2010-07-26
共感する人、しない人
ランニングをやっていると、他の市民ランナーのブログの書き込みに凄く共感できたりします。一度も会った事がないにも関わらずです。かと言って、誰とでも共感できるとは限らず、明らかに自分よりも格上の実力者の書き込みは、未経験ゆえに解りません。
ネットで学会員に上手く成り済まされると、正直判別がつきません。特に退転者は事情を知ってるだけに難しいです。だからといって、学会員同士(もしくは成り済まし)の書き込みだからといって、何でも共感できるもんではありません。何故ならば、活動家ほど「場慣れしているから」です。
会合で、会員なり幹部が話している時、「んっ?」と思うときがあります。それは「明らかに自分を良く見せようとしている時」です。どんなに上手い言葉を並べても、生命に響かないのです。それどころか、生命の状態(境涯)が嫌というほど見えてしまいます。
ネットでは確かに、文章の上手い人の方が説得力があり、まるで信心があるかのように見えてしまいます。しかし、案外行間からその人の生命状態(境涯)が見え隠れするものです。何となくですが、現場で戦っている人の発言とそうでない人の発言が解るのです。もちろんそれは、今自分が戦ってないと通用しませんがね(笑)。
一見正論に見えても、行間から誹謗や怨嫉が見えてきたら、よくよく見極めるようにしています。「ネットだから相手をどうにでも騙せる」とは限らないのですよ。
でもさすがに「サイコパス」の見極めは無理でしょうねぇ〜(爆)!
おいぼーさんよりコメントを頂きましたので、ご紹介します。
まったくその通りですね。
私がブログを始めた頃、学会系ブログ&掲示板を読んだ時に、すごく上から目線で、二乗根性的な方が多いなぁと感じました。今でもそうですが(笑)
難しい仏法用語並べて何になりましょう。
大聖人はじめ三代会長がそのような事をしてきましたでしょうか?
誰にでも理解できる言葉で語られてきたのですよ。
地道に活動されている方の文章には共感するものがあり、人を引き付ける力があります。
戦わずして偉そうな事を書いている人は、どこかで「あれっ?」と言うところがあります。
難しい言葉を並べる前に、自分の言葉で自分の意見を書ける人を信用します。それが、たとえ間違いがあっても心から話ができるからです。
私は今まで何度もブログをやめようと思いましたが、拙いブログでも、下手な文章でも、お笑い中心の文章であっても、勇気を出して立ち上がってくれた方、もう一度信心に頑張ってみようと思われた方々がいらしゃる限りは、本音でぶつかって行こうと思っております。
何人見に来たや、いくつコメントがあったなど、どうでもいいんです。
あははぁと笑ってもらえて、よし、頑張ろうって思ってくれる方の為に私は可能な限りつづけて行きたいと思っております。
ありがとうございます。お会いしたことはない、でも通じ合える同志って、本当に有り難い存在です。これからも互いに触発し、成長できればいいなと思っています。それこそが、正しいネットの活用法ではないでしょうか?