言ってた。僕の力は彼の世界でもかなり上位の部類に入る力なんだって……だから、僕は使わない」
「意味がわかんねぇよ」
すると、清四郎は心底不思議そうに俺を見る。
「――――怖いって思った事……無いの?」
「はぁ?」
「銀ちゃんは自分の力は怖いって思った事、一度も無いのって聞いてるんだよ。僕は怖い。大きいから怖い、強いかもしれないって言われて凄く怖くなった……」
清四郎は右手を上げると、掌に小さな球体を作り出した。それは銀色の球体。清四郎の魔力で作り出した魔力の塊。
その塊を軽く放り投げる。
塊は放物線を描きながら木に当たる。

――――――それだけで、その木があった周囲が消し飛んだ。

絶句する。
なんだ、この馬鹿げた威力は?
あんな小さな魔力の塊一つでこんな大規模な爆発を起こせるものなのだろうか?
少なくとも俺は見た事がない。
比べる相手は親父くらいしかいないが、親父でももっと大きく、派手なモノを宿さないとこれほどの威力にはならない。
だが、清四郎は違う。
掌にすっぽりと収まりそうな程の塊一つで、これだけでの破壊を生みだした。
「―――――これが僕の力、なんだってさ。魔力を収束させる技術に特化した才能だってユーノ君は言ってた。これだけの破壊を行える魔力の塊を作った場合、もっと大きな塊になるのに、僕の場合はそうじゃない」
これは爆弾だ。
手榴弾と言い換えても良い。
アレは片手で持てるサイズだとしても、爆弾は爆弾。その威力は人や物を簡単に吹き飛ばせる威力を持っている。
銃よりも剣よりも簡単に相手を殺傷できる殺人兵器が爆弾だ。
「どれだけ大きな魔力でも僕は収束する事が出来る。そして、僕の魔力の量もそれなりに大きいらしいからこんな事も出来るんだ」
清四郎の周りに先程の同じサイズの球体が幾つも出現する。
「この全てがさっきのと同じ威力を持っている。それだけの魔力を固めた奴だからね……ねぇ、銀ちゃん。この塊をこの周辺にばら撒いたらどうなると思う?」
考えるまでもない。
この辺り一帯が丸ごと消し飛ぶ。
「強いって、何さ?」
銀色の光に照らされ、清四郎は俺に尋ねる。
「強ければ、それでいいのかな?」
俺は答えない。
「こんな力しかない事の何処を誇れっていうの?」
淡々と語る清四郎は球体を消し、俺に背を向ける。
「僕は確かに力が欲しいと思ったよ。力があったら麻奈を助けられたかもしれない。誰かを守る力があったら……きっとあの時もなのはちゃんを泣かせずにすんだ」
三年前の事を言っている。ガキ共に二人で作った砂の城を壊され、それに怒り、返り討ちに合い、そして清四郎は彼女を悲しませた。
それをコイツは後悔している―――いや、『それも』コイツは後悔しているのだ。
「…………お前、なんでそうやって全部を抱え込もうとするんだよ」
理由は誰よりもわかっているつもりだった。だが、わかっていても理解までは出来ない。そんな感情はおかしいのだ。全部が全部を自分の責任だと思う込むなんて自分に酔っているとか、加害妄想なんてレベルの話じゃない。
俺はようやく鎌倉清四郎の心の一端に気づいた。
今まで感じてきた事、見てきた事はこの一端ですらない。表向きですらない。今まで見てきたのは全て、俺の予想できる範囲内の事だった。
だが、これはもう違う。
「おかしいだろお前……変だ、絶対に変だぞ」
身体が震える。
「麻奈の事はお前のせいじゃない。お前のいうなのはの事だってお前のせいじゃないはずだ。だから、お前が全部を抱え込むなんて――――」
「おかしくないよ」
ピシャリと言い放つ。
「全然おかしくない」
清四郎が振り向き、俺を見る。
身体の震えが大きくなった。

「だって……全部僕が悪いんだよ」

盲信ではなかった。
妄信でもない。
コイツは――――そんなモノを通り越して確信の域に達している。
恐らく、清四郎の中で善悪の基準は常人とは違う域にあるのだろう。この頃の俺は漸くそれに気づいた。
善も悪もありはしない。
あるのは―――自己否定だけ。
ガキの俺が三年以上も気づかなかった、最低な事実。
清四郎は歩き出す。
「…………僕は戦わないよ。戦えないよ、こんな力じゃ……それともなに?銀ちゃんはこの力をあの子に向けろって言いたいの?嫌だよ、そんなの」
どうしてか、親父に言われた事が蘇ってくる。
何の為に力を身につけるのか、その力を何をするのか。俺はその問いに負けない為だと答えた。だが、今はその言葉を平然と吐けるのだろうか。
即答する事なんて簡単だ、なんて口に出来ないでいた。
むしろ、俺の答えよりも清四郎の答えの方が正しい気さえする。
だが、それでも清四郎はおかしい。善悪感情をかなぐり捨て、この世の悪は全て自分が原因だと吐き捨てた。
その原因が実の母親に殺されかけた時のトラウマ。母親の呪詛を受けた事によって幼い清四郎の心は無理矢理に作り上げられてしまった。
だからこそ、清四郎は自身の力を使わない。
他人よりも大きいと知り、他人よりも強い力だと思い込んでしまえば最後。力の強い者が弱い者にそれを使えば――――完全なる悪となる。
そして、悪は己自身。
間違っている。
あり得ない。
おかしい。
それだけの事を俺は考えられたというのに、清四郎にどんな言葉もかけてはやれない。
去っていく清四郎の姿が消える。
それでも清四郎の声が聞こえてくる。



「―――――僕は、銀ちゃんみたいに強くないんだからさ……」



無理だ、そう想った。
誰もアイツの支えにも、アイツを守る者にもなれはしない。
俺はそう、確信してしまった。



だから、お前は馬鹿なんだよ―――俺……








あとがき
ども、題名変更しました、な散雨です。
久しぶりの本編です。清四郎はなんかこれはこれでいんじゃね?と思い始めました。なんていうか、テンプレで出来たテンプレ主人公って感じで、これはこれでキャラが立っている気がする。清四郎はしばらくこなんな感じでいい気がする。
というわけで、フェイトの話ではなく清四郎の話でした。
清四郎の戦闘スタイルは『爆弾魔』です。なのはみたいに派手で威力の高い魔法ではなく、収束に収束を重ねて掌サイズに縮めて投げつける。キャッチフレーズは『掌でブラックホールなら作れます』な感じです。
というわけで次回「親友と親子の法則」で行きます。
さて、僕の大好きな鬱展開のターンですわ……ニシシ


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