司法の広場

2010年07月24日号

【投稿】
消えたパゴダ建設資金と日本振興銀行が設立認可された時代      MS
(規制緩和は誰のためのものだったか)


●消えたパゴダ建設資金とパゴダ建設資金責任者(写真中央)

資料

 日本振興銀行が設立認可を受けたのは2004年4月です。
設立後6年数ヶ月経過し日本振興銀行が金融庁の検査忌避で査察を受け、木村剛氏が逮捕されました。
木村氏の行為は一般的感覚でいえば証拠隠滅です。
ライブドア事件の時も大量のEメールが消去されたようです。
小泉政権下で進められた規制緩和政策は二つの銀行を生みました。
中小企業を助けるという大義名分で設立された新銀行東京と日本振興銀行です。
新銀行東京は都税で救済され日本振興銀行も国税で救済される気配です。
木村剛氏は日本振興銀行に金融庁検査が入るやいなや自己保有の日本振興銀行株式を換金したそうです。
SFCG(商工ファンド)が作った帳簿上の大赤字は1兆円を超えるようです。
商工ローン業者が実際に行っていたことは不動産担保融資です。
サンフォレストリアルティ(株)の保有物件が一斉に競売されたのは平成20年頃です。
競売された物件の謄本から見えることはSFCGの資金が巧妙に引き出され消えていく課程です。
SFCGの資金を出したのは日本の銀行であり外国ファンドです。
リーマンブラザースは倒産しました。
日本振興銀行はSFCGに債権譲渡の対抗要件が得られないと知りつつ資金を超高利で出していたようです。
日本振興銀行が超高利資金を回収すればSFCGの責任財産は毀損し、その付けはSFCGに資金を出していた他の銀行に回ることになります。
平成バブル終末直前の不動産飛ばしは結局昭和バブルの不動産飛ばしと同じでした。
ジョイントファイナンスの債権が結局オリックスに移転され、ノンバンクのアトリウムは自己競落した莫大な保有不動産を抱えています。
今回の平成バブルは地上げの筋書きが最初からしっかりたてられていたのが特徴です。
しかし筋書きにサブプライムショックは書かれておらず経験則通りバブル崩壊はやはり予測できませんでした。
昭和バブルの精算のために始められた平成バブルの象徴南青山三丁目地上げ物件もあと一息のところで平和奥田の相談役が逮捕された事件で野晒し状態となりました。
1988年の昭和バブルのピーク以来日本の政治は迷走を続けて現在の民主党政権が誕生したわけです。
昭和バブルで大穴を空けたグループが真珠宮ビル、木利屋ビルその他諸々に手を出して再び大穴を空けて内部争いをしている姿を見るに付け日本経済の構造に深く根付いた不動産信仰とゼネコンの造注工作の病理を感ぜざるを得ません。
六本木ヒルズは一棟あれば十分で六本木に超高層商業コンプレックスを作り続けようとするデベロッパーは不動産市場に無限の需要があるという妄想にとりつかれているにすぎません。
日本振興銀行の設立許可を出したのが竹中平蔵金融庁長官です。
そしてその頃昭和バブルの遺産整理が行われていました。
昭和バブルの仕掛品を仕上げてすこしでも昭和バブルの傷を埋めようとしたのが今回の平成バブルです。
利用した金は海外から大量に流入した資金です。
その中には日本の銀行の金もありサブプライム証券で集めたバブルマネーもあったでしょう。
南青山物件の地上げが完成すればサーベランスの投下した資金は収益をともなって回収されサブプライム証券も償還されたかもしれません。
糸川議員の国会質問でサーベランスの投資計画は狂いサブプライムショックで南青山三丁目物件地上げはストップしました。
昭和バブルの時にこの土地にぶち込まれた資金は銀行の債権飛ばし資金、関西系の便乗地上げ資金、グッドウイル折口氏の手付け金、富士薬品資金、その金主資金などなど巨額です。
昭和バブルの精算は今回のサブプライム証券ショック精算と同じで第一段階でしかなかったわけです。
サブプライムバブルに踊った欧州銀行のストレステストはこれからです。
アイルランド、ギリシャが国家倒産したように金融経済偏重の危険性が明らかになりつつあります。
小泉改革は必要でした。
しかし金融資本の行動規範意識の改革はできなかったようです。
消費者金融、商工ローンの跳梁跋扈を止めたのは宇都宮日弁連会長等の長年の消費者金融を巡る裁判努力の結果です。
日本国の政党でこの問題に真剣に取り組んだ政党はかっての政権政党を含めて一切なかったと言っていいでしょう。
日本振興銀行が中小企業のための銀行というお題目を掲げ設立されても実際に行ったことはSFCGを利用して中小企業を食い物にしただけです。
一部の権力に近い者たちが、立派な目的を掲げて行っていたことが政権交代で明らかになってきています。
小さなことですが香川元最高裁判所判事が理事長を務める財団法人が整理されたことも政権交代の効果でしょう。
日本振興銀行問題が明らかになり、発展途上国の政治腐敗と同じ現象が日本にも存在した気配があります。
地上げの世界でも同様のことが昭和バブル終了直後から行われていました。
外国の国にまで容喙する地上げビジネスは日本振興銀行、SFCG問題と同じ毒を含んでいます。

●ミャンマー大使館跡地の競売を巡って
 1989年ミャンマー大使館の一部が売却されました。
森ビルの御殿山開発総合設計の関係もあってミャンマーに縁の深いグループが購入したのです。
紆余曲折の末この北品川物件(以後北品川物件という)は朝鮮総連副議長が代表を務める京都の会社に競落されました。
600億円を超える金額で購入したこの物件が20数億で競落されたのです。
以後この物件を巡り多くの政治家、不動産業者がミャンマー詣でをすることになります。
20数億でこの物件を競落した京都の会社がどういう事業計画を持っていたかはわかりません。
ミャンマー詣でをしていた方々はミャンマー大使館から僅かな敷地を買うことが目的だったのです。
その理由は森ビルの御殿山総合設計の完成のためには避難通路の完成が至上命題だったのです。
道路を造るには二人の地権者の同意が必要でした。
一つが北品川物件を落札した京都の会社であり、一つがミャンマー政府です。


この稿続く。

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