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【芸能・社会】邦画史上初めて脱いだ前田通子さん グラマー女優第一号 戦後ヌードよみがえる2010年7月29日 紙面から 日本の映画史上初めてオールヌードを披露して、戦後グラマー女優第一号といわれた元女優の前田通子さん(76)が28日、東京・赤坂のスタジオからTBSラジオに生出演。ヌードになったいきさつやその後、トラブルを抱えて映画界からほされたことなどを生々しく語った。8月から8週間にわたって東京・ラピュタ阿佐ケ谷で行われる特集上映の初日には、生まれて初めてトークショーに出演、ファンの前に元気な姿を見せる。 前田さんは、1956年の初主演映画「女真珠王の復讐」(モノクロ)で見せたオールヌードがあまりにも有名。難破して打ち上げられた岩の上で、波しぶきをうけながらの一糸まとわぬ後ろ姿は、今なお衝撃を受けた男性ファンのまぶたに焼きついている。 2年間で20本以上の映画に出演したが、“裾まくり事件”をきっかけに映画界からほされ、キャバレー回りなど歌手活動に活路を見いだした。その後、引退。1999年に「地獄」(石井輝男監督)で42年ぶりに映画出演したが、それも単発で、そば屋で働いたり、バーのママとして働き、5年前からは定職を持たず、気ままな生活を送っている。 今回のラジオ出演は、「大沢悠里のゆうゆうワイド」(月−金曜午前8時30分)のパーソナリティー大沢に誘われて実現した。中学時代に前田さんの映画を見て「勉強が手に付かなかった」という大沢が、偶然、赤坂のスナックで出会い、「生きてた〜」と感激、その場で出演話が決まった。 これまで評論家の川本三郎さんのインタビューや、雑誌「映画秘宝」の取材など数えるくらいしかメディアに登場したことのない前田さんだが、さまざまな「縁」に導かれるようにスタジオにやってきた。 上品な着物姿は、割烹旅館の女将のよう。気恥ずかしそうなしぐさを見せながら、当時、話題になったヌードについて、「抵抗なく」臨んだと明かした。それは、メガホンをとった志村敏夫監督と「いっしょに住んでましたから、はい、恋人でした」。当時は不倫とは知らなかったという。知る人ぞ知る話を初めて公の電波で明かした。 千葉県の白浜で行われたヌード撮影当日は、マスコミも集まっていたが、ヌードになることは極秘にされていたためスタッフもびっくり。カメラマンらは前田さんの体の前方に回ろうとしたが、「波がすごくてこられませんでした」と現場のエピソードを披露した。 出演後、取材に応じた前田さんは、他界した志村監督のことに触れ、「一人前に育ててくれようとしたのに、恩返しができないままでした。私は贖罪(しょくざい)で生きてるの」。お見合いを断られ、仕事を探している時にスカウトされ、家族の反対を押し切って進んだ女優業。今も消えない志村監督との強いきずなをうかがわせた。 ◆前田通子(まえだ・みちこ) 1934年2月27日大阪生まれ。3歳から韓国へ。終戦後帰国、女学校に進むが1年で中退。日本橋三越の呉服売り場で働く。銀座の名曲喫茶「田園」で友人といるところをスカウトされ、新東宝に入社。デビュー映画「三等社員と女秘書」で宇津井健との大胆なベッドシーンを演じる。初主演「女真珠王の復讐」の全裸シーンが話題となりスターに。「海女の戦慄」では主題歌も歌った。その後、キャバレー回りなどを続け、70年代にテレビドラマでカムバック。99年に映画「地獄」に出演後、引退。結婚歴なし。
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