この凧繪が描かれた七、八丁のページは、以前から多くの研究者より、十返舎一九が残した、写楽足跡の「メッセージ」ではないかの声も多くありながら、何故か長松が相撲を見たいといいだす次のページまでも含め、総合的に検証を行った研究者がなかったようであります。 今回これらの文章を通読することにより、非常に重要な意味が込められていることが判明しました。
文章の大部分が変体仮名を含む平仮名文であり、句頭点、句読点もなく、登場人物には、芝居の役どころの名称がはめ込まれており、意味不明の単語が多く困難な作業でありましたが、物語の筋とは無関係に漢字をはめこみ、推考を重ねた結果以下のような文章となりました。
書 名 | 著 者 | 所蔵機関 |
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初登山手習方帖 | 十返舎一九 | 東京都立中央図書館 |
本史料は所蔵機関のご好意により抜粋掲載の許諾を受けております。
原文(七丁) | 判読文 |
| 原文(七丁) | 判読文 |
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それよりかへり | それより帰り |
| なさりしこと | なさりしこと |
がけにしばいを | がけに芝居を |
| なんでもかでも | 何でもかでも |
みせたもふ | 見せ給ふ | てうまつを | 長松を | |
やくしゃみな | 役者皆 | かいてかいて | 書いて書いて | |
こどももちや | 子供持ち耶 | かきのめす | 書きめす | |
そびにてしばらく | 蘇日にて「暫く」 | 御くふう | 御工夫 | |
のたこがぶうぶうと | のタコがぶうぶうと | きやうげんは | 狂言は | |
うなりだせば | 唸りだせば | なんだやら | 何だやら | |
うけハだいり | 受けは内裏 | わからず | 判らず | |
さま | 様 | めったむせうに | めった無性に | |
だるまさまは | 達磨様は | てうまつを | 長松を | |
ひげがにた | 髭が似た | うれしがら | 嬉しがら | |
とてなまず | とて鯰 | するばかりの | するばかりの | |
ぼうずの | 坊主の | おもいつき也 | 思いつき也 | |
やくいつ | 役 いつ | どふたなんだのごうてき | どうだ何だの強的 | |
たいこの | たい この | わからずてんちがいけん | 判らず てん違い乾 | |
せかいは | 世界は | こんのあいだをぬけしは | 坤の間を抜けしは | |
どふした | どふした | さてこそたまなきすでつ | さてこそ弾なき 素鉄 | |
ものやら | ものやら | ぽうおともぶうぶういも | 鉄砲 音もぶうぶう芋 | |
さつはり | さつはり | たこのうなりはさてもくさ | タコの唸りはさても草 | |
わから | 判ら | ぞうしこんなこんなし内くうが | 双子 こんな仕打ちくうが | |
ずこんな | ず こんな | からでつぽうはいざしらず | 空鉄砲はいざしらず | |
しばいの | 芝居の | わがてうにてはまたとふたつ | 我が長にては またと二つ | |
当ろふはずは | 当たろう筈は | たまのるいもなきうそ八百の | 玉の類もなき 嘘八百の | |
なけれども | なけれども | でほうだいやみにてっぽう | 出放題闇に鉄砲 | |
そこがてん | そこが 天 | あたりはずれはただ御けん | 当たり外れは 只御見 | |
じんさまの | 神様の | ぶつの御ひゃうばんをたねがしまと | 物の御評判を 種子島と | |
じんつうにて | 神通にて | ホヽあやまってもふす | ホヽ 訛って申す |
原文通りの読み | 判読文の読み |
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だるまハ ころころと ころげて | 達磨は ころころと 転げて |
カタリとい ふかげを | 騙りと言う蔭を |
きっかけに むっくと おきて | きっかけに むっくと起きて |
なにやつだ エヽ といふ | なに奴だ エヽ と言う |
おいらもたこ ならきさま もたこ | おいらもタコなら 貴様もタコ |
あはせ てふたたこ みたこ たこハテ | あわせて 二タコ 三タコ タコ ハテ |
じぐちでも なんでもない とであった | 地口でもなんでもない 事であった |
よなア | よなア |
なんの 事は ねへ こんぴら | 何の事はねえ 金比羅 |
さまへはいっ た | 様へ入った |
どろ ぼうが かなしばりと | 泥棒が 金縛りと |
いふもんだ | 言うもんだ |
前項(1)の判読文をふまえ、本研究では文章中脈絡がなく論理の成立しない意味不明の言葉を「キーワード」と考え、物語の筋とは無関係に推考を重ね解釈を加えた結果、以下のような意味をもつ文章となりました。
原 文 | 判読語 | 語 意 |
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やそび | 耶蘇日 | 休 日 |
しばらくのたこ | 暫のタコ | 食わせ者の市川鰕蔵 |
うけハだいりさま | 受けハ内裏様 | 市川鰕蔵の相手歌麿 |
だるまさま | 達磨様 | 身代半減を受け再起した蔦屋 |
てんじんさま | 天神様 | 十返舎一九のこと |
じんつうにて | 神通にて | 自分の力(一九の知恵のこと) |
てうまつ | 長松 | 商売人の蔦屋重三郎 |
たまなきすでつぽう | 弾なき素鉄砲 | 徒手空拳 |
いもたこの | 芋タコの | 自嘲的に自分のことを表現 |
わがてうにては | 我が長にては | 自分の目上ではあるが |
ふたつたまのるいもなき | 二つ玉の類もなき | 男らしくない(睾丸などのない) |
判読文の読み | 解 釈 |
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それより帰りがけに芝居を見せ給う | 前頁よりの導入部である。 |
役者皆子ども持ち、耶蘇日にて暫くのタコが、ぶうぶうと唸りだせば | この耶蘇日とは、(「耶蘇教・キリスト教の休日」)つまり五月五日の休日を指していると考えられ、一九の造語と思われる。 休日であるのに、客足の悪さを、鰕蔵が愚痴った様子であろう。 |
受けハ内裏様 達磨様は、髭が似たとて鯰坊主の役 | 鰕蔵の愚痴を聞きながら、話相手をする歌麿と、のらりくらりしながら相づちを打つ蔦屋の様子と思える。「内裏様はお公家様、お公家様は麿、即ち歌麿」 |
いったいこの世界は どうしたものやらさっぱり判らず、こんな芝居の当たろう筈はなけれども、そこが天神様の神通にて | 客の入りも悪いこのような芝居の世界を、自分の知恵と力で改革して見せよう。 |
判読文の読み | 解 釈 |
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なさりしこと 何でもかでも長松を 書いて書いて書きのめす | 重三郎がしたことを、すべて書いてしまうと宣言している。 |
ご工夫狂言は何だやら判らず | この、ご工夫狂言とは重三郎の意図、策謀を知らず。 |
めった無性に長松を 嬉しがらするばかりの 思い付き也 | 身代半減を受けて経済的に苦しい、重三郎だけに利益を与える自分の案であったと悔やんでいる。 |
どうだ何だの 強的分からず てん違い | その重三郎は、約束について言を左右し、始めの言葉とは、天と地ほどに違っていた。 |
乾坤の間を抜けしは、さてこそ弾なき素鉄砲 | 乾坤一擲などのように、思案の末、重大な決心をもっての意味であり、
その決心は徒手空拳の自分であるが、 |
音もぶうぶう芋凧の唸りはさても 草双子 | 続膝栗毛五編の巻末に「一九生酉ノ年也、故ニ酉ノ町ノ唐ノ芋熊手ノ形ヲ用ユ」とあり
自分を芋タコと表現し、その恨みはこの草双子と宣言している。 |
こんな仕打ち食うが、空鉄砲はいざ知らず | 空約束はまだいいとして、「こんな仕打ち」とは自分を侮辱した仕打ちを意味している。 |
我が長にては 二つ玉の類もなき 嘘八百の出放題 | 自分の目上の人間(年長者)ではあるが、嘘八百をいう男らしくない人間である。 |
闇に鉄砲、当り外れはただ、御見物の御評判を種子島と | 商売というものは闇夜に鉄砲を撃つようなもので、当たることも当たらないこともあり、
それはお客様の評判次第である。「種子島と足るがしまの語呂合わせ」 |
ホヽ 訛って申す | 色々理屈をつけて胡麻化してしまった。 |
判読文の読み | 解 釈 |
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達磨は、ころころと転げて、騙りと言う蔭を | 達磨」に象徴される重三郎が、身代半減をうけて起きあがったのを風刺しており、
カタリという音に引っかけて言外の意味を「騙り」と、自分に対する仕打ちを当てこすっている。言う蔭をとは、「蔭口」と解釈できる。 |
きっかけに むっくと起きて、なに奴だエヽと言う | この文は絵の中の情景描写であり特別な意味はない。 |
おいらもタコなら貴様もタコ 併せて二タコ 三タコ タコ | 「凧」と「蛸」の語呂合わせである「蛸」は、その形からくるいかゞわしさを表現する意味、
旨い食わせるもの.食わせもの、共食いをする蛸、何れにしても蛸部屋.蛸配当など あまり良い意味に使われていない。奴凧が指している「タコ」とは重三郎と鰕蔵、そして自分である。」 |
はて地口でも、なんでもない事であったよなア | 「達磨」である重三郎に対して、単なる語呂合わせでないと同意を求めている。 |
何の事はねえ 金比羅様へ入った泥棒が金縛りというもんだ。 | 自縄自縛の意味であり、自分の立場では表だって言えない、若しくはできないの意味である。 |
初登山・写楽凧謎文の総括(7〜8丁)
写楽に関する資料としては、初登山手習帖7〜8丁目の頁・写楽凧謎文の場面が有名ですが、私は次の頁である9〜10頁の場面を含め写楽の研究には非常に重要な資料と考えています。 この頁には、長松が相撲が見たいと言いだすくだりがあって、「大童山」とおぼしき名前もでてきて、この中では、仲の悪い絵師同士の競作を、犬と猿の相撲に見立て、モデルである大童山を行司として「勝負は人の手の内にあり」と狂歌を引用し皮肉っています。
書 名 | 著 者 | 所蔵機関 |
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初登山手習方帖 | 十返舎一九 | 東京都立中央図書館 |
本史料は所蔵機関のご好意により抜粋掲載の許諾を受けております。
原文(九丁 上) | 判読文 |
| 原文(九丁 下) | 判読文 |
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ちょうまつはだんだんつき | 長松はだんだん つき |
| とかくてんじんさまと | とかく天神様と |
あがりがしてこれからは | 上がりがして これからは |
| てゃまつばかりではでハ | 長松ばかりでハ |
すもうがみたいつれて | 相撲が見たい 連れて | さみしいから | 寂しいから | |
いって見せてくんねへ | 行って見せてくんねえ | 又しらたゆう | 又白太夫 | |
ヨウてんじんさん | ヨウ天神さん | おんとも | おん供 | |
つれていかねへとおらァ | 連れて行かねへと俺らァ | する | する | |
こんどから二十五日に | 今度から二十五日に | |||
おそなへもおみきも | お供えもお神酒も | そうだそうだまん | そうだそうだ真 | |
あげはしねへよと | 上げはしねへよと | なかのぼうを | 中の棒を | |
まいにちのことなれば | 毎日の事なれば | みぎのほうへ | 右の方へ | |
いまはとんだこころ | 今はとんだ心 | ぐっとひねれ | ぐっとひねれ | |
やすだてしていろいろ | 易立てして 色々 | ひねれ | ひねれ | |
なことをねだり | な事をねだり | |||
かけけれどもてん | かけけれども 天 | このすもふ | この相撲 | |
じんさまはおはら | 神様はお腹 | よりまつ | より松 | |
もおたてなされず | もお立てなされず | わうとむめ | 王と梅 | |
そんならこいこいと | そんならこいこいと | わうが | 王が | |
すぐにすもふへ | すぐに相撲へ | 三だんめの | 三段目の | |
つれゆきたもふ | 連れて行き給ふ | つかミやいが | つかミ合いが | |
しかしすもふは | しかし相撲は | おもしろかつた | 面白かった | |
なんだかおなじ | 何だか同じ | |||
ことばかりして | 事ばかりして | てんじんさん | 天神さん | |
さっぱりセう | さっぱり勝 | かたくまにのせて | 肩車に乗せて | |
ぶはつかずおも | 負はつかず 面 | くんねへよねっから | くんねへよ根っから | |
しろく | 白く | よく見へない | よく見えない | |
もなんとも | も何とも | |||
なきすもふ | なき相撲 | |||
原文(十丁 上) | 判読文 |
| 原文(十丁 下) | 判読文 |
なれども | なれども |
| ふきやてうかしの | 葺屋町河岸の |
このてう | この長 |
| すもふもおもしろ | 相撲も面白 |
まつがこども | 松が子供 | かった | かった | |
ごころより | 心より | これよりハだいどう | これよりハ大童 | |
見れば | 見れば | だんがぎゃうじで | 山が行司で | |
このうへも | この上も | さるといぬの | 猿と犬の | |
なきおもし | なき面 | すもふが | 相撲が | |
ろきことに | 白き事に | おもしろい | 面白い | |
おもいて | 思いて | |||
よねん | 余念 | かちもすまい | 勝ちもすまい | |
なくけん | なく見 | まけもすまいの | 負けもすまいの | |
ぶつして | 物して | でくのぼう | 木偶の棒 | |
いる | いる | しゃうぶハひとの | 勝負は人の | |
てのうちにあり | 手の内にあり | |||
けんぶつハ | 見物ハ | といふきゃうかに | と言う狂歌に | |
なんの | 何の | でたやつだ | 出たやつだ | |
ことハない | 事ハない | こんなこと | こんな事 | |
にんぎゃう | 人形 | よりなにも | より何も | |
てうのど | 町の土 | かくこと | 書くこと | |
ようぼし | 用干し | なし | 無し | |
というもん | と言うもん | |||
だ | だ | カタカタ | カタカタ | |
カッタリ | カッタリ | |||
どっこい | どっこい | |||
どっこい | どっこい |
重要部分の読み | 解 釈 |
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この相撲より松王と梅王が三段目の掴み合いが面白かった。 | 芝居の人物松王と梅王に擬しながら仲の悪い絵師仲間の掴み合いによる腕力沙汰を冷やかしている。 |
葺屋町河岸の相撲も面白かった | この葺屋町河岸近辺は芝居町であり、この辺りで相撲の興行が行われた事実はなく、相撲という勝負と対比させた絵師同士の勝負、即ち競作を意味している。 |
これよりハ大童山が行司で猿と犬の相撲が面白い | 常々から腕自慢の絵師達が描いた大童山の浮世絵が、その出来映えで腕前を評価するという意味である。
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木偶の棒勝負は人の手の内にあり | 挿し絵の相撲を取っている人形の棒のように、所詮勝負は他人が決めることである。 |
(2)写楽の絵は絵師同士の競作として描かれた可能性が強く、この競作の第一回は端午の節句に葺屋町において開催され、2回目は大童山の土俵入りがあった11月本所の会向院で開催されたと見られます。
(3)絵師同士はお互いに個性も強く自分の腕に自信があり、工房説による共同製作は成立しないと思え、それであるからこそ功名心を煽る競作などが計画されたと考えられます。
次の話には、歌舞伎演目の「花都廓縄張」を暗示するごとく吉原の話が続いており、これらの文章には、一九や重三郎、歌麿の、寛政六年旧暦五月から七年初頭にかけての行動に関する寓意が込められていると考えられ、とくに、役者皆子供もち耶蘇日にて、の表現は明らかに、写楽が描き始めた五月五日の端午の節句と思えます。
その場所は、歌舞伎年表から推測すると、木挽町の河原崎座であり、話相手の鰕蔵は、恋女房染分手綱の竹村定之進の装束であったと考えられ、鰕蔵は年間の給金こそ七百両と、瀬川菊之丞や岩井半四郎達の九百両、沢村宗十郎の八百両に比べ少ないが、人気度も役者番付の最上位に評価され、歌舞伎界に大きな影響を与える重鎮でもあり、写楽の第一作は、この竹村定之進であったのは間違いありません。
しかしその後、彼は自分達の大首繪をみて、重三郎に対し強硬に販売の中止を申し入れたであろうと思え、この初登山の解読結果から印象として推測できたことは、十返舎一九が写楽であった可能性が充分に考えられます。