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連続殺傷犯の2人 千葉景子が法相として初の立ち合い
民主党政権下で初の死刑執行!
ここに「逆もまた真なり」が体現
あの法務大臣・千葉景子が死刑執行に踏み切った。
民主党政権の下、特に弁護士出身で死刑廃止論者、『死刑廃止を推進する議員連盟』にも加盟していたことで知られた現法相の下ではまず死刑は行なわれないだろうと思われていた。
今回、死刑に処されたのは宇都宮市の宝石店放火殺人事件の強盗殺人罪で死刑を言い渡されていた篠沢一男死刑囚(59歳)と埼玉県内で発生した4人殺傷事件の尾形英紀死刑囚(33歳)の2人。
法相・千葉が死刑執行命令書にサインしたのは参議院議員として在任中の7月24日のこと。
今夏の参院選で落選した千葉はその翌日の25日に議員としての任期満了を迎え、以降は民間閣僚として法相の任を継続することが表明されていた。
そのためマスコミ各紙の報道では同月30日に召集される臨時国会を前に、千葉を続投させると決定した首相・菅直人への野党による集中砲火や問責決議案提出をかわす狙いがあったのではないかと伝えられている。
また、今回の死刑執行に至ってはただの執行にとどまらず、法相として初めて死刑執行の現場に立ち会ったことも明らかにされた。
日本人の実に85%以上が死刑制度の存続に賛成していながら、事件発生ならびに刑の確定から数十年を経ても死刑が執行されずに収監されたままの死刑確定者が100人以上も存在することはかねがね問題視されていた(今回の千葉景子による刑執行で現状は109人から107人に)。
死刑は刑の確定から6ヵ月以内に執行されると定められているが、それが形骸化していたことが問題だったのである。
身内の生命を奪われ、ひたすら死刑執行の日を待ち望んでいた被害者遺族のほうが先に亡くなってしまうという笑えない話も聞く。何よりもこうした法の不履行による怠慢(つまり上層部の及び腰)は法務省管轄下の刑務所においても現場職員を萎縮させてしまい、却って受刑者が増長するような本末転倒さをもたらした。
在っても履行されない死刑制度なら凶悪犯罪への抑止力にもならない。ますます死刑大国の支那(中国)から来た犯罪者は日本の法治主義を恐れずに、大胆不敵な犯行に及ぶ事態が懸念されている。
さて、今回死刑執行命令書に署名した法相・千葉の行ないは法務大臣という職責に鑑みれば当然だが、ここで私は千葉景子法務大臣様、大英断−、よくやった−と絶賛しようとは思わない。
法治主義を履行するどころか不法滞在外国人の相次ぐ合法化など法治主義を破壊することに勤しんできた千葉景子のような法務大臣は、良識ある日本人にとって国政選挙で落選させることが至上の命題であったが、それが実現したものの千葉は大臣席に居座ったばかりか法相として当然の法務行政(死刑執行命令)を履行して今、大きな注目を集めている。
つまり死刑廃止論者で、圧倒的多数の日本人が同制度に賛成している状況下(おそらく今後も変わらない)であっても死刑廃止を実現させたかった千葉景子にとって持論を曲げて死刑執行命令書へのサインは何よりも屈辱的であったに違いない。
いくら秋の内閣改造を前にした退任目前の滑り込みとはいえ、ここまで来て、なおさら命令はしたくなかったはずである。
それでも千葉は死刑執行命令書にサインせざるを得なかった。そこまで突き動かされた背景を検証することこそ重要なのではないか。
死刑廃止論者または宗教的な信条から死刑執行命令書にサインしなかった法務大臣は、自民党政権の時代にも存在した。一度として死刑を執行しなかった自民党政権時代の法相として最も長く在籍したことで思い出されるのは時の首相・小泉純一郎の側近としても知られた杉浦正健(すぎうら・せいけん)だ。
しかし、自民党時代は法相の死刑の未執行が問題視されたものの、法相の怠慢には今ほど野党からの突き上げも強くなかったように思うし、曲がりなりにも保守政党と目された自民党時代には世論からの反発もさほど多くはなかったように思う。
就任会見からして公然と法の捻じ曲げや民法改悪を高らかに宣言したのが千葉景子であり、民主党政権で任命されたこの法相がどこまで法の不履行に狂奔して法治国家・日本を危ぶませるのかが憂慮された中、この度の死刑執行を見た。
もし、千葉景子が自民党政権下で任命された法務大臣であったとしたらさほど野党の突き上げや世論の反発も憂慮も見られなかったのではないか。
法務省の法の不履行、怠慢は何も民主党政権になってから始まったわけではなく、自民党政権の頃から酷かった。それが民主党政権に代わってから加速度的に酷くなったのである。
昨年夏の自民大敗・民主大勝による政権交代がなく、これが自民党政権のままであったとしたら今なお法相の怠慢に対する野党の突き上げと世論の追及はさほど強くなってはいなかっただろう。
むしろ、その意味では日本の法治を破壊することに徹底して狂奔する民主党政権の誕生は望ましかったのである。
民意が著しく低下し、与党も野党も頽廃し切った世の中で国情を正常値に戻すには、中途半端に保守・中道を貫く政権よりも一気に本丸を落城させるくらいの売国政権であったほうがその反動はより大きい。
そのことは民主党政権自体もよく心得ている。
現民主党幹事長・枝野幸男が外国人参政権法案の提出について「拙速である」として慎重な姿勢を見せたのはそのためであり、いかに「反日左翼」「媚中」「売国」と称される民主党政権と言えども一気に事を進めるのではなく、徐々に徐々に自らの理念・理想を追求せざるを得ず、一たび政局・国会対策でのピンチに陥れば千葉のように不本意ながらも持論を曲げて法治主義を履行せざるを得ない。その社会的反響はより大きく。
「妖怪」「チバーバ」と称されるほどに法治国家を危ぶませる千葉景子が死刑執行に踏み切ったからこそビッグニュースになった。
死刑廃止どころか日本社会はより死刑執行の重要性を噛み締める結果となったのである。
刑の執行に際して千葉は立ち会ったばかりか、今後は刑場などをマスコミに公開する方向性のようだが、これは千葉が死刑執行命令書にサインする代わりに刑場を市民(おそらく千葉が意図する左翼・人権派勢力)に広く公開することを要求するなど背後で大がかりな取り引きがあったものと思われる。
その刑場公開によって千葉は死刑廃止への世論を高めていく目論見なのだろう。しかし、刑場の公開はより犯罪抑止への働きを強めるのではないか。
全ては死刑廃止・犯罪者の権利向上に向けて強く働きかけた千葉景子の思惑とは逆の方向へ、逆の方向へとどうしても向かってしまっている。
弓矢をより強く遠くへ放つためには、弦(げん)を引くように「逆もまた真なり」なのだ。
民主党政権が独善的に暴走すれば暴走するほど、日本の危機・解体には違いないが、その混乱にこそ日本再生への大きなチャンスが実は潜んでもいる。
法が法として機能せず、売国奴・犯罪者ばかりをのさばらせ、来日外国人が逆に排外主義で日本列島から日本人を排除・排斥しにかかっている「道理」がまるで通らぬ混乱の中で衝突・殺戮が繰り広げられたとしても、それは社会変革に必要不可欠な現象であり「歴史の必然」であると言えよう。
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