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[7042] 水色の星0(灼眼のシャナ)
Name: 水虫◆70917372 ID:40b31190
Date: 2009/09/26 08:08
 
(まえがき)
 
 本作品はここと同じ掲示板内にある、すでに完結した『水色の星』シリーズの外伝集になります。
 ので、まずそちらの方をご覧頂く事を強くオススメ致します。
 でなければ全く話が通じないと思われますので。
 
 もし『水色の星』などを見て、読んでみたい話などあらましたらこちらの感想板にお書き下されば、私の力量が届くものならば書かせて頂きます。
 



[7042] 『想いの生まれた日』
Name: 水虫◆70917372 ID:40b31190
Date: 2009/03/03 13:25
 
 御崎市中心街のデパートに、少年と少女がいた。
 
(やっぱり、目立つよなぁ)
 
 周りの人間達は誰しも少なからずこちらに目を向ける。
 
 前を歩く少女の水色の髪、ミスマッチなほど大きい白の帽子とマント、という容姿のせいだろう。
 
 当の少女はキョロキョロと忙しく辺りを見回しながらうろちょろしている。迂濶に目も離せない。
 
(本当に、十五歳か?)
 
 今三つほど信じがたい。
 
 今も、ガムの玉の入った自動販売機を不思議そうに見つめている。
 
 またフォローが必要なようだ。
 
「近衛さん。それはこの穴に十円玉を入れて回すと‥‥‥」
 
 ガチャン
 
「中に入ってるガムが出てくる機械だよ」
 
 言って、出てきた赤いガムを目の前の家なき子に手渡す。
 
(まあ、そんなに嫌じゃないけどね)
 
 今日だけで何度目か、悠二が教えた事に目を丸くしている(ような雰囲気の)少女を見やりながら思う。
 
 事情は知らないが、こう、何にでも新鮮なリアクションをとる少女にものを教えていくのは、素直に楽しい。
 
 妙に純真な所がある分、心が洗われるような気分にもなったりする。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 しばらく受け取ったガムを見つめていた少女・近衛史菜(“頂の座”ヘカテー)。
 
 食べてみる。
 
「!!」
 
 
 
 
 二人はさらにデパートを練り歩く。
 
 最初は街の案内がメインの予定だったが、御崎神社とかの離れた所はまた今度にして、今日はこの少女に『普通の街』を体験させようと考えた悠二の配慮である。
 
 どうにもこの少女は、生半可じゃない世間知らずであるらしいからして。
 
「近衛さん。ガムは飲み込んじゃダメなんだよ?」
 
 横で口いっぱいにたくさんガムを含んで、もきゅもきゅしている少女に、少し笑って言う。
 
 何か、リスみたいだ。
 
「‥‥‥‥?」
 
 人間・近衛史菜に成り済ましている異界の住人、『紅世の徒』“頂の座”ヘカテーは、少年の視線に少し違和感を覚える。
 
 母親にまるで似つかない愚鈍な少年、という印象だったはずなのだが、今の眼差しが少し、おばさまに似ている。
 
 よくわからないが‥‥‥‥暖かい。
 
 やはり、『一応』親子だという事だろうか。
 
 怪しい少年である。
 
 値踏みするような視線を悠二に浴びせながら、ヘカテーは悠二の周りをぐるぐる回る。
 
 怪しいトーチを観察である。
 
「こっ、近衛さん? 今度はどうしたの?」
 
 む、少し頭を屈めてそう言ってくる。
 
 身長が低いと言われた気分だった。
 
 ギュニッ
 
「痛たたたたっ!?」
 
 生意気な少年のほっぺた、屈んだ事で容易く手が届くようになったほっぺたをつねる。
 
(面白い顔‥‥)
 
「近衛さん!? 何すんの!?」
 
 少し痛そうだ。仕方ないから丸を書くようにクルクル回してパチンと放す。
 
 紅世の王たる自分を侮辱するからこうなるのだ。
 
 少年の表情、そして制裁を加えた事に満足して、ヘカテーは前を歩く。
 
 痛そうにほっぺたをさする悠二の眼差しが、また少し暖かくなった事に、前を向くヘカテーは気づかない。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 下界の知識に疎いヘカテー。その必然として、見て興味を惹かれたものに吸い寄せられるように近づく。
 
 今は悠二が案内するというより、ヘカテーが興味任せに歩き、悠二がそれについて教えてあげるといった形である。
 
 そのヘカテーの、女の子としての本能が、一つの店を訪れさせる。
 
 ぬいぐるみや可愛い物を取り扱う店、ファンシーショップである。
 
「っ!」
 
 一瞬恥ずかしくて躊躇した悠二だが、このあからさまに年下(に見える)の少女が一緒なら別に気にする事もないか、と思い直す。
 
(‥‥‥すごいな)
 
 入ってみるとさらにわかりやすい。
 
 これでもかというほどに並べられたファンシーグッズの数々。こんなのは悠二も見た事がない。
 
 あまりの自分の場違いさに、少しゲンナリする。
 
 そんな中、まるで違和感がない、否、ぬいぐるみに混じっていてもしばらくは気づかれないんじゃないかという少女が突き進む。
 
 あまり表情豊かとは言えない少女だが、今は傍から見てもその楽しげな雰囲気が伝わってくる。
 
 目が輝き、足取りはまるでスキップである。
 
(‥‥‥お?)
 
 そんな少女は、一つの棚、今話題の、悠二でさえ知っている喋るぬいぐるみ・ウァービーの前を‥‥“素通り”し‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 あまりお目にかかる事はない“ヘビのぬいぐるみ”の前で止まる。
 
 変わった趣味である。
 
 ちなみに、悠二もウァービーを可愛いとは思っていないが。
 
 
「それ欲しいの? 近衛さん」
 
 そう訊いてくる少年の眼差しが、
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 また、暖かい。
 
(‥‥‥生意気)
 
 そんな事を思うヘカテー。どうにも、今まで『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の構成員達や、『訓令』に訪れる徒達と接するのとは勝手が違うな、とは思った。
 
「ほら、買ってあげるから。こっちのレジでお金を払って‥‥」
 
「!」
 
 買って、『あげる』? 何故? これは、自分が興味を惹かれた物。何故この少年が買ってくれるというのか。
 
 自分が『巫女』だと知っているはずもないのに。
 
「自分で買います」
 
(変な‥‥トーチ)
 
 そう評した。そうとしか、評せなかった。
 
 
 
 
 デパートを出て、また街中を練り歩く。
 
 悠二としては、先ほど出くわしたクラスメイトにあらぬ誤解をされた事もあって、少し警戒気味である。
 
 こういう事を面白おかしく編集する親友の少女になど見つかったら一体どうなってしまうやら、想像もつかない。
 
 いや、佐藤と田中に見つかった時点でもう手遅れなのかも知れないが。
 
 というか、この近衛史菜は今晩以降どうするつもりなのだろうか? 大切な事なのにそういえばまだ訊いていない。
 
 そんな事を考えている悠二。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ヘカテーも、少し考え込んでいた。
 
 自分が買った物を、何故かあの少年が持っている。
 
 『女の子に持たせるわけにいかないだろ』という事らしいが、よくわからない。
 
(変なトーチ)
 
 また、心中で呟く。
 
 
 いつか消えてなくなる、トーチ。
 
 人間を失い、忘れ去られる存在。
 
 この世の歪みの緩衝材であり、『同胞殺し』の目から逃れるための存在。
 
(いつか‥‥消える)
 
 ズキッ
 
「っ!」
 
 突如胸を襲った“痛み”を、ヘカテーはあえて無視する。
 
 その痛みをヘカテーが理解するのは、まだしばらく先の話。
 
 しかしそれは、ヘカテーの心の奥深くでは、不明瞭に渦巻いていた。
 
 それは、ほどなく少年に手を出そうとした“燐子”への攻撃として表される。
 
 
 
 
 少年は、トーチ。
 
 だが、思ってしまった。
 
 “ずっと一緒にいて欲しい”と、失いたくないと。
 
 いつか消える運命にあるものへと、そう思ってしまっていた。
 
 だから、燐子の頭を吹き飛ばし、少年を守った。
 
 その瞬間、『中に在る物』など、どうでも良かった。
 
 
 
 
 “目が覚める”。
 
 『星黎殿』の自室。でありながら、以前には無かった、大切なぬくもりが、ここにある。
 
「すぅ、すぅ‥‥」
 
 大好きな少年の胸に顔を埋め、また眠りに落ちる事にする。
 
 懐かしい、夢。
 
 そんな自分の気持ちにさえ気づけていなかった、かつて。
 
 今は違う。
 
 消えない。自覚できる。触れ合える。
 
 手を伸ばせば、届く。
 
 この‥‥『愛』が。
 
 
 
 
 
 
 (あとがき)は感想板に書く事にします。



[7042] 『新たな生命』
Name: 水虫◆70917372 ID:40b31190
Date: 2009/03/08 19:37
 
「ヘカテー、お前の気持ちはわかるんだけどねえ」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 坂井悠二と平井ゆかりが『星黎殿』にやって来てから五日が経ち、『巫女』ヘカテーは『参謀』ベルペオルの自室に呼び出されていた。
 
 未だ坂井悠二の扱いは決定されていない。
 
 それというのも、全てヘカテーが原因である。
 
 悠二と離ればなれになる恐怖を骨の髄まで味わったヘカテーはこの五日、常に悠二に触れていないと不安らしく、四六時中悠二にべったり。
 
 ようやく最近になってカモの子の様に悠二について回るくらいに落ち着いたので、まずは以前から注意しようと思っていた事を言おうというわけである。
 
 が‥‥‥
 
「ヘカテー、だから男と女が毎晩同じ床で眠るというのは‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 明らかに不満顔である。最近理解したヘカテーの新しい表情を判別すると、「やだ、悠二返せ」だろうか。
 
 ちなみにこの場にはヘカテーしか呼び出されていない。
 
「はぁ‥‥」
 
 顔に手を当てて、溜め息をつく。坂井悠二は『星黎殿』に"殴り込み"を掛けた時の経緯もあり、皆が皆彼を認めているわけではない。
 
 おかげで平井ゆかりは半ばスルーされているのだが、とにかくヘカテーがこの調子ではまた無用な敵を増やすだけである。
 
「いいかいヘカテー。一般的に男女が同じ床で眠るというのは、その、『夜の営み』のような解釈をされてしまうわけでだね。少しは周りの‥‥‥‥」
 
(あ‥‥‥!)
 
 少し目を離した隙に、ヘカテーがいなくなっていた。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 何だというのだ。悠二が『星黎殿』にいていいという事は自分達の仲を認めてくれたのではないのか。
 
 自分が何年間(いや、実際は二ヶ月だったか)悠二のぬくもりから引き離されていたと思っているのか。
 
 
 完全に自業自得であるが、ヘカテーは拗ねている。
 
 同じ神の眷属にして仲良しのベルペオルが認めてくれないからこその不満である。
 
(『盟主』も、悠二を認めてくれているのに‥‥‥)
 
 逃げたヘカテーは恋人を探す。
 
 遂にそう呼ぶ事が出来るようになった、『恋人』を探す。
 
 
 
 
「スピー‥‥ド!」
 
 シャッ、シャシャ!
 
「ヘカテーがペルペオルさんに呼び出された?」
 
「まあ、そのうち呼び出されるような気はしてたけ、ど!」
 
「私の勝ち!」
 
 
 『仮装舞踏会(バル・マスケ)』のイレギュラー因子たる二人、呑気にトランプで『スピード』などしている。
 
「この調子だと悠二も私みたいにヘカテーと別室にされちゃうかもね」
 
「別室って‥‥隣だろ」
 
 その、平井と悠二はヘカテーの居城に一緒に住み、悠二に到ってはヘカテーの部屋に住んでいる。
 
 ガシッ!
 
 後ろから悠二に抱きつく者あり、誰かなど考えるまでもない。
 
「おかえり、ヘカテー」
 
 悠二に呼ばれたヘカテー、悠二を引っ張って立たせて思う存分抱きつく。
 
 椅子が邪魔だったのだ。
 
「ヘカテーもこんな調子じゃいつまでもお姉ちゃんになれないかな?」
 
「?」
 
 甘えんぼなヘカテーに笑いながら平井がそう言う。その言い方に込められた微妙なニュアンスに違和感を覚えるヘカテー。
 
「? 悠二、ヘカテーにまだ言ってなかったっけ?」
 
「‥‥ああ、そういえばまだだったかも」
 
「何がです‥‥」
 
 ガシッ!
 
 訊こうとしたヘカテー、しかし‥‥‥
 
「ヘカテー、あまり手間をかけるんじゃないよ」
 
 再び現れたベルペオルに捕まる。
 
「こんな姿を構成員達に晒すつもりかね?」
 
 『こんな姿』とは、悠二に抱きついている状態の事である。無論、ヘカテーはそのつもりである。
 
「構いません」
 
「そうもいくまいよ」
 
 両の足首を持ってヘカテーを引っ張るベルペオルだが‥‥
 
「‥ぃやあ‥‥!」
 
 ボルトで固定したように離れない。
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 そんなヘカテーに抱きつかれている悠二。
 
(‥‥仕方、ないか)
 
 自分としてもヘカテーと離されるのは嬉しいわけもないが、このままでは話が進まない。
 
「ヘカテー」
 
 胸元で自分に必死にしがみつく少女に優しく呼び掛け‥‥
 
 ちゅっ
 
 その頬に口付ける。
 
「っ〜〜〜〜〜!?」
 
 突然の嬉しい事態に、ヘカテーの力が抜け、捕縛される。
 
 その表情は捕まったにも関わらずふにゃふにゃに緩んでいる。
 
「ベルペオルさんの話も、聞いてあげなよ」
 
 悠二も、自分が"つい"してしまった大胆な行為に顔を染めて視線を外す。
 
 
「‥‥‥‥はい」
 
 ヘカテーは、ただ恍惚とした表情のまま頷いた。
 
 
 
 
「‥‥だから、坂井悠二自身の印象も悪くなりかねないのさ。わかるかい?」
 
「わかりません」
 
 そのまま、ついでだから悠二と平井も混ぜた状態でベルペオルの説得攻勢は続く。
 
 が、そろそろベルペオルの方が根負けしそうである。
 
 ヘカテーは譲らない。
 
(‥‥‥ん?)
 
 ふと、ヘカテーは一つの事を思い出す。
 
 先ほどの、悠二と平井の様子である。
 
 くいくい
 
「悠二‥‥」
 
 訊いてみる事にする。
 
 
 
 
 ‥‥‥‥‥‥‥
 
 
 
 
「おばさまに、子供?」
 
「そう、僕の弟か、妹」
 
「"ヘカテーも"でしょ?」
 
 なるほど、どうやらおばさまに子供が出来たという事らしい。
 
 お嫁さんになったら、その相手の家族も義理の家族となる事も平井に教わった。
 
 これで自分も、正真正銘のお姉さんである。
 
(む‥‥‥‥?)
 
 そこでふと気づく。
 
 紅世は、力そのものが入り交じり、五感など存在しない世界。常に意思や概念に影響を与えられて成り立つ。
 
 『この世』とは世界の在り方自体が全く異なるのだ。
 
 その世界で概念が生まれるように生まれ、形無きままにそこに存在した自分。
 
 『紅世の徒』は通常、紅世でしか生まれないから、それは当たり前の事。
 
 しかし、人間は‥‥どこまでも『物理的な』この世界に生きる人間は?
 
「おばさまは子供を、どうやって作ったのですか?」
 
「えっ!?」
 
「なっ!?」
 
「っ!?」
 
 悠二、平井、ベルペオル、皆が皆驚き、仰け反る。
 
「??」
 
 ヘカテーは皆が驚く意味がわからない。
 
 人に子が出来、繁栄していく。当たり前の事。何故こんなに驚くのだろうか?
 
「おばさま一人で作ったのですか?」
 
「いや、それは、父さんと‥‥‥」
 
「何故? 貫太郎はろくに帰って来ないのに、一人で作らないのですか?」
 
「完成はいつ頃‥‥それとももう出来ているのですか?」
 
「かっ、完成って‥‥」
 
 純真無垢なヘカテーはひたすら素直に質問を重ねる。不用意に訊かれる悠二はたまったものではない。
 
「ペルペオルさん!」
 
 平井が思わず保護者代わりの(と認識した)女性に叫び‥‥
 
「う‥‥うぇえーん!!」
 
「ああ! ごめんなさい"ベ"ルペオルさん!」
 
 泣かせる。
 
「ゆかり、子供はどうやって作るのですか?」
 
「えぇっ!?」
 
 いつまでも答えをくれない悠二から平井に標的を変更するヘカテー。
 
「‥‥いや、あの、だから、ね?」
 
 平井も『女の子』である。唐突にそんな事を訊かれても困る。
 
「‥‥‥悠二」
 
 今まで色々な事を嬉しそうに教えてくれた平井までが口籠もった事実に膨れ、再び悠二に話題を振る。
 
「おっ、教えるのは別にいいけど‥‥‥」
 
「いいわけがあるかね!」
 
「絶対に許さん!」
 
「シュドナイ!? どこから生えてきた!?」
 
 泣きべそ状態から復活したベルペオル。そしてどこからともかく現れたシュドナイに全力で否定される。
 
「じゃあどうしろって言うんだよ!?」
 
「悠二から言うのはダメ! エロい!」
 
「もしヘカテーに卑猥な事を少しでも吹き込んだりしたら‥‥」
 
「明日の朝日を拝めると思うなよ!!」
 
「『星黎殿』はいつも夜だろ!」
 
「‥‥何で私だけ、仲間外れに‥‥‥」
 
 自分だけ教えてもらえない淋しさに、ヘカテーは少しだけ涙目になった。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 涙目になって悲しむヘカテーのため、保護者に相当する面々が今ここ、『星黎殿』の司令室である『祠竃閣』に集まっていた。
 
 "軍法会議"レベルだという判断である。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ヘカテーは、遂に理解した。理解してしまった。
 
 ベルペオルが心配するのも、もっともな話。
 
 俯いて、顔を上げられない。
 
 今自分の顔が赤くなっているのか、蒼くなっているのかわからない。
 
 恋人同士、愛の触れ合い。キス、抱擁。
 
 確かに、自分が今まで感じてきた喜びは、大好きな悠二との触れ合いの中で得てきた。
 
 しかし、今回の事は、あまりにヘカテーの想像を飛び抜けていた。
 
 悠二により近く触れ合える方法。
 
 しかし胸中には、戸惑いと、不可解な拒絶反応が溢れる。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ぽふっ
 
 それから一時間余、どういった本能からか、ヘカテーは隣で赤くなっていた平井に抱きついて離れなかった。
 
 ベルペオルも、シュドナイも、フェコルーも、それに何も言わなかった。
 
 それからさらに三十分経ち‥‥
 
「「‥‥‥‥‥‥」」
 
 
 
 ボンッ!
 
 二人共、真っ赤になって気絶した。
 
 
 
 
『節度というものは、理解していような?』
 
「わかってるよ」
 
『お前の事を認めはしても、ほら、あれでウブな子なのでな‥‥』
 
「だから! どれだけ疑り深いんだよ!?」
 
『いや、父としてはやはり節度あるお付き合いをして欲しいからな』
 
「わかってるって言ってるだろ! それ何回目だ!?」
 
「日頃の君の行動が招いた結果だな」
 
「‥‥師匠まで」
 
 
 
 
 それから数日、ヘカテーは愛と幼さの間で葛藤する事になるが、それはまた別の話。
 
 



[7042] 『外れる前の二人(前編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:40b31190
Date: 2009/03/08 13:36
 
「お前と一緒だと高校入った気がしないな。新鮮味が無いっていうか」
 
 その日の朝、中学時代からの親友・池速人との他愛無い会話から始まり、
 
「僕のせいにするなよ。池ならもっと上、狙えたのにさ」
 
「ま、近い方が楽だし」
 
「そんなんでここ選べるんだから、嫌味だよな。こっちはギリギリだったってのに」
 
「とか言って、結局受かるタイプだよね、お前」
 
「うーん、運がいいのかも」
 
「っていうか、要領がいいんだよな。微妙に」
 
「微妙って‥‥」
 
「事実だ」
 
 
 現国の授業中に、少しだけ変化があった。
 
 
 ポトッ
 
(あ‥‥)
 
 ただ、消しゴムを落として、
 
 スッ
 
 それを、拾ってもらっただけだ。
 
 入学から一週間しか経ってないのに、度々宿題の援助を受けさせてもらっている隣席の、少女に(少し情けない自覚はある)。
 
 茶味がかったロングヘアーの左右をヘアゴムでちょんと縛った独特なヘアスタイル。紫がかった瞳。
 
 平井ゆかりである。
 
(ありがと)
 
 授業中ゆえ、小声でお礼を言っておく。
 
 平井も、薄く微笑んで応える。
 
 それにしても‥‥
 
 さっと、教室を見渡す。
 
(‥‥ついてるかもな)
 
 このクラスの女子達のレベルは普通より上に見えた。
 
 男子としては素直に、希望に満ちていると感じる。
 
「坂井」
 
「え?」
 
 ぼんやりとそんな事を考えているのが伝わったのか、教師に呼ばれる。
 
「何ぼーっとしてるんだ。次、読んでみろ」
 
「え、えっと‥‥」
 
 まずい。聞いてなかった。
 
(えっと、さっきは16ページの‥‥‥?)
 
 必死に自分が読む場所を探すが、よくわからない(聞いてなかったのだから当たり前と言える)。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
(ん?)
 
 ふと気づけば、隣の平井が、ノートをちぎった切れ端をこっちに向けている。
 
『17ページ3行目』
 
 助かった。ありがたい。
 
「『お父様が東京からお帰りになった。僕は学院所の後に出来た学校に通う事になり‥‥』」
 
 さすが、入学一週間でクラスの人気者になろうとしている平井である。こういう気配りが出来るのは彼女の長所だろう。
 
 委員長タイプなのかも知れない。
 
 そんな事を考えながら教科書を読み終えると、また平井が紙きれを向けているのに気づく。
 
 もう読む場所はわかってるのだが、一体何‥‥
 
『そこでボケる』
 
 ガタァァン!
 
「さっ、坂井。どうしたいきなりズッこけて?」
 
「‥‥何でもありません」
 
 元凶に目を向ければ、教科書で顔を隠した(つもりらしい)平井が肩をプルプルと震わせている。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 どうやら、本当の彼女は今まで思っていたより大分クセのある性格らしい。
 
 ‥‥認識を改めた方がいいかも知れない。
 
 
 
 
「今日はどうすんの?」
 
「予備校で模擬試験」
 
「うわ、もう大学受験の準備か?」
 
「親の機嫌もとっとかないと、小遣いに影響するからな。じゃな」
 
 
 放課後、そんなこんなで池は早々に予備校に行ってしまった。
 
(‥‥CDのチェックでも、して行こうかな)
 
 帰宅部な自分は基本的には暇人である。
 
 何か部活を頑張ろうとかいう気概は、今のところ無い。
 
 フラフラと駅前に行くとしよう。
 
 
 坂井悠二はなんの気なしに、暇潰しに駅前に向かう。
 
 それが、一つのきっかけとなる。
 
 いや、行かなくても同じだったかも知れないが。
 
 
 
 
「ね、坂井君でしょ? 一美の好きな人」
 
 駅前のCDショップに少女が二人。
 
 平井ゆかりと吉田一美である。
 
「え、何で‥‥‥?」
 
 などと呟く吉田に、平井は僅かに溜め息を吐く。
 
「付き合い長いもん。すぐわかるわよ」
 
 この親友も、この外面(そとづら)を張りつけているのを少し外した方が絶対楽しいと思うのだが。
 
「でも、えっと、その‥‥‥」
 
「いいからいいから、一美が坂井君なら、お互い協力出来るかも知れないし」
 
 小さい頃は地がこんなんだったなぁと思う。
 
 多分、今は『あっち』が地なのだろうが。
 
「‥‥‥‥協力?」
 
 あ、少し片鱗が見えた。馬鹿を見る眼差しでこっちを見てくる。
 
 というか、今は馬鹿を見る眼差しを向けられる場面ではないと思うのだが?
 
「おりょ?」
 
 噂をすればシャドウ。CDショップに入ってきた坂井悠二。
 
「ほらほら♪」
 
 肘で吉田をつつきまわす。
 
「あっ!」
 
 悠二が入ってきた自動ドアとは反対側から逃げ出した。
 
(あれじゃ、協力なんて無理ね。自分で頑張るしかないか)
 
 まあ、あれも一つの処世術なのかも知れないけど。
 
「ふぅ‥‥よし!」
 
 何となく、右拳を上げてガッツポーズをとってみる。
 
 振り返れば‥‥
 
「あ!」
 
 噂の坂井悠二。
 
「‥ども」
 
 今のを見られていたのか。何か、恥ずかしい。
 
 
 平井には聞こえていなかったが、吉田は去り際、小声で‥‥
 
「‥‥阿呆」
 
 と呟いていた。
 
 
 
 
「坂井君、こっちの方なんだ?」
 
「いや、ここにはCD見に来ただけ。家は小川町」
 
「ホント? 私、相沢町だよ。新御崎通り入ってすぐ」
 
「じゃあ、近いね」
 
 
 CDを見に来た悠二と吉田に逃げられた平井、何となくそのまま二人でCDを見て回っている。
 
「そういえば現国の時、ありがとう」
 
 結局恥をかいたのだが、一応お礼を言っておく。
 
「ああ、私も時々やるから。そん時はよろしく♪」
 
「はは、わかった」
 
 何か、いつも笑ってるなこの娘。こんな性格なら人生楽しいだろうな、とふと思う。
 
「それにしても‥‥」
 
「?」
 
 何か、笑顔の種類が変わった気がする。
 
「まさかあそこでホントにボケてくれるとは思わなかったけどね♪」
 
「‥‥別にボケたわけじゃないんだけど」
 
 そうだった。単に明るい娘だと思ってはいけない。一筋縄ではいかないと見た方がいい。
 
「そういえば、さ」
 
「ん?」
 
「今日は池君は一緒じゃなかったの?」
 
「ああ、あいつ今日は予備校だから。何で?」
 
「ううん。いつも一緒にいるから‥‥」
 
「? 別にいつもってわけじゃないけど‥‥」
 
 何か、少し様子が変な気がする。
 
「それで、さ‥‥」
 
 言うなれば、『らしくない』といったところだろうか。
 
「池君って、彼女いないのかなあとかちょっと思って‥‥」
 
「? 別にいないと‥‥‥‥」
 
 池に、彼女‥‥?
 
「えぇえ!?」
 
「そんなオーバーなリアクションとるトコでもないでしょ!」
 
 
 それが、坂井悠二と平井ゆかりが『親友』となるきっかけだった。
 
 
 
 
「もっとこう直に使えるネタは? 思春期の少年らしく『好きな女の子のタイプ』とか話さないの?」
 
「うーん、あんまり、そういう話はしない、かなぁ」
 
 そのまま二人で駅ビルにも寄った後、家が同じ方角なため、一緒に帰っている。
 
 話の流れで悠二が平井の『池速人攻略作戦』の参謀になってしまっている。
 
 悠二としては、面白そうなような、親友に先を越されて残念なような微妙な心境ではあるのだが、まあこの平井ゆかりの手伝いというならやってもいいような気にもなっている。
 
 
「嘘だぁ、今時好きな人の話一切しないとか中学生でも無いって!」
 
「‥‥それ、よく言われる」
 
 まあ、確かめた事は無いが、多分池もそういう経験はないんだろうと思う。
 
「ま、いいや。次、趣味とかは?」
 
 そのままズルズルと池の情報を流していく。
 
 成績優秀、公正明大、誰からも信頼され、どんな事態にもさらりと解決案を示す皆のヒーロー、メガネマン。嫌味なまでにイイ男。
 
 事実とはいえ、何故に自分の口からこんな劣等感を抱かされるような事をペラペラと言わされなければならないのか。
 
 
「じゃあ、僕の家ここだから」
 
 寄り道の関係で自分の方が早く家に着く。
 
「んむ、明日から頼むぜ相棒♪」
 
「相棒はともかく、手伝いはするよ。約束だし」
 
「よしゃ! じゃー‥‥」
 
 「じゃーね」、と言おうとした平井。
 
 道の角から飛び出してくる、見覚えのある姿を見つける。
 
 茶色い、小さな豆芝の犬。
 
 吉田・ドルゴルスレン・ダグワドルジである。
 
 つまり、今から来るのは‥‥
 
「ふん!」
 
「ぐえっ!?」
 
 悠二ごと、坂井家の庭先に飛び込む。
 
 抱きついて、とかならあるいは幸運とも言えるかも知れないが、平井がしたのは惚れ惚れするほど見事なラリアットである。
 
「いきなり何するんだよ!?」
 
「キマった‥‥‥‥シッ!」
 
 悠二の口を塞ぎ、石になる(比喩だ)。
 
「エカテリーナ! あんまり急がないで!」
 
「「‥‥‥‥‥」」
 
 行ったか。
 
「‥‥で、何でこんな事を?」
 
「‥‥いや、条件反射で」
 
 こんな場面を見られたら誤解されてしまうかも知れない。が、『吉田の事』を勝手にバラしてしまうわけにもいかないから適当に誤魔化すしかない。
 
「いきなりラリアットキメといて『条件反射』で済ませるつもりか!?」
 
「いや〜我ながら見事な手応えでございました♪」
 
「『ございました♪」じゃない!」
 
「か弱い乙女のラリアットくらいでギャーギャー言わないの!」
 
「何がか弱いだ! 喉潰れるかと思ったぞ!」
 
「何やってるの、悠ちゃん?」
 
「「?」」
 
 言い争う二人の頭上。
 
 おっとりした若々しい女性、悠二の母たる坂井千草が、窓から不思議そうに見下ろしていた。
 
 
「お母さん若いね。“悠ちゃん”?」
 
「‥‥その呼び方はやめてくれ」
 
 
 
 
 いつの間にか、平井に対する悠二の言葉遣いは、普段、彼が女子に対して使うものよりずっと、“遠慮”の無いものになっていた。
 
 
 
 
 続劇。
 
 
 
 



[7042] 『外れる前の二人(中編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:40b31190
Date: 2009/03/09 19:48
 
「WOW、ヘルシー♪」
 
「‥‥何でこうなってんるんだ?」
 
「さあ?」
 
 庭先で言い争いをしていた悠二と平井。
 
 何故か坂井家の食卓に二人で着いていた。
 
 平井を見つけ、玄関先に駆け付けた母・千草。柔和な容貌による異様な押しの強さで平井を家の中に連れ込んだのだ。
 
 もっとも、何やら控えめに騒いでいたのは悠二のみで、腹ペコの平井はわりとノリノリではあったのだが。
 
「悠ちゃんが家にガールフレンドを連れてくるなんて初めてだわ」
 
 などと満面の笑みを浮かべた千草は今、台所でこれでもかとばかりにご馳走を作っている。
 
 すでに目の前にサラダと汁物を除いて二品も出ているのにまだ作っているらしい。
 
「平井さん、いいの? 親とか」
 
「ん〜? 大丈夫大丈夫。確か今日遅くなるとか言ってたから」
 
「確かって‥‥アバウトだなあ」
 
 妙な誤解をされてまいっている悠二とは対照的に、平井は呑気なものだ。香ばしい香りに「ヘルシー」とか言いながらつまみ食いしそうな目でエンドウの湯葉巻き揚げを見ている。
 
 どこか突飛な性格の平井だが、非常識な人間ではない。もちろん人様の家の夕食に呼ばれてつまみ食いなどするわけもない。
 
 そんな平井の目の前で、悠二はわざとらしい仕草で意地悪にも好物のぶり大根の煮付けをつまみ食いする。
 
「ちょっと悠ちゃん。これ運んでくれない?」
 
「あ〜、はいはい」
 
 呼ばれ、奥に向かった悠二がまた騒ぐ。
 
「こ、この上オムライスまで!? 作りすぎだろ!」
 
「いいじゃない。秘密の隠し味が入ってておいしいわよ。それに平井さんには家の、いい印象を持ってもわらないと困るでしょ?」
 
「何に困るんだよ!」
 
「またまた〜、ふふ、貫太郎さんとの事を思い出すわ〜」
 
「‥‥はぁ、その惚気話はもういいから」
 
 
 などと騒ぎながら、二人がまた暖簾越しに食卓に現れる。
 
 坂井家のローカルルールにより、オムライスは大きな一つの物を皆(と言っても普段は二人だが)で切り分ける方式を採っている。
 
 三人分の大きなオムライスを皿を持ってきた。
 
 千草が、人の良さそうな、というより、人がいいとしか言えない笑顔で平井に促す。
 
「さあ召し上がれ、遠慮しないで食べていってね。デザートもあるから」
 
「はい!」
 
 そんな千草に応える平井の笑顔は、また悠二が今まで見た笑顔とは少し違っていた。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 今日は今まで知らなかった平井の顔をたくさん見る日だな。と、なんの気なしに思った。
 
 なんの気なしに、そう、なんの気なしに思った。
 
 
 
 
 夕食後、悠二そっちのけで平井と千草がおしゃべりに興じ、平井が『池の事』をあっさり白状して誤解は解けた、が、千草はやけに残念がっていた。
 
 まあ、『悠ちゃんのガールフレンド』ではなかったとしても、平井と千草はすでに仲良しになっていた。
 
 元々やたらと人当たりの良い二人だ。これは必然だらう。
 
 とはいえ、時間帯は夕食後である。そんな他愛無い会話をしているうちにすぐ暗くなる。
 
「悠ちゃん。ゆかりちゃんを送って行ってあげなさい」
 
 との命令を受けた悠二と平井。二人で暗い夜道を歩いていた。
 
「いや〜ごめんね。迷惑かけちゃって♪」
 
「別にいいよ。ついでにコンビニでも寄ってくから」
 
 『池の事』を聞いた千草は、『悠ちゃんのガールフレンド』ではなかった事を嘆いた後、平井と一緒に甲斐性無しの息子の事を好き放題言っていたのだ。
 
 勝手に勘違いされて勝手に失望され、こき下ろされた悠二、軽くへこんでいる。
 
「まあまあ、坂井君にもすぐに春が来るって! 案外近くに転がってるかも知んないよ!」
 
「‥‥別にそんなの、焦って探すようなもんでもないだろ?」
 
 いじけて応える悠二。『相棒の少年』の意外に可愛い部分を発見し、平井は少し目を細める。
 
「よしよし」
 
「なっ!?」
 
 まるで子供にするように頭を撫でる平井に、たまらず悠二は飛び退く。
 
「何するんだよ!」
 
「おやおや、お姉さんが傷ついた少年の心を癒してあげようってのに♪」
 
「‥‥何が"お姉さん"だ。大体傷ついてなんかないよ」
 
 平井が悠二の頭を撫で、悠二がそれを払いのけ、再び平井が頭を撫でる。
 
 傍目にはしつこい行為を繰り返しながら、二人は夜の御崎市を行く。
 
 
 
 
「お弁当? 坂井君もベタだねえ」
 
「いいんだよ。ベタでもなんでも好意が伝われば」
 
「うーん。じゃあ明日からお弁当作って来ようかな♪」
 
「とりあえず、昼御飯を一緒に食べるようにするだけで大分違うと思うんだけど。その辺は僕がいれば簡単だと思うし、あいつ昼は買い弁だし」
 
「んむ! では今日の昼から一緒に食べるように取り計らってくれたまえ」
 
「え! 今日から!?」
 
 「よろしく〜♪」と去って行く平井。
 
 最近恒例の池攻略会議、次は体育だから平井は去ったわけだ(当たり前だが、男女で着替え場所が違う)。
 
(今日から、かぁ‥‥)
 
 平井がいつもの押しの強さを発揮してくれれば自分は「いいじゃないか。一緒に食べようよ」とか言うだけで解決しそうだから楽だな、などと考えている悠二。
 
「おい、坂井‥‥!」
 
「?」
 
 無意味に声を潜めているくせに妙にテンションの高い呼び掛けが掛かる。
 
 賑やかなのが好きな(美)少年・佐藤啓作。体育会系の大柄な少年・田中栄太。そして目下悠二達の標的となっている我らがヒーロー、メガネマン・池速人。
 
 クラスの中でも取り分け仲の良い三人である。
 
 ちなみに、仲良くなったきっかけは悠二と佐藤の頭文字が『さ』で、出席番号が並び、入学早々に話す機会があったためだ。
 
「何やってるんだ? まだ着替えてないみたいだけど‥‥」
 
「そんな事はいいんだよ」
 
 何やら一番テンションの高い佐藤が悠二の素朴な疑問を切って捨てる。
 
「見上げた勇気だな。先輩が二、三人、もう平井さん相手に撃沈してるってのに」
 
「っていうか、お前達ってそんなに仲良かったっけ?」
 
 池と田中が佐藤に続いて質問攻めにする。
 
 悠二としては何がなんだかわからないままに対応するしかない。
 
「仲良いっていうか‥‥って、平井さんってそんなにモテるんだ?」
 
「‥‥知らないのお前くらいだと思うぞ」
 
 と、佐藤。実際には佐藤が普通より事情通で、平井があまり隠さない性格なだけで、悠二が特別どうこうというわけでもない。
 
 しかし、『平井がモテる』事に頓着した悠二の質問は、三人の食いつく要素になる。メガネを煌めかせ、池が追及する。
 
「やっぱりやましいところがあるな?」
 
「坂井。お前がそんなに手の早い男だとは思わなかった。抜け駆けは許さん、許さんぞ〜」
 
 何やら田中が青筋を立てて的外れな事を言ってくる。
 
 何の抜け駆けなのか知らないが、悠二としては田中の言葉より(何も知らないだろうから仕方ないのだが)"当事者"である池の呑気な発言の方が頭にくる。
 
 自分が何のために奮戦していると思っているのか。
 
 だが無論、『本当の事』を自分の口から言うわけにもいかない。
 
「あのな‥‥」
 
 無意味に血圧を上がらせるだけに止まる。
 
「ああいう娘に手を出せる神経を見込んで話がある。是非女子とも渡りをつけてくれ」
 
 真顔で図々しい懇願をしてくる佐藤はスルーし、
 
「このムッツリが! おとなしい顔して、一体どんな手管を使った!! 教えデッ!?」
 
 詰め寄る田中は、とりあえず殴っておいた。
 
 
 
 
「池君が?」
 
「そ♪」
 
 女子な体育のバスケットボール。平井と吉田のチームは休憩なので、平井と吉田の二人は珍しくコソコソと話していた。
 
「だ・か・ら、一美と協力出来るかもって言ったじゃん♪ 一美、逃げちゃったけど」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 吉田はしばし黙り、
 
「間抜け」
 
「え゛‥‥‥」
 
 わりとはっきり悪口を言った。
 
 
 
 
 悠二の予測通り、平井の押しの強さと悠二の賛同といういかにもあっさりしたやり取りの末、これもあっさり、悠二、池、平井、吉田での昼食が決定された。
 
 いつも他人の補佐に回る池を悠二が補佐するという妙な立ち位置。平井は元々誰にでも気兼ね無く話し掛けられるので、会話もそれなりにスムーズに進んだ。
 
 吉田は普段からあまり男子と話をするタイプではない。今回も基本的に黙っていた。
 
 ただ一つ妙だった事を挙げれば、吉田が平井にも話し掛けず、平井をじっと観察するように見ていた事だ。
 
 
 
 
「どうだった? 手応えあり?」
 
「ん〜、まずまずの好感触、けどまだ決め手に欠けるかな」
 
「‥‥あいつ、思いっきりテンパってたような気がするけで!?」
 
「人のやる気に水差さない!!」
 
 家の方角の関係上、悠二と平井は池と別れて帰って行く。
 
 
(‥‥何なんだろうな)
 
 そんな二人を見送る池、平井と悠二の仲を邪推していたはずなのに、昼のあの態度は一体?
 
 そして今度はまた二人仲良く帰って行く。
 
 はっきり言って、全く意味がわからない。
 
(ま、いいけどね)
 
 『自分が平井に好かれている』という事は、想像出来ない以上に現実味が無い。
 
 失礼な言い方をするなら、タチの悪い冗談のような感じだ。
 
 そう判断して予備校に向かおうとしていた池に声が掛けられ、振り返った先‥‥‥
 
「おい」
 
 知り合いの少女によく似た少女、或いはその逆の存在が、
 
 腕を組み、仁王立ちで立っていた。
 
 
 
 
 続劇
 
 
 



[7042] 『外れる前の二人(後編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:9f88a70c
Date: 2009/03/11 18:51
 
 エアホッケーにて、
 
「とりゃあ!」
 
 完勝。
 
 ガンシューティングにて、
 
「キャッホー!」
 
 完勝。
 
 レーシングゲームにて、
 
「U字(悠二)カーブ!」
 
 完勝。
 
 ダンスゲームにて、
 
「ワン、ツー、スリー!」
 
 完勝。
 
 対戦格闘ゲームにて、
 
「超・龍・拳!」
 
 完勝。
 
 パンチングマシーンにて、
 
「コークスクリュー正拳突き!」
 
 完勝。
 
 UFOキャッチャーに‥‥‥ん?
 
 ゲームセンターの外、ガラス戸の方から、本作戦の発案者が指をちょいちょいと動かして自分を呼んでいる。
 
「あ、池君、ちょっと待っててね!」
 
 
 そう、今は平井、悠二連合による池速人攻略作戦開始から数日経った日曜日。
 
 あれから毎日一緒に昼食をとり、池の昼食は平井の作ったお弁当。いい加減池も意識しているはずのこのタイミングで池と平井は二人でゲームセンターにいたりする。
 
 平たく言うとデートなのであるが、遠巻きに様子を窺っている者もいたりする。
 
 『二人』とは言えないかも知れない。
 
「何?」
 
「『何?』、じゃなくてね‥‥‥」
 
「普通は逆だと思うんだけどなあ‥‥」
 
「憐れだ‥‥‥」
 
 悠二、田中、佐藤の見守り組(野次馬)、それぞれのリアクションである。
 
 平井と池の事は、堂々と教室でお弁当を渡しているのだから佐藤達どころかクラス全員が知っている。
 
 ちなみに、この場に同行している吉田、男子だらけのこの環境で発言し辛いのか黙って池とゆかりを交互に見ている。
 
「? 逆って何が?」
 
「「「あれ」」」
 
 言われ、ゲームセンターの中に目を向ければ、たかがゲームとはいえ自尊心を打ち砕かれた少年の図が見える。
 
 あれ?
 
「普通は女の子が遊びに夢中になってコテンパンになんてしないもんだけどなあ」
 
「平井ちゃん、強えなあ」
 
「‥‥プリクラとかにしたら?」
 
 佐藤が呆れ、田中が無意味に頷き、悠二が溜め息を吐きながら代案を提示する。
 
「わ、わかってるってば! ちょっと羽目外しすぎただけ!」
 
 微妙にばつが悪そうに『協力者達』に言って、平井はゲームセンターに戻って行く。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ただ、誰も気づいていないが、吉田だけが、池に鋭い眼差しを向けていた。
 
 
 
 
 それからしばらく、平井と悠二で作戦を立て、それを池相手に実践するという忙しない日々が続く。
 
 ある日、平井はいつものように帰宅し、いつものようにドアの鍵を開け、自宅に入った。
 
 「ただいま」は、言わなかった。
 
 
 
 
「‥‥いくらなんでも、焦りすぎじゃないか?」
 
 予備校などでそこまで暇ではない池の空き時間を狙い、確かにかなり積極的に事を進めてきたつもりだが、まだ作戦開始から二週間そこそこ、色々と早すぎる気がしてならない。
 
「‥‥うん、わかってるんだけどね。でも、多分今ダメなら先伸ばしにしてもダメな気がするから‥‥」
 
 あるいは、平井らしい思い切りの良さとも言えるのかも知れない。
 
「明日‥‥告白する」
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 池は、平井に呼び出されて校舎裏に行った。
 
 高校に入って、初めて出来た女友達(いや、中学時代も"友達"と呼べるほど親しい女子はいなかったか)。
 
 その関係が、親友・池速人との仲を取り持つという形とは、何となく自分らしい気もする。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 どうなったのだろうか?
 
 空回りした事もあったが、一生懸命に池に接してきた平井の好意は、池にも伝わっているはずだ。
 
 きっと、上手くいくはずだ。
 
 公園のベンチに座りながら、坂井悠二は"二人の"親友の成り行きについて思いを馳せる。
 
 もう自分が平井にしてやれる事は何も無い。
 
 あとは、池次第だ。
 
 
(‥‥断るわけないか)
 
 冷静に考えて、こんな時期に池に別の好きな人が出来たとも思えないし、平井で不服、などという事はまず無いだろう。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 入学早々、随分と賑やかだった。これからは、池と平井が付き合いだして、前以上に平凡な日常になるのだろうか。
 
 騒がしい日々だったが、やはり、自分は楽しかったのだと、なんの気なしにそう思った。
 
「「‥‥はぁ」」
 
(‥‥‥‥‥‥‥え?)
 
 溜め息‥‥二つ?
 
「うぇええ!?」
 
 考え事に耽っていたために気づけなかったのか、いつの間にか隣に少女が一人、座っていた。
 
 平井である。ただ‥‥‥‥
 
(‥‥一、人?)
 
 普通、告白して受け入れられれば、家の方角が違っていても二人で帰る。いや、池なら付き合う事になった女の子を送るはずである。
 
 その平井が、一人でここにいるという事は‥‥
 
「‥‥‥私ね」
 
 まさか‥‥
 
「フラれちゃった‥‥」
 
「!!」
 
 僅かに陰った、それでも笑顔で、平井はそう言う。
 
「な、何‥‥‥!」
 
 『何で』と言おうとして、慌てて言葉を切る。
 
 訊いていいような事ではない。
 
 しかし‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 何を言えば良いのかわからない。
 
 予想外の事態、という事もあるし、何よりこんな状況に、生まれてこのかた遭遇した事が無い。
 
 何と声を掛ければ良いのだろう
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 二人、黙ったまま、時間だけが、妙に早く過ぎていく。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 日の落ちる御崎市を、一人のメガネが歩く。
 
『好きです。付き合ってください』
 
 実にストレートな告白。全く彼女らしい。
 
 平井ゆかりは‥‥魅力的だ。"あの事"が無ければ、あるいは雰囲気に呑まれて、首を縦に振っていたのかも知れない。
 
 そう、平井が初めて池にアプローチを掛けてきた日の放課後の事である。
 
『あいつの事、"ちゃんと見ろ"よ?』
 
 クラスメイトの少女の、胸倉を掴み、常には考えられない威圧の込められた、真意のわからない一言だけの、警告。
 
 ただ、"あいつ"が、平井ゆかりを指しているという事だけはすぐに理解出来た。
 
 もちろん、ただ視覚的に"視ろ"と言われたわけではない。と、即座に理解出来るのが彼の彼たる所以だった。
 
 言われた通り、自分に少し不自然なアプローチを掛けてくる平井を、"ちゃんと見た"。
 
 見ながら、その様子を、真意を、よく考える事にした。
 
 そうして考えを整理していくうちに行われた、平井ゆかりの告白。
 
 自分に"恋心を告白する"平井を見て、それまでに感じてきた違和感が、確信的なものへと変わった。
 
『‥‥平井さんは、僕を見てるわけじゃない』
 
 そう、はっきりと断言する事が出来た。
 
『それに‥‥』
 
 同時にもう一つ、正確に見えたものがあった。
 
 "平井がそうである"という事実。それが、『彼女』の行動を裏付ける。
 
『あいつの事、"ちゃんと見ろ"よ?』
 
 親友のために、親友が『錯覚』によって傷つかないために、普段とは別人のような強さで自分に立ちふさがる吉田一美。
 
 鮮烈な記憶となって、脳裏に駆け巡り‥‥
 
『僕は‥‥吉田さんが好きなんだ』
 
 気づけば、言葉として発せられていた。
 
 だが、いや、だからこそ、その想いを確と自覚する事が出来た。
 
『僕は、吉田さんが好きなんだ』
 
 棒立ちのままの平井に、もう一度、はっきりと告げる。
 
 永遠とも思える数秒を経て‥‥
 
『‥‥そっか』
 
 平井は、不明瞭な笑顔を作り、
 
『今まで、ごめんね。まとわりついちゃって』
 
 軽く謝り、
 
『バイバイ‥‥』
 
 背を向けて、走り去った。
 
 自分は、その背中に何の言葉も向ける事は出来なかった。
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 胸が痛まないわけではない。
 
 自分はあの時、平井の想いを拒むだけに止まらず、平井の想いを『全否定』したのだから。
 
 しかし、あの時のあの言葉は、心底からの自分の本音だった。
 
 それに、平井の目は、どう見てもこちらを向いているとは思えなかった。
 
 あれで、良かったのだ。
 
 
(‥‥吉田さん)
 
 自分は、『自分の想い』を、どうするのだろうか?
 
 
 
 
『あー、思い出したら腹立ってきた! 坂井君、今日はとことん付き合ってもらうからね!』
 
 長い沈黙を打ち破る平井の雄叫び。
 
 そしてコンビニを経て(どんなずるい手を使ったのやら)、平井ゆかりの家へと舞台は移行する。
 
 "平井ゆかりは一人暮らし"である。
 
 
「なーにが! 『平井さんは、僕を見てるわけじゃない』よ! 勝手に決めつけるにゃーー!!」
 
 空き缶(チューハイ)が幾つも床に転がったリビングで、平井ゆかりは酔いに酔って騒ぐ。
 
 すでに夜遅く、悠二がいる事はある意味非常識だと言えるが、悠二は今の平井を放って帰るという選択肢を持っていない。
 
「ひゃかい君! さあ飲めほら飲め! 失恋祝いだコンニャロー!!」
 
「飲んでるよ」
 
 大笑いしながら、怒ってるのか笑ってるのかわからないテンションで騒ぐ平井。
 
 悠二はずっと、そんな、内心の読めない少女を宥め続けている。
 
「一番! 平井ゆかり、歌います!」
 
 強がりなのか、本当に強いのか、わからない。
 
 そんな事もわからない自分が、やけ酒に付き合う、こんな事しか出来ない自分が、ひどく無力に思えた。
 
 
 また時は過ぎ、わけのわからない事を口走りながら悠二を、襟首を掴んでブンブンと揺らしていた平井は‥‥
 
「はぅ‥‥‥」
 
「‥‥平井さん?」
 
 コテッと、悠二の胸に頭を預けて‥‥
 
「スー‥‥スー‥‥」
 
 寝息を立て始める。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 アルコールのせいか、顔を上気させ、瞳を潤ませていた目の前の平井にどぎまぎしていた悠二は、そこで少し、優しい気持ちになる。
 
「よっ‥‥と」
 
 自分も酔っているのだろうか? という『錯覚』を抱きながら、平井を楽な体勢にしてやる。
 
 自分にもたれているところは変わらない。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 酔ってはいなくても、こんな時間だし、悠二も今日は疲れていた。猛烈な眠気が、今になって襲ってくる。
 
(‥‥いい匂いがする)
 
 自分にもたれている、平井の髪から。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 この少女は、親友だ。
 
 ‥‥自分が、異性に好かれる事などない。
 
 そんな気がする。
 
 
 平井の想いが池に断ち切られたと知った時に感じた、『安堵』。
 
 それもきっと‥‥錯覚。
 
 親友の失恋に安堵するほど、自分はひどいやつではないと信じたい。
 
「‥‥かい、くん」
 
 自分にもたれる平井の寝言を聞きながら、そのぬくもりを感じながら、悠二の意識も、夢の中へと誘われていく。
 
 
 
 
 当然のように、学校を二人揃って欠席する羽目になった悠二と平井。
 
 池との気まずさもあり、それ以来昼食を一緒に食べる事も無くなったが、一週間後には悠二と平井はまた一緒に昼を食べる事となる。
 
 
 
 
 その週末、坂井悠二の世界は外れ、燃え上がる。
 
 
 一人の、水色の少女との出会いによって。
 
 
 



[7042] 『外れなかった二人』
Name: 水虫◆70917372 ID:40b31190
Date: 2009/03/12 17:54
 
「おっはよ!」
 
「おはよう。朝なのにテンション高いな」
 
「へへ〜、私はたま〜に早起きするのだよ。理由は秘密♪」
 
 
 秘密、と言いながら微妙に言いたそうな雰囲気を感じさせる平井ゆかり。
 
 彼女は朝に弱いから眠そうにしている事も多いのだが、元来の性格ゆえに人に会う頃には大体いつものテンションになっているのだが、今日は理由持ちらしい。
 
「まあ、秘密って言うなら深くは訊かないけど」
 
「むぅ‥‥‥そこでそんなにあっさり退かれるのもつまんない‥‥」
 
 "予想通りに"不満そうな反応を示す平井をさらりと無視する意地悪な悠二、ふと、遠くに咲く花を見る。
 
 去年同様、遅く咲いた桜である。
 
 
 平井が池にフラれてから一年、彼らは二年生になっていた。
 
 
 
 
「よう」
 
「うっす」
 
 教室で、佐藤と田中を見つける。
 
「さ〜かい。お前はまた女の子と二人で登校とかふざけた事を〜!」
 
「あのな‥‥。事情は知ってるはずだろ」
 
 クラスは変わらないまま、あれから一年経つ、悠二と平井が『親友』という間柄で成り立っている事は周知の事実である。
 
 最初こそ疑われていたが、『平井の池への告白』+『悠二のサポート』=撃沈。という経緯から、『平井が悠二を好き』という説は覆された。
 
 ちなみに佐藤も田中も、女子と付き合っているという話はない。
 
 まあ、悠二は平井に『ある事』を聞いているから、田中の方には、ポンポンと肩を叩いておく。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 チラチラとこちらを遠巻きに窺う緒方真竹。彼女のさりげないアプローチは鈍感の化身たる田中栄太の前にことごとく崩れ去っていた。
 
 悠二は平井に聞いて、佐藤は独力で『この事実』を知っているがため、こんな話題の時は‥‥
 
「お前らまたか! 何だその目は!?」
 
 田中にとって、悠二と佐藤(状況次第でさらに増える)に、わけもわからずに馬鹿にした目で見られるという不愉快な事態が発生する。
 
「「「はぁ‥‥」」」
 
 悠かりん糖によるトリプル溜め息。
 
 まあ、平井に言わせれば緒方のやり方にも非がないわけではないらしいが。
 
 
「よう」
 
「おはよう」
 
 吉田と池も出てきた。
 
「おはよう」
 
 去年のクリスマス。吉田からの告白を、悠二は断っていた。
 
 それまでの数ヶ月で吉田の気持ちを知ってはいたが、自分が、『吉田と同じ気持ち』を吉田に対して抱いているとはどうしても思えなかったからである。
 
 それからも、友達としての関係が壊れるという事はなかった。
 
 フラれた事を引き摺らない、あまりにさばさばした吉田の性格ゆえに。
 
 むしろ、妙に丁寧な接し方をしていた以前より仲良くなったような気がする。
 
 ちなみに悠二は知らないが、平井がその時に吉田に助力しようとして思い切り断られている事は知らない。
 
 が、知っている者も皆無ではないため、悠二と平井の仲を邪推する者はまた減ったが。
 
 ちなみに、吉田に恋心を抱くメガネマン・池速人はまだ、はっきりとした攻勢には出ていない。
 
 モタモタしている間に吉田が悠二にフラれた事は、彼にとっては複雑な想いを抱かされる思い出である。
 
 
「また田中の事?」
 
「人の事、言えねーだろが」
 
「「?」」
 
 
 無論、"気づく者は気づいてもいた"。
 
 
 
 
 全く、単純な話。
 
 『今までの経緯』など完全に無視、度外視すれば、悠二と平井ほど仲の良い男女はクラス、いや、学年にもいない。
 
 男女としての交際をしている者達よりも、"近しい関係"にあった。
 
 『平井は池を好き』、『吉田は悠二を好き』。
 
 その事が二人の心に『無意味な大前提』を作っていた。
 
 意識せず、認識出来ず、ただ、どんどん距離だけが近くなって、今の二人があった。
 
 
 
 
 また、月日は流れ、二学期になる。
 
 池は吉田に"一度"フラれ、なおも振り向いてもらおうと頑張っている。
 
 以前の気配り人間と同一人物とは思えないほどに情熱的な有り様。
 
 吉田とて、彼を嫌っているというわけではないため、『友達としてのアプローチ』は成り立っていた。
 
 いつか想いが届く事を願わずにはいられない。
 
 
 田中と緒方。
 
 あまりに不憫(情けないともいう)緒方を見かねた友人一同の協力により、今は付き合っている。
 
 結局最後は緒方自身の頑張りだったのだから、そこは評価して然るべきである。
 
 情けないのは、全く緒方の想いに気づかず、結果として周囲の厚意と緒方の頑張りを"受け取っただけ"の田中だろう。
 
 佐藤は到って普通。以前より女子達とは全体的に仲良くなったし、元々がお祭り好きの気の良い男である。
 
 近いうちに素敵な出会いがある事だろう。
 
 
 そして、平井ゆかり。
 
 一年の頃、平井が池にフラれてしばらく経った頃からの事だが、
 
「せっかく部屋にも空きがあるんだし」
 
 と、悠二の母たる坂井千草が、一人暮らしの平井に坂井家への下宿を度々勧めていた。
 
 事ある毎に行われる、言わば習慣化したその申し出を、平井はこの六月に遂に受け入れた。
 
 つまり、今の悠二と平井は同居人という事になる。
 
 二人の距離はもう、"家族"ほどに近い。否、一般的な家族より近いかも知れない。
 
 ただ、もう二人、同じ家で数ヶ月暮らしているのである。
 
 異性として意識せざるを得ない事態は、いくらでもあった。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 池にはとうにフラれ、そこにもはや何の想いも残していない。
 
 いや、最初から、何か違ったのかも知れない。
 
 親友・吉田一美も、坂井悠二にフラれ、"ある意味で"ふっきっている。
 
 『大前提』は無くなり、それに気づくだけでも随分な時を要した。
 
 どんどん、どんどん近くなり、ふとしたきっかけで、ずっと抱き、気づかなかった想いの正体に気づく。
 
 全く単純な事、自分の、胸の動悸。
 
 ただふわふわと形を成さずに、しかし考えられないほどに近く、大きくなった想いが形を成した瞬間‥‥
 
 自分でも信じられないくらい、坂井悠二が好きだった。
 
 
 
 
 また、一ヶ月。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 いつか内緒にして、いつか教えた秘密の場所と眺めを、二人で見つめる。
 
 「寒いから」と言い訳して、少年に体を寄せる。
 
 以前、池に対した時とは全く違う恐さがあった。
 
 全く自分らしくない恐怖から、想いに気づき、切なさに胸を痛めながら、今まで何も出来なかった。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 寄り添い、頭を預けた状態のまま、内心の、大きくなりすぎた想いが砕かれるという恐怖を必死に隠して‥‥
 
「一緒に、いて‥‥」
 
 想いを、紡ぐ。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 しばらく前から様子がおかしかった平井、その答えを、悠二はすでに理解していた。
 
 誰よりも、この少女の事をよく知っているから。
 
 『好きになってもいい』。そう気づき、くだらない盲が晴れた。
 
 平井と同じ、形を成せば、信じられないほどに大きな想いが、そこにあった。
 
「死ぬまで、一緒にいて‥‥‥!」
 
 悠二の、感慨に耽る僅かな沈黙に、平井は悠二が言葉の意味を正確に理解していないという懸念、そして、この『愛』が拒絶されるという凄まじい恐怖に震えて、もう一度、曲解出来ない言葉を紡ぐ。
 
 小さな声でありながら、叫ぶように、懇願するように、勇気を振り絞って。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 そんな平井がたまらなく可愛くて、愛しくて、悠二は何も言わず、
 
 抱き寄せて、口付けた。
 
 強く、強く。
 
 平井は唇を重ねながら、目を大きく開き、溢れだす喜びの涙を、止める事が出来なかった。
 
 
 
 
 御崎高校卒業の翌日、盛大に開かれた純白の宴の中で‥‥‥
 
 彼女は『坂井ゆかり』になった。
 
 
 
 
「はあっ、はあっ、はあっ!」
 
 街の雑踏を、逃げる。
 
 肩がぶつかったとか難癖をつけてくる、やくざみたいな見た目の男から。
 
「きゃあっ!」
 
 つまずき、転ぶ。
 
 恐い。振り返れば、四、五人に増えている。
 
 何で自分がこんな目に遭わなければならないのか。自分が一体何をしたというのか。
 
 あまりに理不尽な運命に、涙が滲む。
 
 捕まったら、一体どうなってしまうのだろう。
 
 想像したくもない。
 
 どうしようもない恐怖だけが積もり、絶望する少女に、男達は易々と追い付き‥‥‥
 
「「ユーカリ・コンビネィション!!」」
 
 蹴り飛ばされた。
 
 若々しい二人組。
 
 得意げにフフンと言っている、特徴的な髪形の女性(少女?)。
 
 「ついノリで言っちゃった」などと言いながら額を押さえている、優しげな容貌の男性。
 
「さっさと逃げて、女の子!」
 
 女性が、見るだけで元気になりそうな明るい笑顔で叫ぶ。
 
 情けない事に、あるいは薄情な事に、自分は自分を助けてくれたこの二人の心配をしながらも、足は逃げをとりつつあった。
 
「早く逃げて。君がいたらやりにくい」
 
 合理的(であろう)事を淡々と、しかし優しく男は告げる。
 
「あ‥‥ありがとうございます!」
 
 この二人なら大丈夫。何故だかそう確信して、大慌てで逃げ去る。
 
 
「何だてめえら!?」
 
「ユーカリ!? コアラか、あん?」
 
「あのガキの兄弟か何かか!?」
 
 一撃で昏倒させられた二人を除く三人が口々に喚く。
 
 対する『若夫婦』は肩の力が抜けている。
 
「別にそういうわけじゃないけど。ねえ、あなた♪」
 
「うん」
 
 
 名を、坂井悠二と、坂井ゆかり。
 
 
「困っている人を助けるのが、僕達の仕事だからね」
 
 
 



[7042] 『何も知らなくても』
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/03/27 20:29
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 今までも、こんな事はあった。
 
(‥‥確か、シャナちゃんも合わせて四人で中国に行ってたんだっけ)
 
 平井がお土産をたくさん配っていた。
 
(でも‥‥)
 
 今、『悠二や平井がいる状況』では、まずありえない事のように思えた。
 
(‥‥何が、あったんだろ)
 
 ヘカテー‥‥近衛史菜が、いなくなった。
 
 誰も、理由を知らない。
 
(‥‥隠されてる、だけかも知れないけど)
 
 前から、時々、疎外感でも嫌悪感でもない不可思議な"距離"を感じる事があった。
 
 何か、言えない事情があるのだろうか。
 
 だが、いなくなった理由が重要なのではない。
 
 いなくなった、それ自体が問題なのだ。
 
 強烈な印象でクラスに飛び込み、皆に好かれるようになった可愛らしい少女の喪失。クラスそのものに、ぽっかり穴が空いてしまったような空虚感を、皆が感じていた。
 
(シャナちゃんも、一美も‥‥‥)
 
 口数が減り、何か考え事をしている事が多くなった。
 
(佐藤も‥‥)
 
 何か、いつも焦っているように落ち着きがない。
 
(坂井君も、ゆかりも‥‥‥‥)
 
 あの少女と、物凄く仲が良かった二人。隠してもわかる、深く‥‥傷ついている。
 
 
 そして‥‥‥
 
(田中‥‥‥)
 
 "目に見える変化"としては、ある意味彼が一番分かりやすかった。
 
 ヘカテーがいなくなった当初、狼狽し、挙動不審になり、まるで何かに怯えるような態度をとっていた。
 
 ある程度日が経てば、悠二や平井よりマシな態度になったが、はじめは田中が一番『不自然』だったのだ。
 
(ミサゴ祭りの後も、あんな感じだったような‥‥‥)
 
 もう何度目か、今の自分を取り巻く状況に想いを馳せる緒方真竹に‥‥
 
「緒方!!」
 
 焦ったような怒声が投げ掛けられ、我にかえる。
 
「っわあ!」
 
 目の前に迫って来ていたバレーボールを慌ててレシーブするが、当然のようにボールは的外れな所に飛んでいってしまった。
 
「何やってんの緒方! 試合明日だよ?」
 
「あ‥‥うん。ゴメン」
 
 緒方はバレー部の部員。そして一年で唯一のレギュラーである。今は大切な時期、そんな事はわかっている。
 
 それでも‥‥‥
 
(こんなの‥‥やだな)
 
 すぐにまた、考えてしまっていた。
 
 
 
 
「どうかしたの? 緒方さん」
 
 ヘカテーがいなくなって二週間経ち、"いつも通り"放課後になれば皆さっさと帰ってしまう中、緒方は一人の少年を呼び止めていた。
 
 池速人。仲の良いグループの一人であり、ヘカテーがいなくなって元気を無くしているうちの一人でもある。
 
 頭脳明晰、成績優秀、気配りが出来、人の気持ちを汲む、皆のヒーロー・メガネマン。
 
 少し前から、吉田一美に対してのみ、『気配り抜きのアプローチ』を心がけている節があるようだが、ヘカテーがいなくなってからはそれもなかった。
 
「池君、あのさ‥‥」
 
 彼に相談しようと思ったのは、立場的に自分に近いような気がしたからだ。
 
 まあ、『何となく』の域は出ないのだが。
 
「最近、皆、変じゃない?」
 
 若干頭がぐちゃぐちゃになったような感覚で口を開いたため、少し変な問いかけになってしまった。
 
「? それは、ヘカテーちゃ‥‥」
 
「ああっ、いや、そうじゃなくて! もっと前からって言うか何て言うか!」
 
 慌てて、さらに不分明な言葉を重ねる自分が激しく情けない。
 
「‥‥ああ、"そっち"か」
 
 しかしながら、そこは池速人である。
 
 緒方の言葉の端々から、言いたい事を推測する。
 
 まあ、これは彼が他者への気配りに長ける、というのみではなく、自分も似たような事をずっと感じていたからだ。
 
「‥‥やっぱり、池君もそんな感じ、してた?」
 
 池の察しの良さに内心で感謝しつつ、訊く。
 
 この質問は、池も"知らない"かどうかの確認という意味合いも大きい。
 
「‥‥まあ、ね。おかしいって言ったら、一学期から何か時々変な態度の時あったし」
 
 返す池の声にも、どこか安心感がある。
 
 全く馬鹿馬鹿しい安堵だとは思うが、秘密にされているのが自分だけではないという事に安堵してしまう。
 
 緒方はようやく、『相談』という形式張った緊張感が解れ、肩の力が抜ける。
 
「そうなんだよねえ。よそよそしい、っていうのとは何か違うんだけど」
 
「話したくない事情なんだろうけど、やっぱり水臭いよね」
 
 半ば愚痴気味に、仲間外れ二人組は呟き合う。
 
 今この時も、自分達は、『ただ元気がない』。
 
 悠二、平井、吉田、佐藤、田中、シャナ。
 
 彼らの悩む姿は、そんな単純なものではないように思えた。
 
 だからこそ、歯痒い。
 
 
「‥‥ヘカテーの事も、やっぱりそれが関係してるのかな‥‥‥」
 
 互いに愚痴り合う中、緒方がふいに、零れるように、一番気になっていた事を呟く。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 それに対して、池は何も応えない。
 
 元々、ヘカテー‥‥近衛史菜も謎の多い少女だ。
 
 出会った当初のごく当たり前の質問も、大抵悠二が誤魔化していたという不自然さ(親戚などと言っていたがまず嘘だろう)。
 
 名前と性格以外ほとんど何もわからず、ヘカテーがいなくなった時に訊いた話によれば、坂井家に居候までしていたらしい。
 
 隠されている事とヘカテー、まず無関係ではないだろう。
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 池は、何も言わない。
 
 緒方もわかっているという事を理解しているから、何も言わない。
 
 ただ、窓の外を眺めて、寂しいと、そう思っていた。
 
 
 
 
 ヘカテーがいなくなって、一ヶ月以上が過ぎ、何も変わらず、『らしくない皆』のまま、日々は流れていたある日。
 
 また突然。何の脈絡も無しに‥‥
 
 坂井悠二と平井ゆかりが、いなくなった。
 
 
(本当に、水臭い‥‥)
 
 あの三人の繋がりが特別だという事くらい。親しい友達である自分達以外でもわかる事だろう。
 
 常識はずれだと思いながらも、二人がいなくなったのは、きっとヘカテーを探しに行ったのだと、奇妙な確信があった。
 
 
 ‥‥また、自分達に何も言わずに。
 
 吉田達も、また様子が変わった。
 
 だが、そこから吉田達には何かを告げたのかを推し量る事は出来なかった。
 
 悠二達が消えた、いや、行動を起こした事自体が関係しているとも取れるからだ。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 何があったのか、全くわからない。
 
 元々、信じられないほどに賑やかだったクラスも、主役のうちの三人がいなくなって、今は本当にどこにでもありそうなクラスに見える。
 
(でも‥‥)
 
 吉田と佐藤は、何か最近忙しそうにしている。
 
 池も、そんな吉田に触発されてか、アプローチを再開した。
 
 田中は、どこか無気力だったのに、最近は必死に何か悩んでいるようだ。
 
 ‥‥シャナだけは、何を考えているかわからない。
 
(これで、良かったような気がする)
 
 もちろん。ヘカテーだけでなく、平井や悠二がいなくなった事は、寂しい。
 
 それでも、この一ヶ月。寂しいだけでなく、どこか『納得いかなかった』感覚は消えた。
 
(やっぱり、あの三人は‥‥)
 
 その理由もわかった。
 
 ヘカテーが"一人で"いなくなった事。悠二や平井がヘカテーのいない環境に身を置いていた事。
 
 あの三人を知る自分にとって、それがあまりに『おかしな姿』だったからだ。
 
 ヘカテーがどんな顔をしていたか、想像も出来ない。
 
 だが、悠二と平井は歩きだした。
 
 吉田や佐藤も、それに触発されるように何かを頑張っている。
 
 
 ‥‥寂しい。もちろん寂しい。
 
 だが、この方が納得出来た。
 
 
(やっぱり、あの三人は一緒でなくちゃね)
 
 
 何も知らなくても、それだけ、思っていれば十分だと思ったから。
 
 
 
 
 それからしばらくの後の、とある場所の、とある少年少女。
 
 
「ジャジャーン♪」
 
「モコモコします」
 
「‥‥僕もこれ着なきゃダメ、なんだよな?」
 
「嫌ならトナカイにする?」
 
「‥‥これでいい」
 
「ああっ! ヘカテーやっぱりメチャクチャ似合う! お持ち帰りにしたい!」
 
 
 ‥‥何かを着ていた。
 
 
 



[7042] 『クリスマスイブ』
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/03/30 19:57
 
 肌を刺すような寒さの中、普通よりさらに寒い『上空』を、『星黎殿』は進む。
 
 時はそう、クリスマスイブ。
 
 
「準備はいい?」
 
 抜き足差し足、やたら寒そうな赤いノースリーブとミニスカート、そして赤い帽子。
 
 トレードマークの触角を帽子の端から覗かせる平井ゆかりである。
 
「はい」
 
 こちらもミニスカートだが、妙に裾や袖口の白いモコモコが顕著な装い、いつもと違う帽子も激しく似合う"頂の座"ヘカテー。
 
「大体知った顔には配り終えたしね。でも‥‥本当に行くの?」
 
 少しばかりの不安をその顔に見せるのは坂井悠二。服の説明は要るまい。
 
 悠二の、もう何度目かという問いに、ヘカテーは力強く頷く。
 
「案ずるな、坂井悠二。何のためにわざわざ私を帯同させていると思っている?」
 
 若干溜め息混じりにそう呟くのは、「寒いから」とやたら厚い防寒着に身を包む悠二の師"螺旋の風琴"リャナンシー。
 
 
 全員、サンタクロースに扮していた。
 
「‥‥よし、わかった。じゃあ師匠をアテにして、行こうか」
 
 平井主催のクリスマスパーティー。盛大に行われていたその会場から、四人はさりげなく抜け出していた(リャナンシーは"連れ出された")。
 
 
 皆がパーティーに酔いしれる中、彼女達は各々の部屋にプレゼントを届ける妖精なのであった。
 
「レッツゴー!」
 
「行きましょう」
 
「やれやれ」
 
 そんなサンタクローズな一行は今、『星黎殿』の端、まさに今から『秘匿の聖室(クリュプタ)』を飛び出さんとしていた。
 
 ヘカテー(平井や悠二も、か)たっての希望もある。プレゼントを届ける相手は『星黎殿』内に止まらないのだ。
 
 通常なら感知不可能な『星黎殿』をほいほい飛び出すなどまず出来ないが、悠二の自在法・『銀時計』があるからわざわざ『星黎殿』の待機ポイントを気にする必要もない。
 
 時は、零時に近い。
 
 四人のサンタが勇ましく歩きだす、その前方に‥‥‥‥
 
 タタッ!
 
 軽快な蹄を鳴らし、ソリを引く四本の足。
 
 雄々しい角と真っ赤なお鼻を持つ『それ』は、サンタクロースの相棒にしてもう一つのトレードマーク。
 
 そう、トナカイである。
 
 そのトナカイが、ニヒルに笑う。
 
「待たせたなげぐっ!?」
 
 蹴られる。
 
「何をする。私は通りすがりのトナカイだぞ」
 
「待ってません」
 
「どこから嗅ぎつけて来た? シュドナイ」
 
「なっ!? この俺の変身を一発で見抜くとは‥‥‥‥」
 
「‥‥旦那。トナカイに化けるのは良いけど、サングラスかけてちゃダメだってば」
 
「し、しまった!」
 
「‥‥無様な」
 
 四者四様に、トナカイに化けた"千変"シュドナイに指摘する。
 
 そう、平井の言うとおり、シュドナイトナカイはトレードマークのサングラスを装備していたのだ。
 
 さて、妙な邪魔も入ったが、気を取り直して‥‥‥‥
 
「メリークリスマス!!」
 
 平井の号令と共に、四人は飛び出す。
 
 トナカイは連れて行ってやらないのだ。
 
 向かう先は彼らの‥‥大切な場所だから。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 いつの間にかいなくなったヘカテー達を探してうろつき、見つからなかったこどまあいいかと思って自室に戻ってきた。
 
 そして、枕元に、可愛らしく包装した箱が置いてあった。
 
 人間達の他愛ない風習と笑い飛ばしていたものだが、このクリスマスという特殊な状況、中身のわからないプレゼント。
 
 こう‥‥なんというか、胸にくるものがある。
 
 間違いなく、あの三人の仕業だろう。
 
 可愛らしい真似をする。
 
(ま、まま、儘ならないねえ‥‥?)
 
 ドキドキどぎまぎしながら、包装を解いて行く。
 
「!!」
 
 中身は‥‥平井やヘカテーが持っていた御崎高校のセーラー服。
 
 そして、ハート形の可愛らしい眼帯。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 いや、嬉しいよ? その気持ちは溢れんばかりに嬉しいよ?
 
 しかしこれは‥‥着なければならないのか? 着る感じになってるのか?
 
 むしろ、着ていいのだろうか?
 
(私はその‥‥ヘカテーやゆかりのような"可愛い系"ではないし‥‥)
 
 着て大丈夫だろうか? 笑われやしないだろうか?
 
 いつの間にやら、着たいという前提の下に考えている。
 
 鏡の前で服や眼帯を自分に合わせながら、"逆理の裁者"ベルペオルは幸せな悩みに苦しむのだった。
 
 
 
 
「ねえ、私の可愛いマリアンヌ?」
 
「はい、フリアグネ様」
 
「これは、何だろうね?」
 
 "狩人"フリアグネがそう言って指すのは、自分達の部屋に置かれていたプレゼント。その包装を解いた中身である。
 
「テディベアかと」
 
「‥‥やれやれ。彼女達が私をどういう目で見ているか、少しわかった気がするよ」
 
「でも‥‥プレゼントされれのは嬉しいですよね?」
 
「いや、悪い気はしないんだけどね?」
 
 
 
 
「こ‥‥これは‥‥」
 
 まさか、まさかプレゼントだろうか?
 
 こんな事をするのは、間違いなく、あの三人。
 
 すなわち、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の『大御巫』と『盟主』の代行者直々の贈り物である。
 
 常日頃苦労している悪魔は、恐る恐る包装を解き、普段彼があまり着る事の少ない青のスーツを手に取る。その下には焦げ茶のネクタイ。
 
 スーツにはわざわざ彼用に背中の翼部分が空いている。
 
 普段苦労が絶えないわりに報われない彼は、感極まって珍しく、部屋で一人、踊った。
 
 やる気倍増だ。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ヘカテー達に置いていかれた『将軍』。
 
 自室の窓際で椅子に腰掛け、いつものようにタバコをくわえている。
 
 しかし、その先端に火は点っていない。もちろん、煙も出ていない。
 
 ふぅ、と文字通りに甘い溜め息をついたシュドナイ。その目線の先には大急ぎで開けた包装用紙が散らばっている。
 
 中身はタバコ、シュドナイが好む銘柄のタバコの箱。
 
 だが、そのタバコの箱の中身にニコチンは含まれていない。
 
『禁煙を約しなさい』
 
 随分前に、というか、自分がこの習慣を持ってからヘカテーに繰り返し言われてきた小言が脳裏をよぎる。
 
「ふぅ、禁煙‥‥か」
 
 ぼんやりと呟く"千変"シュドナイ。
 
 彼に贈られたプレゼントは、甘くておいしい。
 
 
 
 
「むふふ♪ 昔からいっぺんやってみたかったんだよねー!」
 
「私は少し恥ずかしいぞ」
 
「またまた、異性の殻かぶるような人がそんな♪」
 
 
 『転移』で気配を悟られないギリギリまで近づき、そこからタクシーを使って近づいている。
 
 もちろん、悠二とリャナンシーの『気配隠蔽』をそれぞれ二重にかける万全の体制で。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 特にヘカテーにとっては、感慨深いものがあるのかも知れない。
 
「‥‥今日は、まだ気付かれちゃダメだよ?」
 
 それはもちろん悠二も同じ事。
 
 隣に座るヘカテーの頭を撫でながら、自分もこれから向かう先に想いを馳せる。
 
 全部終わるまで、戻るつもりはなかった。
 
 でも、全ての覚悟と決意で旅立ちを終えた悠二と平井とは違い、ヘカテーはただ、逃げ出しただけ。
 
 今では何かを掴めているような感じはするが、やはり今回の申し出を断る気にはなれなかった。
 
 寂しそうに、しかしはっきりとヘカテーは頷く。
 
「大丈夫です」
 
 その後に悠二の手に頬をすり寄せてさらに撫でるように催促してくるのはご愛嬌。
 
 
「‥‥行こうか」
 
 サンタな四人にどぎまぎしていたタクシーの運転手に代金を払い、悠二達は降り立つ。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 悠二も、平井も、ヘカテーも、この眺めを、万感の想いで見つめる。
 
 悠二と平井が生まれ育ち、ヘカテーが半身を見つけ、自分達を形づくる思い出がたくさん詰まった、この街。
 
(‥‥帰って、来たんだ)
 
 過ごした日々が大切だから、目指した。
 
 かけがえのないものだと知っていたから。
 
 だからかも知れない。こんな目的で、この街に来たのも。
 
 "こんな事"のために、自分は‥‥自分達は戦うのだから。
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 傍ら、自分の恋人と、自分とずっと一緒に生きていくと言ってくれた少女に目をやり、もう一度言う。
 
「行こう」
 
「はい」
 
「オッケー!」
 
 
 真っ白な雪に包まれた御崎を、四人は行く。
 
 今まで一緒に遊び、日々を過ごした友達や、共に肩を並べて戦った仲間たちの許へ‥‥。
 
 決して、その姿を見せる事なく。
 
 
(そう、出来るなら‥‥‥‥)
 
 
 
 
 全てが終わるまで、出会う事のないように祈りながら。
 
 
 



[7042] 『血染めの大剣(前編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/04/04 06:34
 
 ドサッ
 
「‥‥‥むぅ」
 
 
 眠気を妨げる鈍痛を感じ、自分がベッドの上から転げ落ちた事を悟る。
 
「う‥‥‥」
 
 眩しい日の光が目に入り、思わず唸る。
 
 ん? 日の光?
 
「‥‥‥また寝坊か」
 
 度々こんな事態に陥っているにも関わらず、なかなか治らない、どころかこういう事態になっても焦らずにのらりくらりしている自分に少し嘆息するが、この性分は治りそうにもない。
 
 街から外れた丘の上、文字通りに"自分で作った"木製の一軒家であるが、冬になったら何かしらまた工夫をしなければ寒そうだな、と思うこの家は、彼の『今の自宅』である。
 
 前の街で知り合いが得意気に話していたから自分も作ってみたのだが、予想以上の出来に自分でも満足している。
 
 ここに居着いてまだ一年。後五年、いや、欲張って七年はここで暮らしたいと思う(幸い、自分の容姿は"そのテの誤魔化し"には向いている)。
 
 まあ、それは良いとして、問題なのはこの家が街から外れている事と、今こんなに日が高い事だろう。
 
 要するに‥‥
 
「‥‥‥遅刻か」
 
 またどやされるな、と思いながらも、やはり焦って支度するような気にはならない。
 
 暖かな陽気に微睡みながら、青年はノロノロと着替え始める。
 
 
 
 
「遅刻」
 
「‥‥すまない」
 
「何度目ですか?」
 
「‥‥忘れた」
 
「やる気は?」
 
「‥‥それなりに」
 
「‥‥そこはきっちり否定して下さいよ」
 
 
 あれから着替え(ただけ)、小走り(あくまでも"小"走りである)で向かった先、下働きで雇ってもらっている酒場である。
 
 この世の歩いてゆけない隣、『紅世』に生きる"紅世の徒"にとっては金を得る手段などその気になればいくらでもある。
 
 まあ、こうやって人間達の穏やかな日常に入り込んで暮らすのはまあ、簡単に言えば趣味のようなものだ。
 
 というか、徒はその気になれば食事も睡眠も必要はない。それらは人間の生態を楽しむ"娯楽"である。が、これをしない徒もほとんどいない。
 
 まあ、その代わり、というわけではないが、彼らがこの世に在るために"喰わなければ"ならないものもあるが。
 
 そして‥‥彼、"血架の雀"ガルザもそんな徒の一人。
 
 
「ああ、またそんな寝癖頭のまま来て! 何度言っても治さないんですね、ガルザさん!」
 
「遅刻したら悪いと思って大急ぎで来たんだ」
 
「嘘ばっかり。遅刻しない時でもぼさぼさ頭で来るくせに!」
 
 と、青年・ガルザの頭に櫛を通しながら小言を重ねる三つ編みの少女は雇い主本人というわけではない。
 
 雇い主たるこの酒場の店主の娘・ソフィアである。
 
「別に俺の髪型なんて誰も見ちゃいないさ。わざわざ気にするのは自意識過剰というものだ」
 
「もう、またそんな事言って。ちゃんとしてたらガルザさん、それなりに見れる顔してるのに‥‥」
 
「"それなり"なら別に構わないだろ」
 
「もう!」
 
 
 世界を旅して回り、気に入った所に居着く。そして、そこで"自分という異質な存在"に皆が異常を覚える前に、また旅立つ。
 
 そんな自分にとって、ここが今の、『自分の当たり前』。
 
 
 
 
 ソフィアはしっかりした娘だった。
 
 明るく笑い、元気よく働き、それでいて注意すべき所は客にしっかり注意する。
 
 こんな寂れた酒場なのにそれなりに盛況なのは彼女のおかげと言っても言い過ぎではないだろう。
 
 ガルザがこの街に流れてすぐの頃に、彼女は働き手を探して"消極的"に歩き回るガルザを拾い、雇った。
 
 それを受け入れ、働く事にしたガルザ。この酒場とそれを取り巻く環境が、今のガルザの全てとなる。
 
 彼の好む、穏やかな日々。
 
 
 
 
「前から思ってたんだが‥‥‥」
 
「口を動かす前に手を動かして下さいよ」
 
「"あれ"は何だ?」
 
 店を閉めた後、店内を掃除しながらガルザは店に飾られている装飾品の一つに目をやる。
 
 台を挟んで店員側になるから客達の手は届かないとはいえ、やはり物騒なように見える。
 
 幅広の刃を持つ、鍔の無い簡素な作りの大剣。
 
 柄の長さからして、どうやら片手持ちらしい。
 
 普通、『大剣』という物は両手で持つ物だが、随分と変わった造りである。
 
 この時代、剣自体はそれほど珍しいわけではないが、こんな酒場にあるのはやはり不似合いだ。
 
 何より、片手持ちの大剣という変わった形態ではあるが、結構良い剣なように見える。
 
「ああ、あれはうちのおじいちゃんの持ち物で、父さんが家宝なんだーって言って飾ってるんですよ」
 
 全然剣なんて扱えないんですけどね。とソフィアはおどけて見せる。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 それでガルザは何となく事情を察する。
 
 ソフィアの祖父は元は傭兵。剣を置いてからこの酒場を立ち上げ、それをソフィアの父が継いだ形であり、ソフィアの祖父はもう死んでいる。
 
 あの大剣は祖父の形見というわけか。
 
 
 疑問は容易く氷解し、ガルザはそこから深くは詮索しない。
 
 
 しばらく沈黙が続くと、ソフィアがまた何か喋りだす。
 
 ここは、今までで一番居心地が良い。
 
 
 
 
 ある日の休日、ガルザは街を出歩く。
 
 何か果物でも買って帰ろうかと考えながら歩く中‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 街中で剣を振り回しながら、周りに何か怒鳴りつけながら歩く男を見つける。
 
 傭兵崩れだろうか、少し酔っ払っているようにも見える。
 
 あまりに迷惑。今も嫌がる一人の少女に何やら下劣な言葉を向けながら馴れ馴れしく肩を掴んでいる。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 男を無視し、助けを求める少女を無視し、ガルザはその脇を通り過ぎる。
 
 正確には、通り過ぎたようにしか見えないだけだ。
 
 過ぎ行く過程で、男は突然燃え上がり、その炎はガルザの口に吸い込まれていく。
 
 それらは一瞬。
 
 その一瞬だけは狂乱に駆られかけた周囲の人間達は、しかし次の瞬間には自分が何故ここまで落ち着かない気分になるのかがわからない。
 
 そう、ガルザに喰われた次の瞬間には、酔っ払っていた迷惑な傭兵崩れの男の存在など、誰も覚えてはいないのだから。
 
 それが、存在を喰われるという事。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 無論、ガルザは正義の味方でもなければ、人間に過度に肩入れしているわけでもない。
 
 ただ、自分がこの穏やかな暮らしを続けるために、自分にとって目障りな存在を喰らう。
 
 その事に、胸を痛める事もない。
 
 ガルザにとって、人間が食べるために家畜を殺す事と、徒が人を喰らう事に、大した差はない。
 
 別にガルザが特別冷酷なわけではない。
 
 この世に在る徒にとって、人間は喰らわねばならない命の薪。
 
 "人間と徒が酷似した存在"である事を度外視する事は彼ら紅世の徒にとっては常識ですらあった。
 
 徒が人間に対して敬意を払い、『人化』が主流になるのは、人間の文明が著しく加速する、数百年も先の話。
 
 
 ただ、自分のために、他を食い物にする。
 
 それだけ。
 
 
(‥‥人間だって、それは同じ事だ)
 
 
 
 
 全く、突然の事だった。
 
 接近にも気づかなかった。おそらく、気配を隠していたんだろう。
 
 いつものように、酒場で下働きをしていた。
 
 ソフィアが客につまみを運び、親方が店主のくせにほろ酔いになり、常連の客達が馬鹿笑いを続けていた。
 
 ガルザにとって、当たり前の光景。もう数年は続くはずの、当たり前の光景。
 
 いきなり、"壊れた"。
 
 見えたのは、白刃、ただそれだけだった。
 
「っ!?」
 
 何を考える暇も無く、上体を屈めてその一撃を躱す。
 
「‥‥‥?」
 
 次の瞬間に、"攻撃された"事、その意味に気づく。
 
「あ‥‥‥‥‥」
 
 そして次の瞬間、見慣れた酒場、今の自分の当たり前が、今の自分の当たり前から吹き出した鮮血に、染まった。
 
 巨大で強力な斬撃が、"店ごと"自分達を襲ったのだと、遅れて気づく。
 
 
(フレイムヘイズか!?)
 
 徒を狩る同胞殺し、討滅の道具が襲って来たのかと考える。
 
 辺りを見渡す中に、倒れる一人の少女が目に止まる。
 
(ソ、フィア‥‥?)
 
 倒れる少女の、荒々しい吐息が聞こえる。
 
 どうやら意識は無いらしい。
 
 だが、それより何より‥‥‥‥
 
(生きてる!)
 
 そう確信したガルザが最初にとった行動は、少女に駆け寄る事ではなく、
 
 店の外に飛び出す事だった。
 
 考えるまでもない。狙いは自分だろう。
 
 あの場にいたら追い打ちを受ける事、それにソフィアが巻き込まれる事はわかりきっていた。
 
 屋根を、店を砕いて空に飛び出したガルザは目にする。
 
 そこにいるはずのその存在は、同胞殺しの道具ではなかった。
 
 二つの戦輪をその両の手に下げる、長い髪の女。
 
 その胸の奥に、フレイムヘイズには無い"灯火"が在った。
 
 
「"ミステス"か!?」
 
 驚愕に目を見開くガルザに、再び白刃が襲いかかった。
 



[7042] 『血染めの大剣(中編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/04/03 21:59
 
 炎が、斬り裂かれる。
 
 白刃が襲って来る。
 
 至近距離で刃を交える。剣技が、そして武器の質が違う。
 
 攻撃が通じない。だが、自分はさして器用ではない。
 
 熱と破壊力に頼る炎使いだ。大抵はこれで押し通せるが、言い方を変えれば‥‥‥
 
 押し通せなかった時、自分にはそれ以外に“引き出し”がないのだ。
 
 そんな当たり前の事に、この時初めて気がついた。
 
 
 今まで、自分の炎が通じない敵に出会った事がなかったから。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥う」
 
 目覚めて、何か、異様に重く感じる体を起こす。
 
(‥‥え?)
 
 自分の部屋‥‥家ではない。
 
 木製の壁、床、天井。
 
 どこだろう? 何故自分は眠っていた?
 
 服は‥‥寝間着ではなく仕事の時の服だ。
 
 わけがわからない。
 
(えっ‥‥と、昨日は久しぶりに常連の皆が揃って飲みに来てて‥‥私はその相手をしてて?)
 
「‥‥起きたか」
 
「!」
 
 聞き慣れた、どこか渇いた声に、混乱から少し引き戻される。
 
「ガルザさん」
 
 と、いう事は‥‥ここは彼の家だろうか?
 
 そういえば招待された事は一度もなかった。
 
 だが、少し様子がおかしい。
 
 いつも妙に無気力な彼が、いつになく真剣、あるいは沈んだような面持ちになっているのが、窓から差し込む月明かりだけでもすぐにわかった。
 
 
「今から、お前に全部話す。昨日あった事、俺が今までお前に隠してきた事‥‥全部」
 
 少女の日常が壊れる。否、すでに壊れていた日常に、気づかされる。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ソフィアを家に残したまま、ガルザはすぐそばの森の中に通る小川に来ていた。
 
 全てを話す必要があったのか。
 
 だが、それでは親方や常連客達が殺され、店が破壊された事について、説明出来ない。
 
 嘘はあまり、得意じゃない。
 
 こんな時、自分の不器用さが心底嫌になる。
 
 それこそ、吐き気がするほどに。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ボロボロに破損した自分の大鎌を見つめる。
 
 結局、炎を目眩まし代わりにして、ソフィアを連れて逃げ出す事が精一杯だった。
 
 相手のミステスはもう相当に力を消耗しているようだったというのに、情けない話だ。
 
「‥‥‥あの目」
 
 『戦闘用のミステス』を作る時、製造主は自在法の制御をミステスに施す。
 
 自分の手駒とするべく生み出したミステスに背かれないために。
 
 だが、時々、この自在法の制御を自力で破るようなミステスもいるらしい。
 
 優秀な戦闘用ミステスを作ろうとする者に常に降り掛かるリスクだ。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 あの目は、フレイムヘイズにも酷似した復讐心に満ちていた。
 
 自分を人外の存在へと変えた『紅世の徒』という存在に対する憎しみ。
 
 ‥‥まだ、『契約者という手綱役』がいるフレイムヘイズの方がマシかも知れない。
 
 ただ、憎しみに任せて暴走するミステス。
 
 昨日、自分を狙って周囲の人間ごと襲ってきたという無茶苦茶なやり方が、奴の自制心の欠如を物語っている。
 
「‥‥‥行くか」
 
 全てを知ったソフィアは、ただ俯いて何も言わなかった。
 
 いや、言えなかったのかも知れない。
 
 そんなソフィアに掛ける言葉を、自分は持たなかった。
 
(良い場所だったんだがな‥‥‥)
 
 すでに壊れた、居心地の良い仮宿。
 
 気配を隠しているとはいえ、またいつ奴に見つかるとも限らない。
 
 これ以上、ここに留まる事は出来ない。
 
 ‥‥ソフィアは、しっかりしている。
 
 きっと、立ち直る。
 
 それに、自分がここにいると彼女を巻き込みかねないし、何より、“徒”だとわかった以上、もう側にはいられないだろう。
 
 だから、せめて‥‥
 
(‥‥墓を、作って行こう)
 
 
 
 
 いない。
 
 家に戻ったら、ソフィアがいなくなっていた。
 
 自分の事が怖くなって逃げ出したのだろうか、とも考えながら、すぐに踵を返して歩きだす。
 
 ソフィアが向かった先に、心当たりはある。
 
 たとえそこにソフィアがいなくても、向かう先とやる事は同じだった。
 
 
 
 
 着けば、心のどこかで考えていたものと全く同じ光景があった。
 
 慣れ親しんだ酒場、すでに瓦礫と化したそこに、ソフィアはしゃがみ込んでいた。
 
 正確には、必死に瓦礫をどかせようと、手に血を滲ませて頑張っていた。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 何を言えばいいか、未だにわからなかった。
 
 いや、掛けて良い言葉など無いのだろう。
 
 自分は人を喰らう紅世の徒。そして、ソフィア達が“こう”なったのは、自分の巻き添えだからだ。
 
 偽善は嫌いだ。
 
 今さら嫌われたくないとも思わない。
 
 だが、最初にあのミステスによってもたらされた『あの惨状』を、ソフィアに見せる気にはならなかった。
 
 女子供が見ていいような状態ではなかった。
 
 無言で、ソフィアの肩に手を掛ける。
 
 場合によっては、気絶させて連れ帰る。
 
 目覚めたら、墓が出来ているようにしておけばいい。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ソフィアは、肩に掛けられた手に何の反応も返さない。
 
 ただ一心不乱に瓦礫を掘り返そうとしている。
 
「‥‥‥‥っ痛!」
 
「!」
 
 突然上げたソフィアの声に、肩を掴んで無理矢理こちらを向かせる。
 
 どうやら、ガラスの破片か何かで手を切ったらしい。
 
 痛々しくスパッと斬られた掌から、派手に血が流れだしている。
 
 傷をよく観察する暇もなく、ソフィアは手を下にまた向ける。
 
 いい加減、ガルザも苛立つ。
 
「ソフィア。いい加減に‥‥‥」
 
 そこまで怒鳴りかけて、気づく。
 
 ソフィアの足下、そこから、何かが垣間見えている。
 
 言葉を切ったガルザに構わず、ソフィアは“それ”を掴み、全体重を後ろに掛けて引っこぬく。
 
 反動で転びそうになるソフィアの背中を、ガルザが咄嗟に支える。
 
 ソフィアが引き抜いた物は、この酒場が酒場らしくあった頃に壁に飾られていた、ソフィアの祖父の形見らしい片手持ちの大剣。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 工夫して両手で持ってはいるが、そもそもがか弱い少女には重すぎる代物だ。持つだけで辛そうである。
 
「‥‥ソフィア」
 
 その、痛々しい姿から、連想するものがあった。
 
(仇討ち、か‥‥)
 
 もちろん。ソフィアには人間と、“外れた存在”との間の絶対的な力の差についても話している。
 
 実際には、強力な宝具を持った人間が『紅世の王』を倒した事例も相当数あるにはあるが、人間が扱える攻撃型の宝具など希少もいいところだし、無論、手元には無い。
 
 たとえあったとしても、そもそもの“身体能力”が桁で違う。
 
 ソフィアも、わかってはいるとは思う。だが、理屈ではないのだろう。
 
「‥‥‥‥ガルザさん」
 
 今まで何をしてもまともな反応を返さなかったソフィアが、ポツリと呟く。
 
「‥‥‥‥悔しい」
 
 大剣をまともに持つ事さえ出来ない自分の非力に、たとえようのない怒りを込めて。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 放っておくという選択肢は、いつの間にか無くなっていた。
 
 仇討ち、そういう事じゃない。
 
 理由は自分でもよくはわからなかった。
 
 だが、それはすぐに“事象”として現れた。
 
 
 ゴクンッ
 
「「?」」
 
 ソフィアも、ガルザも、それが何の音なのかわからなかった。
 
 気づくのに、数秒の時を要した。
 
 ガラスの破片で斬れたソフィアの傷口。
 
 そこから流れ出る血は、大剣に滴り、流れていた。
 
 その血を、大剣が“吸っていた”のだ。
 
「っ!?」
 
 ドスンッ!!
 
 今までも大剣を持つだけで必死だったソフィアが、あまりに不自然な体勢で大剣を取り落とす。
 
 大剣が落ちた音も、見た目以上に大きかった。
 
 ゴクン ゴクン
 
 その間にも、大剣は刀身に滴る血を飲んでいる。
 
「これは‥‥‥」
 
 ガルザにとっても、初めて体験する事象。
 
 人間と徒が、望みを重ねた時に、両界の狭間の物体、『宝具』は生まれる。
 
 ソフィアの望み、それをガルザが望んだ。
 
 それが、ガルザの自覚以上に早く、事象として現れた。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 大剣を拾い上げる。
 
 重い。自分には扱えない重さではないが、元々がこんな重さなわけがない。
 
 やはり、この大剣はもはや『宝具になっている』。
 
 ガルザが握る大剣が、刀身に滴った血の全てを飲み干したと同時‥‥
 
 ボンッ!!
 
 血と同色。ガルザの持つ炎が大剣を包み、一瞬でまた消える。
 
 
 生まれ変わったその刀身には、血色の波紋が輝いていた。
 
 
 
 
 この大剣に、後に名が付けられるようになる。
 
 
 『吸血鬼(ブルートザオガー)』と。
 
 
 
 



[7042] 『血染めの大剣(後編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/04/05 18:57
 
 ザクッ ザクッ
 
 ソフィアは、あの後すぐにへたり込んで眠ってしまった。
 
 それも仕方ない。ただでさえ彼女にとっては無茶苦茶な事が立て続けに起こった。そして何より、出血がひどかった。
 
 街外れのガルザの家に再び連れ帰り、またベッドで休ませている。
 
 その間に‥‥
 
 ザクッ ザクッ
 
 墓を作る。
 
 父親や、親しい常連客達の"こんな姿"をソフィアに見せるわけにはいかないから急ぎだ。
 
 自分でさえ、思わず目を背けたくなる。
 
 が、それももう終わり。
 
「‥‥よし」
 
 あまり上出来とは言えないかも知れない。
 
 だが、無いよりはマシだろう。
 
 横に並んだ、七つの墓。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 本来なら、『これ』が終わった時点で、ここから立ち去るはずだった。
 
 徒にとって、フレイムヘイズとの戦いは避けるべき『災害』、それ以外の何物でもない。
 
 ましてや、今回の相手はミステス。しかも、ミステスとなってから相当の時を経ているのだろう。もう大した存在の力は残っていない。
 
 要するに、放っておいても近いうちに消えてなくなるという事だ。
 
 いつものように、戦わずにさっさと姿を消すべきだ。
 
 だが、
 
『もう! また寝坊ですか!?』
 
『ちゃんとしてたらそれなりに見える顔してるのに』
 
『へ〜、意外に器用なんですね』
 
『ぐぜの‥‥ともがら?』
 
『‥‥悔しい』
 
 
 ‥‥そういうわけにも、いかなくなったから。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 家に戻れば、今度はソフィアはちゃんといた。
 
 正確には、まだ寝ているだけだが。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 そっと、眠る少女の前髪を撫でる。
 
 結局、"人喰いの化け物"である自分に対して、ソフィアがどんな思いを抱いたかに関しては、何一つわかっていない。
 
 ただ、自分の父親を、家を、大切なもの全てを奪ったあのミステスが許せないという気持ちしかわからなかった。
 
 目を覚まし、再び顔を合わせたら、どんな顔をされるかわからない。
 
 だが、それでいい。
 
 それが、当たり前なのだから。
 
「行く、か」
 
 大剣、ソフィアの願いが生み出した大剣を手にする。
 
 『これ』でソフィアの願いを果たす。
 
 そうすれば、自分がここで果たすべき事は終わる。
 
 ‥‥‥‥いや、
 
(花を、持ってこよう)
 
 
 あんな不出来な墓でも、綺麗に彩れるくらいの、たくさんの花を持って、
 
 
 また、ここに来よう。
 
 
 
 
 ドンッ!
 
 思い切り地を蹴り、全速力で飛翔する。
 
 向こうがこっちを探しているのだろうから、こちらが気配を顕にするだけでいい。
 
 あとは、ただ人気の無い所まで"釣れ"ばいい。
 
 自宅とは正反対の村外れは、乾燥帯の荒野だ。
 
 人的被害はもちろん。山火事などの心配も少ないだろう。
 
 もちろん、村外れとはいえ人間がいない保証などないが、そこまで気を払うつもりも、余裕もない。
 
 飛ぶ背に、強い圧迫感と威圧感を感じる。
 
 ちゃんと気づいてくれたらしい。
 
 
(ここらで、いいか)
 
 と考えて振り返る、直後‥‥‥
 
「っ!」
 
 昨日同様、身の丈ほどの戦輪が迫り、躱した拍子に前髪が二、三本宙に舞う。
 
 そのほんの僅かな隙に、追ってきたミステス、長髪の女はもう一つの戦輪を投げ放つ。
 
 そして、先ほど躱した初撃の戦輪が、ブーメランのようにこちらにまた向かってくる。
 
 結果として、前後からの挟み撃ちのような形となる。
 
「ふっ!」
 
 二つの戦輪のぶつかるタイミングをずらすため、敢えて前に出て、前方の戦輪に‥‥‥
 
「っはあ!」
 
 大剣、ソフィアの願いから生まれた力を叩きつける。
 
 ギィイイン!
 
 戦輪の軌道が逸れる。大剣には、傷一つついてはいない。
 
 前に大鎌でぶつかった時にはろくに軌道を逸らす事さえ出来なかった。
 
 まともに戦いもしなかったのに、大鎌はボロボロになった。
 
 今は、違う。
 
「くっ!」
 
 後方からの戦輪を何とか躱す。
 
 パパンッ!
 
 その戦輪、そして、軌道を逸らして飛ばしたはずの戦輪の二本が、ミステスの女の手に受け止められる。
 
 持つ存在の力自体はすでに矮小なものとなっているにも関わらず、目の前の女から感じる『力』は強大だ。
 
「はあああああ!!」
 
 血色の炎を全力で放つ、が、これも"試しに"という以上の意味は無い。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 緩やかな動作で、女は戦輪を一本、放る。
 
 それは次第に凄まじい回転を帯び、さらには炎を吹き出し、巨大な大火輪となって飛んでいく。
 
(思った通り、ダメか!?)
 
 血色の炎を容易く斬り裂き、大火輪が襲い掛かってくる。
 
 以前と同じ、受け止めるわけにはいかないから必死に躱し続ける。
 
「死ね!!」
 
 為す術も無く逃げ回るガルザに、二本目の戦輪が、炎を撒いて襲い掛かる。
 
 そう、わかっていた事。
 
 たとえ強力な剣を手にしても、炎が通じないなら、遠距離で戦っても、最初から勝ち目など無い。
 
「っおおおおお!!」
 
 全身から、血色の炎を吹き出させ、巨大な炎幕が張られる。
 
 死ぬかも知れない。運任せの博打だった。
 
 炎幕を、二つの大火輪が斬り裂き、そして、戦輪が女の手元に戻る前に、炎の中から、ガルザが飛び出す。
 
 博打に勝ったとは言えない。炎から飛び出したガルザの左腕は斬り落とされてなくなっていた。
 
 でも、生きている。
 
 戦輪が手元に無いうちに、懐に飛び込んで倒す。
 
 ここにしか勝機は、無い!
 
「う‥‥‥」
 
 残った右腕に握った大剣が、血色の波紋を立てて唸る。
 
「おおおおおお!!」
 
 全ての力を込めて、振り下ろす。
 
 しかし‥‥
 
「甘い‥‥‥!」
 
 このミステスは、自分の力も、その力のどこに隙が出来るかも、熟知していた。
 
 当然、それなりの対策は常にある。
 
 "背中に隠した剣"を抜き放ち、ガルザの大剣を受けとめる。
 
 ギリッ!
 
 火花が散るほどの一瞬にも満たない鍔迫り合い。
 
 宝具でも何でもないただの剣が、ガルザの渾身の一撃を受け止めていた。
 
 "存在の力を通す"だけで、ただの剣がこれほどの力を持つ。
 
 やはり、恐ろしく強い相手。
 
(終わった‥‥‥)
 
 この一撃に全てを賭けた。
 
 片手で勝てる相手では無い事は百も承知。
 
 逃げる事も、もう無理だろう。
 
 
 そんな風に、ガルザが諦めかけた、次の瞬間‥‥‥‥
 
 ボバッ!
 
 対するミステス。ガルザの渾身の一撃を難なく受けとめたはずのミステスが、全身から血を噴き出して、
 
「‥‥え?」
 
 何一つ理解出来ていない表情のまま‥‥‥
 
 血を撒き上げ、力を失いながら、乾いた荒野に落ちていった。
 
 
「‥‥終わっ、た?」
 
 自身、何が起こったのかわからないまま、ガルザは、先ほど心中で呟いた言葉を、全く違う意味で呟いた。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 家に戻れば、ソフィアはすでに起きていた。
 
 墓の前にしゃがみ、手を合わせている。
 
 その眺めを、大量に買い込んだ花の隙間から、ガルザは見る。
 
「‥‥仇、取ってくれたんですよね?」
 
 こちらを見ずに、ソフィアは訊く。
 
 どうやら、街外れの上空が炎に染まるのを見ていたらしい。
 
「‥‥少しは、気が晴れたか?」
 
「‥‥ううん。全然」
 
「だろうな」
 
 ガルザにとっては、わかりきっていた答え。
 
 仇を討ったからといって、死んだ者が帰ってくるわけでもない。
 
 それにソフィアは、『憂さ晴らし』で元気になるような娘ではない。
 
 悲しさから、寂しさから、逃れるように恨む事しか出来なかっただけなのだろう。
 
 そして、もう恨む事で目を背ける事も出来なくなった。
 
 それだけの事。
 
 気が晴れるわけもない。
 
 
「お墓、作ってくれたんですね」
 
「‥‥‥‥ああ」
 
 そう、仇を代わりに討ち、ソフィアが現実に目を向ける手伝いをする。
 
 自分の役目はそれで終わり。
 
「‥‥その、花も?」
 
「‥‥‥‥ああ」
 
 "人喰いの化け物"は、少女の悪夢の元凶は、それが済んだら姿を消す。
 
「ソフィア‥‥‥」
 
 いつもと同じ。住めなくなった仮宿から、旅立つだけ。
 
「何ですか?」
 
 その、はずだった。
 
 
「‥‥俺と一緒に、行かないか?」
 
 気づけば、そんな言葉が口を突いて出ていた。
 
 
 



[7042] 『血染めの大剣(終編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/04/06 10:45
 
『この街、悪くなかったんですけどね』
 
『理屈じゃ、わかってるんです。でも‥‥私も人間だから』
 
『あははははは!』
 
『さっさと逃げましょうか!』
 
『‥‥赤ちゃんかあ。いいなあ』
 
『勝手な事ばかり言わないで!』
 
『ありがとう、ガルザ。あなたに会えて‥‥よかった』
 
 
(‥‥ソフィア)
 
 あれから、四十年。
 
 ずっと一緒に、争いから逃げるように、楽しい場所を求めて、旅から旅を繰り返した。
 
 笑って、喧嘩して、泣いて、一緒に‥‥
 
 そしてまた‥‥ここに戻ってきた。
 
 元々が田舎の街外れだった事もあり、自分達が去ってからも、誰かの手が加えられている事はなかった。
 
 あの時は七つだった墓。それが今は、八つになっている。
 
 以前働いていた酒場の親方。その隣に今、娘が眠っている。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 胸のうちにぽっかりと穴が空いたように、寂しさが立ちこめる。
 
 この場所から、また立ち去るからだろうか。
 
 立ち去る自分の隣に、もう誰もいないからだろうか。
 
 いつからか、隣を歩く自分の腕をとる事が、彼女のお気に入りだった。
 
 今は、その腕に、心地よい重さがない。
 
 嘘寒い軽さだけがあった。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 何を伝えるべきか。悩むのは僅か‥‥
 
「ありがとう。ソフィア」
 
 ソフィアが最後にくれた言葉を、返して‥‥
 
「また‥‥来るよ」
 
 もう一つを、残した。
 
 
 立ち去る青年が、背を向ける墓標。
 
 何を思って青年がそれを残したのかはわからない。
 
 ただ、彼が生涯で最も傍に居続けた女性の墓標の前に、
 
 一本の大剣が突き立てられていた。
 
 
 
 
 
 
「『異形の戦輪使い』?」
 
 カツンッ!
 
 あれからさらに数百年の時を経て、“血架の雀”ガルザは今なお、この世に在った。
 
 相変わらず、大きな望みも持たず、戦いは極力避け、のんびりと世界を回り、ただ暮らしを楽しんでいる。
 
 だからこそ、こんな長い時を生きていられたとも言えるのかも知れない。
 
 カツンッ!
 
 手にしたキューで、手玉を8の球に当てる。
 
「ええ、以前、あなたに聞いた話と合わせて考えて、まず間違いないでしょう」
 
 ビリヤードの相手を務めながらそう応えるのは、足下まで波打ち届くような長い髪と、妖艶な美貌を備えた法衣の男。
 
 男はさらに続ける。
 
「生まれた瞬間から戦い続け、消滅するまでに二人の『紅世の王』を道連れにした恐ろしいミステスとされています。あなたについての記述はありませんでしたから、自然消滅と目されているようですね」
 
「まあ、当然だろうな」
 
 『あの事』について、こいつにしか話していないのに自分の事が記述されている方がよほどビックリする。
 
「で、今回もまたあの勧誘か? サラカエル」
 
 ややジト目で睨むようにしながら、サラカエルと呼ばれた男を、ガルザは睨み付ける。
 
「ええ、今の紅世の徒と人間の関係はあまりに不自然だ。人間と徒の新しい関係を構築する。そのために、あなたの力をお借りしたい」
 
「‥‥『封絶』を真っ先に覚えた俺を、それに誘うか?」
 
 こいつは、会う度会う度、この話をする。
 
 人間と徒の新しい関係?
 
 全く興味がない。
 
「‥‥たとえ、何を知ったところで人間に何が出来るわけでもない。知らない方が人間のためってものだ」
 
 別にサラカエルのやる事にケチをつけるつもりこそなかったが、言う声に、若干の非難が混じる。
 
「やれやれ。あなたは、人間に肩入れしすぎている感がありますね」
 
「‥‥‥知ったような口をたたくな」
 
 自覚は、もうある。
 
 だが、それを他者に指摘されると妙に勘に触る。
 
 
『ガルザ‥‥‥』
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 いつから、“さん”が抜けたんだったかと、何となしに思った。
 
 
 
 
 時は流れ、二人の願いと絆を持った一振りの大剣は、一人の少年に握られる。
 
 そして、世界を左右する戦いの渦中に、その力を委ねていく。
 
 
 
 



[7042] 『白緑の出会い』
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/04/26 21:21
 
「他神通あれ」
 
 美しい山の頂きに、視界いっぱいを埋め尽くすほどの豪紗な光が降り注ぐ。
 
 まるで吹雪のように荒れ狂う水色の光の粒は、一つ一つが三角という変わった形。
 
 その光の渦の中心で、三角頭の錫杖を突き立てた前で、一人の少女が膝を突き、両の手を合わせている。
 
 神秘的なその姿は、まさに神への祈りをしているように見えた。
 
 そんな水色の世界の中心が突如燃え上がる。
 
 燦然と輝く"銀"に。
 
 そして、その炎がまるで雫のように、少女の手の中に落ちる。
 
 見開かれた少女の瞳は虚ろい、完全な黒となっている。
 
 それら全ての事象は、水色の世界が解かれると同時に砕けるように元の姿を取り戻す。
 
 ただ一つ、少女の手の中に残った銀の珠玉のみを残して。
 
「‥‥‥また、貴方と語らうのはいつか」
 
 
 
「‥‥やれやれ。またここに来ていたのかい、ヘカテー」
 
 世の空を行く『星黎殿』。
 
 これは世界最大級の徒の集団・『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の本拠地であり、移動要塞である。
 
 そして今、一人の少女が祈りを捧げるこの場所は『星黎殿』内部の『星辰楼』。
 
 壁の無い、柱と床のみで構成された一室。中央の開けた空間には純白の祭壇がある。
 
 ここに今、『仮装舞踏会』で最も絶大な尊崇を集める存在が、天の調べを聴いている。
 
 『三柱臣(トリニティ)』が巫女・"頂の座"ヘカテーである。
 
「‥‥何か、変事でもあったのですか? ベルペオル」
 
 閉じた瞼を開きもせずに、背後に立つ三眼の女怪、同じく『三柱臣』の参謀、"逆理の裁者"ベルペオルに訊くヘカテー。
 
 その声はどこまでも淡々と、あるいは冷淡としている。
 
「いや、特には問題はないよ。『訓令』も最近は訪問者が少なくてね」
 
 この世に渡り来た徒達、まだこの世に慣れていない者達に世渡りを教える『訓令』を、『仮装舞踏会』は行っている。
 
 そして、通常その役割は巫女であるヘカテーの仕事なのである。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ベルペオルの言葉に、大した用は無いと判断したヘカテーはまた、瞑想に入る。
 
 その意識は遥かな天へ、あるいは、己の奥深くへと向けられていく。
 
「また籠もっちまったな」
 
 先ほどからそこにいて、しかし口は出さなかった、兜を深く被り、漆黒の鎧を纏う大男がやや呆れ気味に呟く。
 
 彼もまた『三柱臣』の一柱、将軍・"千変"シュドナイである。
 
「どこで見たのか、ああしていれば答が出ると思ってるんだからねえ」
 
 ヘカテーが"籠もった"のを良い事に、真後ろで当人の事をくっちゃべる二人。
 
「その無垢な所が良いのさ。俺のヘカテーはな」
 
「‥‥‥ふ」
 
 ベルペオルは、ヘカテーに弱冠嫌われている節さえある男の戯言を鼻で小さく笑って流す。
 
 そんなベルペオルには気付かず、シュドナイはヘカテーに歩み寄る。
 
「祈るより俺に願え、ヘカテー。何が望みだ?」
 
 シュドナイ‥‥というより、言葉の内容に反応したヘカテーが目を開け、顔を上げる。
 
 とはいえ、視線はシュドナイには向かず、何もない前方の景色に向けられている。
 
 否、どこにその瞳が向けられているのか、誰にも、ヘカテーにもわからない。
 
「答えを‥‥私が求めている答えを」
 
「何が望みだ?」
 
「‥‥私が求めるべきものです」
 
 弱冠期待を持って重ね訊くシュドナイに、曖昧どころか全く要領を得ない応えを返すヘカテー。
 
「‥‥何度訊いても同じさ。要するに何も求めちゃいないのさ」
 
 そう、こんな問答は実は今回が初めてではない。もう何度も繰り返された事。ヘカテーの反応も応えも、いつも通りであった。
 
 やや酷なようなベルペオルの感想だが、これは彼女の本音である。
 
 ただ手を合わせ、瞳を閉じているだけで、何の望みが得られるというのだろうか。
 
(‥‥何も、望んでいない)
 
 ベルペオルの言葉が、ヘカテーの心に僅かな波紋を立てる。
 
(何も、望んでいない?)
 
 そうかも知れない。
 
 そんな風に感じる事もある。
 
 だが、ならば自分は満たされている? この『今』に、満足している?
 
 思考が伸びる、自分自身に。自分の心に。
 
 それが、まるで渦のような"波"にあり、そこを覗こうとして、
 
「っ!!」
 
 ゾクッとした寒気と共に、意識が現実に戻る。
 
 いつもそうだ。
 
 "あそこ"を覗いてはいけない。
 
 目を、思考を向けてはいけない。振り返ってはいけない。
 
 気付けばきっと、何かが崩れる。
 
 そんな、核心的な予感があった。
 
(私の望み‥‥)
 
 何度も繰り返すうちに、心の奥底では、何となく気付いていた。
 
(‥‥私が求めるもの)
 
 あの向こうには、何も無い。
 
(必ず、あるはず)
 
 ただ底無しの空虚感だけしかないという事に。
 
 
 
「"探耽求究"?」
 
 彼女らの主を待つ、永い、永い歳月。
 
 そんな時の中、とある提案が、ベルペオルから為される。
 
「ああ、"性格はともかく"、その才は"紅世の徒"の中でも最高の部類に入るだろう。『大命詩篇』も解析出来るかも知れない」
 
 遥か『久遠の陥穽』から、盟主より送られてくる秘奥・『大命詩篇』。
 
 この扱いは今まで巫女たるヘカテーに一任されていたのだが、元々が『創造神』の編み出した極度に難解な式であるのに加え、永い歳月を掛けて送られ続けたため、数も相当なものとなっている。
 
 いかに巫女・ヘカテーとはいえ、少々手に余りだしていたのだ。
 
「‥‥ベルペオルのやりたいように」
 
 自らの役目を横取りされるようで僅か気に障ったが、『大命』の道を見晴らし図るのは参謀たるベルペオルの役目。
 
 自分の役目は、ベルペオルの見いだした道を定め往き、その先を導いて照らす事だ。
 
 異論を挟む事はない。
 
 
 
「んーんふふ! ェエークセレント! ェエーキサイティングにしてファンッッタジー!!」
 
 耳をつんざくような叫びが、『星黎殿』の一室に響き渡る。
 
「こぉーれは素ん晴らしい! はぁーるか昔に放逐された『創造神』の手によって生み出された『大っ命、詩ぃー篇』!! こぉれほどイジりがいのあるものなど滅っ多にありませんよぉー! ドォーミノォオー!!」
 
「エークセレント教授ー!」
 
「「‥‥‥‥‥」」
 
 早くも原型の無くなりつつあるその客室の隅で、ベルペオルとヘカテーが教授とその燐子・『お助けドミノ』を眺めている。
 
 心底不安な光景ではあるのだが‥‥
 
「っほほー! つ・ま・り、この顕現機能と『吸収』の式を互いに干渉させ、周囲の存在を喰らって人間の感情情報を収集する、と。そういう理論ですかねぇー、ドォーミノォオー!」
 
「私にはわからないでございますれふひはいひはい」
 
「お前はそれでも私の助手ですかぁーー!?」
 
 それでもしっかり式を理解、分析しているのだから恐れ入る。
 
 確認のために目配せをしてきたベルペオルに、ヘカテーは頷きで返す。
 
(私の役目は、これでまた減った)
 
「ベルペオル。少し席を外します」
 
 返事を待たずに、退室する。
 
 自分にしか出来ない事。そう思っていた事が、他人の手に委ねられる。
 
 その事に僅かな寂寥を想い、同時にもう一つ、
 
 僅かでも自分に"自尊心"があった事に、不思議な喜びがあった。
 
 
 
 ピィイーー‥‥‥
 
 使命の分担が減り、また空白の時間が増える。
 
 『自分の望み』が、より必要に思えた。
 
 いつものように祈りに耽っても良かったが、どうもそんな気になれなかった。
 
 何もない。星の光に照らされた『星辰楼』で、ヘカテーは簡素な作りの長い笛の音を奏でる。
 
 動かず、踊らず、舞わず、ただ静かに笛の音を奏でる。
 
 音も光も空気さえも、そこにある全てが神秘的に輝く空間。
 
 その静寂が、唐突に破られる。
 
「ッノォオオーー!!」
 
「あーれーー!!」
 
 唐突に宙空に現れた、銀炎の輪を扉とする漆黒の通路から、何やら騒々しいのが二人、落ちてきた。
 
 『星黎殿』内部の移動を司る『銀沙回廊』である。
 
「っんんーー! 一定空間内を自在に『転移』させ繋ぐ『銀っ沙、回廊』! この城は全く宝の宝庫でぇーすねぇー!」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 教授の今イチ、否、全く読めない行動と面白い喋り方に、ヘカテーは驚くより先に興味を持ってみる。
 
 そもそも、彼女の仕える神も奇矯が性の過ぎる男なのである。
 
「ん? ん? ん〜〜〜!!?」
 
 教授の光る眼鏡は、今度はヘカテーの笛を視界に入れていた。
 
 
 
 ピィイイーー‥‥
 
 ボンッ
 
「っ!?」
 
 ヘカテーが笛を奏でると、小さな炎のトカゲが現れる。
 
 ヘカテーの持つものと同色の水色の火トカゲは、続くヘカテーの旋律に従い、軽快に踊りだす。
 
「わぁ‥‥!」
 
 ヘカテーはその光景、さっきまでただの笛だった物の快挙に素直な感嘆を零す。
 
 そう、ヘカテーの笛がただの笛だと知った教授が即座に改造を施したのだ。
 
 ものの20分と経っていない。
 
「ふっふーん。なかなか話のわかる子供のようでぇーすねぇ?」
 
 教授の本音としては、実は不満もいいところだったのだが、ヘカテーの反応が嬉しかったので上機嫌である。
 
「ぃよぉーし、いいでしょう! あなたに特別に私の発明した"我学の結晶"ェエークセレント19473『天駆ける円盤』に乗せてあげましょーう!!」
 
 
 
「っどおぉーですか!? ヘカテー!?」
 
「ダンタリオン、この赤いのは何ですか?」
 
「あ、巫女様、それは自爆‥‥‥」
 
 ドォオオオン!!
 
 
 
「けほっ、お気遣い、痛み入ります」
 
 爆発の瞬間にドミノが庇ってくれたおかげで大した被害の無かったヘカテーが小さく咳をする。
 
「ドォーミノォオー! あれほど自爆スイッチは強化ガラスで覆いなさいと言ったではあーりませんかぁーー!?」
 
「教授が自爆スイッチなんて押さなければ解決する問だいたひひはい」
 
 頭がマリモと化した教授、体のあちこちからネジやバネがびょぃーんと飛び出しているドミノ、そしてヘカテー。
 
 皆一様に煤だらけである。
 
「何だ!? 何があった!」
 
「爆発だ! 敵襲だ!」
 
「参謀閣下にお知らせしろ!」
 
 
 爆発を耳に聞いた構成員達が続々と集結していく。
 
 
 
「ヘカテー! 一体何があっ‥‥‥教授かね」
 
 現場に着いたベルペオル。
 
 その辺に転がっているあきらかに怪しげな機械群を見て、この騒動が誰の仕業か理解する。
 
 そう、ここには今や煤だらけのヘカテーしかいない。
 
「‥‥おじさまは、あっちに行きました」
 
 ベルペオルと顔を合わせずに、ヘカテーは西を指差す。
 
「ヘ、ヘカテー?」
 
 ベルペオルより僅か遅れてやってきたシュドナイが、ヘカテーの真っ黒な姿を見て、後続の徒達を一睨みし、一喝し、ヘカテーの煤だらけの姿を見せまいとした後、怒り冷めやらんといった風情で西へと飛んで行く。
 
 彼はヘカテーを害する存在を許さない。
 
 ‥‥まあ、教授が逃げたのは東なのだが。
 
 
 ピーピーと笛を鳴らすヘカテーを見ていたベルペオルが、
 
「‥‥お、おじさま?」
 
 と、呟いた。
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 暖かい布団の中、目の前の少年の顔。
 
(あの頃の私は、空っぽだった)
 
 かつての自分、今の、自分。
 
(貴方がいなければ、私はずっと、空っぽのまま)
 
 少し前の、半身を失ったような喪失感。
 
(もう、空っぽじゃない)
 
 彼の望みを繋ぐ、『大命詩篇』。
 
(‥‥おじさま)
 
 力を貸して、くれるだろうか?
 
 
 



[7042] 『水色のヘカテーたん』
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/05/19 21:53
 
「ドォオーミノォオー!! 早くマイナスドライバーを持ってきなさぁーい!」
 
「えぇ〜、さっき渡したじゃないですはひはいひはい」
 
 白緑色の光を放つ用途不明の機械群でごったがえすこの一室に、お馴染みの二人が騒いでいる。
 
 在不在に関わらず状態を保持されている、『星黎殿』内の『教授の研究室』である。
 
 『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の参謀や盟主、『姫』からも頼まれている案件があり、そのためにこの『星黎殿』に招かれた(さらわれた)というのに、教授の今の探求心は少し脇道に逸れている。
 
「持ぉーち主の姿に併せて己が姿をも変化させる『宝具』・『神! 鉄! 如意ぃーー!』」
 
 そう、剛槍・『神鉄如意』。本来なら『三柱臣(トリニティ)』専用の宝具にして、『大命』遂行時にしかその使用を認められていない"千変"シュドナイの愛槍である。
 
 まあ、最近はヘカテーが軽々しく『トライゴン』を持ち出したりもしているわけだが。
 
「んーふふふ! 前から一度、こいつをいじくり回してみたかったのでぇーすよぉおー?」
 
 無論、勝手に持ち出して良い代物でもなければ、教授が許可を取ってきたわけでももちろんない。
 
 勝手に持ち出し、勝手に解析し、そして遂に完成をみた。
 
 唯一の救いは、教授の目的(というか興味)が『槍の改造』ではなく、『槍の能力の応用』であったため、『神鉄如意』が妙な改造をされなかった事だろうか。
 
「さあぁーて、行きますよドォオーミノォオー! 栄えある我が新発明の第一被験者にしてあげましょぉーう!!」
 
 言って教授が肩に担ぐのは『神鉄如意』の力を彼なりに解析して作り上げた巨大な大砲。
 
 製作過程でこんなサイズになってしまったが、そんな事は後回し、今は重要な『実験』こそが肝要。
 
 が、もちろんドミノとてそんな危ない目に遭いたくなどない。
 
「きょ、教授! 実験ならほら! 別に無生物でも良いんじゃ‥‥‥」
 
「問・答・無ぅーー用ぅうーー!」
 
 ビビビビビビビッ!
 
 大砲の先端から、あまりにもアンバランスな白緑色の光線がフニャフニャと曲線を描いて飛んでいく。
 
「ひぃいいいー!」
 
 ドミノはもちろん逃げる。走る速度とそう変わらない『光線』というのも貴重ではある。
 
 逃亡者にとっての当然の理としてドミノは研究室のドアに向かって逃げるが、そのドアが、
 
 突然開いた。
 
「おじさま、ゆかりに頼まれ‥‥‥」
 
 開いたドアに顔をぶつけてひっくり返ったドミノは、光線の軌道から外れ、
 
 そして‥‥‥
 
 
 
 
「どう?」
 
「うん、美味しい」
 
 『星黎殿』にも『娯楽としての食事』を楽しむために料理設備は存在する。
 
 普段は下級の徒や燐子に任せるそれを、つい先ほどは一人の少女が行っていた。
 
 元々、料理は嫌いではないし、それが好きな人に食べてもらえるというならなお良い。
 
 巫女・ヘカテーの副官、"万華響"の平井ゆかりである。
 
 朝はおせち料理、今は三時のおやつに軽くフレンチトースト。
 
 普段は活発に心の赴くままに動く彼女だからか、クリーム色のセーターの上にエプロンを着けた姿は何やら新鮮で家庭的な感じがする。
 
 美味しい、と告げた時に浮かべた笑顔も、いつもの弾けるようなものと違って、何か暖かくて、包容力のあるものだった。
 
「にしても、ヘカテー遅いね?」
 
 エプロンを外して、自分もぱくりとフレンチトーストを口にすると、そこにいるのはいつもの天真爛漫な彼女だ。
 
 女性とは不思議なものである。
 
「教授の様子ちょっと見に行っただけだろ? すぐに戻ってきておかしくないんだけど、冷めちゃうね」
 
 言いながらもう一つ、口にくわえる悠二を、
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 目を丸くした平井が見つめていた。
 
「な、何?」
 
 訊く悠二だが、その返答は目の前の平井からは返らない。
 
「ゆーじ、わたしもたべたいです」
 
 ‥‥‥何か、聞いた事のある声が、不自然な声色とやや舌足らずな口調で返してきた。
 
 声の発生源は‥‥上!
 
「ヘカテー?」
 
 首を上に向けても姿が見えない、どころか、何かがぶら下がっているような力で髪が引っ張られた。
 
「い、痛いってばヘカテー!」
 
「ゆーじ、おちます! くびをへんにうごかしちゃだめ!」
 
 落ちる?
 
 全く意味がわからないまま首を正すと、引っ張られなくなった(ただ、首を起こす時が一番痛かったが)。
 
 そのまま頭を何やらいじくり回されて、ようやく落ち着いたような気配を感じる。
 
「あ、あああ‥‥」
 
「?」
 
 何か変な声に反応して目を向けてみれば、平井が瞳をウルウルとさせて口元に隠しようもない笑みを浮かべている。
 
 この少女がこんなに機嫌が良いとロクな事がない。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 猛烈に嫌な予感を感じつつ、恐る恐る頭の上の『何か』をつまんで、そっとテーブルの上に乗せた。
 
 小さい。元々小柄な『彼女』ではあるが、あまりにも小さすぎる。
 
 しかも何か二頭身気味にデフォルメされていらっしゃる。
 
「‥‥‥ヘカテー?」
 
「?」
 
「かーわいいーー!!」
 
 呆気に取られた悠二と、諸手を上げて喜ぶ平井に見守られ、フレンチトーストを口いっぱいに頬張る、やたら小さくなったヘカテーが、
 
 不思議そうに小首を傾げた。
 
 
 
 
「‥‥また教授か」
 
 事の顛末を聞いた悠二が、重い、重い溜め息を吐く。
 
 もちろん、教授を捕まえるのにも一苦労だった。
 
 
「『神鉄如意』の変幻自在の能力を応! 用! でぇーきれば君達にとってもプゥーラスなはずでしょう!?」
 
 などと言っていたが、
 
「ヘカテー、元に戻れる?」
 
「‥‥‥‥?」
 
 ‥‥どこが変幻自在だ。
 
 悩みの種となった恋人を頭に乗せて、悠二と平井は『星黎殿』のヘカテー城を歩く。
 
 あまり人目につくわけにもいかないため、このプライベートエリアから動くわけにもいかない。
 
「はぁあああ〜〜〜」
 
 メロメロ、といった形容詞が似合いそうな溜め息を吐く平井。
 
 彼女はこの状態を思う存分楽しむつもりらしい。
 
 
 わしゃわしゃ
 
「♪」
 
 ヘカテーは、悠二の頭上にて上機嫌である。
 
 自分のサイズが変わった事に関しては、とりあえず脇に置いておく。
 
 今はこの漆黒の草原が自分の庭である。
 
 わしゃわしゃ
 
(いいにおいがする‥‥)
 
 まとめて、混ぜて、束ねてみて、毛の根元をつぶさに観察してみる。
 
 ごろごろ
 
 一通り毛繕いを終えたら、うつ伏せに大の字なってから愛しい足場に頬擦りする。
 
(ゆーじのにおい‥‥)
 
 うっとりと、意識を手放しそうになったヘカテーが、
 
「む‥‥‥‥」
 
 唐突に顔を上げる。
 
 帽子の両端にぶら下がっている赤い珠がセンサーのようにピコンピコンと明滅している。
 
「ゆーじ」
 
「ん?」
 
 くいくい、と悠二の髪の毛を引っ張って、元来た道を指差して促す。
 
「ここ、なんかおやじくちゃい」
 
「ぐはあ!」
 
 ヘカテーに促され、踵を返した悠二の後方の柱の影で、何かが苦しげに倒れ込んだような音と声がしたが、無論悠二達は気付いていない。
 
 
 
 
 気を取り直して悠二の頭の上で丸くなるヘカテー。
 
 しかし、またも邪魔が入る。
 
「っ!」
 
 唐突に、悠二の頭上からつまみとられた。
 
 その犯人を視線で追えば、親友・平井ゆかり。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ジッ‥‥と不満の意を込めてしばし凝視する。
 
 それほど長くはないが、これ以上なく深い付き合いだ。これで十分通じるはずである。
 
(?)
 
 しかし、こちらの意図を察してくれているはずの平井は、体をクネクネと捩るばかりで一向に解放してくれる気配がない。
 
 こうなれば実力行使。
 
 しゃかしゃか!!
 
「‥‥‥‥‥」
 
 ダメだ。短くなってしまったリーチばかりは如何ともしがたい。
 
 だが、だんだん焦れてくるヘカテーに、平井がそっと耳打ちする。
 
 もちろん、悠二に聞こえないように少し距離をとって、だ。
 
(いつも頭の上にいたんじゃ、悠二の顔が見れないよ?)
 
「っーー!」
 
 ニヤニヤしながら言った平井の一言に、ヘカテーは小さな体を凄まじい勢いで硬直させた後、力尽きたように脱力する。
 
 平井にしてみれば、面白くて、可愛くてたまらない。
 
 そのまま、絶望の淵にあるヘカテーに救いの言葉を投げ掛ける。
 
 もちろん、自分のために。
 
(だ・か・ら♪)
 
 
 
 
「「♪」」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 何だかんだで、ヘカテーが頭上に居座っていた状況をちょっと気に入っていた悠二が、平井に目をやる。
 
 先ほどまで悠二に乗ってたヘカテーは、平井の頭上から悠二を眺めながら、平井の触角をくいくいと引っ張っている。
 
 平井はといえば自身のチャームポイントを好き放題にされているというのに全く怒っていない、どころかいたくご満悦な様子である。
 
「‥‥‥ぷっ」
 
 何とも微笑ましい。
 
 自分に乗られていてはヘカテーが見れないし。これはこれで悪くない。
 
「ベルペオルも、そう思わない?」
 
「‥‥‥バレてたかい」
 
 影からコソコソとヘカテーを盗み見ていたベルペオルも、バレたなら仕方ないとばかりに遠慮なしに近づいてきた。
 
 ターゲットは、言わずと知れたヘカテー。
 
 
「‥‥今回ばかりは、教授に感謝してもいいねえ」
 
「でしょ!? も〜〜ベルペオルさん話わっかる〜〜♪」
 
「ま、元に戻ればいいんだけどね」
 
「と、言いながらヘカテーのほっぺたを引っ張る悠二であった♪」
 
 
 平井の頭から平井の両掌の上に移動させられたヘカテーが、一斉にもみくちゃにされる。
 
 が、
 
「むぅ‥‥‥やぁ‥‥!」
 
 もみくちゃにされる方からすれば、快適であるはずがない。
 
 小動物を可愛がる子供が加減を間違える現象に近い。
 
 が、もちろんそんな事はヘカテーにとっては関係ない。
 
 だんだんストレスが溜まる。
 
「へ〜〜‥‥」
 
 悠二達は、可愛がるのに夢中で気付かない。
 
「か〜〜‥‥」
 
 両腕を胸の前で組んで、まるで力を溜めるようにプルプルと震えるヘカテーに‥‥‥
 
 
「ちゅう〜〜〜!!」
 
 
 年を明け、往年より大幅にその姿を変えた『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の本拠地に、水色の光がほとばしった。
 
 
 そんな、平和な日常の一ページ。
 
 
 



[7042] 『見果てぬ道標』
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/05/31 16:18
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 自宅のベッドに仰向けに寝転がり、天井を見つめる。
 
 二週間前の徒の襲来。
 
 結局、巻き添えを食わないように町外れの御崎神社に逃げる事しか出来なかった戦い。
 
 事後修復や、状況説明の場には居合わせた。
 
 その時には、特に何かおかしい所があるようには感じなかった。
 
 だが、次の日、正確には夜が明けると‥‥
 
(いなくなった‥‥)
 
 近衛史菜、いや、“頂の座”ヘカテーが、唐突に消えた。
 
(張り合い、無くなっちまったな‥‥)
 
 平井ゆかりのように、特別親しかったわけではない。
 
 坂井悠二を取り合う宿敵でもあった。
 
 だが、喧嘩しながら、いがみ合いながら、それでも仲間内でいつも一緒にいた。
 
「‥‥‥‥ふぅ」
 
 変化は、それのみに止まらない。
 
 学校の友達、特に、ヘカテーと親しかった面々は、日々の中に空いた空白を隠しきれていない。
 
 平井ゆかりはひたすら鍛練に打ち込む日々。
 
 坂井悠二は、よくわからないが、脱け殻のようだ。
 
(違う、な‥‥‥)
 
 脱け殻、とは違う。
 
 いや、あそこまで態度が変わるというのは、言い方を変えれば納得していないという事だ。
 
(もし、私が同じ立場なら‥‥‥)
 
 納得していない事なら、納得出来るようにするだけ。
 
 そんな結論を出す。
 
 “自分程度でさえ”、そういう答えをだす。
 
(坂井君なら、当然‥‥)
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 そこまで考えて、今度はそれが自分に向けられる。
 
(‥‥‥私に何が、出来るんだ?)
 
 何度も繰り返す、結果の出ない堂々巡り。
 
 
 
 
 また、日が流れる。
 
 自分に何が出来るか。
 
 いくら繰り返し考えても、答えは一つしか出なかった。
 
(『外界宿(アウトロー)』‥‥‥)
 
 人間が、あちら側の『戦い』では役立たず‥‥否、足手まといにしかならない以上、力になれるとしたら『戦い以外』の所にしかない。
 
 だが、一つ気になる事があった。
 
 “頂の座”ヘカテーは、世界最大級の徒の大組織の許へと帰った‥‥と、推測される。
 
 ヘカテーが、何を考えて姿を消したのか。
 
 そのヘカテーを放っておけないに違いない坂井悠二や平井ゆかりが、見つけだしてどうしようと考えているのか。
 
 そして、何故それをフレイムヘイズ達に告げていないのか。
 
 ヴィルヘルミナやマージョリー、シャナやメリヒム、彼らも、『坂井悠二は燻っている』という認識のようだ。
 
 黙っている理由はわからないし、本当に燻っているのかどうかは、悔しいが自分には判断がつかない。
 
 そう、悔しいが、それがわかるほどには、坂井悠二と“近くない”。
 
 ただ、平井が懸命に鍛練に励んでいる。
 
 それがきっと、悠二の心中を知っての行動であるかのように思われた。
 
 だから、自分は信じるだけだ。
 
 わかる、ではなく、信じる。
 
 そして、何故それを口にしないのか、何か理由があるのかも知れない。
 
 だが、それも時期が来ればわかる事。
 
 外界宿(アウトロー)を目指すにしろ、そうでないにしろ、今はまだ、自分に出来る事はない。
 
 また、時が流れ、やれる事もなく、覚悟だけをひたすら固めていく。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ヘカテーの失踪から一ヶ月以上が経ったある日。季節の事もあってやけに寒い早朝の河川敷を歩く。
 
 愛犬・エカテリーナにせがまれての早朝散歩である。
 
(あ‥‥‥‥‥)
 
 二人、見つける。
 
 坂井悠二と、平井ゆかり。
 
 ただ、見つけただけに止まらない。
 
 今まで感じていた。『人間との差』以上の距離を、二人から感じた。
 
(いよいよ、か‥‥‥)
 
 こちらを見ていない二人の背中が、やけに遠く感じる。
 
「待て」
 
 エカテリーナに一言告げて、歩みよる。
 
 エカテリーナが素直にその場におすわりして待ってくれているのを一度だけ確認し、向かう。
 
 さっきの「待て」でこっちに気付いたらしい二人も同様、歩いてくる。
 
 先を歩くのは、坂井悠二。
 
 俯かない。顔を上げて、真っ直ぐに悠二の目を見る。
 
 それは、悠二も同じ。
 
 一言も言葉を発さずに、ただ歩いて、距離が詰まる。
 
 あと、ほんの数歩という所で、正面にいた悠二の体がわずかに逸れて、そこで初めて互いの視線が外れる。
 
 そして、すれ違いざまに‥‥‥
 
「ごめん」
 
 呟かれた言葉に、
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 思っていたほどには衝撃を受けなかった。
 
 “その事自体に”衝撃を受ける。
 
(あー‥‥あ‥‥)
 
 その時、自分の心はとっくにこの結果を受け入れてしまっていた事を、はっきりと自覚してしまった。
 
 負けて、当然か。
 
「っ!‥‥‥‥‥」
 
 顔を上げていよう。
 
 そう決めたはずなのに、いつの間にか俯いてしまっていた事に気付いて、慌てて顔を上げる。
 
 そこに、悠二の後ろから数歩遅れてついてきていた平井ゆかりがいた。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 平井は、どんな気持ちなのだろうか?
 
 自分と、おそらくは同じ境遇にありながら、彼女は“そこ”にいる。
 
 自分なら、“あそこ”に居続ける事は耐えられない。
 
「っ‥‥‥‥‥!」
 
 ギリッ、と歯を食い縛って、気を強く保つ。
 
 今この瞬間に、何かが凄まじい勢いで押し寄せてくるような感覚に囚われる。
 
 まるで、頭から冷たい水をかけられるように、夢から一気に醒めてしまう時の現実感のように、押し寄せてくる。
 
 今までの想いが、“無かった事にされる”ような喪失感。
 
(認めねえ‥‥‥)
 
 失恋して、簡単に醒めるような空虚的な想いだったと、そう肯定する気はなかった。
 
 ここで終わりにすり気など、さらさらない。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 複雑に渦巻く心を奮い立たせて、前を向く。
 
 先ほどと同じ、今度は平井と向き合う。
 
 
 今度こそ、言葉はいらなかった。
 
 
 パンッ!
 
 
 二人、すれ違いざまに叩き合った手と手。
 
 二人には、それだけで十分だった。
 
 
 
 
 それからすぐ、同じく行動を起こした佐藤啓作と共に、平井がいた関東外界宿第八支部の書類整理に自分も加わる。
 
 二人が行動を起こした事に感化されて、皆の心にも変化が起こったようだ。
 
 田中栄太だけは、今だに思い悩んでいるらしいが‥‥‥。
 
 そして、ここにも動き出した男が一人。
 
「吉田さん! 今日の放課後時間あるかな!?」
 
「無理」
 
 やけに意気込んで詰め寄ってきた、秀才のはずの少年を一蹴する。
 
 ヘカテーが消えて、皆が低迷していた(と、思われていた)時期にはおとなしかった。
 
 だから、というわけでもないが、何となく諦めたのかと思っていたのだが、どうやらとんだ勘違いであったらしい。
 
「おまえもしつけえな。私が、坂井君がいなくなったからってホイホイ乗り換えるような女だと思ってんのか?」
 
 言って、みしりと握り拳を作る。
 
 そういう目で見られているのだとしたら、これ以上ない侮辱である。
 
「坂井の事とは関係ない。なぜなら僕は、吉田さんが坂井を好きな以上に、吉田さんの事が好きだからだ!!」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 自分の坂井悠二への気持ちの程をわかっているかの口振りや、その気持ちが自身のそれより劣っているかのような言い草はかなり腹立たしいものがあるが、
 
 ここまで、いっそ清々しいまでに好意をぶつけてくるのは、正直悪い気はしない。
 
 それに、自身の気持ちのみを誇る様も、評価には値する。
 
 ただし‥‥‥
 
「ぶはぁっ!?」
 
 クラスメイトがまだ何人もいる教室でそんなセリフを豪語するのは、本気でムカついた。
 
 
 
 
 それから、また一ヶ月と少しの時が過ぎる。
 
 慣れない外界宿の仕事に打ち込みながら、度重なる池速人のアプローチをいなす日々が続く。
 
 最近、正式に支部にも迎え入れられ、まだまだ力不足ながらも平井の後釜をこなす‥‥そんな日々に、
 
 
「お待ちしておりました」
 
「?‥‥‥どちら様ですか?」
 
 突然、学校帰りに現れた外国の神父のような男に、とっさに社交辞令で訊ねる。
 
 が、この男の、およそ自分と関わりの無さそうな風体に、頭の何処かで予感はあった。
 
「『姫』‥‥平井ゆかり様の命にて参りました者です。少々、お時間を頂けますかな?」
 
 遂にきた、その使いに、取り繕った外面を容易く脱ぎ捨てる。
 
「‥‥あんたと居て、気付かれる心配は?」
 
「恥ずかしながら、私の持つ力はトーチより少しマシな程度でございまして。肉眼で確認でもされない限り、気配でバレる心配はありますまい」
 
 本当に少し恥ずかしそうに言う“徒”の、『平井ゆかり』と『姫』という単語に、その正体と事の顛末を大体理解した吉田は‥‥
 
「‥‥タクシーで場所変えようか。知り合いに会わない辺りまでな」
 
 そう、告げた。
 
 
「‥‥なるほど、ね」
 
 事の顛末は、大体予想通り。
 
 だが、今までは『想い人の進み道を、何であろうと信じる』つもりで行動してきた。
 
 そして知った、『大命の王道』。
 
 元々、自分が正しいと思った事でなければ動かない性分だ。
 
 ようやく、調子が出てきた。
 
 
「わかった。ゆかりにも、そう伝えてくれ」
 
「結構。今後、情報の伝達は私を通じて行ってくださいませ。それでは‥‥」
 
 男の携帯電話の番号を訊き、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』との繋がりは持った。
 
 
(んじゃ、スパイ活動と行くか)
 
 二人が、フレイムヘイズ達に何も言わずに旅立ち、自分が外界宿に関わりだした頃から、そういうつもりだった事だが‥‥。
 
 
 
 
 佐藤と共に、東京総本部に出向く。
 
 事前に自分達の事は伝えておいたし、何やら悠二達も東京に用があるという話らしい。
 
 会いたくはあるが、佐藤もいるという状況も考えれば、そんな事態になるのは極力避けたい。
 
 しかし、結果としては自分にも悠二達にも想定外の存在、『約束の二人(エンゲージ・リンク)』によって、三人はその姿を確認されてしまう。
 
 どうせ炎の色を佐藤に確認されてしまった開き直りもあって、平井に『前から言いたかった事』だけは伝える。
 
 そして、目撃された悠二達の情報は、『約束の二人』の口から、御崎にいる仲間達にも伝わった。
 
 例え姿を目撃しても、核心的なものは何もわからず、また、三人や、『星黎殿』を見つけだす事は出来ないだろうとタカをくくっていたが、それは、ヴィルヘルミナが隠していた一つの秘密によって崩された。
 
 この情報を知るのは、その時、その場にいた数名のみ。
 
 だが、もちろん黙っているわけにはいかない。
 
 ヴィルヘルミナから聞いた秘密を悠二達に流し、姿を眩ませる覚悟を決める。
 
 
 
 
 その、旅立ちの二日前の事。
 
 
「本当に、いいんだな?」
 
「僕が吉田さんを好きだって気持ちは、吉田さんが坂井を好きだって気持ちより大きい。あれ、もちろん本気なんだ。それを、証明してみせる」
 
 旅立ちの覚悟を、悟られたのだ。常と変わらずアプローチを続ける、池速人に。
 
「おまえ、頭おかしいぞ。何も言わない、喋らないでどっかに行く女に、何も訊かずについていくか? 普通」
 
「君のためなら、馬鹿にも無謀にもなれるよ」
 
「‥‥‥‥‥」
 
 ここまで言われて、断る言葉を持てなかった。
 
 知らず感じていた不安を、かき消される。
 
 それを振り払うように、
 
「いいぜ、ついてこい!!」
 
 
 少しわざとらしく、声を張り上げた。
 
 
 
 



[7042] 『メロンパン・ナ・コッタ(前編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/06/14 21:22
 
 今日は鍛練も休みで無い、土曜日の休日。
 
 普段から何だかんだで騒がしい日常を送る坂井悠二にとって、今この瞬間という時間は実に貴重な時間だと言える。
 
 平たく言えば、二度寝を決め込んでいる。
 
 他者から見れば大した事もない、しかし本人にとっては得難い時間。
 
「起きるのであります」
 
「起床」
 
 ゆえに、
 
 ゴロリ
 
「メロンパンを、探しに行くのであります」
 
「任務遂行」
 
 それを邪魔されるのは、甚だ不愉快である。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 寝返りを打ち、沈黙する。
 
「‥‥‥メロンパンを、探しに行くのであります」
 
「起床要求」
 
「‥‥行けばいいじゃないですか」
 
 今度は返事は返すが、依然として顔は壁に向けたままだ。
 
 ヒュルッ!!
 
「ぐえええええっ!?」
 
 ギリギリギリギリ
 
「メ・ロ・ン・パ・ン・を、さが‥‥‥!!」
 
「うるっ‥‥さい!! リボンで首を絞めるな!!」
 
 
 
 
『あれ? ヴィルヘルミナ、ここにあったメロンパン知らない?』
 
『む? いえ、見ていないのであります』
 
『さっきまでここに置いてあったのに‥‥‥ホントに見てない? コンビニの袋』
 
『‥‥‥白いビニールの?』
 
『うん、そう。これぐらいの大きさの袋!』
 
『‥‥‥‥‥‥‥』
 
『‥‥‥ヴィルヘルミナ?』
 
『‥‥ああ、どちらかと言えば、ゴミ袋のような物でありますな』
 
『‥‥まあ、確かにゴミ袋に使う事もあるけど‥‥‥』
 
『置いてあればゴミ袋と見間違えても‥‥‥』
 
『え?』
 
『否、むしろゴミ袋そのものとさえ言える‥‥』
 
『‥‥ヴィルヘルミナ、もしかして、捨てた?』
 
『今日は燃えないゴミの日だったのであります』
 
『分別収拾』
 
『関係ないでしょ! ‥‥‥ひどい、せっかく買ってきたのに‥‥‥』
 
『む‥‥申し訳ないのであります。内容物を怠った私の不手際。即刻代わりのメロンパンを買ってくるのであります』
 
 
 
 
「‥‥しかし、買ってきたメロンパンは軒並み、『これじゃない』と突き返され、まともに目も合わせてくれず‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 大体、話はわかった。
 
 要するにシャナと些細な事で喧嘩した、というだけの話。
 
 しかし‥‥‥
 
「と、いうわけであります」
 
「『と、いうわけであります』じゃなくて、それで何で家に来るんですか。僕に全然関係ないじゃないですか」
 
「本来ならば、吹けば消えるようなミステス如きに協力を要請するなど、フレイムヘイズとして万死に値する恥辱‥‥‥」
 
(‥‥‥話聞けよ)
 
 しかも酷い言われようである。
 
「しかし、今は緊急事態、こちらも頭を下げざるを得ないのであります」
 
「いつ下げました? 頭」
 
「‥‥『神器』ペルソナを」
 
「ちょっと待ったぁ!」
 
 何て短気な‥‥。
 
 まあ、どうせメリヒムは手伝ってくれなくて、他に頼る人もいなくてここに来たのだろうが‥‥もう少しマシな頼み方は出来ないものだろうか‥‥。
 
「‥‥で、僕に何をしろって言うんですか? 休日の朝に人の部屋にズカズカ乗り込んできて仁王立ちのカルメルさん」
 
「‥‥何か引っ掛かる部分はひとまず置いておくとして、要は情報収集であります」
 
 引っ掛かるような行動をとるからだ。
 
「情報? メロンパンの?」
 
 別に、そこまでメロンパン通になった覚えなどないのだが。
 
「シャナが好むメロンパンに関する情報の要点のみ、三十秒以内に答え‥‥」
 
「1、2、3」
 
 何て短気な! しかもティアマトーさらに気ぃ短!?
 
「だから、ちょっと待ってくれ!!」
 
 もう嫌だ。かつてのメリヒムとのキューピッド作戦の時といい、このメイドに手を貸すとロクな事がない。
 
「大体、何で僕に訊くんですか!?」
 
「本来であれば、私もゆかりやヘカテーに訊きたかった所。今この家に貴方しかいなかったのは望外の不運であります」
 
 ちょっと言葉の使い方おかしいし。
 
「普段から同じ学舎で過ごし、先日の『メロンパン食い倒れツアー』にも参加したはず。知っている事は全て話すのであります」
 
 勝手に変な名前つけてるし。というか、そんな名前をつけているという事は、実は行きたかったのだろうか?
 
 だが、確かにヘカテーや平井は昨日、今日は緒方と買い物に行くと言っていた。
 
 わざわざヴィルヘルミナが叩き起こしに来たという事は、もう出かけたのだろうか。
 
「‥‥わかりましたよ。協力すればいいんでしょ?」
 
 どっちにしろ、素直に帰ってくれるなどとは、悠二にも思えない。
 
 
 
 
「ほうほう! で、チューくらい行ったのかな?」
 
「ちゅ、ちゅう!?」
 
「‥‥ちゅう、です」
 
 
 デパートのレストランにて、三人のかしましい娘がお茶している(ちなみに、吉田は用事がある、という事らしい)。
 
 ヘカテーとて、四六時中悠二と一緒にいるわけではない(大抵一緒にいるが)。
 
「オガちゃんダメだって。朴念仁って人種は女から攻めないと何にもアクション取らずに終わるよ? 少しはヘカテーを見習いなさいって!」
 
「い、いや、私はヘカテーほど積極的にはなれないかなぁ〜、なんて‥‥」
 
「?」
 
 本日の主眼は女の子のお買い物。そして今の肴は緒方真竹。
 
「‥‥‥けど、ゆかり達が言うと説得力あるわ。あの坂井君だもんねぇ」
 
 悠二の鈍感ぶりは有名である。他の、単なるクラスメイトよりもヘカテーの積極性を見てきた緒方から見れば、それはより顕著になる。
 
 そして、こと"煮え切らない"事に関しては悠二にも引けを取らない田中。
 
 自分にもヘカテーと同レベルの試練が待っているのかと考えると緒方も頭が痛い。
 
「オガちゃんも大変だねえ♪ よし! 午後からは別のお店回ろっか! ヘカテーの新しいコスプレ‥‥‥あ!」
 
 元気よく立ち上がった平井が、頭上に豆電球を浮かべて、手をポンッと叩き、ニンマリと笑って緒方を見る。
 
「‥‥‥オガちゃんのコスプレってのも‥‥」
 
「遠慮させて!」
 
 本当にやりかねない、という恐怖から叫ぶ緒方。
 
 しかし‥‥‥
 
「オメガ‥‥‥」
 
 袖を軽く摘む、小さな少女・ヘカテー。
 
(そんな澄んだ瞳で私を見ないでえ〜〜!!)
 
 ある意味平井のハイテンション以上に抗い難いヘカテー・アイが、緒方をさらに追い詰める。
 
(私はヘカテーやゆかりみたいに何でも似合うわけじゃないんだってば〜〜!!)
 
 しかし、そんな緒方の救世主は、空気を読んだ平井でも、早々と諦めたヘカテーでもない。
 
「「あ」」
 
 窓の外に見える、異色タッグである。
 
 
 
 
「結局、コンビニのやつはカルメルさんが買ったやつとダブってましたね。後は前にシャナが邪道とか言ってた果汁入りのやつだったし‥‥‥」
 
「所詮はミステス。頭の下げ損だったのであります」
 
「だから‥‥いつ下げましたか」
 
 大体、何が楽しくてせっかくの休日にこんな目立つ格好の石頭と連れ立って歩かねばならないのか。
 
「僕に訊かずに果汁入り買って帰ってひんしゅく買うよりマシでしょうが。それに、この先で手作り焼きたてメロンパンの店ありますから」
 
 個人的には、コンビニで手早く済ませてしまいたかったのだが、そう都合良くはいかないようだ。
 
「む、何という人集り‥‥‥」
 
「行列」
 
 確かに、メロンパンの店で行列、というのも珍しいのかも知れない。
 
 シャナが‥‥かどうかは知らないが、自分はここのメロンパンが好きだから連れて来たのだが、何だか自分の味覚が肯定されたようでちょっと嬉しい。
 
 ついでだから自分も買って帰ろう、と考えながら、列に並ぶ。
 
 ‥‥‥悠二は。
 
 
「ちょっとぉ! 割り込まないでよ、図々しい。ちゃんと並んでんのよこっちは」
 
 明らかにおかしな位置に並ぼうとしている、ピンク給仕。
 
「後ろ行きなさいよ後ろ!」
 
「む‥‥何と下劣な。このような輩が好む店のメロンパンなど、食べるまでもなく最悪の味でありましょう」
 
「醜悪」
 
 当然のように、並んでいたおばさんと諍いが起こる。
 
「なぁんですってえ!? ちょっと何なのよあんた。変な格好しちゃって人の事言えるのぉ!?」
 
 何故かフォローに回るのは悠二の仕事である。
 
「すいません! この人外国人で日本語がよくわからなくって!」
 
「は! そんな言い訳通用すると思うの?」
 
 全くである。さっきから怪しいくらいにペラペラなのだから。
 
「構っている暇は無いのであります」
 
「無視」
 
「ちょっとあんた! 何並んでるのよ。最悪とか言ってたくせに!」
 
「ほう‥‥‥」
 
 その目に危ない光を宿したヴィルヘルミナがすぅ、と目を細める。
 
「少しは人の迷惑考えろ!!」
 
「こふっ!」
 
 いい加減まずいと判断した悠二のツッコミ調の手刀を後頭部に受けるヴィルヘルミナ。
 
 
「ご迷惑おかけしました」
 
 一礼してから、ずるずるとヴィルヘルミナの首根っこをを掴んで引きずってその場を去る悠二。
 
 これ以上ここで並んでなどいられるものか。
 
 
(‥‥ったく、『天道宮』上がりはロクなのがいない)
 
 
 疲れた溜め息を吐いて歩く悠二。
 
 それを、デパートの柱の影で見張る三人の少女。
 
 
「何やってんだろ、あの二人」
 
「‥‥‥浮、気?」
 
「いやヘカテー、それは短絡的過ぎるんじゃ‥‥?」
 
 短絡的、というか突拍子もないのだが、緒方はヴィルヘルミナの事をあまり知らない。
 
 
 
 
(どうしよ‥‥‥?)
 
 一緒に歩くだけで恥ずかしいメイドをいつまでも引きずって歩く気にもならないので、とりあえず自販機コーナーで座る。
 
(メロンパン、メロンパン‥‥‥)
 
 よく考えたら、コンビニでヴィルヘルミナが却下されたメロンパンも、シャナが食べていたのを見た覚えがある。
 
 そもそも、シャナが食べてるメロンパンの柄など全て覚えているわけもなし。
 
「おいしいメロンパン、かあ。あと、どこがあっただろ‥‥‥?」
 
「「「わっ!!」」」
 
「わあっ!!」
 
 人がいないのを良い事に独り言など呟いていた悠二のベンチの後ろから出された大声に、心底驚く。
 
 考え事をしてたから全然気付かなかった。
 
「‥‥‥メロンパン?」
 
「‥‥‥浮、気?」
 
「ふふん。何か面白そうな事になってるね♪」
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 何か、また事態がややこしくなった気がひしひしとする悠二だった。
 
 
 
 
「ふむふむ、にゃるほど♪」
 
「楽しくない!」
 
 ひとしきり事情を話した悠二だったが、大方の予想通りにニコニコと楽しそうな平井。
 
「‥‥‥確か、前にプールにも来てたよね。この人‥‥‥」
 
 珍獣を見る目でヴィルヘルミナを眺める緒方。
 
「‥‥‥♪」
 
 何を心配していたのか、安心したように悠二の胸に頬をすり寄せるヘカテーである。
 
 
 そして、この後の流れも大体予想がつく。
 
 まず‥‥
 
 ムクリ
 
 ヴィルヘルミナが起き上がり、
 
「カルメルさん、話は大体わかりました。私達もカルメルさんとシャナの反抗期修復のために、一肌脱がせてもらいます!」
 
 平井がわけのわからない理屈をこね‥‥‥
 
 
「ミッションスタート! 『索敵・メロンパン』♪」
 
 
 事態がややこしくなるのだ。
 
 
 



[7042] 『メロンパン・ナ・コッタ(中編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/06/15 21:37
 
「さてさてやって参りました! 些細な事でひび割れたシャナとメイドの絆を取り戻す究極のメロンパン探し! 解説のヘカテーさん、そのために最も必要な事は何でしょうか!?」
 
 ササッ!
 
「『メロンパンへの理解を深め、メロンパンに対する選定眼を養う事』です」
 
「今明らかに何か渡しただろ!? ヘカテー紙見ながら言ってるし!」
 
 何でこんなにテンション高いのだろうか?
 
 いや、それより‥‥選定眼? 何を企んでいる?
 
「‥‥‥ふむ」
 
「納得」
 
 ‥‥張本人がしきりに頷いてるし。
 
「と! 言うわけで! 今から私達はメロンパンをより深く理解するため、屋上に行こうと思います!」
 
「「おー」」
 
「ちょっ!?」
 
 止める間もなく、くるりと踵を返した平井、そしてヘカテーとヴィルヘルミナまでが走りだす。
 
「‥‥‥坂井君も大変だね」
 
 ‥‥常識人が残ってた。
 
「ごめんね。何かややこしい事に巻き込んで」
 
 そう、緒方にとっては、単なる楽しいショッピングだったはずなのだ。
 
「いやいいって! 頭なんか下げないでも! むしろ助かったかもだし‥‥」
 
「は?」
 
 助かった?
 
「と‥‥とにかく! あの三人放っといて良いの?」
 
「あ‥‥いや、それはまずい」
 
 何をしでかすかわかったものじゃない。
 
「とりあえず屋上に急ごう!」
 
 
 
 
(どこだ‥‥?)
 
 デパートの屋上に着くが、どうにも小さな子供達ばかりで、三人は見つからない。
 
 あれだけ目立つ容姿をしてるくせに、何故?
 
「ふーはっはっは! この会場は、我々が乗っ取ったぞー!」
 
 屋上の舞台では、何やらヒーローショーのような物が行われているらしく、悪役らしい着ぐるみが叫ぶ。
 
「坂井君。大体、ゆかりは何で屋上なんて言ってたわけ?」
 
《あー、大変だー! バイキン軍団が現れたぞー!》
 
 司会進行の青年がマイクで合いの手。やたら爽やかな解説である。
 
「緒方さんの方がわかるんじゃないの? 僕はついさっき合流したばっかりなんだし‥‥」
 
「ぐっはっは! 今日からおまえらは、我々の家来だあー!」
 
 ショーのやり取りを背に、二人の常識人は三人のトラブルメーカーを探す。
 
「とにかく早く見つけないと、何か嫌な予感がす‥‥‥‥」
 
「待て!」
 
 子供達のピンチに駆け付けるヒーロー。ショーでは常識とさえ言えるイベント。
 
 ゆっくり、ゆっくり振り返る。
 
「「‥‥‥‥‥‥」」
 
(‥‥‥‥遅かった)
 
 
「むぅ? その声はぁ、まぁさかぁ!?」
 
《さあ、皆! メロンパンサーちゃんが来てくれたぞー!!》
 
 「その声はぁ」はこっちのセリフである。
 
「参上であります(棒読み)」
 
「坂井君、あれ‥‥」
 
「‥‥言わないで」
 
「いや、でもあれ‥‥」
 
「言わないで」
 
 聞き覚えのある声に振り返れば、ヒーローショーの定番通りに現れた三人の着ぐるみ。
 
 ただし、中央の一人は頭から着ぐるみを越えて見慣れた触角を生やし、右の一人は明らかにぶかぶかでサイズが合っていない。最後の一人に到っては論外である、「あります」なんて普通は言わない。
 
「むう? 何か数が違うような‥‥‥」
 
「何を言う! 彼女達は本日限りの新メンバー!」
 
 あの、やたらノリノリなのは間違いなく平井だろう。
 
「メロンパンサー!」
 
 ビシッとメロンパンサー(平井)がポーズを取ると、左右の二人も続く。
 
「メロンパントマイム(棒読み)」
 
 ヨレヨレの着ぐるみでメロンパントマイム(ヘカテー)もポーズを取り、
 
「メロンパンネンクック(であります)」
 
 メロンパンネンクック(ヴィルヘルミナ)もポーズを決める。
 
「参上!」
 
「‥‥参上」
 
「参上であります」
 
 ドォオン!
 
 ちぐはぐなテンションの決めポーズにも関わらず、背後は水色、翡翠、桜色にそれぞれ爆発する。
 
「おまえのようなバイキン軍団に、ちびっこ達は渡せないのであります(棒読み)」
 
「とう!」
 
 メロンパンネンクック(ヴィルヘルミナ)の宣言が済むと、軽やかな跳躍。空中でくるくると伸身で二回転してからビシッと着地するメロンパンサー(平井)。
 
 着ぐるみなのにお見事である。
 
「お母さーん、あれメロンパンサーちゃんじゃないよー」
 
「メロンパンサーちゃんでしょ。『〜であります』とかいつも言ってるじゃない?」
 
「それ違う番組だよー」
 
 無邪気な子供の指摘は華麗にスルーして、ショーは続く。
 
「シャイニング・メロンパン・アタック!」
 
「ふん! そんな攻撃が俺様に効くものか‥‥」
 
 ビビッ!
 
 ちゅどぉーん!!
 
 メロンパンサー(平井)の触角がピシッとバイキン軍団のボスを指し、翡翠の光線を放つ。
 
(ホントに撃った!?)
 
 バイキン軍団のボスの足下から、爆竹程度の煙が上がる。
 
 悠二、ビビる。
 
(確かにあれくらいならショーの小道具とか言えなくもないかも‥‥)
 
 悠二の要らぬ心配も余所に、ショーはまだまだ続く。
 
「こ、こここんな攻撃が、おお俺様に効くものかぁああ!! く、くらえ! バイキン光線ー!!」
 
 ボスの攻撃。何か声が引きつっている上にやけくそ気味なのは、本気で怖かったものと思われる。
 
 それでもちゃんとやる辺り、プロ意識を感じる。
 
 オモチャの光線銃が光り、おそらくは事前に仕掛けてあったのだろう煙が、メロンパンサー(平井)の足下から上がる。
 
「くぅ! これはピンチ! メロンパントマイム! メロンパンネンクック! 今こそ力を合わせる時だ!」
 
 何やら倒れ伏しながら喚くメロンパンサー(平井)。
 
 今まで変なロボットダンスをしていた(パントマイムのつもりなのだろうか?)メロンパントマイム(ヘカテー)が動く。
 
「『星(アステル)』よ!」
 
(役を演じる気0!?)
 
 悠二の懸念も余所に、白きチョークが飛び、バイキン軍団に悉く命中し、倒していく。
 
「ねえ、坂井君。やっぱりあれ‥‥‥」
 
「‥‥知らない。僕は何も知らない。あ、向こうでポップコーン売ってる」
 
 悠二が幸せな現実逃避に走っているうちにバイキン軍団は一掃され、最後に残されたボスにメロンパンサー(平井)がとどめを刺す。
 
「う、うわぁああ!!」
 
「メロンパン・ローリング・ネックブリーカー!!」
 
 ドガァアン!!
 
「や‥‥‥やられた」
 
 カンカンカンカン!
 
 決着。
 
《お、おお〜〜!! メロンパンサーちゃんがやけに通好みの技で大勝利! ん? し、しかし‥‥‥?》
 
 いよいよショーもお開き、という時に、司会の青年がセリフに詰まる。
 
 カンフー映画ばりのアクションに、子供も大人もいつの間にか魅入られている後ろで、スタッフの一人がプラカードを掲げて見せていた。
 
《し、真の黒幕は、良い子の皆の中に紛れ込んでいた! 助けてメロンパンサーちゃん!!》
 
 急な進行の変更にも対処する司会。
 
「おのれバイキン軍団。ちびっこ達の陰に隠れるなど‥‥‥」
 
「言語道断」
 
 ヘカテーとティアマトーの口上、ここまでは、悠二ももはや達観したような気分で眺めていた。
 
「さあ、観念して姿を現せ!」
 
 役に入りきっているリーダー・メロンパンサー(平井)が、ビシッと観客エリアを指差す。
 
 その指し示す先は‥‥‥‥
 
「‥‥‥‥え゛?」
 
 残念ながら、比較的近くには小さな子供か、緒方しかいない。
 
 坂井悠二、ご指名である。
 
「ちょ、ちょっと待っ‥‥‥‥」
 
 あまりにあまりな展開に狼狽する悠二だが、すでに脅威は目の前に迫っていた。
 
 今回の元凶たる着ぐるみ戦士。
 
「そいや(棒読み)」
 
「うわあっ!?」
 
 投げ飛ばされて視界が回る、だけではない。
 
 視界全てを塞ぐのは、回転する景色ではなく、無数のリボンが織り成す純白。
 
(こ、これは‥‥‥‥)
 
 いつか、ヴィルヘルミナが、マージョリーにリボンを纏わせて、服を形成して着せていた事を思い出す。
 
 つまり‥‥‥
 
(やっぱりか‥‥!!)
 
 目の前に映るのは、二つの覗き(?)穴。
 
 おそらく、外から見た自分はさぞ見事に着ぐるみの悪役なのだろう。
 
 周りから聞こえる歓声を聞けば、もう引き下がる事は出来ない。
 
(やればいいんだろ! やれば!!)
 
「ふ、ふはははは! よくぞ見破ったなメロンパンサー! だがこれからが本番だ、かかってこい!!」
 
 これが終わったら、メロンパン探しなんて絶対手伝わない。
 
 そう固く誓いながら、白いビフィズス菌の着ぐるみの坂井悠二は、跳んだ。
 
 
 
 
「あ‥‥あ、あははは♪」
 
 とりあえず、笑うしかないと言わんばかりに、緒方真竹は空笑い。
 
 なし崩し的に巻き込まれた悠二の冥福を祈りつつも、平井やヘカテーの面倒は悠二が適役、というか他には無理だろう、と達観する薄情っぷりである。
 
「緒方真竹、あの四人、何やってるの?」
 
 いきなり声をかけられ、その声の主に仰天する。
 
「え、えぇ!?」
 
 長く艶やかな黒髪、ヘカテーとさして変わらない小ささと貫禄を備えた少女にして、今回の騒ぎのもう一人の発端、シャナ・サントメールである。
 
(こ、これは‥‥‥)
 
 影で事件を解決する、スーパーファインプレーのチャンスだった。
 
 
 
 
「‥‥‥ヴィルヘルミナが?」
 
「そうそう! シャナちゃんのメロンパン捨てちゃった事を反省して頑張ってるんだって!」
 
 事の顛末を説明し、ヴィルヘルミナの頑張りをアピールする。
 
 ‥‥まあ、ステージで暴れる姿のせいで色々台無しではある。
 
「ふぅ‥‥ん」
 
 眉を上げたり潜めたり、表情をコロコロと変化させるシャナだったが、最終的によくわからない表情で固定される。
 
「‥‥わかった。私とここで会った事は内緒にしてて。話は帰ってからする」
 
 最後にステージをジロリと一瞥してから、踵を返して立ち去る。
 
 最後のセリフは、どうとでも取れるような気がする。
 
(ん?)
 
 そこで緒方は一つの事柄に気付く。
 
(シャナちゃん、何でここにいたんだろ?)
 
 そういえば、ここにいた事を内緒にしろと言ったり、ステージの四人を一瞥して行ったり‥‥‥。
 
(‥‥‥もしかして)
 
 
 見に来ていたのだろうか?
 
 メロンパンサー・ショー。
 
 
 
 



[7042] 『メロンパン・ナ・コッタ(後編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/06/18 20:49
 
 デパート屋上での珍騒動を経て、メロンパン経験値を得た一行は、本題であるメロンパン探しに街を歩く。
 
「大体、シャナにあの変な理屈吹き込んだの、カルメルさんでしょ? 何でそのカルメルさんがわからないんですか」
 
 いい加減うんざりしてきた悠二が、元凶に恨めしげに訊く。
 
 シャナは、カリモフだの何だのと偉そうに語っていたくせに、本場のメロンパンを食べて感動していた。
 
 元々その筋に詳しいのではなく、誰かの受け売りである事は明白である。
 
 そして、悠二としてはこのテの妖しい知識を与えるのはヴィルヘルミナが一番疑わしい(そして、それは事実だった)。
 
「むむむ‥‥‥」
 
「はあ‥‥何がむむむですか」
 
 そんなやり取りから数歩遅れて女子三人。
 
「‥‥怒られました」
 
「‥‥‥ヘカテーまだいいじゃん。私なんか、直接巻き込んだカルメルさんより叱られた‥‥」
 
「‥‥‥そりゃ怒るでしょ」
 
 あの後、屋上でショーに乱入したばかりか悠二まで半ば無理矢理に巻き込んだ三人は、悠二からお叱りを受けた。
 
 悠二に怒られようが比較的どうでもいいヴィルヘルミナは平気だが、ヘカテーや、悠二に一番きつく叱られた挙げ句に拳骨まで頂戴した平井はションボリモードである。
 
「大体、単にシャナが好きなメロンパンっていうなら最初のコンビニでも見つかってるはずなんだから、メロンパン云々よりカルメルさんの誠意の問題じゃないんですか? 繰り返し謝ってればシャナだって許してくれますよ」
 
「甘い!」
 
 平井ゆかり、復活。
 
「その誠意を示すために究極のメロンパンを見つけようとしてるんじゃない! 謝るだけなら子供でも出来るよ!」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 もっともらしい事を言っているように聞こえなくもないが、悠二には、単に平井が、このイベントをまだ終らせたくない、と言っているように聞こえる。
 
(大体何だよ、究極のメロンパンって‥‥‥)
 
 協力者も増えた事だし、帰っていいだろうか?
 
「と、いうわけで私に妙案が‥‥‥」
 
「これ‥‥‥‥」
 
 平井の意気込みに水を刺すように呟いたのは、緒方真竹。
 
 指差すのは、一枚の張り紙。
 
『お料理教室・本日の課題・おいしいパン教室』
 
「これですよカルメルさん! これならシャナも絶対喜びますって!」
 
「喜ぶ‥‥‥」
 
 ヴィルヘルミナの料理の腕は知っているが、誠意を示すにはうってつけである。
 
 ヴィルヘルミナも、まんざらではないらしい。
 
 そんなこんなで‥‥‥
 
 
「んじゃ、こっからは二手に別れるって事で!」
 
「パン教室‥‥‥」
 
 行動方針が決まったのだった。
 
 
 
 
「ヘカテーもパン作りたかったんだ?」
 
「‥‥‥‥内緒です」
 
 ヴィルヘルミナは当然として、ヘカテーもパン作りを所望。
 
 この二人の面倒を緒方に任せるのは何かと不安であるため、悠二が随伴。
 
 何か変な事を主張していた平井には緒方がついて行った。
 
「こんな所で奇遇ですね坂井君☆ あとオマケ二人」
 
 お料理パン教室に参加していたヘカテーとヴィルヘルミナ、そして見学の悠二に、特徴的な猫なで声が掛けられる。
 
「‥‥吉田一美嬢、何故このような所に?」
 
「私はここの常連だからな。別に珍しい事じゃねえけど‥‥あんたと小動物がここにいるはレアな眺めだな」
 
「へえ‥‥。吉田さん料理上手いと思ってたけど、陰で努力してるんだ?」
 
「そりゃあもう☆ 惚れ直しました?」
 
 吉田の知られざる一面に感嘆を示す悠二を見て‥‥‥
 
(む‥‥‥!)
 
 ヘカテーも心中穏やかではない。
 
 シュッシュッ、と小刻みに空ジャブを繰り出しながら、吉田の周りを軽快なステップを刻みながら回る。
 
 ガシッ!
 
「ぴ!?」
 
「埃が立つから調理場で暴れんじゃねえよ」
 
 ‥‥のを、吉田に首根っこを掴まれて止められる。
 
 こと料理に関しては、それなりのマナーとこだわりを発揮する吉田である。
 
「とにかく、坂井君の頼みって言うなら、料理音痴二人の面倒、私がみてもいいですよ?」
 
 という吉田の申し出を、
 
「あ、だったら悪いんだけど、お願い出来る?」
 
 頼んだ覚えなどないが、悠二としてもこんな所で男が一人ぽつんと見学など最高に居心地が悪い。
 
 ヘカテーやヴィルヘルミナに気後れしない人間など希少もいい所、吉田がここに居合わせたのは望外の幸運だった。
 
 即座に食い付き、頭を下げる。
 
「私は料理音痴ではありません!」
 
 さらりと見過ごされた不名誉な単語に噛み付くヘカテーや、そそくさと建物の外で待っていようとする悠二を余所に‥‥
 
「はーい、皆さん。今日の料理教室はパンを行います。各自、準備を始めてくださーい!」
 
 メロンパン探し、否、メロンパン作りが開始される。
 
 
 
 
「‥‥で、ゆかり、ここに何があるわけ?」
 
「ふむ? 知らぬのかお嬢さん。遅れておるの〜」
 
「仙人口調」
 
 さして都会とも言えない御崎市、その住宅地の外れの、今やほとんど使われていないトンネルの前で、平井が緒方の問いに応える。
 
「あのミラー、おかしいと思わない?」
 
 何故か得意気に指差すのは、トンネルの出口付近のカーブミラーである。
 
「そういえば、何か角度とか変なような‥‥?」
 
 本来はトンネルを出てすぐの横道のための物なのだろうが、立っている位置や角度がおかしい。
 
 あれでは、どの角度から見ても薄暗いトンネル内の景色しか映らない。
 
「夕方の五時過ぎ頃、夕暮れの光に照らされたトンネルの一画、現れるはずのないそこにね、出るらしい」
 
(何が‥‥‥?)
 
 と思う緒方。少し、嫌な予感がする。
 
「カーブミラーに映らない、移動パン屋さん♪」
 
「‥‥もしかして、それって、怪談?」
 
「もちよ」
 
「怪奇現象」
 
「帰る!」
 
 今まで何のかんの言いながら付いてきてくれていた緒方、突然身を翻す。
 
「落ち着いてってばオガちゃん! 体験者の証言によるとそこのパンが夢のような美味しさらしいんだって!」
 
「怪談なんて聞いてたら始めからついて来なかったわよ! はーなーしーてー!」
 
 逃げる緒方を、平井が後ろからがっちりホールド。緒方より明らかに華奢な平井なのに、まるで解ける気配がない。
 
「オガちゃん、クールになろクールに。別に運転手がいないとかそういう話は聞かないし、よく考えてみ? パン屋だよパン屋」
 
 ピタリと、緒方が止まる。
 
 そうだ。今の話、不思議なのはいきなりパン屋が現れるというだけで、別に怖い要素なんてほとんどないではないか。
 
 大体、現れるはずのない、というのだって単に見間違いかも知れない。
 
 そして、自分より小柄な平井に後ろからホールド(平井の体制はそのまま)されているこの状態、実はちょっと辛い。
 
「‥‥‥何か会ったら逃げるからね?」
 
 渋々、承諾したのだった。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 よく考えたら、予測して然るべき事態だったのではないだろうか?
 
 料理に関しては素人の悠二だが、『手作りパン』が難しい品目だ、という事くらいはわかったはずだ。
 
 加えて、ヴィルヘルミナの悲劇的な料理下手。いかに吉田や料理教室の先生がついていたところで‥‥‥
 
(こう‥‥なるよなあ‥‥‥‥)
 
 建物破壊、とは言わないが、調理台一つは丸焦げという惨状。
 
 壊した損害の賠償をして、結局何も得られずに、とぼとぼと歩く三人。
 
「‥‥‥ヴィルヘルミナ・カルメル、まだゆかり達の方が済んでいません。あきらめるのは早いです」
 
 慰めるヘカテーだが、悠二としては、平井は頼りになるような、それでいてやたら不安でもある、という評価である。
 
 安易に賛同はしかねる。
 
「‥‥‥ったく、こんな事になると思ったよ」
 
 やたら頼もしい声が後ろから聞こえて振り返ると、いつの間にか消えていた(正確には、パン教室を出た時点でついてきていなかった)吉田一美。
 
「ほれ」
 
 無造作に突き出された紙袋を、ヴィルヘルミナは受け取る。
 
(この、香りは‥‥?)
 
 その香ばしい香りに誘われるように、封を開ける。
 
「っ!!?」
 
「‥‥いや、驚きすぎだろ」
 
 危うく取り落としそうになりながら再度確認する。
 
 メロンパンである。紛う事なきメロンパンである。
 
 黒くもないし、何より‥‥‥袋越しにも感じるこの焼きたて特有の暖かさ。
 
「細かい事情は訊かねえけどな。それとも、あんたが自分で作らなきゃ無意味か?」
 
 そういえば、吉田に詳細な事情を話してなかったな、と悠二が思う横で、ヴィルヘルミナが首をブンブンと激しく横に振る。
 
「冷める前にな。んじゃ、私来週の料理メニュー訊いてなかったから戻るわ」
 
 そう言って吉田が踵を返し切る前に、ヴィルヘルミナは跳び上がっている。
 
「感謝するのであります!」
 
 屋根から屋根へ跳び移りながら虹野邸を目指すその姿が、悠二、ヘカテー、吉田の目には少しはしゃいでいるように見えた。
 
 
 
 
「1、2、3‥‥‥」
 
 カウントダウン。
 
 5時55分55秒、夕暮れの赤い日差しが、トンネルの前に差し込み‥‥
 
「「0(零)!」」
 
「っ!?」
 
 不自然に、歪んだ。
 
「え、う、うそだよね‥‥‥?」
 
 目の錯覚、蜃気楼、陽炎の類に違いない。そう判断した緒方は、カーブミラーに目を向ける。
 
(映って‥‥ない!)
 
「い、いぃやあああー!! た、助け‥‥ゆかり逃げよう!!」
 
 半ば半狂乱に陥る緒方。だが、移動パン屋の車はゆるゆると近づいてくる。
 
「キャー! 助けてー! 怖いよー! すいません、メロンパンひと‥‥五つくださーい♪」
 
「五個要求」
 
 ズルッ! ゴツッ!
 
 平井の、あまりと言えばあまりの反応に緒方は状況も忘れて滑り、コンクリート壁に頭をぶつける。
 
「わ、オガちゃんだいじょぶ?」
 
「っ〜〜〜! っじゃなくて! 何でナチュラルにパン買ってんのよ!」
 
「だってパン買いに来たんだし。やっぱり運転手だっているし。。いいじゃん、心霊現象の一つや二つ♪」
 
 ガクン、と力なく膝をつく。
 
 そうだ‥‥。こういう娘だった。
 
「残念だったな。俺達の店は一日一種類のパンしか売っていない。今日という日に貴様がメロンパンを望んだところで、生憎と今日はコロッケパンの日であり、貴様にメロンパンを売ってやる事は今この場では俺の意思ですらどうにもならん。まあ、これも貴様自身の生の因業と受け入れるよりないな」
 
 長々と語る運転手。機械が邪魔で髪しか見えないが、凄い髪型である。
 
「あー‥‥、そうなんですか。目的変わるけど仕方ないかぁ。んじゃコロッケパン五つで♪」
 
「そう、貴女もこれを食べるのね。私達が作った手作り焼きたてパン。食べてごらんなさい。一口、そう、一口で貴女はもう私達の存在を無視出来なくなるわ」
 
 どういう事なのかわからないが、パン車両の中から、一匹の朱鷺色の蝶がぐいっとパンの入った紙袋を持ってくる。
 
「千円からで」
 
「あ、なるべくおつりは無しにしてくれないかしら。細かい小銭運ぶの大変で」
 
「チョウチョも大変ですねえ。ちょっと待ってください。五円玉あった気がする」
 
「仲間」
 
「もうやだ‥‥‥」
 
 
 呑気に買い物をしている平井の後ろで、緒方が膝を抱えて丸くなっている。
 
 
 
 
(私は‥‥‥私は何も見ていない!!)
 
 
 
 



[7042] 『メロンパン・ナ・コッタ(終編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/06/20 20:35
 
「‥‥いい香りであります」
 
 屋根から屋根に跳び移るヴィルヘルミナ。
 
 その顔には、今日一日の苦労が報われたという達成感が浮かび、それ以上に、少女の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
 
「このまま“一直線に”帰宅すれば、十分この出来たての状態で召し上がって頂けるはずであります。唯一の懸念は、あの子が家にいるかどうかであります。‥‥‥ティアマトー、聞いているのでありますか?」
 
 常なら彼女の頭に在るパートナーは今はいない。
 
 普段でも傍目には独り言に見えはするのだが、今回は実質的な、完全無欠の独り言である。
 
 ヴィルヘルミナはそれに気付かず気にもせず、まるでスキップのように屋根から屋根を舞う。
 
 しかし、物事とは都合良くは進まない。
 
 彼女が家に着いた時、シャナはいなかったのである。
 
 
 
 
「ん〜〜む、このコロッケの匂い、そして揚げ物の油分の量を感じさせない仕上がり。いい仕事してるねえ♪」
 
「職人芸」
 
「‥‥ゆかり、それ本当に食べるの?」
 
 同刻、朱鷺色の蝶のバックに刀が交差した特徴的なシンボルマークのついた紙袋を抱えるホクホク顔の平井と、不安丸出しの緒方真竹が街中心部を目指して歩いていた。
 
「わざわざ苦労して買ったのに、食べないわけないじゃん?」
 
「美味必至」
 
「‥‥その腹話術もいい加減やめてってば」
 
 というか、やはり食べるのか‥‥。そして、あのヘッドドレスは何だろうか。
 
 私服との組み合わせがアンバランスな分、下手をすると先ほどの怪しいメイドよりも一緒にいて恥ずかしい。
 
「だってよ、腹話術人形?」
 
「遠慮無用」
 
 自分の頭をポンポンと叩きながらわけのわからない事を言う平井、激しくシュールである。
 
「はぁ‥‥。もういいけど、ヘカテー達は何だって?」
 
「何か、カルメルさん一美のパン持って飛んでっちゃったみたい。こっちもコロッケパンだし。向こうは一美と合わせて五人だから丁度良かったか‥‥あ」
 
 バッタリ。
 
 元々示し合わせていた待ち合わせの公園の目前で、曲がり角から現れた悠二、ヘカテー、吉田を発見。
 
「見て見て! 幻のコロッケパン!」
 
「「「何を探しに行ってたんだよ(ですか)!?」」」
 
 ‥‥‥‥‥‥‥
 
「むむ! これは‥‥‥!」
 
「大げさなリアクションだな。でも、本当に美味しいな‥‥どこで買ったの?」
 
「‥‥‥坂井君、訊かないで、お願いだから。あれは私が見た白昼夢に過ぎないんだから‥‥」
 
「‥‥‥‥私が作ったのより美味いな」
 
「(‥‥もぐもぐ)」
 
 
 公園のベンチと、その真横のドーム状の遊具に居座って幻のコロッケパン、そして吉田がパン教室で作ったパン数点を食す五人。
 
 いかにも高校生らしい風景である。
 
「へえ? 一美が自分の負け、認めるんだ?」
 
「見栄張っても仕方ねえからな。‥‥にしても、いくらプロとはいえ、量産型のパンには負けねえ自信あったのに‥‥まだまだか」
 
 いつになく、殊勝な態度である。やはり料理に関してはその向き合い方が違うらしい。
 
「でも、一美のパンだって美味しいじゃん! 天敵のヘカテーがパクパク食べてるよ?」
 
 天敵、と言い切ってしまう緒方であるが、別にそれは当人達も当たり前に認識しているから全く問題ない。
 
 むしろ、『友達』という表現よりもしっくりくる。この二人はこれでいいのだ。
 
「まあ、私は坂井君にさえおいしいと思ってもらえればいいんですけどね☆」
 
 がさがさと吉田の横の紙袋を漁ろうとするヘカテーの手を、
 
「それは家の家族の分だ」
 
 吉田がぴしりと叩く。
 
 たとえ吉田の家族の分でなくとも、リスのように頬を膨らませて食べながら、次のパンを模索するのは感心しない。
 
「はは‥‥おいしいよ。そうそう食べられないくらい」
 
 そして、素直に褒める悠二を、今度はヘカテーが感心しない。
 
「ぐはっ!?」
 
 吉田が調子づく前に、ヘカテーのチョークが悠二の額を捉える。
 
「どうどうヘカテー、ヘカテーだって喜んでパクついてんだから、そこは認めないといかんよ」
 
「私だって‥‥やれば出来ます!」
 
「‥‥言うだけなら誰でも出来るわな」
 
 ゴォオオン!!
 
「ああ‥‥‥またヘカテーと一美‥‥坂井君止めてよー!」
 
「‥‥無理だって」
 
 
 女子四人男子一人、という不自然な構成ではあるが、実に平和な一時、平和とは得てして唐突に崩れ去る。
 
 坂井悠二には、
 
 シュルッ!
 
「ん?」
 
 まだ、最後の使命が残されている。
 
 
 
 
(一体、どこに‥‥‥?)
 
 せっかくシャナの為に手に入れた焼きたてメロンパンがその温かさと柔らかさを失っていくのを、ただ眺めている事に耐えられるヴィルヘルミナではない。
 
 自ら先んじて街に飛び出し、行方も知れぬシャナを探す。
 
 フレイムヘイズの感覚でも、街のどこにいるかもわからないシャナの居場所の特定は難しい。
 
 シャナが別段気配を隠していないとしても、である。
 
 それでも、ただ虹野邸で待ち続けるのは精神衛生上よろしくない。
 
「ティアマトー、あの子は普段の土曜日にはどこに出かけているのでありましょうか‥‥‥?」
 
 頭上にいる“はず”のパートナーに意見を訊くが、
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 返事はない。まあ、はじめから期待はしていない。自分も知らないのに、いつも自分の頭上にいるティアマトーだけ知っているなどまずあり得ない。
 
 屋根を軽く跳ねるヴィルヘルミナは、探索の中途で見かけた公園で‥‥
 
「む‥‥‥」
 
 シュルッ!
 
 レーダー(坂井悠二)を手に入れた。
 
 
 
 
「ぐえええええ!?」
 
「静かにするのであります」
 
 悠二の首にリボンを絡めて一本釣り、そのまま全くお構い無しに屋根から屋根に跳ねていく。
 
 だが、悠二とて無力ではない。首に絡んだリボンを力づくで外す。
 
「何なんだ! いい加減にしないとこっちも我慢の限度ってもんがあるぞ!?」
 
「抗議なら後ほどいくらでも承るのであります。それよりも‥‥あの子の所在を探って頂きたい」
 
 いい加減、理不尽に腹を立てる悠二だが、顔にこそ出ないがヴィルヘルミナも必死である。
 
 リボンを解いても何だかんだで並んで跳ぶ悠二も悠二だが。
 
「大体、飛ばないで“跳べば”目立ってない、みたいな認識をまず改めてくれ!」
 
「時間がない‥‥。今回ばかりは頭を下げるのであります。どうか、メロンパンが冷める前にあの子の居場所を‥‥‥!」
 
 ガンッ! と突然立ち止まったヴィルヘルミナが、
 
(えぇ!?)
 
 からくり人形のように腰を折り曲げた。かなりおかしな姿勢だが、どうやら頭を下げているらしい。
 
 “ヴィルヘルミナが悠二に、である”。
 
(ああ! もう!)
 
 先ほどの苛立ちなど軽々と吹き飛ばす驚愕、そしてあまりに不自然なこの状況の居心地の悪さを振り払うように、悠二が天に指した指から、『気配察知』の自在式の波紋が無数に広がる。
 
「! 世話になったのであります!」
 
 その波紋の流れがヴィルヘルミナにもシャナの居場所を教え、ヴィルヘルミナはすぐさま跳んでいく。
 
 悠二は、後を追わない。もう役目は終わったのである。
 
「‥‥‥‥浮、気?」
 
「‥‥違うってば」
 
 釣り上げられた悠二を、わずか遅れて追ってきていたヘカテーが、追い付くや否や疑惑の眼差し。
 
「とりあえず、もう大丈夫だと思うよ」
 
 
 悠二とヘカテーが見送る先に、微笑ましい親バカが跳ねる。
 
 
 
 
「ただいま戻ったのであります」
 
「‥‥ヴィルヘルミナ?」
 
 スーパーから、少し警戒を表した顔で現れたシャナの眼前に、ヴィルヘルミナは飛び下りる。
 
 やはりまだ怒っているのか、とヴィルヘルミナの顔に緊張の陰が差す。
 
 が、シャナの表情が険しい原因は別にある。
 
「ヴィルヘルミナ・カルメル。先ほどの『気配察知』、よもやおまえの差し金ではあるまいな?」
 
(あ‥‥‥)
 
 そう、確かにこの街には異能者が複数存在するが、日頃から自在法を多用しているようでは、いざという時に異変かどうか判断出来ない。
 
「それについては申し訳ないのであります。実はこれを‥‥‥」
 
「はい、これ」
 
 軽く弁解し、今の自分の最重要任務を遂行しようと紙袋を差し出そうとするヴィルヘルミナ、よりも早く、シャナが差し出す。
 
「これは‥‥‥」
 
 メロンパンである。今朝買った物とは違う銘柄だが、ただのメロンパン。
 
「これ、思い出せない?」
 
 包装や価格には、別段変わった所は無い。
 
「もう‥‥。『天道宮』を出る時にヴィルヘルミナがくれたのが、このメロンパンだったの!」
 
「!」
 
 その、思わぬ言葉に驚くヴィルヘルミナだが、そのメロンパンの外見自体は思い出せない。
 
「せっかく復刻版っていうのが出てたから二人で食べようと思って買ってきたのに、捨てちゃうんだもん」
 
「むむ‥‥‥」
 
 思い出せない事も含め、罪悪感が膨れ上がる。
 
「でも、もういい。一緒に食べよ?」
 
「っ‥‥‥‥!」
 
 感涙に浸り、メロンパンを受け取る。
 
 
 思い出のメロンパンと、思いやりのメロンパンを食べながら、『親子』は並んで、微笑んで、歩いた。
 
 
 
 
「‥‥‥ゆかり、一美、結局、今回どういう事だったんだろうね?」
 
「まあ、こういうすれ違いロマンスもたまには良いじゃん♪」
 
「親子物語」
 
「メロンパンなこった(事だ)」
 
 
 
 



[7042] 『ゴースト・パニック(前編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/25 22:47
 
「放課後の白い影〜〜?」
 
 春休みを間近に控えた御崎高校一年二組の教室に、非常に胡散臭そうな呟きが漏れる。
 
「そ! 最近新たに発覚した御崎高校七不思議!」
 
「?」
 
 あれだけ長期休校をかましたのに補講もなく、代わりに出された膨大な量の課題に勤しむ坂井悠二(どんなずるいテを使ったのやら)。
 
 その前で得意げに人差し指を立てて胸を張る平井ゆかり。そして、可愛らしく小首を傾げる、悠二の横で課題を見ていた近衛史菜‥‥本名・ヘカテー。
 
 何やら、ゆかりは『七不思議』という言葉を使いたいだけのような気もするが、要約すると、こういう事らしい。
 
 先日、一年二組の副クラス委員たる藤田晴美が少々遅くまで校舎に残っていた時に‥‥‥
 
 見たらしい。
 
 図書室の前辺りの廊下で、ぼんやりと色づき、消える‥‥‥白い人影を。
 
 
「‥‥‥それで?」
 
「わかってて訊いてるね?」
 
 ゆかりの後ろで、チラチラと田中の方に視線を向ける緒方真竹と、ゆかりの性格、そして今の話‥‥次に言いだす事は、確かに予想がつく。
 
「今晩! 我々はこの校舎に肝試しに侵入しようと思います! 異論は認めず!」
 
 未だに課題が済んでいないのは自分一人、幽霊‥‥と言われてもやる気が出ないのも事実。しかし‥‥
 
「「♪」」
 
 結局、好奇心に揺れるヘカテーの瞳と、ワクワクに揺れるゆかりの触角には抗えなかったりするのだ。
 
 
 
 
 こうして、午後九時。
 
『田中君は強制参加ね』
 
『何で!?』
 
 田中栄太。
 
『ま、いいけど』
 
 吉田一美。
 
『一美も来るんだけ‥‥』
『行く!!』
 
 池速人。
 
『佐藤、友達でワイワイやるのも久しぶりだし』
 
『ん〜〜、わかった』
 
 佐藤啓作。
 
『シャナ、今度おばさまが手作りメロンパンを作ってくれるそうですが‥‥‥』
 
『わかった、行く』
 
 シャナ・サントメール。
 
 
 といった勧誘を経て、元々行く予定だった悠二、ゆかり、ヘカテー、緒方を含めた計九人が、校舎裏に集合した。
 
「話を持ってきた私が言うのも何だけさ。‥‥‥見回りの先生とかに見つかったら大変だよね‥‥‥」
 
「大した事ではありません」
 
「万が一の事があれば、こっちの姿を確認される前に気絶させればいい」
 
 この期に及んで怖じ気づく緒方を安心させようと、物騒な保険で逆に不安を煽る小っさいの二人。
 
「まあまあ、『見回りに見つからないように幽霊の正体を暴く』のが主旨だから。あんまり無闇に当て身とかしちゃダーメ♪」
 
 ゆかりがゲーム感覚で話をまとめながら、放課後こっそり開けておいた窓を指差す。
 
「‥‥‥いざとなれば気絶させる、って所は否定しないんだな」
 
「俺たちなら『いざとなりゃ逃げろ!』、って言う所だよな」
 
「それもどうなのよ、もう‥‥!」
 
 三人娘の物騒な発言に、中学時代にヤンチャしていた佐藤と田中が妙な形で感心しつつ、緒方がそれに呆れながらも付いていく。
 
「ま、その方が手っ取り早くていいですけどね」
 
「そんな吉田さんも、イイ‥‥‥」
 
 そして吉田と池が続く。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 最後に悠二が、黙って「いざとなれば、僕がなるべく穏便に眠らせよう」、と内心で決意しつつ、放課後校舎の肝試しが始まる。
 
 
 
 
 元々は、緒方による‥‥‥まあ、肝試しにありがちなシチュエーションを狙っての企画だったのだから、二人一組の予定だったのだが‥‥‥‥
 
「三人一組で、十分おきに一組ずつ出ていく方式ね♪」
 
 言って、三色の印を握って隠した九本の割り箸を差し出すゆかり。
 
 まあ、九人では二人一組で割り切れないし、校内を徘徊する別働隊が増え過ぎて、見つかる危険も高まる。
 
 調子に乗って、誘いすぎたかも知れない。
 
 結果的に、二人っきりどころか組分けもくじになってしまい、ややへこむ緒方を含め、くじが引かれた。
 
 結果‥‥‥‥‥
 
 
 『赤』・シャナ、佐藤、吉田。
 
 『緑』・田中、緒方、ゆかり。
 
 『青』・悠二、ヘカテー、池。
 
 
「ではでは! まずは赤組の皆さん、どぞー♪」
 
「ゆかり、あんまり騒がない。校舎に入る前に見つかるよ?」
 
 窓から赤組の三人が校舎に乗り込み、肝試しの幕が開ける。
 
 
 
 
「‥‥‥‥なぁ」
 
 炎髪灼眼のフレイムヘイズと、世界規模の戦場へと直接赴く女子高生、という二人がいる状況で、オバケ騒ぎに怖がる気にもなれず、夜の校舎の奇妙な静けさの中で、佐藤が口を開く。
 
 何となく、普段言いにくかった事が、口を突いて出た。
 
「「‥‥‥‥‥ん?」」
 
 どちらに掛けられた言葉なのかわからずに、シャナと吉田の両方が振り返る。
 
 構わず、問い掛けた。
 
「‥‥『大命』の内容ってのを、フレイムヘイズが先に知らされてたら‥‥‥」
 
 フレイムヘイズとして戦ったシャナ、あの時、自分よりずっと"近くて遠く"を見据えて、人間の身であの戦いに介入した吉田。
 
 どちらにも、訊いてみたかった。
 
「あんな戦いは‥‥起きずに済んだのか?」
 
 実際にその戦いを見たわけじゃない。全てが済んだ後に、話をマージョリーや悠二たちから聞かされただけ。
 
 そんな"蚊帳の外"にいた佐藤は、今も自分の生きる新生した世界の事を知って、"それの生んだ"甚大な被害を不毛に感じていた。
 
 それを‥‥‥
 
「いや‥‥それはあるまい」
 
 シャナの胸元の『コキュートス』に意識を表出させるアラストールが、一言で断じた。
 
「結果的に成功しただけで、危険な秘法だった事に変わりはない。世界を歪ませる危険を、フレイムヘイズは看過出来ない」
 
 シャナが続け、
 
「実際に、『大災厄』は起きたわけですし。『調律』が上手く行かなかったらと思うとゾッとしますね」
 
 続けて説明する吉田の笑顔に戦慄しつつ。
 
 そして、
 
「それも、今や過去の事だ」
 
 佐藤が口を開く前に、アラストールが締めた。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 佐藤が一番、不安で、脆く感じていた『今』。
 
 その答えを、もらったのだ。
 
(仲間と戦う理由ごと、ねじ伏せた、か‥‥‥‥)
 
 世界の理も、どうしようもない現実も、自分の前に立ちはだかるもの全て薙ぎ払って、坂井悠二は帰ってきた。
 
(あの坂井が、か‥‥‥‥)
 
 もはや、嫉妬する気も起こらない。
 
 完全に、男として憧れる存在として、その背中を思い浮べて。
 
(よし‥‥‥‥!)
 
 競うつもりではなく、目指すつもりで、一層のやる気を自身の内にたぎらせる。
 
 紅世の徒が人間を喰う"必然性"が無くなったとはいえ、徒が、基本的に欲望の儘に生きる種族である事には変わりない。
 
 フレイムヘイズの在り方、守るものは、これから変わって行くだろう。
 
『いつか‥‥あんた達が最初に"勘違いしてた"、本当の意味での"正義の味方"になるかも知れないわね』
 
 先日マージョリーが、冗談半分に言っていた言葉が浮かんで、またやる気になる。
 
 
 そんな決意を新たにする佐藤の前で‥‥‥‥
 
「‥‥‥と、シャナちゃん?」
 
「? ‥‥‥どうしました?」
 
 先頭を吉田と並んでいたシャナが、唐突に足を止めた。
 
「気付いたか?」
 
「‥‥‥うん」
 
 アラストールと短く確認しあったシャナが、
 
「おわっ!?」
 
 突然、隣を歩いていた吉田の襟首を引っ張り、後ろの佐藤に押しつける。
 
「何の気配、だろ?」
 
「わからん。だが‥‥少なくとも人間ではない」
 
 状況をわかっていない吉田と佐藤の方に振り返らず、ただ手で「退がれ」と示す。
 
「そういう事だから、とっくにバレてる。姿を見せたら?」
 
 夜の校舎に黒衣が広がり、炎髪灼眼が煌めく。
 
 
 
 
 先に緑組が出発し、最後の青組・悠二、ヘカテー、池。
 
 まさに緒方が望んだシチュエーション通りに、ヘカテーは悠二の腕に自身の腕を絡めて、ぴっとりと寄り添う。
 
「ヘ、ヘカテー? 『星黎殿』にいた徒とかに慣れてて怖くないんじゃ‥‥‥?」
 
 悠二の言葉に、ヘカテーは首をふるふると横に振って、全身で抱きつく。
 
 話を訊くと、どうやらこういう独特の雰囲気と、徒の外見の怖さは一致しないらしい。
 
 西洋ホラー映画と和製ホラーの映画違い、のようなものだろうか。
 
 ヘカテーの嘘はすぐわかるから、一応怖いのは怖いらしい。
 
 ‥‥‥甘えたい、という要素も強いと見るが、まあ、やはり自分も嬉しいから強く止めはしない。
 
 そんな幸せ者には、当然文句も飛ぶ。
 
「はぁ‥‥‥、吉田さんと二人で肝試し出来ると思って来たのに。何でこんな間近で他カップルを見せつけられなくちゃならないんだ‥‥‥‥」
 
 クラスのヒーロー・メガネマンにして、無自覚に世界を救った救世主・池速人である。
 
「しょうがないだろ、くじなんだから」
 
「ゆかりも似たような状況です。運を引き寄せるのも実力の内」
 
 だから問題ない、とばかりに思う存分悠二の腕に抱きつく‥‥‥というよりぶら下がるヘカテー。
 
 若干の申し訳なさを含んだ悠二の視線を受けて、池は仕方なくオマケの身に甘んじ、後ろをとぼとぼと付いていく。
 
(でも‥‥こういう肝試しって実は最後尾が一番怖いんだよなぁ‥‥‥)
 
 などと、情けない事を考える池、その、足下‥‥‥‥
 
「‥‥っひゃあぁ!!」
 
 を、何かが通り過ぎた。
 
「「っ!」」
 
 途端、その白い何かを避けて、悠二とヘカテーが弾けるように離れた。
 
 間一髪、その間を白い影が通りすぎる。
 
 その姿を見れば‥‥‥
 
「‥‥‥ね、こ?」
 
 ただの猫ではない。全身から淡く光を放つ‥‥小さな白猫。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 その姿に警戒を解いたのか、しゃがんで指をちょいちょいと動かすヘカテー。
 
 ヘカテーは何故だか動物に好かれる。大抵の動物はこれで懐く。
 
 果たして、白猫は動いた。否、『変化』した。
 
 淡い光が強まり、白い影が広がり、膨らむ。
 
(まずい‥‥!)
 
 未だ、一体何かわからない妖しい白い影。
 
 だが、明らかに普通ではない。とりあえず、妙な動きをされる前に‥‥‥
 
(封ぜ‥‥‥‥)
「っ!?」
 
 因果閉鎖空間・『封絶』を展開しようとして、愕然とした。
 
(封絶が‥‥使えない!?)
 
 自在法を展開しようとする過程で式の構成が乱れて、顕現しない。
 
「くそっ!」
 
 構わず飛び出し、左の拳を思い切り突き上げる。
 
 人型に変化した白影は顎を引いてこの拳撃を躱す。
 
(もらった!)
 
 上体を反らした、不安定な体勢の影に向けて、初撃で捻った腰を思い切り回して、右の拳を突き出した。
 
 ‥‥‥‥瞬間、
 
「っな!?」
 
 不可思議な空間の捻れを感じて、まるでビデオテープを切って繋げたように一瞬で、人影が角の向こうへと移動し、そのまま姿を消した。
 
「悠二」
 
「さ、坂井‥‥‥?」
 
 神妙な表情のヘカテー、腰を抜かす池。二人を見やって、悠二も頷いて、自分の感じた確信を口に出す。
 
 発動しなかった封絶、先ほどの空間が捻れた時の感覚、未だに、自分の感知能力でも気配を掴む事が出来ない。だが‥‥‥‥
 
 
「何か、いる‥‥‥‥」
 
 それも、
 
「幽霊なんかじゃ、ない」
 
 
 
 



[7042] 『ゴースト・パニック(中編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/26 16:42
 
「ふむふむ♪」
 
「「‥‥‥‥‥‥‥」」
 
 手が触れるか触れないか、といういかにもぎこちない田中と緒方を、後ろからニヤニヤ眺めるゆかり。
 
 夜の校舎で二人、と言えば距離が縮まりそうなものだが、残念ながら、真後ろに野次馬がいては普段以上にくっつき辛い。
 
「あ、はは‥‥ごめんね、ゆかりも坂井君と一緒が良かった?」
 
「気にしなさんな♪ どうせ私が、『オバケ怖い〜』ってのはキャラ的に無理があるから」
 
 苦笑い混じりに言ってみた緒方に、実にもっともな応えを返すゆかり。
 
 ちなみに、『ゆかりが悠二を好き』というのは周知の事実となっている(ゆかりが隠してないから)。
 
 まあ、ヘカテーが転校してくる前から色々邪推されていたし、それ以降もひたすら仲が良かったからあまり驚きはしなかったが。
 
 しかし‥‥‥‥
 
(もしかして‥‥ちょっと拗ねてる?)
 
 ゆかりが言った事ももっともなのだが、こうして野次馬みたく後ろでニヤニヤしてるゆかりの笑顔が若干怖い。
 
 公平なくじなのだからあれなのだけれど、何か悪い事した気分になる。
 
 などと、考えても仕方ない事を考える緒方。
 
 その、目の前‥‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥へ?」
 
 不気味にふわふわと揺れる‥‥‥人魂。
 
「キィヤァアアアアア!!」
 
「オ、オオオオガちゃんん!?」
 
 半ば以上に信じていなかった心霊現象を前にして、たまらず緒方が卒倒し、田中が慌ててそれを支える。
 
(人、魂‥‥‥?)
 
 色々と場慣れしているゆかりが、こんな時でも冷静に眼前の光景を認めて‥‥‥‥
 
「よっ!」
「っわぁあ!?」
 
 田中の足を後ろから払う。そのまま、田中をクッションにして二人して倒れこみ、ゆかりが人魂の前に立ちはだかる。
 
「封絶!」
 
 異常に際した条件反射のように『一般人』を破壊から隔離させようとして‥‥‥
 
「‥‥‥って出ない!?」
 
 それが不発に終わった事に驚愕する。
 
 しかし、それでも目の前の人魂に構えを取る。
 
(封絶無しで炎弾とか使えないし、体術で戦うしかないかな‥‥‥‥)
 
 しかも、狭い廊下である。正体不明の相手に不利を感じて内心焦るゆかりの前で‥‥‥‥
 
「ふぇえっ!?」
 
 人魂が、一つ、二つ、三つ、どんどんとその数を増やしていく。
 
 とても、体術だけで対処出来る数ではない。
 
 その時‥‥‥‥
 
「う‥‥‥うわぁああああ!!」
 
「!?」
 
 こういった非日常にトラウマを持つ田中が、恐怖の絶叫を上げた。
 
 それはゆかりに、封絶も無い至近に守る対象がいる事を明確に伝え‥‥‥
 
「『銀律万華鏡(カレイド・ミラーボール)』!」
 
 銀鏡の防壁が、田中と緒方を包み込んだ。
 
 
 
 
「叫び声‥‥オメガと高菜です」
 
「他の組にはシャナちゃんや平井さんもいるから、そうそうやられるわけないんじゃないか!?」
 
「池、自分で走れよ‥‥‥‥」
 
 さっきの騒ぎで腰を抜かした池のベルトを片手で掴んで走る悠二。いつか、メリヒムにこの運ばれ方をされて不満を漏らした事があるが、なるほど‥‥‥確かにあまり抱える気にはならない。
 
「な、何だ今の叫び声は!?」
 
「!!」
 
 悠二たちと同じく、叫び声に気付いたらしい見回りの教師の姿を‥‥人間には見えない暗闇で、悠二が捉えた。
 
「池(行けぇ)!!」
 
 すかさず、掴んでいた池を勢いよく放り投げる。
 
「おどぅわぁあああ!?」
 
「ほげぶっ!?」
 
 いい感じに直撃して、教師を昏倒させた。
 
(ああ‥‥‥本当ならもっと穏便に済ませたかった)
 
 結局自分自身が教師を気絶させた事に若干頭を抱えつつ、走り抜けざま、グロッキーの池を拾い上げる。
 
「坂井‥‥‥‥僕は、いつか必ずお前を‥‥‥‥」
 
「いました!」
 
「ゆかり!」
 
 何か恨み言をぶつぶつと言っていた池を無視しつつ、二階の図書室前で狼狽えている田中、倒れている緒方‥‥そしてゆかりを見つけた。
 
「あ‥‥坂井、平井ちゃ‥‥‥俺たち守って、壁みたいなのが割れたら、もう倒れて‥‥‥」
 
 田中のわかりにくい説明を聞き流しながら、ゆかりの体を起こし、状態を見る。
 
 ミステスの体が残っているのだから、当たり前だが生きてはいる。そして‥‥傷一つついていない。
 
「田中、緒方さんは‥‥?」
 
「い、いや! オガちゃんは人魂見て気絶しただけなんだ!」
 
 慌ててそう言う田中、続けて何か言いたそうに口籠もったが、残念ながら今は田中の自己満足のための謝罪を受けている場合ではない。
 
「田中、緒方さんを図書室に運んで」
 
 言って、自分はゆかりを抱きかかえて、鍵穴に銀に光る指を数秒かざした後、図書室に入る(無論池とは違い、姫抱っこである)。
 
 田中が慌てて続き、ヘカテーが池の襟首を片手で掴んで引きずり込む。
 
 ヘカテーを除く全員を図書室に確保した後‥‥‥
 
「‥‥‥‥ふっ!」
 
 ヘカテーを連れて図書室を出た後、その扉に手を突き、扉のみならず、窓も壁も、図書室全体を自在式の防壁で包んだ。
 
「ヘカテー、どう思う?」
 
 そして、改めて正体不明の何かが潜む校舎に目を向け、傍らの、少しぷるぷると震える恋人に訊く。
 
「外傷が一切なく、ゆかりの速さでも一瞬で捕まえられてしまった。‥‥‥ほぼ間違いなく、幻術の類の力だと思います」
 
「‥‥‥うん、そう思う。僕の時も、似たような力だったし」
 
 相変わらず、封絶は使えない。いつかのミサゴ祭りで、教授に封絶を封じられた時と同じである。
 
 自在法‥‥‥間違いなく、徒‥‥あるいはフレイムヘイズの仕業。
 
「ゆかりは幻術や撹乱が苦手です、それに封絶が使えなかった。ですが‥‥」
 
「‥‥‥うん。シャナたちは、どうなってるだろ?」
 
 シャナには『審判』がある。幻術を仕掛けられたとしても、逆に本体の居場所を見極められる。
 
「行こう」
 
 しかし、その予測は外れる。
 
 今まさに行かんとする悠二の視界に映ったのは、シャナをおぶって歩く吉田と、佐藤の姿だった。
 
 
 
 
「‥‥‥つまり、どういう事なんだ?」
 
「‥‥我にもわからん」
 
 その場にいたらしいアラストールに話を訊いても、ゆかりの時以上の情報はわからない。
 
 いきなりの出現・襲撃、そして幻術らしき攻撃を受け、『審判』を使っていたにも関わらず、シャナは突然奇声を上げて卒倒した、という事らしい。
 
「単なる幻術じゃなくて、精神攻撃でもあるのか‥‥? それにしても‥‥‥」
 
 やり方が、奇妙だ。
 
 封絶を使えないようにして、こっちの動きを制限した上で、向こうは幻術系の自在法を存分に使う。
 
 一見、実に合理的なやり方に見えるが‥‥‥‥
 
(わざわざ"あっちも"建物に被害の出ないような攻撃をしてきたり、気絶させた相手に攻撃を加えてなかったり‥‥‥‥‥)
 
 相手の狙いが、わからない。
 
(‥‥‥‥‥‥いや)
 
 実を言えば、"まさか"、という一つの結論はある。
 
 そして、もしそれならば、ほとんどの疑問が解決する。
 
 どちらにしろ‥‥‥‥
 
(直接会ってみないと、わからないな‥‥)
 
 悠二は、隣でゆかりどころかシャナまでやられた事態に警戒しているヘカテーの胸元‥‥『緋願花』お揃いのロケットに手を伸ばす。
 
 
 
 
 トン‥トン‥トン‥‥
 
 夜の静かな校舎に、悠二とヘカテー、二人の足音が響く。
 
(来た!)
 
 しばらく自身を囮として徘徊していると、ゆかりやシャナを襲ったであろう人魂が、自分たちの周囲にフワフワと滞空し始めた。
 
 運が良い、ここの廊下は、他よりずっと広い。
 
「ヘカテー!」
 
「はい!」
 
 悠二は自分の額に指を二本当て、ヘカテーは胸元のロケットを握りしめる。
 
 人魂が、まるで死霊の群れのように襲い掛かり‥‥‥
 
「はっ!」
 
 それら全てが、悠二とヘカテーを取り巻く銀の自在式に弾かれた。
 
 先ほどヘカテーのロケットに仕掛けたのは、この幻術返しの自在式。
 
 強い意思総体と、自在式による耐性があれば、幻術など効きはしない。
 
 弾かれ消える人魂の一つが消えず、淡い銀光を帯びて、飛ぶ。
 
(掛かった!)
 
 この幻術を仕掛けた‥‥自在師へと返る。
 
 タンッ!
 
 ヘカテーが軽やかに跳び出し、廊下の角に潜んでいたらしい、怪しい人影に『トライゴン』を振るう。
 
「っ!」
 
 すると、またも悠二の時と同じように空間が捻れて、一気に離れ‥‥‥
 
「逃がすか!」
 
 る前に、悠二が廊下をパンッと叩き、逃げる先に鎧や歯車、発条、果ては機械までをグシャグシャに混ぜ合わせた銀の金属壁が聳え立った。
 
「手に!」
 
「はい」
 
 一声で互いの意思を確認しあった悠二の手に、ヘカテーが"乗る"。
 
「っおおぉ!」
 
 そして、悠二の怪力によって、ヘカテーが弾丸として投げ放たれた。
 
「っ!?」
 
 レインコートで姿を隠しているらしい怪しい人影は、そのヘカテーを慌てて躱し、しかしヘカテーは銀壁に着地、そのまま『トライゴン』で攻め立てる。
 
 それを、ひたすら後退して躱すレインコート人間。
 
「"やっぱり"、格闘は苦手か‥‥‥」
 
 そして、悠二が再び床に手を突く。そこから、床を、壁を、天井を、無数の銀色の自在式が這い、迫る。
 
 それは、至近にいるヘカテーには影響を及ぼさずに、人影に襲い掛かり‥‥‥
 
 それら全てが、制御を奪われた。
 
 "深緑"に、その色を変えて。
 
 
「少しは、自在法の扱いがマシになったな」
 
「やっぱり‥‥‥何やってるんだ、"師匠"」
 
 弾け散った自在式、それと一緒に破れたレインコートの下の姿は‥‥‥‥
 
 
 紫の短髪の、儚げな印象を与える‥‥少女。
 
 
 
 



[7042] 『ゴースト・パニック(後編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/27 16:02
 
「どうやら、感付いていたようだな」
 
「まあ、こんな事出来る使い手なんて限られてるからね」
 
 リャナンシーの感心に、悠二は少し肩をすくめて応える。
 
 自分たちから完全に気配を隠し、封絶を使えなくし、接近戦の連撃の合間に複雑な自在法を割り込ませ、シャナやゆかりを翻弄し、気絶させる。
 
 こんな無茶苦茶な自在法の行使が出来る者が、そうそう居るわけがない。
 
 それに、皆に対して危害を加えていなかった事を考えても、やはり一人しか思い浮かばなかったのだ。
 
「まあ、立ち話もなんだ。ひとまず、ここに入ろうか」
 
 言って、リャナンシーは真横の一室を指差す。
 
 
 
 
 
「何だ、ここ‥‥‥‥」
 
「宿直室だ」
 
 御崎高校の生徒である悠二やヘカテーでさえ、初めて知る一室に招かれる。
 
 入って一番、部屋に堂々と飾ってある例の絵画が目に入る。
 
 テレビ、コーヒーメーカー、高く積まれた‥‥何語かわからない字で書かれた本。脱いだまま放置してあるらしいパジャマ。
 
 ‥‥‥‥何この生活臭。
 
 てきぱきと片付け、中央の机に悠二とヘカテーを座らせるリャナンシー。
 
「それで、何で幽霊騒ぎなんて起こしたんだ?」
 
 その問いに、リャナンシーは数秒黙って‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥長くなるぞ?」
 
 と、往生際悪く呟いた。
 
 
 
 
「‥‥‥‥つまり」
 
 旅の路銀が少なくなってきていて、ホテル代も惜しい状況になり、この学校の教師の"認識を弄って"、宿直室を占領。
 
 とはいえ、ずっと引きこもっているのも気が滅入る。たまに出かける時に姿を見られ、その外見的特徴から自分たちにバレてしまう事を危惧して、幽霊に扮した。
 
 しかし、結果的に幽霊騒ぎが自分たちの興味を惹いてしまい、致し方なく、撃退しようという結論に達した、と。
 
「‥‥‥‥‥はあぁ〜〜〜〜」
 
 長く、重い溜め息が吐き出される。
 
 何でわざわざ幽霊に扮した、とか、何でわざわざ学校に住み着いたのか、とか‥‥ツッコミ所が多すぎる。
 
「あの戦いの後、どこに行ったのかと思っていましたが、吉田一美と池‥‥‥を送った後、そのまま住み着いていたのですか?」
 
「‥‥‥まあ、そういう事だ」
 
 ‥‥‥ヘカテー今、絶対池の下の名前忘れてたな。
 
「師匠のイメージが崩れた気がする‥‥‥‥」
 
「人や物事の綺麗な面だけに目を向けるのは感心せんな。あらゆる視点から見たあらゆる側面を受け入れねば、それは本当の理解とは程遠い」
 
 ちょっと良い事言って誤魔化そうとするな。
 
「はあ‥‥何か疲れた。早く戻ろう、緒方さんが起きたら面倒な事になるし」
 
「そうか‥‥。ではまたな」
 
「師匠も宿直室は禁止!」
 
 
 
 
「ゆかり! ゆかり!」
 
「う、う〜〜〜ん‥‥‥」
 
 起きない、仕方ないからおぶって帰ろうか。
 
 とにかく、緒方が起きる前に、この‥‥シャナやゆかりまでが気絶しているという不自然極まる光景を何とかしなければならないのだ。
 
「田中、オガちゃんおぶってけよ」
 
「お‥‥お前なあ!!」
 
 危険のない事を知って田中をからかう佐藤、真っ赤になって怒鳴る田中。緒方はまだ起きていないが、あるいは佐藤の提案が一番確実かも知れない。
 
「うぅ、う〜〜ん‥‥‥」
 
(あ、ゆかり起きそう)
 
 これなら、後はシャナさえ起きれば‥‥後で緒方が起きた時に『オガちゃんは怖がりだなぁ〜』とか佐藤辺りに言ってもらえば万事解決。
 
 そう思って、ヘカテーが起こしているだろう、シャナの方に目をやろうとして‥‥‥
 
「しが‥‥もぞもぞした毛むくじゃらが‥‥‥」
 
(ん‥‥‥?)
 
 何やら、寝ぼけたような、怯えたような声が聞こえて‥‥‥‥‥
 
「虫‥‥‥毛虫‥‥毛むくじゃらぁぁ‥‥‥!」
 
 背中に、軽い衝撃が‥‥‥‥
 
 目の前、起きたゆかり。
 
 後ろ、シャナを起こしていたはずのヘカテー。
 
 何故か、そこにシャナはいない。
 
 ヘカテーが、ゆかりが、目を見開く。
 
 いい加減、"誰"が背中に貼りついているのか気付く。
 
(師匠‥‥‥‥よりによってシャナに何て幻術を‥‥‥‥)
 
 サササッと、移動してみる。ヘカテーとゆかりの視線は、固定したように動かない。
 
 あ、ヘカテーの指先と、ゆかりの触角の先が水色と翡翠に光っている。
 
 歩くたびに引きずるこの軽い重みを払いのけて、避けるというわけにもいかない。
 
(‥‥‥‥‥まあ、何ていうか。これも好意の裏返しというか、可愛いやきもちみたいなものだって考えたら、むしろ嬉しいものなんだ。そうに違いない)
 
 そう、無理矢理ポジティブに考える悠二に‥‥水色と翡翠の光が直撃した。
 
 
 
 
「‥‥‥‥はぁ」
 
 昨日は散々な目に遇った。あれからヘカテーもゆかりも素っ気ない(昨晩、ヘカテーはゆかりと一緒に寝た)。
 
(僕が何したって言うんだ‥‥‥)
 
 何か理不尽なものを感じるが、まあ、ヘカテーたちは本気で怒っているというより、怒っている風に見せて、自分を困らせようとしている。
 
 つまりは拗ねているわけだから、何かご機嫌を取らねばならない。それがわかると、そんな仕草も可愛く見える。
 
 などと、朝のホームルームの最中に、どうやって機嫌を直してもらおうかと思考に耽る悠二。
 
「池、昼休みに生徒指導室に来るように」
 
「えぇっ!?」
 
 そんな話が、チラッと聞こえた。もしかして、昨日投げた時に池の姿は確認されてしまったのかも知れない。
 
(気が向いたら、何とかしようか‥‥‥‥)
 
 などとぼんやりと考える。
 
(そういえば、師匠はあれからどうしたんだろ? あの後、またどっか行っちゃったけど‥‥‥‥)
 
 朝、宿直室の確認はしたが、リャナンシーの私物らしき物は見当たらなかった。
 
 本当に、とことん神出鬼没なお方である。
 
(『革正団(レボルシオン)』の騒ぎの後、さり気なく『星黎殿』に居着いてたような人だしなぁ‥‥‥)
 
 思考が逸れた、今はゆカテーの機嫌を直す方法を‥‥‥
 
 と、またも思考に耽ろうとした悠二を、
 
「えー、今日は新任の先生を紹介する」
 
 何やら、いい加減慣れた嫌な予感が現実に引き戻した。
 
 
「椎名里矢。担当は物理だ、よろしく」
 
 
 明らかにサイズの合っていない、コートのようにスーツを来た紫の短髪少女によって‥‥‥
 
 
 また一つ、日常が騒がしくなる。
 
 
 
 



[7042] 『プレゼントを探して(前編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/03 18:44
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 目が覚めた。朝、ではない‥‥外は明るい。
 
 別に、朝からずっと寝ていたわけではない。ちょっとお昼寝をしていただけだ。
 
「あら、ヘカテーちゃん起きた?」
 
「‥‥‥‥はい、おばさま」
 
 今は、あのお腹が引っ込んでいる義母・坂井千草に挨拶。
 
「悠二と、ゆかりは‥‥?」
 
「ヘカテーちゃんが寝てる間に、お出掛けしちゃったみたいねえ」
 
 あまり愉快ではない事を頬笑ましげに言う千草。
 
 不思議と腹が立たない。
 
「あー」
 
 仕方ないから、義妹の三草を抱き上げ、テレビのスイッチを入れる。
 
 そのまま膝の上に乗せて‥‥しばらくは一緒にテレビを見ていた。
 
 
 
 
 プチンッ
 
 終わってしまった。千草も、番組の最中に三草の事を任せて、買い物に行った。
 
「‥‥‥退屈、ですね」
 
「あうー」
 
 両手で脇を持って、目線の高さまで持ち上げる。何とも可愛い。
 
 ゆかりのお姉さんのような立場にある自分だが‥‥やはりこの無邪気さは赤ん坊にしかない。
 
「‥‥‥出掛けましょうか」
 
「ばぶっ!」
 
 ヘカテーと三草、小っさい二人、街へ出る。
 
 
 
 
「三草です」
 
「うー」
 
「あらあら、可愛い赤ちゃんとお母さんね」
 
 背中に三草用の道具を詰め込んだリュックを背負って、時々三草を人に見せびらかしながら、ヘカテーは街を練り歩く。
 
「ふ、ふわぁぁあ〜〜〜ん!!」
 
(この、泣き方は‥‥‥)
 
 突然泣き出した三草の泣き方に、これは漏らして、オムツが気持ち悪くなったのだと気付き‥‥‥
 
(『清めの炎』!)
 
 人目に付かないように隠して‥‥ボッと、水色の炎が全ての汚れを焼き尽くす。
 
 てくてくと、三草を自慢して回るヘカテーは、優秀な世話係である。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 色んな場所に連れ回されて疲れたのか‥‥いつしかヘカテーの腕の中で、三草はすやすやと小さな寝息を立て始めた。
 
 公園の木陰に腰掛けて、三草の頭を優しく撫でているうちに、犬な猫、小鳥などがわらわらと集まる。
 
 柔らかな獣毛と陽気の中で‥‥‥ヘカテーは再び眠りに落ちる。
 
 特に珍しくもない、日常の一コマ。そんな日の夜に‥‥‥それは起きる。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ゆかりは貫太郎の書斎で、貫太郎から、何やら外国の話を聞いている。
 
 三草は寝ている。千草はさっき、服にアイロンをかけていた。
 
 ‥‥‥‥そして、さっきまで一緒に遊んでいた悠二は今‥‥‥入浴中。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 シュタッ、と軽快な音を立てて、ヘカテーが立ち上がる。
 
 目指すは坂井家風呂場。
 
 目的は、恋人ならではの特権。
 
(私はまだ‥‥‥恥ずかしい)
 
 しかし、悠二のを見る分には‥‥好奇心が勝る。恋人なのだし、ちょっとくらい許されて然るべき。
 
 シャワーの音が聞こえる、チャンスだ。湯槽に浸かっていたら‥‥難易度は極めて高くなる。
 
 音もなく、周囲を警戒しつつ、ヘカテーはそこを目指す。
 
 鼻歌が聞こえた。間違いなく気付いていない。
 
「‥‥‥‥‥‥ふぅ」
 
 一息深呼吸。動悸が激しくなる胸を左手押さえ、右手でその扉を‥‥‥
 
「っ!?」
 
 開、けなかった。
 
 背後からの柔らかな圧力と共に、自身の体が宙に浮かんでいる。
 
「ヘカテーちゃん、親しき仲にも礼儀あり、って言葉があるのよ?」
 
 振り返れば‥‥義母・千草。いつかの時といい、自分の後ろを取るとは‥‥何者。
 
 ところで、この接し方はまるで‥‥‥自分が三草にする接し方のようだと感じるのは気のせいだろうか?
 
「ヘカテーちゃんも、自分がお風呂に入ってる時に、悠ちゃんに覗かれたら嫌でしょ?」
 
(いや、そんな事よりも‥‥‥)
 
『《ここは私の家だよ! 家のルールに従えないなら出て行きな!》』
 
(この状態は、もしや‥‥‥‥)
 
『《うちの息子を愛してる? へえ〜、なら当然、その母親である私にも優しく出来るよねえ》』
 
 
「っーーーーーーー!!」
 
 ヘカテーの、声無き絶叫が響き渡る。
 
「ヘ、ヘカテーちゃん‥‥‥?」
 
 千草の言葉にも構わず、じたばたと必死に暴れてその腕から逃れたヘカテーは、そのまま振り返らずに二階に駆け上がった。
 
「何か‥‥怒らせちゃったかしら」
 
 千草には、ヘカテーの豹変の理由はわからない。
 
 
 
 
 二階・悠二の部屋。頭から被った布団の中で、ヘカテーは小刻みに震えていた。
 
(おばさまは、怒っていた‥‥‥?)
 
 自分の恋を、よりによって恋人の母親に妨害された、というシチュエーションが、ヘカテーを恐怖に陥れていた。
 
(昼にテレビで見た。これが‥‥“嫁いびり”の兆候?)
 
 考えてみれば、心当たりはなくもない。
 
 元々が、成り行きで住み着いた居候。挙げ句、自分が逃げ出した事が、結果として悠二を世界規模の戦いへと導いた。
 
 それに、今日の昼も勝手に三草を持ち出して‥‥‥。
 
 子供を二人も取られたら、如何に温厚な千草でも怒ってもおかしくない。
 
(もし、もしも‥‥‥‥)
 
 「うちの息子はやらん!」などと言われたら‥‥どうすればいいのだろうか?
 
 ‥‥‥いや、諦めるのはまだ早い。
 
(何か、おばさまの機嫌を直して貰うには‥‥‥)
 
 やはり、プレゼントだろうか。しかし‥‥‥今回ばかりは悠二を頼るわけにもいかない。
 
 ゆかりを頼るのも、心象がよくないだろう。
 
(‥‥‥‥‥‥‥っ!)
 
 考えるうちに、一つの名案が浮かぶ。こういう“相談”に、明るい人物を‥‥‥自分は知っている。
 
 
 その夜の坂井家の鍛練に、ヘカテーの姿はなかった。
 
 
 
 
「‥‥‥で、それで何で私の所に来んのよ?」
 
「そこそこ久しぶりだってえのに、随分とまあ私的な相談だなぁ」
 
 目の前で、ウイスキーを呷る『弔詞の詠み手』マージョリー・ドーに、ヘカテーは持っていた雑誌を開いて見せる。
 
「『中国の奥地に発見! 幻のツチノコを追え』‥‥‥‥何これ?」
 
「プレゼントです」
 
 ヘカテーは、千草へプレゼントを渡し、機嫌を取ろうと決めた。
 
 本来は、千草と外見年が近そう(嗜好が参考になりそう)なマージョリーにプレゼントの内容を考えてもらおうと考えていたのだが‥‥‥たまたま目についた雑誌に、最適なものを発見したのだ。
 
 もっとも、それでもやはりマージョリーの手は借りねばならない。
 
「‥‥‥‥あんた、ユージの母親と私の外見の歳が、同じに見えるって‥‥‥?」
 
 そんなマージョリーの問いに、ヘカテーはこくりと頷く。
 
 途端、マージョリーの全身を『トーガ』の獣が覆い‥‥‥
 
「マージョリーさん! そこで暴れないで下さいって。坂井んとこの母ちゃんは明らかに若いですし‥‥‥‥」
 
「私は二十代だったってのよ! いくら若いったって子持ちと同じって‥‥‥しかも高校生の子持ちって‥‥‥」
 
「まあ、日本人は実年齢より大分下に見られるしなぁ‥‥」
 
 一緒に近くにいた佐藤と、マルコシアスに止められる。
 
「ツチノコ探しに、自在師のあなたの力を貸してください」
 
 言って、先ほど怒らせた事をよくわかっていないヘカテーは、ぺこりと頭を下げて頼む。
 
 もちろん、それですぐにマージョリーの機嫌が治るわけもない。腹立たしげに返す。
 
「だーから、何で私なのよ!? それこそあんたのダーリンにでも頼めば‥‥‥ってそうもいかないか」
 
 言葉の途中で、それを理解するマージョリー。ちなみに、ヘカテーの話には多分に主観が混じっているため、マージョリーは事実を正確に把握しているわけではない。
 
「私事で『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の御座を空けている身では、協力を仰ぎにくいのです。どうか‥‥‥」
 
 言って、ヘカテーは再びぺこりと頭を下げる。
 
「〜〜〜ああもうっ! わかったわよ、手伝えばいいんでしょ! 手伝えば!」
 
 頭を掻きながら請け負ったマージョリーに、ヘカテーは仄かな笑みを零した。
 
「‥‥‥マージョリーさんって、女の子に甘いよな‥‥‥」
 
「それよりよぉ、ユージの母ちゃん、こんなもんもらって喜ぶかあ‥‥?」
 
 それを見守る男二人は、若干の不服と不安を込めた呟きを、漏らしていた。
 
 
 
 
「で、ヘカテーを見たのはそれが最後‥‥?」
 
「ええ‥‥‥‥」
 
 翌朝、ヘカテーの戻って来なかった坂井家では、ちょっとした話し合いが繰り広げられていた。
 
「まーた何か勘違いしてる気がするね♪」
 
「‥‥ゆかり、嬉しそうに言わないの」
 
 とは言っても、ヘカテーは元々結構挙動不審な所があるから、こういう事はそれほど珍しくはない。
 
 皆‥‥特にヘカテーの心と力の強さを知っている悠二とゆかりは大して心配してなかったりする。
 
「まあ、今日学校が終わるまでに気配が街に戻らなかったら、ゆかりと一緒に探しに行くよ」
 
 わりと軽く請け負い、悠二とゆかりは月曜の学校に歩を進める。
 
 
 
 
(おまけ)
 感想板にて少し要望がありましたので、本編終了時点でのスペック簡易表を。
 
 
 SSSS・神威召喚
 
 SS・悠二(蛇様)、(王)アラストール、敖の立像
 
 S・悠二(黒)、メリヒム、シュドナイ、サブラク、マティルダ
 
 AAA・シャナ、ヘカテー
 
 AA・悠二(銀)、ヴィルヘルミナ、マージョリー、キアラ、サーレ、プルソン、デカラビアなどなど‥‥いわゆる一流
 
 AA−・ゆかり
 
 A・一般的な紅世の王
 
 
 
 何か、色々上限突破気味ですが‥‥マージョリーとかの辺りをBとか呼びたくなかったので。
 
 状況や相性とか色々あるし、これはあくまでも“スペック”です。
 
 悠二は上に行くごとに制限時間は短くなるし、ゆかりは『オルゴール』で上限もします。
 
 ちなみに、師匠は器自体は小さいけど、やり方次第で何でも出来る‥‥‥という特殊すぎるキャラなので‥‥‥‥
 
 J・リャナンシー
 
 とでもしておきます。
 
 



[7042] 『プレゼントを探して(後編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/05 19:48
 
『王様落とした宝物!』
 
『ジュディが拾った宝物!』
 
『拾ってそのまま知らん顔っ!』
 
 
 マージョリーが手を突いた地面から広がり伸びて、群青の自在式は“それ”を探す。
 
「‥‥‥‥爬虫類なら、腐るほどいるけど?」
 
「ツチノコです」
 
 中国の山奥に、フレイムヘイズ『弔詞の詠み手』と紅世の王・“頂の座”ヘカテーが、在る。
 
「あーんなもん、ただちょっと胴が短えだけの蛇だろーがよ。もっとこうスリムでエレガントな‥‥‥」
「ツチノコです」
 
 マージョリーの言葉も、マルコシアスの言葉も一切聞き入れず、目下ヘカテーの標的はツチノコである。
 
「大体‥‥ツチノコって確か日本の生物だったような気がするんだけど、何で中国に来んのよ?」
 
「そりゃおめえ、雑誌に目撃情報があったからだろ?」
 
「海を渡ったのかも知れません」
 
 『グリモア』に乗ったマージョリーと、いつぞやのパンダに乗ったヘカテーは、ツチノコを求めて中国奥地を進む。
 
 
 
 
「好きだ」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 決意の告白から、男女の間に長い沈黙が続く。
 
 それを‥‥‥‥
 
「「‥‥‥‥‥‥‥」」
 
 真上の校舎の屋上から覗き込む、人外の二人。
 
(頷いた! 今あの子頷いた!)
 
(って事は、オッケーなのか!?)
 
 平井ゆかりと、坂井悠二。
 
 その直下で、何とも初々しい雰囲気を漂わせながら‥‥男女は二人、連れ立って歩きだす。
 
「いや〜〜、上手くいったみたいだね♪ 協力した甲斐があるってもんよ」
 
「‥‥‥いや、結局僕たち役に立ってなかったと思うんだけど」
 
 二人昨日、あの男子生徒にちょっとした相談を受けていたのだが‥‥‥悠二たちは関係も経緯も存在も特殊すぎて、あまり参考にはならなかった。
 
 まあ、それはそれとして気になって覗いていたのだが‥‥‥。
 
「はぁあ〜〜‥‥‥。甘酸っぱい青春だなぁ〜〜‥‥‥」
 
「‥‥‥ほらゆかり、いつまでも浸ってないの」
 
 言って、悠二は足下に銀影を展開する。それは、時計を模した悠二独自の自在式・『銀時計』。
 
「悠二‥‥‥乙女心がわかってないよ」
 
「わかってるってば」
 
 空気をぶち壊されてむくれるゆかりの頭をポンポンと撫でながら、自在式は家出娘を探す。
 
「西、かぁ‥‥‥」
 
 この距離だと、中国‥‥‥実家に帰っているのだろうか?
 
「えい♪」
 
「っと?」
 
 さっきの告白の雰囲気にあてられて腕に飛び付くゆかり。
 
「うりうり♪」
 
 ‥‥‥やけに積極的だが、ここで反応したら確実にからかってくるに違いない。
 
(平常心平常心‥‥‥)
 
 色々押し付けながら擦り寄ってきても、相手にしてはならない。
 
 一体何度同じようなやり方で‥‥‥‥
「‥‥‥悠二、顔赤い♪」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 うれしそうににぱっと笑って、ぎゅうっと腕を抱き締めてきた。
 
 ‥‥後でヘカテーも巻き込んで一騒ぎ起こすだろう事がわかっていても、それでも可愛いと思ってしまう自分の負けなのだろう。
 
「‥‥‥『転移』」
 
 誤魔化すように自在法を展開し、一路中国を目指す。
 
 
 
 
「来るなら来ると、前もって言っておけば良いものを‥‥大した物は出せないよ」
 
「いいよ別に、野暮用のついでに寄っただけだし」
 
 中国中南部、『界戦』の傷痕もまだ癒え切らないこの地の上空に、不可視の異界が滞空している。
 
「全然出来てないみたいですねえ、『大縛鎖』」
 
「『星黎殿』の修理の方を優先させたからねえ。まあ、気長にやるさ。時間は‥‥そう、無限にあるのだから」
 
 そんなこの地を悠二たちが訪れたのは‥‥あの戦い以来だった。
 
「それにしても‥‥‥」
 
 悠二とゆかりは揃って、一点に視線を向けた。
 
 そこは、“逆理の裁者”ベルペオルの左二の腕。
 
「‥‥‥‥どうした? 余の顔に何かついているか?」
 
 くるくると三重に巻き付いている‥‥真黒の蛇のアクセサリーに、である。
 
「‥‥‥『人化』、しないのか?」
 
 あの巨体が不便なのはわかるが‥‥‥アクセサリーになる事もないのに。
 
「うむぅ‥‥‥どうにも手足、というものに馴染めなくてな」
 
「御館‥‥‥マスコットが板についてきてるね」
 
 そう、どうみてもベルペオルのアクセサリーにしか見えない“彼”こそ、紅世における世界法則の体現者・『創造神』“祭礼の蛇”である。
 
 『神殺し』以前までの通称は汚名として捨て、今はかつて自身の意識を表出していた宝具の名を取り‥‥‥通称を『ウロボロス』と改めている。
 
「お前たちには、無足歩行の良さがわからんのか?」
 
 わからん。
 
「このおかげで、盟主の常のお姿を知る者はほとんどいない。大抵は私の腕に居られるから、気配で悟られる事もない」
 
 若干嬉しそうなベルペオルを見ていると、それで良いような気もする。
 
「まあ、本人が良いってんなら良いじゃん♪」
 
 割とどうでも良さそうに、ゆかりが笑って黒蛇の口に饅頭を詰め込む。
 
 まあ、それはそれとして、今日の要件は‥‥‥
 
「「ヘカテー知らない?」」
「「ヘカテーはどうした?」」
 
 
 結局、両者とも知らなかったりした。
 
 
 
 
「ねえ‥‥あんた、まだ探すの?」
 
「ツチノコを見つけるまでは、帰れません」
 
 すでに暗くなり、人間ならば何も見えない時間帯。
 
 ヘカテーたちはまだツチノコを探していた。
 
「要するに、ユージの母親のご機嫌取りが出来ればいいんじゃないの?」
 
「べっつにツチノコに拘る必要ねーんじゃねえか?」
 
「そのご機嫌を取るためのプレゼント‥‥‥ツチノコです」
 
 こうなると、ヘカテーは頑固である。
 
 元気を失くしたパンダの背から飛び降り、わしゃわしゃと草むらを掻き分ける。
 
 完全にお手上げ、といった風におでこを押さえるマージョリー。
 
 そんな二人の‥‥頭上に、
 
「っ!?」
 
「この色っ!」
 
「何だぁ!?」
 
 銀光が、輝いた。
 
「あ、いたいた♪」
 
「マージョリーさんも来てたんだ?」
 
 家出娘を迎えにきた、悠二とゆかりであった。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
「どしたの、マージョリーさん? えらく無口になっちゃってまあ♪」
 
「久しぶりに会ったって言うのに、元気ないな」
 
「? ‥‥シチューがおいしいです」
 
 沈黙を守るマージョリーに、悠二たちが話し掛ける。
 
「そう、気負わなくてもいいじゃないか。どうせ何かあったとしても、お前の独力でどうにか出来る面子でもないだろう?」
 
 そんなここは‥‥‥
 
「久しいな、“蹂躙の爪牙”」
 
 『星黎殿』。
 
「あんたたちねぇええ〜〜〜!!」
 
 ヘカテー城食堂に、マージョリーの怒声が響く。
 
「何ですか、いきなり大声出して」
 
「何で私が『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の本拠地でディナーなんて食べなきゃいけないのよ!?」
 
「いや‥‥‥ヘカテーが迷惑かけたみたいだし」
 
 何の問題もなさそうな悠二の言葉に、マージョリーは完全に脱力し、テーブルに突っ伏した。
 
「これから、遅れて変化に気付くように‥‥‥世界は加速度的に変わっていくだろう。先にその変化を認識しておかねば‥‥‥この先身が保たないよ」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 本来なら完全に相容れないはずのベルペオルの‥‥実に真剣な物言いに、マージョリーもいい加減割り切る(諦める)。
 
「‥‥‥‥‥‥そーね」
 
 前提が変われば、行動も、存在意義も変わる。
 
 その変化が、これから全ての存在を翻弄するだろう。
 
 だから‥‥‥それを予め覚悟しておかねば、その流れに呑まれてしまう。
 
 マージョリーとベルペオルのワイングラスが、カツンとぶつけられた。
 
 そんな、あるいは世界の変化の第一歩とも見える光景の脇で‥‥‥‥
 
「千草さんが嫁いびり!? あはははははは♪」
 
「ヘカテー‥‥‥あんまり変な事で母さんや皆に心配かけないの」
 
「‥‥‥ですが‥‥‥」
 
「めっ」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 アットホーム極まるやり取りが展開されていた。
 
 
(ふむ‥‥‥‥)
 
 世界の狭間に数千年もの永きに渡り閉じ込められ、誰より孤独を知る黒蛇が、その目に宿る銀光を穏やかに揺らす。
 
(たまには、悪くないか‥‥‥)
 
 内心で苦笑して、フランスパンを一本丸呑みにした。
 
(シュドナイも、またふらりと出掛けていなけれ、ば‥‥‥‥)
 
 そんな物思いに耽る途中で、目の前に迫っていた顔に気付き、驚く。
 
 ヘカテーがじっと、その明るすぎる水色の瞳でこちらを見つめていた。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥ヘカテー、どうした?」
 
 その質問に、ヘカテーは応えず‥‥‥‥
 
「‥‥‥‥ツチノコ」
 
 捕獲した。
 
 
「めめ、めめめ盟主!?」
 
「おぉ! ナイスヘカテー♪」
 
「まあ‥‥‥ツチノコに見えなくもないかも」
 
「用が済んだなら帰るわよ」
 
 
 
 その後、坂井悠二の母・千草と、『創造神』“祭礼の蛇”の‥‥‥両家の顔合わせが実現する事になるが‥‥‥。
 
 
 それはまた別の話。
 
 
 
 
(追記)
 悠二の妹の名前の読み仮名ですが、三草(みぐさ)です。



[7042] 『怪傑・白仮面(前編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/26 11:20
 
「‥‥‥ふう、日本は湿っぽいわね」
 
「そうぼやくものではありませんぞ、ゾフィー・サバリッシュ君。そもそも君のその修道服も一つの要因なのですからな」
 
「わかっていますよ、タケミカヅチ氏」
 
 日本の、都会よりは田舎に近い造りの街の歩道を、額のヴェールに施された青い星の刺繍と会話しながら歩く女性が、ある。
 
 指摘された通りの修道服を纏う四十過ぎの女性。といっても、それは外見の年齢の話である。
 
「それにしても‥‥‥」
 
 ふと、その女性、『震威の結い手』ゾフィー・サバリッシュは足を止めて、僅かに顔を上へと向ける。
 
「また、相変わらず呑気な子たちですね」
 
 安堵とも呆れともつかない溜め息。その視線の先には、一枚の看板、一軒の店。
 
 そこには、『緋願花』とある。
 
 
 
 
「久しぶり、って言いたい所だけど、今日は休みですよ。お客さん」
 
「まあまあ、そんなつれない事言わなくてもいいじゃない」
 
 それほど広い喫茶店ではない、全体的に白い店内の壁に中世の騎士のような絵柄が帯のように引かれ、値段の安そうなアンティークが所々に置いてある。
 
「ご注文は?」
 
 久しぶりの少女が、ウェイトレス姿で触角をぴこぴこと揺らす。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 隣のテーブルで、小柄な水色の少女が、じっと三秒くらい興味の視線を投げ掛け、そしてまた少女漫画を読み始める。
 
「今度は日本にしたのか?」
 
「まあ、ここ近年で色々あった国でしたからね。少し興味が湧いた、といった所ですか」
 
 そう、このゾフィーは、フレイムヘイズとしては『隠居』に近い状態にあり、外見的に誤魔化しのきく十年を境に定住地を変える、という生活を送っている。
 
 その次の定住地に定めたのがここ、日本というわけだ。
 
「近年、か〜‥‥。戦歴の違いを思い知らされる発言だね♪」
 
「何を言うんですか、それを言うならあなたたち『緋願花』にだって‥‥‥」
 
 言って、ゾフィーはチラリと視線を横に向ける。そこには、ゾフィーが赤ん坊に見えるほどの永き時を生きる少女が、話そっちのけでページをめくっていた。
 
「‥‥‥‥‥ごほんっ。とにかく、少し前から興味はあったのよ。それより、あなたたちこそ、今度は喫茶店?」
 
「何となく楽しそうかなぁって」
 
 応えて、中性的な容貌の黒髪の少年が、メニューを差し出す。
 
「‥‥‥手紙や電話のやり取りはあったけど、こうして直接顔を合わせるのはいつ以来かしら?」
 
「‥‥例の反乱以降ですぞ、ゾフィー・サバリッシュ君」
 
 額から投げ掛けられたタケミカヅチの言葉に、ゾフィーはハッと口を押さえる。
 
 初めて直接顔を合わせたその時以降、少年‥‥‥坂井悠二たちとは会っていない。
 
 そしてその時、本来ならば自分たちも当然背負わなければならない重荷の大半を、この少年たちに背負わせてしまったのである。
 
 正確には、フレイムヘイズではなく、“フレイムヘイズに宿る紅世の王”が、だが。
 
 対する悠二たちは、それほど気にした様子もない。トントンとメニューを指でつついて注文を催促している。
 
「別に気にする必要ないよ。ゾフィーたちの為にした事じゃないし、あれの直接の原因は僕らだから」
 
「それより‥‥‥」
 
 悠二が軽くその話題を流し、ゆかりが新たな話題を促す。
 
「今回も、仕事持ってきたの?」
 
 その言葉に、ヘカテーが顔をゾフィーに向け、ぱちくりと瞬きする。
 
「まずは、サンドイッチとコーヒーをもらおうかしら」
 
 ゾフィーは意地悪く微笑み、朝食を注文した。
 
 
 
 
「‥‥‥『白仮面』?」
 
「そ♪」
 
 ゾフィーから渡されたリストからゆかりが選び出した案件は、『怪傑・白仮面』。
 
「これ、ロンドンじゃないか。何でわざわざこんな遠くの依頼‥‥‥」
「面白そうだから!」
 
 はしゃぐゆかりは、ヘカテーに後ろから飛び付き、ヘカテーの右手を上に高々と差し上げる。
 
 いかにも、「多数決! 決定♪」と言わんばかりのゆかりの仕草に、悠二はゾフィーと顔を見合わせ、嘆息する。
 
「いいよ。それで、一体どんな内容?」
 
 今の世界は、徒がこの世に存在するために人間を喰らう必要がない。
 
 フレイムヘイズのように、体力と似た感覚で、休めば力が回復するからだ。
 
 しかし、それでも“軽いお食事感覚”で人を喰う徒も時折現れる。
 
 それに、元来その大半が、欲望の儘に世を放埒するのが紅世の徒である。
 
 それを食い止め、必要とあれば討滅する。それが今のフレイムヘイズ。
 
 人間でいう所の、無法者と警察に近いのかも知れない。
 
 悠二たち『緋願花』は、その強さ、能力の幅広さから、時々こういった事件への協力を依頼されるのだ。
 
「白い仮面とマントを纏い、ロンドンの街にはびこる悪をバッタバッタと薙ぎ倒す神出鬼没の正義の味方!」
 
 いきなり、随分とファンタジーな出だしである。
 
「人間・徒に関わらず、悪事を働く者の前に現れてやっつける、市民の人気者!」
 
 ‥‥‥あれ?
 
「それ、何か問題あるの?」
 
 聞く限り、別に放っておいてもよさそうに感じるのだが。
 
「しかし、目立ちたがりなのか何なのか、封絶も張らずに暴れ回るから人間にまで広まってるし、何よりたまに周りの建物とかにも被害が出てる」
 
「‥‥はた迷惑な正義の味方、ってわけか」
 
 何ともゆかりが好みそうな話である。
 
「ヘカテーはどう? 興味ある?」
 
 ゆかりの挙手からヘカテーを奪い取り、ポンポンと頭を叩けば、
 
 コクコクッ
 
 と、賛同が出た。
 
「レッツゴー・ロンドン!」
 
「転移‥‥転移‥‥」
 
 急かす二人の愛らしさに目を細め、ゾフィーに振り返る。
 
「じゃあ、もう行くから、店閉めるよ?」
 
「はいはい」
 
 言って、財布を取り出そうとするゾフィーの手を制して、
 
「今日は僕らのおごりでいいよ」
 
 ヘカテーとゆかりを連れ、
 
「因果の交叉路で、また会おう」
 
 一路、ロンドンを目指す。
 
 
 その前に、
 
 
「ああ、君はまるでヴェッラ・ドンナのようだ‥‥‥美しく、そして危険の香りがする」
 
 訪れたイタリア、ジェノヴァのオープンカフェで、一人の男と向かい合っていた。
 
 薄紫の上下スーツ、黒字に赤線のストライプシャツ、細い銀ラメのネクタイと靴、という常軌を逸した装い。
 
 それを着こなす、黒髪、口ひげの美男子、という伊達男である。
 
 そんな男が、両手でゆかりの手を握り、熱く潤んだ視線を向けている。
 
「あ、はは。ども‥‥」
 
 ゆかりの空笑いにも、男は動じた様子はない。
 
「今、僕は運命にも似た胸の高鳴りを感じているよ。いや! わかっているさ、これが僕の一人よがりな恋の炎だという事は!」
 
 芝居がかった仕草で両の手を広げて立ち上がり、天を仰ぐ。そのままくるりと背を向け、また言葉を続ける。
 
「だが! 君は僕の事を何も知らない。少しの間、僕と時間を共にしてはくれないだろうか? その僅かな時間で、僕の君への想い、君の僕への秘めた想い、それに気付かせてみせる!」
 
 また、ぐるんっ! と勢いよく向き直って、ゆかりの手を握る。
 
「そちらの少年と幼女もいる事だ。恋人二組、イタリアの夜の街へと‥‥‥」
 
 甘い言葉を囁きながら顔を寄せる伊達男・『无窮の聞き手』ピエトロ・モンテヴェルディの、文字通りの眼前で‥‥‥“溶けた”。
 
 ゆかりの顔が、体が、水銀にも似た銀の液体に。
 
「ああああぢぢぢぢぢぢっ!!?」
 
 ほどよく熱過ぎる銀を握り締めたピエトロが両手を振って暴れる。
 
「大丈夫ですか? ピエトロさん。そうそう、質問があるんですが‥‥‥」
 
「ふーっ! ふーっ! ‥‥‥?」
 
 そんなピエトロが落ち着くのを待って、悠二はにっこりと頬笑んで、質問する。
 
「丸焼きと千切り、どっちが好きですか?」
 
「? ああ、どちらかと言えば丸‥‥‥ああそうか、そういう事か」
 
 ここに至って、ピエトロも気付いた。先ほどのゆかりの銀人形が悠二の仕業だという事に。
 
 当然、悠二の頬笑みの裏側も理解する。
 
「いいだろう! 障害があればあるほど恋は燃え上がるもの! 二人の男が一人の女を巡り戦う。これもまたロマンスの‥‥‥‥」
 
 懲りずに語らうピエトロ・モンテヴェルディ。
 
 二分後、その顔面を晴らして失神する伊達男が、オープンカフェから見晴らせるリグリア海に浮かんでいた。
 
 
 
 
「いや、その、失礼したね‥‥‥」
 
「そんなに怯えなくても、何もしないってば」
 
 気を取り直して、話を戻す。ただし相手は海を漂うピエトロではなく、テーブルの上に置かれた懐中時計・“珠漣の清韻”センティアである。
 
「ピエトロさん、あの癖はいつか身を滅ぼすと思いますよ? 大体、私だって外見は十五で止まってるのに」
 
 若干得意げなゆかりを見る限り、あの展開はゆかりの掌の内だったのかも知れない。
 
 だとすれば、少しばかり悔しい。
 
 まあ、正式に決闘騒ぎに持ち込んだのは向こうだし、今も「幼女‥‥‥」と呟いて海を睨むヘカテーが一番危険ではあるのだが。
 
「それより、『白仮面』について、もっと詳しい情報をもらえないかと思ってさ」
 
 『白仮面』は、この辺りにもわりと長い間出没していたらしい。
 
 『界戦』以降、それまでは世界のバランスや、同胞と戦う事を懸念してこの世に渡っていなかった多くの徒が渡りきていた。
 
 そういう徒が増えている状況、『白仮面』がどんな能力を持っていても不思議はない。
 
「それがねぇ‥‥‥‥」
 
 明るく野太いセンティアの声が僅かに翳り、伝えられた内容は、あまり有益ではなかった。
 
 『白仮面』は神出鬼没。気配もなくいきなり現れ、封絶を張らずに活躍する。
 
 しかも、自在法の類は使わず、超人めいた体術のみで敵を打ち倒す。徒やフレイムヘイズも含めて。
 
 ゆえに炎の色も、実際の能力も、何もわからない。唯一わかるのは、体術のみでそこまでの実力を誇る強者、という事だけだ。
 
「‥‥‥気付かれないように何かの自在法を使ってる可能性は?」
 
「さあねぇ、わかってるのは‥‥‥少なくとも実際に戦ったフレイムヘイズはそれに気付く事もなかった、って事さ。封絶張ったら興味失したみたいに逃げるし」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 体術特化のタイプなのか、自在法を巧みに使っている自在師なのか‥‥最悪なのは、本来の能力は別なのに、体術“だけ”でそれだけの実力を誇っている場合だ。
 
 結局大した事もわからないまま、『緋願花』は今度こそロンドンの街を目指す。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥あ」
 
「? どうしたんだい、僕のおふくろ?」
 
 海水を『清めの炎』で乾かし、清めるピエトロの手の中で、センティアがいかにも今気付いた風な声を上げた。
 
「あの子たちに、言い忘れてたよ」
 
 『白仮面』は、“二人いる”という事を。
 
「‥‥‥‥『界戦』で僕らを壊滅寸前に追いやった『仮装舞踏会(バル・マスケ)』、その中でもさらに特異な『緋願花』。どんなものか、興味があったんだけどね」
 
 ピエトロは呟く。
 
「何か、わかったかい?」
 
 センティアは返す。
 
「ダメだね。まるで力の底を見せてくれなかった」
 
「ハッハ! それでまるで歯が立たずにノされてりゃ世話ないよ!」
 
「まったくだ! ハッハッハ!!」
 
 夕暮れに染まるリグリア海に響かすように、二人は力一杯笑い声を上げていた。
 
 
 
 



[7042] 『怪傑・白仮面(中編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/19 15:25
 
「…………」
 
 夜も華やかさを失わないロンドンの街と対称的に、別空間のように静まりかえる街外れ。
 
 もう長く使われておらず、改築の予定もない寂れた廃工場の駐車場に、一台のトラックが入り込む。
 
 運転席と助手席から男が一人ずつ降りるのと同時、廃工場の影からぞろぞろと夜の闇に紛れる黒スーツの男たちが現れた。
 
「……約束の物は?」
 
「コンテナの中にたっぷり積んでいる。そっちこそ、金はあるのか?」
 
「確認が先だ。見せてもらおうか」
 
 何とも捻りのない、というか捻る必要のない要点のみの会話を経て、配達業の服を着た二人は、黒スーツの男たちと共にトラックの後方に回ろうとした、その時………
 
「うわっ!?」
 
「何だ! どうした!?」
 
「こ、これはまさか……」
 
 パッとライトが彼らを照らし、一同に動揺が走る。
 
 そのライトを背に、逆光で姿を隠す何者かが、銀色のサーベルを抜き放ち、その刀身が光を受けて、七色の輝きを放つ。
 
「夜に架けたる七色は、悪を誅する正義の光……」
 
 朗々と響くその言葉に誘われて、ライトの仕込みをしていたもう一人が、サーベルを掲げる男の隣に並び、
 
「「白仮面、参上!(であります!)」」
 
 高らかに名乗りを上げた。
 
「貴様らが度々この場で麻薬の取引をしている事はわかっている」
 
 男は、夜風に傲然と翻る真っ白なマント、背にまで届く長い銀髪の下には、素顔を隠す真っ白な髑髏の仮面。
 
「己が私欲のために、心弱き人々の心を蝕む邪薬を売り捌く。その所業許すまじ(であります)」
 
 女も同様、ただし仮面から覗くのは肩までの桜色。スカートと線の細さ、そして声から女である事はわかる。
 
「観念するがいい。おとなしく豚箱に入るのなら、無用な傷を負わずに済むぞ」
 
 侮蔑するように鼻を鳴らす『白仮面』の言い草に、黒スーツの男たちは首を縦には振らない。
 
「ふざけんな! 豚扱いされておとなしくなんて出来るか!」
 
「おとなしくしなかったらどーだってんだ、ああっ!?」
 
「知ってるぞ! てめえらだってこないだ東の通りを吹っ飛ばしただろうが!?」
 
 白仮面はその罵言雑言をそよ風のように受け流し、髑髏の奥の瞳を光らせる。
 
「どうなる、と言うなら、」
 
「こうなる……なっ!」
 
 廃工場の屋根から跳躍した白仮面(男)が、コンテナに向かって振るい……
 
 キ、キィ……ン!
 
 軽く固く音が響いて、コンテナに無数の筋が刻まれ、次の瞬間ズレ落ち、崩れる。
 
 その人間離れした剣閃に恐れをなした男たちは蜘蛛の子のように逃げ散り、それを白仮面が捕まえ、拘束する……はずだった。
 
「っ!?」
 
 が、麻薬を積んでいたはずのコンテナから零れ、舞い散ったのは“黒い粉”。
 
(この匂い……)
 
 そして、男たちも同様するどころか、顔つきがまるで違うそれへと変わる。
 
 そのうちの一人が、火の点いたジッポー・ライターを崩れたコンテナに放り投げる。
 
(火薬っ!)
 
 赤い炎が、白仮面の目の前で弾ける。
 
 
 
 
 火薬、そしてトラックの爆発に撒かれて、赤い炎が膨れ上がる。
 
 その瞬間、
 
「封絶」
 
 その一画を、陽炎の空間が支配した。
 
「なっ!?」
 
 予想外の事態の急変に動揺した白仮面(女)、その足下から、
 
 ドォオオン!
 
「くっ……!」
 
 屋根ごと吹き飛ばす水色の爆発が襲う。
 
 当然のようにそこで止まらず……
 
「うりゃあっ!!」
 
 爆発の勢いを活かすように飛び上がっていた少女の、オーバーヘッドのような蹴りに吹っ飛ばされ、制止した燃え盛るトラックに叩き込まれた。
 
 二人の白仮面が燻るはずのそこに、
 
「喰らえ」
 
 廃工場のガレージを突き破って飛び出した銀炎の大蛇が襲い掛かった。
 
 そして、銀炎を撒き散らして爆発。
 
 赤く燃えていたトラックを、灰も残さず消し飛ばす。
 
「はーはっはっは!」
 
 まるで気にせず、白仮面を蹴り飛ばした少女が水色の炎を背に、廃工場のかろうじて残った屋上の縁に立つ。
 
「未だ危ういこの現世に、銀の炎に喰らわれて、生まれた稀代の“化け物トーチ”! 正義を語……」
「ゆかり、対抗しないの」
 
「自分で“化け物トーチ”って言いました」
 
「見栄きりの邪魔しないでよ!」
 
 はしゃぐゆかりにノるでもなく、悠二が工場から出てきて、ヘカテーはちょこんとゆかりの隣に並ぶ。
 
 『白仮面』に対し、『緋願花』揃い踏みである。
 
「やりましたか?」
 
「んにゃ、蹴った時変な感触したから多分……」
 
「みたいだね」
 
 白仮面に一撃叩き込んだはずの場所を見て話すゆカテーの話を継ぐように、悠二は上を見る。
 
 そこにはためく、二つのマント。
 
「……ダミーか」
 
 というかあの声、どこかで聞いた事があるような?
 
 あ、あのサーベル………。
 
「…………」
 
「…………」
 
「…………」
 
 両勢、何とも言えない微妙な沈黙。
 
「白仮面……」
 
「ア、外界宿(アウトロー)の罠だったようでありますな」
 
「……あります?」
 
「馬鹿! あ〜……、互いに市民の安全と正義を重んじる我々が争う事もあるまい」
 
「シロ仮面……」
 
「では! これにてさら……」
「シロ」
 
 もっともらしい事を言って誤魔化そうとする(墓穴を掘る)白仮面ズの抗弁を遮る、ヘカテーの連想ゲームの終着点が、白……いや、メリヒムとヴィルヘルミナを硬直させる。
 
「……シロちゃん、こんなトコで何やってんの?」
 
「お前にシロとか呼ばれたくない!」
 
 ゆかりにからかわれて怒鳴るメリヒム。なら何でシロ仮面とか名乗ってるのか。謎である。
 
「お揃い……」
 
 ヘカテーのぼそっと呟いた一言にあからさまに狼狽する二人。
 
「ここ数年見ないと思ったら……いい年してヒーローごっこか? ゆかりやヘカテーなら可愛いで済ませられるけど、メリヒムがやっても……」
 
「何だと! 俺の何が……ゴホンッ! 私はメリヒムなどという名前ではない。通りすがりの夜を駆ける白き仮面の戦士だ」
 
 わざとらしいベッタベタな返しが、元々の自己中心的な印象と相まってかなりイラッとくる。
 
「と、とにかく! 我々を襲撃した事は綺麗さっぱり水に流すのであります。では、また会う日まで……」
 
 まだ正体を隠し通せてるつもりか。自在法抜きでは自分たちに対抗出来ないから、さっさと逃げるつもりらしい。
 
「……まあいいや、だったらはた迷惑な“赤の他人”を外界宿に引き渡す事にするから」
 
 が、当然そうは問屋が卸さない。
 
「行っくよ骸骨戦士(スケルトン)!」
 
 ゆかりが一気に加速して空へと舞い上がる。一度灸を据えるくらいで丁度いい。
 
「『星(アステル)』よ!」
 
 ゆかりが翔ぶのと同時、ヘカテーの『トライゴン』の遊環の先端から、水色の光が無数に伸びる。
 
「っ!? くっ!」
 
 驚き、反射的に展開したヴィルヘルミナの純白の濁流に、『星』が次々と着弾。
 
 撒き上がる水色の炎を突っ切って、ゆかりが上空に舞い踊る。
 
 そして……
 
「だぁらっしゃあぁーー!!」
 
 “翡翠の稲妻”を纏って、落雷そのものの両足蹴りをリボンで編まれた、白く分厚い繭に叩き込む。
 
「「っ!?」」
 
 紙のように容易く灼き散らされ、繭からメリヒムとヴィルヘルミナが転がり出てきた、そこを……
 
「もらった!」
 
 大剣・『吸血鬼(ブルートザオガー)』を手にした悠二が狙い打つ。
 
 ……が、
 
「うわっ!?」
 
 その刃をリボンの端に捉えられ、そのまま投げ飛ばされる。
 
 しかし、飛び掛かったのは悠二だけではない。
 
「『三星矛(トライデント)』」
 
 悠二と僅かにタイミングをずらして繰り出された錫杖の遊環が水色の光を帯びて、さらにその光が三叉に岐れた穂先を形作る。
 
 それが、今度も攻撃を捉えたリボンを、しかし灼き切って……
 
「はっ!」
 
「っ!!」
 
 ヴィルヘルミナの髑髏の仮面を断ち斬った。外れた仮面の下に、『万条の仕手』の、狐を模した仮面が現れる。
 
 そのまま、ヴィルヘルミナを見下ろすヘカテーの眼が、僅かに見開かれ……
 
「ぐぁ!」
 
 不可視の衝撃波がヴィルヘルミナを直下に吹き飛ばす。
 
 なおも攻勢は続く。未だにその全身から翡翠の雷光を迸らせるゆかりが、メリヒムに迫る。
 
「ジンギスカンにしてやるぜ!!」
 
「ちぃっ!」
 
 その接近に、なりふり構わず剣先に虹の光を集中させる。それを、
 
「やっ!」
 
 十分な力が集まるより早く、ゆかりの指先から奔った翡翠の雷槍が叩き、弾いた。
 
「っこの……!」
 
 サーベルを振るうメリヒムの斬撃を、舞うようにゆかりが避けた次の瞬間。
 
 ヘカテーの『三星矛』がサーベルを捉え、槍の刃と刃の間に引っ掛かったサーベルをそのまま弾く。
 
「っだあ!」
 
「がっ……!」
 
 その瞬間を逃さず、悠二の繰り出した拳撃がメリヒムの後頭部に叩き込まれ、そのままメリヒムは落下する。
 
 間髪入れず、叩き落とされたメリヒムとヴィルヘルミナ両名を、影から這い出た銀の腕が束縛した。
 
 
「捕獲完了、かな」
 
 
 
 
 一仕事終えた気分になっている悠二は、この先にあるもう一つの波乱を、まだ知らない。
 
 
 
 



[7042] 『怪傑・白仮面(後編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:454563dc
Date: 2009/10/27 07:16
 
「捕獲完了、かな」
 
 と、そんなわけもなく……
 
 
「さて、どうしようか?」
 
「頭に血が上っています」
 
 あっさりと銀の拘束を爆砕したメリヒムを、悠二の後頭から伸びる、漆黒の竜尾がぐるぐる巻きにする。
 
「殺す……」
 
 おまけに、中途半端に怒らせたせいで手に負えなくなりつつある。
 
「このままだと、竜尾が千切れます」
 
 全身から虹を迸らせるメリヒムを縛る竜尾から、少しずつ香ばしい匂いがしてくる。
 
「むっ……!」
 
「ぐあっ!?」
 
 悠二のしっぽ好きのゆかりが、そんなメリヒムに電撃を食らわせ、ようやく沈黙した。
 
「さて、改めてどうしようか?」
 
 竜尾の拘束を解いて放り出し、『大命詩篇』の稼働を解く。そして、ヘカテーとゆかりを窺う。
 
 悠二としては、メリヒムやヴィルヘルミナは悪友のような間柄だが、ヘカテーやゆかりは、少なくともヴィルヘルミナとは仲の良い友人である。
 
 とはいえ、四年前にお菓子の城の建築を二人に妨害された事を気にしてるのも、二人のはず。
 
「ヘカテー?」
 
「………?」
 
 ……メリヒムの髑髏仮面を奪って被っている。わりとどうでも良さそうだ。
 
「ゆかりは?」
 
「まあ、このまま引き渡しても、外界宿(アウトロー)吹っ飛ばすだけだろうしねえ」
 
 そう、問題を起こした者を牢に入れる、などという“生易しい”対処は、個人が小さな力しか持たない“人間だから”出来る行為だ。
 
 厳重注意や、痛い目に遭わせても無駄、と判断された徒は、その場で討滅するのが基本方針。
 
 『界戦』以降、徒がこの世に在って、自身の存在の力を持って顕現出来るようになった。だからこそ、その無道を抑制するフレイムヘイズ側の対応はシビアである。
 
「……ていうかさ、二人なんだ」
 
 ゆかりの一言に、ヘカテーの仮面の下の水色の瞳が、僅かに翳りを見せる。
 
「『反乱』の時も、姿を見せなかったしな……」
 
 突然姿を消して、もうずっと姿を見せていない。言外に含ませたその意味を理解して、『銀時計』による捜索もしてない。
 
「……どの口が、そう言うのでありますか」
 
「犬畜生」
 
 メリヒム同様に拘束を破ったヴィルヘルミナが、恨みがましく言ってくる。
 
「…………」
 
 何も言わずに、彼女は消えた。だが、消えたのは自分とヘカテーの結婚式の日。
 
 自分がその理由の一端である自覚は、あったつもりだ。
 
「…………」
 
 その話題に、早くも息を吹き返したメリヒムが、めちゃくちゃ荒んだ眼で睨みつけてきた。
 
 親代わりのメリヒム、そして元々の性格から当然な反応と言えるが……
 
(……これは、結構キツいんだよな)
 
 ヘカテーの親(?)とは、自分では知らないうちに見張られ(?)、気に入られた間柄だし、ゆかりの両親は(おそらく)フリアグネの燐子に喰われ、その存在ごと消滅している。
 
 こういう……娘を想う親からの敵慨心のようなものは、基本的にこの二人(+1)にしか向けられる事はないが、それ以前に殺し合いまでしたような間柄である。
 
 あらゆる意味で常軌を逸した関係ではあるが、こういう目を向けられる時ばかりは、ごくごく普通の一人の男として、プレッシャーがかかる。
 
 何より、普段なら互いの悪口がスラスラと出てくる相手にも、これに限っては押し黙るしかない。
 
 何とも言えない罪悪感ばかりがただただ重なるばかりである。……謝るのも何か違うし。
 
「……旅先で噂を聞く事はある。会えてはいないが、健在なのは確かなようだ」
 
「…………え?」
 
 てっきり、そのまま問答無用の『虹天剣』かと思っていたのに、メリヒムは胡坐をかいて俯いてしまった。
 
 丸めた背中がやたら小さく見える。
 
「……メリーさん、何か疲れてる?」
 
 ポンポンと背中を叩くゆかりの手を払いのけないあたり、結構深刻なダメージが見て取れる。
 
「連絡なども、ないのですか?」
 
「その通り。接触のあったフレイムヘイズたちにも、それに関しては『必要だと思うから』以上の事を語らないそうなのであります」
 
 仮面をつけたままのヘカテーが訊ねて、こちらは仮面を外したヴィルヘルミナが、やや楽しげに愚痴を零す。
 
 ヘカテー、という久しぶりの娘、あるいは妹のような存在に癒されているらしい。
 
(ずっとメリヒムと二人だと、そういう癒しが無さそうだしなぁ……)
 
 などと、しみじみ思う。
 
 しかし、だんだん会話の流れが自分に不利なように傾いていくように感じるのは、気のせいだろうか?
 
「で、どうします?」
 
 メリヒムからマントを剥ぎ取って装着して遊びながら提案するゆかりが、その悪い予感を加速させる。
 
「……何が?」
 
「だから、シャナの捜索♪」
 
 思わず、顔が引きつってしまった。
 
「本気、でありますか?」
 
 ヴィルヘルミナが、その瞳を輝かせ、
 
「…………」
 
 メリヒムが目をまん丸に見開き、
 
「あ………」
 
 ヘカテーが、「なるほど」とでも言うように手を叩いた。
 
 一斉に、視線が自分に集中する。
 
「……いや、けど、ほら、シャナの考えを尊重して、敢えて捜さないって話だった、よね?」
 
 その場の空気が、一気に盛り下がったのを感じながらも、やはりイマイチ乗り気になれない。
 
 ……やっぱり、気まずいし。大体、自分たちは白仮面を捕まえに来たはずじゃなかったのか?
 
「もう、十年以上になるのでありますな……」
 
「……………」
 
「どこぞの馬の骨に誑かされてはいないでありましょうか……」
 
「……………」
 
「十年経っても答えを見つけられないような子ではないはずでありま」
「あーもう! わかったよ! 見つければいいんだろ見つければっ!」
 
 かなりやけになりつつ、怒鳴るように了承する。
 
 パンパンと皆が手を叩き合う音が、逆にこっちのテンションを下げていく。
 
「……………」
 
 剣と剣のぶつかり合いで出会った少女。
 
 己の存在や目的が朧気だった時、その迷いない姿に憧れた少女。
 
 共に、一つの街を守るために戦った少女。
 
 そして……切り結ぶ刃の下で、秘めていた想いを告げてくれた少女。
 
「……………」
 
 それから、変わった世界で共に日常を過ごし、突然消えた。
 
 その少女に、再び出会う。
 
「『銀時計』」
 
 銀の針が、その少女との絆を表す。
 
 
 
 
「夜に架けたる七色は!」
 
「銀の光に照らされて!」
 
「闇より黒く燃え盛り!」
 
「悪を誅する正義の炎!」
 
『白仮面、参上!(であります)』
 
 その日、イタリアのとある街外れに建てられた大聖堂に、白面の戦士が四人、降臨した。
 
 
 正体が割れたのだから、その後の『白仮面騒動』は終結したかに思われたが、この後に事態は派生する。
 
 各地で、散発的に白仮面が続出。それは時に、紅蓮の炎を操る小柄な白仮面だったり、水色の星を降らせる小さな白仮面だったり、翡翠の羽衣を揺らす白仮面だったりした。
 
 それが流行を呼び、何人もの白仮面が出現、いつしか本物の白仮面の正体の真相は、歴史の闇に埋もれていった。
 
 
 
 



[7042] 『紅蓮の解(前編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:8985ce85
Date: 2009/11/03 11:02
 
「信じられますか? 信じられないでしょうね、それも無理もないと思います」
 
「…………」
 
 昔から、人間の中に混ざって情報を集めるのは苦手だった。御崎市で悠二たちと出会い、『人間同士の繋がり』の暖かさは知ったものの、あの時も別段言葉遣いや態度を注意していたわけではない。
 
 ありのままの自分を、皆が受け入れてくれただけ。初対面の人間に近づく処世術という意味では、十年前から何も成長していないのかも知れない。
 
「けれどそれは、貴方が神というものを、あやふやで不確かな偶像だと感じているからでしょう? でも! ネスタ様は違うのです!」
 
「…………」
 
 しかし、そんな自分の不器用さを差し引いても、目の前の女は関わりにくい。さっきから訊きもしない事を延々と。
 
 ……まあ、この態度自体も判断材料になるから、構わないのだが。
 
「あなたも“あれ”を見れば、すぐに考え方が変わるわ! 奇跡の御業よ、あれこそまさに神の成せる業!」
 
 狂信的な信者、それの崇拝する存在、そしてその根拠たる事象。
 
 傍目には、ただの戯れ言にしか聞こえなくても、この街の異変と合わせて考えれば、その道筋が見えてくる。
 
「少し手をかざしただけで、どんな怪我や病もたちどころに治してしまうのです! 信じられますか!? 熱心に祈りを捧げた者ならば、死すらはねのける事が出来るのですよ!」
 
 目の前の女性……ラウラのその言葉を聞いて、この街の異変の原因と経緯を理解する、ただ、狙いがまだわからない。
 
 だが、有力な情報をもらった事も確かだった。だから……
 
「私からも、お前に話しておく事がある」
 
 一応の、忠告はしておこう。彼女がまだ、人間であるうちに。
 
 
 
 
 少し、時を遡る。
 
 イタリアの片隅、かろうじて田舎とも都会とも呼べそうな中途半端な街の屋根の上に、黒衣と黒髪を靡かせる少女が立っていた。
 
「報告にあった通りだな。この街は、トーチの数が多すぎる」
 
「……でも、“一人一人”のトーチの力の量が不自然に多いね」
 
 少女……『炎髪灼眼の討ち手』シャナ・サントメールが一望する大通り、そこだけで、かなりの人間の胸に灯りが見えた。
 
 否、正確には彼らはすでに人間ではない。人としての存在を喰われ、変質させられた存在……トーチ。
 
「わざわざこんな真似をする理由がわからない」
 
「“今の世界では”、ただ体を休めるだけで力は満ちる。これほどの人間を喰らう必要などないはずだからな」
 
 シャナの胸元から掛けられる遠雷のような声は、ペンダント・『コキュートス』にその意識を表出させる契約者、“天壌の劫火”アラストール。
 
 その二人が言うように、この街の状態は異常だといえた。
 
 元々は隣の世界、紅世の存在である徒は、この世の存在で彼らに近しい人間を喰わねばそこに在る事すら出来なかったが、それもすでに過去の事。
 
 十数年前の『界戦』の最中に発動した『創造神』の秘法によって、紅世の徒はこの世の存在として“も”認められる事が出来るようになった。
 
 無論、それまで数千年続いた戦いの“常識”が、簡単に覆るはずもなく、徒の中には今なお欲望に任せて世を荒らす輩も多く、それに対していたフレイムヘイズの側も『反乱』という愚挙に及んだ事もある。
 
 それでも、必然的に戦う理由は無くなり、何より人間という『この世の住人』を喰らう必要は無くなった。そのはずなのに……。
 
「リャナンシーみたいに、自分の器以上の力を統御出来る自在師、かな」
 
「あるいは、かつての『都喰らい』のように、トーチそのものを使って発動する類のものやも知れん」
 
 どちらにしろ、やる事は同じ……そう判断するシャナの瞳が閉ざされ、途端、その黒髪が火の粉を撒き散らす炎髪に燃え上がる。
 
「『審判』」
 
 そして、唱えて開かれた両の瞳に宿るのは、灼眼。同時に、光背のように紅蓮の瞳が空間に顕現する。
 
 自在法、そして通常ならば感じる事しか出来ない存在の力の流れをも見抜く看破の自在法・『審判』。
 
 その瞳が、蠢く自在法を見抜かんと街を睥睨し……
 
「……ダメ」
 
 そして、挫折した。
 
「自在法じゃなくて、宝具の力みたい。少し厄介ね」
 
「うむ……ならば、自分の足と耳で探るよりないか」
 
 そうして、シャナは街の雑踏へと足を踏み入れた。
 
 
 
 
「……フレイム、ヘイズ?」
 
「そう、外れた力を放埒に振るう徒を抑止するのが使命」
 
 時はまた進みだす。カフェテリアのコーヒーに砂糖を山のように注ぎ込みながら、シャナはこの世の真実を淡々と告げる。
 
 吉田一美のSSCの例もある。これからの時代、徒の存在をただひたすらに隠す事の是非は一概には言えない。
 
 シャナの場合は、今回のように、すでに異能に巻き込まれ、紅世の徒の存在を誤解している場合は、飾らない真実を告げる方が当人のためと考えている。
 
「えっ、と………」
 
 それに対する女性、ラウラは、明らかな戸惑いを示す。
 
 子供の遊び……と普通なら考える(外見の話、日本人は実年齢よりかなり若く見られる)。
 
 真っ白なワイシャツに黒のスラックス、シャツの上にはマントのような黒寂びたコート、という格好も、見た目相応とは言い難い。
 
 しかし、それら全ての判断材料が取るに足らないまのだと感じさせるほど、目の前の少女は“奇妙”だった。
 
 特に強い言葉など使っていないのに圧されるような、目を見られれば目を逸らせないような、子供とは思えない異質な雰囲気が滲み出ている。
 
 しかも、この世の真実とやらを話し始めてから、それは明らかに強くなった。
 
 これが、この子の言う存在の力なのだろうか? などという“馬鹿な考え”まで頭を過る。
 
 何より奇妙なのは、
 
「いずれにしろ、その自身を神と称する者が何らかの形で関わっているのは間違いない。街で喰われた人間の全てが、そのネスタ教とやらの関係者なのだからな」
 
 この、喋るペンダントだ。日本は娯楽に富んだ国だと聞くが、こんな風に会話出来る玩具など聞いた事もない。
 
「徒は人間を喰らう必要性を失った。でも、現にこの街で人間を喰った形跡がある。全ての徒が人を喰らうわけじゃない。それでも、人間より遥かに強力な力は持ってる。
 恐れるか歩み寄るかは、お前が自分で決める事よ」
 
 話は終わり、そう言うように、少女は席を立つ。
 
「ま、待って!」
 
 その手を、強引に掴んだ。ほとんど反射的に。
 
 少女の話を信じた、というわけではない。
 
 だが、このまま少女を行かせてしまえば、自分の進む先には真っ暗な闇しかない。
 
 そんな焦燥が沸き上がる。何より、今までの話が一部でも事実なら、これから彼女はネスタ教を潰すというのだ。
 
 自分の拠り所が奪われる。そんな不安が漠然と広がる。
 
「お釣り、要らない」
 
 全く体格が違うのに、ズルズルと自分の体を引きずり、少女は会計を済ませて店を出ていく。
 
 異能、その言葉が胸に突き刺さる。
 
「ま、まだ話は終わっていません! あなたの妄言で私たちのネスタ様に迷惑を掛けるなど……」
 
「事実は教えた。放っておけばもっと犠牲がでる」
 
「それが妄言だと言っているのです!」
 
 小さな女の子にしがみついて、しかもまるで気にされずに引きずられる。
 
 あまりに無様な自分のその格好に気付いて、とりあえず歩いてついて行こうとした……その途端、
 
「お前、もう近づかない方がいい。私にも、その宗教にも」
 
「あっ!!」
 
 少女は、跳び上がっていた。
 
 “一足跳びに屋根の上まで”。
 
「あ………」
 
 人間に、あんな事が出来るわけがない。
 
 少女の言葉は真実。
 
 そんな直感に背筋を凍らせながら、駆け出す。
 
 もう、後戻りは出来ない。少女がもはや明らかに異質な存在だとわかったなら、なおさらだった。
 
 “得体の知れないもの”を恐れる。その未来がたまらなく怖くなった。
 
 また、自分が今まで信じきっていた存在に初めて抱いてしまった疑念。
 
 それら全てを払拭する手掛かりは、あの少女しかない。
 
 先ほどの少女の跳躍を見てざわめく人垣(というほどに人はいないが)を避けながら、走る。
 
 焦燥のまま、少女が跳び去った方角に、息も絶え絶えに走って……その息を、唐突に呑む。
 
 いきなり、光景が移り変わったのだ。
 
「何、何……これ……」
 
 陽炎のように空間が揺らめき、地面には奇怪な紋様が奔り、そして空間全体に、煉獄のように紅蓮の炎が燃えている。
 
 目に、耳に、肌に、痛感させられる。
 
(これが……封絶っ!?)
 
 自分が、世界から踏み外してしまった事を。いや、違う。とっくに、知らない内に世界から外れてしまっていた事を。
 
「……お前、何で封絶の中で動けるの?」
 
 大型犬ほどもある大きさの蜘蛛の群れが、バラバラになって燃え散る。
 
 そんな異常な光景を背に、少女はまた変わらず、淡々と言葉を掛けてきた。
 
「う、うぅぅ……」
 
 まるで、いきなり戦場の真ん中に放り込まれたような絶望。少女の言葉など、欠片も耳に届かない。
 
「うあぁぁ……!」
 
 壊れてしまった。そんな絶望が全身を支配する。みっともなく腰を抜かして泣き叫ぶ。
 
「何で……何でこんな事が許されて……!」
 
 歩み寄るなど、冗談じゃない。
 
「誰も許してなんかない。徒も許して欲しいとは思ってない。ただ、そう望む心と力を持っているだけよ」
 
 相変わらず、飾らない事実だけが少女の口から紡がれる。
 
 人間としての、穏やかで幸せな日々。それを失った……否、自ら捨てた少女の言葉に、沸騰するように頭に血が上った。
 
「何で! 何であなたはそれを簡単に捨てたりしたの!?」
 
 もう、目の前の少女を見た目通りの存在だとは思わなかった。あくまでも“弱者”として、ラウラは叫ぶ。
 
「簡単じゃない、私なりに迷って決めた。それに……」
 
 見上げて、初めて、少女は冷淡な表情以外の顔。穏やかな微笑みを浮かべている事に気付く。
 
 
「捨てたんじゃない、生かしたの」
 
 
 ラウラには、その言葉の意味も、微笑みの意味も、まるでわからなかった。
 
 
 
 



[7042] 『紅蓮の解(中編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:a68976d0
Date: 2009/11/15 15:42
 
「……行っちゃった」
 
「追わぬのか?」
 
「まだ封絶の中、修復してないから」
 
 シャナは短く応えて、人差し指を天に向けて伸ばす。そこに灯り、弾けた紅蓮の火の粉が陽炎の世界に広がり、破壊の傷痕を癒していく。
 
 全てが修復され、シャナが指を下ろすと同時に、陽炎の世界は消え去り、隔離されていた世界は正常に動きだす。
 
「田中栄太と、重ねているのか?」
 
「んー……どうかな」
 
 アラストールの問いに、シャナは自分の心に僅か目を向ける。
 
 田中栄太。シャナにとって特別な街である日本の御崎市で出来た友人の一人。
 
 一人のミステスを中心に次々に起こった“紅世に関わる”紆余曲折に心を痛めた……人間の少年。
 
 今は紅世との関わりを断ち、吉田一美とは違って顔を合わせる事もない。
 
 だが、聞く所によると、同じく友人(の中でも、自分は仲が良かった)であり、紅世と関わりを持たない人間の少女……緒方真竹と家庭を持ち、元気にやっているらしい。
 
 ……それでも、あの非現実的な悪夢が拭い去れている保証は無い。
 
「多分、違うと思う。状況は少し似てるけど、根本的な部分で田中栄太とは違う」
 
 いつからか、こういう不明瞭な応えが珍しいものではなくなった。
 
 尊敬する主婦は、あやふやで完全な答えのない、感情の問題だと教えてくれたもの。
 
 ……だから、“明確な答え”は見つけられなかったのか。
 
 まあ、それはそれとして……
 
「あの女、封絶の中で動いてた。『審判』を使ってなかったから、上手く分析は出来ないけど……」
 
「しかし、今から人間一人を探すのも少々骨が折れるな」
 
 確かに。しかし、心当たりならある。
 
「…………」
 
 黒い瞳に僅か紅蓮を過らせて、少女は街外れの深い森を見据える。
 
 
 
 
「はっ……はっ……はっ……!」
 
 逃げるように、ではなく正しく逃げて、ラウラは薄暗い森の中を走る。
 
(私は………)
 
 もはや、錯乱状態と言ってもよかった。
 
 沸き上がるのは二つの感情。得体の知れないものに対する恐怖と、信じていたものに縋りつくような甘え。
 
(私は……!)
 
 その先にあるものが、自分を非日常に引きずり込んだ元凶。
 
 その可能性を心の片隅に感じていながら、
 
(助けて!)
 
 そちらにしか、倒れる方向を知らない。
 
 
 
 
「……これ、着てるだけで力を消耗する」
 
「贅沢を言うな」
 
 短く返されたアラストールの応えにややむくれながらも、襤褸布を纏う。
 
(一美も、もう少しマシな造りにしてくれればいいのに……)
 
 などと、内心愚痴る。どうにも『仮装舞踏会(バル・マスケ)』から譲り受けた宝具を解析して量産した物のようだが……せめてこの汚い布の形状だけでもどうにかして欲しい。
 
 まあ、気配が隠せるだけで我慢するしかないか。
 
 そう割り切り、襤褸の上から黒ミサを被る。暑苦しい事この上ないが、これが例の宗教の正装らしいから仕方ない。
 
 そして、二時間後。
 
 …………
 
「……………」
 
 小さなランプを手にした黒ミサの一団が、列を作って森道を歩く。
 
 その中に紛れるシャナは、彼らの胸に点る灯りを睨む。
 
 やはり、というべきか……街のほとんどのトーチがこの行列に参加している。
 
(……あの女、いない?)
 
 あまり不自然な挙動をとるわけにもいかないから、当然いちいち顔を覗き込んだりはしていないが、自分に向けられる視線の質くらい見極められる。
 
 あの、得体の知れないものに対する恐怖、のような類の視線を感じない。
 
 もちろん、誰かが錯乱しているような気配も無い。
 
(無関係、とも思えないけど……)
 
(この場におらぬなら、既に目的地に着いているか……あるいは)
 
(その神様ってのに、消された……)
 
 こういう時、“この世のありのまましか感じ取れない”異能者の感覚は不便だ。
 
 当然、今日出会ったばかりのあの女の知り合いなど一人も知らない。
 
(…………くそっ)
 
 内心で、口汚く吐き捨てる。
 
 自分なりに、あの対応で間違ってはいなかったつもりだったが、結局無用な被害を広げたのかも知れない。
 
 以前のフレイムヘイズの在り様、今のフレイムヘイズの在り様。
 
 前者としての生き方の方が未だ長く、また自身認める頑なさが、容易な切り替えを許さない。
 
「……………」
 
 常から胸にこびりつく重さに、また頭をもたげて、しかしすぐに現状に目を向ける。
 
『少し手をかざしただけで、どんな怪我も病気もたちどころに……』
 
 あの言葉と、このトーチの数、そして……不自然に大きなトーチの力の残量。
 
(怪我人や病人の存在を僅かに喰らって、トーチに変えてる)
 
 ただ、その思惑が読めない。
 
(見えてきた)
 
 どちらにしろ、徒の欲望は各々で異なる。推測は無駄、と切り捨てて、前方の、高い樹林に鎖された大聖堂に目を向ける。
 
(あれ、か………)
 
 経験から来る勘……とでも言えばいいのか、徒の気配を文字通りに隠していたものの正体を見抜く。
 
(あの聖堂自体が、『隠蔽』能力を有した巨大な宝具……!)
 
 
 
 
(……これに、何の意味があるのかさっばりわからない)
 
 何時間もじーっと祈り続けたかと思えば、茶番と言うのも生温い『神の奇跡』の演説会。
 
 ひどい奴は、自分の血を抜いて祭壇に供える者までいた。
 
(こういう趣味も、あるのかな?)
 
 どうも、自分は世間の“遊び”に関して浅はかな気がする。
 
 御崎市にいた頃に、色々と遊びは教わったが、これは全然楽しくない。……いや、楽しむ事が出来ていない?
 
 まだまだ未熟という事か。
 
 などとしょうもない事を考えながらも、当然すべき事はしている。
 
 ただ、流石に宝具の中なだけあって、気配が掴み辛い。
 
(? ……何か、変)
 
 先ほどまでと、どうにも違和感を感じる。気配とかそういう問題ではなく、もっと根本的な……
 
「っ……!」
 
 そんな疑問を断ち切るように、唐突に気配が大きくなる。
 
 開かれた、向かいの大扉。
 
(……いる)
 
 聖堂内に幾つも存在する部屋。散り散りに、それらの部屋で宗教的活動に勤しむ彼らの中、その一室に向かう十数人に紛れ込む。
 
 そこで、見つけた。
 
 巨大な十字架を前に、頭を垂れる信者達。その十字架の下に立つ、黒いドレスの、美しい金髪の美女。一目でわかる紅世の徒。
 
 しかし、その横に……
 
「っ!?」
 
 先ほど自分が巻き込んだ女性が一人、並んでいた。
 
「皆さん、今日も“この私に”祈りを捧げに来てくれた事。心から感謝致します」
 
 穏やかに微笑むその姿は、まさに女神と称するに相応しいもの。“自らを”祈りの対象とする傲慢ささえも、当然の事と思わされてしまう。
 
 ただし、それは無論人間に限っての話。
 
(どうする!?)
 
 心中で臨戦体制に入ったシャナは、しかし躊躇を覚える。
 
 少し感覚が鋭い相手なら、もう自分の隠蔽を見抜いていてもおかしくはない。
 
 だが、徒の真横には……封絶の中でも動く女性。
 
 昔の自分なら、構わず斬り掛かっている所。世界のバランスを保つ事が最優先される事だったから。
 
 だが、今は違う。
 
 
「本日は、かねてより申し上げていました。“死者の蘇生”をご覧に入れたいと思います。常日頃から信心厚い彼女……ラウラ・クリスティアーノ! 皆さんの常からの信頼と信仰にお応えするため、彼女を死の世界から見事生還させてみせましょう」
 
 そんな逡巡も、ほんの数秒。
 
「封絶」
 
 唱えると同時に広がる、陽炎の世界。何か行動を起こすより、疾く、それのみを高めた紅蓮の刃が奔り……
 
『っ!?』
 
 ラウラと徒、その間の空間を断ち斬った。
 
 それの着弾を待たず、シャナは大きく跳躍、後方の壁を踏みつけて一気に加速。
 
 数瞬の内に、予想通りに封絶の中でも動いていたラウラを背中に庇う位置に踊り出ていた。
 
「あら、随分とお疾いのですね」
 
 柔和に微笑むその美貌。その背後で、身の毛もよだつ光景が、ある。
 
 女の背中から、その背丈すらも越える巨大な昆虫の足が……八本。生えていた。
 
「……気持ち悪い」
 
 昼間の燐子の時もそうだったが、虫嫌いのシャナには耐え難い光景だった。
 
 思わず口にせずにはいられないほどに。キシキシと動く足の動きと、生々しい体表の毛など鳥肌ものだ。
 
「我が名はネスタ。“この世の神”です」
 
 やはりこちらの存在に気付いていた。と思うと同時に、疑問も覚える。
 
 紅世に於いて生まれるはずの徒が、“この世の神”などと名乗り、紅世に於ける名前たる真名を名乗りもしない事に、だ。
 
 大体、神などと名乗るような力は感じない。王にも届いてはいないだろう。
 
「貴女は……名乗る必要はないですね。炎髪灼眼……魔神の道具ですか、“可哀想に”」
 
 そのあからさまな憐憫の態度に、シャナの頭に少しだけ血が上る。
 
「いえ、失礼。ごめんなさいね。なんせ今の時代、人間ベースのフレイムヘイズなんてそう多くはないから、つい。例の反乱の時に消えていれば幸せでしたのに」
 
 同情される筋合いなど無い。大体、あんな反乱に加担していたと思われるのも気分が悪い。
 
(それにしても、“今の時代”……か)
 
 たかだか十年そこそこで、随分と増長したものだ。
 
 やはり、まだまだ世界が変化に追い付いたとは言い難い。
 
「…………?」
 
 そこで、ようやく……
 
「やっと、気付かれましたか」
 
 あり得ない事象に気付く。
 
 自分とネスタ、後ろにいるラウラだけではない。
 
 “目に映る全ての人間たちが”、封絶の中で動きを止めていなかった。
 
 
(どういうこと……!)
 
 
 
 



[7042] 『紅蓮の解(後編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:ee60a56e
Date: 2009/12/02 15:27
 
『クリスティアーノ、よくぞ知らせてくれましたね』
 
 その天上の笑顔だけで、ラウラは全ての不安が払われたような気がした。
 
 否、そう思い込もうとしたのだ。
 
『その者の言葉、全てが偽りというわけではありません。確かに私は、異界で生まれし存在です』
 
 “今までと同じように”、自分にとって都合よく解釈して、納得して、進もうとした。
 
『しかし、この街の人間を喰らっているのは、私ではなくその者の方なのですよ』
 
 だって、その方が楽だから。
 
『フレイムヘイズ、人間を捨て、かといって徒でもない。旧時代の悪習が生み出した、憐れな“狭間の存在”』
 
 信じて、縋れば、何も考えずに済むから。
 
『彼女は憎いのですよ。未だ人間を持つ者たちが。そして、人間を守護する私を邪魔に思っているのです』
 
 ラウラ自身が、そんな自分の気持ちに気付くのは、全てが終わってしばらく経った後の事になる。
 
『協力、して頂けますね』
 
 
 
 
「『審判』」
 
 シャナの体から湧き上がる炎が、光背のように紅蓮の瞳を形作り、封絶の中でなお動く人間たちを睥睨する。
 
(こいつら……)
 
 今までは、確かに何の力も感じなかった。
 
 しかし、今は確かに信者たち全員の体を微弱な存在の力が取り巻いている。
 
 ほとんどの物は服の下に隠しているが、その力の源も見つけた。
 
 中心に、小さく青い宝石を埋め込んだ、趣味の悪い蜘蛛のアクセサリー。
 
 同時に気付く、もう一つ。さっきから感じていた違和感。
 
 多数のトーチが紛れていたはずの信者たちの中で、この部屋に集められた者たちの中には人間しかいないのだ。
 
「今頃気付いても……無駄ですよ」
 
 穏やかに微笑んだネスタが、背中から生やした蜘蛛の足を蠢かせ、床を蹴って、天井高く跳び上がった。
 
「ハーーーーッ!!」
 
 そして、八本の足の先端全てから粘性の高い蜘蛛の糸を撒き散らし、瞬間的にに部屋中全てを蹂躙する。
 
 が、当然のようにシャナはそんな攻撃を受けない。
 
 ついでのようにつまみ上げたラウラと共にそれを躱して、部屋の隅にラウラを放り捨てる。
 
 ただ、部屋に集まった他の教徒たちはその限りではない。
 
 だだっ広い一室の中に狂騒と絶叫が響き渡る中で、彼らは蜘蛛の糸に捕われた獲物と化していた。
 
「………フレイムヘイズに、人質が通用すると思ってるの?」
 
「クスクス……思いますよ? 私を討滅するために彼らを殺してしまうようじゃ、本末転倒ですものね」
 
「……………」
 
 妖艶な顔をニヤニヤと歪ませるラウラを前にして、シャナはただ無表情に、内心を表に出さない。
 
「本当に、『界戦』以降のこの世は暮らしやすくなった。旧態以前のフレイムヘイズなら、徒の討滅それ自体が正義だったのにねぇ」
 
 堪えきれないように、ネスタの語調が崩れていく。その様子に、シャナはこの徒の本質を悟りつつあった。
 
「滑稽だ、憐れな道具よ。こんな劣等種族を楯にされただけで身動きが取れなくなる。何故守る? 未だに自分を人間とでも思っているのか?」
 
 眼下で、自らを崇めていた信者たち。ある者は放心し、ある者は絶望し、ある者は自身の目と耳を否定する。ネスタはそれを快感と共に見下す。
 
 その愉悦を………
 
「くだらない」
 
 シャナの、あまりに冷め切った一言が、打ち砕く。
 
「お前は人間を見下していながら、その人間に自分を崇拝させ、それを踏み躙る事で陶酔に浸ってる」
 
 魔神の契約者として、偉大なる者として、紅蓮の灼眼が、“下から見下す”。
 
「あまりに小さい。憐れなのは、お前よ」
 
「ッ………!?」
 
 事実として、シャナに言われた通りの愉悦を潜在的に感じていたネスタの美貌が、屈辱に歪む。
 
 どんな美人も醜い内面が表れれば台無し。そのいい例であった。
 
「ッガァ!!」
 
 受けた侮辱に対して、すぐさまネスタはその小さな口を文字通りに裂いて開き、口から炎弾を吐き出す。
 
(ざまぁみろ!!)
 
 寸分違わず命中した炎弾が、シャナやラウラのいた辺りを吹き飛ばし、部屋の壁を破壊して建物を震えさせる。
 
 ……その、爆炎の中。
 
「な…………」
 
 黒衣の上から紅蓮の衣を纏うシャナが、ラウラをもその衣で守りつつ、何事もなかったように立っていた。
 
 物質として具現化させる炎・『真紅』である。
 
「お前はここで討滅する。お前みたいな弱い奴は、ここで生かしたら必ずまた自分の惨めさに耐えられなくなる。ただ……紅世に帰るのなら、生かしてやってもいい」
 
「………はっ! 笑わせんな!!」
 
 完全に余裕の仮面が剥がれたネスタの、しかしどこか勝ち誇ったような嘲笑が響く。
 
「この糸は、私以外の異能者の存在の力に反応して、連鎖的に起爆する! それがどういう意味か、わかんだろ!?」
 
「………………」
 
 半ば覚悟していた、その糸の性質に、シャナは内心だけで舌打ちした。
 
「そう! この糸にお前や、お前の炎が触れた時点で人間どもが死ぬって事だ!」
 
 回避したシャナの周りには張られていないが、それは天井や壁に幾重にも巡らされ、この部屋の信者たち全員を捕らえてもいる。
 
 先ほどの炎弾も、糸を素通りしただけで、シャナとネスタの間には糸が何重にもある。
 
 その糸全てを躱してネスタに斬り掛かるのは、物理的に不可能。引火の恐れがある以上、通常の炎はもちろん、『真紅』のような物理的な炎も使えない。
 
 実力差を見せ付けて威圧したシャナだが、実際、今取れる対策は不十分だった。
 
(一旦、退こうか?)
 
(しかし、自らの正体を明かした人間たちを、奴が生かしておくとも思えん)
 
 アラストールと声なき声で方針を話し合う中、シャナは目の前の事象、そして自分自身に思いを馳せる。
 
 それは、シャナがこの十年悩んでいた事でもある。
 
 その時…………
 
「「ッ!?」」
 
 強力な自在法発現の気配がして、その数秒後、
 
 ドォオオン!!
 
 大聖堂の屋根を爆砕して、四つの白い影が降ってきた。
 
「夜に架けたる七色は!」
 
 聞き覚えのある声で叫び。
 
「銀の光に照らされて!」
 
 ステンドグラスの壁や像などの上に降り立ち、あるいは浮かび。
 
「闇より黒く燃え盛り!」
 
 髑髏の仮面と真っ白なマントを靡かせる。
 
「悪を誅する正義の炎!」
 
 そこは、跳び上がったネスタより上方。糸が撒き散らされていない空間だった。
 
『白仮面、参上!(であります)』
 
 ビシッと、四人揃ってポーズをキメる。
 
「………………」
 
 『審判』の視界に映る、『白仮面』と名乗った四人の存在の力に、シャナは驚愕する。
 
 四人が四人とも、並の王を大きく上回る力。何より、その中の二人が人間ベースのフレイムヘイズの気配と、ミステスの気配を持っている事に、である。
 
 特に、ミステス。『界戦』以前から極めて希少な存在だったが、トーチというものが必要なくなった今の世界では絶滅危惧種だ。
 
 しかも、これほどの力を有しているとなると………
 
「……………」
 
 シャナの脳裏に、心当たりが三人ほど浮かび上がる。その中で、女性は一人だけだ(声でわかった)。
 
 そういえば、仮装が大好きでしょっちゅう色んなコスチュームを着ていた気がする。着させられていた気もする。
 
「………………」
 
 思えば、声も似ていたような。考えていくと、他の三人も知人に見えてくるという不可思議な感覚を味わっていると………
 
『っ………!!』
 
 唐突に、炎が溢れた。
 
 一瞬床に複雑怪奇な自在式を描いたそれは、部屋全体を埋め尽くすような勢いで煉獄にも似た炎の海を生み出す。
 
 その炎はシャナを焼かず、白仮面を焼かず、人間も焼かない。
 
 ただ、本来なら他者の存在の力に触れた時点で起爆するはずの糸を焼き尽くし………
 
「ぎゃああああぁぁぁっ!!」
 
 その糸の根源たる蜘蛛の徒を焼く。
 
 色は……燦然と輝く“銀”。
 
「っは!」
 
 それを見た瞬間に、咄嗟の判断で跳んでいた。
 
 自分を焼く事の無い銀炎の海を泳いで、自身に宿る力を顕現させる。
 
 左手に大太刀を握り、右手を振り上げる。
 
 それに合わせて、シャナから湧き上がった紅蓮の炎が、結晶して一つの姿を形作る。
 
 それは、牙や鉤爪、角や翼を持つ……悪魔にも似た魔神。
 
 その上半身が揺らめくように顕現し………
 
「終わりよ」
 
「やめ………」
 
 少女の振り下ろす拳の動きに連動して、天罰そのものの一撃が下る。
 
 
 
 
 劣等な存在と見下す人間に、己自身を神と崇めさせていた一人の徒は……死の間際、本物の神の姿を知った。
 
 
 
 



[7042] 『紅蓮の解(転編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:e06686bb
Date: 2009/12/20 12:22
 
「………………」
 
「………私たち、何しに来たんだっけ?」
 
「登場宣言」
 
「なるほど」
 
 眼下で燃え上がる銀炎の海を見下ろしながら、ゆかりとティアマトーは短く言葉を交わした。
 
 メリヒム、ヴィルヘルミナ、ヘカテー、ゆかりは今、白仮面に扮して封絶の中に飛び込み、中で戦っているシャナの敵を格好良くやっつける手筈だった。
 
 しかし、それも一瞬。ノリ悪く混ざらなかった悠二らしき自在法が全てを解決した後の空間に、やる事の無くなった無様な白マントが四つ揺れる。
 
「………宗教?」
 
 ヒーロー願望が満たされずに立ちすくむ三人をよそに、ヘカテーはふわふわと降下しながら巨大な十字架をコンコンと叩く。
 
「うっ、うわぁあああ!!」
 
「逃げろぉ!」
 
「殺される! 喰われちまう!」
 
 そんなヘカテーの下で、銀炎の消えた一室にいた黒ミサの団体が、突然恐慌状態に陥る。ヘカテー達は飛び入りなので、あまり状況を把握していなかった。
 
「創造神の巫女様がそんな不思議そうな顔してもねぇ」
 
「?」
 
 十字架を叩くヘカテーを後ろから抱き上げたゆかりは、ひとまず『人間が封絶の中で動いている』という異常自体を収拾すべく、床まで降り立つ。
 
「ごほんっ、えー、そこなフレイムヘイズ。私は通りすがりの正義の味方。白仮面! 状況説明をお願いしたいのだが………」
 
 わざとらしく中年みたいな声を出してシャナに訊ねようとしたゆかりは、今さらのように気付いた。
 
(あれ………シャナ、どこ行った?)
 
 銀炎の海が消え去ると共に懐かしい友達の姿もかき消えていたのだ。
 
「………………」
 
 人前で独り言を言ったような気恥ずかしさに包まれそうになったゆかりは………
 
「ね! そこのお嬢さん♪」
 
 姿勢を全く崩さずに、ギュルッ! と百八十度回転して、そこでへたれ込んでいた女性を指差して誤魔化した。
 
 女性の名は、ラウラ・クリスティアーノ。
 
「お嬢、さん……?」
 
 髑髏の仮面と白マントで姿を隠した、しかしどうにも幼さの残る言動のゆかりの言葉に、ラウラは怪訝そうな声を上げる。
 
 そこでゆかりは、妙な事実に気付く。これだけの人間が狂騒に駆られているというのに、この女性は………
 
「何で逃げないの?」
 
「いや、こ……」
 
「こ?」
 
「腰が、抜けて………」
 
 そんなやり取りの上空で、探しに来たはずの愛娘を見失ってうなだれる、二人の白仮面の姿があった。
 
 
 
 
「ふぅ………」
 
 大聖堂から数キロ離れた丘の上で、一人の少年が自重気味にため息を吐いていた。
 
 シャナの戦いに割り込み、自在法を発動させ、姿も見せずにここまで逃げてきたミステス・坂井悠二である。
 
(つい、逃げてしまった………)
 
 ロンドンの街外れで、懐かしい悪友とかなり馬鹿馬鹿しい再会を果たした悠二は、その悪友の親としての切実な悩みを解消すべく、彼の独自な自在法と『転移』の併用によってここまで飛んできた。
 
 ただ悠二は、シャナとのそれまでの経緯から、当人としては結構深刻な負い目と気まずさを抱いていたりする。
 
 だからこそ……
 
(逃げちゃったんだけ、ど……!)
 
 ぐんっ! と首を前に傾けた僅か上の空間を、白刃の一閃が通り過ぎる。
 
 そのまま体を半回転させるように捻って繰り出した蹴りが、斬撃の主を後ろに大きく弾き飛ばす。
 
(いきなり、だな)
 
 そのまま、弾き飛ばした相手に右掌を向ける。そこから銀色の炎が迸り、人間大の大きさの炎弾が放たれる。
 
「封絶」
 
 それが着弾する前に周囲一帯を銀炎のよぎる陽炎のドームが包み込み、世界と因果を切り離す。
 
 途端、爆発。
 
「……………」
 
 丘のすぐ近くにあった森林を燃やす銀炎と煙を見つめながら、悠二は自身の右手に愛剣・『吸血鬼(ブルートザオガー)』を現し、握る。
 
 彼女と再会する時は、いつもこうだ。
 
「腕は錆びてないみたいね」
 
 見据える銀炎の中から、一人の少女が何事もなかったように歩いてくる。
 
 その小柄な体を、自在の黒衣が、そしてその上から真紅の外套が包んでいた。
 
 見間違えるはずもない、『炎髪灼眼の討ち手』、シャナ・サントメール。
 
「……気配消して逃げたんだけど、ね」
 
「私の眼からは逃げられない」
 
 そう言うと同時に、シャナの僅か頭上の背後に、光背のように紅蓮の瞳が表出する。
 
 存在の力を“見”切る看破の自在法・『審判』。悠二にも憶えのあるものだった。
 
(まあ、けど……)
 
 再会していきなり、互いの間に気まずい沈黙が降りるようなのよりは、こういう方が自分たちらしいとも思う。
 
「………いくよ」
 
 悠二の姿が、銀炎に焙られるように霞む、その姿が、炎が、黒ずむように染まり……
 
「!」
 
 変わった。緋色の凱甲から溢れて靡く同色の衣、後頭から伸びるのは、漆黒の竜尾。
 
 自在法・『大命詩篇』によって『創造神』と共鳴し、その権能を引き出した姿。『天罰神』と契約したシャナと、対をなす存在の姿。
 
「「……………」」
 
 ふ、と二人の姿が消えた。次の瞬間、さっきまで二人が立っていた中間の地点で、二人の握る大剣と大太刀がぶつかり合い、爆発するように大気が震えて、黒と紅蓮が弾ける。
 
 そして、続けざま、嵐のように二人の間で黒と紅蓮の炎が破裂する剣撃が続く。
 
「ふっ!」
 
 悠二の一閃を飛び退くようにシャナが躱した。その瞬間を狙って、悠二が仕掛ける。
 
 大剣を、まるで魔法の杖でも振るうようにピッとシャナに向けた悠二の周囲に、数十に及ぶ銀の剣が浮かび上がる。現れてすぐに、それら全てがシャナに向かって飛来する。
 
(躱せる!)
 
 シャナの見開いた灼眼には、通常は異能者すら視認出来ない存在の力の流れが映っている。
 
 最小限の動きで数十の銀剣を躱し、あるいは大太刀で弾いていなしたシャナ。その周囲で……
 
「弾けろ!」
 
 躱し、地面に突き立った剣。弾き、宙に滞空する剣。それら全てが、炎弾に倍する威力を持って爆発した。
 
 黒い炎が膨れ上がり、二人が立っていた地面が、丘ごと崩れ落ちる。
 
 その砂塵と爆炎の中から、“それ”はのそりと身を起こす。
 
 いつか悠二が見たものほどの巨大ではない。しかしその角も、牙も、翼も、紛れもなく本物の……紅蓮の天罰神だった。
 
 しかし………
 
「凄いな」
 
 悠二はそれを眼下に見下ろす形で、すでに“準備”を終えていた。手にした大剣を、中天に向けて差し向けている。
 
(何……?)
 
 悠二の挙措に危険を感じたシャナが、魔神の内側から見上げた先に……
 
「ッ……!?」
 
 雨雲のように、しかしそれより遥かに濃く、全てを塗り潰す黒い炎が渦巻いていた。
 
 悠二が天に向けた大剣を、斜めに振り下ろす動きに合わせて、黒炎雲から降り注ぐ。万にも及ぶ、無尽蔵に生み出される銀剣の雨。
 
 天災にも等しい猛威が、紅蓮の魔神を襲った。
 
 
 
 
「久しぶり」
 
 まったく今さらな挨拶が、シャナの後ろから掛けられる。首筋には、幅広の刃が軽く当てられていた。
 
 封絶の中は、すでに無事な空間など一ヶ所も無い。無数のクレーターに抉り取られた大地の最奥で、少年は少女の背後を取っている。
 
「今なら、勝てると思ってた」
 
 不思議と悔しさを感じさせない声でシャナがそう言うと、悠二も大剣を消す。
 
 “挨拶”は終わったのだ。
 
「力の効率的な顕現は上手くなってるけど、なまじ良い眼があるせいで、死角からの攻撃への反応が鈍くなってる」
 
「そう………」
 
 だからあんなに大規模な攻撃を立て続けに仕掛けたのか、とシャナは納得する。
 
 爆炎で視界を奪うと同時に、存在の力の流れをも乱すため。事実、あの銀の雨をなんとか凌いだシャナは、爆炎の中、背後から接近した悠二に反応出来なかった。
 
「小癪な力ばかり身につけおって」
 
「一応自在師だからね。これが普通だよ」
 
 今まで口を閉ざしていたアラストールの皮肉に、悠二は肩を竦めて応える。
 
 もう、気まずさはどこにもなかった。悠二の姿も、封絶の炎も、銀へと戻る。シャナの炎髪灼眼も黒く冷えた。
 
「さっき大聖堂に来てたの、シロとヴィルヘルミナとゆかりとヘカテーでしょ?」
 
 薄く微笑んだシャナの表情に、どこか成長を感じながら、悠二は………
 
「白仮面、だってさ」
 
「……シロ?」
 
「そう、シロ」
 
 お互いに顔を見合わせて、くすりと笑う。
 
「さっきのあれも、悠二ね」
 
「対象に向ける攻撃の指向性を少し調整しただけ。大して難しい事じゃないよ」
 
 二人が言っているのは、大聖堂の中で、徒とその自在法“だけ”を焼き払った銀の炎の事である。
 
「………そう」
 
 何でもない事のようにそう言った悠二の応えに、シャナの表情が僅かに沈んだ。
 
 悠二はそれに気付かなかったし、シャナも気付いて欲しくはなかった。
 
 十年前にシャナが去った理由は、悠二には見当がつくし、もし違っていても言及すべきじゃない。そう感じている。
 
「噂、よく聞く。結構派手に暴れてるわね」
 
「大体はゆかりが煽ってヘカテーと遊び回ってるの。僕はむしろブレーキ役」
 
 この二人が“二人きり”という事自体が、十年前でも珍しかった。それでいて、あの頃にはない穏やかな空気がある。
 
 これがあるいは、十年という、離れていた歳月のもたらしたものなのかも知れなかった。
 
(ゆかりたちが、そろそろ来ちゃうだろうな……)
 
 と、シャナは“焦る”。
 
 封絶の中から、外の気配は極端に掴み辛い。しかし、あの場に封絶の中で動ける人間たちをそのままほっといてきたから、その尻拭いをさせた形になっているだろう。
 
 だからこそ、封絶を張ったここに未だに誰も来ないのだ。……まあ、横槍を避けるためにわざと人間たちを他人任せにしたのは自分だが。
 
 でも、それもそろそろ限界だろう。
 
(時間がない)
 
 一足飛びに、シャナは悠二に近寄った。
 
「私は、ゆかりとは違う」
 
「ッ……!」
 
 近寄られた事、真剣な瞳、その言いたい内容を察して、悠二が慌てた。シャナは構わず続ける。
 
「あなたやヘカテーにとって、すぐ傍にいて当たり前……三人で一つの関係でもないし、私がそうなる事をヘカテーは許容出来ない」
 
 シャナは、外見は何一つ変わっていないのに、落ち着いた大人の女性に見えた。何も知らず、わからなかったがゆえの無関心だった頃とは違う。
 
「私も同じ」
 
 色々なものを知り、感じた先に得た。そんな雰囲気を身に纏っていた。
 
「あなたのすぐ傍で、他の存在を受け入れる事には堪えられない」
 
 その言葉は……
 
「忘れる事も出来なかった。それだけ、あなたは私にとって特別だった」
 
 十年経っても、シャナの気持ちが変わっていない事を意味していた。
 
「だから、私だけの解を出した。私にしかない、あなたとの関係を持つ。ゆかりにも、ヘカテーにも真似出来ない関係を」
 
 瞬間、
 
「ん……!!」
 
 悠二の唇に、シャナの唇が重ねられた。すぐさま離れる。
 
「剣で分かり合う。炎を交わし合う。互いの存在をぶつけて、何より深く『愛』を……」
 
 口に出すどころか、自分の想いに自覚すらなかった少女が、炎のような熱意を以て、少年に愛を向ける。
 
「忘れないで。最後に私は、あなたの全てを手に入れる」
 
 あまりに危険で、熱くて、物騒な愛の告白。
 
「悠二、あなたは私が殺すから」
 
 とんでもない言葉を、無邪気に微笑んで告げる少女に、悠二は困ったように、しかし楽しそうに微笑み返した。
 
 
 
 



[7042] 『紅蓮の解(終編)』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:4ddb6a25
Date: 2010/01/17 11:22
 
「ほぁたぁー!」
 
 ゆかりが手刀一閃。また一人狂騒に駆られる信者が意識を刈り取られる。
 
「まったく、自分たちの常識から外れた存在を信望していただろうに、実際に目にした途端これか。くだらん」
 
 ぶつぶつと毒づきながら、メリヒムが容赦なく信者らを蹴り飛ばす。
 
「未知の存在を己に都合の良いように解釈して疑わない。盲信とはそういうものでありましょう」
 
 ヴィルヘルミナの純白のリボンが無数に伸び、こちらも信者らを次々と投げ飛ばす。
 
「このまま外に出られると、厄介です」
 
 ヘカテーが軽く差し向けた『トライゴン』の遊環の先から突風が奔り、まるで木の葉のように信者らを吹き飛ばす。
 
 本性を現したネスタの姿に恐慌状態に陥った、何故か封絶の中でも動ける信者たち。彼らがこのまま封絶の外に出れば面倒な事になると判断した白仮面ズは、とりあえず気絶させておく事にしたのだ。
 
「あ、あ………」
 
 その光景を、ゆかりに片手で担がれながら見ている、ラウラ。
 
「はい、終わり!」
 
「……悠二は、どこに行ったんでしょう」
 
「逃げたんだろう。ちっ……腰抜けが」
 
「私が初めて御崎市を訪れた時、どこかの誰かが逃げた事を考えれば、妥当な推測でありますな」
 
「骸骨剣士」
 
 完全に会話に取り残されている。今まで自分が神だと信じて疑わなかったものの醜悪な本性を見せ付けられ、この四人も、外見こそ違えど、それと似た魔法のような力を使う。
 
 それでいて、こんなさも日常的な穏やかな会話が交わされている。ラウラは、自分自身がどういう状況に置かれているかすら理解出来ずに混乱していた。
 
「原因は……この悪趣味なブローチかな?」
 
 ゆかりが、気絶させた信者な服から、僅かに存在の力を発していた蜘蛛型のアクセサリーをむしり取り、眺める。
 
 ゆかりにはシャナの『審判』や悠二のような鋭敏な感知能力も無ければ、『走査』の自在法も使えないので、はっきりとは確信出来ない。
 
「試してみればいい」
 
 メリヒムが迷わず、ブローチを取られた人間の頬をサーベルで浅く斬り、またすぐに修復した。
 
 封絶の中で、破壊したものを修復出来るのは、因果関係を絶たれた停止したものだけ。ブローチを取られた人間がまだ動けるのなら、修復は不可能なはずだった。
 
「決定でありますな」
 
「即時回収」
 
「お前らでやれ。俺は他に用がある」
 
 明らかにいつの間にか消えたシャナを探しに行きたそうなメリヒムは、面倒な仕事の一切を他三人に押しつけて飛び出そうとする。ゆかりの足払いに阻止された。
 
 ちなみに、今この大聖堂を覆う封絶の中からでは、外界を挟んで展開されている悠二の封絶は感知出来ない。
 
 つまり四人は、少し離れた所で悠二とシャナが派手にやり合っている事に気付いていない。
 
「カルメルさん!」
 
「了解であります」
 
「触手発動」
 
 ゆかりのビシッ! と指差した所作の意図を察したヴィルヘルミナは、純白のリボンを、気絶した信者たちの体に伸ばす。そして、彼らが体のどこかに必ず着けているブローチをむしり取っていく。
 
「さて、と……」
 
 そこでようやく、ゆかりは担いでいた女性を地に下ろす。
 
「お嬢さん、状況説明出来る?」
 
 この非現実的な光景の中で、“自分に意識が向けられた”事の自覚を、ラウラはまだ持っていなかった。
 
 
 
 
「………久しぶり」
 
 シャナと悠二が戻ってきた時には封絶も解け、事後処理はゆかり達の手によってほとんど終わっていた。
 
 そこで、悠二を除く四人との懐かしい再会となるも、生憎と四人は今白仮面。
 
 育ての親に当たる二人が、どうすればいいのかわからずに苦悩に身をよじらせる。
 
「……メリヒムもカルメルさんも、もうバレてるから気にしないでいいよ」
 
 悠二のその一言で、石のように固まる。
 
「……………」
 
 対称的に、白仮面の正体の事などほとんど意に介さないのがヘカテーだ。二人で帰ってきた悠二とシャナ、という構図に危機感を覚えずにはいられない。
 
 軽快なフットワークで、二人の周りをぐるぐると回る。
 
 しばらくそうやって疑念を込めた視線で威圧していたが、それで真相がわかるわけではない事にしばらくしてから気付いた。結局ストレートに訊いてしまう事にする。
 
「……浮気?」
 
「してないよ」
 
 仮面を外して、額に軽く口付けてくれた悠二の至近から、わずかにいつもと違う香りを嗅ぎ取る。
 
 そのままふんふんと鼻を鳴らして、シャナの匂いも嗅ぐ。同じ匂いだった。
 
「ッ………」
 
 思わず潤んだヘカテーの様子に、気付かない悠二ではない。
 
 慌てて抱き寄せて、その頭を撫でる。
 
「本当に浮気したわけじゃないんだって! ほら、泣かないで」
 
 実際、悠二がシャナに何かしたというわけではない。キスされてしまった事は事実だけど、それは悠二の気持ちが揺らいだからではない。
 
 と、悠二は自覚しているが、実際にキスされてしまったのは事実なわけで、抗弁にも勢いが無い。
 
 そして、シャナの肩が僅かに固くなったのを、悠二とラウラ以外の、その場にいる全員が気付いた。
 
 本来なら真っ先に激昂するはずのメリヒムは、自身の経験と、シャナの気持ちを知っているがゆえに行動に戸惑い、結果として真っ先に動いたのは、ゆかり。
 
「ほらヘカテー! そんな膨れっ面しない! 旦那様信じたげなきゃ♪」
 
 ヘカテーを背中から、悠二ごと抱きしめる。調子の良さそうなそんな仕草の裏側で、悠二の背中に爪を突き立ててたりもするわけだが。
 
「………明日はデート」
 
「了解……」
 
 ゆかりと悠二の間でハンバーガーの具のような状態になっているヘカテーが、ぼそっと要求した事項を、悠二は苦笑いで了承した。
 
「………これ」
 
 そんなやり取りを意図的に背にして、シャナは回収されたブローチの山を手に取り、黒衣・『夜笠』に収納していた書類の封筒を引き出した。
 
「………………」
 
 書類にある写真と、目の前のブローチの中心の小さく青い宝石が一致する。おそらく、横流しされたのだろう。
 
(一美も、もうちょっと管理に気を付けてくれればいいのに………)
 
 嘆息しながら、シャナはそれらの宝具を『夜笠』に納め、手帳の『SSCの盗品捜索願い』の横にバツで印をつけた。ついでのように、そこで腰を抜かしたまま茫然自失に陥っているラウラに目を向ける。
 
 人間離れした容姿の徒と、ヘカテー達を立て続けに見せられて、何を恐れているのかいないのか、何を認めているのかいないのか、それすらわからないという様子だ(宗教的に信仰していた存在に裏切られた気持ち、というのはシャナには全く理解出来ない)。
 
 言葉を選ぶように数秒黙り込んだシャナが、しかしはっきりと言う。
 
「お前が今日見た事を、どう受け止めるかはお前が決めればいい」
 
 物心つく前からフレイムヘイズとして発つために生き、世界の真実を知っていたシャナは、ラウラの気持ちに共感してやる事は出来ない。
 
 それでも、この十年で培った情緒で以て、また、この世の真実に触れた事で傷ついた友人を思い出して、“慮る”。
 
「紅世の徒って種の善悪を見定める事に大した意味は無い。“お前たち人間”と同じ。ただ、人間より遥かに強大な力と、人間と同じような心を持ってこの世界に在る」
 
 それでも、結局こんな言い方しか出来ない自分は、やはり不器用なのだろうか。
 
「夢でも見た事にして忘れるのも、自ら踏み込むのも自由。どう向き合うかはお前が決める事よ」
 
 それだけ言って、シャナはラウラに背を向けた。悠二の態度に腹を立てて喧嘩を売っている育ての親二人に近寄る。
 
(自分で、決める………?)
 
 そんな騒がしい輪の中に溶け込んでいく少女の背中を、ラウラはただ何も言えずに見ていた。
 
 いつしか彼女らが銀光に呑まれて消え去った後も。
 
 彼女が自分に起こった事を正常に受け止めるのは、これからしばらく先の事になり、またそれに対してどう向き合うかを決めるのは、それから数年後の事となる。
 
 
 
 
 自分が巻き込んだ人間の女に、告げる事が出来たのはあんな言葉だけ。
 
 尊敬する、偉大な専業主婦なら、もっと違うやり方が出来たのではないだろうか。
 
 敵に人間を縦に取られた時、自分には為す術が無かった。一時的な撤退を考えた。
 
 結果として、悠二の炎が敵だけを焼き払い、決着はついた。
 
 ……以前から思っていた事。
 
 自分の炎は、天罰神の炎。何かを見定め、裁き、断罪する炎。
 
 以前の世界なら、それで良かった。この世に存在するだけで世界を歪ませる敵が、はっきりとそこにあったから。
 
 でも、今は違う。
 
(今の世界で、私は……私の炎は……)
 
 何かを守る事が出来るのだろうか。
 
 
 
 



[7042] 『一時の夢のように(前編)』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:4ddb6a25
Date: 2010/02/21 07:26
 
『何で私を頼ってくれないの? 何を隠してるのか知らないけど、もうゆかり達だって帰って来たじゃない!』
 
 いつまでも、何かを抱えて悩み苦しんでいる想い人。それを、ただ傍で見守り続けてあげるべきだってわかってたのに……自分は、耐え切れなくなって自分の気持ちをぶつけてしまっていた。
 
『………言えないんだ』
 
 こちらの真剣な気持ちを察してか、作り笑顔すらせずに俯いてそう応えた少年の態度が、辛かった。
 
 何も話してくれない少年、何もしてあげられない自分、双方に湧く悔しさと無力感が抑えられない。
 
『話せないならそれでもいいよ。でも、少しくらい私を支えにしてくれたって……』
『出来ないんだよっ!』
 
 未練がましく食い下がる自分の言葉を遮って、怒声が響く。その怒りがどこに向けられたものなのか、わからなかった。
 
『坂井も、平井ちゃんも、佐藤も、吉田ちゃんも、池だって! 皆、辛かったはずなのに、それでも前に進んでた!』
 
 そこに、何故同じく姿を消した友人であるヘカテーやシャナの名前が並べられないのか、わからない。でも、それは訊かずに続く言葉を待った。
 
『俺だけなんだよ! 偉そうな事言ってたくせに、ビビって、ぐずって、結局最後まで何もしなかったのは!』
 
 肝心な事は教えてくれない。でも、自分に、隠さずに感情を吐き出してくれている。その事に……彼の傷口を抉っている事に気付いていながら、自分勝手な満足感を得ていた。
 
『……おまけに、吹っ切る事すら出来てない。今さらこんな事で悩んでたって遅いっつーの』
 
 言葉の端々から覗く意味と彼の様子から、悩みの種類にあたりをつけた。自分の知らない所であった“何か”、そこで何があったのかまではわからないけど、彼が、友人たちに一種の負い目や劣等感を抱いているのだと感じた。
 
『……………』
 
 “らしくない”、そう思った。荒れていた中学時代から更正して、高校からは穏やかになっていた田中に喜んではいたが、こんなに卑屈になって欲しいなんて思っていなかった。
 
『俺、ここでオガちゃんに縋ったら、もう自分で立ち上がれなくなりそうだから………』
 
 それは違うと、そう思った。置いていかれてしまったから、隣で支えてくれる誰かがいなかったから、彼は折れてしまったのだと思った。
 
 もし、自分がその“何か”の渦中に居れば、彼の支えになれたのだろうか? それとも、ただの重荷にしかならなかったのだろうか?
 
『田中………』
 
 その時、結局、手を差し伸べる事も出来なかった。
 
 
 
 
「……………」
 
 目が覚める。ダイニングテーブルに突っ伏して、いつの間にか眠っていたらしい。枕にしていた右腕が痺れる。
 
(何で今頃、あんな夢……)
 
 気だるい上体を起こしながらそう思う中途で、テーブルの上に広げたそれを目にする。
 
「アルバムか………」
 
 何となく、実際口にしてみる。……そうだ。夫と喧嘩して、それを悟られないように笑顔で栄治を送り出した後……昔を懐かしんでアルバムを開いたんだった。そのうちに、つい寝入ってしまったのか。
 
「昔は良かったなぁ……」
 
 眠り込んでしまう前から何度も呟いた言葉を、また繰り返す。
 
 結婚した事を後悔しているか、と訊かれれば、無論否定する。しかし、今が一番幸せなのかと訊かれれば、口をつぐんでしまう。
 
 息子は当然愛しい。両親の血筋からか、ヤンチャで素直な性格だ。これから生意気盛りに突入しても、温かく見守れる自信はある。
 
 問題は、夫。昨夜の喧嘩の事といい、最近のぞんざいな扱いといい、本当に自分は昔と変わらずに愛されているのか、時々すごく不安になる。
 
 いや、その前に、自分は昔と変わらず“愛せているのか”。
 
「……買い物、行かなきゃ」
 
 気持ちを切り替えないと。夫婦喧嘩なんて、純真な子供の前でしていい事じゃない。
 
(そうよ……)
 
 こうやって時々喧嘩して、気持ちを確かめるしかないんだろうから。
 
(そういえば……)
 
 アルバムに目を通し、特別仲が良く、仲間内で恋愛が発展していた友人たちを思う。他の皆は、どうだろうか。
 
(って言っても……)
 
 未だに連絡が取れるのは半分くらいしかいない。
 
『パートナー? ちょっと移動する度に乗り物酔いでゲロゲロやる奴をパートナーとは言わねぇ』
 
 吉田一美は、未だ独身。同じ企業に入って彼女を支える池速人も相変わらず報われない。
 
『まあ、わがまま言うのは俺を頼ってくれてるって事だから、大変だけど悪い気しないんだよな』
 
 佐藤啓作も相変わらず尻に敷かれているらしいが、あれはあれで幸せそうだ(尤、当のマージョリーにはもう何年も会っていない)。
 
 後の四人、坂井悠二、坂井史菜、平井ゆかり、シャナ・サントメールに到っては、居場所どころか消息すら定かではない。
 
(まあ、元気にやってるだろうけど………)
 
 昔の事ばかりに想いを馳せるのは悪い傾向だと思いながら、買い物袋片手に家を出る。
 
 
 
 
(今日はちょっと、奮発しようかな)
 
 デパートで夕食のメニューを考えながら食材の値段を見て回る、今や主婦の真竹。息子が眠りについた後、夫ともう一度話をつけなければならない彼女だが、今日は最終的には仲直りをするつもりなのだ。夫の好物の肉じゃがに、少し良い肉を使おうかと頭を悩ませる。
 
(いや、でも………)
 
 こっちが怒っているのだ、と示す事も大事なのではないだろうか。それに、今回の喧嘩が単なる考えの行き違い、少し互いに理解を示せば解決するような事ではなかったとしたら……自分が馬鹿みたいだ。
 
 そんな風に、当人からすれば深刻な悩みを抱える最中………
 
「まだ高い、もう一声!」
 
「お、お嬢ちゃん、こっちも商売だからよ……これ以上は………」
 
「そんな……病気の母と無職の父を抱えて、一人で家庭を切り盛りする可哀想な女子高生の頼みを無下にするなん……」
「嘘くせぇ!」
 
「あぁーっ! せめて最後まで聞こうよ! 嘘だとしても!」
 
 後ろの方から、そんな掛け合いが聞こえてきた。まったく、最近の女子高生は………いや、あれもある意味たくましいと言い換える事も出来るか。
 
 『最近の若い者は』、最近自分もよく考えるこのフレーズは、果たして的確なのだろうか。案外、自分も若い頃は似たようなもので、今の自分はそれとは違う視点から見ているだけなのではないか。などとどうでもいい事を無駄に深く考える真竹は、しかし買い物をする振りをしながらそんな女子高生のやり取りに耳をそばだてた。ちょっと面白そうだったから。
 
「やっぱ嘘なんじゃねえか! ………はあ、わかったよお嬢ちゃんの勝ちだ。こんなもんか?」
 
「やたっ! おっちゃん話せるぅ♪」
 
「……あそこまで堂々とおちょくられちゃ腹も立たねぇよ。たくましく生きな」
 
「心・配・無用! これでも十年以上鍛えてますから」
 
「はっはっは! まったくお嬢ちゃんには敵わねえな!」
 
「こっちは嘘じゃないんだけどなぁ」
 
 たまに居るのだ。こんな風に全然態度を繕わないで、実際にはた迷惑な事をしでかすのに、何故か憎めないタイプが(もしこれをやったのが男だったら店の人は怒り狂ったに違いない)。
 
(そーそー、私も若い頃はこんな感じで騒ぐ皆の後ろで慌て……て………)
 
 思考がそこに向いた時、覚醒するように後ろの女子高生の快活な声に、強烈な聞き覚えを感じる。
 
 馬鹿馬鹿しいと思う心とは裏腹に、体は自分でも驚くほどの勢いで振り返っていた。
 
「あ…………」
 
 茶味がかった長い髪をツーサイドアップにまとめた特徴的な髪型。紫の綺麗な瞳。動きやすそうなアロハシャツとジーンズという格好こそ見た事はないが、それでも、その姿は………
 
「ゆ、かり………?」
 
「んぁ?」
 
 思わず口を突いて出た名前に、“あり得ない事に”目の前の少女は反応した。
 
 この辺りでは有名な、おいしいけど高いたい焼き。たった今値切って大量に買い込んだ内の一つを、行儀悪くその場で頬張る。
 
「……………」
 
「……………」
 
「お嬢ちゃん、母ちゃんかい?」
 
「んーん」
 
 店主の問いかけに喉だけで応えながら、少女はじーーっと真竹を見つめながらたい焼きを咀嚼する。
 
 ごくりとそれを飲み下して、さらに二秒。少女の頭の上で豆電球が光った。
 
「オガ…………」
 
 閃いたとばかりに指差して、随分と懐かしいあだ名を呼ぼうとした少女は………
 
「おばちゃん!」
 
「………………」
 
 すごく、嫌な誤魔化し方をした。
 
 
 
 
 デパートのレストランに半ば強引に連れ込み、対面に向かい合う形で座り、まず一番肝心な事を確認する。
 
「念のために訊くけど、ゆかり……だよね?」
 
「いやいや、あれだって。私はゆかりの娘のゆかみ。響きが似てるからついつい振り返っちゃったけどゆかりじゃないから、うん」
 
 そんな稚拙な言い訳にすら、騙されそうになってしまう。何故なら、目の前にいる少女……平井ゆかりは、自分の記憶の通りだったから。記憶の通り………“全く同じ姿”。
 
「私の子だってまだ小学二年生。いくらなんでも無理があるって」
 
「やっぱ無理かぁ……って、オガちゃん子供居るんだ!? はぁ~……時の経つのの早い事早い事♪」
 
 さすがに言い訳に無理があると悟ったのか、ゆかりはあっさりと認めてひらひらと手を振った。
 
 しかし実際の所、真竹はそんなゆかりを前にしてもまだ、現実感に欠けていた。さっきまでの夢の続きかとさえ思った。
 
 その姿、言動、自分の昔のあだ名を知っていたという事実、今目の前で本人が認めているという光景。それらを心が肯定し、常識が否定している。
 
「その……何で……歳は……?」
 
 自信なさげに、しかし訊きたい事を口にする。
 
「ネバーランドで暮らしてたってのはどお?」
 
「こっちは真面目に訊いてるの!」
 
「何を隠そうこの私、魔法少女などを少々嗜んでおりまして」
 
「……わかった。真面目に応える気はないって事ね」
 
「拗ねないでってば♪」
 
 はぐらかされたけど、今のやり取りで確信した。この娘は間違いなくゆかりだ。もう若作りとかそういうレベルじゃないけど、現に目の前にゆかりは居る。
 
 ……何だか、自分まで若返った気分だった。
 
「ま、子供がいるんなら“それ”を隠すのが良い事なのかわかんないけど、少なくとも私の口から言う事じゃないってだけ」
 
 笑顔のまま、眼と言葉だけに真剣な色を乗せたゆかりに、息を呑む。十五以上も外見が歳下の、女の子に。
 
「それは……あの人に訊けって事?」
 
「“あの人”…… ほっほ~う? オガちゃんもしっかり奥さんやってますなぁ♪ まあ、平たく言うとそんな感じ」
 
 意地悪くからかってくるゆかりの言葉に、昔のように照れる事は無い。その事に一抹の寂しさを感じながら言い返す。
 
「そういうゆかりこそ、あの二人は?」
 
 軽い問いに混ぜたとても重要な質問に、ゆかりは可愛らしい仕草でぺたっとテーブルに垂れた。
 
「悠二とヘカテーなら温泉~。たまには気を遣ったげなきゃねぇ……」
 
 心底つまらなそうにそう言いながら、ゆかりは口をアヒルみたいに尖らせる。あの頃より、あの二人に対して素直に甘えているような気がした。
 
「そっか……。やっぱりまだ三人一緒なんだ」
 
「そ。死ぬまで一緒♪」
 
 一部の迷いもなくそう返したゆかりに、いっそ尊敬の念まで抱いて、やや遅れて実感する。
 
 悠二もヘカテーも、おそらくシャナも、ゆかり同様のおかしな現象を抱えているに違いない。そして夫は、それをあの頃から知っていたという事だ。
 
「……ゆかりは、あの頃何があったのか、知ってるんだよね?」
 
 十余年の時を経て、その問いは意味を持つのか。
 
 



[7042] 『一時の夢のように(後編)』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:d1f3caaf
Date: 2010/03/21 14:28
 
「いつまでうじうじしてるつもり?」
 
 世界そのものすら巻き込んだ大戦も終結を迎え、『揺らぐ世界』を一時離れて、悠二たちは束の間の日常に帰還した。
 
「わかってんだよ! 考えたってもう遅いって事くらい!」
 
 悠二、ヘカテー、ゆかり、シャナ、吉田、池、マージョリー、ヴィルヘルミナ、メリヒム、皆が御崎市に戻ってきた。常人には気付けない、しかし決定的な革変を経て、再び田中栄太の日常は回り始めた。
 
「……わかってないよ。そんな事言ってる内は、いつまで経っても弱虫のまんま」
 
 それなのに田中は、友人たちに取り残され、一人でうずくまってしまったという後悔と無力感を抱えて、欝屈とした日々を送っていた。
 
「っ………………」
 
「何も、全部忘れろって言ってるわけじゃない。あの一年で田中君が感じた事を受けとめて、自分がこれからどうしたいのか考えればいいんだよ。後ろ向きにばっか考えてるからカッコ悪いの」
 
 そんな田中を……正確にはそれを見守る真竹を見兼ねたゆかりが、田中を糾弾する。
 
「佐藤君がマージョリーさんの為に“こっち”を選んだみたいに、田中君にも大切なものがあるから、“そっち”に残ったんでしょ?」
 
 諭すような、言い聞かせるような言葉はそこで治まり、そこから、どこか不透明なゆかりの独白が零れる。
 
「……私も、悠二も、今の自分の在り方を否定するつもりない。……けど、悠二は喰われて、私は一度死んだ。どうしようもない力の流れに逆らえずに、今の自分に辿り着いた」
 
 その言葉を受けて、田中の脳裏を過るのは……ミサゴ祭り。自分には何一つ出来ない異能者たちの戦場で、粉々に砕け散る想い人の姿。
 
「後悔はしてないよ。だけど、もし“選ぶ事が出来たら”……私も悠二も人間のままで生きる選択があったとしたら、私はどっちを取ってたかわかんない」
 
 もはやあり得ない未来に想いを馳せて、ゆかりは種類のわからない笑顔を浮かべた。
 
「私は、今の自分に満足してるよ。だけど時々、考えるの。私たちが手放しちゃったものの大きさを」
 
 俯いて動かない田中とは対照的に、ゆかりは後ろで手を組んでぴょこぴょこと大股で歩く。
 
「田中君は逃げたんじゃなくて、選んだんだよ。私たちに負けたくないんだったら、自分が選んだもののために出来る事、考えないと」
 
 背中に回って、小さく縮こまった田中の肩を、背伸びしてポンッと叩く。
 
「頑張れ男の子♪」
 
 十数年前の事である。
 
 
 
 
 今考えれば、自分の学生時代は普通のものとはかけ離れていた。
 
 まるでマンガにでもあるようなドタバタ学園生活。何か超常現象のようなものも何度か見たような憶えもあるが、『彼女たちだから』というだけの理由で深く考えずに納得出来てしまう自分がいた。
 
 今こうして、十数年ぶりの再会を前にこれほど動揺しているのは、あの頃とは自分の感覚が変わってしまったのだろう。真竹はそれを寂しく思った。
 
「何度も言うけども、私の口から教える気はないよ? 田中君に会ってく気もないし」
 
「なっ、何で……!?」
 
「私のこの外見。田中君にとっちゃトラウマスイッチになっちゃうかも知んないしね」
 
 ある意味予想通りの応えに続けられた言葉に、真竹は言葉を失う。しかし、ゆかりは昔からこういう性格だった。
 
 天真爛漫で遊び心に命を懸けているような反面、酷くドライな発言を平気でしたりするのだ。
 
 けど………
 
「あの人は、そんなの気にしないって。私だって……確かにそりゃびっくりしたけど……」
 
「オガちゃんと田中君とじゃ、非日常に対する見方が違うの。田中君からオガちゃんに全部話した後なら、会ってもいいけどね。本当ならオガちゃんにも見つかるつもりなかったんだし」
 
 確かに、御崎市とも遥か遠く離れたこんな場所で偶然再会するなど、ゆかりにも予想外だったに違いない。
 
「んで、オガちゃん何か悩み事?」
 
「………え?」
 
 あまりに急な話の切り替えについていけず、真竹は間の抜けた返事を返す(多分、ゆかりの中ではもうさっきの話は決着がついたという事だろう)。
 
「私の外見、ってだけじゃないでしょ? そのメランコリーな感じは」
 
 ゆかりは「さあ吐け」と言わんばかりにズビシッとパフェをつついていた長いスプーンを真竹に向ける。
 
 十年経ってもあの頃と変わらず接してくるゆかり。何だか自分ばかりが動揺していて馬鹿みたいに思えた。
 
「実は………」
 
 …………………
 
「浮気?」
 
「かも知れないってだけ! 別にシャツに口紅ついてたとかそういうんじゃないんだけど、最近夜に楽しそうに女の人と長電話してるし………」
 
 聞き返すゆかりに言い訳のように抗弁するその言葉は、だんだんと尻すぼみになって最後はほとんどボソボソ声だった。
 
「おお……、何か凄い。昼ドラみたい」
 
「……他人事だと思って楽しまないでよ」
 
「いやぁ、悠二とヘカテーは年がら年中ラブコメしてるから、何かこういうの新鮮って言うか♪」
 
 やっぱり話すんじゃなかった、と真竹は早々に後悔してテーブルに突っ伏す。
 
 三十路の自分が、どう見ても女子高生のゆかりに遊ばれているこの構図は、周囲にどんな目で見られているのだろうか。
 
「まあ冗談は置いといて、そういう事ならやっぱり、直接様子見に行くっきゃないでしょ!」
 
「………………」
 
 すごくイイ笑顔で片腕を天に突き上げるゆかり。真竹は知っている、ゆかりがこういう顔をする時、自分は大抵苦労する羽目になるのだ。
 
 
 
 
「よしゃ! 行くよママ♪」
 
「ほ、本当に行くの?」
 
「もちよ」
 
 ここは、真竹とゆかりが再会したデパートから二駅離れた場所にある私立高校。平たく言えば、田中の仕事先である。
 
 何故真竹がママ呼ばわりされているかと言うと、一重に今のゆかりの服装に尽きる。
 
「制服なんて久しぶり♪」
 
 今から二十分前、この学校の校門の前でゆかりは出てきた女子生徒を捕まえ、ブランド物の服をプレゼントする代わりにその制服を借り受けたのだった。
 
 強引な手法には変わりないが、相手の女子生徒も楽しげだったのは、彼女もかなりノリの良い性格だったのかも知れない。
 
 御崎高校のそれとは違う、白いシャツと灰色のミニスカートに身を包んだゆかりが、上機嫌にくるりと回る。
 
「シカモ! これで田中君に見つかってもノープロブレム!」
 
 自信満々にそう言って、ゆかりは自分と真竹に瓶底眼鏡(度無し)を装着して、そのまま真竹の手を引いて校庭に突入した。
 
 設定としては、言うまでもなくこの学校の生徒ゆかりと、その保護者真竹。
 
「無理があるってばーー!!」
 
「ママ、うるさい」
 
 真竹の不満など余所に、ゆかりは一路、職員室を目指す。
 
 ………………
 
「……あれ?」
 
「多分……顔見た事はないんだけど……」
 
 生徒に道を訊ね、途中に見かけた食堂でゆかりが食欲に負け、久しぶりの学校というものを満喫した末に辿り着いた職員室の窓からこそこそと顔を覗かせるゆかりと真竹。
 
 その視線の先では、体育教師であるため日頃からジャージを着ている田中、そしてその田中と親しげに会話する女性教師。
 
「若いね。二十代前半と見た」
 
「……………」
 
 真竹が浮気を疑うほどだから、ゆかりはこのくらいの事は想定済みだ。逆に真竹は、元からイメージしていた嫌な光景を現実に目の当たりにした事で茫然自失となっている。
 
「頑張れオガちゃん、いざとなったら私の破壊光線が火を吹くから」
 
「………それはやめて」
 
 ピコピコと揺れるゆかりの触角に多少の戦慄を覚えながら、真竹は平静を装ってそれを制した。
 
 職場で同僚と仲良く会話する。それくらいで嫉妬する器量の狭い妻だと思われたくなかった。
 
 一旦その場を離れたゆかりと真竹。既に放課後だった事もあり、部活を終えた生徒が次々に帰宅していく中で、二人は屋上で田中の勤務終了を待つ。
 
 『むしろ学校終わった後の方が怪しい』とはゆかりの言である。
 
 結果として、その読みは当たる。
 
 職員用の玄関から出てきたのは、田中と、先ほどの女性教師の“二人”。
 
 ただの同僚と呼ぶには近い距離で並び歩くその姿に、真竹は胸を痛めながらゆかりと共にその後を尾けた。
 
 そして、その歩みが田中が車を停めている校舎裏まで続いた時、それは起こった。
 
「「ッ!?」」
 
 例の女性教師が、田中の腕に抱きついて頭を寄せたのだ。
 
「……づいて、……たんで……ね?」
 
 離れていて、真竹にはよく聞こえない。ゆかりには聞こえているのか、その顔が険しく歪む。
 
「……わない…です。……生に……を捨て………て、虫が………よね」
 
 本当なら、今すぐ飛び出したかった。飛び出して、夫の腕からあの女性を無理矢理に引き剥がしてしまいたかった。なのに、真竹の体は震えるばかりで動いてくれない。
 
 状況に呑まれたような、あるいは流されているような田中の表情。どこか現実味の薄れる情景。それが………
 
 ビビッ!!
 
「うおぉ!?」
 
「きゃあぁっ!!」
 
 どこからともなく発射された二筋の翡翠のビーム。それに伴う小さな爆発によって打ち払われる。
 
「………あっ」
 
 我に帰った田中は……
 
「えっ?」
 
 その教師の両肩を掴んで、無理矢理離す。今まで、状況に頭が追い付いていなかったように。
 
「君の気持ちはわかったけど、俺には大事な家族がいるんだ。だから、ごめん!」
 
 爆発の動揺も覚めぬ内に、田中は今一番必要な返答を口にした。女性教師の方も、呆気に取られたような沈黙を経た後に、やがて受けた拒絶を理解して、目尻に涙を浮かべて走り去る。
 
(良かった………)
 
 状況に置いていかれて、ただ茫然と見ていた真竹が、心底の安堵を心中で呟く。
 
「…………真竹?」
 
「あ」
 
 ただし、食い入るように身を乗り出していたせいで、姿を隠すのを忘れていた。当然のように田中に見つかる。
 
「なっ、な、何で学校に!? ってか、今の………見てた?」
 
 明らかに気まずそうな夫のその姿を、真竹は思い切り睨みつけるのを忘れない。
 
 大方、田中本人は親しい同僚程度のつもりでいて、相手の好意にはこれでもかというくらいに気付かなかった結果が招いた事だろう。
 
 自覚が無かろうと、妻を不安にさせ、一人の女性を弄んだ事実に変わりはない。
 
 あの時のビームが無かったらどうなっていた事か、考えるだけではらわたが煮え繰り返る。
 
(あ………)
 
 それで思い出したように、真竹は慌てて周りを見渡す。先ほどまで隣にいたはずのゆかりの姿が、いつの間にか消えていた。
 
「こっ、これは違うぞ! 絶対勘違いしてると思うけど、誤解だからな!」
 
 往生際悪く抗弁する夫とはしばらく口を利いてやらない事にして、真竹は空を見上げる。
 
 破天荒を極めた高校生活。それは、その後に続いた一般的な日々の中で、どこか違う世界の事のように彩られていた。
 
 そしてまた、現れたと思ったら、いつの間にか消えている。
 
 まるで、一時の夢のように。
 
 
 
 
(あとがき)
 確か来月にシャナの新刊発売ですとも。ちょっと前にOVAで『ドミサイル』出ましたね。しかし何というか、やはり三期が一番楽しみです。
 
 



[7042] 『バレンタイン・クライシス(前編)』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:f6bb011e
Date: 2010/04/03 23:53
 
「………………」
 
 ヘカテーは料理が苦手である。いや、正確には火加減というものを見極めるのが抜群に下手なのだ。
 
「……苦いです」
 
 自分の目の前の、白から黒への劇的な変化を遂げた物体を一嘗めし、その(焦げた事による)苦さに眉をしかめる。
 
 悠二に出会い、惹かれ、その愛情表現の一環として始めた“花嫁修業”の成果によっていくらかは改善されたとはいえ、今回の課題はヘカテーには少し荷が重かったらしい。
 
「また焦げた臭いがするな」
 
「カカオ、そろそろ無くなるかも知れませんねぇ……」
 
 台所で悪戦苦闘を繰り返す少女の失敗に肩をすくめながら、リビングでテレビゲームに興じる二人。平井ゆかりと、“螺旋の風琴”リャナンシーである。
 
「後二日か。諦めて市販の物にしたらどうかね?」
 
「ヤです」
 
 ヘカテーがここ、ゆかりのマンションに合宿を始めてから早一週間が経つ。「ヘカテーにはそれくらい必要でしょ」というゆかりの失礼な読みは、しかしそれでも甘かったらしく、運命の日は二日後に迫っていた。
 
 ちなみに、ゆかりはとっくに成功しており、前日の夜にもう一度完璧な形で仕上げるのみである。
 
「先生無理だって。ヘカテーこれで頑固だから」
 
「しかし、こう毎日続くと鼻が麻痺してくるのだが……」
 
「居候がわがまま言わないでくださいよ♪」
 
 以前このアパートにはゆかりと、ヴィルヘルミナが住んでいた。しかし悠二とゆかりが『星黎殿』を目指して御崎市から姿を消した事をきっかけに、ヴィルヘルミナは虹野邸に居を移し、『界戦』が終わり、ゆかりが御崎市に戻ってきてからもそのままだった。
 
 しばらく一人暮らしを続けていたゆかりだったが、少し前、夜の御崎高校に住み着いて幽霊騒ぎを引き起こしていたリャナンシーが発見され、そのまま御崎高校の物理教師になった事をきっかけに、彼女を居候として自宅に住まわせる事にしたのだった。
 
 まあ、ゆかり自身が坂井家に泊まり込む事も相当多いのだが……。
 
 ヘカテーが、ゆかりが、そして悠二が御崎高校に入学したのが去年の四月。驚くまでに濃密な一年を経て、想いを育んできた彼女たちは初めてその日を経験する事になる。
 
 二月十四日、つまりはバレンタインデーである。
 
 
 
 
「むむむ……」
 
「室内換気」
 
 その頃、虹野邸でも似たような光景が繰り広げられていた。
 
 チョコレートどころか鍋を焦がして唸るのは、フレイムヘイズ『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメル。
 
 その料理下手はヘカテーを遥かに凌ぎ、“食べられるレベルの物”を作っただけで周囲を驚愕させる。得意な料理は湯豆腐とサラダ、もしくはお湯を沸かして注ぐやつである。
 
「ヴィルヘルミナ、最近毎日何やってるの?」
 
 そんな哀れな給仕に、愛娘たる少女が声を掛ける。フレイムヘイズ『炎髪灼眼の討ち手』シャナ・サントメールだ。
 
 ヴィルヘルミナがヘカテーの真似をして料理の練習をしている事は知っているが、彼女自身が自らの料理下手を自認しているため、普段はそれほど頻度は高くない(ゆえに、虹野邸の食事は出来合いや外食が多い)。
 
 なのに、ここ一週間ほどは毎日台所に立てこもり、普段は綺麗なその場所を無為に汚し続けている。
 
 シャナでなくても気にするというものだ。
 
「な、何でもないのであります」
 
「詮索無用」
 
 シャナの追求を、ヴィルヘルミナは動揺を僅かに表しながら避ける。育ての親のヴィルヘルミナにすれば、自身の数百年単位の惨めな恋についてはあまり触れられたくないし、気恥ずかしくもあった。
 
「………………」
 
 だが、シャナとしてはそれで納得出来るはずがない。この一週間、朝夜の鍛練に加わるのは悠二とシャナ、時々メリヒムが参加する“だけ”。それはそれで正直嬉しくもあったが、ヴィルヘルミナの奇行とヘカテー達の不在が無関係とも思えなかった。
 
 そして、ヴィルヘルミナが料理に励む時はメリヒム絡みと相場は決まっている。
 
 それはつまり、ヘカテー達の行動も悠二絡みなのではないか? という推測にも結びついていた。
 
(……バレンタインデー)
 
 日付から考えられるのは、その日だ。しかし、キリスト教司祭のバレンタインが処刑された日にヴィルヘルミナたちが何かをするというのもピンと来ない。
 
「………アラストール」
 
「我は俗世に疎い、訊くならば奥方にでもするがいい」
 
 自室に戻って胸の『コキュートス』に訊ねれば、やや投げやりで自信の無い声が返ってきた。
 
 世界の在り様が変わり、一番今の世界に戸惑っているのは彼なのかも知れない。“どうあるべきか”という問いに、不明瞭な応えしか返せなくなっている。
 
 シャナは電話に手を掛け、いつものように尊敬する偉大な専業主婦に電話を掛けようとした手を……止めた。
 
(もし、悠二が出たら?)
 
 ヴィルヘルミナ達の行動の正確な意味はわからなくても、それはとても気まずい事なのではないかという予感はあった。
 
 そして少女は電話を掛ける先を変える。発信先は……緒方真竹。
 
 
 
 
「………………」
 
 そんな少女らの苦闘が続く中、バレンタイン前日。
 
 自室のベッドに仰向けに寝転がりながら、悠二は種類のわからない溜め息をつく。
 
 ヘカテーとは学校で会っているものの、ヘカテーは自分と顔を合わせると「不覚」とでも言わんばかりに唇を噛んで俯いてしまうのだ。
 
「バレンタインデーかぁ………」
 
 ゆかりは形式的に「秘密♪」などと言っていたが、悠二にだってさすがにわかる。
 
 ヘカテーはその特訓のために平井家に合宿し、そしてそれは上手く行っていないのだろう。
 
「やっぱり、そうなんだろうなぁ………」
 
 むしろ、この期に及んでヘカテーが別の男にチョコを渡す、などという事があれば、平静でいられる自信はない。全力で抗議するし、それで大喧嘩にもなるだろうとは思う。
 
 しかし、今まで悠二にとってバレンタインデーという日は、母親からチョコレートをもらえ、運が良ければ明らかな義理チョコくらいならもらえるかも知れない日、という程度の認識だった。今一つ実感が湧かず、他人事のように感じてしまうのも事実で。
 
 しかも………
 
(……シャナや吉田さん、どうするんだろ?)
 
 悠二は今や、自分に好意を向けてくれていた四人の少女の想いには気付いていた。しかし、創造神と世界をも交えた戦いを経て、それらの想いにも一つの終結を迎えたと思う。
 
 だが、今の彼女たち………正確にはシャナと吉田が、何を思っているのか、自分への想いをどう解決したのか、それは全くわからないでいた。
 
「…………はは」
 
 楽しみなような怖いような期待感を胸に抱きながら、そんな“普通の少年らしい”悩みを持てる事が、自分でも不思議なくらい嬉しかった。
 
 
 
 
「……………むにゃ」
 
 そしてバレンタイン当日、今朝の鍛練が中止になっているあたりに明らかな策略の臭いを感じつつ、悠二はこれ幸いと、遅刻しないギリギリいっぱいまで寝るつもりだった。
 
「抜き足差し足……」
 
 そんな悠二の眠る私室に、もはや自分の部屋感覚で忍び込む少女一人。
 
「すぅ……すぅ………」
 
 創造神の権能を扱うほどの力を持ちながら、未だ戦歴は一年にも満たないという、アンバランスで平和ボケした少年のお腹の上にそ~っとまたがる。
 
 だらしなく開いた口がいかにもいい感じだった。
 
「グッモーニン♪」
 
「もがっ……!?」
 
 そうしてその日、悠二の目覚めは口に広がる甘い味によって始まった。
 
「うぐっ……っ…ゆかり!」
 
「ハッピーバレンタイン♪」
 
 いきなり寝込みにチョコをお見舞いされた悠二が怒鳴るが、犯人たるゆかりは特に気にした様子もない。
 
 チョコをもらって喜ぶべきなのか、こんなふざけた渡され方をして怒るべきなのか微妙な所だった。
 
「……何やってるんだよ、こんな朝っぱらから」
 
「何って、『このチョコに愛を込めて』?」
 
 訊くな。
 
「どうせ本命チョコもらうの生まれて初めてなんでしょ? 素直に喜べばいいのじゃよ♪ 悠二チョコ好きだし」
 
「………………」
 
 正確に言い当てられているあたりに無性に悔しさを感じもするが、事実なので言い返せない。見栄を張って出任せを言おうにも、ゆかりの事だから池や母・千草あたりに確認を取っている可能性も捨てきれない。
 
「だからって、何もこんな渡し方しなくても……」
 
 これまで本命チョコをもらった事のない悠二としては、バレンタインのチョコを渡されるまでの一喜一憂の過程にちょっとした夢を感じる……などという思春期男子らしい憧れがあったりなかったりしたのだが、朝一番でこれでもかというほどにぶち壊された気分だった。
 
「今日の学校は戦争になりそうだからねぇ」
 
 言ってゆかりは、実にイイ笑顔でニヤリと口の端を引き上げた。
 
「それで抜け駆け?」
 
「そ♪ 気兼ねなく子猫たちを煽らなきゃなんないもんね♪」
 
 ……相変わらず抜け目ないというかズルいというか。っていうか煽るなよと悠二は思う。
 
「はい、あーん♪」
 
「むぐ」
 
 ゆかりが再び悠二の口に突っ込んできたのは、平たい正方形の可愛らしい箱に入れられた……しかし明らかに手作りの、生チョコである。
 
「それもう一丁!」
 
「たっ、食べる! 自分で食べるから!」
 
「やだ♪」
 
 腹にまたがられている状態では上体を僅かに起こす事しか出来ず、ヘカテーがいないとやりたい放題のゆかりによって、悠二はそのままチョコが無くなるまで「あーん♪」を強行されてしまう事になった。
 
 御崎高校のバレンタインデーは、まだ始まったばかりだ。
 
 
 
 
(あとがき)
 あとがきで書いても今さらな気もしますが、本編で悠二たちが戻ってきてからほどなく、『ゴースト・パニック』の後のファーストバレンタイン話です。
 
 



[7042] 『バレンタイン・クライシス(中編)』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:f6bb011e
Date: 2010/04/15 07:53
 
 その慌ただしい一日の最初のトラブルは、登校途中の封絶から始まった。
 
「……………」
 
 なるべくなら確認したくない予感と共に上を見上げた悠二の目に、電信柱の上で凄まじい闘気を纏う銀髪の青年が映る。
 
「……坂井悠二。今日が何の日か、知らんわけではないな?」
 
「………知ってる、けど」
 
 銀髪の青年……“虹の翼”メリヒムの冷たい視線に、悠二は恐る恐る応えた。朝っぱらから大規模な封絶を張った事に関するツッコミも飛んでしまっている。
 
「ならいい。何も言わず、ここで死ね」
 
「はあっ!?」
 
 どう見ても隠しておけるはずのないコートの端からサーベルを抜いたメリヒムが一閃、『虹天剣』を繰り出す。咄嗟に飛び退いた悠二とゆかりの眼下で、住宅地が爆光に巻かれて無惨に吹き飛ぶ。
 
「んー……メリーさん、結構俗世に染まってきてるなぁ……」
 
「そういう問題じゃない!」
 
 腕を組んでしみじみと頷くゆかりに、悠二は叫ぶようにツッコんだ。メリヒムがバレンタインを知っている事と、自分が命を狙われる理由が、悠二には結びつかない。
 
「世界の理を変えた事、今後悔させてやる」
 
 コートを翻したメリヒムの動きに合わせて、まるで鳥の群れのように、翼を持った八面体の硝子の盾が無数、空に羽ばたいた。メリヒムの燐子たる攻撃のための盾・『空軍(アエリア)』だ。
 
 悠二たちが先の界戦で成し遂げた大命によって、今の世界は紅世の徒の力もフレイムヘイズのように回復させる。つまり、今のメリヒムは何の気兼ねもなく存分に力を振るえるのだ。
 
「えぃや♪」
 
「ぐぁ……っ!」
 
 おまけに、メリヒムのやる気に悪ノリしたゆかりが、わざわざ悠二の背中を踏み台にして早々に戦線を離脱する。まさしく絶体絶命。
 
「許さん………」
 
 たぎる炎のような呟きを漏らしながらサーベルを掲げるメリヒムの背中に、虹色の光背が翼のように広がる。
 
「貴様がシャナの愛の籠もったチョコレートを受け取るなど、断じて許すつもりはないっ!!」
 
 カッと眼を見開いて堂々と告げたメリヒムに、「そんな理由で殺すつもりだったのか!」と悠二が叫ぼうとした、まさにその時………
 
「何っ!?」
 
 万条のリボンが織り成す純白の濁流が、数十の『空軍』を巻き添えにして、メリヒムに襲い掛かった。一拍遅れて、虹の破壊光がリボンを焼き散らす。
 
「ようやく見つけたのであります」
 
「観念推奨」
 
「ちっ……封絶を張ったのは失敗だったか!」
 
 攻撃の主……ヴィルヘルミナの姿を前に、メリヒムは苦々しく吐き捨てて逃げ出した。それを、「逃がすつもりはないのであります」などと呟いて追うヴィルヘルミナの手には、小さな菓子箱が握られていた。
 
「……何だったんだよ」
 
「愛の形も人それぞれ、って事かなぁ♪」
 
 粉々に爆砕された住宅地を眺めながら呆然と呟く悠二に、ちゃっかり戻ってきたゆかりが恥ずかしいセリフで応えていた。
 
 
 
 
「………………」
 
 朝起きた時、すでにゆかりはいなかった。孤立無援のこの状況で、しかしヘカテーは諦めない。
 
 両手を繰るように空中で泳がせ、宙に浮かんだ鍋の周囲で水色の炎が渦巻いている。
 
(……もう、ガスコンロなんて信じません)
 
 何度やっても火加減が上手くいかずに黒焦げの物体を生み出してしまうヘカテーは、自分自身の生み出す炎でチョコレートを作ろうと頑張る。
 
 このバレンタインは、ヘカテーにとって、通常のそれよりもさらに大きな意味を持つ。
 
(悠二…………)
 
 女性が男性に、チョコレートと共にその想いを届ける日。ヘカテーはこの日に、とある重大な決意をしていた。
 
(悠二に、好きですって、言う………)
 
 自分は、悠二に好きだと言ってもらった事はあっても、自分から悠二に対してはっきりと好きだと言った事が……ない。
 
 義母である千草に言ったり、態度で表した事はあっても、『好き』の二文字を告げた事はなかったように思う。
 
(それに………)
 
 この日に伝えた想いは、一月後に三倍になって返ってくるらしい。今頑張れば頑張るほど、一月後の喜びが掛け算で増して行くのだ。
 
 まだ見ぬ未来に表情を綻ばせるヘカテーは……
 
「あ………」
 
 また一つ、黒い物体を生み出した。
 
 
 
 
「おーっす」
 
「おはよう、佐藤」
 
 今朝のメリヒム襲撃の後は、とりあえず何事もなく学校まで来る事が出来た悠二とゆかり。
 
 誰がやったのか知らないが、下駄箱に蓋をして鍵を掛けられていたり、机が何故か屋上に移されたりした事以外では、悠二はまだそれほどの被害を受けていない。
 
(“置き逃げ”防止のためだろうなぁ……)
 
 やきもち妬きのヘカテーか、事恋愛に関しては妥協しない吉田か、はたまたゆかりの悪戯か、シャナだけは絶対にないと断言出来る。
 
「佐藤、もう貰えたのか?」
 
 ふと、鞄を開ける佐藤の荷物の中に、群青色の包み紙を視界に捉えて、悠二が訊く。
 
「…………いや、これ俺が買ったんだよ」
 
「……何それ?」
 
 躊躇いがちに応えた佐藤に、ゆかりは全く遠慮なく追及する。
 
「マージョリーさんに貰ったんじゃないのか?」
 
「………くれると思うか?」
 
 八つ当たり気味な恨みがましい視線を受けて、悠二はふと想像し………
 
「……ごめん。僕が悪かった」
 
 いつものように飲んだくれているマージョリーの姿しか浮かばなかったので、素直に謝った。
 
「にゃるほど、それで男から渡そうと?」
 
「そーだよ。全くイベントに関われないよりマシだろ?」
 
 佐藤はゆかりを見て、悠二を見て、あからさまに羨ましそうな顔をする。悠二が既に貰えているだろう事は、佐藤でなくても理解出来る。
 
「ほらほら、佐藤だって毎年義理チョコあげてるでしょ。大体あんな大人の金髪美人にチョコ貰おうってのが図々しいのよ」
 
 そんな佐藤に追い討ちを掛けるような事を言いながら、近づいてきた緒方がぽんとチョコを渡す。何とも平然としたものだった。
 
「オガちゃん、もう田中君に渡した?」
 
「い、いやぁ〜……実は私、中学の頃から義理チョコのフリして普通に渡してたから、今回はそこまで難問じゃないっていうか」
 
 照れ臭そうに頬を掻く緒方は、本当に今回はスムーズに終えるようだった。
 
「ちぇ」
 
「……ゆかり今、ちぇって言った?」
 
「忘れた♪」
 
 面白そうな事柄が一つ潰れた事に、ゆかりは「ちぇ」と言った後にしらばっくれる。あくまでも舌打ちをしたわけではなく、「ちぇ」と言うあたりにこだわりを感じる。
 
「よ、よう、オガちゃん」
 
 ややギクシャクした動きで教室に現れた田中を見ても、やはり淡白なものになる事は目に見えている。
 
 
『あっ、こ、今年もチョコ、あげるね……』
 
『お、おう。サンキュ…………』
 
『…………………』
 
『…………………』
 
 という展開が目に見えるようだった。
 
「そっ、そういうゆかりはもう誰かに渡したわけ?」
 
「ん?」
 
 緒方に訊かれ、自分の……少し大きめの鞄を漁っていたゆかりが振り返り、取り出した。
 
 男女問わずクラス全員分のクッキー。チョコですらない、完全無欠に義理な代物。
 
「私はホラ、朝一番に口移しで♪」
 
「されてない! 変な事言うなよ!」
 
 ゆかりの爆弾発言に、たまらず周りの目を気にしながら必死に否定する悠二、だが………ゆかりの方が役者が上だ。
 
「変なんてひどい! 誰がこんな身体にしたと思ってるの!?」
 
「だから誤解される言い方はやめてくれ!」
 
 身体を隠すように抱いてわざとらしい口調で言うゆかりに、教室中がざわざわと騒ぎだす。
 
 全部が全部嘘ではないだけに、中途半端な否定は逆効果。
 
「坂井君………?」
 
「坂井、お前……」
 
「……見損なったぞ」
 
 身近な友人たちにまで、本気半分にそんな目を向けられて………
 
「………………」
 
 坂井悠二は逃げ出した。
 
 
 
 
「………………」
 
 牛乳や砂糖やカカオが散らかった台所で、水色の少女が一人、膝を抱えて丸くなっている。
 
(…………どうしよう)
 
 この一週間、何度やっても失敗ばかり。ついに材料まで底を尽きかけている。タイムリミットは今日の夜零時まで。
 
(でも…………)
 
 今この瞬間も……誰かが悠二に想いを込めたチョコレートを渡しているかと思うと、胸が締め付けられる。
 
 いつものように、悠二の傍にいて、近づく女性を威嚇したい。
 
 そもそも、既に悠二と距離を取りだしてから一週間経つのだ。寂しい。
 
 そう思っていてもなお、ヘカテーはまだ悠二の許には行けなかった。
 
(………チョコレート)
 
 それだけの気持ちで、今日という日に臨んだ。だからこそ、一週間も前から泊まり込みで練習してきた。
 
(もう一度………)
 
 挫けそうになる心を叱咤して立ち上がるヘカテーを………
 
 ぴんぽーん
 
 インターホンの電子音が、呼ぶ。
 
 
 
 



[7042] 『バレンタイン・クライシス(後編)』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:f6bb011e
Date: 2010/05/10 09:23
 
『坂井はどこだぁぁ~~!!』
 
 本来は授業中のはずなのに、本日の御崎高校は何とも慌ただしい。
 
 ゆかりの爆弾発言に逃げ出した悠二を皮切りにしたかのように、暴徒と化した男子生徒が校内を走り回っていた。
 
「あっちには居たか!?」
「いや、居ない。くそっ、一体どこに……」
「坂井のやつ、本命チョコを貰えるくせに逃げ回ってやがるのか!」
「俺たちは義理チョコのために身体張ってるってのに! 許せんっ、許せんぞ!」
 
 所々で聞こえるそんな会話を小耳に挟みながら、緒方は呆れとも憐憫ともつかない表情を作った。
 
「……これ、もしかしなくても………」
 
「一美の仕業だね」
 
 ゆかりもウンウンと首を縦に振る。元々何かにつけてアクシデントを引き起こすヘカテーら一年二組。その話題性と容姿から、男女問わずに学校中から密かに(?)注目を集めている。
 
 ゆかりや緒方の察するところによると、今回吉田がしたのは……
 
『坂井君を捕まえてくれた人には、義理チョコあげますね☆』
 
 だと思われる。元々吉田は姉御肌であるため、ファンというか子分というかがたくさんいるのだ。
 
 バレンタインという日の魔力は、吉田たちの魅力や常日頃からの悠二への嫉妬も味方につけて、男たちをも惑わせているようだった。
 
「池君も朝から見ないけど……」
 
「当然、その他の皆さんと同じでしょ」
 
 曲がりなりにも以前に告白をした相手だと言うのに、ゆかりはいたくドライだ。無関心とも言える。
 
「平井さん! 今日はその、バレンタインですよね!?」
 
「誰かチョコ渡す予定とかあるの?」
 
「俺、今ちょっと甘い物食べたい気分なんだよね」
 
 一年二組の四人娘の人気は、吉田のみに止まらない。先ほどからチラチラとこちらの様子を窺っていた三人の男子が、ばったりと同じタイミングでわざとらしく言いよる。
 
 去年の清秋祭でベスト仮装賞を取り、その後謎の失踪を経て戻って来た面々。しかもゆかりは、去年の優勝者だった。ぶっちゃけた言い方をすると、モテる。
 
 いつも悠二と一緒に居て、さらに今はその好意を隠そうともしないため、付き合っていると見ている人間も多いが……『自分の方が悠二より相応しい』、『あれだけ日頃から美少女に言い寄られているのだから、愛想も尽きているはずだ』と考える人間も後を断たない。
 
 しかし………
 
「キャッホー!」
 
『うわぁぁあ!?』
 
 一蹴。
 
 ゆかりの触角からビッ!! と放たれた翡翠のビームが、マンガのような爆発と共に、先ほどの三人、そしてそれに便乗しようとした数人をまとめて吹っ飛ばす。
 
「ゆゆゆゆかり!?」
 
「またつまらぬ者を撃ってしまった?」
 
「訊かないでよ! そうじゃなくて、今の何!?」
 
「ああいう時はキッパリはっきり断ってあげるのが誰にとっても幸せなの! オガちゃんも憶えておき給え♪」
 
「だからって爆破しなくても……じゃなくて! 今の……今のピカッて何!?」
 
「オガちゃん………」
 
 ゆかりの英断に慌てまくる緒方に、ゆかりは腰に左手を当て、大仰な仕草で右手を大きく動かして……ビシィッ! と人差し指を突き付けた。
 
「ビームに理屈を求めるな!!」
 
「えっ? えっ!?」
 
「復唱!」
 
「ビ、ビームに理屈を求めるな!」
 
「よろしい♪」
 
 緒方の返事に満足したのか、ゆかりは「ちょっと邪魔ぷよしてくる」と言ってスキップしながら去って行く。
 
「………………」
 
 何となく、深く考えたら負けな気がした緒方は、自分も気持ちを切り替える事にする。
 
(田中、最近元気ないんだよね……)
 
 少しでも元気づけられれば、そんな想いを胸に、緒方も自分のチョコレートに手を伸ばす。
 
 
 
 
「………お義母さま?」
 
「こんにちはヘカテーちゃん。しばらく会えなくて淋しかったわ」
 
 ヘカテーがゆかりのアパートの扉を開いた先に、尊敬する偉大なる専業主婦の姿があった。
 
「……大丈夫、なのですか?」
 
 眉尻を下げたヘカテーが、ぽふっと千草のお腹に触れる。不自然に少し膨らんだそこには、新たな生命が宿っているのだ。
 
「大丈夫よ。まだ生まれるには早いし、少しくらいは外に出た方が、お腹の赤ちゃんも嬉しいと思う」
 
 和やかな笑顔でそう言われたヘカテーは、こくりと頷いて千草を中に招待………
 
「っ………」
 
 しようとして、躊躇う。今の平井家の中は、ヘカテー自身の料理の失敗によってしっちゃかめっちゃかになっているのだ。
 
 恋人の母親、自身の義母、見栄を張りたいのが人情というもの。……今さらともいうが。
 
「……やっぱり、苦戦してるのね」
 
「っーーーーー!?」
 
 千草の一言に、ヘカテーは声なき悲鳴を上げる。玄関のドアを開けた時点で、すでに手遅れだった(匂いで)。
 
 羞恥に顔を赤らめて膝を抱えて丸くなるヘカテーの頭を、千草がよしよしと撫でる。
 
「悠ちゃんなら、ヘカテーちゃんのチョコを貰えるってだけでも、喜ぶと思うわよ」
 
「………でも」
 
 少しでも美味しい物を食べて欲しい。料理の上手な女の子だと思って欲しい。ゆかりや吉田に負けたくない。それはヘカテーが得た、ごくごく普通の女の子の“意地”だった。
 
「ん、わかってる。だから、頑張りましょう。バレンタインが終わるまで、まだ時間があるわ」
 
「…………は、い」
 
 心強い味方を得て、ヘカテーは再び水色の炎を燃やす。
 
 
 
 
(何なんだよ、一体………)
 
 ヘカテーが健気に奮闘している頃、悠二は校内を隠れ、逃げ回っていた。
 
 元々はゆかりのおかしな発言のせいでクラスから向けられた妙な視線から逃れるために一時的にクラスから離れただけなのに、どうしてこんな事になっているのか。
 
『さ~か~い~~!!』
 
「何で僕を捕まえようとするんですかっ!」
 
 吉田の下僕として悠二を追い詰める男子生徒は一年だけではないため、敬語で抗弁しながら逃げる悠二。
 
 その気になれば人間の二十や三十をどうにかする位わけはないが、ただでさえ悠二はヘカテーと出会ってから妙に目立ってしまっている。これ以上奇異な目で見られるのもごめんだった。
 
「………………」
 
 男子生徒に終われながら、素早く廊下の角を曲がる。ほんの二、三秒、誰からの視界にも映らなくなった悠二は、素早く男子トイレに逃げ込んだ。
 
 ドタドタと騒がしい音を立てて、暴徒たちが去るのを待つ。
 
(何でバレンタインに男に追い回されなきゃならないんだ………)
 
 既に日常から足を踏み外した悠二としては、今くらいはもう少し穏やかなスクールライフを送りたいと思っていたが、そんなものはヘカテーに出会った時に望めないものになっているのかも知れない。
 
「まったく、いい迷惑だ」
 
「うわっ! 師匠!?」
 
 呑気な感傷に浸る悠二の隣に、まるで最初からそこにいたかのように立つリャナンシー。彼女は一応、今はこの御崎高校の物理教師という事になっている。
 
「って! ここ男子トイレだぞ!」
 
「学校では先生と呼べと言っただろう。はぁ……君のおかげで授業どころではない。どうしてくれる」
 
 全力でスルーだった。
 
「僕のせいみたいに言わないでくれよ。何でもかんでも煽るゆかり達に言って」
 
「女のせいにするな。そんな事では、いずれ愛想を尽かされるぞ?」
 
 それだけ言って悠二の頭にチロリチョコを置いたリャナンシーは、そのまま平然と男子トイレから去る。
 
「……………一体何しに来たんだよ」
 
 自分の頭上に置かれた弟子チョコを指先で転がしながら、悠二は不良教師の背中を眺める。
 
 ………………
 
 慎重に人目を避けながら、いつ教室に戻ろうかと考えながら校舎裏を歩く悠二………の、視線の先に……
 
「………池、お前もか」
 
 “いつものメンバー”の一人、池速人。まるで獲物を狙う狩人の如き異様な雰囲気をその身に纏っている。
 
「……落ち着け、池。義理チョコのために僕を売るのか?」
 
「売るさ」
 
 悠二の気遣わしげな質問に、池は見事なまでの即答で応える。
 
「義理でもいい、好きな女の子からのチョコが欲しい。坂井、お前はそんな気持ちさえ忘れたのか?」
 
「いや、それは………」
 
 眼鏡を光らせる池の言葉に、悠二は口籠もる。というより、悠二は去年の二月の頃は好きな子などいなかったので、忘れる以前の問題だった。
 
 一般的な思春期男子の感覚として、『バレンタインチョコが欲しい』という願望はあっても、池ほどの熱意は無い。……池も去年までは無かったはずだが。
 
(なるべく、痛くないようにするからな……!)
 
 もはや説得は不可能と判断した悠二は、出来るだけ穏便に気絶させようと覚悟を決めて、蹴り足に力を込めようとした……その時、
 
「坂井、確かにお前の周りは、この一年で随分変わった。今はヘカテーちゃんや平井さんがいつもお前の傍にいるし、仲良しだ。男二人で寂しく過ごしてた去年までとは大違いだよな」
 
 どこか懐かしむように空を仰ぐ池に、悠二の動きが止まる。
 
「……でもな、坂井。お前がどれだけ強くなろうと、ヘカテーちゃん達がどれだけお前に近づこうと……僕が、お前と一番付き合いが長いんだよ」
 
 それは躊躇ではない、何とも形容しがたい、警戒にも似た嫌な予感だった。
 
「池……! お前まさか………」
 
 滅多に聞く事などない坂井悠二の無様な悲鳴が、校舎を震わせる。
 
 
 
 
「ちょっと遅くなった」
 
「うむ、しかし……本当にそれを坂井悠二に渡すのか………?」
 
 長い黒髪を靡かせて、御崎高校のセーラー服を纏い、少女が街を歩く。
 
 首から下げたペンダントから返る言葉は、やや恐る恐る、といった風だ。
 
「大事なのは味じゃないって、ヴィルヘルミナが言ってた」
 
「むぅ……そういうものなのか」
 
 自分でも少し焦げ臭いな、と思いながら、ヴィルヘルミナのはもっと酷かった、と少女は楽観する。
 
 いつかパンネンクックを作った時はそれなりの出来に仕上げられたと思うが、今回は時間が無かった。
 
「………………」
 
 らしくない、そんな事はわかっている。剣と炎でしか気持ちを伝えた事などない自分が、よりによってチョコレート。
 
 だが、そう思う一方で、どこか弾むような気持ちがあるのも事実だった。
 
 
 
 



[7042] 『バレンタイン・クライシス(終編)』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:f6bb011e
Date: 2010/06/18 13:57
 
(う…………?)
 
 やや埃臭い空気の中に仄かに香る甘い匂いが鼻腔をくすぐり、悠二は薄らと目を開く。
 
 まだ日中にも関わらずの薄暗さと、馴染みのある何とも微妙なマットの匂いで、自分が今体育館の用具室の中にいるのだと悟った。
 
(えー……と、そうだ……池のやつ……)
 
 自分が意識を失う原因となった眼鏡男の所業を思い出して、悠二の全身を怖気と復讐心が包む。
 
 頭も良いし空気も読める、他者への気遣いも忘れないスーパーヒーロー・メガネマン……なだけに、吉田が絡むとタチが悪い事この上ない。頭の螺旋が二、三本易々と外れるからだ。
 
「おはようございます……」
 
「………………」
 
 しかし、悠長にそんな事を考えている場合ではない。後ろから掛けられた聞き憶えのある……妙に艶やかな声に、悠二は恐る恐る振り返る。
 
 池に捕まった時点である程度予想していた状況………しかし、現実は悠二の予想の斜め上を行く。
 
「よ、よし……吉田さん………?」
 
「はい☆」
 
「そ、その……格好は………?」
 
 マットで模されたベッドの上。予想通りに吉田一美はそこにいた。しかしその格好が問題である。
 
 赤いリボンで全身を飾り、それによって局所を隠している……“だけ”。リボン以外何一つ身につけていない。
 
「ホント~は、ちょっとだけ恥ずかしかったんですけど、坂井君のためだから頑張っちゃいました☆」
 
 吉田は両手で頬を押さえて顔を赤らめ、クネクネと悩ましげに体をよじる。その手が、吉田の横の、まるでペンキでも入れるような金属缶に伸びた。そして握られた筆の先に付いているのは、甘い香りを漂わせるホットチョコレート。
 
「よ、吉田さん? 何のつもりか知らないけど、まずは落ち着いて。落ち着いて、とりあえず服を着ようか?」
 
「もう、ホントはわかってるくせに、坂井君のイ・ジ・ワ・ル☆」
 
 悠二の抗弁には何の効力も無い。吉田は構わず、チョコレートを自分の肩に一筋塗り付け、そのまま、まるで口紅のように唇を飾った。
 
「私を食べて……」
 
 座ったまま後退る悠二に覆い被さるように、吉田の唇が迫る。悠二は吉田を押し退けられない。下手に触るとリボンがズレて………つまり……見えてしまう。
 
 絶体絶命。まさにその時………
 
「「!?」」
 
 キキンッ! と鋭い金属音を立てて、用具室の扉がズレ、崩れた。その向こうで、紅蓮の少女が、炎髪灼眼を煌めかせている。その右手に、大太刀を下げて。
 
「………用具室の周りには、気配隠蔽の仕掛けをしといたはずだけど?」
 
「私の鼻からは逃げられない」
 
 不機嫌極まりない吉田に睨まれて、シャナは不敵に鼻を鳴らす。超絶甘党たるシャナの嗅覚が、固形ではない吉田のホットチョコレートの香りを正確に追尾したのだった。
 
「悪いけどシャナちゃんのチョコは用意してないから、また後で出直してね? “私たち”今すっごく忙しいから」
 
「別にお前のチョコが目的で来たんじゃない。そんな格好でよく恥ずかしくないわね」
 
 シャナと吉田の視線がぶつかり、バチバチと盛大に火花を散らす。だが、シャナに気を取られて悠二に背中を見せたのが、吉田の致命的な隙。
 
「ふっ!」
 
 悠二はマットから壁に跳び、壁を蹴り、天井を蹴り、一気にこの場からの脱出を計る。
 
「ありがとうシャナ、助かった!」
 
 出口でシャナの横をすれ違い様にそう言った悠二の………足首が掴まれる。バランスを崩した悠二は、そのまま派手に体育館のフロアに口付けた。
 
「ッ~~~! 何で止めるんだよ!?」
 
「…………………」
 
 鼻を押さえて抗議する悠二に、シャナは応えない。振り向きもせず、何だか決まり悪そうに黙ったままだ。
 
 そしてまたも唐突に、パリンッ と乾いた音が響いて………
 
「うわあぁあ!?」
 
「ちっ」
 
 シャナに掴まれていた足目がけて、一閃の光が通過した。咄嗟にシャナが手を放してくれたおかげで足は無事だが、間一髪だった。
 
「シロ!」
 
「またあんたか!?」
 
 体育館二階の窓ガラスを割って斬撃と共に乱入してきたのは、シャナの育ての親の一人たるメリヒム。本日二度目の強襲である。
 
 非難を受けたメリヒムは、シャナと悠二を交互に見比べて、そして再び悠二に斬り掛かった。
 
「親バカもいい加減にしろよホント!」
 
「問答無用! シャナはチョコ持ってないではないか! 食ったのか? 食ったのか!?」
 
「食べてない! って言うか貰ってもない!」
 
 白い羽根を大剣・『吸血鬼(ブルートザオガー)』へと変えた悠二と、サーベルを握るメリヒムが、広々とした体育館内の空間を所狭しと斬り結ぶ。
 
「往生際が悪いのであります」
 
「試食推奨」
 
 こちらも朝からメリヒムを追い続けていたのか、またも窓を破壊してヴィルヘルミナが乱入し、戦技無双の技を以て剣舞に参加する。
 
「………何なんだ、これ」
 
「くそ、どいつもこいつも邪魔ばっかしやがって」
 
 ストーカーよろしく様子を窺っていた池が、同じく棒立ちになっているシャナの傍に歩み寄る。この状況でもマイペースに着替えなどしていたのか、用具室の中から制服姿の吉田も出てきた。
 
「お前の連れだろ。何とかしろよ。学校で暴れやがって非常識な」
 
「………………」
 
 自分の行動を完全に棚上げして肘でシャナを小突く吉田に、シャナは応えず戦いを見上げ、僅かに震えながら大太刀の柄を強く握る。
 
「…………おい?」
 
 再度呼び掛けた吉田。その瞬間、シャナも刃を振るって飛び出した。どうやら、妙なスイッチが入ってしまったらしい。
 
「さあさあ、遂に参戦した一年二組のクールビューティー・シャナ! 刃物片手に好きな男の子を追い回すそのヤンデレっぷりは彼のハートに届くのか!? 実況は私、平井ゆかりと、解説の椎名先生でお送りします!」
 
「よろしく」
 
 いつの間に現れたのか、長机とパイプ椅子まで用意して、ゆかりとリャナンシーが座っていた。完全にこの混沌とした状況を楽しんでいる。
 
「ところで一美、うちの座敷わらしは?」
 
「見てねーよ。自分の事で手一杯だったし」
 
 さりげなく一年二組のシュールキューティーの所在を訊ねるゆかりだが、返る返事は否。やはりまだ学校に来ていないらしい。
 
 そんな間も、体育館の中を閃光は乱れ飛んでいる。
 
「やはりトップはヴィルヘルミナ・カルメル! 伊達にメイドはやってないのか、頭一つ抜けています!」
 
「……平井さん、遊んでないで止めてよ」
 
 仮にも常識人を自認する池が助けを求める(もう義理チョコはもらった)。この四人を止められる存在など、人間じゃなくても限られている。
 
「え~……せっかく盛り上がって来たのに」
 
「このままじゃ体育館が無茶苦茶になるじゃないか!」
 
 言われて、ゆかりは渋々とポケットから金色の鍵を取出し、胸の前で解錠した。体育の授業は、ゆかりにとっても楽しい時間なのである。
 
「えいや♪」
 
 ツーサイドアップの触角が蝶のように羽ばたき、そこから翡翠に輝く靄が、鱗粉のように飛んでいく。
 
「それは………?」
 
「『ダイモーン』♪」
 
 リャナンシーが、全身を『清めの炎』で防御する。この靄を吸い込めば、徒やフレイムヘイズでもただでは済まない。
 
 しかし、タイミングが悪かった。
 
『あ…………』
 
 悠二の、シャナの、メリヒムの、ヴィルヘルミナの炎弾が同時にぶつかり、弾けて、爆風を起こす。
 
 散らされた靄は風に乗って御崎高校を覆い、錯乱の渦に陥れた。
 
 
 
 
(今日は散々だったな………)
 
 一連の後始末を終えた悠二は、一人下駄箱で上履きを脱ぐ。ゆかりは……おそらくヘカテーを探しに行ったのだろうが、悠二は同行を拒否した。
 
 まるでチョコレートを催促するみたいでカッコ悪かったからだ。
 
(結局……学校にも来なかったか)
 
 『近衛』と書かれた下駄箱を覗き見るが、上履きしか入っていない。気配で位置も掴めないくらい遠いにいるのは間違いないが、何となく確認してしまう。
 
 ヘカテーを小動物扱いしてチョコをあげたがる女子も少なからずいたのだが、気の毒な事だった。
 
(あれ……?)
 
 悠二は自分の下駄箱を開けようとして、異変に気付いた。昼間逃げ回っていた時、悠二の下駄箱は再び溶接されていたはずだが、それが無い。あっさりと開いた。
 
「………………」
 
 開いた瞬間、それを見つける。何とも不恰好に包装された菓子箱。誰からの物かは……すぐにわかった。焦げ臭い匂いと、『あげる』というメッセージが添えられていたからだ。
 
 ヘカテー以外にこんな代物を生み出し、かつ自分にチョコをくれそうな人物に、悠二は一人しか心当たりが無い。
 
「シャナ、か……」
 
 おそらく、体育館に来た時点でもうチョコを下駄箱に隠していたのだろう。意外と慎重派なのか照れ屋なのか。
 
「苦い」
 
 箱を開いて、齧る。超絶甘党シャナが大量に混入した砂糖が見事に焦げ付いて、通常より強烈な苦さを誇っている。
 
「…………………」
 
 無論、悠二はそれを食べきった。
 
 
 
 
「………………」
 
 二月の夕方、というのはまだ肌寒い。坂井家の門前に、野良犬や野良猫を集めて暖を取る水色の少女がしゃがみ込んでいた。
 
(…………出来た)
 
 ゆかりと千草は坂井家の中にいる。ヘカテーは自分の『完成品』を、胸に抱いて話さない。
 
 学校に持って行く事も考えた。家の中で待っていてもいい。だが、ヘカテーはこの場所に拘った。
 
(早く……早く……)
 
 気配は少しずつ近づいて来ている。無論、より感覚が鋭敏な悠二がヘカテーに気付いていないわけがない。
 
「…………………」
 
 焦れったくなって、ヘカテーは空に小粒の炎弾を放った。信号弾代わりのそれに気付いて、悠二が一気に加速してくる。
 
 見えてきた。ヘカテーは動かない。ただ目を閉じて、祈るように両手を合わせる。
 
「………ヘカテー?」
 
 声を掛けられて、ようやくと言わんばかりに抱きついた。………自分から近づいては、意味がなかったから。
 
「悠二………」
 
 初めて出会ったこの場所で、初めて出会った時のように声を掛けてもらって………
 
「あなたが………」
 
 そして想いを伝えたい。
 
 一生懸命に完成させた、甘いホワイトチョコレートと共に。
 
 
 
 



[7042] 『メイキング・ベイビー(前編)』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:f6bb011e
Date: 2010/06/27 19:39
 
 巡る。水色の炎で飾られた陽炎の空を、幾つかの炎が巡り、ぶつかり合う。
 
 戦場と化したそこは、ニューヨークの外れに位置する寂れたスラムだった。
 
「足が着かないように注意したんだけどなぁ……っと!」
 
 廃棄物だらけのゴミ山を縫うように飛ぶ翡翠の少女を、横合いからゴミ山を貫いて極光の矢が狙い撃つ。それが弾ける頃には、翡翠の少女……『万華響』の平井ゆかりは爆風に乗るように上空に舞い上がっている。
 
「見つけた! 逃げ場はありません!」
 
 それを、極光の主たる一人の少女の目が捉える。歳の頃は十五、六ほど、長い茶の髪を靡かせ、しっかりとしたスーツの上から緑の上掛けを羽織っている。
 
 両端に鏃を備えた極光の弓から、同色の光の矢が放たれた。それは中途で無数に分裂し、オーロラの雨と化す。
 
「よっ、『反鏡(リフレクト)』!」
 
 前面から押し寄せてくるオーロラの雨に怯まず逃げず、ゆかりは右掌を差し向けた。そこに半径3メートルほどの、翡翠の炎を縁取る銀鏡が現れ、矢を悉く跳ね返す。
 
 押し寄せる雨と跳ね返った雨がぶつかり、融爆し、空を極光の爆炎が埋めた。
 
「キアラのケチ! 石頭ー!!」
 
「ケチでも石頭でも、あなた達のやろうとしている事を見逃すわけにはいきません!」
 
 自分と同年代(あくまで外見の話)の少女の、何とも子供っぽい仕草に、キアラは毒気を抜かれたように言い返す。
 
 『極光の射手』キアラ・トスカナ。界戦以降、理の変わってしまった世界での、今や数少ない人間ベースのフレイムヘイズである。
 
「それが石頭だって言ってん………のッ!!」
 
 ゆかりは両腕を振り上げ、そのまま思い切り振り下ろす動きの最終点で、両掌から特大の炎弾を撃ち放つ。
 
「っ………!」
 
 キアラに向けて一直線に飛んだ炎弾は弾け、翡翠の爆炎を撒き散らして周囲一帯を吹き飛ばした。
 
 軽く左手を振るったゆかりの全身を翡翠の炎が包み、それが晴れる頃には、彼女は紅い軽装鎧と手甲、脛当ての付いたアサルトブーツという武装に身を包んでいた。
 
「(面倒な事に巻き込まれちゃったなぁ~~)」
 
 そう思い、その面倒事をこそ楽しむゆかりは、愉快そうにその口の端を引き上げる。
 
「さあ、世界の平和を守りたかったらこの私を倒していくが良い!!」
 
 完全に悪役に成り切っているゆかり。やや離れた場所で同様に頑張っているヘカテー。そしてその活躍の影で目的を遂げんと暗躍する悠二。
 
 この事態の発端は、一週間前に遡る。
 
 
 
 
『……子供が欲しい?』
 
 所は日本の北海道。安くて美味しいと近隣の若者に密かな人気を集めるケーキ屋『緋願花』にて、店と名前を同じくする三人組は揃って怪訝な声をあげる。
 
 その原因は、一応は客としてやってきた一組の男女の唐突な発言によるものだ。
 
「そう、何とかならないものだろうか。こんな頼みごとが出来るのは君たちしかいないんだよ」
 
「すいません、突然押し掛けてきて………」
 
 ブルーベリータルトをつついている白スーツの美青年、紅世の王“狩人”フリアグネ。そしてその隣でチーズケーキをつついているのが、彼の恋人マリアンヌだ。
 
 フリアグネの、まるで自分に酔っているかのように額を押さえる仕草が、悲劇の主人公気取りで何とも腹立たしい。
 
「久しぶりに会って、藪から棒に何を言いだすかと思えば………」
 
 紅世の徒と人間では、命の生まれ方が根本的に異なる。愛し合う男女が交わって新たな生命が生まれるわけでもないし、何よりマリアンヌは燐子である。そもそも、そんなお願いをされるほどに仲良くなった覚えは、少なくとも悠二には無い。
 
「『都喰らい』について調べる時に、『棺の織り手』についても調べたんだよ。彼が都市一つ呑み込むほどの存在の力を必要としたのは、宝具・『小夜啼鳥(ナハティガル)』……つまりは“螺旋の風琴”リャナンシーの意識を支配し、例の『大命詩篇』を稼働させるためだったと聞く」
 
「はあ………」
 
 数百年前の『大戦』の話などされても、悠二にはピンと来はしない。後半部分だけに何となく納得して、ヘカテーに眼で訊いてみる。
 
「っ……………」
 
 すると、何故か頬を赤らめながらヘカテーは首肯した。子作りという単語を意識しているのではないだろうか……という疑念が湧く。
 
「彼の目的は『大命詩篇』の力で自分と、亡き契約者……恋人との子供を生み出す事だったんだよ。……そして、ここからが本題だ」
 
 頼みに来たというわりには随分と不遜な態度で、フリアグネは足を組み直す。そして、要求を口にした。
 
「君たちなら、『都喰らい』など起こさなくても自在に『大命詩篇』を行使出来る。つまり、私とマリアンヌの子供を生み出す事も可能なんじゃないか?」
 
 問われ、悠二は自在師としての性とでも言うべきか、ほとんど反射的に『分解』と『定着』の式を頭の中で思い描き………是、という結論に達した。達して………
 
「駄目だ。厄介ごとなら他を当たってくれ」
 
 拒否した。この企みに対してフレイムヘイズが取る対応など、火を見るより明らかだからだ。フリアグネに対して、そこまでの義理は無い。
 
「そうか。だが、君の小さな恋人は違うようだが?」
 
「え………?」
 
 勝ち誇ったような顔でスタッフルームの方を指差すフリアグネに釣られて見てみれば………
 
「…………?」
 
 既に旅支度を終えたヘカテーが、準備万端で姿を現していた。
 
「はぁ………」
 
 もう『いつもの事』として受け入れてしまっている自分に内心で苦笑しつつ、悠二はふと疑問に思う。こんな時に一番はしゃぎ回るはずの少女が、不思議なほどに静観を貫いている事に。
 
「ゆかり?」
 
「…………ん? んにゃ、何でもないよ。いいじゃん、協力したげようよ♪」
 
 朗らかに見える笑顔の奥に僅か燻る不安を見抜けないほど、浅い付き合いではない。
 
 しかし悠二は、敢えて言及しなかった。
 
 
 
 
 そして気配を隠し、姿を眩まし、足跡を揉み消しながら行き着いたこのスラムで、一行はその目的を果たそうとしている。
 
 『鬼功の繰り手』と『極光の射手』、二人のフレイムヘイズの妨害を受けながら。
 
「『三星矛(トライデント)』」
 
「ちぃ……!」
 
 世界が変わり、人も、徒も、フレイムヘイズも、変わらざるを得なくなった。
 
 今回の悠二らの試みは、かつて『棺の織り手』アシズが企て、そして阻止されたもの。キアラ達フレイムヘイズが阻止しようとする理由も、あの頃と同じだった。
 
「……髭は、嫌いです」
 
「大きなお世話だ、くっ………!」
 
 ヘカテーが繰り出す三つ叉の光槍の連撃を必死に躱すのは、『鬼巧の繰り手』サーレ・ハビヒツブルグ。
 
 キアラとお揃いのスーツの上からコートを羽織った、カウボーイハットの男。キアラの師匠にして、恋人である。
 
「シッ!」
 
「っ……!?」
 
 身を屈めた頭の上で光刃が過ぎ、サーレが背を預けている廃ビルが紙のように容易く裂けた。途轍もない切れ味に冷や汗を流しながら、サーレは足裏に爆発を起こして距離を取る。
 
 ついでのように、裂かれ崩れゆく廃ビルに不可視の糸を伸ばして、そのままヘカテーに叩きつけた……つもりになったが――――
 
「無駄です」
 
 ビルは光弾の直撃を受け、粉々に砕け散る。
 
「見目麗しい可憐な少女と見えて、内なる姿は蛇神の眷属。美しさと怖さは、時として似通って映るね」
 
「呑気に気取るな、こっちは命懸けなんだよ」
 
 契約者たる“絢の羂挂”ギゾーの軽口に言い返して、サーレは十字操具型神器・『レンゲ』と『ザイテ』を操る。そこから伸びた無数の不可視の糸が、車に、電柱に、民家に、とにかく周囲のあらゆる物に伸びて、菫に燃える“弾丸”となって―――
 
「潰れろ」
 
 一斉にヘカテーに襲い掛かる。一拍遅れて、ヘカテーの周囲が光り輝く。それは蛍のように少女を取り巻く、水色の光弾。
 
(まずい――――)
「『星(アステル)』よ」
 
 サーレの攻撃はヘカテーに届かず、二人の立つ街の一画を連鎖的な大爆発が呑み込む。その爆煙を裂いて、ヘカテーが空に飛び上がった。
 
「……………?」
 
 眼下に見下ろす爆炎と粉塵の中から、何か巨大な物が浮かび上がってくる。ヘカテーは警戒しつつ、『トライゴン』を斜に構えた。
 
 そして、粉塵の狭間からそれは姿を現す。
 
(……鳥?)
 
 それは、おそらくは破壊された街を材料にした、瓦礫と金属塊を無茶苦茶に組み合わせた菫色に燃える鳥。巨竜ほどもあるその鳥の頭に、最早人形繰りとは呼べない絶技によってこれを操るサーレが立っている。
 
「……新しい生命の誕生、何故邪魔するのですか。私たちは、自前の力で儀式をしています」
 
「“一応”大戦に加わっていた『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の巫女様の言葉とは思えないな。わからないわけないだろ」
 
「誰も彼もが君たちのような規格外じゃないのさ。そして、この事が広まれば身の程知らずに模倣しようとする連中が必ず現れる」
 
 徒の存在自体が害悪となる時代が終わっても、フレイムヘイズが不要になるわけではない。むしろその逆、自分たちの存在が認められた事による徒の増長、暴走を抑止するために、フレイムヘイズは不可欠な存在だ。
 
「神の御業によって紅世と繋がったこの世界で未踏を目指さぬのは、目も当てられぬ愚行です。その上で愚者の暴走を押さえる事が、あなた達討ち手の使命ではないのですか?」
 
「ご高説どうも。俺は必死に変わろうだの進もうだのは性に合わないんだよ」
 
「客観的に見ても、君たちは少し急ぎ過ぎだよ。世界はそんなに早く変われるものじゃない」
 
 界戦から二十年。それを“早い”と判断出来るのは、彼らが永い年月を生き抜いて歴史を見てきた戦士だからだろう。……が、そんな彼らが赤ん坊に見えるほどに永く生きるヘカテーの見地は正反対。個というものは実に多様である。
 
「………どうぞ、ご自由に」
 
 ヘカテーは、舞うように大杖を振るう。それに呼応するように、星天が目の前に現れたような輝きがサーレの目を灼く。
 
「この星光の壁を、突き破る事が出来ればですが」
 
 愛しい存在との間に結晶を求める恋人たちのために、今のヘカテーは―――愛の天使。
 
 
 
 



[7042] 『メイキング・ベイビー(中編)』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:f6bb011e
Date: 2010/07/06 15:11
 
 何も無い。ただただ広く暗い空間の中心に、人ならざる存在が三つ……立っている。
 
「……………」
 
 瞑想のように閉ざされていた“祭礼の蛇”坂井悠二の両の瞳が、開く。両脇に離れて立つ白の恋人たちが、僅かに身を震わせた。
 
 心境としては、成功率の未知数な手術を前にした患者のそれであろう。
 
「……始めるよ」
 
 短く告げた悠二の全身を真黒の炎が包み、変える。それは緋色の凱甲と衣を靡かせ、後頭から漆黒の竜尾を伸ばす異形の姿。
 
「本格的に稼働したらどうやったって隠せないから、大規模な式で一気に済ませるよ?」
 
「お、おい? それで本当に大丈夫なんだろうね? 加減を誤って分解され尽くしたりしないだろうね?」
 
「神のみぞ知る」
 
「ちょっと待て!?」
 
「大丈夫だよ。面倒な事になる前に“成功”させてやるから」
 
 フリアグネとの問答を打ち切って、悠二は右腕を鋭く振るった。途端―――銀炎の織り成す複雑怪奇な紋様が広大な空間、その地に位置する全てを埋め尽くす。
 
 右手をフリアグネに向け、強く握る。左手をマリアンヌに向け、強く握る。その両掌を開くに合わせて、二人が黒く燃え上がった。
 
「「………!?」」
 
 全てを染め上げるその炎は二人を焼かず、ただ“二人自身”である白炎の糸を伸ばした。
 
 その糸は大きく円を描いて立ち上り、丁度悠二の真上で交わり、燻る。
 
「「……っ…………」」
 
 人間の持つ生命の営みとはまるで違う。父も、母も、今この場において何の力も持たない。ただ『分解』され、交わる二つの存在を見つめ、託すしかない。
 
 少年の行使する、創造神の権能に。
 
 
 
 
「『グリペンの咆』、『ドラケンの哮』!!」
 
 小型戦闘機のような鏃の両翼たる極光が、色を失くすほどに凝縮され、放たれた。
 
 キアラの最強の自在法たる超速の流星が二筋、ゆかりに襲い掛かる。それをゆかりは横に避けず、退かず、くるりと捻るように最小の動きで回避して、キアラに突っ込んだ。
 
「ハッズレー!!」
 
 そして、右手に握った『パパゲーナ』で真っ正面から迎撃しようとして……
 
(ッ………と)
 
 予想外の加速に、断念。咄嗟に鏃の横面を蹴り、前転するように極光の刃を跳び越えた。
 
 単純な身の軽さや飛行能力なら、ゆかりはキアラを明らかに上回る……が、神器『ゾリャー』の直進スピードに限れば、キアラの方が素早いらしい。
 
(やりづらいなぁ……)
 
 ミステスとなって二十年。今のゆかりは歴戦の強者とは呼べないまでも、もはや未熟に過ぎる新参ではない。
 
(6:4で私が不利……)
 
 過不足なく彼我の力量と相性の悪さを見極めて、ゆかりは遠方に目を向ける。そこには、菫に燃える巨鳥とお馴染みの水色流星群が空で舞い踊っていた。
 
「『星(アステル)』よ」
 
 ヘカテーの周囲で煌めく水色の流星が、菫に燃える巨鳥を粉砕すべく降り注ぐ。巨体では到底避け得ない数と疾さを持つその光弾の着弾を待たず………
 
「!」
 
 巨鳥はその体を分離させ、形を成していた瓦礫や金属塊が炎を帯びた弾丸となって、ヘカテーに逆撃を掛けた。
 
 それらは渦を巻く流星の濁流に阻まれてヘカテーには届かないが、サーレはその瞬間に一点の穴を見つける。
 
「ふっ!」
 
 一閃。糸に絡めた電柱を、菫に燃える槍として投げ放つ。ヘカテーは、自身が展開した流星群によって逃げ場を失う……が、
 
「……無駄です」
 
 ヘカテーは怯まず焦らず、その炎槍を『三星矛(トライデント)』で一突き、一瞬の内に塵にする。
 
 だが、一瞬電柱に意識を向けさせただけで十分。サーレの両手の操具から伸びた無数の糸が、ヘカテーの周囲に渦巻く流星に……届いた。
 
「弾けろ」
 
 光弾に宿る水色が菫に取って変わり……
 
(『星』の制御を奪われた………!?)
 
 そして、弾けた。
 
 連鎖的な大爆発が、逃げ場一つないヘカテーを圧し潰すように膨らみ、爆炎を撒き散らす。
 
 空を灼き雲を払うような凄まじい爆発の中、予想以上の威力に仕掛けた自身も巻き込まれたサーレが、巨鳥と共に飛び出した。
 
「決まったかな?」
 
「そんな可愛い相手じゃないだろ……」
 
 ハットを押さえたサーレが、ギゾーの楽観にうんざりしたように応える。決して相手を過小評価しない、戦士としての意識に、しかし一瞬の気の緩みがあった。
 
「―――――――」
 
 飛び出した正面。遠方にいるはずのもう一人の敵が稲妻を纏って浮いている姿に、思考が止まる程度には。
 
「んぬぬぬぬ…………!」
 
 ゆかりは逆手に握った雷槍を目一杯振り上げて………
 
「『平井震』!!」
 
 全身の力を使い、思い切り投げ放った。一直線に飛ぶ槍は中空でどんどんと巨大化して、空を貫く尖塔ほどに長大な翡翠の雷槍となる。
 
「ッ……くそ!」
 
 自身に迫る凶悪な破壊の力、電光石火の稲妻を前に、サーレは反射的に跳び上がった。
 
 半瞬遅れで、たった今サーレが乗っていた菫の巨鳥が粉々に粉砕され、炭と化して散る。
 
「とっ……っ……」
 
 足場と武器を失ったサーレが滞空に手間取る。フレイムヘイズや徒が『飛翔』する事自体は然程珍しくはない。……だが、“空中戦”がこなせるほどの使い手となるとそれほど多くは無い。
 
 サーレも大多数に漏れず、空中戦は苦手だった。
 
「カウボーイ一丁!」
 
「ぐあっ!?」
 
 動きの鈍ったサーレの顔面を、ゆかりの両足が思い切り踏みつけた。ついでのように流した電流が、サーレの体の自由を奪う。
 
「とぉりゃああぁ!!」
 
「が……っ!」
 
 そのまま体を縦に高速回転させたゆかりの踵が腹に落とされ、サーレはくの字に曲がってまっ逆さまに地に墜ちていく。その途中の空で、極光の鏃がサーレを受け止めた。
 
「ヘカテー、だいじょぶ?」
 
「………………」
 
 敵二人の姿を遠距離に認めて、ゆかりは爆炎の晴れた内に立ち尽くす……否、浮かび尽くす少女を見やった。
 
 見るも無惨なナリに変貌しているヘカテー。トレードマークの帽子は炭と化し、衣服もボロボロ。無表情なのはいつもの事だが、甚くご立腹なようだ。見るからに不機嫌なオーラを水色の炎に変えて撒き散らしている。
 
 ヘカテーは無言で頭の上の炭を払って、ボロボロになったマントを破り捨てた。
 
「お前なぁ………ちゃんと止めとけよ……」
 
「す、すいません。まさかサーレさんを狙ってたとは思わなくて……」
 
 対して、眼下のビルの上に着地を果たしたサーレとキアラは、軽口を叩きながらも油断なく空を見上げている。
 
「な~に自分のヘマを他人のせいにしてんだか、油断したあんたが悪いんでしょ!」
 
「私たちのキアラは傷つきやすいんだから、少しは包容力ってもんを持ったら?」
 
「………………」
 
 いつ如何なる時でもキアラの味方である契約者姉妹の言葉に憮然としながら、サーレは『レンゲ』と『ザイテ』を両手に構えた。
 
(…………妙だな)
 
 『緋願花』の内一人がいない理由は、容易に想像が着く。だが、サーレはこの場にいる二人の戦いぶりに違和感を感じる。
 
(何で今、攻撃して来ない………?)
 
 サーレとキアラは、『緋願花』と直接戦った事はないが、以前『界戦』でその力を見ているし、共同戦線を張った事もある。
 
 ゆかりはともかくとして、ヘカテーには圧倒的な広範囲と大火力がある。今この状況に於いて、何故流星を降らせてとどめを刺しに来ないのか……。
 
 加減されている可能性も無くはないが、それにしては接近戦の連撃には容赦が無かった。
 
 その時――――
 
『ッ………!?』
 
 ヘカテーやゆかりも含めたこの場の異能者全てが、“違和感”に戦慄する。
 
 凄まじく巨大なそれは、封絶でも隠しきれず、外界へとその気配を撒き散らしていく。
 
「バレたかな?」
 
「……初めから解っていた事です。発動まで気付かれなかっただけ行幸というもの」
 
 ヘカテーとゆかりは、この瞬間にこそ気を入れ直し………
 
「なるほどな………」
 
 サーレとキアラは、その根源に気付く。気配は、足下から……。
 
「地下、ですね………」
 
「ああ、それも相当深い。……どおりで今まで気付かなかったわけだ」
 
 分厚い地表とヘカテー達の気配に隠された地下深くに、自分たちの本当の標的がいると気付くと同時に、サーレはヘカテーが追い打ちを掛けて来ない理由にも気付いた。
 
 大威力の光弾を撃たないのではなく、撃てないのだ。地下にいる恋人らに万一の事があってはいけないから。
 
「先手必勝!」
 
 上空から炎弾が一筋、ビルを貫く。それを軽くいなして、サーレは短くパートナーに告げた。
 
「キアラ」
 
「はい!」
 
 指先で操具を動かす軽い動作だけで、二人の立ってっいるビルが、そのまま空飛ぶ足場として宙に舞い上がる。そこから、小型戦闘機のような鏃に乗り込んだキアラが離脱する。
 
 そして上空のヘカテーとゆかりには一切構わず、漏れだす気配の根源たる地下に向けて翼を光らせる。
 
「はああぁあぁあ!!」
 
 『グリペンの咆』、『ドラケンの哮』。凝縮された極光の矢が二筋……一直線に大地を目指し―――
 
「ミエミエだっての!」
 
 そして、翡翠に燃える銀鏡に呑み込まれた。ゆかり固有の自在法・『銀沙鏡(ミラー・ボール)』。
 
 両手に二つの銀鏡を構えるゆかり………の上半身が、三つめの銀鏡から“生えている”。ふと見上げれば、上空でゆかりの下半身が四つめの銀鏡に潜り込んでいた。
 
 “鏡から鏡に移動している”。サーレはその事実と共に、先ほどの炎弾は炎弾ではなく、『銀沙鏡』だったのだと悟った。
 
「自在法を呑み込むだけじゃないのか……。意外と器用だな」
 
「ん~~、っていうか私の体自体、半分自在法みたいなもんだしね」
 
 遥か地下、今はまだ力の結晶でしかない新たな生命……『両界の嗣子』が、胎動を始めていた。
 
 
 
 



[7042] 『メイキング・ベイビー(後編)』
Name: 水虫◆21adcc7c ID:f6bb011e
Date: 2010/07/21 22:00
 
「っ………始まったか!」
 
 断続的な地響きに、フリアグネが苦々しげに表情を歪める。地下深くに造られた大空洞にまで届く、激戦の衝撃。
 
 この段階でバレるのは、予め解りきっていた。しかし、全てが想定通りに進んでいないのもまた事実。
 
「ば、場所を移した方がいいのではないでしょうか……?」
 
 悲鳴を上げる地下空洞を見上げて、マリアンヌが不安げな言葉を漏らす。彼女やフリアグネは、ここで生き埋めになったところでどうという事もない。今まさに産声を上げんとしている彼女らの子を案じての提案だった。
 
 場所は……もちろん移した方がいいに決まっている。しかし………
 
「無理だよ」
 
 悠二はそれを、悩む様子も見せずに否定した。その頬を、汗が一粒流れる。
 
「悪いけど……ッ……ちょっとそんな余裕ない。このまま移動するのは無理だ」
 
 悠二が両腕を向け続けている先、僅か離れた中空に、『両界の嗣子』は在る。その身を構成する白き炎は未だ形を定めず、絶大な力を喰らい続けながら揺れていた。
 
 秘法の制御に全神経を注ぐ悠二は力を吸われ続けて、そこから一歩も動けない。
 
 既に『分解』を終えたフリアグネとマリアンヌも、悠二同様に動く事は出来ない。彼らの子が生まれたら、二人はすぐにその子を連れて、速やかにこの場から離れる。それが誰にとっても一番安全な作戦だからだ。
 
 『両界の嗣子』が生まれ、この場からいなくなれば、サーレ達も自分たちと戦いを続ける意味は無くなるのだから。
 
「っ……!?」
 
「危な……っ!」
 
 大空洞の天井が崩れ、落ちてくる瓦礫を、悠二の竜尾が間一髪弾く。そのまま竜尾を傘のように巻いて白き赤子の上に広げた。
 
(もう少し……もう……少しっ!!)
 
 銀の自在陣の中心で、新たな生命が遂にその形を成す。
 
 
 
 
 一方地上では、秘法の発動とその発生源を突き止めたフレイムヘイズと、それを阻む二人の少女が激戦を繰り広げていた。
 
「この……っ!」
 
 大地に向けて大威力の自在法を放とうとするキアラを、それほど破壊が得意ではないサーレがサポートし、ゆかりがそのサーレに攻撃を加え、ヘカテーがキアラを追い回す。
 
「ほぁちゃあ!」
 
 “相手を倒す事”が第一目標ではないがゆえの、神経を削る激しいいたちごっこが続いていた。
 
「せぃや!!」
 
 ビルをも刈り取るゆかりの蹴撃が、サーレの頭部を僅かに掠めてハットを宙に飛ばす。額から頬に伝う血にまるで構わず、サーレは操具を繰るように動かす。
 
「む……っ」
 
 一瞬の内に不可視の糸がゆかりの四肢を絡め取り、空間に縫い止めたようにその動きを止めた。
 
「悪く思うなよ」
 
 サーレの右足が、菫色に燃える。
 
(上等……!)
 
 ゆかりのほっぺたが、ぷーっと膨れる。
 
「「―――――っ!」」
 
 そして、相打ち。炎の右足がゆかりの胸を突き刺し、破壊の咆哮がサーレの胸を撃つ。凄まじい勢いで弾き飛ばされた両者が、それぞれ背後の建物に叩き込まれた。
 
 先に立ったのは………ゆかり。
 
「ったた………目には目を、ってね」
 
 サーレはゆかりの反撃………不可視の衝撃波を予想出来ていなかったが、ゆかりは違う。直前にこの蹴りを覚悟していた分、サーレに比べてダメージは少なかった。ゆかりが身に纏った特注品の軽装鎧の存在も大きい。
 
「ビクトリー♪」
 
 勝利のVサインを決めるゆかり。調子に乗りすぎである。ちなみに、今のゆかりは先ほどまでのように稲妻を纏っていない。
 
 あの力は元々、『震威の結い手』ゾフィー・サバリッシュ(もっと正確に言えば、その契約者“払の雷剣”タケミカヅチ)の能力であり、絶大な威力を誇るのだが……実は少々燃費が悪い。
 
 ヘカテーのように膨大な存在の力を持たないゆかりが、強力な相手と長期戦を構えるには不向きな能力なのだ。
 
 サーレの叩き込まれた廃屋がギシギシと嫌な軋みを上げて、崩れる。もうもうと立ちこめる煙の奥へと、ゆかりは目を凝らしてみた。
 
 サーレに食らわせた破壊の咆哮は、自在法・『獅子吼』。今は亡き気高い獅子の技であり、ゆかりはその威力を十二分に知っている。
 
 しかし――――
 
「ひゃわっ!?」
 
 サーレはそれほど、甘くない。吹き飛ばされてなお解かなかった糸が、再びゆかりの動きを封じて吊り上げた。
 
「げほっ……ッホントに、親父殿の知り合いにはロクなのがいやしない」
 
「君も含めて、だろ?」
 
「まあな」
 
 土埃の中から相棒と愚痴のような言い合いをしながら出てきたサーレが、口から血の塊をベッと吐き捨てる。
 
 叩く軽口ほどに軽傷ではないようだが、それでも現にゆかりは捕まっている。
 
「何このエロい技? ヘンタイ! ロリコン!」
 
「それはお前の相棒だろうが!?」
 
「キアラって確か十五、六だよね。十分ロリコンじゃん♪」
 
「……だからお前の相棒はどうなるんだよ?」
 
 本当に自分の状態を解っているのかというゆかりの軽口を受けながら、サーレは頭の中でこの状況を素早く整理していた。
 
 『両界の嗣子』の誕生を許せば、この先世が荒れる事は間違いない。このまま、ゆかりに新たに絡めた糸を引くだけで、容易くその首を落とせる。
 
 ………だが、本当にそれが正しい判断なのか?
 
 『緋願花』の一人を討つ事で『仮装舞踏会(バル・マスケ)』をも敵に回し、結果的に危惧していた以上の災厄を呼び込むのではないのか?
 
 あまり広く知られている事ではないが、二十年前の『界戦』のきっかけとなったのも、“人間・平井ゆかりの死”だったという話を、サーレは以前悠二本人の口から聞いている。
 
「とか言ってる間に」
 
「!」
 
 ゆかりの両腕の手甲、そして両足のブーツの脛当てから刃が飛び出し、一瞬で戒めを斬り裂いた。
 
 ついでのように、ゆかりの髪の両端の触角がサーレに向けられ………
 
「バァァルカン!!」
 
 小刻みな翡翠の光線が、サーレに襲い掛かる。
 
 
 
 
 極光と水色、二つの光が、空を鮮やかに染めていく。
 
「『星(アステル)』よ」
 
 ヘカテーは常にキアラより低い位置を飛行し、圧倒的な光弾の嵐によってキアラを攻め立てる。
 
 常に比べれば光弾一つ一つの威力は低いが、代わりに凄まじい数を絶え間なく放ち続けている。キアラを倒す事よりも、キアラに攻撃の隙を与えない事が狙いなのは明白だった。
 
(数が多すぎる……!)
 
 キアラは、躱す、というほど高度な事はしていない。『ゾリャー』の高速飛行によって必死に『星』の攻撃範囲から逃げ回っていた。元々、『ゾリャー』は“乗り物”のようなものであり、『飛翔』の自在法を使いこなした者に比すれば小回りが利かない。
 
(だけど………)
 
 あまりに一方的なその戦闘の本質を、キアラはよく解っていた。
 
「はあああああ!!」
 
 『ゾリャー』の両翼の光が色を失くすほどに凝縮され、二筋放たれる。
 
 空を旋回した『グリペンの咆』と『ドラケンの哮』は、その極光の軌跡を直下へと向け、流星の弾幕の一部すらも容易く呑み込んで大地に着弾し――――
 
「っっ!?」
 
 圧倒的な光輝をばら撒いて、起こった大爆発が小隕石でも墜ちたかのような巨大なクレーターを穿つ。
 
 悠二らの正確な位置をキアラが掴んでいるわけでもなければ、地下の大空洞に攻撃が届いたわけでもない。―――それでも、その攻撃がヘカテーに与えた衝撃は決して小さくない。
 
「っ―――“散れ”!」
 
 ヘカテーの言霊に応えるように、水色の流星群が無数に分かれる。今度こそ逃げ場どころか一部の隙間すらない光の雨……或いは“壁”が、キアラを圧し潰さんと迫り来る。
 
(―――――――)
 
 狙っていたわけでもない。待っていたわけでもない。だが、ヘカテーの光弾が分化し、さらにその威力を“広げた”瞬間に……キアラは瞬時に、反射的に対応していた。
 
 『ゾリャー』が棚引くオーロラがその光域をさらに広げ、長大な矢と化したその鏃をさらに大きなものへと変質させる。
 
 すなわち、破壊の極光による刃の如き鎧。
 
「歌おう! 一緒に!」
 
 自らが駆る神器に意識を表出させる二人のパートナーに言って、キアラは翔ぶ。
 
 迫り来る巨大な流星群の壁を、自身をただただ凝縮された一条の長大な矢と化して貫き、抜ける。
 
(疾い――――!)
 
 完全に捉えたと思った攻撃を突破された以上に、眼前に迫るオーロラの矢に驚愕したヘカテーは、避ける間もなくその矢に攫われた。
 
「く、うぅーー………!?」
 
 その先端にヘカテーを捉えた極光の矢は、空を貫いて地を目指し、突き刺さった。
 
「!?」
 
 そして…………“キアラが”驚愕に目を見開く。
 
 極光を纏ったキアラ全力の突撃を背負って、ヘカテーの両足は軋む大地の上で毅然と踏み締められている。
 
 その鏃を受け止めている大杖『トライゴン』には、僅かな傷や焦げ目すら見られない。
 
「邪魔を――――」
 
「っ!?」
 
 纏う極光の先、明るすぎる水色に光る怖いほどに綺麗な瞳に、僅かな怯んだキアラの目の前で、同色の炎が猛然と燃え上がる。
 
(迷うな!)
 
 僅か怯んだ自らを叱咤して、キアラは迷わず『ゾリャー』の両翼に力を凝縮させた。
 
 鏃を受け止めている、無防備なヘカテーの至近距離で、『極光の射手』最強の自在法が膨らみ―――
 
「ッ…………」
 
 限界まで炎を具現化させるヘカテーの足下で急速に大地がひび割れて―――
 
『ッ――――――!?』
 
 そして全てが、炎に呑まれた。
 
 突如として足下から噴出した炎はヘカテーをすり抜け、キアラのみを凄まじい力で弾き飛ばす。
 
 同様にゆかりの光線を避けていたサーレも、予想外の所からの不意打ちに呑まれて吹き飛んだ。
 
 それは、龍と見紛うほどに長大な体躯を持つ………蛇。
 
 燦然と輝く牙と鱗を持つ――銀炎の大蛇。
 
 この場に在る誰もが、その自在法の存在を知っていた。そして、彼がこの自在法を行使出来る状況にあるというその事実は―――もう一つの事実をも示していた。
 
「生まれたんだ………」
 
「………赤ちゃん」
 
 ゆかりとヘカテーの達成感に満ちた呟きが、その戦いの終わりを告げた。
 
 
 
 
 秘法発動に使った大空洞へと通じる地下トンネル―――悠二らが元々通って来た道――を抜けた先、今の時期はイベントが多いために人も徒も変わらず集まる市街のホテルに、一組の男女がいた。
 
 その片割れたる女性の腕に抱かれている存在は、“交わりによって生まれた”この世で初めての存在………『両界の嗣子』。
 
「なぅ………」
 
 それは子猫。青紫の毛並みを持つ、可愛らしい子猫だった。
 
 女性……マリアンヌが、そっと子猫のあごを撫でると、子猫はくすぐったそうに身動いだ。
 
「名前はどうしますか? ……フリアグネ様」
 
 問われ、愛おしげに子猫を見つめていたフリアグネは、顔を上げて最愛の女性と目を合わせて、再び子猫を見る。
 
 焦らすように数秒の沈黙を経てから、ゆっくりと口を開く。
 
「…………ニーナ」
 
 小さな頭を優しく撫でながら、呼ぶ。
 
「それが、君の名前だよ………ニーナ………」
 
 まるで言葉の意味を解っているかのように、ニーナは「にゃぅ……」と鳴いた。
 
 
 
 



[7042] 『メイキングベイビー(終編)』
Name: 水虫◆70917372 ID:f6bb011e
Date: 2010/07/28 20:40
 
「あ、キアラ起きたぁ~?」
 
 覚醒を先取るように掛けられたのは、変わらず元気なヴェチェールニャヤの声。瞼を開こうとした途端、頭がぐらぐらとした嫌な感覚に苛まれる。
 
「えっ……と……?」
 
 声以上に、辺りに漂う異能の気配に飛び起きたキアラは、キョロキョロと辺りを見渡す。
 
 伊達に百数十年の戦歴を持つフレイムヘイズではない。常時戦場の心構えは出来ているので、気絶前の状況など思い出すまでもなく臨戦体勢だ。
 
 もっとも、向けられている敵意は無いが。
 
「不注意よキアラ、地中に目標がいる事は解ってたはずなのに!」
 
「あなただって気付いてなかったでしょ。キアラばかり責められないわ」
 
 やいのやいのと言い合う二つの髪飾りを耳にしつつ、キアラは真っ先にサーレを……というより、三人を見つけた。
 
 捕獲された宇宙人のような体勢で、ゆかりに両の二の腕を掴まれてだらりとしているサーレの前にいるヘカテー。
 
 その右手にはゆかりの『パパゲーナ』が、そして左手には“我学の結晶”と関われた怪しげなボトルが握られている。
 
「フリアグネ達なら逃げたよ、トスカナさん」
 
 そんな恋人らの悪戯を横目に見ながら、封絶内に銀炎の火の粉を撒き散らして修復している東洋人の少年と見える存在がキアラに声を掛けた。もちろん、見た目通りの平凡な存在ではない。
 
「じゃあ………」
 
「ええ、今回は私たちの負けね」
 
 ウートレンニャヤの肯定に、キアラはガックリと肩を落とした。そんなキアラに、ゆかりとヘカテーが気付く。
 
「あ、キアラ起きた」
 
「……まだ続けますか? “天路少艾”」
 
 ゆかりはさっきまで殺し合いをしていた事など露と忘れて笑顔で迎え、ヘカテーはキアラを渾名で呼んで、手にした『パパゲーナ』をシュッ、シュッと突き出す仕草で威嚇する。どこまでも緊張感に欠ける連中だった。
 
「ヘカテー、威嚇しないの。……フリアグネはもう行ったし、そっちに交戦のつもりがないなら、こっちも手出しする気はないよ」
 
「でも……じゃあ、あれは何をやってるんですか?」
 
 ヘカテーをピシャリと諭してキアラに言った悠二の背後で、ゆカテーが再び先の作業を再開していた。戦う意志無しと言いながらサーレに何かしている様子に、キアラは当惑する。
 
 そんなキアラを余所に、ヘカテーはジョリジョリとサーレの髭を剃り落としていた。
 
「あの……剃っても、あんまり意味ありませんよ?」
 
 キアラも以前から、『キスする時に痛い』という理由でサーレに髭剃りを要求しているのだが、それが果たされた事は無い。
 
 人間ベースのフレイムヘイズは、時間さえ掛ければ、死に至らない限りは腕が飛ぼうが足が千切れようが元通りに再生する。髭も当然例外では無い。
 
 『儀装の駆り手』カムシンのように、意識的に傷を残す者も皆無ではないが、サーレの髭の場合は“自己イメージ”として戻ってしまう。
 
 サーレにとって、『髭の無い自分』というものが自然なものとして受け入れられないのだろう。
 
 ゆかりは不敵に笑って、キアラの当惑を跳ね除ける。ヘカテーから先ほどのボトルをふんだくって、キアラに自慢するように突き出した。
 
「じゃーん! “我学の結晶”エクスペリメント12345『毛筆の伐採』!」
 
 パンパカパーン! と、ゆかりの手甲から効果音が迸る。芸の細かい真似をしたゆかりは、自慢気にピンと人差し指を立てた。
 
「説明しよう! この脱毛剤は教授お手製の一品。塗った箇所から対象者の意思総体に干渉する事で、毛を落とした自分のイメージを脳裏に刻みつけるのだ♪」
 
「是非お願いします!」
 
「ちょっ! お願いしちゃうの!?」
 
 ゆかりの説明に間髪入れず反応したキアラにウートレンニャヤが突っ込むが、この場においては少数派である。ちなみに悠二は、キアラが気絶している間にゆかりらの企みを聞いているので、すでに諦めていた。
 
「……脱毛、開始です」
 
 ゆかりからボトルを受け取ったヘカテーが、受け取ったそれをバーテンダーのようにシャカシャカと振るう。
 
 どうやら先ほどの戦いでボロボロにされた意趣返しとして、サーレの髭を毛根から死滅させるつもりらしい。
 
 そして……………
 
「(ぺたぺた……ぺたぺた……)」
 
 その日、『鬼攻の繰り手』サーレ・ハビヒツブルグの顔面から………一本残らず髭が消えた。
 
 
 
 
「あ~あ、私たちも赤ちゃん見たかったなぁ……ねぇ?」
 
「………(コクッ)」
 
「いっ、生きてればその内会えるって。そんな恨みがましい眼で見ないでよ」
 
「次会った時はもう赤ちゃんじゃないかも知れないじゃん!」
 
「………そもそも人型じゃなかったけどね」
 
 楽しげに戯れている『緋願花』の三人のやり取りを横目に、サーレは自分のあごを何度も擦って、落ち着かない“フリをする”。
 
 人間だった頃から連れ添って来たはずの髭が無い事に“違和感を感じないという違和感”にゲンナリしていた。恋人のキアラがニコニコと上機嫌なのが殊更質が悪い。
 
「……さっきの秘法の気配で、フレイムヘイズがぞろぞろ集まってくるぞ。どうするつもりだ?」
 
「どうもしないけど? 僕らは別に、あいつらの保護者でもボディーガードでもないし」
 
 忠告とも皮肉とも取れるサーレの言葉に、悠二は考えてもみなかったとばかりに応える。
 
「自分たちが狙われる事は考慮しないんだな」
 
「それこそ今さらだよ。僕らに恨みを持ってるやつなんて、いちいち気にしてたらキリがない」
 
「…………………」
 
 実際サーレとしても、後続のフレイムヘイズが下手に悠二らに手を出すのは好ましく思っていない。
 
 十五年前の反乱。数多のフレイムヘイズが引き起こした戦争は、実質的には目の前にいるたった三人の存在の手で呆気なく幕を引いたのだから。………千にも及ぶ、討ち手らの死を残して。
 
(“済んだ事”でわざわざこいつらと揉めるのはごめんだ)
 
 溜め息混じりに内心でそう呟いて、サーレはさっきの戦いでゆかりに飛ばされたハットを拾い上げ、被り直す。
 
 フリアグネを追うか、一度外界宿(アウトロー)に報告に行くか………いっそ、この件はもう他に投げてしまおうか、などとぼんやり考えているサーレを余所に、ゆかりがキアラに話し掛けていた。
 
「カウボーイとの子供、欲しくない?」
 
 などと言う言葉が聞こえて、キアラが若干誘惑に揺れている表情をしていたので、サーレが視線で一喝する。
 
(赤ちゃん………)
 
 誘惑は誘惑を呼ぶ。
 
「……………………」
 
「な、何………?」
 
 その水色の瞳をキラキラと期待に輝かせた熱い視線で、ヘカテーがじ~~~っと悠二を見上げる。
 
 その視線に気圧されるように後退る悠二。
 
「………………」
 
「………………」
 
 一歩退がれば一歩。
 
「………………」
 
「………………」
 
 二歩退がれば二歩。等距離を保ったまま熱視線を浴びせてくるヘカテー。
 
(…………仕方ない)
 
「っ?」
 
 悠二はそんなヘカテーの背丈に合わせて身を屈めて…………
 
「っ――――――――!?」
 
 その唇に、唇を重ねた。思わぬカウンターに、ヘカテーは顔を一瞬で紅潮させ、声なき叫びを上げて………ふにゃける。
 
 くたっと力を失ったヘカテーを抱え上げた悠二の視界に、どこか安堵したように吐息を漏らすゆかりの姿が映った。
 
(………僕とヘカテーに赤ちゃんが出来たら、居場所が失くなるとか思ってたんだろうなぁ………)
 
 この件に関わってから少し様子がおかしかった(が、ひた隠しにしていた)パートナーの心情を何となく察して、敢えて言及せず、悠二はサーレに向き直った。
 
「一緒にカーニバルでも見て行く?」
 
 別れ際の誘い程度の軽い気持ちで。当然のように、サーレは悠二の顔も見ないで手をひらひらと振る。その後ろでウートレンニャヤとヴェチェールニャヤが、『たまにはキアラを若い子と遊ばせてあげなさいよ』といった内容の文句を並べていた。
 
「うるさい。さっきの気配に釣られてすぐにフレイムヘイズが集まってくるんだぞ? こいつらと一緒にいたら確実に面倒な事になる」
 
「ああ、そう」
 
 至極もっともな事を言うサーレに、悠二も生返事で応える。元々そんなに熱意を持って提案したわけでもない。
 
「でも、今この辺に強いフレイムヘイズなんていなかったよね? いいじゃんいいじゃん♪ カーニバル行こうよ!」
 
 正真正銘の本調子に戻ったゆかりの妄言を耳にしながら、悠二は封絶を解こうとして…………
 
「………………ゆかり」
 
「ん?」
 
 陽炎の向こうから、爆発のように飛び入ってくる炎の塊を見た。色は…………………紅蓮。
 
「……逃げるよ」
 
「……ラジャー」
 
「……………♪」
 
 封絶を解いて侵入者の追撃を牽制した緋願花の三人が、慌ただしく去って行く。
 
 炎の翼を消して建物から建物に跳び移って彼らを追う少女は、どうやらサーレ達と情報を交換するつもりはないらしく、気付いていないはずもないのに目もくれずに去って行った。
 
 動きだした世界に、取り残されたように二人にして五人のフレイムヘイズ。
 
「…………サーレさん」
 
「……何だ?」
 
「髭はもう……無くなったんですよね?」
 
 先ほどのヘカテーと同じような構図で、キアラがサーレを見上げている。催促するようにあごを上げて目を閉じたキアラのおでこを、サーレが無言ではたいた。
 
 しばらく、キスはお預けのようだ。
 
 
 『両界の嗣子』の話は緩やかに広がり、後に世界に混乱を、さらに後に発展を見せる。その改革がどのように評されるかは………数百年後の未来になれば解る事。
 
 
 
 


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